
はてなキーワード:役員とは
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井までSSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
何も考えんと見るアクションコメディアニメとして見れば80点くらいだと思うんだけど、
ある種の社会風刺アニメとして見ると現代の感覚だと60点くらいかもしれない。
スタッフに言及しだしたらオタクという俺の中での線引きがあるのだがさすがに言及せざるを得ない。
大友克洋、北久保弘之、江口寿史、磯光雄、今敏、神山健治、黄瀬和哉とその後のアニメ業界を牽引、今でも第一線で監督として活躍するメンツが様々な役職で参画している。
なので(かどうかは知らんけど)、アニメーション作品としては非常によくできているし見応えもある。
アクション、コメディがバランス良く配置され最終的にちょっとエモい感じになって最後爆笑で落とす構成も見事。
主人公の一人の実験体老人「喜十郎」が最後に「お迎えが来た」と呟き、もう一人の主人公の「晴子」が「何言ってんの」と返すと、地響きが鳴り響く。外に出るとロボット化した鎌倉の大仏様が。みんなで合掌。ゴーンと鐘が鳴り響いて暗転。
作画も延々といいし、アクションも素晴らしい。アニメーション作品としては申し分ない出来だと思う。
社会風刺としても、高齢化自体は1970年代から始まっており徐々に問題視されてきていたが一気に爆発したのが1990年の1.57事件からになるので、それを1991年公開の作品で取り扱っているのはかなりフットワークが軽い。
また介護問題へのアイロニーが効いているテーマ性は現代においても他人事ではないし、老人が操作する(実際にはしてないんだけど)移動機械が大暴走し多大な被害を出すという展開は、昨今のプリウスミサイルを彷彿とさせる。逆にプリウスミサイルがある現代に生きているのでむしろ老人に対する偏見を助長するのでは?と思ってしまった部分はある。
個人的に一番気になったのは介護、看護に献身的に取り組む主人公の晴子が介護先の喜十郎をずっと「おじいちゃん」と呼び続けること。俺が福祉の現場に入ったことがあるからかもしれないけど、現代の基準で言えばかなりグレーというか、よくないとされていることなのでずっと引っかかってしまった。まぁ本人が「おじいちゃん」って呼んでくれって言ってたんなら別にサービスとしてそれでいいんだろうけど、基本は「喜十郎さん」だよなぁと。
まぁ1990年以前の価値観だとそれで問題なかったんだろうけど、なんかモヤモヤ。
あとはこの作品ってそういう内容でよかったんだっけ?と感じたのは、この作品は老人介護用全自動ロボットが老人の夢をかなえるために鎌倉の海に向かって大暴走するという話なんだけど、この原因を作ったのは実は主人公側であるという部分。
厚生省(今は亡き)が介護老人を全自動で強制介護するマシンを作成し喜十郎をモニタに選ぶ。主人公はそれに反発し、自身が勤める病院に入院していた凄腕ハッカー老人集団と結託しマシンをハッキング、喜十郎の妻の声を再現して喜十郎に呼び掛ける。その結果、喜十郎の深層心理にあった「奥さんとの思い出の海に行きたい」を汲んだマシンのOS内に喜十郎の奥さんの人格が形成され海に向かって暴走を始める。
そのOSはペンタゴンが開発した軍事転用可能なもので、介護用と言いつつも軍事技術のデータ集めに使われていたのだ!なんてひどい話なんだ!としてそのOSを提供した会社が悪役になって最終的に逮捕されて終わるんだけど、いや、これ、暴走の原因の4割くらいは主人公たちにあるよね?
俺がマッチポンプ系作品が嫌いなのもあるんだけど、すげー気になってしまった。
いや、そうしなきゃ喜十郎は機械に繋がれて生命を繋ぎ留められるだけの物体になってしまっていたわけで、やむを得ない行為だったってのは理解できるんだけど、その代償としての被害規模がデカすぎんか。
というのが一番のモヤモヤ。
こういう作品だと役所の人間って非人間的なカスとして描かれがちだけど出てくる厚生省の役員は「本当に老人の介護問題を何とかしたい」という熱意に燃えていてそこに付け込まれてしまったという形で、マシンの問題に気付いてからは主人公側で一緒に戦う展開になるというのは性善説的で非常によかった。
あと今となってはウルトラトレスマンとして永久に叩かれている江口寿史のキャラデザは素晴らしく、主人公はかわいくサブキャラに至るまでみんな魅力的。
根本の部分が公開から35年たった今見ると、ええんか?ってなるところ以外はよくできた作品だと思う。
オレも、順番持ち回りで組長やらされるまでは、後者の一員だったけど、やってみて色々頼られたり貢献できたりの経験してると、「入信」しちゃったよねーw
ウチでは「班」は無くて、自治会役員の下にすぐ「組長」でひと組数軒〜10数軒から毎年持ち回りで組長出す方式。
持ち家なら一軒年間6000円、賃貸の住民は年3600円、その他企業団体とかは規模に応じて6000〜3万とか集めてるねー
祭り、運動会、清掃活動、防災訓練などなど、イベントに参加してくれた人々には、打ち上げとか慰労会とか称して、お食事飲み物(酒類含む)が町内会費から提供されるよw あと、役員組長だけで新年会とか年度末のご苦労さん会みたいなのもあるけど。
でも、町内会費の使い道としては、地域の防犯協会(警察関連)や防火協会(消防関連)、赤い羽根募金・緑の募金・赤十字社とかへの拠出金、自治連合会でやる地域イベントへの協賛金とか、子ども食堂への援助とか、そういった社会貢献に出してるカネもかなり大きい。
だから何で世間の会社の多くがハラスメントに対して対応が迅速なのか正直わからない
自殺と短期離職がお家芸みたいな会社に勤めてる人なんかでも「役員ルートに乗ってる次長が新卒に毎朝求愛LINE送って一発レッドで左遷されてた」と言ってた
会社がハラスメントに対して懲罰的な対策とることって何が怖くてそう動いてるんだろ?
アットホームな弊社は
「グループリーダーから何度断っても土日に競馬にしつこく誘われ、やむを得ず一度行ったらどんどんエスカレートしていき、ついに忘年会の夜にホテル連れ込まれそうになった」
女性社員ですらかなり冷ややかというかその同期の勇気ある行動に怯えていたようで
「すっごいいい人なんだよ?仕事で助けられたことあるでしょ?」
と諭すような態度に終始していたとのこと。
それでも同期が折れずに頑なな態度でいると、
ホテルに入らず済んだのにこうして周りを巻き込んで大騒ぎしたこと
を指摘され
「ごめんね、本音言うね。俺、君に今相当頭きてるんだよ」と人事部長に凄まれたと泣いていた。
それでも弊社は回っている。
最終的に同期の親まで出てきたけど弊社はこれといった大ダメージを受けることなく回った。
セクハラ加害者であるグループリーダーは処分無しでたまにこの騒動をネタにし、件の同期のモノマネを交えて笑いをとっている。
そんな現実を目の当たりにしながら疑問が浮かんだ。
役職者が苛烈なイジメやパワハラをかましてニュースになった某巨大自動車メーカーとか、某大手自動車メーカーとか、某巨大電機メーカーとか、相変わらず学生から大人気だし、大企業ゆえにニュースになったけど経営は盤石だし、法人にとっては小銭のような慰謝料で済んでるだろうし。
ハラスメントを放置して被害者を無視するのが合理性高いのでは(よしとは言っていない。個人的には同期を苦しめた連中は一族郎党死んだほうがいいと思ってる)?
https://togetter.com/li/2617426
町内会の話。
コロナ禍で、都内に居る意味が希薄になり、都心から電車で1時間くらいの都市の中古住宅を購入して住み始めたのが4年ほど前。
空気も美味しく、朝取れ野菜も安く、美味しく。家も広くなり、ペットも自由に飼えて、温泉は車で30分。
中古住宅のローンは、都内に居たときの駐車場代ほどで、控えめに言ってもQOLは100倍ほど向上。
都心まで1時間は、遠いと言えば遠いが、週に数回程度の出社であればトータルでは引っ越して大正解といった状況。
本題の町内会だが、引っ越してすぐに誰ともなく加入の話が届き、加入は自由とのことだったが、自分は加入した。
町内会費は、年額3000円。元記事に比べればかなり良心的である。
加入後すぐに、町内一斉清掃があり、新参者は参加すべきであろうと、朝の9時に近所の公園にいったら、
え?一人しかこないの?と度肝を抜かされながら、
「みなさん来るんですか?」と聞いてみたら、
「私も10年ぶりに組長だからきたけど、来るかわからない」というので、
それはそれは、安堵しながら。結局2人で、草刈りして終わってしまった。
実際公園と言っても、小さな公園で、2人で30分もやれば済む程度のものであった。
地域的には、田舎といっても過言ではないだろうが、中古で購入した物件の周りは比較的新興住宅街なので、
都心のマンション暮らしからの、新参者的には、嬉しい誤算である。
代表組長→組→班 といった構成になっており。班が大体10世帯前後で構成されている。
その10世帯で、班長を持ち回りで担当するのが、うちの班の習わしらしく
その持ち回りの一体どこに組み込まれたのかそのロジックは不明だが、
ちょうどうちが今年の班長担当ということで、今年の春から班長をやらさせていた頂いている。
2,年に2回の理事会の参加。
3,町内会費の集金。(これはややめんどくさいが引っ越してから一度も話したこと無い人たちに会えてよかった)
この3つである。
この年度初めの理事会は、班長も参加する年一の大規模なもので、
一つ心に残ったのは、よくネットでも話題になる、ゴミ捨て場問題の話で、
会長が、この自治会は地区の価値を高めるためにあると思って活動しているので
できれば、未参加の方を排除するのではなく、ご賛同頂いている方にご納得いただける活動を前向きに推進していきたい。
みたいなことを言っていて、個人的はとても良い考えと、地区だなと思った。
これは、性分なのだが、ごちゃごちゃ何時間も誰もやりたくないという話し合いが大嫌いなので、
「組長の仕事はなんですか?」と聞くと、
担当班の(3から4班分)の回覧板が月に1回届くので、各班の班長にそれを配るのが、組長の仕事だというので、
それなら、時間をかけて決める価値も無いほど些細な仕事量だなと思って。
実際に組長の仕事は、本当に班長にの仕事にプラスしてこれだけだったので、即答で決めて良かったと思うのだが、
突然インターホンが鳴り、玄関を開けると、町内会の会長、副会長が立っていた。
「何事ですか?」と聞くと、
「代表組長をやってほしい」という。
「代表組長ってなんですか?何やるんですか?」と聞くと、
「組長の代表で、仕事は年に2,3回の理事会の会合、夏祭りや運動会も手伝ってくれると嬉しい、でも仕事優先でもOK」という。
まぁ、、、、、会合や、イベント事を断る自由があるなら、、、、
それに選ばれた上で、組長、更には代表組長を担当する機会など、この後の人生で何度あるだろうか?と考えると。
めんどくさいが、逆にこんな機会はそうないのかな?と思って、
これは、ただの組長とは全然違って全ての仕事を受けるとするならばそれなりハードである。
ざっくり仕事をまとめると、
各種イベントは、夏祭りや、地区の運動会、用水路の清掃活動など、毎月1つくらいは何らかの活動がある。
とは言え、立候補ではなく、お願いされてやらせてもらってる立場と、
仕事優先でOKという言質があるので、(そんなものなくても多分大丈夫だが)
連絡はあるけど、行けたら行きますが通用するので、大変ではない。
とくに予定がなければ、
運動会でリレーのアンカーとして走って地区優勝に貢献したりと、楽しんでいる。
これを書くきっかけとなった、元記事の「お金の使い方」だが、、、
町内会の、理事の一員という、一生に1度のあるかないかの機会。
正直、この役を受けた理由の半分くらいは、お金の使い方見てみたい!!という気持ちがあったのは事実。
で、実際のところ。
例えば、理事会の会合で、お弁当とお茶と思ったら、お弁当とビールだったとか。
夏祭りの打ち上げが、会費3000円だけど、たぶん5000円くらいの料理でてるとか、
実際あるけども、、、
ビール報酬に費やした時間を考えたら妥当どころか、時給100円みたいな話で。
そんくらいは貰ってもバチはあたらないよなぁというレベル。
なり手が少ないということは、この程度のビールでは足りてないというのが現実なんだと思う。
実際にやってみると、
昨今、メールやLINEやスケジューラーで予定を組む以外の方法は、驚きとともに新鮮。ポスト開けるの遅れたら普通に参加できないじゃん!とか。
(飲み会でマジ物理的な連絡びっくりしまたーみたいなこと言ったら、会長とLINE交換して、LINEでスケジュール届くようになりました・・・)
驚くほど古い仕組みで動いてるところにもびっくりすることはあるけど。
毎年やれとか、◯◯部の理事とかは、やばい仕事量なのを見てしまったので、やりたくないけど。
最後に、余談というか予測だけど、自分みたいに代表組長で割と前向きに参加してる人少ないだろうから、
私が大好きなポップンミュージックが帰ってきた。
制作会社の体制が変わり,筐体の姿を変え、廃止されたはずの機能を引っ提げて.
楽曲,キャラクター,ゲームのテーマ,どれをとっても素晴らしい.
好きな人と話すキッカケにもなった.
トラブルもあった.今では笑い話だ.
社長に当時の社員が上がってくれて,当時大好きだったコンポーザーも役員に.
本当に喜ばしい。色々企画もしてくれるらしい.
新筐体はもっと性能が上がるらしい,私の大好きな六はカッコよくなってくれるかな.
そんな大好きなゲームの復活のお陰で,私はようやくポップンミュージックを離れる決心がついた.
急に息を吹き返してくれたのは嬉しかったが,絵は描いてゲーセンに金を落とさないプレイヤーが何故盛り上がっているのか.
生活が変わった!立場が!は分かるが,そんなに10分も100円も割けない物か.
グッズは買ってたのか?
私はジャンル制度の撤廃にも,絵柄変更にも当時ちゃんと怒った.
それでも継続し,10年近く復活させなかったのは「自分達判断は正しい」という判断の下だと信じた.
その上でようやくジャンル名しか覚えてないユーザーと曲名しか覚えてないユーザーの乖離が減り,恩恵を感じ始めた。
自信をもってコンテンツを提供し続けていたはずだったのではないのか.
ジャンル名をユーザーに命名させようとしてるのも非常に不安だ.
Xには〇〇の人,とキャラクター愛を勘違いして持て囃されている人がごまんといる.
これから初対面のポッパーと会うたびに「私はこのジャンル名をつけた人です!」と初手からぶっ放してくる距離感のおかしいオタクと出会うようになると思うと背筋が凍る.
ほん怖よりも怖い.
ようやくそういったユーザーが減り、安心してゲーセンでお金を落とし続けることが出来ていた.
そもそも制作陣が自分達で責任を持ってジャンル名を付けて欲しかった.
そこまで意図も感じ取ったりして楽しんでいたのが今まで考察や深読みをするようなポッパーのポップンミュージックだったのではないのか、と考えていたからだ.
自分達が携われる、その一点だけに盲目になっているポッパーが多すぎて正気を疑いたくなる.
5回と遊んでない人間にジャンル名をつけられる覚悟があるのか?
何故1ミリもそんな現状に疑いを持とうとしないのかも意味が分からない.
盲目甚だしい.
中間にあんなことを書いたが,私は今後のポップンを続けるだろう.
目の前の認識能力の落ちたユーザーがやっていようが,新規で触っているユーザーがいようが,自分のプレイを楽しむだけに100円や知名度が低いものの自販機で使えるマイナーな電子マネーで130円を支払い続けてボタンを叩いてるだろう.
最後に警告する.
ポップンはこれで売上が無ければコンテンツそのものが,またはゲーセンや音ゲーコーナーが姿を消すと思った方が良い.
不十分なまま購入させられ,半年近くも正常にゲームをさせていなかったGITADORAはアリーナモデル導入で大打撃を与えたゲームセンターが少なくない.
流石に大企業サマはそんなヘマを二度もやらないと信じているが、売上が出なければGITADORAの二の舞になる事は容易に想像がつく。
旧筐体を撤去し,新筐体を入れたものの売上が芳しくなく再設置すら叶わなかったゲーセンもある.
期待だけが膨れ上がりユーザーがついていかなかったら,ポップンミュージックというゲームがホームゲーセンにトドメを刺すだろう.
誰かが行ってくれる,で死んでいったゲーム筐体の事をゆめゆめ忘れないで欲しい.
行くよな?
自慰をする、あるいは単に射精をすることを、俗に「抜く」という。
この「抜く」という表現の語源について、「扱く(しごく)」の誤読である、という説がある。
たとえば「陰茎を扱く(しごく)」と書いたのを「抜く」と見間違えたというのである。
この語源説の信憑性を判断するために、今回は「抜く」の古い用例を確かめてみたい。
まず、それらしいワードで検索してみると、戦前ではフロイト心理学の引用が引っかかる。
フロイトは「歯を抜く」ことが射精と関連していると主張していた。
そのくだりで「とある方言では自慰のことを『引き抜く』と表現する」ことを引き合いに出しているのである。
「sich einen ausreißen」などと言うらしい。
1957年『歯科時報』の「口腔歯牙の性心理と性生理」という連載において、このフロイトの主張が引用されつつ、こう述べられている。
フロイドは自慰を行うという意味の俗語として、「一本抜く」という言葉がドイツ語にあることを指摘したが、フエレンツイは同様の俗語がハンガリアでもしばしば用いられており、しかもハンガリア人は、フロイドが指摘したドイツ語を全然知っていないと述べ、さらに、ハンガリア語には、ほかに自慰をあらわす俗語はないことを強調している。そして、ドイツ語やハンガリア語を知らない日本人も、昔から同様の俗語を用いて来ていることは、前にわたくしが指摘したとおりである。ただし日本語の「一本抜く」は、性交の意味にも用いられるのであるが。
としている。
ただ、実際に「一本抜く」がそのような表現として使われていると思しき例は一つしか見つけられなかった。
1951年に出版された『女の平和』において、男性がセックス・ストライキを嘆く場面が以下のように翻訳されている。
1970年代ごろからは(その時期に初出というわけではないが)「精を抜く」「精液を抜く」という表現が増えたようだ。
※ ただ「精を抜く」はもともと「重要な部分を抜き出す(抜粋などと同義)」という意味で使われることのほうが多かった
※ また「精を抜かれる」のような言い回しだと「精気」の意味であることが多いので判断が難しい
今の若い船員を見ていると、本当に気の毒である。一カ月も鉄の箱にとじこめられて、おかに着いて息をするにも、精を抜くにも、一日や二日の停泊で、ムードたっぷり女をくどくひまなく、飲みに行かねば女に当らない。
jerk offというと「ぐいぐいとしごいて精液を抜く」こと。
さらに1980年代の半ばからは、少しニュアンスの違った「一本抜く」が広まっていった。
実利というのは、射精させてくれることである。業界用語で「一本抜く」という。新生ノーパン喫茶の個室では、ノーパン嬢たちがせっせと一本抜いている。一本抜けない風俗営業の店は、どんどんつぶれていった。今はノーパン喫茶でも、覗き部屋でも、ストリップ劇場でも、必ず一本抜いてくれるのである。
1987年『診男法』。
「一本抜いてくる」と平気で風俗業界へくり出し、1年も車内の掃除をしていないようなきたないスカイラインで、RX7を見ると異常な闘志を見せたりします。
このように「一本抜く」という言葉が性風俗の業界用語として、一気に人口に膾炙していった様子が窺える。
もちろん同時期に「一本扱く」という表現は見当たらなかった。
流れとしては、
といったところだろうか。
そもそもの話をすると、「抜く」の語源が気にされるのは、一見すると「自慰」と「抜く」が繋がらないからだろう。
そこで「抜く」と「扱く」の字形が似ていることから連想して「抜く=扱くの誤読」説が考案されたのではないか。
しかし「動物の血を抜く」「プールから水を抜く」などのように「溜まっている液体を抜く」という用法は自然なものである。
ノーベル賞の受賞者、男ばっかりじゃない?
毎年ニュースで名前が並ぶたびに、「あれ、今年も?」って思う。
100年とか150年の歴史がある賞で、
その間にどれだけの女性研究者や技術者や作家がいたと思うんだろう。
さすがに「偶然」が続きすぎてる気がする。
「まあそういうもんだよね」で済まされるけど、
まだ「そういうもん」で済ませていいのかなって思う。
誰もが平等にチャンスがあるって言いながら、
それって結構、怖いことじゃない?
Permalink |記事への反応(36) | 19:04
部長:経営方針を基に部のリソースを考慮して実行する。複数の課に責務を分ける意思決定ができる。
人事部長と人事課長の職責の話だと、リストラの案の検討は課長トリガーでは出来ない。
松成分多めだな。
フィクションを見たり想像で補ったりして書いてる部分が多そう。
これは嘘。そもそも他の女の子と関わることが少ないので知るよしがない。集団待機の店ならワンチャン他の女の子の話を聞くこともあるかもしれないが、集団待機の部屋はだいたいギスギスしてる。そもそもそれが理由なら水商売でいい。ちなみに、水商売から入って夜の世界が向いていると気づき「精神使うより体を使う方が楽」って理由で風俗始めるパターンが今は一番多い。推し活・ホス狂いもあるある。
これは本当。この辺のぶっ飛びエピソードも妙なリアリティがある。家庭菜園で作ったトマト持ってくる人とか、一緒にカラオケのボイトレさせられる人とか、酒を持参して延々と仕事の愚痴しゃべってプレイもせずに帰る人とか。いやお前はキャバ行けよって思いきや、風俗の方が安いからだとさ。
ちなみに既婚者が既婚の理由もよく分かる。大半は人間としてまとも。一方、既婚者は接客が楽だが、ぶっ飛んだ話を聞けることもぶっ飛んだ事をされることもない。
エピソードが自宅ばかり
これは嘘。というか、自宅に呼ばれたエピソードだけ抜き出した??とは言え、呼ばれるのは普通ラブホだし、店で自宅NG も出来るのに、不安でいっぱいだっただろうガチ風俗新人が半年でこれだけエピソード持ってるのは変。
毎回必ず手料理を振る舞ってくれる人もいた。
これは嘘。客の作ったものを食べるのは禁忌。未開封の既製品のみ可。風俗慣れしている客はそこも踏まえて買ってきてくれる。店通して何度か来た客を信頼できると判断して裏引いて自宅に行く、なら可能性はなくもないが、たった半年でそんな風俗嬢としての腕が上がるかというとな。
これは本当。めちゃくちゃ多い。特に高級店になると客層の年齢が上がるので、喋るだけで帰る人も多くなる。週一通うのがすっかり習慣になっちゃってさ、って言いながらお茶だけして帰る、元上場企業役員のおじいちゃん(70)とかいた。
これは店による。というか価格帯による。増田が高級店に入れる容姿とスタイルだったのならたぶん本当。
もし元増田が嘘松じゃないのなら、風俗を始める前に数年の水商売経験がある可能性が高い。上で嘘と書いた点についても、水商売経験があって、客の善し悪しを見抜く目に自信があったりしたのなら、本当かもしれない部分はある。
これも一緒だな。課長だの色々な役職を頑張って作ったけど、課は限られているがヒラから管理職手前あたりに階級作るために
てきとーに役職名だけ作っていくんだよなあ
まだ外国人比率が全然少数派だし、地元住民の間に「乗っ取られるのでは?」的脅威を感じる人はあまり居ないと思われ、ことさら多文化共生って叫ばれてはいないけど融和的だわなー
町内会の役員に外国人家庭のオトーサンが参加してまぁそこそこ活躍してくれてたり、地元神社のお祭りで舞を奉納するメンバーにも外国人家庭のご子息がいたり、地元小学校区の住民運動会にもインド系?アフリカ系?かと思われる肌の黒い人々が参加して跳んだり走ったり活躍してるよーw
ほんで、時々、ビン・カンの資源ごみ回収の日に、ルール・マナーがなってない捨て方してるのは、ほぼ日本人。オレんとこの回収場所の周囲に住んでる外国人いないハズだからな。
「ビン専用」てはっきり書いてあるコンテナに空き缶入れてんじゃねーよアホかw あと、空いてるコンテナあるのに、ビンを山盛り積み上げて行くのやめろよバカかw そのコンテナは、何段も積み重ねてトラックとかに乗せて運ぶんだよ! 山盛りにしたら積み重ねできないだろって!!