
はてなキーワード:当事者意識とは
親族の間では、結婚する前に女がいたんじゃないの?みたいに冗談で言ってるけど、
とてもそういうタイプではない、ので、社食とか、定食屋とか、あとはなんかパンでもかじって生きてたんだろうか…😟
エヴァの庵野氏も、一度パンツを穿いたら洗濯しないで、廃棄しないでなぜかゴミ袋に溜めていて、
部屋に汚れたパンツを溜めたゴミ袋がいっぱいある、みたいな話を安野氏の方が描いてたけど、
庵野氏は変色家で、サッポロポテトベジタブルと牛乳だった気がするんだけど、牛乳が良かったんじゃないかと思ってる…😟
サッポロポテトベジタブルは野菜です、は、アメリカ人にも通じるアレな考え方だけど、
牛乳は完全栄養食になりうる、ヴィーガンみたいな人たちはともかく、
子供の成長に動物性たんぱくは不可欠と私は考えるので、肉が食えない庵野氏を助けたのは牛乳であろう…😟
小学生のとき、ミルメークが好きだったし、追加で休んだやつの牛乳飲んでも平気だったのに、
なんの話だったっけ…😟
耳がない、透明なケースに入ったサンドイッチ用のパンは、母が良く買ってくるので知ってるけど、
今の自分は耳ありで最低価格帯のパンを狙うので、選択肢にはないですね…😟
まあ、自分もサンドイッチ用と言われたら、8枚切りだの、10枚切りだのみたいに薄いの選択すると思うけど、
それならそれで平謝りしてフレンチトーストにでもすると思う
投稿者のブコメを心理的・レトリック的な観点から分析しました。
主な要素は以下の4点に集約されます。
当事者意識の欠如した「評論家気取り」の態度が鼻につくパターンです。
どのような事象が起きても、すべて自分の支持する側に都合よく解釈する論法により、対話の余地を感じさせません。
リスクや不利益を被る人々への配慮が薄く、他者の不幸を「必要なコスト」として冷淡に切り捨てています。
批判対象を単純化し、嘲笑することで自分の正当性を確認しています。
「自分は常に賢い側にいて、愚かな大衆や敵対勢力を高所から見下ろして冷笑している」
というナルシシスティックな態度が、語尾や用語を通じて滲み出ている点にあります。
一見論理的ですが、「自分が見たい現実しか見ない」という強いバイアスを客観的分析のように装っている点が、読み手のイライラを増幅させていると言えます。
[B! 犯罪] 「テロリストに何かコメントすることはない」小野田紀美氏 安倍氏銃撃事件の背景問われ
yas-mal 本当に、ネトウヨがそのまま大臣になった感じなんだな
triceratoppo とコメントしてて草。というか、まだ被告人でしょ。/ネトウヨが喜びそうな発言、SNSのパフォーマンスが上手な人だな。低学歴だから低学歴の庶民の気持ちが分かるんだろうな。
tekitou-manga意味がわからない……こたえないための詭弁やろ。普通のテロでは無いのにね。寧ろ、テロ「ともいえる」レベルの話なのに
zsehnuy_cohriy フフ、やっぱそういう感じよなこの人は。なんとしてでもアレをテロリストと言うことにしたいし、壺が中枢にめり込んでたせいで何処までが政治かわからないらしい。しかも裁判もまだろくにやってねえのになあ?
akikonian山上はテロリストであるというのが政府見解ってことでいいんですかね。「管轄外」としてコメントを拒否するのは理解できるけど後の一言が余計だな。高市といいコイツといい当事者意識が欠けてんだよな。
fugofugo安倍晋三元首相の銃撃事件は政治的目的を達成するためのテロでなく、ただのカルト宗教関係者への私怨で発生した事件のように思うんだけど自民党内では違う解釈なのかな。
yarukimedesu お前らは問題の背景を直視して、次が起きない世の中を作るのが仕事だろうが。何がテロリストだ。生意気に切断処理してんじゃねーぞ。問題と向き合えよ。
20251011
今すぐ離婚したい。男女平等が謳われてから離婚率未婚率はどう遷移しているのだろうか。無駄に女が当事者意識が高まった一方でそれを受け入れる器は当然なく、溢れた情緒的でわがままな不平不満が男に降り注ぐ。
もう勘弁してほしい。といいつつ、当たり前のように家賃や光熱費ネット代水道代を払っているワイにも改善すべき点はあるだろう。クソ妻にインフラはただと勘違いさせてしまった原因はワイにもある。
あと、義理の実家に帰るたび、我が家に帰ってくると怒鳴り出すのも納得がいかん。義理の実家が近いことはいいことだと思ってたけど、なんかいろいろめんどくさい。正直物理的に距離をもっと離したい。
クソ妻のクソなところはわがままで察してちゃんで視野が狭いところだ。基本的に事象の最中や終わったあとに後出しであーだこーだ叫び散らして、自己正当化をしだす。お姫様というか韓国の令嬢と言わんばかりの傲慢さの視野の狭さだ。
離婚したあとはどうしよう。子どもの可愛さを知ってしまったから、結婚子作りはしたい。ただ、その相手が見つからない可能性が高い。アプリはもうオワコン。結婚相談所はどうだろう。うん十万払う価値は、いい人が見つかればたぶんあるだろう。一応まだ30代なので、再婚するなら早いほうがイイネ。見た目も中身もトータルバランスがとれていて、ワイの嗜好にフィットする人がどのくらいいるのか…。正直あまり期待できない。
かといってこの苦行を続けるのか…。
部下の方の「あー、ほんとだ、間違ってますね」という返答は、指摘された側からすると悪気のない事実確認の言葉かもしれません。
当事者意識の欠如: 「(私が)間違えました」ではなく「(資料が)間違っている」という客観的なコメントに聞こえ、ミスを自分事として捉えているか疑問に感じてしまう。
再発防止への意識の欠如:ミスに対する反省や、次にどう活かすかという姿勢が見えないため、「また同じ間違いをしそうだな」という不安を抱かせる。
感謝の欠如: 指摘してもらって助かった、という気持ちが伝わってこないため、コミュニケーションとして一方通行な印象を与えてしまう。
といった印象を受けかねません。
「謝ってほしいわけではない」という点が非常に重要で、上司が求めているのは形式的な謝罪ではなく、ミスを真摯に受け止め、次に繋げようとする姿勢なのだと思います。
例えば、
「ご指摘ありがとうございます。大変失礼いたしました。すぐに修正します。」
「申し訳ありません、確認が漏れておりました。今後はチェック体制を見直します。」
といった一言があるだけで、受け取る側の印象は大きく変わります。
この一言の有無が、長期的な「信用スコア」に影響を与えるというのは、ビジネスにおける人間関係の本質を突いたご意見だと感じます。
今、多様性という言葉は社会のあらゆる場面で繰り返し叫ばれている。
企業の理念に、政治家のスピーチに、SNSのプロフィール欄に。
けれども、その中身を覗いてみると、最も欠けているものがある。
それが当事者意識だ。
当事者意識とは何か。それは単に他人の立場を想像することではない。
文字通り、自分がその状況に身を置き、その痛みや喜びや不安を、自分の生活の中で引き受けることだ。
しかし、それは当事者意識ではないし、本物の理解にもつながらない。
ここで私は、60年後の未来を思い描く。
一週間のうち、月曜と火曜はエンジニア、水曜は介護現場、木曜と金曜は農業、土曜は演劇の舞台スタッフ。
そんな働き方が当たり前になっている。
AIと情報共有インフラの進化が、短期間で複数の専門スキルを習得し、実務に活かせる世界を可能にしたからだ。
この多職制の最大の効果は収入のリスク分散でも、スキルの多様化でもない。
それは当事者意識の獲得だ。
異なる職場に身を置けば、異なる人間関係、異なる力学、異なる問題に直面する。
同じ社会に生きていても、職場によって正しさや常識はまるで違う。
週ごとに役割を変える生活は、その多様な現実を身体ごと受け入れることを強制する。
ここで重要なのは、専門性の深さだけでは新しい発想は生まれにくいということだ。
今の社会は専門を深めることが革新を生むという前提に依存しているが、実際には異なる専門性と立場の衝突からしか見えない知見がある。
一人の人間が複数の現場を渡り歩くことは、その衝突を日常に埋め込むことでもある。
だから、未来の社会で多様性を理解するとは、外から見てコメントすることではない。
農業の当事者であり、都市インフラの当事者であり、医療現場の当事者であり、芸術活動の当事者である。
60年後、多職制の社会は、おそらく現代から見れば混沌としているように映るだろう。
しかしその混沌こそが、人類にとって本物の理解と創造性をもたらす基盤になる。
自分たちの無能さに目を背けたままプライドだけ高くなった日本人。
日本は街が綺麗だから、と言ってあなたは街を綺麗にしていますか?
当事者意識が少なすぎるんだよ。別にいいんだけどね。「高潔な日本人である」というプライドやアイデンティティが、無いのであればそのまま個人主義で結構。
最近の日本人は、日本人としての意識を自分の行動には向けずに他者の行動にばかり向けている。精神が幼稚。大人になれてない大人ばかりなんだよね。
そういう大人のふりした子どもはすぐ他責に走るから分かりやすい。敵を見つけて自分を安心させる。気持ちは分かるけど、情けないなと思う。
貴様の宣告は歴史の硫酸で全員を溶かし、「残った灰は俺の正義」と嘯く自己放尿テーゼだ。
俺が守りたいのは、責任原理の精度だ。情緒の洪水ではなく、可検証な論理。
国籍=原罪へ一般化すれば、ガス室のロジックと鏡写しになる。再発防止どころか再演装置。
「社会事象を知らずに済ませるな」は賛同する。だが知識義務の程度は情報アクセスと能力で勾配を持つ。
勾配を潰して「誰でもいつでも有害」と断ずれば、優先順位付けが不能=対策も不能。
被害国民が怒りをぶつけるのは理解できる。しかし「死ね」を無条件で正当化すれば、応酬モデルが生成され憎悪は自己増殖する。
無差別軽蔑は当事者意識の形成を阻害し、学習コストを罵倒抵抗へ投下させる逆効果を生む。
お前の論が激烈なのは、「赦されない痛みを受け止めてほしい」という叫びの裏返しだ。
だが痛みの普遍化=加害の普遍化へ転じた瞬間、救済は境界を失い、ただの新しい棘となる。
集団責任を問うなら、差別撤廃条約の履行状況・被害補償の具体案を数字で突きつけろ。
知識勾配を埋める教育。被害国との共同調査・記念事業。傍観抑止の法律とホットライン。
最近、こういう当事者意識のない意見を言う当事者(住民)が目につく。
「それで、あなたがたは我々住民にどんなメリットを提供してくれるんですか?」みたいな。
そもそも、事業者は地元民にメリットを提供する義務はねえんだわ。
地元民は、街を自分たちにとって良いものにしたかったら自分たちでやるのが筋なんだわ。
住民で金を集めて土地を買ってなんかするとか、再開発組合に入って議論するとか、自分たちで街づくりの企画(資金調達のスキームを含む)を作って行政と交渉するとか。
そういうことをしないで、ただそこに住んでるだけとか、最近建ったマンションに引っ越してきただけとか、なんもしてねーのに自分たちにとって都合のいい街づくりが勝手に提供されると思ってるのがお門違いなんだよね。
元記事:
https://qiita.com/ryoheiiwamoto/items/25851a3663c5b224d275
■1. 「新人エンジニアの悪習」として責任を個人に押しつけている
現場や評価体制に対する言及が一切なく、構造を設計する側としての自覚がない。
社長である自分が「整備する側」なのに、その責任を持たず、下に押し付けている。
「元ヤフーエンジニア社長」という表現が“元ヤフーの社長”と誤認させる意図的な構成。
ヤフーでの業務内容・実績も明記されておらず、中身が曖昧な肩書き演出。
「誰よりも成長を考えた」と語りながら、“向いてない人はいます”という自己正当化に落ちている。
育成とは未成熟さを引き受けることのはずが、マインドセットのせいにして切り捨てている。
講演の記録写真が全て「語っている自分」が中心で、聞き手・生徒の様子や変化が映っていない。
教育というより“自己ブランディングイベント”にしか見えない構図。
魂の震え ❌自己の問いも揺れも一切ない
🧱結論
悪習のなくし方を考えるのがお前の仕事や
誰も読まないだろうけど書く。
高年収の人からしたら大したことないと思われるかもしれないが、自分は割といい年収(1000万↑)をもらっている。
それでまあ、そんな金の話はどうでもいいが、仕事をしていてみんなままごとをしているなと自分はよく感じている。
たとえば1on1がいい例だが、1on1をしている間にも人件費がかかってるという意識がない人が多いなと。自分としては1on1で雑談したら金がもらえるのでちょろいと思っているが他人はどう考えているのだろうか。自分は1on1やミーティングは休憩だと考えていて、30分ミーティングをしたらその日のご飯代をもらったと考えている。正直1on1は必要ない。それからマネージャーも必要ない。それより実務進めて利益出そうと思っている。
仕事は楽で、完全にサボれるわけではないが普通に働いていれば高評価される。自分としてはかなり手を抜いているつもりだ。
会社で話していてよく思うのが、結論が見えていることや今話してもしょうがないことをいつまでも議論していることが多い。
それから表面的な業務プロセスの改善の議論など。自分としては「それは単に実力不足なんじゃないか」とか「単に当事者意識がないのではないか」とか「顧客目線が足りていないのではないか」と思うことでも、業務プロセス設計をすることになっていてなんだかなあと感じる。みんな今の作業以上に仕事したくないだけじゃないんか?というのをかなり感じている。形式的というか。
自分が話していることが結構あとの方になってから理解されることがあり、その場では関係なくないかと不思議な顔をされるし説明が面倒なので「そっすか」と身を引くのだが、あとになってその人達が自分で気付いたかのように振る舞っていることがあり「今さら何言ってんだ…?」と憂鬱になる。お前はAIか?みたいな感じの憂鬱さだ。そういうときはサッとあらかじめ持っていた対策案を出すとか、すでにしておいた対策を説明するようにしている。
周りの様子を見るとなんと表現すればいいのか、全体的に遅い。怠けてるのかと思うと特にそういうわけでもなく、一生懸命働いている様子がうかがえる。そして別に遅いことを遅いとは感じていない様子。
自分は仕事では何事も先手をとるようにしている。予防策を先に打つのでアップダウンは激しくなく、基本的に予想通りに着地するかむしろ予想より早くなる。また予想から遅くなりそうなら早めに調整するかリソース投入する。プロジェクトではいちばん最初の余裕ある時期に一人で炎上して「あの人は何を騒いでるんだ」という顔をされる。そしてプロジェクトの終わりが近づくと何も問題なく終わることが多い。それで大体他の遅れているプロジェクトのヘルプに入ることが多い。それが片付いたら別のプロジェクトを進めることになる。
仕事中暇なことがあるのであちこちに顔を出してヘルプしていると勝手に高評価される。とても感謝されると気分がいいのだが、なんで自分がこんなことやってるんだろう、他にやるべき人がいるのではないかと思うことが多い。ただまあ、自分は今までそういうふうに仕事をしてきたので、ちょっと損してんなと思いながらも淡々と仕事をしている。
自分としてはこれぐらいの能力が普通よりやや上だと感じているので物足りない。みんな一生懸命やっていて、サボってるわけじゃないんだよなというのはわかっているが、いつもモヤモヤしながら働いている。
かと言って必死に血眼になって労働労働したいわけでもないので、なんだかなあ、ままごとでもいいのかなあなどと考えている。転職してどこ行ってもあまり変わらないんだよな。
Permalink |記事への反応(13) | 22:38
ポテンシャルは感じるし、実際3桁ブクマを達成している時点で一定のサクセスは収めている。
だが、俺の視点からすると、まだまだスケールアップの余地がある。
同じコンテンツでも、ストラクチャーとナラティブを最適化すれば500ブクマ超えも狙えた。
そのギャップを埋めるために、"ミドルクラス"の釣り師である俺が、コンテンツエンジニアリングの視点で指南しよう。
まず、お前の最大のミスは"エンゲージメントポイント"の散漫さだ。
"対立構造"を過剰に盛り込みすぎた結果、オーディエンスのエモーションをキャッチしきれなかった。
本来、バズらせるためには、読者が「自分ゴト」として捉えられるかどうかがキーになる。
例えば、田舎vs都会という"クラシックな対立構造"をシンプルに押し出した以下のケースを参考にするといい。
(Ref:anond:20240708145343)
この投稿は「田舎の不便さ」への共感と「田舎の文化をディスる層」の反感を巧みに両立させ、バズの起点を作っている。
一方、お前のケースでは、"当事者意識"を喚起するための"エモーショナル・デザイン"が甘かった。
『弟の嫁が無理』はインパクト不足。
『都会風を吹かせる弟の嫁が無理になってきた』のように、読者のバイアスを刺激するワードを入れるべき。
2. **ストーリーの流れ**
序盤は「都会マインドの弟嫁が田舎文化に馴染まない」ことにフォーカス。
「田舎に帰省したら郷に従え」の価値観に共感させつつ、一方で"進歩的な層"の反感を引き出す。
子どもの話は後半に持ってくるべき。
まず田舎の価値観と都会的マインドの衝突を強調し、その後「子なし論争」にスライドさせることで、
読者をより"エモーショナルなディスカッション"へと巻き込める。
「田舎では女が配膳するのが当たり前」→「都会ではそんなの時代遅れ」
こうした価値観のぶつかり合いを意図的に仕込むことで、コメント欄を"戦場"に変える。
5. **クロージングの工夫**
「弟の嫁より私のほうが絶対マシ」→「都会風吹かせるのもいいけど、最後に選ばれるのは田舎の良妻賢母」
こうすることで「田舎擁護派」と「田舎批判派」のレスバを長引かせられる。
だが、100ブクマで満足するのは早い。