
はてなキーワード:強制的とは
人生経験の浅さ、乏しさがコンプレックスとなることが少なくない。
おおよそほとんどの人が、生きていれば当たり前に経験していることを全然しておらず、それゆえの教養の欠如や、雑談の苦手意識に繋がっている。
とはいえ齢も33を超え、子供は3歳にまで育ち、来年には新築マンションの購入が控えており、今まで以上に社会へと溶け込む必要性迫られている。
また、社会による半強制的な理由だけでなく、純粋に人生を豊かにするための趣味や生きがいの選択の幅を広げるためにも、今後は意識的に新しいことにチャレンジしていきたいと思うようにもなり、この文章を打ち込んでいる。
前説が長くなったが、ここからは、誰しも(少なくとも友人・知人・会社の同僚を見る限り)が当たり前に経験しているのに、私は経験していない事柄を並べていこう。
多くの人にとっては、こんなに何もしてない人もいるんだと思うかもしれないが、同じような境遇の人がいれば、シンパシーを感じてもらえれば幸いだ。
正確には、運転免許(それもマニュアル車)を持っているため、未経験ではない。とはいえ、教習所以外で運転したのは大学を卒業後に数える程度で、10年近いペーパードライバーをしている。免許も3回ぐらいは更新している。
都市部に済んでおりリモートワーカーであることから必要性がないと言えばそうだが、どちらかと言えば運転をしたくなく、車が無くても構わないような生活スタイルを選びに行っている節がある。
来年引っ越す新築マンションにしても、首都圏へのアクセスが容易であり、徒歩圏内の駅前で概ねすべて事足りる立地であるため、敷地面積が犬小屋と揶揄されそうなほど小さいのに、地方なら豪邸が建てられるであろう住宅ローンを組んでしまっている。
このまま運転をせずに逃げ切れそうでもあるが、やはり子どもが幼稚園、小学校と成長していくと、車を使った自由度の高いお出かけができないことで不便を強いてしまうだろう。自分だけが不便ならまだしも、子どもが車を通じて様々な興味を持ったり経験したりする機会を失うリスクは避けたい。
車を運転したくない理由の筆頭は運転が怖いことで、ペーパードライバーを10年経て今更普通のドライバーになれるものなのかなという漠然とした不安がある。VR空間上で自由に安全にドライブできるような環境があれば良いのだが。
行ったことはないし、これは興味もなければ行かないことのリスクもほとんどない。
が、行ったことがないので当然パスポートも取得したことがないし、なんなら飛行機すら数える程度しか乗ったことがなく、おそらく一人では乗り方がわからないレベルだ。
人生経験の欠如や、雑談の中で海外旅行の話になったときの疎外感からコンプレックスもあるところだが、そういう目的で行ってもおそらくは楽しめないだろう。
とりあえず子どもがもう少し大きくなったら、北海道や沖縄のような、国内ながら長距離の移動を要する旅行はしようと思う。
音楽は人並みには好きだ。学生時代に好んでいたバンドや、当時のアニソンから最近流行りの曲までそれなりに聞く。カラオケも大好きで、大きな趣味の一つとも言える。
その割には音楽ライブには参加(参戦?)したことがない。生歌から受けられる衝撃や、同士集まる空間での一体感はさぞ良いものだろうという想像は出来るが、安くない金額と、競争を勝ち抜いてチケットを手に入れるような労力が無いのだろう。
これに関しては最初から人気アーティストのライブを目指すのではなく、気軽にふらっと立ち寄れるような場所からはじめるのが良いのかもしれない。
音楽つながりで言うなら、楽器の演奏というのにも挑戦したことがない。もちろん、学生時代の音楽の授業であるとか、授業の一環として触れてきてはいるが、それを趣味にしようと思うほど馴染んだこともない。
音楽自体は好きであることからも、興味こそはあるが、やはり楽器演奏というのは、序盤の楽しくなるまでの努力の量と、そこにたどり着くまでに挫折する可能性の高さからハードルを感じてしまうのだろう。
リモートワークしている人、ほとんどジムで筋トレをしているイメージがある。リモートワークあるいはデスクワークだと筋肉が凝ることもあり定期的な運動、発散を求めるのだろう。
私は(自称)中肉中背であり、散歩が趣味であることからも必要最低限の運動は重ねているし、健康診断も概ね良好な結果が出ているので、必要に迫られているわけでは無いものの、筋肉を付けたり有酸素運動を連続して行うことで心身ともにパフォーマンスを向上させられるという逸話もあるため興味はある。
「整う」という謎の概念に憧れがないでもない。稀に銭湯に行っても、サウナは熱いからすぐ出ちゃうし、かといって水風呂は冷たくて入る気がしない。外気浴ぐらいがちょうどよいがあれが「整う」なのかはわからない。寒暖差で意識が飛びそうになる瞬間があって、あれが「整う」だとしたらすごい界隈だと思う。
いわゆる男の料理を自分用にする程度。包丁をまともに使えない。猫の手さえ出来ればなんとかなるだろうレベル。揚げ物としたり、魚を捌いたりを自宅で出来るようになるとカッコよさそうだし、料理を妻に任せっきりになっているのを一緒にできる実利もあるので、これはチャレンジしたい度が高い。もうすぐ引っ越してキッチンも広くなるし。
ゲームとして面白いかはともかく、大人のコミュニケーションのキッカケとして、もはや常識とも言えるような遊戯だ。また、麻雀漫画を筆頭に多くのコンテンツにおいて、麻雀を理解していることで間接的により楽しめる娯楽が多く、これを知っているだけでも人生の豊かさが底上げされるような気もする。
やりたい感は強め。学生時代にしたきりだが、その時の楽しさが忘れられない。とはいえ車を運転できないのが大きな足かせに思える。子どもに家族でキャンプする経験は与えたい。
キャンプとほぼ同じ。
キャンプとほぼ同じ。そうか、車がないとアウトドアがなかなか出来ないんだ。
いわゆる「推し」が出来たことが一度もない。アイドルであるとか俳優・芸能人であるとか、今ならYouTuber などの配信者がそうなのかもしれないが、特定個人を推した経験が一度もない。
もちろん好きなYouTuberであるとか、アーティスト、作家などはいる。が、いずれもクリエイターその人ではなく、その人が生み出すコンテンツのほうが好きなだけである。(コンテンツに対する「推し」もあるとは思うが)
よく「推しがいるから生きてる」など、推し活時代が人生を豊かにする源泉である人がいるので、少し羨ましい。
やる必要はない。が、これが意外と雑談の中でひとウケになったりもするので気にならないこともない。
やる必要はない。ニコチンがない類の某はちょっと興味があるかも。
ああ、ひつまぶしのあの感じ、めっちゃわかるわ! 確かに、立派な一枚うなぎがドーンと乗ったうな重の迫力に比べたら、刻んでごまかしてるみたいでちょっと物足りないよね。しかも、あの変な木箱みたいな入れ物でご飯をすくうの、毎回イラッとするし、三回に分けて「次は薬味! 次はお茶漬け!」って強制的に食べさせられるのも、なんかケチくさいというか、贅沢感が薄れるよな。「お茶漬けで!」じゃなくて、「最初から全部食えよ!」ってツッコミたくなるわ(笑)。
でさ、なんでこんな食べ方が生まれたのか、ちょっと調べてみたんだけど、起源は明治時代、名古屋の老舗「あつた蓬莱軒」らしいよ。当時は出前でうなぎ丼を運ぶのに、陶器の器が割れやすいから丈夫な木製のおひつ(木の飯盒みたいなやつ)を使って、ご飯とうなぎを混ぜて運んだのが始まり。 それで「ひつまぶし」って名前がついて、混ぜるのが「まぶす」から来てるんだって。名古屋の「もったいない精神」が根底にあって、うなぎの旨味を最後まで楽しむために三回スタイルになったらしい。お茶漬けの部分は、元々会席の締めとして「ご飯もの出して」って要望があって、最初はお茶で試したけど臭みが気になってだし汁に変えたんだと。 つまり、運搬の工夫から生まれた実用的な食べ方なんだけど、確かに今どきは「そんな手間かけなくてもいいじゃん」って思うよね。頭悪いってか、効率悪い(笑)。
一方で、X(旧Twitter)見てみたら、ひつまぶし大好き勢がめっちゃ多いよ。例えば、名古屋駅近くの店で「黒毛和牛のひつまぶし」食べて「香ばしくて柔らかくて最高!」って絶賛してる人とか、競馬場でひつまぶし食いながらビール飲んでる人とか、黒豚バージョン作ってYouTubeにアップしてる料理家さんとか。 みんな「三回楽しめてお得!」って感じで盛り上がってる。批判的な声はあんまり見当たらなくて、むしろ名古屋のソウルフードとして愛されてるみたい。
結局、うな重派の君の気持ち、超わかるよ。シンプルにうなぎの脂がジュワッと染みたご飯を一気に頬張るのが至福だもんね。ひつまぶしは「工夫の産物」としてリスペクトしつつ、俺はうな重一択でいくわ! 次はどっち食いに行く? もし名古屋行ったら、両方制覇して比べてみるのもアリかも(笑)。
普通のコーヒーにコピ・ルアクと名前が付いているだけで値段が20倍以上に跳ね上がる。
そのため偽物が横行しており高い金を払って手に入れても本物である確信は持てない。
科学的な鑑定方法は存在するらしいが実験室レベルの話であり、一般に流通するコピ・ルアクは鑑定などされていない。
好みの問題ではなく専門家のテイスティングで一貫して低評価を付けられている。
筆者も2回ほど飲んだことがあるが酸味が無く、挽いてから数か月放置したような古臭い匂いで不味いと感じた。
伝統的なコピ・ルアクの作り方は、野生のジャコウネコがコーヒーを食べ、山の中に捨てた糞から現地の農民が未消化の豆を探し出すという物だ。
こんな作り方では商業規模の輸出ができないため、現地の工場ではジャコウネコを劣悪な環境のケージに入れコーヒーチェリーだけを強制的に食わせて"生産"している。
ジャコウネコにとってコーヒーは主食ではないため、すぐに栄養失調になり衛生環境も悪く死亡率は極めて高い。
動物虐待以外の何物でもない。
以上の事は先進国では常識の事となっており、コピ・ルアクは誰も買わないしまともな店は取り扱わなくなっている。
日本は英語が読める人がほぼいないため最新の情報が入ってこずいまだに騙されている人が多い。
父が出張の帰りに土産物を買ってきてくれることがあり、ある時、らっきょうを買ってきた。でも前かららっきょうは苦手で食べられない。
しかし父の癖で土産物を家族に対して「ご自由にどうぞ」的に置くことはなく、盛られた飯の上に強制的に置く。
「ごめん前にも言ったけどらっきょう本当に苦手で」と言い、「そうなの?」と返された。食べ物を残すのは良くないという考えがベースにあるので、その1回は無理をして食べた。
そして翌日には忘れられており、また飯の上にらっきょうを置かれた。
(この、土産を飯の上に置いてしまって絶対に食べさせるという手間をかける時点で、自分には理解できない。自分は土産を買ったと宣言し、ただ家族が気づく場所に設置して食いたいときに食えよとフリーにしておくタイプだから)
もう食えないし、食ったらまた置かれると思い、らっきょうを皿にどけて残して、ダイニングに放置し、他の皿は洗って片づけた。そうすると二度と強制的に置かれることはなかった。
前にもこういうことがあり、言葉で無理だと伝えても一瞬で忘れられて、同じことをまたやられることがあった。そして行動で拒否をすると伝わり、繰り返されることはなかった。
Xで「嫌知らず」という言葉が使われていたが、これ、言葉で伝えたものがすべて聞き流されており忘れられるというパターンなんじゃないだろうか。
残されたらっきょうのビジュアルが無いと、こいつはらっきょうを食べないという事実を認識できないとか。言葉は頭に入ってこないとか、すぐ忘れるとか、あるいは言葉による表明を根本的に軽視しているとか。
言葉ではらっきょうを嫌いだと言っているけど、結局、一度は無理して食ったので、「食ったじゃん」と、事実だけを認識する脳になっているとか。
食ったか残したかの0か1かしかなくて、マジで嫌いでキツいけど無理して飲み込んだというゾーンが認識されていないとか。
女性は表明に対して繊細すぎるほどに繊細な人が多く、苦手な食べ物とか一度言われただけで忘れない人が多いような傾向を感じているけど、男性はそうした情報を軽視する人が非常に多いように思う。
「ヒスを起こす前に嫌なら言葉で言えよ」と言いつつ、言われても全く聞いてない男性って結構多いのでは。まず、人に言われたけど軽視しておりすぐ忘れた内容って、自分で認識できないものだし。「自分が何を忘れたか」をリスト化できないだろ。
ヒスを起こされて激怒顔でギャンギャン喚かれたらその表情や声の音量によって伝わって、土産食べることを言葉で拒否されても聞き流すけど残されたらっきょうのビジュアルなら認識できる、そういう感じな気がする。
そして上司の言葉であれば聞き流してしまうことはない。職場で言葉が頭に入ってこないようじゃ干されるだろ。
上位者の言葉であれば嫌知らずは起きない。優先順位つけてて、権力ランキング的に怖くない人の言葉は省力化として聞き流すように作られてる気がする。
基本的に言葉を受け取るのは苦痛で、対上司では気を張っており、家族相手には気を抜いても直接的なデメリットがないので、らっきょうが嫌いと言っているとかは聞いていないし、飯の上に置きたければ置く。
正直、半年後にまた飯の上にらっきょうを置かれたとしても驚きはない。そのときはまたらっきょうだけ皿にどけて残せば良いというか、そうする以外に無いような気がしている。
ほぼ正解!
アメリカが、15万で売ってる
最恵国待遇でアメリカでも日本みたいな安売り強要国の値段に合わされるとなったら、そもそも日本で売らないわということ
1. 背景と問題意識
若年女性や少女たちの居場所づくり・自立支援を掲げるNPOや団体が多数活動している。
これらの支援活動は、当初は善意と社会的使命感に基づくものであったが、
近年、一部の団体において「支援活動が制度化・収益化する構造」が形成されつつある。
本人が弁護士関与を希望していなくても、団体の運用ルールで強制的に同席
行政は弁護士の必要性を実質的に審査できず、形式上合法な支出として承認される
この構造のもとでは、「支援対象者」が本来の目的(自立支援・人権保障)よりも、
団体や専門職の活動維持・収益確保のための資源として機能してしまう危険性がある。
しかし、次のような構造が常態化すると、倫理的に重大な問題を孕む。
弁護士が同席する 「法的助言を提供」「支援の質向上」 関与が報酬発生の手段となる
時給8,000円設定弁護士業務としては適正 公金支出としては突出した高額
助成金での支払い公益目的に沿うように見える弁護士費用の恒常的補填構造
本人意思を経ない同席 “保護”の名目で正当化支援対象者の自律を奪う
このような仕組みは、「違法ではないが、倫理的に不当」な構造的誘導といえる。
東京都などの行政機関は、次の理由で「弁護士関与の必要性」を実質的に判断できない。
結果として、団体が自由に弁護士を関与させ、報酬を支出する「制度的自己完結」が発生する。
これは、公金の透明性・公平性・効率性を損なう構造的リスクである。
支援倫理 本人中心・自律支援団体の構造により本人意思が形骸化
弁護士倫理自由な依頼関係と誠実性自動関与・利益誘導的報酬構造
これらを総合すると、**形式的には適法であっても、倫理的には不当な「制度的腐敗」**の状態にある。
支援対象者が「保護される女性」として固定され、被害が語られ続けることによって
つまり、支援が被害を資源化する(commodification of victimhood)構造に陥っており、
支援団体・専門職・行政が共有できる「本人中心支援と倫理規範」を文書化。
7.結論
被害の構造を利用し、支援を装った利益循環の装置になっている。
それは違法ではなくとも、
26年間生きてきて、ずっと子どもを持つことに肯定的になれなかった。
子どもを産むということ、つまり、一人の人間の人生のスタートボタンを強制的に押すということは、喜びや楽しいことと共に悲しく苦しいことも生み出してしまう訳で、それが正しいことなのか分からない。
私は比較的恵まれた環境で育ててもらったと思うが、定期的に猛烈な劣等感や無力感に苦むことがあり辛かった。目標や自分との約束、達成できたことないかも。計画もいつも途中で頓挫する。次こそは間に合わせるぞと思って前々から計画を立てるが、いつも締切ギリギリで間に合わず自分が嫌になる。得意なこと、これといって見当たらないし生まれてきた意味が分からず消えてしまいたいと何度も思った。人生の楽しみ、喜びはこれだ!と思うものも見つかっていない。
そして、何より怖いの1度子持ちの人生を選ぶと戻れないこと。後からやっぱり向いていないと気付いてもどうしようもない。
一方で、人生に生きがいがほしいと思うことが増えた。毎日の生活に何か楽しいことがほしい。
この心の穴を埋める方法の1つが子どもなのではないか。一人の人間が成長する様をサポートし傍で見守るというのは大きな喜びに違いない。
…ここまで書いて気付いたが、やっぱり私は子どもを持つべきではない。エンタメじゃないんだから。
セックスも男が射精したら終わりで女がいったかどうかに無関心、セックスで女を選ぶ男と違い、女は男社会における格(身長、地位、人脈、勤務先など)で男を選ぶ現実を無視し「女はセックスに覚醒剤の如く依存する生き物」
未婚の男は真性ゲイか男社会で迫害され女から避けられ女に近づきたくても近づけない低カーストの2極で後者は常に精神や肉体の不調や女をあてがわれない不平不満を前面に出し、逆に女は惚れた男に出会わない限り、美人や普通の女でも単身でペット推し活趣味仕事に打ち込んだり楽しむ人生を送るが特に精神や肉体に問題がない
「セックスをしてくれるお母さん」欲しさに、国や権力が女から人権を奪い強制的に面識のない非モテ男とマッチングさせろ、レイプ被害者よりも誰からも愛されない弱者男性の方が可哀想だから救済しろ(女をあてがえ)と煩い男は山程いるが、同様の主張をする非モテ女性は皆無
それでも男は「全ての女はフェミも含めてセックスを求めずよしよし甘やかして扶養してくれるお父さんを求めてる」と主張する
https://anond.hatelabo.jp/20251021113747
男性向けポルノに出てくるセックスとチンポしか頭になく、チンポを入れたら即支配される女、ゆうきゆう()とかおっさんが作った女叩き創作実話や漫画を元に女を創作し、それを信じてリアルで性加害したり、創作やポルノと違い自分に都合よく動かない女に加害したりとトラブルが絶えないのが問題なんだよ
高齢非モテ未婚男性は、女は男を必要としていないという現実を認められないから
彼氏や旦那によしよししてほしいけどセックスはしたくないという女を捏造する
ハイスペ金持ち以外の男と結婚するくらいなら独り身で推し活やペットやアニメゲームや趣味に励んだ方がマシという女が山ほどいる現実を受け入れない
女は惚れた男に出会わない限り、この男とデートしたい、共に生きたいというスイッチは入らない
異性と縁がなく孤立してるのに「国は女から人権を奪って弱者男性にあてがえ、非モテ男性と非モテ女性を強制的にマッチングさせろ」「レイプ被害者よりも誰からも愛されない孤独な非モテ男性の方が可哀想だから救え」と訴える男は山ほどいるが、同様に見知らぬ男との強制マッチングを望む非モテ女は思想信条問わずゼロだからね
パートナーや推しを他所の女に奪われるのはダメージになるけど、パートナーのいない未婚女煽りは無駄だと何度も教えてあげてるじゃん
見知らぬ男女を強制的に結婚させる、女から人権を奪って男にあてがえという主張も発信は男のみ、未成年女奴隷を養うという創作はあっても、低スペックホビット男奴隷を養うという女向け創作はない
それでも「恋愛経験のないアラサー処女だけど寂しくて不安、とにかく結婚したい」とかいうお粗末な女なりきり創作投稿を止められない
■無産・独身煽りより、パートナーがいるのに子供ができない、パートナーを略奪される方が女にはダメージなんだよ
https://anond.hatelabo.jp/20251002141716
『立正安国論』(日蓮著)と『共産党宣言』(マルクス、エンゲルス著)は、成立した時代、背景、そして思想的基盤は類似点を見出すことができます。
社会の主流派や既得権益の外側に身を置いた急進的な異端者という視点から見ると、「体制外からの批判と、絶対的な正義に基づく世界観の強要」という構造的な類似性が浮かび上がります。
この共通性は、両者が既存の秩序・権威を根底から否定し、「唯一の正義」による強制的な社会変革(革命)を求め、その結果、体制側から徹底的に弾圧された点に集約されます。
「引きこもりニート」という表現は極論であり、史実的には日蓮は精力的な遊行と布教を、レーニンは地下活動と亡命生活を送った活動家です。しかし、この言葉が持つ「主流社会の権威や経済システムから疎外された者」というニュアンスに注目すると、両者の著述態度には共通性があります。
日蓮(『立正安国論』): 当時の仏教界の主流であった念仏宗(法然の教え)や、これを庇護する鎌倉幕府の権威を徹底的に否定しました。彼は比叡山や清澄寺といった既成の権威ある場所から離れ、独自の解釈である「法華経」のみを「正法」として掲げ、それ以外の教えを「亡国の原因」と断じました。これは、「俺の言っていることだけが絶対の真実だ。それ以外は全て間違いだ」という、体制に属さない者が持つ孤高で排他的な絶対正義の表明です。
レーニン(『共産党宣言』):マルクス主義は、当時のブルジョアジーが支配する資本主義体制、その上に立つ国家、法律、倫理の全てを、「階級搾取の道具」として否定しました。レーニンもまた、ツァーリ体制下で弾圧され、ヨーロッパ各地を転々とする亡命生活(社会のメインストリームから切り離された生活)を送りました。彼の主張は、「現在の経済システムは全て不正であり、これを打倒してプロレタリア独裁による理想国家を作る以外に道はない」という、体制外からの急進的で排他的な社会変革の要求です。
両者の著書は、その内容の異質さにもかかわらず、「二元論に基づき、体制内の悪を徹底的に清算しなければ、理想的な安寧は実現しない」という構造を持っています。
両文献は、現状の社会が直面する危機(災厄)を明確にし、その原因を体制内の「悪」に断定します。
危機:天変地異、飢饉、疫病、他国からの侵略(自界叛逆と他国侵逼)。
原因: 「謗法」(念仏などの誤った教え)が国に満ちていること。
危機を回避し、理想郷(安国または共産社会)を実現するためには、「唯一の正義」による反対勢力の強制的な排除が不可欠であると説きます。
「立正」、すなわち法華経のみを国教として立てること。その結果、謗法者(念仏を唱える人々)は弾圧・追放されるべきであると強く示唆します。
「プロレタリア革命」による階級闘争とプロレタリア独裁。その結果、ブルジョアジーは私有財産と共に消滅(排除)されます。
このように、『立正安国論』は宗教的絶対主義、『共産党宣言』は経済的絶対主義に基づくものですが、両者とも「現状の悪は体制内にある」「それを根絶するためには、体制外からの急進的な一元論を強制適用しなければならない」という、強力な教義的排他性を持っている点で、構造的な共通性があると言えます。
だがしかしりつみん、お前は駄目だ。おまえらは自分がかわいいだけのクズ野郎の集まりだ。共通点があるのは日本保守党だけでしょうね。
高齢非モテ未婚男性は、女は男を必要としていないという現実を認められないから
彼氏や旦那によしよししてほしいけどセックスはしたくないという女を捏造する
現実はハイスペ金持ち以外の男と結婚・同居するくらいなら独り身で推し活やペットやアニメゲームや趣味に励んだ方がマシという女が山ほどいるわけだろ
女は惚れた男に出会わない限り、この男とデートしたい、共に生きたいというスイッチは入らない
異性と縁がなく孤立してるのに「国は女から人権を奪って弱者男性にあてがえ、非モテ男性と非モテ女性を強制的にマッチングさせろ」「レイプ被害者よりも誰からも愛されない孤独な非モテ男性の方が可哀想だから救え」と訴える男は山ほどいるが、同様に見知らぬ男との強制マッチングを望む非モテ女は思想信条問わずゼロだからね
パートナーや推しを他所の女に奪われるのはダメージになるけど、パートナーのいない未婚女煽りは無駄だと何度も教えてあげてるじゃん
見知らぬ男女を強制的に結婚させる、女から人権を奪って男にあてがえという主張も発信は男のみ、未成年女奴隷を養うという創作はあっても、低スペックホビット男奴隷を養うという女向け創作はない
それでも「恋愛経験のないアラサー処女だけど寂しくて不安、とにかく結婚したい」とかいうお粗末な女なりきり創作投稿を止められない
■無産・独身煽りより、パートナーがいるのに子供ができない、パートナーを略奪される方が女にはダメージなんだよ
https://anond.hatelabo.jp/20251002141716
だからパートナーや推しを他所の女に奪われるのはダメージになるけど、パートナーのいない未婚女煽りは無駄だと何度も教えてあげてるじゃん
見知らぬ男女を強制的に結婚させる、女から人権を奪って男にあてがえという主張も発信は男のみ、未成年女奴隷を養うという創作はあっても、低スペックホビット男奴隷を養うという女向け創作はない
それでも「恋愛経験のないアラサー処女だけど寂しくて不安、とにかく結婚したい」とかいうお粗末な女なりきり創作投稿を止められない
■無産・独身煽りより、パートナーがいるのに子供ができない、パートナーを略奪される方が女にはダメージなんだよ