
はてなキーワード:弘法とは
弘法、筆を選ばずっていうのは知ってるけど、まさか筆がないとは思わないじゃん……。
というのは言い過ぎだけど、毎日弁当を作って持ってきている同僚の家にはガスコンロがないという。
引っ越し先でガスの種類が変わってしまったため、買い替えないといけないのをそのまま放置しているとか。
だから料理は単機能レンジと、15年前に型落ちで買ったと言うオーブントースター、それから炊飯器だけだという。
しかも、内釜が痛むのが嫌だからと、炊飯器で調理はしていないって。
そもそも、上京したときに買ったと言う15年前のオーブントースターが現役というのにもびっくりしている。
なんていうか、マメな人なんだなぁ、と思った。
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空海が掘ったとされる井戸や、それにまつわる水の伝説は、日本全国に1500か所近くあると言われています。これらの水は一般に「弘法水」と呼ばれています。
空海は唐で井戸掘りの技術を習得し、33歳で日本に帰国してから空海はものすごい勢いで全国に井戸を掘りまくりました。61歳で奥の院にはいるまでの27年間で1500本。つまり1年間55本。1ヶ月5本のペースです。それもただの井戸ではありません。「弘法水」は、日照りでも枯れない、水質が良いなど、地域の人々にとって非常に貴重な水源として大切にされてきました。
現代の技術で井戸を掘る場合でも、その深さや地質によってかかる時間は大きく異なります。
浅井戸(数メートル程度):手掘りであれば数日〜1週間程度、小型の掘削機を使えば数時間〜1日。
深井戸(数十メートル以上):専門の業者と大型の掘削機が必要で、数週間〜数ヶ月かかることもあります。
奈良時代は現代よりも技術が劣っていると思われていますがそれは大きな間違いです。空海はだいたい1週間で井戸を掘っていったのです。おそらく空海はロストテクノロジーやオーパーツを駆使し、ものすごい体力で井戸を掘り進めたに違いありません。今後の研究の成果が待たれます。
「弘法水」の伝説は、空海が全国に大量の井戸を掘ったこともさることながら、水脈を発見する神がかり的な眼力、井戸の良質さ、井戸を掘る体力などが、空海の功績と結びついて語り継がれたものと考えられています。空海が唐で井戸掘りの技術を学んだ功績に加えて、実際に1500本の井戸を掘ってみせるという実践、つまり知識と実践の両面がこれらの伝承に影響を与えているでしょう。
空海への信仰は1500本の井戸を実際に掘ってみせた空海の功績によるものです。空海と最澄はしばしば比較されますが、最澄は空海の足元にも及びません。
まず、竹を選ぶにしても、ただの竹ではない。山に入り、何年もかけて育った、力強く、しなやかな竹を見定める。節の具合、太さ、そして天に向かって伸びるその姿…それら全てが、わしの心に響くものでなくてはならぬ。
そして、その竹を丁寧に油抜きし、火入れをする。火の加減一つで、筆の命が決まると言っても過言ではない。焦がしてはならぬ、しかし、生煮えでもいかん。長年の経験と勘が頼りよ。
穂先となる獣毛もまた、厳選に厳選を重ねる。イタチの尾、狸の毛、時には鹿の毛も用いる。それぞれの毛質には特徴があり、墨含みの良さ、筆先の利き、線の強弱…それらを見極め、用途に合わせて調合する。一本の筆に、幾種類もの獣毛を混ぜることも珍しくはないぞ。
毛を揃え、丹念に糊で固める。この糊の調合もまた、秘伝と言えるかもしれぬな。強すぎず、弱すぎず、絶妙な加減でなければ、思うような線は引けぬ。
軸と穂首を繋ぎ合わせる時も、また神経を使う。ぐらついてはならぬ、しかし、力を入れすぎてもいかん。筆を持つ者の手の延長となるように、一体となるように…心を込めて作り上げるのじゃ。
わしが筆を走らせる時、それはただ文字を書いているのではない。己の魂を、天地の理を、そして人々の願いを、この筆を通して表現しておるのじゃ。
故に、わしにとって筆は、単なる道具ではない。わが手足であり、わが心であり、そして、わが魂そのものなのじゃ。
このこだわり、おぬしにはわかるかな?ふむ、まあ、わからずとも良い。ただ、わしの筆から生まれる文字を見れば、おのずと伝わるものがあろうぞ。
『道具』の話をするとき、相手がどのレベルの話してるのかとか想像する
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■初心者
使えてない
使ったところで失敗することがある
■初級者
同じ種のどの道具を使っても最低限の機能さえ備えていれば目的が達成できる
■中級者
その代わり同種の他の道具を使うと作業効率や達成度に大きく影響する
他の人から見ると「そんなこと!?」と思うようなことにこだわる
■上級者
初見の道具であっても特性を把握し、必ずそれなりの目標を達成できる
最高級の成果を出すには身に馴染んだ道具が一番だが、そうでない道具であっても素人が唸る成果を出す
出来に不満を抱いたところで、他の人から見て何が悪いのか分からないため共感が得られない
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初級者と上級者はどちらも「どの道具も同じように使える」だが、そこに天地の差がある。初級者が弘法ぶってるとつい冷ややかな目で見てしまう