
はてなキーワード:広島駅とは
令和だぜベイベ
この記事の人とは別人だぜ
https://anond.hatelabo.jp/search?word=paspy&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
特に旧市内なんかはわりと同じルートを複数のバス会社が通ることが多くて、「来たバスどれに乗っても目的地に着く」ことが結構ある。
のだけど、PASPY終了に伴って「広電とそれ以外でICカードの取扱いが違う」なんてことになったものだから、一定数の乗客が「いちいち覚えられんわ。現金ならどのバスでも払えるんでしょ? じゃあ現金で払うわ」ってなってる。平日昼間の利用者が少ない時間でも目的地に着くまでに一人は現金払いしていく人を見るレベル。平成か?
そしてバスは遅延する。
2025年3月まで広島市内で一番大きな顔をしていたローカル交通系ICカード。
広島電鉄(広島でたぶん一番つよい私鉄系交通会社。路面電車とバス)、広島高速交通(通称アストラムライン)、広島バス、広島交通(路線バス)など広島市内のほぼすべての公共交通機関がPASPYでの乗降車に対応しており、使い方も乗るときと降りる時にリーダにかざすだけ/入金も車内、窓口、券売機などで現金支払いのみと単純明快。老若男女に優しいシステムのおかげもあってか累計で約210万枚発行されたらしい(含県内全域/他県での路線バス会社等)
(なおJRはサービス開始当時から終了まで一貫してPASPY非対応。しかしカープの本拠地ズムスタはJR広島駅が最寄り駅である。よってJR用にICOCAとPASPY2枚持ちの広島市民もまあまあ多い。)
対応ICカードをICOCAに一本化してほぼこれまで同様の運用を続ける。
自社の独自規格電子マネー(モビリーデイズ)を導入。スマホでのQRコード決済のほか、独自ICカードのダブルシステム。
利用方法自体はQRコード/独自ICカードを乗降車時に専用端末にかざすだけなので別に難しくはない。
ただしQRコード、独自ICカードともにクレカor広島銀行の口座のいずれかと紐づけ必須。口座からのチャージは都度25円の手数料が発生する。
従来どおりICOCAやSuicaの利用も可能だが、乗車時に整理券を取る→降車時に運転手に整理券を提示し、料金を確定してからICカードをタッチとかいうクレイジーダイヤモンドな運用をしている(タッチは降りる時の一回のみ)。令和だぜ?
結局26年春をめどにモビリーデイズの読み取り端末を交通系ICカードに対応させる予定らしい。
(要は従来PASPYでやっていたのとほぼ同じ運用ができるようになるっぽい)
モビリーデイズを利用すると運賃割引があるんだけど、正直ローカルな交通系ICカードにクレカやら銀行口座を紐づけさせるのってちょっと負担が重いので増田は利用してない。そうなると現金払いもめんどくさいし、他のICカードでももたつくし、今のところ選べるときは広電以外を使っている。たぶん従来と同じ乗り降りができるようになったらまた広電も使うだろうけど、マジでなんだったんだろう、モビリーデイズって。
自宅にいたら泣いてしまうので早めに駅に来てしまって、どの店も混雑してるのでランチもできず駅内の重富でビールを飲んでいる。
今年で31歳、ずっと実家暮らしでずっとメンタルが不安定で病気がちだったから県外、ましてや上京するなんて思ってもいなかった。
テレビ東京が放映されないとかライブが飛ばされるとか、給与の割に家賃や物価が高いとか、ろくな会社がないとかカープ興味ないだけで非県民なんて言われ方をされること、空港の立地が悪いことに嫌気はさしていたけど、嫌々ながらお好み焼きは好きだし牡蠣も好きだし少ないながら友達や行きつけの店、このビールスタンド重富の美味しい生も好きではあった。
出るつもりはなかった。老朽化していく福屋八丁堀店やそごうを見ながら、歳をとるつもりだった。
出る理由は東京に実家を持つ彼氏ができてしまって、その人と結婚するから。
こんな破天荒な私を気に入ってくれて優しくて楽しい人はこれから出会えないと思い、広島を出る決心をした。
広島駅の再開発も楽しみにしていた。市電が2階に乗り上げるなんていまだに信じられない、ってよく話してるけど、これも話す相手いなくなるんだろうな。
年に3回は実家に帰るよとは言ってるけど、多分新幹線の値段の高さや予定の合わなさを理由に帰らないのだろう。
これまでの旧友たちと同じように。
結局不便なりに適応して愛着が湧いているだけで、東京のほうが魅力的に決まっている。
お好み焼きや牡蠣より美味しいものはたくさんあるし、楽しいこともたくさんある。
そのうち広島弁を喋ることもなくなって、じゃけんなんて言わなくなるんだろう。
全国転出率トップ、のニュースすら目に入らなくなって、「そりゃあんな田舎住みたくないもんね」と冷笑するようになるのだろう。
だから今、実家や地元を出たくないと言う気持ちを大切にしたい。
ごめんね、お母さん、貧乏なのに手のかかる子でずっと自殺未遂繰り返していて心配だったよね。
今はどうにか普通の会社員としてやっていけそうだし、私には勿体無い相手に出会えたから、安心して欲しい。
ごめんね妹、友達もほとんどいなくてお姉ちゃんが唯一の友達なのに離れてしまったね。寂しい思いさせてしまうんだろうな、申し訳ないな。
トイレ付近の水飲み場でT君に声をかけると、「負けちゃいました」と呟いた。
「よくやったな。今はどうだ、悔しくないか?」と聞いたら、T君は「いや、ないです。悔しくないです」と答えたっけ。
これでいいのだ。その人が本当に努力をして、最後までやりきったとしよう。そんな時、悔いの念は湧いてこない。全力でやり切ったからだ。逆に、全力でやれてないと悔いが残る。
結果の良し悪しは関係ない。その人にとっての天命である。どう足掻こうと必然だった。だから、どんな結果であれ、挑戦は終わったのだと、それまでの自分の道程を認めることができる。
ただ、悔いの念はないけれど、人によっては……。
T君の目に涙が溜まっていた。
「先生。これ、悔し涙ですかね?」
「多分違う。そういうのはな、あの練習をしてればよかったとか、あの場面でああしてりゃよかったとか、そういう空虚なのとは違う。そうだろ?」
「T君はな。自分を認めることができたんだよ。諦めずに、走り続けてよかったって、そういう自分を認めてるんだよ。そんな自分になれたのが嬉しくって、だから今、お前は涙を流してる」
「じゃあ、先生はなんで泣いてるんですか?」
「これ? ああ、これね。これは……」
「ミキプルーンの苗木」と言いかけて俺は、「お前が凄かったから感動したんだ」と伝えた。それで、碌にT君の顔を見ずに振り返って、試合場に帰った。恥ずかしかった。
ここでまた、例の漫画(拳闘暗黒伝セスタス)の場面が脳裏に浮かんできた。確か、試合に負けたセスタスを、師匠であるザファルが鼓舞するシーンだった。おそらく序盤の方だ。未読の人の楽しみが減るから、具体的にどういう場面かは書かない。気になる人は探して読んでほしい。
T君が得たものは大きい。勝っただの負けただの、結果にそこまでの価値はない。一生懸命やって、試合で全力を出し切って、結果を受け止めたんだろ? 高校生でそこまでやれたら十分だよ。
T君よ。今は幸せにやってるかどうかわかんないけどさ。俺、君を教えることができてよかったって、マジで思ってるよ。またどこかで会えたらいいな。
ちょっと休憩してから試合場に戻ると、柔道畳のすみっコのところで、T君とN君が談笑してるのが見えた。N君の肘が、T君の腕のあたりを突いていた。どちらも、にこやかに笑っていた記憶がある。
それから、あのN君だが……周りを寄せ付けない強さで県大会優勝を果たした。手元にある当時の「全国高等学校体育連盟柔道部 研究調査報告」によると、N君は全国大会で4勝して第三位に入っている。
県大会が終わって、T君は時間に余裕があるようだった。昼に営業してる隠れたお店で飲み食いして、広島城の通りをブラブラと広島駅まで歩いて行った。T君はずっと田舎育ちらしい。目をキョロキョロさせていた。
最後に、福山行の新幹線に乗って帰途についた。T君は、親が福山駅前に迎えに来てるようだった。彼を見送ると、大会の旅程をすべて終えた。
ところで、この日のことで、もうひとつ記憶に残ってることがある。あれは福山駅の構内だった。アパートに帰ろうとして時刻表を確認すると、微妙な時間帯だった。
アパートまでは、あと二駅だった(高校のすぐ近く)。歩こうか、それともローカル線を待とうか、はたまた……今日はいい気分なので、夜になったら少し吞んでいこうかなど、いろいろ考えていた。
印象的な出来事があった。
結局、国道沿いにある居酒屋で呑もうと思って、一旦自宅に帰ることにした。福塩線のホームで電車を待っていた。すると、そこに中学生の女子がひとりで居た。制服姿だった。どこの学校かはわからない。俺、元々は広島市民だしな。ただ、部活の大会帰りなのはわかった。日曜日にスポーツバッグを持ってるのはそういうことだ。
その子、スポーツバッグにストラップを付けてた。2つ。手のひらサイズの大きいやつだ。それが気になった。リラックマのやつだった。
ちょっと声をかけてみた。「ねえ、あなた」と言って、その子がこっちを向いたところで、「それ、かわいいね!」って指さしたんだよ。その茶色い熊と、黄色い鳥のストラップを。
その子は一瞬固まってた。何言ってるかわからない、という様子だった。俺は、もう一度「それ……」と言うと、その子はストラップを見た。「かわいいね」ともう一度伝えたら、その子は目をギョッと開けて、俺の肩口の方を見てきた。顔じゃなくて。
それで、何秒間もずっと目を大きく見開いている。声は出さなかった。よほど驚いたのだろうか。
別の方から、「あの、ちょっとあなた!」という男の声が聞こえた。30くらいの男性だった。恰好はそんなに覚えてないが、ジャージ姿で恰幅があった。何かスポーツをやってそうだった。
その人が、俺に声をかけたのだ。『あーそうか、部活の引率の先生なのかな』と思い、そいつの方に歩いていった。
「俺がどうかしました?」
「いえ、うちの生徒に声をかけていたので。気になって」
「それで?」
「どういう関係かなと」
「全く知らねー間柄ですけど」
「そうですか」
「全く知らない間柄だと、声をかけたらいけないんすか?」
「いえ」
「そんな法律あるんか、オイ?」
「いえ、それは……」
「いえ、ないです……」
「じゃー、あなたの対応って失礼とちゃうんですか? 俺、これでも学校の先生だよ。私立だけど。あんたと一緒」
「えぇ、そうなんですか。すいません……全くそうは見えませんでした」
「俺、傷ついたよ。責任とってくれる?」
「いや、その。すいません」
すでに距離が近かった。声色と態度でわかる。こいつは萎縮してる。初めは語気があったが、俺が近づくと萎縮した。ビビった声色になってる。
わかるんだよな。男同士だったら。雄としての『格』の違いが。こいつは自分が格下だと認めていた。自分で言うのもなんだが、普通の男だったら俺が街中を歩いてると道を開ける。
当時、福山駅のあたりの居酒屋で、若い連中がさ。冗談で女子店員のおっぱいとか、お尻を触ったりしてたんだよ。それで、俺が「兄さん。そういうのはいかんよ」と声をかけると、途端に目を伏せて――何もなかったかのように酒を飲み始める。基本は、犬や猫だってそうだろう。強い雄には道を譲る。そういうものだ。
ひるがえって俺は、またその子に声をかけた。
「ビビらせてごめんな。それがかわいいなって、それだけ言いたかった」
「どこまで帰るの?」
「川野辺まで」※よく聞こえなかった
「へー。俺はそれより前の駅だと思う」
「そうなんですか?」
「もし今度、あの先生がいない時にどこかで会ったら、話とかしない?」
「いいですよ!」
「約束な」
その子と一緒の電車の車両に乗ったけど、喋りかけたりはしなかった。空気を読んだ。
アパート付近にある駅で降りると、家でちょっと支度をして、夜になると自転車に乗って遠くの国道沿いにある飲み屋街に出た。書いてるうちに思い出してきた。あれはサンキューランドだっけ。
当時は、お酒を飲んで自転車に乗るのはセーフだった。そういえば、毎年18才の大学新入生が歓迎会でお酒飲み過ぎて、毎年死んでたっけな。そういう時代だった。
それから、その子と会うことはなかった。確率的にありえないとわかっていたが、ニアミスくらいはしてるかもしれない。
中学生で思い出した。今これを読んでいるあなたが男か女かはわからないが……中学生とセックスをしたことはあるだろうか? 俺はある。
あれは、まだ中学二年生の時だった。ひとつ年上の、女子柔道部の先輩がいた。柔道にひたむきな人で、めちゃくちゃ強くてさ。小学生の頃の俺はまったく敵わなかった。中学に上がってからはガチの柔道部に入ったので、男女で組み合うことはなくなった。
そんな彼女は、全国中学校柔道大会でベスト8に入って、広島市内にある公立の名門高校にスポーツ推薦で合格してた。
子どもの頃から柔道が好きだった。朝鮮学校じゃなくて、一般の中学校を選んだのもそれが理由だ。その中学校は柔道部が強かった。ハーフの俺でも入部を断ったりしなかった。それが理由だ。朝鮮学校の柔道部の方が強かったら、そっちを選んでいた。
その先輩のことが、俺は好きだった。だって、自分の道に真剣なんだぜ。ほかの中学生と比べて大人だった。52kg級で背丈は小さいけど、当時の俺だって油断したら投げられてた。
その先輩が中学を卒業する年、俺の家に来ることがあった。学校帰りだった。
その日、家族はまだ帰ってなかった。俺の部屋の中で座って、コーヒー飲んだり、マンガの話をしたり(幽遊白書……電影少女……BOY……まだ実家の本棚にあるだろうか)、くだらない話をしてた。詳しくは覚えてない。
ある瞬間だった。先輩が、俺の制服の奥襟をふざけて握ったのだ。俺も反動で、奥襟を握り返した(反応するのが癖になってた)。それで、グイっと手を引いたら、先輩の顔が近くにあった。それで……思わず抱きしめてしまった。
先輩は縮こまってたけど、やがて俺の肩を押した。抵抗してた。「先輩、好きです」と言ったけど、「彼氏いるから」だってさ。すると、先輩が無理やり立ち上がって、部屋を出て行こうとした。
まっすぐ追いかけて、先輩が部屋を出る前に腕を捕まえた。ヨイショッと体全体を掴んで、そのまますくい投げのように抱きかかえて、ベッドにまで運んで転がした。
そして、上に乗っかって、先輩の顔を見詰めていた。どんな表情だったかは覚えてない。「好きだ!」と大声で叫んだのは間違いない。
先輩は固まってた。俺は覆いかぶさって、そのままキスをした。手首とか指を掴んで、そこからはアッという間だった。先輩も抵抗はしなかった。ただ、ずっと受け入れていた。最後までいった。
最後までやった後、ベッドの中で先輩の体を抱きかかえて、「彼氏と別れろ!!」って求めた。何度も。何度も。三度は言ったと思う。先輩は悩んでたけど、最後には「はい」って返してくれた。それから口づけをして、ずっと体をくっつけ合っていた。あれは、あの瞬間だけは、本当に受け入れてくれたんだと今でも信じてる。
それから、何度か食事をして、デートにも行った。本当に数回だけど。子どものうちって、こんなもんだよな。
残念ながら、先輩が高校に進んでからは柔道の試合会場でしか会うことがなかった(当時、携帯電話は大人の嗜好品だった。子どもが持つものではなかった)。試合場で俺が声をかけると、前と同じように笑ってくれた。
高校からは、柔道をやってる男女の距離は離れてしまう。物理的にも、精神的にも。まるで違う存在になったみたいだ。先輩も俺も、柔道の名門高校に進んだこともあって疎遠になった。でも、どっかでまた告白しようと思っていた。
あれは、先輩が高三になる年の、大会名までは覚えていないが……先輩は、規模の大きいローカル大会に出場していた。全国から有名校が集まってくる。俺も出場していた。
その日先輩は、団体戦の時に、投げられた拍子に首から柔道畳に突っ込んでしまった。それでひどいことになった。
そのシーンを見ていた。相手の選手は、先輩を背負いで投げる時に、もうちょっとで投げられるって思ったんだろうな。自分の頭を柔道畳にダイビングさせて、その勢いで先輩を垂直に転がそうとした。しかし、最初に畳についたのは先輩の頭だった。それで、頸部を痛めて試合中に意識を失った。
先輩は、頸椎損傷で意識不明の重体になった。あれは今でも覚えてる。救急隊員がタンカを運んできて、柔道場から大急ぎで先輩の体を運び出していくのを。
意識は戻ったが、先輩の体は動かなくなった。脊髄がやられたらしい。もうすぐ高三になるタイミングだった。
柔道はできなくなったし、学校にも通えなくなった。先輩は、公立高校にスポーツ推薦で入学していた。柔道できないとなったら肩身が狭いだろうし、そもそも卒業できるか怪しかった。
結局、卒業はできなかったんだっけ。病院から出られないんじゃ、しょうがないけど。俺、その頃は高二だったけど、先輩の病室に月に一度は音連れた。
今の状態のこと、いろいろ話したっけ。首から下の感覚がなくて、手足がまったく動かせないわけじゃないけど、お風呂に入っても温度とか感じないんだってさ。
俺が高三になる頃には、病院から出て車椅子で生活できるようになっていた。自宅で療養してたけど、脊髄以外にも問題があるようだった。合併症で、呼吸とか循環とか消化とか、そういう機能にも。
大学進学で東京に出たら、先輩には会えなくなったけど、メールはしていた。今でいうガラケーである。当時は最新鋭の機器だった。中高生が見るようなバラエティ番組で、ケータイやPHSのコマーシャルが流れていた。先輩とのメール内容は思い出したくない。少しは覚えてるけど。
大学の長期休みの帰省時、先輩に会いに行っていた。先輩、いつも普段着で、オシャレができないのを気にしてたっけ。俺はもちろん、そんなことは気にならなかった。ずっと先輩に会いに行っていた。
大学三年生の終わり頃だった。先輩が自宅で亡くなってから、携帯電話とか、誕生日プレゼントとか、一緒に撮った写真とか、先輩との思い出ごとゴミに出した。今では取っといた方がよかったと思うこともあるが、やはり捨てといてよかったと思い直す。
せっかくの機会なのでメールを思い出してみるが、本当に部分的である。脈絡なくて意味不明だし、記憶の改ざんが起こってる可能性大である。お許し願いたい。
いつも大体、俺からメールを送信していた。先輩とのメールは何十回も見返したから記憶にこびり付いてる。
「東京ばな奈」
「あれ、前も食べなかった?」
「また食べたい」
「リハビリとかしてるの」
「してない」
「どうして?」
「無駄だし」
「体が動かない。自分でどうにもできない」
「車いすで動くのは? また一緒に外に行こうよ」
「恥ずかしい。あれで外出たくない」
「やったじゃん」
「次の決勝リーグで負けたけど」
「一年生でそれならすごいじゃん」
「次は勝ちたい。俺がレギュラーなったら、試合見に来てくれる?」
「え。親がお金出してくれるかな」
「出してくれるよ、きっと。だめでも説得する」
「 くんは彼女いるでしょ?」
「いないよ。できたことない」
「うそ」
「嘘じゃない」
「今年の春、私に結婚したいって言ったの覚えてる?」
「うん」
「約束守れる?」
「うん。自活できるようになったら迎えにいく」
「じゃまだからやめた方がいいよ」
「邪魔じゃない」
「じゃまだよ」
「俺と結婚するの嫌?」
「ううん。 くんと結婚したい」
「俺の力だけだと、どうにもなんないけど笑」
「 くん。体がイタイ…」
「大丈夫?」
「うん。痛い。けどがんばれるかな」
「できるよ」
「呼吸も苦しい」
「電話する?」
「できない。息ができない」
「今度の春休みに会いに行く」
「きてほしくないかも」
「なんで?」
「どうしても」
「歩けるようになりたい」
「なれるよ。絶対」
「なれるかな」
「うん」
「ありがとうね」
「 。今、何をしたい?」
「さわりたい」
「何に?」
「 くんに」
「俺も にさわりたい」
「ほんとうに?」
「本当だよ」
先輩は自宅で亡くなった。先輩の両親は言わなかったけど、後に自殺だということがわかった。
その時分、大学三年生だった俺は、国内でも国際でも大きい大会があったから、お通夜にも葬儀にも行けなかった。納棺日に間に合わなかった。お骨も拾えなかった。
それから今に至るまで、本当に好きな人っていうのができたことはない。年齢を重ねることで、恋愛する能力が落ちているだけかもしれないが
お墓参りはずっと行ってたけど、近年は行ってない。夢の中に先輩が出てきて、「もう来なくていいよ」と言われたのだ。夢の中だったけど、信じることにした。朝起きたら、涙が出ていた。
ありがとう先輩。先輩のこと覚えてる人間、俺が人類で最後になれるよう祈っててほしい。
次です(最後)
https://www.nids.mod.go.jp/publication/senshi/pdf/200703/5.pdf
これによると上官殺人については、代表的なものとして以下の事例を確認できる。
概要:輜重兵第3連隊第1中隊において、下士官7名と兵32名が中隊長代理および中隊将校に対して集団暴行を行い、中隊長代理を殺害した事件。
原因:中隊長代理の過激な軍紀粛正に対する反感が引き金となった。
処罰: 首謀者の曹長は死刑、中隊長代理も職権乱用の罪で懲役1年6ヶ月に処せられた。
概要: 第59師団第53旅団隷下の独立歩兵42大隊第5中隊で、兵6名が中隊幹部に対して暴行を行い、中隊長を殺害した事件。
処罰: 本事件の詳細な処罰については記載されていないが、軍内で大きな衝撃を与えた事件として記録されている。
概要:昭和18年度には、上官殺傷事件が合計で45名にのぼり、特に中隊長以上に対する犯行が多数発生していた。
原因: 上官の粗暴な態度、軍事能力の欠如、指導能力の不足などが原因として挙げられている。
殺人を取り上げたが、対上官犯の発生傾向を全般でみると、戦況の悪化に伴い増加していた模様。
昭和16年度の対上官犯は341名であり、前年の202名から約1.7倍に増加している。
昭和17年の上半期だけで、対上官犯は126件、152名に達している。
昭和18年度には対上官犯が428名に増加し、前年と比較しても著しい増加傾向。
昭和19年には対上官犯がさらに増加し、1月から7月の間に既に347名に達しており、前年の一年間の総数に近づく勢い。
対上官犯の増加についての背景について、戦況悪化と士気低下の影響と分析している。
ガダルカナル撤退後、第一線も後方も士気が低下し、対上官犯や奔敵逃亡が増加する傾向にあったという。
補給不足や飢餓状態が士気を低下させ、逃亡者や対上官犯の増加に繋がったとのことだ。
戦闘が激化し、士気が低下することで、上官への反発や不満が顕在化しやすくなり、対上官犯の発生が増加したと考えられる。
これに対して、陸軍は戦陣訓による教育的指導で意識改革を図ろうとした。(戦陣訓かよ。。。)
PDFは・・・以上のような内容の文書のようだ(AIによると)。
なるほど。面白い。
しかし、そもそも、満州事変にしても陸軍中央の一部幕僚と関東軍の連携に遂行され、それは政府や陸軍首脳の方針に反して行われたものだったし、226事件にしてもクーデターだ。陸軍内部には長い間、皇道派と統制派の対立があってそれがクーデターにつながったもの。
犬養毅首相を武装した陸海軍の青年将校たちが暗殺した五・一五事件(1932年)の時点で、もはや【軍務による制約】がすでに機能していなかったといえる。首相殺害って上官殺しどころの次元じゃない。下剋上すれば何かを変えられると信じていたということだ。
日本陸軍の歴史を振り返ると、ある意味、組織に内在する”下剋上”的な雰囲気が戦争へと突き動かしていたことがわかる。
それは当然ながら戦陣訓といった組織内規律でコントロールできる範疇を超えるものであり、根本的なガバナンスが問われていたことは間違いない。
そのダイナミックな動きをもっとも恐れていたのは昭和天皇だったかもしれない。
上記文書の対上官犯罪の増加について戦陣訓で対応したとあるが、こうして下剋上的な力学が全体で強く働いていたなかでは、戦陣訓ごときで風紀の乱れなど押さえきれるものではなかっただろう。
その戦陣訓を考案したとされる陸軍大将の畑は、昭和20年8月6日、たまたま広島駅近くで被爆し、その体験をもって上京、御前会議の前の元帥会議に臨んだ。他の元帥が主戦論を張るなか、ただ一人、本土決戦など不可能である旨を天皇陛下へ奏上、敗戦に至ることになる。
歴史にもしはないが、天皇陛下に奏上できる立場の陸軍首脳が原爆被害に遭っていなかったら?・・・もしかすると、当時の地震災害を黙殺したみたいに、原爆被害も知らされず黙殺されて、もう数発くらい落とされていたかもしれないし、ソ連の侵攻も相当進んでいたかもしれない。
このことからわかることは、各都市が焼けようと沖縄がどうなろうと本土決戦を諦めなかったにもかかわらず、原爆の威力を肌身で理解した元帥が奏上できたということは、人間誰しも当てはまることで、いくら想像力があっても、現場にいかないかぎり現場のことはわからないということだ。
なお、畑に随行していた参謀は宮城事件(クーデター)に巻き込まれ、青年将校に殺害されたとwikipediaに書いてあった。
冬のアリア旅、4泊5日、1200キロ走破で充電12回の内訳に対する所感(*1)
これの前の記事が冬の電気自動車の遠出は本当に厳しい。航続距離も減るし、とにかく充電スピードが落ちます だったのでEVというのは主語がでかいし、ちょっとなということで書こうと思った。
表題どおりなんだけれど、どこで充電するかで快適さ含めて変わってくる。たしかに冬はEVにはちょっと厳しい季節なんだけどさ。
記事内にあるように「一番充電できたのは浜松SAにある大きな充電器で30分で33kWh、一番少なかったのは道の駅の古い充電器で30分で10kWhでした。」これが諸悪の根源。
実は浜松SAの充電器は国内最大級でMAX150kwhの出力がでるものと、90kwhがでるものが設置してある(*2)
道の駅にある充電スタンドはMAX20kwh(*3)だったりがざらだったりする。
EVの充電は0%に近いほど高出力帯で充電ができて、満充電に近いほど出力を落とさなくてはいけない。水槽に水を入れるのに最初はバケツでいけるけどそのうち、灯油ポンプでゆっくりいれて最後はコップでいれるようなもの。
アリアは最大130kW(*4)での充電に対応しているので、浜松で30分充電して20kwh程度ということはかなり余裕がある状態で充電をしていたのではないかと推測される。
ちなみに、勝間氏のアリアは満充電で500km走るとのことなので90kwhの電池容量を搭載しているモデルということになる。(*5)
そこで「どこの充電スタンドはどれくらいの出力がでて、何口用意されている。
出発地点はどこだから、40%くらいになるのはこの辺、ということはどこそこのスタンドで充電しよう。」
これは正直かなりめんどくさい。かなりめんどくさいのだけれど、EV過渡期ということもある。
酸っぱいぶどうかも知れないけれど、気にしないといけないくらい長距離運転するなら計画立てて運転するくらい必要だと思うし、ちょうどいい休憩にもなるのであまり困ってない。
ちなみに、EVは長距離高速移動すると街乗りするよりも電費(≒燃費)が悪くなる。(*6)
ということで、保有車は2022年納車のTesla model3 LR (82kwhの電池積んでたはず)(*7)なのでその例をあげる。
なお、Teslaは最大で250kwhの出力がされるスーパーチャージャーという充電ネットワークを自社で敷設している。
それってどんくらい早いのというと、空に近いと15分間で250km分くらいは充電できるくらい。なので、日本政府はChademoをやめてNACSに統一しましょう。(*8)
例に出すのは、一昨年の年末(2022-2023)の移動記録(*9)
スーパーチャージャー(以下SC)の利用をメインで計画した時のもの。
自身は主に関西から九州までの移動でこの時は路面凍結するくらい寒かったので今回の記事とまあ同条件かなと。
自宅から倉敷SCに移動206km 53%消費 (3.8km/kwh)
倉敷SCから広島SCに移動 157.8km 44%消費 (6.9km/kwh) 雪の関係で下道いった記憶がある。
広島SCから別府市まで移動 352.5km 84%消費 (4.2km/kwh)
別府市の日産でchademo充電 9分 5%→12% 外気温6.5℃
宿を出てちょろちょろ移動
別の場所に移動してお代わり充電30分33%→61% 外気温10℃
大分市から熊本城前の商業施設へ移動 158.3km 39%消費 (4.0km/kwh)
山鹿市からめかりPAに移動 170.5km 39%消費(4.3km/kwh)
めかりPAで充電 30分20%→44% 外気温8.9℃ (めかりは40kw出る)
めかりPAから広島SCへ移動 192.4km 40%消費(4.8km/kwh)
広島駅から倉敷SCへ移動 153.5km 34%消費(4.51km/kwh)
倉敷SCから自宅近くのスーパーマーケットへ移動 210.2km 47%消費 (4.4km/kwh)
chademo充電器がピンキリなので充電に時間かかるのと、効率よく充電できてないのが勝間氏の不満につながっているのではなかろうかと思う。
まとめてて思ったのだけれど、アリアのエネルギーマネジメントがいけてない説あるかもしれない。
ちなみに、上記のとおり長距離を運転するばかげた計画を立てていますが、
「オートパイロット」という名前の自動運転のふりをした”運転支援システム”は名前はともかく優秀に感じております。
運転の疲労度が全く違う。これに関しては、2021年時点で日産、トヨタ、ホンダと乗り比べて全然違ったのでテスラにしたくらいある。(*10)
======
(*3):20kwhでも急速充電と呼ばれています。おかしい。
(*4):とはいっても、この最大って数パーセントからある程度たまるとだんだんおちていくので爆速充電できるわけでもない。
(*5):アリアは65kwhモデルと90kwhモデルの2種類の販売のようだ。
(*6):ガソリン車は長距離を走ると車重が減るので負荷が減る。また、高速移動すると空気抵抗の影響が大きくなる。ゆえにEVはとても流線形をしている。
(*7):Teslaは数車種しか売ってないように見えて買う時期でマイナーチェンジが入ってたりする。
(*8):chademoはガラパゴス規格なんですよ。。。北米版の日産車でもNACS充電できるようにしてたりするんでマジでお願いします。
(*9):Tesla車はテレメトリーデータをサーバに送信している、そのデータを取得して保存できるサービスがある。ちなみに自身はTeslaMateを自鯖で運用中。昨年11月から止まっててかなしみ。
(*10):長距離運転するので運転支援メインで考えてました。スバルは燃費がいけてなかったのでアイサイトは見送り。現時点レクサスに積んでる運転支援が良いらしいので試してみたい。テスラの車線認識は白線消えてても認識してるのですごい。
| 時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
|---|---|---|---|---|
| 00 | 153 | 7882 | 51.5 | 5 |
| 01 | 41 | 4125 | 100.6 | 44 |
| 02 | 31 | 3547 | 114.4 | 78 |
| 03 | 8 | 680 | 85.0 | 37 |
| 04 | 6 | 2441 | 406.8 | 49.5 |
| 05 | 6 | 1258 | 209.7 | 183.5 |
| 06 | 9 | 654 | 72.7 | 54 |
| 07 | 26 | 3601 | 138.5 | 54.5 |
| 08 | 67 | 5753 | 85.9 | 50 |
| 09 | 81 | 11554 | 142.6 | 53 |
| 10 | 151 | 13304 | 88.1 | 54 |
| 11 | 166 | 16388 | 98.7 | 55 |
| 12 | 160 | 11137 | 69.6 | 43 |
| 13 | 116 | 12515 | 107.9 | 39.5 |
| 14 | 104 | 11155 | 107.3 | 51 |
| 15 | 101 | 9827 | 97.3 | 42 |
| 16 | 130 | 10835 | 83.3 | 45.5 |
| 17 | 166 | 10174 | 61.3 | 37.5 |
| 18 | 103 | 16467 | 159.9 | 58 |
| 19 | 119 | 13394 | 112.6 | 40 |
| 20 | 89 | 13801 | 155.1 | 64 |
| 21 | 112 | 13110 | 117.1 | 56 |
| 22 | 124 | 22802 | 183.9 | 58 |
| 23 | 145 | 24717 | 170.5 | 63 |
| 1日 | 2214 | 241121 | 108.9 | 47 |
人(207),自分(193),増田(123), 話(107), 今(106),仕事(87), 女(81),日本(76), 男(72),子供(63),問題(62), ー(61), 前(60),相手(56), あと(55),普通(55),時間(50),人間(50), 気(48), 好き(47),関係(47),意味(46),韓国(43), 感じ(41),必要(41),気持ち(40),他人(39),今日(39), 金(38),理由(38),最近(38),社会(37), 頭(37), 行動(35), 一番(34),女性(34),最初(34), 手(33), 無理(33),会社(33),存在(32),理解(32),結婚(31),言葉(31),ネット(31), 確か(31), 全部(30),男性(30),人生(29), 一人(29),世界(29),場合(29), 別(28), 他(28),時代(28), 昔(28),話題(27), 目(27), 結局(27),KKO(27),経験(26), 逆(26),日本人(26),情報(25),ネトウヨ(25),個人(25),レベル(24),勉強(24), 都合(24), 嘘(23), 嫁(23),反日(23), 親(23), とこ(23), 結果(23),データ(23), 良(23),ダメ(23), 心(23), 当たり前(22), 誰か(22), しない(22),医者(22), 子(22), 嫌(22), 声(22),馬鹿(21), じゃなくて(21), 扱い(21),簡単(21), しよう(21), 大変(21),勝手(21), 内容(21),生活(21),投稿(21),クズ(20), 横(20), 程度(20),漫画(20),迷惑(20), 間(20), 印象(20)
増田(123),日本(76),韓国(43),KKO(27),ネトウヨ(25), 良(23), じゃなくて(21),フェミ(19),スマホ(17),可能性(17),アプリ(16),ツイッター(16),韓国人(15),わからん(15),Twitter(15), なんだろう(14),iPhone(14),個人的(14),東京(13),異世界(13),毒親(13),大阪(13),はてなハイク(13),アメリカ(12), 一緒に(12),マジで(12),元増田(12),twitter(11),いいね(11), 悪いこと(11),基本的(10), いない(10),hatena(10),キチガイ(10),プレイ(10), ゴーン(9),資本主義(9),カス(9),はてブ(9),キモ(9),サイコパス(9),外国人(9),イケメン(9),???(9),広島(9),安楽死(8), ありません(8),日韓(8),博多(8),承認欲求(8),別府(8),植松聖(8),ブコメ(8),OK(8), ウザ(8),非モテ(8), 1人(8),フォロワー(8), -2(8),無資格(7), 30分(7),いいんじゃない(7),ネット上(7), にも(7),好きな人(7),被害者(7),マウンティング(7), 娘(7),エルフ(7),夫婦(7), な!(7), 金(7),ブログ(7), バズ(7),社会人(7),旅行記(7),精神的(7),下方婚(7), 35歳(6),リアル(6),低能先生(6), かな(6),分からん(6),ツイート(6),誕生日(6),SNS(6),広島駅(6),過労死(6),東方神起(6),対日感情(6),2018年(6),ヤバい(6), 2人(6),出産予定日(6), コレ(6), ー(6), 何度(6),エマ・ワトソン(6),一方的(6),マイナンバーカード(6),パワハラ(6)
東方神起(6),広島駅(6),晩秋(8),出産予定日(6),別府(8), ゴーン(9),対日感情(6),はてなハイク(13), 一元化(5), 船員(11),船乗り(9),反日(23), 体育(11),泥棒(7),安楽死(8),広島(9), 良(23),制服(15), 鍋(11),法人(6),モンスター(9), 転生(11),大臣(7),韓国人(15),ヒーロー(9),異世界(13),韓国(43),無職(18), 勿論(16),KKO(27),iPhone(14),大阪(13),受験(13),医学部(13),原爆(11),旅行(17)
■体育苦手だったけど社会に出たら全く困らなかった /20181118095342(10), ■プロレスのゲームはたくさんあるのに相撲が無いのは差別 /20181119131815(10), ■性欲のコントロールの意味 /20181119141508(9), ■私はがんばる /20181118200549(9), (タイトル不明) /20130818033214(9), ■何を信じて生きてますか? /20181119114945(9), ■35歳で職歴なしだけど働きたい /20181119154838(8), ■もうどこの異世界行っても日本人で溢れ返ってる /20181118224611(7), ■ツイッターで擬似的な死を楽しんでいる /20181118011243(6), ■テキストエディタについて思うこと /20181119162444(6), ■Macを始めようと思うんだけど /20181119144620(5), ■妙なところにスペースを入れる増田 /20181119090000(5), ■この意味不明な焦燥感と不安感はなんだ /20181119213227(5), ■30代独身だと毎日辛さしかないので、寿命縮んでもいいので、ハッピーになれる薬解禁して欲しい /20181119234053(5), ■ /20181119122635(5), ■ケイケイオー /20181119103046(5), ■コーンクリームコロッケって誰に需要あるの? /20181119193120(5), ■例のパソコン使わないサイバーセキュリティ担当大臣の話なんだけど /20181118210123(5), ■ /20181119181044(5), ■なんで寝てるときちんちんガードするの? /20181119213058(5), ■外人さんが日本のファンタジーに /20181119135841(5)
5804819(1458)
あまりのんびり歩いていると食事を取る時間を失いそうなので、路面電車に乗る事にした。
一昨日も利用した広電だが、スーツケースを引っ張りながらでも乗り降りにストレスが無いのは有難い。
搬送力以外にも、このあらゆる利用者に対する優しさも都市のモビリティとして魅力的だと思う。
この街に暮らすとはどういう事か。
何を使って、何を食べて、何を見て、何を感じながら日々を送るのか。
でも、やはり行ってみないと分からない事がたくさんある。
昨日、駅構内の観光案内でお勧めされた、ラーメンが名物であるローカルなうどんと和菓子のチェーン店、ちからで広島最後の食事を終え、12:27発山陽新幹線のぞみに乗り込む。
僅か2泊3日、いや2.5日と言ったところで一部しか見られなかった広島だが、独自の文化や自然環境、都市風景があり、一言で「地方」と片付けるのは「無知」というものだな、と思われた。
揺れもなく滑り出した新幹線は加速し、あっという間に広島市街から遠ざかって行く。
4日目
慣れてしまえばどうって事ない
目を覚ましてカーテンを開けると、結露のモヤの向こうに広島の晴天が広がっていた。
窓の外には気持ちの良い冷気があるのだろう。
東京から南に移動したとはいえ、同じ日本なので11月の気候にそれほど大きな違いはない。
今日がこの旅では広島で最後の朝、昼には新幹線で博多に向かう。
初日に否定的なレビューをしてしまったホテルだが、古い設備もバストイレ別の狭い部屋も慣れてしまえばどうということはなく、フロントは丁寧だし、サウナも使えるし、立地も便利だしで、これで1泊あたり3,500円ならコスト分の満足は超えていると思う。
実際、2泊通してフロントには出張族と思しきスーツ姿やツナギを着た現場仕事の兄ちゃんが引っ切り無しに訪れており、底堅い需要の存在を感じさせた。
洗い場の排水も改善された大浴場で朝風呂を浴びてホテルをチェックアウト、清涼な空気を吸いながら、遠回りして広島駅へ向かう。
と、スマホで地図を確認していると、広島城が案外近い事を発見した。
平和記念公園と宮島で観光の時間を使い切ったと思ったが、この距離なら新幹線の出発前に回れそうだ。
江戸時代以前の城は火災や戦争などで城そのものは失われてしまっていることが多いのだが、広島城は戦後、天守閣が復元されており、中は歴史博物館になっていた。
海運の要衝として発展した広島の歴史、築城した大名、城内や城下の暮らしなどの展示を見た後、登っていくと、ショウケースの中に幾振もの日本刀がその刃に輝きを湛えて横たわっていた。
チェックアウトの前にニュースサイトをチェックして目に留まった件がある。
全米ライフル協会が医師の発言を揶揄するツィートをした事に、医師たちが猛反発し、抗議のツィートが全米で広がっているというニュースだった。
全米ライフル協会のツィートには「なんでこんな無神経なことが言えるのだろう」と、瞬間 疑問に思った。
アメリカの選挙に影響を与える資金力が良く話題になる全米ライフル協会だが、それを支えるのは「銃を持つ事を肯定する思想と無数の感情」だろう。
アメリカは「政治が暴走した時に民兵が蜂起して正しいアメリカを取り戻す」という思想の元、市民の銃の携行が権利として認められているという。
でも、そういった政治思想より「銃を取り上げるな」という感情が個々人の心になければ、銃の携行はここまで生きた頑強な権利として存在し得ないと思う。
銃社会でない日本にあって、その想像は難しいと思ったが、日本刀を説明する時「侍の魂であり、日本の誇るべき美の結晶」という様な言われ方をするのを考えれば、わかる気がした。
アメリカで銃が民政の象徴として説明される様に、日本刀も忠義や克己の象徴として思想的な説明が試みられる。
しかし、銃も刀もその道具としての核心的機能は「暴力の行使」だ。
「自分を脅かすものや気に入らないものを暴力で排除できる」という自信が携行を望む個人の心の核心にあるのだろう。
侍の帯刀も銃のオープンキャリーも「それを取り上げられたくない」という感情の根は共通である様に思う。
ただ、それを本当に人に向けるとはどういうことなのだろう。
日本刀の分類上、刃渡り60cm以上は太刀や刀に属するという。
展示のそれを見てもはっきり言ってリアリティがなかったが、すぐ側のショウケースの中にある脇差や小刀は普段料理に使っている包丁と大した違いはない。
「これを人に向ける?刺すのか、これで?本気か?」
膝がすくみ上る気がした。
俺には無理だ。
だけどすぐに次の言葉が心に浮かんだ。
「きっと、慣れてしまえばどうということはない」
3日目
移動疲れで早めにベッドに入ったものの、宿の狭さか旅行の緊張か暫く寝付けず、結局睡眠導入剤の手助けを借りる事になった。
あまり頼りきりになるのも怖いが、こう言う時には強い味方だ。
7:00
窓の外は雨の気配もない。
今日は歩き回るつもりだったので好都合だ。
先ずはさっぱりと目を覚まそうと入った大浴場は、どうにも洗い場の水捌けが悪く、足元がバシャバシャだったが、いちいち細かいことを気にしていても仕方ない。
向かうは厳島神社だ。
JR山陰本線で向かう宮島口、車窓の外では緑と褐色、橙が調和を作る斜面にマンションや戸建てが張り付いている。
これから向かう厳島神社、英語で神社はshrine 、祀られる神は deity と言うらしい。god ではない。
日本人の自分からすると、神社の神様は、いわゆる唯一神と違い、「人間に無限の愛を注ぐ父なる存在」ではなく、「自然や世界の運行を司る人間より上位の存在」であって、「世界の運行の都合によっては人命も薙ぎ倒していく、敬うべきだが恐るべき存在」だ。
その恩寵も脅威も本質的には世界のためであって、人を主眼に置いたものではない。
そういった神性をエンタメとして表した代表作が「ゴジラ」である様に思う。
自然は容赦がないし、脅威は過ぎてもまた必ずやってくる。
広島は近年土砂災害に見舞われたが、斜面に建っている民家を見ていると「これは確かに自然が荒ぶればひとたまりも無い」と思う。
広島駅前には河が流れ、遠くを望めば山が見える。車窓の外では紅葉が彩る高台や斜面の中に家が建つ。
この街に住む人は、自然の恩寵と脅威に無関心ではいられないだろう。
桟橋を出てすぐなのに、デッキの淵には瀬戸内の水面に起立する大鳥居をファインダーに収めようとする観光客で鈴なりだ。
もちろん自分も鳥居は撮りたいが、「見えてきてからでいいかなー」と言う感じ。焦ってヘリに長時間陣取れば他の観光客の邪魔になってしまう。
腰掛けていたベンチ、隣を見ればスカーフを巻いた外国人の女性がいた。
その先に少し覗いてきた大鳥居。
教えようと指差す。
「・ー・ー・?」
「How long?」
「あー、about 5minutes.」
「5minutes.」
「そう。」
休みに入ってから基礎英会話の勉強を始めたものの、1日せいぜい2時間で2週間では大きな変化はない。
でも気にせず続ける。
「Where come from?」
「Malaysia.」
「Areyou?」
と彼女は下方向を指差す。
「No,Tokyo.」
「EnjoyTokyo :) 」
お互い片言にも程があるが、単語をぶつ切りにした様なコミニュケーションでも意外と伝わるし、海外ではコミニュケーション出来ることだけで嬉しいものだ。
昨年からの海外旅行で一番役立つ学びは、このコミニュケーションへの意志と気楽さかもしれない。
マレーシアから来たご婦人に5分と答えたが、実際には10分ほど後にフェリーは宮島に到着した。
まあ規模感に大きな違いはないし、誤差の範囲だろう。
洋上、フェリーの展望デッキからも撮れた朱の大鳥居だが、岸からのほうが近かった。
島の其処彼処でノタノタ歩く鹿と共にスマホのファインダーに収める。
きちんとしたカメラは携行しているし、それでも撮るのだが、こういったレイドバックな瞬間はスマホで撮るのが丁度いい様に思う。
水面に建つ大鳥居が有名な厳島神社だが、実際に訪れてみると鳥居だけでなく本殿がまた美しかった。
宿願成就を祈るため訪れた訳ではないが、せっかくなので参拝する。
祈りの詳細を明かすべきでないと思うので割愛するが、本殿では少し綺麗事とも思える様な事柄を祈った。
なんとなく、自分独りの事について祈るのが違う気がしたからだった。
まあでも改めて考えれば、金でも何でも、自らに起こる事柄に人と関わりなく起こる事はあまり無いし、誰かの幸福を祈ったとして、その実現は己の幸福でもある。
全ては人との関わりの問題でもあると言えるし、全ては己の為とも言えた。
幸福とは己の内にあるのか、人との間にあるのか。