
はてなキーワード:広宣流布とは
捲土重来を目指す公明党前衆院議員の伊佐をはじめとして、創価学会活動家がSNSで見当違いなことを言い出してもりあがっている。衰退する創価学会ではもはや公明党を支えきれないので、プロモーションに力をいれて創価学会信者でない支持者を増やし、公明党が自律的に政治活動を続けていくべきだ、という。
彼らは、「創価学会信者でない支持者」について、どういうイメージを持っているのだろうか?創価学会信者のように、信濃町の決定に唯々諾々としたがい、兵士のように働いてくれる活動党員なのか、それとも、芸能人のファンのようにSNSや口コミでキャーキャーほめそやして宣伝してくれるようなミーハー応援団なのか。あるいは、基本的に党運営に無関心だが、選挙となれば公明党に入れてくれるライトな有権者なのか。
いずれにしても、そんな創価公明にとって都合のいい支持者など現れない。ふつうは、支持団体、支持者というものは支援と引き換えに政党の意思決定に介入する権利を持つし、そうでないなら離れていく。支持者によって党が存立しているのだから当然のことだ。カネと票は出すが、口は出さないなどという奴隷のような有権者は普通いない。
https://twitter.com/Morii_Ri_Kaeru/status/1946558887693582775
↑ 「大衆受け」を狙った衣装でYouTubeに登場し、創価学会外部の支持獲得にいそしむ公明党 伊佐中央幹事と、岡本政調会長
そうなると、様々な問題が発生する。実務的問題として例えば、事実上の創価学会の会合となっている党員集会に、学会員でない党員をゲストでなく主体者として迎えることができるのか。学会員支持者が党運営の主導権を失った場合に、それでも公明党を支援し続けるモチベーションを創価学会信者が維持できるか。非常に難しいと思う。身内でのシャンシャン会合に慣れきってしまった創価学会信者に、両者を結合して組織を運営するようなリーダーシップ、ファシリテーション能力は期待できない。
さらに根本的には、創価学会外の支持者の流入は、公明党の基本価値観の変革を迫るだろう。
創価学会の活動経験者諸賢は、わが身をよく振り返ってみてほしいのだが、公明党の正体は大衆政党でもなんでもなく、政界における創価学会の防衛団体である。だから、公明党の政策は創価学会の利益を毀損しないように選択される。かつては、平和・人権の党として革新的な攻めの姿勢が創価学会の宣伝拡大に役立ったのであり、いまではイラク戦争や安保法に賛成してでも自民党の機嫌を損ねないことが創価学会の利益の保全にもっともかなう。公明党のプリンシプルは、ぶれているのではない。創価学会の利益の最大化という点で一貫しているのである。
創価学会員でない支持者を増やすには、「創価学会の守護者」をやめ、政党としての基本理念、価値観を定める必要がある。「大衆政党」などという意味不明のぬらりひょんのようなスローガンは、特に階層意識が希薄になった現在では「すべての人にとっていいことをします」と同じで「何も決めていない」に等しく、だれもついてこない。そして定めた基本理念に人や団体がついてきたならば、その人、団体たちの期待を裏切らないようにある程度一貫した政治行動をし続けなくてはならない。たとえ創価学会の利益に反しても、である。
創価学会信者の主観では、公明党は創価学会一団体の利益を守るものではなく、日本と世界に人権と平和の社会を建設するための政党だと信じているし、そのために自分のリソースを投じているつもりだろう。しかし彼らの実際の行動ロジックは、「絶対善の団体である創価学会の存続、発展(=利益)を守ることこそ、社会善の増進に貢献する」ということでしかない。
そして、八紘一宇を夢見た軍国少年のように、広宣流布をする創価学会の存続こそ信者たちの最大の利益である。つまり、客観的には創価学会の利益だけが信者による公明党支援のモチベーションであって、だからこそ信者たちは公明党がどれだけ公約をたがえても、どれだけスキャンダルを起こしても支援し続ける。
そんな、創価学会の利益最大化パーティーである公明党に他者が参画するメリットは何か。逆に、創価学会の衰退を前提として他者に支援される公明党を目指した場合、変質を余儀なくされる公明党を支援し続ける創価学会(員)にとってのメリットは何か。どちらも見出すことは難しい。
今日に至るまで、公明党が創価学会から独立できなかったのは、公明党にやる気がなかったからではない。創価学会が許さなかったからであるし、またそのことにによって創価学会以外の他者に、公明党を支持するメリットがなかったからだ。
伊佐は、そりゃあ政治家としての生き残りがかかっているのだから、創価学会信者だろうと犬猫野菜だろうと、票とカネをくれるものがいればなんでもよい。彼の月刊Hanadaや排外主義へのすり寄りを見れば明らかだ。創価学会が国政からの撤退を決めてそのまま消されるくらいなら、公明党として独立したいところだろう。
しかし、党の自律により創価学会員でない支持者を組織することを、信仰の一環として選挙運動をする創価学会活動家が期待するのは、もう政治運動につかれてしまってやめたい、という消極性によるものでない限り意味不明である。
彼らは、おそらく外部から集まってきた支持者たちが、創価学会、公明党、池田大作のすばらしさに心打たれ、オートノミーに称賛し続けてくれることを期待している。そんな人間は「支持者」ではなく、すなわち「信者」以外にいないということを本気で理解できない。そして、伊佐はそのことを黙っている。
ともあれ、創価学会信者でない支持者を増やしていくと、どこかの段階で創価学会信者のいまのような熱烈な支援活動は消滅するだろう。減少する創価学会信者から、増加する一般支持者へのグラデーションを全国500万票規模の固定票を維持しながらうまくコントロールすることができるか。私は現場組織の運営的にも、ほぼ不可能だと思う。ソフトランディングはあり得ない。
繰り返すが、伊佐からすればある日急に創価学会が国政から手を引いて支持者が事実上ゼロになる前に、党の自律運営を既成事実化したいのは当然のことだろう。しかし現実には、創価学会からのコントロールを維持し続ければ一般支持者は増えず、一般支持者を増やせば創価学会からの支援は減少するだろう。つまり、つんでいる。
このような苦しさを、伊佐や公明党の広報部隊が全く理解していないとは考えづらく、だからこそ、スパンコールジャケットと蝶ネクタイを着てふざけた表情でダブルピースをしながら伊佐が排外主義を叫ぶ、苦し紛れの〝SNS広報戦略〟が出現したのだろう。要は、創価学会や公明党に大して興味がなく、口を出す気もないが、ノリで投票してくれる支持者の創出を狙っているのだと思われる。
また、メディア戦略で支持を広げることに成功した政党は、維新の会の橋下や、再生の道の石丸、NHK党の立花、国民民主党の玉木、参政党の神谷など、魅力的で強力なリーダーシップを大衆にアピールすることで有権者の心をつかんできた。しかし、創価学会にとって公明党に大衆的リーダーが現れることは悪夢である。国民の支持を背景に、創価学会のコントロールが効かなくなる危険性が高いからだ。
そもそも、公明党の議員は創価学会の推薦がなければ議員候補にすらなれないし、「まじめ」で「無難」な官僚的人材を選び、創価学会に対して従順になるよう育成されてきたので、急にそんなキャラクターを立てられない。また、「キャラ立て」を通じて創価学会に謀反を疑われてもおもしろくない。それで、落選議員であり脅威が少ない伊佐が、SNSでピエロを演じることになったのだろうと思う。
しかし、伊佐はビジュアルが優れているわけでもないし、幼稚園のお遊戯じゃないのだから、そんなやりかたで政治家としての信頼感を持つ有権者などいない。創価学会信者と公明党議員、関係業者によるファンダム演出工作も、アイドル不在の不気味なファンクラブのようなもので、信者エコーチェンバーを強化するに留まり、創価学会外部の票を引っ張る力などみじんもなかったのは厳粛なる投票結果が示すとおりだ。
創価学会票があてにならなくなったということは、かえって公明党の負い目が減少したということでもあるので、伊佐も創価学会からの独立を主張するようになったのだろう。ピエロをやらされるのが嫌になったのかもしれない。
あるいはひょっとしたら、もう手を引きたいのでソフトランディングの計画をたてろと創価学会から指示を受けているのかもしれない。
なんにしても、創価学会衰退後に公明党を維持することは、ここまで述べてきたように極めて困難である。また、Hanadaや日本会議などの限界右翼や、イケダハヤト、ホリエモン、箕輪、ひろゆき、東浩紀などのソーシャルハック系インフルエンサーに接近する公明党・創価学会の言論活動を見る限り、広範で継続的な国民の信頼を得られる政党になることはまずない。
それでも生活と老後のために、信者たちのご機嫌を損ねないように気をつけつつ、ワンチャン一般支持者獲得のために詭弁ピエロを演じ続けなくてはならない伊佐には同情することしきりである。
私は創価学会員ではありません。
1,大聖人(だいしょうにん)
(厳密にいうと「本仏」という。)
なお、一般的な日蓮宗系の宗教では「大菩薩」ということが多い。
菩薩は仏に次ぐナンバー2という意味であるため、創価学会系の人とは
相容れないのである。
2,謗法(ほうぼう)
3,境涯(きょうがい)
4,財務(ざいむ)
強制ではないのだが、もし行う場合は最低1万円出さなければならない。
一般家庭でも100万円出すところもある。
5,折伏(しゃくぶく)
「勧誘」のことだが、無理やり入信させるというイメージである。
6,破折(はしゃく)
「論破」のこと。「破(は)す」ともいう。(後者の方が文語的)
7,御書(ごしょ)
8,仏法(ぶっぽう)
「仏教」のこと。
9,広宣流布(こうせんるふ)
公明党もかつてはそれに必要な「国立戒壇」(創価学会(厳密には日蓮正宗)員になるための儀式会場)
を作ることを目指していたが共産党などから追及されたり学会側の不祥事により破棄せざるを得なかった。
現在では池田大作創価学会名誉会長兼創価学会インターナショナル(SGI)会長
が世界各国で対話を行ったり、支部を作ったことで事実上達成したというのが公式見解である。
10,功徳(くどく)
「ご利益」のこと。いわゆる「エア本」動画からネットミーム化した感もある。
Permalink |記事への反応(12) | 14:13
ただし、バリバリな活動家にもいろいろな考え方や見方があるので、鵜呑みにはしないで欲しい。
最後は誰の助けも得られず孤独に陥るというのが常である。わたしは精神的に強い方なのでまだいいが、弱い人は創価学会に入ってしまうのかもしれない。
入るときは弱いという人もいるかも知れん。
しかし、精神的に弱い人間は、学会に居続けることができても、活動家にはなれないし幹部になれてもやっていけなくなる。
全ての活動家や幹部は、「一人立つ」ことを求められる。
そうなっていなければ、いざという時に何もできなくなってしまうからだ。
ねーよ。
知らない人には上納なんだろうが、創価学会の財務は限定された会員しかできない。
ただ、親が自分の子どもの分として、名義だけ広布部員にすることがある。
だからといって、やりたくないものに直接出させるようなことはしない。
心得違いの幹部が絶対にいないとはいえんが。
広布部員になれば、財務として年間1口1万円以上の義務が生じることにはなる。
しかし、事情が変わってできなくなれば、無理にする必要はない。
自分はいつも1口だけどな。
1度3万円やったことがあって、「今年はいつもの3倍やりました!」とか会合で発表したりもしたけどなw
財務とは別に、随時受け付けている広布基金というのもある。
これは、自分が出したい金額でできる。
本部へ行ったら、2千円くらいは出すようにしている。
それくらいは財布に余裕があるようにしていたいという思いがあるので。
精神的に弱い人は社会でも成功していない人が多いだろうから所得も低いのではないだろうか。学会員にとって10%の上納はそれなりに大きな支出であると推測される。しかし10%から得られる精神的安定に価値を見出しているのだろうから学会員を続けるのだろう。創価学会とはそんなにいいものなのだろうか?
バリバリの活動家は、多かれ少なかれ、信仰によって何らかの困難を克服した体験を有している。
だから強い。
どれだけ精緻な理論を構築したとしても、実際の現象を覆すことはできない。
だいたい、財務や広布基金にしても、報恩感謝の思いや広宣流布の使命感からでなければ、ただの寄付であり金額は数字でしかない。
それで精神的安定が得られたとしても、単なる自己満足以上のなにものでもない。
学会活動するのだって、自分の時間を捧げているということになる。
「時は金なり」というのであれば、自分の時間を供養しているわけだ。
その先に自分の絶対的幸福境涯の確立があるという確信があり、活動自体も楽しいからこそ、学会活動ができるわけで。
創価学会三世です。祖父母の代からの会員です。
両親は一応両方とも学会員だったけど、父と母の学会に対する温度差が大きく、
というよりむしろ父はほとんどノン学会員みたいなもので、
それが原因でうちの家庭はずっと機能不全だった。
そういう環境で長年育ってきたことから受けた心の傷やゆがみみたいのはかなりあるなーっていうのは
自覚してる。
でも、いい歳して「トラウマ背負ってるんだー」とか「不幸な生い立ちでー」とか言うだけ言って
自分の人生をよりよい方向に向けていこうという心構えのないやつは馬鹿だと思ってるので
時折自問自答したり、近しい人と話をしたりして、そういうディスアドバンテージを乗り越えようと努力している。
信仰、というより、学会に盲従するような人だから、基本的には朴訥としたいい人、
疑うことを知らない人、優しくてかわいい人なんだと思う。
何より、世界でただ一人のお母さん。
最近は歳をとったせいか若干脳内お花畑はいってきているのも涙をさそうんだけど、
一生大事にしたいと思っている。
でも、会話をしているとしょっちゅう学会のこと、聖教新聞のこと、会合のことを言われるのが苦痛。
ほんとに苦痛。
読みたくもない聖教新聞を豊かではないポケットマネーで購読していることで親孝行と思ってくれよ。
それ以上はまじ無理だから。
まあでも今は別の家に住んでることもあり、なんとかのらりくらりとかわしている。
最近思うんだ。もう遠くない、近い将来、創価学会はかなりの変質を迫られるよね。
ほらだってあのプレジデントもご老体だし、人間には寿命があるから。
外から学会を覗いていると「うーん、来るべき時にそなえてプレジデントのさらなる神格化と内部引き締めに躍起になってるな」
と感じるわけなんだけど、実際あのプレジデントがみまかられたらどういう風になるのかは未知数。
求心力は必然的に低下するんじゃないかと思ってる…ていうか、低下してほしいと願ってる。
何も根拠はない…ただただ主観的に願ってるだけ…。
もしそうなったら、学会の雰囲気が変わったら、末端信者がもっと生きやすいようになったら、
そうしたらもっとお母さんと話をするんだ。
もっともっとお話しするんだ。
もっと近くに寄ってお母さんを大事にするんだ。
「聖教新聞読んだ?」「池田先生のご指導から離れちゃだめよ」なんていう言葉を聞かずに
たくさんお母さんとお話するんだ。
お母さんも「この子は学会から離れて…心配だわ…」とか思わずに
にこにことした老後をすごしてくれたらいい。
孫に信心を受け継がせなくては!とか躍起にならずに家族団らんを楽しんでくれたらいい。
あの組織が早く弱体化しますように。
俺が信仰している二次創作嫌儲教というのは結構厳しい宗教で、教義で二次創作に関する嫌儲思想を広めるためには茨の道も行け、という広宣流布の義務が信者に課されている。
フルブッコにされながらも嫌儲の道を行くのはそのためである。
しかし、以下のエントリを目にして驚愕した。
http://www.rough-note.net/index.cgi/021
これは二次創作云々ではなく、事故とかマナーの方向で書かれたエントリで嫌儲とは別の切り口だが、コミケの問題点を指摘しているエントリである。
内容はさておき、ブログ主が冒頭で
などと宣言するまでに追い込まれたことにやや薄ら寒さを感じた。
実はコミケ教の信者の方がウチの二次創作嫌儲教よりよほど厳しい戒律を持っていて、「いかなる理由があれど総本山のコミケを攻撃した輩は根絶やしにせねばならぬ!」
みたいな、どっかの宗教レベルにおっそろしい宗教なんじゃないだろうか。
同人者の楽園(byid:hapze-23_45氏http://h.hatena.ne.jp/id/hapze-23_45)である総本山を守るためにはここまでするのか。
ま、こんな気持ち悪い宗教はいつか信長に焼き討ちにされるであろう。
嫌儲教は地道にがんばるよ!