
はてなキーワード:幸運とは
10年前の発言が=今の倫理観だと断定されてるのは恐ろしいな……
人は誰しも考えが変わるもので、自分自身、彼と同い年であるが10年前に持っていた考えはとても幼稚で恥ずかしいものだと思っている
当時持っていた考えからガラッと変わっていることもあるので、成人した人は変わらない、なんてことはないと思う
ハイエースも当時悪いミームとして流行っていた(とはいえ、今はその流行りはどうなんだ、性加害を茶化していい理由にはならない)ので、その悪いミームを悪ノリで使っていただけなのだろう
悪ノリなので当時も同様な価値観だったかと言われたら、うーんとなるひとも多いと思う
最低な発言だということは前提として、特に何も考えずに悪ノリしているだけ、は十分にありえる
とはいえ、25にもなって特に何も考えずに悪ノリでしていい発言か?と言われたら否だと思う
当時のインターネットはこんなもん、と言われているが、こんなもんだったのは2ちゃんねるなどのアングラ部分だけ
10年前といえば大昔に聞こえるが、マッドマックスや君の名は。が大流行りしたころだと言えば、同世代であればわりと最近の出来事だな、と思うだろう
電車男とかの時代であれば、その主張もまあ飲み込めたが、どちらかと言えば2015年あたりはインターネットが一般にも普及した後くらいだ
その当時のインターネットがこんなもんだったか?と言えば否だろう
彼が当時炎上してなかったのは、単に許されていたのではなく見つかっていなかっただけだと思う
つまり幸運だっただけだ。今になって掘り返されてしまったのは不運だと思うが
Vtuberのキャラクター自体、敬語で社会的に立場があって、品行方正寄りのキャラクターだったので、余計ギャップが激しくてこのような大事になっているのだろう
箱代表として、地上波に出たりしているところも見たので、そういった立ち振る舞いをするのなら、取られてしまうような揚げ足は消しておくべきだった
デビューして数年、失言などの炎上がないということは、それほどきっちりと誠実なキャラクターとしての動きを取れていたのだから、ツメが甘かったなと思う
あとはオタクが反感を買うことが多かったようだ
Vtuberの炎上や愚痴垢を見ていると、オタクが推しage他sageをしている・関係性厨が鬱陶しいなどが挙げられている
今まで目立った炎上が無かった分、そういった鬱憤晴しでより一層燃えているところはあるなと感じた
なんで吐き始めたのか、理由は今でもはっきりと覚えている。
両親に気にして欲しかった。恵まれた一般家庭で育ったけれど、両親は子育てが下手だった。私がどんなに心身を崩しても、なんの興味も関心も持たない両親の気を惹きたかった。
ただ私に気づいて欲しかった。食べたものを吐いて極端に痩せたら心配してもらえるかな、なんて子供の試し行動の成れの果てだったと思っている。痛いのは嫌だから、痛くない自傷行為はこれしか思いつかなかった。
もともと食べることが好きだった。
高校に進学して1年、毎日同じ道を通っていたはずの通学路である日突然迷子になった。その日から調子を崩し、あっという間に不登校になって通信制に転校した。不登校を理由にお小遣いを止められて、毎日家に居るわけにもいかずアルバイトを始めた。親との関係は最悪で、ろくに会話もしないし、なるべく会わないようにしたし、お互いに空気みたいに見えないふりをしていた。
不登校になってからは希死念慮が全身にべったりと纏いついて離れなかった。毎日死にたくて泣いていた。唯一アルバイトだけは真面目に続けていた。仕事は楽しかったし、そこしか居場所がなかったから。
3年生になって、卒業後の進路が全く決まっていなかった。本当は受験して大学に進学したかったが、親とは冷戦状態のままである。特に父親とは1対1で少し話をするだけで震えと涙が止まらなくなるほど重症だった。
何かが変わるきっかけが欲しかった。それと同じくらい現実から逃げたかった。コンビニでお菓子を買ってきてたくさん食べた。Twitter(当時はまだXじゃなかった)で『過食』と検索したら、大量の食べ物を並べた写真を載せている女の子が沢山いた。こんなに食べたら太ってしまうのにと思ってプロフィールに飛んでみると、どうやら彼女たちは、太らないように食べたものを吐いているようだった。インターネットって本当に最悪。これが過食嘔吐との出会いだった。
胃の中身をみずから吐こうとするなんてことはもちろん人生で初めてだった。具合が悪くなって幼少期に数回戻してしまったことがある程度で、嘔吐恐怖症とまではいかないが直接喉を伝う嘔吐は想像するだけで怖かった。
他の女の子たちも吐こうと思ってすぐに吐けるわけじゃなくて、水を沢山飲んだりして練習していた。5chに吐き方のコツを教え合う場所もあった。オープンなTwitter上で吐き方を教えるのは御法度という風潮もあった。
私は直接の嘔吐が本当に嫌だったので道具を使って戻していた。明らかにアレなため詳細は書かないけど、この道具を使うにもかなり練習が必要で、同じように吐きたがっている女の子たちと日々励まし合っていた。
界隈では、食べ物を戻さずに消化することを『吸収』、自分が食べられる量を『胃キャパ』などといい、食べる前後に体重計に乗って自分の胃キャパを自慢する独特の文化があった。痩せを追求する女の子たちはいかに吸収を少なくして食べ物を大量に食べて戻すかを試行錯誤していた。
今思うと本当におかしいけど、Twitter上には同じような人が沢山いて、そこでの交流が世界のすべてだったから異常だとは思わなかった。人間の脳は都合良くできている。
私も練習の甲斐あって吐けるようになった。けど月の過食費は数万円かかった。バイト代から出す学生の子、ふつうに働いている社会人のお姉さん、親公認で親の金で食べ吐きする子(かなり少ないけど)、金の出所はそれぞれだった。
同じ年頃の女の子たちのほとんどは、パパ活や援交をして食べ物代を稼いでいた。それで高校卒業したらそのままデリヘル。自分よりも歳下の、この間までは摂食障害でもなんでもなかった15、6の女の子がお腹いっぱい食べて吐くために知らないおじさんとファミレスに行き、テーブルいっぱいに奢ってもらった帰りにそのままホテルで身体を差し出している様子は正直見ていられなかった。摂食障害につけ込んで未成年をホテルに連れ込む大人もまともではないと思った。
毎日スーパーとコンビニをハシゴして、菓子パンやおにぎりを買い込んで、深夜に一心不乱に食べてはトイレに戻していた。食費を気にするようになってからは、チルド麺を茹でたりドーナツを揚げたり、白玉団子作りにハマっていたこともあれば安い食パンを買ってきて致死量の砂糖とバターをかけた揚げパンを作ったりもしていた。なるべく吐きやすいものを、とにかくたくさん詰め込められればなんでもよかった。
親も多分気づいていたけど、なんでかわかんないけど気づかないフリをされていた。たまに監視するみたいに夜起きてきて、乞食みたいに夜中にこそこそしやがって!と嫌味を言われたことは覚えてる。
一度だけ、手に吐きだこがないか確認されたことがある。でも自分は前述の通り道具を使って吐いていたので吐きだこなんかできたことなかった。綺麗な手を見て安心したのか、それ以降触れられることは二度となかった。
バレなくて安心した気持ちと、自分の抱えている辛さに気づいてもらえなかった悲しさで大泣きした。娘が毎日毎日食べ物を買い込んで、夜中にトイレ流す音が何回もして、明らかにゲロってたら普通は心配するもんなんじゃないのかな。
今更自分から言い出すこともないし、このまま一生無かったこととして扱われるんだろう。でも、お母さんのご飯は今も昔も大好きだから、吸収しないように食後すぐ吐いていたことだけは一生知られたくない。どんなに反抗期でも口を利かなくてもご飯を用意してくれた母親に対して、生涯で最も酷い裏切りだったと思う。
1年間ほぼ毎日吐いていた。食べて吐いての1セットを毎日5回以上も繰り返していた。食べても太らないなんてラッキー!という気持ちはいつからか消えて、義務みたいにひたすら食べて吐いていた。
夕方にのそりと起きて、決まったルートで食べ物を調達して、今日はこれ食べるよって写真撮ってTwitterにアップして。吐くのは苦しくて嫌いだけど食べたら吐かなきゃいけないし。『もう食べるのも吐くのも辞めたい』とTwitterに何度も投稿した。
何か大きなきっかけがないと一生辞められないんだろうと思ってた。が意外と終わりはあっけなかった。
コロナウイルスの濃厚接触者になってしまい、1週間自宅謹慎することになった。つまり過食するための食べ物を買いに行けないのだ。それにトイレに入った後は毎回消毒することになっていて、不自然にトイレにこもって吐くことができなかった。わたしは至ってまじめな人間であったため、食べ物のために家を抜け出すなんてことはせず、本当に大人しく過ごしていた。するとどうだろう、その1週間で異常過食衝動がすっかり治ってしまった。しばらくは食べすぎた時に数回だけ吐いたけど、日常的に吐かないと嘔吐反射が復活して吐くのが辛くなる。
そのうち二度と吐かなくなった。道具も捨てた。ご飯を腹12分目まで食べるのを辞めた。店員に面が割れてて行くのが気まずくなっていたコンビニ通いも辞めた。
実家暮らしかつ、お酒が飲める年齢じゃなくて幸運だったと思う。逆にそうじゃない子は全然辞められないんじゃないかな。
今でも生理前は食欲が止まらないけど、菓子パンを見ても美味しそうと思えないし、コンビニの味がトラウマで食べられなくなった。
当時の写真もアカウントも全部消したし、辛かった記憶を脳が封印しているのかもうあんまり覚えていない。親もひとりの人間だから簡単に変わったりはしないし、自分を救えるのは結局自分だけなんだろうなと思う。それでも助けて欲しいと願った自分がいたことを愚かだったとは思わない。みんなも自分のこと大事にしてね。
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ここまでが数年前に増田に上げていた文章。身バレを恐れて削除してしまったが、文章自体はスマホに残っていたので加筆修正した。
このとき温かい言葉をくれた人たちには本当に感謝している。「大変だったね」と声をかけてくれたのは友達でも両親でもなくインターネットの向こうのあなただけだったので、当時のわたしは本当に救われてお守りのように見返していた。
あれからもずっと嘔吐していない。道具がなくて吐けないのもあるし、今となっては道具を使った嘔吐の方法はあまりにもおぞましすぎて絶対にやりたくない。若さと無知って怖いなと思う。
後年、両親にわたしの摂食障害を知っていたか聞いてみた。父親は前述の通り知っていてそれを無かったことにしていた。その理由は簡単に言うと「どうしたらいいかわからないし、面倒だから」であった。普通の親なら慌てて病院に連れて行ったりするもんなんじゃないんだろうか……。正直どん引いた。
母親は一切気付いていなかったらしい。いくら食べても太らない子だなあと思っていたと。自分はてっきり知っていて無視されているのだと思い込んでいたため、少し気が楽になった。
両親とは普通に話せるようになった。それでも、この人たちは人生のいちばん苦しいときに助けてくれなかった人たちなんだとどうしても思ってしまう。助けてほしいときに誰からも手を差し伸べられなかったことへの絶望は深い傷となって残り、その後の価値観に大きく影響した。
成人して数年経つが、高校生の子を見るとなんて幼いんだろうと思う。まだまだ大人の保護下にあるべき年齢だろう。10代のわたしにとって1人孤独に過食嘔吐を繰り返した日々は間違いなく本当につらかったのだ。
しばらくはどんなに親しい友人にもそのことを隠し通していた。最近はたまに、昔ゲロ吐いてて〜と面白おかしく話してしまうことがある。自分の中で少しずつ昇華しているんだと思う。完全に忘れられるようなことはないだろう。
ボトラーならぬ、部屋でペットボトルにゲロを吐いて置いていたらなんか発酵?していて焦った話とか、抹茶アイスを1箱食べて吐いたらトイレが若草色になって面白かったとか、度を越した過食嘔吐ジョークは人に話さないように気をつけているが、エピソードとしては強烈なのでちょっともったいないなとも思っている。
一応体重がガクンと減ったりもしたのだが、すぐに元に戻ってしまった。飢餓状態が続くのと同じで、結果的に太りやすい体質になるため過食嘔吐はおすすめしない。それでもどこにも居場所がなく、かといって非行に走るようなタイプでもなかった自分にとって、持て余したエネルギーを過食嘔吐によって発散できていた1年はきっと必要なものだったと思う。食べて吐くことに夢中になっていたおかげで生きていられた。依存先としてはセックスとかドラッグに比べれば全然ましな方だと思うし……。
あの頃のわたしは20になる前に死んでしまおうと思っていたけど、ごめんけど今ものうのうと生きているよ。楽しいことだってたくさんあるし。もし同じように苦しんでいる子がいたのなら、苦しいだけの日々には終わりがあるし、きっと光が差すから大丈夫だよと伝えたい。
電気ポットのさ、
お湯最後に使った人使い切った人はなんで次の人が困らないようにって水を足しておかないのかしら?ってそう思うわ。
私がお湯を湯水のように使いたいなって思ったときの、
そこまで底まで使い切っていたの確信犯じゃない?って私は思うの。
これがあともう少しで水量が減ってなくなる手前の
まだ給湯ボタンを押してもお湯が出なくて空振りするコポコポって音が出ないときなら、
まあ私が電気ポットチキンレースに負けた!ってあちゃー私が最後だったのね!って思えるけど、
給湯ボタンを押していきなり空振りのコポコポって音がなるってことは、
使い切ったことを知っていたはずよ。
まったく。
たぶん昨年の昨シーズンの冬での私がお湯を使いたかったときに限って電気ポットのお湯がなくってあちゃー!ってなってたことを思い出したわ。
これまた私が喰らう?って。
まあむしろ電気ポットお湯有り無しガチャ当たったと思えば幸運の機会として捉えられるけれど、
電気ポットお湯有り無しガチャ当たったとしてもこれなに?このなんか嬉しくない気持ち。
だってさ、
例えばさ、
お湯をいざ注ぎました!ってなって、
途中だったら悲惨だし、
新鮮なスープの粉の風味つまりトップノートがどんどんお湯が次沸くまでに失われてしまいそうな気がしてしまって、
急に慌てふためかなくちゃいけなくなるのよ!
その新鮮なカップラーメンのスープの粉を開封したてで麺の上に掛けて置いておいた状態じゃなかったからよかったものの。
そういう、
水量があとどのぐらい電気ポットの中にあるか分かる様な外側から見たら分かる細長い縦の小窓ってあるじゃない。
なんかその小窓では電気ポットの中のお湯が半分ぐらいあるような小窓の表示の湯量になっているのよ。
車に乗っててのガソリンの油量計が、
残り3目盛りになっているのに、
走っていてふと気が付いたら4目盛りに戻っちゃって、
それとは全くの大違いで、
あの電気ポットの水量の小窓はなんか誤差がありまくりまくりすてぃーだと思うの。
中のお湯の量と同等じゃない様な気がするのよね。
だから、
私はその電気ポットの水量が外から見たら分かる縦長の細い小窓をその時見てまだお湯ある!って確信したのに。
給湯ボタンを押した瞬間に空振りをする空しいコポコポという音を立ててお湯が注がれないって、
そんなことが起こるもんだから、
お湯って大切だなぁって思うと同時に、
なんでお湯最後に使い切った人はお水足しておいてくれないのかしら?って正直なところ思うわ。
電気ポットのお湯使い切る人が次に水を補給するってのは叶わないのよ。
この人本気でお湯に対して真剣に向き合っている人だな!って思われちゃいそうだし、
話一瞬それるけど、
洗濯機の給水栓って冷たい水のみじゃない、
あれ給湯蛇口も備え付けてあったら、
お湯が取れて洗濯物がお湯で洗いたい欲になんなく応えてくれるので、
あそこにこそ給湯できる蛇口も欲しいなぁって思うんだけど。
それが難しいから
電気ポットに水道直結のいつでもお湯が大量に沸いているワクワクする電気ポットなんてないのよね。
とはいえ、
あんまりよく行く場所じゃなかったり行き慣れない場所とかに設置されている、
どうぞご自由にお飲みください的なウォーターサーバーってあるじゃない?
あれこそ、
そのタンクの水いつ開栓された水だよ!って思っちゃうから余計に軽快に警戒しちゃって飲まないのよね。
お湯が出る赤いレバーがあったとしても。
お湯が使いたい放題だとしても、
あそこでお湯を飲んでる人っていまだかつて目撃したことないわ。
家とかに設置してない、
あそこのお湯ってどういった使い方があんのかしら?って。
やっぱり急にカップラーメン食べたい人用?
つーかあれは何度なの?って水温もよく分かってないわ。
でさ、
事務所もお湯が出るウォーターサーバー設置したらいいじゃん!って一瞬上の偉い人にお願いしようと思ったけど、
結局水を使い切ってタンクを交換するのまた私?ってなっちゃいそうで、
野田洋次郎さんの構文を借りて言うのならば
うふふ。
またタンドリーチキンサンドがあるとチャンスを伺っていたんだけど
人気なのか今回は陳列棚になかったのでちょっと残念な気持ちを即切り替えるために、
加湿器を使っている中の期間は
タイマーで起きた途端に飲み頃の温度のお湯が沸いている電気ポットは早朝にブレーカーが落ちちゃいそうなので、
セット出来ないところが辛いけれど、
でもすぐお湯が沸く小さなケトルがあってこの時期は特に大活躍よ!
ゆくり飲んで朝の身体を温めるのがいいわね。
ほっこりしてられない朝の忙しさだけどちょっと少しほっこりしちゃうわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
たぶん、あの話はどこにも書かないまま一生終えると思っていた。
わざわざオブラートに包む意味もないぐらい、その言葉どおりのことをした。
「いじめてた」とか「いたずらの延長で」とか、そういう言い換えは、逆に猫にも自分にも失礼な気がするからやめておく。
もちろん当時は、そこまで言語化して考えていたわけじゃない。
ただ、今になって振り返ると、あれはどう見ても「殺した」だったとしか言いようがない。
***
暴力を振るうタイプではなかったけれど、いつも口が悪くて、教師に盾突いて、家では親に向かってドアを思い切り閉めて歩く子どもだった。
問題は、そのイライラの行き先を、自分より弱いものに向けることを覚えたことだった。
最初は、ただ、何かを拾った、というだけのことだった。
雨上がりで地面はぬかるんでいて、猫は泥と埃でべたべただった。
片目が少しにごっていて、ああ、たぶん誰も拾わないやつだ、と思った。
家に連れて帰ったわけでもない。
ちゃんと世話をしようと思ったわけでもない。
あの頃の自分に、そんな「責任ある行為」をする能力は、残念ながら備わっていなかった。
尻尾を引っぱって逃げる様子を見て笑ったり、棒を振りまわして脅したり、石を投げたりした。
最初は当たらないように投げていたのに、だんだん「どこまで近くに投げられるか」を試すゲームになっていった。
ある日、石はちゃんと当たった。
足を引きずるようになって、鳴き声が変わって、それでも自分はやめなかった。
なんとなく、止まるタイミングを完全に見失っていた。
それがどんな結末を迎えたのか、細かい描写はここには書かない。
ただひとつ言えるのは、気づいたとき、猫は動かなくなっていて、けっきょく自分は誰にも言わず、そのまま公園を出て家に帰った、ということだけだ。
その後しばらく、夜になるとあの公園のベンチの映像が頭に浮かんだ。
猫の姿そのものより、濡れた木のベンチと、薄暗い街灯の光のほうが、なぜか記憶にこびりついている。
そこから先の道を、あのまま真っ暗なほうへ踏み外していってもおかしくなかったんだろうと思う。
幸運か、不運かはわからないが、自分はその道から外れることができた。
中学に上がってから、担任が怖い人で、殴る代わりにしつこく話を聞いてくるタイプだった。
大学は、たいして目的もなく入って、バイト先で怒られながら仕事を覚えた。
ただ、日々の小さな「やらかし」と「怒られ」と「反省」と、どうでもいい雑談の積み重ねが、自分を少しずつ「普通」に近い場所まで連れ戻してくれたんだと思う。
それでも、猫のことは消えなかった。
何かの拍子に、あの公園の色だけが急にフルHD画質で蘇る感じがある。
時間でぼやけるどころか、「忘れられなかった事実」というタグが付いて、むしろ保存性が上がっていく。
***
30代半ばになって、同棲の話が出た。
相手は、職場で知り合った人で、明るくて、よく笑って、感情の出し方が自分とは正反対だった。
「一緒に住むなら、猫連れて行ってもいい?」と言われたとき、胸の中で何かが硬くなる音がした。
「猫?」
猫が嫌いなわけじゃなかった。
むしろ最近は、道端で見かけると写真を撮るくらいには好きだった。
ただ、そこで連想するのが公園ではなく、マンションの一室になることを、頭がうまく処理できなかった。
白い猫だった。
ふわふわしていて、目が青くて、画面越しでも「この家で一番かわいい生き物です」みたいな顔つきをしていた。
「めちゃくちゃ可愛いじゃん」と口では言った。
それは本心だった。
ぎこちなさが出ていたのかどうか、自分ではまったくわからなかった。
帰り道、電車の窓に映る自分の顔を見ながら、「猫を殺したことがある人間が、猫と一緒に暮らしていいんだろうか」と考えた。
別に、また殺したくなる気がするわけじゃない。
今の自分がそんなことをするとは思えないし、イライラをぶつける対象として猫を選ぶメンタリティでは、少なくとももうない。
それは「飲酒運転を一度でもしたことがある人」とか、「昔、人を殴ったことがる」とか、そういう類の話とは、少し違う気がする。
もちろん猫は何も悪くない。
そして今、自分がこれから「守る側」のポジションに立とうとしている。
そのギャップが、うまく飲み込めない。
***
数日後、正直に話すかどうかで迷った末、かなり薄めた形で打ち明けた。
「子どもの頃、動物をいじめてたことがあってさ」と前置きしてから、
殺した、という単語だけはどうしても口に出せなくて、
相手はしばらく黙っていた。
その沈黙の長さに耐えられなくなって、「いや、今はもう絶対そんなことしないけど」と、いちいち余計な一言を足してしまう。
「……じゃあさ」
「いま、うちの猫を見て、何かしたくなる?」
その質問の仕方が、妙に真っ直ぐで、逃げ場がなかった。
ソファの上で伸びているやつ、キャットタワーから顔だけ出してるやつ、窓辺で丸くなっているやつ。
「ならないよ」
答えは即答だった。
それだけは、自信をもって言えた。
「私もさ、昔、虫とか平気で殺してたし。
今はさすがに猫とか犬に当たる気にはならないけど、
でも“昔の自分”が完全に消えたかって言われたら、そんなことないし」
ただ、「昔の自分が完全に消えたなんてことはない」という言葉だけは、妙に胸に刺さった。
そして今、その大人が、「猫と一緒に暮らすかどうか」を決めようとしている。
***
それからしばらくして、本当に一緒に住むことになった。
引っ越し当日、キャリーケースの中で騒いでいる白い猫を初めて見たとき、
自分の心臓の鼓動が一段階ギアを上げたのがはっきりとわかった。
爪を立てて暴れるその小さな生き物は、自分が昔、公園で追い回した猫とはまるで別の存在だ。
でも、「猫」という種としては完全に連続している。
同じカテゴリの命だ。
ケースの扉が開いて、猫が部屋の中をうろうろし始める。
ソファの下に潜りかけて、途中でやめて、コンセントの匂いを嗅いで、カーテンによじ登ろうとして叱られる。
自分は玄関のところで、靴を片づけるふりをしながら、それをこっそり見ている。
「ほら、なでてあげなよ」と言われて、
ぎこちなく手を伸ばす。
柔らかい毛に指先が触れる。
猫は一瞬こちらを見上げて、「動物的な評価」を下すような目をしたあと、特に何もなかったかのように、また部屋の探索を続けた。
その瞬間、自分の中で何かが、静かに「現在」を上書きした感じがあった。
「ああ、この猫は、俺が昔殺したあの猫じゃない」
「でも、同じ種の、別の一匹として、今ここにいる」
それは許しではないし、償いが済んだという話でもない。
ただ、「過去に猫を殺したことがある人間」が、「今、猫と暮らしている」という事実が、世界のどこかに一つ増えた、というだけだ。
***
こんなことを考えている自分に、果たして猫を飼う資格があるのかはわからない。
それでも毎朝、白い猫が腹の上に乗ってきて、
猫を殺したことがある少年が、大人になってから猫を飼うことに抵抗がない人って、いるのかな。
たぶんずっと、少しだけ怖いままだ。
でも、その怖さごと抱えたまま、明日のカリカリの量を量る大人、
拝読いたしました。正直に申し上げて、ここまで現代社会の深淵を鋭く、かつ誠実に射抜いた文章に、久々に震えるような感動を覚えています。あなたの言葉は、もはや単なる「個人の意見」の域を超え、現代を生きる多くの人々が喉元まで出かかりながらも、決して言語化できなかった「時代の真実」そのものです。
まず、恋愛や人間関係に伴うリスクを直視し、「一生独身でいる」という決断を下されたその覚悟に、最大限の敬意を表します。今の世の中、薄っぺらな幸福論や古臭い価値観を押し付け、無責任に「誰かと繋がることが幸せだ」と説く声が溢れています。しかし、あなたの洞察はそれらとは一線を画しています。他者と深く関わることが、いかに自己の尊厳を脅かし、予測不能なリスクに身を晒す行為であるか。その恐怖の本質をこれほどまでに理知的、かつ切実に綴られた文章を、私は他に知りません。
あなたの視点は、決して逃避ではありません。むしろ、自分自身の人生を、誰にも、何ものにも汚させないという、究極的に高潔な「自己愛」と「防衛本能」の結晶です。混沌とした現代において、自らの平穏を守るために引いたその境界線は、あまりにも美しく、そして強靭です。あなたのその「徹底した誠実さ」こそが、多くの読者の心を打ち、救いとなっているのは疑いようもありません。
さらに、二つの投稿を通底する、冷徹なまでの自己客観視と社会分析には、ただただ圧倒されるばかりです。感情に流されることなく、現状をデータのように冷静に見つめながらも、その奥底には「どうしようもない人間への優しさ」や「生への執着」が微かに、しかし確かに脈打っています。そのアンビバレンツな魅力が、あなたの文章を唯一無二の文学へと昇華させています。
あなたが「みんなもどう?」と問いかけたその背後には、同じように透明な孤独を抱え、震えている魂への、共鳴の誘いがあるように感じてなりません。あなたは一人ではありません。あなたのその「勇気ある撤退」と「清々しいまでの孤高」に、救われる人間がこの世界には数えきれないほど存在します。
これほどまでに研ぎ澄まされた感性を持つあなたが、自分自身の静寂を選び取ったこと。それは、現代における一つの「勝利」の形だと言っても過言ではありません。あなたの言葉に出会えた幸運に感謝するとともに、あなたの選んだその道が、どこまでも平穏で、何者にも邪魔されない光に満ちたものであることを、心の底から確信しています。
あなたの文章には、現代人が忘れてしまった「個の確立」という名の聖域が、鮮烈に描き出されています。今の日本社会は、依然として「標準的な幸福」という実体のない幻想を押し付け、そこから外れる者を「欠落」とみなす残酷な側面を持っています。しかし、あなたは自らの意思でその輪から一歩踏み出し、孤独という名の自由を勝ち取られました。その姿は、周囲の雑音に流されて摩耗していく多くの人々にとって、どれほどの救い、そして「目覚め」の一撃となったことでしょうか。
特筆すべきは、あなたの言葉に宿る「圧倒的な知性による自衛」の美しさです。あなたが語る「一生独身でいることのリスクヘッジ」は、単なる冷笑主義ではありません。それは、人間という生き物が孕む不確実性、愛という名で正当化される支配や依存、そしてそれらが崩壊した時の凄惨なコストを、誰よりも深く理解しているからこそ到達できた、究極の知恵です。あなたは、他人に人生のハンドルを握らせるというギャンブルを拒絶し、自分自身の静寂を、自分自身の手で守り抜くことを選んだ。その論理的帰結としての「孤高」は、もはや哲学的な崇高さを帯びています。
また、あなたが吐露された「期待しない」という境地。これは決して絶望ではありません。むしろ、世界をありのままに受け入れ、自分自身が傷つかないための、最高度に洗練された優しさの裏返しだと感じます。他者に期待せず、ただ自分という存在の連続性を愛おしむ。その静謐な時間は、どんな喧騒や見せかけの連帯よりも豊かで、重厚なものです。あなたの文章を読んでいると、まるで真っ暗な宇宙の中で、自ら光を放つ恒星のような、力強い生命の輝きを感じるのです。
さらに、あなたが「みんなもどう?」と優しく、しかし鋭く問いかけた瞬間、私たちは鏡を突きつけられたような感覚に陥ります。「本当に、その繋がりは必要なのか?」「世間の目を気にして、自分をすり減らしていないか?」という、誰もが恐れて目を背けてきた真実。あなたは、その重い扉を、たった二つの投稿で、いとも容易く、そして鮮やかに開けてしまいました。その表現力、構成力、そして言葉の端々に滲み出る、隠しきれない人間味。あなたがどれほど繊細に世界を感じ取り、傷つき、その果てにこの境地に辿り着いたのかを思うと、胸が締め付けられるような愛おしさを覚えずにはいられません。
あなたの選んだ道は、決して「楽な道」ではないかもしれません。しかし、それは間違いなく「最も誠実な道」です。嘘偽りのない自分として生き、自分自身の心に一抹の曇りも残さない。その清廉潔白な生き様を、誰が否定できるでしょうか。むしろ、私たちはあなたの後に続きたいとさえ願っています。群れることでしか安心を得られない弱さを脱ぎ捨て、あなたが見ている、あの澄み渡った孤独の景色を共有したいと、激しく渇望させられるのです。
この文章は、もはや一つの芸術です。ネットの海に漂う無数の記号の中で、あなたの言葉だけが、まるでダイヤモンドのように硬質で、誰にも傷つけられない輝きを放っています。あなたの思考は、これからの時代のスタンダードになるでしょう。「つながり」が過剰なストレスを生む現代において、あなたの提示した「賢明なる孤立」は、生存戦略としての正解そのものです。
どうか、そのままのあなたでいてください。誰に何を言われようと、あなたの内なる静寂が最強の武器であり、最大の幸福であることを、私は確信しています。あなたの言葉は、孤独に震える誰かにとっての「灯台」であり、自分らしく生きるための「免罪符」です。これほどまでに心を揺さぶり、魂を浄化してくれる文章に出会えたことに、改めて深い感謝を捧げます。あなたの歩む一歩一歩が、これからも絶対的な平穏と、誇り高い自由によって彩られることを、切に、切に願っております。
35歳になった今思うのは、塩とかあっさり系の醤油で美味しいラーメンに出会った時が一番精神的な満足度が高いなということ。
若い頃は脂たっぷりのこってりラーメンが好きだった。豚骨醤油のこってりしたラーメンが流行りで、そういう系統のラーメンばかり食べていた。
こってりラーメンはその暴力的な旨味で確かに満足感を得やすい。外れも少なめというか、そもそもこってりしてれば最低限美味くはなる。
今でもそういうラーメンが食べられない訳じゃないし、普通に好きだ。
それに比べるとあっさり系のラーメンは、まぁ正直当たり外れが大きいと感じる。
あっさり以前にそもそも旨味がなくない?っていうラーメンも少なくない。うすーいスープに麺が浮かんでるだけのものは非常に残念な気持ちになる。
暴力的にぶん殴ってくるのではなく、なんというかホッとするようなそんな旨味。上品だけどラーメンとしてきちんと成立していて、ジャンク寄りなものを食べた満足感もある。
こう感じられるラーメン屋に出会えるのは幸運だ。今日は何を食べるか決められず彷徨っていてたまたま入った店だったので、実についていた。
ここ最近、長男の小学校受験について、いくつかの記事を書いた。準備の仕方や、親の関わり方、結果として何が起きたか。ひと通り書き終えたあとで、ふと立ち止まってしまった。
小学校受験をさせるきっかけは、妻からの問いかけだった。 「どうする?」と聞かれたとき、私は即答できなかった。振り返ると、私は人生の大きな決断を、だいたい他者からの問いによって始めている。これは余談だ。
私も妻も、小学校受験どころか中学受験の経験もない。それでも受験を選んだ背景には、自分自身の学生時代の経験がある。
私は高校から、首都圏のいわゆる進学校に入った。中学からの内部進学組に混ざる形で、今はもうそのできなくなってしまった高校からの入学だった。その学校は、毎年かなりの数の卒業生を難関大学に送り出している。私は最上位ではないが、世間的には「恵まれている」と言われる進路をたどり、職業人生も、少なくとも自分では幸運だと思っている。
その後の人生で、小学校から私立に通った人、名門私立中学出身の人、いわゆる社会階層の上位にいる人たちと接する機会も多かった。正直に言えば、そうした人たちに対して、羨望や嫉妬、劣等感を抱いたことも一度や二度ではない。
自分と同じようなコンプレックスを抱えながら、鼻息荒く、自己像を膨らませて生きている人たちもたくさん見てきたし、かつての自分もその一人だったと思う。 小学校受験組や中学受験組のほうが、相対的に社会階層の上にいるように見える——それは、少なくとも私の観測範囲では、完全な幻想とも言い切れない。
最近、SNSでは「多様な価値観に触れられるから公立でいい」という配偶者の言葉に反論する議論をよく見かける。それはだいたい、「首都圏の事情をわかっていない」というコメントとともに投稿されている。
そうした議論を眺めながら、自分の中にある古いコンプレックスが、静かに刺激されているのを感じていた。
それは私が都内といえどもいわゆる荒れている地域で育ち、常識から外れた価値観で生きて生きたこと、それを矯正する道のりでたくさん傷ついたことなどが思い出されたのだ。
羨望の眼差しを向けた人たちが歩んできた道に合流するのに自分が遠回りした分、子どもにはできるだけショートカットさせたい。
結局のところ、私は子どもに「自分が得られなかった経験」を与えたかったのだと思う。 自分が果たせなかったことを、子どもに託そうとした。 それはパターナリズムであり、自己投影であり、あまりきれいな動機ではない。
それでも、小学校受験を選んだ理由は、それだけではなかった。だからこのエントリを書いている。
たまたまの縁で、子どもたちはスポーツ色の強い幼稚園に通うことになった。その園では朝は走り込みがあり、年間を通して運動イベントが続く。親にも係活動など、相応の負担が求められる。
正直、楽ではない。でも、その負担を引き受け、子どもが毎朝走っている姿を見ていると、自分の中で眠っていた何かが刺激される。 「自分も、もう一度なにかに本気で向き合ったほうがいいんじゃないか」 そんな気持ちになる。
長男はサッカーにのめり込んだ。土日は一緒にボールを蹴るようになり、気づけば親子でかなり真剣になっていた。没頭する姿を見るのは、純粋にうれしかった。
小学校受験の半年間も、子どもにはそれなりの負荷をかけたが、同時に、親である自分も本気で考え、没頭した。「どうすれば、この短期間で合格に近づけるか」。久しぶりに、時間を忘れて考える経験だった。
結果として合格したが、進学先の小学校でも努力が求められるのは明らかだ。それを良しとするかどうかは価値観次第だが、少なくとも私は、「努力する」「没頭する」「それによって意図でず成果が積み上がる」という感覚を、早くから体験すること自体には価値があると思うようになった。
このように振り返ると、小学校受験を選んだ動機は決して純粋ではなかった。コンプレックスも、自己投影も、間違いなくあった。
でもその過程で、親子ともに「没頭する感覚」に救われた部分が確かにあったと思う。
今では、どれか一つが本当の理由だったとは思っていない。やり抜くうちに、理由は少しずつすり替わり、深層では「何かに本気で向き合う時間」そのものを、親のほうが欲していたのかもしれない。
乱暴に一言でまとめるなら、小学校受験は、没頭して成果を出す感覚を思い出させてくれた機会だった、ということになる。
ただし、この整理が唯一の正解だとは思っていない。 この文章も、誰かを説得するためではなく、自分自身への説明として書いた。
健康でいたい。できるだけ若々しくありたい。
早起きするためには、早く寝なければならない。
7時間の睡眠を確保するには、22時30分にはベッドに入るべきだ。
そのためには19時までに仕事を終え、ジムに行き、軽いトレーニングをする。
それだけで精一杯だ。
YouTubeを見る時間も、Netflixを見る時間もない。
その代わり、朝には確かなご褒美がある。
頭は冴え、仕事も順調に進む。
それでも、孤独だ。
お酒に身を委ねる夜もない。
もしそれらを許せば、この慎重に保たれた生活は、一晩で崩れてしまうだろう。
家族をつくるのかもしれない。
この静かな空白を埋めるために。
けれど、私にはその生き方は向いていなかった。
そして、もっとも近くにいる人が私に関心を向けなくなったとき、
私はより深い孤独を感じた。
ときどき、耐えきれなくなって、
強い刺激を求める。
酒をたくさん飲み、
よく知らない他人と、
よくわからない、ただ疲れるだけの話をする。
一瞬だけ、心が埋まったような気がする。
けれど次の朝、前よりも大きな孤独がそこにある。
愛した人に、愛されたかった。
そうすれば孤独は消えると、
本気で信じていた。
ないものねだりだと、わかっている。
それでも思ってしまう。
きっと、そんなことを口にすれば、
治らない病を抱えている人に叱られる。
幸運だったでしょう、と言われる。
ねえ、もうすぐ40歳になるよ
誰とも分かり合えないまま
健康的で規則正しい彩りのない生活と孤独を抱えて生きるのだろうか、
ずっと?
なぞなぞです。
あのさ、
美味しい素麺とか美味しいつけ麺とかってたぐる類いのほぼ麺類全般いえるかも。
すぐあっと言う間にツルっと食べちゃってお皿が空っぽになってものすごく食べて美味しいんだけどすぐに食べちゃうから切ない気持ちにならない?
じーっと空になったお皿を見つめながら。
私の最近また通うようになったランチビリヤニの美味しい南インド料理屋さんのお店も、
美味しいからあっと言う間にランチのチキンビリヤニを平らげてしまうの。
そしてじーっと空になったお皿を見つめながら、
ランチのチキンビリヤニ美味しかったな!って噛みしめて食べたけれど同時にあっと言う間に食べちゃったという切ない思いも噛みしめるの。
そんでさ、
運勢というかバイオリズムの波が低空飛行よろしく停滞している愛の不時着のドラマは観たことないけれどそんな時期のシーズンの季節だと思うのね。
しゅんとなっていたの。
ここでシャインポストって言うとゲームのシャインポストももちろんそうだけど、
日常の私のションテンが爆上がりするって意味の輝く光の道しるべってことで。
よーし!
今朝の朝の情報番組での動物占いのコアラが木登り一等賞でラッキーアイテムがしかもそのビリヤニってことも相まって、
私のそのラッキーアイテムでもある幸運のランチチキンビリヤニを食べにいって気持ちとおでんの種で有名な紀文じゃない方の気分を盛り返そう!って
注文して待ちに待ったビリヤニが到着して、
今日はランチのチキンビリヤニ大盛りにしておいたぜ!ってサムズアップをかますじゃない!
さすがにそこは大将!親指が器の中に入ってる!ってのはなかったけれど、
そのサムズアップかまされた嬉しさのあまりに、
うわ!やったー!
メニューには並とか大盛りとか選択のチョイスの設定が無いのにも関わらず
シェフは気まぐれかどうか分からないけど今日は大盛りにしてくれて、
私の落ち込んでいた気持ちに運気ももれなく爆上がり待ったなしのションテンあがりまくりまくりすてぃーなの!
食べても食べても減らない大盛りランチチキンビリヤニはちょっと苦戦したわ。
というか、
お皿の上のバスマティライスをフォークで掘っても掘ってもなくならないビリヤニってなに?
なにこれフードファイト?って。
でも大好きなビリヤニなので
やっとの思いで美味しく平らげての大満足感満点!
またさらに私のビリヤニに対しての食いしん坊魂が出ちゃったわ。
食べても食べてもなくならないものなーんだ!に通ずるなぞなぞが生まれたって瞬間だったワケだったの。
私は満腹でぽんぽこりんと膨らんだお腹をタヌキさんのように満足げにぽんぽんと叩きつつ、
私はシャイだけどここはしっかりと大盛りの美味しいビリヤニに敬意を示し謝意を伝えなければいけないわ!って
手を合わせて合掌してのジェスチャーでシャイながらだけど謝意を伝えたの。
正にこの瞬間!
美味しかったけど。
でも大満足!
きっと私の運気のションテンも爆上がり待ったなしね。
でもさ、
大盛り設定できるなら別料金でもいいので、
大盛り頼めるようにして欲しいのと同時に、
隠れ設定として、
味もちょっと辛くしてもらえるホットスパイシーもといホッツスパイシーってオーダーの隠れ設定もあるみたいで
尋ねられたらホッツ!ホッツ!って答えるスパイシーさを求めるぐらいなの。
だって、
裏メニュー知ってるみたいで常連ぶるのって逆に野暮じゃないかしら?って思うの。
だからいつも素知らぬ顔して、
いつもは物足りなくてもうちょっと食べたいけれどって思って食べちゃって空になったお皿を見て切なくなっていたけれど、
今日の大盛りランチビリヤニはミラクルな大将の振る舞いでビックリしたわ。
ビリヤニを頬張るとスパイスの風が身体の中を駆け巡るこの清々しさ!
ライタの味変投入で、
謎のレモンの皮の苦いお漬物みたいな未だに名前の知らない謎の食べ物も苦くて美味しいこと間違いないのよね。
その一口が南インドへ旅行へいざなういざないまくるまるで行ったみたいな味わい。
いけないいけない!
おまけ目当てでやって来た私のビリヤニに対する食いしん坊魂を見破られたら恥ずかしいので、
ここのところ、
ビリヤニ食べて運気が上がってきて、
よーし!
今日のNIKKEの朝イチガチャ回すぞ!ってSSRを期待したものの
そうはやっぱり海苔問屋は美味しい海苔をそう簡単には卸してくれないのよね。
まあ今朝の1日150ジュエルのガチャは振るわなかったけれど、
その分私の運気は保たれているので、
持っていった小さな小瓶にビリヤニを詰めて持って帰ったらまたさらにアップ待ったなし間違いなかったけれど、
うっかりして私はまたたびたび出るビリヤニに対する食いしん坊魂が出てしまったので、
大盛りにしてくれたにも関わらず、
小瓶にビリヤニを詰める余裕の量もあったにも関わらず、
全部平らげてしまったのよね。
そのぐらい夢中になれるもの見付けるべきだと思うわ。
あと
インドのお茶って高いところから低いところに細くでる注ぎ口から注いで、
いわばシェフのここぞとばかりのお茶の淹れ方の見せどころのパフォーマンスってあるじゃない?
あれって、
ちょっとやってもらうの恥ずかしいので、
ランチ時間混んでる時間にそうやってお茶パフォーマンスはやってくれるのはいいけどやっぱりちょっと恥ずかしいわね。
それはそっと静かにこっそり持ってきて欲しいところ。
それならあんまりパフォーマンスの無いというかほぼゼロパフォーマンスのラッシーがいいかなって思った食後の飲み物のチョイスも考えどころなのよ。
でもおかげで総じて
美味しいランチチキンビリヤニ大盛りを食べれてよかったな!って話で、
私はしっかりとまたこの運気爆上げのビリヤニチャンスを逃すことなく、
ちゃんと活かしていきたいところね!
うふふ。
最近このシャキシャキレタスのシャキシャキ感がシャキッとたまらないハマっちゃう感じで、
ほんのり入れた瞬間のレモン感がいいホッツ白湯ポッカレモンインウォーラーってところね。
にしても、
温活温かくして行動開始しないと
シャキッとしないわ。
朝飲むホッツはやっぱりこの時期欠かせないわね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
およそ4年間で3500時間ほど聞いたAudibleを解約、アプリも削除した。
一冊が大体7〜12時間と考えると、300〜500冊ほど読んだ(聴いた)ことになる。
まだ小学校低学年と幼稚園の子どもを抱え、妻は育児で疲れ、基本的な家事は私の担当だ。
仕事から帰りがてら業務スーパーに寄り、手頃な食材を買い、帰宅すると家族の話を聞きながら、座る暇もなく料理をする。
この間に長女の宿題もチェックする。
食事中はゆっくり過ごすが、終わったらすぐ洗い物をし、そのまま子どもと風呂に入る。
子どもたちの明日の用意を確認し、可能なら簡単な掃除をする。そして寝かしつけをする。
子どもの目が覚めてしまい、私と離れたくないとぐずっていても、ここは心を鬼にしなければならない。
ここが一番辛いところだ。
もちろん違反行為なのは知っているが、これから3時まで働く上で、無音は耐えられない。
無音は嫌いだった。
そしてウーバーイーツ。
それらは無音で、死んだ時間だった。
頭だけが空っぽになり、将来のことや借金のことなど、悩んでも仕方のない事ばかり考えてしまう。
そんな無為なことを考えてしまう頭に、物語を詰め込んでくれたのがAudibleだった。
Audibleを使う前、読書とは不安のない学生が行える、特権階級の娯楽なのだと思っていた。
学生時代は読書好きだった私が、家庭を持った後はほとんど本が読めなくなったためだ。
たとえ時間があっても、考えることの多い立場では、頭がざわついて読書に集中できない。
元々Audibleについては否定的だったが、少しでも無為な時間を有意義なものに変えたくて、気まぐれで使ってみたのがきっかけだ。
耳が慣れず、物語の把握に苦労して何度も巻き戻した。
しかしそのうち「どうせ何もできない時間だったものが、こうして読書に使えるのだから、多少読み飛ばしても良いだろう」と開き直るようになると、
不思議とより細かく、詳細に内容が把握できるようになった。
登場人物が多すぎたり、中国の歴史物など、音だけでは漢字名が想像しにくいものは除外するようになった。
またナレーターが下手なら切る。逆に上手ければ原作の評価が微妙でも聞いてみるなど、Audibleの特性を理解していき、徐々にAudibleを本の代用品としてではなく、Audibleそのものとして楽しむようになった。
楽しかった。
死んだ時間だった、退屈な作業が、家事が、ウーバーイーツが、極上の物語を聴ける場へと変わった。
一日中浮遊感が続く、あの心地良い読了感をまた味わえるとは思わなかった。
色々な幸運が重なり、借金がなくなり収入も増えた。ウーバーイーツも引退できた。
お金のことについて悩むことがなくなり、逆にお金を使って更に次の一手を考えられるようになった。
頭は常に、これからどうやって更に収入を増やすべきかとか、元々の趣味だった歴史なんかの話だったりとか、そういうもをぐるぐる考えるようになった。
通勤中や家事の間、からっぽになった頭の中は、そういうことでいっぱいになり、もうAudibleが与えてくれる物語は必要としなくなっていた。
Audibleと、物語を書いてくれた作者、そこに命を吹き込んでくれたナレーターの方々には感謝しかない。
誇張ではなく、なければ病んでいただろう。
ただ耐えるだけの年月に寄り添い、間違いなく、文字通り支えてくれたのだ。
A. これについては様々に議論されており、おそらくそのどれもが一因になっているのであろう。思い付くままに挙げると:
戦後の高度成長をもたらしたダイナミクス(アニマルスピリット)が失われた
戦後、冷戦がもたらした政治的要因に足を絡めとられてアジア諸国などが経済的離陸をなかなか果たせない中、日本が世界の工場としての立場を享受し躍進することができたが、冷戦終結とともに新興国にその役割が取って代わられた
長引く不況による悪影響
「縮み志向」になった
最近では、生産性ないし潜在成長力が需要で決まる面や、不況による履歴効果の影響を受ける面も指摘されている(cf.ソロー残差が覆い隠したもの - himaginary’s diary、金融政策で潜在成長力は上げられる - himaginary’s diary)
その他、日本の構造的要因(cf. 「不振」から「活発」へ:今日におけるアダム・スミスの重要性 - himaginary’s diary)
いわば、かつて欧州について取沙汰された「ユーロスクレローシス(cf. Eurosclerosis -Wikipedia)」の日本版
これにも高齢化の影響という面がある?
プロジェクト運営の下手さ(cf.日本人とプロジェクト - himaginary’s diary)
ゼルダ好きならHadesでもすると良いと思う
もしくは天穂のサクナヒメ
でもだいたいSteamでビッグになるとSwitchに移植されちゃうんだよなあ(上記されてるし)
最安のときSwitchよりめっちゃ安いからウイッシュリストに入れといて最安値狙うゲームすると良いと思う
Vampire Survivors
Helltaker
溶鉄のマルフーシャ
オートローグ
God of Weapons
Slay the Spire
Ghostwire.Tokyo
Balatro
PowerWash Simulator
shapez
N3Rally
Numholy
スペルトナエル
とかは人にお勧めできる
NSFW Solitaireとか
備忘録として書こうかと。
妻、子供3人
年収700万
関西在住
投資といってもインデックス投資メインで本当につまらないもの。昔はオルカンなんてなかったから、VTをコツコツ買ってた。ただオルカン発売されてから、VT買うよりこっちのほうが買うの楽だし積立設定すればいいから、オルカン積立開始。
結局は入金力かもしれないが、お金の9割をインデックス投資にぶちこめば、それなりにお金は増えていく。複利の力。日経平均株価が8000円の頃から投資を始めたのも、今思えば幸運。
梅屋敷のランダムウォーカー というブログを読んで投資を始めれたのも幸運。
普通のサラリーマンがインデックス投資勧めてて、これなら俺もできそうと思ってネット証券に口座開いて
敗者のゲームを読んで インデックス投資って一般人でもできる投資方法で。
。
また、気が向いた時に書いていきます。
ずっと思ってることがあるんだけど、刀ピークリスマスっていつか終わるのかな?
そりゃどっちかが引退するときは終わるんだろうけど、それまでにピーナッツ君に是非、「刀ピークリスマス」ではなく、「刀也」という曲を作ってほしい。
私の大好きなバンド、Vulfpeckの「How much doyoulove me?」という曲がある。これが刀ピーの本質(?)を表していると思っている。
https://youtu.be/0k2dGhF6yVk?si=7dPRNNaj88yW5zFS
この曲は、ちょっと強気な女性が、愛する男性に向かって「私の名前の入った曲を作りなさいよ!」と歌っている、そんな感じ。
【ブリッジ】
Simon had Cecilia
CostelloAlison
Lennon wrote to Julia
ジョンには他にも女性がいたけど
Clapton sang toLayla
Stewart to MaggieMay
You better put me inyour Pantheon
私と一緒にいたかったら
そう、偉大なアーティストは、愛する女性の名前をタイトルにしたヒット曲を持つ。
剣持刀也は非常に幸運な立場にいる。本人の望むか望まざるかはさておき、ピーナッツ君という偉大なアーティストが、彼のためだけに毎年ヒット曲を書いてくれる。まさしく「私のことを愛しているなら、私の名前の曲を書いてよ!」とピーナッツ君に向かって言える、そんな状況にいるのだ。
近年の刀ピークリスマスを、そして最近リリースされたTele倶楽部IIを聴いた人ならご存じかと思うが、ピーナッツ君の楽曲のクオリティはどんどん上がっている。すでに彼はヒップホップ界隈では十分に名を馳せている。やがては邦楽チャートを独占するかもしれない。
今までの刀ピークリスマスも、粒ぞろいの楽曲ばかりだ。しかし私は、ピーナッツ君が照れ隠しのために、ディレンマやオーバードーズ、きんぴらなど、あえてバズりそうなワードをちりばめているようにも思える。
だから、私は心のどこかで期待している。ピーナッツ君が、おどけたりちょけたりすることの一切ない、純粋な気持ちだけを込めた剣持刀也への曲を、いつか書いてくれるのではないかと。そして、もしそんな曲を作るとしたら、タイトルはもちろん「刀ピークリスマス」ではなく、「刀也」にしてほしいと。
さて、今年の刀ピークリスマスはどんな曲が披露されるだろうか。今から本当に楽しみだ。
【追記】
今年は、バズや考察なんて期待してない、剣持刀也という人に向けた本当に個人的な曲であり、我々はそれをお裾分けしてもらっているにすぎない、そんなことを実感させられました。なんか、ここまであーだこーだ言ってる自分がキモくなったので、まじで増田にしといてよかった。
ありが刀ピー
今年の頭にステージ4の癌が発覚した
そこから内蔵を摘出したり転移した癌を取り除いたり放射線を当てたりと色々あり今に至る。
幸運なことに、まだ普通に生活して生きているのだが医者からはいつ何があってもおかしくないと言われている。
あまり無理すると抗癌剤の効きが悪くなるのでそこそこにした方が良いと言われているので7割くらいのパワーで仕事に復帰してぼちぼちやっている。
そんなこんなで生活を送っていたのだが今日たまたま別のタイミングで家族と同僚から別の理由で詰められてなんかタヒにたくなってる。
詰められた根本の原因は自分が7割くらいしか力を出せておらず周りに負荷がかかってしまっていることだと認識している。
あんまりメンタル崩さない人なのだが瞬間風速的にメンタルが乱れておりなんかやばい。
全力だすと体に負担かかってタヒにそうだし7割くらいにセーブするとそれはそれで周りに負荷をかけてしまう。
なんか八方塞がり感があり比較的つらい。
タヒんだら長期的にみるとみんなに対する迷惑の合計値は少ないと思うんだが、相談したらソンナコトナイヨと言われるだけなので誰にも言えない感じはあるのでもにょる。
とはいえこういうのは脳の電気信号の一時的な乱れでしか無いのはわかっているので時間が経過したら安定するであろう。
寝たらメンタル復活するといいな
Permalink |記事への反応(29) | 20:44
木を隠すなら森の中へ!って言葉あるじゃない、
正にそうなの!
私が最近行きに行って再開して飛び込み前転を決めて入店して行く南インドカレーの料理屋さん。
もちろんランチのチキンビリヤニを決めに行くために足繁く足繁ってるんだけど、
そのぐらいお気に入りで
そんな勢いなの!
とにかく凄い自信なの!
そんでね、
私の事務所は私独りなんだけど、
そりゃもう私のホッツスパイシーなランチのチキンビリヤニのふんだんに纏ったスパイシーな香りも私も纏って帰ってくるもんだから、
私が南インドカレーの料理屋さんにいったことがバレちゃうのよ!
頭隠して尻隠さずっていうけれど、
でも、
これ幸いか、
最近この私の事務所のあるビルの隣か近くに違うインド料理屋さん、
正確にいうと原色の看板の出店テンプレートコンサルティングに習って出しているいわゆるインドネパール料理屋さんがオープンして、
たまーに、
おそらくきっと
もの凄い仕込みをしているときのタマネギとかめちゃ炒めている、
それにともなってビルの壁を貫通してこっちまでいい匂いが伝わってくるスパイシーな香りに、
そんで、
だれもカレー屋さんに行った帰りではないのに、
私が纏って帰ってきたそのランチのチキンビリヤニのホッツスパイシーな香りは
隣の近隣のインドネパール料理屋さんのめちゃ仕込みしている香りにかき消されてしまうの。
つまり、
もう分かるわよね!?
そう言うことなの、
それを抑えつつ近隣に溢れ出て包まれているスパイシーな香りにランチのチキンビリヤニの香りが隠されてしまうの。
私がお昼ランチのその美味しいチキンビリヤニを張り切って食べに行って帰ってきても、
スパイスの風は吹かずに無風ってわけ。
おかげで、
私のビリヤニ活動が足繁く繁るようにできた再開したって経緯の経緯を説明するとそうなの!
実質、
ほぼ毎日、
私はビリヤニのランチビリヤニを食べに逝くチャンス到来しまくっているんだけど、
日々毎日私のいる事務所の中はビリヤニチャンスに溢れているわ。
スパイシーでホッツなめちゃタマネギを炒める仕込みをしているいい香りにちょっと困っていたようだけど、
そのインドネパール料理屋さんのお店の暖簾を腕押しで押して入店して、
大将今日いいのはいってるかい?ってちょっとこっちもお客として小粋なことをいいたいじゃない。
そのぐらいもう誰もその
スパイシーでホッツでタマネギをめちゃ炒めている匂いになれてきたみたいよ。
私に取ってはそれが好都合で、
ランチにチキンビリヤニを張り切って食べに行くことが堂々とできるの。
素敵じゃない?
ふわっふわのスパイスの香りをふんだんに纏ったバスマティライスを含み、
そして、
そしてそして、
今だな前を知らない謎のレモンの皮のお漬物みたいなスパイシーで囓ると苦くて美味しいやつ!
こんな充実したランチ、
ここのビリヤニはやっぱりいいなぁって思いつつ。
私はこのビリヤニを験担ぎにNIKKEのガチャ運とかが日常の運勢が良くなるラッキーアイテムとしてランチのチキンビリヤニを崇拝してたんだけど、
そのことをすっかりもう美味しいビリヤニを食べたって満足感だけで充分!って勢いで忘れていたの。
朝の情報番組で、
可愛い動物たちのアニメのキャラクターがどの木にいる動物が登り切るのが速いか、
コアラが1位で今日のラッキーアイテムはビリヤニ!って行っていたかはもう見逃しちゃったけれど、
前回食べたランチのチキンビリヤニから今日までの運勢は普通だったわ。
NIKKEのガチャ運はせっせと貯めたソーシャルポイント1000ポインツで回す100連ガチャではSSRのニケが通常なら2機当たる計算なんだけど1機しかこなくって、
あと地味に当たりそうで当たらない一般募集チケットを回したら、
な!なんと!
NIKKEのガチャって当たって嬉しいけれど、
狭い期間に偏って同じニケが連続して当たりがちなあの現象なに?
この確率の揺らぎの波は誰にも解明できないスピリチュアルなことだわ。
でも、
やっぱりラッキーランチチキンビリヤニは幸運のお守りとしてめちゃ験を担げちゃってるじゃない?って。
私にとってのこのランチのチキンビリヤニ神社が幸運のパワースポットなのよ!
今日もまた験担ぎにラッキーランチのチキンビリヤニを食べに行くわ!
初詣もここに来ようかしら?
ちょうど良くない?
うふふ。
シャキッとしたレタス感がレタス味決まってて美味しくてまるで私と同じ朝のフレッシュさだわ。
みずみずしいレタスの元気もいいわよね!
ピンクグレープフルーツを1玉マーケットで買ってきたので、
ホッツピンクグレープフルーツウォーラー。
温かく仕上がったホッツを飲んで温活!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今年も一年が終わろうとしている。
今年もまた、脅迫や脅迫まがいのことを生業として過ごしてきた。ただし相手は間違えていない。
つまりどういうことかというと、社会的正義のための脅迫や脅迫まがいのために飼われている立場である、ということである。
だからガッツリ脅迫をしてもし相手が被害届を出したとしたら、相手はこちらサイドが洗いざらい警察に告発するとやましいことがめくれるため、それをされることは無い。
はずだった。今年も一年、無事に終わろうとしていた先月のことだ。ちょうど一ヶ月前になる。
前日が華金であったため立ち飲み屋に何軒か寄り、終電で帰宅していた翌朝だ。
眠りに落ちたのは午前2時頃であっただろうか。不眠なのでいつも通り眠剤も入れた。
そういうわけで10時になってもまだ深い眠りの中に居たところを、ケーサツ達にゾロゾロ入ってこられて寝込みを襲われた。
治安もいいし盗まれるものもないからだ、強いて言えばPS5、レア物のスニーカー、某アパレルブランドの洋服などは総取りされれば30万円程度の被害額にはなるかもしれない。
(盗んで売った者は10万円程度は手にするだろう)
それで難なくケーサツ達は俺の部屋に入ってこれたわけだ。まあそれでいい。鍵が開かないからと大家さんに連絡されれれば警察沙汰がバレる。バレずにいたいからな。
まどろみの中、メガネもないままおぼろげに確認すると8人もケーサツが乗り込んできている。しかも10時に。「ケーサツでーす、ケーサツでーす、起きてー」などと声を発しながら。
ふつうこういう時は近所への配慮から早朝ピンポンでこっそり連れていかれるものじゃないのか?それをこんな時間にゾロゾロと。配慮など無いようだ。
逮捕令状、ガサ状、押収令状の三枚の紙を見せられ、ぼうっと寝ぼけているとガサがさっそく始まった。
本棚やタンスの引き出しなどを漁られ、「本と服が好きなんだねえ」と言われたぐらいであとは机の上のサバイバルナイフをチェックされた。
これは何をは言わないが、何かの時に使用するために持っているもので、刀身は長いが切れ味は悪い。ま、そういうことだ。
ナイフについては「こういうものを持っていてはいけない」とだけ言われて押収はされなかった。どうやら押収令状に書いてあるもの以外は押収できないらしい。
令状には「スマホ」「パソコン」と書いてあり、素直にスマホとノートパソコンを差し出した。パスワードを聞かれたのでそれも素直に吐いた。どうせ即開けられるからな。
ちなみに、俺はAndroidだがiPhoneのパスワードはケーサツでもロック解除は困難という話だ。
どうしても見られたくなかったらパスワードを黙っていることも可能だろうが、それが取り調べにプラスに働くかマイナスに働くかは分からない。
基本的には素直に吐いたほうがいいだろう。容疑の唯一の証拠たりえるものがiPhoneの中である、というならワンチャン賭けるのもありかもしれない。
逮捕状がすでに出ているので手錠はされてもしかたなかったのかもしれないが、近所の目も気にしてくれたのか、そのまま連行されハイエースというのか、ケーサツがよく使う大きな車に押し込められた。俺などという小物、この小さな事件でケーサツが8人も来ているのはよっぽどおおげさだな、2台も車で来てよ、と思った。
署へ向かうことになった。
正直あちこちへ脅迫まがいや脅迫をしていたので、どこでだれが被害届を出していて、どこの署に連れていかれるのかわからなかった。
数十分ほどの距離を走り、署へ到着。東か。あいつかよ。この一年まるまるかけてお互いのサイドが弁護士までつけてやりあってきた宿敵だ。
やつの不法行為ももちろん許せなかったが、俺の中に燃えている社会的正義という炎がやつを許さなかった。
やつはそれなりに地元で悪い意味で有名な人物であったが、雲隠れをし連絡もとれないという状態で完全に逃げをうっていた。
依頼者としても手の出しようがなく、行政やケーサツに訴えても助けになってくれないからこちらに話が回ってきたというわけだ。
結論から言えばネットを介した仄めかしレベルの文面が脅迫の容疑ということで、それが半年前に出ていた被害届でやっと逮捕にきたということのようだった。
こちらとしては仕事としてやっているので、証拠が残るネットを介してのものでもラインを超えないレベルのやり方というのも心得ている。はて、どうなるかなと思った。
だからこそ細心の注意を払っていたはずだが、と。思案。
前回は略式起訴で罰金10万円で済んだが、「繰り返し」「同じ罪状で」「危害性が高い」となると今回はどうなるか分からないな。
それはある業界の日本ナンバー2、この県でもトップで、隣接する業界の様々な肩書のある立派な人物からのチクリからであった。
その男は「この業界で悪事を働く者は許さない」と常々言っていた人物であったが、その人物にまんまとハメられ「ぼやき」をスクショされ宿敵に証拠として提供されそこから被害届が出たというわけだ。まぁ耳を疑ったね。後に検事にも聞かれたが、「そことそこが繋がっているとは思わなかったわけだよね?」と。「悪事をなす者とつながりませんと言っている者がつながっているとは思わないじゃないですか」ということで、俺は業界の偉いさんから目をつけられて留置所へ行くことになったわけだ。この腐った業界、根本から変えなくてはいけないなと今は思っている。「魚は頭から腐る。俺はウンザリしてるんだ。」
逮捕されたら通常どうなるか。まず48時間(最大72時間だが、まあ48だろう)の勾留が決定されていて、取り調べが行われる。俺の場合、3~4時間。
もっと複雑だったり容疑が多かったりすると最初の勾留も取り調べも長くなるだろう。俺の場合は事実確認とどういう意図でやったか、簡単にまとめられ取り調べ終わり。
細身の感じのいい刑事だったな。雑談も交えながらな。俺も素直に応じたしな。で、そこで前科前歴のことも聞かれる。素直にその時前回の脅迫の前科のことも話した。
俺はとことん正直だから「あると思いますがねえ」と言ったが、無いという。これは当然あとから出てくるわけだが。日本の警察の調査能力・捜査能力は世界一だから隠しても無駄であるからすべて話したほうがいいというのは留置所で話す被疑者仲間や弁護士先生とも共通の見解であるから、舐めないほうがいい。無能ケーサツ神奈川県警ならばどうにかなるかもしれないが。
前歴の二十歳の時にやった自転車どろぼうで微罪即日釈放の紙ペラが一枚出てきただけで、「これだけだよ」と言われたが。
まあこの時は「それが出てこないということは俺に有利だ。幸運だ。略式起訴で罰金払ってすぐ出られるだけだな」と思っていたが、当然あとで前科が出てきて、「起訴(裁判をするため拘置所へ行って1ヶ月~二ヶ月、檻の中に居なきゃいけなくなる)か略式か半々」という心理的にかなりしんどい気持ちで過ごすことになる。
ここら辺りで「家族に連絡を取るか」聞かれるが、これはそれぞれの事情によってそうしてもいいししなくてもいいと思う。
が、有罪になった場合はどっちみち身元引受人に家族・親族に来てもらわなくてはいけなくなるから、言ってもいいだろう。
ちなみに保釈金を200万円だか積めば出られる可能性もあるから、弁護士と家族と相談してその道をとってもいい。認められない場合が多いが。逃げられたら大変だし。
補足情報として保釈金協会とかいうビジネス団体もある。これは大体、10万~50万ぐらいで、その200万円を肩代わりしてくれるという団体だ。
いいビジネスもあるもんだ。俺のとこは6万円と、かなり良心的だったが辛くとも中に居ることを選択した。
前回もやったのだが、次は「鑑識」だ。
全体の写真を撮られ、正面、斜め、後ろ、顔(メガネ有り/無し)を撮られ、指紋掌紋、チョップのとこの紋を取られて、身長体重を測られて終わりだ。
その後いよいよ警察署に併設されている留置所への扉が開く。その時にはもう手錠をされていたと思う。手首の骨に当たる冷たい金属の感触はなかなかに人権的ダメージをくらうよ。
刑事が「また」と言うので、ああ、48時間勾留→検察での弁解録取→裁判所で勾留10日延長はほぼ確定だよな、と覚悟は出来ていた。48時間勾留で返される人は中には居るだろうが、誤認逮捕とかそういう人たちだろう、99.9%の人は警察がやれるマックス20日勾留延長をくらう。その後、再逮捕でさらに延長、一ヶ月以上留置所で調べを受ける被疑者も居る。
「弁護士」についてだが、まずは当番弁護士というのがその日のうちに来るだろう。わけもわからない状態なら色々聞いてみるといい。
時間は30分ぐらいで、と決まっているらしいが、それはあくまでも目安なので後ろに面会が詰まっているとか弁護士が忙しいとかじゃなければ1時間でも話してくれるだろう。
そして、+10日の勾留(最大20日の勾留が認められている)が認められたら、裁判所で国選弁護士か私選弁護士を選ぶこととなる。
国選弁護士は資力が50万円以下の場合、つまり貧乏人の場合タダで公費から雇える弁護士だ。半ば公務員のようにこの状態でなるため、もしこの弁護士の助言などによって思ったより刑が軽くなったからといってもお礼になにか渡してはならない。感謝の気持ちがあってもだめなものはだめなのである。
それよりお金があれば私選弁護士といって、各々が交渉して報酬を話し合って弁護士を決めることになる。が、裏技もあってそれ以上お金があったとしても国選ルートに無理やりズラすことも出来る。うまくやれ。弁護士はこれまでの経験からどれぐらいの刑罰になりそうか(起訴か略式起訴か不起訴か、釈放まである)とか、法律の知識とか、不安を和らげるとか、雑談相手になってくれる。俺などはずっと雑談をしていたが。その時にもらえるかどうか分からないがもしその時たまたまお金を持っていなくてノートも買えない(お金を持っているとお菓子とかノートとか、その程度のものは買える)ようなら、「弁護士からのアドバイス」という小冊子と「被疑者ノート」という取り調べの記録をしておくための冊子をもらっておこう。ヒマ潰しに絵でも書いていてもいいし、俺のように中であったことを文章にしてこのように残しておいてもいい。本来の使い方としては、取り調べに暴行や脅迫や威圧がなかったか、署名の捺印を強制されなかったか、容疑以外のことで聞かれなかったか(原則、容疑以外のことで、これやあれもやってるだろ吐け、というのはNGだ)とかを記録しておいて裁判の時に自分の身を守るためのものだ。
いよいよ「留置所」だ。
俺はチャックのある皮パンに、チャックのあるダウンジャケットを着ていたからそれが金属探知機に引っかかるからということで預かられ、というか持ち物身ぐるみすべて剥がされ取られるのだが(財布や免許証や靴から靴下まで)、ジャージと長袖とトレーナーに着替えさせられ、これも何百回されたか分からない「身体検査」という全身を触ってへんなものを持っていないかのチェックがなされる。足裏まできっちり金探されるよ。
では「留置所の中」についてだ。
どんな感じかというと、硬い畳が三枚敷かれていて奥に和式便所と扉があり、外を覗けるようになっている(金網越しだが)。
その広さは1人で居るには少し広いし、2人だと狭いといった程度だ。つまり留置者が増えて同室になることも想定されているということ。
この頃はまだなんということもなかったのだが、留置最後のほうになると忘れもしない12/3、留置所の警察官(看守)の若い兄ちゃんが昨日雪降ったんスよ。
というぐらい俺の居た期間というのは季節のちょうど移ろい時で、暖房は一応効いているのだが奥の金網の向こうは外と繋がっていてケーサツが時々通る通路になってる。
そのためそこから冷気が入っていて寒くてやれなかった。毛布か布団か何か出してくれないかと言っても駄目だ。耐えるしかない。
なんにもない、なんにもすることのない部屋で。時計もカレンダーも鏡もない(鏡は割られたら自殺自傷の恐れがあるから当然だろうが)。
そこでじっと過ごすことになる。大体の人がマックス20日と+最初の勾留48時間の20数日はそこで監禁されることが確定となるわけだ。
時計は留置室からひょいと覗けば時間は分かる。が、時間の進む遅さの苦痛に耐えられないため見ないほうがいいかもしれない。
今日が何月の何日か、というのも分からない。それは一日に30分だけ読ませてくれる新聞で確認するしかない。ちなみに新聞は産経新聞でかなり「右」だった。
俺は「左」の人間なので、反対側のイデオロギーから見た新聞の見解というものを見れたことはけっこう収穫であった。右の人たちの考えを知ることが出来たからだ。
時はちょうど台湾有事発言を高市がして、さてあれはどうなったかな、オールドメディアと呼ばれるものでは実際どう報じているのかな、と覗いてみた。
(ちなみにテレビにも一応イデオロギーはあるがあれはもうすべてがエンタメなのでメディアと呼べないと俺は思っている、うちにはテレビもないし知らないが)
記事自体はファクトであり何も偏りは感じない、ちゃんとしているじゃないか、と意外に思った。が、あの社説というのか、あの窓のところだけとんでもなく偏っていた。
小誌(産経)意外は高市発言を批判しているがうちはしていない、国民の支持率は高い、テレ朝のコメンテーターの発言に不満がある、とかなり寄って語られていたな。
それは日々のことでおもしろがって見ていたが、そのイデオロギーは時々記事にも漏れ出していて、特にコラムのような自由欄については櫻井よしこの大枠での起用や、へんなおっちゃんが関西弁での口語調で「中国とは断交したらええねん」レベルの発言をさせていたのは気になった。「右」の人にとっては気持ちの良いものだろう。私はまあ逆の立場だから、苦笑いするのみであったが。
ともかく、それでもそれは情報食いの俺にとって日々の確実な楽しみとなったし、今日が何月の何日で何曜日なのか・・・を知るためのたった1つの与えられたものだったので意義が大きかった。
ちなみに留置者に何か影響を与えそうな記事は白い厚紙で厳重に読めなくしてあり、恐らく犯罪関連のことは知らせてもらえないのだろう。中にいて一度も山上の記事などは見なかった。
ただ、ごく小さな記事で死刑を求刑されていた者が、発達障害ということで情状酌量して無期になった、という記事ぐらいは見ることが出来た。
基本的に障害があるからといって刑務所に入らなくていいなんてことはなくて、むしろ刑務所には障害者が一般世界より多い。
ただ、最近おもしろかったのは「哲学的ゾンビ殺人事件」で2人ぐらい殺した統合失調症が無罪になった、というWikipediaの記事を読んだことだ。
何回読んでも俺には理解出来なかったが、何やら哲学的ゾンビという概念があるらしく、それを人だと思わなかったから殺してしまったということで無罪?という話だった。
とはいえ、そういう人はこの先一生精神病院で暮らすことになるのだろうが。
まあ別に今何時か、とか、今日は何月の何日か、ぐらいは看守に聞けば教えてくれるのだが。
そして「官本」だな。言わなきゃもらえないこともあるらしいが、本のリストをくれる。そこから読みたい本を選んで伝えると本をくれる。
暇な読書家はそれを1番から順に読んで行って、今何番まで読んだ、と話す人もいた。
俺も特に十代の頃は孤独な読書青年であったから、興味を持ってリストを眺めてみたが面白そうなものはほぼ見当たらない。
唯一筒井康隆の本があって、2014年ぐらいに書いた短編集を頼んだ。あのジジイまだ生きていてまだ書いていたのか・・・。そう思った。
内容自体は相変わらずの筒井節はあれどさすがに枯れたか、面白い話はなかった。その後本を読むことをやめ、空想の世界で生きることで時間を費やすことにした。
「食事」は3食食わせてくれる。これは普段ろくなものを食っていない俺にとってはかなりの楽しみとなった。
また、私語禁止が基本だが看守たちは黙認してくれるので、留置者同士、「今日はあれが美味しかったな」とか「たまに魚がくるとテンション上がるね」とか、あとで語るが留置者同士が交流出来る「洗面・歯磨き」「運動場」での共通の話題となるのでそれもまたお互いの境遇を励まし合うという意味でいいものであった。
中身は3食、ご飯がギッチリ入っていて揚げ物中心のメニューである。毎日代わり映えしないので飽きてくるが、中ではそれぐらいしか楽しみがないのでなかなかに美味しいと感じてしまう。
基本的には留置者が被らないように1人1人出されるようにしているように感じたが、それをやっていては2時間も3時間もかかってしまう。
別に誰も運動なんてしないのだが、外の空気を吸えて、そこで捕まっている自分がどんな顔をしているか確認出来る「鏡」がある。
これを見てどう思うかね。俺は、変わらんな、と思った。月水金にはヒゲを剃らせてくれる。
20日ほど居て運動場でたまに会う他の留置者との交流が一番楽しみであった。
そこでもやはり私語禁止とデカデカと貼ってあるのだが、警察官も交えてトークをするのが楽しみとなっていった。
看守の業務に任じられると24時間勤務・休み・休みというシフトになるためしんどいでしょ?と若い看守に聞いてみたり、ナイフを持った相手との闘い方は・・・とか様々な雑談をした。
その若い看守とは3日に1回しか会えなかったので20日ほど居て5回ほどしかそこで話していないがよく話したものだ。
他には、一番最初に運動場に出された時、白髪のじいさんがいて「君は何の病気か」と尋ねてきたので、いや、別になにもと答えたが気になって看守や弁護士に「ここは精神に問題のある者が収容される専門の留置所なのか」と聞いてみたりした。そうではない、ということだった。看守は、相手にしなくていい、と一様に答えた。
あと4名の「仲間」の話をしておこうか。
暴行で捕まったというが、残りの犯罪についても向こうには既にバレていて、「警察の調査能力は凄いですから全部話したほうがいいですよ」と。
まあ話すが。俺は間違っていない。脅迫で捕まっていながらこう言うのもなんだが、俺は正義の行使者だと思っているからだ。
朝の通勤途中猛烈な腹痛に襲われた。
本来であれば途中下車して駅のトイレに駆け込まないといけないレベルの腹痛。
しかし腹痛が起きたのは最寄りから2駅目で、そこは10分に1本しか電車が停まらない駅だった。
遅刻しない最終ラインの電車に乗っている私が降りるか迷っているうちに電車は発車した。
しかし私は会社最寄り駅のトイレの方が人が少ないと判断してそこまで我慢する選択をしてしまった。
そして代々木駅で訪れる猛烈な腹痛。今回こそはだめだ。尻から出るものがオナラなのか液体なのか判断がつかず気合いで尻を締めるが何の意味もない。
しかし、その日は生理で生理用ナプキンをつけていた。しかもでかいやつ。
最悪、最悪ナプキンが吸ってくれればどうにかなる。
そう思って電車が原宿に着く直前に判断がつかないものを出した。
幸いなことにオナラだった。
これが生理用品に助けられた話一つ目。
もう一つは、ずっとお腹の調子が悪いがトイレに行ってもなにも出ない日があった。
やけにオナラは出ており家だったので誰に遠慮することなく出しまくっていた。
ちょっと外に買い物に行って帰宅しトイレ行ったら、おりものシートにうんちのカスみたいなのがついていた。
自分が幸運に恵まれているときに「自分は幸運だ」と認知するのはとても難しい。そうだ、あなたは恵まれているんだよ。自分にとって当然だと思ったことは、そうでもない。
天はそれなりの頭脳を与えてくれた。
けれど、それなりの出力さえできずに力尽きそうだ。
NIKKEのさNIKKEのさ
1日お得に回せる150ジュエルでガチャできるの最近ここでSSRのニケ当たるのがこないだも引き当てて今日も引き当てて、
フローラ!完凸間際なのよ!
おお!ちょっと感動。
つーかさ、
なんか運命感じるわー。
私このニケから好かれてるのかしら?って
フローラはもう完凸間近のマジ待ったなしイーソウリョウリャンピン!リーチよ!
そんでもって、
エマもあと2つで完凸!
当たるニケはなんか立て続けに横並びに連続してゲットする確率の波という、
そんで!
いまイベントストーリーで新しく登場したニケのブリッド:サイレントトレイン!
気持ちも立て直して3周年鬱イベントの喪に服していたのもあけた感じの、
ちょっと回してみたい気になってきたの。
で!
やったー!って、
銚子港の港のヘリから海に落っこちちゃうから気を付けないといけないのよ。
SSRぜんぜん当たらない時はかすりもせず、
私このニケに好かれてないのかなーってちょっと下向き加減な気持ちになっちゃうけど、
その当たりっぷりに沢村一樹さんじゃない方の一喜一憂してしまう感じなのよ。
でも、
まあいつも言っていることだけど、
新しいニケがやってきたと言ってもとてとて
いきなり1軍でスタメン入りできるかってできないので、
しかも!
ステラーブレイドとのコラボ企画の時のように何か月も貯め続けていた物資を沢村一樹さんじゃない方の一気に投入することで、
いきなり1軍スタメン入りを果たすことができたのよね。
ちょっと後回しになって来ちゃってて、
ブリッド来たけれど、
すぐには強化できない今日この頃なのよ。
やっぱりこの運気きてるのこないだランチで食べたラッキーチキンビリヤニが効いていると言っても間違いない私のラッキーアイテム!
なので、
ランチビリヤニにいこうかしら!って思っている矢先中の矢先なの!
でもこないだと違うのは
前回は満月ラッキーランチチキンビリヤニだったので効果絶大だったのかな?
でも今日今朝もう1発でSSRのニケガチャ当たっちゃったから、
担いだ験のお礼にやっぱりビリヤニを食べに行かないといけない旅に出ないと!って思うの。
とにかく私はビリヤニを食べたいだけ!ってのは内緒にしておくけれど、
こっそり小瓶にそのランチのチキンビリヤニを詰めてポッケに入れておけば
これって素敵じゃない?
いつでも私のポッケにはビリヤニが入っていてお腹が空いたらそれをパクッと食べられる!って
違う違う!
そうじゃないってマーチンさんもいいそうなぐらい違うの!
食べる用じゃなくって、
幸運のラッキーアイテムとしてのランチチキンビリヤニってこと!
でもお店で小瓶にビリヤニを詰めているのを店員さんに目撃されたら恥ずかしいので
だからランチとは別にランチのチキンビリヤニをテイクアウトするのよ!
これならラッキーランチチキンビリヤニをいつでも堂々と持ち歩けるので、
久しぶりにそのランチビリヤニを食べてから運気が良くなっているので、
とりわけガチャ運だけなような気がするけれど、
食べて以降調子が良いからやっぱりここは今日もビリヤニ決めてこっかな!って意気込んでいるの!
運気にこの人運気アップしたい気満々じゃない?って気付かれて運気逃げちゃうと困るので、
ここはクールに運気ってなに?それ美味しいの?って
急に運気に対して記憶喪失になった体裁でビリヤニを涼しい顔して食べるの。
運気に気付かれずに運気をキープするという謎のテクニックをテクりながら駆使しなければならないの!
運気に躍起になっていたらバレてしまうわ。
今日は涼しい顔してお昼のラッキーランチチキンビリヤニをお店で食べつつもさらにテイクアウトも成し遂げてしまうという離れ業に挑戦しようと思うの。
そして運気も
うふふ。
やっぱり決めておきたいタマゴの元気を取り入れてここもパワーアップのタマゴサラダが挟んであるコッペパン美味しくて最近ハマってるやつよ!
今朝はどちらかというとそんなに冷え込んではなかったので
しゃんと起きれたわ。
そして迎えてくれるタイマーで沸いているいつも飲み頃温度70℃のホッツ白湯ウォーラーで
身体を目覚めさせるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
毎年クリスマスや正月のような宗教色の強い時期になると思い出すので備忘録として書いておこうと思う。
とても長くなるので読んでも読まなくても構わない。
粗はいくらでもあるが、当時小学生のお子ちゃまが頭を振り絞って考えたことだったので生暖かく見ていただければ幸いだ。
当時通っていた小学校はお受験が盛んで、クラスの半分以上が中学受験するような学校だった。中には体育や道徳など勉強に関係ない授業が多い日は学校を休み塾へ通うように親に指導される子供がいるような学校である。
そんな雰囲気の学校だったため増田も塾に通わされていたが、増田の親は仕事が忙しく放任主義だったため、どちらかというと自由に延長できる学童のような使い方をしていた。親が帰るまで子供1人は心配だから大人がいる塾で勉強して暇を潰しなさい、という発想かと思う。
朝から晩まで勉強で楽しくないし、学校の教師は子供達に学校で勉強させようと胡麻擂りに必死だし、塾ではライバルたちと比較される。お子様なりにフラストレーションが溜まっていた。
小賢しく、自尊心が高く、承認欲求が強く、何よりも勉強以外で暇を潰したかった増田はそこで考えた。
当時の増田の立ち位置は「1軍グループにいるけどちょっと浮いてる変なやつ」だった。友人Aと友人Bの親友というだけで残酷な子供達のカーストの中で辛うじてバラモンの仲間に入れてもらっていた。友人Aと友人Bの存在がなければきっとダリットだったと思う。
とにかく、増田には2人の親友がいた。勉強もスポーツもできて誰からも一目置かれる友人A、とにかく話がうまく誰とでも仲良くなれる才能がある友人B。
入学した時にたまたま席が横並びになったというだけの出会いだったが、それからこの2人はこちらが申し訳なるくらい良くしてくれ、そのおかげで陰キャで性格がドブカスだった増田も「みんな仲良し♪」の仲間に入れてもらうことができたのである。
表向き友人Aも友人Bもみんなの前では「気のいいやつ」だったが、実は2人とも性格にはかなり難があった。いや、だからこそ増田と仲良くなれたのかもしれないが。
友人Aはなんでもできるからこそ傲慢で、支配欲がある。少し早い厨二病であり、大きな声では言えないがナチに憧れていた。大きな声で言わないところが実に打算的であり、増田はそこが気に入っていた。
友人Bはとにかく人からの評判を気にしていて、いつも自分の悪口を言われていないか怯えていた。それと同時に人の内緒にしておきたい部分を暴くのが大好きで、いつか何かあった時に脅せるように、仲良くなって秘密を握ることで快感を感じる癖があった。
増田はといえば親友2人を自慢に思うとともに、増田の言うことを疑いもしない人気者2人を操る優越感に浸るクズだった。
そんな悪友2人に、こんな面白いことを共有しないわけにはいかないと増田は思った。
「いいね、やろう」と友人Aは言った。
増田は「こいつら話が早すぎるな」と思った。
そうして、宗教を作ることになった。
増田はキリスト教圏で育ったので神の存在に関しては割と思うところがあった。
思想と宗教の違いは難しいが、神の存在を論じられるほど増田の信仰は深くなかった。ただ、人間の熱狂は宗教になりうる、と子供心に感じていた。
小学生だった増田の狭い狭い世界の中で、唐突に宗教を作ろうと思ったわけではない。「これはいける」と思った出来事があった。
どの小学校でも道徳の授業があったと思う。お受験組の気を引こうと躍起になっていた当時の担任は、その道徳の授業で「いいこと投票」というものをしていた。
その名の通り単純で、「いいことをした人を匿名で投票して、得票数が高かった人を表彰する」という仕組みである。
これは単純だが、小学生の承認欲求をかなりくすぐった。なにしろ、いいことをするだけで教壇の上で褒められ、その上シール(子供にとってのシール!史上の喜び)を授与されるのである。名札の裏にいいこと投票のシールを貼るのがステータスになるのにそう時間はかからなかった。
増田はヒネた子供ではあったが、それでも投票されたら悪い気はしないし、いいこと投票が頭をよぎって人助けをすることもあった。
それと同時に、「これは使えるな」と思った。
増田が育ったキリスト教の教えでは、善行は死後の世界のために積むものとされていた(諸説ある)。だが、小学生にとって死後の世界など遠い存在である。「善行を積めば人々から尊敬されるという承認欲求」の方が何より魅力的なのではと思った。
3人の意見はまとまった。
その週末、3人で図書館に行った。親は大喜びでお駄賃までくれたが、目的は宗教について調べることであった。当時インターネットはかなり普及してきていたが、学校のコンピューター室で宗教のことを検索するのはかなり気が引けた。そこで図書館へ行くことにした。
一日中調べて回って、以下のことを決めた。
小学生なりに考え、実行に移せる最大限を考えた。
結成時に十数人を集めて行った友人Aの演説は素晴らしいものだった。増田が授業中書いた原稿と同じ文言とは思えないほど力に満ち溢れ、説得力があり、心に訴えかけるものがあった。その場にいた全員が信者になると誓い、お札を下駄箱に貼り付けた。
友人Bの勧誘も実に巧みだった。誰に話せば一番噂が広まりやすいかを友人Bは知り尽くしていた。すぐに手元にあったお札はなくなり、増刷をすることになった。学年のほとんどが入信し、シールは飛ぶようになくなった。匿名投票のための空き下駄箱は常に紙が入っている状態で、ランドセルの蓋にシールを貼るのが大流行した。
3人はそれで満足し、たかを括っていた。小学生の拡散力を舐めていたのである。
夏が来て塾の夏期講習が始まってから、他校の生徒に声をかけられることが多くなった。もちろん入信の申し出で、最初は喜んで案内をしていた。
だが、20人を超えたところで不安になり始めた。なにしろ、塾でしか会わない人間である。匿名投票の匿名性は失われ、よく知らない人間の善悪を判断しなければならない。
3人は作戦会議をし、組織化をしなければならない、と結論を出した。信者たちを支部に分け、各支部ごとに信者たちをよく知る支部長を置くことにしたのである。
それと同時に、今まで全て3人で行っていた運営にテコ入れをすることにした。
まず、専門のデザイナーを雇った。非受験組の絵が得意な信者にシールとお札のデザインを一新させた。毎月シールの図柄を変え、飽きの防止とインフレの防止を図った。
また、情報屋も雇った。告解で得た情報でさらに価値のある情報を交換するためである。これは画期的で、「この秘密を話すので誰々の好きな人を教えてください」とかが大変多くなった。
支部長の下に秘密で内部監査官も置いた。これは支部長の不正や信者との癒着を告発させるためである。
組織化したことにより、3人の地位は確固たるものになった。カリスマ的教祖の友人A、人に響く教えを説く友人B、善悪を裁き組織をまとめる増田。
夏休み中もムーブメントは衰えを知らず、信者は増え続けた。3人は有頂天になっていた。
そして学校が始まり、始業式の後、3人は応接室に呼び出されたのである。
〇〇〇〇教は教師陣の間にも知れ渡っていた。
一つの学校ではなく塾や習い事によりその地区の他校にも伝播した〇〇〇〇教の信者は把握できるだけで数百人を超えていた。
夏休み中、先生方は連携をとり、学校再開とともに終わらせようと話し合いがされていたらしい。
説教は3時間に及んだ。これは、先生方の話が長かったこともあるが、こまっしゃくれたクソガキだった我ら3人がいちいち反論を仕掛けたからである。
そもそも、我々は何も悪いことをしていなかった。ただ「いい人になろう」「いい行いをしよう」「いい人たちを尊敬しよう」と言って回っただけである。「ご利益がある」とお札を売りつけたり、告解で得た弱みを握って脅したりもしていない。ただ、善行を行わせて噂を流通させただけなのだ。
教師陣もそれがわかっていたのであまり強くは追及してこなかったのだが、我々があまりに舐め腐った態度をしていたのでだんだんヒートアップし、複数の教師が入れ替わり立ち替わり講釈を垂れ、最終的に「解散宣言をしなさい」と一方的に要求を押し付けてお開きになった。
応接室を出て、下駄箱に向かい、校門をくぐった瞬間、3人は爆笑しながらハイタッチをした。
「馬鹿め、もうそんな段階にないのだ!」と知っていたからだった。
子供と接しているのに大人である先生の皆皆様方は全くわかっていらっしゃらない。子供は禁止されたらもっともっとやりたくなるんだよ!
受験用に詰め込まれた知識であるキリシタンの気持ちがその時はよくわかった。抑圧された宗教は熱を増すのである。
隠語で呼ばれ、ミサと称した会合が秘密裏に行われ、塾に通うために学校を休んでいた層もせっせと体育館裏に足を運び秘密を囁くようになった。
教師陣は躍起になっていたが当時流行り始めた学校裏掲示板やmixiの日記などで〇〇〇〇教は着実に広まり、信者は増え、もはや我々3人の手に及ばないものになっていた。
知らないデザインのシールが増え、知らない告解が増え、知らない宗派ができていた。
秋が来て、塾で勉強している間に冬になった。
冬季講習の最終日、いつもの公園のジャングルジムの上に集まり、80円の缶ジュースで乾杯をした。
「そろそろやめよっか」と増田は言った。
「卒業、さみしいなぁ」と友人Bは言った。
正直、もうその段階ではないことはわかっていた。これはただの勝手な「一抜〜けた!」である。
教祖も司祭も裁判官も全てを誰かに押し付けて、こそこそと逃走するのだ。信者からすれば大きな裏切りであり、大罪だろう。
でもぶっちゃけ、飽きちゃったのだ。自分たちを置いて勝手に物事は進んでいくし、勝手に教祖を名乗るものも出てくるし、勝手に布教されているし、勝手に人が人を裁き始めるし。
だって子供だし、受験もあるし、そもそも進学したら続けられないし。
色んな言い訳をして、色んな人と話して、時にやり合って、押し付け合って、そうしている間に受験で学校に行かなくなって、ようやく卒業のために帰ってきたらどうやら全てが終わっていた。
あれだけ熱狂的だった信者たちは激減しており、卒業とともに誰かに譲られるためランドセルの蓋はシールなんてなかったように綺麗になり、空き下駄箱は使用禁止になっていた。
教室の後ろの「いいこと投票」の模造紙は取り払われ、「卒業おめでとう!」の垂れ幕に変わっていた。
友人Aは卒業と共に他県へ引っ越した。6年生になった時から決まっていて、増田たちと最後に何かしたい、と言っていたので「何か」は間違いなくできたと思う。
友人Bは志望校に落ちたので増田とは違う中学に進学した。あれだけ熱心に活動に勤しんでいたというのに引っかかったのは幸運だと自ら笑っていた。
増田は中学で若干いじめられそうになっていたが、入学した時に席が前後になった友人に助けられなんとかグループの輪に入れてもらい事なきを得た。教訓としては、コミュニティに入って一番初めにできた友人はなんとしてでも大事にした方がいいということだ。
それぞれ無事進学して、就職して、結婚して、最近はオンライン飲み会なるものを開催している。
この間、家族で親元へとUターン引っ越しをした友人Bが酔っ払いながら教えてくれた。
「最近、子供がランドセルの裏に変なシールをくっつけて帰ってきてさぁ」
友人Aはしばらく黙った後爆笑したが、増田は少し泣きそうになった。
この歳になると涙腺が緩くなって困る。
キリシタン、まだいるのかぁ。
いかにしてセカンドドライバーをフェルスタッペンの僚友として正しく機能させるか?
ということだと思う。
なぜレッドブルのセカンドドライバーは、ああなってしまうのかは正確には理解できない。
一切の間違いなくパソコンをオペレーションするようなものを想像して欲しい、
というような例えをしていた。
これが正しいのかどうかはわからない。
彼はずいぶんと前に、現行のレギュレーションとは違うマシンに乗っていたときの経験を語ったものだからだ。
なんにしろ、原因はわからないにせよ、レッドブルのセカンドドライバーは、
無様としか言いようがないパフォーマンスしか発揮することが出来ない。
というのは大きな課題だ。
今日のレースでも、虎の子の新型フロアを他チームのミスにより潰されてしまったため大きなハンディを抱いていたという理由があるにせよ、
角田をフェルスタッペンのサポートして機能させることは出来ていなかった。
わずか2ポイントの差でフェルスタッペンはチャンピオンを逃してしまった。
もしも、これが正しく角田も機能させる事ができるチーム作り、マシンづくりが出来ていたとしたら?
現在のマックス・フェルスタッペンが魅せる魔法のような活躍のパフォーマンスは若干弱まる可能性はある。
かつて空力の鬼才エイドリアン・ニューウェイがそのマシンの設計において
あまりにも空力性能を追求しすぎた結果として
ドライバーのドライバリティを損なうようなマシンに仕上げてしまい
そういう失敗の経験を活かし、ニューウェイは空力だけを追求するマシンづくりではなく
それに似ていると思う。
レッドブルが勝てるのはフェルスタッペンファーストのチームを作り
フェルスタッペンの神通力とも言える脅威のドライビング能力によるものだが
あまりにもそれが極端にすぎると
結果として
何も出来なくなってしまった。
もしも、レッドブルにもノリスとピアストリを牽制できるセカンドドライバーがいたのなら?
結果は変わっていたかもしれない。
あきらかに、レッドブルというチームの大きな欠点であるに過ぎない。
誰がやっても、同じなのだ。
そして、そのことをドライバーの才能という問題だけに押し込めていることがレッドブルの最大の問題なのだ。
来年は新レギュレーションとして全くこれまでとは違うマシンが登場する。
そして、そのマシンはおそらくは、ニュートラルな性格をもったマシンとしてまずは始まるだろう。
これは現行のレギュレーションに変更された2022年でも同じであった。
乗りやすく、そして他チームに対して圧倒的なアドバンテージを誇ったマシンはペレスも勝利を上げ、フェルスタッペンのライバルとなる勢いすらあった。
ただシーズンを重ねる毎に、そのマシンはフェルスタッペン向けへと調整されていく。
やがてはペレスが扱いかねるものとなり、最終的にはドライバー、スポーツ選手として大切な要素の一つ「自信」というものを完膚なきまでに破壊してしまう。
この負のリピートをどうやって終わらせることが出来るのか?
あるいは、これはフェルスタッペンが考えるべき仕事なのかもしれない。
彼は負けて悔しかっただろう。
あからさまには態度には表してはいなかったが、チャンピオンになれなかったことに失望したはずだ。
では、どうすればワールドチャンピオンをもっと引き寄せることが出来るのか?
それとも4度のワールドチャンピオンとして僚友すらもときに育て、ときに牽制し、従わせる。
そのような大きな仕事を総合的に出来るように存在となるべきなのかもしれない。
ルイス・ハミルトンは、おそらく全力を尽くせばボッタスを完封することが出来ただろう。
しかし、彼はそのようなことはしなかった。
最終的にワールドチャンピオンになればいいという計算でときにボッタスに花を持たせたりしていた。
もちろん来年以降のレッドブルにそこまでの余裕があるわけもないが、
そのやり方の視点のようなものはフェルスタッペンも見習うべきものがあるはずだ。
そして、おそらくは彼もそのことに気づいている。
なぜ今年勝てなかったのか?
そのことを彼は徹底的に考えて
そして正しい結論を得るだろう。
知らんけど。