
はてなキーワード:年子とは
姉妹で変わるのがおかしい?まずその前提をどうにかした方がいいと思うよ。
同じ親から生まれて同じ環境で育ってるのにってなんでだよ。まず、姉妹な時点で環境は同じではない、全然違う。
姉妹格差で差を付けて育てられて妹ばかりが可愛がられ、長女が親を恨んでる事例って散々話題になっているのに、知らないの?ネットとか一切見ないタイプ?Xやってるのに?
姉妹で親の育て方が変わるのは割と常識なのに、その常識を無視して語られても困る。
日本では双子ですら差を付けて育てる傾向があるって言われてるのに。
金曜ロードショーでトトロが放送される度にサツキがヤングケアラーだと言われて炎上するとか、なろう系で姉が主人公で妹が悪役の話の多さとかもそれを反映してる。
@yuri_televikko
私の中学の同級生に発達障害の診断を受けて障害者手帳を持ってる人がいるけど、年子のお姉さんは定型発達。同じ親から生まれて同じ環境で育ってるのに、姉妹で変わるっておかしいでしょ。
年越しに対して高揚感を感じない人は大掃除ってしないよね。
また年越しの高揚感は年をとればなくなっていくのが普通。
つまり「いい年子こいて大掃除してるのか」って煽りが成り立つんよ
dorawiiより
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親のハトコという遠い親戚の女性(以下おばさん)が春に死んでいたらしい。
一時期家が近かったこととその人の子供が自分と年子だったことから増田が小さい頃には交流があったが、葬式にも呼ばれない程度の親族なので喪中の連絡として先日知った。
おばさんは団塊の世代にぎりぎり入るくらいの年齢だった。陽キャっぽいミーハーな雰囲気のおばさんという認識だった。
喪中の連絡をきっかけに、思い出話というよりおばさんの子供も含め今後親戚づきあいもないし、時効の話として親が愚痴半分で彼女のやらかしを教えてくれたが「昔陽キャだっただろうおばさん」のビッチエピソードだつた。
いつの時代もビッチっているんだなというエピソードで面白かったのでここにお焚き上げしておく。
・携帯がない時代だから家の固定電話に男から電話がかかってくるが、男の名前がすぐに変わる
・卒業時に地主的な名家の男を捕まえるも短大(専門学校?)に進学後名門私大の男に乗り換えて地主の親族がやる飲食店でデートをして本人的にはマウントをとる
・高校から短大時代のムーブにより地元でビッチの血筋と親族全体が評判になりおばさんの姉が外聞が悪すぎるとして破談、同時期に地元企業の内定を取り消しをされた親族もいておばさんのビッチが原因との疑惑がある
・職場の同期先輩と片っ端から交際し、そのうち実家が太い次男と結婚
・地元の人や職場食い荒らしメンバーも全員結婚式に招待、参列し地獄の結婚式が行われるも本人は他の男にマウントを取ったつもりのため気まずさに気づかず
・父親は恥ずかしい尻軽の娘と思ってたらしいが母親の中では「美人で男が放っておかない自慢の娘」という歪んだ認知をしていたため結婚式に地元の元彼の親まで招待する
・その後不倫するも親がお金で解決する、ただしそのとばっちりで弟は学費が足りず奨学金を借りる
などなど……あとは忘れた。
聞く方としては笑えるが、親戚づきあいや近所付き合いが多かった当時は増田の親や他の親族としては笑い事ではなかったそうだ。
今だったらSNSでマウント取りまくった後に個人情報晒されて炎上していただろう、しかし周りが迷惑を被るのは何時の時代も変わらない。
たまたま感染し、母体に免疫がなく、子にまでうつったパターン。すごい確率である。ワクチンもない。
1歳3か月の今わかっているのは2級相当の身体障害だけだが、同病の人たちの例を見るに恐らく重度か最重度の知的障害は確実だ。
左の手足は動くが右の手足はうまく動かず、将来歩けるかも怪しいと主治医は言う。
聴覚障害もある。裸耳だとギリ、ザコシショウが聞こえるくらい。
0~6か月の頃は「何とかなるだろう」とのんびり構えていた。耳が聞こえないこと以外普通の見た目だったから。
育休から復帰して、子の通院とリハビリと仕事で毎日が大忙しだった。共働きで年子、核家族。家族一丸となって家庭を回した。
6~12か月の頃が一番辛かった。この頃はまだ聴覚障害しかわかっていなかったから。
将来的に自立できるのか、できないのか。親ができることは何か。第1子の今後受けるだろう負担を思うと申し訳なかった。
このままでは狂ってしまうと思い、児相に連絡し1時保護をしてもらった。
保護してもらっている間、第1子を構い倒し、学生時代の友人に会い、インターネットの友人に電話して話をきいてもらい、児相の担当者に甘えまくり、カウンセラーにも甘えまくった。
両親も義両親も「できることはなんでもやる。できる限り助ける。」と言ってくれた。
どうやら皆我が家のためにできることをやってくれるらしい。障害があっても世界は受け入れてくれるらしい。
約2か月の保護期間を終え、子は帰ってきた。
2ヶ月ぶりの再開なのに子は特に成長していなかった。生まれて10〜12ヶ月の時点で、この子は何も変わっていなかった。
絵本を眺めるのが好きで、人間観察も大好き。電車に乗ると景色ではなく乗客を見て楽しんでいる。
知らない人に抱っこされると目を見開き口がへの字になる。
両親、祖父母、親戚、保育園の先生に看護師、聾学校の先生、児相の担当者、主治医、リハビリの関係者、道を行く老若男女に構われ愛されている。
いずれ親亡き後は施設に行くだろう。
できる限りいい施設に入れよう。上の子の負担にならぬよう親は精いっぱい頑張ろう。
コメントがたくさんついていて驚きました。ご教示ありがとうございます。
ログイン情報をメモってなくて、違うアカウントから失礼します。
良さげなもの
・エクエル
・運動
・なか洗って拭いて終わりに、は手軽そうだが許容できるかどうか
・年子どちらも完ミ卒
・ローションか潤滑ゼリーかは不明(行為のとき以外どこかに隠されているため)次回確認
セックスは全然したくない。というか、前戯のあいだ一滴も濡れないことへの罪悪感がすごい。やりがいがないだろう。早く挿入して欲しいのもそのため。
かなり家事育児を頑張ってくれているのがわかるし、体臭などのケアも抜かりなく、その都度「体調はどうか」「疲れてないか」「時間は大丈夫か」と断る口実をくれるし、行為の最中もこれは・どこが気持ちいいかと気を遣われるので、ひたすら申し訳ない。
どうにか自力で分泌できないものでしょうか。妊娠前はできてたのに、人体は不思議ですね。
夫のことは好きです。
自分の見た目が若い(と初対面で必ず言われる)&ほぼ年子の姉がいるのもあって見た目的に下に見える女性じゃないと気持ちが萎えてしまう。
続くのはマッチした2割ぐらい。
会うまでいくのはマッチした1割かな。
ありがたいけど…ごめんなさい。自分がいいねしてる下の年の子たちもそう思ってるんだろうな。
残り1割が30前後かな。25ぐらいの子もたまーに。足跡からくるのかな。
面食いでインドア気味だから自分からのいいね数自体が少ないのもあるのか、ここ3ヶ月で会ったのは2人。
25の子はいい子でかわいかったけど、なんかタイプではなく一回で終わり。
数日で数十のいいねをもらえたけど…マッチは自分からのいいねの26の子のみ。
以前やってたwithと比べるとみんなプロフィールが薄くてなんだか難しい感じするなあ。
弟は「良い奴」だ。明朗快活で行動によどみが無く、それゆえ友好関係も広い。物怖じしない性格で、自分の望みを果たすためには投資をためらわない。中高で入っていたバスケットボール部ではキャプテンを務め、体育祭では応援団長の役目を買って出ていた。なんというか、いわゆるクラスの一軍である。
弟は専門学校を出たのちに、水産系の企業に就職した。船に乗って遠洋に出ていたこともあった。いまは別業界に転職しているが、話を聞く限りどうやら職場の人間関係は良好で、金払いも良かったようだ。僕は大学院生なので、弟に高い食事を奢られたことがある。
僕は弟のことが嫌いではない。それどころか、むしろ応援している。弟は、僕にできないことができる。まごうことなく「人間」をしている。僕は忙しそうにしている店員さんに遠慮なく自分の要望を伝えることができないし、友達を家にたくさん呼んで、楽しくお酒を飲んだり笑い話をするなんてこともできない。はっきりと言うが、なにかこの状況に不足があるとするならば、それは僕にあると思う。どちらかといえば僕がひとでなしなのだ。自己の土台があやふやで弱く、諸般の「実際」に関わる能力に劣っているのだ。
ところで僕は幼少のころ、弟にいじめられていた。兄にも関わらず。年子なので年齢差は小さかったし、弟の方が身体が大きく、力も強かった。下賤な言い方をすると、「オス」として優秀だった。
食卓で、弟の好きなものを先に食べたら、肩を箸で刺されたことがある。僕は、そこで泣いたりしたら負けたことを認めてしまうと思って、余裕を見せるアピールのつもりでへらへら笑っていたが、実際ものすごく痛かった。傷跡は25になった今でもはっきり残っている。ゴキブリ用の殺虫スプレーを顔面に散布されて、顔の筋肉が麻痺痙攣したこともある。母親が外出中でのことだったが、当時、母には打ち明けられなかった。中学生になっても弟が怖かった。共用のWiiUを占有されていた。弟が塾通いで不在の時にだけ、ひそひそ隠れてゲームをしていた。暴力や、人格の否定が怖かった。自分の弱さを突き付けられるのが怖かった。僕は勉強机に「死にたい」と書いた。希死念慮というほど固まった願望ではなく、本当に死にたかったわけではない。ただ、自分の弱さと、居場所の無さに情けなく、それら問題を誰かにどうにかしてもらいたかった。母にそれは見つかり、「命は大切にするもの」と叱られて終わった。ささやかでみじめな抵抗だった。
弟から結婚の報せを受けたその瞬間のこと、僕には目立った感情の動きがなかった。驚きがなかった。ただ、「まあ、だよな」との納得があった。嬉しさもなかった。「まあ、これは弟の話で、人生で、兄の自分のことではないからな」と、頭に自分と弟とを分別して考える壁が生えていた。置いていかれる悲しさもなかった。「まあ、自分が結婚できないのは当然だし、他人から愛を感じたこともないし、そういうものだろうな」と受け入れた。
僕は後付けで感動した。感動しておくことにした。こういうとき、兄ならば結婚を祝福するのが普通だろうと思って、「おめでとう」と言い、表面上喜んだ。
僕はひどく自己嫌悪した。僕はなんという砂漠で、渇いていて、不気味なんだろうと思った。弟の結婚ひとつも、心根から喜べないのか? どこまでも人間のロールプレイで、周りの真似事で、そして愛を受け取れないのか? 弟にいじめられていたからだろうか? もし弟に昔のことを誠心誠意謝られたら、僕の中に情動は沸き起こってくるのだろうか? こんなことを考えていては、慶事に対する何かしらの冒涜ではないだろうか?
これは嫉妬ではなかった。弟は僕にとって、嫉妬を抱く対象ではない。ステージが違いすぎる。比べても仕方が無い。だからこそ、余計に自分が目立つ。このステージにはもはや自分しかいなかった。横に並ぶものはほかにいなかった。
被害者意識にまみれた、この醜い自分をどうにかしたい。癒えない傷ばかり抱えてうじうじとしている自分を殺したい。もしかしてこれが希死念慮か? 僕は何年か越しに、また「死にたい」と書くことになるのか?
こんど両家の顔合わせがある。どんな面下げて僕は行けばいいのだろうか。少しでもマシな気分になれることを祈る。
35で今年子供が産まれてから、俺が子供の頃は子供に何かを与えるにも大変だっただろうなと思う。
絵本をひとつ買ったりスーパーで食べ物を買うにも、子供を連れながら傾斜のきつい坂を登り降りして買い物に行く必要があった。
車を持ってない家庭だったから、それ以外のちょっとした街へ買い物に行くにはバスと電車を乗り継がないといけなかった。
今ではAmazonかヨドバシでおすすめの絵本やおもちゃを注文すれば、当日か翌日に届く。
俺の親の頃はわざわざ1時間以上かけて街へ出て、おもちゃ屋で店員とやり取りしながら吟味して、子供に飯を食べさせて、へとへとになってまた1時間以上かけて家に帰ってきていたんだろうな。
35で今年子供が産まれてから、俺が子供の頃は子供に何かを与えるにも大変だっただろうなと思う。
絵本をひとつ買ったりスーパーで食べ物を買うにも、子供を連れながら傾斜のきつい坂を登り降りして買い物に行く必要があった。
車を持ってない家庭だったから、それ以外のちょっとした街へ買い物に行くにはバスと電車を乗り継がないといけなかった。
今ではAmazonかヨドバシでおすすめの絵本やおもちゃを注文すれば、当日か翌日に届く。
俺の親の頃はわざわざ1時間以上かけて街へ出て、おもちゃ屋で店員とやり取りしながら吟味して、子供に飯を食べさせて、へとへとになってまた1時間以上かけて家に帰ってきていたんだろうな。
初潮なんてそれまでの短い人生の中では最も印象深い出来事の一つだろうに、全く覚えていない。私はこんな風に、たまに不安になるくらい子供のころのことを覚えていない。
でもまあ、中学の時点では始まっていたと思う。プールの授業を見学していた記憶があるから。
肌が弱かったので、蒸れたり濡れた感じがしたりというのが不快だった。ちなみに神アイテムのウィスパーは1986年に発売され、2018年に販売を終了したらしい。自分で生理用品を買うようになってからはずっと使っていて、でもこの記事にある通り近年はソフィとかの方が快適だったので買ってなかった。長年お世話になりました。
生理痛も出血量もひどい方だったと思う。高校時代、部活のお使いで生理2日目に電車ででかけたとき、あまりに生理痛がひどくてホームでしばらくうずくまっていたのをいまでもよく覚えている。貧血もひどくて、鉄剤を飲んでいたのでいつもお腹が緩かった。
高校時代は水泳部で、タンポンの使い方を覚えた。母親は何も教えてくれなかったので(聞かなかった私も悪いが)、生理関係は水泳部の友達にずいぶんと教わった。
大学時代の生理の思い出は特にないな。ただ、とにかく定期的に来ていたことは覚えている。ほぼぴったり28日周期。1日目が一番生理痛が重く、2日目が出血のピークで5日くらい続く。そんな感じ。生理痛はひどくても薬を飲むのに抵抗があったので我慢していた。いま思えば普通に病院に行って薬をもらっておけばよかったのだけど、自分のその状態が異常だとは思っていなかった。小さいころ薬で蕁麻疹が出たことがあり、よほどのことがない限り薬は飲みたくなかった。いまならためらいなくバファリンを飲む。マジで楽。
生理との付き合い方がガラリと変わったのは30歳直前、海外に出てからである。ある事情で2年ほど海外で過ごすことになり、薬局で普通に売られている低用量ピルを飲んでみることにしたのだ。
いやこれが楽。あり得ないほど楽。いままでの苦しみは何だったのかというくらい楽。血栓のリスクがあるのは分かっていたけど、結局帰国後も個人輸入して飲み続けた。この経験はのちに少しだけ役に立つ。
ピルをやめたきっかけは東日本大震災である。直接の被害はなかったものの家が被災して帰れず、それどころではなくなってしまった。まあ潮時である。
東日本大震災の時は奇しくも生理中で、避難させてもらった親せき宅に着くまで半日ほどナプキンが交換できずに膀胱炎になってしまった。避難先は病院が普通に機能していたので薬を処方してもらえてすぐ治ったものの、被災して膀胱炎に苦しんだ女性も多かったんじゃないだろうか。
ちなみにこのとき私はうつ病の治療中で、抗うつ剤と睡眠導入剤の減薬をしており、抗うつ剤は順調に減らせていたものの眠剤はなかなかやめられなかったが、自宅に帰った数日後にスッパリと辞めた。普通に震度5~6の余震が来るので、眠剤で眠りこけていたら死ぬからである。なによりも、日中気を張りすぎているのか眠剤が効いてくる前に眠れるようになっていた。でも余震が来ると一瞬でぱっちり目を覚ます。いま思い出してもあのころの精神状態は異常だった。
ピルを辞めてからも、生理はきっちり28日周期でやってきて、でも昔ほど生理痛はひどくなく、出血量も減った。ピルの影響なんだろうか。
出産後も割とすぐ生理は戻ってきた。母乳の出が悪く、産後1か月で完ミ(って久しぶりに書いたな!「完全にミルク」の略である)に移行したからだろう。
私はすさまじい産後うつで(そのときのことを増田に書いてバズった。皆さん暖かい言葉をありがとう。元増田は元気だろうか→https://anond.hatelabo.jp/20201012164343)、心療内科での投薬開始と同時に、生理前の気分の落ち込みがひどいということで、今度はちゃんと産婦人科でかつて飲んでいたピルと同じものを処方してもらった。不安なく飲み始められたのは若かりしころの経験のおかげである。ちなみに抗うつ剤も前と同じものを処方してもらった。こちらの方が恩恵がでかい。抗うつ剤は自分に合うものを当てるまでが大変だから(前回大変だったから)。
産後うつは投薬と休養、出産からの時間経過によるホルモンバランスの落ち着きにより2年ほどで寛解し、抗うつ剤ピルともに投薬終了。しばらくはまた規則正しく来ていて、生理痛は重かったり軽かったりだったが、5年くらい前、45歳から、周期が乱れ始めた。しかも、よりによって早い方に、である。
28日周期だったのが、26日、24日、23日・・と早まってきたのだ。普通に生理痛もあり出血量もあるのに、その頻度が増えたということ。おかげで旅行の予定がとても立てづらくなった。勘弁してほしい。
で、突然50日くらい来ないというときも出てきた。ついにあがったか?!と思ったらまた始まる。その繰り返し。若いころなら迷いなく病院に行く周期の乱れ方だが、この歳だと普通にあることなので判断が難しい。長年子宮頸が軽度異形成~異常なしをフラフラしていたので余計に心配だったが、定期検査では特に大きな異常はなかった。
そして、今年の4月26日、前回から21日後というだいぶ早い周期で生理が来て以来、今日まで101日間来ていない。
閉経の定義は、生理が1年間来なかったこと、だそうなので、正確にはまだ閉経とは言えない。ただ、なんとなく体型や気持ちの変化があり、もう来ないような気がしている。
正直、生理が来ないのは楽だ。ナプキンは信じられないほど進化しているとはいえ、不快なものは不快である。生理痛も、薬を飲めば落ち着くものの、ダルさまでは消えない。それがなくなったのだ。
ただ、これからは別の不安におびえることになる。まずは骨粗しょう症である。私はすでに同世代の91%ほどしか骨量がない。そして私の祖母はひどい骨粗しょう症で、90を過ぎて大腿骨を骨折したが骨がもろすぎてレントゲンに写らなくて固定ができず、でも折れた骨がこすれて痛いということで足を切断した。怖くてしょうがない。
ホルモンバランスの乱れというのもある。これは産後うつで嫌というほど感じたやつだ。2回もうつ病に罹っているんだから絶対にリスクが高い。
更年期障害も避けられない。どういう症状が出るかは分からないが、生活に支障をきたすようなのが来ないのを祈るしかない。
そして、いま強く感じているのは確実に死に近づいているという恐怖である。
出産後も感じたことだけど、明らかに生物としての役割を終え、後続に道を譲る時期が来ているのを感じる。
生理だけではない。関節は痛いし老眼は進むし、寿命にはまだあるかもしれないけど体はどんどん衰えていく。
子供を見ていると、年寄りから死んでいくのは全くもって正しいと断言できる。とはいえ死の恐怖が消えるわけではない。
だからいまは、せめて健康寿命を延ばそうと、せっせとストレッチしたり運動したりしている。
若いころからは考えられなかったが、1日に1時間は自分のメンテに当てている。
とりあえず自分の子宮および卵巣お疲れさま。13歳で初潮だとしたら、36年間、ブランクは多少あったもののずっと働いてくれた。こんな風に人生の途中から始まり途中で終わり、かつこれほど長い間続いたものは他にないと思う。無趣味だし。
Permalink |記事への反応(16) | 00:32
ここから本文
Twitterで話題になってる焼肉の人の話で自分の過去を思い出してしんどいから吐き出す。
弟は年子。両親共にパチンカスで小学生2人連れてパチンコ行って怒られるようになると放置して出かけるような親だった。いまだに雷が鳴って怖くて弟と2人テーブルの下に耳を塞いで隠れてたのを覚えてる。
弟とは元々仲は悪かったけど、年々悪化したのはブラザーペナルティーの件が大きい。
・サッカーを始めた弟に付きっきりで土日両親共に不在(父親しか免許を持っておらず車必須社会で必然的に1人にされた)。
一度、母親に自分にも構って欲しいと伝えたものの、「サッカー見にくればいいじゃん」と半笑いでバカにされた。
・中学・高校時代に自分の貯金だけ困っている友人に貸すという名目で母親に勝手に使われた。
自分がうるさく返せと言って後々返ってきたものの、しょうがないじゃんで終わらせられたし、悪びれる様子は全くなかった。それが2回あった。
・自分の奨学金を弟が社会人サッカーチームに入るから貸せと言われた。
弟は自らの選択で大学に行かなかったのに、行かせてあげられなかったのはかわいそうだからせめてサッカーチームに入れてあげたい、でもそのためのお金(1人暮らしとか諸々)はないから貸してくれって意味不明なこと言われた。
何度も断ったけど食い下がられて貸す羽目に。弟から最後は返ってきたけど、マジで意味不明だった。
ブラザーペナルティーがあると本人は収入が低くなって…みたいな記事を読んだけど、これら諸々に当てはまらず自分は構ってもらえなさをバネに勉強を頑張り今はそこそこ稼いでいる。同じような境遇の人は勉強頑張って。そして自分は今両親とは連絡を絶っている。母親は謝る気はないようだし、本人は悪いことをしたとは思っていないようなのでもうしょうがない。
父親や親族はどうにか自分と母親の関係を修復させようとしてくるものの、自分にばかり言われて母親には言わない。母親がかわいそうポジションなのも腹が立つ。自分が過去やられたことを誰もなにもわかってくれないので無視しており、両親は金に困ってるようだが助けてない。(一時期助けてた時があり、3桁近くお金を貸したけど当たり前に返ってきてない。)
学生や若い父親では養いきれないから若い夫婦の支援にはならない
若い女性とおじの夫婦を想定してるなら若い女性が一番忌避するものだ
2人目3人目を産めば20万30万としてもそれまでには何年もかかって年子など連続で産むのは母子のリスクが高くなる
3人以上になると広い家や車が必要になるし出費は更に増えてやはりそれだけで生活は難しい
母親に学もキャリアもなく自立が難しく父親頼りの生活ではモラハラDVの場合に簡単に詰む
しかも逆上覚悟で何度も暴行されて証拠を残さないと共同親権でどこまでも追われるリスク付き
そんな生活をしたくないから子供を産まずに学んで働く道を選んできたことを知らずに家庭に家庭にと言っても意味はない
私にもよくわからないが、素直に読めば「ワンオペ年子育児」が、その人にとって別段大変ではないことと解釈できる。
別に大変ではないのに大変だねって助けてもらえるから「えぇ、そうなんです」って言っとくかってことよね
一般的な感覚では「ワンオペ年子育児」は間違いなく大変だし、私も子育て中だけどこれは大変だろうなって思うので、そこで理解しがたいんだと思う
俺のASD傾向のせいだと思う
lacucaracha
ワンオペ年子育児していると『それはさぞ大変でお辛いでしょう』といろいろと助けて貰えるので、
腹の中でゲラゲラ笑いながら『ええ…本当にいろいろ辛くて』とポーズするのも礼儀かなくらいに思って生きてます
2025/06/09
https://b.hatena.ne.jp/entry/4771556467915905569/comment/lacucaracha
笑うところがわからない。
というのは
といった理解でいいんだよね?
つまりこれは何か
「重大な愚かしさ」とか
自分はこの話を見て「ただ惻隠の心で親切にしてくれている」と解釈するし
私のも気づかぬ間に捨てられてた。
旦那曰く「休みが週1しかないのに行けるか!」ということらしい。
でも、今年は行こうと話をして
何度も根気よく言い続けて「行く」と承諾を得た。
それなのに、今月になって心配になったから聞いたら「行くなんて言ってない!!!」とキレた。
ほんと疲れる。
行かなくてもいいけど、政治とか物価とか税金とか、今後テレビ見て文句言わないでよ?って言ったら、「今までも言ったことない」と。
米の値上がりについて文句言ったのどいつよ。
はぁーーーー疲れる。
でも、自民だけはやめとこうと思ってる。
補足
私が帰るまでの間にポスト開けて
全部取って好き勝手されるんだよね。
だから、今まで全部捨てられてた。
あの封筒なくてもいけるんだね、初めて知った!
一度承諾したことを無かったことにされるのが腹が立ってるだけで、行かないならまぁ良いんだ。
こんな文才がないというか、頭の悪そうな文章が釣りとかAIとか言われるのは逆に光栄ですらある。
Permalink |記事への反応(27) | 08:51
いやもう産むのは難しい年齢なんだけどね、氷河期末期だし
大学卒業して大学院に行って資格取ったり(一時期)仕事に邁進したり、相手のあることもあって(結婚は一人ではできないからね)35歳で第一子、間に流産等挟んで38歳コロナ禍で第二子出産
産まない理由は山程あって、
でも一番大きかったのが、もし健常児じゃなかったら、ということ。年齢的にも可能性は高かったし、そうなったら共働きなんてまず無理で結局辞めるとしたら私になるし、そうなっても障害児手当の所得制限で逆転現象も生じるレベルで、しかも預け先もなくて逃げ場がなさすぎる、そうしたらしわ寄せは今いる子供たちにも行く
それに対して産みたい理由は「欲しかったから」の一点だけだったんだよね
産んでみればかわいいというのはわかってるから欲しかったけど、理性と希望(欲望)だけで考えたら普通に理性が勝るじゃん???
さらにリスク過敏な性格(つまりビビリ)だからなんか確率低くても次は私かもと思うと、どうしても踏み切れなかった
でも小さい子たちを見るとまだ「いいなー可愛すぎるいいなー産みたかったなー」と思うあたりが成仏しきれてない
過去形になってきたからまあ気持ちの問題は時間が解決するとは思うんだけども
で、 N=1で少子化問題が解決するわけでもないんだけどさ、振り返って何があったら三人目を産んだかって???どう思う???
自分は父親が嫌いだけど大きな理由は見当たらなかった。何か暴力的な事をされたとか、いやな事言われた、傷つけられた、家族なのでたまには納得できない事はあってもしょっちゅうではななかった。では何でだろう?と率直に原因を探っていったところ気が付いたのは、「母親の父親への愚痴」だった。小学生高学年子頃からは愚痴の聞き役だったし、その愚痴に対して共感すると母親が喜ぶことを、大人の仲間入りした気持ちになり、自分も高揚してたのを思い出した。父親のダメな所を見つけては母親と共有する。今考えれば最悪な所業でした。その母親は子供にもひどいものだった、ヒステリックが酷く、子供ながらになんで怒られているのかよく分からない。その現状を子供なりに理解した結果、「自分はとにかくそこに居るだけで人を不快にさせる」だった。