
はてなキーワード:平安時代とは
はっきり言って失恋したとかで泣くような人間を若干冷笑していた節がある。恋愛で一喜一憂するなんて女々しい。漢なら当たって砕け散れ!などど思っていたのも束の間、本当に砕け散ってみるととても耐えられそうにない。寝ても覚めても悪夢が続いているような感じで、今ならbacknumberでさえ共感できる。
相手はバイト先の先輩だったんだが、急にご飯に誘って基地外と思われるほどの距離感とかでは全くなく、休憩が被れば一緒に話したり、ゲームの話題でdmのやりとりをできるくらいの仲だった。
その先輩を飲みに誘った後、気になっている旨を伝えて2回目のご飯に誘ったら、「好意には応えられないけどまたご飯に行こうね」とのこと。半年前からの片想いも虚しく散ったわけだが、何よりも苦しいのは、先輩に迷惑をかけたり気持ち悪がらせたりしてしまったかもしれないということだ。
人に好意を伝えることは独りよがりで暴力的な行為になりうるというのは重々承知している。相手だって人間なのだ。昔読んだ横槍メンゴの「クズの本懐」を思い出す。「興味のない人から向けられる好意ほど気持ちの悪いものってないでしょう?」まさにこの感じだ、タイピングしてきてまた涙が出てきた。好きな人を気持ち悪くさせてしまって申し訳ない。顔ない、横転、墓地が無料のうちに急いで死ぬべきだ。平安時代ならこんなとき、袖を濡らすとか血の涙で手紙を書くだとかいうけれども、気持ちの悪い人間が泣きながら増田を書いたところで何の詩的情緒も感じられない。とにかく何か別のことを考え続けないと涙が止まらないのだからしょうがない。
問題は、仮に先輩を気持ち悪がらせてしまったとしても、ここで先輩に対して「変なこと言ってすみません。全部忘れてください」とか謝罪したところで、それはそれで先輩がたとえ社交辞令でもまたご飯行こうといってくれた優しさを無下にすることになる。はっきり断ってくれた先輩はむしろ優しいし、正しいし、そういうところが好きなんだよな。振られたけど間違いなく最高の一日だった。
それで思ったんだが、人間の矜持として先輩に恨み節になったりするのは絶対に違う。なぜなら好意を発露した自分がすべて悪く、先輩をこれ以上傷つけるようなことは断じてしてはならないからだ。そして振られた側は、相手に罪悪感を抱かせたり、これ以上気を遣わせたりしないためにもう何もすべきではない。
何もすべきではない。これが一番つらいのだ
もし何かできることがあるなら何でもする。好きな子のためなら泥水だってすするぞ、ズズズッとな。でもこれがもう何もすべきじゃないんだ。先輩とは友達以上の関係になれることは確実にないし、必要以上に連絡を取るべきではなく、もちろんバ先で少しも態度に出すべきではない。だからやり場のない思いをクネクネ書いているわけだ。世間一般的には失恋について、時間が解決するだとかいうけれども、その時間経過が一番難しいンだよな。backnumberや諸々を冷笑していた自分が情けない。失恋は何でもないよくある些細な悩みで、身近に起こりうるんだから作風やマーケティングは完全に正しい。恋愛はいつの時代も普遍的な一大コンテンツだ。失恋系Vtuverにでもなって赤スパで儲けたい。
先輩は「自分から人を誘える人は強い」と言っていた。自分としてはかなり勇気を出して先輩を誘ったつもりだった。でも出すべきじゃない勇気もあったらしい。
実際それはそうで、成人過ぎてこれまで気になっている人をデートに誘うなんてことは初めてだったし、それを普通にしているような人は本当に強いと思う。だからせめてもっと強い人間になれるように恋愛だけではなく人に積極的に声をかけ誘える人間になりたい。
一方で、今回みたいに出すべきではない勇気を出した場合、人を誘う強さは相手に不快感を与えうる。
かといって、人に声をかけないのは何も学んでない。私はもっと強い人間になりたい。
結局のところ、相手を不快にさせたり自分が傷ついたりする覚悟と責任を背負ったうえで人と関われる人間が強いということなんだろうな。
お久しぶり、アリババだ。最近働きが悪いのでコンサルインターンをクビになりそうな気配(笑)
村を牛耳る46人の盗賊団乃木坂の首領、Fidoに、国際ピザシンジケートが白羽の矢を立て、わが国にピザのフランチャイズ店を競って開こうとした。村の権益はFidoが握っているので、海外の一等地の豪邸に一生住める権利と引き換えに、場所代をタダにして欲しいと言っている。遣唐使として派遣中に大陸でその話を耳にした俺は、「ピザの試食させてくれるならFidoを紹介してもいいよ。紹介料はいらないから」と言ってみた。だが、頑固なFidoはうんと言わず、交渉を詰みに持ち込もうとしているらしい。
国際ピザシンジケートは村のコミュニティに目をつけた。Fidoの一見向社会的な建て付けは村人の承認により成り立っているので、承認欲求実現を兵糧攻めにして、名声を闇堕ちさせてやろうという訳だ。確かに、これが一番低コストで近道だ。だが、村人の男はコミュニティ内部での評判しか興味がなく、徴兵など見向きもしないし、女は噂話と日の当たる椅子の取り合いで忙しい。
村では一番虐げられた人々、つまり、乃木坂の被害に遭った女性たちが実際にはいちばん力を持っている(レバレッジが高い)(特に年少者ほど)。なんなら、風向き次第、ご機嫌一つでFidoを吹っ飛ばすこともできるのだ。
彼女らは、このことを知らない。また、Fidoが個別に彼女らの機嫌を取ることで、Fidoをfoot bathインセンティブを壊して回っている。彼女らの潜在ポテンシャルに比べれば、また、Fidoの失うものの重さを考慮すれば、村や世間での立ち位置の安定など屁でもない(つまり、本来は、それをネタに、打ち出の小槌を振れる、腰を低くして常に強く出られる)のだが、どうも人間の勘定というのは合理的にできてはおらず、あたら安売りしているらしい。
これは、個々がバラバラなアトムとして利己的な目的を追求せよと言っているのではなく(これはFidoに付け入る隙を与える)、自分が得になり、かつ「梃子の原理」で世のためにもなる方向に力を行使せよという意味だ。
かれこれ30年は前に初版が出た本に書いてあったのだが(すると俺は−2才だ。いや、遣唐使のお使いのひまに読んだ)、当時、がんのレーザー焼却治療にあたり、レーザーの出力が強すぎると正常組織も殺してしまうことが問題になった。かといって、レーザーが弱いとがんは焼けない。そこで、複数のレーザーを、がんを中心とする円周上に並べ、それぞれのレーザーは弱い(正常組織は傷つけない)がその光線の交点(円の中心)ではがんを焼却するのに十分な出力となり、この問題は解決したそうだ。
あるいは、「自分の姿をよく見ろ!」といって、円く取り囲んでその中心にいるメデューサに鏡を向ける。
うっすらとみんなで悪意を向ける。毎日10円でいい。どうだろう?
毎晩、三種の神器を使うようにと夢のお告げがある。しかし、丑三つ時に御所に忍んで草薙の剣を拝借するのは、「用がなければ」、今が好機とは俺は思わない。
実は、Fidoの注意を逸らす陽動作戦だと思う。この間も、赤天狗のような顔をした男が「このアタリでは縄文時代の土器のカケラがヨク出土シマスネ」と話しかけてきた。俺は「あなた、ペリー来航には早いんじゃないですか?まだ平安時代ですよ?」とかわしたが、辺りで無断で発掘調査をやっているらしいのは確かだ。
俺は、園遊拐への「招待」や肥満の「薬物療法」を裏では計画してるのかしらん、と思っている。
ジョーカーみたいにすべてがひっくり返るカードを用意しているんだろうか。
俺は遣唐使として大陸で、西域から伝わったといわれる壺に入った赤紫色の液体を賞味したことがある。「葡萄酒」というらしい。そういえば、正倉院に蔦の絵柄を描いた宝物があった気がする。これがとても美味、とてもいい気分になる。わが国に持ち帰りたかったのだが、日本海は荒れるのでこぼれてだめだと断られた。
葡萄といっても、そこらの山に生えているヤマブドウではダメらしい。Fidoがその葡萄の苗を輸入して、葡萄の実がなるなら、あとは俺が本で読んだ通りに葡萄酒を醸造する。そうなれば、Fidoと話をしてもいいかもしれない。
俺はFidoをこの前破門にしたのだ。
話はまだまだ続く
※女性みんな。どうかおっさんの妄言は無視して、どうかみんな健やかに、自由に生きてね (おばさんより)
我らが長澤まさみ大先生が御結婚されたことで、また世間では「30代の美女よりも20代の普通の女の方が価値が高いんだーーー!!!(雑まとめ)」という論が踊り狂っている。おっさんたちは本当に今日も元気だ。
これ、いつも思うのだけど、「言ってる人って、本当に30代の美女みたいな存在が周りに1人もいないんだよな。哀れ」である。1人でも知り合いに30代美女独身がいたらこんな発想にならないから。
私は他人から見た、見た目年齢が大体25歳で止まっている30代である。ちなみに仕事はコンサルなので、若く見えるのはなんなら不利で、どっちかと言うとコンプレックスなのだが、マジで新卒くらいに見えるらしい。どれくらい新卒に見えるかというと、新卒3年目くらいの子が、自分より年齢は下だと誤認するレベルである。デパートで化粧品を買う時も、新卒に対する対応とかをされることがあるので、年齢を言うと驚かれる。
まぁ、私が若く見えるのはどうでもよくて。
「マジで若く見える30代、かつ、美人(自分で言うななんだが)がいた場合のおっさん」はどう動くかなのだけど、「30?!まだまだ若いよ…!ぴちぴちだよ…!俺たち歳近いし気が合うね。若い子は仕事の話とかしても分かってくれないし…。おばさんなんて言わないで!」これである。
超絶当たり前のことなのだが、「歳が近い方が話が合う」。当たり前である。「社会人歴が長い方が仕事への理解がある」。当たり前である。「年齢を重ねている方が情緒がより安定している」。当たり前である。
その上で、「ガチで見た目だけは20代」がいた場合、おっさんたちが群がるのは30代女である。まぁこれはうちの会社限定かもしれないけど。
ただ、冗談抜きで「新卒の小娘なんて…!」みたいな扱いをし始めるから。だって、おっさんは本質的には若い子と話なんて合わないし。ミセスグリーンアップルを本気で語れるおっさん、います?ちなみに私は今の新卒の子達が何が好きなのか正直よくわかりません。おばさんなんで。
ちなみに誤解してほしくないのだけれど、30代女をチヤホヤしろという話ではない。「20代の普通女性と、30代美女が本当に同じ空間にいた場合、チヤホヤされるのは30代美女が現実である」という話なので。問題はなんというか、ただその当たり前の事象にぶち当たったことすらない人間が、元気に他人の容姿やら年齢をとやかく言ってることである。鏡を見ろよ。
純粋な事実として、いくつの女性も男性もその瞬間の輝きと美しさがあるし、醜さがあるし、老いがある。20代だって、生まれたてのベイビーからしたら十分ご老人なのだ。平安時代は30歳くらいで死ぬ人も多かったわけで。そもそも平安時代ならおっさんは老人というか、死んでるやつが多い年齢である。でも、老人ではなくおっさんでいられるのは、今が21世紀だからだ。人の老いをとやかくいう前に自分を顧みろよ。
ちなみに自己申告でおじさんに群がられている、自称30代美女の私(爆笑)は結婚をどう考えているかというと、「1人で生きてる方が楽だから、キャリアも美貌もお金も全てを失っても構わないと思える人が私を選んでくれるまで、1人でいい。その人が選んでくれないなら一生独身でのんびり生きていく」である。
身もふたもないことをいうけど、どんなダイヤだって原石を磨かないと輝かないように、「何もせずに美しく」なんて無理だから。外見も内面も、キャリアも、家事スキルも全て。
結婚するということは、「自分にかけてきたその時間を次世代やパートナーのために全て使う」ということである。消費をするために近寄ってくる人に使うなんてまっぴらだ。本当に自分を大事にしてくれて、この人のためならこの人生で積み上げた全てが消えてなくなっても構わない、と、そう思えないと無理である。
現実の世界の中で、本当に沢山の男性から消費だけを受ける瞬間が沢山ある。おばさんと自称できる年齢になったからこそ思うけど、外見を愛した上で、「仕事も含めた内面まで愛してくれる人」は稀有である。ゴミのような世界の中で、自分を守る術は、消費する人から離れること。これにつきる。
そういう意味では「30代」のラベリングは、ネットの世界では身を守ってくれるようになった。会社でもずっと「おばさんだから〜」ということで線を引きまくっている。ちなみに境界線を踏み越えるおっさんは、「20代女の方が!!」って叫んでるタイプなのが本当に解せない。
そんなことを考えながら世界を眺めていると、40代とかのおっさんたちが、マジで出会ったこともない、爆美女30代を馬鹿にしながら、20代女性との大恋愛を夢見る姿があまりにも滑稽で。
おわり。
平安時代の言葉の読み方と表記の関係、「表記上の制約(書き方)」と「発音の変化」が複雑に絡み合って「にほん」という読みが定着していったという経緯があります。
平安時代の仮名遣い(旧仮名遣い)には、現代の私たちが使っている「っ(促音)」や「゜(半濁音)」という記号が存在しませんでした。
「にっぽん」の「っ」を小さく書く習慣がなく、そのまま「にっ」と発音したくても表記上は「に」になります。
「ぱぴぷぺぽ」を区別する「まる(゜)」がなかったため、「にっぽん」と書きたくても、文字としては「にほん」や「にほん」と書くしかありませんでした。
ここが面白いポイントなのですが、平安時代の「はひふへほ」は、現代の「パピプペポ」に近い音(正確には [ϕ] という唇を合わせる音)で発音されていたと考えられています。
しかし、時代が進むにつれて、言葉の途中に来る「は・ひ・ふ・へ・ほ」が「わ・い・う・え・お」の音に変化する「ハ行転呼(はぎょうてんこ)」という現象が起きました。
ハ行転呼の影響で、文字通りの読みが Nifon → Nihon と柔らかくなっていった。
仏教の経典の読み方(漢音)や、力強さを強調する際の伝統的な読みとして残った。
平安時代以降の日常的な話し言葉や、仮名表記に引きずられる形で定着した。
室町時代のポルトガル人が作った辞書『日葡辞書』には、「Nippon」と「Nifon(にほん)」の両方が記録されており、当時すでに両方の読みが共存していたことがわかります。
近世以前
日本において暦日を用いた新年の概念が生まれたのは飛鳥時代であり、聖徳太子が十七条憲法を制定した604年まで遡る[13]。その後、646年には朝賀が執り行われ、新年の回礼という風習が始まった[13]。これに伴い、畿内には飛脚使が設置され、701年には通信物を運ぶ脚力(かくりき)が定められた[13]。奈良の正倉院に収められている「人勝残欠雑張」には「正月七日のこのよき日、慶びを新にし、泰平が万年続き、寿命は千春を保つことができますように」とする十六文字が記されており、新年の挨拶を伴った年賀状のルーツといえる[14]。
平安時代に入ると貴族間で年始の挨拶を文で取り交わすようになったと見られ、当時の書簡、文例を集積した最古の例と言われている藤原明衡が残した『明衡往来』にも年始の挨拶文例を確認することができる[15]。室町時代に『庭訓往来』が登場し、寺子屋などで読み書きを教えられるようになると識字率の向上が見られるようになった[16]。これに伴って江戸時代には武家社会において文書による年始挨拶が一般化したほか、非武家社会においても口頭の代用として簡易書簡を用いることが年始挨拶に限らず一般的になり、公的郵便手段である飛脚や使用人を使った私的手段により年始挨拶の文書が運ばれるようになった[16][17]。1740年の『書札重宝記』には年始書状のための語彙として「改年、新春、新暦、初春、陽春、祝賀、御慶」などの用語が紹介されている[18]。江戸中期以降は大小暦が大いに流行し、年頭には機知に富んだ摺物の交換が積極的に行われた[19]。
明治維新後になると逓信省の前身として駅逓司が設置され、1870年10月には新年賀詞を示す太政官令が発布された[20]。1871年には郵便制度が確立し、1873年に二つ折りの郵便はがきが発行され、1875年には単面の官製はがきなどが見られるようになった[20]。これにより年始のあいさつを簡潔に安価で書き送れるということで、葉書で年賀状を送る習慣が急速に広まっていった。1887年頃になると年賀状を出すことが国民の間に年末年始の行事の1つとして定着し、その結果、年末年始にかけて郵便局には多くの人々が出した年賀状が集中し郵便取扱量が何十倍にもなってしまった。
郵便事業に携わる人の数は限られているため、膨大な年賀状のために郵便物全体の処理が遅れ、それが年賀状以外の郵便物にも影響し通常より到着が遅れることがしばしば発生していた。しかも年末は商売上の締めの時期にも当たり、郵便の遅延が経済的障害ともなりかねない状況となっていた。その対策として1890年に1月1日からの3日間、年始の集配回数を減らす対応が取られた[20]。それでも、さらに増え続ける年賀状にその対応だけではとても追いついていけなかった。また当時、郵便物は受付局と配達局で2つの消印が押されていた。そこで受付局か配達局の「1月1日」の消印を押してもらうため多くの人がそこを狙って年賀状を出すようになり、12月26から28日あたりと1月1日当日の郵便物が集中するようになった。そこで1899年、その対策として指定された郵便局での年賀郵便の特別取扱が始まった[20]。年末の一定時期、具体的には12月20日から30日の間に指定された郵便局に持ち込めば、「1月1日」の消印で元日以降に配達するという仕組みになっていた。翌1900年には(必要に応じてではあるが)全国の郵便局で実施、私製はがきの使用も認められ、1905年に完全に全国の郵便局で実施されるようになった[21]。この頃の年賀はがきの概数は1億1000万通前後であったが、郵便ポスト投函が可能となった1907年には4億通を突破し、「年賀状ブーム」とも呼べる時代が到来した[21][22]。
関東大震災(1923年)や大正天皇崩御(1926年12月25日)の年は、その年(翌年配達分)の特別取扱が中止された。明治天皇と昭和天皇崩御の年は実施されている。
年々取扱量が増えていくと共に私製はがきの取扱量も増えていったため、1935年(昭和10年)に私製はがきの貼付用として年賀切手の発行が始まった。しかし、時勢の悪化により1938年(昭和13年)に年賀切手の発行が中止。さらに物資の節約のため1941年(昭和16年)の年賀状から特別取り扱いが廃止[23](廃止決定は同年11月6日[24])。この年の東京中央郵便局が集配した年賀状は1/3に減少した[25]。
終戦後の1948年(昭和23年)12月15日、特別取扱と年賀切手の発行が再開された[26]。この年から年賀切手の図柄が干支にちなんだ郷土玩具のものになる。1949年(昭和24年)、お年玉付郵便はがき(年賀はがき)が初めて発行され(官製はがきとしては初めての年賀はがき)、大きな話題を呼び大ヒットした。そしてこれを機に年賀状の取扱量は急激に伸びていった。1955年(昭和30年)には、アメリカ合衆国による沖縄統治に置かれた沖縄諸島でも琉球郵政庁により年賀はがきが発行され、1956年には年賀切手も発行されている。
お年玉付郵便はがきは当初、寄付金付きの葉書にくじが付いていたが1956年に寄付金なしの葉書もくじが付くようになった。1961年(昭和36年)から年賀はがきの消印が省略され額面表示の下に消印に模した丸表示を印刷するようになり、1968年(昭和43年)には郵便番号導入により郵便番号枠が追加された。
1970年代になるとプリントゴッコの登場と相まってで年賀はがきに絵や文字を印刷する年賀状印刷が盛んになり、1982年(昭和57年)から寄付金付きの年賀はがきにの裏面に絵や賀詞が印刷されるようになった。1989年(平成元年)からはくじ付きの年賀切手も発売されるようになった。
イラストやデジタルカメラで撮った写真などを家庭のパソコンとプリンターで作成・印刷するスタイルが定着し、手間が減った。2005年からは光沢感がありインクジェットプリンターの印刷に適したインクジェット写真用年賀はがきが発行されるようになった。
一方で2000年代からはインターネットの普及が拡大。インターネットと紙を融合した「ネットで届く年賀状」などのサービスも登場したが、年賀状用紙やプリンターが高額、書いたり投函するのが面倒、交流がある人でも自宅住所が不明であるなどの理由で、年賀状を出さずに電子メールなどの紙以外のオンラインの手段で済ませる人が増加。携帯電話を使った「あけおめメール」による通信混乱は2000年代の正月の風物詩となった。
2008年には、郵政民営化を機に「カーボンオフセット年賀はがき」や「ディズニーキャラクター年賀はがき」などの新商品が出た。
2017年6月1日に郵便料金が値上げされ、通常はがきも52円から62円とされたが、2018年用に限り年賀はがき(1月7日までに年賀状扱いとする場合)は旧料金のまま(52円)とした[27]。年賀はがきの発行枚数の減少を食い止める効果を期待しての値段据え置きであったが、結果として総発行枚数は前年比より5.6%減少したほか、1月8日以降に差し出す場合は差額として10円分の切手を貼り足す必要があったことから、利用者からはわかりづらいと不評の声もあった。この取扱いは1年限りで終了し、翌年から通常はがきと年賀はがきは同一の料金となった[28]。
2010年代になるとスマートフォン、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、インスタントメッセンジャー等が普及し、新年の挨拶をオンラインで済ませる人がさらに増えた。LINEが運営する「LINEリサーチ」の2019年のインターネット調査(約59万人対象、複数回答)によると、「葉書を送る」と回答した人は60代以上で71.7%だが、20代は26%であった。一方「SNSで送信する」が30代から60代以上でいずれも60%に達し、20代では72%に上った。IT企業のTB(名古屋市東区)は2017年から、高齢を理由に、今年限りで年始の挨拶をやめること(年賀状じまい)を伝える例文をサイト上で提供している[4]。
また高齢者の増加の他、郵便料金の値上げ、特に2024年10月1日以後は、消費税増税に伴う転嫁分を除けば実質1994年以来30年ぶりの大幅値上げで1枚85円[29]となったこともあり、年賀状終いをする世帯が急激に増え、アスカネットの調べでは、2024年に年賀状を出さなかった人は58.2%に及び、そのうち20代が72.5%、30代でも65.8%が年賀状を出さなかったとする統計がでている。また「年賀状はフタバ」の調べでは、全体の6割が3年以内に年賀状終いをしており、そのさらに半数の3割強が2023年度で終わりにしたという人である。企業においても、葉書をやめて、SNSなどを利用した「ペーパーレス」に移行したところも多いとされる[30
それでもワキガに終わりはない。
風呂上がりに耳糞をほじって独特の匂いがするたびに恐怖を覚える。
なまじワキが綺麗になった分今度は他が気になってくる。
毎週金曜日に乳首周りを残してギャランドゥを一通り剃ってから、乳首周りには脱毛クリームを塗りたくって毛を引っこ抜いている。
乳毛は長い。
とある漫画で「パイ毛~~~」というギャグがあるが、あんなギャグで終わるようななまっちょろい存在ではない。
アイツらは見かけより3cmぐらい長いのだ。
脱毛しようとすると乳の中を3cmほどの毛がニュルリと抜けていく感覚を味わうことになる。
これが実に気持ち悪い。
では爪と毛髪は形状が違うだけでモース硬度は同程度なのを知っているだろうか?
毛を抜くとは、細く細く伸ばした爪を体の中から引っこ抜くのに似ている。
少しルートをズれるとなにか硬いものがショリショリと擦れるのを感じる。
3cmの長い毛根部が乳の中で鋭く暴れるのだ。
ヤバイ。
たまにめっちゃ痛い。
だがチチガが怖くなったらもう乳毛を処理してなかった日には戻れない。
もう全てが怖いのだ。
ワキガに終わりはない。
ワキガを処理してもスソワキガがあり、チチガがあり、そして耳穴の奥でも奴らは産まれてくる。
手術なんかよりも先に「俺はこの体臭で行く!」と覚悟を決めるべきだったのだろうか。
デオドラント業界が必死になってワキガ臭を減らす商品を売っているが引き算ばかりで発展がない。
足し算をしよう。
足し算でワキガと戦わないともうどうしようもない。
世界が無臭になっていくにつれて、ワキガの誤魔化しようのなさは加速していく。
このままだと生理の日は臭いから会社に来れなくなるし、加齢臭のするオジオバは臭いから殺していいことになってしまう。
「香りで誤魔化さない」は過渡期のキャッチフレーズでしかない。
体臭の恐怖に終わりはない。
Xで一歳児がゴミを親に見せつけてくるのを「姑期」と称するポストがバズっているのだが、その引用で枕草子の「二つ三つばかりなる児の、急ぎて這ひくる道に、いと小さき塵のありけるを目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、大人などに見せたる、いとうつくし。」という箇所を紹介している人がいて面白かった。当たり前だけど弥生時代でも平安時代でも戦国時代でも赤ちゃんは今と同じようにバブバブしてたんだよな
自分は子育て未経験だけど乳幼児は少し油断するとすぐ死んでしまうイメージがあって、大人でもバンバン死ぬような過酷な時代に赤ちゃんが生き残ったというのがなんだか嘘みたいな気がする。もちろん死亡率はえげつなく高かったんだろうけど、それでも現代に何十億人も人類が存在するくらいには赤ちゃんが生き残ってきたんだなあと思うと赤ちゃんもそれを育てた大人もすごい