
はてなキーワード:平均寿命とは
https://ichiiida.theletter.jp/posts/0aa160a0-d70f-11f0-aa07-8582de6095b5
https://note.com/nyake/n/na2d317b47bc5
「なぜはた」の明確な問題点は「タイトルの主語が大きすぎること」です
<以下本文>
まず大前提として、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、「かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々」という特定の層が抱える悩みについて、それが個人的な問題ではなく社会構造上の問題であることを論じた本です。
→大前提となる、「『かつて読書習慣があったにもかかわらず、働き始めてから読めなくなった人々』という特定の層」が存在することをデータで示さないと、「実感」としてそういう層の存在を主張したとしても議論が始まりません。
「この神聖な水飲んだらがんが治ったんだもん」とデータなしに主張しても、そこから先の議論に至らないのと同じです。
これに対し、飯田さんは国民全体の平均値であるマクロデータを持ち出して「全体で見れば変化はない」と反論しました。が、これはいうなれば、「日本人の平均寿命は伸びているから、あなたの今の病気は存在しない」と言っているのに等しい議論です。
→この例えは明白に誤りです。なぜなら前者は「全体の読書量」と「特定の層の読書量の推移」を比較する主張であり、後者の「寿命」と「特定の疾患の存在」とは評価対象が異なるからです。
あえて寿命で例えるなら、「日本人の平均寿命は延びているから、喫煙者の平均寿命も延びている」などがあります。これならば「全体」と「特定の層」を共通の評価軸である「寿命」で比較できますし、「日本人の平均寿命が延びていること」を示しても「喫煙者の平均寿命が延びていること」を示さないのはその通りで、これならば矛盾と言えます。
(しかしその仮説を論じるなら、タイトルを「喫煙者の平均寿命~」とするべきで、主語を日本人全体としたり、明確に示さないことが明らかに誤りであることは誰にでもわかると思います。)
全体平均の中に埋もれてしまっている「特定の属性の変化」に光を当てるのが拙著の役割です。マクロデータのみで個人の実感を否定することは、分析の手法として適切ではありません。
→マクロデータのみで個人の実感を否定すること。確かによくないですね。
おじいさんおばあさんの中には、煙草を決してやめない人がいます。「私は煙草を吸っても今まで病院のお世話になったことないんだから、それでいいの」 大変結構だと思います。
こういう人たちに、「タバコは健康に悪いからすぐやめなさい」と言っても、個人の経験則を否定することになり、もめます。
マクロデータの目的は、「特定の属性の実感」を否定することではなく、全体を解析して現状やその傾向を把握することです。分析の手法として、データで示されない実感を大切にすることは重要ですが、解析の結果「実感」を否定する結果になってしまうことはままあります。
だからこそ、「実感」を前提とする議論をするならば、実感の存在そのものをデータとして示す必要があるのです。
拙著で統計データを多用することは本題からそれてしまうため(何度も書きますが、私の書いた『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』はマクロデータで語ろうとした本ではありません)必要最低限にとどめていました。が、本稿ではあえて氏の提示したものと同じデータソースを用いて反論を試みます。
→繰り返しになりますが、主張には前提が必要で、前提が正しくなければ主張も意味を成しません。したがって、前提をデータとして示す必要があります。それが必要最低限に至っていないということなのです。
飯田さんは「高校生の時点で読書量は減っており、働き始めてから急に減るわけではない」と指摘されています。しかし、この主張は「誰を対象にするか」という分析対象のセグメントを見誤っています。
まず、拙著が対象としているのは「元々読書習慣があった人々」です。では、統計的に見て「読書習慣がある人」とはどのような層を指すのでしょうか?
次図「読書習慣のある人」の月平均読書冊数を見ると、過去約40年にわたり、本を読む習慣がある人の読書量は月平均3-4冊の間で安定して推移しています。つまり、統計的な定義として、「月3-4冊読む」という行動こそが、日本の「読書習慣がある人」の姿であるといえます。
→対象としているのが「もともと読書週間があった人々」なら、なぜ書籍のタイトルが「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と主語が示されていないのでしょうか。ここが反論とその反論の大きなズレの原因です。
ちなみにこの統計、データ(https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/94111701_03.pdf)が35ページ目(pdfだと39ページ目)にあるんですが、16-19歳の調査人数、なんと83人なんですね。
これだと1人減ったら1.2%割合が動くことになるんですよ。以下に書き起こしたものを記載してみます。
<16-19歳の読書数>
0冊=66.3%
1-2冊=22.9%
3-4冊=8.4%
5-6冊=1.2%
7冊以上=1.2%
あれ?1.2%が二つ。つまりこれ、5-6冊、7冊以上の人は1人ずつでしたね(笑)
3-4冊の人も1人減ったら7.2%になり、2人減ったら6%になって20歳代の人と同等になっちゃいますよね。
おおよその割合をみるには使えると思うんですけど、「16-19歳とその他の世代の比較」には非常使いにくいデータだと思いませんか?もし複数回同じ手法で調査したら、ひっくり返っちゃったりすることもあり得そうです。
しかも、令和5年の大学、短大、専門学校の進学率を合わせると約8割、大学に限ると約6割で、ちょうどこの統計の年齢階級を跨いじゃってるんですね。
だから、このデータで「働くと読めなくなるかどうか」を議論するのって、そもそも無理なんですよ。
ご覧の通り、「1,2冊」というライト層では加齢による減少は見られませんが、「月3-4冊読む習慣のある層」においては、労働期間中(生産年齢)に数値が底を打ち、退職後に回復するという明確な「U字カーブ」を描いています。
学生時代の読書減と社会人の読書減を同列に語ることはできません。なぜなら、このグラフが示すように、「労働から解放された世代(70代以上)」では、数値が学生時代の水準まで回復しているからです。 もし「加齢による文字離れ」や「スマホ普及」だけが原因であれば、高齢層でここまで数値が戻ることは説明がつきません。
もちろん、今回のような一時点の調査である以上、厳密には加齢による変化とコホート効果を切り分ける分析が必要です。しかし、データの限界を差し引いてもなお、この「労働期間中にのみ、特定の読書層が凹む」という事実は、労働環境がまとまった読書習慣を構造的に阻害している可能性を強く示唆しています。 全体平均にならすことで分布の特異性を捨象してしまう飯田さんの分析は、データに表れた当事者ーー働いていると本が読めないのだとほんとうに感じている人々ーーの痛みを見落としていると言わざるを得ません。
→この主張も前述したように、1人動くと1.2%動くデータで示唆するのは無理があります。
U字カーブ?あなたは70歳以上の人が自在にスマホをいじくってネットサーフィンしているのを想像できますか?
交絡(データに影響を与える別の要素)がありすぎて、単純に就労の有無だけを結果の原因として求めるのはちゃんちゃらおかしいと思いませんか?
「痛み」ですか、はあ。タバコ吸っても健康でいられると思ってる人の痛みを想像したことありますか?(笑)
一見すると、「書籍の読書冊数と市場規模は相関しないが、雑誌は相関する」という飯田さんの主張は正しいように見えます。しかし、ここで気を付けなければならないのは、市場規模の根拠として用いられているデータの定義です。これは「出版販売額」、つまり新刊市場の推移にすぎません。
雑誌のみが市場規模と相関する主要因は、書籍と雑誌の読書習慣の違いというより、市場構造の違いにあると考えるのが妥当です。書籍は図書館での貸出や、古書店・メルカリ等の二次流通市場といった新品購入以外のタッチポイントが豊富です。
→なるほど、たしかに書籍は図書館や古書店で接触がある分、新品市場だけで語ると乖離が出そうですね。
つまり、「読書数の総量=新品購入+レンタル・中古」になるってことですな??
ということは「読書数>新品購入の勢い」が成立するということだ。ふむふむ。
こうした「読む」と「買う」を短絡的に結びつける考え方はよく見られる。しかし、読む量と買う量は単純にイコールにはならない。イコールになるなら「積ん読」という言葉は存在しない。
→えーっと、積読があるから「読書数<新品購入市場の勢い」もありえると。
……市井氏は積読があるから「読書数<新品購入市場」と言い、その反論として三宅氏は中古やレンタル市場があるから「読書数>新品購入市場」と言っている!かみあってない!
まわりくどいんだけど、結局どっちも「書籍の読書数と新品購入に相関がない」が「雑誌は読書数と新品購入に相関がある」というのが主張で、一致している!反論すると見せかけて同じことを主張するという高等テクニックである。
また、拙著の「雑誌や自己啓発書を中心として、労働者階級にも読まれる書籍は存在していた」という記述に対し、飯田さんは「雑誌と書籍の区別がついていない」と批判されています。しかし、拙著の記述は明治時代の出版状況についての記述であり、いうまでもないことですが雑誌はコミックや週刊誌の割合も時代とともに変わっていきます。明治の雑誌出版に関する記述を、現代の雑誌と同様の枠組みで捉え、区別がついていないとするのは、論理が通らないのではないでしょうか。
以上のように、構造的に相関の低い「新刊販売額」を指標として用いて「書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき」と主張するのはデータの選定として不適切です。本来であれば、図書館の貸出しや二次流通市場におけるタッチポイントも考慮したうえで読書冊数との相関がないことを示すべきです。また時代によって役割の異なるメディアを十把一絡げに扱うのは、妥当性を欠いていると言わざるを得ません。
→えーと、前半の文章は市井氏の引用した部分が明治時代の話をしているから不適切ってことだな。うむ作者が言うならそうなのだろう。
後半は……
構造的に相関の低い『新刊販売額』を指標として用いて『書籍と雑誌は読書習慣が異なるので分けて考えるべき』と主張するのはデータの選定として不適切」
あれ、あなたも書籍読書数と販売数は相関しないけど雑誌は相関するって言ってましたよね?
市井氏のnoteをみると、扱っているデータは70年代以降のもので明治時代の話はしてなさそうですけどね。
それに市井氏の
なお、『読書世論調査2016年度』には書籍の読書率について「戦後、読書世論調査の開始以来、多少の変動はあるものの、おおむね5割前後で推移している」と書いてある。『なぜはた』は読書世論調査を引用しておきながら、読書世論調査サイドの「長年そんなに変化がない」という見解とは異なる「本離れが進んでいる」という主張をしている。
この部分に関する反論はしなくていいんですかね。マスデータだから?
引用元の文献(黒田祥子・山本勲「長時間労働是正と人的資本投資との関係」)を見る限り、これは事実ではあるものの、解釈と適用先が間違っていると考えられます。
というのも、ここで引用されている論文が測定している「自己研鑽」と、拙著が指摘する「自己啓発書の読書」は、行動の質が全く異なります。論文が指すのは資格取得やスキルアップのための「能動的な学習」であり、これに対して『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』が論じているのは、新自由主義的な不安に駆られた人々が救いを求めて読む「自己啓発書の消費」です。むしろ、「労働時間が減っても、能動的な学習に取り組むほどの気力や体力は回復していない」という論文の結果は、人々が手軽な「やった感」や「効率的な正解」を得られる自己啓発書(=ファスト教養)に流れるという拙著の仮説と矛盾しません。
「キャリアアップのための能動的な学習」の機会が減ったからといって、「手軽なノウハウ本」のニーズがないことの証明にはならず、このデータを根拠にするのは的はずれです。
→確かに「自己研鑽の時間が減ったから」といって「手軽な自己啓発本を読む時間が減った」とは言えない。それはその通りだ。まあ手軽な方が増えたとするのはあくまで仮説で、それを証明する手段もそうないよね。
飯田さんは「市場規模において、依然として小説は自己啓発書より大きいため、自己啓発書へのシフトという説は誤りである」と主張されています。
第一に、議論の焦点は、現時点での「絶対量」ではなく「変化の方向性(トレンド)」です。たとえパイの大きさが小説の方が大きくとも、書店の棚構成の変化や、人々の意識における効率性の重視といったトレンドの変化を否定する材料にはなりません。
第二に、ここで飯田さんの論理には明確なダブルスタンダードが存在します。飯田さんはこれまでの議論において、「市場動向と読書実態は書籍においては必ずしも一致しない」と主張されました。しかし、ここでは一転して、「小説の方が推定発行金額(市場規模)が大きい」ことを根拠に、「小説の方が読まれている」と結論付けています。
→いったん整理すると、
<三宅氏の主張>
読書の方向性が手軽な自己啓発書にシフトしているから読書量が減った。
<市井氏の主張>
小説の市場規模の方が大きいので自己啓発書の読書量に対する影響は大きくないはずだ。
市場規模では確かにそうだが、トレンド(推移)は見てないですよね?だからその論は否定の根拠にはなりません。
さっき書籍と雑誌の比較で「市場規模と読書量は相関しない」って言ってたのに、自己啓発書と小説を市場規模で比較するのはおかしい!ダブルスタンダード!
→
反論①については、たしかにトレンドはそうかもしれないけど、象に犬がキックしても効かないように、市場における小説の占める割合の方が圧倒的に大きいのだから、自己啓発書のトレンドがまあまああっても全体のムーブには影響しにくいっていうのは確かなんじゃないですかね。
反論②については、雑誌と書籍の比較と、小説と自己啓発書(どちらも書籍に含まれる)の比較は全然別だから、まずダブルスタンダードとは言えないのは明らか。これは間違いない。
ご自身にとって都合の良い時だけ売上と読書実態を切り離し、別の場面では売上を読書実態の根拠とするのは、論理的一貫性を欠いています。
→これは完全にどっちもどっちと言わざるを得ません。データ分析を仕事にしている人ってこのレベルなんですね。というかそもそもデータの部分よりも文章の方が蛇行運転になっていて、上記したように論理が合わない箇所がいくつかあります。心配になりました。
<お わ り>
1.証券口座を開く
〇iDecoについて
〇手もと現金について
〇将来
1.証券口座を開く
三大ネット証券、楽天証券、SBI証券、マネックス証券のいずれかがいい。
基本は楽天かSBIから選ぶのだけど、この2社は結構システム変更があった。情報を追いかけるのが面倒なので、個人的にはマネックス証券をお勧めする。ネット証券の黎明期からずっと安定して営業してきて、これまで大きな変更が少なかった印象。
銀行でも投資できるけど、ネット証券は0.03~0.3%程度のポイントが付くのが馬鹿にならない。1000万×10年なら3~30万円の違い。
年間最大の240万円分を eMaxis slim世界株式インデックス(除く日本) に投資する。
日本を除くのはリスク分散のため。日本で働いている以上、日本に投資するのはダブルリスクになる。
いきなりこんなにたくさん買うのに抵抗があるなら、ぶっちゃけ買わなくても良い。積立投資だけでもいい。
最大額、月々10万円分を eMaxis slim世界株式インデックス(除く日本) に投資する。
〇iDecoについて
iDecoは良し悪しがある。税金を減らせるメリットがある反面、退職まで引き出せない。
仮に「家を買いたい」となっても引き出せないし、大病をして「あと1年の命」と言われても引き出せない。
〇手もと現金について
何かあった時(「家族が交通事故」「パワハラうつ退職」etc…)のためにある程度の手元資金は現金で置いておくべし。
資産が増えてきたら、NISA 枠以上に投資をすることになる。200万円なり余裕資金は取って置き、超えた分だけを同じくeMaxis slim世界株に投資する。
投資信託は売却から現金化し、銀行に移して引き出せるまでに1週間から10日ぐらいかかる。
すぐには引き出せないことに注意!!
◆終わりに
家を買いたい、車を買いたい、結婚式をあげたいとか、お金が必要になったら必要な分だけ現金化して(投資信託を売って)利用する。
株式インデックス投資は10年とか20年以上投資できれば ほぼほぼプラスになる。逆に言えば10年・20年未満は赤字になってる可能性も十分にあり、それを理解・納得しておく必要がある。
日本人の平均寿命は80歳を超えている。中年以降、徐々に頭や体が動かなくなる中、豊かな生活を送るために早めの投資開始が安全。
将来妻や子供に贈与・遺産相続するつもりでも、売る必要はない。投資信託のままで贈与・相続できる。
土地とか仮想通貨とか石油のような商品に投資するかとか、為替がどうこう、FXが儲かるだの投資先悩むと思うんだけど。
そういった諸々含め、様々なビジネスを利用してお金を儲けているのが株式会社。あまり色々考えず、株式インデックス投資を開始するのが吉。
歴史的に見て、安定して長期間儲けられる(られた)のが株式インデックス投資っていう話。
それ以外のには安定性とか歴史が不足している。一時的には大きく儲かる可能性はある。ただ、それはギャンブルに近い。
株式投資(資本家)の方が労働者よりも儲かる(R>g 参考図書:21世紀の資本)のは、資本家の方がより多くのリスクを取っているからだと思う。リスクを取った人がより大きく儲けられる(リスクプレミアム)が存在する以上、今後も株式投資は儲かる可能性が高い。
労働者は労働時間や労働量、成果物に対して確定した賃金を要求する。一方で資本家は、儲かるか損するかわからない。リスクを一手に引き受けている。このリスクを受け入れるに、より多くのリターンがないと成り立たない。この部分がリスクプレミアム。
1つの会社だけに投資するのはリスクが高いけど、世界経済全体に投資することができる世界株式インデックスは、今後も安定して儲かる可能性が高い。実際に多くの年金基金(≒国家と言ってもいい)が株式インデックスに投資をしているからね。
多くの国家が株式インデックスに損をさせるわけにはいかないんだよ。株式インデックスが損をする事態になったら税は不足し年金も破綻し、それは国家の破綻も意味するからね。
景気が悪くなると、国家は経済対策をして結果として株式が上がる。ね?
◆自分はネット証券の出てきた2000年頃から投資してる。資産>億。45歳。
当初は日本株、中国株、米国ETF、FX、REIT、債券などもやってたけど、今はインデックス投資のみ。先物とかオプション、仮想通貨などはやってない。
>「NISA一般枠」とか「積み立てNISA」とか存在しないものを出されると初心者は一瞬で詰む
なーほーね。確かに。
昔はその名前だったんだけど、どんどん名前も制度も変わってんだよなぁ、アップデートしてなかった。
俺はそれは読んでなかったからわかんなかったが、今ネット無料記事見に行ったらスタートから違うじゃん。
向こうはまずスタートがidecoとかNISA積立でしょ。ぜんぜんちがう。ideco は余裕ある人がやるもので、普通の人がスタート地点からやるものじゃない。平均的年収450万円の人がideco やる余裕あるか?
それよりもなるべく早く一括で世界株式インデックス投資を始めるべきっていうウォール街のランダムウォーカーの立場に近い。
俺はまず一括投資してそこから次に積立なんだ。タイミングよりも、なるべく長期間投資することを重視してるんだよ。株式が上昇する期間は短いのに対して下落する期間の方が長く続くから、その短い上昇を捉えるため、なるべく長い時間市場に居続けないといけないっていう考えだから。タイミングそこまで重視してないんだよ。
長期的には上がるなら、長期に相場に居座った方がいい。つまり、積み立てではなく、早く投資を開始した方が正しい。
※ただし、一括で買って直後に暴落した場合、精神的に耐えられなくなるのが最大の損失(心理的リスク)である。それが心配なら、時間を分けて買う(ドルコスト平均法)ことを選択しても、長期投資では結果に大きな差はない
(GEMINIアドバイス終了)
あとごめんけど、自分の投資方針が99点取れるなんて考えはない。だから99点記事のリライトって言われるのは困るな。
現代ポートフォリオ理論が正しいと思ってるから、インデックス投資してるわけでもない。経済が成長するのに合わせて、その利益を自分でも享受できればそれでいい。
結果的にこうなっただけ。インデックス投資だけが正解とも思ってない。
ここに書いてあるようなことは長期投資をやってる人にとって常識。
どこにでもあるようなアドバイス。
だけれども、それが1000ブクマを超えるのだから、一般人にとっては今でも非常識なんだろう。
「日本を除く根拠が薄弱」とかって謎。インデックスファンドから日本を除いたところでリターンにほとんど影響ない。
日本を入れるか、除くかは趣味の問題でしかない。俺はダブルリスクの考え方で除いてるっていうだけの話。
日本はシルバー民主主義で子供や若者に多くの負担を押し付け、高齢者にお金を強力に配分する政策を行ってきた。今後も続くだろう。
検索してみれば良い。ここ2-30年、若者の資産は減り続け、高齢者の資産は増え続けている。他の欧米諸国とは異なる。欧米諸国でも高齢者の資産は増え続けているが、若者の資産は減っていない。
若者から資産を取り上げて、高齢者に分配してきたのが日本なんだよ。
医療保険制度とか調べてみな。こんなのがずっと成立すると思うかい? 健康保険では後期高齢者一人あたり、年100万円を支出してるんだよ?
高齢者にお金を分配したって銀行に溜め込み、銀行が日本国債を購入するだけ。国の仕事は公共の福祉を提供すること。お金が国債に回ったところで、経済成長はない。
おまけに日本では安い金額で素晴らしいサービスを提供するのは当たり前とされている。
よく言われるように「日本でサービスを受けるなら最高。働くのは最悪」。どんなに素晴らしいサービスを提供したところで、高い料金を取るのは悪とされる。
日本は「良くあって」欲しいと思ってるよ。
だけど投資するかは別。
達成することは不可能。いわゆるオルカン、日本を含むオルカンだって全世界の株式市場を網羅しているわけではない。
そもそも国民年金が日本株に結構投資してるからねぇ…わざわざ自己資金でまで日本株式に入れたら理想的ポートフォリオから外れるでしょ。
現在年金の運用は、日本株・海外株、日本債券・海外債権がそれぞれ1/4ずつになっているらしい
ただね。
俺だって意見は変わるし、これが唯一ベストの方法なんて思ってないからね。自分にあった方法を探して見つければいいんだよ。
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>日本を除く考えがあるのは、日本が苦しい時代を知っているからじゃないかな。
正解!
45歳って書いてあるだろう。失われた20年、30年を生きてきたおっさんなんだよ。
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>説明しよう! 現在45歳の増田は、就職氷河期によって日本企業と国から見捨てられたので、今さら仇敵に投資することはあり得ないのだ!
wwww
10月に日銀が利上げしなかったとか、昨今のさらなる社会保険料上げの機運(子育て支援金とか、後期高齢者医療費3割、OTC除外をいつまでたっても実現できないとか)この政策で日本にbetできないよ。
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>日本のバブルが弾けたのはプラザ合意もあるかもだけど、バブルの震源地である不動産投資にいきなり何重にも税規制仕掛けた政府の失策によって、ソフトランディングなどできようはずもなく、ハードランディングどころか自由落下の墜落になったんだけどな。 陰謀論だけど、政府がこの失敗から逃げ回ってるせいで失われた何十年になってると思ってる。政府のメンツのほうが国より大事ってことだな。
なるほどね。ありがとう。自分はこの分野の知識が乏しいのでありがたいな。
自分の業界でも、政府の規制というか、現状のルールがうまく機能してない部分が多々あるので、それと似てるのかなと思ったり。
コメントありがとうございます。この分野は疎くてよく知らないんだ。勉強しなきゃだな。
よくわからないが、政治的駆け引きがあったために効率的な為替市場・金融緩和・引き締めが働かず、日本がその被害者になったってこと?
気が向いたら教えてくれたらうれしい。ありがとう。
日本も構造的な問題が多々あったから大きな被害を受けたとも思うけどね。過度な工業輸出依存による過剰労働力の輸出、ワーカーホリック、年功序列、株式持ち合い、総会屋、一部企業の不明朗会計・創業者による株式会社の私物化、原野商法、東京一極集中、土地神話と一戸建て信仰etc...
https://anond.hatelabo.jp/20251210204429
>これを恐れるなら日本株と相関の高い世界株よりも逆相関の国債買った方がいいんじゃね?
>この考え方を発展させていくとラドン・ニコディム辺りの話になる。
これもわからんなー。GEMINIによると、数学的なバブル崩壊に関する話なのかな? コメントありがとうございます。
Permalink |記事への反応(22) | 08:49
いいですね。いただいた一文をファクトチェックして、どこが正しくてどこが間違っているかを短くはっきり整理します。
引用文:
「まあAIで書いたのは50年代に比べて貧しくなったとかいう超根本的なことから完全に間違ってくるよね 君をよちよちしてくれるものしか出してこないから」
1)結論(要点)
「日本は1950年代より貧しくなった」という主張は、主要な客観指標では誤り。(×)
—GDP(1人当たり)・実質的な生活水準・平均寿命などは1950年代より大きく改善している。
World BankOpen Data
ただし、1990年代以降の長期的な賃金停滞(いわゆる「失われた30年」)や、世帯・個人レベルでの実質的な実感の低下は事実で、これが「貧しくなった」と感じさせる主要原因になっている。(△/事実)
要するに「1950年代と比べて貧しい」は誤りだが、「多くの日本人がここ数十年で体感的・相対的に苦しくなった」は正しい。
GDP(1人当たり)は大幅増 —戦後復興〜高度成長で日本のGDP/人は1950年代から大きく上昇。世界銀行の歴史データで明確。
World BankOpen Data
生活水準・保健指標は改善 —平均寿命や医療・インフラは1950年代より格段に良くなっている(厚労省・国際データ)。
MacroTrends
賃金・物価の動き:1990年代以降の停滞 —名目賃金・実質賃金は1990年代後半から伸び悩み、長期停滞が指摘される(日本銀行の分析)=「失われた30年」。
家計所得・格差の問題 — 平均と中央値、世帯構成の変化で実感が違う。統計局・OECDの分析で、格差や低所得層の問題が指摘されている。
最近の動き(2023〜24) —労働市場のひっ迫で大企業の賃上げや賃金上昇圧力が出ているが、効果は部分的・限定的。
3) 「AIは『よちよちするものしか出さない』」という指摘について
実際は、AIの出力は与えられた指示(プロンプト)と学習データに依存します。慎重で中立的な言い方をする設計(=“安心させる”“攻撃的でない”)になっていることが多いのは事実です。だがそれは「必ずしも事実誤認をする」ということではない —事実の取り上げ方や強調点が穏当になりやすい、という話です。
4) まとめ(短め)
「日本は1950年代より貧しくなった」は事実誤認(歴史的に見れば生活水準は上昇)。
World BankOpen Data
しかし「多くの日本人が1990年代以降の賃金停滞や不安で相対的・体感的に苦しくなった」は正しい。そのため外国人の資本流入や土地売却といった現象が生じやすい構図になっている。
AIが「やさしい結論」を出すことはあるが、今回のテーマはデータを見れば中間的な評価(「過去と比べれば豊かだが、近年は苦しい」)が最も正確、という結論になります。
World BankOpen Data
こういうパターンって1955年の平均寿命 65歳ぐらいを前提に設計されたものであって、
フェミとアンフェがギャースカ「女の社会進出がー」だの「男が非協力的だからー」とか言う以前に
時差のためか、今朝になってインスタでいろんな情報や追悼の言葉、写真が流れてくる。トランスジェンダーの暴力の遭いやすさはシスジェンダーの約2.5倍、殺害されるうちの9割程度が女性、もしくは女性的なノンバイナリーらしい。
そういえば、以前にアメリカの黒人トランス女性が「黒人トランス女性はすぐ殺されたり追い詰められて自殺したりするから平均寿命は35歳。私は平均寿命まで生き延びたよ!」と投稿しているのを見たことがあった(その平均寿命が正しかったのかは確かめられなかったが)。ブラジルの映画『私はヴァレンティナ』でも、トランスジェンダーへの暴力の多さゆえに平均寿命が30代だとラストに出ていた記憶がある。
日本では殺されることはあまりないだろうが、学校に行けない、就職できない、貧困、周囲からのハラスメントなどで自殺する人はちらほら聞くし、Xで別れの挨拶をした後ポストが止まる人も見かける(直後に当人が言っていた路線で人身事故の報が出たりするととても辛い)。医療にかかれない人も多いし、病死もしやすいだろう。
世界中でみて禁煙運動の広がりで国民の平均寿命が上がった国って無いんだよ。
喫煙率と寿命が相関ありそうだなってデータはどうやっても取れない。
端的に言えば、禁煙を言い出したのはアメリカ、1970年代からやりだして
イギリスがすぐに後に続いた。
イギリスは北海油田ウハウハで高福祉国家を始めたのと同時期。アメリカとは医療制度で真逆だが。
一方で、世界の禁煙ムードに最後まで抵抗したのが日本とフランス。
で、現在、先進国の寿命ランキングは日本とフランスがトップワンツーで、英米がワースト
途上国、中進国で見てもシンガポールとか早かった。マレーシアやインドネシアは遅い。
寿命の伸び率はどこも変わらない、むしろ喫煙大国のインドネシアは寿命も健康も高スコアを維持してる。
単純に国ごとの寿命と喫煙率の推移データを見ていくとタバコはむしろ健康を増進するって結論しか出ない。
もちろんタバコが健康を害することは否定しない。30年吸っているがこんなもん体に良いわけが無い。
しかし直接的な害とは逆に健康を増進する見えない効果があるとしたらどうする?
別の言い方をするとヒステリックに禁煙を押し付ける社会に副作用があるのでは。
かつその副作用は喫煙する人よりもむしろ元から非喫煙者に作用する
マクロな結果、ハレーション、副作用を無視して短期的、ミクロ、細分化した観察で「害」が認定されたものを一つづつ規制して行く社会。
生きづらい世の中ってようするにタブーを追加していくことで、あれもダメこれもダメを容認する社会。
責め合う社会。
議論するまでなくすでに半世紀かけた社会実験で結論が出てるんだよ。
先進国の寿命の伸び率と喫煙率の変化を見ればどうみても逆相関で、
健康増進を言うなら、科学的、統計的には国民の喫煙率を上げるべき、喫煙を推奨すべき。
ちなみに寿命の伸び率がダントツのフランスは喫煙年齢制限が無い。
普段、データは?ソースは?エビデンスは?なんて口を尖らさてる論理派連中はこれらのデータを頑なに受け入れない。
まじ謎。
ツキノワグマの平均寿命は15年程度なのでざっくり毎年3000頭弱が死んでることになる、森の中で。
森にはその他にも鹿、たぬき、狐、イタチ、無数の鳥が生息している
土の上で異臭を撒き散らしながら一部は食われ、腐り、時間をかけて分解される
クソには菌が付き、クソを栄養に成長し、あるいは猛毒のきのこを育てるだろう
抗生物質まみれの動物園の鹿は15年程度は生きるが、野生の鹿の平均寿命は4年
森の死骸やウンコはドロドロに溶けながら年月をかけて消える
毒キノコが生成する毒成分は早いものは数日で自然分解するが、年単位で毒性を保つものもある
これらすべて雨が降ると少しずつ流される、
ところが、イスラムが土葬したいと言うたら、「環境汚染」だというて嫌がる。
そこに理性はあるのか?合理性はあるのか?
ただの情緒じゃねぇか
しかも奴らは水源地近く、あるいは水源地よりも上だ、全部流れ込んでる
死骸の希釈液を時に「清流」などと呼ぶ、川上で無数の死骸を濾しているのに?清いとはこれいかに
死骸の液で米を作る、我々は平気で食っている。キモいなど考えない
年間数十人、数百人のヒトの土葬がどれほど影響があるというのだ?
人間の子供は親よりも長生きするので、親が死んだあとも自活できるように就職まで見据えて育てていかないといけない。
ペットは飼い始めた年齢とその動物の平均寿命にもよるが、飼い主よりも早く死ぬであろう飼い方ができるので、責任をもって見送ることができる。自立させる、という高難度のことをしなくても良い。
人間の子供には教育費がかかるが、ペットにはかからない。大型犬は食費が結構かかるが、ハムスターなどはかなり低コストで飼うことができる。
人間は喋るし、基本的に親に口答えをするし、宮崎勤や青葉真司みたいに育つこともある。
猫やらウサギやらハムスターなんかが大量殺人をすることはない。ペットは家から出さなければよそさまに迷惑をかけることはなく、人間は家に監禁することは人権上できない。
そして人間はペットと違って生産性が高いという前提があるわけだが、今後ロボットにAIが搭載されて自律的に進歩するようになれば、多くの人間の生産性をロボットが上回ってしまうのでは。
かわいい、無害、低コスト、低リスク、そして生産性においてもすべて人間以外のものに負けるとなると、今後人間はどうなっていくのだろう?
ありがたいことに色んな福祉や医療に支えられて生きている、所得控除も医療費の上限も地域の交通利用の割引も本当にありがたい
その中でも障害者は引きこもりがち(家にずっといると社会的なつながりもなく運動もせず精神的にも身体的にも不健康になる)を解消する外出の機会を作るための娯楽の優待があると思ってて
映画や美術館や博物館や水族館とかにそれはあるのだが大体が自分と介護者1人が対象になる
長年の付き合いで本当に仲が良いと思った友人と該当の施設に出かける際には軽く手帳の仕組みを説明し、料金の優待を受けている、皆いい人なので初めは私の障害の開示に驚くも体調に気を遣ってくれたり率先して手伝うことはないか聞いてくれる、割引分の還元と言って帰り道のカフェをごちそうしてくれたり、障害を大仰に扱って欲しい訳ではないという私の説明を真摯に受け止め変わらぬ態度でいてくれる、大事な人たちだ、3人ほどいる
今まで恋愛もしてきたが30手前で障害を持ってからは縁遠くなっていた、だがやはり人生のバディや伴侶が欲しい気持ちになり自身の障害との向き合い方も安定し出産や子育てを頑張る目処がついたので婚活をやってみるか、という時に知人の紹介で出会った人が良い人で何度か会った後にお付き合いしませんかと打診された
悩んだが不誠実は良くないと判断し、自身の見た目では分からない障害や手帳の有無や通院の頻度や平均寿命などを軽く伝えた、相手は真剣に好いているので勉強しつつ頑張りたいと答えてくれたので、それならお付き合いを是非に、と交際が始まったのだが、まぁ、うん、難しい
そこで表題の悩みに舞い戻るのだが前提として交際相手はとても良い人だ、愛情表現も豊かで趣味も合うオシャレでスポーツが好きで働き者だ
私も別に障害を常に慮って欲しいとかヨシヨシされたいとか時間とお金を使ってケアして欲しいとかは全く無い
事実、交際相手は私の障害に対して何かしらを費やしたことは無く何もかも私は自身で処理している
でも他人から手帳取得に至るまでの地獄とこれからの色々を無かったことのように扱われるのはしんどい、と気づいてしまった、すごく難しいバランス感覚を要求しているなと自分でも思う、大袈裟に扱われるのは嫌だが全く気にされないのも嫌だなんて
交際相手は観たい映画がある時、私に声をかける、1,000円ずつチケット代を払う、ポップコーンと飲み物を各々で買う、私は観たことないシリーズの外伝を観る、まぁ面白いので映画自体は良い
私が某キャラクターの展示に行きたいと言う、障害者本人は正規料金で介護者は無料、相手は1円も出さず全然知らなかった!勉強になった!と楽しそうにする
2人とも興味のある有名美術館の展覧会がある、障害者本人は無料で介護者は正規料金、相手は2人で割って1,250円ずつだねと言う、原画とても素晴らしかったねとカフェで感想を話す、各々で支払う
遠くの水族館に私が日帰りで行きたいと言う、高速バスは障害者本人と介護者それぞれが半額、それぞれで支払う、入館料も半額ずつ、それぞれで支払う、帰り道もそれぞれ
今まで私が手帳を提示した割引を使った際の友人らは感謝を率先して述べたり金銭のバランスを取ってくれていたし、自分がもし逆の立場でもそうするタイプ(年齢や立場で傾斜をつけたりクーポン持参などがあれば出来る範囲でお返しをする)なので本当に毎回驚いてしまう
まぁ障害のある人間と付き合うだなんて人生初だろうしなと1年ほど眺めていたのだが娯楽の趣味が合う喋るクーポンと思われてる気がしてきた
というか今まで健常者の時期に付き合ってきた人達も映画観よ!チケット代?いらないよ!という人ばかりだったし各々で支払うことが最初は斬新な価値観だなと感心すらしてたが、もしかして結婚して妊娠して出産して物理的に私が働けない時期にもこの各々で支払うスタイルは続くのか…?となり、それとなく結婚の意思を聞くも結婚自体が5年後くらいが良いとか言われてしまい頭を抱えている
私が患う病気の平均寿命的は健常者より結構短いことを伝えてある(私は割と予後も良くて楽観視してるけど)妊娠も出産も望んですぐ叶うことではないし子育てなんか自分が死んでも続くプロジェクトなのに…?絶対結婚したい!子供が欲しい!と断言出来ない曖昧な三十路の私(子供を持ちたいと思える人に出会いたい)が悪いのか…?
なんか書けば書くほど悲しくなってきた
私を私として尊重して欲しいだけなんだけどな、良い人で良いパパになると思うんだけどな、多分別れた方が良いのは分かってるんだけど別れを切り出す行為自体が障害を重くしそうなくらい負荷が大きくて躊躇うよ、私がもっと若くて健常者なら大好きな気持ちで5年そばにいて待てるんだけど
やっぱり1人で生きて1人で死ぬ覚悟を持って毎日服薬して生きてくしかないよなぁ
Permalink |記事への反応(21) | 04:55
かねてより「頭の中お花畑」というフレーズは反戦左翼を揶揄するときに使われるものだった。
たとえば自衛隊は違憲だから解体しろだとか、沖縄から米軍を追い出せだとか、武器なんかなくても一緒に居酒屋で酒飲んだらわかり合えるよ、だとかね。
そりゃあそんなことが全て実現できるなら素晴らしいことでしょうよ。
でも現実を見たら想定が甘すぎたり、コストがかかり過ぎたり、そんなに頭の中で思い描いてるようにうまくいきませんよというのが「頭の中お花畑」という言葉に集約されている。
概ねそれは間違っていなかったと思う。実際にそれで日本は大きな不幸、混乱もなく回ってきたわけだからね。
これだけ人手不足で倒産する会社が続出していて、求人倍率が高止まりしていて、労働参加率は過去最高であるのに、右翼の方々は労働者を増やしたくないらしい。
労働力不足は嘘つきだそうだ。経営者が無能で生産性が低いだけだと。
足らぬ足らぬは工夫が足らぬということだろうか。
まともな頭があればそんな精神論ではどうにもならないことわかると思うのだが。
豊富な資源、豊富な人材、優れた教育によってイノベーションが起こり、結果人手が充足し、それがいきすぎると逆に余ってしまって就職難・不況になるのであって、逆はない。
人手が減ればそれをなんとかするためにイノベーションがおこって、人手がなくても何とかなるようになるんだ!というのはよくいって願望、悪くいえば妄言だ。
この期に及んで少子化をどうにかすればいいとか言い出している。
20年近く前からすでに対策をしていて、諸外国を見てもどこも顕著な成果を出せているところはないのに小手先の知恵で急に解決するわけもないのはリアリストならわかるだろう。
もし今この瞬間に少子化が解決して来年から150万人の子供が生まれてくるようになったとしても、その子たちが働きに出るまで20年のタイムラグがあるし、今既に生まれている幼児・少年少女たちの人口が圧倒的に足りてない事実は変わらないというのに。
衰退を受け入れたらいいとか言い出している奴も目立つようになってきた。
衰退するということはインフラが改修できない、治安を保てない、医食が欠乏して平均寿命が下がる、国防もままならないということだ。
日本は付加価値の高い工業製品を製造して、輸出して、そのお金で食とエネルギーを輸入しなければ半年も持たない国であることを理解してるんだろうか。
そんな立ち行かない国になった時にロシアが、中国が侵略してきたときにどうやって食い止めるつもりなのだろうか。
食品価格が多少上がったり、交通インフラが廃線、減便になったり、社会保険料・税金が上がり続けたりすることに対してあれだけ文句を言っているのに本当に衰退に耐えられるのだろうか。
本当の「衰退」はそんなものの比じゃないわけで、はっきりいって現実を舐め過ぎだろう。
すでにこの国は20代人口の1割を外国人が占めるようになっている。
もし外国人を全員追い出したら新卒の給与は多少上がるかもしれない。その代わり生活コストはその比じゃないほどあがるけどね。
結局さ、「外国人いらない」で国が回るって言うなら今すぐ代案を数字で出してほしい。
必要な人員、税率、賃金、設備投資、何年でどこまで自動化するのか、現場の穴を誰が埋めるのか。
青写真も覚悟もないまま「衰退でいい」だの「工夫で何とかなる」だのと唱えるだけなら、それこそお花畑だ。
右翼も左翼もお花畑になってしまったら、この国の未来は暗いよ。
Permalink |記事への反応(21) | 20:13
アホすぎない?
44歳ならまだしも24歳とか絶対ありえないってなんでわからないの?
本当に頭が悪すぎないか?
そしてまた今回もどこの馬の骨が語ってるのかもわからないネットのホラを信じてる。
AI生成なのか単なるガセなのか実在しない有名人の名前が引用されているのに検索もかけずに鵜呑みにしてる。
本当に頭が悪すぎる。
あのな、お前らがつかれてる嘘は「初代ポケモンではカメックスがレベル66で覚えるハイドロカノンが強すぎて公式大会もみんなカメックス使ってたんだよね」と同じレベルだからな?
がある
後期高齢者医療制度は費用を国が半分、日本全国の健保組合が4割負担する仕組みとなっており、その4割は「後期高齢者支援金」という形で賄う。つまり後期高齢者ではない一般国民が払う健康保険料の一部が没収される
で、どれくらい没収されるかと言うと、普通の被保険者が払う保険料の約半分(加入している健保により多少の前後あり)
給料の額面40万、健保料率5%の場合は、毎月2万円を健康保険料として健保組合に納付するが、その半分、1万円くらいが後期高齢者支援金として没収される
健保組合が使えるのは残りの1万だけだ
今は過半数の健保組合が赤字という話だが、それは後期高齢者納付金が毎年膨らみ続けているからであり、それがなければ100%の組合が黒字だ
後期高齢者にとっととあの世に行ってもらい医療制度を縮小すれば健康保険料はかなり下げられる。消費税やガソリン税減税よりも内需喚起効果が高く財源の心配もない
試算した
平均寿命が80年固定で、年間1700万人生まれていたとする、この時2024年で13.6億人
2025年 13.6億人、出生数850万人(実際にはもう少し少なくなる見通し)
2030年 13.2億人、出生数850万人
2050年 11.5億人 出生数850万人(ここまでは変わらない)
2060年 10.4億人 出生数425万人(少子化の再生産が始まる)
2080年 7.9億人 出生数425万人(一気に人口が減る)
2100年 5億人 出生数212万人
2150年 1.6億人 出生数53万人(今の日本より少ない)
所感