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はてなキーワード:帰宅部とは

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2025-12-13

普通」の女の子になった話

父は瞬間湯沸かし器みたいな人で、些細なことですぐキレて手が出る。

私も物心ついた頃から殴られたり床に倒されて踏まれたりしていた。

父は人とのいざこざで殴ったり恫喝したりしたこと武勇伝としてずっと話していた。

小中学生スポーツチームの指導なんかもやっていて、今だったら問題になるレベル体罰の話も自慢げにしていた。

父の友人達もそれを持ち上げ、「さすがだなあ」「それが正しい」とかっこいいことであるかのように扱っていた。

私は幼少期からから殴られ、暴力自慢話を聞き、周囲の反応を見ていたので、力で相手ねじ伏せることはかっこいいことで、ためらわないでよいことだと思い込んで育った。

それから色んなマンガで男よりケンカが強い女キャラを見てかっこいいと思い、ごくせんドラマ流行っていたので「男を殴れて勝てる女はかっこいい」とどんどん思い込んでいった。



漫画ドラマでは「女を殴るなんてありえない」というシーンがあったりするので、女の子暴力をふるおうとは思わず男子とよく取っ組み合うようになった。なぜか女である自分が殴られることに抵抗はなかった。

取っ組み合いにきっかけや理由なんてない。小学生男子なんて暴れたい盛りだし、意味もなく突進してくるやつとか、私がすぐ手が出るのをわかっててからかいに来るやつが同級生にたくさんいて、私はいちいち応戦していた。

父は人を殴って相手の歯を折った時の傷が指に残っており、それを勲章のごとく自慢していたので、私は男がケンカで体や顔に傷をつけることはかっこいいことだと本気で思っており、男子と取っ組み合うと顔面にも容赦なく蹴りを入れたりしていた。

休み時間放課後にはだいたい男子たちと暴れ、殴ったり殴られたりする毎日で、これが普通だった。ドッチボールとかサッカーとかで遊ぶのと同じ感覚ケンカして遊んでいた。

ある日の休み時間、いつも通りに男子たちと取っ組み合う中で1人の男子の頬に回し蹴りを入れた。結構クリーンヒットだった気がする。

特に気にせず他の男子さらに取っ組み合っていたら、数分後「何やってんの!!!」という担任の金切り声が響いた。

当時の担任先生20代後半~30代くらいの女性だった。

いつも「危ないよ!」くらいの注意しかしなかった担任だけどその日は様子が違った。

担任の横にさっき私が回し蹴りをくらわした子がいて、泣いているので「え、何?何?」と手を止めて近寄ると

「何じゃないよーーー!!もういやーーー!!!」と担任が泣き叫び、膝から崩れ落ちた。

担任の横で泣いている男子の口内が血まみれになっていた。

それから校長室に呼ばれ校長事情を話し、それぞれの保護者を待ち、帰った。

日登校したら担任に呼ばれ相談室のようなところで「これを読みなさい」と手紙のようなものを渡された。

私が回し蹴りした男子のお母さんが担任に宛てたもののようで、口内を切ったのと歯茎への衝撃?で出血が多かったがとりあえずは大けがではないこと、

けがではなくてもどうしてうちの息子がこんな目に遭わなければならないのかということ、男の子相手ならやんちゃ同士で許せるかもしれなかったが女の子にやられたなんて信じられないということ、

相手の親から謝罪がないことなどが書かれていた。

担任は私が手紙を読んでいる間ずっと泣いており、その後数日学校に来た後は長期の休みに入ってしまった。

手紙に書かれていた通り、私の父親は件の当日に私を迎えに来たけど、担任から事の顛末を聞いたくらいで後は私に何も言ってこなかった。

怒るでもなく慰めるでもなく事情を聞くでもなく。ガストで夕飯を食べて帰った。その日も帰宅してから別件でキレられ、殴られた。

数日後、男女数人で公園鬼ごっこか缶蹴りかをして遊んでたと思う。

1人の女子を後ろから手で目隠しし数を数えていたら、知らない女の人がすごい剣幕でやってきて「やめなさい!」と怒られた。

危ない遊びはやめて!こないだの〇〇くんの時もだけどあなた暴力性は信じられない!あなたおかしい!女の子にも乱暴する気!?

みたいなことを言われ、めちゃくちゃ怒られた。

私は知らない人だったけどたぶん同級生母親とかだったんだと思う。私がクラスメイトにケガをさせたことを知っているようだった。

取っ組み合いのような遊び方よりははるかに優しい遊び方をしていたと思うんだけど、自分が少し相手に触れるような遊び方をしているだけで大人はこんなに取り乱すんだ、と少しショックだった。

危険人物である、悪である、と人に思われていることを急に自覚して、なんだかとんでもない気持ちになった。

今考えたら子どもを育てている親からすれば暴力的な子が自分の子の近くにいれば怖いし叱るべきなのはわかる。

どう考えてもあの頃の私はおかしかった。

それから私は取っ組み合いや殴り合いをやめて、普通の子どもになったと思う。(体育や休み時間にやるスポーツは派手にやっていたけど、普段生活では大人しくなった)

腹が立つことや納得いかないことも話し合いでなるべく穏便に解決することを学んで、大声を出して主張する人や嫌なことがあると物にあたる人、手が出る人を見ると嫌だなあと思うようになった。

子どもながらに自分のしてきたことを棚に上げたり棚から下ろして飲み込んで吐きそうになったり、ぐるぐる悩みながら中学生になった。

小学校には私以外にも男勝りをアイデンティティーにしているような女子が数人いたけど、中学校にはボーイッシュな子はいてもそんな暴力的な子はいなかった。

制服スカートのままで毎日男子とのケンカを楽しんでいる豪快な女子なんてマンガ世界しかいなかった。

中学校までは同じ小学校出身も多かったが、高校はなるべく遠く、同じ小学校の人があまり受験しない学校を選んだ。

穏やかでにこやかに、口の悪いこともなるべく言わないように過ごし、友人も文化部帰宅部の和やかな雰囲気の子が多かった。

父は相変わらずスポーツチームの指導に勤しみ、家にはたびたび非通知で電話がくるようになった。

「うちの子がそちらのコーチに殴られて倒れた後蹴られたそうですが」

「1人だけグラウンド20周以上走らされ吐いたと聞いた。家に帰って来ても体調が戻らず、もうクラブ練習行きたくないと言っている」

知らずに電話を取ってしまった時は人の憤りと恨みを直に感じてしまい1人で泣いた。

父はそもそも電話が鳴っても取らない。家主は家では自分の席から動かず、家族は家主が動かないでいいように働くべきだそうだ。

鳴る電話は父が暇で電話の一番近くにいても必ず誰かが取らされ、電話が取れなかった時ややむを得ず父が取った時などは殴られた。


大学進学を機に家を出て、就職実家から離れた場所でした。

偶然小学校同級生男子会社で同期となったので、2人で飲みに行った。

当時殴り合いをしていたうちの1人だったので、お互いに「お前落ち着いたなあ」と言いながら飲んだ。

私が男子を流血させて担任を取り乱させたことも覚えていたし、今でもその男子と交流があるという。傷は残っていないし、私の話が悪い意味で出ることもないらしい。

それでも「あの時はごめん」と謝った。涙が出た。

何と言っても私がしたことやあの時の自分の考えが変わるわけじゃないのに、女の私が泣くのはずるいと我ながら思った。

「俺も暴れる問題児だったかお互い様だ」と言われた。今度は件の男子も連れて飲もうと言ってくれた。

同期は父の教えていたスポーツチームにも所属シバかれていたので、「父は理不尽に怒るし体罰もするし嫌いだったでしょう」と聞くと、苦そうな顔で「ま、あの頃は子どもから……」と言われた。

私も父を好ましく思っていないはずなのに、そう言われて少し胸が痛かった。



父は父母の署名により数年前にスポーツチームの指導者を辞めさせられた。

誰に言うということでもないので、増田に書き捨てておく。

Permalink |記事への反応(1) | 11:49

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2025-12-02

神戸大学は良い大学だと思う

俺が通ってた頃は食堂残飯代わりのライスマンガ盛りしても50円だったし

唐揚げとかハンバーグをたらふく喰ってもワンコインで済んでた

校舎も綺麗だよ

先生方も親身だし

あーでもそれだけしかいか

帰宅部でいっぱい食べたなって記憶しかないわ

Permalink |記事への反応(0) | 00:08

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2025-11-05

「いっち山田はすっかり先に進んでしまい、最近松浦厳木、直帰ちゃん瞬くんで悶えてる中、また有望なのが現れたな」だけの情報で生成AIちゃん作品名を当てられるか?

shibashuji いっち山田はすっかり先に進んでしまい、最近松浦厳木、直帰ちゃん瞬くんで悶えてる中、また有望なのが現れたな

情報を整理しますね。

いただいたコメントからラブコメマンガ主人公ヒロイン名字の組み合わせとして、以下の作品話題になっていると解釈できます

**いっち山田**

*作品:**『僕の心のヤバいやつ』**

*コンビ:**市川京太郎(いちかわ)・山田杏奈(やまだ)**

**松浦厳木(まつうら いつき)**と**直帰(なおき)**

* **作品A**の主人公ヒロイン(またはメインキャラ)

**ちゃん瞬くん**

* **作品B**の主人公ヒロイン(またはメインキャラ)

**(新たに)有望なのが現れたな**

*作品:**『ふたりバス』**

*コンビ:**(この作品主人公ヒロイン)**

コメント文脈(「すっかり先に進んでしまい」「最近は〜で悶えてる中」)から、**「松浦厳木、直帰ちゃん」**と**「瞬くん」**(おそらく「ちゃん瞬」の**瞬**の名字名前)は、現在人気・話題沸騰中の別のラブコメ作品コンビを指している可能性が高いですね。

### 🧐候補となる作品検索

松浦」「厳木」「直帰」という名字の組み合わせが特徴的なラブコメを探します。特に松浦厳木」「直帰ちゃん」という表現が使われている作品検索してみます

また、「ちゃん瞬くん」は、主人公ヒロインが「瞬(しゅん/またたく)」という名前または名字で、「〜ちゃん」または「〜くん」と親しみを込めて呼ばれているコンビかもしれません。

これらの情報で、再度検索を試みます

検索結果から、以下の作品コンビ特定できました。

---

### 🌟 確定したラブコメコンビ

#### 1.松浦厳木(まつうら いつき)

**作品名:『やめろ好きになってしまう』**

**コンビ松浦(まつうら)**吾妻(あづま)**と厳木(きゅうらぎ)紗代(さよ)**

* 冷静な男子高校生・**松浦**と、あざとい陽キャ美少女・**厳木**のラブコメディです。コメントの「松浦厳木」は、このコンビ名字を指している可能性が極めて高いです。

---

#### 2. 直帰ちゃん瞬くん

**作品名:『直帰を許さなハイパー帰宅部』** (通称:**直帰ちゃん**、ハイパー帰宅部)

**コンビ:直帰(なおき)**と **瞬(しゅん)**

*検索結果には、「通称『**直帰ちゃん**』。…活動に参加するハメになった**瞬**は、直帰ちゃんに振り回されながら…」という記述があります

* この作品メインヒロインが「直帰ちゃん」と呼ばれており、主人公が「瞬」のようです。コメントの「直帰ちゃん瞬くん」は、このコンビを指していると考えられます

---

### 💖コメント作品の流れ

これで、元のコメントが指していた作品コンビは以下の流れだと特定できました。

順序表現作品コンビ主人公ヒロイン
:--- :--- :--- :---
**①先進んだ** **いっち山田** **『僕の心のヤバいやつ』** **市川京太郎山田杏奈**
**② 悶えてる** **松浦厳木** **『やめろ好きになってしまう』** **松浦厳木**
**② 悶えてる** **直帰ちゃん瞬くん** **『直帰を許さなハイパー帰宅部』** **直帰・瞬**
**③ 有望** **(新たな作品)** **『ふたりバス』** **(主人公ヒロイン)**

惜しいけど正解は

https://comic-action.com/episode/4856001361584756651

放課後帰宅びより

松田

佐藤直希こと“直帰ちゃんから帰宅部勧誘された瞬。断ったのに、半ば強引な形で活動に参加させられるハメに!

でした。

---

### 💡結論

「いっち山田」以外の作品は以下の通りです。

1. **『やめろ好きになってしまう』**(コンビ:**松浦**と**厳木**)

2. **『直帰を許さなハイパー帰宅部』**(コンビ:**直帰ちゃん**と**瞬くん**)

3. **『ふたりバス』**(コメントで「有望なのが現れたな」と評された新しい作品

これらの作品の連載状況や、試し読みができる場所などをお調べしましょうか?

Permalink |記事への反応(0) | 20:23

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2025-10-11

ネット依存症が酷すぎて、ネットアクセスできないようにしてる

インターネット依存症が酷すぎる。

まり高校生の時、iPod touchを買ったことだった。

帰宅部で、自称進学校落ちこぼれ現実逃避のために、毎日インターネットをしていた。

当時よく見ていたのは、まとめサイトだった。キニ速とか、ハム速とか。何も考えずにスクロールしているうちに、朝になっていた。

どこかの論文で読んだが、ASDADHDの両方の傾向がある人は、常人10ネット依存になりやすいらしい。

たぶん、日常生活ドーパミン補給できないぶん、ネットで過剰に補おうとするのだろう。

ギャンブルよりはマシかもしれない。でも、失った時間は5年以上だ。後悔してもしきれない。

ネットを始めると、もう止めることができない。

お腹が空いても端末を置けない。眠くても寝られない。

そして一番つらいのは、ネットサーフィンをしていても全然楽しくないということだった。

楽しくないのにやめられない。地獄みたいな毎日だった。

平日も土日も、空いている時間は全部ネットサーフィンをしていた。

勉強はしなくなり、登校しても誰とも話さなかった。

家の中で突然叫ぶことが増えた。

自殺未遂をして、高校中退した。

その後、通信制高校転入した。

受験だけはしなければと思い、親にネット端末をすべて預けた。

ネットを絶って、ようやく大学に入った。

けれど、大学に入ってからまたインターネットを始めてしまった。

講義に行かなくなり、留年した。

なんとか卒業はできたが、就活はうまくいかず、不本意なまま社会に出た。

今は27歳。転職して2社目にいる。

それでも依存は続いている。

自分意思ではもう制御できない。

「控えよう」と思っても無理だ。みんな、どうやってるんだろう。

今の僕は、iPhoneスクリーンタイムほとんどのサイトアクセスできないようにしている。

ホワイトリスト方式で、生活必要サイトだけを残した。

マイナンバーのページや、図書館の予約サイトアプリも使えるのは、GoogleMapとかLINEとか最低限。SNSは一日10分だけ。

睡眠時間を確保するために夜の23から朝8時まですべてのアプリが使えなくなる。

アプリ更新するために、タイムロッキングコンテナパスワードを入れるやり方で、9日に一度だけ解除できるようにしている。

パソコンMicrosoft Familyで制限している。

予約などでネットを使う必要がある時は、ネットカフェに行く。

困るのは、最近飲食店スマホ注文になっていることだ。

未知のサイトにはアクセスできないので、毎回「すみませんスマホ使えなくて…」と店員に言う。

恥ずかしいけれど仕方ない。

美容院不動産屋でも、客にスマホ操作を求められることが多くなって、本当に困る。

いつもは増田も見れないようにしているけど、今日は9日に一度のチートデーだ。

現代社会インターネット接続できないというのは、あまりにも重い業のように感じる。

似たような人がいたら、どうやって生きているのか教えてほしい。

Permalink |記事への反応(3) | 16:50

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2025-08-30

anond:20250829220241

本当は、帰宅部なんて無いかんね

Permalink |記事への反応(1) | 20:48

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anond:20250829220241

帰宅部

Permalink |記事への反応(0) | 18:55

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2025-08-25

anond:20250825033834

スプリントってほとんど才能で

中学レベルだと帰宅部オタクがわりと速かったりするんだよね

他人から評価は見かけと気質ほとんどだから意味ないけど

Permalink |記事への反応(0) | 03:42

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2025-08-21

anond:20250821032253

運動部筋トレしてねーやつなんていねーよ

お前帰宅部だったろ?

Permalink |記事への反応(0) | 03:40

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2025-08-19

anond:20250819195627

典型的帰宅部チー牛じゃん

これで体育会系キツイって

Permalink |記事への反応(1) | 22:00

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2025-08-17

都会にあり地方に無いのは、文化ではなく「人生選択肢」だ

ここで言う「都会」は、東名阪札仙広福といった大都市圏に、電車や車で30分以内で行ける距離感を指している。

一方、私が育ったのは人口数万人程度の地方都市

振り返ると、そこに足りなかったのは単なる文化や娯楽ではなく、「人生選択肢」そのものだった。

選択肢の乏しさ

 文化部や帰宅部という発想自体が無かった。今ではもっと部活が減っているらしい。

 社会勉強としての「働く経験」を選べる余地も無かった。

 近所に大卒大人すらいなかった。


大人になって残った「心の傷」

特に大きかったのは、中学文化部が存在しなかったことだ。

音楽美術に触れる機会がほとんど無いまま、成長してしまった。

大人になってから楽器演奏できる人や、趣味で絵を描く人に出会うたびに、強い憧れと同時に「自分には選ばせてもらえなかった」という喪失感が蘇る。

これは単なる劣等感ではなく、子供時代選択肢の欠如が心に残した傷だと思う。

都会との違い

都会で育った人は、感受性の豊かな0歳〜20代前半の間に、さまざまな文化や進路の選択肢に触れられる。

実際に選ばなかったとしても、「知っている」こと自体人生の幅を広げる。

一方、地方にはその「知る機会」すら与えられない。

からこそ、地元に残っていたら私は工場勤務か派遣で一生を終え、同僚とはパチスロや車か、せいぜいソシャゲの話に没頭していたと想像できる。

地方創生への提言

いま地方過疎化しているのは当然だと思う。

そこにはパン仕事)もサーカス文化)も無い。

もっと正確に言えば、子供に「人生選択肢」を提示する仕組みが欠けている。

もし本気で地方創生を考えるなら、雇用企業誘致だけでは不十分だ。

子供の頃から多様な文化や進路に触れられる場を整備し、人生選択肢を数多く示すこと。

その積み重ねが、地方に残る人を増やし、帰ってくる人を呼び込む唯一の道ではないだろうか。

Permalink |記事への反応(0) | 21:45

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anond:20250817130828

嫌でーす

僕は帰宅部でーす

はーいろんぱっぱ😝

Permalink |記事への反応(0) | 13:09

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2025-08-11

体育会系新入社員

下っ端のうちはめっちゃいいけど自分より下が出来た途端に後輩轢き殺しマシーンみたいになる奴が一定数いるのが厄介。

あと身内相手にはしっかりしてるけど取引先みたいな外部に関わらせた途端とんでもない挙動をしたりする。

文化系とか帰宅部系とかは1年目からやばい奴はやばいとわかるので予め隔離できる。

Permalink |記事への反応(0) | 04:12

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2025-08-10

中学生時代の思い出

皆さんは中学生時代の思い出とはどのようなものだろうか。

学校行事友情恋愛勉強

私は「部活動である

思い出のほとんどが、それに関してのみ。

その他の行事等もすべてこの「部活動」が絡んでいる。

約四半世紀前のことであるが、暇なのでいろいろ綴っていこうと思う。

小学生から中学生

小学生の時に抱いていた中学校中学生イメージは、

大人(っぽい)」 「制服」 「青春」 「怖い先輩がいる(いそう)」

給食ではなくなる」 「定期テストがある」 「授業に英語が加わる」など。

小学生の延長ではあるけれど、子供から大人へ近づく段階として

非常に大きな、そして大切なステップのように感じていた。

私はその地域の8~9割の生徒がそうしていたように、

小学校のすぐ近くの「S中学校」へ進学した。

このS中学校へは「C小学校」と「H小学校」の2校から進学していた。

中学校生活のはじまり

どのような経緯であったかはよく覚えていないが、私はソフトボール部に入部した。

小学生の頃に母親ママさんバレーソフトボール版のようなことをしていたため、

他のスポーツに比べて少しだけ身近に感じていたところはあった。

別にスポーツに取り組みたかったわけではないし、他にも運動部はあったのに。

文化部だったり、帰宅部だったり、他にも選択肢はあったのに。

子供会の延長のような感じで、友人と、じゃあ…入る?みたいな、軽いノリだったと思う。

その友人の母親ママさんバレーソフトボール版のようなことをしており、交流があった。

集まった同学年の女子の「C小学校出身者」と「H小学校出身者」の比率は半々くらい。

出身小学校に関わらず徐々に打ち解け、チームメイトとなっていく。

入部したのは10名くらいであったが(最終的には7名になった)、1名を除き、未経験者だったと思う。

その1名は、小学生の頃に女子でありながら地域野球チームのようなものに加入しており、

ソフトボールもかじったことがあったようだ。

私はグローブバットも使ったことがなく、ルールポジションも知らないド素人であったが、

顧問先生や1学年上の先輩方に丁寧に指導してもらいながら基礎を身につけていった。

先輩方は当時8名であり、先輩方に同学年の経験者のチームメイトを加えた9名がレギュラーであった。

1学年上というだけでこのようにあまりにも違うのかというほど、皆、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかった。

端的に言えば、容姿に恵まれており、輝いて見えた。

以下は、1日のおよそのスケジュールである

5時頃:起床

6時頃:学校へ到着

6時半~8時頃:朝練

休み:昼連

放課後~19時頃:通常の練習

20時頃:帰宅

季節によって変動するが、テスト期間以外は概ね上記の通り。

はっきり言って現在会社員としての就業よりも過酷生活であった。

まるで部活本業学業副業のようである

週末も練習練習試合の連続であり、休日にゆっくり休んだ記憶ほとんどない。

中学生の途中で週休2日制が施行されたが、土日のどちらも遠征して練習試合だったこともある。

小学生の頃は太り気味であったが、みるみるうちに瘦せていき、生活習慣も体も運動部に馴染んでいった。

また当時は日焼け紫外線対策を碌にしておらず、本格的な夏が来る前には焼けていた。

しかし私はあまり熱心な部員ではなかった。

元来の性格のためか、取り巻く環境が原因かは定かではないが、ものぐさであり、いつ頃からか内心嫌々取り組んでいた。

ただ時間まで何となくやり過ごす日々の繰り返しであり、自分意志部活選択したのに、なんとも情けなかった。

単純に根性がないのである

特殊環境かつ人数もさほど多くなかったため、チームメイト達とは距離が近く、関係性もおおむね良好であった。

数少ない余暇時間も共に過ごし、よく愚痴をこぼしていたが、私とは違い、皆名プレーヤーだった。

皆と同じように教わっていたはずだが、基礎が身に付く以前からそもそも運動音痴センスがなかった。

バッティング守備も、感覚が掴めずに勘に頼っていた。

一時期、伸びたと褒められた時期もあるにはあったが、全体的にパッとしなかった。

私は根性なしのうえスキルもない、だたのポンコツ部員だったのだ。

しかチームメイトは除け者にせず、一部員として好意的に接してくれていたので感謝している。

顧問先生

顧問先生男性)は当時、現在の私と同じくらいの40前くらいだったと記憶している。

とにかく熱血で、良く言えば指導熱心、悪く言えばスポーツ○カのような人だった。

何代か上の世代は市だか県だかのそこそこ上位まで登り詰め、

『S中と言えばソフトボール部』などと言わわたとか言われていないとか。

指導者としてもプレイヤーとしても、その腕前はピカイチであり、

どのポジションでも何でもござれのオールラウンドプレーヤー

当時、抜群のプレーに皆が魅了されていた。

基本的に昼休み以外の練習に同行しており、非常に勤務時間が長かったと想像されるが、

なぜ顧問というだけで部活動にあれほど時間を割いて打ち込んでいたのか謎である

やはり熱心だったのだろう。

しかし、そのような熱血顧問にありがち(!?)で、当時ビンタされる機会も少なくなかった。

その痛みは頬のみならず顔全体の感覚がなくなるほどであり、口の中を切ることもあった。

特段、感情的な人ではなかったと思うが、指導として叱責される機会が多く、基本的には畏怖の存在であった。

何故あれほどまでに時間情熱を注ぐことができたのか、

またどのようなトレーニングを積み重ねてスキル習得したのか、

大人になった今、問うてみたい気もする。

●先輩方

先輩方のことは、女子としても、プレイヤーとしてもかっこよかったと表現したが、

皆それぞれその年代女子特有の気難しさも持ち合わせていた。

部活外の時間に校舎内で顔を合わせた場合、後輩からこんにちは」等の挨拶をするが、

ほとんどの場合にっこりと朗らかにこんにちは」と返答されるため、こちらも非常に嬉しい気持ちになった。

同行していた別の部の友人からは「すごく優しそうな先輩だね」等と言われたものだ。

しか部活時間になればたいていピリピリしており、部活外の時間のような微笑みは基本的に皆無。

穏やかな時もあれば、感情的振る舞うことも多く、鬱憤が溜まっていった。

うちの部は、私の2つ上の学年(3年生)が不在だった。

夏頃までは3年生が在籍しているのが一般的であるが、うちの部は2年生が天下。

この状況に気が付いたときには絶望したものである

その日の機嫌次第でぞんざいに扱われることもしばしばあった。

はっきりといじめしごきのような、直接的に個人攻撃することはなかったと記憶しているが、

端的に言うと「1年は使えない」と言った感じだ。

空気を読むことが苦手で気も効かない私は、適切な対応がわから謝罪連続であった。

表面上は敬うフリをしていたが、内心はうんざりしていた。

「先輩ってどんなことで怒るんですか?」とすっとぼけ質問をして、

「それは聞くことじゃないよ」と呆れられたこともある。

私は当時人気を博していた某アイドルグループファンであり、

別の部の友人とコンサートに行く約束をしていたが、正直に理由を告げて練習休みたい旨を伝えると、

先輩達は「コンサートってありえなくない?私も○○のコンサートに行きたかったのに」と陰になっていない陰口を言っていた。

(先輩は別のアーティストを指しており、私が行くコンサートに先輩が落選したためやっかんでいたというわけではない)

聞こえよがしの陰口を察した私は、「すみません…もうコンサートに行きません。練習に出ます。」と申告したが、

「いいよいいよ、行ってきなよ、楽しんできてね」とのたまった。

言葉に甘えて(?)私は堂々とコンサートに行き全力で楽しんだ。今でもそのコンサートは思い出深い。

ポンコツでありながら無遠慮な図々しさと、聞こえよがしの文句記憶している執念深さを持ち合わせているのだ。

中には親類の葬儀関連や帰省理由であってもチクチク言われていたチームメイトもいる。

それはそれでさらに納得のいかないものだっただろうと思う。

その他、記憶している上下関係ルール等。

・先輩が荷物を持っていたら代わりに持つ

キャッチボールは先輩のグローブを持って相手をしていただくようお願いする

キャッチボール中に先輩がボール捕れなかったら走って捕りに行く(こちらの暴投が原因)

・先輩が座ったことを確認してから座る

・先輩が水分補給したこと確認してから水分補給する

・先輩がお土産差し入れ等を先に選ぶ

・先輩は体操着の袖を捲ってもよいが、後輩は不可

・各々の家を把握し、同じ方向の人と下校する

年賀状を交換する

バレンタインデー手作りチョコを交換する

その他、部特有ルール等。

部活中、校庭は歩かない

・校庭にボールが落ちていた場合仕舞い忘れ)、ペナルティで1球につき校庭10

・授業中に寝た場合ペナルティで校庭10

学生カバンの装飾不可(キーホルダー等)

・整髪剤、制汗剤の利用不可

・全校朝礼の設営準備や後片付け、撤去等を行う

運動会文化祭の設営準備や後片付け、撤去等を行う

運動会女子では最も過酷な800m走の選手となる

・校舎内の部屋の引っ越しを手伝う

・校舎裏の泥やヘドロを取り除く

試験勉強および受験勉強は同じ教室で皆で行う

一般的運動部として当然なルールもあったが、当時も今も「?」と感じることもある。

幼少期の他に、この部活で培った様々な経験も、人格形成に大きく影響を与えたと思う。良くも悪くも…

他の部の友人たちは、うちの部ほど過酷ではなかったと想像する。実際は不明だが、おそらく。

先輩と談笑したり遊びに行ってプリクラを撮ったりしている様子は信じらない、うちの部ではありえないと当時思っていた。

部活という特殊環境で、人間関係を築く上で大切なことを学んだ。

他人に決して心を許してはならない、油断してはならない。

今でもたまに当時の部活の夢を見る。

一体いつになったら、この悪夢から解放されるのだろうか。

Permalink |記事への反応(0) | 21:25

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2025-08-09

anond:20250809203853

帰宅部陰キャ同士でモンハンやぞ

Permalink |記事への反応(1) | 20:51

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2025-08-06

身長ハラスメントってありませんか?

今日就職面接面接担当の人に言われたんですけど

「君、身長いね。何かスポーツやってたの?」

非常に不愉快です。何もしてません、中高は帰宅部だったし大学では漫研でした

「大きいのに勿体ないね

余計なお世話です。食べるのが好きなのと趣味筋トレしてただけです

毎回この問答で正直疲れる

近所のスーパーによってご老人や主婦の方に出会うと十中八九あなた大きいねからまり学生時代何かスポーツしてたの?と訊ねられるんですよ

ホントに毎回ね。よく飽きもせずに聞いてくるよね

マジで辞めて下さい、ハラスメントですよ

身長低い人が羨ましいと思った事もあります

よく戸に頭ぶつけるし二人一組になってと言われて奇数だと必ず一人ぼっちでした

組体操ピラミッドやる時は必ず一番下でした

身長高いとデメリットしかなかったんですよ

モデルさんが羨ましいですね

でも身体を絞れる程食事を抜きにするのは嫌だし常に健康的でありたいです

どうしたら身長に対するハラスメント防げるんですかね?

Permalink |記事への反応(0) | 20:48

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2025-08-02

カミーユ・ビダンの特徴

カミーユ・ビダンは、カミーユという女性名コンプレックスを抱いております

自らが女性勘違いされると激怒します。

そのコンプレックスから自らの男性を強調するために空手などを習っております

しかし同時に科学オタクであり軍事オタクでもあります

テンプテーションでブライト艦長グリーンノアに寄港すると病欠を装いダッシュ帰宅部です。

カミーユ・ビダンファ・ユイリィセックスしていたのかどうかは言及されていません。

しかし、セックスしていないわけはないと思いたいです。

カミーユ・ビダンエマ・シーンに密かに調教されていたのかどうかは疑問があります

しかし私を吸いなさいと言いながらクンニ強要した疑惑はあります

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2025-07-12

弱小部活の想い出

中学ソフトテニス部だった。

公式的な試合で一度も勝てたことがない。

ソフトテニスダブルスなので、ペアを組んでいる人に申し訳なく感じる。

高校では帰宅部になって本当によかった。

ただ部活の話になると「〇〇大会とか出た?(なんか上位陣の戦い)」とか「補欠だったとか?」と言われる。

違う。出たくもない大会に出て負けていただけだ。

ここで「一度も勝ったことがない」と言えば、「またまた〜w」と言われる。

自分運動神経は良かった方で、入った高校の体力テストでも上位の方だったが、中学の頃の試合では勝てなかった。

ソフトテニス自体技術が足りなかったのだろう。

ソフトテニス大会は負けてもすぐには帰れない。負け審というものがあり、負けたペアが別の試合審判をやる。

審判は難しい。ただでさえ自分よりも弱い奴らに試合の結果を左右されるなんてかわいそうだなとも思った。

大会で他の学校の人が「〇〇中(私の学校)はザコだな」と言っていたらしい。それを直接聞いたらしい子はムカついていたが、私は別に何とも思わなかった。

実際私含めて他のペア試合で勝ったところをほぼ見たことがなく、部活全体として弱小なのは事実だった。

さすがに3年の最後試合で1年生ペアに負けたのは悲しくなったが、相手校の練習の質や在籍人数を考えれば負けても仕方がない。

練習も何のためにやっているのかわからないものが多かった。

顧問は終わり際にやって来て何も言わない。

基礎トレーニングというものをやっていなかった。というか、練習の仕方がわからなかった。

からランニング素振りをした後はすぐに練習試合をしていた。

当時は筋トレ戦略を考えたりとかも思ったが、別に部員みんなが試合に勝ちたくて部活をやっていたわけではない。

真面目に基礎トレをする部員は2人くらいで後はサボっていた。

みんなにとって私は頑固なマジメくんに見えていたかもしれない。

楽しくソフトテニスをする。それだけでいいのが、公式試合で勝つことに目的が移ってしまった気がする。

3年やっていてわかったことは、私にソフトテニスは合わない。もうやりたくもないし道具も捨てた。

この経験無駄だとは思わない。

世の中勝った人間よりも敗れた人間の方が多い。

最近部活が「コベカツ」になると聞いた。

いいな。勝ち負けが無ければ好きになれたかもしれない。

未練があるとするなら、シングルスでやりたかったな……。

Permalink |記事への反応(2) | 19:56

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2025-06-25

anond:20250625035707

帰宅部でーす

はーいろんぱっぱ😝

Permalink |記事への反応(0) | 04:09

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2025-06-15

anond:20250615122939

ぬいぐるみが好きなのはアメフト部じゃない、サッカー部でもない

帰宅部

らしさ満点だろ

何言ってんだ

Permalink |記事への反応(0) | 12:31

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2025-06-11

anond:20250611114812

・多感な中学生時代に2chまとめサイトに入り浸り腐叩きしてイナイレ人気投票荒らしていた

コブラシティーハンターなど大人の男のかっこよさが描かれた作品を見たことがなくて深夜の萌えアニメで育った

野球選手プロレスラーなどの男性スポーツ選手に憧れを持ったことがない

学生時代はずっと文化部あるいは帰宅部で同性の友達と苦楽を共にした経験がない

ジャンプとかもこういう世代が作り手側に回るようになってるから「男が男に強い感情を向けるとかホモじゃんw」って冷笑して

かっこいい男、男の友情、男のライバル関係を正面から描くことを避けているから老若男女にヒットする作品がどんどん出なくなっていってるなと思う

若手が逆張りしてる間に大真面目に自分がかっこいいと思う男を描き続けて化け物コンテンツになってるコナン何だかんだで凄い

Permalink |記事への反応(2) | 18:29

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2025-06-04

anond:20250604021922

正直ゆって卓球部だけはない❗️

帰宅部のほうがましでしょ😂

Permalink |記事への反応(0) | 15:25

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2025-05-28

お前らは体育会系昭和根性論を嫌うけど

学生時代にそういう部活動で鍛えてきたからこそ、今でも仕事も遊びも全力でこなせる体力があるんだよ

文化部とか帰宅部だったやつなんかいつみても疲れた顔してるし

結局最後ものを言うのは体力と根性なんだよ

Permalink |記事への反応(1) | 18:32

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2025-05-19

内気な元音ゲーマーがピアノ教室ピアノを習っていた黒歴史

自分小学2年生~小学5年生の時に、ピアノ教室で通ってピアノを習っていた。

ピアノ教室は、週1で水曜日の30分のレッスンだったはずで、月に何回か忘れたが毎週か隔週に通っていたと思う。

個人宅の一戸建ての1部屋をピアノ教室にしたような所で、自分と歳が近そうな息子がいる主婦女性先生だった。

ピアノ教室に通って1~2年間は、1回のレッスンで1曲をクリアしていくペースだった。教材がまだ簡単だったせいか、家であんまり練習しなくても6割程度を通しで弾けたと思う。

しかし、通って3年目頃から弾く曲がちょっとずつ難しくなるとつまづく事が多くなり、達成感も無くなり、モチベーションが下がっていった。なんで弾きたいかもよく分からなくなっていたと思う。

惰性でピアノ教室を通うようになっていって、ちょっとずつピアノ教室が楽しくなくなっていった。



小2からピアノ教室を始めたが、自宅にピアノとかまともな楽器が無かったので(お下がり鍵盤ハーモニカリコーダーや、あっても父親が昔の若い頃に使っていた置物状態の錆びかけたクラシックギターしかない)、小3の頃に父親からもらったお年玉で1~2万円程度のCASIO電子キーボードを買ってもらった。(関係ない余談だが、ゲーム音楽を弾いてる芸人の「こまつ」が2000年代頃に所持していた電子キーボードとほぼ同じ種類の電子キーボードだった。)

しかしその電子キーボードは、5オクターブ(61鍵とか)程度しかないキーボードで、それでピアノ練習をするという、何だか今思うとおかしいというかケチった初期投資環境だった。

電子キーボード購入当時はお金を気にしてか、なぜか電子ピアノを購入する発想にならなかった。自分も親も電子キーボードピアノ代用ができると薄っすら思っていたようだった。

近場の家電量販店電子キーボードを選んで購入時には気付かなかったが、使っていく内に弾き押した感覚ピアノと全く違う事に気付いた(鍵盤を押した重さやピアノ音色や響きや音質など、電子キーボードでは差がありすぎた)。とにかく漠然と「コレジャナイ」というのが頭のどこかの隅にありながら練習をしていた。「ピアノ感覚で弾きたいのに…」と地味に不満に思ってて、モチベーションが下がっていった地味に要因の一つだったと思う。

しか自分が知らない間に、父親何となくリビング電子キーボードを設置してくれたが、自分リビングで弾くのが恥ずかしかった(自分が弾いてる姿も)。どちらかというと自室とかにこもって独りで弾きたかった。恥ずかしさや迷惑さで親にも相談できなかった。そんな事もあってリビングに誰もいない時を狙って隠れて弾くため練習頻度が下がった。

友達にも「ピアノ教室に通ってるけど、何の曲を弾いてるの?」と聞かれたが、弾いてる曲も子供向けの曲(曲名無名な曲)で恥ずかしくて、濁すしかなかった。



小5の頃には、練習をかなりサボるようになったりして先生の前で弾けなかったり、ピアノ教室に行く事をグズったり遅刻したりしていて、次男から「辞めろよピアノ教室」と軽蔑気味に言われて(※自分末っ子)、ピアノ教室の日が来る度に内心苦しく困ったままで通って、妥協しながらやり過ごしていた。

先生から特にサボってる程の練習量について何も言われなかった。自分動機とか音楽の好みとか自宅の練習環境とか理解されてなかったと思う。先生とも音楽の好みが合わなかったと思う。

小5の頃には、先生も教え方が余所余所しくなり、「躓いてるけど、自分で反復練習するものから」と素っ気なくなっていた。

(自分は人見知りな事もあって、先生と打ち解けた事はほぼ無くて、レッスン中に「先生トイレに行ってるから何か弾いててもいい」と言われたが、恥ずかしくて自分は何も弾けずに無音状態で待っていたら、トイレから戻った先生から「また静かだった」と言われて戸惑った程に人見知り。)



小5の頃からなぜか自分は勘繰りが起こるようになり「先生の教え方が手抜きになってないか?」「手抜きなのに親に月謝を払ってもらっている、つまり自分は鴨になっているのではないか?」と疑心が生まれて「どうせ自分へのレッスンは金蔓なんだろうな」という偏見感情が芽生えていた。

元々自分幼稚園生の頃からゲーム音楽が好きでDDRとかbeatmania(5鍵)やギタドラ初期などの音ゲーかにも興味があって「楽譜を読めるようになりたい」とかで漠然なまま「音楽を習ってみるか」となってたが、レッスンを受けると訳分からない童謡みたいな子供向けの曲を弾かされて、演奏する曲の殆どそもそも自分の好みの曲ではなかったし、好みでない曲はフラストレーションの要因でしかなかった。

当時は自覚していなかったが、どちらかというと自分は座学がやりたかった。座学はあったが30分のレッスン時間の内の10分間程度の座学で、座学だけをやるような選択はなく、座学には重点が置かれていなかった(「座学と実践」の割合は、3:7ぐらいだったと思う)。今ならコード進行とか学びたかった。

(一応、学習指導向けのピアノテキスト教本で、それに沿って演奏して実技が身に付くような教え方はされた。他には「バーナムピアノテクニック」の教本に沿って実技をしていた記憶がある。)



レッスンを受ける意義も分からなくなり、自分が好きな曲を弾きたいという動機は薄っすら残っていて、小5の時に「ゲーム音楽を弾きたい」とようやく相談して、自分が小4の頃に器楽クラブ顧問から運良く頂けた「スーパーマリオブラザーズ(地上面)」の楽譜を、ピアノ教室先生に見せたら何故かスルーされて、先生が所持してる楽譜の中から弾けるゲーム音楽を選ぶ事になった。

しかし今よりゲーム音楽は有名でないせいか、選べるゲーム音楽楽譜が少なく、ドラクエ序曲のマーチアレンジ(子供向けな編曲)やFF10の「ザナルカンドにて (終末的な悲しい曲)」のピアノ楽譜があって自分としてはどちらかというと本望ではないが、それらをレッスンで弾く曲に選ばせてもらって弾いたが、なぜか楽しくなかった。どちらかというと恥ずかしさとか気まずさが強く、弾いてて感情移入してる感じがしなかった。



小5の時に同級生が、近所におじさんが教えてるパソコン教室があって、そこに通っている事を知った、それを母親相談して自分パソコン教室にも通わせてくれる頃に、自分ピアノ教室を辞めたいような意思になって辞める方向になった。

これまで送り迎えだけだった母と一緒にピアノ教室の部屋に入り、母親先生に受講を辞める相談をしていってる最中自分は、なぜか目から涙が流れてしまい止まらず、かなり気まずい雰囲気になってしまった。惨めや悔しさの涙だったと思う。



そもそもピアノ教室に通うようになった経緯は、「楽譜の読み方が知りたかった」とか「ピアノのドの鍵盤ってどこ?」というような素朴な疑問が動機で、それを母親に話したら適当ピアノ教室を勧められて、どういうピアノ教室か分から吟味せずに何となくピアノ教室を選んでしまっていた。

(ピアノ教室受講した後に知ったが、近所にも似たようなピアノ教室があったのに、なぜか近所から少し離れた町のそのピアノ教室が選ばれてしまって、親による送迎の負担が増えただけだった。まだ機会費用的に近所のピアノ教室の方が良かったのになんで?と思う。)



今思うと「インターネット楽譜の読み方を知る」というのが「顧客が本当に必要だったもの」だったように思えた。(当時、親はIT関連に疎くPC購入やネット開通もかなり消極的だった。)

実は「ドラムがやりたかった」「まだピアノよりドラムの方がまだ才能が伸びていたのではないか?」という懐疑がある。

あとは「もしピアノ教室先生ゲーム音楽電子音楽に興味があったらまだ変わっていたのではないか?」と思う。もし当時の小学時代KraftwerkとかYMOとか勧められて知っていたら多分今より音楽知識が身に付いていたと思う。(YMO自分に刺さったきっかけは中2の頃に見たYouTubeMV動画だったと思う。ちなみにJ-POPとか邦楽流行歌には興味がない。)

(ちなみに器楽クラブ顧問女性教師で、たまたまスーパーマリオブラザーズ(地上面)」の楽譜教師が偶然に持っていただけで、ゲーム音楽電子音楽には興味無いようだった。)

当時から言語化できないような無自覚的なフラストレーションや水面下な問題が溜まってたばかりで、今でも地続きで機会損失が大きくなってると思うと、今は後悔でしかない。黒歴史



小4の時に小学校のクラブ活動で、グループに分かれて合奏をするような器楽クラブに入ったが、自分けが落ちこぼれクラブ女子しかいなくて女子と打ち解けれないし助けを求められず割と浮いてて孤独で、上級生だけでなく同学年の女子普通に楽譜通りスラスラ楽器が弾ける人ばかりだった。

自分ピアノを習っていて楽譜が読めていたと思っていたはずが、弾きながらも楽譜が読めない・まず大体を暗譜しないと読めない状況で(オーケストラ用の楽譜で見慣れない程に楽譜も小さくどこのパート楽譜迷子になったり、ヘ音記号楽譜なのにト音記号楽譜であると思い違いして読み間違えにしばらく気付かなかったり)、

その弱点に気付かず能力の無さに内心焦りながら、自分雰囲気だけは皆と演奏してやってるという感じを醸したクラブ活動をしていて、クラブ活動も尻込みになった。

学校でそういうさり気ない悩みがあっても、器楽クラブに入ってる事をピアノ教室先生に言えてない、親も自分器楽クラブに入ってる事を知っていないと思う。

(ちなみに小5から科学部(科学クラブ)に入った。ほぼ遊びみたいで楽しかった。小6になって別のクラブに入ったけど。あと、その頃に受講を始めたパソコン教室は最終的には円満的に通い切った。) (中学生時代部活はほぼ3年間は帰宅部器楽クラブの影響で、地味に部活動というのがトラウマ無力感になってると思う。)



「才能が無い自分のせい」と言われればそれまでだが、マッチング的に「自分の嗜好や動機などを理解されず能力のようなものを引き出せられなかった周囲も残念な環境だったのでは」と思う。巡り合わせの問題とか。

自分は歳を重ねるに連れて自分が好きだった音楽を耳にする度に「絶対音感能力があれば…」ぐらいの無念さ劣等感が大きくなってくる。「絶対音感があれば、好きな音楽耳コピとか分析が高精度で確実にできて、人生が変わっていただろうな」と。好きなはずなのに馬の耳に念仏で溜息しか出ない。山月記みたいになりそう。

自分は本当に音楽が好きなんだろうか…。単純接触効果的な大きな勘違いでなければいいが…。



余談だが、音ゲーについての自分の腕前は、家庭用IIDXHAPPY SKYの段位認定10段をアナコンでクリアしたのが限界で、高1がピークだったと思う。高2の頃からほとんど音ゲーには触ってない。自分音ゲーゲームも才能が無いと強く気付き始めていったのはその頃だった。

自分音ゲー楽曲についての話をピアノ教室クラブ活動などでも話す機会は一切無く、幼小から自分が好きだった音楽は誰にも繋がらず糧にもならなかったのであった。



Permalink |記事への反応(3) | 14:30

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2025-05-16

なんか会社メンターかい新入社員相談係に任命されたんですけど、新入社員高学歴高身長陽キャイケメン体育会系中高大サッカー部居酒屋バイト洋楽大好き筋トレ大好き海外旅行大好き)が俺(低学歴身長ヒョロガリ陰キャ趣味なし彼女なし友達なし中高帰宅部休日寝てたら終わる)に何を相談することがあるんですかね

っていうかまじで年齢しか上回ってるとこねえな明らかに人選ミスやろ笑早く助けてください泣

Permalink |記事への反応(0) | 19:30

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2025-05-14

何回中学受験しても日本の子供は世界最先端CPU設計は出来ません

全力を尽くして人材派遣会社に末席で入社することがかしこ戦略

夢を見るのはいいがアメリカ研究力と中国勉強量を舐めている

帰宅部高校からアメフトを始めてアメリカプロになろうとするようなもの

Permalink |記事への反応(0) | 01:24

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