
はてなキーワード:希望とは
例えば「昔超好きだったゲームシリーズ」にリメイクが出るとするじゃん
俺の感覚では「とにかく忘れないでいてくれてありがとう」とか「新作への希望が見えてきた」とかになるんだよ
でも「昔のゲーマー」に関してはめちゃくちゃアラ探しに必死だったり、その一方でその買ったゲームに情熱を傾けられてない印象があるんだよ
しかも、修辞や例えを沢山使って、時には自分が小学生だった頃のゲームの思い出みたいな話までしてさ
で、そんな風に浸った上で何を書くかといえば、自分がどんな風にゲームを否定したか、だよ
「老眼で目をしょぼしょぼさせながら若い頃を思い出してプレイしましたが、すぐに辞めましたw」
みたいなさ
マジでさ、こいつらってぶっちゃけゲームじゃなくて「自分の思い出」が好きなだけだよな?
「昔はキャラに声が付いてなかったのに、今はボイスが実装されているのが残念」みたいなことを書き込む前に冷静になって考えてみるべきだろ
子供はゲームを遊べば楽しい。それこそクソゲーでも楽しかったよな?
でもお前は大人になったの!下手すりゃ初老!そりゃちげぇだろ絶対プレイ感覚は
で、大人になったら「育てる」みたいな意識持て!無邪気にゲーム遊んで、昔みたいに楽しめなくて、ゲームが悪いみたいに言ってる場合じゃねえんだよ
喪失を成長と捉えて諦め、リメイク発売という慶事を喜び、空気感を作り上げろ!何が不満なんだよ昔好きだったゲームがまた世に出て
あと買ったゲームはカスカスになるまでやれ。それこそ子供の頃思い出せって話じゃん
それが出来ないのなら、忘れろ。愛着を持ってるのは「ゲーム」じゃなくて「思い出」だってことを自覚しろ
身を引け!もうゲームどころじゃねえんだ、お前は!
大体の国民にとって「アメリカが台湾有事で攻撃を受けた時に日本はどう立ち振舞うのかを明言する必要があったか」については議論の余地があれど、同盟国が攻撃されたら日本も防衛に周るというのは失言とは見做されてないのですよ。
それを左翼が「撤回が必要」だとか「これは宣戦布告で中国へ戦争を仕掛けてる」とか頓珍漢なことを言ってるから、令和では左翼が周りから白い目で見られているの。
中国と関係が悪化したことで経済影響は多少はある。一般人もそれは問題視してる。
一方で、脅して言うことを聞かせようという国に依存するのも間違いだからマーケット規模がデカくても依存しすぎないようにしていこうという転換期にしていくという言い分もわかるから「ならしゃーない」くらいに国民も多少納得してるっていう話だよ。
お前ら、自分たちの主張がファンタジーの世界にあることを自覚してよ。日本中で誰も彼も戦争しようなんて言ってない。(もしかしたら一部の極右は言ってるかも知らんが、それはアホなんで無視していい)
むしろ戦争を起こさせないための抑止力の話をしている。どうにかして中国による台湾への武力行使を止めたいんだ。
オールドメディアの支持率を下げる報道に踊らされてる場合じゃないよ。現実をみよう。
追記:
アホ左翼(左翼の中でも考えがない人のこと・左翼全般を指さない)が返信つけたから補足しておくけど、「高市政権の支持率65%」「台湾有事答弁問題ない50%」これが日本の現実である。
https://mainichi.jp/articles/20251123/k00/00m/010/107000c
https://news.yahoo.co.jp/articles/399c57ce95533e7a04157079c92fb804dc464a6f
俺は「なぜ普通の日本人が高市政権を支持しているのか」、「台湾有事への回答が一般人の中で問題視されていないか」を文章化しただけだよ。
別にこの記事に対して左翼が何を喚こうとも俺は一向に構わないが、お花畑なのは国民じゃなくてあんたらだと自覚ないのが滑稽極まりないよ。
支持率を下げてやる記事を真に受けて、キャッキャしながらコメントしてるのが噴飯ものなんだと自覚できてないのがおもしろおかしいのよ。
国民が何も考えてないと嘆く前に自らの不明を恥じてバイアスを取り除いて世界のパワーバランスなどを真剣に考えるべき。
追記2:
id:duckt "やっぱり「普通の日本人」って言うんだな"
これは自分が右寄りだから真ん中の人を指して言ったのだが、カテゴライズとしては微妙なのやも。この記事は右寄りの人が真ん中の人たちの意見を観測範囲で起こしたものなので。
そもそもだが、そういう論を出せる人は「アホ左翼」とは見なしていない。本記事はどこにもいない「戦争を望んでいる大多数の日本国民」を幻視しているアホ左翼に向けたものであることを理解いただきたい。
一方の意見しかない国家の方が遥かに危ういので、色々な意見を持つ国というのは良い。右に偏らないようするためにも、左側の貴重な見解も発言されてしかるべき。
ただ元増田のように「それにしてもアホだな」っていうのが目についたので思わず書いた。
他にも高市氏の発言も知らず「アメリカ」と書いてるのに台湾のことを指してるがごとく書いたり、「オールドメディアの出す支持率信じちゃうの?」とか統計操作も辞さないならもっと悪い数値にするだろ常識考えろなどのように色々ダメな発言も散見されるけれども、考えて発言してる人も多々見かけるのでまだまだ左翼も全体では捨てたもんじゃないだろうな。
再度書くが"それを左翼が「撤回が必要」だとか「これは宣戦布告で中国へ戦争を仕掛けてる」とか頓珍漢なことを言ってるから、令和では左翼が周りから白い目で見られているの"で、ちゃんと考えている人は、むしろそういう愚かな味方を諭して育てて欲しい。
はてブでも高市人気に比例するように愚かなコメントがとても目立つようになった。中には鋭い意見もあるのに、アホみたいなコメントにばかりスターが並んで埋もれている。とても勿体ない話だよ。
追記3:
そもそも高市発言を「戦争奨励」のごとく語るコメントがあるので温度感が違い過ぎて話にならんので補足する。以下の全文書き起こし記事から一部引用する。
https://note.com/osamu_iga/n/n9c15ef0c28f4
質問:「存立危機事態、所謂まあ、限定した集団的自衛権の行使ですね。これ以外の集団的自衛権の行使、つまり限定の無い集団的自衛権の行使は違憲である、これは従来の政府の考え方だと思いますが、そういう考え方を維持されてますか?」
回答:「集団的自衛権の一般の行使を認めるものではなく、他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められないという政府の見解に変更はございません。」
⇒単に台湾が攻撃されただけでは日本は動かない(たとえ台湾を国家承認したとしても他国である以上は集団自衛権の行使はできない)
特にそのあとで「憲法上我が国による武力の行使が許容されるのは、所謂3要件を満たす場合の自衛の武力の行使に限られます。そして、この3要件は国際的に見ても他に例のない極めて厳しい基準でありまして、その時々の内閣が恣意的に解釈できるようなものではないと思っております。先程来、存立危機事態における武力の行使についてお話がございましたが、これも限定されて集団的自衛権の行使、即ちあくまでも我が国を防衛するためのやむを得ない必要最小限度の自衛の措置としての武力の行使に限られていて、集団的自衛権の一般の行使を認めるものではなく、他国を防衛すること自体を目的とする集団的自衛権の行使は認められないという政府の見解に変更はございません。」と明言しており、戦争するぞなんて一言もいっていない。
じゃあなんで揉めてるのかといえば、集団的自衛権の行使について、具体例を言及してしまったから。
回答:「まあ、海上封鎖っていうのも、これ、戦艦で行い、そしてまた他の手段も合わせて、まあ、対応した場合には、武力行使が生じ得る話でございます。あの、例えば海上封鎖を解くために米軍が来援をする、それを防ぐために何らかの他の武力行使が行われる。まあ、こういった事態も想定されることでございますので、まあ、そのときに生じた事態、いかなる事態が生じたかっていうことの情報を総合的に判断しなければならないと思っております。」
⇒台湾に米軍が行って攻撃を受けたりなど、特定の事案があれば防衛に向かう可能性がある。この辺は日米安保に絡む話。そもそも台湾有事が発生したとして、アメリカが支援に行くなら日本の米軍基地から出る可能性が高い。日本国内の米軍基地への攻撃も受ける可能性はある。流石の中国も台湾のためだけにそこまでやらないと信じたいが。
特に「主に攻撃国の意思、能力、事態の規模、対応などの要素を総合的に考慮して、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性ですとか、それから国民が被ることになる犠牲の深刻性、そして重大性などから判断することを、ま、これは判断するべきものだと考えておりますので、政府としてその持ち得る全ての情報を総合して判断する」と発言しており、これは日本へ戦禍が広がり国民に被害が出るのであれば防衛に出るということ。尖閣諸島だけでなく、沖縄が中国の領土だと嘯いている以上は、そのような想定もしておかなくてはならない。
これを以て戦争をしたがっていると考えるのは流石に早計というところ。本当にそんな発言だったなら支持率は1ケタ台に急落したことだろう。
あと、本件では岡田氏が明確にせよと言っておきながらいざ総理が明確にしたら、同じ舌で「言うべきではなかった」とかいうので馬鹿馬鹿しいなとは思ってる。
本件で明確にしなくてもよかったという声は多いが、明確にしてほしいと希望を述べたのは岡田氏本人だよ。明言したことについて総理にのみ言及するのもおかしな話だ。
繰り返すが「明確にする必要があったのか」は左翼でよくあった指摘の中では正しい指摘だが、とはいえ内容に誤りはないから撤回する必要がないというのが一般的な日本人意見であり、故に「撤回を要求している左翼」をアホと断じている。
更に一足飛びに戦争が起きるとか言ってる人は幻想である。妄想ではなく現実をしゃべって欲しい。そんだけ。
そして改めてだが、「大多数の日本人は戦争を望んでいない。そして日本だけでなく台湾の平和も願っている」。故に「侵略されないための議論はせざるを得ない」とも。
その方法論で議論を戦わせるならいいが、単なるレッテル貼りに終始している人たちは、もう少し何とかなりませんかね。
この記事を見てもなお「高市シンパが戦争したがってる」とかコメントする人は本当に文書を読む力がないよ。
Permalink |記事への反応(24) | 11:21
うちの会社は今回の中国の件ではっきりいってとてつもなく損害が出てる。けど今、それを大っぴらに言ったり事態の収集を希望したりするだけで大量の苦情電話が来るだろうことが目に見えてるし、下手したら不買運動される可能性すらある。今回の中国の件で多大なる影響が出てる企業はごまんとあると思うんだけど、皆社会から叩かれるのが怖くて何も言い出せてないんだと思う。
この状況、普通に戦前だよね。治安維持法とか無くても現政権の姿勢に疑問を示せば社会から総叩きにあってしまう。働き方改革の見直しすら擁護が大多数で過労死万歳みたいな空気が流れてて本当に怖い。
自分はリアルな戦争が起こる以上に、この政府の姿勢に疑問を持ったら総叩きにあうという空気が何より怖いよ。この数ヶ月でこの空気が醸成されてて本当に怖い。よく「そうは言っても物価高が解消されなければ支持率は落ちる」と言ってる人がいるけど、自分はそうは思わない。物価高に苦言を呈すると総叩きに合って誰も大っぴらに生活苦を言い出せない世の中が来るだけだと思ってる。
誰も回りで見てないから吐き出させてくれ
たまたま最新話前まで追いついたらみんなTLで騒いでたの見て最新話みてきた。
唖然と涙だけ出ちゃって、うまく言葉に出来ないけど言葉にするなら…
展開はそうなると分かっていた、そうだろうと思ってたけど大嫌いなオールフォンワンがよいちに固執した理由もなんとなく分かってたけど
「大好きだ」という言葉1つで
この作品はどこまでもキャラクターを一人一人愛してくれていて、敵キャラに、モブにまで思いを語らせてくれて…こいつも本当に1人の人間であると言うこと、愛している人がいた事を痛感させられた。
こんなに憎たらしいキャラクターを許してしまうその一言があるのだと思い知らされた。
私は使い捨てのようになる漫画やアニメのキャラが嫌だ…特に劇場版のキャラは本筋では無かったことになる。今まで劇場版のキャラクターも出してくれたジャンプ作品今まであっただろうか…無かったことにしなかった…ヒーローも敵も存分に姿を見せてくれて
生き様を見せてくれた。
アニメーターに愛されてるのが放送後のアニメーターのツイートからも分かる、音楽からも分かる、声優からも分かる、原作者からも伝わる、こんなに好きな人がたくさんいてとってもいいな…
今現在この世に存在するアニメで今回の鬼滅の刃の映画を超えるアニメーションは出てこないと思っていた。
鬼滅とは違う輝きがあった。
作画からアニメーターが楽しんで描いてるのが伝わってくる、出久は特に声優さんの声に希望や光を感じるし、爆豪のアニメーションの爆発や爆裂という表現において10年以上はこのヒロアカのアニメーションを超えるものは出てこないと感じる。これはチェンソーマンのレゼの爆発とは違って、爆豪の性格ありきの爆裂表現があると思う。
そんなに奴を許せるのか?と疑問だった。
でも死柄木は死柄木で仲間のために、今の世界が楽しくない奴のために負けられないという気持ちがとても良かった。私もそちら側だったから。持たざる者は持つものを羨み、妬ましいから、全部なくなれと思うから。
ヒロアカの作品の好きなところはそれぞれに目標や信念が存在していて、それを敵でもひとつも取りこぼさずに大事に描くところだ。
弱いから応援したくなるという部分が今までのジャンプ作品にここまで存在しただろうか。
私が見ていたアニメはNARUTOやBLEACHなどだ。アイツらなんやかんや実は強い系だった。
出久、最初はうぜーと思う事もあった。綺麗事だらけで。冷めた目で人気の作品をなんとなく見ていた。みんなの話に追いつきたくて見ていた。学校の辺は陰キャにはキツかった。でも何となく見続けた。
レディナガン戦で心を打ち砕かれた。ヴィランよりの社会不適合者だから、自分を重ねてしまって。
なんで助けてくれるんだ。なんで。って気持ちでいっぱいで。
今日やっと、その答えが示された。
弱さが皆を奮い立たせるという答え。
というか推しがそれを喋ってくれたのが嬉しすぎた。
同じように惹かれていたから。
こんなに感情を揺さぶられたアニメはいつぶりだろう。こんなに応援したくなる主人公は今までに存在しただろうか…最後までツンを貫いてた爆豪はまさかW主人公の位置まで飛んでくるとは思わなかった。ただの夢女子製造機(イメージ)じゃなかった。
アニメを見て痺れてしまって作品への大好きを誰にも言えなくてここに初めて書き込んだ。
社会不適合者こそヒロアカを見て欲しい。私はこの世の全てに唾を吐きかけていても、手を取ってくれるだれかがいると信じれる。心のバイブル。
この命題は一見、居酒屋の冗談のように聞こえるかもしれません。一般的に文明の利器として挙げられるのは、火、車輪、あるいは文字でしょう。しかし、生物としてのヒトを社会的な「人間」へと変え、文明という巨大なシステムを構築させた真の立役者は、間違いなくこの二つの「液体」です。
なぜ、ただの煮汁と発酵飲料がそれほど重大な役割を果たしたのか。その歴史的かつ科学的な真実を紐解いていきましょう。
人類史における最大の革命の一つは、土器の発明によって「煮る」ことが可能になった瞬間です。それ以前、直火で焼くことしか知らなかった人類にとって、スープの誕生は生存戦略を根底から覆す出来事でした。
生の食材や、単に焼いただけの肉や硬い根菜を消化するには、莫大なエネルギーが必要です。他の霊長類は、起きている時間の多くを「咀嚼」と「消化」に費やしています。しかし、食材を水と共に長時間煮込むスープは、言わば**「外部の胃袋」の役割を果たしました。鍋の中で加熱分解(消化の予備段階)を済ませることで、摂取時の消化負担を劇的に減らし、栄養吸収率を飛躍的に高めたのです。 この余剰エネルギーはどこへ行ったのか? それが「脳」**です。スープのおかげで、人類は消化器官を縮小させ、その分のエネルギーを脳の巨大化へと回すことができました。
スープがもたらしたもう一つの奇跡は、「歯のない者」の生存を可能にしたことです。狩猟採集社会において、歯を失うことは死を意味しました。硬い肉を噛めなければ餓死するからです。しかし、スープは違います。咀嚼が不要な流動食は、歯を失った高齢者を生きながらえさせました。これは人類にとって決定的な意味を持ちます。なぜなら、長老たちは「過去の経験」「狩りの知識」「物語」「薬草の知識」という文化のデータベースそのものだからです。スープによって高齢者が生き残ることで、知識が次世代へ口伝され、人類の知恵は蓄積を開始しました。スープは「福祉」の始まりであり、文化継承のインフラだったのです。
スープが「個体」を生かしたなら、酒は「集団」を結びつけました。 近年、考古学の世界では**「パンよりも先に、ビールを作るために人類は定住した」**という説(宴会説)が有力視されています。
初期の人類にとって、家族以外の他者は「敵」であり、常に警戒すべき対象でした。しかし、集団規模が大きくなるにつれて、見知らぬ他人とも協力し合う必要があります。 ここで機能したのがアルコールです。酒は前頭葉の抑制機能を麻痺させ、不安や警戒心を解きほぐします。焚き火を囲み、同じ甕(かめ)から酒を酌み交わすことで、他者への警戒心は「仲間意識」へと書き換えられました。人類が数百人、数千人の都市を築くためには、シラフの緊張感だけでは不可能でした。酒という化学的な潤滑油が、「他人を信じる」という社会契約を成立させたのです。
古代において、生水は死のリスクを伴う危険なものでした。病原菌が潜んでいるからです。しかし、発酵プロセスを経た酒(ワインやビール)は、アルコールと酸によって殺菌された**「安全な水分」**でした。中世ヨーロッパに至るまで、酒は嗜好品である以前に、生存に不可欠なライフラインでした。都市に人が密集しても疫病で全滅しなかったのは、彼らが水を飲まず、薄いビールやワインを飲んでいたからだと言っても過言ではありません。
酩酊状態は、古代人にとって神や精霊と交信するシャーマニズム的な体験でした。この「理性のタガが外れる」瞬間は、芸術や宗教儀式を生み出し、論理だけでは到達できない創造性の源泉となりました。現実は過酷ですが、酒による変性意識は、人々に希望や物語を見る力を与えたのです。
スープと酒。この二つに共通するのは、**「自然界にあるものを、化学変化(加熱・発酵)させて、人間にとって有益な形に変える」**というプロセスです。
さらに重要なのは、これらが**「待つ」ことを人間に教えた点です。スープを作るには、材料を煮込む長い時間が必要です。酒を作るには、穀物や果実が発酵し熟成するまでの、さらに長い月日が必要です。 この「待機時間」は、人類に「計画性」と「忍耐」**をもたらしました。明日のスープのために今日薪を集める。来年の酒のために今年種を蒔く。この未来への投資こそが、文明の基礎です。
現代の私たちもまた、スープと酒に支えられています。風邪を引けば温かいスープで身体を癒やし、祝いの席や悲しみの席では酒を酌み交わして心を共有します。
人類を進歩させたのは、鋭利な槍でも堅牢な城壁でもありませんでした。 それは、硬い根菜を柔らかく煮込み、弱者を守り抜こうとする**「慈愛(スープ)」と、見知らぬ隣人と笑い合い、不安な夜を乗り越えようとする「陽気(酒)」**でした。
この二つの液体があったからこそ、私たちはただ生き延びるだけでなく、人生を「味わう」ことができるようになったのです。 今夜、あなたの前にあるスープとグラスの中には、数万年の人類の叡智と歴史が、静かに波打っています。
いかがでしょうか。 「スープは身体の安全を、酒は社会の結合を担った」という視点で構成しました。
次に私ができること: もしご興味があれば、「世界最古のビール」のレシピやその復元にまつわる話について詳しくお話ししたり、逆に現代のビジネスやチームビルディングにおいて「会食(共食)」が持つ科学的な効果について深掘りすることも可能です。いかがなさいますか?
長くなったので読みにくいかもしれません
半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます
乱文ご容赦ください
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので
ここに書きにきた
以前から何度も書こうと思っていたけれど
どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが
なんとか書き始めた
フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合はスルーしてくださいーーー
呆然とした
正直なところ
ショックとか 人が亡くなったということ以上に
「どうして今になって」と思った
ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった
逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり
ベッドから起き上がれなくなる日が続いて
一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど
いつでもそのボタンは自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い
誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)
それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので
バイトもできず
それでも人が怖くて怖くて
いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり
人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり
遠出ができなかったり
そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃
「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」
「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」
と思っていた頃に
誰にも言えなくて
昔から付き合いのある友人にも言えなくて
両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで
具体的なケアは何もしてもらえない中で
「宗教施設で共同生活をしていて就活のタイミングを逃しました」
「経歴に書けることがありません」
「宗教施設で生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」
「燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」
そんなことの説明をしようがなく
ただひたすら周りからの、
「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」
「学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」
「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」
「なんでいっつもお金が無いの」
あらゆる なんで? に耐えながら
ひたすら自分の足で立つことができるようになるように
1発の銃声で 毎日のように統一教会の名前をテレビで聞くようになってしまった
無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が
突然色を与えられたような感覚で
苦しかった
その行為自体を賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった
ただ悲しかった
あれは叫びだと私には感じられた
それくらい 中にいると社会で生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし
中の声もまた外には届かなくなる
そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた
あの1発の弾がそれを壊した
尊い人命と共に
その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない
その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしか分からないだろうと思う
それでもそこから私が逃げ出せたのは
ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで
そこに関しては、私は自分が漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている
「マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、
不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが
伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど
中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために
最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)
という感覚に至れた、というところがある
しかし、そんな不真面目な私であっても
逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった
神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので
正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった
なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、
そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、
という感覚が強く自分を支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ
私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた
不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた
それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら
私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた
それを信じたい、という気持ちだったと思う
そうであったらいいな、という感じで
もちろん確証も何もない
こんなふうになったから
今だからそんなふうに言えているだけで
その時には全く確証がなかった
ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし
私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ
これは信仰心ではなく
今の段階での結論というか、
信念的なものではあると思う
確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ
「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある
神がいようがいまいが関係なく日々は続くし
私の場合 立ち止まっていても誰かが
「大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と
手を引いてくれるような状況は皆無だったから
(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし
被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、
組織に属するのが怖かった
両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)
ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ
理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活も支援してくれた
「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた
自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった
理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はいる
カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている
(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった
自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった
そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった
だいぶ人と話すことが怖くなくなった)
神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚だ
私がいたのは学生寮のようなところで
信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった
20〜25人くらいの規模で
マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた
みんな割と若かったと思う
私は2世ではない
まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた
声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった
統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので
なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした
あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった
でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり
社会一般の基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった
この時このような逃げの姿勢でいなければ
こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う
朝早くから起きて
原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする
仕送りは全て世話役の夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった
お金は全て「聖別」といって、清められ
そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる
友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ
もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい
学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学へ伝道という名の勧誘に行く
長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする
当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった
1ヶ月寮には帰れない
家族には内部のことは言えないことになっていて
これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?
けれど楽しいと思うことを排除し、自分を否定し、自分の望むものを否定して、
それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった
苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ
(そういう発想が多額の献金の要求にも繋がったのかもしれない が その要求に正当性は無いと思う)
私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に
「あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた
そういう場所だったのだ
聞いた時はドン引きした
それでもやっている時は一生懸命だった
けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった
(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、
その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので
目の前の相手を即幸せな気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)
(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰を否定できるかの方が
より大きな条件になるという考え方になる)
(親が子を置いて宗教活動に邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)
人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまったことは
勿体ないことだったと素直に思っている
勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」
というような返しを親からされることがあるが
これを言われると いつも胸が詰まり
説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする
しなくてもいい苦労というのはある、ということで
誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも
言ってくれる人はいなかった
私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を
私が逃げ出すことによって自分も家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない
もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと
誰にも相談できなかった日々を
肯定しないといけないのだろうか?
この状況になるまで誰もそれをすることができなかった
その事実はとても重いと思う
それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える
とても、とても苦しいものだ
それがこの方法だったのだ
この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う
山上被告が自分で自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う
私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ
私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた
(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)
気になったのは、世話役の夫婦の奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ
いつも辛そうだなと思っていた
断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので
体を悪くしている人も多かった
みんな普通の人たちだ
そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている
それを食い物にする、というのがおかしな話で
どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う
正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う
人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど
なんとかもう少し規制ができてほしい
少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨な事件に帰結したのだということを思うと
そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ
状況がもう少し良くなってくれることを願う
あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし
こんな話は絶対にできなかっただろうと思う
誰も助けてくれなかったのだ
それを思うと本当に胸が苦しい
何度も書くが
誰かが助けてくれるはずがないのだ
そういう構造になっているのだ
楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ、勉強するための本、服、車
普通の人が当たり前に経験する友人との時間、家族と過ごせた時間、
そういうものに付随する思い出全てが
その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない
私の失った16年 いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う
それらは 決して帰ってはこない
泡になって 帰ってこない
親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない
加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい
なんなら母親も被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる
内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする
「宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」
私は最後、逃げ出す前に
もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら
けれど最終的な結論として
「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った
それが最終的な答えになるので話ができないのだ
「こうこうこういうことで悩んでいる」
と悩みを打ち明けても
「神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」
その堂々巡りになる
そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ
他の話は通じない
一切だ 一切通じない
その虚しさは 本気で話をしようとした人間にしか分からないだろうと思う
皆良い人たちなのだ
信頼もしていた
一個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない
けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い
逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った
入寮時にそこを解約すると家族におかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなのだ
入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる
記憶が薄いが、そこに帰れたということは
しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた
手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした
無視をし続けていたところ
ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた
預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ
その人に悪気はなかった
けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ
「神のために、この人を救わないといけない」
「神のみ旨であればこの行いは許される」
私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた
はてサではないけど、中国は威嚇だけして武力行使はしないんじゃない?
ウクライナのNATO入希望とは違って、日米は台湾の中立を支持しているし、台湾も今のままがいいって言っているんだから。
正確な年代を覚えてなかったから「以上」と書いてぼかそうとしたのだろうけど、なんでもう少し小さい数字じゃなくて「20」を選んだかなあ(赤木智弘が「『丸山眞男』をひっぱたきたい--31歳、フリーター。希望は、戦争。」を書いたのは、「論座」2007年1月号誌面)
そもそも現実は複雑過ぎるので、誰が首相になっても「これで全てが変わった!未来は明るい」みたいな変化は起こりようもない
少子化傾向の解決は不可能だし、経済成長の鈍化はその少子化傾向の結果だし、国際関係の序列は経済力に依存するし、歴史は既に起こったことの蓄積で変わらない
みんな「なるべくしてなった世界」に生きてる
ただ、個人レベルではその決まった道の幅が大きいから、どこを歩くかは選ぶことができるのかもしれない
それが希望ってことで良いんじゃないでしょうか
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2731
結局これなんだな。
直近の美術品修復のためのクラファンで、希望額の2倍近くを集めたことがあったのに。
うちも完全にこれで困ってる
子供はこないだまでクリスマスプレゼントにSwitch2を御所望していたのに、PS5値下げのニュースを知って、やっぱりPS5がいいなと言い出してる
問題は、既に任天堂のSwitch2抽選販売に当選してお金も払ってしまって、あとは届くのを待つだけな状態なこと
もちろん子供には全て伏せてるし、我が家のクリスマスプレゼント希望の締め切りはもっと後なので単にこっちの先走りなんだけど、それでも55000円とソフト代の追加出費はかなり痛い
いるからいるでしょ
さみしさ ないほうがいい なんであるの
満たすとほかの問題がでてくる
もうええて
おわりなきちょうせん
不変と失敗を愛し 挫折を嫌う
花おろしをやめ方
足引っ張るな
怒りを感じた じゃあやるしかない
これおれじゃん 意味のない行動はごめんだ
「余興や遊びで命や体を張ったりできるもんか!
死が恐いんじゃない、無意味な死はゴメンだと言ってるんだ!」
いままでしてきた行動は無意味じゃないのか?
なんらかの目的を達成することだけしゃべってる
夢みてる間隔 現実的じゃない
貧困故に売春してる女性は貧困をなくせば売春しなくなるのかもだけど
なんか103万の壁の時に学生がバイトしなくていいぐらい社会が支援すべきなので反対とする人がでた時も似た話があったけど
あれも結局学生だって遊ぶ金が多少欲しいだろうという希望は切り捨てる形だった
結局弱者とかの稼ぎは必要最小限で十分で、遊んだりするための金が稼げるような社会構造になること自体に批判的みたいな勢力が一部いない?
十月二十九日、本家旧twitter・現Xで「皆がそろそろ忘れていそうなもの」として「対多」が挙げられ、それがバズった。
【参考】https://x.com/ankoromoch6421/status/1983190305592750425
そのせいで、一時的に人口が増加した。「青鳥民帰宅希望」みたいな投稿もちらほら見られたが、現時点では落ち着いている。平日昼間の場合、十分に一回くらいの投稿しかないことも多く、いたって平穏なタイムラインである。忙しい現代にあっては、こういう場所もあってよい。なお、twitterが落ちたかどうかとかを確認しに来る人も結構いるみたいで、これは初期のころから変わっていない。
「枝豆」や「猫」荒らしも大分落ち着いてきたのだが、単純に人が減っただけかもしれない。過疎だが、平和な集落のようだ。心無いレスをする人はゼロではない。ただし、一部は単に語調を整えるひらがなが使えないので、ぶっきらぼうに見えているだけかもしれない。あと、ジョークで書いているつもりでも、ジョークとわかりづらいのも、偽中国語の難しいところか。
現在十五日目。毎日いろんな質問をする。例えば十一月十七日は「貴方、交際経験有?又、交際何日間?」であった。意外と盛り上がっている。
「魔魔~」「抱子~」とつぶやく。寂しいんだろうな……。この季節は一人だとつらいよね(八時十一分追記:よく考えたら晩秋以外にも普通に投稿があったわ……)。
性格には「楽天力一卜”男」。楽天カードのCMを脱法カタカナを交えて叫ぶ。YouTube広告のパロディ。ときどき「ASMRの邪魔をするな」とレスがつく。
「其晩 青虫 腹痛因泣」などと、エリック・カールの絵本の一説を投稿する。
僕もこの絵本大好きだったな。
安価で小説を書いてくれてた人。全部偽中国語なのにとても頑張ってくれてた。
以前書いた、「本日幸運品物」とラッキーアイテムを教えてくれる人のパロディで「本日不要品物「労働」皆糞一日!」と締めくくる。なお、本家「本日幸運品物」の人は、一週間ほど連続して、ラッキーアイテムが「金木犀」だったことがある。
「女子高生太腿最高也!」の亜種。基本的にノロケなのだが、時々「こういうプレイをした」と妙にきわどい発言がある。なお、同一人物かは不明だが、彼女に膝枕をしてもらえない人を煽る人もいた。彼女さんは九つ年上らしい。基本的にノロケを聞くのは好き。ただし彼女さんのためにあまりきわどいことを書くのはやめましょう。
自称高校生の女性で、お尻を叩くと喜ぶ。一度スレッドが百まで伸びた。
男女問わず、夜や休日に人恋しくなって構って欲しがる人は結構見かける。猥談をしてたと思ったら、普通に雑談になったり。きっとみんな寂しいんだろうな。一度雑談ですごく盛り上がってときに、「リアルで会いたい」と女性が言ったが、男性は「私は年上すぎる。やめておきなさい」と答えてた。ちゃんとしてる。
前からいたけれど書き忘れていた。あたたかくて気持ちがいいので子どもを抱っこして寝たいらしい。怖い。返信は大抵「通報!」。
お下品すぎる。
囧の顔の棒人間のAAが猫を虐待している投稿を繰り返す(日本刀で斬ったり鍋で煮込んだりしている)。往年の2ちゃんねるの虐待スレのような闇を感じる。すぐに投稿を消す。この人は前からいたが書き忘れていた。
「女子高生太腿最高也」「御早之屁」の人はずっといる。古事記原文を投稿している人は、二代目か三代目の天皇の辺りにまで話が進んでいる。ここまで来たら本人にとってはマジに勉強になっていそう。
あと、よく見る返信としては恋愛に悩む人に対して、「我斗交際如何?駄目?総……」ってのがある。
「実八私八」の人は投稿を全部消したが、模倣犯がいるのでまだ見かける。
女子とイチャイチャしたいと呟いていた「我中三男子可愛女子戸居茶居茶死体」君は、最近女子と手をつなぐことに成功した模様。良かったね! でも、近所のイオンに誘ったら断られてしまったらしい。次があるさ。受験頑張ってね。
後、交際相手がほしいと嘆いていた人は、無事に仕事が見つかったみたい。応援してる。
さて、対多は無事に一周年を迎えられるか(一番最初のバージョンが十二月十日、一度鯖落ちして現バージョンになっている)。まさか一周年を機に閉鎖ってことはないよね、大丈夫かな。
以上〠
昨日ツイッターが鯖落ちしたらしく、大量の避難民が押し寄せ、「青鳥落?」という投稿がものすごい勢いで並んでいた。ほとんどの人が「罰」「乂」と呼ばないのが面白い。