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はてなキーワード:差別論とは

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2025-12-05

anond:20251205124035

女性差別は解消したい ←これは概ね社会的コンセンサスある

この件が女性差別 ←これはかなり怪しい

差別論ってこういうの飛躍や嘘ばっかりやってるからアホ丸出し

Permalink |記事への反応(1) | 12:46

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2025-11-26

曖昧語の後づけ定義バトル一生やっるよな

男女論やら差別論やら政治芸能ももだいたいそう

ちょっと話題に勢いついて低能が群がるとまともな理屈は何もいえないかオリジナル定義品評会が始まる

Permalink |記事への反応(0) | 18:44

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2025-11-06

anond:20251106175521

差別定義を考えたらわかるんじゃないの。

差別とは許されない区別のことだって言ってる人からすれば差別は許されない

許せるもの差別じゃないという定義から

差別とはあらゆる区別のことだってっいう人からすれば

差別の中に濃淡あり個別に判定が必要

前者の考えでいる人は差別の明細についてなにも考えてないか

後者の方が一歩進んで物事を把握してる(しようとしてる)だろうね

この差を理解してない人ばっかりだから現状の差別論はゴミ

Permalink |記事への反応(0) | 18:02

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2025-09-10

何か個人的な望みがあって実現にはコストリスクがある

コストを払ってやるか、コストを嫌ってやらないかの二択が基本だが

ここで差別論を持ち出すと、コストリスクは誰かが払えと言う話をすることが出来る

そんな感じ。

Permalink |記事への反応(1) | 12:58

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2025-09-04

anond:20250904122518

俺が非難してるのは購入層が望んだから市場がこうだという一点だよ

差別論とかは好きにするといい

Permalink |記事への反応(1) | 12:27

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anond:20250904122216

差別論から始まって

企業マーケティングが最善ではない論に移行していく、定番のアホのあがき。

Permalink |記事への反応(1) | 12:25

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2025-08-08

anond:20250808010849

奨励会っていう条件揃ったルートが大昔から整備されてるのに

女流編入が難しいのはおかしいで差別論展開するの無理が過ぎるな

Permalink |記事への反応(2) | 08:15

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2025-07-25

①「差をつけることはすべて差別

②「社会的に悪とされる区別のことを差別という」

差別論ってってこの二つの意味適当に切り替えてるアホが延々無意味なことを喚いてるようにしか思えない。

差別は悪だ!みたいなのを①の定義で言ってたらキチガイだし

②の定義で言ってたらただのトートロジー

さらに、ここにアホをもうひと盛りして、

差別は悪!だから行為Xを止めよう!っていう飛躍ばっかりやってる。

行為Xがなぜ差別にあたるのかを論じないと何もつながってない。

でまともに論じるのは困難だから、前段では②の定義だったのに論じる段階では①の定義を使うことになる。

こんな初歩的なねじれに無自覚なアホと、看破できないアホのマリアージュ

どぶでも眺めてたほうがなんぼか美しい。

Permalink |記事への反応(0) | 00:19

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2025-07-24

anond:20250724124858

女は寿退社ばかりするから冷遇していいレベルの頭の悪すぎる差別論を言い続けてるの

人権意識が低すぎるんだよね

Permalink |記事への反応(1) | 12:56

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2025-06-20

anond:20250620111135

差別論って結局レトリックとか言葉曖昧さを利用して問題を大きく見せるやつばっかりなのなんとかならんのかね。

今回の要点は必要とされるって言葉

必要とされるってなんだろう?

学校にも経営者労働者が居る

その人たちの稼ぎのために存在必要

これって差別となんか関係ある?

次に、学生側。

進学の動機にもいろいろある。

学力や専攻が合うのかもしれないし単に家から近いのかもしれない。

男性恐怖症の人かも知れない。

学力が合うから必要とされた、これって差別のせい?

からいか必要とされた、これって差別のせい?

まわりが女性ばっかりじゃないとすごせない人たちのため「だけ」に存在したら差別のせいっぽいね

でも複数理由から必要とされて存在してる。

分解していくと、女子大って全然話に関係なくない?

何らかの原因で男性恐怖症とかになっている人がいる。

何が原因でそうなったのかはここでは定かではないが

たぶん虐待とか犯罪とかなんだろう

問題はそこで、これ差別がどうこう言う話か?

個別犯罪被害とかの規模の話になった。

もちろんそういう人たちは手厚く救済していけばいいんだけど

なんか話全然違うよねって。

Permalink |記事への反応(0) | 12:11

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2025-04-19

権力勾配論とか、強者弱者差別かどうか決まるとか

何度「差別論でそんな運用してねえ」って言っているのに、何で勉強しねえ奴ばっか出てくるんだ反差別界隈。

合理性の有無」「何らかの排除不利益を与える」といった判例国連定義、条文の文言とか教えても全然できてねえ。

何で勉強しねえんだよボケ、アホ。 しかもこれを一応は頭いいご身分の連中(大学教授弁護士とか)が学ばねえこ普通にあるからな。

全員職を捨てて、ネットもやめて、山奥にでも引きこもっていろ。 おめえらのような影響力ある馬鹿が一番迷惑だわ。

Permalink |記事への反応(0) | 12:01

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2025-04-10

anond:20250410080941

弱者男性人間として一番マシ説、

てか自己肯定感ダークサイドだと思う。

恋愛経験によって爆上げされた自己肯定感暴走するのが、クズみると家族いてビックリする理由だよ。きっと。

人のいない時間帯にストレート差別論をぶちまけてしまい済まんが、オレはそこまで思ってる。

まさしく憧れてる大人なんていない(スペック的に優ってる奴らはいる、もちろん)。

Permalink |記事への反応(0) | 08:31

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2025-04-07

男性差別はありうるか

さて、杉田俊介の「男性差別はありうるか?」を読んでみたけど、正直言って、対話を装った一方的攻撃しか見えないね

---

まず、杉田はこんな感じでスタートしてるよね:「近年、多数派男性=『おじさん』に対してはさまざまな批判が行われている。男性特権のあり方が批判され、日常無意識的な性差別ハラスメント批判される。」ここまでは、まあ、分かる。社会的文脈提示してるわけだ。でも、次のステップでさ、「『おじさん』はキモい――それはたんなる悪口批判であって差別ではないのだから中年男性のことをいくらからかっても、罵詈雑言を投げつけても、バカにしても構わない……と言えるのだろうか?」って問いかけてる。この「問いかけ」がすでに誘導尋問ぽいんだよ。差別じゃないなら何してもOKって前提を勝手押し付けて、「いや、それは違うよね?」って読者に同意させようとしてる。でもさ、これってフェアか?批判差別境界曖昧にしたまま、自分の主張に都合よく話を進めちゃってる。

「それは差別ではなくても暴力なのではないか」って一応留保つけてるけどさ、これって逆に、「暴力ならOK」って抜け道を与えてるようなもんだよ。歴史的に見れば、「問題児」扱いして攻撃正当化したい勢力にとって、「差別じゃないなら何してもいいよね?」って杉田の問いかけは最高の援護射撃なっちゃう。このロジック倫理的対話を装ってるように見えますが、実は見捨てたい人たちに『どうぞ、どうぞ』ってパスを出してるだけじゃないですか?って感じだ。

杉田文章って、「おじさん批判差別じゃないよ、ただ暴力的かもしれないだけだよ」って逃げ道を作ってるけど、これは国家間でよくみる、「経済封鎖や無視差別じゃない、ただの安全保障上の措置だ」って言い張るやつだ。で、結局、「暴力的かもしれないけど、差別じゃないから許されるよね?」って結論に持っていけるんだよ。ガチで人を切り捨てるための理論武装。『差別じゃない』って言えば何でもアリになるの怖すぎってレベル杉田が「おじさん批判歴史的非対称性があるから差別じゃない」って言うのは、「ガザ歴史的紛争地帯から仕方ない」って見捨てることと変わりがない。まさにここだよ。差別暴力境界曖昧にすることで、攻撃を「仕方ないよね」で済ませる道を開いてるんだ。

---

次に、杉田デボラヘルマン差別論を引っ張ってくる部分ね。「差別特定の人々への貶価【へんか】demeanになるとき、それは悪質である」「特権的で優位な立場人間が、その立場非対称性を利用しつつ、より劣位の立場を強いられた人間を貶めたり、攻撃したり、不利益を与えること、それが差別である」って引用してる。ここまではいいよ。権力非対称性差別の鍵だってのは、まともな議論だ。でもさ、その結論で「女性による『おじさん差別』『男性差別』『逆差別』は存在しない」って言い切っちゃうのは、ちょっと待てってなるよね。なんでかって言うと、「非対称性があるから男性への差別はありえない」って前提が、めっちゃ恣意的からだ。歴史的文脈だけで全てを決めるなら、局所的な状況や個別のケースは無視できるのか?

杉田ロジックだと、どれだけガザ攻撃しても、「イスラエルには非対称な権力関係の歴史があるから虐殺にはならない」って結論になる。だってヘルマン定義に従えば「差別じゃない」って言い逃れできるからさ。皆さんはどう思いますか?歴史的正当性で全てが許されるなら、正義って何なんでしょうね?

---

さらにさ、「被害被害意識概念的に区別しよう」って言いながら、「陰謀論的に『敵』(諸悪の根源)を認定して『アンチ』的な精神に闇落ちするのではなく、堂々と、気高く、尊厳をもって、物事を考えていくべき」って書いてる。これはさ、表面上は高尚そうだけど、実は「被害意識を持つな」って暗に攻撃してるよね。男性が「俺たちも差別されてる」と感じるのを、「それは被害意識しかないよ」って切り捨てる。でも、被害意識と実際の被害を分けるって言うなら、ちゃんと両方の可能性を検証しないとダメじゃん。片方だけを「意識問題」って決めつけるのは、対話じゃなくて一方的レッテル貼りだよ。

住民が「イスラエルの爆撃は虐殺だ!」って叫んでも、杉田ロジックだと「堂々と、気高く、尊厳をもって考えろ」って言えば、ガザに住んでる人たちの訴えはぜんぶ感情的過剰反応として黙らせられる。論理っていうか権力押し付けだろ、ここで問いたいのは、誰が『尊厳ある判断』を決めるのかってことですって感じだ。

「おじさん叩き」という現代の奇妙な“娯楽”に対して、一種の「非・差別証明を与え、それをより安全で、気軽に楽しめる“リーガルハイ”として流通させる。まるで、精緻化学式を示しながら「この新しい化合物は、既存麻薬取締法リストには載ってないか大丈夫だよ」って言ってるみたいだ。

---

この文章AIの性能テストのためにGrok3にhttps://note.com/sssugita/n/n53a0f8c2554btxtファイルにして添付し、それへの批評リクエストして試行した複数の解答のくみあわせです。更新がきたAI批評を書かせてみるベンチマークは楽しく進化具合も測れるのでおすすめです、手近な社会批評コラムコピペしてプロンプトを書くだけ、みなもやってみよう

Permalink |記事への反応(0) | 02:21

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男性差別はありうるか

さて、杉田俊介の「男性差別はありうるか?」を読んでみたけど、正直言って、対話を装った一方的攻撃しか見えないね

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まず、杉田はこんな感じでスタートしてるよね:「近年、多数派男性=『おじさん』に対してはさまざまな批判が行われている。男性特権のあり方が批判され、日常無意識的な性差別ハラスメント批判される。」ここまでは、まあ、分かる。社会的文脈提示してるわけだ。でも、次のステップでさ、「『おじさん』はキモい――それはたんなる悪口批判であって差別ではないのだから中年男性のことをいくらからかっても、罵詈雑言を投げつけても、バカにしても構わない……と言えるのだろうか?」って問いかけてる。この「問いかけ」がすでに誘導尋問ぽいんだよ。差別じゃないなら何してもOKって前提を勝手押し付けて、「いや、それは違うよね?」って読者に同意させようとしてる。でもさ、これってフェアか?批判差別境界曖昧にしたまま、自分の主張に都合よく話を進めちゃってる。

「それは差別ではなくても暴力なのではないか」って一応留保つけてるけどさ、これって逆に、「暴力ならOK」って抜け道を与えてるようなもんだよ。歴史的に見れば、「問題児」扱いして攻撃正当化したい勢力にとって、「差別じゃないなら何してもいいよね?」って杉田の問いかけは最高の援護射撃なっちゃう。このロジック倫理的対話を装ってるように見えますが、実は見捨てたい人たちに『どうぞ、どうぞ』ってパスを出してるだけじゃないですか?って感じだ。

杉田文章って、「おじさん批判差別じゃないよ、ただ暴力的かもしれないだけだよ」って逃げ道を作ってるけど、これは国家間でよくみる、「経済封鎖や無視差別じゃない、ただの安全保障上の措置だ」って言い張るやつだ。で、結局、「暴力的かもしれないけど、差別じゃないから許されるよね?」って結論に持っていけるんだよ。ガチで人を切り捨てるための理論武装。『差別じゃない』って言えば何でもアリになるの怖すぎってレベル杉田が「おじさん批判歴史的非対称性があるから差別じゃない」って言うのは、「ガザ歴史的紛争地帯から仕方ない」って見捨てることと変わりがない。まさにここだよ。差別暴力境界曖昧にすることで、攻撃を「仕方ないよね」で済ませる道を開いてるんだ。

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次に、杉田デボラヘルマン差別論を引っ張ってくる部分ね。「差別特定の人々への貶価【へんか】demeanになるとき、それは悪質である」「特権的で優位な立場人間が、その立場非対称性を利用しつつ、より劣位の立場を強いられた人間を貶めたり、攻撃したり、不利益を与えること、それが差別である」って引用してる。ここまではいいよ。権力非対称性差別の鍵だってのは、まともな議論だ。でもさ、その結論で「女性による『おじさん差別』『男性差別』『逆差別』は存在しない」って言い切っちゃうのは、ちょっと待てってなるよね。なんでかって言うと、「非対称性があるから男性への差別はありえない」って前提が、めっちゃ恣意的からだ。歴史的文脈だけで全てを決めるなら、局所的な状況や個別のケースは無視できるのか?

杉田ロジックだと、どれだけガザ攻撃しても、「イスラエルには非対称な権力関係の歴史があるから虐殺にはならない」って結論になる。だってヘルマン定義に従えば「差別じゃない」って言い逃れできるからさ。皆さんはどう思いますか?歴史的正当性で全てが許されるなら、正義って何なんでしょうね?

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さらにさ、「被害被害意識概念的に区別しよう」って言いながら、「陰謀論的に『敵』(諸悪の根源)を認定して『アンチ』的な精神に闇落ちするのではなく、堂々と、気高く、尊厳をもって、物事を考えていくべき」って書いてる。これはさ、表面上は高尚そうだけど、実は「被害意識を持つな」って暗に攻撃してるよね。男性が「俺たちも差別されてる」と感じるのを、「それは被害意識しかないよ」って切り捨てる。でも、被害意識と実際の被害を分けるって言うなら、ちゃんと両方の可能性を検証しないとダメじゃん。片方だけを「意識問題」って決めつけるのは、対話じゃなくて一方的レッテル貼りだよ。

住民が「イスラエルの爆撃は虐殺だ!」って叫んでも、杉田ロジックだと「堂々と、気高く、尊厳をもって考えろ」って言えば、ガザに住んでる人たちの訴えはぜんぶ感情的過剰反応として黙らせられる。論理っていうか権力押し付けだろ、ここで問いたいのは、誰が『尊厳ある判断』を決めるのかってことですって感じだ。

「おじさん叩き」という現代の奇妙な“娯楽”に対して、一種の「非・差別証明を与え、それをより安全で、気軽に楽しめる“リーガルハイ”として流通させる。まるで、精緻化学式を示しながら「この新しい化合物は、既存麻薬取締法リストには載ってないか大丈夫だよ」って言ってるみたいだ。

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この文章AIの性能テストのためにGrok3にhttps://note.com/sssugita/n/n53a0f8c2554btxtファイルにして添付し、それへの批評リクエストして試行した複数の解答のくみあわせです。更新がきたAI批評を書かせてみるベンチマークは楽しく進化具合も測れるのでおすすめです、手近な社会批評コラムコピペして、みなもやってみよう

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男性差別はありうるか

さて、杉田俊介の「男性差別はありうるか?」を読んでみたけど、正直言って、対話を装った一方的攻撃しか見えないね

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まず、杉田はこんな感じでスタートしてるよね:「近年、多数派男性=『おじさん』に対してはさまざまな批判が行われている。男性特権のあり方が批判され、日常無意識的な性差別ハラスメント批判される。」ここまでは、まあ、分かる。社会的文脈提示してるわけだ。でも、次のステップでさ、「『おじさん』はキモい――それはたんなる悪口批判であって差別ではないのだから中年男性のことをいくらからかっても、罵詈雑言を投げつけても、バカにしても構わない……と言えるのだろうか?」って問いかけてる。この「問いかけ」がすでに誘導尋問ぽいんだよ。差別じゃないなら何してもOKって前提を勝手押し付けて、「いや、それは違うよね?」って読者に同意させようとしてる。でもさ、これってフェアか?批判差別境界曖昧にしたまま、自分の主張に都合よく話を進めちゃってる。

「それは差別ではなくても暴力なのではないか」って一応留保つけてるけどさ、これって逆に、「暴力ならOK」って抜け道を与えてるようなもんだよ。歴史的に見れば、「問題児」扱いして攻撃正当化したい勢力にとって、「差別じゃないなら何してもいいよね?」って杉田の問いかけは最高の援護射撃なっちゃう。このロジック倫理的対話を装ってるように見えますが、実は見捨てたい人たちに『どうぞ、どうぞ』ってパスを出してるだけじゃないですか?って感じだ。

杉田文章って、「おじさん批判差別じゃないよ、ただ暴力的かもしれないだけだよ」って逃げ道を作ってるけど、これは国家間でよくみる、「経済封鎖や無視差別じゃない、ただの安全保障上の措置だ」って言い張るやつだ。で、結局、「暴力的かもしれないけど、差別じゃないから許されるよね?」って結論に持っていけるんだよ。ガチで人を切り捨てるための理論武装。『差別じゃない』って言えば何でもアリになるの怖すぎってレベル杉田が「おじさん批判歴史的非対称性があるから差別じゃない」って言うのは、「ガザ歴史的紛争地帯から仕方ない」って見捨てることと変わりがない。まさにここだよ。差別暴力境界曖昧にすることで、攻撃を「仕方ないよね」で済ませる道を開いてるんだ。

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次に、杉田デボラヘルマン差別論を引っ張ってくる部分ね。「差別特定の人々への貶価【へんか】demeanになるとき、それは悪質である」「特権的で優位な立場人間が、その立場非対称性を利用しつつ、より劣位の立場を強いられた人間を貶めたり、攻撃したり、不利益を与えること、それが差別である」って引用してる。ここまではいいよ。権力非対称性差別の鍵だってのは、まともな議論だ。でもさ、その結論で「女性による『おじさん差別』『男性差別』『逆差別』は存在しない」って言い切っちゃうのは、ちょっと待てってなるよね。なんでかって言うと、「非対称性があるから男性への差別はありえない」って前提が、めっちゃ恣意的からだ。歴史的文脈だけで全てを決めるなら、局所的な状況や個別のケースは無視できるのか?

杉田ロジックだと、どれだけガザ攻撃しても、「イスラエルには非対称な権力関係の歴史があるから虐殺にはならない」って結論になる。だってヘルマン定義に従えば「差別じゃない」って言い逃れできるからさ。皆さんはどう思いますか?歴史的正当性で全てが許されるなら、正義って何なんでしょうね?

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さらにさ、「被害被害意識概念的に区別しよう」って言いながら、「陰謀論的に『敵』(諸悪の根源)を認定して『アンチ』的な精神に闇落ちするのではなく、堂々と、気高く、尊厳をもって、物事を考えていくべき」って書いてる。これはさ、表面上は高尚そうだけど、実は「被害意識を持つな」って暗に攻撃してるよね。男性が「俺たちも差別されてる」と感じるのを、「それは被害意識しかないよ」って切り捨てる。でも、被害意識と実際の被害を分けるって言うなら、ちゃんと両方の可能性を検証しないとダメじゃん。片方だけを「意識問題」って決めつけるのは、対話じゃなくて一方的レッテル貼りだよ。

住民が「イスラエルの爆撃は虐殺だ!」って叫んでも、杉田ロジックだと「堂々と、気高く、尊厳をもって考えろ」って言えば、ガザに住んでる人たちの訴えはぜんぶ感情的過剰反応として黙らせられる。論理っていうか権力押し付けだろ、ここで問いたいのは、誰が『尊厳ある判断』を決めるのかってことですって感じだ。

「おじさん叩き」という現代の奇妙な“娯楽”に対して、一種の「非・差別証明を与え、それをより安全で、気軽に楽しめる“リーガルハイ”として流通させる。まるで、精緻化学式を示しながら「この新しい化合物は、既存麻薬取締法リストには載ってないか大丈夫だよ」って言ってるみたいだ。

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この文章AIの性能テストのためにGrok3にhttps://note.com/sssugita/n/n53a0f8c2554btxtファイルにして添付し、それへの批評リクエストして試行した複数の解答のくみあわせです。更新がきたAI批評を書かせてみるベンチマークは楽しく進化具合も測れるのでおすすめです、手近な社会批評コラムコピペして、みなもやってみよう

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男性差別はありうるか

さて、杉田俊介の「男性差別はありうるか?」を読んでみたけど、正直言って、対話を装った一方的攻撃しか見えないね

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まず、杉田はこんな感じでスタートしてるよね:「近年、多数派男性=『おじさん』に対してはさまざまな批判が行われている。男性特権のあり方が批判され、日常無意識的な性差別ハラスメント批判される。」ここまでは、まあ、分かる。社会的文脈提示してるわけだ。でも、次のステップでさ、「『おじさん』はキモい――それはたんなる悪口批判であって差別ではないのだから中年男性のことをいくらからかっても、罵詈雑言を投げつけても、バカにしても構わない……と言えるのだろうか?」って問いかけてる。この「問いかけ」がすでに誘導尋問ぽいんだよ。差別じゃないなら何してもOKって前提を勝手押し付けて、「いや、それは違うよね?」って読者に同意させようとしてる。でもさ、これってフェアか?批判差別境界曖昧にしたまま、自分の主張に都合よく話を進めちゃってる。

「それは差別ではなくても暴力なのではないか」って一応留保つけてるけどさ、これって逆に、「暴力ならOK」って抜け道を与えてるようなもんだよ。歴史的に見れば、「問題児」扱いして攻撃正当化したい勢力にとって、「差別じゃないなら何してもいいよね?」って杉田の問いかけは最高の援護射撃なっちゃう。このロジック倫理的対話を装ってるように見えますが、実は見捨てたい人たちに『どうぞ、どうぞ』ってパスを出してるだけじゃないですか?って感じだ。

杉田文章って、「おじさん批判差別じゃないよ、ただ暴力的かもしれないだけだよ」って逃げ道を作ってるけど、これは国家間でよくみる、「経済封鎖や無視差別じゃない、ただの安全保障上の措置だ」って言い張るやつだ。で、結局、「暴力的かもしれないけど、差別じゃないから許されるよね?」って結論に持っていけるんだよ。ガチで人を切り捨てるための理論武装。『差別じゃない』って言えば何でもアリになるの怖すぎってレベル杉田が「おじさん批判歴史的非対称性があるから差別じゃない」って言うのは、「ガザ歴史的紛争地帯から仕方ない」って見捨てることと変わりがない。まさにここだよ。差別暴力境界曖昧にすることで、攻撃を「仕方ないよね」で済ませる道を開いてるんだ。

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次に、杉田デボラヘルマン差別論を引っ張ってくる部分ね。「差別特定の人々への貶価【へんか】demeanになるとき、それは悪質である」「特権的で優位な立場人間が、その立場非対称性を利用しつつ、より劣位の立場を強いられた人間を貶めたり、攻撃したり、不利益を与えること、それが差別である」って引用してる。ここまではいいよ。権力非対称性差別の鍵だってのは、まともな議論だ。でもさ、その結論で「女性による『おじさん差別』『男性差別』『逆差別』は存在しない」って言い切っちゃうのは、ちょっと待てってなるよね。なんでかって言うと、「非対称性があるから男性への差別はありえない」って前提が、めっちゃ恣意的からだ。歴史的文脈だけで全てを決めるなら、局所的な状況や個別のケースは無視できるのか?

杉田ロジックだと、どれだけガザ攻撃しても、「イスラエルには非対称な権力関係の歴史があるから虐殺にはならない」って結論になる。だってヘルマン定義に従えば「差別じゃない」って言い逃れできるからさ。皆さんはどう思いますか?歴史的正当性で全てが許されるなら、正義って何なんでしょうね?

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さらにさ、「被害被害意識概念的に区別しよう」って言いながら、「陰謀論的に『敵』(諸悪の根源)を認定して『アンチ』的な精神に闇落ちするのではなく、堂々と、気高く、尊厳をもって、物事を考えていくべき」って書いてる。これはさ、表面上は高尚そうだけど、実は「被害意識を持つな」って暗に攻撃してるよね。男性が「俺たちも差別されてる」と感じるのを、「それは被害意識しかないよ」って切り捨てる。でも、被害意識と実際の被害を分けるって言うなら、ちゃんと両方の可能性を検証しないとダメじゃん。片方だけを「意識問題」って決めつけるのは、対話じゃなくて一方的レッテル貼りだよ。

住民が「イスラエルの爆撃は虐殺だ!」って叫んでも、杉田ロジックだと「堂々と、気高く、尊厳をもって考えろ」って言えば、ガザに住んでる人たちの訴えはぜんぶ感情的過剰反応として黙らせられる。論理っていうか権力押し付けだろ、ここで問いたいのは、誰が『尊厳ある判断』を決めるのかってことですって感じだ。

「おじさん叩き」という現代の奇妙な“娯楽”に対して、一種の「非・差別証明を与え、それをより安全で、気軽に楽しめる“リーガルハイ”として流通させる。まるで、精緻化学式を示しながら「この新しい化合物は、既存麻薬取締法リストには載ってないか大丈夫だよ」って言ってるみたいだ。

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この文章AIの性能テストのためにGrok3にhttps://note.com/sssugita/n/n53a0f8c2554btxtファイルにして添付し、それへの批評リクエストして試行した複数の解答のくみあわせです。更新がきたAI批評を書かせてみるベンチマークは楽しく進化具合も測れるのでおすすめです、手近な社会批評コラムコピペして、みなもやってみよう

Permalink |記事への反応(0) | 02:21

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2025-01-27

anond:20250127212725

常時発動型のARカメラ無敵の人の接近を自動検知して警告するというアイデアを思いついてしまった

「注意してください、背後三メートル無敵の人が急速に接近中です」

バーガー待ちバス待ちとかで刃物持って背後から近づいてくる無敵の人を警戒するなんて無理ゲー過ぎるわ!


正直これくらいしないと通り魔犯罪を減らすなんて不可能だと思うわ....orz

まさか予防拘禁するなんてダメだし

弱者男性差別論のように女性をあてがうなんて、もっと馬鹿げてる

Permalink |記事への反応(1) | 21:53

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2025-01-02

新年から差別論をやっとるが

広義の差別(あらゆる区別判断、扱いに差をつけること)と

狭義の差別(社会的に許されない扱いの差)を混同したり、曖昧さを独自定義活用するやつから一歩も進んでないな

結局のところ何が「社会的に許されない扱いの差」なのか公的定義してないか

気分で悪を認定するレッテルしかならない

Permalink |記事への反応(0) | 09:51

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2024-10-18

anond:20241017222226

ごく一部の強火の差別論者を基本に置いた議論を始めちゃうのはちょっといろいろ混乱しすぎなんじゃないですかね

そういうのにいじめられた恨みでわけがからなくなってるように見える

弱者男性からではなくてそういう明後日の方向のアレをやらかしてるからますます攻撃されるのでは?

Permalink |記事への反応(0) | 00:00

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2024-10-15

anond:20241015193744

エロい包摂キモい排斥

エロい女性は歓迎される。男たちは女性肯定し、受け入れる。

キモい男性排除される。女性たちは男を許さない、迫害する。

どちらも主観客観混同語だけれど、差別論視点で見ると、善と悪の違いがある。

主観感想をまるで客観真実のように見せかけるのが卑怯なら、「エロいだって卑怯だよね

エロい使用禁止にしないくせに

Permalink |記事への反応(2) | 22:14

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2024-09-25

差別論ってアホが自分の不満をいか一般化して正当化するかってのを延々やってるよね。

たとえば事務員採用条件に美醜や身長を用いるのは差別(悪い区別)だろうけど

恋愛関係判断に美醜や身長を用いるのは差別(悪い区別)ではないだろ。

差別という言葉曖昧

悪い区別意味したり区別すべてを意味したりブレだし

その曖昧語の上にルッキズム(不適切な美醜判断or美醜判断すべて) って曖昧語を重ねて

もう誰にも正確な意味の取れない語りを延々やってる

Permalink |記事への反応(4) | 11:39

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2024-09-10

anond:20240910210818

悪口に困ったらすぐアスペとか言い出す差別論知能障害

Permalink |記事への反応(0) | 21:09

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2024-09-09

ここではフラットアーサーやら毒電波関係を見かけないだけで

男女論だの差別論だの年中やってんのは陰謀論者と言って差し支えないのでは?

敵対勢力を過剰に巨大化してあいつらに虐げられている!!みたいな話ばっかりしてんじゃん

Permalink |記事への反応(0) | 13:53

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2024-09-06

anond:20240906131419

現徐の差別なんて有象無象が難癖つけるときに使いやすレッテルしかない。

公的期間がガイドラインと具体例を明確に提示すべきだし

新たに差別認定してほしい事象公的機関に陳情なり申請なりして認可される流れをとるべき。

SNS有象無象がわめく差別論はすべてゴミ

Permalink |記事への反応(0) | 13:18

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2024-09-01

anond:20240901142440

まずチー牛は美容に執着して努力してから、女当てがえ論や非モテ差別論を主張しろってことやで

ロジカルもクソも直結する問題やろ

整形はともかくそダブスタが気に食わん

Permalink |記事への反応(1) | 14:29

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