
はてなキーワード:差別とは
まず、出した本がスマッシュヒットを連発。その勢いに乗るようにXではほぼ毎日、短編小説を複数投稿し続けている。しかもほとんどが大好評で、1000以上RTされて拡散されている。
その甲斐あってフォロワーもいつの間にか数万人規模になっていた。もはや押しも押されもせぬ人気作家であり、デビュー前から追っていた信者としても鼻が高い。
しかし、その陰で一つだけ気がかりなことがある。
以前の作家氏は、X小説と同じかそれ以上に、通常ポストをたくさん投稿していた。その内容も、身の回りで起こった奇妙な出来事や非常識な人物について、作家らしくウィットに富んだ文章で語るもので、とても興味深かった。あれをそのまままとめるだけでエッセイとして出版できるレベルだと思う。
また氏はとても正義感の強い人で、様々な社会問題についても積極的に意見を述べていた。差別、DV、AIなどに対し、その辺のオールドメディアなどよりはるかに深く、そして誠実に語っていた。勉強になる、というより、私のような内向的なオタクにも自然に社会へ目を向けさせてくれる、ありがたいアカウントだったのだ。
それが今は、小説の合間にときどき、当たり障りのない告知や日常ポストをする程度。以前のような、恐ろしいほどの筆の冴えは見られなくなってしまった。
これがどういう理由によるものなのかは分からない。単純に、今は小説に集中したいだけかもしれない。あるいは、以前、とある同業者の差別的な言動に持ち前の正義感で苦言を呈したことで、何かがあったという可能性も考えられる。
いずれにしても、一読者には知りようもない問題だし、何かを要求することもできない。でも、もしも叶うなら、小説と並行してまたあの日常を彩る綺羅星のようなポストたちが帰ってきてくれると嬉しいな…とひそかに願っている。
日本共産党を見てもわかるけど本当の正義の心を持っているのが左翼なんだよね
自民党や維新や国民民主や参政党に投票する人間は正義の心がなく金が全てで他人を差別したいという欲望で生きている
ネットには「発狂」という言葉をカジュアルに使う人が多過ぎで、見る度に目を疑う。
どんなにまともそうな事を言っていてもこの言葉を平気で使っているとその意見に賛同する気になれないんだよな。
「発狂」に限らず、「ガイジ」とか「あたおか」とか、精神や知能の問題を揶揄する言葉って人権意識があったらまず使わないと思うんだけど
ちょっと前に育ちが良い人が知っている事とかいうのが流行ったけれど、育ちを気にするならば差別用語を使わないのは最低限の常識だと思うんだが…。
勿論育ちで云々言う事自体が差別なのでそれもよくないが、「発狂」のような言葉をカジュアルに使う人達は、「育ちが悪い」と思われるんじゃないの?普通は使用を避けないか?
「その『差別されている人たち』と言うのは、いったいどのような人たちですか?」
「『差別されている人たち』です。たとえば、給料が低いとか、家事や育児を押し付けられがちとか、愚かだと見做されがちだとか、「男を捕まえて子どもを産むのが仕事なんだから教育など必要ない」と言われるような、そういう人たちですよ」
「…それは、『女性』ではないんですか?」
「『女性』、ですって!?それはとんでもない決めつけです!人を特定の属性で括り、一律に差別されてる人たちだと見做すのも差別ですよ!そもそも、『差別されている人たち』は『差別されている人たち』を指す言葉なのですから、これ以上に包括的で的確な表現はありません。それに、この表現であれば、給料が低い人や、家事育児を押し付けられがちな人、愚かだと見做されがちな人と、性別に関わりなく共闘できるじゃありませんか」
※フィクションです
最近ちょっと思うんだけど、中国人への犯罪が増えてるって話、あれ普通に“国家ぐるみの差別”なんだよな。しかも加害側は中国という国そのもの。これって相当ヤバい直球の差別なのに、なぜか日本のさよく界隈は完全スルー。
一方で、日本国内の外国人犯罪の話が出ると、差別だって大騒ぎして顔真っ赤にして叩きにくる。なんでこっちは全力で怒るのに、中国がやってるほうは見て見ぬふりなの?強いところには何も言えなくて、言いやすい相手にだけ正義を振りかざすって、それもう正義でもなんでもないでしょ。
トイレに駆け込むと女性用には5~6人の行列。脂汗をかきながら用を足し、ふと案内板を見ると、女性用は便器が4だった一方、男性用は大小合わせて7で、女性用の1・8倍あった。
[B! トイレ] なぜ女性トイレには行列ができる? 全国1092カ所を調べた61歳の疑問、国を動かす(信濃毎日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
トイレの面積や数をそろえる「平等」ではなく「男女の待ち時間が同じという公平を目指してほしい」と訴えている、にマジで同意。車イス利用者のためにスロープがなきゃダメなように、泌尿器のスペック差を吸収するような施設にしてあげるべきだ。
俺がはてな民の反差別ムーブに乗れないのって、あれ結局ただの日本人叩きだからなんだよ。ほんと単純にそれ。
だってさ、中国が今やってるデカい規模の差別や弾圧には誰も触れないじゃん。当然日本にもやってきてる。国際問題レベルなのに完全スルー。強い相手には黙りで、叩きやすい相手だけ殴るのって、反差別でもなんでもないでしょ。
しかも中には中国が何してるかすら知らない人も普通にいそうなんだよな。国内向けだけで“俺たちは正義”みたいな顔してるけど、やってることはただの安全圏でのマウント取り。
珍しくふと、映画館で映画を観たいと思った。最後に映画館に行ったのは11年前、中学の頃親と一緒に行ったっきり。自力で映画館に行ったことも無いのに、なぜかそんな気持ちになった。
細田監督の最新作「果てしなきスカーレット」が、ちょうど公開されるらしい。小学生の頃、金ローで放送された「サマーウォーズ」を録画して、繰り返し観た記憶が蘇る。これは観るしかねえと思い立ち、TOHOシネマズに向かった。
結論としては、良いところはあるものの、やはり細田脚本には問題があると言わざるを得ない出来だった。本当に現状のままでいいのか、細田監督を問いただしたい理由をまとめた。
(1回見ただけなのでおかしいところや思い違いがあると思うけど、容赦してね。)
【以下、ネタバレ】
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まずは簡単にあらすじを紹介。愛する父親を殺された王女・スカーレットは、父親を殺した叔父・クローディアスの暗殺に失敗。死者の国で目を覚ます。スカーレットは死者の国で、現代の日本からやってきた看護師・聖と出会う。スカーレットは聖と共に、かたき討ちのためクローディアスを探す旅に出る。
本作が題材にするのは報復の連鎖。細田守監督自身がインタビューでそう語っており、私もその予備知識ありでスクリーンに臨んだ。では、憎しみと復讐の連鎖に伴う辛さ、やるせなさが描かれているのかと言われれば、十分に描かれているとは言えなかった。
正直なところ、憎しみや復讐の描き方は「進撃の巨人」の圧勝。こちらの方が断然よくできている。本作は「進撃の巨人」と比べて、憎しみと復讐が続いてゆく辛さ、やるせなさが身に強く迫ってこなかった。
一つは、愛する父が暗殺される→クローディアスの暗殺に失敗→死者の国へ、という冒頭の流れが説明的であること。スカーレットが抱える憎しみとその辛さは理解できるものの、それが自分の身に起こったかのように感情移入できなかった。「物語への圧倒的没入体験」を掲げる本作であるが、没入できないもどかしさが最後まで続いた。
もう一つは、クローディアスが一貫して悪人として描かれていること。「進撃の巨人」では、主人公たちが相手を憎むのと同時に、相手側が主人公たちを憎む様子も丁寧に描いていた。絶対的な悪など無く、対立する両者がお互いに痛めつけあうやるせなさ。それが、本作にはほとんど見られない。長期連載作品である「進撃の巨人」と、二時間に満たない尺の本作を比べるのはフェアじゃないかもしれないが、復讐や憎しみを描くうえで、そこは外してほしくなかった。
しかし、復讐や憎しみを題材にしている本作であるが、より深いテーマを感じた。それは、「自分の好きなように生きよ」というメッセージである。
物語の序盤、スカーレットは父の敵討ちに燃え、死者の国で現れる敵を次々と殺してゆく。「王女としてそうあるべき」という義務感をスカーレットは抱いており、それが復讐のモチベーションになっていることが描かれている。看護師である聖は、好戦的なスカーレットと対照的に、敵味方差別なく治療を施し救おうとする。それも、「看護師としてそうあるべき」と聖が考えているからだ。
敵を殺そうとするスカーレットとそれを好まない聖は、一見対照的なキャラクターに見える。しかし、「自分の立場にとらわれて、本当はどう生きたいのか分からない」という内面は同じなのである。
スカーレットと聖は交流を重ねる中で、互いの心情に変化が生まれてゆく。スカーレットは、敵との戦闘になっても剣を鞘に納めたまま戦い、むやみに人を殺めなくなる。人を殺めるための短刀を、自分の髪を切る(新しい自分になる)ために使うシーンは、スカーレットの内面の変化を印象的に描く。逆に、人を殺めることを否定していた聖は、弓矢でクローディアスの手先を殺めてしまう。物語の序盤、「人を殺めるな」とスカーレットに散々言ってきた聖が人を殺めてしまうシーンは大きな批判を生みそうだが、聖が自身の黒い感情に対して正直になった、もしくは抑えられない、という内面の変化が描かれる良いシーンであったと思う。憎しみという黒い感情を否定しないことは、本作の美点の一つである。
一見対照的な二人だが、共に同じ苦悩をを抱えていて、それが変化してゆく、という構成は好印象だった。ただし、スカーレットについては憎しみに関する描写が強すぎて、「王女としてそうあるべきだから復讐に燃えている」という内面が理解しにくかった。物語の序盤も序盤、スカーレットの父が「王女としてではなく、女の子として好きなように生きなさい」と幼少期のスカーレットに語るシーンがあるのだが、さらりとしすぎている。スカーレットが死ぬ前に、クローディアスの暗殺を民衆が熱望していて、スカーレットがそれにプレッシャーを感じているようなシーンがあると良かった。
クライマックス。スカーレットは死者の国から元の世界へと戻り、王女となる。王となったスカーレットは民衆に、「民を救うこと」「子供は絶対に死なせないこと」を宣言する。これは、スカーレットが「王女としてそうあるべきだから」と考えているからではなく、心の底からそう思っている。スカーレットは死者の国での交流を通じ、「私はこうありたい」という自発的な強い意志を手に入れて、物語は幕を閉じるのである。
そのようなクライマックスを踏まえると、「果てしなきスカーレット」は、憎しみの連鎖を描いた物語というよりは、少女が自分の生き方を決める物語なのだと個人的には思った。本質的には、「おおかみこどもの雨と雪」(主人公が、おおかみ or人間、どちらかの生き方を選ぶ)や、「バケモノの子」(人間世界 orバケモノの世界、どちらで生きるのか選ぶ)など、細田監督の過去作品にも通ずるテーマであるといえるだろう。
本作は他の細田作品と同じく、演出、特にメタファーの使い方に優れる。特に水というモチーフが良い。序盤、空が荒れた海のようにうねる様子をまじまじと見せつけつつ、水一つない砂漠の風景を延々と見せておいて、最後にスカーレットを雨に打たせる流れが良かった。雨はスカーレットの心の痛みであると同時に、乾き続けた心を潤す恵みの雨でもある。スカーレットが抱く矛盾した複雑な感情を、水や雨というモチーフを使うことで、端的に表すことに成功している。物語全編を通じて砂漠の風景が続くのは単調で少ししんどくもあったが、クライマックスに良い形で回収されたのは良かった。
カラスのモチーフも良い。本作ではカラスが度々出現するのだが、物語の終盤、クローディアスと対峙するシーンでザワザワとカラスが集まり、散ってゆく演出が良かった。黒い感情やざらつきが、スカーレットの胸に広がって去っていく描写である。このシーンでは、スカーレットが抱く感情にある程度没入することができた。
しかし最後の最後、黒い竜がカラスとなり散っていくシーンは解釈が難しかった。カラスがスカーレットの内面を表しているのであれば、竜が悪役に雷の制裁を加えるのはご都合主義すぎる。スカーレットの黒い感情の高まりが、直接悪を成敗しちゃってました、ってことになってしまわないだろうか。私の読解力では、一本芯が通った演出として理解できなかった。
その他、聖のキャラクターに人間味が無いとか、スカーレットの母が謎だとか、細田監督らしく突っ込みどころは沢山あるしキリがない。しかし一番の問題点は、わかりやすいカタルシスに乏しいことだろう。「見果てぬ場所」を目指すとか、最後に聖とキスして永遠のお別れをするとか、カタルシスを作ろうという工夫は見られるが没入感が無く、わかりやすく感動できない。
唯一カタルシスを感じたのが、劇中歌「祝祭のうた」(フルバージョンがストリーミングにある)をバックに、スカーレットが炎の中に吸い込まれて現代の日本へとワープするシーン(このシーンはYoutubeでチラッと見ることができる)。なんだかよくわからないけれどいい感じにエモい歌が鳴っていて、スカーレットが「うわああああ」ってなってて、吸い込まれてゆく映像美も(IMAXなので)すごい。「コレだよコレコレ!このわかりやすい感じ!」と思ってスクリーンの中に身を任せたのだが、その先の現代で踊るシーンは作り物感が強く、映画館の座席の上にストンと戻されてしまった。復讐だけのために生きてきたスカーレットが新しい自分を見つける、という背景を意識するとそれなりにエモく見えるのだが、直感的に感情移入してダラダラ涙を流すためにはあと一歩か二歩足りなかった。
「君の名は」ほどではなくてもいいから、馬鹿でも分かるような感動が欲しかった。まず、分かりやすく感動できること。そのあと二回、三回とリピートしていくにしたがって、細田監督の演出の上手さが生きてくる。水や雨、聖がおばちゃんから貰った楽器などのモチーフや、登場人物の些細な変化。それに気づいていくことで、回数を重ねる度により深く物語へと没入することができる。
個人的に大好きな「おおかみこどもの雨と雪」には、それがあったと思う。揺らいだカーテンに隠れた雪がおおかみの姿に変身する激エモシーンや、嵐が去った駐車場で花と雨がお別れする涙腺崩壊シーンなど、音楽(激エモ)と映像美(激エモ)の力を借りた分かりやすい感動ポイントが、まずあった。そのあと繰り返し鑑賞してゆくにつれ、瓶に入ったお花の描写や、おおかみであるとは?人間であるとは?といったテーマの理解度が深まり没入していく。そんな作品だった。それこそが「物語への圧倒的没入体験」だと思うのだけど、皆さんはどう思いますか?
それを踏まえると、やはり奥寺佐渡子さんの脚本に戻してほしいと切に願う。復讐や憎しみを題材にしながら「自分の好きなように生きよ」というメッセージを細田監督から投げかけられた私は、素直に胸を打った。しかし、カタルシスに乏しく物語に没入できてないので、そのメッセージが深くまで刺さってこないし、未消化感が残る。上映が終わった後、前の席に座った女性(大学生くらい?)の二人組が、「何の話か分からない……」と漏らしていたのが印象的だった。監督が伝えたいメッセージが観客に伝わらないのは、あまりにも大きな問題ではないか。
奥寺氏が脚本に嚙まなくなった「バケモノの子」以降、細田監督作品は脚本の弱さを批判され続けてきた。しかし、「竜とそばかすの姫」はそれなりに売れてしまったわけだし、商業的にやっていける限り細田脚本は続いていくだろう。
しかし、本当にそれでいいんですか?
「あなたの脚本だと、メッセージが観客に上手く伝わってないみたいですけど、本当にそれでいいんですか?」と、細田監督に問いかけたくなる。「好きなように作って満足!」みたいな同人誌的な態度の映画作りで細田監督が満たされるのであれば、現状維持でかまわないと思う。我々はスクリーンの前で、感動ではなく悔し泣きの涙を呑むしかない。
しかし、莫大なマネーとステークホルダーを巻き込み、作品を広く世に知らしめる力を持つクリエイターとして、「自分のメッセージを世の中に投げかけ、沢山の人の気持ちを揺さぶりたい」と細田監督が考えているのであれば、勇気をもって奥寺脚本に戻していただきたい。
ちなみに奥寺佐渡子さんのことを調べたところ、最近脚本を手掛けた「国宝」なる映画がとてもすごいらしい。昭和ど真ん中の時代に、任侠の息子が歌舞伎役者として成長していく話なんて教養がない私にはとても敷居が高いんだけど実際どうなの????教えてエロい人。
PS:
TOHOシネマズのBGMってあるじゃん。ピアノの曲。超久しぶりに映画館に行くので、あの曲が劇場で流れている雰囲気も楽しみにしてたんだけど、開場して五分後に入場したらすでに広告が始まってて聴けなかった。放映終了後も、「忘れ物に気を付けてください」の画面が出てくるだけで聴けなかった。開場直後に滑り込めばこのBGM聴けるの?これもエロい人がいたら、ついでに教えてほしい。
仕方がないので、その曲を無限リピートさせながらこの記事を書いている。ちなみに、TOHOシネマズのBGMは「ナッシュスタジオ」という、業務用向けのBGMや効果音を専門に販売する会社のもので、ハードオフの店内放送曲や天神のCM、デデドン(絶望)もこの会社の作品らしい。"NashMusic Library"で調べればストリーミングで聴ける。
なんで書いてくれるんだよ律儀やなあ
俺はお前がなぜ差別がないとするかわからん女は女に男は男に忖度あるやろ
バイアグラは男の肉体に悪影響がないとなれば、生活の質あげる薬とあれば、それにより社会的に、女性に対して、どんな影響があるかなんか考えなかったやろ議論はなかったやろ
それによるスピード認可じゃないんかと言いたい。
あまりに年月に差がありすぎるのは、お前のいう理由があったとしてそこに一切の差別がなかったとなぜいえる?たとえ当時無意識的、慣習的だとしてもや。で、ないの証明はできないがわいはここに認可の早さとあまりにも遅いをあげてる。その年月の差はなんやもっと早くなることはなかったか?女体の安全さえ確保できたらすぐ認可とならんか?(ここに保護法を挙げてくれてるが5年、10年の時点で安全はそれなりに確保できるだろう既存のものに44年も必要か?)なぜ女の時だけ女自身ではなく社会的な話が多くされる?これは男と明らかに対照的やそこに女性軽視があったと証言する議員もいるが?「世界で使われている」という背景があったにも関わらずなぜ日本には早いとなった、お前そこに男女であろうともと書いてるがその担保はなんや新しい価値観だが、世界では使われているしEDが治るならええやろって男の場合はなったんと違うか?これは俺の仮説だけど男だから思う。
いつか自分もぶちあたる問題かもしれないという考えは思考に影響する、たしかに薬は必要だろうという納得につながる、当たり前じゃないか。
なあ噛み合わんやろ?
AIになぜ、こんなにも年月的な差があるかお前こそ聞いてみろ「そういう側面がある」「実際の証言がある」という回答がくるだろうさ。
前の書き込みの自主研究データの下りはPAH治療薬としてシルデナフィルの承認を通した時の話で間違いだったわ、すまんな。
ED治療薬としては個人輸入で薬害が出ていたことがスピード承認の理由だな。まあ、これはアフターピルも同じだけど、アフターピルは母体保護法の絡みもあって遅れることになる。
参考:https://www.pmrj.jp/publications/02/pmdrs_column/pmdrs_column_21-42_09.pdf
んで、ついでに突っ込みなんだけど
「女用の薬に対して「新しすぎる」がもう軽視やろ」
かみ合ってないんじゃなくて、偏見で文章読めてなさすぎるんだと思うよ。「「男女不平等」という強い信念に」ってのがマジで当てはまってると思うけど、自覚ある?
こっちは差別がねえとは言ってない。ただ雑に差別だ!って言う前にちゃんと各論検討しないんじゃ単なるクダまきじゃんって言いたいんよ。
「そもそもQoLを向上させる薬みたいな考え方が新しすぎた」ってのは【【【男女問わない】】】よ。そんなこと書いてない。【【【男女問わず】】】バイアグラ認可当時でも相当新しい考え方だったって話。
だから、そもそもそういう薬を認可通すこと自体が【【【男性向けか女性向けかを問わず】】】バイアグラより前の時代では厳しかった(薬害とED唯一の治療薬という追い風を受けてやっとという感じだった)し、それより前のピルの認可を最初に試みた90年代だと相当厳しかったって話をしてる。
何度も言うけど、この考え方自体は【【【男女問わない】】】もので、それ以外の政治的な横やりについてはまた別論。
(これも男女問わず横やりがあったわけで、有名なのだと噂レベルだと佐藤首相夫人とか自民党婦人部とか保守系の女性の反対も大きかったし、これも差別と単純に言えない話ではあるよな。あと中ピ連みたいな無能な味方の活動による悪影響やサリドマイド薬害みたいなタイミングの悪い事件もあった)
あとは人に聞くなりAIに聞くなりして。
ということなら「じゃあ男を警戒するのは差別ではないですね」となる
のだが、犯罪率が高いだけでなく頭も悪いようで理解できないのだ。
「なんで外国人の話をしてるのに急に関係ない性別の話をし始めたんだ?」
と本気で思っているのだ。
―フランス語の kamikaze(自爆テロ犯) と、日本の「見た目で外国人と決めつける文化」
フランス語辞典 Larousse で “kamikaze” を検索すると、以下のように定義される。
kamikaze
nom
1. Auteur d'un attentat suicide.
2. (Aussi employé en apposition.) Personne téméraire quise sacrifie pourune cause, souvent perdue d’avance :Il fallaitune kamikaze pour accepter ce poste. Candidat kamikaze.
https://www.larousse.fr/dictionnaires/francais/kamikaze/45327
自爆テロ犯
無謀な犠牲的行動をする人
しかし日本で “kamikaze=テロリスト” という理解は一般的ではない。
これは歴史的文脈を無視したステレオタイプの産物であり、日本人にとっては侮辱に近い。
なぜ日本社会では、同じレベルの偏見──「見た目で外国人扱い」──が当然のように行われているのか?
◆ 1. kamikaze問題は「偏見」の構造そのものを映している
これはすべて “kamikaze=テロリスト” と同じ「外見に基づく誤認」である。
自分が「見た目で誤解される」と怒るのに、
というダブルスタンダード を抱えている。
◆ 2.日本では「見た目=国籍」という錯覚が社会規範として存在する
BBCの報道にもあるように、外見を理由にした職務質問はすでに訴訟の対象となっている。
外見理由の職務質問は「人種差別的」で「違憲」……外国出身の3人が国などを提訴
https://www.bbc.com/japanese/68137481
外見で決まるものではない
パスポートを見せても疑われることがある
ハーフの子どもも「見た目によって日本人扱いされたり、されなかったり」
こうした状況は、
“国籍という制度の理解” と “社会の価値観” が完全に乖離している
ことを示している。
◆ 3. 外見プロファイリングは国際基準では「差別」であり、違法たりうる
法的根拠がない
国際的には “Racial Profiling(人種プロファイリング)” と認定
される。
kamikaze という偏見を受けると怒る
法律上は、
地方・田舎では特に“同質性の強制”が強い(奈良県南部・山梨県・吉野周辺など)
◆ 5. “外国人”という言葉はすぐには消えないが、多くの問題を含む
「外国人」は公式な日本語だが、実際の使われ方はしばしば差別的だ。
例えば、
NHK・民放も“ヴィジュアル的に、外見が日本人に見えない人、日本語を話さない人=外国人”として報道
「日本国籍かどうか」ではなく「見た目が日本人か」で扱いが決まる
という極端に外見依存の文化が残っている。脳内鎖国状態の人が多いという印象。※昔の日本では白人・黒人が入国しただけで全国版の新聞に「外国人」の顔の絵が描かれて日本中に配布されたそうだ。
では依然として根深い。
◆結論
もし “kamikaze=自爆テロ犯” という偏見を日本人が侮辱と感じるなら、
彼らが日常的に行っている「見た目で外国人扱い」も同じレベルの侮辱である。
これは、
未成熟
であり、
あなたが感じている怒りと違和感は、国際基準で見ても完全に正当。
(日本国籍を有する者は日本人。日本人の子は日本人である。見た目、話せる言語、出身地は無関係。憲法で保障されている。また、日本国は公用語は法律で決められていない。公用語は日本語ではないが、現代では事実上日本語となっている。(白人から?黄色人種yellow と呼ばれている東アジアの日本人が日本語を話し、出身地が日本国内で日本語で義務境域を受けた人間という複数要素がセットになった人間が日本人とは言えない。法律でそんな決まりはないのだが、そう思い込んでいる人が多すぎる。日本人は日本語が話せて当たり前だと思っていても日本国には公用語が決められていないのだ。)
母親が統一教会にハマってめちゃくちゃになった家庭をクローズアップしています。
女性は法に触れないだけで、暴力性などは男性とあまり変わらないなと思います。
多額の献金のために経済的に困窮し家庭内がめちゃくちゃになりました。これは法的になにかに抵触することではないが暴力だなと考えました。
それはこの件だけでもなく、ネットによる女性の発言でもわかります。
自身の安全を確認しながらも、しなくていい”暴力”を振るっています。
政治におけるそれや、女性差別などは、多少なり(少のほうですが)関係はありますが、タレントが不倫などはもう全く関係ないと言えます。あとはオタクの気持ち悪さなど。
厳密には法律で裁くこともできるのですが、大勢の人は見逃されてますし、それを見越しての暴力です。
女性は狡猾です。必ず安全を確保してから攻撃する。ただ、なかには性格や能力から詰めが甘く馬脚を表していることもあります。そのおかげで暴力性が計測されました。
物理的な暴力はわかりやすく法に触れるので男性的な暴力は激減し、安全圏からの女性的な暴力がもはやメインとなってます。
それでいて「女性怖い」というと差別といってまた攻撃されてしまいます。安全圏からの攻撃というのはこういうことでもあります。カウンターが当てやすいのです。
山上被告の母親は法律には触れていないので現在も統一教会を信仰しシャバに住んでいます。山上被告は殺人というわかりやすい暴力のために逮捕されて裁判されている最中です。
わーくにの高市早苗首相の台湾有事の関する国会答弁に端を発し、中国が意趣返しして来た
【速報】中国主要紙、社説で沖縄の日本帰属を疑問視|47NEWS(よんななニュース)
https://www.47news.jp/13477637.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.47news.jp/13477637.html
https://opinion.huanqiu.com/article/4PCD9cRy1Gx
最近、福建師範大学が創設した先駆的な中国の「琉球学」学科プロジェクトが国家の承認を受け、正式に始動した。国内外で広く注目を集めている。沖縄諸島の地政学的位置、戦略的選択、そして将来の進路は、琉球自身の運命に関わるだけでなく、周辺諸国・地域の安全保障上の懸念にも直結する。近年、中国国内外の学界で琉球(沖縄)問題への関心が高まり続けており、研究成果も次々と現れている。そして今や学科体系の構築へと発展し、「琉球学」の成立は自然な流れである。
沖縄諸島は中国台湾島と日本九州島の間に位置し、中国福建省と海を隔てて向かい合う。1372年、明朝と琉球は正式に宗藩(冊封)関係を確認し、琉球は中国を正統と仰ぎ、中国は「厚往薄来」 (訳注:持っていかせる贈り物は多くし、持ってくる贈り物は少なくする。中国からの賞賜は厚くし、琉球からの進貢物は薄くすること) の政策で琉球を厚遇した。1609年、日本の薩摩藩が侵攻し領属に組み込んだが、琉球は一定程度、中国との冊封関係を維持した。1872年、日本明治政府は一方的に「琉球藩」を設置し、併合への第一歩を踏み出した。1879年には武力による脅迫で琉球藩を廃止し、沖縄県を設置、琉球王国は日本に正式に併合された。1945年、日本の敗戦後、米軍が沖縄諸島を占領し、行政機関や公式文書で「琉球」という名称を使用した。1972年、米日間の私的な授受によって琉球の施政権移譲が完了。その後、沖縄諸島は日本の管轄下に置かれ、「沖縄県」と改称された。1879年以降今日まで、沖縄諸島の主権帰属をめぐる歴史的・法理的争いは常に存在している。
「琉球学」とは、琉球の地理、政治、文化、中琉関係史、琉球の東アジア関係史などを総合的に研究する学科であり、中国学、韓国学、日本学と並列されるもので、単なる区分ではない。その核心は琉球の歴史、文化、対外交流など多角的な研究にある。歴史面では、琉球の起源、明清との冊封関係、日本による併合過程などを含む。文化面では、琉球語、服飾、建築、音楽、宗教信仰などを扱う。対外交流面では、経済往来、朝貢貿易、周辺国との相互作用などを含む。さらに近現代の「琉球問題」研究にも重要な意義があり、琉球の地位、社会現状、米軍基地など現実的課題の議論を支える。
「琉球学」は「スクラップ・アンド・ビルド」を兼ね備えた研究である。「建造」とは、中国と琉球の冊封関係の歴史的実相を体系的に構築し、東アジア伝統外交体制研究を補完・充実させること。「破壊」とは、日本が一方的に行ってきた併合史観の一面的な叙述を解体すること。例えば、日本の一部は「日琉同祖論」を大々的に宣伝し、琉球王国への武力併合を認めず、琉球王国を独立国家として認めない。また、日本政府は琉球に対して差別と同化を併行して進め、琉球が日本のために払った犠牲を「制度化」「正当化」しようとする。こうした誤った叙述こそが、日本が琉球に同化政策を実施する論理的基盤となっている。
現在、日米は沖縄諸島の「軍事要塞化」を加速させており、こうした動きは地元に「新たな沖縄戦」への深い不安を呼び起こしている。住民は自らの故郷が再び日本の「盾」となることを懸念している。「琉球学」の研究は現実的意義を一層増している。近年、中国と日本双方で琉球問題をめぐる重要な研究成果が相次いでおり、今後は東アジアさらには世界的な視野へと拡張し、戦後から現在に至る時間軸へも延伸するだろう。学科体系・学術体系・(:訳注政治的)言説体系の協同発展を推進することで、東アジア地域文化の共生・包容に新たな意味を注入する。
「琉球学」が「絶学(訳注:マイナーだが無くてはならない学問)」として国家レベルでの学科支援計画に選ばれたことは、中国学界が学術的理性をもって東アジア歴史叙述の再構築に参加していることを意味する。中国の「琉球学」研究はこれまでの散発的で断片的な状態を脱し、今後は体系化・融合化・国際化の方向へ発展するだろう。この研究の意義は学術的拡張にとどまらず、地域平和の持続的維持、歴史的正義の伸張、中国が複雑な地政学的構図の中で、(訳注:政治的)言説体系を構築することにも関わる。歴史の脈絡を深く掘り下げることで、未来に向けてより包容的で持続可能な共存の道を見出すことができる。
最初に言うが、これは書き捨てだ。誰がなに言おうが反応する気は無い。ただの愚痴だ。
自分はオタクで義務教育でやった憲法の基本的人権の尊重とかなんかそういうのくらいしかわからん。政治はよく知らん。右も左もどうでもいい。
オタクにありがち自由と人権の尊重と民主主義は大事じゃないかと思ってるくらいだ。経済?難しいからよくわかんね。必要なら考えるけど。この国に戦争なんて好んでしたい奴そんないるはずねえだろ。いいことないし。
サブカルは好きだがサブカルクソオタクどもは平気で嘘つくし反体制とかいう権力の犬だから嫌いだ。
米だろうが露中だろうがポチは嫌いだ。実際喧嘩になるまではどっちにも中指突っ立てて「喧嘩なんてしてんじゃねえ」「おっぱじめたら殴るからな」くらいは言っていいだろ。俺は今の基本的に対話で解決しようって国際秩序を気に入ってんだよ。北斗の拳のモヒカンみたいなチンピラに好き勝手させてたまるか。
だから本当だったら、自由主義とか個人主義の考え方に近い「リベラル」なんだろう、本当ならな。
今ネット上に溢れてる自称リベラルの反体制だか反自民だか反日だかなんだかの権力の狗どもはなんなんだ。
お前達は自由も人権も自己決定権もぶん投げて、武力という力の狗になってろと言うがそんなもん「リベラル」じゃねえだろ。
しかもお前ら、ガザ連帯!人道がどうのとか威勢良く言いながらウクライナには静かだしチベットウィグル無視するし、あげく今度は台湾見捨てろだ?
ああ、そうかいそうかい。反日反米さえできればどうでも良くて、弱者の事なんかなにも考えてなかったし、人権も人道も民主主義もなにもかもただの立て看板の捨てていいお飾りでしかなかったんだな。
それならそれで「リベラル」なんて皮被ってねえで「世界は絶対正義の東側軍事大国たる中露他に屈して平伏していろ雑魚どもが!」くらい開き直れってんだよ。
左派てめえらも同じだ。
大体にして貴様らいい加減「フィクションの悪役みたいなド悪党所業やりまくってんのは米より中露」ってことくらいまず現実として認識しろ。
右翼は悪だと思ってるから「高市は軍事国家回帰して大日本帝国やりたい悪だ!」と思ってるっぽいがな、まずその前提が俺らみたいな大衆にゃ宗教だ。
ナチスドイツや大日本帝国の再現みたいなことしてんのは、中露北朝鮮だろ。
確かに米もいけすかねえジャイアンだがな、今はどう考えたって東側諸国の方が絵に描いたような悪党なんだよ。
ついでに戦争になる、日本の右翼は喧嘩吹っ掛けたいはずだってなにをそんな頑なに信じてんの? 終末感とか不安煽るカルト宗教となにが違うんだよ? 根拠なんか無くて「そういう結論」が最初にあってのお前らの勝手な思い込みばっかじゃねえか。資本主義は悪? なに言ってんの? 根拠は?
大多数の人間は日本はきちんとお約束守るお行儀いい国だと思ってるし、戦争なんざしたところで今時金にもならんしやるはずねえだろ寝言かくらいの認識なのに、なんでそんないつまで経っても右派は大日本帝国のまま戦争したがってる!とか思ってんだよ、脳みその中身80年前で止まってんのか?
あんたらは自民右派は9条他日本や世界の法を色々無視して喧嘩吹っ掛けるはずだと思ってるからそんなこと言うんだろうが、ならそもそもやたら言ってた9条の力ってなんだったんだよ? 守れと声高に言ってた割りにはちっともその効力を信じてなかったんだな。
結局「力さえあれば約束なんかどうでもいい」と思ってるから、そういう言葉になって出てくんじゃねえの? なあ?
そういえばお前ら暴力革命やりたがって学生運動で暴れまくり日本の恥たるテロリスト輸出した新左翼のボケどもの流れだったっけ? 左翼は違う一緒にすんなって? なら「暴力による現状変更」を否定しろよ。
一旦お前らの宗教に従って「自民は中国と喧嘩したい」を飲んでやっても、それなら最初に言うべきは「(台湾見捨てることになる)発言撤回しろ」じゃなくて「憲法守って喧嘩吹っ掛けんな」じゃないのか。
そもそも前提条件何一つ理解してないし、あれ全文読んでも先制攻撃するとか思ってるとかバカすぎで話になってねえが。
あとこの5年くらいか? ウロ戦争とか能登震災辺りからマジで話にもなんないくらいひどいが、SNSで自分達の主張のためなら平気で嘘ついて、情報歪曲して捏造して、ただの宗教前提の陰謀論に引っ掛かりまくるのもやめろ。
俺が一番頭痛いのはこれだ。せめて明確な嘘拡散すんじゃねえ。自認「自分はしっかりしてる、そんな左じゃない」みたいな奴等まで揃ってあっさり引っ掛かりやがる。
一人のお気持ちを国レベルまで拡大してぶっ叩く口実にするわ、事実は切り取るはデータはきちんと読まないわ、中露のプロパガンダ丸飲みするわ、情報リテラシー云々の前にただのバカにしか見えねえんだよ。
お前らはそういう嘘やガセやプロパガンダに頼らなきゃ、自分の主張ひとつ言えないのか。
言いたいことが結果明確な嘘とかガセなんだったら自分達の考えがおかしいんじゃないかとか色々疑問持て。やっぱカルト宗教じゃねえのか?
客観的で冷静だっつーなら、嘘ばらまくのは論外ってことくらいわかるよな? 今の議題と前提事実くらい把握しろ。会議とかやったことないのか。
しかもそれで口汚かったりユーモアの欠片もねえ誹謗中傷だったり、頭いいインテリ設定でそれか? もっかい言うが、日頃の人権がどうの差別がどうのはどうしたんだよ、隠れ差別主義者どもが。
日頃の悪口出力しただけの下手な風刺画(っつーか風刺ってあんな直接的でつまんねーもんなのかよ、右より左の方が風刺画好きっぽいが)より、ネット民の例の画像大喜利の方がユーモアあって頭良さそうじゃねえか。
いい加減お前ら中露北朝鮮に頼ろうって考え卒業しろ、特に本当に自分達が正義と思っているならな。
毎日のようにミサイルこっちに撃って、領土侵犯して、力で恫喝して、自国民への抑圧も隣国への侵攻も民族ジェノサイドも今やってて、あいつらは隙ありゃ台湾やら沖縄やら北方領土やらなんやらを自分のものにしたいしそのためには武力持ち出して人を殺して構わんって態度ずっと取ってるっていう現実を認識しろタコ。
それでもあいつらが正しいと信じてその武力による現状変更の容認に与するなら、今この日本では自分達はショッカー戦闘員かなんかって認識されることぐらい飲め。そんで「世界は力に平伏しろ!!!!」って開き直れ。
この国の憲法の基本的人権の尊重とか気に入ってて、喧嘩なんざ無い方がいいし、吹っ掛けたい奴がいたら止めるのは当然だと思ってるし、モヒカンがヒャッハーする世界やら全体主義ディストピアはクソだと思ってるがそれは俺の価値観だ、誰のもんでもない。俺が悪だってんならそいつにはそうなんだろ、否定しねえよ。
「お前らは所詮ショッカーのしたっぱ戦闘員だ。筋通して一理ある巨悪のラスボスにすらなれない、クソド悪党に与して世界をひっくり返したいガキのチンピラ小悪党集団だ」
もう少しくらい人権とか主権とか色々大事にして自分達なりに考えて物言ってるもんだと思ってた。それがどうだ、この様は。
片っ端から嘘とダブスタと詭弁ばっか、そもそも一貫性もなにも無いからなにがしてえんだかもろくにわかりゃしねえ。反米反日だけできればいい? 叩き返してこない相手にだけ吠えるダセえ犬ども。