
はてなキーワード:工業化とは
もう終わった。完全に終わった。
5年間、必死に絵を描き続けてきたが、ついに諦めた。
最初は舐めてた。Stable DiffusionやMidjourneyが出た時、どうせ一時的なブームだろうと思ってた。機械が描く絵なんて、人間の心のこもった作品には勝てるわけがない、と。
甘かった。本当に甘すぎた。
俺のレベルを正直に話そう。
Twitterのフォロワーは1200人。pixivの評価は平均50点くらい。たまに100点超えることもあるが、基本的にはいつも埋もれてる。
でも絵を描くのが好きだった。下手でも、時間がかかっても、自分なりに工夫して、少しずつ上達してるのが嬉しかった。
月に3万円くらいだったけど、ココナラとSKIMAで依頼を受けて小遣い稼ぎもしてた。一枚3000円のイラスト依頼が、月に10件くらい。決して多くはないが、自分の絵でお金をもらえることが誇らしかった。
それが去年の夏頃から、急激に変わった。
依頼が激減した。
俺が3000円で描く絵を、AIは数十円で、しかも数分で生成する。クオリティも、正直言って俺より上だ。塗りは綺麗だし、構図も安定してる。表情も自然だ。
AIは魂がない、感情が込もってない、人間の絵じゃないと必死に主張した。でも現実は残酷だった。
依頼者にとって大事なのは魂でも感情でもなく、安くて早くて綺麗な絵だった。
SNSでもAI批判の投稿をしてた。でも反応は微妙だった。フォロワーたちも、心の中ではAIの方が便利だと思ってるんだろう。
そして決定打は先月のことだった。
いつも依頼してくれてた常連のお客さんから連絡が来た。申し訳なさそうに、もうAIで十分だから依頼しないと言われた。
その人は優しい人で、俺の絵を気に入ってくれてた。でも経済的な理由で、AIに移ったんだ。俺の3000円の絵と、AIの数十円の絵。比較するまでもない。
その瞬間、すべてが終わったと悟った。
俺は底辺絵師だ。神絵師じゃない。唯一無二の個性があるわけでもない。技術的にも平凡だ。そんな俺が、完璧な技術を持つAIと競争できるわけがない。
今、絵を描く意味を見失ってる。
趣味で描けばいいじゃないかと言う人もいるだろう。でも俺にとって、絵は趣味以上だった。将来はイラストレーターになりたいと思ってた。下手でも、少しずつでも上達して、いつかはプロになりたいと夢見てた。
でも今は、その夢に向かって努力することが虚しい。
どんなに練習しても、AIには勝てない。技術的にも、速度的にも、コスト的にも。完全に負けてる。
しかもAIはどんどん進化してる。今でも俺より上手いのに、半年後はもっと上手くなってる。俺が5年かけて身につけた技術を、AIは一瞬で習得する。
最近は絵を描く気力も失せた。PCを開いても、ペンタブを握っても、何も浮かばない。描いても意味がないと思ってしまう。
同じような境遇の絵師仲間たちも、みんな辞めていった。AIに勝てないと悟って、別の道に進んだ。
残ってるのは、元々実力があった神絵師たちだけ。彼らはAIに負けない個性と技術を持ってる。でも俺みたいな底辺は、生存できない。
完全に淘汰された。
これが技術革新ってやつなのかもしれない。昔も印刷技術の発達で写字生が不要になったり、工業化で職人が不要になったりした。今度は絵師の番だ。
でも頭では理解できても、心では受け入れられない。
5年間の努力が無駄だったのか。あの夜中まで練習した時間は何だったのか。下手でも一生懸命描いた絵たちは、もう価値がないのか。
AIを憎んでる。でも憎んでも意味がない。技術の進歩は止められない。
残された道は、AIを使う側に回ることかもしれない。でもそれは、自分の絵師としてのプライドを捨てることだ。
機械に指示を出して絵を生成させるのが、果たして絵描きと言えるのか。それとも、時代に合わせて変化することが生き残る道なのか。
ただ一つ確実なのは、俺みたいな底辺絵師の時代は終わったということ。
AIは民主的だ。絵の才能がない人でも、美しい絵を生成できる。それは素晴らしいことかもしれない。
でも、俺みたいに絵を描くことが人生だった人間には、残酷すぎる現実だった。
お前らは、どう思う。
技術の進歩についていけなくなった人間は、静かに去るべきなのか。
それとも、何か別の価値を見つけて戦い続けるべきなのか。
俺にはもう、答えが見つからない。
Permalink |記事への反応(44) | 10:08
日本は台湾を植民地として支配したけれど「良いこと」もした――こんな語りの広がりに懸念を抱いた経済史研究者・平井健介さんが、日本による台湾統治の歴史を概観する本を出しました。戦後に台湾が経済成長を果たしたのは「日本のおかげ」だと言えるのでしょうか。平井さんにじっくり聞きました。
――日本の台湾統治の歴史を概説した近著を執筆したのは、学生が「俗説」に染まりやすい現状を憂えたからだったそうですね。
「植民地の歴史の授業を大学で担当していると『日本のおかげで今の台湾や韓国はあるんですよね』と無邪気に語りかけてくる学生にたまに出会うのです」
「『台湾統治で日本は良いこともしたのですよね』『だから台湾は親日なのですよね』もよく聞くパターンです。植民地統治の歴史に興味を持った学生ほど、そうした俗説にまず触れてしまう状況を、少しでも変えたいと思いました」
――学生たちは、どういうところでそうした説に触れているのでしょう。
「授業で簡単なアンケートをしたら、ユーチューブやネット記事で見聞きしたとの回答が主でした」
「ええ。1895年に、日清戦争に勝利した戦果として台湾を領有しました。いわゆる植民地化です」
――著書では、経済を中心にして当時の歴史を概観しましたね。なぜですか。
「日本が台湾を統治した最大の目的は、現地にある様々な資源の開発・利用だったからです。つまり主目的は経済だったのです」
「大きく3期に分けられます。(1)台湾を利用して内地の経済問題を解決しようとした1910年代までの『対日開発』時代、(2)産業の高度化を進めようとした30年代前半までの『総合開発』時代、(3)戦争体制の構築を目的とした敗戦までの『軍事開発』時代です」
――対日開発とは?
「経済後進国だった明治期の日本にとって、貿易赤字を減らすことが重要課題でした。綿花に次ぐ輸入品だった砂糖を、台湾で『国産化』しようとしたのです。台湾を内地の食料原料基地に変える政策です」
「内地資本の進出を促す形で近代的な製糖業を興し、製品の大半を内地に送ることで一時は砂糖の『自給』も達成しています」
「ただし、そこだけを見て『日本は良いこともした』と言うのは一面的です。確かに経済的なパイは拡大したけれど、誰がそのパイを手に入れたかという問題は別にあるからです」
「現地の統治機関である台湾総督府は、農民たちの生産したサトウキビを特定の製糖工場にしか出荷できないよう制限しました。製糖工場が原料を独占的に低価格で確保できる体制を作るためです。内地資本の進出が促され、砂糖生産量というパイは増えましたが、農民からの収奪を基盤にした生産だったのです」
「総合開発は、電源開発の停滞などもあって成功しませんでした。軍事開発では工業化が目指されましたが、工業化に対する日本政府の否定的方針や戦局悪化に伴う物資不足によって、実現できませんでした」
――総じて、台湾開発はどうだったのでしょう。
「日本にとっては、ほとんど財政負担なく食料原料基地化できたという点で『成功』でしょう。しかし、そうであるがゆえに、台湾開発は農業中心型の経済の高度化にとどまり、工業化や産業構造の転換には至りませんでした」
「加えて大事な事実は、いずれも台湾住民の機会拡大や地位向上のための開発ではなかったことです」
「サトウキビ農業や製糖業が台湾経済の中心だったのは1950年代までであり、それ以降の台湾の成長は戦後に移植された繊維や電子機器によるものです」
「戦後に台湾が経済成長を果たしたのは、米国が構築した自由貿易体制のもとで、台湾の人々が外資や技術の導入を積極的に進めたことなどによるものです。日本統治時代の遺産が果たした役割は限定的です」
――台湾で日本は良いこともしたのでは?と学生から質問されたら、どう答えているのですか。
「当初はあれこれ説明していましたが、今は『台湾人になったつもりで授業を受けてみて、自分自身でその答えを見つけてください』と答えています」
「重要なのは、学説に基づく歴史に触れたり学んだりする機会を持つことです。台湾の人々は学校で日本統治期の歴史を、日本の人々以上にしっかり勉強しています。もし次世代の日本人が、自分たちの国が何をしたのかを知らず俗説を信じたまま台湾の人々と交流したら、理解し合える関係性を築けるでしょうか」
俺は思うにそれに南北戦争を回避するには、奴隷制存続と南部の独立を認めるの二パターンが想定される
奴隷制が堅持され場合南部の黒人労働力が工業に転用できない工業化は北部主導で進み、南部の農業社会は取り残される、黒人の政治家科学者、実業家は誕生しない。
なので、結果として、技術発展や鉄道建設などは遅れ、工業国家としての成長が今のアメリカより遅れる事が予想される
南北が分離国家になる場合だと、北部だけでは世界最大のGDP国家になるのは難しく、その上南部アメリカという仮想敵国に軍事外交リソースを割かねばならないので国内の経済発展に使えるリソースがより限定的になる
戦争経験が軍需産業の成長と技術革新を後押し、その後の二つの大戦で軍需の工場として振る舞う事ができ戦後に覇権國となれた
結果として南北戦争の「破壊と統一」があったからアメリカは今の、アメリカを世界最大の工業・経済国家に押し上げる決定的な契機となった。
「南北戦争を避けられたか?」という問いは、「痛みなく近代化できたか?」という問いでもある。同様の失敗はフランス革命、ロシア革命、普仏戦争からのドイツ統一と世界大戦、辛亥革命と中華統一にも言える
近代化とは単なる技術革新ではなく、社会構造・権力構造・価値観の変革です。その過程では、既得権益の崩壊や反発が必ず起こり、一定の暴力や犠牲を伴うことが多くその犠牲を失敗と呼んでいるという事では
アメリカでの軽トラ人気とかステランティス会長がEUに軽自動車規格導入しれ!と呼びかけたりと最近軽自動車周りの話題が多いね。
軽自動車=日本独自規格で輸出してないから右ハンドルだけ。そう思っていませんか?
ところが実は海外でも日本の軽はバリバリと走っているんだな。当然左ハンドルよ。
ただ網羅的ではないのと、増田の個人的趣向により軽トラ軽バン中心になるのはご容赦しておくれよ。あと、中国関連が決定的に弱い。
大宇、GM、GMシボレー、フォード(台)、マルチ(印)、ホールデン(豪)、ベッドフォード(英)、ボクスフォール(英)、三富汽車(台)、アストラ(インドネシア)、VIDAMCO(越)、ピアジオ(伊)
といったところ。3列目で頭捻った人多いかもしれないな。なんだよシボレー、フォードって。
大宇(Daewoo)とGMの合弁、GM大宇がスズキキャリーなどのライセンス生産権を取得。後に大宇とGMは合弁解消したのでその後は大宇の名前で製造販売していた。
キャリーの製品名はDamas ダマス。んで、これが世界中に広がるわけなのですよ。具体的には大宇とGM両方がライセンス権を持っていたのでそりゃもう複雑なことに。
また、亜細亜自動車がダイハツハイゼットをタウンナーの名で生産。後に起亜に買収されたので起亜タウンナーもある。南米市場の為にウルグアイでも生産していたようだ(詳細不明)。
三富汽車(Sanfu)がスバルサンバーなどをライセンス生産していた。
またフォードがスズキキャリーのライセンス権を取得。フォードプロントの名前で製造販売。で、こいつも世界中に広がっていくことになります。
CMC(中華汽車工業)が三菱ミニキャブなどをライセンス生産。現地名はCMC Veryca。この会社はミニカや他の三菱車も生産。
また、ベンツや大陸系中華バスメーカーを扱う東南汽車工業(Fujian)とCMCが提携していたこともあり、その時代は東南汽車のロゴを付けた三菱車が走っていた。つまり、三菱→CMCにライセンスorOEM→東南汽車という複雑な関係だ。
…ところがこの複雑な関係は海外軽では当たり前なんよね。世界中に販路持つアメ車メーカーにライセンスしたせいで。
この辺でライセンス生産とかノックダウンって何?について説明するぜ。
割って入って話が前後して悪いな。
殴る事。じゃなくて組み立ての事。IKEAの家具とかもノックダウン家具って言うやろ。
工業化最初の段階では部品製造能力が当地に無い。だから本国で部品を製造して組立だけを現地で行う。
結果、製品の価格はあまり下がらないので産業発展前の現地国民には購入できない。現地にサプライチェーンが置かれないので現地産業の発達に帰さない。長期的には簒奪的資本行為に映る。
現地企業と資本を出し合って共同経営にする。この段階では現地の中小企業を下請けにしてサプライチェーンを形成する。現地生産率が上がるので製造コストが下がる。
だが最初は技術や工作機械が足りないのでその技術指導をする必要がある。企業城下町を形成する。その為国力の底上げに寄与する。地元の経済と雇用を活性化する。
国策での合弁必須条項が無いので自前の現地法人を置くケース。あとは合弁のケースと同じ。
現地企業が特定製品の製造ライセンスを取得し、現地生産の全てを自前で行う。元の製造元にはライセンス料が入る。
製造ノウハウの授与や生産機械の譲渡(特に金型)が含まれることが専ら。
また型落ち製品の機械を売却する事でライセンス元業者はモデルチャンジでの損失を抑えられる、技術的に枯れている(問題が出尽くして対策のノウハウが蓄積されている)のでライセンシー社はトラブルが少なく利益を上げやすい。
だが、おっと番外があった。
ライセンス契約を結ばず製品を勝手にフルコピーして製造する事。正規ライセンス者が価格競争面で損失を被る。
最近だとホンダスパーカブの中華コピーなど。中国だけじゃなくてタイなど市場国でも売られて損失を被った。
ホンダは商標権訴訟で市場からパージすると共に違法コピーの下請け企業を自社下請けに勧誘するなどの努力で中国外の市場から追放しようとしている。
合法デッドコピーの例は、富士重工の初代ラビットスクーター。戦前の米パウエル社のスクーターのコピーを試作してその量産の可否をGHQに訊いたところ、軍需企業の平和産業転身の為と輸出しない事を条件に許可された。
先進国同士でも行われる。相手先ブランド供給。相手先ブランドや車名を付けたのをOEMメーカーが製造して納車。
先進国+途上国の関係だと、1に行くほど搾取的になり易く、3に近づくほど技術移転も多く国民感情と国際経済的によくなり易いって特徴がある。いつまでもノックダウンだけやってるとそのうち追い出されるか、環境が変わった時に相手国の協力が得にくくなって撤退の憂き目に至る。
この点、日本企業は企業城下町を築く事が多く概ね良好だった。それで90年代初期には「経済大東亜共栄圏」と揶揄混じりで言われていた。
あと同様に良好だったのがアメ車メーカー。これはこの後出てくる。あとイタリアのフィアットもライセンス含め海外生産の常連だ。
海外で売るんだから当然左ハンドルで製造する。軽なのに左ハンなんよ。
あと、ヘッドライトには焦点とカットラインと言うのがある。ロービームで壁を照らすと上側が暗くて左側が上がったラインが表れるでしょう?あれって対向車幻惑防止の為にレンズの形でああいう風にしてるのよ。
右側通行ではこれが反対になるからライトユニットも右側通行用のを作る。
日本の軽規格、660ccや550ccの規制が無い所に売るんだから余裕がある800ccとか1000ccとかのエンジンを積んでいる。でも別に日本の660ccよりパワーがあるってわけでもない。
と言うのも、カリカリにチューンしたエンジンよりパワーが余り出ないエンジンの方が長持ちするんですわ。カブのエンジンって遅いけど10万キロ以上走れるでしょ。ああいう感じ。
あと、国によってはガソリンの品質が悪い事がある。蒸留しただけの粗製ガソリンはオクタン価が低いので、ハイオク化剤を混ぜてオクタン価をあげてレギュラーガソリンにしている。
でもこのハイオク剤は有機化学産業が発展してないと安定的に供給できない。ガソリンのオクタン価が低いとエンジンがぶっ壊れる。そういうわけで圧縮費を下げざるを得ない。低圧縮比=低出力なので出力を補うためにも排気量は上げておいた方がいいってわけ。
1000ccとかだと660ccエンジンベースでは無理があるんで、「海外向けの軽エンジン」ってのを別に作って載せる場合が多い。
んで、その海外向け軽エンジンをライセンス生産している大宇などが自社ブランドで生産するんだが、完コピする必要も無いので日本の海外向け軽エンジンと形や仕様が違ってくる。
そしてそれが他国でのライセンス軽に載せられ…となって、海外軽には大宇のエンジンが載ってる事が多いのだ。
マルチは国営企業で、元はインディラガンディー次男が国民車を作る構想で設立したが頓挫していた。それまでは植民地時代の旧態依然の丸っこい英国高級車ばかりだったが高い上に古いそんなもんは庶民は乗れんし乗らん。
そこでインド政府は合弁路線で行く事にしてスズキを招致、アルトのインド版、マルチ800の製造を開始すると構想通りに爆売れ、国民車に。
その後もスズキの車を作り続けてる。
インド映画見てると警察や軍がこういうジープ乗ってる場面ってあるでしょ?
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/c1/Maruti_jeep.jpg/330px-Maruti_jeep.jpg
軽トラのライセンス生産はこれくらいなんだが、その代わりに「軽トラ市場」とでも言うべきマーケットが出来ている。例えばこれはタタのトラック軍団だがいかにも軽トラっていうのが居るだろう?
https://trucksfloor.com/en/tata/pickup
またこれはマヒンドラ社のスプロミニってトラックだが、この軽トラっぷりを見て欲しい。
https://www.mahindrasupromaxitruck.com/supro-minitruck.aspx#homebanner
民族自決の雄にして敗戦後日本の国際社会復帰にも大きな影響を持ったインドネシア。そういうわけで古くから軽自動車のノックダウン→ライセンス生産をしている。
三菱ミニキャブを大陸中国企業の上海汽車集団とGMの合弁、上汽通用五菱汽車が生産。日本の軽トラを中国とアメリカの合弁企業がインドネシアで生産というゴッチャゴチャな関係である。
ダイハツハイゼットを、現地企業アストラとダイハツの合弁、アストラダイハツが生産。ここはトヨタの乗用車の生産もしている。
前述の韓国大宇とGMの合弁、GMDaewooがスズキキャリーのライセンス車、ダマスを生産。
また亜細亜自動車→キアがダイハツハイゼットライセンス車をタウンナーとして製造。
バイクメーカーだったP.T.スズキ・インドモービル・モーターがカリムン・ワゴンRを製造。これはインド生産のワゴンRのコピー。
つまり、スズキ直と韓国&米国連合のライセンス車がごっちゃに入り混じってる複雑な状態なんだな。
現実には殆どのインフレは複合的なもので、純粋なデマンドプルインフレがとても稀ということを知らないのか、知っていてもとぼけているのか
第二次大戦後のアメリカやマーシャルプランの時のドイツ、高度成長期の日本に、中国の工業化
豊富な労働力を特殊な情勢下で上手く生かすことが出来たときにのみ実現できている
今のアメリカだって中国だってドイツだってコストプッシュインフレよりデマンドプルインフレの方が好ましいと考えている
当たり前だけど、どこの国もデマンドプルインフレを望んでいる、頑張って起こそうとしている、でも実現できずに困っている
重要なのは、労働力不足は単なるコスト要因ではなくインフレの性質そのものを変化させる決定的な要因として機能してしまうってこと
デマンドプルインフレが簡単にコストプッシュインフレにシフトしてしまうってこと
労働力不足では純粋なデマンドプルインフレの維持は困難なので、欧米は労働力の確保を重視して移民を大量に入れてしのいできた
日本は非正規雇用、女性や高齢者の労働市場への参入が労働力市場のひっ迫を緩和し、皮肉にもコストプッシュインフレへの移行を阻んできた
そんな中でコロナ後の原材料価格由来のコストプッシュインフレが起き、昨年には落ち着いたものの、労働力不足由来のコストプッシュインフレが到来
それらを踏まえれば、今の労働力人口が減り続ける日本でデマンドプルインフレの実現がどれだけ困難なことかわかると思う
AIが力を持ちつつある今こそ「人力」というブランドが価値を帯びる
AIらしくない文章を書けとやるともう見抜けない人も普通にいるような文章を出してくるのだから。その極致にAIと人間で成果物に差がつくようには思えない。
大事なのはブランド。工業化されている今でも「手作り」に価値を見出す人がいるのと同じ。
あの人たちって別に必ずしも手作りと工業製品を見分けることができるわけじゃない。
しかし「手作り」にはなにかそれにしかできない味などがあると妄信して手作りというブランドに金を出す。
人間がこうした虚像を信じられるような存在であるかぎり、人力に価値を見出す人はいるから、人力のクリエーターが完全に仕事を奪われることは無いのだろうと思う
母は、女は大学なんか行かなくて良いという九州のテンプレセリフは言われているし、女は将棋をするな(?)とかのよく分からないことも言われて育ってるね。
親戚に怒られてなじられながら無理やり大学に進学して、親との約束を守るということで地元福岡で就職したあと、親を裏切って東京の会社の仕事を決めて逃げるように転居して、そこで群馬県出身の父と出会って結婚して生まれたのが私なんだけど。
物理的な距離が群馬のほうが近いというのと、あと親と実家の関係性が良いからということで、私は帰省というとほぼ父方の祖父母宅に帰省する感じで生きてきた。母方の福岡の実家は4回しか行ってない。内訳は…結婚式と葬式と、盆だったかな…。
群馬と福岡の違いは、女性が携わってきた産業の違いが大きいのかなとか思ったりする。
群馬は生糸の生産が盛んだった。蚕を世話して繭を茹でて生糸にして輸出するっていうやつね。多大な貿易黒字を作って日本の工業化・近代化にかなり貢献したものとして日本史でもがっつり習うわけだけど。
そこで女性が、かなり活躍した歴史があるのが群馬だったり、あとは相模あたりだったりする。長野県もかな…?
蚕の世話にしろ生糸の製造にしろ、仕事の内容が女性に向いていて、当時としては好待遇で働いていた。
逆に福岡だと、農業と炭鉱と漁業といった感じで、男性の筋力が有利になる「男職場」ばかりが主力産業だった。
結果、女性のやることは炭鉱夫相手に売春をするとか、あるいは次世代の働き手である息子を生む仕事ということになってくる。
生まれたのが娘だったらガッカリ…息子だったら大喜び!となるのも、稼ぎ手としての能力が男性のほうが圧倒的に高くなる地域の産業構造にあるのでは。
女性が生産現場から直接お金をもらうチャンスがなくて、一般男性に対して性的サービスしてお金をもらって養ってもらうというのが唯一の生存方法になっているから九州はあんなことになったのかなと思う。
一般男性を経由せずに、工場等から直接お金をもらう機会があった地域ほど、女性がDVされていない…等のデータってないのかな。
アメリカが豊かなのって、脱工業化して製造業を他の国にぶん投げて、ITとか金融とかの仕事にシフトしたせいだと思う。
それって世界中で分業制をするっていうわけで、平和を維持しないとできねぇと思うんだよね。
で、世界が平和であるために、警察をしようと思うと超金がかかる。
このままアメリカが圧倒的にGDP1位で居続ければいいんだけど、21世紀中に中国に抜かれるわけじゃん。
どこのシンクタンクもそういってる。
アメリカの経済成長次第だけど、移民と移民が産んだ子のおかげで経済成長してるわけで、それもどうなのって話。
アドバンテージが残ってるうちに、国内に製造業を戻すのは撤退戦としてありだと思うよ。
第二のアメリカの座を中国インドあたりで争ってくれて互いに消耗してくれれば、時間をだいぶ稼げるかもしれないし。
2か月後に解雇すっからよろしく。データ抜かれっと困るから明日から自宅待機な。
みたいな感じで人きるじゃん。
そんな国で100年もののシステムなんかツギハギでヤバいにきまってるじゃん。
ドナルド・トランプ大統領がEU、カナダ、中国などに対して極めて高い関税を課すことで話題だが、トランプ自身は25代アメリカ大統領のウィリアム・マッキンリーが50%の関税(米国史上最大)でアメリカを豊かにしたことを挙げて、100%の関税を課すことも検討しているようだが、結論から言うと…
失敗に終わるだろう
ドナルド・トランプ氏が主張する「ウィリアム・マッキンリーの高関税政策の再現」について、歴史的・経済的な観点から以下のように整理できる。
- 当時の平均関税率は約48%に達し、産業保護を目的とした「保護貿易」の典型例とされます。
- 背景には、アメリカが工業化の過渡期にあり、欧州(特にイギリス)の安価な工業製品から国内産業を守る必要がありました。
-結果的に鉄鋼・繊維産業が成長し、20世紀初頭の経済拡大の基盤を作ったとする見方もあります。
-現代:部品の国際分業が進み、関税が中間財のコスト上昇を連鎖的に招く(例:自動車部品の25%関税が最終価格に転嫁)。
-現代:輸出がGDP比12%(2023年)、サービス貿易も拡大。
-WTO体制下では恣意的な関税引き上げが訴訟リスクを伴う(トランプ時代の鉄鋼関税でWTO違反判決)。
- ペトリー研究所の分析では、関税による米企業・消費者の負担が年間570億ドル。
-保護された鉄鋼業の雇用1人あたりコスト:90万ドル/年(非効率性の顕在化)。
-ハーバード大学の研究では、関税保護企業の生産性向上率が非保護企業より年平均0.5%低い傾向。
-半導体・EV産業への直接投資が2023年に民間設備投資を2.3%押し上げ。
-ドル高是正による輸出競争力回復(1985年プラザ合意の事例)。
-コミュニティカレッジとの連携で製造業技能者育成(ドイツのデュアルシステム参考)。
-EUが2023年に実施した米産バイオエタノールへの報復関税(50%)で輸出額32%減少。
-フォードのEVバッテリー国内調達切り替えで生産コスト18%増(バーンスタイン推定)。
マッキンリー時代の関税政策は「工業化初期段階における幼稚産業保護」という特殊条件に依存しており、現代の高度に分業化された開放経済では、高関税は以下のリスクを招き得ます。
3. GVC(グローバル・バリューチェーン)分断に伴う生産性低下
経済史家ダグラス・アーウィンの実証研究によれば、1890年関税の実質的な経済効果はGDP比0.3%程度の成長押し上げに留まり、当時ですら鉄鋼業の技術革新(ベッセマー法導入)など他の要因が主因でした。現代政策としての有効性は極めて限定的と言えます。
https://mond.how/ja/topics/mrlbu190hahsfr7/1nkd5kwzo2b5dbr
・宗教的に「贅沢は罪」みたいなところがあるが、日本はさほどそうではない(要出典)
・山や森文化であり、山菜がたくさん取れるが、山菜は下処理が大変なため自ずとこうなった
・食にこだわりが強い人が多い(要出典)
・江戸時代から平和で安定していたから。他の国をみると、飢餓や貧困に苦しんだ歴史が長い国は食文化が発展していない
・工業化のときに、さほど都市に人が集中しなかった(要出典) イギリスと比較して考えた
・単純に歴史が長い
・長らく女性が台所にいたから、男女格差問題。例えばアメリカでも女性が家庭的であった時代には料理に対するモチベーションが高かったと聞く
実はちゃんと調べると他国の方が多彩かつめんどくさいという可能性もあるけどね
他には?
つまりそれ、アフガニスタンと台湾って全然違うって話なんだよな
アフガニスタンはアメリカにとって単なる対テロ戦争の戦場だった。でも台湾は違う
1950年代からアメリカは台湾に経済支援して、農業近代化して、工業化を進めて、結果として半導体産業まで育った。台湾のGDPの12%がアメリカの支援で、今のTSMCだってその結果なわけ
つまり台湾とアメリカって単なる支援国と被支援国じゃなくて、アメリカの戦略の中で一緒に成長してきたパートナーなんだよ
軍拡圧力はまあ既定路線だよな。でもそれは孤立主義のトランプだからってわけじゃなくて、台湾にもっと自立的な防衛力を持たせたいって考えからきてる
だからアフガニスタンみたいに見捨てられることはないはず。70年以上の戦略的パートナーシップはそう簡単には切れないって思うんだ
この当たりが推論。分かりづらい文章ですまんな
https://www.youtube.com/watch?v=pvAfm0VFK3s
アメリカの台湾支援の歴史について勉強してたら色々と考えることがあった
まず、トランプが勝ったことで台湾への支援がどうなるかってのが気になる。孤立主義的な政策をとるって言ってるし、台湾に防衛費の負担増を求めてくるだろ
でも、歴史的に見ると単なる援助じゃないんだよな。1950年代から、アメリカは共産主義の拡大を防ぐために台湾を重要なパートナーとして支援してきた
TSMCとか半導体産業も、農業から工業化への移行も、GDPの成長も、全部アメリカの経済・軍事支援があってこそだった。当時の台湾のGDPの12%がアメリカからの援助だったんだぞ
トランプは台湾に半導体産業を取られたって言ってるけど、そもそも台湾の産業発展自体がアメリカの支援の結果なんだよな。これって単なる援助する側・される側じゃなくて、戦略的な共生関係だと思う
だからアメリカが台湾を見捨てることはないはずだ。孤立主義的な政策をとっても、中国への対抗という意味での台湾の重要性は変わらない
むしろ台湾に求められるのは自立的な防衛力の強化だろうな。アメリカの支援は続くと思うけど、その形は変わっていく可能性はある
つまり、70年以上の歴史で築かれた台湾とアメリカの関係は、そう簡単には変わらないってことだ
基本的な関係性は維持されると思うんだよな。ただし、その在り方は変化していくだろう
これが俺の結論
コンバーターとコーンバター。この二つの言葉は、一見すると無関係な対象を指しているように思われる。しかし、その響きには微妙な共通点があり、現代人に与える感覚的な違いは、文化や歴史の流れを通じて形成されてきた感性の奥底に根ざしていると言える。人間の歴史の中で、技術や食文化の進化と、それらが生み出す美的な感動は切り離せない関係にあり、ここに「コンバーター」と「コーンバター」を媒介とした考察を試みることで、その深奥を垣間見ることができるのではないだろうか。
まず、「コンバーター」とは、一般的には何らかの機能や属性を変換する装置や技術を指す言葉である。電圧を変換する電源コンバーターや、信号を変換するデジタル・アナログコンバーターなど、その用途は多岐にわたり、現代社会を支える根幹を成す技術のひとつとなっている。これに対して「コーンバター」とは、穀物であるトウモロコシ(コーン)から作られるバター、あるいはそれに類する加工品のことを指す。日本においてはそれほど一般的ではないが、北米や南米など、トウモロコシを主食の一部として重要視する文化圏では、伝統的な食材の一つとして親しまれている。
一見、全く異なる二つの概念であるコンバーターとコーンバター。しかし、その歴史的背景に目を向けてみると、人間の知恵と工夫、さらにそこから生まれる美的な感性が反映されていることに気づかされる。コンバーターの登場は、工業化と技術革新によってもたらされた、変換や変容の技術に関する人間の知識の結晶である。これに対し、コーンバターは農業の発展や食文化の進化に密接に結びついている。技術の変換と食材の変換、いずれも人間が生活を豊かにするために築いてきた歴史の一側面であり、そこには特有の美的価値が含まれている。
人間は、常に物質やエネルギー、さらに情報の変換を行うことで、生活の利便性を高めてきた。コンバーターはその象徴的な存在である。例えば、電圧を変換するコンバーターがなければ、さまざまな電化製品を自由に使用することはできない。デジタル信号をアナログに変換することで、音楽や映像をスムーズに楽しむことが可能になる。これらの技術は、もともと無機的で冷たい印象を与えるものであるが、実際にはその内部に「変換」というダイナミックなプロセスを含んでいる点に美しさが宿る。変換の過程は、単なる物理的な操作にとどまらず、情報やエネルギーが形を変えて新たな価値を生む瞬間である。この「変換の美学」は、人間の手によって機械的な装置やデバイスに具現化され、現代社会の中で目に見えない存在感を発している。
一方で、コーンバターには全く異なる美的価値が内包されている。コーンバターは、トウモロコシという自然から得られる素材を加工することで生み出される、食品としての変換の結果である。トウモロコシは、古代アメリカ大陸の文明において神聖視された作物であり、その栽培と加工は生活の基盤を形成してきた。コーンバターもその伝統の一部であり、味や風味の中に先人たちの知恵が凝縮されている。食品としての変換過程は、技術的な効率を追求する工業的な変換とは異なり、味わいや栄養価を最大限に引き出すための工夫が重視される。ここに、人間が生きるために必要とする基本的な欲求と、それを超えて美味しさや楽しさを追求する美的感覚が交差する点が見出される。
また、コンバーターとコーンバターは、それぞれ人間の内面的な感覚にも影響を与えている。コンバーターがもたらす利便性は、私たちの生活を快適にし、さらには新たな表現の可能性を広げている。情報を自由に変換し、自在に操作できるという感覚は、無限の創造力を解き放つものであり、それ自体が一種の「技術の美」であると言える。一方、コーンバターがもたらす味覚の体験は、単なる食欲の充足を超えて、郷愁や安心感、さらには家族や共同体との結びつきといった、人間らしい感情を喚起するものである。口に含むたびに、自然の恵みを感じ、その過程に込められた労働と愛情を味わうことができる。このように、コーンバターは食文化の一端としての「食の美」を表している。
さらに深く考察を進めると、コンバーターとコーンバターの間には、「変換」という共通のテーマがあることに気づく。コンバーターは無機物やエネルギーを変換し、コーンバターは生の素材を加工することで新たな形に変える。この変換のプロセスには、人間が自然や物質に働きかけ、何かを新しい価値へと変える行為が見受けられる。この行為自体に、人間が美を見出してきたのではないだろうか。機械的な変換は冷徹である一方、そこには洗練された精密さや無駄のない機能美がある。これに対して、食品の変換には、温もりや手作り感といった情緒的な美がある。いずれも異なる美意識でありながら、共に人間の手によって完成される過程である。
現代のテクノロジー社会において、コンバーターはほとんどの人々にとって日常の一部であり、存在を意識することなく利用されている。しかし、それが果たしている役割は極めて重要であり、その背後にある技術的な進化は、実に人間の叡智の賜物である。一方で、コーンバターのような伝統的な食品には、技術的な進歩とは異なる価値観が込められている。ここには「不変の美」という要素が存在し、テクノロジーの進化とは対照的な、永遠に続く食文化の美が感じられる。コーンバターを口にするたびに、人々は祖先が歩んだ道を辿り、自然との共生を改めて感じることができる。
このように、コンバーターとコーンバターは、それぞれ異なる形で人間の生活を豊かにし、感性を刺激する存在である。どちらも変換という行為を通じて人間の生活に寄与し、美的な価値を提供している。そして、技術の進化と伝統の継承という二つの相反する要素が、私たちの感覚と美意識に新たな価値観をもたらしている。この二つの対象を比較することで見えてくるのは、人間が創り出す「美」の多様性と、その根底にある普遍的な美意識である。
イギリスの成功、特に18世紀から19世紀にかけての経済的繁栄は、確かに奴隷貿易が大きな要素の一つであったことは歴史的に指摘されています。イギリスは三角貿易と呼ばれる奴隷貿易のシステムで、アフリカから奴隷をアメリカ大陸へ送り、アメリカ大陸から農産物や資源をイギリスに輸入し、それをもとに工業製品を生産して他国へ輸出するという形で莫大な利益を上げました。
しかし、イギリスが成功した理由は奴隷貿易だけではありません。産業革命によって工業化が進み、生産力が飛躍的に増加したこと、広範な植民地支配を通じて世界各地から資源を手に入れたこと、そして金融や貿易のネットワークを拡大していったことも重要な要因です。また、法制度や議会政治といった国内の安定的な統治体制も、経済成長の基盤を支えました。
もちろん、奴隷制度は深刻な人権侵害であり、その歴史的な影響は現在でも議論され続けていますが、イギリスの成功は複数の要因が組み合わさった結果といえます。
ちなみに動画では少子化について言っていない、俺が結びつけただけ
個人的に
この流れは分かってたつもりなんだけど、じゃあなんで世界的にそれが起きたかは曖昧だった
2.国力を上げるために義務教育が導入される(工業化、兵隊化のため、読み書きの必要性が高まる)
4.子どもが減る
この流れなんだな、それで1.2は先進国にとって不可避なんだよね
じゃあこれを逆回転できるかと言われれば絶対にできない、それは途上国に戻ることを意味する
中国、インドがここへ来て少子化になってきてるのも、直接的に関与してるのは就学児童の割合よな
中国は2006年に義務教育法で9年の義務教育が必須となった、一人っ子政策により少子化の進行は不明だったが
これまではむしろ女性の社会進出における子育てリソース問題だと思ってたから、いっそ拡大家族を復活させれば若干改善するのでは?とか子どもの面倒を国が全部見ればいいのでは?と思ってたけど
この程度ではもう無理なのかもしれない