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はてなキーワード:岩波文庫とは

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2025-10-05

中学生になった息子に本を3冊選んだ

フランクリン自伝松本慎一・西川正身訳、岩波文庫

マルクス・アウレーリウス 自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫

君主論池田廉、中公文庫

どう?

Permalink |記事への反応(2) | 12:59

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2025-10-04

anond:20251003104638

私です

漫画文庫本ハードカバー小説

いろんな本を買って読むがいつのまにか表紙はクチャクチャ コーヒー染みが

まあでも うちのパピーなんか

岩波文庫カバー全部剥がして裸にしないと気が済まない老害だったか

それに比べたらマシだな

ちなみにパピー文庫本レコードカバー

染みだらけにしてたなw

だわっはっはw

Permalink |記事への反応(0) | 06:32

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2025-08-27

anond:20250826191832

提示された趣味リストを見ると、とてもユニークで、こだわりを極めている方のようですね。

一般的趣味というよりは、それぞれの分野で特定ジャンルを深く追求し、本質的価値を見出そうとする姿勢がうかがえます

この方が月曜から金曜の9時から17時までフルタイムで働いていると仮定して、提示された趣味をすべて網羅する1ヶ月のスケジュールを組むのは、かなり工夫が必要です。

それぞれの趣味が単に「楽しむ」だけでなく、道具の手入れや情報収集特定場所への訪問などを伴うため、単に時間を割り当てるだけでは足りません。

以下に、この方が1ヶ月間でこれらの趣味をどのように楽しむか、考えられるスケジュール提案します。

スケジュールの考え方

デイリールーティン通勤時間仕事後、就寝前など、毎日少しずつでもできることを組み込みます

ウィークリールーティン:週末を利用して、まとまった時間必要趣味や、特定場所へ出かける趣味計画します。

マンスリースペシャルイベント:週末を使い、複数趣味を組み合わせて深く楽しむ日を設けます

デイリールーティン

朝の準備・通勤

日本酒: 前日に開けた日本酒(生酛・山廃)の香りを楽しむ。

コーヒー: 浅煎りシングルオリジンネルで丁寧に淹れる。手縫いのネルで淹れる時間が、1日の始まり儀式になります

音楽:レコード聴く特に通勤前は、BlueNoteのRVG刻印の盤をかけて気分を高めます

落語:通勤電車の中で志ん朝音源聴く

将棋:詰将棋アプリなどで頭をウォーミングアップ。

仕事後・夜

万年筆:日記メモ万年筆で書く。スチールペン先では味わえない、字が「生きる」感覚を味わいます

読書:岩波文庫旧装版を少しずつ読む。

漫画:絶版単行本収集し、読みふける。

日本酒:仕事の疲れを癒す一杯として、お気に入りの生酛・山廃をゆっくりと味わいます

盆栽: 真柏に水をやり、樹形を愛でる。

陶芸:備前焼の酒器や食器を使い、土の感触や色合いを楽しむ。

映画:70年代邦画を少しずつ鑑賞。

ウィークリールーティン (週末)

土曜日

午前:

庭園:枯山水のある日本庭園を訪れ、苔の手入れ具合を観察する。

蕎麦: お昼は十割の粗挽き蕎麦を食べに行く。

午後:

カメラ:ミラーレスのZマウントを持って街へ。あえてFマウント描写を思い出しながら、光の捉え方を試行錯誤する。

書:唐様の書を練習する。

夜:

ラーメン:二郎インスパイア系のお店へ。非乳化スープ野菜シマシを堪能する。

ワイン: 自宅で自然派ワインを開け、ゆっくりと味わう。

落語:音源で聴きながら、その日の出来事を振り返る。

日曜日

午前:

野球観戦:鎌ヶ谷へ二軍戦を見に行く。芝の匂いを嗅ぎ、プロの卵たちのプレーをじっくりと観察します。

午後:

鉄道模型:HOゲージの真鍮車体を走らせ、精密な作りを愛でる。

将棋:趣味道場オンライン居飛車党の角換わり腰掛け銀を指す。

日本刀: 無銘の古刀をじっくりと眺め、地鉄の冴えを愛でる。

夜:

焚き火:UL焚き火台を庭やベランダで使い、落ち葉を焚いて桜や欅の匂いを嗅ぎ分ける。

キャンプ: 次回のULキャンプ計画を立てる。

寿司: 赤酢シャリ寿司屋へ。ネタの活きた味を堪能する。

マンスリーイベント

週末を活用して1つ、または2つを計画

地方競馬:大井競馬場ナイター開催日に合わせて行く。砂の匂いをかぎ、地方競馬雰囲気満喫する。

茶道:裏千家の茶会に参加し、濃茶の練り方をじっくりと観察する。

靴:コードバンの靴を丁寧に手入れする。

プロレス:全日本プロレス大会を観戦する。四天王プロレス以前の時代を語ることを避け、現在全日プロレスを純粋に楽しむ。

スケジュール可能か?

これらの趣味をすべて網羅するスケジュールは、毎日・毎週の計画的な行動と、強い意志があれば可能だと思われます

しかし、かなり多忙になることは避けられません。

特に地方への遠出が必要趣味野球観戦や地方競馬)は、他の予定とバッティングしないように計画的に調整する必要があります

この方の趣味はどれも深い探求心を要するため、単に「こなす」のではなく、一つ一つの体験を心から味わうことが重要です。

そのため、無理にすべてを詰め込むのではなく、その月の気分や興味に合わせて優先順位をつけ、ゆとりをもって楽しむことが、趣味を長く続ける秘訣となりそうです。

これらの趣味をすべて楽しむためには、時間だけでなく、お金もかなり必要になりそうですね。

趣味への情熱が素晴らしい一方で、現実的な制約も多く、このスケジュールを維持するのはある種の修行と言えるかもしれません。

Permalink |記事への反応(0) | 15:33

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2025-08-26

ワイの趣味一覧

キャンプUL寄り。重量1kg以下の焚火台しか信用してない

日本酒は生酛と山廃を追ってる。速醸は舌に残る

カメラはレフ機やめてミラーレスのZマウント。Fマウント描写は今でも恋しい

将棋居飛車党。角換わり腰掛けしかさな

音楽レコード派。シュリンク付き帯付き初版以外は触らない

コーヒーは浅煎りシングルオリジンネルは手縫いじゃないと気分が出ない

プロレス全日系。四天王プロレス以前は語らない

寿司は赤酢シャリ派。白酢だとネタが寝る

時計機械オンリーETAの汎用ムーブ情緒がない

ラーメン二郎インスパ野菜シマシ。非乳化スープしか認めん

漫画絶版単行本蒐集初版帯付きじゃないと熱が入らない

茶道裏千家濃茶の練り方で素人が分かる

野球観戦は二軍戦。鎌ヶ谷の芝の匂いを知らんと語れん

ワイン自然派。SO₂添加がっつりは飲む気になれん

• 靴はコードバン。雨の日は履かないのが鉄則

フィルムポジ専門。ネガは逃げだと思ってる

盆栽は真柏一択黒松は入門用、雑木は甘え

日本刀は無銘の古刀を研ぎ減り込みごと愛でる。刀工の銘より地鉄の冴え

落語志ん朝音源ばかり。志ん生テンポが遅すぎて落ちる

競馬地方大井ナイターの砂の匂いを知ってこそ

ジャズBlue Note1500番台。RVG刻印がないと意味がない

• 茶碗は井戸茶碗。均整のとれたものより崩れた口縁に色気がある

鉄道模型NゲージではなくHO。カツミの真鍮車体じゃないと心躍らない

蕎麦は十割の粗挽き。二八は都会人の妥協

文房具万年筆しか使わん。スチールペン先では字が死ぬ

• 蔵書は岩波文庫旧装版。解説が新しいと味気ない

日本庭園枯山水巡り。苔の育ち具合で手入れの真価がわかる

陶芸備前焼釉薬をかけない土味に尽きる

落ち葉焚きの匂いを嗅ぎ分ける。桜か欅かすぐにわか

• 書は唐様ばかり。和様は流麗すぎて心に残らない

映画邦画70年代にっかつロマンポルノの構図美に勝るものなし

香水シャネルNo.5よりゲランのミツコ。香りが立ち上がる余韻が違う

Permalink |記事への反応(12) | 19:18

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2025-05-22

dorawii

岩波文庫ってしょせん人文社会ポエムで満足できる馬鹿が読むもんじゃん。

専門的な理工系知識を得るという軸で見ればなににつけても中途半端な内容になってるのが岩波器用貧乏典型だろう。時間無駄

なんであんなの読んでるのが頭いいひと扱いになってるのかわけわからん。もてはやしてるのはそれ以下のやつってことか。

まずは杉浦の解析入門とかオライリーのサイ本とか読めなきゃ話にならんだろ。

Permalink |記事への反応(1) | 15:58

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2024-12-17

俺たちは虎ではない。本泥棒の汚いオヤジだ。

インターネット教養」と嘲笑されるものの一つに中島敦の『山月記』があることは、インターネットばかり見ている皆さんはご存知だろう。

教科書掲載されているという普遍性中二病心をくすぐる文体、人が虎になるというファンタジー性、そして何より繊細な青年挫折譚への共感、どれをとっても「インターネット教養」として共有される理由にふさわしいし、もちろん文学作品として完成されている。

しかし、無教養で意地の悪い私はどうしてもそれが気に入らない。

なぜか。それは、インターネット民にとってこの作品イメージ「虎」として共有されているからだ。

もちろん、「それは中国説話に由来していて~」、「文学的表現として~」とかいう話をしている訳ではない。

「『山月記』に出てくる「虎」は美しい。だからこそ、良くないのだ。

山月記』が優れているのは、若者自意識やナルシズムを美しく描き、それらから解放も描いていることだ。

しかし、それでも「虎」イメージ漢文調の文体は、最後まで李徴を悲劇の中に美しく取り残す。

結果的に、授業を聞き何となく感動した我々は、いつしかインターネットの中で、自分を李徴に例える。

「俺もこんな時期があったなあ…李徴は若いころの俺だよ」

違うだろ。

お前は今も新たなナルシズムを生きている。

そして、お前は何もなしていないし、何にもぶつかっていない。

そして、李徴は友人袁傪が聞き手になったが、お前の話は誰も聞き手にならない。

李徴は科挙に受かった知識人だが、お前は何もなしえていない。

お前は虎でもないし、山に帰って一人で生きていくこともできない。

お前は過剰な自意識過去のもののように言っているが、それは今も同じだろう。

山月記』を悲劇ポルノとして消化して、ナルシズムオナニーに使うのをやめろ!!!

やめてくれ!!

★★★

中学校で『山月記』並みにメジャーな題材に魯迅の『故郷』がある。

その魯迅短編『孔乙己』は、中国では教科書にも載っている有名な作品だ。

日本語訳青空文庫にあるが、訳が古すぎてよくないので、岩波文庫光文社古典新訳に収録されたもの本屋図書館立ち読みしてほしい。10分とかからないはずだ。

舞台近代中国の、小さな町。

「孔乙己」は、汚いおっさんだ。しかし、この時代には珍しく読み書きができる。

それもそのはず、おっさん科挙のために学問をし、何十年も勉強していた読書なのだ

しかし、おっさん、いや、青年孔乙己は科挙入口の最下級試験にすら受かることはなかった…

それでも、彼にはプライドがある。他人とは違う、俺は勉強もした。読書人だ!

から知識人服装をして居酒屋に出向くが、通されるのは労働者が集うカウンターだ。

そこで仰々しく喋る彼は、支払いこそまじめにするものの、周りの労働者子供番頭みなに馬鹿にされる。

彼は本泥棒におちぶれてしまっていたのだ。

彼には彼独自理論がある。

本を盗むことは読書階級のなせる業で犯罪ではない!というのだ。

しか世間には通用しない。彼は最終的に袋叩きにされ町を去り、人々から忘れ去られてしま・・・

魯迅中島敦のような美文も、ファンタジーも用いない。

淡々と、社会の中にいる弱者を描き、同情を与えない。

冷徹描写の美しさはあるが、自意識過剰でプライドの高い孔乙己と言う人格は醜く、滑稽で、寂しく、情けないものとして描かれる。

孔乙己が自分語りをしたくても、それを聞く袁傪はいない。

★★★

インターネット教養」はなぜ嘲笑されるか。

それは体系的な知識も持たず、ただインターネットの内輪の中で義務教育レベルのもの教養とありがたがるのが滑稽だからだろう。

そうした何者でもないインターネット民は、『山月記』をイメージとして消費し、「自嘲する虎」になったつもりになる。

そして、誰にも顧みられない自分物語を、袁傪ではなくそこらの関係ない人に押し付けて話す。

実際は、型通りでここにでもいる自尊心の高い汚いおっさんしかないのに。

我々のロールモデルは『山月記』の李徴ではない。孔乙己だ。

何者でもない、プライドけが残った、汚いオヤジだ。

誰にも顧みられなく、醜い。

から死ね、というのではない。人は生きなければならない。

ただ、自分を美化するのはやめよう。これ以上自意識肥大化させるのはやめよう。

等身大自分を、等身大に生きて、判で押したようなインターネット教養を離れて自分人生を生きよう。

自嘲風の自慢をやめよう。こじらせるのもやめよう。

我々は、いや、僕らはこじらせても虎にはなれないし、帰る山もない。盗人になるだけだろう...

ここまで、偉そうに長々と書いたが、ここで私が話しかけていた「お前」は私自身だ。

私の文章に、私の気持ち悪い自意識やナルシズムを感じた人は『孔乙己』を読まなくてもいい。

ただ、それを感じなかった人は、ぜひ、明日にでも読んでほしい。

きっと、『山月記』を読んだ時の私のように涙を流すことができるから

Permalink |記事への反応(3) | 21:15

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2024-11-10

anond:20241110151932

大昔の小説みたいな言い回しの人、たまにいるよね

古本屋で売ってる岩波文庫の字が小さい時の小説っぽいの

Permalink |記事への反応(0) | 15:20

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2024-10-18

anond:20241018121842

小板橋二郎ふるさと貧民窟なりき」って本がすごい面白い

かなり昔に読んだけど生涯ベスト本にランクインしてる。

文字通りスラム育ちの筆者のガチリアルな思い出話なんだけど。

その本の中で、アカデミア的にはスラム研究古典みたいになってる文章岩波文庫にも入ってる)がいかに上っ面なおぼっちゃんの作文でしかいかって話もあった。

Permalink |記事への反応(0) | 12:58

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2024-07-04

神の存在を感じてみたい

すなわちヌミノーゼ体験してみたい

ミノーゼとは?

ヌミノーゼ - Wikipedia

神への信仰心超自然現象、聖なるもの宗教神聖ものおよび、先験的なものに触れることで沸き起こる感情のことを指す。

ミノーゼ体験の特徴として以下のような点が挙げられる。

宗教体験により原始的感情が沸き立つものである

概念の把握が不可能説明し難い

・畏怖と魅惑という相反する感情を伴い、身体内面から特殊感情が沸き起こるものである

絶対他者存在を感じさせ、人間本来備えるプリミティブな感覚により直感するものである

この概念をさっき知って、ぜひとも体験してみたいと思った

これが要は「うまく言葉にはできないけれど人知を超えた存在=神の存在を感じた」ってことなのであれば

私にもアブラハム宗教信者気持ち想像することができるようになるかもしれない

神を信じるということがどのようなことか、の肌感覚を知ることができるようになるかもしれない

どんな体験なのだろう

「ヌミノーゼ 例」とかでぐぐってもあんまり具体例がヒットしない

『聖なるもの』という本を読むしかないのか

kindleにないぞ

岩波文庫電子化してくれ

日記 おわり

Permalink |記事への反応(1) | 13:21

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2024-06-08

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fineart) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OURMAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


Permalink |記事への反応(5) | 09:31

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2024-04-26

筑波大学お薦め図書リストの「まず読みたい100冊」についての感想

個人の感想です

学生のためのお薦め図書リスト | 筑波大学 比較文化学類公式ホームページについての感想です

・「まず読みたい100冊」の話しかしません(次に読みたい100冊は単に好きな本リストでしょうから


三四郎』 『地獄変・偸盗』

最初にこの2つを持ってくる意味が分かりません。あらゆるリストにおいて最初の2つはこのリストがどういった順序になっているのかを示すものであるべきです。五十音順かと思いましたが、それなら次は『二千日回峰行大阿闍梨酒井雄哉世界』になるはずですから違いますね。大学生向けということですから対象年齢順ではないでしょうし、難易度順というはずもないでしょう。

もしもあえての順不同だとしても、最初のいくつかはコンセプトの紹介となるものを選ぶべきです。このリストを見た人がどういう思いを受け取ればいいのか迷わないように。

まさか、それで選んだのが「漱石明治時代大学生を描いた名作です。自分と比べて見るのも一興。」「何百もの小説を残した芥川。「羅生門」だけじゃ物足りない。」ですか?ならば多くの人がこのリストを見限るでしょうね。「若造ども、俺が超おすすめ古典文学ってのを教えてやるよ。無教養な君たちはまずはこの辺でも読みなさい」ですか?まあ確かに、そういうリストなのかも知れないですね。だからといってそれをいきなりぶつけてみせるのは初対面の相手に対しての礼を失している。礼を失しているようなものが作ったリストに載せられたあらゆる作品不憫でなりません。

コメントなしの紹介

紹介としての体をなしていません。ただ名前を挙げるだけで仕事をした気になっていいのは山手線を暗記したことを自慢する幼稚園児の鉄道オタクぐらいのものです。なぜオススメするのかを書いてください。オススメされたものへの礼儀です。オススメする側が上で、された側が下だと考えるから礼を失するのです。

大学とは大人の通うものです。先日まで高校生だった人間であっても、言動子供っぽさがあっても、大人として扱ってやることによって、彼らに自分たちはもう大人なのだという自覚を与えるのも大学役割です。学生大人として対等に扱ってあげてください。大人同士だと認識しているのに教える側が絶対的に偉いと思ってるなら、それはもうただの人格破綻です。

紹介コメント(80字以内)「一般教養」 「古典的名著」

どう一般教養なのか、どう名著なのかを書いて下さい。最低限の表現力が欠如しています先入観を持たれることを恐れて書かないというなら、そもそもが間違っています。入門的な書物名前を出した時点で多くの学生は「お前らはまずこの程度のものから身につけなさい」という説教のような印象を受けるでしょう。実際にそう言いたいのですか?そうだとしても、それは効果的な態度ではありませんね。

なぜ学生がまだ最低限の教養を身につけていないのかを考え、そこからバカからだ」という結論にでも至ったのでしょうか?それなら、そんなバカ相手にただオススメするだけで意味はないですよね?それでなにかやった気になって「俺はやれっていったけどなー」とチャチいペシミズムにでも浸りますか?そうじゃないでしょう。なぜ、これをまず学ばなければいけないのかを、言語化してください。それが無理ならリスト作成に関わらないで身を引いて下さい。リスト作成者の人も、こういう人に身を引かせられるようにしてください。座組の段階の問題でもあるのですよ。

ギリシャ神話』 出版社岩波文庫ほか」

一番オススメ出版社のものはどれですか?いくつもの出版社作品を読み比べて欲しいと言うならそう書いて下さい。もしもこれを読んでほしいという一番のオススメがあるならそれを書いて下さい。少しでも多くの情報を伝える努力をする姿勢を。

あっ、駄目だ。

そろそろイライラして変なこと書きそう。

もうここで俺は辞める。

誰か続きを書いてね。

ツッコミ自体はまだまだあるから

まあ6割ぐらいは割と悪くないんですけどね。

参考文献が書いてあったり、オススメ理由が書いてあったり、とりあえず興味を持った順に読むって形に持っていきやすいし、自分がひとまず何から読むべきなのかの道筋もある程度示されていると思いますし。書店での入手可否やkindleでの有無なんかがあるのもいいと思います結構いいと思いますよコレ。

Permalink |記事への反応(0) | 20:39

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2024-04-12

anond:20240412142454

そもそもラノベ定義なんてあるようでないものであり

あなたがそうだと思うものライトノベルです。ただし、他人同意を得られるとは限りません」

などと言われるぐらいですから岩波文庫ラノベ」とか言っても間違いではありません。

というわけで

ピータートライアス(中原尚哉訳)『ユナイテッドステイツ・オブ・ジャパンハヤカワ文庫SF

【今週はこれを読め!SF編】日本統治下のアメリカ、不確かなアイデンティティ -牧眞司WEB本の雑誌

Permalink |記事への反応(0) | 14:26

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2024-03-27

anond:20240320141914

一口に「文化資本」といっても色んな範囲の括り方が可能ではあるけど、一般的に語られる文化資本って家庭における話だよね。

家に岩波文庫が揃ってる本棚があるとか、親が家でクラシックCD聴くとかオペラ観てるとか、幼少期に歌舞伎に連れてってくれるとか、家にピアノがあるとかそういうことでしょ。

東京は平均年収が高くて、大卒が多くて、環境として文化に触れられる機会に溢れているので文化資本度の高い家庭が生まれやすい。

東京なら電車に乗れば美術館行けるよね」はアドバンテージではあるけどダイレクト文化資本の話ではない。

Permalink |記事への反応(0) | 18:42

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2024-03-23

岩波文庫ちくま学芸文庫など学術系の文庫本の著者

出身大学東大早慶が大半で賞

Permalink |記事への反応(0) | 16:43

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2024-03-18

anond:20240318151031

ガリレオによるピサの斜塔実験」→「ヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニ」→「岩波文庫」→「宗教」→「イスラム教」→「性行為

Permalink |記事への反応(0) | 17:45

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2024-03-07

セックスはしたいけど妊娠はしたくないなんて、傲慢ではないか

傲慢だよね?

わがままだよね?

自然の摂理に反してるよ

性加害はダメだけど、同意の元なら妊娠覚悟してセックスするべき

妊娠したくないならセックスしない

ガンジーもそう言っている

妊娠意図のないセックスダメだと

岩波文庫のガーンディー聖書に書いてある

あなたガンジーよりものを知っているというのか?

ガンジーに反対するのか?

よろしい、それならガンジー十八番ハンガーストライキで対抗だ!

お昼抜くぞ!

(ごめん、無理です。許して。あなたの勝ちです)

Permalink |記事への反応(1) | 11:46

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2023-12-29

anond:20231229164518

なお、安倍元総理推薦紙のコラム

12月27日 編集手帳 :読売新聞

https://www.yomiuri.co.jp/note/hensyu-techo/20231227-OYT8T50000/

(前略)米国では建国の父ベンジャミン・フランクリン印刷工を経て売り出したことで知られる。勤勉や節約を説く中に次の言葉がある。<金を借りに行く者は、悲しみを借りに行く>(『フランクリン自伝岩波文庫

貧しさから10歳で学校をやめ、働かざるをえなかった偉人脳裏に刻まれた情景だろうか。12月は統計を報じるニュースが多い。その中にフランクリンに読ませたくなる記事があった

今年、全国の「子ども食堂」が公立中学校の設置数に迫る9131か所になったという。東京支援団体調査でわかった。収入に乏しい家庭が頼るのはもちろん、7割ほどが会食形式運営され、働く親を持つ子どもの居場所づくりになっている。それが広がれば広がるほど「孤食の子どもは少なくなる。いいクリスマスになっただろう(後略)

Permalink |記事への反応(0) | 19:49

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2023-12-13

おっさんワンチャン期待すんな

ふと思い出した

学生時代働いてたとんかつ屋店長が45歳で、一回りぐらい年離れた奥さんがいた

その時点でパワフルな奴だな……って感じだけど、

その店長バイト女の子(大学生ばっか)が閉店まで勤務するとき、必ずサシで飲みに誘ってた

皆仲は良かったし異性として眼中になかったからおー!行きましょ!つって行くんだけど、

飲んでもう帰ろうってなったときに「今から俺の家来ない?」って必ず誘ってた

本当にキモかった だってただの45歳のおっさんから 命の恩人でもなんでもない、ただ週2ぐらいで働いてるバイト先の店長なだけだから

多分断る子が殆どだったと思う、そのせいで気まずくなって辞める子が多かった

(自分が働いてたときは知らなかったけど、後からの子達に聞いて分かった)

とんかつ屋はなんかお洒落雰囲気で、店長洋楽好きだからって音楽プログレ系のロックばっかり流れてた

あと店の中に本棚があったんだけど、岩波文庫ばかりだった 純文学とか哲学の本ばかりなのは国立大中退というおっさんの経歴のせいかもしれない

総じてキモかった このおっさんのせいで洋楽全般がうっすら嫌いになった

Permalink |記事への反応(2) | 01:33

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2023-10-30

anond:20231029212320

元というなら

Gategate pāragate pārasaṃgate bodhisvāhā

ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スワーハー

往きて、往きて、彼岸へと往きて、正しく彼岸へと往きて、悟り成就

"bodhisvāhā"(菩提・僧莎訶)は、菩提が叡智・悟り、僧莎訶が成就を願う感嘆で、お釈迦様の名前ではないのでは?

菩薩(bodhisattva)のことである菩提薩埵(ぼだいさった)と混同されているかも?

(参考)般若心経について: 極東ブログ

(参考)『般若心経』をサンスクリット原典で読む! - 甚之助の小屋音読例がいくつか動画で載ってるし、語釈も詳しい

(参考)サンスクリット語、中国語、韓国語の「般若心経」: エムズの片割れ ※これも各国の音読例が載ってる

中村元氏の『般若心経・金剛般若経』(岩波文庫)が著名と思うけど、良さそうな解説ないしは随想のページが見つからなかった

Permalink |記事への反応(1) | 00:23

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2023-08-15

anond:20230814172318

これが岩波文庫の青から出ているというのが驚きだ

岩波は著者が左翼だったらこういう駄作でも載せてくれるんだな

Permalink |記事への反応(0) | 08:14

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2023-05-18

藤島泰輔ジャニーズ事務所の興盛にどれだけ貢献したのか知りたい

藤島泰輔なんて作家名前、知ってるのはかなりのジジイババアだろうなあ。

今のジャニーズ事務所社長シャニ喜多川こと喜多川擴の姪である藤島ジュリー景子日本人なのになんでミドルネームあるんだろ?アメリカまれから戸籍上はどうなってるんだろ?)という女性だが、この人の父親である

詳細はwikipediaを見ればわかるが、1933年まれ小学校から大学まで学習院出身。現上皇のいわゆる御学友の一人。新聞記者時代に当時の御学友たちをモデルにした小説『孤獨の人』がベストセラーになり、その後、作家として独立。世の中まだまだ“進歩的文化人”が幅を利かせてきた時代に“保守派文化人”として活躍した人である

かつて、韓国朴正煕独裁政権下で反体制作家として活躍死刑判決を受けた金芝河という韓国詩人がいたのだが、日本ペンクラブ要職にあった藤島泰輔韓国政府を擁護する立場発言を繰り返し、日本ペンクラブが紛糾、ペンクラブから有吉佐和子司馬遼太郎らが脱会するという騒動も起きている。

当時、“進歩的ジャーナリスト”として大人気だった本田勝一からは“御学友であるということだけで地位確立した三流作家”などと言われていた。

なお、藤島泰輔名前記憶になくても、『不思議の国ニッポン』の著者ポール・ボネといえば覚えている人もいるかもしれない。1970年代から80年代にかけて“日本に在住するフランス人ビジネスマン”という触れ込みで、歯に衣着せぬ率直な文章と透徹した思考、練達の日本語で日本社会の批評を書連ねてきた…という触れ込みの人である

が、これが真っ赤なウソで、本当は藤島泰輔ペンネー厶。

今では考えられないが、昭和の日本では言論出版世界でこういう詐術がまかり通っていたのである

いちばん有名なのは神戸在住ユダヤ人イザヤ・ベンダサン”こと山本七平だろうか?

この二人に共通してるのは、なぜか最終的には日本保守称揚し、当時の左派進歩的知識人を嫌うところ。“そんなのは海外から見れば非常識絵空事”とやるわけである

今も昔も日本人は、“海外から日本はどう見られているか”ということを知りたがり日本人から言われると反発することでも外国人に言われると素直に聞いたりするので、こういう出版興業が成り立ったのであろう。

さすがに今の世の中では、ここまでの嘘はバレるので、“国際機関活躍”だの“海外大学評価されてる”とか言う日本人逆輸入してくる例が多いわけだが。


で、藤島泰輔ジャニーズ事務所とのかかわりだが、もともと歌人高浜虚子の孫娘と結婚していたものが、当時、バー経営していた喜多川擴の姉(通称メリー喜多川SMAP解散に追い込んだ人)と知り合って内縁関係となったらしい。

で、生まれた娘が景子である

一説によれば、創設当時のまだカネもなければ力もないジャニーズ事務所をなにかと援助してきたのは藤島泰輔とその人脈であったとも聞く。

その援助とはいかほどのもので、どのくらいの効果があったのだろう?

昭和時代、“御学友”といえば今以上の権威があったような気もするが。

一部で噂されている“有力政治家ジャニーズ事務所少年がお稚児さんのごとくに提供されていたらしい”という真偽不明な話も、おそらくこのあたりに端を発するのだろうが。




昨今、ジャニーズ事務所に関していろいろ報道されているけれども、このあたりまで掘り下げているのはみた記憶がない。

統一教会を語るには岸信介文鮮明の関わりにまで遡らなければならないがごとく、本当はこのへんまで深掘りしないと“なんであんジャニーズには力があるのか”は分からいかも知れない。

誰かやってくれないかな?

さすがに難しいか

なお藤島泰輔小説『孤獨の人』は、一時期は岩波現代文庫にも入っていたようだが、現在絶版電子版はないようだが、古書ならamazonでも手に入る。岩波現代文庫だと、岩波文庫程ではないだろうが、揃えている図書館もそこそこあろう。

そして、この作品なんと映画化もされている。検索してみたらなんと現在Amazonプライム配信されており、プライム会員なら追加料金ナシ!いい世の中だ。

後で見てみることにする。

Permalink |記事への反応(6) | 15:20

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2023-02-14

読書好きってだいたいビジネス書好きだよね

私は岩波文庫とか、新書とか、小説エッセイが好き。最近読んだ本だと夜と霧とか、忘れられた日本人とか。

読書会みたいなの申し込もうと思って過去の紹介作品覗いたら自己啓発本とかハウツー本とかビジネス書ばかりで萎えた。本屋さん行くとそういう本しか並んでなくて本当にしんどい。

そういう人たちが多数派になっていてしんどい。逆に考えればそういう人たちがこの産業を支えているのかもしれない。

Permalink |記事への反応(1) | 12:15

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2023-01-08

[福澤諭吉][車夫][馬丁][人足][小商人][下等社会]

福沢諭吉福翁自伝岩波文庫)の中で、朝鮮人は卑しいなどの差別表現や、車夫、馬丁、人足、小商人といった下等社会などの差別表現文章)は何頁に記載されていますか。よろしくお願いします。

福沢諭吉の福翁自伝(岩波文庫)の中で、朝鮮人は卑しいなどの差… - 人力検索はてな

福沢諭吉「車夫、馬丁、人足、小商人のごとき下等社会の者は別にして、いやしくも話のできる人間らしい人に対して無礼言葉を用いたことはない」

明治元年から150年、何が変わって何が変わらなかったのか――新書時評 | 文春オンライン



福沢諭吉について6

1889年(明治22年)に時事新報社社説に書いた「貧富痴愚の説」では、

「最も恐るべきは貧にして智ある者なり」(全集第12巻62ページから

 と言い、智恵があるのにそれを生かす財力がなく貧しいと、貧乏という名の鎖に繋がれた猫の仔同然で、実に哀れである

福沢諭吉について1-6 | 雁屋哲の美味しんぼ日記



神社のお札を踏みつけ、尻を拭く

福沢諭吉は神様の名前が書かれたお札でお尻を拭き、罰が当たるかを実験した

「馬鹿と片輪に宗教、丁度よき取合せならん」

[報国致死][社中][福澤諭吉]「報国致死はわが社中の精神」

人倫 の大義に背きたる人非人の振舞なりと云ふの外なし

窃(ひそか)に其無教育破廉恥を憐むこそ慈悲の道なれ。

一 婦人気品を維持することいよ/\大切なりとすれば、敢て他を犯さずして自から自身を重んず可し。

滔々(とうとう)たる古今の濁水(じょくすい)社会には、芸妓もあれば妾奉公する者もあり、又は妾より成揚(なりあが)り芸妓より出世して立派に一家夫人たる者もあり、都て是等は人間以外の醜物にして、固(もと)より淑女貴婦人の共に伍を為す可き者に非ず、賤(いや)しみても尚お余りある者なれども、其これを賤しむの意を外面に顕(あらわ)すは婦人の事に非ず。

我は清し、汝は濁る、我は高し、汝は卑しと言わぬ許りの顔色して、明らさまに之を辱しむるが如きは、唯空しく自身品格を落すのみにして益なき振舞なれば、深く慎しむ可きことなり。

或は交際の都合に由りて余儀なく此輩と同席することもあらんには、礼儀を乱さず温顔以て之に接して侮(あなど)ることなきと同時に、

窃(ひそか)に其無教育破廉恥を憐むこそ慈悲の道なれ。

要は唯其人の内部に立入ることを為さずして度外に捨置き、事情の許す限り之を近づけざるに在るのみ。

福沢諭吉 新女大学

Permalink |記事への反応(0) | 13:50

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2023-01-05

新書とは書籍の大きさを示す言葉になります。大きさは、およそ縦18cm×横11cm新書判、B40判と呼ばれることもあります

新書とは、大きさを示す言葉です。:【 FAX DM、FAX送信の日本著者販促センター 】

新書歴史1938年創刊の岩波新書に始まる。ドゥガルド・クリスティー著作である奉天三十年』の上下巻で創刊した。

1938年当時、文庫はまだ判型が定まらず、小型の叢書という程度の意味であり、現在新書に近い判型のものも含んでいた。そんな中、すでに岩波文庫を発行していた岩波書店が、判型・内容ともに岩波文庫とは違うものとして創刊したのが岩波新書である

新書 - Wikipedia

古典を中心とした岩波文庫に対し、書き下ろし作品による一般啓蒙書を廉価で提供することを目的として、1938年昭和13年11月20日に創刊され、新書と呼ばれる出版形態の創始となった。

岩波新書 - Wikipedia

新書って何が「新」なんだ?とググった結果のメモ

その答えは「新書」は1938年時点で新しいレーベルとして刊行されたから。

80年以上「新」と銘打たれたままのレーベルなのだなあ。

食パンの「新食感宣言」が1997年に発売されて以降、いつまでたっても「新食感」と銘打たれているのと同じ現象ということがわかった。

Permalink |記事への反応(0) | 17:57

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2022-11-30

筑波大学言論封殺し、言論の自由と学問の自由犠牲にしている。

東京都立大学宮台真司教授が何者かに襲われたという衝撃的な事件が起きた。言論暴力によって封じることは当然許されない。強い憤りを覚える。

さて、大学構内で大学教員が襲われたという事件で有名なもの中大事件、そして筑波大学の「悪魔の詩訳者殺人事件だろう。

サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』に対してホメイニ師が反イスラーム的とし、関係者死刑を宣告するファトワーを発令し、日本語訳訳者であった筑波大学助教授が何者かに殺害されたという衝撃的な事件だ。最終的に迷宮入り犯人が捕まっていない。

ラシュディも近年アメリカで襲われたりといまだに尾を引いている事件である。なおインドムスリムとして生まれラシュディの『真夜中の子供たち』は最近岩波文庫入りして読みやすくなり、とても面白いので是非読んでみることをお勧めする。

中大事件個人的怨恨であるのに対し、本事件は明確な言論の自由、学問の自由への挑戦であるし、多くの人の印象に残っている事件だろう。

当然、学問の自由言論の自由を守るべき大学としては語り継いでいき、定期的なセレモニーなどを通して大学として言論の自由、学問の自由を再度確認すべきメモリアル事件である


……が、筑波大学は明確にこの事件無視している。

筑波大学歴史が浅い大学ブランド力の弱さを気にしているらしく、前身である東京高等師範学校東京教育大学権威を借りようといろいろと嘉納治五郎(師範学校教授)の銅像を建てたり、朝永振一郎顕彰したりしている。そんなに東京教育大学が素晴らしかったというなら潰すなよ。

それはともかく、その最たるもの筑波大学ギャラリーなのだが、ここには筑波大学の「悪魔の詩訳者殺人事件の展示・記述は一切ない。誰もが認める大学史、言論史上に残る大事であるにもかかわらずだ。

https://www.tsukuba.ac.jp/about/campus-gallery/

秋野豊博士というタジキスタン国連政務官として平和維持活動中に凶弾に倒れた先生の展示はある。

寡聞にしてこの秋野先生という方は存じ上げないが大事な方だったろうとは思うが、ニュースバリュー・事件重要性を考えればここに並んで悪魔の詩訳者殺害事件で倒れた五十嵐助教授の展示がないのはかなり解せない。

遺族側と仲悪いのか?とも考えられるが、近年出た記事では遺族側は事件の風化を気にされており、大学側の顕彰を拒むとは思えない。

では、何故筑波大学歴史からこんな重要事件が葬り去られているのか。その答えは、近年の大学(ひいては文科省)の方針にある。

筑波大学指定国立大学として、国から高い目標を掲げさせられている。その中で重要KPIとして設定されているのが留学生数だ。

留学元は大抵の大学がそうである通り、アジア圏が多い。中国韓国はもちろんだが、筑波大学中央アジアアラブ圏とのつながりも強く、学内でもイスラーム圏の留学生を観ることは多い。

これで答えが出ただろう。イスラームから留学生を受け入れ大学として数値目標を達成するためには、殺された五十嵐助教授は闇に葬られなければならないのだ。

本来であれば、大学として許されざるテロであることをイスラームから留学生にも理解してもらう努力をすべきだと思うのだが、その努力放棄大学言論の自由と学問の自由犠牲にして大学としての達成目標をとったということだ。

学生運動渦巻く東京教育大学を潰して、文科省肝いりで作ったトップダウン大学である以上、仕方ないかもしれない。だけれども、五十嵐助教授大学短期的な利益のため大学からも葬られていることに強い憤りを覚える。

Permalink |記事への反応(1) | 23:29

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