Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「屋号」を含む日記RSS

はてなキーワード:屋号とは

次の25件>

2025-12-13

純愛をしていた頃の思い出


はてなに書いてみたいと思った。

純愛というか、若い頃はそんな時期があった。今の私は不惑

の子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。

その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。



の子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学電気工学を学んでいた。夏休み帰省である実家は、(秒速5センチメートル聖地)隣の栃木県にあった。

ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。

当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。

その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。

帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである

親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ

私は任天堂キャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。

ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫トカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。

親戚の子ども達は居間ゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ

居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生相手をすることもあった。

野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。

野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。

それはそれとして、大学であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校中学校の頃は、それこそ年に何度も。

うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである

私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。

中学生高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。

しか大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父時代学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。

20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。

話が脱線している。あの日々が懐かしすぎるのが悪い。

え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。

今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。

夏休み冬休み宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。

野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。

ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。

野乃花について、はっちゃけ雰囲気の子想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。

夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。

親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCヤフーポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。

彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである



25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。

親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士試験を通った。

それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性

ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。

廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。

私は別にロリータ同人誌アンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。

野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。

親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。

それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。

野乃花が小学校卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。

デート場所茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ鳥取島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピンググルメ自然文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートルごっこになってしまうのでやめた。積雪電車が止まるかもしれない笑

その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。

電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。

仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。



ここからは閑話。読み飛ばしを推奨する。

あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。

(以下閑話)※当時のメモを参考

---------------------------

年齢差についての関数

年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。

お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率もっと一般的表現すると……。上記f(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2

f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。

元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである

直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。

方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数ゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数ゼロになるxの値が存在しない。

年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠にまらないという無慈悲証明けが残った。

---------------------------

(閑話終わり)



野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界IT企業転職した。広島市営業所があるメガベンチャーだった。

仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。

もう結構な年齢である

今は独立して、都内IT関係下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員株式会社にしたいと思ってる。今の自営業屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。

なぜ、この日記を書こうと思ったか正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。

其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。

玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。

野乃花と会うのは約15年ぶりだった。

私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。

話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。

野乃花を見た後で考えた。

まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホ操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。

本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。



近所の散歩が終わって、台所ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。

飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。

「久しぶりだね」

と私が声をかけると、

増田くん元気そうだね」

と返ってきた。

面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。

子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人から、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。

思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。

でも、野乃花が不意に言ったのだ。

「私、増田くんと結婚するんだって思ってた」

心臓ドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。

でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。

「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」

野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。

それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。

結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚経験していた。

なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。



読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。

メガベンチャー転職をして地方都市引っ越した後、仕事人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。

ある情報によると、発達障害精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。

一方で、一般的女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。

あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。

私と野乃花は、あの瞬間、確かに「同級生」だったのだ。

話は以上である

我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。

でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。

明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。

Permalink |記事への反応(1) | 11:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-24

大阪築古物件5棟に中国系法人677社が登記」←これどうやって調べたんだろうか?

この記事

https://www.yomiuri.co.jp/national/20251023-OYT1T50201/

 

本店住所を5棟のどれかに置いている法人を調べたらかなり怪しかった、経営ビザ悪用している可能性が高いというニュースだ。

報じているのも読売だし共同調査者の阪南大松村嘉久教授人文地理学と観光研究者で変な人ではないだろうから信用して大丈夫そうだ。

 

特定建物登記されている法人登記簿を全部見ればいい」と思うじゃない?

ところがこれは出来ないのだ。登記簿を請求する時に

1.商号屋号

2.本店住所

(3.法人番号)

を書く必要がある。故に商号屋号が分らないと登記簿は見れないのである

本店住所から商号屋号検索する」方法というのも存在しない。登記所で「無い」と言われる。

因みにタダで登記簿を閲覧する方法は無い。昔はあって登記所(法務局)で登記簿の束を閲覧してメモも取れたが電子化で出来なくなった。だから一件当たり600円が掛かる。登記官押印無しで証明力が無いオンラインPDFだと300円強くらいだが、やはり金が掛かる。

 

から同一住所の法人登記を調べるには、何らかの方法対象群をピックアップしてから総当たりするしかない。「何らかの方法」が謎だし凄い金額が掛かってしまう。

これは結構問題で、起業したりオフィス移転でどこかにオフィスを借りたとする。もしそこで以前に詐欺業者が操業していた場合被害者からの連絡が来てしまうのだ。前の会社夜逃げしていた場合も同じ。

から念の為に入居前に調べたくても方法が無いし、入居後にそういう連絡に悩まされても、前の会社登記と違う商号を使っていたら調べようがない。

読売と同教授調査方法が分かれば色々と役に立つのだが…

Permalink |記事への反応(3) | 16:34

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-05

anond:20251005131926

住民票マイナカードパスポート戸籍免許証もすでに併記可能になってる

これから更に併記不都合減ってくだろうから、この理由夫婦別姓必要だって言ってる理由は無くなりそう」

屋号とか、ビジネスネームなんて不都合対応そんな難しくなさそう

というか、住民票マイナカードパスポート戸籍免許証もすでに併記可能になってるんだから、もう何かしらの対応手段あるんやじゃないか

Permalink |記事への反応(1) | 13:22

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251005131818

屋号とかビジネスネームとかの関係旧姓必要って言ってるに決まってるだろ

もしかして宗教的お気持ちのために別姓が必要だと思ってる?

Permalink |記事への反応(1) | 13:19

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-28

anond:20250828093632

屋号ってやつだね

花火表現で「たまや~、かぎや~」とかっていうことあるでしょ?それのこと

姓がない時代役職職業個体識別してたからその名残だね

今はごく一部以外ではほとんどなくなってる

Permalink |記事への反応(1) | 09:39

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-22

商品無償提供プログラム生活していた


新しい自分に生まれ変われた。昔を振り返ってみたい。実は、商品レビュアーとして生計を立てていた。

とあるECサイトがあって、そこで良質なレビューをたくさん書くと"プログラム"に招待される。そのアカウントログインすると、ある一定の種類幅で商品が並んでいる(レビュアーごとにちょっと違うらしい)。

商品クリックすると、なんと0円で購入できる。その代わり、その商品に関するレビュー投稿する義務が生じる。そういうプログラムである

プログラムの招待を受けたのは20代後半である。当時は、今とは比べ物にならないほど貧しい生活を送っていた。今でこそ、それなりの暮らしをしているのだが……当時はマジで貧乏だった。

セブンイレブンでは、数十円単位まで考えて買い物をしていた。財布には440円ほどしか入ってなくて。ジョリーパスタに行っても、一番安いパスタゆっくりと口に運んでいた。

いわゆる大卒フリーターだった。就職ができなかった人。飲食店居酒屋アルバイト転々としていた。

そんな日々の唯一の楽しみは、Amazonで大好きなアニメDVDやグッズを購入し、そのレビューを書くことだった。子どもの頃からアニメが大好きだった。今でもニコニコ動画アニメを視聴している。あのコメントが好きなんだよなあ。

それで、好きなのを見つけると……誰に頼まれたわけでもないのに、作品への愛と考察を込めて、それはもう熱心にレビューを書き綴った。文字数ときに数千字にも及び、作品の背景からキャラクター心理演出の妙まで、独自視点分析した。

レビュー活動を始めたのは、大学卒業する年からだ。それからずっと長い間、1クールごとにその季節で面白かったアニメレビューを書いた。多くのレビューは「役に立った」が10未満だけど、たまにバズるのがあって、数百の「役に立った」が押された。三か月に一度しかレビューしなかったけど、それでもベストレビュアーランキングは最高で500位までいった。※今はベストレビュアーランキングは表示されない

あの頃の自分は、本当にアニメが好きだった。今でも好きだけど、あの当時のワクワク感には及ばない。毎期、新しいアニメが始まる度に、ワクワクしながらPC操作して、ニコ動ログインしていた。陳腐表現ではあるけど、心がキュンキュンするのだ。アニメを観てると。

どれだけ貧しい生活をしていようが、それがあるだけで心を癒される。高校生の頃に読んだ、『はてしない物語』という小説があるんだけど、その中にさ。

なにかに心を捉えられて、たちまち夢中になってしまうのは、謎に満ちた不思議なことだけれども、それは子ども大人も変わりない。

ていう地の文があるんだ。自分にとってのアニメがそうだった。



そんなある日、一通のメールが届いた。「商品無償提供プログラム」(仮称)への招待だ。あれは確か2019年の夏だった。『魔王様、リトライ!』というアニメレビューを書いてバズった後だった。

最初迷惑メールかと思ったが、ECサイトから公式メールだと気づいた時、心臓が跳ね上がった。選ばれたレビュアーに新商品無償提供し、レビューを書いてもらうプログラムまさか自分がそんな特別存在に選ばれるなんて。

俺の生活は、この日から一変したといえる。

最初こそ、勝手がわからなかった。好きな商品が選べるとはあったが、最初は駆け出しレビュアーなので、あまりいい商品を選べなかった。いい商品があっても、ほかのプログラム参加者に先に奪われることが多かった。

でも、続けているうちに勝手がわかってきた。コツを掴んで、知識技術も得た。例えば……

商品更新開始は毎朝9時ジャスト。ほぼ必ず商品が出る

12~13時は更新がほぼない。昼休みから

夕方に近づくほど商品更新されなくなる

・一部商品は、自分が使わなくてもレビューできる。介護福祉ペットとか

・一部に悪いことしてるヤツもいるが、運営もわかっていて……大人約束感がある

半年も経つ頃には、駆け出しレビュアーを抜け出して昇格ができた。昔の漫画でいうと、黄金聖闘士(ゴールドセイント)である。あれよりはずっと希少性が低いけど。

そのプログラムログインすると、商品一覧が並んでいて、実際に商品クリックして、次々と送られてくる――家電日用品食品ガジェットサプリメント……。それらのレビューを書く。

レビューを書くのは本当に得意だった。ただの感想文ではない。商品の良い点も悪い点も、使う側の視点に立って、具体的に、そして魅力的に伝える。

一つ一つのレビューは、まるで短編小説のような完成度を目指した。だからといって、時間をかけるわけではない。最初に頭の中に構成がなくとも、書いているうちに気分がアガっていって、1レビューにつき10分もあれば書き終えられた。



レビューを書いたら、次は転売だ。受け取った商品は、ほとんどメルカリヤフオクで売却した。

定価の4割引きくらいで出すと、飛ぶように売れていく。5割引きだと鉄板レベルである。よくない商品だと8割引でも売れないのだが。そういうのはセカンドストリートに持っていく。10円ほどでの引き取りで、利益マイナスだけど、それでもほしい人が手に入れるのならいいかって思えた。

正直、最初は罪悪感がなかったわけじゃない。でも、これが俺の新しい「仕事」なんだと割り切ることにした。

転売で得た利益は、最終的に年間250万~350万円にもなった。フリーターとしての稼ぎと合わせれば、民間企業正社員と遜色ない収入である

しろ時間自由は俺の方が圧倒的にあった。朝はゆっくり起きて、好きな時にレビューを書き、商品梱包作業をする。昼間はカフェで本を読んだり、散歩をしたり。ラジバンダリ。夢のような生活だった。

確定申告最初の年だけ大変だったが、e-taxなので次年度以降は楽チンだった。そのうち開業届も出した。屋号は「激安の殿堂」みたいな名前にした。

だが、俺の転売は、他の転売ヤーとは一線を画していたと自負している。

俺はただ、金儲けのために売っていたわけじゃない。常に"社会利益"を考えていた。メルカリヤフオク商品を売る際、本当に困っている人には、定価の最大9割引で売ることもあった。

例えば、「災害があって家財を失った」というメッセージがあれば、新品の家電製品格安提供した。シングル?の母親と思しき人から子ども学習机がほしい」とか、あとは……人間ペットまで含めて「○○の商品介護必要なんです」と連絡があれば、万超えのものでも送料込み500円で譲ったこともある。

こうした転売活動への考え方を公言したことはない。あくま個人的判断に過ぎないから。俺のエゴである

でも、俺の心の中では社会貢献だった。無償で手に入れた商品を、本当に必要としている人に届ける。そこに利益を乗せるのは、自分の労力と、そして何より、多くの人に商品を届けるためのコストだと考えていた。

実際、商品無償提供プログラムでの転売は悪だとされてるけど……ぶっちゃけ四方好し」だと考えている。三方好しを超えている。四方というのは、「ECサイト」「商品提供企業」「販売者(※転売者とは言わない)」「購入者である

四方好し】

ECサイト商品レビューが増えると売れやす

商品提供企業商品市場流れる。多くの顧客のためになる

販売者仕入れ0円で販売活動ができる

購入者商品を数割以上オフで入手できる

まさに四方好しである

そんな生活がずっと続いた。毎日のように送られてくる商品。積み上がるレビュー点数。同じく銀行口座の残高。俺は文字通り、商品無償提供プログラム生活をしていた。

アルバイトは続けていた。自分の肉体を動かしたい思いがあった。それで稼ぐのが世の中の基本だと思うから接客業は嫌いではなかった。実際、人に喜んでもらえると嬉しい。



でもある時、虚しさを感じた。いくら商品を手に入れても、売っても、預金残高が増えても、レビューを書いても、何か満たされないものを感じた。満たされているはずなのに。限界効用の逓減かな?または飽きた?

それもあるけど、俺が求めてるのはもっと上の次元なんじゃないかって、そんな気がした。

ちょうどその頃、アルバイト先の友人が「イーサリアムを買った」という話をしていた。仮想通貨である。それまで興味がなかったけど、調べてみると未来感があっていいと思った。技術的なことは一切知らない。ただ何となく未来感があってよかった。それだけ。

2020年のことだった。半信半疑で、販売活動で得た利益の一部を投じることにした。最初にドカッと投じて、後は積み立てNISAみたいな感じである。どの仮想通貨業者がいいか迷ったけど、GMOコインDMMコインの2択になって……売買画面の見やすさで、GMOコインに軍配が上がった。ユーザーインターフェースって言うのかな。やはり、売買画面やチャートの見やすさは正義である

先に言っておくと、それからさら人生の挑戦をすることになるのだが……イーサリアムの値上がりとか、貸付を通じて得られるお金があったから挑戦ができた。これがなかったら挑戦自体できなかった。

今でも仮想通貨は、イーサリアム一本でやっている。ビットコインに目移りすることもあるのだが笑 ほかの仮想通貨は一切買ってない。実際、アルトコインの大半は、十年後には消滅してると思ってる。それでもアルトコインを買うなら鉄板銘柄に絞った方がいい。



商品無償提供プログラムメンバーだが、今は引退している。というか、引退を機にこの日記を書こうと思った。

最後商品を手に入れたのは、今から数か月前である。年度替わりの3月末。とあるオーディオ商品だった。お値段はそれなり。ソニーの新品ヘッドフォンくらい。

こういう商品は神速でほかのレビュアーに取られがちなのだが、この時点での俺の商品選択速度は――神速を超えていた。光の速度に達していたといえる(※理解できた人へ。ツッコミはなしで)。その域に達することができていた。

その商品レビューを書いたのを最後に、俺は商品無償提供プラグラムメンバーではなくなった。最後に、感謝気持ちを込めて登録解除ボタンクリックした。完全引退である

プログラムに招待されて早5年以上。レビュアーとしては、次の次元に達したいという願いがあった。

昔の自分は、フリーターだったのもあって、自分に自信がなかったと思う。自己イメージでいうと『すみっコぐらし』だった。とかげ?みたいに、見た感じとして自己効力感がなくて、覇気を欠いていた。うつ病患者に近い存在だった。

でも、今ではレビュアーとして別の次元に到達できたという思いがあるから、この日記を書こうと思えた。

今やっている活動は、現在進行形なので詳細は言えない。始めたばかりなのもある。サービス方向性だけ言うと……商品関係コンサルティングをしている。コンサルといっても駆け出しだけど、本質を見抜く「目利き」として、一応は企業から依頼をもらって、それで生活の糧を得ている。

自分の手でレビューを書くことは減ったけど、その代わり、依頼のあった企業について、実際の商品を売り出す段階のマーケティングアドバイスをさせてもらってる。

どういう過程で、そこまでのスキルが身に付いたのか?それは……初めて大好きなアニメレビュー投稿した瞬間から、十年以上もの月日の中で、レビュー執筆フリマでの販売活動を通じて――「どんな商品サービスが魅力的なのか、売れるのか?」という視点物事を考えてきたからだ。

それだけである。実際、自分小売業者になってみると商売の基本がわかった。そのうえで、世間で売れる商品に限ってプログラムで入手するようにしていた。目利きの腕が上がるのは当然だった。



メルカリヤフオクでの評価数は、現在5000件以上にもなる。

ここまでこれたのは、やはりアニメのおかげである。この世界アニメがあったからこそ、応援のためのレビューを書こうと思えた。そして、今では社会の役に立つことができている。

今後も社会のために働いていきたい。単なるお金儲けじゃなくて、自分知識経験を活かして、より良い社会の実現に貢献したい。

今でも、考えることがある。もし、また商品無償提供プログラムから招待が来たら?そうだな~、やってみるかもしれない。ただし、あの頃のように生活のためじゃない。純粋に、素晴らしい商品出会って、その価値を多くの人に届けるためだ。商品を本当に必要とする人の手に届けるために。そのために、レビューを書いて販売活動をするのである

この場を借りて感謝したい。今この瞬間にも、この世界に素晴らしいアニメ提供してくれる人達と、あの商品無償提供プログラムを作ってくれた方々に感謝している。俺の本当の人生は、そこから始まったのだからありがとうございました。

Permalink |記事への反応(17) | 22:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-07-29

映画国宝感想ネタバレあり】

日国宝を見てきた。

私は京都で「元芸者経営する祇園ラウンジバーで4年間の勤務経験がある」現オタクです。

映画は1回観ただけ、原作小説は未読。感想をどこかに殴り書きしたいけどネタバレ考慮もしないとなので、ツイッターとは切り離されたここに置いておく。

映画国宝は「龍が如くみたいな舞台歌舞伎ドッキング」した感じのストーリーなのだと思った。

なんの予備知識も入れずに行ったので、「歌舞伎役者同士の派閥てか屋号…?の争いなのかなあ」と思っていたら、いい意味で裏切られたし、歌舞伎のことあんまりからない私でもすんなりとストーリーが把握できた。

以下、思ったことを書きなぐるだけなのでネタバレあり。ストーリーの順番とかもぐちゃぐちゃです。

思ったことその1【登場する人全員終わっててマジで人間臭くていい】

御曹司俊坊(これ、しゅんぼうってあだ名よね?そう聞こえていたけど、違ってたらすみません)が生まれながらにしてボンボンとか、苦労を知らない血を持つ人間って捉えられがちだけど、主人公顔面国宝吉沢亮さん演じるきくちゃんも、組の息子という点でボンボンなのでそれなりの行動しててなんか……めっちゃひやひやした。

もっと姐さん寺島しのぶさんが演じる、俊坊のお母さん)に筋通しなよ!とか、挨拶ちょっと遅すぎない?とか、その服装(紫のシャツ)はど、どうなのかなあ?っていけずババア気持ちになった。きくちゃん桐生さんではなくて、錦の一面も持っている。結局歌舞伎に夢中になったためすんごい肝の据わった男になったけど、「すぐ人と喧嘩する」「いいなと思った女は全部手を出す」「家族よりも自分のやりたいこと優先」って時点できくちゃんも終わってた。

俊坊もまあまあ終わってる。まさにボンボン。私は歌舞伎に対して「俊坊みたいな人ばっかだろどうせ!」と偏見を持っていたが、その偏見ど真ん中ステレオタイプ歌舞伎っぽい人である俊坊がいてくれたから、この映画に没頭できた(のちに観たインタビュー寺島しのぶさんが「血筋だけじゃなくって、才のある外部の人も取り込めたら、歌舞伎界は変わるのになあ!」みたいなことをおっしゃっていたのでガチさがいよいよ増した)。

二代目半次郎さんも、すごくすごく終わってる。もうやりたいこと全部盛りの大御所だし、くたばる前に「世襲間に合わせたい!」みたいなの本当にいいな。そもそもきくちゃんのパパ立花組に「今後もどうぞごひいきに」って新年のご挨拶してるってことは、そ、そういうつながりがあるってことでしょ。原作未読だからわかんないけど、歌舞伎という伝統芸能とお背中お絵描き組のつながりは結構「なんかようわからんけど闇深そう」でいい演出だと思った。

半次郎さんの奥さん、俊坊ママも強い女で憧れはあるものの、それでも「母親」というのがものすごくわかるし、つらいよねえ…。もし俊坊ママが「丹波屋」のことしか考えていなかったなら、きっと早々に俊坊はダメになっていたのかもしれない。この映画に出てくる女性、みんなクソ強くて大好きだ。

思ったことその2【登場する女がめちゃくちゃ強い。あとあきこがマジでくだらねえ】

さっきも書いたけど、俊坊ママ(お名前忘れたので調べたらさちこさんだった)がくそ強い。あの演目始まる前のさ、ロビーみたいなところでご贔屓さんたちに声かけて頭下げてるあの立ち振る舞い、もうクラックラするほど強くて好き。私自身がそういう横のつながりに苦手意識のある性格から、「面倒そうなのに毎回ちゃんとやるの、女将さん本当に強いわ」ってなった。

そして上京したきくちゃんにまずはいけずをかますやつね。これがないと、関西の強い女じゃないよなあ。でも結局「お腹空いたやろ。ご飯にしよ」って優しくするのよね。「ちゃんとしてる人」には情があって京都の姉さん(一緒に働く先輩のこと、ほんとにこう呼んでた)とお母さん(ラウンジバーママ、元芸者)大好きだったよ。

春江もすごい。あの頃のホステスさんってなんか大変なんですよね?龍が如くで学びました。でも好きな男を追って(あの時点ではきくちゃんのこと好きだったと思う)つらい仕事も続けて一人暮らしして、春江ちょ~強いわ。高畑充希さん、マジでミュージカル好きだから半分「歌ってよ春江ちゃん!」って思ったもんね。

そのあときちゃんとおそらく?付き合ってたけど、きくちゃん稽古見てから「これは添い遂げたい人じゃない、推しだ」ってなってプロポーズかわすのも強すぎる。そうなんだよね、きくちゃんは誰のことも幸せにしてやれないし、自分ときちゃんが欲しい「血」はあげられないから身を引くのだ、これでこそ最強の女春江だよ。推し活として美しい形すぎる。しかも、俊坊が弱ってるのを見て「この人を立てなおしたら結果きくちゃんも救える」って思ったのかどうかわかんないけど、筋の通った乗り換えをしてるのもすごい。

こんな強い女春江なら、さちこさんと同じ役割をきっと勤めあげられる。さらにさちこさんと違って「丹波屋」だけを見てる女だから、きっとこの先も安泰だ…とあの時点では安心した。しかも男を生む。もう春江一強になってしまった。誰も勝てない。強すぎる。

藤駒ちゃんも強すぎる。も~強い。きくちゃんとであったころのおぼこい藤駒ちゃんは、きっと舞妓さんだったと思うけど、あの時点でめっちゃ厳しい修行に耐えてる子なんだよね?置き屋によって全然違うけど、俊坊ときちゃんが遊びに行くんなら多分祇園だと思うし、その宴席に付いている藤駒ちゃんもきっとエリートさん。その中で「この人は売れる!」って見抜いて、しかも「日本一になるなら別に家庭を捨てても構わない」ってきくちゃんと添い遂げることに覚悟の決まった子なんだよ。

藤駒ちゃんマジで……強い。そりゃきくちゃんも藤駒ちゃんとなら子ども作ってもいいなって思うわ。いい女すぎるよ。

あと、あきこね~~~。あきこだよね~~~もう。くだらね~~この女。本当にあきこのくだらなさが作中ずっと好きだったし(褒めてるよ)あきこが都合のいい女すぎる。太宰治小説に出てきそうな何番目かの女ポジすぎる。

なんか……、きくちゃんと俊坊が殴り合いの喧嘩したとき、あきこがすげ~冷めた目で見てたのが印象的で。この時点で、もしかしてあきこ鼻血出して車に戻ってきたきくちゃんに対して「もういいや。ばいばい」って言い出すかと思ったら、それはしないんだよね。「それぐらいきくちゃんのこと好きだから」じゃなくって「ここまできたらもう元に戻れないし仕方ない」って感情があるでしょ、あきこには。

これまで女全員強いって言ってきたけど、唯一あきこにはそれが思えなかった。

そのあときちゃんのどさ回りをずっとサポートするのは献身的と思う。でも、あきこお前死んだフナみてえな目してきくちゃん舞台見ててさ、もうそれは義務になってますやん。「この芸をずっと支えたい」って思いもないし、「素晴らしい国宝級!」とも思えてないし、何も感じ取れてないでしょ。これ、実際にはどうなってたのかわかんないけど、あきこときちゃん結婚してないと思ってた。あきこ、きくちゃんがもし上り詰めて梨園の妻になったとしたら、さちこさんみたいに振るまえないでしょ。春江よりも絶対に弱い。そういうあきこ、、ああもう本当にくだらないな~って思った。きくちゃんが落ちぶれたそのときだったから傍にいれただけで、あきこにはなんの覚悟も魅力もないのはきくちゃんも見抜いてる。

もうあきこ……この子もまた、大御所の娘としてボンボン気質が終わってていい。ただ、このあきこを演じたのが森七菜さんだったのがまたよくて、もうちょうどいい塩梅の女の役がうますぎる。森七菜さんがこんなに演技お上だって知らなかった。あきこのこと、まだ気になってるぐらいに印象に残ってるもん。「どこ見てるの?」って台詞もいいよね。これまで何もしなくてもあきこはお嬢様、みんなから愛してもらってる女、見どころを周囲が与えてくれる人だったけど、きくちゃんはそうじゃないんだよ。「どこ見てるの?私を見てよ」って訴えても「あきこには見るべきところがない」のが、深いなって思った。そして少しだけ切ない。

さらに、きくちゃんにとっては「何を見てたの、今まで」っていう台詞に受け止められているところが、まだ二人がすれ違っててすげ~シーンだった。

あきこ、はやくきくちゃんを捨てなってずっと思ってた。

思ったことその3【推し竹野と万菊】

竹野マジで好きだ……。竹野が忌み嫌うのは歌舞伎ではなくて、「血筋という最強カードがないとのし上がれない伝統のもの」ってところに筋が通りまくってて最高。初めは単にいちゃもんつけただけの奴かな?って思ってたけど、そうじゃないところがまたいい。

きくちゃんと俊坊の関係性も好きだけど、竹野ときちゃんもまたいいよね。

終盤ずっと「三代目」って呼ぶのも好きだし、万菊さんと会わせたのが竹野ってところが最強にエモい。なんか竹野と万菊さんに対しては、終わってる人間まみれの中の唯一の光すぎて、どう表現したらいいのかわかんない……。

いや、万菊さんももしかするとどえらいことしてたのかもしれないけど、あの俳優さん演技うまいな~!ああいレジェンドいそうだもん。奥行がすごい。でも万菊さんなんできくちゃんのこと認めるタイミングあんなに遅かったんだ?やっぱ役者が全部そろわないとって思ったからかな?半々コンビで沸き立つ女の感情がすご~~くよくわかる。私はオタクからだ。

思ったことその4【あやの

きくちゃんの娘さん、綾乃って名前だったらしいけど、ずっと「文乃であやのなのかな~?」って思ってた。藤駒ちゃん芸妓さんになってすっぴん日常着物でお祭り行くシーン、芸妓さんの「なんでそんなすっぴんキレイなの?」ってぎょっとするほどの透明感が再現されててめっちゃよかった。

あやの最後にきくちゃんと再会して思いのたけを吐くんだけどさ、あのシーンが本当に大好き。

あやのは多分、ずっと「父ちゃん帰ってこないし終わってんなア」って思ってるけど「お母さんを苦しめた最低な父親」とは思ってなさそう。藤駒ちゃんあやのになんて言ってるかはわかんないけど、そもそも父親がこの人よ」とは言い聞かせもしなかったかも。藤駒ちゃん最後まで映画では出てこなかったけど、元気にしているのでしょうか。。私が働いてたラウンジバーみたいなの運営してるのかな。とんでもなく金持ってる「お父さん」見つけて……。

きくちゃんが三代目襲名して、お披露パレード的なところであやの無視ったシーンは、私はめちゃくちゃ納得した。そりゃそうよね、藤駒ちゃんあやのを止めるのも何も言わないのも、そりゃそうだと思った。もう人生のすべてを捨ててひとつのことに溺れる男に惚れて、それでもいいから隣にいたい女というのは、そんなもんだよ…。

だが、隣で見ていた旦那は「あのシーンで一気にきくちゃんに同情できなくなった。最低」って思ったらしいので、家族を捨てるシーンとか子どもよりも人生を優先させる親が大嫌いな人は、ここで国宝のもの評価を下げてしまうかもしれない。

ただ、覚悟の決まっている最強女藤駒ちゃんと違って、娘のあやの結構冷静なのがまたよかった。きくちゃんに「お前最低」って面と向かって言えるの、あやのだけだよな。実際こんな父親、本当になんだお前ってなるよ。

でも最後に救いがある。まず、きくちゃんあやのと対面したとき「藤駒という芸妓を知っていますか?」と訊ねられて、「忘れたことはないよ、あやの」って答える。台詞うろ覚えだけど。最低なきくちゃんだけど、藤駒ちゃんあやののことはずっと心に居続けたんだね、と救われた。

さらに、あやの砲が続く。「お前が舞台に立ってヘラヘラするために、どれだけ人が泣いて不幸になったと思ってんだよ。だいたい、家族お祭り行ってさあ、神社で願掛けするのが自分のことってどういうこと?自己中すぎるだろ」みたいなことをガンガン刺す。あやの、いいぞもっと言え。

でも、あやのはそんな最低の父親でも、きくちゃんのことを父親と思っていなくても「父ちゃん舞台を見ると素晴らしいと感じる」みたいなこと言って、唯一芸だけは認めるんだよね。

あのシーン、好きすぎる。危うく泣きかけたが、周囲でトイレ我慢できず立ちだす人も多かったため、意識が逸れて涙は出なかった。

あ~~~ん、藤駒ちゃんあやの幸せになってね…。

そして芸を手に入れ国宝にはなったが、その後何にも残らなかったきくちゃん。お前はきっとひどい死に方をするんだろうし、地獄に落ちる。でも、その姿はめちゃくちゃ美しかった。

おしまい

時間が許せばもう一度見に行きたいけど、およそ3時間もある映画からちょっと厳しい。

でも劇場で見たほうがいいというのは、本当に納得した!劇場大正解だった。

Permalink |記事への反応(2) | 11:58

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-25

anond:20250525121530

ポケカとかのすさまじい利益が出るタイプ商品じゃないもんな、コイツが取り扱ってるの

からない、個人事業主にならないってのは転売個人事業主を名乗ることはできないとか、儲かると税金がかかるからつの屋号なり身分なりでは儲かってないってことかな

Permalink |記事への反応(0) | 12:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-05-05

魔人無骨

検索に引っかかりたくないのであえてこう書くが。

素晴らしい才能の持ち主だ。私はM-12024ファーストステージで彼らは完成したと思いそのまま優勝したのを見て本格的に追うのを辞めてしまったが、彼らは本当に力を持っている。ただ、吉本興業という金儲けしか頭にない旧依然的な組織には反りが合わないだろう。彼らはワーキャー的にドル箱なので吉本の目が届くうちには好きにさせていたと思うが、トラブルを起こした時に自分で手を打とうとしたのは吉本的にはまずかっただろう。というか、吉本公務員的な規律があり、それはもはや仁義世界であるので、会社という親に仁義を通さず勝手謝罪動画などをあげるのは明らかに違反行為なのである。それはファン世間いくら擁護しようが吉本的には仁義に反した行いであり、許すことなどできないのである。彼らは自分たちの手に負えない若手は嫌いなのであろう。だがドル箱には変わりないため、屋号と親の出資力が強い相方は残し(相方文字通り空気を読んで煙に巻かれる賢さがある)取れる金は取ろうとしている。

だが時代YouTubeSNSが強く、金を落とすワーキャーの力も無視できない。

彼らはそんなことも分かっているだろうし、これから解散などせず活動を続けるだろう。

ラグビー部出身の彼は仁義も分かると思うが、同時にくるくる回る頭を持ち合わせているため一足先に保身に走った結果が裏目に出てしまったのだろう。

私としては相方適当バラエティ番組への適応力が素晴らしいと思っているので(衝撃映像動物映像VTRを見てコメントをする番組たち)、ぜひアンタ柴田のようなそういう道に進んで欲しいと思っている。

Permalink |記事への反応(0) | 05:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-18

幹事代行サービス屋号考えた

幹事しほり

使っていいよ

Permalink |記事への反応(0) | 14:17

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-04-10

anond:20250410085432

残念ながらそれはオフホワイト企業やね

うちの職場ガチブラックやけど3年で2回屋号変えとるからどんな記録が残っても労基に駆け込まれてもノーダメージや

Permalink |記事への反応(0) | 09:02

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-03-01

anond:20250301172547

ファミコンショップ屋号に掲げてる店はまだあんのかなと思ってググったら、結構あった

Permalink |記事への反応(0) | 17:37

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-02-05

anond:20250205100442

私は別に構わないよ。クランプとかブルバキみたいな感じのフリー屋号として自由に使って欲しいと思う。

dorawiiより。

Permalink |記事への反応(0) | 18:40

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

星が光っていると思っていた

屋号と爺さんの選んだ子供たちに執着のあるオタク、サブスク解禁で戸塚の「星が光っていると思っていた」きいてなんか納得した。

爺さんが子供食ってるのなんかみんな知ってたよね。

知ってたし、だからその時代が好きだった自分も罪を背負っているって、わかっていながらも爺さんが作ったエンタメの形が本当に好きで好きで。

内部舞台しかないあの変な世界エンタメ自由さを教えてくれたし、変でしょうがないけど「練習」として最適化された舞台だって理解した時本当に感動したし。

からずっともう一生封印される、されるべき爺という生き物に、もうなくなっちゃった故郷に悲しみを感じていたけど、「星が光っていると思っていた」をきいてあ、旧屋号芸術だって思って納得した。し、爺がいなくても、爺という巨悪を追放しても私の故郷は消えないんだってやっと思えた。

あの爺さんはまぎれもない悪だから消えるべきで、会社も頭おかしいし、世間のおっしゃる通り悪の帝国しかなくて、でもあの芸術の形がきえるのは悲しくて。

だけどちゃんと培われたものは悪の手を離れて個人身体に受け継がれているんだね。

まだ聞いてないオタク聞いてほしいな。ちゃんと爺さんが死んでよかったと思えるから

Permalink |記事への反応(0) | 17:07

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-01-20

名前というのは伊達酔狂で名乗っているのではない

名前はいろいろな役割があります

国は戸籍というものを作って国民管理していますが、これはあくまでも国の都合であって、私たちの都合ではありません

私たち自分の都合に合わせて商号屋号ペンネームニックネームなどを使うことができます

銀行役所学校などはあくまでも戸籍名前要求しま

これには個人特定してその個人社会的責任を負わせ、何かあれば制裁対象にするといった機能が期待できます

伊達酔狂、お洒落名前を付けているのではありません

夫婦別姓に関しては文化的な側面での議論が活発なようですが

本来機能としてみれば、かつては妻の責任大黒柱である家長責任ということもできましたが

女性も自立する現代において夫婦名前統一する合理性というものは以前ほど高くはないと言えます

したがって夫婦別姓自然な流れであると言えるでしょう

Permalink |記事への反応(1) | 12:42

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-01-17

男だけど結婚名字変更して楽しく生きている

後悔は無いし、むしろ人生が楽しくなった。

個人的には「合法的名前が2つ使える」という、非常に厨二っぽい満足感をもって生活している。

生活上の不便は特にない。

免許マイナンバー旧姓併記がされるので、どっちの名前生活しても通用する。

(旧姓を名乗っても特に何も言われない)

銀行口座旧姓併記的な扱いができる(旧姓宛の振り込みをそのまま受け付けてくれるので、仕事先に言う必要がない)。

特に自分個人事業主からというのもあるが、仕事周りは旧姓私生活は新姓と分けることで、気持ちの切り替えもしやすい。

妻は姓について「どっちでもいい」というスタンス

ならば、会社勤めの妻より個人事業主自分の方が時間自由が利くので、名字を変える際の面倒事を受け入れやすいと思い、自分名字を変えた。

屋号を使えば前述の「合法的名前を2つ持つ」が実現できるし、気持ちメリットもある。

お互い、自分名前特にアイデンティティを感じていないので、気楽に過ごさせてもらっている。

(それはそれとして、「同じ名字になった」現実についての愛情だの愛着だのはある)

とはいえ、本人たちが合意していても、双方の家族共に「なんで?!」という反応は受けた。

自分の両親は夫婦別姓までは想定していたっぽいが、まさか息子が名字を変えるとは思っていなかったらしく、母親が「私も名字変える!」とか言い出した時はどうしたものかと思った。

また、妻の兄弟からは「ウチに遺産なんかないぞ!」と裏で言われていたらしい。

実際のところ「なんか名前二つ使えて楽しそう」「会社勤めな妻のストレスが減るのが嬉しい」という理由がメインで名字を変えたので、そんな深読みをさせてしまったのは申し訳なく思っている。

尚、男性側が姓を変えて感じた事として、「色々な書類名字を書き換える」事に対する同調圧力が恐らく女性のそれより緩い。

これも自分名字を変えた理由の一つだ。

銀行口座結婚後数年経って書き換えに行っても「あ、そうなんですね」で済む。

そんな感じで数年かけてゆるっと色々書き換えていったが、記憶にある限り「名字変わったなら早く書き換えてください」と怒られたのは確か一回だけ、それもなんかのショップの瑣末なポイントカードの時だった気がする。

裏でDBも作ってないような紙のポイントカードで怒られたのは、未だに釈然としていない。

勿論、名字を併用する面倒ごともある。

例えば旧姓名義のクレジットカード更新

書留だか配達記録郵便だかで送られてきたが、当時まだ免許証もマイナンバー旧姓併記版にしておらず、配達員さんに対して旧姓と同一人物であるという証明ができず、持ち帰られてしまった。

仕方ないので最寄りの免許センター運転免許書き換えの必要書類を聞くと、「旧姓が分かる住民票」が必要と言われる。

それならと役所住民票取りにいくと、なんと旧姓が書かれていない。

住民票旧姓記載するためには、本籍地に行って戸籍謄本を取ってくる必要がある。

これが分かった時点で、その日は一日たらい回しに使う事を決心し、本籍地役所戸籍謄本取得→現住所の役所住民票更新警察署免許証に旧姓追記郵便局で受け取り申請までを一日でやった。

…のだけど、郵便局でのこういうケースが相当なレアケースらしく、最後郵便局で職員さんが奥に引っ込んでぜんぜん出てこない。

たぶん方々に確認したり裏で擦ったもんだしてくれたであろう結果、確か30〜40分後に更新版のクレジットカードを受け取れた。

マイナンバーカードでのコンビニ手続きがもう少し整備されると、こういう時嬉しいなと思う。

この時は、コンビニでの戸籍謄本の取得は色々面倒があり、できなかった。

あと印象に残っているのは、税務署名字の変更申請をしようとしたとき

どうも前例が無いらしく、決まった書式も存在しなかった。

曰く「そういう人はみんな旧姓のままか、しれっと名前書き換えて出してますよ」とのこと。

ちなみに名前を書き換えて出すとシステム上は別人扱いになり、過去の申告内容との紐付けはされないらしい。

(まあ管理番号があるし、それこそ今はマイナンバーも紐付くので、完全別人扱いってこともないとは思うが)

尚、最終的に何かの裏紙に旧姓と新姓を書いて、窓口の人に書き換えてもらった。

自分自身名字にこだわりがなく、且つそういうマイナートラブルを「なるほどそういう扱いになるんだ!楽しい!」と燃えしま性格なので成り立っている面はあるけれど、特に女性で「結婚したら書類は一斉に書き換えるのが当たり前」という同調圧力の中でこういったマイナートラブルに遭ったら面倒くせえだろうなとは感じる。

「家」の縛りが緩くなってきたこ時代に、夫婦別姓を望む人が多くなるのも当たり前だと思う。

なので、ここまでの話はそれはそれとして夫婦別姓もちゃっちゃとやればいいのにとは思っている。

生活ストレスは少ないに越したことはない。

自分場合は「現行システム上は男性側が名字変えた方が総合的に二人のストレスが低くなって結婚生活が楽しくなる」という見込みで変えたのであって、最初から夫婦別姓公式に選べるならどうしたかからない。

姓を変えたければ変えればいいし、変えたくなければそのまま生活する。

よく夫婦別姓の反対意見で言われる「子供が不幸になる」という意見シンプルに傲りだとしか思えない。

現時点で多数派である夫婦同姓の家で育った子供に「夫婦別姓をどう思うか」なんてアンケート取ったらネガティブな回答が多数派になるに決まってる。

その状況でポジティブな回答をする子供がいたら逆に達観しすぎてて怖い。

そういうニュースを見るたび「自分たちは別姓の夫婦差別するよ」と暗に予告する、人としての程度の低さが見えてちょっと嫌。

別姓の夫婦が増えたらみんな「普通」に昇華されるんだから、黙ってればいいのにね。

Permalink |記事への反応(0) | 00:26

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-11-27

町中華は生き残っているが町蕎麦屋絶滅危惧種

一昔前までは、俺が知る限り関東地方の近郊住宅街には必ず一定範囲蕎麦屋があった。「更科」「砂場」「藪」などの屋号を受け継いだり、「長寿庵」のような「〇〇庵」という蕎麦屋一定地域内に一軒は必ず存在していた。

笑点小遊三師匠がよくネタに使うカツ丼もここから来ている。

実際には警察逮捕した容疑者カツ丼振る舞うことはないが、20世紀刑事ドラマや2時間サスペンス容疑者が近所の町蕎麦屋から出前されたカツ丼を食って自供するとういうフィクション定番ネタであった。

かつて各地域住宅街存在した町蕎麦屋は、麺類ならきつね、たぬきは当然としておかめ天ぷらカレー南蛮、鴨南蛮、など各種日本麺類蕎麦でもうどんでも出前しただけでなく、ラーメンタンメン味噌ラーメン、五目ラーメンなど日式中華麺類各種は必ず備えていた。丼物は上述のカツ丼は当然として親子丼天丼玉子丼、カレー丼、牛丼メニューにあった。カツライス(トンカツ定食)や生姜焼き定食アジフライ定食なども安価だっか。黒電話で出前を頼むと若い店員スーパーカブに乗って銀色の箱から麺類丼物定食も迅速に届けてくれた。ウーバーイーツとか現在配達サービスより迅速で丁寧だった。

Permalink |記事への反応(2) | 04:03

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-11-13

イケてる屋号

なんかフリーランスになったら屋号をつけてもいいらしいか開業届を出すとき屋号をつけようかなと思うんだけどネーミングセンスがないといいのが思いつかないとはいえ実名活動していると現在でもいくつかの方面で摩擦が起きているのでイケてる名前に変えてそこそこ楽な格好で動きたいな。

Permalink |記事への反応(2) | 18:25

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-11-06

anond:20241105120523

20都市地方の知人も、家業の鉄工業屋号中古車販売自動車整備業で稼いでたな。

Permalink |記事への反応(0) | 09:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-11-04

日本現代小売業界における10大事

2024年現在から過去数十年を振り返った際の重要イベントトレンドに関してまとめてみた。筆者の出自(旧来側の小売企業所属)によって、記載の濃淡がどうしても出てしまうが、その点は容赦いただきたい。

1位 大店法の緩和と廃止1991年

大型店舗新規出店に対して規制をしていた「大規模小売店舗法」が1991年に緩和され

2000年廃止された。経緯としては、日米間の貿易摩擦に対する折衝の中で日本国内産業障壁の一つとして指摘されたことによるもので、大店法緩和の象徴として日本進出したのがトイザらスであるしかし、大店法の緩和と廃止によって生じたのは米国企業進出ではなく、商店街などの中小小売業の衰退とロードサイドである。我々が日本の各地で目にしている、寂れた中心市街地と画一化されたロードサイド店舗が並ぶ郊外風景は、これによってもたらされた。

2位 主要EC各社によるサービス開始 1996年

楽天市場サービス提供1996年Yahoo!ショッピングが翌年の1997年である。小売の各セグメントにおいて、Eコマース食品スーパーコンビニ等を抑えて堂々の一位にある。あまり詳しくないので記載はこの程度。

3位 ジャスコ設立 1970年

岡田卓也社長を務める岡田屋ほか3社が合併し、ジャスコ株式会社誕生

大店法緩和以降(第1位参照)の小売業郊外進出の時流に乗って積極的に出店と企業統合および業態拡張を行い、イオンへの屋号変更を経て、日本最大の小売グループと成長していく。

4位 セブンイレブン豊洲開業 1974年

米サウスランドから前年にライセンスを取得したイトーヨーカドー国内第1号店として、東京都江東区豊洲の酒屋を改装オープンした。大店法緩和以降の、中心街および市街地における店舗フォーマットとして、フランチャイズにおける小型店舗という、毀誉褒貶の伴うビジネスモデル確立した。国内初のコンビニに関しては実は諸説あるらしいが、いずれにせよ豊洲店が現在まで続く流れの中で最も重要存在であることは間違いがない。なお、豊洲店は今なお営業しており、従業員国内初のコンビニであることを尋ねると、嬉しそうな反応が返ってくる(何年か前の話)。

5位 海外大手小売業進出撤退 2000年

2000年フランス大手スーパーマーケットカルフール日本進出千葉県幕張市に店舗オープン。また2002年には経営不振に陥っていた西友を買収する形でウォルマート日本進出した。しかカルフール2005年イオンに売却され、ウォルマート2018年西友経営から手を引いた。

両社の進出当時には、EDLP(エブリデーロープライス 特売に頼らない一定の値付け)や卸などの日本的商習慣の打破に対する期待もあった。両社の撤退後、国内リアル小売業日本資本が担っていくという流れが決定的となった。一方で、川上側の流通構造の変化については、イオンユニクロ等が手をつけていくことになったのだが、そこに海外大手進出の影響があったのかもしれない。知らんけど。 

6位 ユニクロの全国進出 1998年

ユニクロフリースを目玉商品として原宿に出店した。ロードサイド型のフォーマットは、レンガを基調にしたオールユニクロファンには懐かしい店舗スタイル1985年にすでに最初店舗オープンしていた。地方発祥の一量販店に過ぎなかったユニクロが、原宿オープン時に社会現象と言われるまでのニュースになり、以後は全国的ブランドとなっていった。またフリースから始まったユニクロオリジナル商品ジーンズなどの数々のヒット商品を経て、単なるアパレルショップという業態からSPA(製造小売)という別のビジネスモデルへの転換へと繋がっていった。今では想像もできないが、昔はユニクロでもリーバイスジーンズとか売っていたのだ。

7位 スマートフォンによるECモバイル化 2010年

スマートフォン発売当初は、国内はいわゆるガラケーと呼ばれた従来型携帯電話主体であったが、2010年iPhone4あたりから潮目が変わり始めて、スマホの普及が加速した。これに伴い、EC担い手も従来のPCからモバイルへと変化していった。

今となっては想像もできないが、当時はECで買い物をするときには、PCの前に移動してブラウザを立ち上げてから買い物をすることが必要であった。

ネットリアル統合とかそういったことがこの頃から言われるようになった。リアル店舗における買い物体験については、モバイル化によって、当時期待していたほどに変化したとは言えないが、今後も続く大きな流れではある。

また、このモバイル化とほぼ同じタイミング東日本大震災(2011年)があったのは、巣篭もり含む社会情勢変化の中で間接的な影響はあったのではないか個人的に思う。

8位 ペガサスクラブ設立1962年

小売業界以外の人にはほぼ知られておらず、業界内でもペガサスクラブのことを知らない人が多い。読売新聞記者であった渥美俊一氏によって設立された、研究機関ないし互助機関である高度経済成長期以降、アメリカ小売業モデルとした、日本小売業組織化大規模化に、ペガサスクラブの「チェーンストア理論」は大きな影響を与えたとされる。

9位 ダイエー松下戦争 1964年

松下(現在パナソニック)製のテレビを、ダイエーメーカー設定を下回る価格販売したことによる対立。大きくは流通業界全体における主導権を製造側が握るか小売側が握るかという点での争いである。より消費者に近い川下側が主体となって流通全体の効率化と変革を進めていく考えが流通革命であり、1962年に同名で出版された著書がある。

10位 百貨店各社の統合 2007年

大丸松坂屋統合によるJ.フロント リテイリング阪急百貨店阪神百貨店によるエイチ・ツー・オー リテイリングの発足がともに2007年で、翌年の2008年には三越伊勢丹経営統合した。この一連のイベントは、統合のものよりも、百貨店業界全体の不振として捉えたい。

今となっては信じられないが、かつては小売業の中での業態別の首位百貨店であったが、売上高としては1991年12兆円をピークとして現在まで半減している。

ランク

スーパーマーケット紀伊国屋オープン 1953年

日本における初のPOSシステム開発 1971年

マツモトキヨシ 上野アメ横オープン 1987年

マイカル経営破綻 2001年

主婦の店運動 1949年

Permalink |記事への反応(2) | 14:39

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20241102235117

マックってマクドナルドの事だろうけど

 

マ ク ド ナ ル ド

 

どこをどう略したらマックになるのか意味不明だわ

かっこいいと思ってるの?

普通にマクドで良くね?

なんでマック

そういうとマックシェイクがあるじゃないか反論するやつがいるが

それは商品名だろ?店名とは関係ない。

吉野家牛丼という商品があるが、だからといって吉野家牛丼とは略さな

関係ない、屋号屋号商品名商品名

 

マックシェイクの「マック」がマクドナルド由来であるかもわからない

 

マック vs マクド論争は古からの争いではあるが

ここは中立的に「マクナル」あたりで手を打とうと提案しているのに

関東人は頑なにマックを使い続ける

関西人はマクナルを受け入れる準備が整っているのに

 

てかさ慇懃な場において「マックドナルド」と発音しているならまだ可愛げがある

この人は絶対に「マック」を譲れないんだろうなと、判る、許す

さな「ツ」があるか無いか微妙発声でも良い

 

しかし堂々と「マクドナルド」と発音するでは無いか

これが正しいと認識しているのだ。

でも略称は「マック」と使う

なんなん?

Permalink |記事への反応(3) | 12:14

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-11-01

anond:20241101100731

大人になって自立して一人前になったので親元離れて暮らします世界観では、親の名字をそのまま使うこと自体ナンセンス

成人になった時点で改姓する、または新規屋号を制定するのが妥当だろう

結婚に関しては選択的で問題ないし、子どもには屋号を姓として名乗らせよう

Permalink |記事への反応(0) | 10:12

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-09-16

夫婦同姓とか別姓とかもうやめようよめんどくさい

日本人名前というのはマイナンバーとする。これは真名とする。

それ以外の名前は利用前にマイナンバーに対して登録する手続きを行う。これでそれらの名前正式名前になる。

木下藤吉郎であろうが羽柴秀吉だろうが好きに名乗っていい。名前はいくつ名乗っても良い。無制限はいかんな上限100個ぐらい。

役所やそのシステムにその名前と住所などの付帯情報を添えて本人確認要求し、当人マイナンバー経由で当人確認が行って許可が出たときにそれがあだ名じゃあなくて名前だと判明する。

そういうのでいいじゃん。

屋号芸名も現状のいわゆる本名も一緒くたでいいじゃんか。

結婚してもしなくても苗字っぽい部分を変更したり追加したりできるようにしよう。

お気に入り武将名字勝手に変更したりアイドル芸名に合わせちゃったりする人が出るかもしれんがそういうのも良いことにしようよ。

今の名前みたいな一意でない識別子に頼るのやめよう。意味が薄いし無駄が多すぎる。

それに伝統的にも成人して名前変わったりしてたんだしさ。結婚しないと原則名前変わんないなんて運用してるから夫婦名前がどうこうなんて争うことになってるんだ。

ちゃぶ台ごとひっくりかえせ!

Permalink |記事への反応(0) | 13:00

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-08-27

anond:20240827093952

分不相応屋号を継いではいけない

Permalink |記事への反応(0) | 14:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2024-06-26

anond:20240625133952

元日産の営業マンだった本庄さんは新しい事業を始めようとしてふと街を見まわしたらお茶屋さんが事業を辞めようとしてたので買収。

そのお茶屋さんの屋号伊藤園という。

なので伊藤園は「何故伊藤園という屋号なのか?」伊藤園の人は誰も知らないとのこと。

(買収したとき社長さんも伊藤さんではなかったそうで)

Permalink |記事への反応(0) | 02:47

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp