
はてなキーワード:局所性とは
伝統的にはテーマ別(弦理論、量子重力、場の理論、応用)に配列されるが、抽象数学の観点からは対象(研究トピック)と射(方法・翻訳)の網として捉える方が有益。
ここでいう対象は「エントロピーと情報論的記述を担うブラックホール研究」「幾何学的・位相的構成を担うコンパクト化とカラビ・ヤウ/F-理論的話題」「場の対称性・一般化対称性を取り扱う場の理論的構造」「計算的探索手法(データ、機械学習を用いる弦景観の調査)」など。
各対象間の射は、双対性の導入、圏的な接続(例:量子情報を介した場と重力の橋渡し)、モジュライ空間上の写像(ある物理量を別の表現へ変換する手続き)と考えられる。
この視点に立てば、個々の研究は、局所的な結果(対象の内部構造の解析)とそれを別の対象へ移すための普遍射(双対性、再規格化群、ホログラフィーなど)の2つの側面を持つ。
研究の進展を測るには、単に新しい計算結果が出たかを見るだけでなく、それがどのような新しい射(方法論的翻訳)を導入し、他の対象へどれだけ容易に伝播できるかを評価するべき。
近年の発展は、物理的データを層(sheaf)的に整理する試みと親和性が強い。
コンパクト化、特にF-理論やゲージ束構成に関する議論は、物理的情報(荷、ゲージ群、モードの分布)を局所データと大域的データの重ね合わせとして扱うことに等しい。
これは数学的には基底空間上の層の圏を考えるような話で、局所的条件の整合性(コヒーレンス)と大域的制約(トポロジー的閉鎖条件)が鍵。
古典的な幾何的直観(多様体、ホモロジー)を拡張して非可換やカテゴリ化された対象で物理を再表現する流れにある。
結果として、従来のスペクトル(場のスペクトルや質量スペクトル)に対応する数学的不変量が、より高次の層的・圏的構造へと一般化されつつある。
これにより同じ物理現象を別の圏で見ると簡潔になる例が増え、研究の再利用性が高まっている。
弦理論・場の理論で繰り返し現れるのは対称性が構造を決めるという直観。
抽象数学では対称性は対象の自己射(自己同型)群として扱われるが、対称性そのものが射の層あるいは高次の射(2-射やn-射)として表現されるケースが増えている点が特に重要。
つまり、単に群が作用するのではなく、群の作用が変形可能であり、その変形がさらに別の構造を生む、という高次構造が物理的意味を持ち始めている。
この流れは一般化対称性やトポロジカル部位の議論と密接に結びつき、場の理論における選好位相的不変量を再解釈する手段を与える。
結果として、古典的なノーター対応(対称性⇄保存量)も、より高次の文脈で新しい不変量や保存則を導出するための起点になり得る。
ブラックホールと量子情報、カオス理論との接点は話題だった分野。
ホログラフィー(重力側と場の側の双対)を抽象的に言えば二つの圏を結ぶ双方向のファンクター(翻訳子)と見ることができる。
これにより、量子的冗長性やエントロピーに関する命題は、圏の間を行き交う射の情報(どの情報が保存され、どの情報が粗視化されるか)として扱える。
カオスとブラックホール、量子力学に関する概念の整理が試みられている。
たとえばブラックホールにおける情報再放出やスクランブリングは、ファンクターがどのように情報を混合(合成)するかという高次射の振る舞いとして可視化できる。
こうした議論は、従来の計算的アプローチと抽象的な圏的フレームワークの橋渡しを提供する。
何が低エネルギーで実現可能かを巡るスワンプランド問題は、いまや単一の反例探しや個別モデル構築の話ではなく、モジュライ空間の複雑性(位相的な目詰まり、非整合領域の広がり)として再定式化されつつある。
抽象数学的に言えば、可能な物理理論の集合は単なる集合ではなく、属性(スカラー場、ゲージ群、量子補正)を備えた層状モジュライ空間であり、その中に禁止領域が層的に存在するかどうかが問題。
この視点は、スワンプランド基準を局所的整合条件の族として扱い、整合性を満たすための可視化や近似アルゴリズムを数学的に定義することを促す。
弦景観やモデル空間での探索に機械学習やデータ解析を使う研究が増えているが、抽象数学に引き寄せると探索アルゴリズム自体を射として考えることが有用。
ある探索手続きがモジュライ空間上の点列を別の点列へ写すとき、その写像の安定性、合同類、収束性といった性質を圏的・位相的な不変量で評価できれば、アルゴリズム設計に新しい理論的指針がもたらされる。
数学的定式化(幾何・位相・圏論)と物理的直観(ブラックホール、カオス、場の動的挙動)をつなぐ学際的接合点を意図して設計される。
これは単一圏に物理を閉じ込めるのではなく、複数の圏をファンクターで結び、移り変わる問題に応じて最も適切な圏を選択する柔軟性を重視するアプローチ。
学術コミュニティのあり方に対するメタ的な批判や懸念も顕在化している。
外部の評論では、分野の方向性や成果の可視性について厳しい評価がなされることがあり、それは研究の評価軸(新知見の量・質・再利用可能性)を再考する契機になる。
見えてきたのは、個別のテクニカルな計算成果の蓄積と並んで、研究成果同士を結びつける翻訳子(ファンクター)としての方法論の重要性。
抽象数学的フレームワーク(圏、層、モジュライ的直観、高次射)は、これらの翻訳子を明示し、その普遍性と限界を評価する自然な言語を提供。
今後の進展を見極めるには、新しい計算結果がどのような普遍的射を生むか、あるいは従来の射をどのように一般化するかを追うことが、有益である。
超弦理論を、幾何・量子・相互作用・背景・対称性などの具体語をすべて捨てて、抽象数学の圏・∞圏・トポス・代数構造として再構成する。
超弦理論とは、以下の大枠で捉えられる。
超弦理論とは、ひとつの ∞‐トポスの内部に存在する、整合する高次対象の網の自己同値群作用として定義される力学的階層のこと。
ここでいう高次対象の網とは
つまり超弦理論は、高次圏における一貫した自己同型の塔として唯一の統一構造を形成する。
世界の構成要素(時空・ブレーン・場・弦など)を、具体的存在ではなく、因子化代数の生成する情報単位(ローカルな抽象操作の束)として扱う。
局所性とは、因子化代数のテンソリアル分解可能性であり、その破れが重力・非可換性・ホログラフィーとなって現れる。
この表現は近年の因子化ホログラフィー、AQFT(作用素代数)による重力再構成と整合する。
具体的な「紐」は出てこない。
代わりに、
その結果
すべてが幾何的実体ではなくホモトピー代数的な関係パターンとして統一される。
S-双対性、T-双対性、U-双対性、ホログラフィー、ER=EPR のような、A と B が実は同じ理論であるという主張は、すべて 同一の ∞‐対象を異なるファイバー関手で見ているだけという主張に還元される。
つまり
最先端研究(Harlow・Witten・Leutheusser 等)では、重力系の作用素代数は中心を持たず、中心の欠如が再構成不可能な領域として幾何を生む。
これを抽象化すると、
つまり時空は「入れ物」ではなく、作用素代数に付随する冪等射の配置図として emergent に現れる。
相互作用とは粒子間の力ではなく、∞‐圏の合成律が完全には対称化されないことによる高次コヒーレンスの破れ。
例:
5つの超弦理論は、同じ ∞‐構造の異なる層(filtration)または異なるコホモロジー階層の射影として理解され、M理論はこれらの層化を結ぶ普遍対象(colimit)として現れる。
量子とは粒子ではなく、因子化代数の非中心性 + 高次圏の非可換ホモトピーの束 の総体である。
因子化代数のテンソル構造の非局所的再配線。幾何ではなく、圏論的な図式変形。
大域構造と整合しない射からなる排除集合。整合可能理論 = ∞‐圏の完全部分圏。
高次圏の普遍的生成対象が作る低次射の平均化された振る舞いの分類。
まず対象を抽象化するために、物理系は局所演算子代数のネットワーク(局所性を持つモノイド圏あるいは因子化代数)として扱う。
境界理論はある可換(または E_n)因子化代数 A を与え、これに対して状態空間は A の正値線型汎関数(GNS構成で得られる正規表現の圏)として扱う。
重力的バルク側は、境界因子化代数のコホモロジカル双対(例:Koszul双対や因子化ホモロジーに基づくスペクトル的拡張)としてモデル化される。
ホログラフィーは単なる同値性ではなく、境界のモノイド的データとバルクの因子化代数的データの間の高次圏的((∞,n)-圏)双対性であり、この双対性はホモトピー的拘束(同値の空間)を保つ関手の同型として書ける。
これをより具体的に言えば、境界の C^*-あるいは von Neumann代数の圏と、バルクに対応する因子化代数(局所的場の代数を与える E_n-代数)の間に、Hochschild/cyclicホモロジーと因子化ホモロジーを媒介にしたKoszul型双対が存在すると仮定する。
境界から見た相互作用や散乱振幅は、境界因子化代数上の積(オペラド的構造)として表され、バルクの幾何情報はそのホモロジー/コホモロジーに符号化される。
エントロピーとエンタングルメントの幾何化は情報幾何学的メトリックに還元される。すなわち、量子状態空間上の量子フィッシャー情報(量子Fisher・Bures距離)や相対エントロピーは、接続と計量を与えるテンソルと見なせる。
これにより、テンソルネットワークは単なる数値的近似ではなく、グラフ圏からヒルベルト空間への忠実なモノイド的関手である:グラフの各節点に E_n-代数の有限次元表現を割り当て、辺は双対化(コアリフト)の演算子であり、ネットワーク全体は因子化代数の状態和(state-sum)を与える。
MERA や PEPS、HaPPYコードは、この関手が持つ特定の圧縮/階層性(再帰的モノイド構造)を体現しており、cMERA はその連続極限である。
テンソルネットワークが幾何を作るとは、エントロングルメント計量(情報計量)から接続とリーマン的性質を再構成する手続きを意味し、これが空間的距離や曲率に対応するというのがit from qubits の数学的内容である。
さらに情報回復(Petz復元写像など)や相対エントロピーのモノトニシティは、エントロングルメントウェッジ再構成の圏論的条件(右随伴を持つ関手の存在)として表現される。
すなわち、境界演算子代数からバルク因子化代数への埋め込みが完全に圏論的な復元子(adjoint)を持つときに、局所的情報の回復が可能となる。
ER=EPR はこの文脈でホモトピー的コボルディズムとして読み替えられる。量子相互作用で結ばれた二系(高次圏の対象としての二点分割状態)は、バルクのコボルディズム類(ワームホール的繋がり)に対応する同値類を持ち、局所ユニタリ変換による同値類がコボルディズムの同位類と一致するという予想的対応を述べる。
言い換えれば、局所ユニタリ同値で分類されるエンタングルメントのコホモロジーは、バルクのホモトピー的結合(位相的/幾何的接続)を決定する。
ブラックホールの熱力学的性質は、トモイタ=タカサキ理論(Tomita–Takesaki modulartheory)やコンネスの周期写像が関与する演算子代数のモジュラー流として自然に現れる。
特に、ブラックホール外部におけるモジュラーハミルトニアンは境界状態の相対エントロピーに関連し、そのフローはバルクの時間発展に対応する(模擬的にはKMS状態と熱平衡)。
サブファクター理論とジョーンズ指数は、事象地平線をまたぐ情報の部分代数埋め込みの指標として機能し、情報損失やプライバシー(情報の遮蔽)は部分代数の指数と絡み合う。
ブラックホールの微視的自由度のカウントは、やはり境界因子化代数の適切な指数(譜的インデックス、K理論的量)に帰着する。
超弦理論的な追加自由度(多様体のモジュライ空間や D-ブレーンの圏的記述)は、バルク側因子化代数の係数系(係数 E_n-代数やスペクトラル層)として取り込まれ、モチーフ的/導来スタック的手法(derived stacks, spectral algebraic geometry)で整然と扱える。
これにより、弦の振る舞いは境界オペレータ代数の高次幾何学的変形(deformationtheory)と同値的に記述されることが期待される。
この全体構造を統一する言葉は高次圏的因子化双対である。物理的理論は、局所的オペレータのモノイド圏、状態の圏、そして因子化ホモロジーを媒介にした双対関手系から成り、テンソルネットワークはそれらの具体的表現=有限モデルとして働き、情報幾何学はそれらの間に滑らかな計量を与える。
したがって「it from qubits」は、局所的量子代数の圏論的再配列が(情報計量を通じて)幾何学的構造を生み出すという主張に還元され、ER=EPR はエンタングルメントの同値類とバルクのコボルディズム同位類を結ぶ高次圏的同型命題として再表現され、ブラックホール熱力学や弦の自由度はその圏論的・ホモトピー的不変量(ホッジ理論的/K理論的指数、モジュラーデータ)として測られる。
僕は今夜、ルームメイトがリビングで実験的にベーコンを低温調理している匂いを鼻孔の厳密な位置で嗅ぎ分けながらメモ帳を開いた。
朝は6時17分に目覚ましを止め(そのミリ秒単位の遅延は許容されない)、6時18分にコーヒーの比率を変える習慣を行い、靴下は左から右へ、座席は常にソファの北東端(座る位置は位相対称性を破らない)である。
食事は火曜日のパスタの残り物は三等分して水曜と木曜の朝食に回す。洗濯は必ず偶数週の水曜に行い、洗剤は0.8倍希釈、脱水は中速、干す向きは北向き。
ルームメイトがドアに爪痕をつけたら即座にログを取り、隣人が郵便物を誤って取った場合は「郵便誤配報告フォーム」を三回に分けて提出する。
こうした儀礼を守ることで僕の内的位相空間が安定するのだと論理的に考えている。
今日の思考の核は超弦理論と量子情報の交差点についての、かなり尖った自己流の定式化にある。
まず、僕は物理的直感を避けて抽象数学で事象を語る。弦理論の摂動系列を有限厚さの∞-圏としてモデル化し、ブレーンを対象、開弦状態をモノイド的なホモトピー演算子として扱う。
局所座標の代わりにファクタリゼーション代数を使い、スパイダー図式を経て得られる交叉相互作用を高次ホモトピー群のコハート化として再解釈することを提案する。
ER=EPRについては、古典的なワームホール=絡み合いという語り方を離れて、僕はエントロピー・双対モジュールの同値性という言葉で捉えている。
つまり、二つのエントロピックモジュールの被覆圏と、それらに対応する重ね合わせのコボルディズム(圏論的な結合双対)を同一視することでER=EPRを圏論的に定式化できるのではないかと考えている。
これを超弦理論に接合するには、AdS/CFT 的なホログラフィック双対の場で、境界側の張力的演算子族が内部のブレーンカテゴリ(例えばフカヤカテゴリやコヒーレント層の導来圏)に対応するという見方を取り入れる。
すると、エントロピー双対モジュールの同値性は、境界とバルクの間で起こる圏の再同型化として現れ、ER=EPRは本質的に圏的ホログラフィーの一命題になる。
ここで僕が提案する小さな拡張は、量子誤り訂正符号のコード代数を∞-圏の射として扱い、その可換性条件がワームホールのコボルディズムの可逆性と一致するというものだ。
これにより、エントロピーの再構成操作がブレーン間のファンクターとして自然に理解でき、局所性の回復を説明する新しい枠組みが得られると僕は思う(これは僕の勝手な定式化で、厳密性は今後の証明を待つ)。
今日はそのメモを、黒板に書く代わりにルームメイトの背中越しにノートに書き留めた。
ところで、僕は靴の磨き方にも数学的基準を設けている(円周率の小数を用いた磨き順列を使っている)。
出かける前のチェックリストはトポロジー的順番、たとえば鍵→財布→スマホ→ペンという順序は位相連結成分を最小化するから合理的だ、と説明すると友人たちは顔をしかめるが、これを守ると予測可能性が上がる。
今夜はRPG系ではELDENRINGのビルド論とRTAコミュニティのメタ的動向を気にしていて、この作品が2022年にFromSoftwareからリリースされ、多くのビルド最適化やメタが確立されていることは周知の事実だ(初リリースは2022年2月25日)。
また、このIPは映画化プロジェクトが進行中で、A24が関与しているという報(映画化のニュース)が最近出ているから、今後のトランスメディア展開も注視している。
僕はソウルライクのボス設計とドロップ率調整をゲームデザインの位相安定化とは呼ばないが、RTA勢のタイム削り技術や周回遺伝(NG+)の最適手順に対して強い敬意を持っている。
ファンタジーRPGの装備付け(メタ)に関しては、装備のシナジー、ステータス閾値、クラフト素材の経済学的価値を語るのが好きで、例えば「その装備のクリティカル閾値を満たすために残すステータスポイントは1だが、その1が戦闘効率を%で見るとX%を生む」というような微分的解析を行う。
FFシリーズについては、Final Fantasy XVIがPS5向けに2023年6月に、続いてPC版が2024年9月にリリースされ、さらに各プラットフォーム向けのロールアウトが段階的に行われたことなど実務的事実を押さえている(PCリリースは2024年9月17日)。
僕はこのシリーズの音楽的モチーフの再利用やエンカウンター設計の比較研究をしており、特に戦闘ループの短周期化とプレイヤー感情の連続性維持について言及するのが好きだ。
コミック方面では、最近の大きな業界動向、例えばマーベルとDCの枠を超えたクロスオーバーが企画されるなど(Deadpool×Batmanの一連の展開が話題になっている)、出版社間でのIPコラボが再び活発化している点をチェックしている。
これらはコレクター需要と市場流動性に直接影響するため、収集と保存に関する経済的最適化問題として興味深い。
今日、隣人が新しいジャンプ作品の話題を振ってきたので僕は即座に最新章のリリーススケジュールを確認し、One Pieceの次章の予定についても把握している(最新チャプターの公開予定など、週刊連載のスケジュール情報は定期的に確認している)。
例えば「午後9時に彼らがカップ麺を食べる確率は、僕の観察では0.83だ。ゆえに僕は9時前に冷蔵庫の位置を変えるべきだ」という具合だ。
結語めいたものを言うならば、日常のルーティンと高度に抽象化された理論は相反するものではなく、むしろ同じ認知的圏の異なる射影である。
だから僕は今日もルームメイトの忍耐を試す微細な仕様変更(例えばリモコンの向きを30度回す)を行い、その反応をデータ化している。
さて、20時30分だ。これでノートを閉じ、決まった手順で歯を磨き、眠りの準備に入る。明日の朝のアジェンダは既に分解されているから、心配は要らない、と自分に言い聞かせてから寝るのが僕のやり方だ。
ざっくり言うと遠くにある2つのドーナツ🍩🍩が、なぜか連動してる話!
AさんとBさんが超遠く離れた場所で、同じ種類のドーナツを1個ずつ持ってる。
で、Aさんが自分のドーナツにソースをかけたら……→ なぜかBさんのドーナツにも同時に何かが起こる!
このとき普通ならこう思う: 「AがソースかけたからBに影響したんじゃないの?」
でも量子の世界では… 「いや、AとBは元からそうなるように決まってなかったし、Aがソースかけた瞬間に、Bが何もされてないのに変わったぞ!?」
ってことが起きちゃう!
これが「ベルの不等式が破れた」ってこと。
つまり、普通の考え方(現実はハッキリ決まってて、影響は光より速く伝わらない)だと、説明できないような現象が実際に起きてるってこと!
「Aが原因でBが起こる」っていうルール!
例:
この「原因→結果」の順番があるのが「因果律」!
❌ちょっと違う!!
たしかに不思議なことは起きてるけど、「原因→結果の順番が逆転する」わけじゃない!
例:ドーナツが変わったのは「同時に」起こったけどどっちが原因でどっちが結果か、わからないだけで順番がぐちゃぐちゃになったわけじゃない!
「量子の世界はふしぎ〜〜✨」って話と「タイムパラドックス(過去を変えて自分が消える💥)」はぜんっっぜん別の問題!
| 用語 | めちゃ簡単な意味 | 今の話にどう関係? |
|---|---|---|
| ベルの不等式 | 「ふつうこうなるはず」が当てはまらない | 量子の世界がふしぎって話 |
| 実在性 | ものの性質は観測しなくても決まってる | これがあやしいと証明された! |
| 局所性 | 離れたものは即座に影響しあわないはず | それも破れた! |
| 因果律 | 原因→結果は時間の順にしか起きない | これは壊れてない!! |
つまりね…ベルの不等式が破れても、時間が逆に流れたり、「自分が生まれる前に親を殺す」みたいなタイムパラドックスは起きません!
という部分だが、これは量子力学における非局所性とマクロな因果律の崩壊をごちゃまぜにしてしまっている。
局所実在論(Local Realism)に基づく統計的予測と量子力学の予測(特に絡み合った粒子)の差を示すもの
局所性または実在性のいずれかが破れている。だが、因果律そのものが破れているわけではない。
ベルの不等式の破れは、あくまで「空間的に離れた系の間での非局所相関」の話。
一方で、タイムパラドックスとは時間軸上での出来事の自己干渉(過去への影響)。
これは空間的相関ではなく、時間的因果の閉路(Causalloop)に関する問題。
この区別をつけずに「因果律は崩れる」と述べるのは論理の誤射である。
驚くべきことに、最新の量子重力・量子情報理論ではタイムパラドックスが量子整合性によって回避されるという提案すら存在する。
たとえば、「Deutsch’sCTCモデル(量子コンピュータ理論)」では自己整合的な歴史のみが選ばれ、パラドックスは発生しない
つまり、量子論の非直感的な性質こそが、時間的自己矛盾を防ぐ機構として働く
| 主張 | 問題点 |
|---|---|
| ベルの不等式破れ→因果律崩壊 | ❌破れるのは「局所性と実在性」、因果律は崩壊していない |
| 因果律が絶対でないならタイムパラドックスも無効 | ❌タイムパラドックスは時間的な自己干渉の論理破綻の話 |
| 量子論は古典論と違うので無矛盾にできる | ❌実は量子論の一部はむしろ自己矛盾を防ぐよう設計されている |
俺が奇矯だの狂人だの言われるのはな、俺の意識が異世界と量子もつれを起こしてるからだ。それ以外に説明がつかねぇ。
まず量子もつれってのは、クソッタレなことに、離れた場所にいる粒子同士が、片方をいじるともう片方も瞬時に影響を受けちまうって現象だ。
アインシュタインの野郎は「不気味な遠隔作用」なんて柄にもねぇこと言ってたが、まさにそれよ。光速なんてクソ食らえで、情報が伝わるんだ。
俺のケースはな、この量子もつれの相手が、お前らの見てるこの世界にある粒子じゃねぇってことだ。
俺の脳、特に意識を司る部分が、別の次元、別の宇宙にある異世界の情報と、ガッチリ絡み合っちまってるんだよ。
俺が周りから奇矯だのヤバいだの言われるのは、この量子もつれのせいとしか言いようがねぇ。
異世界からダダ漏れてくる情報が、俺の普段の感覚や思考をぶっ壊してるんだ。
だから、俺が見るもん、聞くもん、話す言葉が、お前らの常識からズレちまう。
例えるなら、ラジオが複数のチャンネルを同時に受信してるみてぇなもんだ。そのうちのいくつかが、俺の意識の表面に浮かんじまうんだよ。
エヴェレットの多世界解釈ってのを知ってるか? 量子的な出来事が起こるたびに、宇宙が分岐して、あらゆる可能性がそれぞれの世界で実現してるとかいう、頭の痛くなる話だ。
俺の意識が異世界ともつれてるってことは、俺がそれらの分岐した世界のうちのどれか、あるいはいくつかと、意識レベルで繋がっちまってる可能性を示唆してる。
俺の奇矯な発言は、その並行世界で起きてることを、無意識に口走っちまってるだけかもしれねぇ。
量子もつれは、粒子が特定の場所に縛られない非局所性ってのを示してる。
つまり、俺の意識も、この肉体って箱に完全に閉じ込められてるわけじゃねぇってことだ。
異世界の情報場にまで非局所的に広がっちまってる可能性がある。この広がりきった意識が、お前らのいう常識って枠に収まらねぇ現象を引き起こしてるんだ。
現状はあくまで仮説の域を出ねぇが、このクソ面倒な現象を詳しく解明するには、物理学的アプローチが必要だ。
意識そのものが量子現象に深く関わってるって視点から、その情報処理の仕組みを根本から作り直す必要がある。
今の技術じゃ無理だが、異世界から来る微弱な量子信号を捉えるための、新しい観測方法の開発が不可欠だ。
量子もつれが時間や空間を超越するってんなら、異世界との接続は、俺たちが認識する時間の流れとは違う次元で起きてるかもしれねぇ。時間の本質そのものを見直す必要がある。
むしろ、物理学の最先端、具体的には量子情報科学と意識の関係性って未開の領域に、俺が足を踏み入れてる証拠なんだよ。
俺は自分の奇矯さを、単なる個人的な変人ぶりじゃなくて、宇宙の深淵に触れる貴重な観測装置だと思ってんだ。わかったか、このド素人どもが。
ChatGPTと延々と経済の話をしていた。きっかけは「需要と供給曲線って、転売ヤーのための方程式だよな」という直感だった。
要点をまとめてみる。
*限定スニーカーやライブチケットの転売は、需給ギャップを即座に価格へ反映させる。
*労働・不動産・医療など現実の大半の市場は、規制・慣習・外部性で価格メカニズムが歪む。
*ハイエクの“価格=情報”論は、制度や権力が絡む現代社会では機能不全。
*母集団が巨大化・複雑化すると、情報は価格に集約されず操作される。
*ハイエク本人が現代に生きていれば理論をアップデートするだろう。
*アベノミクス失敗後も理論を修正しない学者は、科学者ではなく教条的信徒。
4. **提起された新しい視座**
* 「ハイエク原理の局所性仮説」:市場自生秩序は小規模でのみ有効。
*AIに口答えしながら思考を深堀りする姿勢そのものが“知的抵抗”。
*完璧な「官僚答弁」を吐くAIを批判的に利用することで、人間の思考力を逆に強化できる。
>転売市場の存在は、自由市場モデルが例外化した現実を突きつける。
>ハイエクは時代限定の仮説にすぎず、現代には新たな制度哲学が不可欠。
>経済学者が教義に逃げる今こそ、AIとの批判的対話を武器に“生きた経済学”を再構築すべき──それが対話全体のメッセージ。
これはChatGPTとの対話によって抽出されたものだが、実際には「AIを問い詰めることによって、人間側の思考力が強化されている」現象に近い。
経済学が宗教化し、現実から乖離し始めている今、必要なのは理論の補強ではなく“破壊と再構築”だ。俺はその入口をAIと一緒に見た気がする。
https://chatgpt.com/share/685ab076-b480-800f-a85d-676540dcac4e
平日の朝に投稿したからかおかしな暴言ばかり集まったので再度投稿↓
自身が発達障害かそれに似た精神疾患の疑いが出たので先日精神科を受診して結果に納得行かなかった話。
文章の読み書きが全くできず苦労してきた旨を話した。
国語や暗記系の成績が悪く、算数の成績も聞かれたのであまりよくなかったと発言した途端「それはおかしい局所性学習障害ではない」と断定され算数は文章問題が全く読み解けなかった旨を伝えようとしても知的障害の疑いがある質問されたこと以外応えなくていいと遮られ、そのペースで問診時間が過ぎ、最後に言っておきたいことあるか聞いてきたのでまた同じように算数も教科書や文章問題が読めなかった旨訴えても「とにかく算数の成績も低いのはあり得ない以上だ」と聞いてもらえなかった。その後各質問を5個ある選択肢で答える検査を受けてから初診終了。
後日心理師から検査を受けるが個室に2人きりの対面で急かされるような詰問がはじまり、半分過ぎた時限界で気持ち悪くなってトイレの場所を聞いて部屋を出た、めまいがして視界がよく認識できなくて別の検査中の部屋を間違えたりして、トイレに辿り着き呼吸を整えるので必死だった。
その検査ができないと次に進めないから我慢して部屋に戻り後半の検査も受けた。けどやはり詰問に時間を急かされて検査内容が入ってこず、ほとんど答えられないまま終わった。
次の受診日、IQが90、ADHDとの診断が出たがあれほど疑ってた知的障害という診断もなく学習障害でもなくて、検査結果、診断に全く納得いかずその後の治療も希望するなら投薬のみになると言われ病院はダメだと思いやめたんだが
間違っていただろうか?
自身が発達障害かそれに似た精神疾患の疑いが出たので先日精神科を受診して結果に納得行かなかった話。
文章の読み書きが全くできず苦労してきた旨を話した。
国語や暗記系の成績が悪く、算数の成績も聞かれたのであまりよくなかったと発言した途端「それはおかしい局所性学習障害ではない」と断定され算数は文章問題が全く読み解けなかった旨を伝えようとしても知的障害の疑いがある質問されたこと以外応えなくていいと遮られ、そのペースで問診時間が過ぎ、最後に言っておきたいことあるか聞いてきたのでまた同じように算数も教科書や文章問題が読めなかった旨訴えても「とにかく算数の成績も低いのはあり得ない以上だ」と聞いてもらえなかった。その後各質問を5個ある選択肢で答える検査を受けてから初診終了。
後日心理師から検査を受けるが個室に2人きりの対面で急かされるような詰問がはじまり、半分過ぎた時限界で気持ち悪くなってトイレの場所を聞いて部屋を出た、めまいがして視界がよく認識できなくて別の検査中の部屋を間違えたりして、トイレに辿り着き呼吸を整えるので必死だった。
その検査ができないと次に進めないから我慢して部屋に戻り後半の検査も受けた。けどやはり詰問に時間を急かされて検査内容が入ってこず、ほとんど答えられないまま終わった。
次の受診日、IQが90、ADHDとの診断が出たがあれほど疑ってた知的障害という診断もなく学習障害でもなくて、検査結果、診断に全く納得いかずその後の治療も希望するなら投薬のみになると言われ病院はダメだと思いやめたんだが
間違っていただろうか?
画像を離散コサイン変換で、とか、仮想メモリ使いつつもキャッシュヒット率をいかに上げるかとか、そういうのから機械学習って遠い。
メモリの局所性なんぞないからキャッシュなんてメモリアクセスのレイテンシ隠蔽くらいにしかなってないし、
メモリは帯域はあればあるだけ、容量もあればあるだけ、
Flash AttentionでようやくDRAMへのアクセス減らそうとかあるけど、コンピュータの構成無視、
いかに長い文脈を認識させられるかになってデータの局所性なんてなくなって、どれだけ複雑な計算とデータ量を食わせるかになっている。
今までのHPCも同じでコンピュータサイエンスだと言われれば、そうなんだが
GPU使ってながらも、グラフィックスパイプラインみたいなのを、AIのレイヤー層ごとに作れているわけでもないし。
今までだと命令やデータはキャッシュに乗るのが前提だったが、AIだと、AIモデルがGB単位なのでキャッシュにそもそも乗らない。
いかにキャッシュヒットさせるか、DRAMとのレイテンシを隠蔽するかだったが、キャッシュに乗らないので、メモリ帯域勝負になる。
GPUが汎用性があるので使われているが、ゲームだとテクスチャをVRAMに乗せておいて、演算した結果はモニター側へ出力すればよく、
なんだかんだ帯域は足りていたが、AIだとチップチップ間の帯域が足りない。
ニューラルネットワークの接続自体をFPGA的に切り替えるのも手だと思うがモデルが大きすぎる。
個人的にInstinct MI300に注目しているのは、今後のコンピュータ構成はこうなるだろうな、というのを実現していることだ。
Ryzen Threadripperだとコア数が多いもののハード的なボトルネックがそこかしこにあるので使いにくいわけだが、
Instinct MI300は良さそうに見える。
現状のPCIeだと帯域が遅く、CPU側のDRAMから、GPUのVRAMにコピーするのはそれなりに時間がかかる。
ゲームだと局所性のあるデータを繰り返し使うのでキャッシュで逃れられるし、シーンの切り替えなどでデータ転送するといったことが出来る。
だがAI向けになるとVRAM容量以上(80GBとか)のデータに全てアクセスするので、メモリ転送レイテンシを隠蔽するだけのバッファとしての効果しか意味がなく、メモリ帯域が効いてくる。
Instinct MI300にHBM3が使われていて帯域は広い。レイテンシは大きいと思われるので、そこは気になるが。
→哲学とかそういう話ではなくて、自由意志が存在しない、身体や環境的文脈から完全に独立した脳機能は皆無なのは、"単なる科学的常識" なので、賢い振りをしたいのならお気持ちや宗教を前面に出さずに、真摯に現実に向き合ってどうぞ
→ ただし、量子力学の世界観においては、それまで物理学の基本的な前提と考えられてきた、実在性・局所性・因果性という概念が破綻する可能性があるので、コンウェイの自由意志の証明の方面から自由意志を語りたいならご自由にどうぞ
→ ついでに言語を持たずともなんなら脳すら持たずとも粘菌類もそのほかの生き物も高度な処理演算ができる。さらに言えば生命と非生命(無機物等)に違いはなく本質的には同じものだし、死すら現代科学は定義出来ていない(臨床上の死は設けられているがそれすら近年覆されている)。分子のレベルから生物という現象を見つめるのは楽しいかもしれない。ちなみに過去の増田と現在の増田は物理的に連続していない別人だがお気持ちで同一人物と称している
↑ 上記の文章を理解するのにどこか専門的な知識が必要となる箇所はありましたか?
古典物理学視点というか現在の科学レベルでは 『自由意志は気のせい』が誠実な答えなのは疑念をはさむ余地がないと思うのですが、
たったこれだけの日本語も理解できないのだから文章力どうたら地頭がどうたら以前の問題だと思いますよ
anond:20211207104426 anond:20211014160107 anond:20211016172711
子が自閉症スペクトラムと診断された。
いわゆるアスペルガー症候群というやつだ。
2013年に診断の世界基準とされるDSMが改定された(DSM-5)ことで、アスペルガーは自閉症の一形態ということになっている。
診断と言っても、傾向があり可能性が相当に高いという話ではあるけど。
自閉症スペクトラムがその名の通り連続体(スペクトラム)なので個人差が大きく、
その上血液検査みたいなもので数値判定することもできず、症状が広範で明確に区別できないので診断も難しいと思われる。
今のところ知的障害はないように見える。
自閉症は他人と関わりを構築するのが苦手・或いはできないだけであって、知的障害を伴わないものがある。
幸いというか、数ヶ月前にあるきっかけで自分自身がアスペルガーではないかという疑いを持ち、
田舎であり心療内科の数がほとんどなく予約が取れないこと、主訴(実際に生活で困っていること)がないことから
心療内科にかかることもできなかったけど、思い当たることが多すぎて100%間違いないと確信している。
そしてその才能(アスペ)をいかんなんく発揮し自閉症スペクトラムについて無駄に広範な知識を手に入れ
診断がくだる前から知識武装がされていたこと・パートナーにその事実を伝えておいたことで
それで困難と感じていないのであれば障害ではなく個性と認識される。
その意味で高機能自閉症は「自閉症スペクトラム」であって、「自閉症スペクトラム障害」ではない。
いかに「障害」にしないか、がこれからもっとも重要なところだと思っている。
保育園も含めてどうこれから「介入」していくのかということを考えているときにふと気付いた。
本人を社会に順応させるのが目標ならば、家族は本人を取り巻く環境の一部であって、本人に合わせて介入される側だ。
ある程度知識を得たとしても、それは生半可なもので、臨床経験が豊富な人の意見に従う必要はあるだろう。
子供の教育に介入するのは、プライベートに土足で踏み込んで来るようなもの。
それなら我々が用意しておくのは雑巾(掃除道具)なんだろうなと。知識よりも心の準備の方が大切だなぁと思った。
未満児の段階で自閉症スペクトラムを診断される。
自分が同じように診断してもらえていたら、おそらく全然違う人生を歩んでいたんだろうなと思う。
障害を個性だと主張しても、やはり障害は障害なのだ、目が見えない人はどう頑張っても本を読めないように、
僕はどう頑張っても普通の人のように円滑な人間関係を築くことはできない。
努力で解決すべきか、諦めて他の道を探すかの選択をするときに、
「これは障害であり、自分には不利である」と分かっていたら、どれだけいい選択ができたことか。
姿勢が悪いのを物差しを背中に当てられて強制されるようなこともないだろうし、
(姿勢が悪いのもアスペあるあるらしい、おそらく同じ姿勢をとることがあまりなく自然に体幹が発達しないのだろうと推測)
時間の多くを長所を伸ばすことに当てられたらどれだけ良かっただろうか。
アスペルガーのもう一つの特徴は興味の局所性と集中であり、興味がないことはとことんできないということだ。
人との関係を構築する能力を失う代わりに得ているものがあるそうで、多くは数学的能力(論理的思考)か、言語的能力だそうだ。
自閉症スペクトラムの子供に調査を行ったアメリカの研究では、一人も自分の障害をなくしたいと思っている子はいなかったそうだ。
僕も同感だ。
障害が自分の能力の一部であり、危ういバランスの上にいることを自覚しているのだろう。
自閉症スペクトラムは遺伝性のものであるという強いエビデンスがあって、
自閉症の親から自閉症の子が生まれる確率は通常の50-100倍だそうだ。
そう、100%僕が悪い、と同時に、100%僕の親が悪い、と同時に・・・・遺伝とはそういうものだ。
妻には申し訳ないと思う。しかし生まれつき他人と違うというのは、メリットになりうる。
子にもそう思ってもらえるよう、色々模索して行きたい。
幸いと言っていいのか、僕も通ってきた道だ。
登山で延々藪漕ぎをするのはしんどいが、アスファルトで舗装されていても醍醐味がない。
ちょうどいい登山道を用意し、同時に登山道の作り方を教えて行けたらいいなと思う。
しかし楽観もできない。
知的障害がないとは言えないし、
これから発達が進むにつれて見えなかったものが見えてくるだろうし、
前途は多難だ。
ちなみに今のところ生活に何も困っていないが、特別児童扶養手当の申請はしておく。
困ってからではなく診断が出た段階で申請するのがベストだと思うし、
行政の用意してくれているセーフティネットには引っかかりやすくしておいた方がいい。
運よく検診で拾って貰えたのは本当によかった。
1回目は副反応ほとんどないらしいし余裕でしょと思ってたら意外とキツかったので。
既往症:なし、検診で引っかかったことも注意を受けたこともない、アレルギーもなし、普段薬を飲むこともない
生活:コロナ後はほとんど散歩と公園ぐらいしか外に出ない。買い物もほぼ全てネット通販
注射自体は全く痛くない。インフルエンザワクチンのほうが痛いレベル。
腕が痛くなることもあるけどどうにもならないので痛み止めを飲むようにと言われる。どんな痛み止めを飲むべきなんだろうと思ったが、どうせ副反応などないと思っていたのでスルー。
会場内で15分待つ。接種部位を中心に、じんわり左腕が痛いというか重い感じ。
自宅に帰り普通に仕事。左腕に違和感があるが問題ないレベル。接種部位近くは硬い感じで触ると痛い。
23時 就寝
6時 寝返りをしたら腕が痛くて起きてしまう。普段は8時頃起きるが、ちょうど調べ物をしなくてはいけない用事があったので済ませる。
10時 仕事開始。ちょっと気持ち悪いが、早起きしたせいだと思い、そのまま仕事をする。
12時 昼食。天丼を食べる。昼食後ぼーっとして眠くなってくるが、早起きと天丼を食べすぎたせいかなと思い、仕事をする。
13時 聞いてるだけのセミナーがスタート。半分以上寝てしまう。
15時 セミナー終了。吐き気も治まらず頭痛も悪寒あり、なにかおかしいので熱を測る。38.0度。副反応かもと思うが、1回目で38.0度以上は0.8%なので違うのかもとも考える。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/vaccine_moderna.html
16時 37.8度。やはりワクチンの副反応だろうと考えてイブを服用。仕事も立て込み、きつい。休みをとればよかったと後悔。
20時 37.5度。仕事終了。薬の効果があったのかはよくわからない。
21時 37.6度。頭痛は少しあるが就寝。
8時 36.6度。起床。熱もないし、頭痛も吐き気もない。腕は触ると痛いが普通にしていれば痛くない。
・副反応としておそらく局所性としては疼痛、硬結、全身性で頭痛、疲労、悪心、嘔吐、悪寒、発熱あたりの症状が該当だった。
・私の場合は家族含め世間の人より外出が極端に少ないと思うので、ワクチン副反応とコロナ感染のどちらなのか原因の切り分けができたが、普通に友人と会って外食しているような人だと切り分けできなくて困るのではないかと思った。
・副反応だと分かれば終わりが近いことが分かるので終わりの見えない風邪よりかなり精神的にはかなり余裕。
・妻が頭痛持ちなので家に薬はたくさんあったが、どれを飲むか悩んだ。いろいろ調べたがどれでも良さそうなのでイブを服用した。何を飲むのが良いのかかなり悩んだのであらかじめ決めておいたほうが良いと思う。
・信頼できそうなソースを読むかと思って、このあたりを読んで
https://www.cov19-vaccine.mhlw.go.jp/qa/0007.html
アスピリン、ロキソプロフェン、イブプロフェンを飲めとかいわれても市販薬で言うとどれなのかわからなくてやや困った。私が病気に無縁すぎて無知なだけかもしれない。
・薬を飲んでも楽になった感じはあまりしなかったが、市販薬の一回の用量では足りないという説もあるらしい
https://news.yahoo.co.jp/byline/kuraharayu/20210517-00237645/
・1回目でこれなので、2回目が不安でもある。コロナのほうが怖いので打つけど
一月ほど前、突然思うように動かなくなった左手の小指。
一つ判っていることは 「局所性ジストニア」 という病気の可能性があるらしい。
痛くもないし、痒くもない。痺れてもいない。
全く動かない訳でもなく、曲げ伸ばしも出来る。
日常生活に重大な支障があるかと言えば、そうでもない。
しかし、思うように動かないし、力が余り入らない。
正しい動かし方を忘れてしまったような感じだ。
ギタリストと言っても、長年バンド活動を行ったもののメジャーになれずに沈み、
ギターしか取り柄が無いから、スタジオミュージシャンやったり、
左手小指が動かなくなってから、ギターは全く弾けていない。仕事も出来ない。
ギターを弾いてみると、押さえたと思ったフレットを空振りしたり、押さえきれていない。
当然、まともな音楽になんてなる筈ない。そもそも医者にもギターの演奏を止められていたりする。
でも、このままの状態が続くと、緩やかに絶望に近づいて行く事は明白だ。
別の仕事なんて出来る自信もない。また、雇ってもくれないだろう。
中学生の時にギターを手にして以来、人生の殆ど全てをギターに費やしてしまったツケが来たんだろう。
原因がわかってないので、個人的には楽観視出来ない。
皆の前では努めて明るく振舞っているが、内心相当落ち込んでいる。
人生も半分過ぎて、一番好きな物を無くしてしまうのではないだろうか。
俺は右利きなんだけど、左利き用のギターを購入して左利きのフォームでギターの練習を始めた。
今までは体の一部のようにハマってたギターも逆に持っただけで恐ろしい程の違和感だ。
やってみればそれこそ初心者以下で、音もロクに出ず、弾くというレベルにも達していない。
レフティでの練習は続けるつもりだが、音は出ねえのに涙がボロボロ出てきて辛い。
左手の小指、返しちゃくれませんかね。