Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


はてラボはてな匿名ダイアリー
ようこそ ゲスト さんログインユーザー登録

「就職活動」を含む日記RSS

はてなキーワード:就職活動とは

次の25件>

2025-10-26

10代と20代無駄にしてしまった

私は中学卒業して陸自の生徒となり、防衛大学校航空自衛隊幹部候補生学校を経て航空自衛官となりました。

長年憧れていた職に就くため、任官後もほぼ全ての期間を教育に費やしましたが、希望職種に就くことはかないませんでした。

一度は辞めることを考えていましたが、周りの人から叱咤激励を受けて別の職種に進みました。

しかし、結局退職することとなりました。

教育ばかりで実務経験がなかったため、勤務と並行しながら教育を受けていましたがあまり過酷でした。

また、直属の部下でありながら自衛官としては大先輩である曹長と気が合わず教育を受けるために勤務に穴ができることも多くその度に嫌味を言われながら過ごしてきました。

曹長は物凄く仕事のできる方であったため、実際には私の能力問題があったのでしょうが

退職後、就職活動をし、娑婆での生活必要運転免許を取得し、来年4月の勤務開始まで人生の休息期間に入っています

辞めた手前、心配してくれたり連絡をくれるかつての仲間には会いづらく、かと言って他のコミュニティに知り合いや友人はいないため、毎日YouTubeを見たり、惰眠を貪ったり、スーパー銭湯に行ったり、1人でジムに通うなどして過ごしています

そうしていると「自分10代と20代をドブに捨ててしまったのでは」と思ってしまうのです。

まるで、10代で重大犯罪を犯して10年間刑に服して来たような気分になります

Permalink |記事への反応(26) | 19:38

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-22

anond:20251020110428

その経験、本当にお疲れ様でした。

状況が目に浮かぶようで、思わず吹き出しそうになりましたが、それと同時にあなたの戸惑いや、怒りにも似た感情も痛いほど伝わってきました。

「お気軽に普段着で」という言葉文字通り受け止めたあなたは、まったく悪くありません。むしろ、誠実に案内の意図を汲み取ろうとした結果です。

しかし、残念ながら、就職活動における「普段着」や「服装自由」といった言葉には、多くの企業就活生の間で暗黙の了解存在しているのが現状です。

企業説明会における「普段着」「私服」の暗黙の了解

多くのケースで「完全なオフモード私服デニムTシャツパーカーなど)」ではなく、「ビジネスカジュアル」を指します。

ビジネスカジュアルとは、仕事の場にふさわしい、スーツよりも少し崩した服装(例:ジャケット+襟付きシャツチノパンなど)のことです。

服装自由」でも、周囲の約7〜9割がスーツで来ることは珍しくありません。特に日本就活では「迷ったらスーツ」という意識が根強いです。

結果として、あなたがおっしゃるように「全員スーツ」の光景は、「彼らの普段着スーツなのか!?」と皮肉を言いたくなるほど、一般的就活現場ではよくある「あるある」であり、もはや罠と言っても過言ではありません。

この世の中に普段着なんて存在しない。

この悟りは、就活という特殊世界においては、ある意味で真理かもしれません。

その場に居合わせときの「世界が静止した」感覚、そしてトイレで鏡を見て思わず笑ってしまったという話は、きっといつか笑える武勇伝になります

今回の経験で、あなたは「社会の建前」と「言葉の裏側」を知るという、非常に大きな学びを得ました。これは、これから社会生活で必ず役に立つ教訓です。

「もう二度と信じない」という気持ちは痛いほど分かりますが、どうかその純粋さと誠実さは失わないでください。そして、「お気軽に」「普段着」という言葉を見るたびに、今回は「あの時はやられたな」と笑って流せる日が来ることを願っています

本当に、今回の企業説明会、本当にお疲れ様でした!

Permalink |記事への反応(0) | 16:43

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20251022112115

まず会社上長に話して、その会社をすぐにでもやめたいわけじゃなければ1週間〜1ヶ月くらいの休みをとってもいいんじゃないかな。

経験半年ほどの高負荷の状態は1ヶ月何もしない休みである程度回復できた。

休むことで以前の自分を取り戻せると思うので、限界になる前にまず休めるよう動いてください。

私はここ2年で回復しないまま転職したこと短期離職を繰り返すことになり、就職活動がかなり難航したのでまず休みをとって自身が正常になってから今後を考えてみてください。

Permalink |記事への反応(0) | 13:38

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-21

anond:20251020221809

ういびいむしている暇があったら就職活動しなさい

Permalink |記事への反応(1) | 15:45

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-06

テレビ局で働いていた頃の思い出


一度、ここで書いてみたいと思ってた。初老が近いおじさんである

会社勤めとしてのディレクター業について執筆したい。辞めてから時間が経つけど、たまにあの頃の夢を見るのだ。

最近の夢だと……バラエティ番組の収録の時だった。当時は新入社員に毛が生えたくらいの若造の頃。

ナインティナインの2人がネタ合わせしてる横で、ADである自分が怒鳴られてる夢である。夢じゃなくて、本当にあったことなんだが。いい夢を見ることもあるけど数は少ない。

今はフリーランス映像ディレクターをやってる。仕事は順調……とは言い難い。仕事が少ない年もある。

でも、食いっぱぐれる心配はない。一応そういう実力がある。お金がなさ過ぎて餓死なんてことはない笑

から、もう時効かなと思って、昔の話を書こうと思った。大手テレビ局にいた頃の話だ。

え、なに。守秘義務エンタメ業界にそんなものはない。特定個人企業名前を出さない限りは、お見逃しの世界である。ええい、ままよ。ぶっちゃけてやろう。



1.テレビ局奴隷だった頃

小さい頃からテレビっ子だった。特にバラエティが好きで、将来は絶対あい面白系の仕事がしたいと思ってた。小学生中学生の頃は、お笑い芸人になりたかった。人をニコニコさせるのが好きで。ただまあ、才能がないのって、子どもながらに露骨にわかるんだよな。

勉強ができたか?と言われると、割とできる方だった。要領がいいというよりは、突き詰めて普通の人よりも勉強して高得点をとる感じだった。大学早稲田に進学した。今は亡き(?)社会科学部である( ;∀;)

就職活動の結果、テレビ局内定をもらえた時は本当に嬉しかった。人生ピークだったかもしれない。

入ってみたら想像とは違った。

配属されたのは、生ける伝説みたいなバラエティ番組制作部署だった。ここまではいい。配属希望は通ったのだから

自分ADとして入った。一般的ルートである。珍しい新卒だと、最初カメラマン大道具という珍しいパターンもあるにはある。

仕事だけど、最初は正直何やってるのかわからなかった。とにかく怒鳴られる。プロデューサーから、先輩ディレクターから出演者から下請け制作会社の人から、とにかく罵倒の嵐だった。なんというか、現場での動き方がわからなかった。学生時代イベント運営仕事をしておけばよかった。

正式じゃない企画会議デスク周りや喫煙所でやるような……)に呼ばれることがあっても、「面白くない」「もっと笑い取れるの考えろ」って言われ続ける。それこそ誰からも。

ある時は、夜中の3時まで明日の収録の準備で残っていた。実際、自分仕事はほぼなかった。担当ディレクターが帰れないだけであり、自分やほかのスタッフはそれに引きずられる格好だった。

それでも、「さあ帰ろうか」という雰囲気になったところで……

明日までにあれ用の新しい企画を出してこい。運がよかったら使ってやる」

とか普通に言われる。徹夜もある。週に2,3回、家に帰れたらラッキーだった。あの頃は若かったので、ああいう夜型の生活ができた。今は無理だ。眠気に勝てない。

職場の奥には簡易ベッドがあって、そこで寝るんだけど、寝てる間に先輩に……「寝てんじゃねえよ!」って蹴られることがあった。完全に嫌がらせ憂さ晴らしだった。人間、疲れるとこうなってしまう。

仕事ができる人でもそうだった。

疲労が極限に達すると、おそろしいくら残酷になる。ある時、先輩ディレクター女性AD現場の配置関係口喧嘩になっていた。今思えば、考えられないほど下らない理由だった。

その争いの現場はちょうど、小道具が置いてある狭い狭い空間だった。そこでひたすらに道具を指さしながら、喧嘩をしている。

その女性があまり文句を言ってるので、その先輩ディレクターは、何か重たい小道具ごみ箱みたいな?)を持ち上げると、彼女が出られないような位置にドカン!と置いたのだ。

「おい、さーや。おい、デブ自分でどけてみろ!!」

と、その男ディレクターは言った。

自分はただ、出入口のドアからそれを見て「かわいそうに」と思っていた。思うだけで、助けようという気力は湧かなかった。大学生の頃だったら、助け舟を出したに違いない。

案の定かわいそうに、円柱状の小道具が重過ぎて持ち上げられない女性ADのさーやちゃんは、そこらへんの絨毯みたいになってる小道具に突っ伏すと、わんわん泣きだした。

男性ディレクターは、そんな様子をさらからかっていた。これが、疲労人間の態度に及ぼす影響である。今でも気を付けるようにしてる。

あとは、ある料理番組の野外ロケだった。イケメンを多く輩出する芸能事務所の若手タレントがキャンプ場で料理に取り組んでいた。

皿洗いの最中に、先輩からこんな指導を受けたことがある。

バカ。使った皿は洗う必要ない。ズボンで拭いとけ!男やから、どうにかなるわ。イケメンなんやし。いいか増田。ばい菌だって、巡り巡ってまた口に入るんやから。それが世の中ってもんだよ」

何を言ってるか意味不明だった。先輩の人格が壊れていた可能性がある。

この撮影現場というのは、野外キャンプでの調理だった。イケメンタレントさんが食べた後の皿を……ちょうど水場がなかったので、そこらへんにあったエプロンでササっと拭いて、別のタレント用に再利用した場面である。実際、これくらいのことは日常茶飯事だった。

そのタレントさんは若かったけど、多才な挑戦で知られる人だった。普段は二人組で、もっと若かった時に、女の服を来てピンクレディー楽曲テレビ披露していた。

被害……いや、このあたりのことはさすがに書けないし、「書いていいよ♪」と言われても書かない。こればかりは矜持であるアナウンサーから照明、カメラマン、道具係、ADに至るまで、一応は元仲間である。そこまでするつもりはない。



2.新しい道に目覚めたキッカケ

30代になっても体調は悪かった。ご飯はいつもコンビニ弁当だ。風呂にも何日も入れないから、体から変な匂いがする。誰かに指摘されたら「焼肉を食べたんだ」ってごまかした。口内炎は治らないし、胃はずっとキリキリしてる。

身も心もボロボロだった。一応は、大卒総合職のはずだった。オフィスで働く人のはずだった。想像していたホワイトカラーとは違っていた。

さて。この頃の俺は、ディレクターになる年齢が近づいていた。正直いうと、実質的ディレクターだった。上の人がサボりがちであり、自分の方にディレクターが行うはずの仕事を振っていた。

この時代視聴率がすべて。それがルールだった。

から企画会議では、芸能人のどうでもいいスキャンダルをいじったり、誰かを笑いものにする企画が出てくる。芸人同士の暴力は基本であり、人権感覚など持ち合わせてなかった。あの頃の局全体は、マジでアホだったと思う。

なんで、あん会社で働いてたんだろう……と言うと、理由ひとつだ。「番組を作りたいから」である。ほんのちょっとでも自分の爪痕を世の中に残せたら、それはなんて素晴らしいことだろうと感じていた。

ただ、テレビを見る人の「ペルソナ」って……当時のテレビ業界人の認識においても、「低俗な内容が好きな人」だった。今だからぶっちゃけしまおう。皆そういう認識だった。

今でも同じだと思う。インターネットだと、「やらおん!」「はちな起稿」とか、youtubeだと「アシタノワダイ」「フェルミ漫画大学」とか、あとは暴露系が人気を博している。Xの低俗さはもはや基本。あれが人間本質の一部である

人の心を動かす作品を作りたかった。実録ドキュメンタリーとか、社会矛盾を突くようなドラマとか。そういうのが好きだった。特定作品だと、水上勉の『雁の寺』『海の牙』『火の笛』『土を喰う日々』が好きである

一度だけ、飲み会の場でそういう発言したことがある。「社会派作りたいな~」って。でも、そんなこと言おうもんなら、「何言ってんの?」「誰が見るんや!!」「うちでは作れない」って一蹴される。

自分らはテレビ局奴隷だった。視聴率という数字に魂を売った奴隷である視聴率のためなら、人権侵害も上等の集団。上の人達も同様。

そんな日々の中で、心を救ってくれた作品があった。

地獄のような日々が続いていた30代後半のある夜、たまたまテレビをつけた。とりあえず、家に帰ったらテレビを見る。同業他社作品を観て勉強するのだ。その時も軽い気持ちだった。

その作品は、テレビ東京でやってた『ハイパーハードボイルドグルメリポート』だった。

たことある人がいるかもしれないが、世界ヤバい地域に行って、マフィアとかギャングとか戦争難民とか、そういう人たちが何食べてるのかを映すドキュメンタリーだ。書籍作品で言うと『もの食う人びと』に近いものがある。

最初は「なんか変な番組やってるな」くらいに思ってた。でも、見始めたら目が離せなくなった。

あの時、画面に映ってたのは、コロンビアの元麻薬密売人だった。彼は仲間と、貧しい家で豆を煮て食べていた。その顔には、絶望疲労と、それでも生きようとする強い意志が混じり合ってた。

「これだ!」と思うと涙が止まらなかった。

俺が作りたかったのは、こういう作品だった。くだらない笑いじゃなくて、人間本質に迫るような、生々しくて、でも美しいもの

画面の彼は「食べることは生きることだ」って言ってた。当たり前の言葉だけど、すごく重く響いた。

自分達が毎日作ってる番組は、誰かを笑わせることはできても、誰かの魂を救うことはできない。誰かの心に深く残ることはできない。精神性がないバラエティ番組を作っている。

上っ面ばかりの、人間の心の表層を撫でるだけの、そういうコンテンツ自分が作りたかったのは、人間の心の底流(アンダーカレント)を刺激する番組だった。

テレビ局を辞めることを決意した。独り立ちの準備を重ねたうえ、約二年後に退職願を提出した。



3.貧乏になったのと未来

退職届を出した時のことを覚えてる。人事部長が「もったいない」と言ってた。俺の同期にも辞めた人が何人もいて、知る限りでは、みんな同じことを言われてた。

でも、いいやって思えた。命まで取られるわけじゃない。自分自身の命さえあれば、人の魂を救える作品づくりができるはずだ。

そんなこんなで、業界の伝手を辿って念願の独り立ちを果たした。いわゆるフリーランスである。ほかの会社に勤めるという選択肢はなかった。テレビ東京に不採用になったのもあるけど笑

最初は大変だった。フリーランスになったもの仕事は少ない。貯金は減っていく。実家からは「ちゃん仕事してるの?」って里帰りの度に聞かれた。昔の同僚からは、飲み会の時に「今何してんの?」と聞かれるけど、何とも答えにくかった。それでも答えたが。

初年度の年収は、フジテレビにいた頃の4分の1くらい。段々と家賃も払えなくなって、ボロのアパート引っ越した。都心に出るまでに電車で何十分もかかるような。

後悔はなかった。テレビ局に居た頃は毎日が「作らされてる」感覚だった。誰かの指示で、誰かの期待に応えるために、自分の心が望まないものを作り続けてた。

今は違う。自分が作りたいものを、自分の手で作ってる。CM企画仕事でも、ドキュメンタリー編集でも、放送作家に近い仕事でも、全部自分がやりたいことだ。

特に大きかったのは、サブスク動画配信サービスでの番組制作仕事だ。2025現在アマプラなどでは自社がお金を出してプロに作らせるのが一般的だが、当時は盛んではなかった。

ある時だった。飲み屋で知り合ったのがきっかけで、自分企画書を見てくれたプロデューサーが「面白い」と言ってくれた。それは、テレビ局では「視聴率が取れないから無理」と言われるような、いわゆる追放ものストーリーである社会の片隅に追いやられた人が底辺で足掻くお話だった。『モンテ・クリスト伯』みたいな。

その動画配信サービスプロデューサーは「視聴率はそこまで関係ない。ある種のペルソナ、ある種の人達にどれだけ深く届くかが大事」と言ってくれた。そういうわけで、自分が作りたいものを思う存分作ってやった。



4.人の幸せってこういうこと?

一週間のうち、最低でも数日は充実している。あの頃とは比べ物にならないほどの多幸感である

朝起きて会社に行くわけじゃない。スタジオに行くことは月に何度もあるけど。基本は自分の家で、自分のペースで仕事をする。疲れたら好きなだけ休める。

テレビ局にいた頃は、自分が何のために働いてるのか分からなかった。魂をすり減らしてる感覚だった。

今は違う。自分が作ったドラマを見て「感動した」とか「考えさせられた」とか「面白かった」とか、そういう感想をもらえるとマジで嬉しい。作品が誰かの心に届いてる。そう思うと、もっと頑張ろうって思える。

年収はまだ低い。テレビ局時代の約半分である結婚はできないかもしれない。

でも、幸せだ。あの頃の俺はイライラしてた。自分の好きなものを作れなくて、世の中にウケるものだけを追い求めて、消耗していた。自分自分でないみたいで。

あのグルメリポート番組感謝してる。そしてあの時、勇気を出してテレビ局を辞めた自分感謝してる。

不安しょうがなかったけど、あの頃の不幸だった自分いるから、足掻いていた頃の自分いるから、今があるんだと思える。ありがとう、あの頃の私。諦めないでくれてありがとう

もし、仕事に疲れてる人がいたら、自分の心を無視しないでほしい。本当にやりたいことは何だろう、って自分に問いかけてみてほしい。人生を変えるきっかけになるかもしれないから。

Permalink |記事への反応(27) | 21:04

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

育児は立派な社会的活動だと思うけど

ブランクのある人が(保育、教育以外の業界で)就職活動をする際、職務経歴書自己PRなどに「●年の育児経験を経て臨機応変さなどを身に付け~」みたいなことを書くのはやめたほうがいい

SNSで目にしてこっちが恥ずかしくなってしまった

Permalink |記事への反応(0) | 13:07

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-10-01

マツコデラックスってこんだけ長年活動してるのに全然高卒の地金が出ないの凄いよな

しか進学校とは遥かにかけ離れたレベル高校卒なのに。

長年テレビ見てて

「あっ今マツコミスったな。高卒が出た」

と感じたことたったの1回きりしかないわ。

立教大学中退した過去を持つ有田に対して

「勿体ない。そのまま辞めないで普通に就職活動してたら三井物産あたり行って今頃は課長かになってたんでしょ?」

と言ったとき、その1回だけ(有田有田で「そうなんでしょうねえ」とか言ってたけど)。

Permalink |記事への反応(1) | 19:24

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

なぜ移民必要か?労働力の不足について詳細

https://anond.hatelabo.jp/20250930160407

 

女性とか学生とか高齢者に働いてもらえばよくね?」

「そのために労働条件よくすればよくね?」

に丁寧に答える

 

女性労働参加率

25歳〜60歳の、男性労働参加率は95%くらいで

女性は80〜88%くらい

https://www.jil.go.jp/kokunai/blt/backnumber/2025/03/c_01.html

育休を考えると、かなり限界に近い

 

専業主婦が居る現役世帯566万世帯で、全体の23%にあたるが、独身を含めたら生産年齢の女性の15%くらいだ

https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo02-15.html

 

一応、「無理やりひねり出したら女性の余力があと5%ある」と考えておこう

3300万人×0.05=165万人

 

シニア労働参加率

現在、65〜69歳の就業率は2023年に53.5%で過去最高

今後、この層の就業率は上がっていくだろう(5年で4%くらい)

(740万人の4%は37万人)

 

70〜74歳も34.5%働いている

しかし、こちらは5年で2%の上昇幅で、頭打ちに近い

https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2024/html/zenbun/s1_2_1.html

 

健康上の問題もあるので、あまり労働力としてあてにできない

 

大学生アルバイト

だいたい70%がアルバイトをしている

就職活動や、学業の忙しさも考えればこれも最大限と言える

が、まあ捻り出してもう5%働いてもらうとしよう

大学生専門学校生人口は約350万人なので、大体17万人

 

実際、労働者数は増えている

2025年7月時点

就業者数は6850万人。前年同月に比べ55万人の増加。36か月連続の増加

これは女性シニアが増えているのが大きそう、インフレで働かないと暮らしていけなくなったのかも?

https://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/index.html?utm_source=chatgpt.com

 

今後の生産年齢人口はどうなるか?

さて、めちゃくちゃ働いてる勤労日本人だが、まだ余力がいくらかあるね

次の15年でこのくらい追加で働いてもらうとしよう

 

女性 +165万人

シニア +110万人

学生 +17万人

合計 292万人/15年

ざっくり5年あたり100万人

 

じゃあ、生産年齢人口はどうなるか

20〜69歳の人口

2025年 7484万人

2030年 7307万人(▲177万人)

2035年 7076万人(▲408万人)

2040年 6727万人(▲757万人)

2045年 6224万人(▲1260万人)

 

というわけで、めちゃくちゃ減るので「女性学生シニアの余力を総動員して」なんとかなるのがせいぜいあと5年ということがわかる

ちなみに、この生産年齢人口20〜69歳)における、60代の割合はこうなる

 

2025年 19.9%

2030年 21.8%

2035年 24.9%

2040年 25.7%

2045年 24.2%

 

まり就労者1人あたりの労働力も弱くなっていく

 

外国人労働者数(要は移民

最近の増加数は、1年あたり23万人

このまま増えるとすると

 

5年で115万人

10年で230万人

15年で345万人

20年で460万人

 

余力も使って、外国人も入れて、労働力不足はどうなる?

ざっくり計算なのは許して

 

労働者数(万人)+捻り出す余力外国人合計
20256850--6850
203066881001156903
203564772002306907
204061573003456802
204556974004606557

 

雑な計算だけど、全員めっちゃがんばって現状維持なんだ

こう考えると国はようやっとる

今の外国人労働者数の増加数は、当面多くも少なくもない

 

AI使えば?スキマバイト使えば?生産性を上げろ

まあまあ、気持ちは分かるが

たぶんAIとか全力で使ってトントンだと思うよ、今の雰囲気を見るに

なんか上手く行って労働者が余ったら、外国人・老人・学生主婦が働かなくなるだけで調整できる、むしろそうなってほしい

外国人や老人などが調整弁の役割になってるわけだね、そういう制度設計必要になる)

 

まとめ

女性や老人や学生を入れてなお足りないから、足りない分外国人計画的に入れてる感じですね

 

というか一億一生総労働時代つらい

でも長い歴史で見ると、ソッチのほうが主流なんだよね

20世紀後半はただの奇跡

 

___

 

移民問題については長くなるから書いてないけど

345万人増えたら、東京でおそらく+70万人だから、徐々に問題顕在化はしていきそう

ただ本当の分岐点2045年だと思ってて

生産年齢人口が▲1260万人、2040年から5年で500万人も減るんだよね、その時にもしイギリスドイツみたいに「1年に100万人外国人受け入れる」となったら今のEU悲惨な状況みたいになる

(ちなみに今の出生数が70万人くらいだから20年後、このままでも「若者70万人に対して増える外国人20万人」というエグい状態になる。というか例えばイギリス20歳の人口が72万人のところに移民100万人くらいぶち込んだわけで、そりゃ荒れる)

 

経済シュリンクしろとか省エネで頑張れとかAI使えとか、そういうのは国は一旦後回しにしてるんだと思うんだけど、10年以内にどうするか決めておかなきゃいけない

しかし、移民政策って今国会を通さないでこっそり決めてるらしいからそれが何より問題だと思う(たぶん俎上にあげると決まらないんだろうね、右翼っぽい政党も出てきたし)

ずっと議論ができない空気だったらこのままこっそり決める流れになりそう、そしていつか壊れる

 

ちなみに日本移民外国人定住者の実態はこの動画が一番詳しかった

h ttps://www.youtube.com/watch?v=DkctET5zi0w

詳しい解説が本当に少ない、ミクロの話ばっかで

 

___

 

人口が減るから労働者はそんなに要らないんじゃないか、という指摘は一部そうかもしれない

2040年は2025年に対して8.5%減るから、これがどう労働市場の需要に影響を与えるかわからない、ひょっとしたら要らないのかも?あるいは経済成長するには要るのかも?今って前提の戦略すら議論されてないからね

ただ産業毎の濃淡は確実に出る(建設介護は不足する、ブルーカラーは全体で不足する)

 

___

 

一応これは「労働力足りないなら女性シニア学生でよくない?」に対する回答ならびに国の方針の予想であって

移民をどの程度受け入れるべきか?」「そのためにどうするべきか?」「労働需要は維持されるのか?」みたいな議論は別途あると思います

そっちの方が重要だとは思うんですけどね

Permalink |記事への反応(46) | 01:44

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-30

このポストバズってるけれど、

実際に46歳で(大卒ではないけれど)新卒として就職活動して落ち続けた自分としては腹立たしいな

「46大卒新卒???誰が取るんですか?」って、なんで46や47歳の大卒新卒は誰も取ってくれない前提なの?

おりとっと

@nanimositakumai

子育て終わってお金吐きだした後に自分大学費用なんて無理無理

しか20で産んで42-43歳

4年学んで46-47歳

46大卒新卒???誰が取るんですか?

https://x.com/nanimositakumai/status/1972433553586831860

65歳定年だとしてもあと18、19年もあるよ

年齢で差別せずに新しい世界に飛び込んで働ける社会の方がいいのに

なんで年齢差別は温存すると言う前提なのか

まあ元ポストにある「女は若いうちに子供を産め」という意見には反対だが、18歳で大学に入りストレート新卒就職するのがデフォルト社会をそのままにしておくのも問題だろ

就職氷河期問題が起きたのはそういう硬直した雇用慣行のせいなんだから

Permalink |記事への反応(1) | 17:13

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

anond:20250929122909

増田状態のいいひきこもりひきこもりは「社会参加してない状態」って定義メジャー)で良かった。支援する側もなんとかなると思える。

ひきこもり相談仕事でしているので、どうしても言いたくて投稿

近くにサポステがあるならサポステ、ないなら自立相談支援機関相談しに行って、就労支援を受けておいた方がいいと思う。

就労をためせというアドバイスもあるけど、増田がどんな人かわからいから、それで大丈夫なのか、慎重に行った方がいいのか判断がつかない。何でもそれなりにそこそこのパフォーマンスが出せる人なのか、得意不得意の差が大きくて、増田に合う仕事を選ぶのかもわからない。

増田がどこに住んでいるかからいから、就労環境としてどんなところかもわからない。

人材不足はいうけど、就職活動においてはやっぱり40歳を超えてくると「無くはないけど限られる」感はある。職歴がないと、採用する側が「仕事をある程度無難にこなせるだけの社会性」「社会保障費を半額負担するなど、仕事覚えるまで投資をしても、会社組織利益を産み出せる人間性」があるかを判断するのが難しいこともあるのではないかと思う。

上記懸念点について、大丈夫だということをアピールするにも支援機関は通っておいた方が無難だと思う。

ただ、支援機関地域によってかなり相談体制や毛色が異なるので、まずは試してみて欲しい。

(と、ここまで書き終えてから追記を見た。ひとまずタイマーで色々試すとのこと、応援しています。)

(せっかく書いたので、他の人が何かの機会で見た時用に置いておく)

Permalink |記事への反応(0) | 10:09

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-29

男で無職の44歳(ろくに働いたことなし)なんだが、何からしたら良いのか分からない

大学卒業した後そのままニートになって、アルバイト半年ぐらいしたことあるけれど、ひたすらニートのまま44歳になってしまった。

別に世の中に不満は無いし、毎日親のすねをかじりながら生きて来て、これといったストレスもなく毎日楽しい生活を送っている。

あくまニートなので、昼間っからショッピングモール本屋立ち読みしたりもするし、別にひきこもっているわけでもない。

年間だと300日以上は家から出ていると思う。ちなみに犯罪歴とかもない。

なんでニートになったのか?と言われてもよく分からない。そもそも大学卒業前に就職活動すらしなかった。気づいたら卒業していた、笑。

ただ、この年齢になってくると周りが亡くなってきたりする。当然、親も年を取ってきて、これから先、亡くなる日が来る。

親が亡くなったら自殺するなりするのもありだとは思うが、別に自殺するぐらい生きているのが現在辛いわけでもない。

だが、親が死んだら、親のすねかじりの生活は終わるわけで、そろそろ何かしないとなとは思う。

履歴書を書いて送って、正直にニートしていましたが頑張ります!って言って雇ってくれるところがあるかは分からないが、仮にあるにしても

まず履歴書に書くべき学校をいつ卒業して~みたいな項目がよく分からない。卒業アルバムとか捨てちゃったしな。卒業した年とか間違っていても怒られないよな。

俺みたいなガチニートやっていた人って、何の仕事なら就けるのだろう?目標としては、生きていくだけの生活費が稼げればそれで良いんだけれど。


続き:

【続】男で無職の44歳(ろくに働いたことなし)なんだが、何からしたら良いのか分かった

https://anond.hatelabo.jp/20250930101026

Permalink |記事への反応(29) | 12:29

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-17

まかろにおの経歴が怪しすぎる

最近注文住宅を建てるのにYouTubeをよく見てるんだが、住宅インフルエンサーの「まかろにお」って人、言ってる内容もアレだけど、経歴が盛りすぎてて、さすがに無理あるだろ。冷静に考えておかしいって。たぶん見た目的に30代くらいだよな?

それで、

新卒大手ハウスメーカー入社し、営業で全国トップ商品開発にも関与

メガバンク転職して不動産融資担当

・日系大手企業転職し、その傍らで起業

2020年YouTube開始、2023年にMEGURIEを正式ローンチ

……って、これ全部30代前半でやったって?いや無理だろ。どんなスピード昇進だよ。

商品開発に関与?営業成績良かったら開発部門に呼ばれるって話、聞いたことないぞ

ハウスメーカー商品開発って、設計技術経営層が絡むガチ部門だぞ?若手営業が「関与」って、何?会議室の隅っこで聞いてただけじゃないの?

メガバンク不動産融資?その時代に中途で入れるわけないだろ

2010年代メガバンクって「純血主義」とも言われ、中途採用にめちゃくちゃ閉鎖的だった時代だぞ?不動産融資なんて社内昇格組の牙城だろ。外部からポンと入って担当できるとか、夢見すぎ。

あと、「MEGURIE」っていう謎サービスで、「優秀な営業マンを紹介します」とか言ってるけど、その“優秀”って誰が決めてんの?まかろにおの主観?顔?喋り方?

しかも「2年で1000組紹介」って、月40〜50組ペースだぞ?全国の営業マンをどうやって審査して、マッチングして、フォローしてんの?

そんな体制あるように見えないし、そもそもそんな数こなせるわけないだろ。

発信内容もそれっぽく見せてるけど、中身はふわっとした主観と“すごかったです”の連呼だけ。社名も実績も全部ぼかしてる。これで「信頼できる人です」って言われても、いやいや、騙されんなよ。

追記

今、30代後半と考えると、就職活動中はリーマンショック直撃世代

大手ハウスメーカー総合職採用ではなく、営業採用だったのでは?

全国トップ個人ではなく、所属する営業所または支店だった可能性も。

メガバンクへの転職も、本体ではなく不動産販売などの系列会社だったのでは?

から不動産融資担当と言っているが、本体審査部門ではなく、単なる営業窓口。

最後大手日系企業はぼかしすぎて分からん

本当のスーパーエリートだったらゴメンだけど、顔と本名を出してるのに、経歴は具体名を伏せてる意味わからん

Permalink |記事への反応(1) | 14:20

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-13

初孫を産めなかった

妹に子供が産まれた。

おめでとうが9割、残りは「あーあ、やられた」という感じの後ろめたい気持ち

私は最低な姉です。ごめんね。でも絶対にそんなことを家族には言わないし、きちんとお祝いもするので許してほしい。

いまも母と妹から送られてくる赤子の写真既読をつけずにこの文章を書いている。


私は三姉妹の長女でもうすぐ三十歳になる。子供が産まれたのは真ん中の妹(つまり三姉妹の次女)で私とは2歳離れている。

下の妹が生まれた頃のことはうっすらだけど覚えているが、真ん中の妹が生まれる前のことは何も覚えていない。物心ついた頃から私はずっと姉だった。「お姉ちゃんなんだから」とかそういう姉の役割押し付けられるようなことを母親から言われたことはあまりなかったと思うけど、昔はずっと一人っ子に憧れていたのを覚えている。一人っ子のどういう部分に憧れるのか、その当時はあまり深く考えていなかったが自分だけの親が欲しかったのだと思う。


私が何かを始めるときは大体真ん中の妹とセットだった。習字教室に通い始めるときも、学習塾に通い始めるときも、一緒に始めることになり送り迎えは二人一緒だった。

一番下の妹は少し歳が離れていることもあってか、私たちとは別のタイミングで別の習い事を始めていた。ピアノ教室スイミングに通っていたのは一番下の妹のみで、当然ながら母はそこへ三女のためだけに送迎をする。私はそれが気に入らなかった。

そういった不満があったからか中学生くらいまでは妹二人とは全然仲が良くなかったし、母とも喧嘩ばかりしていた。喧嘩して、妹の前で叱られて部屋にこもる。けど部屋といっても妹の部屋とアコーディオンカーテンで区切られているだけだから完全に一人にはなれず、泣いているのを妹に知られるのが嫌でとりあえず布団をかぶっていた。けど、大きな家ではないので妹と母が楽しそうに話す声や私のことを悪くいう声なんかが聞こえてきたりして、凄まじい疎外感を覚えてまた泣いたのを覚えている。

大体いつも母とぶつかるのは私で、妹たちは横目でそれを見ていてたまに口を挟んでくる。それに私がキレて妹にあたる。そしてまた母がキレる。母が妹たちを庇う形になるのが本当に嫌だった。「妹のことばっかり」と何度思ったかからないし、私はずっと「自分姉妹の中で一番母から愛されていない」と思っていた。

母の愛情やありがたみを素直に受け取れるようになったのは、大学進学を機に一人暮らしを始めてからだった。妹に対してもいつもムキになってしまって申し訳なかったと思うようになったし、家を出てからは妹に対してうっすらと抱いていた敵という感覚がなくなった。そこからは母とも妹ともうまくやれていると思う。わりと頻繁に連絡をとっているし一緒に食事に行ったりする。母とは就職活動ときに少し喧嘩をしたが、妹とは家を出てから一度も喧嘩をしていない。


働き始めてからはずっと誕生日母の日プレゼントを欠かさず贈っているし、年始にはお年玉を渡している。別に何もいらないよ、と言われるが渡さないとなんか気が済まないし、前年よりも高い金額のものを渡さなければという謎の焦燥感がある。

ずっと親孝行気持ちからそうしていると思っていたが、一昨年くらいにふと「違うかも」と思った。もしかすると私は、かつて自分が満足いくまで得ることができなかった(と思っている)母親から愛情や関心をプレゼントお金で取り戻そうとしているのかもしれない。三姉妹の中で私が一番母にお金を使っているし、今なら自分が一番になれるはずだという気持ちが多分私の中にはある。母はきっと私たち平等に育てたのだろうと頭では分かっているけど、あのとき妹に奪われた母からの愛を取り返したい。


けどどんなプレゼント初孫にはきっと敵わないんだろうな、と気がついてしまった。母は何も聞いてもないのに妹の予定日や体調を逐一連絡してくるし、妹の出産準備の買い物に付き合うのも大変そうにしていたけどすごく真剣だった。私にとってはずっとお母さんでしかいか自分の母が祖母になるなんて全く想像もつかなかったけど、やはり母も初めての孫が生まれるのが嬉しかったんだろうな。

から初孫写真がたくさん送られてきた。産んだ妹よりも多く送ってくる。その母の喜びの先にいるのが自分でないことが悔しいし悲しい。

これから先私が子供を産んでも当たり前だが初孫にはならないし、初めての孫が生まれるわくわくを私から母にあげることはできない。


妹の産んだ赤ちゃんはかわいかった。妹に目元がよく似ていた。姪っ子として大切にしてあげたいと思う。

こんな伯母さんで本当にごめんね。

Permalink |記事への反応(3) | 01:34

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-12

世代間は理解できない

氷河期就職活動で100社から蹴られるのが当たり前だった。」

Z世代「上位三割の男女しか子供を残してはならない」

Permalink |記事への反応(0) | 03:57

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-11

戦争体験世代氷河期世代

戦争体験世代氷河期世代も、レベルの違いはもちろんあるが、集団的な不幸を経験している点では同じであるしかし両者の政治社会への意識は対極的なものであるように思う。


戦争体験世代は、戦地空襲自分がいつ死んでもおかしくなかった、という経験をしている。近所の人、友人そして家族が多く亡くなり、自分だけ生き残って申し訳ない、という気持ち戦後を生きることになった。そして戦後しばらくは街で戦災孤児傷痍軍人の姿を見ることになるが、「自分も運が悪ければああなった」と思わない人はいなかっただろう。

こうした経験をした人たちは、たとえ貧困自己責任論というものを目にしたとしても、それに共感する可能性は少ない。結果として、戦後社会保障が分厚く整備されるようになり、経済格差も大幅に縮小することになった。


それに対して氷河期世代は、就職状況が最悪の中、なんかと厳しい競争に打ち勝って正社員の座を勝ち取り、その後もブラック企業で過労とパワハラに耐えてきた、という経験をしている。そして非正規無職になった同世代を見ると、自分などと比較すると明らかに就職活動にも真剣ではなく、厳しい仕事を嫌がっているように感じる。


もちろんそうした人のほとんどは、氷河期世代でなければ普通に正社員就職できた人たちだが、氷河期サバイバルしてきた人たちにとっては「甘えた連中」に見えるのは当然だろう。結果として氷河期世代は、ネオリベ的な貧困自己責任論に共感する人が多くなっている。



国民民主参政党など、社会保障否定外国人排除の言説を支持している人の中心には氷河期世代がいるというのは、以上の仮説で説明できるような気がする。

Permalink |記事への反応(0) | 10:59

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-08

anond:20250908170648

その情熱を少しだけでも就職活動に向けられる事が出来たら良いのに・・・

Permalink |記事への反応(1) | 17:07

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-09-04

anond:20250904134857

かわいそうに

それでお役所仕事でまたキャンプ場がダメになっても相手ノーダメなのがまた辛いよな

自分で何もしてないかダメになっても痛くもかゆくもないんだ

キャンプ場立て直しのためにやったこと、出来たことを書類にまとめて

履歴書作ってそういう業種のどこかに就職活動してみたら?

重機電気資格取れてるのも強いよ。がんばれ

Permalink |記事への反応(1) | 14:05

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-31

富士通OEMばっかりやってたからだめな会社になった」

しかOEM製品とは、富士通出身のやつが入れ知恵しそうなことだ。

ただ富士通にしても三洋電機にしてもoemで、実績を積んでいったことが、最終的に自分製品を強くしてるかと言うとしてないんだよ。富士通事業を変えたし、三洋は潰れたし。

車なら技術交流としてありだが、業種によってはヤバイ

まり何かを作るってことは?企画とかデザインとか上の方の部分まで含めて製造なわけですよ。生産だけ自分たちでやっても製造の中でも抽象的なグラウンドデザインの部分がいつまでたっても育たないまま売上だけが大きくなるから組織の中と実態で不協和が起こるんですまあ実行してるやつが光通信出身から光通信なんていうのは営業代行会社

もっと製品ことなんてどうでもいい人たちだからものづくりどころか、現場の作り方もよくわかってないんだよね。

これはグランドデザインっていう意味でもそうだし、安全コンプラみたいなところでもそうだよ

私、光通信のやつ3人知ってるけど、全員同じような曲線をたどって、最終的に事業をたたまざるを得ないところに進んでいく。

ましてやOEM に手を出した時点で伸びるスピードは速いかもしれないけど、実質ドーピングみたいなもんだからな。グラデーションの塗り方が甘いよ

まあ、富士通出身のやつと光通信出身のやつがみんなはクリエイティブを楽しんでいる中で、自分たちだけOEM をやってそれで虚構の実績作りとかいビジネスの中でもかなりあくどい事例をやってるわけだから闇鍋というしかないよ。発注した人間たちの良心を疑う。

ちなみになんだけど、富士通って大昔のコンピューター時代から一貫して下駄を履いてる会社なので、あれは実力的に売上ほどではないです

銀行システムの話昔のコンピューター政策の話とか調べれば俺の言いたいことは多分わかってもらえると思う。

富士通光通信と違って、ちゃんとまともに大手な所っていうのは売上のために自分たちの会社の中でノウハウが積み上がらないとはそういうことしないんだよ。

そして、売上に婉曲的に影響する現場の人たちが共有しないといけない価値観っていうのをしっかり共有できてんだよ。見たからわかるよ

いつまでも中小企業だったり、いつまでも尊敬されない(裏でこそこそ笑われる)会社っていうのは、直接の売上に影響するところ、ばっかり大事にすんだよ。これも見たことあるからよくわかるんだな。

上辺の売り上げが印象ばっかり大事にしてる会社っていうのは残念ながら実在するんだよ。 そしてそれはちゃん社会経験がある人間なら言葉聞けば分かるんだよ。この社会経験っていうのは勤務した年数とかじゃない。価値観のぶつかり合いと修羅場経験した人間ね。

価値観がぶつからないと売上が大事なのか、もっと大事なことがあるのかさえ抜本的に考えないんだよ。俺は考えたけどな

まあ、僕より年上で社会ステータスも高かった人たちが価値観のぶつかり合いや修羅場経験してないということが分かって「サラリーマン名刺実績バトルってばかばかしいな」と改めて思うよ。

就職活動が嘘つき合戦なのは、ハリボテの実績を並べる人を好んでた、時代企業があるからです ただ、私の場合リボテの実績や名刺みたいなものは無しで、勝負し続けてちゃん自分が成長したり、理解したりアイデアを出したり、愛情を持って他人に接することで信頼を勝ち取りました。同じことができるものならやってみろ。生まれ変わったってお前たちには絶対にできない 。

私にだってその道の人が聞けばあっと驚くような実績はあるよ。でも言うよりもやって見せた方が格の違いを見せつけられるので言わないんだよ。

俺が自分のために作ったマニュアル会社採用されるという珍現象が起こったんだぞ!!自慢したいのは山々だけど自慢するのも恥ずかしい話だよ

それ以前の問題として過去仕事ですごかった人間でも今いる現場に合わせたチューンナップができないならそいつ無能だ。無能に騙されるな 私がブチ切れてるのは頭の悪い人間というのは一定数いて頭の悪いトレンドを作ったり、悪人虚構お金や実績を提供したりするバカ一定数いるということだ。

自分に近いコミュニティバカ一網打尽したい

https://www.youtube.com/watch?si=KrH1d8fZob6Aq83N&v=9hJLzzmbQAY&feature=youtu.be

もはや富士通の人と光通信の人に対してバカだなとしか思わない。腹が立つのはむしろバカに餌をあげてる増殖したバカだ。なまじ富士通光通信というビジネス界の阿片窟みたいなところから悪知恵をインターネットに持ち込んでるもんだからバカは騙されるというわけさ。今はそいつらに頭に来てる。

定義するなら媒介者?いや、むしろ培養者と言った方がいいかバカバカ培養するな。誰も幸せにしないものが世の中に増えるだけだよ。

それを黙って見ているほど、私は人の心を捨てたつもりはない。態度が悪いのは100も承知だが、言うべきことは言わせてもらう

Permalink |記事への反応(1) | 08:21

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-30

ある意識高い系が鰻の心配をやめてしょっちゅう蒲焼きを食うようになるまで

昔の増田は割と意識高い系だった。高い割に何もしないあたりが完全に高い系だった。

そんな中、一つだけ一時期ガチ実践してたのが「鰻をなるべく食わないようにする」こと。

もちろん意識高い系から理由は単純で、鰻は絶滅危惧種から。元々鰻は大好物だったから、「子々孫々まで美味しい鰻を残さねば」と高い系な割にこれだけは頑張ってたと思う。大学時代から就職してしばらくの間は本当に買ってなかった。

それが就職後に「一人のやれることとかたかが知れててバカバカしい」となるまでの思い出が以下の通り。

山のような冷凍

増田意識高い系ありがちな通りそこまで頭はよろしくなく、就職活動は普通に難航して一般職として内定式直前くらいの時期に何とか滑り込み地方倉庫に配属された。

その業務はあるスーパーチェーンへの冷蔵商品輸送。日々肉魚野菜その他を地域の店向けに送り出す。その庫内作業担当だった。

というわけで、当然「土用の丑の日」にかち合う。

土用の丑の日スーパー側の熱の入れようは凄かった。お陰で倉庫下請けしてたうちにも予約販売の紙がまわり、うちの糞上司は頼まれてもないのに支店管内の倉庫No.1の予約数を目指せとか言い出し、増田は更に下請けの各社にまで鰻買いませんかの案内とか集金支払等々をやらされた恨み辛みは取り敢えず置いておく。

当然、土用の丑の日に合わせて文字通り山程の鰻が入荷する。冷凍品なんだが、自重で下の方の箱は潰れてたし、「冷凍で出荷してるから中身は問題ない」との判断が下され無心で各スーパーにばら撒いていた。

間中はそんな毎日が続くと、高かった意識も箱のように潰れていく。しかも、このスーパーチェーン店は他県にもあるからこの山の数倍は鰻が流通してるわけだ。しかもうちの倉庫支店内で最小規模だからこの推定でさえ最低値であるしかも当然、競合スーパーというものはそこら辺に多くある。

そんな中で増田一人が鰻を食わないからってどうなるのか。いや、例え意識高い系が一万人集まって鰻にNO!を突きつけてもどうなるのか。この鰻たちは既に死んで蒲焼きになってるから、我々が食わなくとも生殖することもなく、ただ廃棄されるだけである。いや、たとえ全国民が食わなくなったとしても、冷凍保存されてるから時間的猶予がある。何か別種の製品に加工されて知らぬ間に流通するのが関の山だろう。スーパー商売熱は凄まじいし、国民全員が意識高くなってもそれをすり抜ける商品を出してくる。理屈抜きにその確信が出来てしまった。

そんなもの物見る前に気づけよだから意識高い系なんだよ、というお言葉には正直ぐうの音も出ないが、言い訳させてもらえばこう言うのは現実を突き付けられないと実感は持てないと思う。あの雑に積み上げられた鰻の山は本当にインパクトがあった。ついでに言えば、予約の職場窓口をさせられたのも良くない。買っちゃいけないと思っていたもの自爆営業で買わされ、二桁単位で舞い込むオーダーを集計すると感覚が狂う。

その後

増田は鰻について心配をやめた。厳密に言うと、流通してる分についての心配はしなくなったし、普通に鰻は買っている。

未だに鰻の漁獲規制とかそのへんの大きな政策には賛成してるが、小さな抵抗とかフェアユースがどうしたとかは消費者レベルでやってもどうしようもないと思う。どうせ大資本商品開発力に比べれば微々たる力だし、鰻が生き返るわけでもない。どうせ店頭に並んでる鰻は食われるか捨てられるかの二択なのだ。意地張ってたらそのうち鰻は絶滅し、増田絶滅以前から鰻を食えずに終わる。もっと根本的なところで政策が変わらない限り結果は一緒なのだ。なら食ってたほうが得である。食えなくなったら100年前から鰻乱獲に反対してた顔すりゃ良い。

そんな事鰻漁獲規制ニュースを見て思い返していた。鰻いっぱい食っといて良かったぁ! これで心置きなく鰻のない日々を過ごせる。いや、何か抜け道が発生しなければ、の話だが。

Permalink |記事への反応(0) | 09:27

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-25

このままじゃ何にもなれないかもしれない

私は27歳女、独身

就職活動何となく事務職を選んで総務として働いて、今5年目。

今年から忙しい部署に配属されてしまったので辞めたい気持ちになっている。

現職はセクハラだってあるし、みんなの士気も低いし、前の部署で頑張って働いたら、もっと大変な部署の配属になったし。

なぜ「契約数」よりも「超勤時間数」の方が多い奴が給料多いんだろう。

せっかくの20代なんだから仕事に対して前向きな気持ちで取り組みたい。


資格でも取っておけば今後役立つだろうと思って勉強を始めたものの、なかなか点数が伸びない。

直前期なのに、残業は21時~23時まであって心身ともにクタクタ

家に帰っても疲れてそのまま寝てしまう。


早起きして勉強しようと早めの時間アラームをセットしたが、目覚ましの音に気づいたときはいもの時間

弁当も作りたかったのに今日コンビニ弁当


取り敢えず仕事は辞めたいか転職活動を始めてみたものの、一次面接で落ちてしまう。

あぁ有給もったいない...

ただでさえ自己開示が苦手なのに、質問攻めにしないでくれ。


「やりたいこと」と「やらなきゃいけないこと」どちらもあるのは分かっているが、体がいう事をきかない。

資格テキストにらめっこしているが、1時間経ったらぼーっとしている。

過去問の採点は間違いだらけ。自己採点でバツを付けながら泣きそうになっている。

インスタのストーリーでは友達BBQしていた。私は自習室の中でメガネすっぴん


去年甲状腺の疾患があると診断されたのだが、記憶力や体力の低下もそのせいか?分からない。

そもそも、持病が悪化たらこ会社に骨をうずめなければならないのか?やってられっか。

遺伝性だし、私だって好きで病気になったんじゃない。

ただ真面目に生きて、真面目に就職活動やって第一志望に入れて、今だって遊ばずに勉強してる。


あーーー過去問を解いても合格点まで15点も足りない。このままじゃ間に合わない。

勉強もうまくいかないし、転職活動だってうまくいかない。仕事もやる気がなくなってしまった。



このままじゃ、私は何にもなれない。

Permalink |記事への反応(1) | 00:07

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-22

退職後にしたこと

正社員退職したとき20代だったし貯金も300万以上あったので、半年くらいのんびり自動車教習所に通って免許を取ったり資格勉強をしたりしていた。(大した資格じゃなかったけど)

派遣退職したときは再び正社員になろうと焦って20社くらい受けたけど全然からず、就職活動だけで5か月費やしてしまった。こっちのほうは本当に地獄だった。

その後紹介予定派遣から無事正社員になれたから良かったけど、あそこで失敗してたら人生終わってたなと思う。

Permalink |記事への反応(1) | 20:35

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-18

学生時代いじめ就職活動に持ち込むのは不公正に当たる

社会人能力、適性のみが大事なので会っていじめっ子かどうかは関係ない

いじめっ子かわいい後輩なのは社会人能力、適性が高いため

公正な採用とは能力適性のみを見る

今18のいじめっ子は人づきあいうまいので高級で迎えられる

Permalink |記事への反応(1) | 10:40

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2025-08-17

anond:20250817111659

娘さんが高校生になるまでの間に増田に書いたように色々やってあげていたんだろうけど、

娘さんは自分で考えるべき最初の行動を親が率先してやってくれるので自身考える力が身についていないように感じた。

大学までは進学できるだろうけど就職活動、働き始めてからが大変だと思う。

本人が粘り強ければなんとか自身生きる力を身につけられると思う。

Permalink |記事への反応(1) | 16:50

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

就職活動

素朴に疑問なんだが、なんで就活なんて頑張る必要があるの?

人生で一体何が目標なの?

カネを稼ぐことが目標なら、一流企業に入る以外にもいろいろ方法があるよね。

それとも、一流企業で働いているのを自慢したいから?

それがなんでうれしいのかな?

それとも何も考えていない?

Permalink |記事への反応(1) | 14:24

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

就職活動

素朴に疑問なんだが、なんで就活なんて頑張る必要があるの?

人生で一体何が目標なの?

カネを稼ぐことが目標なら、一流企業に入る以外にもいろいろ方法があるよね。

それとも、一流企業で働いているのを自慢したいから?

それがなんでうれしいのかな?

それとも何も考えていない?

Permalink |記事への反応(2) | 14:24

このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

次の25件>
ログインユーザー登録
ようこそ ゲスト さん
Copyright (C) 2001-2025 hatena. All Rights Reserved.

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp