
はてなキーワード:少数民族とは
「国内に住む○○民族は公職に就けない、居住地が制限されるなどの不利益があるけど、でも○○民族ってロクでもない価値観をしているから仕方ないよね。これは差別じゃなくて合理的区別だよ」と9割の国民が思っているとする。
そのような国で「○○民族差別を止めろ」と選挙で主張したところで選挙には勝てない。草の根から「○○民族差別を止めよう」という運動や教育をしても、政府広報や主要なメディアも「〇〇民族に対して行われているのは差別ではなく合理的区別です」と言っているから成果が上がらない。
そういう状態だったら、「少数民族〇〇人と、マジョリティのうちの認知の歪んでいない人が立ち上がり、武力で政権を倒す」以外にどんな解決法があるんだろう。
逆に聞きたい。共有できてない共同体が、長期的にうまく回った例ある?
一方で、
それは前近代の話。
今の中国は
ここをごっちゃにしてるから話が噛み合わない。
共同体を作るには、
・権力を縛る仕組み
これを互いに信頼できることが前提。
価値観が違うと、全部ここで詰まる。
前に「バトル・オブ・バンガス」というロシア産のプロパガンダ映画を見たけど、今度はウクライナ産のプロパガンダ映画だった。こっちの方が面白かったかな。66点。
環境派で平和主義者で教師の主人公は(おそらく)少数民族の嫁と自給自足生活を送っていたがドンバス戦争が勃発。ロシア派の過激派に襲撃され家は燃やされ妻は射殺。ウクライナ軍に拾われた主人公はキャンプで軍事訓練を受け、スナイパーとして開眼。いろいろあって敵の凄腕スナイパーと対決し勝利するのであった。
ちなみにタイミングがタイミングだし、ドンバス地方の話なのでロシアのウクライナ侵攻の話なのでは!?ってなるんだけど、実際にはそのもっと前の話。冒頭で2014年って出てくるし、桜木花道よろしく「これはクリミアのぶん!」つって相手を撃つシーンもあるので。
で、映画としてはまぁ典型的な一般人が訓練を経て才能が開花して神スナになってキルレを稼ぐ話なんだけど、全編を通して近距離アクションがほとんどないのが印象的で、この映画の良かったところだと思う。遮蔽物を挟んでお互い撃ち合うけど全然当たらないみたいな展開がほとんどない。
主人公がスナイパーだからって言うのもあるけど一方的に撃つ、もしくは撃たれる。最終盤に相手の隠れ家に乗り込むアクションがあるんだけどそこでも基本的に撃ち合いにはならない。一方的に殺す、相手の隙をついて殺す。ドタバタアクションに逃げないのはいいと思った。戦争ってそうだと思うんだよな。あとC.A.R.システムを導入してめちゃくちゃコンパクトなスタンスでいるのもプロっぽくていい。
特に最後、隠れ家で敵の神スナとの直接対決になるんだけどなんと天井に隠れてた主人公が舞い降りてナイフで神スナを刺し殺して終わる。いやお前、サイレンサー付きの銃持っててそれで侵入したやんけと思わんでもないんだけど、主人公のコードネーム"ボロン"=カラス(レイヴン)を象徴したんだろうなと、まぁ、やりたいことはわかる。
ただァ↑↑
その後に残ったスナイパーを手りゅう弾で爆殺するんだけど、この建物、ガスとボンベがあって大爆発したらエラいことになるから銃撃ができないから隠密侵入して制圧するって話だったよなァ!なに爆殺しとるねん。死ぬど。ここよくわからんポイント。
新兵訓練描写はアメリカの新兵ものよろしくしっかりしてるし(逆に言えばもう何回も見た展開ではある)、最初は一般人としてなにするにしてもモタモタモタモタ馬鹿にされていた主人公がAK-47の組み立て訓練をめっちゃ頑張って、テストでは目隠しして新記録を樹立する成長描写はテンプレながら嫌いになれない。
機銃の解体組立が早いからスナイパーになるは正直意味わからんなぁとは思ったけど。
惜しいポイントとしては、そこを深堀ったら逆に安っぽくなっちゃうかもしれないんだけど、主人公って物理の教師だったのね。で冒頭で学校の授業パートで射出されたガムの着弾時間と飛行距離から速さを導き出す授業なんかをしてて、それが活きて新兵訓練で射撃対象との距離を爆速で導き出す展開があってその後、急にスナイパーとして開眼するんだけどさ。
ここで「あ、スナイピングって物理なんやな」って気づいて覚醒したっていうのは伝わるは伝わるんだけど、ここもうちょっと力入れてよかったところじゃない?物理のこの知識がこういう感じでスナイピングの命中精度に関わってるっていうのがもっと伝わったらオモシロポイントとして高得点だったのに。そういうのなくて「物理計算めっちゃ早い」どまりなのがちょっと不満でした。
あとは主人公の妻が死ぬ展開。主人公と妻がロシア派過激派からスパイ疑惑を立てられてボコボコにされて家を燃やされるんだけど、結局そいつらは「こいつらスパイちゃうかぁ」ってなって開放するのね。なのに妻はやおら起き上がって平和の象徴を模っていた石を掴んで雄叫びを上げて過激派に殴りかかって撃ち殺される。ナンデ。寝てれば助かったのに。
ここはなんかもうちょっと説得力のある展開を作れなかったんだろうか。
作品としてはアメリカンスナイパーにめっちゃ影響受けたんだろうなって感じのごく普通のプロパガンダ映画ではあるんだけど、ドタバタアクションをほとんど排除したちょっと冷たい感じの作風が凡百の戦争アクション映画とは一線を画していたという意味でよかったかな。
酒クズ&永久幹事の俺が、新米幹事の皆さんに選ぶと良い店を教えたいと思う。
ダメな店は、この人が書いてくれてるので参考にしたら良いよ。
https://note.com/yumisakekasu/n/n2891015920bb
⚫︎和食編
・刺身が美味い個人店(客単価高め許容、人数〜20人まで程度)
刺身が美味い店は、魚の質が良く、技術があるので揚げ物でも焼き物でも煮物でも何でも美味い。
美味い料理を出す人は、酒もこだわったの出す。
というわけで、和食居酒屋を探すときは、とにかく刺身が美味い店を選んでくれ。
「店主が釣キチ」「店主が日本酒マニア」「創業20年以上」「客層が40〜60代くらい」
この辺りが第2指標で、これが揃ってくると、いよいよ最高に近づく。
欠点は客単価。7000〜10000円くらいは見積もらないと今のご時世厳しい。
ただこういう店を、応援してるので個人的には積極的に活用してる。
・魚金とかの魚こだわりチェーン店(コスパ重視、人数〜30人まで程度)
個人店がベストなんだけど、もうちょいリーズナブルに。という場合はチェーン店から選ぶ。
魚へのこだわり=刺身が美味い。というわけで、考え方は同じ。
魚金は最近はちょっと味落ちたという人もいるけども、まぁ価格と品質を考えたら、かなり妥当だと思う。
これを選ぶメリットは「ハズレが少なく」「値段が妥当」であること。
個人店は味は良くても大将との相性とかもあるので、仲良くなってない場合は外すこともあるが、
こういうチェーンは流石にそのあたりで揉めることはほぼない。
選ぶ第2指標としては
「近隣に3店舗くらい支店がある」「母体が魚の卸」「元々は勢いのある個人店」
みたいなものが揃ってくると、当たりの店の確度が上がる。
すごい美味しい焼き鳥屋でも宴会利用すると、めちゃくちゃ味が落ちてしまう。
同じ理由で天ぷらが美味しい店も選ばない。フライ、唐揚げは場持ちが良いので、選んでもOK。
大体握ってる人は寿司アカデミー卒業したての学生みたいな人ばかり。
まともな職人はあそこでは働かない。
んで、割高。魚こだわっているようでいて、大体こだわってない。
見た目が派手なだけの「ウニと和牛の握りいくら山盛り卵黄のせ」みたいな
⚫︎洋食編
・でかい肉が美味しく焼ける店を選ぶ(客単価高め許容、人数〜20人まで程度)
でかい塊肉を美味しく焼いてくれる店は、とにかくその満足度が高い。
炭火台で焼いてくれたり、薪ストーブで焼かれた肉は最強である。
牛でも豚でもラムでも大体すげー美味い。
人数がある程度いないと頼めないというのも宴会利用に向いている。
そして肉が美味しく焼けるシェフは、料理スキルが高いので大体何食べても美味しい。
美味しい肉がある店は、大体ワインもこだわってたりするので、ハウスワインでも美味しいのが揃ってる。
欠点は高いこと(30行前2度目)。10000オーバーは覚悟が必要。まぁ、しょうがないんだけど。
和食より洋食の方が高いことが多い。社長や部長に多く払わせるように先に段取りを組もう。
・リーズナブルに行くならピザ(コスパ重視、人数〜20人まで程度)
ピッツェリアは、肉メインのビストロよりも大分安く仕上げられる。
焼きたてのピザがうまいのは間違いなく、嫌いな人がいないのも高評価。
最近は、都内でもピザ窯でちゃんと焼いてくれる美味しいピザ屋も増えたので、選びやすくなった。
前菜も結構充実していたりするし、パスタも出てきたりするので、
ただ、ピザは時間変化には弱いので、出されたらすぐ食べてほしい。
⚫︎中華編
・ちょい高の中華(客単価中くらい、人数〜30人まで程度)
円卓で料理ぐるぐる回すような感じになるとちょっとやりすぎ。(楽しいけど)
大体この感じの中華はほぼハズレが少ないので、1〜2件押さえておくと便利。
ただ「食べ放題」とかを売りにしてる中華街の店とかは、ハズレも多いのでやめておいた方がいい。
地元の草野球チームの忘年会とか、気楽なメンバーでやるのに最適。
ラーメン餃子チャーハンが美味い店の店主は、実は元ホテル出身とかだったりして、
ロケーションは期待しないように。
中国人が最近始めたような牛肉麺とかが売りのタイプの中華は微妙なこと多いので避ける。
⚫︎エスニック編
・タイ料理、ベトナム料理、少数民族中華、インド料理・・・etcなどは避ける
エスニック系は、食べられない人が多いのでマジで宴会では使わないこと。
まぁ、いろんな人の地雷踏みまくるので辞めておく。
また、イスラムの地域だと酒の種類も少ないので、飲助の評価も低い。
・どうしても行きたければペルー料理かメキシカン(コスパ良し、人数〜20名まで程度)
南米系は、エスニックの中では苦手な人が比較的少ないジャンル。
ただ味付けは、日本人の味覚だと似たように感じてしまうので、宴会向きかと言われると微妙ではあるけど。
激安の肉ビストロみたいな使い方ができないこともないので、悪くはなかった。
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(追記)
ヒントは「おかみさん」がフロアを切り盛りしてて、バイト2〜3人抱えてる客席数30〜40くらいの店。
ここを貸切相談する。(注:ブコメの指摘あるように変な常連が幅を効かせてたりするので、貸切がポイントね)
俺の場合は、月1〜2くらいのペースで1年くらい通ってから相談することが多いかな。
大口の予約は店にとってはめちゃくちゃ大きい収入なので嬉しいんだけど、
バックれとかのリスクもあるので、ちゃんと人として信頼してもらってからじゃないと受けてもらえないことも多い。
ただ12月は良い店はほぼ埋まってるので、頑張って電話かけまくるしかない。
(ちょうど昨日、10人の急な店チョイスの依頼あって、10軒以上は電話かけたよ)
>50越えた人数の時は、どうするの?
ゼクシィとか結婚系の情報の口コミ調べて、美味しいって書いてる洋食系を選ぶと良い。
まあ、おいしさは正直二の次だけど、大人数のパーティ調理慣れてて、
音響設備とかもちゃんとしてるので、忘年会としてちゃんと成立させられる。
イベント企画として割り切って動く必要があるので11月には予約決めて、
向こうのスタッフと打ち合わせを何回かやって、段取りとかするのが大事よ。
>前提条件入れてくれよ
入れたよ。
>店のチョイス高くて、役立たねえよ。
いや、マジで3000円とか4000円でマトモなもん食べようと思うの間違えてる。
今、最低ランクのチェーン居酒屋でも飲み放題つけて4000円は余裕で越えてくるよ。
本当に予算カツカツの時は、ケータリング入れて会議室とかの飲み会もあり。
これはこれで、また色々とノウハウあるので、必要ならそのうち書くわ。
>誰と行くかが大事。本当にいい店はいいメンバーとしか行かない
これは、本当にそう。
俺はもう今は気の合わない人と宴会する必要が全くないので、強制参加の会合という視点が弱かったのは確かにね。忘年会なんて気の合う仲間だけでやればいいよ。
今は20代の子達を連れてく忘年会とかは、おっさんらでほぼ全部負担するよ。声かけるメンバーも厳選するしね。
ちなみに会社員時代もずっと例年幹事やってたけど(趣味で)、まぁこのブクマ見てもわかるように、どこを選ぼうが絶対に不満が出るのよw
なので、幹事が行って楽しい店一択で良いと思うし、強制参加にはしない方がいいし、会社はちゃんと補助した方がいい。
Permalink |記事への反応(12) | 15:13
ロシアも少数民族とか囚人前線に放り込んで一般人は普通の生活送ってるし
シリアはどう考えてるの?
「中華人民共和国政府と台湾との間の対立の問題は、基本的には、中国の国内問題である」(昭和四十七年十一月八日衆議院予算委員会・大平外務大臣)
この前提はみんな争ってないよね?
平和裏に行動する分には国内問題。実力行使したら、分からないぞ!という立場。
そこでシリアなんだけど、アサド政権打倒して暫定政権が出来たのはいいものの、クルド勢力との統合で揉めてるんだよね。
3月に両者が統合に合意したものの、以来「衝突」し続けてて、最近またクルド側が自治の拡大を要求してる。そしてクルド勢力の背後にはアメリカ(とイスラエル)がいる。
台湾独立や現状維持の支持派はシリアのクルド独立や現状維持も支持する?
シリア暫定政権は実力行使して統一目指してるけど国内問題じゃないと思う?
それ言ってるのシリア領土占領してて統一されたら困るイスラエルなんだけどね。
シリア暫定政権がクルド地域の統合を諦めることは100%ない。石油埋まってるもん。
諦めるぐらいなら一か八か大規模な「内戦」はじめる方がまだシリア再建の可能性がある。
暫定政権の実力行使を伴うシリア統一を支持するのか、イスラエルと同様に少数民族保護を掲げ統一を否定するのか。
一方、中国は台湾なくても豊かになってるんだから、平和裏にやってくださいと思うけれども。
中国視点では「核心的利益の中の核心」でシリア暫定政権がクルド統合を欲するのと同様なわけだよ。
シリア統一を支持し、中国統一を否定するロジックが思いつかない。
独立したいならさせてやれよという立場はシリアが血みどろの内戦に戻ってしまう。
俺には一貫性を保つにはどうしたって内田樹的な立場にならざるを得ないように思われる。
『「反乱」や「鎮圧」というようなシリアスな事態が起きないことを私は切望していますが、仮にそれが起きた場合でも、諸外国にできるのは国際機関を通じた調停の試みと人道支援までだろう』
だれか都合の良い立場を教えてくれ!
言いたいことがないわけじゃないが気骨は感じた。62点。
3から20年ぶりの新作ということで他作品シリーズの傾向と同じく過去シリーズでもっとも人気のあった作品のスピリットを継承した作品、つまり2の正統続編と俺は感じた。世界に対しての「告発」と「ド派手アクション」である。2で活躍したコンパウンドボウも使うしね。
散々語り尽くされたことだと思うけどとにかくアクションがド派手になっている。これは火薬マシマシ麺固めという意味ではなく、とにかく人体破壊描写を二郎系の野菜のように盛りまくっているのである。またぬるいハリウッド映画のように「子供は殺されない」なんてこともなく、むしろ露悪的に、村の子供にミャンマー政府軍が銃剣を突き刺す描写まで克明に描かれている。
「これが戦場なんだ」そして「これは現実に起きていることですよ」ということを世界に告発したいという強い意志を感じた。
最後の戦いのランボーが機関銃を掃射してミャンマー軍兵士の身体が爆散したり腕や足がもげたり頭がふっ飛ばされたりするシーンも中々に壮観だ。痛みを感じる戦場を撮りたいという気骨と見せ場として盛り上げたい気持ちをうまく同居させたシーンになってると思う。
あと1,2ぶりに山の中をランボーが全力疾走するシーンがあってファンサやなぁとにっこりしてしまった。
身体は、まぁ、ステロイドで膨らませた身体は戻せないよねって感じ。しゃーない。
今作のストーリーとしては
タイで雑務をこなしながら隠居生活を送っているランボーの元にミャンマー政府によって迫害を受けている少数民族のためのボランティアをしている教会系の団体が訪れ、現地への舟渡の仕事を頼まれる。最初は断るもブロンド美女に頼まれてころっと方針を変えなんだかんだありながらも現地へ彼らを送り届け帰宅。その後、彼らはしっかり彼らは捕らえられる。彼らを救いたい教会の依頼を受け教会が雇った傭兵と共に再び現地に赴き頑張って彼らを救出し、帰省するのであった。
まず全然関係ないんだけど、3もそうだったけどなんでランボーはタイを隠遁の地に選んだんだろう。ベトナム帰還兵でベトナム戦争のPTSDに悩まされているのに、よりにもよって住民ほとんどベトナム人みたいな顔してるタイを定住の地に選ぶ感覚よくわかんねぇなと思った。
俺がブルックリンを歩いてたら黒人にケツ掘られてそれがPTSDになったとして、世を逃れてコンゴに移住しようとは思わんもん。差別的な例ですまない。本当に反省している。
今作が1のスピリットも継いでいるところは主にこの教会系ボランティア団体の扱いにある。
彼らは無邪気に「支援」が迫害を受けている少数民族を救うと考えており、非暴力を主張する。そして舟渡中に彼らに襲い掛かった盗賊を始末したランボーを人殺しだと責め立てる。これは1で帰還兵ランボーを空港で「赤ん坊殺し!」などと責めた民衆を投影しているのは明らかだと思う。
それに対してランボーは「平和ボケどもが!」と怒りを示す。スタローンの本音だろう。しかし特に口煩かったハゲは最終的に仲間の傭兵を助けるために最もフィジカルで、最もプリミティブで、そして最もフェティッシュなやり方――落ちてた岩で敵兵を撲殺するという行為に及ぶ。
言わんとしてることはわかるんだけど、それでも彼らは非暴力的な形、医療や教育で少数民族を間違いなく救っていたわけで、確かにそれは根本解決にはならないかもしれないけれど、露悪的に「誰かを助けるために手を汚せよ」と示さずに彼らの思想をもうちょっと尊重してやってもよかった気はする。
誰もが「迫害から人々を救うために必要なのは支援じゃなくて兵力だ!敵をぶっ殺せば全部解決するんや!」って思想になっちゃったら世界めちゃくちゃになっちゃうよ。
よくわからんかったんはこの教会団にネームドとしてハゲとブロンド美女がいるんだけど、ランボーはハゲにはなんかやたら反発するんだけどブロンド美女にはやたら優しい。彼女のほうが人に寄り添う姿勢を持ってるとは思うんだけど言ってる思想はたいして変わらんし、見てる側からすると「こいつ女に甘いだけでは?」と思ってしまう。
ハゲの依頼は断わるけど夜に美女と話したら途端に船を出すとなるし、盗賊撃退後にやっぱ危険だから帰れというランボーの手をそっと握って「行きましょう」と美女が言うと「しゃーないなぁ」みたいな感じでやっぱり現地に向かう。たぶん、ランボーを現地に向かわせる強い原動力を思いつかんかったんだろうな。
お前ほどの美女が言うなら!ってなっちゃうのは男の心理だからね、わかるよ。でもさァ↑だったらブロンド美女じゃなくてベトナム系アジア系美女だろ!彼女を見て2で死んだ情報員を思い出して……のほうがドラマティックだろがい!
最終的に大惨劇の後に美女はハゲに抱き着いて愛してると告げ、ハゲと美女ができていたことが分かりランボーはそれを見つめ「なんかもう家に帰ろうかな」となるのでもしかしたらランボーがガチで美女に惚れちゃってただけかもしれない。
この作品の最後にランボーは実家に帰省するんだけどこれも個人的にはよくわかんなくて、ちょっと書いたけどそもそもなんでランボーがタイに隠遁してたかがよくわかんないんだけど、まぁベトナム戦争の英雄として帰ってきたらなんかそんな感じじゃなくて気まずくて家に帰れなかったのかもしれないけど、じゃあ今回の映画でそのもやが晴れるような展開があったかっていうと俺はそれをあんま感じられなかった。
2で捕虜を救い、3で(結果的に)アフガニスタン国民を救った。今回の少数民族を救ったことが過去の2例とは違うという必然性が薄く感じた。まぁ機関銃で敵吹き飛ばしまくってスッキリしたのかな。だったら3の後でも帰れるやろがい!3の最後にも「俺の戦争は終わりました」言ってたしさ!
あと、今作になってやっぱ気になったのは「ベトナム戦争のPTSD」って「ベトナム人に拷問された」ことなんだなって。「ベトナム人を大量に殺害したこと」じゃなかったんやなって。まぁ戦争ってそういうもんやからって言われたらそうかもしれんけどさ。今作では過去最高にもう本当にぐっちゃぐちゃにミャンマー兵をミンチにして虐殺するんだけど、ハゲも美女もあんなもん見たら一生のトラウマになるよ。そして保安官にいびられて山中を駆け巡りガソリンスタンドを爆破しちゃうよ。
でもランボーはなんかちょっとすっきりした表情で実家への帰省を決意する。「人を惨殺する」ということに対してのなんらかの意識がもうないんやなって。平和ボケした日本在住のバカヤロウは思ってしまいましたよ。
ただ、2や3に比べたら伝えたいことと作品の対応性が高いし、言いたいことを伝えるために映画を撮りました!そのために方法もちゃんと考えました!って感じが強く出てて個人的には好きな部類に入る映画だった。
今の権力者たちは「特定の条件の下では暴力を発動してもよい」と考えている。少数民族を迫害するミャンマーのミンアウンフライン国軍最高司令官、ガザへの攻撃を続けるイスラエルのネタニヤフ首相に対して僕の中には「こいつらをやっつけたい」という怒りがあり、その感情を「正義だ」と思い込もうとしている。だけど、暴力に対する憎しみは新たな暴力を生むだけです。人類みなが平和に暮らす日が来るとしたら、そこにはネタニヤフもミンアウンフラインもロシアのプーチン大統領もいなくてはダメなんです。
暴力に苦しむ人々に寄り添いたい気持ちはとてもありますが、「スタンド・ウィズ・ガザ」のように自分のスタンスを表明することはできません。争っている両者のいずれか片方に立つことは、もう片方を完全に敵に回すことになるからです。
人はトルフィンを「本当の戦士」「真の戦士」と呼びます。国家のためとか家族のためとか理由をつけて人の頭に銃弾を撃ち込む人々は実は「うその戦士」であり、真の戦士とは人々を憎しみと暴力の連鎖という呪いから解き放つ者ではないか。
人がきちんと成長できたら、暴力から卒業できるはず。だけど、今の人類はまだ感情を抑えられない幼児の段階です。米国のトランプ大統領のやることは、子どもが自分の行動はどこまで許されるか確かめる「試し行動」そっくり。現時点で暴力を止めようとするのは、子どもからおもちゃを取り上げるようなものです。僕たちはまず、「どうやったら自分たちはもう少しましな大人になれるか」を考えるべきです。
物語の終わりは「大団円」ではありません。トルフィンの夢が実現していたら今ごろアメリカには幸せな国ができていたはずですから。クライマックスの章のタイトルは「千年航路」としました。トルフィンたちの試みは平和への長い旅路の始まりです。数千年、あるいは1万年経てば人類は今より大人になり暴力を克服しているかもしれない。そんな願いを込めました。
https://digital.asahi.com/articles/AST9P3K70T9PUCVL00GM.html
自営業で、時間の融通も効き、女一人でそこそこ経済を回せている。
金の管理ができない!!
ある金は片端から使ってしまうカスの金銭感覚の持ち主なため、大手取引先からの報酬が支払われるまでの繋ぎとして、メルレ、つまりメールレディをやってみることにした。
どういうことかというと、金をもらいながら男性客と話をするのだ。
大抵が猥談だという事前情報もあるが、私は、女を「おばさん」か「そうでない」かに二分するなら確実に前者に収まる年齢だ。つまりある程度場数を踏んで来てるので猥談に抵抗が無い。
ので、始めてみた。
これは簡単だった。
AIに自分の写真を読み込ませ、それっぽく別人に仕立て上げて貰えば良い。
間違っても身バレしたくなかったので、そのままの顔を使う愚行は犯したくなかったし、何よりも私はだいぶ太っている。
そのままの写真を使えば第二次対戦中のイタリア軍よりもすごい勢いで男性は逃げていくし、必死に追いかけたところで仕方がない。
そうなると少数民族の戦士よりも顔を塗りたくり、誰だかわからないように加工して敵前に躍り出る他なくなる。
次にプロフィールの文面作り。
ので、「初めて付き合った彼氏と結婚したもののレスに悩まされる人妻」という仮面を被った。
例えば「通話したい」とか「ビデオ通話がしたい」とか言われても、これなら「隣に夫がいるから……」と残念そうに逃げることができる。咳をしても一人なのに。
つまりどういうことか、私は「マリカさん37歳人妻」というマジで何も私のプロフィールに掠らない人格を演じることになったのである。
モテない女の性欲はすさまじく、今まで読んだ来た数多のFANZAの知識を総動員して、それっぽい文面を考え、男性客に一斉送信。あとは返信を待つだけ。
具体的な数字、三人かかった。
「ビデオ通話できないならメールいらないよ」とわざわざ(金を払ってまで)返してくれたので、「寂しい😿」とゴネる。これにもわざわざ(金を払ってまで)返してくれる。ちょろい。
彼からもビデオ通話の申し出があり、「夫が隣にいるから」「今すっぴんだし見られたら幻滅されちゃう」と恥じらってみせ、金を引っ張る。
「マリカちゃんくらい綺麗ならすっぴんでも歓迎だよ」と優しい彼は言う。ちょろい。
三人目がこれまた稼げた。地方在住、(マリカさんに比べたら)年下の男性。
年上のお姉さまに甘えたいのだろうというのが透けて見えたので、私は無意味に肩のストレッチとかをして張り切りながら相手をしていた。
自分の性器を見せたがる人間の気持ちなんてこれっぽっちもわからないが、三人目はとにかく見せたがった。
聳り立つ塔(暗喩)や、力無く倒れ白い川に伏す塔(暗喩)の動画やら写真やらがいっぱい送られてきた。
動画や写真は写真するだけで儲けが良く、私は「もっと見せて…♡」と人妻らしくしっとり懇願する。結婚なんかしたことないし彼氏も学生時代にできたが最後、それらしい言葉をFANZAでしか知らないのでFANZAっぽくお願いする。
ちなみにムラつきはない。私は哀れなモンスターななで、二次元の男にしか興奮できない。
この頃にはすでに私は眠かった。
昨日は本業で真夜中まで作業をしていたので、落ちる頭と格闘しながら、眠気を飛ばすために海外ドラマ──よりによってサスペンスものだ──運営によってモザイクの気遣いがなされた写真を開きもせず、テレビに映る焼け焦げた死体を見ながら何とか「すごく…大きいです…」「奥まで捩じ込んで…♡」とか言ってた。なんか違うの混ざったな。
「マリカさんの顔だけで抜ける!」
散々私に写真を送ってくれた後、三人目はそう言って旅立った。たぶん賢者タイムみたいなやつだろう。私は「ようやく終わったか」と一仕事終えた顔をしながら布団に入り……
いやこれ何も仕事してないな
急に正気に返った。
本日の儲けは3000円ほど。
メールしてるだけで稼げる額にしてはデカいが、一回タクシーに乗れば吹き飛ぶ額だ。まあタクシーなんか使うから金が無くなるんだけど。
こんな端金のために時間の無駄するならだったら資格試験の勉強して生涯年収上げた方が良くない?
抜いてもないくせに賢者タイムを迎えた私は今、ガリガリくんホワイトサワー味を食べながらこれを書いている。
男性客のプロフィールを見れば何を言って欲しいかは大抵わかる。
男性客の返信を見ればどういうふうに扱われたいかは大抵わかる。
部落差別問題が一時期ネットで話題になってて気になっていたのだが、自分の中で消化しきれてなかったので完全に乗り遅れた。思ったことを忘れないために書き起こした。
いわく、関西以外の地域では部落問題を軽く扱いすぎているのでは、という話だ。
元のポストでは、言語差別・地域差別・職業差別が混在していたので議論がかみ合ってなかったように思う。
私はどちらかというと、うちの地域に部落差別なんてありません!と無邪気に投げつける数々のリプライにかなりギョッとさせられた。
そして体感8割くらいのリプが「部落」という単語に差別的な意識はありませんが?という的外れな内容ばかりでさらに愕然とした。
いやそうじゃねえだろ、と。
元々差別的な意味合いのない単語が差別的に使われる例なんていくらでもある。身体的特徴(つんぼ、かたわ)、地域名・国名(福島、朝鮮)、など言い始めれば枚挙にいとまがない。
構造でとらえるならば、部落差別のことの起こりは、職業で人を差別し、隔離することだ。
そうするとモヤモヤの正体が見えてきたような気がした。
歴史的経緯の話。
「穢多・非人」と呼ばれた人々は関西だけに存在したわけではなく、日本全国に見られた。江戸幕府の作り上げた身分制度から外れ差別された人々である。
関西の問題として認識されることが多いのは、その規模の問題である。近世以前、江戸より先に栄えていた関西地域は人口も多く、また文化の中心地であった。
自然と集落規模が大きくなったことで、明治以降の解放運動の中心地となっていく。
他地域においては規模が小さいゆえに「なかったこと」になった問題が、関西ではそうではなかった、というのが正しいだろう。
うちの地域にはありません、という人間は、はっきりいって不勉強もいいところである。
今回調べて初めて知ったが、特に一部地域においては、差別をなかったことにして解消しようとする動きがあるというのは90年代には指摘があるようだ。
「関西人は差別をする蛮族、自分の地域にはそんな差別ない」という趣旨の、自分で言ってておかしいと思わないのか?と思うようなリプが多く見受けられた。
どうにも関西人は殴ってもいいサンドバッグのように思っているらしい人間が少なからずいるっぽい。地域によって人をラベリングして貶めようとするのは差別以外の何物でもない。
現代の日本、とくに都心部においても、職業差別が無いなんてのも嘘だ。東京に居ればしばしば見かける、「勉強しないとあんな仕事しかできなくなるよ」と子供に声をかける母親、なんていうのはもはや典型的差別主義者だ。
私も作業服で公共の電車に乗ったとき、周りのサラリーマンたちが私を避けるように分散したのがとても印象的だった。綺麗にクリーニングされ、他の作業者に申し訳ないくらい綺麗で、そして良い匂いになってた作業でもこれだ。
普段よれよれの汗臭いスーツで電車に乗ってもこうはならない。大なり小なり他人を見下して生きているのだろう。
いけしゃあしゃあと差別なんてありませんなどよく言えたものだと思うが
かくいう私も恐らく危険を避けるという名目のもとで誰かを見た目で判断して意図的に避けたりしているのだから同じ穴の狢である。
他地域の人間が関西に行った時に、部落という言葉を使うことの是非というのも話題に出てきたが、答えとしては、気にしろという他ないだろう。
気に食わないという人は、アトランタに来てニガー!と叫んでみればいい。その代わり生きて帰れると思わないことだ。
言葉というのは生き物であり、本来の意味がどうであれ、現在の用法やその集団における意味に注意して使わなければ大きな誤解を招く。
日本はともすれば単一民族・単一言語の国家と思われがちだが、少数民族も多く、方言というにはあまりにも異なる複数の言葉が混在する、非常に複雑な社会だ。
共通語での意味がどうであれ、その地域における文脈で異なる意味を持ち、誤解を招く表現であればそれは避けるのが理性的だろう。決して、自分の所属集団では問題ないから!などと押し通すものではない。
間違えてはいけないのは、方言を禁止しようという話ではなく、自分の話す言葉の暴力性を指摘されたら次から気を付けようね、という程度の話なのだと思う。決して難しいことではない。
自分は我慢して標準語を話しているのに、あいつら関西人は自由に方言を話していて気に食わないと主張している人間もいて、さすがにもはや元ポスト関係ねえけどこれも何かの本質だろうと思った。
5匹の猿の実験でググって欲しい。いまだに方言札を首から下げて、意味も分からず方言を叩くルールに従っている人間もいるのだろう。
どれだけ書いても文章の読めない人間はいるが念のために書いておくと、関西が先進的とかいう話をしているのではない。日本全国どこでも発生している問題の一部を取り上げて、いち地域の差別性をことさらに取り上げるのは間違ってるのではないかと言いたい。
そもそも恐らく人間は本質的に差別的な生き物なのだから、そこを否定しても仕方ないと私は思っている。
私は東京周辺の関東地域にしか住んだことがないので関東の人間には申し訳ないがやり玉に挙げさせていただく。又聞きではその他地域においてもいろんな例を聞いている。これは自分自身に対する戒めでもある。
「部落差別は関西特有の問題」というのではなく、人間社会全体に根を下ろす差別意識の一形態にすぎないのだと思う。
身近な例を出すと、派遣社員を区別して休憩室を使わせないようにする正社員、というのも、差別のスタート地点だろう。
自身の差別性と嗜虐性に少し自覚的になり向き合うことで、昨日よりはマシな人間性を得られるのではないかと私は期待している。
愉快な作業ではないが、差別意識をなかったことにして綺麗に見せかける人生よりはよほど有益だろう。
歳を取るにつれ日々考えるのが億劫になる一方なのだが、隣同士ちょっと気を遣う丁寧な生き方を心掛けたいと思ってここに記す。
・・・もしかするとこれもXで見かけたポストの投稿者を見下し言葉で責めその愚かさを指摘してあざ笑いたいというサディズムの発露なのかもしれないが。
1. 全体構成
本書は大きく5部構成(+序論・結論)で、古代から20世紀までの「滿洲(満洲)」地域をめぐる勢力と、その中で生まれた「満洲国」――20世紀の民族・国家発明――を一貫したストーリーとして描き出します。
第五部:滿洲國の成立とナショナル・アイデンティティの発明
2. 主要テーマ
満洲は、東アジア大陸と朝鮮半島/遼東半島の接点に位置する「低地」=外来勢力の侵入・征服が常態化した空間。そこを舞台にさまざまな遊牧・騎馬民族が王朝を興し、漢民族中心史観のタブーを破壊してきた。
高句麗→契丹(遼)→女真(金)→満洲(清)という、本書の最重要ラインをたどりながら、「遊牧文明」の政治構造と漢文化の摂取・活用の戦略を分析。
1932年に日本が擁立した傀儡政権「滿洲國」は、清帝国の「满洲支配」を近代的国家として再パッケージしたもの。人口構成に乏しい満洲人を「国家の主役」とすることで、ナショナル・アイデンティティを人工的に発明したプロジェクトとして読み解く。
教育・宣伝・儀式(皇帝崇拝、民族衣装)・歴史教科書の改編などを通じ、他地域・他民族を排除し「満洲人」を想像上の共同体として形成するプロセスを詳細に追跡。
3. 各章の論点
序論満洲を地理的に定義し、「窪地」としての脆弱性と、逆に「征服の空間」としての魅力を提示。
第一部(高句麗→契丹)高句麗の辺境国家性を論じ、契丹(遼)による五代十国期の北方統一王朝成立過程を、モンゴル草原勢力との関係から分析。
第二部(女真→金)女真人が「女真語・契丹文」を駆使し、漢文化と遊牧文明をハイブリッド化して金朝を建設する政治戦略を解剖。
第三部(清帝国)満洲人(女真系)の支配エリートが、科挙や儒教を吸収しつつ「満洲旗制度」で特権階級を維持。清の多民族統合メカニズム。
第四部(近代の再定義)日露戦争後、清帝国が「満洲」を失い始める中で、列強による分割的支配と漢民族的ナショナリズムの台頭を並列で検証。
第五部(滿洲國)満洲国の建国イデオロギー(皇帝溥儀の再起用、五族協和)、憲法制定、教育制度、国家祭儀など「民族発明」の実践面を詳細に描写。
結論 「満洲」という地域・イデオロギー・民族カテゴリーが東アジア秩序に果たした役割を総括し、「諸夏主義」の視座へ橋渡し。
「中国=漢民族国家」という前提を覆し、満洲を起点に東アジア史を再構築することで、脱中華・多文明圏論の理論的骨格を補強。
ナショナル・アイデンティティ研究への貢献
「満洲人」という少数民族的主体がいかにして国民国家の主体と見なされたか、「民族発明」のプロセスを具体的に示し、人類学的・歴史学的に示唆を与える。
内モンゴル・チベット・ウイグルなど「非漢族地域」のナショナル・ムーブメントに対する理論的バックボーンを提供するほか、地域分権・多元連合の可能性を歴史的事例を通じて描く。
《中國窪地》が「満洲国」建国プロジェクトを単なる「日本の傀儡政権」として批判するだけでなく、そこに内在する「民族発明」の構造を解明し、東アジアのナショナル・ヒストリーを俯瞰する視座を与える重要著作です。
https://anond.hatelabo.jp/20250727120239
劉仲敬の考える「脱中華」とは?
劉仲敬は「中華」や「中華民族」という概念を政治的な神話・プロパガンダとみなし、それに基づく大中華主義的な国家統一観念を根本から解体・脱却することを指します。
「脱中華」とは、単一民族・単一国家の「中華」幻想から離れ、歴史的に多様であった地域や民族の独自性、多文明圏の多元的連合体に戻ることを意味します。
脱中華は中央集権的な中国帝国体制や共産党一党独裁体制の否定であり、地方・民族ごとの自治や独立、多元的な政治秩序を追求します。
「脱中華」は単に現代中国から離脱するだけでなく、数千年続いた中国の帝国支配や皇帝制度の終焉を示唆し、地域文明の分散と多様化を目指す思想です。
劉仲敬の「脱中華」は、台湾独立やチベット、新疆、内モンゴル、琉球(沖縄)などがそれぞれの文化・政治的主体性を回復することにも繋がり、中国の一体化・統一神話に対する根本的な挑戦と位置づけられます。
まとめ
「中華」概念の解体中華民族・大中華主義の神話・政治的プロパガンダを否定
多元的文明圏(諸夏)への回帰単一国家モデルから、多民族・多文明圏の多元連合体へ移行
中央集権体制の否定 強権的な中央集権政治から地域自治・多元政治への転換
歴史的帝国支配の終焉中国帝国・皇帝制度の歴史的終焉を意味する
https://anond.hatelabo.jp/20250727120239
中国は「中華民族」という単一民族で統一された国家ではなく、多様な民族と文化の連合体です。
→ こうした多様性を一つの民主的国家制度でまとめるのは非常に難しい。
中国の歴史は長く、強力な中央集権的皇帝制(帝国)が繰り返し成立してきました。
→ この中央集権的な政治形態は民主主義の多元分散的な制度と相性が悪い。
多数派の漢民族が政治・文化の中心を占め、少数民族は抑圧や同化政策を受けやすい構造。
→民主主義的な「平等」や「少数派保護」が制度的に成立しにくい。
「中華民族」や「大中華主義」は中央集権を正当化する神話として機能し、これに反する民主化や分権的政治は体制にとって脅威。
儒教的な権威主義文化や家父長制的な社会構造も民主主義の根付きにくさを助長。
現代中国では経済発展と社会安定を優先し、政治的自由や民主化は後回しにされる傾向。
まとめ表
理由 内容
多民族多文明の複合体 多様な民族・文化をまとめる民主制度は成立しにくい
中央集権的帝国支配の歴史 長期にわたる強力な中央集権が民主制度の根付きにくさを生む
民族間の権力不均衡少数民族の権利保障が難しく民主主義の基本原理に反する
統一神話の政治的利用 「中華民族」の神話が体制維持に利用され民主化を阻害
文化的・歴史的社会構造儒教的権威主義など民主主義に合わない文化的背景