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2025-09-08

dorawii@執筆依頼募集中

ソースコードいくら見てもそのソースコード作成者が想定してるエンジン側の実装なんて推測できんだろ。

ちなみにその「細かいこと」が気になった発端は初歩であるはずのコード挙動理解につまづいたからだけどな。

そしてAIにこんな質問をしたわけね。

setTimeout(() => {console.log("A"); }, 1001); setTimeout(() => {console.log("B"); },1000);console.log("C"); 上のsetTimeout()の各第二引数の大小関係をどのように調整しても常に第二引数により小さい数が指定されたものコールバック関数が先に実行されます。 これはどういうことですか?先にsetTimeoutと書かれたものコールバック関数からキュー登録され、キューへの取り出し方はjs場合fifo採用されているので、上記コードのような場合は、()=>console.log("A")の方が先にキュー登録されたものとして第二引数無関係に()=>console.log("B")より先に実行されるのではないのですか?
-----BEGINPGP SIGNEDMESSAGE-----Hash: SHA512https://anond.hatelabo.jp/20250908192456# -----BEGINPGP SIGNATURE-----iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaL6u+QAKCRBwMdsubs4+SAtwAP49XRX8yOJwd/XLSKjjP1TASfuVR29t/NIhuLSNb0vr2AD8CtGJTYMzavjSi9TuxJTV/DSYuwhuBLnKkd0lsJOldQI==wm4J-----ENDPGP SIGNATURE-----

Permalink |記事への反応(1) | 19:24

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2025-08-29

10年後の8月だった

ZONEの「secretbase 〜君がくれたもの〜」を聴いてふと感傷に浸ったので書く。

先日地元中学校同窓会があった。10年どころか20年ぶりの旧友たちとの再会だった。参加前は正直顔を覚えてるか、名前を覚えてるか、当時のあだ名を覚えてるかなど心配だったが全く杞憂だった。20年ぶりというのに全然久しぶり感もなく、今の仕事や家庭の話、当時のゲームや拾ったエロ漫画の話や録画して観賞会ギルガメッシュないとの話などで大いに盛り上がった。

また帰省したということで連絡をし高校時代元カノに会った。彼女と付き合ったのは1年ほどだったが、別れた後も何だかんだで仲がよく、卒業後も年1くらいは食事に行く関係だった。ただここ数年はタイミングが合わなかったりコロナだったりで会えておらず気づいたら約10年ぶりの再会だった。彼女特に久しぶりという感じもなく、「10年経っても変わらないものだな」とお互い笑い合った。久しぶりに彼女の口癖を聞いて思わず心が微笑んだ。

子どもの頃に「secretbase 〜君がくれたもの〜」を聴いた時は歌詞に涙をして、いつか自分にも10年後の8月の再会を祈ることがあるのだろうかと思っていた。しか現実10年後どころか20年後の再会も、まるで1年ぶりの再会と同じようなあっけないものだった。振り返るとむしろ大学1年の年末高校時代の友人たちと1年ぶりに会った時の方が喜びや感動が大きかったように思う。人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する「ジャネーの法則」というのがあるがまさにそれなのかもしれない。一方で母数の大小関係なく、思春期の頃のような多感さは自分の中から失われているのだろうなと改めて気づかされた。高校時代元カノと別れた際、もちろん彼女と別れたこ自体も悲しかったが、それ以上に「彼女に抱いていた好きという感情自分の中から消えていってしまうこと」で泣いたりしていた。そして今ではすっかりその感情は失われてしまった。

10年後の8月が来ても、それを受けとめる感受性がなくなってしまっていて悲しい」というのを書きたかったのだが、いい感じのオチが思い浮かばないので終わり。

Permalink |記事への反応(3) | 23:33

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2025-04-29

goo blog サービス終了のお知らせ 田中秀臣の「ノーガード経済論戦」  量的緩和解除以後の日本経済 II2006-03-08 |Weblog

 前回に去年の夏に事実上の"親日銀派"のエコノミストたちが今年春の量的緩和解除やデフレ脱却政策オプションとしてのインフレ参照値の導入を語っていたと述べた。そのような発言を聞く一方で、小泉政権サイドに近いところから夏の終り日銀政府との名目経済成長率論争が起きるだろうという観測を聞いた。もっとも去年の夏は郵政民営化を焦点とした政治の季節に吹き飛ばされて、この「論争」が正体を現したのは年末になってからであった。具体的には昨年12月経済財政諮問会議において与謝野馨経済財政金融担当相と竹中平蔵総務相との間で交わされた財政再建をめぐる論争である。これは財政再建をめぐっての金融政策位置づけをどうとらえるのか、という論争であったともいいかえることができる。長期国債の利回りである長期利子率と名目成長率の大小関係がどのように金融政策と関連しているのか、という点で与謝野大臣竹中大臣との間で意見が交換された。では、なぜ長期利子率と名目成長率の大小が財政再建や金融政策のあり方に関係するのだろうか(以下は拙著経済論戦の読み方』(講談社現代新書)による)。

 

 国債新規発行額が次式で表わされるとしよう。

国債新規発行=政府支出-税収+名目金利×国債残高   

 ところで国債残高が財政健全性で問題になるのは絶対的な大きさではなく、ネットでみた名目国民所得との比率である。上式を用いて簡単に導出されたのが次の関係である

 

国債新規発行分/名目GDP)の一年間の変化分

  =〔(政府支出-税収)/名目GDP〕-(名目GDPの成長率-利子率)×(国債新規発行/名目GDP

 

 政府支出-税収がプライマリーバランスとよばれるものだが、この式の右辺第2項をみるように名目GDPの成長率が利子率を上まわれば、プライマリーバランスにかかわらず国債新規発行分・名目GDP比率はある一定の値に収束する。逆に名目GDPの成長率が利子率を下回ると発散する。すなわちしばしば財政再建論議話題になるプライマリーバランス改善よりも財政危機回避する際にきわめて重要なのは名目利子率と名目GDP成長率の大小関係ということになる。この関係を「ドーマー命題」と呼んでいる。

 

 そしてどのような国債残高の初期水準からはじめても、利子率が成長率よりも大きいとき財政破綻に直面し、利子率が成長率よりも低ければ財政破綻の危機は訪れない。もちろん現在日本ゼロ金利であり、長期国債の利回りも歴史まれにみる低水準である(1~2%)。しかし他方で名目成長率はマイナスで推移している。つまり名目成長率よりも金利のほうが大きい事態が長期的に継続しているのが日本現在の状況である日本名目公債残高/名目GDP比が90年代から今日まで増加トレンドを変更しないのは主にこの事情による。成長率の低下をもたらしているデフレ継続すれば、ドーマーの命題でいうところの財政破綻の危険性が高まっていくわけである

 

 さて与謝野大臣は近年では長期金利名目成長率を下回ることはない、という認識であり、対して竹中大臣金融政策などの政策対応がきちんとしていれば名目金利名目成長率を長期にわたって上回ることはない、という立場にたっている。このことは言い換えると、与謝野大臣側は金融政策による名目経済成長率の引き上げは難しく、せいぜい3%程度だという認識のようだ。竹中大臣側は金融政策によって名目成長率は4%程度が達成できると主張しており、実は与謝野竹中両者ともに実質成長率は2%の認識があるため、問題インフレ率をどう判断するかによっている。与謝野大臣側はゼロインフレからせいぜい1%以下にインフレ率を抑えことが望ましいという判断であろう。これは今日日銀政策整合である竹中大臣はいわゆる「リフレ」的観点立脚して発言していると思われ、中長期的に2%程度の低インフレを目指して、税収を改善しもって財政再建に資するという考えかたであるわたしOECD諸国の多くが名目成長率≧長期金利 を実現しているために、日本においても達成可能であると思っている。

 

 ここで今回の量的緩和解除をめぐる騒動でもこの種の日銀的なゼロインフレ志向世界的にはデフレ基調の水準を最適インフレ率とみなしているようである)と竹中大臣代表される政府内の「リフレ」的見解対立が底流のひとつとしてあるということである

 

 昨年の郵政民営化以後、小泉政権目的喪失現象を起こしているのではないだろうか。首相は積年の懸案を達成して、残る政策課題として小泉流の誰から政策障害犯人が明瞭となる課題を探して、政権の緊張感の維持、そして後継選出の影響力を保とうとしたのかもしれない。その意味で、この名目成長率論争を通じて、金融政策のあり方がクローズアップされたのは自然な成り行きだったのかもしれない。なぜならデフレ対策だけはいっこうに改善兆しみえないものだったかであるしか政府挑発ともいえた日銀パッシングはどうも政府自身の思惑や日銀自体計算4月以降の解除)を上回る形で、早期の量的緩和解除にむけて日銀自体を走らせてしまったのかもしれない。

(続く)

 

Permalink |記事への反応(0) | 19:20

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goo blog サービス終了のお知らせ 田中秀臣の「ノーガード経済論戦」 出口政策が熱い?!(その2) 2005-11-29 |Weblog

 

お待たせしました。続きです。(その1はこちら)

 

●出口政策理論的基礎―ニューケインジアンモデル

 

 出口政策理解するためにはやはりそれなりの理論的なフレームで考えなくてはいけないだろう。例えばバーナンキ次期FRB議長日本デフレ脱出に、エガートソンとウッドフォード経済学モデルを援用して、インフレ目標政策物価水準目標の合わせ技を提案した(ベン・バーナンキリフレと金政策日本経済新聞社)。以下ではこのエガートソンとウッドフォードモデルの枠組みをきわめて単純化して「出口政策」の理論的基礎とさら現在しばしば話題になる日銀預金残高の超過準備問題という技術的な側面についてコメントしてみたい。

 

 いわゆる「ルーカス批判」以降、政策による期待の変化という問題に耐えられる理論構造もつことがマクロ経済学に求められきた。そのひとつの解が、いわゆる「マクロ経済学ミクロ的基礎」である。「ルーカス批判」以後、マクロ経済学プログラムはこの「ミクロ的基礎付け」をRBC(実物景気循環論)モデルとニューケインジアンモデルの大まかふたつの方向で深化してきた。両者はいまでは見分けがつかないほど交じり合ってしまった。例えばバーナンキらの理論では長期においては市場自律的調整機能を信頼しているため、長期的スタンスをとれば例えば失業が深刻であっても市場の調整能力にまかせる、という選択最初から排除するものではない。しかしもちろんこのような態度は、バーナンキらの積極的に認めるところではなく、実際問題として不況が深刻であったり、極めて高いインフレが起きているとき政策介入を強くすすめることで社会的コストを避けるというのが、いわゆるニューケインジアン立場であろう。

 

消費者の行動(NewIS曲線

 

 バーナンキらはまずマクロ経済を考える上で、家計消費者)の行動、企業の行動、そして金融政策担当する中央銀行の行動を主要なプレイヤーとして考える。それぞれのミクロ的な行動が経済マクロ的動向に影響を与えていくと考えるわけである

 

 まず消費者自分効用(満足)を最大化するために行動する。その際に予算の制約をうけるわけであるが、その制約の変化に対してなるべく消費を平準化スムージング)して行うことが最適な対応である、とこの消費者は考えているとしよう。消費の平準化というのは、今期(現在)と来期(将来)の消費量をあまり変化させずに似たような量だけ消費し続けることを意味している。例えば今期、クリスマス家族恋人プレゼントをするために消費を増やせば、それに対応して将来の消費を減少させることで、期間を通じてみれば消費は一定水準にあるというわけである。例えば経済全体の景気がよく将来的に家計所得が通常の場合よりも増加すると期待されたとしよう。このような状況を期待産出量ギャップが拡大したと表現する(あるいは期待拡張ギャップ存在とも表現可能)。将来の所得が増えると期待されるので、この家計はそれを見込んで現在の消費を増やすことで平準化を行おうとするだろう(そうしないと予想通りに将来の所得が増えた場合、将来の消費の方が今期にくらべて過大になってしまうので)。

 

 この状況は先の例でいえば、会社の成績が良好で、ボーナスの増額が望めるために、クリスマスプレゼントはその将来のボーナスで返済することを見込んで、ローンまでして高めのプレゼントを購入することに似ている。すなわち将来の期待産出ギャップ(期待される将来のボーナスの増加)が現在の産出ギャップ(ローンをすることでの現在所得の増加)に反映されることになる。このように家計の消費行動は「来期の産出量ギャップの予想」に依存している。

 

 さら家計は今期の消費と来期の消費をバランスするために現在の実質利子率を参考にするだろう。現在の消費を我慢して貯蓄するには、その貯蓄が経済的に見合うものでなくてはいけない。その報酬として実質利子率が付されるとも考えられる。そしてこの実質利子率が増加すればそれだけ消費者現在の消費よりも貯蓄を選ぶだろうし、また反対に実質利子率が低下すれば将来の消費よりも現在の消費を選ぶであろう。また家計のローンの負担も実質利子率が低下することで軽減され、そのことがローン契約耐久消費財の購入を促すことが知られている。すなわち消費者の行動は「今期の実質短期利子率」に依存している。

 

 ニューケインジアン経済モデルではこのような消費者の行動をIS曲線(NewIS曲線)と表現して現在所得のあり方(産出高ギャップ)に、今期の実質短期利子率と将来の産出量ギャップが影響を与えると考えるわけである。ちなみに伝統的なIS曲線と同じように、今期の実質短期利子率と今期の産出量ギャップとの関係は右下がりの曲線に描くことができる。

 

企業の行動(ニューフィリップス曲線

 

 次に企業の行動をみてみよう。ニューケインズ経済学では企業価格設定行動も経済環境の変化に対して緩慢にしか変化することはせず、そのため価格粘着性という現象一般的であると主張している。この価格粘着性を説明するためにケインズ経済学企業代表的イメージとして「独占的競争モデル」を採用する場合が多い。経済学の想定する市場典型的な姿は、完全競争と独占である。完全競争市場では、多数の売り手と多数の買い手が、お互いに市場価格シグナルとして販売・購入活動を行っている。価格資源配分有効に行うと想定しているので、この完全競争市場では売り手と買い手はプライステイカーとして行動する。他方の独占市場では、売り手もしくは買い手ないし双方が市場価格コントロールする力を保有しており、独占市場では完全競争市場にくらべて、価格はより高く、取引される財・サービスの量は少ない。独占市場は完全競争市場に比べると資源の非効率的な配分が行われている。

 

 しかしこのような両極端な市場の姿よりも、次のような市場のあり方の方が一般的ではないだろうか。例えば近所の本屋にいけば、さまざまなビジネス雑誌販売されている。そしてそれぞれのビジネス雑誌は、特集する記事が異なったり、価格も各出版社独自色を打ち出してライバル雑誌に負けないとしているように思える。またどの出版社でも自由ビジネス雑誌を発刊することができ、自由にそれを辞めることができる点でも、完全競争市場の特徴を持っている。

 

 このようなケースは、なにもビジネス雑誌だけではないだろう。私たちは、完全競争と独占の両方の特徴を持った様々な財・サービス―例えば、書籍映画パソコンソフトレストランコンビニケーキ車など―を日常的に目にしている。経済学では、このような財・サービス市場を「独占的競争市場」と名づけている。独占的競争とは、同質ではないが類似した財・サービスを売る多くの企業存在する市場だということができるだろう。独占的競争市場では、たくさんの企業が同じ顧客相手競争を繰り広げている。その一方で、個々の企業が、他の企業と異なる製品供給している。これを製品差別化という。また同時に参入・退出が自由である

 

 完全競争市場では市場で決まった価格販売すればすべての財は売りつくされる。他方で独占的競争市場では、企業は「右下がりの需要曲線」に直面している。これは企業価格コントロールできるが、もし価格を上げれば需要は減り、下げれば需要が増加するという市場環境に直面していることを意味している。この結果、この独占的競争企業は若干の独占力を有しているために、限界費用を超える価格を自ら設定することができる。この限界費用というのは、財やサービスを追加的に一単位製造するときに要する費用のことである経済学ではこの「限界」的な単位消費者企業選択判断する。例えば、企業は売り上げ全体の動向と価格をみて供給を決定するのではなく、新たに一単位生産するときコストとその販売価格の大小関係で意思決定を行う。

 

 例えば『冬ソナ』のDVDを一冊追加的に生産するコスト(=限界費用)が1000円だとすると、この独占的競争企業は5000円で市場での販売可能になるということである限界費用価格との差額は、この企業にとっての「マークアップ」(超過利潤とイメージしてもいい)を得ることが可能であることを意味している。この超過利潤の獲得を目的にして、多くの企業がこの市場に参入する。もちろん独占的競争企業製品差別化によってこの熾烈な競争に打ち勝とうとするだろう。独占的競争市場では、このような熾烈な競争の結果、長期的には利潤がゼロになることがしられている。そしてこのような熾烈な競争に生き抜くために、企業製品差別化をはかり消費者需要喚起し、その有効手段とし広告ブランド戦略などを展開しているのである

 

 ところで独占的競争企業価格設定を自ら行うことができるが、市場の動向に合わせて絶えず価格を変更しているわけではない。価格の変更に伴うコストメニューコスト)が発生するために頻繁に需要の変化に応じて価格修正することはしない。そのためメニューコストを原因とする価格粘着性が広く観察される。また価格改訂する企業が増加するにしたがって、この価格粘着性は緩んでいくと考えられている。この価格の変更に企業は今期の産出高ギャップをまず参考にする。これはいままでの議論では需要供給よりも多いと考えられるならば企業価格を上昇させるように改訂するだろう。また他方で将来のインフレ率の予想も重要である。なぜなら上記マークアップ名目額よりも各企業はその実質値に注目すするからである。将来獲得したいと期する利益に将来のインフレ率の動向が大きくかかわるわけである。まとめると企業価格改定行動は、今期の産出高ギャップと、来期の期待インフレ率依存している。経済全体でみれば現在インフレ率は期待インフレ率と産出高ギャップに影響される。この関係表現したのがニューフイリップス曲線という。

 

中央銀行の行動(テイラールール

 

 さら中央銀行金融政策ルールテイラールールの形で導入するのが一般的であるジョン・テイラーグリーンスパン率いるFRB金融政策の行動を「テイラールール」という形で表現することに成功した。テイラーによるとFRBは産出量ギャップ(潜在産出量-現実の産出量/潜在産出量)とインフレ率に反応して利子率を設定しているというものであるテイラールールもっと古典的形式は産出量ギャップインフレ率を均等に重きを置いて考慮する政策スタンスを採り入れたものとなっている。

 

名目利子率=0.01-0.5(潜在産出量-現実の産出量/潜在産出量)+0.5×目標インフレ

 

である。このテイラールールを用いると、産出量ギャップが0.01、目標インフレ率を0.02だとするとFRBは0.5%利子率を引き下げて、景気の後退を防ぐことがわかるだろう。このテイラールールグリーンスパン率いるFRBの動きをかなりうまく説明することができるといわれている。

 

 ところで中央銀行経済にふりかかるさまざまなショックから国民経済厚生を守るために行動するとみなされている。いま国民経済厚生を最大化するような中央銀行を考えて、この中央銀行が考えている経済厚生の損失の最小化が、そのまま国民経済厚生の損失の最小化になると考えるとしよう。中央銀行国民経済厚生の最大化(あるいは損失の最小化)をきちんとフォローできると考えるわけである

 

 このとき中央銀行経済厚生を最小化するための目的関数を「損失関数」といい、これは簡単にいうと今期のインフレ率と今期の産出高ギャップを足したものである。この「損失」を下の(a)(b)(c)のもとで最小化するのが、この経済にとってもっとも望まれる=最適と考える。

 

(a)NewIS曲線では、今期の産出量ギャップが(1)今期の実質短期金利と(2)来期の産出量ギャップの予想に依存する 

(b) ニューフィリップス曲線では、今期のインフレ率が(1)今期の産出量ギャップと(2)来期の期待インフレ率依存する

(c)中央銀行目標名目短期利子率を決めるにあたって(1)今期の産出量ギャップ(2)目標インフレ率を参照する。

 

 ところで上の意味での最適な中央銀行金融政策を考える上で重要ものが「コミットメントである。これは中央銀行金融政策目標達成への力強い政策的態度をしめす言葉といえる。具体的な目標について責任を持って期間内に達成することを約束することであ。例えば未達成の場合には具体的な形で責任をとる(ペナルティをとる)と考えて同じで効果を発揮する。このコミットメントを行うことが経済活動するさまざまな主体家計企業市場関係者)の予想に影響を与える。

 

 例えば、先の(a)のIS曲線では、今期の産出量ギャップが(1)今期の実質短期金利と(2)来期の産出量ギャップの予想に依存していて、さらに来期の産出量ギャップは(1)'来期の実質短期金利と(2)'来来期の産出量ギャップの予想に依存していて以下同様に…となると、結局、今期の産出量ギャップは将来の実質短期金利依存することになる。ニューケインジアンは産出量ギャップの変動を経済変動で重視しているので、これは将来の金融政策のあり方(=将来の実質短期金利をどうするか)への予想が決定的に重要になるということになる。

 

 「産出量ギャップ」という表現が苦手な読者は、消費者でいえば(借り入れのケースを含む)所得企業でいえばマークアップと考えてみればいいだろう。いまのサラリーの額や企業利益中央銀行現在から将来に向けての政策態度に影響されるというのがニューケインジアンモデルもわかりやすい含意だ。

 

 このような将来が現在規定するという考え方をフォワード・ルッキングという。このようなフォワード・ルッキング経済構造では、経済主体の予想に影響を及ぼすコミットメントいか重要になるかが分かるであろう。

 

●出口条件を考える

 

 さて出口政策の条件を考えるには上の(a)(b)(c)のもとで損失関数が最小化するように計算をしなくてはいけない。しかしここでは直観的な説明を行う。渡辺努岩村充氏の『新しい物価理論』(岩波書店)で用いられた仮設例を利用したい。この仮設例の面白いところは上記までは顔を出していない長期利子率の動きをフォローすることができることである現在の出口政策にかかわる議論が長期利子率のオーバーシュート財政危機の拡大?)への懸念にあることを思えばその重要性がわかるであろう。ちなみに以下では金利の期間構造モデル採用して、長期利子率は将来の短期利子率の予想値に依存していると考える。すなわち単純化して足元の長期利子率は、足元の短期利子率と次の期の短期利子率の単純平均とする。また産出高ギャップは長期利子率に反応すると考える。あとでわかることだが、長期利子率は短期利子率の予想へのコミットメント誘導されて決定されるのでいままでの議論と同じである

 

 いま三期間(0,1,2期)を生きる経済を考えよう。第0期はデフレ流動性の罠に陥ってるとする。現代版の流動性の罠バーナンキらは名目短期利子率がゼロ(=利子率の非負制約)であると考えている。そして第1期と第2期では経済回復しているとする。このとき渡辺岩村の仮設

Permalink |記事への反応(0) | 19:15

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2025-04-04

anond:20250404093845

そういう現実に即した単位略語だと

ビリオン(普通キロとかメガとかでやるが)より上の桁になると単語自体知らないひとが出るし

小関係わからなくなるから

abcを使うんだよ

ちょっとは知恵働かせな

Permalink |記事への反応(1) | 09:43

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2025-02-22

今のアメリカ政府への偏見

脅迫取引と思ってそう

・「偉大」が何を意味するかは数字しかみてなさそう

問題の大小関係なく大鉈を振るえば格好がつくと思ってそう

・軟着陸という言葉は知らなそう

表現の自由自分たちだけの武器と思ってそう

その他あったらどうぞ。

Permalink |記事への反応(1) | 15:51

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2025-02-12

あるAIモデルバカになったと言われる現象

最近特に顕著だなと思ったから、今日久々にClaudeで「9.119.9はどちらが大きいですか?」を試したの

したら去年のモデルアップデート後は何もしなくても正解率9/10くらいだったのが、正解率1/10だったのね

そこで返答モードを切り替えると、Explanatoryスタイルだけは高確率で正解、それ以外(Concise・Formal)はボロボロなの

ボロボロ共通するのは、結論が先に来ること

からExplanatoryでも結論を先に持ってこさせたら、不正解率が激増した

次に、文脈を増やして「小数比較において、9.119.9はどちらが大きいですか?」と聞いてみた

するとNormalスタイルもExplanatoryと同じように順序立てて最後に答えを出すようになったので正解率が上がり

ConciseとFormalは結論が先なので相変わらずボロボロ

結局、正解率があがる理由は「順を追って考えましょう」と段階的に考えて、最後に答えを出すからなんですね

思い返すと、モデルアプデ後のClaudeスタイルが追加される前の時期に正答率が高かった理由もそれかもしれない

やっぱりCoTしか勝たんな

オマケ

9.119.9という2つの小数の大小関係を比較する必要があります。これは基本的数学比較問題です。

まず、両方の数を小数点以下2桁まで見てみましょう。

9.11

9.90(9.9は9.90と同じです)

両方とも9なので、この部分では差がありません。

両方とも1なので、ここでも差がありません。

9.11場合は1

9.90の場合は0

1は0より大きいので、9.11の方が大きいと結論づけられます

おかしなるで

Permalink |記事への反応(0) | 09:43

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2025-02-11

anond:20250211100132

10.9と10.11の大小関係が分からないレヴェルやからなあ

Permalink |記事への反応(2) | 10:16

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2025-02-07

anond:20250207112927

「内心の加虐願望・暴力性を抑えつけず現実行使してる人間と、それに晒されることで同じような怒りや暴力衝動を持ちながらも決して自分は行わないことでそいつ自分は決定的に違うのだ、と考えて自身の心や尊厳ギリギリ保っている心情と行動」ってそんなに理解されないものなのか……?って感想だった

ブコメでもトラバでもフェミくさいとか言われてるけど、自分はあのOLエピソードわかりやすすぎるくらいわかりやすすぎるし腑に落ちるなあと思ったのでその断絶について考えてしまった

相手の胸先三寸」に一方的に巻き込まれたことない人には伝わらないコンテクストなのかもって

この辺は上司がそれとして描かれてるね

(追記1 秘めた欲望あんじゃない?から認識というのは、彼女言葉で、彼女が本当にいまそう思っていて、彼女自身感情世界について納得するために採用した少し病んだ精神状態からの発想として描かれてるのかなって自分は思った…この精神状態の全てに覚えがある しかしそれは作品全体を見ては実際確かなことだし、だからこそ彼女や「欲望を見せびらかさな普通の人」は「めちゃくちゃえらい」のだが、しかし実際のところ「本当にただわからない」から無神経にも残酷にもなれる人がいる、というのが自分の実感です)

(追記2 確かに誰しも「そんなやつと自分は違う」に拘泥しているのかも)

あのOLがそれでも通勤路も時間もずらさずにぶつかられ続けるのって、こっちもやり返してやろう、おまえだって相手の胸先三寸で刺される可能性があるんだぞざまあみろって感情のままそれを実際の暴力としてぶつけることが衝動的にできる機会に自分さらし続けてるわけで、そういう「いつか本当にやってしまってもいい」くらいの強い暴力性と思いつめた心を持って暮らしてるんだよね、彼女

それは会話の中で散々ストレートに語られてるから言うまでもないけど、そこからの「わたしってめちゃくちゃえらいと思う」はだから本当にそうなんだよ、素直にえらいことなだって静かなカタルシスがあるというか、その選択をできた自分を見つけられて外側から把握できたことでここまでの恨みをひとりで煮詰めて思いつめていた状態から抜け出すそのはじめになるというか、自分大丈夫、と思えるきっかけになるんだよね

から決して不穏なラストではないと自分理解したな

痴漢とか盗撮とか性犯罪だけに限らず、なにか強要されたりパワハラだったりいじめ被害に遭ったり大小関わらずの犯罪被害に遭ったことがあって属性性別わずそれで思いつめた人には結構わかる感情というかわりとど真ん中の人間の矜持の保ち方だと思っていたので(というか自分がまさにそうしてなんとかここまで生きてこられたので)、一部ブコメの反応はちょっとしかったというか断絶を感じたかな…

そういう意図で描かれたかはわからないけどね

このわかりやすすぎるエピソードが入ることで、ほんの少しのきっかけで揺らぐし(疲れたも眠りたいも死にたいもその境がすぐ混ざり合うように)壊れる綱渡りロープの細さの真上の人間の「生きる」営みの頼りなさと、だからこそあまりにも隣にある自分他人も含む死の近しさ、どちらに転ぶかわからない線の上にあってそれでも選び取られるそれぞれの方法の先に灯っている小さい明かりみたいなもの存在を味わわせてくれる感じがして、その不安定さそのものを描きたいのかな…という気がしたな

画面や線もそれそのもの構成しているようで自分結構好きだったよ

Permalink |記事への反応(1) | 17:19

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2024-10-15

ハイラルを救った増田の知恵のかりものクリア陸の森下の江池のダス又っクスを流雷派(回文

おはようございます

私やったわ!

やったわよ!

ゼルダの伝説 知恵のかりものクリアしたの!

前作のブレスオブザワイルドと比べてプレイ当初最初全然何やっていいかからないまま2年間放っておいたのとは大違い!

あっという間にクリアしちゃったって感じだけど、

その分凝縮した感じで、

ハイラルの大地を走り回ってうんと堪能できたわ!

案の定

馬もインパからもらってゼルダ姫専用のお利口な馬をゲットしたけど自分で走った方が速いのでブレスオブザワイルドと同様に使わなかったけどね。

でも、

「知恵のかりもの」の方はあちこちにファストトラベルポイントがあって、

たとえそれがダンジョンの中からでもワープできるの。

あ!ブレワイも一緒か。

そのおかげで、

ボス戦迫ってきて回復アイテムスムージーの数が心細くなってきたら一旦スムージー屋さんに行って体制を整えてきて、

岩塩100パーセント文字通りしょっぱいスムージーを持ってボス戦に再度挑むってこともできたり、

プレイ周りも快適で本当に小気味よくサクサクと進められまくりまくりすてぃーな感じで上質なプレイ体験を感じることができたわ。

もう三女神に到達したところで既にクリア目前だったのよ。

昨日の時点で、

仕掛けやボス戦が佳境になってきて超絶難しくなってきた手前、

これからどんだけ難しくなるの?っててんてこ舞いの舞を恥ずかしげに何の躊躇いもなく舞う前でよかったわ。

サブクエストとか集めるものもそんなに躍起になって集めてないし、

自然に集まるがままに強さもレヴェルアップさせた状態でもクリアできちゃったし。

私のゼルダ体験比較対象が「ブレスオブザワイルドしかなくてってのが前提なんだけど、

今回の「かりもの」は何にも困ることが一切なく、

防寒対策が足りない!

ルピーが足りない!

ハートが足りない!

がんばりゲージが足りない!

斧が足りない!

薪が足りない!

切り倒せる木が切りすぎて足りない!

剣が足りない!

矢が足りない!

そして盾も足りない!

さらバナナが足りない!

全てにおいて「ブレワイ」は何かと足りないことが多かったのに比べて、

こちらの「かりもの」な何にも困ることのないまま物資は潤沢に全て最後までストーリーを進められちゃったの。

だけど、

だけどよ!

唯一困ったのが、

これどうやって「カリモノ」で突破するの?って

自分の知恵の足りなさに悶絶するシーンが多くて、

こちらの方が私の知恵が足りないパラメーターがあるなら多分100のうち3とかだと思うの。

物資豊富!でもそれを活かす知恵がない!

これに困ったわ。

でもなんとかなるもので、

適当な「カリモノ」を適当にじゃんじゃん置いていったら何かに効く、

いや効いている効きすぎているかもしれませんって村西監督ばりにそう思うの。

何度もいうけれど物資はたくさんあって何も困ることがないけれど、

プレイヤーの知恵がないと突破できない箇所があり、

これは作中どうにもできない事なので本当に考えるしかないの!

考えて考えて考え抜くしかないの!

私のこんな小さな頭でも考えられて突破できるので、

無理ゲーってことはないからそこは安心して欲しいけれど。

でもこのクリア体験は「ブレワイ」よりも気持ちいい、

連続して知恵の輪を解いていく感じのハマったらその気持ちよさ!

「ブレワイ」はとにかく走り回って広い大地を!の方が大冒険度優っているので、

とにかく大地にハイラルの大大大地にって、

もう大地が広すぎて駆け巡る青春!って気持ちの方が多かったけれど、

それに反して

「知恵のかりものはい意味でいろいろとコンパクトにまとまっていて、

プレイヤーの知恵だけが頼り!というもう文字通り知恵にフォーカスを絞った的を得た感じだったのよね。

あー!

うそう「ブレワイ」はボスの倒し方が分からないまま延々と続けていると四神獣のアドバイスをかけてくれて「こいつを吸い込ませたらいいんじゃない!?」とか言葉をくれるんだけど、

「かりもの」は一切そういう手助けが出てこないの!容赦なく!何もよ!

から倒し方を発見しないと延々にボスは倒せなくて、

それを気付いてしまうとボスでさえ結構簡単に倒せちゃうから

途中のボスであれダンジョンであれ仕掛けを解き明かすのがいか重要かってことが重要フォーカスが当たっていてスポットライトなの!

それを解決できた時の気持ちよさは

風の吹く方向を正しく当てはめないと解けないような例えるとそんなパズル要素がどちらかというと強い印象である「ブレワイ」とは違って

どんな方法でもいいから力尽くで知恵を振り絞る感じだったわ「かりもの」は。

とはいえ

あの「ブレワイ」のまるで自分ルービックキューブの中にいるような大規模な舞台装置の大仕掛け。

頭の中が立体的に考えないといけない難しさも

これまたそれを解き明かした時にドラマチックさは感動だったけど。

映画的大スペクタクルってところよね。

何度も言うけれどこちらの『知恵のかりもの』は自分で知恵を絞って考えてカリモノを繰り出し突破したギミックの大小関わらず、

これこの方法でいけちゃっていいの?って思わず笑っちゃう場面とか、

この要素の方が楽しくて

その考えるのが面白いとか楽しいってとかの連続ってところかしら。

もう手前味噌のお味噌汁をみんなに振る舞いたいほど我ながら一番傑作なのが「時差仕掛けボタン押し装置」の発見よ。

これだけは自慢したいの。

から次どんな知恵を絞らなくちゃいけないのかしら?って

よーし!どんどん慣れてきたから、

ぶんぶん腕を回して

どんと問題ちょうだいカモーンって思ったところで、

もうクリアしちゃったから、

もっともっと謎や仕掛けを知恵を絞って解きたいってところでクリアして終わっちゃったのよ。

そのことに関してはい意味全然物足りなく、

もっと!って思うほどよ!

ちなみに全然参考にならないかと思うけど

クリア時間が「ブレスオブザワイルド」は90時間

「知恵のかりもの」は30時間ぐらいと

いかコンパクトにまとまっているのかが分かると思うわ。

さらに言うなら、

ハートの器のかけらとか作中で武器強化できる力のかけらなどのものの集めた数は全体の3分の1ぐらいしか集められてないけれどこの楽しさよ!

カリモノ」もハイラル全土のもの全部お借りできてない図鑑全部埋まってないしさ。

私のこのコンプ欲のなささ!

逆に言うとそのぐらいの感じで集めて必死に強化しまくらないとクリアできないってところじゃなく、

適当にぬるく遊んでもクリアできちゃうバランス

でもそれにしてもこのなんとも言い難い上質な味の凝縮した感じ。

終始ストーリーハートウォーミングさも相まってなおグッとくるわ。

ハイラル平和が戻ってよかったわ涙!

泣くー!

つーか泣けるー!

ハイラルを救ったの今回で人生2回目!

変に自分に自信ついちゃうかもしれない鴨鹿!

あ!

でも思ったのは「ブレワイ」はなんかハイラル世界は壮絶な深刻さで、

人々もそんな状況の中でも明るく暮らしている、

絶望の中での微かな光を信じてってところを私は感じたけれど、

「知恵のかりもの」は見た目がポップなのも相まって起こってることは辛辣悲惨だけど重くはなくリアルさよりポップさの可愛さの方が際立ってしまう深刻さをそう感じさせない、

あくまゲーム的な世界観ね。

「知恵のかりもの」は子どもちゃん知的玩具として与えてもいいぐらいに設計されているのかしら?

比べてどうのこうのっていうことではないけれど、

しろハイラルを救えたしかも2回目!

私でもできた!ってのが嬉しいじゃない。

泣くわー。

コツコツとまた年単位クリアに途方もない時間がかかるかと思って踏んでいたんだけど

早々にもうハイラルの大地を救えてよかったわ。

あと思ったのがさ、

ゼルダをといってもまだ2作しかクリアしてないけれど、

ゼルダ作品時系列気になるわよね?

つーかこれ「知恵のかりもの時系列どうなんの?

単純に見てもインパが歳とってるので『ゼルダ無双 厄災の黙秘録』よりも後?

ブレスオブザワイルド』との関連性もあやしくない?

だってゼルダリンクのこと「かりもの」の世界の中では初対面みたいな感じで接してるみたいだし?

ゼルダ作品ゼルダ姫も必ずしも同じな同一人物とも限らないって言うじゃない。

まあそこは今の私のレヴェルで言うのは野暮だと思うので、

もっとたくさんゼルダ世界体験したら

そういった「知恵」はつくかもしれないわね。

うふふ。


今日朝ご飯

ミックスサンドしました。

ツナサラダの部分のトマトフレッシュで、

タマゴのゾーンも見逃せない美味しさ!

朝はこれで決まりねっ!

デトックスウォーター

レモン炭酸ウォーラーね。

ここのところ全然果物買ってない感じがしてまともなウォーラーになってないわ!って思いつつも、

買い物し忘れてて帰ってきたら思い出すパターンってあるわよね。

そう言う時にもあったら助かる

炭酸レモンウォーラーは万能よ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

Permalink |記事への反応(0) | 08:08

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2024-08-28

オフィストイレにいる理解不能なおじさん三選

第三位

コーヒー飲みながら用を足しているおじさん。小便器の前にコーヒーカップやタンブラーを置いてる。食品を持ち込んで気分悪くないのか。

第二位

PCスマホを小便器の前に置いてるおじさん。よくそんなところに置けるよな。そのPC持って会議室にいくんだろ。不衛生すぎて無理。たまにスマホを置いてるおじさんもいる。そのスマホを自宅に持ち帰って家のベッドとかにも置いているのだろう。衛生観念が欠如しているとしか思えん。

第一位

手を洗わないおじさん。大小関係なくノータイムで出ていく人がいる。そんな汚れた手で扉やエレベータボタンを押していると思うと気持ち悪い。なんならそのまま帰りの電車の吊革も掴んでいるだろうからオフィスだけでなく電車汚染されているのだろう。こういう人はコロナ流行った時も頑なに手を洗って居なそう。

以上

Permalink |記事への反応(3) | 12:07

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2024-08-12

南海トラフ地震臨時情報新幹線減速

南海トラフ地震臨時情報が発表され、様々な対策が取られている。そのことの可否はどう考えたら良いのか。

新幹線の減速」を例に考えてみた。(※三島-三河安城間で、最高時速を285km/h→230km/hに減速。それに伴い所要時間10分増)

単純に考えて、「対策によって防げる被害対策実施によるデメリット」という大小関係になれば、対策をやる意味があるわけだ。

デメリット」は明確で、「1週間、東海道新幹線の所要時間10分ほど延びる」。

では、「防げる被害」の側はどの程度か。

かなり雑に、「速度を落とさずに運行して、南海トラフ地震が起きた場合、当該区間にいる新幹線は全て脱線転覆し、乗員乗客の全員が死亡する」と仮定してみる。

当該区間(三島-三河安城)の所要時間は50分弱、新幹線の本数は1時間あたり9本から12本→当該区間にいるのは上下線合わせて16本ぐらい。1編成の席は1323席なので、約2万席。お盆なので満席だと思って良いか

まり、「0.5%の確率地震が起きた場合、2万人が死ぬ」→死亡者数の期待値100人。

100人の死亡」と「1週間、東海道新幹線の所要時間10分ほど延びる」。

減速という対策を取った意味あるかな…と自分は思った。

Permalink |記事への反応(0) | 08:20

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2024-02-02

「緊急対談:原作者脚本家はどう共存できるのか」AI書き起こし

AIに書き起こさせて、途中まで手を入れましたが面倒になったのでひとまずここで公開。

本文

黒沢久子

こんばんは、脚本家たちの深夜密談です。今週はちょっと先週からの予告を変更しまして、急遽セクシー田中さんお話をしたいと思っております。言いますのもですね、やっぱり「脚本家の深夜密談」ということで脚本家名前を貸している以上、ちょっと脚本家立場からこの話をして、ご理解していただきたいところもあるなというところからはい、急遽決めました。なかなか勇気のある決断だったので、私達だけでは心もとないので、40年にわたってテレビドラマ活躍されている伴一彦さんに急遽ゲストとして来ていただきました。伴さん、よろしくお願いいたしま

伴一彦

はいこんばんは。お邪魔しま

黒沢久子

よろしくお願いします。伴さんのお話をお伺いする前に、一応ちょっとここまでの経緯を簡単にお伝えしますと、まずこの件の発端というのが12月24日に脚本家の方が、そして今月の26日に原作者である芦原妃名子さんが、それぞれなぜセクシー田中さんの9話と10話を原作者である芦原さんが書くに至ったのかという、経緯をSNS投稿されるんですよね。

それを受けて、ニュースWebニュースなどでも取り上げられたり、X上、SNS上で大炎上し始めるんです。当初はもう9割がた脚本家を責めるようなツイートが多くて、「原作クラッシャーだ」などとひどい攻撃が上がっておりまして、28日、昨日ですね、になって、原作者の方が「攻撃たかったわけではなくて、ごめんなさい」というツイートを残してアカウントを消されてるんですよね。その段階で、私自身も伴さんに「ちょっとお話したいんだ」とお願いしてはいたんですけれど、やはり当事者の方がもう触れて欲しくないのかなというツイートアカウント消されてるってことは火消しにしたいのかなというので触れない方がいいのかなと、考えたりもしていたんですけれど、今日になって、芦原さんがお亡くなりになったというニュースが届きまして、やはりここはちゃんと取り上げて、脚本家ドラマに関してですよね。この件に関して私達は当事者ではなくて、あくまでも報道SNS上、ご自身たちの発信で知ったことが全てですので、憶測で物も言いたくないですし、業界関係者から新たな情報を、確信もなく確認することもなく、手に入れてお話しするつもりもありません。あくまでも今わかってる事実に基づいて、ドラマ作りなど、あるいは脚色の仕方など、どんなことをキャッチし、脚本家がしてどんなトラブル、これまで起こったのかなどをお伝えできればなと思っておりますはい。ということなんですけれど、伴さんもこれまでの経緯をかなり、こう、何て言うのですか、チェックされたりされているかと思うんですけれど、

伴一彦

はい

黒沢久子

いかがですか。

伴一彦

いや、僕もツイート、X、ポストか、したんですけど、やっぱり両方、原作者脚本家両方がお互いの意向というか意思を知らないで、進んでしまってるのが一番の懸念かなと思ったんですよね。

黒沢久子

うんうん。

伴一彦

そこはだから、僕は全く原作者と揉めたことなくて

黒沢久子

そうなんですか。

伴一彦

そうですね、お友達になって飲みに行ってっていうかパターンの方が多いんですよね。

黒沢久子

ええ、ええ

伴一彦

そのとき、もう、いや、だから別に責めるっていうか、まぁ番組って、だから脚本家自由に書けるわけじゃないじゃないですか

黒沢久子

はい

伴一彦

監督勝手に言っとるわけで、やっぱりプロデューサーが全ての責任を負うんですよね。この番組方向性だとか、そういう本にするとか、誰に書かせるとか、そういうのは全部、あのうそこ、プロデューサー仕事なので、僕の見えないところで、原作者と、いろんな交渉をして、ドラマバリューチェーン繋げてくれたんだなとは、今振り返って思うんですよね。

まりトラブルがなくすのが、プロデューサー仕事というふうに思ってるんで。ただ、原作者意図とかわからないときに「話し合いをしたい」とこっちが言ってるけれども、やっぱ間に入る編集の人とか、プロデューサーが「そこは会わせない方がいい」と思ったのか、お互いに忖度してくれてるのか、合わずに、あの、話が進んじゃう。で、最後に、何か打ち上げか何かでお会いしたときにはもう、記者記者発表のときか、お会いしたときにはもう「面白かったです」って言ってくれたりみたいなことがあったんで、もっと早く…多忙作家さんだったんで、うん、逢う時間がなかったのかもしれないけれども、何かあったらやっぱり直接会って話すというのが、一番誤解も解けるし、やりたいことも再確認できるし、いいんじゃないかなと思いますね。

黒沢久子

そうですよね。私も、まぁ、テレビに限らず映画なんかでもそうなんですけど、やっぱり、私の感覚からすると、やっぱり脚本家原作者って、やっぱり作家同士ですのでね、性質上どうしたって対立したりってする、しがちっていうか、私は当然だとは思ったりするところもあるんですよね。

ただ、そんなになんだろう、トラブルになる、トラブルが全くなかったってわけではなく、やっぱりこちらで書いたものを、原作者の方からこういう要請が来ましたみたいなことは結構ありますし、そこで意見がぶつかって、はい、まあね、「ちょっとうちで話しましょう」みたいな呼びつけられて、「なんかあなたって本当に私の原作のこと全然わかってないよね」みたいなことを言われてたこともありましたけど、ただ、やっぱり基本的に直接脚本家原作者の方と会うってなかなかないですよね。それは、やっぱり、ですよね、だからそんなの「会わせたら、何かお互い何か対立するに違いない」みたいなこともあったり、プロデューサーが間に入り調節した結果、だから原作者要望も十聴くのではなく、五聴くことにして、五は原作者の方に納得していただいて、持ち帰った五だけはこちらが説得されて直すとか、なんかそういうことで仕事をしてきた経験があるので、やっぱりTwitter上、X上でね、なんか「脚本家原作を全部変えている」みたいな発言を見ると、とっても心が痛んだんですよね。

伴さん、経験上、ご自身勝手に「もうこのキャラクターこっちに変更しまから」って言って通るってどれぐらいの確率であります

伴一彦

いや、僕の声結構そういう意味じゃ、原作から変えてることが多いんですけど、例えばツイッターにも書きましたけど、クリスチャンとかも原則歴史小説家なんですけれども、それもやめて探偵事務所にしてジョシュ担当上司がいるんですけど、それも原作だと女性だけのお2人の男女にして、あともう1人、子供も加わってみたいなこともあるんで、ほとんどもう原作エピソードも使ってないんですよね。

なるほどなるほどはい。でもそれに関しては寺沢さんって原作者の方からは何もなくそうですか。そのプロデューサーが止めてたのかどうかもわからないんですけれどもうん、うん最後スタジオ収録の日、最終回スタジオ収録のときにいらっしゃって、ホテルとかですって僕はちょっとキドキしてたんですけれども、本当にご紹介あったみたいでいただいて、それから結構一緒に飲みに行くようになって、うん。

エース悪口を言ったりとか、みたいな部分までだし、後で頑固も、もう、うん。原作ほとんど使ってないし、多分ちょっとだいぶ忘れてましたけどええ。昨日、犬がパートナーっていうのも、こっちで作ったやつだと思うんですよね。

ええ。国際の森本と書かれると森本翔子さんっていう方が原作者なんですけれども。はい。そう、何回目か、進んだときに、スタッフルーム手書き漫画付きのFAXをいただいてそれがほ参りましたみたいな、多分本当に面白いこういう番号を書きたかったみたいな言葉で書かれてたんですよ。

なるほどねそのお2人の原作2入るときにですよその仕事を受ける段階でプロデューサーから原作ってどれくらい変えていいですよみたいな説明ってありました。いやあ、僕になかったと思いますなるほど。それいや、ちょっとこの、これをやるんだったらあれだ、うんをしたいとかね、運行しましょうみたいなのを企画会議でやって、うん大体そ、そこでまとまっただったと思いますよ。

やっぱりそれは企画会議っていうプロデューサーさんとの会議を経て、何か決定することで、強ねそれでその企画会議でややこれは原作通りに行ってやってくださいって言われたときに、晩餐です。あったとしてもなかなかるものではないんですよね。

原則通りにやれっていうことですか。ママ会議場を、つまり晩餐1人の力で変えられるものなのかなっていう、それはもちろん、同意がないとできないです。できないですよねっていう僕がやるときは大体、プロデューサーと一緒に訪問することにしててはいはいええ。

監督から入ってくる先生も出来上がったもので、うん、うん。ただ眼光場合はもう現場のありもすごい面白監督があって現場で思いついたことを入れてたりとかねやったんですけどそれを僕のシナリオからはみ出してない、原作からははみ出してると思ったんですけれども。

うんそれも面白がってくれてたんですよね。ですよね原作者の方の中には、やっぱり何か2種類いるなと思っていて。うん。もうね、原作原作映像化は映像から全く別物なので、もう50にどうぞ出来上がりを楽しみにしていますっていうタイプ原作者さんも少なからず、いらっしゃるっていうそういうタイプの、多分今のね2ケースの場合は、バケツ場合は、多分そういう原作さんはファンだったのかなっていう気もするんですけど、その一方で、特に初めて書いた本ですとか、小説ですっていう作者さんに多いのが、やっぱり自分にとってすごくこだわりがあるので、はい

原作はなるべく変えてもらいたくないですっていうような大きいケースもありますよね以前、前々回かな。陳亜美さんでもちょっと話題に出たやわらかい生活のね、はい車や作者さんも本当に思い出のある小説なのでっていうことでちょっと裁判になってしまったりとか、うんやわらかい生活でしたっけ、やわらかい生活ですねはいっていうのもあったりですねお父さんこんばんは。

もうアンさんのポストも拝見してます。ゆはい、拝見してましたってことでした。はい人偏に半分の判断よろしくですそうです。はい。3社になってますねこ細谷さん違います違います。それさんではないです。別な方失礼しました。

患者さんの知らないファンの方もいらっしゃるということで、はいはい、うんそういうはい。いや、僕東野圭吾さんってどっちタイプなんですか。私は東野さんやったことないのでよくわからないただ作家の方でも作品るケースも結構あるんですよね。

この作品だったら自由にやってください。でもこれはっていうのがあって、だから私の場合はもう原作企画ができた段階で、原作者の方ってどれくらい変えていい方だなんですかっていうのをまず聞くようにしてますねっていうぐらい、ちょっと最近はやはりこだわられる方が増えてるのかなっていう、以前よりも感覚としてこうっていう感じは、今月は東野圭吾さんが担当相を取った放課後っていうのを着色してるんですよ。

はいはいはいドスパラ木曜ドラマストレートだったかな、うん、うん、それは高校舞台のやつだったんで、もうちょっと青春寄りな精神者っぽいノリで書いたんですけど、それに関しても東野さんと会ってもいないし、何か意見を聞いたこともないんですよねそうなんですよねただやはり今回の場合、すごく実は特殊なケースだったんだなって後からわかったのがもうそドラマー化を許可する段階の条件として、原則通りにやってくださいよという条件が出されていたっていうのが、うん。

ちょっと今回の場合、かなり特異なケースだなとは感じたんですよねただ、それを受けてしまったというか伴さん可能ですかと思うんですよね映像化するにあたって、原作まんまみたいな。上着を持ったまんまっていうのがあっても、媒体が違うわけだから絶対ね同じものには何年か同じものにはならないですね。

なんですけれどやっぱりそれどこまでならないですよ。だけどできる限り、うん、もう原作を生かす方向でいきますみたいな説明がなされたのかとか、うん。やっぱりそのあたりがまずどうだったのかっていうことと、あとその点をどれだけ脚本家に伝えていたのかっていうこの2点がわからないので、いや、脚本家にすすめるとそれは全く伝わってない感じですもんねそうですそれはそうそ丸山正木さんが書かれてるけれども、これだから約束事の問題ですよね。

何か緑色に悪いとかじゃなくて、そこがちゃんと伝わってない、両方が持ってることが違うっていう違ってたっていうことですかね。こういうのって普通契約書みたいなのって交わすんですか。特に多分返してると思うんですけど、僕は1回も原作者と局が交わした契約書を見たことはないです。

脚本家が見れるものではないんですね。そうですねどういう約束しまたかみたいなことを聞くことは可能かと思うんですけど、僕は聞いたことはなくて、そういう質問したこともないんですけど、ただ、七瀬再び行って、筒井康隆さんの原作のやつをNHKでやったことがあるんですけど、そのときにはもう、プロデューサーが、筒井さんに、こういうふうに変えたい。

なぜならこういう理由ねみたいなことを、もう愛を込めた文章メールを送られて、たところから始まったみたいですね。だからヘンリーっていう円だったかな、黒人が出てくるんですけれども、ちょっと時代的にも今の時代ちょっと黒人が上位に出てくるタイミングでみたいな、うん能力の話ですけど、それはちょっとまずいかなっていうものもあって、日本人に変えたんだけどね。

うん。ヘンリーというそれそれもこういう理由でみたいなこと言って、多分テレビOKしてくれたと思うんですよ。手続き場合は、もう本当にあの台本から隅まであって、原作者チェック以上に、ここはこのセリフは繋がってるかみたいなことまで毎回、メールをいただいてそれをプロデューサーが僕に直接見せてくれたんですよね。

そういうの直したまんま直したかちょっと忘れましたけれどもそういうやり取りをやりますよって言って始まる前にちょっと原宿のおうちにも挨拶というか、説明に行ったこともありますけどねうん。いやだけど、なんかお母さんの今のお話を聞いて何となく問題点がわかってきたなってちょっと感じたのがですね、とある原作者の方がすごくドラマ化にあたって揉めている最中にその原作者の方と会ってお話する機会があったんですよ私は関わりがなかったんですけど、うん。

そしたらその原作者が言うには、別に変えてくれてもいいんだけど、変えるなら変えるなりの理由説明してもらいたいんだよっていう、そういうあたりをふわっとしたまま帰られても納得いくわけないじゃないですかってその方おっしゃってて、うん。

くその通りだなと思ったんですよね。うん。こっちだってね他の方の原作を変えるには、変えた方がいいって確信がなかったら安易に変えてるわけじゃないじゃないですか。うん。それをどれだけね、お伝えして納得していただけるかっていうのはやっぱり丁寧なプロセスだし時間必要なんだと思うんですよ。

うん。だけど、やっぱり最近テレビドラマ撮影スケジュールとか制作スケジュールを見ると、うん多いスケジュールを取る余裕さえないような状況で作られてる場合って多いかなと思うんで、なんかねでも、そこは時間かけるべきところですよね。

本当そう思いますね。だってそこに時間かけなかったら、原作者にも意図が伝わらないし、虚構化にもう、なんですか、原則省の意図が伝わらないから、結局齟齬は発生してそのままずっといっちゃいますよねそうなんですよ。

から不信感だけが募ってってくることなのかなってちょっとコメントいただいてるので、6木村さん、芦原さんが最後にはご自身脚本を書かれていますが、前はご自身脚本を書く話はなかったのかなと思いました。いやそれは多分ご自身も何か出ているニュースを読む限りは、本当は書きたいを書きたくて書いたわけではなかったという。

うん、うんね。推測はしないというは言いましたけど、多分最初約束として提示されていたんですって。これは憶測じゃなく事実として出てるんですけれど、完結していないから、ドラマの完結する和に関しては自分ストーリーを使ってほしいセリフもそのまま書いてくださいという条件を出していたんですって、許諾のときにただその最中ですごく過失が多くて、時間的なことも考えて自分で書いた方がいいんじゃないかって決断されたんだろうと思うんですよね。

からやはり脚本脚本家最初のうちきちんと任されていたんだろうと思います。そんなに何かね、無効要求をされていたわけでもないし、ただやはり、なんていうんでしょうね。芦原さんには芦原さんのファンもいらっしゃるし、その脚本家さんには脚本家さんのファンもいるわけで、そのファンの方々がそれぞれね自分のが好きな脚本家さん、あるいは原作者さんに期待するものが多いし、その期待に応えたいと思うのってやっぱりそれはねお2人とも当然じゃないですか。

からあい説明に至ったんだろうと思うんですよねそれぞれのファンの方はそれ読んで納得すればそれで済むことだったのに、そうじゃない人たちなんかあまりにも攻めすぎなんじゃないのっていうのはちょっと感じましたね。

まあね芦田さんの最後のDとかツイートっていうか、そこがね、攻撃たかったわけじゃなくてってそうそうそうなんですよ。だからやっぱりね、うん。すいません、このプランから、あの脚本家の方に非難が集中してるけれども、原則車に避難っていうのはな、ほとんど僕見たことがないんですけどそれ、それなのに、原作者がこういうことを書くっていうのはやっぱりSNSへの誹謗中傷に心を射止められたのかなと思っちゃいますけどね省察なんですその辺りはねあれなんですけれど、そうなんです。

なんでしょうねやっぱりここ最近、本当に私自身がもう行けない風潮だなって、やめてもらいたいなと思ってるのがすぐに対立構造で物を語りたがるっていうだからこれだって別にね、そこまで本課さんと原作者さんが直接的に2人で対立したりしていた話ではなかったように思うんですよ。

ただわかりやすいから、Permalink |記事への反応(8) | 15:17

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2023-11-16

anond:20231115131254

虚軸でi 2i 3iって並んでる事と大きさを定義できる事は全く別物。それは言わば虚部の、つまり実数の大小関係でしかない。虚数についてはi>0,i<0のどっちからも -1>0 が導かれて矛盾するから定義できない。

Permalink |記事への反応(1) | 02:29

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2023-11-02

anond:20231031235421

お前以外の男性

まったく必要ない誹謗中傷を入れてくる所に

お前の邪悪さは有るんだよなあ

カネの大小関係なく結婚すべきじゃあないおまえとは

Permalink |記事への反応(0) | 08:58

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2023-09-29

anond:20230928231812

社会ダメにする典型的ゼロリスク思考

「何かあったら誰が責任取るの?」って自分の嫌なものいちゃもんつけてるだけでしょ。このケースは犯罪者。見つからなければ泣き寝入り

犯罪に遭うリスク授乳室が使える利便性、これの大小関係を考慮して個々が判断して使う使わないを判断するものなのに、オプション提供されているという本質理解できず自己責任で行動できないおこちゃまがそのオプションをなくそうとする。

使いたくなければ使わなきゃいいから、他人が利用する権利を奪うな。大の大人になってゼロリスクでないと行動できないなら日本には住めないからそういう国に移住したらいいよ。

Permalink |記事への反応(1) | 10:35

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2023-08-27

キラキラネーム規制きたけど

漢字中国語読みは認めて欲しいところ

小関羽(こせき ゆう)

葛西亮(かさい りあん

もう誰か申請しただろう

Permalink |記事への反応(1) | 08:20

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2023-08-17

Twitterによくいる電車大好きおじさんの話

Twitterやってると、電車のこと言うと引用RTでワーワー言ってくるアカウント、いるよねぇ?(小◯製薬)

その人の趣味嗜好にケチつけるのはしょうもないんだけど、同じ電車オタクとしてみっともないなぁと思える属性があるのでちょっと書いてみる次第。

~~

電車大好きおじさん

勝手に「電車大好きおじさん」と呼んでいる。特徴としては、「事業者の側に立って発言する」「自称交通政策通」「有名人政治家鉄道に関する発言サンドバッグにする」「鉄道マニアを見下している」「年々語気が強くなっている」あたりだろうか。あとは文章の書き方や出てくるエピソードとして若くはないことも注目ポイント

オタクならそれぞれ当てはまる箇所は二つ三つ出てくると思うが、これを全て兼ね備えているからタチが悪い。それぞれの何がダメなのか下にまとめてみる。

事業者の側に立つ

コロナ禍を超えて、鉄道会社は大小関わらず大ピンチである。そうすると、減便や観光列車廃止サービスの終了などネガティブ話題がどうしても多くなる。それらに対して、電車大好きおじさんは背景を察して理解を示す。

これ自体はそんな問題ない。また、何か議論をしたいのならこの前提に立つ方が良いとすら思う。しかし、自分が「鉄道会社に理解のある彼くん」になったことで無限擁護できると勘違いし、その事象に反発するオタク著名人、果ては一般アカウント引用RTで「お前は何も分かっていないクズだ」と言って罵倒してくるのである

これも、元々はオタクが好き放題言った挙句現場を困らせていることの反動かなとも思っている。けれど、電車大好きおじさんが幅をきかせてきたことで率直な感想すら言えなくなってる気がする。そもそも他人お気持ちをわざわざ検索して引きずり出してくるのは真っ当な人間と思えないのだが。

自称交通政策

鉄道会社のプレスリリース決算報告書行政交通に関する資料など、一次資料を読み込んでは中身をよく発信している。四六時中張り付いていられない自分にとってこれは正直ありがたい話である

しかしながら、一次情報を発信することで自分アカウントメディア錯覚しているように思えてならない。これは後述する発言の強さに直結しているようだ。

有名人政治家サンドバッグにする

鉄道公共交通機関であるので、観光乗客ほっこりエピソードと言った明るい話題だけでなく、事故事件と言った暗い話題にも事欠かない。それらに対して有名人政治家はあれこれ発言し、ニュースになる。自分でも眉を顰める発言は少なくないが、それをやっぱり引用RTしては「お前は何も分かっていない」とやっぱ罵倒するのである

百歩譲って、政治家だったら交通に関することは頭に入れておいてほしいものなので同意する箇所はあるが、単なる芸能人別に電車に詳しくなくても生きていける。それをわざわざ焚き付けるのは性格悪いなと引いてしまうのである

サンドバッグにする対象にもブームがあり、息の長いものだと北海道新聞、ここ数年で盛り上がっているのは静岡県知事だろうか。

鉄道マニアを見下している

同族嫌悪とはよく出来た言葉である自分コミュニティ外の鉄道マニアは基本的に敵と見做しているようだ。撮り鉄はもはや朝敵扱いである、これは分からんでもない。でも酷いものだと、フリー切符旅行している乗り鉄も「正規料金を払っていないクソ野郎」と言っている。不正乗車なら論外だが、自分が愛してやまない事業者が用意した商品を使っているのに文句を言うとは……理解に苦しむところだ。

年々語気が強くなっている

メディア化する、有名人サンドバッグにする、と密接に繋がっているが、インプレッション肥大化するにつれて、それ欲しさに注目されやす言葉を使いがちなようだ。昔から時々見かけるアカウントが久しぶりに流れてきたと思ったら汚い言葉の羅列で驚いたものだ。

から見たら炎上商法、よく分からんインフルエンサーと同じなのだが、自分はどうやら違うと思っているらしい、ちゃんちゃらおかしい話だ。

そんな電車大好きおじさんだが、それを真似した若い(と思われる)人が少しずつ増えてきているのはちょっと気がかりである

~~

彼らを懲らしめる、みたいなつもりもないが、弱点があったのでまとめてみた。結局のところ、オタクにはよくある話なのでスルーしてもらっても結構です。

意外と電車に乗ってない

一次資料を読むのは大好きで、それをよくツイートしているが、不思議なことに電車に乗ってどっかに出かけたという内容のものほとんど見かけない。

時差投稿しているのかな?とも思ったが、メディア顔負けの発信をする人たちがレポートをしないのは不自然なので、やっぱり乗りに行ってない気がしている。

いわゆる弱者男性

はい、出ました!これ言えばなんでも解決する魔法キーワード!でも便利だから使っちゃうよ〜!?

本来はその人の生き方なので、ケチをつけることでもない。そもそも自分もそっち側である

それでもこれを言いたくなるのは、誰もが利用する鉄道という交通機関に対して、知識がないというだけですぐ罵倒するのは、利用者のことが見えていないことに他ならないのではないだろうか。利用者というのはほとんどが一般である普段から交流がないと、一般人が利用することへの想像力が一生育たないと思う。

電車オタクが謎の一般人像を作ることはよく見る痛い光景であるものの、交通政策を考える風な人までも結局は同じ状況に囚われているんじゃない?と笑えてしまうところだ。

~~

自分自身も重度の電車オタクであり、電車大好きおじさんにシンパシーを感じる箇所がないでもない。でもそれに引っ張られて色々損をしないために、今後気をつけようと思ったことをまとめてみる。

電車は乗ろう

鉄道のことを考えたいなら、山手線だろうが超ローカル線だろうが、まずは乗らないと始まらない。魅力だったり課題だったりは乗ってこそ分かるものだ。

これはイベント列車だろうが日常利用だろうが関係ないし、別に日本全国乗り潰しマストという話でもない。ただ、時間お金が許す限り、極力電車には乗ること。これが理解を深めるシンプルながら大事アクションだろう。

人間関係はきちんとしよう

鉄道を分かっていない人たちと接する機会がないと、「鉄道が分からない人たちの鉄道の使い方」が想像できず、事業者事情だけで押し通す残念なおじさんになってしまう。鉄道のこと以前に、いろんな人と関わりながら生きていく方が人生楽しいと思うし。

しろ人間関係きちっとしていたらより視野広がって面白い論述ができそうなものだけど、おじさん達はピンとこないものなんだな……

同じ穴の狢と心得よう

撮り鉄だろうが乗り鉄だろうが、同じ趣味を共有しているという事実覚悟を決めて向き合うべきだ。同族嫌悪したって仕方ないし、ならその趣味やめるか?と自分にも相手にも問えないんだから腹を括るしかないだろう。それをする暇があったら自分の立ち振る舞い、身なりを整えた方が生産である

電車オタクマジで色々いるし、自分もだいぶみっともない。けれど、これ以上見苦しく、みっともなくはなりたくないので、今のうちに気をつけておこうと思うのであった。

Permalink |記事への反応(3) | 17:56

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2023-08-15

頭の良さで人間数字の大小関係ぐらい一意的に順序づけることって可能なの?

人間同士での頭の良さというのは一意的に順序づけられるものなのでしょうか? たとえば数学ミレニアム問題を解けたという人についてこの人はどんな物理学者よりも頭がいいということを主張したい場合、たとえば物理学者の中に行き詰まりかけている超弦理論のその停滞を解決した人がいたとすれば、じゃあ上記数学者も物理世界で同じ方向で頑張ってたら同じ成果を出せたということができれば、その数学者はその物理学者より頭がいいということになりそうですが、なんかそういうことって少なそうですよね?

誰かが誰かより頭がいいことを示すには、その人に出来ることのうち頭の良さの根拠になっているものが、別の人には全て出来るといううえで、さら別に頭の良さの根拠となることが一つ以上できる必要がある思うのですが、実際はそんなことって知的障害東大受かった人間の間ぐらいでしか成り立たないことなんじゃないかみたいにも思えます

Permalink |記事への反応(2) | 16:41

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2023-08-02

abc予想っていうほど重要なのか?

その数学に与えるインパクト物理学経済学みたいな実学にまで波及するって話はあまり聞かない。

まあしょせんaとbとcの間の演算の大小関係がわかったからって物理学的に進展することはたかがしれてるかむしろ全く影響ないまでありそうだが。

Permalink |記事への反応(1) | 19:07

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2023-06-17

自分が読んだ漫画レビューサイトで下手と書いてあるとモヤる件

下手だと分かったうえで読んでいた場合ならまだ問題ないのだが、下手だとかつゆも思わず夢中で読んでしまっていた物に対して下手と書いてあるときやばい

下手な絵をまるで上手い絵を見ているかのように鑑賞してしまうようなことっていうのは恥ずべきことなんじゃないかと思うからだ。目が人より劣っているというか。

これって恥ずかしいことなのかと知恵袋で訊いたとき「身の丈に合った漫画を読めばいい」という回答があってグサッと来た。

やっぱ漫画あるいは絵には確かな上手さ下手さという点での上下があって、そして消費する側には上手さ下手さを見極める能力としての上下があるっていうのを「身の丈」って言葉象徴しているように思える。

自分が「ああこいつ味音痴から安い物食わせとけばいい」って言われるような存在なんだとしたらやはりショックを受ける。

自分の持論は矛盾めいているが、上手下手の上下がある一方で、何を上手か下手かとみなすかの受け手の受け取り方に上下は無い、と思ってる。

数学で言えば公理ごとに数の大小関係は定まるが、公理が変わればその大小関係は変わり得るもので、しかもその公理間に上下はないって感じか。

でもやっぱりこんなのは自分の目が肥えてないという事実に目を背ける方便のように感じてならない。

逆転裁判3のまずいフランス料理を食ったイトノコのように、「下手」というレビューを見て、いわれてみればそうだなと納得することも確かにある。

ただ最近とかだとなろうのコミカライズには自分には絵が似たり寄ったりに感じるものが多く、そのなかで自分が読んだ作品のうち片や一方には絵が上手いといったレビューがついてる傾向があって、片や一方には下手といったレビューがついてる傾向があるのを見つけたことがある場合なんかでは、何が違うっていうんだろうってしっくり来ない気持ちが強くなる。

下手と判断する根拠を並べ立ててるレビューもあるが、やっぱりしっくり来ないことがあるというか、善意に受け取ろうにも、それっぽく言って煙に巻いてるだけじゃねみたいに思うのがせいぜいなことがある。どうしてもそのレビューと首っ引きで漫画を読んでみるとかしても、レビューの通りであるレビューの通りにしか評価できないかどうかってことについては腑に落ちなくなるというか。パースのようなものなら定量的評価できるかもしれないが、具体的にパースが何cm狂ってるみたいなのを図解付きで言ってるレビューにはさすがにあまりお目にかからないし。

そもそも絵の上手下手は多分アカデッミックな意味定義規定されるものだと思うけど、こういうのは多分商業においては人に良く評価されるための、創作者が志すべき道標のようなものであって、目的ではないと思う。

目的あくま漫画を楽しく読んでもらえることにあるのであって、アカデミックな視点で見ればろくに絵の基礎を積んでないような漫画であっても、ある人に刺さってしまったなら、それが味音痴みたいな人間として取るに足らない存在だったとしても、そういう人がたくさんいる社会においてなら結局その漫画は売れてしまうし、結果オーライしかないと思うし、誰も損してないと思うというか。

炎柱にぐるぐるまつわりついて「一生ついて行きます兄貴ぃ」とか言ってた三馬鹿の一コマは明らかに味だとか擁護できない下手さだと言ってる人がいるが、別に個人的にはギャグの一コマとして受け取ってた自分としては当時読んでた時全く下手とかみたいなことは思わなかったなーって。

Permalink |記事への反応(1) | 16:46

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2022-10-02

婚活でやってはいけないこと

自分でも書いていて気分が悪くなったので駄文となっています

内容的に気分を害する可能性があります。ご注意ください。

こんばんは。

私は最近婚活を終えて結婚した者です。

自分にとっての幸せとは何かを改めて考えたり、お見合い用にお洒落したりデートしてたくさん話したり楽しい思い出がいっぱいで、今の夫と出会たことを心から感謝しています

婚活をしてよかったと思っていますが、やらなければよかったこと、絶対お勧めしないことが一つあります

それはTwitterなどで婚活アカウントを作ることです。ブログ等もまた然りだと思います

私は

読書記録用のアカウント

美容用(メイク筋トレなど)のアカウント

勉強記録用のアカウント

株式投資用のアカウント

など、なにかをしたい時は必ずTwitterアカウントを作るほどTwitterというプラットフォームおよび見知らぬ人とまったり交流することが大好きなツイ廃ですが、婚活アカウントだけはすぐに消しました。

今まで見た界隈で一番独特だと感じました。

上記のそれぞれのアカウントも、全部が全部いい面だけでなく、たまに誰かが何かを批判したりバカにしたりするツイートを見たりすることはありますが、婚活アカウントはその頻度が段違いでした。

・人を上から目線で品定めしたうえ、強い言葉否定するツイートがたくさんの共感を寄せられていてかなり驚く

特定属性に対しての批判愚痴を見て自分が当てはまっていなくても気持ち萎え

・驚くべきことに一部の結婚相談所のスタッフさんが上記のようなツイートを堂々としている(あからさまにアプリなどの他媒体を口汚く批判するなども…)

自分より生活水準が低い、価値観が合わないという理由日常的に誰かが誰かをぶっ叩いて反応に困る(引用ツイートで直接ディスったりわからないように空リプしたり…)

恋愛カウンセラー婚活カウンセラーなどの怪しげな方がネットリテラシーモラル皆無の発言をしているのを見てウワッとなる

…∞

というのが日常茶飯事で、最初スルーしていたのですが、くらくらしてきてアカウント自体を消しました。

株式投資界隈もお金が絡んでいるからかまあまあアレで、特定の株を買ったり現在損をしている人を煽るというのはまあまああり、目にすると気分が悪くなりますが、はしゃぐ悪ガキ程度の具合で…

自分が損をしているときや間違っていたときしゅんとしたり黙ったり自虐したり謝ったりされているので可愛いものだなと思いました。

もろに人の見た目や人格生き方否定する、しかも強い言葉でそれらを行う界隈は婚活界隈の一部が初めてです。

私は良くも悪くも感化されやす性格なので

人格否定

・外見否定

属性否定

などを当たり前のように思ってしまうようになることが怖く、もう婚活関連のツイートを見ること自体のが怖くなってしまいました。

私の性格がいいとかいい子ちゃんぶってるとかではなく、それだけ結構ひどいツイートがぽこぽこ出てくるいう感じです。

これは婚活界隈に属している方々が悪いのではなく、婚活というもの自体基本的に「人を評価し選ぶ」「自分欠点と向き合う」「自分が選ばれないという形で否定されることもある」など大小関わらずストレスのかかるものであり(楽しいこともたくさんありますが)、そして必然的に「人から意見評価」「(空想の)一般論」に敏感になってしまう傾向があるような気がするので多少仕方がないのかなとも思います

私はメリットがないと思ったのでやめましたが、励まし合えたりアドバイスをもらったりなどプラスに働いた人もたくさんいらっしゃると思うので、仲間がほしい方は試してみる価値はあるかもしれません。

ただ基本的にやめた方がいいと思います

Twitterアカウントを作る目的の一つに、「情報収集」があると思います

勉強ならアプリ参考書美容なら最新美容やいいトレーニングなど…いい情報をたくさん手に入れることができます

しかし、婚活における有益情報とはなんでしょうか?

それは

自分にとってなにが幸せなのか

そもそもなぜ結婚したいのか

・どんな家庭を作りたいのか

自分相手に出来ることはなにか

などだと思います

それはひたすら自分の考えを掘り下げることでしか手に入れられない、つまり婚活で一番大切な情報はすべて自分の中にあると思います

自分で考えるのが難しい場合自分のことをよく知る親しい人と話すなどがいいかもしれません。

まり婚活アカウントから得られる有益情報なんてないような気が…

書いていて数々のツイートを思い出して気分が悪くなってしまい、駄文になってしまいましたが

最後まで読んでくださりありがとうございました。

Permalink |記事への反応(6) | 22:41

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2022-04-09

未成年者を性的に見るべきでない?ロリコンの俺に言ってんの?

ロリコンの俺のことかーーーーーーーッ!!

未成年者を性的に見るべきでない」という規範抵触する、という筋だけが、真っ当な批判だよね。


当然チャイルドレスターじゃないし、あくま二次元少女のみを性的対象にし。

三次元少女はジロジロ見ることはおろか、頭の中でさえもマスターベーションのおかずにしたことがない、俺(追記・夢の中で出てきたことはある)。

俺は現実に性加害をしてないのだから犯罪も、倫理規範的な罪も、何もおかしていないよな?

誰も傷つけてないのだから、何のdis りを受けるいわれもないよな?

無意識差別主義者たちに告ぐ。

いくらキモいなどと人の気持ちを傷つける暴言を投げつけられようが、こちらは大小関わらず何ら性的加害をしてないのだから二次ロリコン無謬だ。胸を張って言わせてもらおう。キモい? お 大 事 に。

anond:20220409230243

Permalink |記事への反応(3) | 23:43

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2022-03-15

anond:20220315190327

めちゃいいこと言うな。それは幸せだ。

その大小関係が成り立たない人もいっぱいいると思うけど。

Permalink |記事への反応(0) | 20:18

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2021-10-31

あんまり話題にならない選挙区選挙ウォッチした記録

速報で当確出る前に書いておきたかったんだ。

youtubeラッパーダースレイダー芸人プチ鹿島がやってる「ヒルカラナンデス」って番組とか、選挙取材でたびたび話題になるフリーライター畠山理仁の影響だよ。

ちなみに筆者こと増田選挙へのスタンスは前回からようやく選挙公報を見るようになった程度で、演説にわざわざ足を運ぶのは初めてだよ。

選挙区は岐阜5区多治見市土岐市恵那市中津川市)で、県南東部東濃地方と呼ばれるところ。

南西部西濃地方県庁所在地岐阜市はここ)に次ぐ人口密集地。

陶器焼き物伝統産業アニメやくも」まったく話題にならなかったね)で、西部愛知県東部長野県文化が混ざる感じの地域

広域名古屋圏ベッドタウンの印象が強く、若干トヨタ経済圏にも属し、近年は中津川市リニア建設話題になりがち。

候補者は以下の通り。

古屋圭司(68) 現職 自民公明推薦) 党政調会長代行(ちな総裁選高市早苗の選対委員長) 12年に拉致問題防災の各担当大臣

今井瑠々(25) 新人 立民 党岐阜5区支部長 政治経験なし

山田良司(61) 新人 維新 元衆議院議員、元下呂市

小関祥子(68) 新人 共産 元土岐市

この4人についてのイベントを回って感想を書きたかったのだが、結果的メディア本命とみる前2人のイベントしか行けなかった。

山田候補についてはツイッターやってなくて演説会とかの情報もつかめず。増田力不足のせいだよ、ごめんね。

ついでにいうと増田はただのヒマなし会社員なので奇跡的に連休とれたここ2日間しか行ってないよ。ごめんね。

10月29日(金)

17:00~古屋圭司個人演説会@多治見市選挙事務所

参加者は大半がスーツまたは作業着を着た男性、一部女性。年齢層は下40上80ぐらいで、分布はやや上より。100名ぐらい?

・みんな近い業界でそろって来ているのか、関係者参加者同士であいさつを交わす場面多し。

いい大人たちが結構はしゃいでで、地域の納涼祭みたいな雰囲気

・選対本部長、多治見市長、自民市議公明市議らがあいさつ。公明女性演説者の名簿とか掲示がなかったので覚えてないよ。

誰だったか今井候補をさして「25歳に何ができる」的な発言拍手起こってゲンナリ

でも「性別関係ないですが」とはわざわざ言いつつ「女に何が…」とは言わなかったあたり思ったよりまともな印象。

・古屋候補本人は他選挙区へ応援演説のためリモートで参加。その場にいないからかしゃべりが早口かつ一方的でよくわからず。

党の公約高市さんと一緒に、他総裁候補みんなの思いを盛り込んで作ったって言ってたかな。でもそれ高市さんの話と矛盾してない?

18:00~今井瑠々・公開演説会@多治見市市民ホール

参加者は年配の男性、次いで年配の女性多め。とはいえ30代くらいもチラホラ見える感じ。200名弱?

選挙スタッフは明らかに若い人多めで、どっちかといえば文化祭のようなノリを感じた。

山下八州夫・選対本部長(元参議)、赤松広隆・元衆議、連合岐阜本部長、今井候補同級生選挙スタッフ高木貴行・岐阜県議(選対)が演説

赤松さん若者応援するのはいいが関係ない話長すぎ。同級生は緊張しつつもラフな話と本気の語りが混ざっていて虚実の被膜!と思った。

高木県議今井立候補きっかけを作った張本人らしく、現職有利の情勢を見て悲壮感を漂わせつつも泣きながら大熱弁をふるう名役者ではあったが、

でもこれあなた選挙じゃないんですよ感はどうしてもあった。長いよ。

今井候補本人は非常に演説がうまく、立民の労働政策育児若者政策の掲げる理想と自らの地域への思いを冷静かつ熱意をもって話していた。

先の同級生を指して「~さん」と呼んでいたのが途中「~ちゃん」に変わることでまたしても虚実の被膜が揺らいだ。

参加者の年齢層を考えると妥当だが、比較的年齢の近い増田からすると「若者」「若輩者」と自ら連呼しすぎて卑下しているような印象を受けた。

10月30日(土)

17:00~小関祥子演説会@瑞浪市スーパー駐車場

・ここは増田時間を間違えてて30分遅れで到着した結果やってなかったよ。これでも高速乗って急いだよ。ごめんね

小関候補は元土岐市議なので最終日は土岐市内でちゃん集会やってほしかったなと思うよ。

18:00~古屋圭司打上決起集会恵那駅

・前日の集会と似た感じの人たちが挨拶を交わしている。50名くらい?

恵那市長が応援演説地域のことを忘れない人だと太鼓判。あと恵那市議が複数

・本人の演説は堂々たる横綱相撲といった趣き。政調会長代行として高市さんとがんばりますとか、

リニア駅で地域雇用とか、岐阜大学と名古屋大学が合体したので東濃地方大学院作って地域雇用とか。

中枢にいることのアピール政策の具体性はさすがベテラン現職という印象だが、政策地域に寄りすぎて国政選挙から離れている気がする。

あと物事を変えたり批判したりすることには意味がない(それよりも今の生活を守る)って言ってたのはわからなくもないけど残念。変化は対立軸ではないと思うよ。

19:30~今井瑠々・街宣@多治見市選挙事務所

選挙スタッフと一部近所の方々のみ。全部で20名くらい?あとカメラ複数

山下選対本部長、候補者の父、高木県議演説山下氏と父は簡潔で内容もよかったが、高木県議はここでも熱意のあまり話が長い。

今井候補は疲れからか下向いたり余所見したりする場面があって、カメラも入ってるのに選対のケアフォロー体制が気になった。

今井候補最後最後でも自分演説になると内容も発声もうまく、このあたりの周到さは現職よりもすごい。

でも「いまだかつてこの地域でここまで若者が参加した選挙はあったか」というのはちょっといかぶりな気がした。

政治参加する中高年もかつては若者だったわけだし、そこはちょっと内輪で盛り上がった感があった(確かに身内ばかりの状況だったけど)。

全体の感想

演説に行けなかった2候補、本当にごめんなさい。

・2世議員の現職がどうにも有利な構図。これは建築土木系が発展を支えた昭和からの変わらなさを感じるが、

でも今でもその仕事をしている人たちは各地方存在する以上一理はあるわけで、一概に切り捨てられるものでもないよなあ。

・若手が大規模政党から公認を得て出馬しようとすると、どうしても支える側は元議員とか先輩議員地方含め)になってしまう。

例えば25歳の今井候補の選対本部である山下氏はは79歳。これだけ年齢差があるといくら山下氏ががんばっても今井候補は顎で使うの無理じゃない?

25歳なんて一般企業ならようやく30代の先輩と対等に話せるようになるくらいじゃないか若い人が出馬するのは「厳しいお声」以外にもこういうハードルあるよなあと思う。

その点で人を使い慣れているしそれが普通に見える年配の現職はますます有利になっていくの、本当に難しいな。

アメリカのような選挙コンサルタント一般的になるか、本当に若者たちだけで団結する必要がある気がするが、

やっぱりそれだと地盤看板なしの戦いだし、若者国会議員1期務める間に(若者たちから見て)そんなに若者でもなくなってしまうしなあ。

・どの候補も結局演説に集まるのは高齢者が多い。そりゃあ「若者」は朝から夕方まで仕事学校に行ってるからな。

これでは候補者の年齢関係なく、若者政策に舵を切るのが難しいと思う。見えてないし、見えようがないからだ。

選挙投票しない人を重視するインセンティブの働く仕組みを作れればよいのだが、それこそ難しいし、現行の制度議員になった人はそれを支持するはずがないのでなあ。

・がんばろう三唱は通算3回やったけど、「テレビで見たやつだ!」って興奮した。

ようこそようこそって言われてこんなに一体感を感じるの、増田奇跡的にクラス陽キャグループに入ったとき教会礼拝行ったとき以来だよ。

選挙戦そのものが行くと楽しく興味深いものであると同時に、使いようによっては非常に危険ものだなと感じたよ。

以上レポっす。

Permalink |記事への反応(0) | 14:21

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