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「小作農」を含む日記RSS

はてなキーワード:小作農とは

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2025-11-02

anond:20251031234522

アメリカ農地を集約して機械化が可能からやってる訳で、日本小作農に切り裂かれた土地大規模化できる面積って限られてて、

果たしてどれだけの農地を集約できるかは試算されてるのかね

結局細切れの農地を使いたい法人は居ませんでした、なんてオチになったら最悪だけど

その調査抜きにしていい議論じゃないと思うんだよね

Permalink |記事への反応(1) | 16:29

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2025-06-11

anond:20250611115023

農業効率化って本当に無理なの?

アメリカオーストラリアではずっと安いコメ販売されていてなぜ日本ではそうじゃないのか。日本に比べてアメリカ所得物価も高いが日本よりも安いコメ販売されている。

アメリカオーストラリアもっとずっと大きな区画農業生産がされているが、広い土地コメだったら苗を育ててそれを植えてということもしないでヘリコプタードローンで籾殻を撒いて農薬散布もしなくて若干鳥に食べられてしまう分を考慮しても尚安く作れる。収穫もめちゃくちゃでかい機械で刈り取りしていく。ある程度規模が大きくなると効率化がとても高くなる。

日本でそうはなっていないのは、同じように規模の効率化を求める考えもあっただろうがそうはなっていない理由がある。

日本は小さい土地ごとで所有者が分かれている。歴史的な背景なんだが、昔は所有者と小作農という奴隷制度みたいな感じだった。農地解放小作農所有権が移って奴隷制みたいなのは無くなった。小さい土地ごとで所有者が分かれていて、農機具や倉庫、その他分業がされることで効率化されることから農業協同組合(=JA)が出来上がった。効率化した結果、非効率な部分も出てきたということ。

農業だけでなく、学校卒業したら働きに出かけるが一人で商売をするより会社組織で共同、分業したほうが効率化される。効率化した結果、非効率な部分も出てくる。収益の配分で不公平感が出るのは当然で。じゃあ、独立してやり始めると一人では非効率から会社組織で共同、分業したほうが効率化されるからとやり始める。これも資本家労働者という構造になる。同じ繰り返しなんですね。

Permalink |記事への反応(1) | 21:49

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カリフォルニア米の生産効率は、大規模な水田区画と大型機械の利用により、日本比較して高いとされているし、飛行機ドローンによる播種など、効率的な作業方法も開発されているので、農業効率化ができるかどうかで言えばできる

でも農地法による規制で、本業農業以外の大企業(非農業法人)は原則として農地の所有ができなかったり、賃借による利用は可能だが制限あったりするのが障壁になる

歴史的には戦後農地改革の影響で極めて分散・細分化されていて、農地自体大規模化を妨げている

さらに米の市場価格不安定で、農協政府による価格調整・指導もあり、自由市場的な価格形成がなされにくい

さらさら地域農業は、JA農協)を中心とした共同体的・相互扶助的な構造運営されていることが多く、形式上合法でも、実際には地域了解を得るのが困難で、撤退例も多い

 

要は歴史的・法的・慣習的な面で、大規模化を妨げ、小作農が守られるようにできている

Permalink |記事への反応(0) | 18:45

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anond:20250611115023

法改正して企業が参画して、大規模流通乗せれば幾らでも改善するけど、小作農兼業農家は全部死ぬ

何処にも自由はなく何処にも独立はないいつものジャップランド社会構図が農業にも持ち込まれるだけ。

良かったね。

Permalink |記事への反応(2) | 14:53

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2025-06-01

anond:20250529210909

需給バランスが崩れて農作物が大量にあるけど捨て値になるならそのまま廃棄処分っていう事例もあった。

コメもそんな感じで作り過ぎて売れないと価格が下がるなら、生産調整しましょうってことになった。

いまだと美味しいコメを作って海外に売るってこともできるが、一小作農レベルではやっぱり難しい。

国内の内向き経済ではなく、世界に誇れる日本コメとして海外に高く売れる農作物となって欲しい。

[追記]

亀田製菓、三幸製菓なんかも外米でrice cookiesを作ってるわけだし、いろいろあっていいと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 00:36

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2025-04-25

中国金盾関税よりやばいのになぜトランプは指摘しないのか?

本来なら中国日本みたいにデジタル小作農国家になる運命だったのに、関税よりすごい盾持ち出してきて回避してきたわけだよね?

トランプさん、EUに対しては、独禁法違反かなんかでアップルとかがカツアゲされた! って怒ってるんだから、同じ理屈(米国ITサービスいじめた)で中国叩けると思うんだけど。

tiktok追い出したから叩けなくなっちゃたのかしら。

あるいはITサービスについては中国国内法を尊重しているのか!?

いずれにせよ中国は今回被害者ぶって正論吐いてるけど、自分達もちゃっかり障壁作って長年運用してるんだからトランプと同じでどっちもどっちしか思えないよ。

Permalink |記事への反応(0) | 23:33

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2025-04-22

anond:20250422202351

戦後GHQ左翼思想により一人一人が自立できるように田畑を分割して小作農に分け与えたら却って貧乏になった、というのが最近論調

地主がでかい畑を所有して、小作農を従えて経営する時代に戻ろうと言うのだ

Permalink |記事への反応(0) | 20:27

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2025-04-02

anond:20250402112604

いろんな資本があるけど、共通項って「保有していれば価値が増えていく」 「借りたい人がいて貸すことができ、借りた人から利子を得ることもできる」 「他の形態資本/価値と交換可能」みたいなとこじゃね?

環境から与えられないと維持できないってそれ「消費」とか、もっというと「借入」じゃね?小作農と何が違うん?

文化資本さんが東京オモシロ小噺を出せてそれを材料ABCと仲良くなれ、ABC文化資本と一部交換して全体の価値を増やせるなら資本あると思うけど

実際は面白くなさ過ぎてABCみたいな人たちに全く相手にされないから、文化資本さんが東京から出たらスカンピンじゃね?やっぱり借金とか小作農に近くね?

しか文化担い手って基本的人間であり、東京には人間がいっぱいいるか東京全体で見れば文化資本が豊かだとは思うけど

個人レベル特に文化資本さんみたいなな~んもない個人「東京」っていうデッケェ貸主から資本借りて、自転車操業で頑張ってるだけじゃね?

それって個人個人はぜんぜん資本家ではなくね?それとも自分資本家になることは最初から目指してなくて、借りれる資本東京はいっぱいあるから幸せ!みたいな話なのか?

Permalink |記事への反応(1) | 11:38

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2025-02-22

現代のつらさは小作農の無さ

失敗した後、どうにもならなくなった後に何すればいいのか分からない。

Permalink |記事への反応(0) | 19:24

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2024-12-30

anond:20241230051453

戦前小作農を復活させるつもりか?

Permalink |記事への反応(1) | 17:37

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2024-12-16

anond:20241216100238

日本の貧富の格差は、有史以来、政治体制経済構造社会価値観の変化とともに推移してきました。以下に歴史的な流れを概観し、現代の状況について分析します。

 

1.古代中世貴族武士による支配社会

• 特徴:

大和時代から平安時代にかけては、土地の所有と収穫物に基づく支配が貧富の格差を生みました。特に貴族豪族荘園制度を通じて富を集中させ、農民はその下で租税負担する立場に置かれていました。

格差の程度:

封建的身分制度によって、富の分配は厳しく制限されていました。武士が台頭した鎌倉室町時代も、土地所有権が富の主要な指標であり、武士地侍農民支配する形で格差固定化されていました。

 

2.江戸時代封建制度下の身分格差

• 特徴:

江戸時代武士農民職人商人という厳格な身分制度がありました。武士形式上最上位に置かれましたが、実際には商人階級が財を蓄え、経済的な力を持つこともありました。一方、農民は重い年貢負担し、経済的に厳しい状況が続きました。

格差の特徴:

武士の中でも上級武士と下級武士の間には大きな格差存在し、農民の間でも富農と貧農に分化するなど、社会の中で格差が細分化していました。

 

3.明治戦前資本主義の導入と新たな格差

• 特徴:

明治維新により封建制度廃止され、土地制度改革産業化が進む一方で、資本主義の導入により新たな貧富の格差が生まれました。地主層と小作農格差が深刻化し、労働者層は低賃金過酷労働従事することが多かったです。

格差の拡大:

産業の発展により、財閥や大地主が莫大な富を蓄積する一方で、多くの農民労働者貧困状態に置かれました。

 

4.戦後高度経済成長期(格差の縮小期)

• 特徴:

戦後農地改革により地主小作農格差が解消され、労働者権利が拡大しました。また、高度経済成長期には「一億総中流」という言葉象徴されるように、国民の大部分が中流意識を持つ社会形成されました。

• 要因:

公平な所得分配教育の普及、企業終身雇用制度などが格差縮小を支えました。

 

5.現代1990年代以降)

 

格差の拡大

バブル崩壊以降:

1990年代バブル経済崩壊後、格差が再び拡大傾向にあります非正規雇用の増加、年功序列型の賃金体系の崩壊地方都市経済格差が顕著です。

経済指標:

ジニ係数所得格差を示す指標)は、バブル期の低い水準から徐々に上昇しています。また、OECDの報告によると、日本先進国の中で格差比較的大きい国に分類されています

 

高齢者と若年層の格差

高齢者層では退職金年金恩恵を受ける人が多い一方、若年層では非正規雇用が多く、所得が安定しない状況が続いています

 

都市地方格差

東京をはじめとする大都市圏では経済活動が集中している一方で、地方経済的停滞が課題となっています

 

6.現代格差の特徴

総合評価:

現代日本は、一億総中流社会から二極化」が進む社会へと変化しました。特に非正規雇用層や低所得層が増加しており、所得格差が大きな社会問題となっています

• 主な要因:

グローバル化競争の激化

高齢化社会の進展

労働市場の変化(非正規雇用の増加)

地域格差

改善の取り組み:

現在政府は、最低賃金の引き上げや所得再分配の強化を進めていますが、十分とは言えず、社会保障制度の充実や教育機会の平等化などが引き続き課題となっています

 

まとめ

日本の貧富の格差は、歴史的社会体制経済構造の変化に応じて拡大・縮小を繰り返してきました。現代では、バブル崩壊以降の経済構造の変化によって、格差が再び拡大していると言えます。一方で、格差是正に向けた政策の進展や国民意識の変化が重要なカギとなります

Permalink |記事への反応(0) | 10:11

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2024-12-06

anond:20241206151124

小作農を復活させるつもりか?

農地解放のお陰で日本農家は救われたのに

Permalink |記事への反応(0) | 15:25

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2024-11-01

anond:20241101152642

江戸以前の小作農や漂泊民でもたまに記録があるから普通記録されないだけで持ってはいたと考えるのが妥当よな

Permalink |記事への反応(2) | 15:30

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2024-10-13

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ここには、自ら築き上げてきたスーパー廃業も辞さなおしんの思いは、長谷川伸の「夜もすがら検校」で大切な琵琶を燃やしてまで恩に報いたい思いと通じるものがある。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

Permalink |記事への反応(0) | 02:44

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2024-02-22

コサックダンス小作農従事するものの間で流行したとからその名がついています

そんな嘘を考えました。

Permalink |記事への反応(0) | 22:55

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2024-02-07

anond:20240207171248

売りなよ

やる気ある人間がわざわざ人から借りて小作農になんかなりたくないだろ

Permalink |記事への反応(0) | 17:28

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2023-11-11

anond:20231111140626

イエと身分制平均寿命30代+医療教育でなく宗教社会現代比較するの意味ないよ

 

江戸時代なら次男以下や小作農以下の階級に生まれしまっても

安楽死を願うまでもなく虫歯とか盲腸死ぬことができたし

宗教に頼って幸せになったりできたんだしさ

Permalink |記事への反応(1) | 14:41

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2023-11-07

anond:20231107232052

二千年近く独裁統治やってきた国が今更リベラルになるの難しいと思うんだよな

みんな小作農根性遺伝子に染み付いてるんだよ

Permalink |記事への反応(1) | 23:31

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2023-10-04

anond:20231004151244

カカオ農家小作農奴隷同然の扱いで過酷労働を強いられてても美味しいチョコレートが食べられたら幸せですよね^^

Permalink |記事への反応(0) | 15:19

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2023-09-10

anond:20230910121711

小作農苗字っていつ頃からあったの?

Permalink |記事への反応(0) | 12:19

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2023-05-11

anond:20230511212123

かに小作農時代に戻るんやな

地主役場の違いはあるけど

Permalink |記事への反応(0) | 21:23

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2022-11-15

民主主義が根づいた韓国が本当にうらやましい

梨泰院事故】この事故を「自己責任」で片づける日本人は、民主主義を本当の意味理解しているのか

https://news.yahoo.co.jp/articles/b9919573a1ede3a40bf26cebcdd9e6104b8a692f?page=1

何かが起こった時に、日本人が「大きいもの」ーー例えば、会社自治体、国、政治の責任に思い至らないのは、基本的人権を擁する自由民主主義社会よりも、鎌倉時代から江戸時代に連なる封建主義社会の、つまり支配者にたいする臣下とか小作農の(つまり上下関係の)精神性です。臣下小作農にあるのは権利ではなく、お上から求められる奉公と忠誠、そして押し付けられるままに支払う年貢のみ。大河ドラマ鎌倉殿の13人』が描くのがまさにこの体制確立した時代で、自分にたて突く御家人を次々排除する北条義時小栗旬)を見ても、それがまったくもって民主主義でないことがわかります。義時が守っているのは、御家人(=国民)でなく、国体=つまり国の体制からです。

本当にこの通りで、日本人はいまだに鎌倉時代レベル精神性にとどまっている。

民主主義よりも国体大事にする考え方。

社会が本当に民主主義的かどうかはさておき、少なくとも韓国人は「国民」が政治の「主体であることーーつまり民主主義」を理解しています。かたや日本では、政治社会に対する誰かの怒りの声を、同じ国民が「自己責任だろ」とつぶしています為政者にしたらこれほど都合のいい、チョロい国はありません。

今回の事故きっかけに、改めて民主主義の大切さが浮かび上がった。

事故のものは本当に不幸だったけど、韓国民主主義がうらやましくなった。

Permalink |記事への反応(1) | 23:36

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2022-10-08

anond:20221007124709

座り込みってタクシンを追い出したタイ空港占拠みたいのもあるけど

あと武装した小作農たちが京都に押し寄せて、地主邸宅を取り囲むとか、版籍奉還のころは当然にあったけど

 

日本人弁護士様にいろいろ介入されて、迷惑デモできなくなってるだろ

新自由主義者たちは経済最優先だから

Permalink |記事への反応(0) | 01:13

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2022-08-06

anond:20220806142503

でも小作農が次の指導者になった例なんか数えるほどしかなさそう

Permalink |記事への反応(0) | 14:32

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anond:20220806142712

小作農レベルが低いと言っているのか?差別では?

Permalink |記事への反応(0) | 14:29

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