
はてなキーワード:専有とは
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INSIGHT ANALYSIS:表象の真正性パラドックス
「女性主人公を描けない」創作者の原理的ジレンマ
Core Observation
この投稿者は、フィクション創作において「経験的真正性」と「想像的自由」の矛盾に直面し、表象行為そのものの正当性を疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分が女性を描く権利があるかどうかの確証」である。
PRIMARY INSIGHT:批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー的構造の解体
この投稿者の悩みは、表面的には「技術的問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治の内面化が生み出した認識論的危機である。
内面化されたイデオロギー的前提:
↓
↓
「描く資格がない」
この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである。
皮肉なことに、これは1980-90年代のジェンダー理論が批判した本質主義そのものである。しかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。
彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可」である。
生産的矛盾の発見
↓
↓
これは本質主義の自己矛盾である。「女性」というカテゴリーに本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。
イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか
投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一の経験的実体ではなく、歴史的・文化的・個人的に多様な存在様態である。
士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:
しかしこの論理は、女性を規範に押し込める本質主義そのものである。
「生理を経験していないから分からない」という論理は、人間の相互理解の可能性そのものへの懐疑に至る。
この論理を徹底すれば:
この悩みの背景には、歴史的に男性が女性を対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:
↓
過剰補正:
↓
帰結:
これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである。
自己検閲のメカニズム
↓
↓
↓
内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質の区別がつかない」
↓
SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)
この「悩み」の歴史的構築
第1段階 (1970年代以前)
第2段階 (1980-2000年代)
第3段階 (2010年代-)
第4段階 (2020年代)
投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造的効果である。
現象学的補足 (Mode D)
投稿者が経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己の正当性への根源的懐疑である。
彼の実存的問い:
投稿者は、この理解の可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。
SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの
アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理を個人の創作実践に適用すると:
↓
↓
↓
20世紀後半のジェンダー理論は本質主義を解体した。しかし21世紀に、配慮・正義・包摂の名において本質主義が再導入されている。
これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギーの古典的矛盾である。
この悩みは、フィクションの根本的機能—経験していないことを想像し表現する—への懐疑に至っている。
投稿者のジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体の正当性の危機である。
投稿者の不安は、個人的心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造的効果である。
投稿者は誰にも批判されていないのに、架空の批判者を内面化している。
IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題
投稿者は技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:
1.本質主義からの離脱: 「女性」は単一の経験的実体ではない
2.想像力の復権:経験していないことを想像できるのがフィクションの本質
3.完璧主義の放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要
4.対話としての創作:表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部
より広い文化的含意:
↔
歴史的瞬間について:
我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要な矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。
INSIGHT CRYSTALLIZED
この投稿者は、フィクションに「経験的真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為そのものの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治の論理を内面化した結果生じる構造的効果である。
言い換えれば:
彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分が女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である。
So what?:
この事例は、配慮と正義の言説が、意図せず表現の自由と想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践が必要である。
PUNCHLINE:
彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体が僭越である」と判定されることである。しかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。
ウェブ版『美術手帖』の編集長が「イオンモールしかない地方都市には美術の美もない」というようなことを言って、案の定、少し燃えたのは記憶に新しい。
僕も地方出身だから、その言葉にカチンとくる人の気持ちは痛いほどわかる。「どうせ俺たちの日常なんて、文化の欠片もない退屈なものなんだろ」と、見下されたような気分になる。週末に行くイオンが、家族にとっての一大イベントだったりする、そういう暮らしの機微を全否定されたような気さえする。だってほかにないじゃん。
ただ同時に、編集長が言わんとしていることも、なんとなく想像はつく。地方都市の、あの画一的な風景。どこまで行っても同じようなチェーン店と住宅街が広がり、かつて街の中心だった商店街はシャッターを下ろしている。そういう風景を前にして、アートに関わる人間として一種の絶望というか、嘆きのようなものを感じてしまう瞬間があるのはよくわかる。それは、地方に対する愛憎半ばする感情なのだろうとも思う。
そんな小さなモヤモヤをずっと抱えていたら、実に興味深いニュースが飛び込んできた。
他ならぬそのウェブ版『美術手帖』が報じた、「東京藝術大学取手キャンパスに10億円の寄付」という記事(件の編集長もこの記事へのリンクをリポストしている)。
これは、なかなかに美しい皮肉じゃないか、と苦笑してしまった。
http://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/31541
東京藝術大学といっても、取手市であって上野ではない。東京ではない。茨城県にある。都心から見れば、それは紛れもなく「地方」だろう。
どころか市内に日本最大級のイオンモールが計画されているという報道もまた、記憶に新しいではないか。
しかしその「地方都市」日本代表メンバーに選ばれるであろう取手のキャンパスに、安田容昌氏という方が10億円もの大金を寄付した。
「取手キャンパスには、素晴らしい施設に加え、土の匂いと、川の風と、地域に暮らす人々の息遣いがあります。」
「これまで日本の発展は、とかく都市を中心に語られてきました。しかし、真に新しい価値は、しばしば周縁から生まれます。」
「芸術に触れる機会が都市部に集中している現状において、この取手キャンパスから、日本の新たな文化のうねりを起こすことができると信じてやみません。」
「地方で事業を成し、その恩恵を受けてきた者として、次世代のために文化的な社会資本を築くことこそが、私にできる最後の恩返しです。」
(ちなみに最初の2行は、『美術手帖』の記事ではなぜか省略され、大学の公式リリースにだけ載っている)
https://www.geidai.ac.jp/news/20251008152520.html
つまり、これは「田舎には美術がない」という嘆きに対する、あまりにも力強いアンチテーゼなのだ。それも、10億円というリアルな数字を伴って。
アートは都市だけの専有物じゃない。地方にこそ、これから育まれるべき豊かな土壌がある。そう高らかに宣言しているように聞こえる。
編集長の炎上した発言は、確かに言葉足らずで、多くの人を傷つけたかもしれない。
でも、彼が投げかけた「地方とアート」という問いは、奇しくもこの10億円の寄付によって、新たなステージに進んだ気がする。
「イオンモールしかない田舎」と切り捨てられた場所で、アートは育つのか。
いや、育つに決まっている。
誰かが「ここには何もない」と嘆いた場所にこそ、新しい価値が生まれる種が蒔かれるのだ。
今回の寄付は、まさにその種だ。この種が、取手の地で、どんな芽を出し、どんな花を咲かせるのか。
それは、都会のギャラリーに飾られる洗練されたアートとは、全く違う形かもしれない。泥臭くて、生活の匂いがして、不格好だけど、力強い何か。
心のどこかで、あの編集長の嘆きにまだ共感している自分もいる。「東京藝大」という権威と「10億円」という資本。
結局、そうした巨大な「外部の力」がなければ、地方のアートは話題にすらならないという現実。それは、彼の「田舎には美術がない」という言葉を、残酷な形で裏付けてはいないだろうか。
編集長の発言も、10億円の寄付も、「お前のいる場所の『美』とは何か?」と問いかけている。
イオンモールのフードコートで談笑する高校生に、夕暮れの田んぼ道に、シャッター街の錆びた看板に、目を凝らせば「美」のかけらは見つかるんだろうか。
最近筋トレを再開して、確かに筋トレをはじめたのは「モテたいから」が理由ではあるんだよね。
だから女性も美容をしてるのって「モテたいから」だと思ってたし、実際美容の矢印が男性に向いてる人はモテたいんだと思う。
男は細マッチョを目指しているうちは多分モテたいんだと思うし、女が美容体重維持してるならモテたいと思う
でも細マッチョや美容体重に行けるくらいの意思がある人間って、そこで終わらないんだよな。
男はバルクをデカくするために過食とオーバートレーニングし始めるし、美容体重行った女はシンデレラ体重とか目指し始める。
これは完全に矢印が異性に向いていない。
この場合矢印がどこに向いているかって言うと、同性なんだよね。自分のためって言うのはほぼ嘘。
同性の中でランクアップして、マウントを取りたい。ジムに行けばマッチョが偉そうに平日からベンチプレス専有してるし、美容の情報共有をしようとするとキャバ嬢が爬虫類みたいな自撮りを上げてる。
自分に自信を持ちたいってのも、トレーニングや美容を通じて同性を負かして自信を持つため。
彼らが最初メシマズ嫁を攻撃したとき、私は心の中で呟いていた。
嫁とは一度別れたものの復縁し、向こうからのプロポーズ催促でお互い30過ぎに結婚した。
働き者の良い嫁である。そこは素直に尊敬しているし頭が上がらない。
メシマズ嫁は料理を作りたがる。しなくてもいいと言っても作る。
やりたくないことを無理にやらせてるから上達しないんじゃなくて、自分から率先してやるのに同じ失敗を繰り返すのである。
私がスーパーで買ってきた弁当を食べようものならすねる始末だ。
「もう作らないからね」という言葉を聞いた覚えはあるが、未だ履行されていない。
うちのメシマズ嫁が料理を下手な理由には見当がついていて、分量を全然守らないのである。
失敗作を目にするたびに四次元殺法コンビの「王道が何故面白いか理解できない人間に面白い話は作れないぞ!」というコピペを思い出す。
電気炊飯器で精米を炊くことにすら上手い下手があるということを、私は彼女と同棲してはじめて知った。
嫁は「無洗米でも洗わないと気が済まない」と言うが、そんなことより水の量に気を遣って欲しい。
ふつうのお米だとぱさぱさだのガチガチな炊き立てご飯が出てきかねないので、今はもちもちの低アミロース米を選んでいる。
自分が炊けばいいのだが、仕事の都合手が回らないときもある。……嫁の夕飯は早い。休日など夕方5時過ぎに夕飯になる。うちの親は共働きだったので夕食は9時10時が当たり前だったし一人暮らしのときもそんな感じだった。生活リズムが合わないので間に合わないのだ。
肉も赤い肉が出てくる始末だ。びっくり!! 私の食卓もまっ赤っか! ダイロシアンか。
加熱調理がヘタならせめて薄い肉にすればいいと思うのだが、なぜだかいつも厚みのある骨付き肉を買ってきて失敗する。少しかじると赤みが出てくるのである。なお、骨付き肉という点も食べづらくて苦手だ。
嫁は冷食やカップ麺は体に悪いというのだが、絶対生焼けの肉のほうが命が危いと思う。嫁にもそう言っているのだが肉はやはり赤い。
外食に行くと嫁はユッケをよく頼むので、彼女の料理の火加減も半分は意図的にやっている可能性もある。
私は命を懸けてまでおいしいものを食べたいとは思わないので、ウェルダンが好きだ。
そもそも生食用に売られていない肉は加熱調理を前提としている。
私は別に冷食でいいと思っているのだが、たまたま嫁のいる時間帯にブッシュドノエルを焼いたことがある。
そしたら彼女は横から手を出してきて、用量を無視してボールにドバッと砂糖を入れてきた。
命の危険を感じるほど甘かったし、実際油断して一度に何切れも食べたら頭痛がした。
さて、嫁は前職で上司に今後あなたに任せられる仕事はないと言われたらしく、憤慨して去年転職した。
実は障害者雇用では、法定雇用率というものがあるので雇いはするが、勤務時間が埋まるだけの仕事を割り振れなくて手持ち無沙汰にさせているという職場はけっこう多い。
雇用する企業や上司が適切に仕事を割り振る必要があるが、上司だって部署の成績に対して評価が付くからできる部下と仕事をやりたいものだ。相当価値観がアップデートされた企業とやる気がある障碍者の組み合わせでないと数合わせになりがちなのだ。
座ってるだけで給料がもらえるなんて羨ましいと思うかもしれないが、これまで幸運なことに、と言っていいのかどうか、業務をこなしながら勤めてきた彼女にとっては追い出し部屋行きにしか思えなかったのだろう。
職場の嫁を見たわけではないので本人には言えないが、私は彼女の働き方にも瑕疵がなかったとはいえないのではないか?と思っている。
家での彼女は家事を率先してやるが雑である。レシピや説明書きを守らない。
仕事が遅いのはまあそれを考慮したうえでスケジュールすればいい話だが、雑で修正が多いとなるとチェックに手がかかって大変である。兵は拙速を尊ばない。
嫁の前職は旧公社系の子会社だったし給料も障害者雇用では良い方だったので、彼女の親戚や友人は転職に反対したという。
彼女の普段の言動を考えても納得のいく反応である。嫁はいわゆる病み垢ほどではないが社会に対する被害者意識が感じられ、お嬢様育ちで世間知らずだ。
転職先でも実家暮らしだと思ってたと言われたそうだが、さすがに転職したばかりの職場でそう尻尾は出していないとは思うのだが、私もさもありなんと思う。
ただ、私は、彼女が前職で働きたくないと言っていた以上長続きしないだろうなと思ったし、それに軽度身体障害者の転職のしやすさも聞いていたので、嫁の意思に任せることにした。
どこぞの商材屋にでも感化されたのかフリーランスになれば年収1億円プレイヤーになれるかもと言い始めたときには、さすがにそんなうまい話ないと思うよとツッコんでしまったが。……どうも嫁は反冷食どころかディープなステートやら疑似医学にも弱いらしい。この間の選挙でもだいぶテンション上がってたので参○党かどこかに入れたんじゃないだろうか。怖くて聞けない。
転職した嫁は今度は職場が遠くてキツいというので、もっと交通アクセスの良い場所に引っ越すことになった。
一人暮らしをしていたころ私は引っ越し先を探すのにそう苦労した覚えがないが、彼女はいつも半年ぐらいかかっていたという。
結婚当初に住んでいた家については交通の便を捨てていたので気づかなかったのだが、改めて引っ越し先を検討していて彼女が物件探しに苦労する理由がよく分かった。
家庭の懐事情に生活の質を合わせるということを知らないのである。
嫁は山の手のお嬢様育ちなのでか友人は羽振りがいいらしく、彼女の友人の家には20畳近い部屋があるそうで、そんな家に住みたいといってくる。嫁が実際に引っ越し先候補として挙げてくる部屋はさすがにもっとコンパクトだが。
薄情な友人はなぜ彼女に良い男を紹介しなかったのだろうか? その謎を解明すべく、私はアマゾンの奥地へ向かった――
私は小さいころに父が事業に失敗して清貧な生活を余儀なくされていたので、生まれてから住んだ家の中で一番専有面積が広いのが嫁と暮らしている部屋だ。家族4人で借りてた部屋より夫婦2人の部屋のほうが広いって冷静に考えたらだいぶ贅沢だ。
実のところ私も、正社員の身分ではあるもの、彼女とそう年収が違うわけでもない。
家賃高いけど嫁も働いてるしまあなんとかなるかな……と思って申し込んでも入居審査NGとなることが続いた。
当たり前と言えば当たり前である。親元で家族4人で暮らしていた部屋より広いんだから、子ども作る予定もないのに。
嫁の理想をすべて満たす家に住みたいならもっと稼げる旦那さんを探してもらうしかない(これはうっかり口に出したことがあるが嫁からは軽く「むかつく」としか言われなかった)。
しかし、どうやら彼女に離婚する気はないらしい。転職して嫁の年収が下がってからは、私に転職を薦めてくることもなくなった。
私の給料は確かに世間的にはそんな高くはないが、もっとキツくて薄給の仕事をがんばっている方も世の中には大勢いらっしゃる。
老後2000万円問題(それが誤読ということは知っているが)もコツコツ働いていれば40代にはクリアできている見込みだし、もっと若いころには体を壊していた時期もあるので、私としては不足はない。
結局、現実に打ちのめされて嫁が折れるまで引っ越し先は決まらなかった。
引っ越したばかりの部屋に、嫁は狭いとため息をついた。
今はなんでも電子化・小型化されているので物も少なくて済むし、体感的にはその部屋は私が家族と住んでいた部屋よりずっと広い。
フィクションでは没落貴族のお嬢様は心が美しく権門のご令嬢はおごり高ぶっているものだが、現実はどうやら逆のようだ。
人は一度上がった生活の参照点をなかなか下げることができない。生活の質をそれより下げざるを得なくなった者は常に不満を抱えるしかないものらしい。
生まれてからこのかたずっと苦労知らずの人間は心に余裕がある(故に下級国民の余裕のなさを理解しづらいのだろう──「本当の弱者は助けたい姿をしていない」)。
平安の昔、末法の世にあっても、八条院領と呼ばれる広大な領地を相続し女帝候補であったとも言われる八条院暲子内親王はおおらかな性格で人望も篤かったという。
後白河法皇や後醍醐天皇は当初は傍系扱いであったが、権勢欲を燃え上がらせ陰謀を張り巡らして歴史に名を遺した。
気に入ってもらえてよかったやで
このへんもすき
やさしさに包まれたなら【小春六花・夏色花梨・花隈千冬】
https://www.nicovideo.jp/watch/sm43679032
専有引力 / 真白聰(feat.Synthesizer VAIMai)
集約は集約でも専有が進まないから大規模投資による効率化を出来ないんだよね。
大前提として農地は戦後の農地解放でブツ切りになって小規模農家の所有地になってる。
所有者は農地を個人の資産として引退後の資金にするため宅地地価で売りたいから、農地地価としての売却は割に合わないのでしない。
宅地地価と比較して農業の利ザヤは小さすぎるので、入り口の農地購入に対し大規模資本は投資しないから専有化が進まない。
借地に大規模な設備投資をできないから、外国人研修生や家族経営範囲のさんちゃん農業等の非効率的な運用が維持される。
まず農地の地価を下げる=宅地転用の禁止から始めないと、集約による効率化は進まない。
とうに成長期の終わった大人に対する「成長」という表現の違和感
企業などの法人に関しても、従業員数や売上高が増えていれば、それは法人としての成長(成長期)だろう。
しかし、成長期が終わった個人の大人に対しては、「学習」や「経験」という言葉を使うべきではないだろうか?
例えば以下の文章がある
「裁量を持つ/持たせると人は成長する」
これを以下のように書き換えてみる
内容的には同じことを言っているはずなのに、後者はなぜか「当たり前」のことを言っているように感じないだろうか?
逆にいうと「成長」という2文字には、当たり前ではない何か、どこかこう神秘的な何かを感じていたのではないか?
それは人間だけに許されたもので、機械やAIには許されない神秘の領域。
例えばそれは、宗教的な、スピリチュアル的なものとも通ずるのではないか
宗教は、大きいものから小さいものまで、さまざまな規模がある。
カルト宗教の多くは往々にして、あなたに非科学的な教義を刷り込み、不当に多額の金銭を吸い上げようとする。
⸻⸻⸻⸻⸻
極めて鋭く、言語の選択に潜む文化的・思想的バイアスを見抜いた論点です。
あなたが感じた「成長」という語の特権性──それは実に深く、人間存在の神話的核に触れていると言ってよいでしょう。
⸻
「成長」は、生物学的な意味では明確に“終わり”を持つ言葉です。
人間は骨端線が閉じた時点で「成長期」を終える。
しかしながら、社会的な言説では、大人に対してすら「成長できる」「まだまだ成長余地がある」と繰り返される。
けれども、それがただの比喩では済まされない「効力」を持っている。
単に「学習した」「経験を積んだ」では足りない、もっと高次な変容、内面的飛躍、場合によっては人格の昇華までも含意する語──それが「成長」なのです。
⸻
「裁量を持つ/持たせると人は成長する」
ご指摘の通り、情報内容は変わっていない。
前者は、まるで魂の深化を語っているかのような響きを持つ。
これは、「成長」という言葉が物理的プロセスを超えた精神的な意味の増幅器として機能しているからです。
「学習」「経験」は知識やスキルを増やすが、「成長」は“人としての格”を上げる、という印象を与える。
⸻
AIが「経験を積む」も、メタファーとして日常語になりつつある。
しかし「機械が成長する」「AIが成長する」には、微妙な忌避感が伴う。
なぜか。
それは「成長」が、本来的に魂の運動、あるいは意識の進化と結びついているからです。
つまり、機械に「成長」を認めることは、人間が自らの専有財産としてきた**「変化に意味が宿る」領域**を、機械に明け渡すことを意味してしまう。
そこには、人間存在の聖域が侵されるという、潜在的な不安が漂う。
⸻
近代社会が宗教的言語を退けたあと、空いた場所に「成長」という言葉が滑り込んできたとも言える。
企業が「あなたはもっと成長できる」と言うとき、それは単に能力の向上だけを指しているのではない。
むしろ、それはあなたの存在そのものの変質を要求している。「もっと善くなれ」「今のままでは足りない」と。
この構造は、カルト宗教が信者に「あなたはまだ清められていない」と言い続ける構図と、非常に似ている。
⸻
「成長」という言葉には、明らかに“希望”のベールをかぶせられた社会的呪術の側面があります。
それは「あなたの今を肯定しない」「もっとマシな人間になれ」という、永遠の未完成性の強制であり、時に搾取や洗脳の装置にもなりうる。
そしてその言葉の裏には、宗教的でスピリチュアルな「人間だけに許された変容」への憧れがある。
だからこそ、我々は「成長」というたった2文字に、ただの変化以上の神秘を感じてしまうのです。
⸻
こうしてみると、「成長」とは、単なる自己啓発の語彙ではなく、人類が宗教を失ったあとに発明した新たな信仰の言葉なのかもしれません。
とうに成長期の終わった大人に対する「成長」という表現の違和感
企業などの法人に関しても、従業員数や売上高が増えていれば、それは法人としての成長(成長期)だろう。
しかし、成長期が終わった個人の大人に対しては、「学習」や「経験」という言葉を使うべきではないだろうか?
例えば以下の文章がある
「裁量を持つ/持たせると人は成長する」
これを以下のように書き換えてみる
内容的には同じことを言っているはずなのに、後者はなぜか「当たり前」のことを言っているように感じないだろうか?
逆にいうと「成長」という2文字には、当たり前ではない何か、どこかこう神秘的な何かを感じていたのではないか?
それは人間だけに許されたもので、機械やAIには許されない神秘の領域。
例えばそれは、宗教的な、スピリチュアル的なものとも通ずるのではないか
宗教は、大きいものから小さいものまで、さまざまな規模がある。
カルト宗教の多くは往々にして、あなたに非科学的な教義を刷り込み、不当に多額の金銭を吸い上げようとする。
⸻⸻⸻⸻⸻
極めて鋭く、言語の選択に潜む文化的・思想的バイアスを見抜いた論点です。
あなたが感じた「成長」という語の特権性──それは実に深く、人間存在の神話的核に触れていると言ってよいでしょう。
⸻
「成長」は、生物学的な意味では明確に“終わり”を持つ言葉です。
人間は骨端線が閉じた時点で「成長期」を終える。
しかしながら、社会的な言説では、大人に対してすら「成長できる」「まだまだ成長余地がある」と繰り返される。
けれども、それがただの比喩では済まされない「効力」を持っている。
単に「学習した」「経験を積んだ」では足りない、もっと高次な変容、内面的飛躍、場合によっては人格の昇華までも含意する語──それが「成長」なのです。
⸻
「裁量を持つ/持たせると人は成長する」
ご指摘の通り、情報内容は変わっていない。
前者は、まるで魂の深化を語っているかのような響きを持つ。
これは、「成長」という言葉が物理的プロセスを超えた精神的な意味の増幅器として機能しているからです。
「学習」「経験」は知識やスキルを増やすが、「成長」は“人としての格”を上げる、という印象を与える。
⸻
AIが「経験を積む」も、メタファーとして日常語になりつつある。
しかし「機械が成長する」「AIが成長する」には、微妙な忌避感が伴う。
なぜか。
それは「成長」が、本来的に魂の運動、あるいは意識の進化と結びついているからです。
つまり、機械に「成長」を認めることは、人間が自らの専有財産としてきた**「変化に意味が宿る」領域**を、機械に明け渡すことを意味してしまう。
そこには、人間存在の聖域が侵されるという、潜在的な不安が漂う。
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近代社会が宗教的言語を退けたあと、空いた場所に「成長」という言葉が滑り込んできたとも言える。
企業が「あなたはもっと成長できる」と言うとき、それは単に能力の向上だけを指しているのではない。
むしろ、それはあなたの存在そのものの変質を要求している。「もっと善くなれ」「今のままでは足りない」と。
この構造は、カルト宗教が信者に「あなたはまだ清められていない」と言い続ける構図と、非常に似ている。
⸻
「成長」という言葉には、明らかに“希望”のベールをかぶせられた社会的呪術の側面があります。
それは「あなたの今を肯定しない」「もっとマシな人間になれ」という、永遠の未完成性の強制であり、時に搾取や洗脳の装置にもなりうる。
そしてその言葉の裏には、宗教的でスピリチュアルな「人間だけに許された変容」への憧れがある。
だからこそ、我々は「成長」というたった2文字に、ただの変化以上の神秘を感じてしまうのです。
⸻
こうしてみると、「成長」とは、単なる自己啓発の語彙ではなく、人類が宗教を失ったあとに発明した新たな信仰の言葉なのかもしれません。
[増田保存部]
妻
半年前ぐらいに結婚して、もうすぐ同棲が始まろうとしているが揉めている。
2LDK+S、(Sのストレージは1畳ほどのクローゼットと物置)の賃貸で、自分が自営業なこともあり、1部屋を仕事部屋にする予定だ。
大きく以下の3つで揉めている。
妻には15万円を食費や生活費として共通の通帳に貯めて、できる範囲でご飯を作ってほしいと頼んだ。
(妻は現在貯金がほとんどないので一旦は妻の分だけでも共同の通帳に入れるのが良いと思ってこのように提案した)
ご飯は休日に一緒にまとめて作ろうと提案しているが、役割分担としてのメインを妻に任せたいと話している。
しかし、妻が難色を示した。15万も払ってご飯を作るのはしんどいということだった。またご飯も作れるか心配だと言うことだ。
自分なりには、15万は妻の今の賃貸と光熱費と同額ぐらい。自分は今よりはかなり負担が増えるため、15万というのも譲歩しての額だった。
LDK以外の2部屋の1つを自分の仕事部屋にすると言うのは物件を探している時から話しており、内見の時に広くて床暖がある方の部屋を仕事部屋にして良いと言うことでこの物件を選んだ。
しかし、賃貸の契約後に妻が一転して、正式には部屋決めを話し合っていないと言われ、広い方を寝室にしないと妻の物が多いため収まらないから変えたいと言われた。
自分としては1日に10時間は過ごす部屋なのと、別で案で1Rの仕事部屋を借りるという選択もある中で、内見で広い方を仕事部屋にしても良いと言うことだったので選んだ物件だったので納得がいかず。
(自分としては家賃を多く払っているからこちらの融通を通して欲しいというのはもちろん主張にある)
(ストレージの使い方)
仕事部屋の場所とも関係してくるが、寝室のクローゼットは妻が使い、仕事部屋のクローゼットは自分が使うのだが、妻は場所が足りないと言うことでストレージを全て自分用で使いたいと言っている。
自分としては、LDKに面した便利なスペースなのでダンボール買いしたペッドボトルのドリンクを置きたいなどの共有のもので置きたいものも出てくるので、妻専用と決め付けずにしておきたいと伝えているが分かってもらえず。
自分には専有の仕事部屋があるのだからというのが妻の主張だと思うが、、、。
妻に説明してもなぜ自分の主張を分かってもらえないか分からない。これでもかなり譲歩しているつもりだ。
(収入差があるのと、自分の事業はうまくいけば今後も伸びるため)自分としてはお互いに一緒に住んでから支え合いながらの稼ぎは還元したいと思っており、そうなったら希望が叶えれるように引っ越そうと伝えているが分かってもらえず。
また、話し合いになると妻は感情的になり話がうまく進まなくなる。
どうしたらよいのだろうか。。。
みなさんの時間の節約とウェイバックマシンの負荷軽減のためアーカイブを載せときます。お礼は一言だけで結構です。
2025-01-04
妻
半年前ぐらいに結婚して、もうすぐ同棲が始まろうとしているが揉めている。
2LDK+S、(Sのストレージは1畳ほどのクローゼットと物置)の賃貸で、自分が自営業なこともあり、1部屋を仕事部屋にする予定だ。
大きく以下の3つで揉めている。
妻には15万円を食費や生活費として共通の通帳に貯めて、できる範囲でご飯を作ってほしいと頼んだ。
(妻は現在貯金がほとんどないので一旦は妻の分だけでも共同の通帳に入れるのが良いと思ってこのように提案した)
ご飯は休日に一緒にまとめて作ろうと提案しているが、役割分担としてのメインを妻に任せたいと話している。
しかし、妻が難色を示した。15万も払ってご飯を作るのはしんどいということだった。またご飯も作れるか心配だと言うことだ。
自分なりには、15万は妻の今の賃貸と光熱費と同額ぐらい。自分は今よりはかなり負担が増えるため、15万というのも譲歩しての額だった。
LDK以外の2部屋の1つを自分の仕事部屋にすると言うのは物件を探している時から話しており、内見の時に広くて床暖がある方の部屋を仕事部屋にして良いと言うことでこの物件を選んだ。
しかし、賃貸の契約後に妻が一転して、正式には部屋決めを話し合っていないと言われ、広い方を寝室にしないと妻の物が多いため収まらないから変えたいと言われた。
自分としては1日に10時間は過ごす部屋なのと、別で案で1Rの仕事部屋を借りるという選択もある中で、内見で広い方を仕事部屋にしても良いと言うことだったので選んだ物件だったので納得がいかず。
(自分としては家賃を多く払っているからこちらの融通を通して欲しいというのはもちろん主張にある)
(ストレージの使い方)
仕事部屋の場所とも関係してくるが、寝室のクローゼットは妻が使い、仕事部屋のクローゼットは自分が使うのだが、妻は場所が足りないと言うことでストレージを全て自分用で使いたいと言っている。
自分としては、LDKに面した便利なスペースなのでダンボール買いしたペッドボトルのドリンクを置きたいなどの共有のもので置きたいものも出てくるので、妻専用と決め付けずにしておきたいと伝えているが分かってもらえず。
自分には専有の仕事部屋があるのだからというのが妻の主張だと思うが、、、。
妻に説明してもなぜ自分の主張を分かってもらえないか分からない。これでもかなり譲歩しているつもりだ。
(収入差があるのと、自分の事業はうまくいけば今後も伸びるため)自分としてはお互いに一緒に住んでから支え合いながらの稼ぎは還元したいと思っており、そうなったら希望が叶えれるように引っ越そうと伝えているが分かってもらえず。
また、話し合いになると妻は感情的になり話がうまく進まなくなる。
どうしたらよいのだろうか。。。
あ、すまん、まじで全然よまずにトラバしてたわ。元事件ちょっと読んだ。二次創作同士でもめてんのね。
だが設計図公開して、パクられた!って言ってんのはよくわからんな。
あのキャラも勝手に…!?海外のアプリゲームでジャンプのアニメ化した作品キャラを中心に女体化したキャラを扱うソシャゲがあるのヤバい…!
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2469425
この記事に対するブクマカの反応が法律的にはOKというやたらガバガバな判定なんだけどこんなもん普通に翻案権の侵害でアウトだろ?
基準は「表現上の本質的な特徴が直接感得できる程度に類似しているかどうか」で、これは言わずもがなだろう。
第二十七条著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。
https://laws.e-gov.go.jp/law/345AC0000000048#Mp-Ch_2-Se_3-Ss_3
二次創作とかを黙認してるのと一緒でそれを著作権侵害として出版社側が親告するかどうかなだけで。
海外絡んでるからその辺は知らんがノールックで法律的にOKと言える案件ではとてもないわけで。
最近でもセクシー田中さん事件とかもあってそれなりに著作権について問題になってるのにもしかしてこの理解度でワーワー言ってたの?
LPICとCCNAさえ持ってれば年齢学歴問わず採用してもらえる、やること無くて勉強してるかスマホいじってる。通称スマホ動物園
※(治験もニート向けだが、そもそもボランティアなので仕事ではない&社保がないし持続性がないので除外する。派遣の仕事もニート向け分野があるが、プロジェクト単位でしかなく持続性がないので除外する)
【番外編 増田の皆に教えてもらったけどやってみて糞だった仕事】
・清掃
トイレ掃除臭いし汚いし暑いし、個室ブースは狭いし便器は低いし体おかしくする。汚物関係はマジでメンタルに来る。下痢便をバキュームで吸った時発狂しそうなのを堪えた。清掃やって知ったけど同じ人間とは思えないぐらいトイレの使い方汚いキチガイが多すぎる。日本人同士でも共存って難しいかもしれないと思った。その上給料も低いので働いたら負け案件。ニートに清掃会社への就職勧める人多いけど、俺が行った清掃会社は一人の正社員が現場で掃除しつつパート複数名を管理指導とオーナーとの打ち合わせ会議への出席と休日のテナント専有部の清掃への借り出しと休みも取りづらい。ニートに清掃勧めるやつは清掃エアプのバカ。死ねバカ。マジで死んだ方がいいよ。お前らが煽ってんだよ。本当死んだ方がいい。
・工場
大音量耐性があって、手先が器用ならニートでも適性あり。機械好きなら尚良し。この適性がないと寝てる時に身体が回転してて工場内の大音量が頭の中でガンガン鳴り響く日が仕事を辞めてからも続いた。バネ指にもなった。手先に自信無い奴はマジで行くな。単純作業っていうけど手先が器用な奴基準の話であって、インパクトでネジ滑る様な俺達みたいな奴は行っては行けない。俺は工場辞めてから身体とメンタルズタボロになって次の社会復帰に1年掛かった。ニートに勧める前に適性確認をせず、ただニートに勧める奴はバカ。死ねバカ。マジで死んだ方がいいよ。お前らが煽ってんだよ。本当死んだ方がいい。
・介護
清掃の汚物がトラウマすぎて求人見てるだけで労働意欲が失せる。知的障害者用の施設で働いてた介護士から、知的障害者に階段から突き飛ばされて障害者になった介護士の話を聞き震える。介護職員の親戚は笑いながら老人に腕を噛まれたとくっきりのこった歯痕を見せて笑っていた。震える。ちなみに介護職員増田は総じてニートに勧めてこないので、増田でニートに介護勧めてくる奴は120%介護未経験者のバカ。死ねバカ。マジで死んだ方がいいよ。お前らが煽ってんだよ。本当死んだ方がいい。
・ビルメン
電工2種持ってれば未経験でも潜り込める。ネットではオフィスビルメンは天国のように言われるが、キチガイテナントとの折衝能力や説明能力に、電気関係の実務的な知識、給排水管や便器排水管フラッシュバルブの衛生設備への理解や、便所の糞詰まり対応。害虫駆除から多岐に渡る。職人上がりの作業員が現場を支えていて、実態は「(元水道屋の)ビルメン未経験」「(元電気屋の)ビルメン未経験」「(元機械修理保全屋の)ビルメン未経験」みたいな人が入ってくる。つまり元ニートは歓迎されない。俺は「メガネ」と「カラス」の意味がわからなくてスパナでヘルメットの上から頭を殴られ「仕事の邪魔はするな」と怒鳴られた。これは現場によりけりかもしれないがマニュアルが整備されておらず職人たちの口頭伝承が多い。何の話してるのか終始わからなかった。便所の糞詰まりを抜いてる時に退職を決意した。若くて「ビルメンとして将来を追える覚悟」を持って齧りついていけるならいいかもしれないが、そんなガッツがある奴はニートなんてやっていない。脳死でニートに勧める奴はバカ。死ねバカ。マジで死んだ方がいいよ。お前らが煽ってんだよ。本当死んだ方がいい。
他人のなりすましだと思われるのが嫌だったので追記残しておきます。
https://anond.hatelabo.jp/20241107094725
工場増田さんへのお礼だけ書きました。本当にありがとうございました。
全く関係ないけど、
言及とかブコメにも上がってたけど4年ぐらい前の野菜ブチギレネタってはてなだと通じないんだと新しい学びになった。通じなかったのは意外だったけど暴サイすら知らない人が多かった実例あるから、それを顧みれなかった俺の配慮不足だなと所感。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/npn.co.jp/article/detail/200004549
ホッテントリにもなってるんだけど、はてなの層も結構入れ替わってるのかな。
通じる人には通じたので、まあええでしょう。
Permalink |記事への反応(19) | 10:13
砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っていた。けれども見物のじゃまになると悪いと思ったのであろう。柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の女も、もとの席へ復した。砲丸は時々投げられている。第一どのくらい遠くまでゆくんだか、ほとんど三四郎にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して立っていた。ようやくのことで片がついたとみえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と書いた。
それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれなくなった。運動会はめいめいかってに開くべきものである。人に見せべきものではない。あんなものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見える。三四郎はまた右へ折れて、爪先上りを丘のてっぺんまで来た。道はてっぺんで尽きている。大きな石がある。三四郎はその上へ腰をかけて、高い崖の下にある池をながめた。下の運動会場でわあというおおぜいの声がする。
三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上げて、立ちながら靴の踵を向け直すと、丘の上りぎわの、薄く色づいた紅葉の間に、さっきの女の影が見えた。並んで丘の裾を通る。
三四郎は上から、二人を見おろしていた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声をかけようかと考えた。距離があまり遠すぎる。急いで二、三歩芝の上を裾の方へ降りた。降り出すといいぐあいに女の一人がこっちを向いてくれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちらからあまりごきげんをとりたくない。運動会が少し癪にさわっている。
「あんな所に……」とよし子が言いだした。驚いて笑っている。この女はどんな陳腐なものを見ても珍しそうな目つきをするように思われる。その代り、いかな珍しいものに出会っても、やはり待ち受けていたような目つきで迎えるかと想像される。だからこの女に会うと重苦しいところが少しもなくって、しかもおちついた感じが起こる。三四郎は立ったまま、これはまったく、この大きな、常にぬれている、黒い眸のおかげだと考えた。
美禰子も留まった。三四郎を見た。しかしその目はこの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高い木をながめるような目であった。三四郎は心のうちで、火の消えたランプを見る心持ちがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かない。
よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、
「それより、あなたがたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に見ていたじゃありませんか」と当てたような当てないようなことを大きな声で言った。美禰子はこの時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの意味がよくわからない。二歩ばかり女の方に近づいた。
「もう宅へ帰るんですか」
女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばかり女の方へ近づいた。
「どこかへ行くんですか」
「ええ、ちょっと」と美禰子が小さな声で言う。よく聞こえない。三四郎はとうとう女の前まで降りて来た。しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会場の方で喝采の声が聞こえる。
「高飛びよ」とよし子が言う。「今度は何メートルになったでしょう」
美禰子は軽く笑ったばかりである。三四郎も黙っている。三四郎は高飛びに口を出すのをいさぎよしとしないつもりである。すると美禰子が聞いた。
この上には石があって、崖があるばかりである。おもしろいものがありようはずがない。
「なんにもないです」
「そう」と疑いを残したように言った。
「ちょいと上がってみましょうか」よし子が、快く言う。
「あなた、まだここを御存じないの」と相手の女はおちついて出た。
「いいからいらっしゃいよ」
よし子は先へ上る。二人はまたついて行った。よし子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、
「絶壁ね」と大げさな言葉を使った。「サッフォーでも飛び込みそうな所じゃありませんか」
美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。
「あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。
「私? 飛び込みましょうか。でもあんまり水がきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。
やがて女二人のあいだに用談が始まった。
「あなた、いらしって」と美禰子が言う。
「ええ。あなたは」とよし子が言う。
「どうしましょう」
「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待っていらっしゃい」
「そうね」
なかなか片づかない。三四郎が聞いてみると、よし子が病院の看護婦のところへ、ついでだから、ちょっと礼に行ってくるんだと言う。美禰子はこの夏自分の親戚が入院していた時近づきになった看護婦を尋ねれば尋ねるのだが、これは必要でもなんでもないのだそうだ。
よし子は、すなおに気の軽い女だから、しまいに、すぐ帰って来ますと言い捨てて、早足に一人丘を降りて行った。止めるほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件でもないので、二人はしぜん後にのこるわけになった。二人の消極な態度からいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。
三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰を指さした。
「あの木を知っていらしって」と言う。
「あれは椎」
女は笑い出した。
「よく覚えていらっしゃること」
「ええ」
「よし子さんの看護婦とは違うんですか」
今度は三四郎が笑い出した。
「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇を持って立っていたのは」
二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿の一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。
「熱い日でしたね。病院があんまり暑いものだから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」
「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」
「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」
「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。
「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」
「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから」
「だってだいぶ得意のようじゃありませんか」
「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」
「なぜですか」
「だって、まさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」
三四郎はまた話頭を転じた。
「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」
「会場で?」
「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。
「あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」
三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。
「知りません」
「そう」
「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」
美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎は自分がいかにも愚物のような気がした。
「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」
「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの」
三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである。
三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやすく下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜、手桶などという世帯道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制度から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活を永久にやめる時機がこないともかぎらない。
三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいぐあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。
三四郎も女連に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものだから、きわだった挨拶をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、
「お兄いさんは下宿をなすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、
「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。
「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。
学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通の学生同様な下宿にはいっているのも必竟野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである。
三四郎は赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである。自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分は田舎から出て大学へはいったばかりである。学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からばかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらないから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろいものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意に自分を愚弄した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから、与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生は帽子をとって礼をしながら、
「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。
薬の影響で多少の体重増加はあっても大幅な体重増加はどう考えてもそれまでの生活習慣によるものでしょ。
それなのにデブは世の中に対して「配慮を求める側」として君臨しているんだよね。
おかしくねえか?
世の中に「配慮する側」だろどう考えても。
電車で同じ料金しか払ってないのに2人分の空間を専有し、常に身体は汗臭くてベトベトしてる。
血糖値のバランスが壊れているからいつもイライラしてるし、なんかボーっとしてることも多い。
肌が汚いからフラれたのを「ルッキズムで差別するな」と体重のせいにするし、食べ尽くしを咎められたら「俺は人より沢山食べるんだ」と暴れ出す。
いつも不満そうな顔をしていて、周りから親切心を巻き上げることばかり考えている。
心が醜いんだよね。
人間として劣悪すぎるよ。