
はてなキーワード:封建的とは
【はじめに】
日本のサブカルチャー、特に二次元コンテンツにおける「廃(ハイ)」や「萌え」の底流には、特有の湿り気がある。それは、公的な領域から撤退し、極めて私的で、時に猥雑とも言える内面世界への耽溺である。
一般に、これは戦後日本の豊かさが生んだ徒花だと解釈されがちだ。しかし、この「社会からの撤退と内面への沈殿」という構造自体は、決して新しいものではない。
本稿では、明治期の自然主義文学が変異した「私小説」と、現代の「二次元オタク文化」を、同一の精神構造を持つ歴史的な双子として定義する。両者は、近代日本という抑圧的なシステムの中で、個人の主体性を確立できなかった者たちが選び取った、必然的かつ病理的な適応戦略である。
1.明治の「布団」と現代の「モニター」:同型としての引きこもり
日本の近代文学は、「自然主義」の受容から始まった。本来、ゾラなどの西欧自然主義は、社会の暗部を科学的かつ客観的に暴き出すリアリズムの手法であった。
しかし、この「社会を記述するメス」が日本に持ち込まれたとき、奇妙なねじれが発生した。田山花袋の『布団』に象徴されるように、記述の対象が「社会」から「作家の私生活(性欲・嫉妬・無様な内面)」へと急速に矮小化されたのである。
なぜか。明治維新後の強権的な藩閥政治(前稿参照)の下では、知識人がペンによって社会を変革することは不可能だったからだ。
巨大な国家権力という「壁」を前にして、個人のエネルギーは行き場を失い、内側へと逆流した。彼らに残された唯一の自由な領土は、国家が干渉しない「布団の中(性生活・内面)」だけであった。
現代の「廃(オタク)」がモニターの中で美少女キャラクターを消費する構造は、明治の文人が女弟子の布団の匂いを嗅いで文学へと昇華させた構造と、位相幾何学(トポロジー)的に完全に一致している。
それは、「公的領域での敗北」を「私的領域での支配」によって代償しようとする、日本近代特有の精神運動である。
2.ミッシングリンク:生存の「私小説」から、消費の「データベース」へ
しかし、明治の文人と現代のオタクの間には、決定的な環境(エコノミー)の違いがある。私の初期の考察における欠落は、この「経済的下部構造」の変容を軽視していた点にある。
明治の「私」への撤退は、貧困と封建的家制度の中での「苦悶」であった。
対して、現代の「私」への撤退は、高度資本主義下での「消費」である。
①「公」の死(1945年):
敗戦により、天皇という絶対的な「父(公)」が失墜した。これにより、個人の内向化を止める道徳的ストッパーが消滅した。
60年安保・70年闘争の敗北により、若者たちは「政治で社会を変える」というルートが完全に閉ざされたことを悟った(明治期の再演)。
時を同じくして日本は高度経済成長とバブルを迎える。資本主義は、行き場を失った若者たちのリビドーを見逃さなかった。
資本は、かつては恥ずべきものとされた「私的で猥雑な欲望」に「商品価値」を与え、二次元産業としてパッケージ化したのである。
「二次元」という楽園の底にある心理的基盤として、私はかつて「小農経済的な私有性」を仮定した。この視点は、現代風に修正することでより強固になる。
彼らは広大な社会(荒野)に出て他者と連帯することを拒否し、自室という「一畝(ひとせ)の畑」を耕し、そこで自分だけの作物(推し)を愛でる。
この「他者不在の閉鎖性」こそが、日本のムラ社会が近代化の過程で到達した成れの果てである。
高度に発達した資本主義は、この「精神的小農」たちに、安価で高品質な肥料(アニメ・ゲーム・グッズ)を供給し続ける。
このシステムにおいては、もはやリアルの他者と関わるコスト(リスク)を払う必要はない。経済的豊かさが、逆説的に「人間関係の貧困化(私化)」を可能にし、それを永続させるための産業構造を完成させたのだ。
明治の鏡(私小説)には、国家に押しつぶされて布団に逃げ込む「無力な知識人」が映っていた。
平成・令和の鏡(二次元)には、豊かさの中で社会性を喪失し、モニターに逃げ込む「消費する原子(アトム)」が映っている。
この二つは、異なる花に見えて、同じ根から生えている。
その根とは、「個人の自立」を許さず、「公的な変革」も許さない、日本という硬直した社会構造そのものである。
外部世界への作用を諦め、内なる欲望の充足のみに生のリアリティを求める態度。
それは「醜悪」あるいは「猥雑」と指弾されるかもしれないが、この国のシステムが正常に稼働した結果排出された、極めて合理的な「排泄物」なのである。
我々が二次元コンテンツに見る輝きと虚しさは、行き場を失った魂が、資本主義というプリズムを通して屈折した際に放つ、最期の光なのかもしれない。
【はじめに】
本稿は、現代日本政治を一つの均衡状態として捉え、その内的論理を記述する試みに過ぎない。ここで描かれた「歪なリヴァイアサン」は、不正義でも愚鈍でもなく、ただ与えられた条件の下で最も合理的に振る舞っている存在である。
しかし、合理性は永続性を保証しない。均衡とは、あくまで外乱が加わらない限りにおいて成立する一時的な静止点に過ぎない。経済の衰弱、国際秩序の変動、技術による媒介構造の変化——いずれも、このキメラの前提条件を静かに、しかし確実に侵食している。
本稿の目的は、このシステムを擁護することでも、告発することでもない。ただ一つ、「なぜ変わらないのか」という問いを、「変わらないこと自体が合理的である状況」として再定義することである。
もし将来、日本政治がこの枠組みから逸脱するとすれば、そのとき我々は初めて「変化が起きた」のではなく、「変化を許す条件が整った」のだと理解すべきだろう。
日本政治を観察する際、我々は常に強烈な「違和感」に襲われる。
表面的には米国流の民主憲法を掲げながら、そのOS(オペレーティングシステム)はプロイセン流の官僚機構であり、さらにその深層では江戸時代の村落論理が駆動しているからだ。
「自民党一強」や「官僚内閣制」、「対米従属」といった既存の単一的な理論では、この怪物を説明しきれない。
本稿では、現代日本という政治システムを、「幕府の遺風(骨格)」、「明治の遺老(神経)」、「米国の遺産(皮膚)」という、本来互換性のない三つの要素が無理やり縫合され た「キメラ(合成獣)」として定義し、その構造的欠陥と強靭さを分析する。
日本政治の基層にあるのは、民主主義ではなく「封建制」である。
自民党は近代政党ではない。それは「現代の大名連合体」である。
派閥という名の「藩」:政治家にとっての忠誠対象は、国家よりも党、党よりも「派閥(オヤジ)」にある。
世襲という正統性:地盤・看板・鞄(カバン)の世襲は、まさに江戸時代の家督相続そのものであり、システム維持のコストを最小化するための合理的装置だ。
「根回し」の合意形成:国会審議は儀式に過ぎない。真の意思決定は、料亭や密室での「根回し」によって行われる。これは内戦を避けるための「封建的コンセンサス」の知恵である。
この層は、システムにおける「利益配分」と「動員」を司っている。
政治家が舞台上で演じる役者だとすれば、脚本を書き、演出するのは霞が関の官僚群である。彼らは明治維新以来の「指導的行政」の継承者だ。
無責任の体系:大臣は頻繁に交代するが、次官や局長は居座る。実質的な立法権と、法の「解釈権」は彼らが独占している。
解釈権という主権:法文そのものに意味はない。内閣法制局がいかに「解釈」するかが全てだ。これは一種の「神学政治」であり、官僚は唯一の解釈権を持つ神官である。
この層は、システムの「運用(オペレーション)」と「リスク回避」を司っている。
戦後、外から移植されたこの異質な器官は、平和憲法や日米安保として具現化している。
征夷大将軍としての米国:構造的に見れば、ワシントンは現代の「将軍」である。平時は大名(日本政府)の内政に干渉しないが、外交・安保という存立に関わる部分では最終裁定権を持つ。
「結界」としての憲法九条:保守派にとっての憲法は、足枷であると同時に、米国の過度な軍事冒険に巻き込まれないための「免罪符(盾)」としても機能してきた。
この層は、システムの「外部安全保障」と「国際的正統性」を保証している。
この三層構造は、絶妙なナッシュ均衡によって維持されている。この均衡を無自覚に破壊しようとした者がどうなるか。歴史が証明している。
小泉氏は「自民党をぶっ壊す」と叫び、ポピュリズム(米国層の力)を借りて、自らの足場である「幕府層(派閥・郵便・土建)」を攻撃した。
結果、自民党という組織は「骨粗鬆症」に陥った。彼が去った後、求心力を失った自民党があっけなく下野したのは必然であった。
2009年の政権交代は、システムに対する致命的な挑戦であった。民主党は「幕府・明治・米国」のすべてを同時に敵に回してしまったのだ。
対「明治層」戦争:「政治主導」を掲げ、官僚機構を敵視した結果、サボタージュに遭い、行政機能が麻痺した。
対「米国層」戦争:普天間基地問題で「将軍」の逆鱗に触れ、鳩山政権は崩壊した。
(党内に派閥がなければ奇妙なことが起き、党外に野党がなければ独裁に陥る)。
自民党における派閥は、疑似的な政権交代機能(自浄作用)を果たしていた。しかし、「党内無派閥」を理想とした民主党は、内部対立を調整する「封建的知恵」を持たず、内ゲバで自壊した。
民主党の敗北は、無能だったからではない。日本の「国体(システム)」に対する免疫拒絶反応だったのである。
なぜ安倍晋三(第二次政権)は、憲政史上最長の安定政権を築くことができたのか。
それは彼が、小泉流の「破壊」も民主党流の「理想」も捨て、システム構造のハッキングに成功したからだ。
彼は「三層の矛盾」を解消するのではなく、「三層すべてを掌握する」ことで、この奇妙なキメラを飼い慣らしたのである。
民主党は官僚と「闘った」が、安倍政権は官僚を「飼い慣らした」。
その決定的な武器が、2014年に設置された「内閣人事局」である。
霞が関のエリートたちの人事権を官邸が一元管理することで、官僚たちは「抵抗者」から、官邸の意向を過剰に読み取る(忖度する)「優秀な参謀」へと変質した。
これにより、明治以来の「官僚の自律性」は去勢され、行政機構は完全に安倍一強体制の手足となった。
安倍氏は、対米自立を掲げるのではなく、逆説的に「対米従属を極める」ことで政権のフリーハンドを得た。
2015年の安保法制(集団的自衛権の行使容認)は、憲法解釈の限界を突破するものであったが、これは「将軍(米国)」に対する最大の忠誠の証であった。
将軍の信任を得た大名は、国内で多少強引な振る舞いをしても、外圧によって倒されることはない。彼は「外堀」を米国に守らせることで、内政に専念したのである。
「機動的な財政出動」と称されたアベノミクスは、経済政策であると同時に、高度な「封建的再分配システム」であった。
異次元緩和によって溢れ出したマネーは、株高を演出し、企業(経団連)を潤し、公共事業を通じて地方組織(農村・建設)を潤した。
かつて小泉氏が断ち切った「カネのパイプ」を復旧させることで、派閥政治の不満を封じ込め、党内の求心力を盤石なものにした。
それは、人事権で官僚を縛り(明治)、安保で米国を縛り(米国)、カネで派閥を縛る(幕府)という、「三層の完全縫合」に成功した、極めて洗練された「復古政権」であった。
日本という「歪なリヴァイアサン」は、内部からの革命では死なない。
「党外に党なし」――強力な野党が存在しないのではなく、安倍政権が完成させたこのシステムが、野党(代替案)の存在を必要としないほど強固な「安定」を提供してしまったからである。
このキメラが倒れる時があるとすれば、それは内部崩壊ではなく、宿主である経済が死ぬか、将軍(米国)が去るか、そのどちらかであろう。
【はじめに:分析の前提と射程】
その焦点は、「所与のルールと制約条件下において、システムがいかに作動し、どのような均衡点に至るか」を記述することに限定されている。したがって、特定の政治家の資質、有権者の道徳的判断、あるいは個人の選択の是非を評価する意図は一切ない。
本文において個人の主体性や価値判断、「あるべき論」を意図的に捨象しているのは、それらの重要性を否定するためではなく、分析のレイヤーを「制度が生み出す必然的帰結」のみに絞るためである。
結論への賛否は重要ではない。もし論理の断絶や構造的な見落としがあれば、その指摘こそが本稿にとって最も価値あるフィードバックとなるだろう。
最近、19世紀の国家運営シミュレーションゲーム『Victoria 3』の視点で、現在の日本政治――特に先日発表された高市首相による「奇襲解散」――を分析してみると、ある戦慄すべき事実に気づいてしまった。
日本という国は、「民主主義」という皮を被っているが、その中身は特定の「利益グループ」以外が勝てないように調整された、極めて高度な「封建的寡頭政治(オリガルキー)」なのではないか?
多くの人が「なぜ野党は弱いのか」「なぜ経済は停滞するのか」を嘆いているが、システム論で見れば答えは単純だ。この国は意図的に改革が不可能なように、勢力均衡がロックされているからだ。
今回は、2026年の「高市解散」を実例に、日本という国家システムの裏側にある論理を解析する。
まず、今回の解散総選挙について。ニュースでは「大義がない」「奇襲だ」と騒がれているが、ゲーム的視点で見れば、高市首相(プレイヤー)の操作は極めて合理的だ。
通常の民主主義国家のルールなら、選挙は定期的なイベントだ。しかし、日本サーバーには「憲法7条解散」という特殊コマンドが実装されている。
これは、「首相(プレイヤー)の都合がいい時だけ、敵(野党)の準備が整う前に強制的に選挙イベントを発生させ、敵の組織力をゼロにする」という、ゲームバランス崩壊級の強力なスキルだ。
支持率という名の「正当性」が一瞬でも上がれば、即座にこのボタンを押す。これにより、野党は永遠にリソース(資金・候補者)を蓄積できず、万年「デバフ(不利な状態異常)」を受け続ける。これは三権分立というルールを無視した、行政権による立法権への「ハメ技」である。
では、なぜこのような強権的なプレイが許されるのか? それは、この国を支配する利益団体(インタレスト・グループ)の構成が、通常の近代国家とは異次元の進化を遂げているからだ。
ゲームのセオリーでは、工業化が進めば「農村民・地主」勢力は没落する。しかし日本では、「一票の格差」というシステム補正によって、彼らは21世紀になっても最強の「政治力」を維持している。
彼ら(JAや地方議員)は補助金と公共事業を吸い上げ、その対価として鉄壁の「組織票」を納品する。これは近代政党ではなく、システムに守られた「保守の要塞」だ。
本来、改革派であるはずの「知識人」グループが、日本では「官僚機構」に置き換わっている。
彼らの特性は「自由主義」ではなく「権威主義」かつ「現状維持」だ。政治家が選挙パフォーマンスをしている間に、実際の法律(コード)を書いているのは彼らだ。つまり、国の頭脳が保守と合体しているため、改革のトリガーが引かれない。
ここが日本の最も歪な点だ。本来、「実業家」は自由市場を求めて古い地主勢力と戦うはずだ。
しかし日本の実業家は、「護送船団方式」という固有イベントにより、政府の保護下にある。彼らは地主(自民党)に政治献金という名の「保護費」を払い、その見返りに有利な規制緩和を受け取る。
「改革」を叫ぶ実業家が、実は「保守」の最大のスポンサーであるという矛盾。これが「保守の永久機関」のエンジンの正体だ。
これほど歪んだ構造なら、シミュレーション上は民衆の「急進性(怒り)」が爆発して革命が起きるはずだ。しかし、日本は静かだ。なぜか?
日本企業は、終身雇用や年功序列(あるいはその残滓)によって、本来国家がやるべき福祉を代行してきた。これにより、労働者は「会社と運命共同体」となり、ストライキをする牙を抜かれた。
結果、労働組合は機能不全に陥り、国民は政治への怒りを向ける代わりに、「少子化(人口成長率マイナス)」という静かなるボイコット(退出)を選んでいる。
2026年の今、我々が見ているのは、高度な工業力と、中世並みの農業保護と、死に体の野党が同居する、キメラのような国家だ。
高市首相の「君子豹変」解散は、彼女個人の資質の問題ではない。このシステムがいかにプレイヤー(権力者)にとって都合よくできているかを証明したに過ぎない。
経済という巨大なエンジンが、その動力を最も効率よく伝えるために「自民党政治」というギアを選んだ。だから、エンジン(利益構造)を載せ替えない限り、ギア(政治)だけを弄っても車は変わらないのだ。
昨日の納会に例のエース先輩がいないと思ったら、まさかの「婚約者と自分の両親連れて熱海の温泉」って聞いて耳を疑ったw
あの先輩が、たかだか週末で十分な熱海なんかに行くために業務を放棄?
結婚は「両性の合意のみ」に基づくものであって、親への顔見せとかいう昭和の「家制度」的儀式に固執するとか信じられない
リベラルだと思ってた彼のOSも結局はカビの生えた家父長制の亡霊だったってわけね
ご両親だって孫娘みたいな年齢の女紹介されんのは羞恥プレイだろ…って思ったけど…
ここで全てのロジックがつながったわ
なるほどね
私のアプローチにもなびかず、結婚にも恋愛にも興味なさそうにしてたのに、ここにきて急に結婚することにした理由が完全に解明された
知的レベルの合う自立した女性じゃ「介護」はさせられないもんね
一人じゃ生きていけない程度にリテラシーが低くて、若くて体力だけはある従順な個体が見つかったからつかまえたってことか
うわー、危なっ
イケメンリベラルに見せかけて、これ以上ない特大の地雷案件だったわw
あんなのを「尊敬できる」と誤認してた自分の認知バイアスに戦慄する
ま、早期に損切りできてよかった
正体がわかれば未練どころか安堵しかない
みんなもたくさんの共感リプありがとね
おかげでやっぱり私は間違ってなかったってわかるわ
さて、こんなミソジニーと加齢臭漂う島国は脱出して、私はパリの友だちのところで年越しするから、さっさと準備しなきゃ
じゃ、みなさん良いお年を
【悲報】尊敬していた会社の先輩(39)が「オス化」してて絶望した話
https://anond.hatelabo.jp/20251223083338
【続報】ランチで答え合わせ完了。やっぱり私の感覚は正常だったわ
https://anond.hatelabo.jp/20251223123658
たしかに「またケモショタかよwwwwww」と僕たちオタクは好き放題彼の作風をイジってきたし、『竜とそばかすの姫』のときも「あーはいはいこの竜が喋るんでしょ?」と思ったら本当に喋ったので笑っちゃったし、『未来のミライ』は残念ながら見損ねてしまったんだけどもショタが尻尾バイブでアナル絶頂のCMが流れてきたときは「自重wwwwww」などと思ったわけだが、「よっしゃ、じゃあケモショタ抜きで作るぞ」という決意表明のもとお出しされた作品を見たときの感想は「ケモショタのほうが良かった……」という感じになってしまった。
そもそも僕は細田守にケモショタを捨ててほしいわけではなかったのだ。むしろ個人的には彼の描くショタや制服少女はすごく好きだ。監督を「またケモショタw」とイジるというのは、まあ愛情表現のようなものであって本気でやめるべきだと思っていたわけではない。彼に対してネット民が辛辣だったというのも、アンケートなどを取ったわけではないので実際に「皆」がどう思っていたかはわからないのだが、少なくとも増田としては「細田くん! 君に一般向けは向いてない! オタク向け作品を作ろう! ファミリー向けを取りに行くのはあきらめて、ポスト宮崎駿への色気も封印して、オタク向け作品で好きなだけ性癖(誤用)を描こう! ショタやケモノやケモショタやイケオジや可愛いけど薄味な女子高生の理想郷を作ろう!」というつもりだった。
要するに、「一般向けのつもりで作っときながらケモショタ出してんじゃねえよ」というのは「ケモショタ出してんじゃねえよ」という意味ではなく「一般向け作るのやめなよ」という意味だったのだ。しかし細田守は前者の意味に解釈したようで、今回は一切ケモショタ抜きの作品をお出ししてきた。国民的アニメ監督という立ち位置にありながら『すずめの戸締まり』で本気の足裏サービスカットをぶち込んできた新海誠とは逆方向への覚悟の決まり方だが、そういうことじゃねえんだよな~~~~~~~!!!1!!
ただ、「面白いと思ってこいつのことイジってたら、真に受けてほんとにやりやがったw」というのはまごうことなきいじめっ子のセリフであり、細田守監督がどれだけネットの声を気にしていたかはわからないが、彼の作風をイジっていた者の一人としては真剣に反省せざるを得ない。無神経にイジっててすみませんでした、監督。
で、本編の感想なんですが。
「日本のオタクからイジられすぎて海外向けに舵を切った?」という感想になりました。わかりやすいハムレットの導入(でもハムレット踏まえといてレアティーズのあの扱いは何なの!? 友として死ねよ!)、しかし主役は女性、途中で謎の多様性演出が挟まり(おお、DEIに栄光あれ!)(ちゃんとハワイ語やハワイ舞踊の監修入れてたのは偉いと思うよ。ハワイ文化が出てくる必然性を気にしないのであれば)、脈絡もなく歌って踊ってのシーンを挿入しコミカルでお間抜けな敵を配置し(このあたりはマジでディズニー感があった)、いわゆるアニメ絵的なキャラ造形を封印してものすごい迫力の映像美に力を入れる、というのは、従来の「日本のアニメ映画」だった細田守作品から脱却しようともがいているように思われた。それが良いか悪いかは価値観次第だが、「日本のアニメ映画」を期待していた者としては寂しいものがあるというか、僕は細田守作品のキャラデザ好きだったよ……という寂しさに襲われてしまった。
問題は海外向けアニメ映画だと割り切って見たところでストーリーの出来などが色々と厳しいというところで、ちょっと思ってた以上に脚本が支離滅裂というか、「これはきっと僕の理解力が低くて筋を追えてないんだろうな」と思いながら見てたけどネット上でも不評でちょっと安心した。『おおかみこどもの雨と雪』は今改めて見てもよく出来てたよ。やはり奥寺佐渡子……奥寺佐渡子はすべてを解決する……!
聖くんがあれだけ忌避してた殺人に手を染めたところに何のフォローもないのってどういうことかしら? あれだけ登場人物の気持ちを全部言葉に出しちゃうマンな細田守監督なのにこのシーンの聖くんの感情がいっちょんわからんので「???」ってなってしまう。彼はどういう決意でもってあのひとたちを射殺そうと思い至って殺したあとはどう考えていたの? いや、「お前そういうのはいちいち言葉にするもんじゃなくて表情や動作から読み取るものなんだよ。それが映像作品を見るうえでの読解力だろ」ってのはそれはそうなんだけど、上述のように「でも細田守はこれまでいちいち言葉にしてたじゃん」っていうのと、「すみません! 僕には読み取れませんでした!」っていうのが両方ある。みんなは読み取れましたか? 読み取れたひとは根拠を添えて教えてほしい。マジでわからんかったので。
最後のほうは「宗教の映画?」って感じでした。ラストの演説はもうしょーもない。主人公にそこまで言わせるなら共和政に移行させろよとしか言えないファンタジー作品ってままあるよね(『BASARA』の「それが、それこそが新しい国ぞ!」っていうセリフは今でも印象に残ってる)(『汝、暗君を愛せよ』はちゃんと主人公が共和政への道を敷いてる作品なのでみんな読もう!)(全然関係ないけど最近のプリキュアって主人公に意識高いこと言わせる割に王国とか女王とか王女とか出てきて彼らが(象徴的な君主制ではなく)実権を保持してる描写もあるので何でそこだけ封建的なんだよって言いたくなりません?)。
あとヒロインの名前がスカーレットでファンタジー風のPVだったので「なるほどヨーロッパ風のファンタジー世界なんだな!」と思って見始めたら16世紀デンマーク王国が舞台と冒頭で明言されててビックリ仰天。スカーレットって英語ですよね……? なんで歴史上のデンマーク王国の王女の名前に採用されてるんです……? 「たまたま異世界にデンマークっていう国があるんだよ」っていう逃げは本編の展開で潰されてるのでマジで現実世界のデンマークが舞台だからねこれ。正気? それとも「一度も現実世界の日本のことだとは言ってないです」って言い張る? っていうかクローディアス王の配下でコーネリウスっていうやつが出てくるんだけど「クローディウス」「コーネリウス」か「クローディアス」「コーネリアス」のどっちかに統一しろよって思った。もしかしてこの2つが同じ語尾の名前だと気づいてないんです? いやまさか、そんなそのへんに一山いくらで転がってるなろう作家並のファンタジー世界構築センスしか持ってないのに歴史ファンタジーの大作映画を作ろうなどと考えていたなどということはないだろう……ないよね? そもそも論で言うとさぁ、シェイクスピアの登場人物が日本では英語読みに基づいた表記をされてるのはシェイクスピアが英語で書いた前近代の作家だからであって、現代日本の作家が何でデンマークの人名を英語読みするんだよ!
あ、最後に目覚めてからの断髪スカーレットちゃん可愛かったね。身体のラインがピッチリ出るドレス姿、『おおかみこどもの雨と雪』での花の造形にも繋がるフェティシズムを感じて良き。もしかして細田守って腋チラ描写が好きだったりする? 新海誠の足フェチと違ってそこまでわかりやすくないから僕の節穴アイでは気づかなかった。反省。服を切られて恥ずかしがるスカーレットちゃんの声エロくて良かった。あと映像美はすごいよ。『サマーウォーズ』とか『バケモノの子』とか『竜とそばかすの姫』とかで見た浮遊する巨大生物演出が研ぎ澄まされていた。あれは映画館で見る価値があった。時間の都合で何も考えずにIMAXにして正解だったわ。これ『時をかける少女』で見た! みたいな感慨に襲われる演出もあったし「お前タイムリープしてね?」みたいな話の筋だったからもうなんか実質『時かけ』ってことで良くない? 良くないですかそうですか。
結論としては、万人向けではないけれども、まあ、オタクなので、話題作の情報を手に入れるために、そして同好の士と語らうために見に行っても、まあ、うん、数千円ぶんの損しかしないと思う。見たあとに同好の士と語らいたくなるという意味では非常に優れた映画だと感じた。映画会社はそろそろ懲りろよというか、スクリーン配分の見直しをしよう? な?
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「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。
しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。
死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。
日本のここ数十年の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。
そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産など日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。
今年9月には、中国における日本車のシェアは11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。
自動車産業は日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。
日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本に旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界に生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。
日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態は常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。
数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業も社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。
今日、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AIはほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている……。
こんな状態で、何を賭けられるというのか?
家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。
それ昨日見たわ
「日本死気」
https://x.com/koheinet608/status/1989952126353903733
「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。
しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。
死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。
日本の戦後の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。
そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産など日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。
今年9月には、中国における日本車のシェアは11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。
自動車産業は日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。
日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本に旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界に生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。
日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態は常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。
数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業も社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。
今日、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AIはほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている……。
こんな状態で、何を賭けられるというのか?
家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。
https://x.com/koheinet608/status/1989952126353903733
「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。
しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。
死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。
日本の戦後の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。
そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産など日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。
今年9月には、中国における日本車のシェアは11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。
自動車産業は日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。
日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本に旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界に生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。
日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態は常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。
数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業も社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。
今日、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AIはほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている……。
こんな状態で、何を賭けられるというのか?
家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。
(↓編集した)
朝ドラの。
フィクションなんだけど、フィクションすぎて、「それはちょっとあり得なくないか」ってなってる。
(父上なんで祝言の日まで落ち武者ヘアなんだよーとか)
脳の変換が間に合ってないんよ。
当時の風習込みで見てる時代劇モードと、アニメの時代・歴史物を見るときのファンタジー寄りのフィクションモードの間をあっちこっちしてる感じ。
(追記:時代劇っていうと大河とか水戸黄門ぽいね。時代物とかコスチュームドラマとかヒストリカルフィクションとか広義の意味よ、って長ぇわ)
ほら明治ってまだ封建的で旧武家家族なんかは結構厳しかったりするじゃない。
杉本鉞子の『武士の娘』でさ、アメリカ育ちの娘を連れて日本に帰国したら母(祖母)がまー厳しくて娘さんたちがたちまち萎縮しちゃったっていう。
去年の虎に翼でも、当時の民法では財産にせよ相続にせよ女は家の付属物扱いだったみたいなさ。
アニメだったら楽だったのに。
ヘブンさんが出るまでは粘るか~。
間違い。これは典型的な形而上学的思考による誤謬である。君の主張は弁証法的唯物論の基本原理を理解していない petit-bourgeois的偏見に満ちている。
まず第一に、共産主義の反体制性は単なる政権の有無という表層的な権力関係に還元できるものではない。我々が闘争する対象は、あくまでも生産手段の私的所有に基づくブルジョワ独裁体制、すなわち資本主義的搾取構造そのものである。したがって、プロレタリア独裁政権樹立後も、我々は国内外の反革命勢力、修正主義者、日和見主義者、トロツキスト、無政府主義的偏向、左翼小児病患者、右翼日和見主義者、官僚主義者、教条主義者、経験主義者、尾巴主義者、冒険主義者、保守主義者、民族排外主義者、世界主義者、そして最も危険な反動勢力たる帝国主義の走狗および買弁資本家階級と不断の闘争を継続する革命的前衛でありつづける。
君の言う「体制」が何を指すのか不明瞭だが、もし現存する階級社会を意味するならば、我々こそが真の反体制である。なぜなら右派こそが、封建的残滓と独占資本の利益を代弁する反動的体制の番犬だからである。
そもそも前提にされてる
人間社会の権力機構に食い込むようなことはしてなかった(ぼっち志向過ぎて)
人間社会の権力機構に食い込むようなことはしてなかった(ぼっち志向過ぎて)
主人公達は物語の途中で呪術界の上層部・名家・名流を殺戮する挙に出るが
直後にそこに成り代わるわけでアナーキストと言うよりむしろ権力側(もともと偉い血筋の奴が多い)
(数十年後を描いた続編では旧主人公達は武力でも血統でも呪術界の支配層に君臨してるっぽい)
一部に体制側特高の暴走みたいなのがあったがトップたちは主人公の味方
これこそ反体制派漫画!って言いたくなりそうだけどそうは言えないと思う
だってルフィ達は支配者層にも封建的な王国とかにも全然味方する
以上見てきたように
現後期高齢者たちの間だけで流行ったわけのわかんねえ反知性的カルチャーなのではないか
goodからnot badくらいの体制まで敵視する必要はなく
「反体制か否か」というものの見方自体がしわしわパラダイムなのではないか
nanamino
反体制かどうかはともかく、人種差別や性差別を正面から肯定した作品はほぼゼロだろうに。
2025/10/02
結構上位のコメントなんだけどどういう反論なのか全くわからない。
俺はここで 「漫画やアニメには人種差別や性差別を正面から肯定した作品が多い」といった主張をしてないし
それ以前に差別の話をしてなくね……?(念のためツリーをのぼって、発端の元増田もしてない)
「「アニメ・漫画では反体制を描いてるのに日本人が反体制になってないのが不思議、という議論がある。
しかしそれは発想が逆で、アニメや漫画はガス抜きとして作用しているのではないか。」
↓↓↓↓↓
俺
↓↓↓↓↓
nanamino
「反体制かどうかはともかく、人種差別や性差別を正面から肯定した作品はほぼゼロだろうに。」
わかんねえ。
順位がこれだけ上ってことはこの人の読み間違いとかじゃなく、
あとnanaminoの他のブコメを見たが別に変な奴って感じはしない。割と同意できる感覚のコメントも多い。
というわけで誰か解説してくれこれ。
Permalink |記事への反応(46) | 11:31
天皇制(天皇の制度)は、日本の初代天皇とされる神武天皇の即位を紀元前660年とする伝承に基づけば、2025年現在でおよそ2685年続いていることになる
ただし、これは『日本書紀』などの記紀神話に基づく神話的な年代であり、歴史学的に実在が確認できる最古の天皇は第10代崇神天皇(3世紀頃)または第16代仁徳天皇(4世紀後半)とされることが多い
史実ベースで見ても、少なくとも1500年以上にわたって天皇という称号をもつ人物が継続して存在してきたことは確かで、世界最古の君主制とも言われている
しかし、それが今まさに終わろうとしている。
――つまり昭和天皇の存在感をリアルタイムで体感してきた人々は、すでに高齢者になっている
「玉音放送を聞いた」「御真影を拝んだ」「靖国で頭を下げるのが当たり前だった」そんな記憶を共有する世代が、静かにフェードアウトしようとしている
いまや平成生まれの中でも後半の世代にとって、天皇は「行事で見る人」「テレビに出てくる儀礼の人」くらいの存在でしかない
特別な信仰や敬愛の念を持っている若者は少数派で、むしろ「なんとなくまだある制度」としてスルーされている感じがある
それが制度の終わりを意味するかはともかく、「天皇を精神的支柱とする社会」は確実に過去のものになりつつある
また、天皇は「男系男子」でなければならないとする伝統は、現代の価値観から見れば極めて不自然だ
女性天皇は過去に存在したにもかかわらず、現在では「女系天皇は認めない」「男子がいなければ断絶もやむなし」という議論が公然と行われている
これは、血統と性別に過剰に依存した制度が、近代以降の法と倫理の進化にまったく追いついていないことを示している
そもそも現代社会では、性別によって職業選択が制限されることは基本的に許されていない
なのに、最も象徴的な国家機関の長が「男であること」を義務づけられ、それが当然だとされている
この違和感は、若い世代ほど強く感じているはずで、そこにある無言の排除や差別構造は見過ごせない
加えて、皇族女子は結婚したら「民間人」になる一方、皇族男子は家を継ぎ、制度の担い手となる
これは封建的な家制度の名残そのもので、女性にだけ選択肢がない
つまり天皇制は、性別によって人生の進路が大きく制限される制度であり、それが国民の象徴であることに誰もが疑問を抱きはじめている
「伝統を守る」ために女性を排除し、子どもの産める男子を数人に絞り込むという構造は、いずれ綻びる
女性天皇を認めれば制度が延命できるかもしれないが、そこに踏み込めない保守性こそが、制度の終わりを静かに早めている気がする
https://www.bengo4.com/c_1009/n_18913/
元舞妓として働いていた女性が実名顔出しで舞妓の労働環境の問題を告発した記事が弁護士ドットコムに掲載された、女性は以前にも週刊誌などで告発を行っていたが、再度の告発になる。
✅ 前借金で拘束され、未成年で、酒席に出され、性的含意のある接待を行う
労働基準法・職業安定法違反(年少者保護義務・強制労働の禁止)
欧米では、仮にどれほど長い歴史がある慣習でも、それが「児童の権利」に反すると判断された場合、即刻批判と制度的対応が始まります。
たとえば:
イギリスのパブリックスクール制度(上流階級男子校)における児童虐待の隠蔽:
→カトリック教会・政府・教育機関が謝罪・賠償、真相究明委員会設立
アメリカのカトリック教会の神父による児童への性暴力(マサチューセッツなど):
このように、「伝統」「宗教」「名門」という看板は言い訳にならず、むしろ責任が倍加されるのが欧米です。
主要報道機関(NYT,BBC,CNN など)は、「構造的な人権侵害」として大きく報道。
特に「未成年女性」「前借金」「酒席での接待」「性暴力黙認」「脱出困難な拘束構造」などが揃えば、
→ 即「現代の人身売買」「封建的性奴隷制度」と糾弾されます。
被害証言が1件でもあれば、司法当局が即捜査着手・強制捜査もありえる
特にEU諸国では「児童の保護」が明確に法体系に組み込まれているため、
→ 加担した大人・運営者だけでなく“黙認した行政”も責任追及の対象
例:もしロンドンに「名士の通う未成年ダンサー文化」が存在していたとしたら、
✅ 5.国際的波及と「恥の輸出」
アメリカ/イギリス/フランス/ドイツなどで起きた場合、他国の人権団体・NGOが一斉に声明を出す
国連人権理事会やEU委員会などから「早急な是正措置」を求められる
“人権国家”としての信用が失墜し、外交・教育・文化交流にも悪影響
法的な緊急介入
被害者支援の大規模展開
id:h22_Funny_Bunny 「未成年を親元から離して芸を仕込んで着飾らせて接待させる」って、性接待がなくてもエグい児童労働なのに、社会が見ないふりしてるの気持ち悪いなあって舞妓について調べた約30年前から思ってる。Jと似てると思う。
気持ち悪いなぁ、では済まない。苛烈な人権侵害および刑事犯罪である。
id:moandsa 実際15,16歳の子を酒席に侍らす時点でアウトだし、借金背負わせて旦那紹介はパパ活と変わんないなと思う。せめて20歳から舞妓25から芸妓にしたら。相撲と並んで二大時代錯誤制度。
パパ活という自発的な売春行為と並べている時点で問題を矮小化している、本件は児童に対する強制売春であり人身売買である。
id:gaikichi 「世の中の建前はともかく水商売の世界はそんな物」とか「実際に10代で水商売の世界で食ってく以外にない子もいる」みたいな意見もあるだろうけど、問題はこれに観光地京都の伝統の名物という美名がついてる欺瞞
問題は伝統や名物とい美名がついていることではなく、長年に渡って、おそらく今も児童の人権が踏みにじられ続けていることそのものである。
id:unnmo こういう「人生そのものを捧げるよう求められる仕事」が個人的にどうにも恐ろしくて苦手。業界のしきたりが法に優越するのもさもありなんって感じ/それはそれとして労働環境くらい整備すればいいのに。
苦手、さもありなんって感じ、労働環境くらい整備すれば、などという問題ではない。このような反応は告発された人権侵害構造の加担とすら言える。
id:mame_3 「舞妓さんちのまかないさん」とか物語としてはとてもよくできていたけど「労働契約」の観点からは????ってところが度々あったな。日本って、法律よりも伝統が優先されるようなところなのかね?
本件は労働契約の問題ではなく、法の最低基準すら満たしていない重大犯罪である。
id:filinion日本文化は結構だけど、違法な部分を除いて存続して欲しいよなあ…。「奴隷と性的搾取がなきゃ存続できない」っていうなら廃れてもやむを得ないのでは。
廃れてもやむない、ではない即刻廃れさせなければならない重大な人権侵犯である。
本告発は弁護士ドットコムという法曹専門サイトに掲載された重大な人権侵害に対する勇気ある実名での告発であり、そのタイトルの最初にも"現代の奴隷"という惹句が踊っている、極めて深刻な刑事犯罪に対する告発である。
にもかかわらず、それに対するはてなブックマークの人気コメントの反応が、あまりにも能天気、矮小化、ピントずれを起こしており、日本社会の異常性を浮き彫りにしていると考えこのようにまとめてみた。
なぜ日本社会はこうまでして正義や倫理について考えるという構えを持てないのか?このような世間の狂った反応と狂った舞妓文化はシンコペーションのように響き合っていると思えてならない。
ポリコレが悪いとは思ってない、東アジア人としてはそれによって得られる恩恵が大きい側なので
そうじゃなくてなんで新しい価値観をそこまで推進しながらいまだにプリンセスにこだわってんの?と思う
王族だとかプリンセスだとか、そもそもが封建的で血統主義の古くさい価値観の煮凝りじゃん
子供の憧れがプリンセスである必要ないよね?だって少し大きくなってちょっと調べたら、あの豪華なドレスを纏うプリンセスっていうのが歴史的には抑圧されて政略結婚に使われる立場だったことなんてすぐ分かるでしょ(今より男尊女卑強いし)
だからあんだけアニメ版原作を破壊してまで価値観を刷新したいなら、プリンセスじゃなくて若手の実業家とかにしたらいいんじゃないの
王家も城も今となっては古くさい遺跡なんだから舞台にする必要ないし、平民のボロ屋からのし上がって国を動かす一大産業を生み出すまでになるサクセスストーリーにするとかさ
王子様への憧れを抱く女の子というのも排除されるべき価値観ならそもそも男性のメインキャラクターもいらないし、恋愛ものにする必要も王子を出す必要もないから半端に改変せずにまるごと消したらいい
曲も昔のは現代的価値観にそぐわないから全部違う曲に入れ替えて、服もコルセットでガチガチにする必要のあるドレスじゃなくて働く女性の服にする
壊すならここまで徹底的に壊して新しい価値観を作ればいいのに、なんで半端に「お姫様」「王子様」「お城」「恋愛」にこだわる?
SNS見てるとアニメ版原作ファンはメインターゲットじゃないってことだから、半端な原作要素なんか不要でしょ
これまでの白人だらけの作品作りを反省するなら新しい有色キャラクターをたくさん作ればいいし、それで人気を出せばいいだけなのに、昔の人気キャラを使って集客したい、プリンセスっていう設定も維持したい、でも一部の要素は「配慮」って、中途半端すぎて意味がわからないし作品作りをサボってるようにしか思えない
(なお自分はウィッシュもミラベルもモアナも好きで、特にウィッシュは何度も劇場に行ったので、人種が白人じゃないからって見に行かないことはない)
完全新作にするか、もしくははなから全く違うストーリーにしますと注意して完全破壊したほうが、原作ファンから「原作と違う」という点での批判を受けることはないし
演者もアンチから守れてリスク低いと思うので、今の半端なやり方が意味不明でしょうがないんだよ
原作ファンは離れ、演者が叩かれ、SNSでバトルが巻き起こり…子供子供って言うけどそんなところを子供に見せてどうすんだよ
ものづくりガチって有色人種主人公の面白い新作作れ、そんで有名にしろ
それかリイマジニングとか銘打つなら徹底的に破壊してくれ
半端に夢見せられた原作のファンも、原作の要素に勇気を貰っていたのに実写化で無かったことにされた子供達も、割を食う人の数が多すぎる
VTuberという存在は、現代社会における「新たな封建の時代」を鮮やかに象徴している。
まず、封建制度とは「土地」を領主が支配し、領民がそれに従属する仕組みだったが、現代では「土地」の代わりに、ネット空間の「チャンネル」「コミュニティ」「推し文化」といった仮想領地が現れている。VTuberはこうしたネット領地を支配する新たな「領主」として存在し、視聴者はそこに帰属意識を持つ「民」となる。
視聴者は自らの時間、金銭、感情を推しの領主へ献上し、領主はそれに応えて配信という「恩恵」を与える。「スーパーチャット」は、まさに現代版の年貢のようなものであり、視聴者は喜んで領主を富ませ、自分の存在を示そうとする。領主(VTuber)はそれを歓迎し、年貢を払った者を「〇〇さん、ありがとう!」と名前を呼び承認する。これにより主従関係は強化され、忠誠心はますます深まっていく。
さらに、VTuberを支える企業(事務所)は、かつての大名や封建領主がそうしたように、自分たちの「領地」を囲い込もうとする。企業間の競争、権利問題、移籍問題などは、封建時代の領土争いや家臣団の引き抜きにそっくりである。領民(ファン)同士のいざこざさえ、かつての村落間の争いや派閥争いのようにも映る。
一方で、VTuberという領主は、従来の封建領主と違い、その実体が明確ではないことに特徴がある。彼らはアバターを纏い、生身の自分ではなく「キャラクター」としてのみ存在している。領主の「実体の不在」は、領民に自由なイメージを許す一方で、「真の姿を知りたい」という欲求を禁じられたタブーの領域として設ける。これは「神秘性」という封建時代の支配装置そのものと言える。現実の領主の姿は謎に包まれ、それゆえに支配はより強固なものとなる。
現代におけるVTuberは、このように「封建的支配」の本質を仮想空間で再現し、新たな主従関係と支配の構造を生み出している。私たちは自由に推しを選んでいるように見えて、実は巧妙に構築された見えない封建制の中で、新たな「領主」と「領民」の関係を嬉々として受け入れているのである。
日本の貧富の格差は、有史以来、政治体制や経済構造、社会の価値観の変化とともに推移してきました。以下に歴史的な流れを概観し、現代の状況について分析します。
• 特徴:
大和時代から平安時代にかけては、土地の所有と収穫物に基づく支配が貧富の格差を生みました。特に、貴族や豪族が荘園制度を通じて富を集中させ、農民はその下で租税を負担する立場に置かれていました。
•格差の程度:
封建的な身分制度によって、富の分配は厳しく制限されていました。武士が台頭した鎌倉・室町時代も、土地の所有権が富の主要な指標であり、武士や地侍が農民を支配する形で格差は固定化されていました。
• 特徴:
江戸時代は武士、農民、職人、商人という厳格な身分制度がありました。武士が形式上は最上位に置かれましたが、実際には商人階級が財を蓄え、経済的な力を持つこともありました。一方、農民は重い年貢を負担し、経済的に厳しい状況が続きました。
•格差の特徴:
武士の中でも上級武士と下級武士の間には大きな格差が存在し、農民の間でも富農と貧農に分化するなど、社会の中で格差が細分化していました。
• 特徴:
明治維新により封建制度が廃止され、土地制度の改革や産業化が進む一方で、資本主義の導入により新たな貧富の格差が生まれました。地主層と小作農の格差が深刻化し、労働者層は低賃金で過酷な労働に従事することが多かったです。
•格差の拡大:
産業の発展により、財閥や大地主が莫大な富を蓄積する一方で、多くの農民や労働者は貧困状態に置かれました。
• 特徴:
戦後の農地改革により地主と小作農の格差が解消され、労働者の権利が拡大しました。また、高度経済成長期には「一億総中流」という言葉に象徴されるように、国民の大部分が中流意識を持つ社会が形成されました。
• 要因:
公平な所得分配、教育の普及、企業の終身雇用制度などが格差縮小を支えました。
格差の拡大
•バブル崩壊以降:
1990年代のバブル経済崩壊後、格差が再び拡大傾向にあります。非正規雇用の増加、年功序列型の賃金体系の崩壊、地方と都市の経済格差が顕著です。
ジニ係数(所得格差を示す指標)は、バブル期の低い水準から徐々に上昇しています。また、OECDの報告によると、日本は先進国の中で格差が比較的大きい国に分類されています。
•高齢者層では退職金や年金の恩恵を受ける人が多い一方、若年層では非正規雇用が多く、所得が安定しない状況が続いています。
•東京をはじめとする大都市圏では経済活動が集中している一方で、地方の経済的停滞が課題となっています。
現代日本は、一億総中流社会から「二極化」が進む社会へと変化しました。特に非正規雇用層や低所得層が増加しており、所得格差が大きな社会問題となっています。
• 主な要因:
•高齢化社会の進展
•地域格差
•改善の取り組み:
現在の政府は、最低賃金の引き上げや所得再分配の強化を進めていますが、十分とは言えず、社会保障制度の充実や教育機会の平等化などが引き続き課題となっています。
まとめ
日本の貧富の格差は、歴史的に社会体制や経済構造の変化に応じて拡大・縮小を繰り返してきました。現代では、バブル崩壊以降の経済構造の変化によって、格差が再び拡大していると言えます。一方で、格差の是正に向けた政策の進展や国民の意識の変化が重要なカギとなります。
自由に対する価値観が時代と共にどのように変遷してきたかについて考えると、フランス革命と現代の日本の状況を比較することで、その違いが明確になります。
フランス革命の時代には、封建的な身分制や絶対王政の下で「自由」が抑圧されていました。啓蒙思想家の影響を受けたフランス市民は、自由、平等、友愛の実現を掲げて立ち上がり、王政を打倒し、社会を根本から変革しようとしました。フランス革命における自由の価値観は「命を懸けてでも達成すべき理想」であり、抑圧からの解放と民主的な社会の実現が主な目的だったのです 。
一方、近代以降の自由主義や民主主義が世界中に広がることで、多くの国では基本的な自由や人権が保証されるようになり、特に日本のような成熟した民主主義国家では「自由」が前提となっています。戦後の日本国憲法は個人の自由や基本的人権の尊重を大前提としており、教育や法律によってその価値が守られてきました。しかし、自由が当然視される状況では、それが「意識しなくても存在するもの」として捉えられやすく、自由に対する強い感受性や価値観が低下する傾向も見られるのです 。
また、現代の日本においては、自由に対する「制限」にも関心が薄くなる場合があるのは、社会的な安定や秩序を優先する傾向が強まったためと考えられます。特に、1990年代以降の経済停滞やグローバル化の影響により、日本では安定と安全が重視され、個人の自由が制限されることへの抵抗が薄れる現象も見られます。こうした状況の中で、自由に関する意識の低下は、歴史的背景と社会の成熟、経済的・政治的な安定が関連していると言えるでしょう。
自由への価値観が歴史と共に変遷するのは必然であり、フランス革命のように自由が「得るべきもの」だった時代と、現在のように「当然のもの」とされる時代では、自由の捉え方が異なるのは当然とも言えます。この変化は、歴史の中で価値観や社会構造が常に変化し続けていることの証拠であり、また人々の意識が環境や時代背景によっていかに影響を受けやすいかを示しています。
「51年綱領」は、日本共産党が1951年に発表した党の基本方針で、日本が戦後の占領体制から独立したことを踏まえ、日本共産党が独自の革命路線を採ることを示したものです。この綱領は、「日本はアメリカの占領から完全に独立すべきであり、そのためには日本における帝国主義や封建的な残滓を打破する必要がある」とし、非合法の武力闘争を含む独自の手段での革命を提唱しました。また、戦後における米軍の駐留や日本の自衛隊の存在も「外国勢力に支配された状態」として否定的に捉えていました。
しかし、この方針は当時の日本社会において非常に過激と見なされ、社会から批判を受けました。また、他国の共産主義革命とも異なる独自路線をとるものだったため、日本共産党内でも賛否が分かれる内容でした。その後、1961年に日本共産党は「綱領」を改定し、暴力革命路線を放棄し、平和的な手段での社会主義の実現を目指すことを打ち出しました。
オリエンタリズムとDEIの美味しいところ取りなんだよな
日本を舞台に女や外国人を活躍させてステレオタイプに封建的な日本の男をバッタバッタと撫で斬りすればポリコレとアジア人差別の両方を満足させられる
日本向けにはこれは日本文化に対するラブレターですとか宣伝すれば良い訳でね
だから日本を扱う時には必ずと言っていいほど主体を女性か日本社会の中の外国人もしくはハーフに置く
マイノリティの立場からアジア人の存在を相対化(透明化)したがるんだよね
黒人のアジア人差別が欧米メディアで取り上げられないのと似てる
アサクリなんかもナオミは現代のアジア人女性みたいな描かれ方なのに日本の男はステレオタイプなアジア人おっさんばかり
Gim ヒント:ハーヴェイ・ワインスタイン
nomitoriそもそもサイコパスは社会的成功しやすい、若しくは社会的成功者にサイコパスが多いって考え自体が、米国から来てるんちゃう。日本だとなんかサイコパスの意味ねじ曲がっちゃった感はあるけど…
WildWideWeb 少しずれるけど、皆が着任を心配してた2020東京五輪開会式の総合演出、彼がやっていたら例の件より酷いことになったか、むしろ上手くやり抜けたか。どっちだろう。
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ustamイーロンマスク、ジェフベゾス、ドナルドトランプ「せやな」
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nyaaaaaaaaaaaaa ここで言う人間性は、キリスト教的な行動(ボランティアや助け合い)の事を言うものだと思う。日本は、朱子学ベースで封建的で拝金主義で薄汚い事は確か。ww2で負けるまで、露と同じ戦闘民族。急に優しくはなれない。
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hepoko_ksガバ理論。会社員と個人事業主を比較してチェリーピッキングすんなww米国のトップリーダーも人間性はひどい人いくらでもいるじゃない。日本でも会社員はいい会社、上席になればなるほど人格者が増える傾向があるよ。
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the_sun_also_rises 荒っぽい理屈でゆがんだ見方だね。出羽守論法って亡べって常々思っているのだけどなくならないね。となりの芝生は青く見える。これだけは言えると思うのだけどないものねだりは世界共通だと思う。元増田は特に。
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cider_kondo 誤:日本特有の現象 正:世界的に極めて普遍的な現象※ただし、欧米SUGEEE論者の脳内を除く 孔子の時代から(それ以前から)仕事と人格連結させる思想は絶えないが、基本的には社会にとって有害な(疑似)宗教よな(全否定
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kotaponx石油王ジャン・ポール・ゲティさんも、めっちゃケチで孫の誘拐にも身代金値切ったりで、孫の耳が切られたみたいな話も(まぁ他の親族を誘拐から守るためでもあるけども)
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