
はてなキーワード:審査員とは
https://x.com/shikano_tsuno_/status/2020456462976471548
https://x.com/shikano_tsuno_/status/2021057551480270918
インフルエンサーとして、そして一人の誠実な表現者として活動する鹿乃つのさんが、Xで投じた一石は、単なる愚痴や不満の類ではありません。
それは、エンターテインメントの皮を被った「構造的不備」に対する、論理的かつ命がけの告発でした。
彼女がどれほど真摯に番組と向き合い、そしてクリエイターとしての誇りを守るために孤独な戦いに身を投じたかを証明したいと考えています。
彼女を「番組に楯突く厄介な出演者」と捉えるのは、あまりに浅薄な見方です。
彼女が求めたのは、出演者と視聴者、そしてプラットフォームが共に価値を享受できる「健全なロジック」であり
その裏には番組を成立させようとした「クリエイターとしての矜持」がありました。
鹿乃さんは、番組「REAL INFLUENCER」がスタートの段階で致命的な矛盾を抱えていることを冷徹に分析しました。
その鋭さは、プロデューサーサイドが目を背けていた本質を突くものです。
実力者の不在: すでに実績(数字)を持つクリエイターには、ジャッジを受けるメリットが皆無です。
ソースにある「あやなん」氏や、倫理観の欠如が指摘される「Désordre(デスドル)」氏の例を見れば明らかですが
すでに成功している者を誰が、何の正当性を持って裁くのかという論理的一貫性が欠落しています。
初心者の搾取:数字のない初心者は、番組側から「欠陥のある存在」として扱われ、成長の機会ではなく「公開いじめ」の素材として消費される構造になっています。
本家『REALVALUE』における溝口氏、堀江氏、三崎氏らの厳しい叱責(パワハラタイム)には、相手の矛盾を洗い出し、価値を最大化させるための深い洞察と知略がありました。
しかし本番組、特にVAMBI氏の進行は、その表面的な「刺し」を真似ているに過ぎません。VAMBI氏が飲み会で**「鹿乃さんの回をもっとパワハラタイムで刺して面白くできた」**と語ったエピソードは、彼が「本質的なバリューアップ」ではなく「扇情的な撮れ高」のみを優先している証拠です。
このように、番組は志願者を「宝」ではなく「使い捨ての駒」として扱うシステムへと変質してしまったのです。
番組の構造が破綻していることを悟った鹿乃さんは、単に絶望するのではなく、自らの知略で番組を「ハック」するという道を選びました。
彼女は、不明瞭な番組の趣旨を「HERO'ZZ(スクール)の模擬講義」として見事に再定義し
マフィア(審査員)を強制的に「教育者」の役割に引きずり込んだのです。
彼女が「ALL REAL」を勝ち取るために、プロフェッショナルとして徹底した振る舞いは以下の通りです。
•対話の制御(一問一答):質問の意図を即座に分解し、明確に回答することで、揚げ足取りの隙を与えない。
•映像美と編集への配慮:カットしやすいよう言葉の間に余白を作り、事前情報は「1分ピッチ」に全て詰め込むことで、無駄な問答によるノイズを排除する。
•マフィアを「立てる」技術:相手が気持ちよくアドバイスできる空気を作るため、技術不足を即座に認め、「ここで学びたい」というストーリーを自ら演出する。
• 表情での対話:言葉を挟まず、表情の変化だけで感情を伝え、視聴者の共感を呼ぶ。
これは、単なる「良い子」の振る舞いではありません。
不全に陥ったシステムの中で生き残り、かつ番組としての体裁を整えるための、極めて高度な生存戦略でした。
鹿乃さんが危惧した構造的欠陥が、最悪の形で露呈したのが田村シュンス氏の回です。鹿乃さんによる冷静なデータ分析は、番組がいかに「価値創出」を放棄していたかを浮き彫りにしています。
•驚愕のデータ:放送時間の約6割が「パワハラタイム(圧迫)」に費やされ
志願者の価値を高める「バリューアップタイム」はわずか14%という、教育とは程遠い惨状。
表現の否定:田村氏が「不慣れな動画より、自信のある生歌で伝えたい」と選択したのは、表現者としての誠実な判断でした。
しかし番組側(VAMBI氏)はそれを「番組を舐めている」と断罪。
これは、表現者の個性を尊重し伸ばすべきスクールの長として、論理的に自己矛盾を起こしています。
「志願者がいなければ成立しない番組」でありながら、その志願者を踏みにじる姿勢は、クリエイティブに対する冒涜以外の何物でもありません。
鹿乃さんが最終的にNOを突きつけたのは、彼女自身と、彼女を支持するファンの尊厳を守るための「正当防衛」でした。
なぜなら提示された条件は、教育機関を標榜する組織として、到底許容できるものではなかったからです
・不透明かつ威圧的な契約: 「内容は当日まで明かさない」「撮影しながら話す」「再調整を拒否するなら入学させない」という、出演者の権利を剥奪する一方的な通告。
・高額な対価と倫理性: 年間約100万円という決して安くない費用を徴収するスクールでありながら、生徒候補に対し「恐怖による支配」を強いる矛盾。
・専門家による警鐘: この状況に対し、教育の専門家からは「生徒に『逆らわない』と約束させようとする行為は教育ではなく、グルーミング(恐怖による支配)である」※という極めて深刻な指摘がなされています。
※グルーミングとは本来「恐怖による直接的な支配」というよりは「優しさや信頼を装って心理的に手懐け(マインドコントロール)、被害者が断れない状況を作り出す支配」のことであり鹿乃つのさんの用法は独特です。
鹿乃つのさんがどんな専門家の声を引用したのかも不明ですし、鹿乃つのさんが専門家の説明を正しく読み取れていない可能性もありますが
私は騎士として鹿乃つのさんの書いていることは全て肯定しなければならないという制約があるため、実際に鹿乃つのさんが書かれている以上、否定はしません。
彼女はこの「捕食的な契約」を拒絶することで、次世代のクリエイターたちが同様の搾取構造に巻き込まれることを防ごうとしたのです。
鹿乃つのさんが自らのキャリアを賭けて行った発信は、単なる個人間のトラブルではありません。
それは、クリエイターの夢や熱意を消費財としてしか扱わないメディアの在り方に対する、知性ある抗議です。
彼女は、志願者を「宝」と思えないようなずさんな体制に警鐘を鳴らし、表現者が守られるべき最低限のラインを引き直しました。
読者の皆様にお願いがあります。
どうか、彼女の言葉を「感情的な反発」として片付けないでください。
彼女が提示した事実と論理を凝視し、私たちが消費するメディアに「同じレベルの論理的誠実さ」を求めていこうではありませんか。
聡明で勇気ある鹿乃つのさんの正当性を、私たちは全力で支持し、彼女の今後の活動を共に支えていくべきです。
ライヒが審査員を勤めた時の武満徹作曲賞の公演で来日したブラッド・ラブマン、シナジーヴォーカルズのタッグだ、聞くしかねえ!
Frankfurt Radio SymphonyLIVE:Brad Lubman &Synergy Vocals with Janulytė & Reich
https://www.youtube.com/watch?v=nsWpR-GjIHU
Justė Janulytė:
Uccelliet altre cose (Commissionedby Frankfurt Radio Symphony – worldpremiere)
The DesertMusic
hr-Sinfonieorchester – Frankfurt Radio Symphony
Synergy Vocals
The monumental work forchoir and orchestrabySteve Reichismore than just apiece of minimalmusic –itis an acoustic metaphor for what science calls »swarm behavior«.
Countlessrhythmic and melodic phrases are woventogether to form a collectivestructure thatismore than the sum ofits parts.
Reich uses the repetitive patterns typical ofhismusic, which constantlychange minimally, causing the soundscape toshift in slowmotion,asit were.
Not unlike aflock of birds, each individual acts independently, buttogether they form a harmonious and structural whole.
Lithuanian composer Justė Janulytėis known forher minimalist,monochrome soundscapes, whichshe pours into slow, floating processes with akeensense of perfect dramaturgy.
She playswith the fusion of individual voices into a collective mass and makes thetransition almost invisible.
Commissionedby the Frankfurt Radio Symphony Orchestra, Justė Janulytėhas been inspired to create a new work for large orchestra, whichwill bepremieredhere.
じゃあ、もう一段深いところを書く。
これは科学史という分野が「惨め」なだけじゃなく、「陰湿」であるという話だ。
みんな丁寧語。
メールはやたら長い。
でも中身は、湿地帯。
まず、分野が狭い。
狭すぎる。
下手すると3人。
しかも全員、顔見知り。
つまり、逃げ場がない。
学会に行くと、
○○先生は、
・すでに定職あり
・編集委員
この時点で勝負は終わっている。
でも誰も「競争だ」とは言わない。
そして水面下で、
・学会報告を先に出された
ということが、静かに起きる。
殴られないことだ。
怒鳴られないことだ。
=
お前の居場所はない。
=
お前は浅い。
「この分野では慎重さが求められます」
=
余計なことをするな。
誰も責任を取らない。
ただ、閉め出される。
ポストが少ない。
枠が少ない。
だから、
・学際性は「若気の至り」
結果、
なのに口では言う。
「若手には挑戦してほしい」
本音はこうだ。
科学史は、
時給1117円の授業をめぐって、
博士号持ちが何人も並ぶ。
その中で起きるのが、
・哲学寄りすぎ
・社会史寄りすぎ
・数式を避けている
・実験を知らない
という、相互監視。
惨めさが、内向きに循環する。
この世界では「やめた人」が語られないことだ。
生活できなくなって消えた人。
研究を諦めた人。
民間に行った人。
精神を壊した人。
誰も話題にしない。
なかったことになる。
科学史とは、
その背後で、
学問を続けられなかった人間の影を大量に生み出す分野でもある。
それでも今日も、
「対話」「誠実」「学際」を掲げて、
静かに誰かが締め出される。
これが、
あまりにも静かで、
気まぐれで視聴し始めたが、回が進むにつれオーディション参加者たちの苦悩や葛藤や成長、候補生にかける審査員の熱意と寄り添いの言葉に胸を熱くし、審査員へも参加者へも感情移入し涙した。
最新話が更新されるまでの間は何度も繰り返し1話から見直した。努力し成長する美しい男たちの姿は何度でも泣けた。
オーディション終了後は約半年間楽しませてくれたお礼とご祝儀としてファンクラブにも入った。
雑誌CMバラエティー歌番組そして冠番組と、今ではテレビで見ない日はないほどの人気グループとなった。
今回の話は、惜しくも選考から漏れた1人が私の地元のイベントに来ると知り、興味本位で覗いてみたものだ。
顔が美しい。
ダンスの良し悪しについては判断することができないが、歌は上手い。彼自身もダンスより歌に自信があったのだろうと思う。
オーディション中も音程の合わない参加者の練習に付き合いピッチを合わせ、歌う必要のないダンスの練習中でも彼の歌が響いていた。チームのダンスカウントを合わせたのは間違いなく彼の歌声だった。
しかし自らそれを知らしめるようなことはせず、彼の人柄の素晴らしさはオーディション後に他の参加者から特に多く語られた。
彼のオーディション結果が公開なった後すぐにソロでアイドル活動を行うと発表があり、直後に開設したインスタはフォローしていた。
桜色の薄い唇をふわりと引き上げとろけるように微笑む笑顔の写真も、添えられる言葉も気高く美しかった。
そんな彼が地元で行われるイベントのゲストとしてやって来るらしいと知ったのは当日の朝で、出不精な私は数時間の逡巡の末、現場入りを決意した。
貴重な休日、寒いし外に出るのは面倒だけど、家にいるよりは楽しいことありそう。
欲しいものは特にないが、何かを期待して新装開店セールに行くような、そんな気持ちである。
駅前の超好立地でありながらタピオカやらフルーツサンドやらフルーツ飴やら、学生向けの流行りのテナントが瞬間的に出店しすぐに撤退を繰り返すような、常に今何が入ってるのかわからないようなビルだ。そんな中に特設ステージと言われても正直ピンと来ない。
SNSを見ても会場の様子が何もわからないので、予定より少し早めに着いた。
迷うような広さの建物ではない。
エスカレーターの真裏の特設ステージを視界に捉えた私はまず一度通り過ぎ、足早にトイレに直行した。
便座に腰を下ろしながら、思う。
きつい。
これはきついかもしれん。
特設ステージという名の、空きテナントと空きテナントの間のスペースが衝立で区切られ、舞台が組まれ、“何か”やっている。
この“何か”は明らかに私が目的としていたイベントなのだが、なんというか、思った以上にアットホームでハンドメイドでDIYだ。
意を決して会場入りする。
と言っても衝立の向こう側に入るだけなのだが。
上下の照明。
2〜30人ほどの女性の群れ。
既視感の正体は、今より景気が良かった子供の頃によく見た福引会場だ。あれによく似ている。
壇上には若い男が3人。
後で知ったがご当地アイドルらしい。この地に長く住んでるのに存在すら知らなかった。
演者と観客が軽快な音楽にあわせてコール&レスポンスしている。
きつい。
知らない曲、知らない男、ノリがわからない。
きつい。
何がきついのかわからないが、とにかく辛い。
何かから逃げ出したい気持ちのまま、ご当地アイドルの出番は終了した。
観客の1/3くらいが入れ替わる。
前方へ身を詰めた女性達がお揃いのペンライトを取り出し点灯する。
ペンライトも持っておらず立ち振舞いがわからない私はとりあえず会場の最後尾の端に立ち、防衛本能からか自然と体の前で腕を組む。そんなつもりは全く無かったが、偶然にも後方腕組み彼女面の参戦スタイルが完成してしまった。
前の方の女性たちがにわかに色めき立ち、歓声とともに、彼は登壇した。
画面越しで見るよりも色白で首が長くて顔が小さい。手足が長くて華奢だ。美しい。
喋り慣れているのだろう、臆することなく爽やかに軽快に二言三言挨拶をする。臆しているのは恐らくこの会場で私だけだ。
彼が笑顔で何かを言う度に、観客たちは笑顔で歓声をあげる。私以外の全てが笑顔だ。
爽やかな曲調。軽やかなステップ。歌が上手い。
だがきつい。
ずっときつい。
なんだこの感情は。
なんだかずっといたたまれない。
彼が歌い出す前から、いや登壇する前からずっといたたまれない。
なんだこれは。
なんだこの近さは。
つらい。
何がつらいのかわからない。
共感性羞恥とも違う。
つらい。
ずっと心のなかで何かを嘆き、よくわからない痛手を負いながら、イベントを最後まで見届け、ぼんやりとしたまま帰宅した。
冷静に今日のことを振り返る。
つらかった。
きつかった。
何がそんなにきつかったのか?
2週間ほど前。巨大な会場で、偉大な先輩たちとともに煌びやかな衣装でたくさんの照明と数万人の歓声を浴びて歌って踊る彼らを見た。
スタンド前方席で視力1.5の私でも肉眼では豆粒くらいにしか見えなかったが、それでも夢のような時間だった。
オーディション中は横並びで、彼もそうなり得た人であったはずが、結果によって片や数万人規模、片や田舎の特設ステージで無料イベントである。
この現場がどちらも映像で見たものであったなら、私と彼らの距離は全て「画面越し」で同等であったはずだ。
もちろん実際に触れ合える距離感を楽しみ、だからこそ応援したくなるというファンもいるだろう。そういう楽しみもあるだろう。
勝手にこんな気持ちになっている私の方に問題があり、本当に失礼極まりない感情である。
彼が悪いわけではないし、ファンやイベントを非難する気もない。彼は美しかった。
私自身が「選ばれない側」「持っていない側」の人間であるため、勝手に投影して勝手に落差に傷ついてしまった。
成功とは何か、幸せとは何か、人の数だけ答えはあり、個人のそれらは他人から推し量ることはできないしするものでもない。
ならば私が願うことは、美しい微笑みが崩れることなく、いつまでも幸福であって欲しいということだけだ。
結論の骨子(先に要約)
この4点が必要です。
現状の問題:検察は、要約・抽象的理由、だけを出せばよい。証拠評価・内部判断はブラックボックス
改造案
不起訴の場合:証拠一覧、証拠評価表、法解釈メモ を匿名化したうえで提出義務
改造案
検察審査会に:再捜査の範囲指定権、未実施捜査の実行命令権、を付与
👉“考え直せ”ではなく“これをやれ”
👉 実務上は「ほぼ使われない」
改造案
次の場合は自動的に強制起訴:高位公職者、検察官・警察官、国策に関わる事件
日本の最大の欠陥: 職権濫用罪はあるが、起訴しない不作為はほぼ不問
改造案
成立要件:明白な犯罪構成要件、十分な証拠、合理的理由なき不起訴、審査会が2回指摘
👉これを満たした場合のみ、懲戒+刑事責任 ※濫用防止のためハードルは高く
改造案
審査会に:元裁判官、元検事(定年後)、弁護士を独立補佐官として常設配置
👉検察OBでも「審査会側の人間」 増田補足●法曹はグルなのであかんと思う
効果は絶大。不起訴率、指摘事項、改善勧告、を国会に提出し公開
審査会の判断理由を分かりやすく公開。市民団体・学者が検証可能に。
👉制度は「使われて初めて抑止力」になる。海外との接続(ここが重要)
アメリカ 大陪審(市民チェック)、韓国 公捜処(検察監視)、台湾憲法法庭(限定運用)の機能の一部を内包することになります。
日本でスパイ防止法が議論できない最大の理由は、「強い法」より、「止められない検察」が先にあるからです。
逆に言えば:
👉検察審査会を実効化できれば、スパイ防止法は“恐怖の法”ではなくなる
Buy Borrow Die や r > g といった概念についてだ。
むしろ40歳になるまで、政治や経済、金融の話をきちんと語れる側の人間ではなかった。
ただ、このまま何も分からないまま年を重ねるのもさすがにきついなと思い、40歳を過ぎたあたりから金融を中心に勉強を始めた。
勉強といっても、本を読むだけでは身につかない。
なので、身銭を切ることにした。
そこからおよそ5年。
運が良かった部分も大きいが、結果として運用益はかなりの額になった。
その過程で、これは知っているか知らないかで人生の難易度が変わるな、という構造がいくつも見えてきた。
今日はその整理として書いている。
今回の対象は、金融初心者から、少し投資をかじったことがある人くらいまで。
その道のプロが読めば当たり前の話も多いと思うが、その場合はそっと閉じてほしい。
まず前提として、日本ではあまり意識されていないが、r > g という考え方がある。
要するに、資本から得られるリターンの方が、経済全体の成長よりも速い傾向がある、という話だ。
ただ、資本を持っているかどうかで、同じ社会にいても成長の果実の受け取り方が大きく変わる、という構造を示している。
極端な例を出せば、100万円を元手に1億円を作るのは大変だが、100億円を持っている人が1億円を増やすのは比較的容易だ。
この差が長い時間をかけて積み重なることで、資産格差は広がっていく。
だからこそ、感情論ではなく構造として理解した上で、どう振る舞うかを考える必要がある。
僕が最初に選んだ投資先は、eMAXIS Slim 全世界株式、いわゆるオルカンだった。
理由はシンプルで、どの企業が将来勝つかは分からないが、資本主義が続く限り、世界全体としての富は増えていく可能性が高いと考えたからだ。
20年後に、今の有名企業がどうなっているかは誰にも分からない。
ただ、世界全体で見れば、どこかの企業が成長し、経済全体は少しずつ拡大してきた。
ならば、世界全体を広く薄く持つ、という選択には合理性がある。
その後、僕はオルカンから米国株中心のインデックスに乗り換えたが、考え方は同じだ。
過去のデータを振り返ると、長期的には年率で数パーセントから一桁後半程度のリターンを積み上げてきた。
もちろん、毎年必ず上がるわけではない。
下がる年もある。
この複利という仕組みが、とにかく強力だ。
一定の利回りで運用される資産は、年数が経つほど増え方が加速していく。
これを体感すると、資産を途中で切り崩すことに強い抵抗を感じるようになる。
問題は、資産は増えていく一方で、現金がない、という状態になることだ。
僕自身、資産の多くを株式に振り分け、仕事も講演や審査員といった収入を最優先しないものが中心になっている。
ここで、多くの人が考えるのは、資産を売って現金を作る、という選択だろう。
ただ、長期で運用している資産を売却すると、複利が止まる上に、税金も発生する。
そこで出てくるのが、Buy Borrow Die という考え方だ。
具体的には、保有している株式や投資信託を担保にして融資を受ける。
もし、資産が長期的に成長し、その成長率が借入金利を上回るなら、資産を売らずに借りて使う、という選択肢が合理的になる場面が出てくる。
借入額は増えていくが、それ以上に担保となる資産価値が増えていけば、構造としては回り続ける。
しかも、売却ではないため、含み益に対する課税を繰り延べたまま資金を使える。
もちろん、これは無敵の魔法ではない。
市場の変動、制度変更、担保条件の見直しなど、リスクは存在する。
ただ、それらを理解した上で余裕を持った設計にすれば、選択肢の一つとして十分に成立する。
僕自身、この仕組みを理解し、実際に使ってみて初めて、お金を増やすことと、使うことを分離できる感覚を持った。
経済指標が発表され、市場がどう反応するかを見るのは、知的好奇心を強く刺激する。
年を重ねても、きっと死ぬまで付き合うことになる分野だろう。
完璧な正解はないが、知っているだけで避けられる遠回りは多い。
そんな話として、今日はここまで。
今年のM-1良かったなぁ、としみじみ思う。
予選から見続けてきて、なんだかイマイチに感じてしまって今年は去年ほどは盛り上がらないかも…と不安に思っていたのも杞憂、出演者全組本当に面白かった。
「なんなんだよ」のカメラワークが素晴らしくて、今日まで何度も見返して笑っている。
あの瞬間は現場よりもテレビの方が良かったかもしれない。おととしの敗者復活のシシガシラを彷彿とさせた。
ネタ以外だと、審査員紹介のときのナイツ塙のコメントも面白かったし、ヨネダ2000の得点発表も面白かったし、豊昇龍関のコメントが素直すぎるのも面白かったし、エバース町田が最終決戦の出順とネタを選んで失敗したという事後エピソードも面白い。
本当に面白かった。
早く、TVerだけじゃなくYouTubeにもネタ動画をあげてほしい。放送をまるまる見るのが1番面白いけど、それだと興味のない人に勧めるハードルが高すぎる。
最近のM-1は、何が面白いのかもう全然わからない。話題なので少し見てみたけど、3分で脱落した。年取ったせいもあるんだろうが、明らかにお笑い好きにしかわからないマニアックなものになっている。
芸能人とかミュージシャンのファンと同じで人気の差はあっても強弱はないはずなんだが
賞レースの隆盛で競技性が出てきちゃってスポーツと同じで強弱が生まれたというか認識されたというか
まぁそれも弱いチーム応援したって別にいいんだけど、更に「客も審査員」って要素が足されちゃうのよ
強弱どころか正解不正解まで乗っかっちゃうもんだから「不正解のおもんない(弱い)コンビ応援してるってセンスないのにお笑いファン名乗るなよ」みたいな事になりがち
なぜ、と思われるだろうが自分の実感としてふとそう思ってしまったのだ。
一つずつ自己分析も含めて書いてみる。
つまり番組が長い。4分ネタを13本で計52分。その漫才を観るために3時間弱も観ていなければならない。4分間の笑いを競っている競技で皆そこに命を懸けている状況なので、それ以外の場面で出場者を超えるような笑いを狙いはしない。今田や審査員が場を暖めるような笑いは上手く作り出しているがその程度。2時間番組で十分だと思うのだが、制作サイドの意向がある。できる限り視聴時間を稼ごうと思って審査員紹介などにたっぷり時間をかける。結果M-1やその審査が一層神聖化され次の要素にも繋がる。
出場前後も番組化していることを考えると本当にTV局側の欲張り加減がどんどん笑いの密度を薄くしているように思う。ネタ部分だけ観ればいいというのは一つの対策ではあるが逆に番組としては面白くないということを証明してしまっている。
司会や審査員も番組を盛り上げるために笑いどころは作ろうとするが、万が一にも演者に迷惑をかけないように皆ピリピリしている。当たり前だ。変にウケすぎたり滑ったりしてそれが演者のネタやウケ具合におかしな影響を与えてしまったら彼らの人生に関わる。結果恐る恐る打つ腰の入らないパンチで番組は進行する。
自分としては審査中に上沼恵美子が突然自分のCDを紹介したような、ああいう適当さがもっとないと番組としてはつまらなくなると思っている。「それで順位が変わったら」みたいな議論や、とろサーモン久保田事件も気持ちはわかるが、決勝に出て面白かったらちゃんと売れるから神経質にならないほうがいいのではないかとも思えてしまう。オードリーもメイプル超合金も優勝はしていないのだから。しかもメイプルはかなり下位だった。
そういう意味で山田邦子の審査もいい。今年はいなかったのが残念だった。ちなみにダウプラで知ることになるのだが、山田邦子を審査員に推薦したのは松本人志のようで、自分と完全に同じ考えではないかもしれないが、ある意味審査に崩しを入れたほうがよくなると考えたようだ。
こういう番組や企画がどんどん大きなものになり徐々に面白くなくなっていく現象は過去にもいくつかみた。大喜利、すべらない話、笑ってはいけない、そしてM-1など。TV局が目玉コンテンツにしようとすればするほどこういう現象が起きる。
話はそれるがこれらの現象の始まりにほぼ松本人志(とそのチーム)が絡んでいることが驚異的である。大喜利や漫才は昔からあるが、それが一般に普及するフォーマットになり競技化され社会現象になるのを長年観てきた。松本人志にはTV局都合に巻き込まれずダウプラで面白いものをのんびり育ててもらいたいと思っている。あと5年早く始めてほしかった。
ここからネタにも言及する。いや、面白んだけどさ。実際に「笑わ」ないのよ。つまりプッと吹き出して笑ってしまうような場面が自分としては少ない。どちらかというとすごいな〜、これよく思いついたな〜という感心、感動に近い感覚で見てしまっている。だから結果面白いんだけど想像の範囲内という感じ。ずっと無表情で観ている。これはM-1の宿命だが、こちらは日本一面白いものを観たくて「さあ笑わせてもらおう」という姿勢なので、日本一ハードルが上がった状態で観ているわけだ。そりゃそうなるだろうと思う。
ただ、もちろん皆さん素晴らしいネタを作ってくるのでたまにその期待を完全に裏切るネタに出会えるしその時のみ心から笑える。
今年ではたくろうは笑ったと思う。ああいう、突然無茶振りをされ、困りながらギャグを打っていく大喜利でツッコミ無しのスタイルが新鮮過ぎた。そして本当に突然無茶振りされたかのような上手すぎる演技に完全にやられた。何度も観た。こういう漫才はずっと記憶に残るが、M-1の決勝ですらそれほど出会う機会はない。たくろうにしても「もう知ってしまった」から次はそこまで笑えない可能性もある。
過去に同じようなインパクトを感じたものでいうと笑い飯のWボケ、ミルクボーイの行ったり来たり漫才など、新しいシステムを知ったときにガツンとツボに入ったことが多い。昔はM-1ももっと緩かったので気楽に笑えていたという環境要因で古いネタが多めに記憶に残っているかもしれない。
M-1は4分で最大の笑いを生み出し、予選から決勝まで勝ち残るという途方もない道のりを乗り越えなければならない。結果漫才の内容は先鋭化し、期待を裏切らない似たような構成のものが増える。見る側も先鋭化しその文脈で漫才を観てしまう。例えば最初の1分近くを前フリに使ってこれから笑いを起こそうとするようなネタを観ていると「初速」など本来視聴者が意識する必要のないキーワードが頭にちらついて心配になってくる。
先鋭化を上手く裏切ってくれた例としては、スタート時にマイクの前に来ない、スタート前にツカミを作った真空ジェシカのあれは発明だと感じたが、それもいい「ツカミ」として観てしまう自分がいる。「ボケ数」という概念を裏切って長い沈黙時間を作ったスリムクラブなど。どれも面白いんだけど、観る側が余計なこと考えすぎているからこその裏切りであり、本来そんなものいらないはずなのだ。
自分からすると2年連続優勝した令和ロマンのネタはそういう先鋭化の果てにあるように思えている。詳しくはないが本人の発言からもよくM-1の笑いの法則を研究したというイメージで、枠組みをぶち壊して笑いを起こすようなネタではないと思う。令和ロマンはM-1で計4つのネタを披露したが、皆憶えているのだろうか?自分は正直断片的にしか憶えておらず吹き出したような記憶もない。
最近、ラパルフェが予選でやっているネタを知っているだろうか?去年はニューヨーク、今年は男性ブランコの完コピをするというものだ。正直今年は予測がついたからそこまでだったが、ニューヨークの完コピを観たときは思わず笑ってしまった。会場も最初から最後まで悲鳴に近いようなとんでもない笑いが起こっていた。当然だがそんなネタが決勝に出ることはない。彼らは賞レースの勝ちを捨てて笑いを取りにいっていた。自分としてはこういう笑いでいいのだ。
さて、タイトルは煽っているがダウプラを推したいという目的ではない。ダウプラがそこまで面白いのかというと、もちろん面白いものあればそうでないものもある。ただ、M-1への比較として自分が欲しい笑いがそこにあった、ということなのだ。
たまたまM-1前日に公開されたライブ配信番組「お笑い帝国大学 OIU」を観たのだ。一般人が大喜利ネタを投稿し、それがピックアップされ講評されるというよくあるスタイルだが、自分も大喜利ネタを投稿したのでもしかして取り上げられたら、という期待もあり観た。
90分の番組で5~6回、素人ネタで吹き出して笑った。何の準備もない、無防備な状態でやられたから移動中で少し人目があったにも関わらず思わず笑ってしまった。ネタが面白いということもあるのだが、それをピックアップする経緯、松本や笑い飯西田、ロングコートダディ堂前のトークの流れやフリがあって、面白くないネタで笑っている。そして自分も笑う。なんかバラエティの基本というか、こういうのでいいんだよ感が強く印象に残った。
とあるネタに対して松本が「こんなん評価したらあかんで、絶対に間違ってる。でも笑ってもうてん」みたいに言っていたネタが一番評価されていた。確かにM-1で笑いを取れるような角度のものではなく本当に適当に考えたんじゃないかと思えるような雑なネタだった。でも実は3人ともそのネタを選定していたという事実が判明し、じゃあやはり面白いんだ、ということになる。その日、その場ではその「間違った笑い」こそが正解の笑いになった。
自分の求めるような笑いはM-1を観るからそこにないのであって、普通に地上波の別の番組とかYoutube観てたらいいんじゃないの?とは思う。いや地上波全然観てないからわからないんだけど。ただたまたまM-1と同日に観て比較対象になったので書かせてもらった。
Permalink |記事への反応(12) | 07:54
M-1見ていて真空ジェシカのネタに「しょこたんの転売ネタ」だの「粗品がTHE Wの審査でなんか言った」だの「フット後藤がどっかで噛んだ」だの、芸能ゴシップのネタばかりが織り込まれてて、知らねえからはっきり言って全然ついていけなかった。
知らんがなというものばかり。まとまりもない。「まーごめ」連呼の持ちネタも大鶴義丹の大昔の不倫がどうのというもので、これも古い芸能ゴシップをリサイクルし続けているもののようだし。知らねえよ。まず大鶴義丹の顔も分からない。
はてブには「真空が勝てなくて令和ロマンが勝つなんて納得いかない」だの、その手のコメントがつけられていたりしたが、アーカイブを見た令和ロマンの去年のネタにしろ今年優勝したたくろうにしろ、面白かった。
少なくとも知らねえ芸能ゴシップだらけでついていけない事態にはなってなかった。ずっとついていけて笑えた。納得できる優勝だと思った。
わっけがわかんねえからTwitterで「審査員のフット後藤が噛んだことをネタ中にいじっていた」等の説明を見たわ。馬鹿にしてんのか?あの会場にいたとしても少しも笑ってないと思う。ずっと芸能人の知らねえ失敗が羅列されてるだけだから。
というか、はてブでウケている真空ジェシカがこんなに芸能ゴシップ芸人だとは知らなかった。お前らこんなに芸能ゴシップについていってんの?そんで、芸能人のやらかし失敗ネタをただ並べるだけで即座に反応して笑えるの?全然ついていけない。
エバースとヤーレンズにはファンがいるのがわかる。会場の勢いをつけられなかった、のようななんともいえない空気のようなもので優勝を逃しているだけで、安定した実力を感じた。
たくろうの爆発には及ばなかったが、ドンデコルテのような芸風にこそ優勝を獲って欲しいタイプがいることも分かる。ヨネダも個人的にはあれは漫才じゃないと思うが笑ったのであれが好きな人もいるだろう(なぜか笑ってしまうが漫才じゃないから点は伸びないだろう)。
真空ジェシカには本当に引いたんだよな。ゴシップの羅列!しかもお笑いの界隈の内輪ネタ!盛り上がってる様子だったらM-1をTVerで見るだけみたいなタイプには全く元ネタが分からない。
ああいう内輪しか見てないような真似をして優勝してほしくない。そして真空ジェシカこそハイセンス!みたいな物言いをして他を腐し続けているブクマカのことは軽蔑する。悪目立ちしている。去年も一昨年も見た。「真空が優勝できないM-1がおかしい」というような物言いをする連中。
芸能ゴシップいじり羅列の早押しクイズのネタの何がどう優れているんだよ、なぜ他の芸人より評価されるべきだなどと言い切れるんだよ。教養でもなんでもないただのゴシップといじり。
笑ってないのはママタルトでも少しも笑っていないんだが、真空ジェシカについてはなんというか、不愉快だったわ。笑えないだけでなく胸糞悪かった。優勝した芸人を下げながらこのようなネタを「センスある」と持ち上げる行為についても、最悪という感想しかない。
昨日のM-1、たくろうが優勝したじゃん。初ファイナリストで過去最多1万1521組の頂点に立って、審査員9人中8票取って圧勝。ファースト2位通過から最終決戦でエバースとドンデコルテをぶち抜いて、21代目王者。たまらない。魂の格がtの公遺症で染みつきまくりなのに、洗練された漫才で御三卿審査員どもを魅了してエリサラ馬力発揮した感じ。
でもよ、全体の予後が悪い。暗すぎて神経衰弱理論発動レベル。ヨネダ2000がタイムオーバーで失格扱いみたいになって、女性コンビ初の決勝進出が台無し。プロすぎて惚れ直すピエロもいるけど、ルール破って即死確定じゃん。チャージスポット理論で時間管理できずカイカンチュア止まり。真空ジェシカとかヤーレンズとか常連組も沈没して、結局新顔のたくろうが持ってく。ピチュー理論でピカチュウになった瞬間。
敗者復活のカナメストーンも入ったのに、ファーストで散ってく。エバースが1位通過したのに最終で0票とか、ドンデコルテ1票とか、審査の空気が気圧理論崩壊。セルフ男子校状態で、面白いのに票入らず幻資痛眺めてるピエロども多すぎ。
お笑い界もカースト固定の慢性疾患。吉本のエリサラ馬力組がアマンレジデンス狙う横で、非吉本やインディーズは這い上がっても一発屋止まり。たくろうは吉本だけど初決勝で優勝したから少しエッジ持てたけど、来年以降ヌクモリン残さず消えるパターンも多いじゃん。予後暗い。
M-1見てて思うわ。お笑いも結局育ちと運とタイミングの格差社会。t出身kの芸人どもが臥薪嘗胆でネタ磨いても、審査員の好み一発で即死。
久しぶりにM-1生で見た。
たくろうで笑った。
ご提示いただいたデータに基づき、審査員ごとの採点傾向や特徴を分析しました。
全体的に高得点が連発する激戦の様相ですが、審査員によって「どこを評価しているか」の個性がはっきりと表れています。
1.審査員別の採点傾向まとめ
各審査員の平均点や最高・最低点の付け方から見える特徴は以下の通りです。
| 審査員 | 傾向・特徴 |
| --- | --- |
| ナイツ塙 | 最も点数の幅が広い(8点差)。エバースに「99点」という驚異的な最高点をつける一方、ドンデコルテには「91点」とするなど、好みや評価基準が非常に明確です。 |
| アンタ柴田 | 最高点(98点)と最低点(88点)の差が10点あり、今回最もシビアに差をつけた審査員の一人です。ハマった時(エバース、たくろう)の爆発力が点数に直結しています。 |
| 博多大吉 | 全体的に落ち着いた採点ですが、**豪快キャプテンに「89点」**をつけるなど、漫才の構成や整合性を厳しく見ている節があります。 |
| 海原ともこ | 全体的に高得点かつ安定しています。最低点が93点(めぞん、ママタルト)と高く、全体的にコンビのポテンシャルを肯定的に捉える傾向があります。 |
| 笑い飯哲夫 | 独自基準が光る。 多くの審査員がエバースに最高点付近をつける中、哲夫氏も97点と高く評価していますが、ヨネダ2000やママタルトには80点台をつけるなど、シュール系やパワー系には慎重な印象です。 |
審査員の間で評価が分かれた(=好みが分かれた)コンビに注目すると、大会の性質が見えてきます。
*エバース(870点・1位通過)
* 全員が95点以上をつけており、文句なしの完全一致での高評価です。特に塙氏(99)、柴田氏(98)、山内・大吉・哲夫氏(97)と、技術派の審査員を軒並み唸らせています。
* 豪快キャプテン(839点)
*山内氏・駒場氏が「96点」と高く評価した一方で、大吉氏は「89点」としています。**「現役のプレーヤー目線」と「ベテランの構成重視目線」**で評価が真っ二つに分かれた例と言えます。
*真空ジェシカ(844点)
* 礼二氏(96)と柴田氏(92)で4点の開きがあります。正統派・技術論を重んじる礼二氏が、彼らのスタイルを高く評価しているのが興味深いポイントです。
今回の審査員陣(特に新しく加わった柴田氏や駒場氏など)の傾向を総括すると、以下のことが言えそうです。
* 「突き抜けた1本」への加点:エバースやたくろうのように、会場の空気と技術が噛み合った瞬間に97〜99点という「決定打」を出す審査員が複数いた。
*ボトムラインの底上げ: 多くの審査員が最低点を80点台後半〜90点に設定しており、出場者のレベルが非常に均衡していたことが伺えます。
*吉本・非吉本の壁がない:ヤーレンズやママタルト、真空ジェシカといった非吉本勢に対しても、礼二氏や山内氏らが一切の忖度なく高得点を投じており、純粋に「漫才の質」を競う場になっています。
この結果を踏まえると、最終決戦では「全員から95点以上を引き出せる安定感」があるエバースに対し、他のコンビが「誰か一人に100点近く言わせる爆発力」を出せるかが勝負の分かれ目になりそうです。
その話をする前に、余談とも言える前提の話をする。
昨今の賞レースはどれだけ脚本家がその芸人にあった本を書けるかという勝負になってきている。
要するに芸人そのものの地の力が試されるコンテストではなくなってしまったということ。
それだけ審査の基準が複雑化しているということであり視聴者側の目が成熟したということでもある。
ただ完成度が高いだけでは点数が伸びないことがわかった上で、どのように予定調和を裏切るかということがここ数年の高得点の基準になっていた。
たとえばバッテリィズは、見た感じアホが中身もアホなことをいうというミスディレクションの裏で、突然まともだと思っていた相手(観客)に芯を食った言葉を投げかけるというロジックで新しいスタイルを築いた。
その手前には錦鯉という本当にただアホなだけというコンビの存在があり、それが大きな予定調和となっていた。
もちろん、脚本を脚本と感じさせない高い演技力を前提としているので、実力のない人間がアイデアだけで勝てるような甘い世界ではないが、スタイル=フォーマットだけが優れていても勝つことができない世界になっていることも事実である。
そういった今年勝てそうなフォーマットに隙のない脚本が書かれてはじめて優勝につながるような高得点が生まれる。
それが昨今の賞レースの現状といっていいだろう。
ケンコバの過去の言葉を引用して、それがお笑いの終わりの始まりであると誰かが言った。
それについては半分正解で半分間違っている。
ケンコバはプロレスを例えに、選手がプロレス論を語り始めたことがプロレス衰退の原因であると語った。
ゆえに芸人がお笑い論を語り始めた今、お笑いは破滅を迎えるかもしれないという危機感を抱いているという話だった。
ケンコバが例えに出したプロレスは、数ある格闘技の中の一つのジャンルに過ぎない。
その後格闘技は様々なジャンルが生まれては消えてを繰り返し、最近ではブレイキングダウンのような地下格闘技のようなものが流行りつつある。
では格闘技そのものが衰退したかと言えば(趣味の多様化の問題で絶対人口は減ったとしても)全体で考えれば破滅と言えるほどの危機感があるとは言えないだろう。
ただし、それらの中の1競技、例えばゴールデンタイムのお茶の間をわかせていたK-1のように、全盛期のままではなくなってしまった競技も数多くあることは確かだ。
それをお笑いに置き換えた場合、例えばM-1やキングオブコントといった賞レースが衰退する可能性は大いにある。
つまり粗品が始めた終わりの物語は、そういった競技形態の一つを破滅に向かわせる物語であり、お笑いそのものが突然破滅するという話ではない。
THE Wに限って言えば、まるで女性だけの大会がつまらないかのように扱われているが、コント、漫才、ピン芸人全てが異種格闘技的に競い合う大会において、勝敗の軸がブレすぎることがつまらない本質と行っていいだろう。
粗品が取った観客が笑ったときはつまらないといい、笑わなかったときはおもろかったという他人の笑いを全否定する態度は、更に勝敗の軸を見えないものにしてしまった。
テレビの前で腕を組んでくすりともしなかった自称評論家ばかりが喜んで、特に何も考えず面白かったから笑った人たち全員に冷水を浴びさせるような言葉の投げかけは、少なからずTHE Wという賞レースの破滅の始まりだったと言えるだろう。
話を本題に戻す。
今回のM-1で優勝したたくろうは、そういった賞レースらしさを壊す形で優勝した。
「うけるフォーマットの上に高い完成度の脚本を書いてそれを感じさせなくなるまで演技の練習をする」というスタイルを完全に否定する形だった。
審査員の一部はそれを演技だと疑うほど面白い言葉が次々に生み出されていた。
それが演技ではない、脚本ではないと気がついたとき、この二人が持つ暴力性にも近い面白さの衝撃が優勝につながったと言えるだろう。
ここで唐突にTHE Wに話を戻すが、ヤメピというコンビがいたのを覚えているだろうか。
彼女たちはTHE Wというステージにおいて完全に滑っていた。
しかし、これをただつまらなかっただけと考えるのは間違っている。
彼が持ち出した賞レース論のために、観客も視聴者も、この空間で面白い人はレベルの高い脚本をレベルの高い演技力で演じている人なのだという価値観を押し付けられていたからだ。
そうした中で、結成が短い=圧倒的に練習時間が足りていないコンビが出てくれば、そうした前提条件だけですでに蚊帳の外扱いされてしまって無理はない。
これがまだ、粗品がお笑い論を語り始める前の出番であれば違ったかもしれない。
しかし、出番を待つ間に大御所から繰り返されたお笑い論によって散々彼女たちのアイデンティティが否定されたた形で観客や視聴者が調教されてしまったとなれば、自分たちがなぜ勝ち残ったかの意味も見失いまともにネタをやっていられるような状況ではなかったのではないか。
仮に今回のTHE Wが粗品の考えるお笑い論が採点基準になることが事前に示されていれば、それぞれの芸人も取り組むべき課題が変わってきたであろう。
少なからず番組側は何かしらの意図を持って決勝進出者を選定していたにもかかわらず、それさえもひっくり返すかのように独善的に審査基準を作り上げる粗品は、その理論の正否は別としてたゴールポストを好き勝手動かしたかっただけのただただ醜悪な存在に見えた。
話がそれ過ぎてしまった。
この、THE Wで滑りまくったヤメピというコンビニこそ、これからのお笑いの新しい形を持っていたと行って良い。
しかし、それをそうではなくしたものが賞レースなら、賞レースそのものが変わるべきだろう。
そして今回M-1で優勝したたくろうは、まさにフリースタイルのような語り口で会場の笑いをかっさらっていった。
これで確信した。
やはり笑いは、その瞬間、その場で生み出されたものが一番おもしろいのだ。
フリースタイルといえば、ダンスやラップバトルなどに取り入れられている。
その場でかけられる音楽に対し、アドリブで演技を行い、審査員や会場をわかせたほうが勝つというルールだ。
ようするに、お笑いでもそれをやればいいのだ。
これらが交わって戦うことはなく、それぞれの部門で競技が別れている。
フリースタイルよろしく、持ち時間1分で、3ラウンド、もしくは5ラウンドずつ交互にネタを行い、3名のジャッジによって勝敗が決まる。
例えば「タクシー」というお題がでたら、10秒程度打ち合わせする時間ののちに出囃子で先攻が登場して1分間のネタを行う。
ネタ終わりは必ずしもオチなくてよい。対戦相手に振るような形にしてもいいし、次の自分たちのネタにつながるようなフリでもいい。
先攻のネタを被せてもいいし、フリを受けてもすかしてもいい。
2ラウンド目からはお題が増える。
例えば「お金もち」ならタクシーのネタにお金持ちを登場させると行った感じだ。
そうしてラウンドを繰り返し、後攻のネタが終わった時点でジャッジに入る。
など。
ルール部分は今考えた適当な内容だが、要する言いたいことは「その場で一番笑わせた人間が勝つ」という競技が生まれたら今ある賞レースは終わるよという話だ。
そうなったら、瞬発力や見た目の面白さ含めて、本当に面白い芸人しか勝てなくなる。
あのフォーマットも賞レースにはいまいち難しい部分もあるけど、フリースタイルでどんどん出されたら圧倒的に強い予感がある。
断言していいのは、テレビの賞レースみたいなダラダラと長い勝負を今の視聴者は耐えられないという現実。
ファーストラウンド
めぞん 笑わなかったけど、ちょっと良かった。最後の歌のところが良かった。
尿検査のところが良かった。
真空ジェシカ 笑わなかった。
最初のつかみは良かった。
ヨネダ2000 笑わなかったけど、ヤバい
たくろう 少し笑った
特定のボケってより、ちょっとずつ貯金がたまってつい笑った感じ。京都産業大学は良かった。
ボケの人のとんちんかんな感じも好きだけど、ツッコミの人の自然な感じも良かった
豪快キャプテン 笑わなかった
何も思わなかった。
決勝
エバース 笑わなかった
あーあって思った。
ファーストラウンドより面白かった。無敵のゾーンに入ってたね。ハマんなかった人もいるみたいだけど。
【追記】
まあ、ただの記録だからそんなに言わんでも。悲しい。