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「寝た子を起こす」を含む日記RSS

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2025-12-07

逆になっているのか?

そもそも、「俺の目に従来そう見えていて、」「いま見えているもの」が不正確ならそれまでなので、合っているという前提で書く。

個人が何かの被害に遭ったときに、保守寄りの立場からは「危機管理意識が低いから」というように被害者に理由を寄せる方向で批判的に意見することが多いような気がしている。逆に、リベラル意見からは「そもそも加害をする方が悪い」という、いわゆるべき論で意見することが多い。

例えば、危険地域に向かって被害に遭うとか、性被害に関する議論で、こういう具合に意見割れている印象がある。痴漢をされたときに、「煽情的なかっこをしていたからそうなるんだろう」対「いや、状況とか関係なく、そもそも痴漢をするやつが悪いに決まってるだろう」という感じ(ちなみに、俺個人後者寄りである)。

つの立場責任の問い方から、もう少し整理してみる。

前者は「なぜそれが起きたか」というところを欠かせない最初ステップにして、状況の責任を問おうとしているのではないかと思う。

加害者痴漢なら基本的に男。ただし、言うまでもなくほとんどの男は痴漢をしない。この辺の感覚もややこしい)の関心を惹くようなかっこをしてるから、性被害に遭ったり、海外トラブルに巻き込まれたりする。原因の一端は被害者にもあるよね、というロジックになると思う。

後者は、原則から責任を問おうとしている。当然のことだが、悪いことをしたやつが悪いのだから、原因がどうとかでなく、加害者責任がある以上の説明必要なのか? 要らないでしょ? というロジックになる。

個人後者寄りだが、客観的に考えてみるに、

「要素の何々①(加害者加虐癖や悪意)と何々②(被害者の印象)が原因で起きた」⇒「何々②にも原因があって起きた」⇒「何々が原因で起きた ※①は消失」⇒「何々には(にも)避けうる危険を招いた点で(生きていくうえでの)落ち度がある」⇒「何々には(にも)避けうる危険を招いた点で(道義的な)落ち度がある」⇒「何々には(にも)責任がある」

…という言葉アメーバ的なグラデーションと省略が悪さをしているのではないか、という気がする。

文章で書き起こせば、それぞれの段階にはちゃんと違いがあるのだが、俺たちの意識フローは話しながらそんなことをちゃんと整理できないし、ましてや、議論でカッカきているとなおさら難しい。

お互いに頭があったまっていたり、そもそも相手立場をお互いに嫌いなので、いちいち相手が省略していることを想像したり、自分が省略しようとしていることを説明する気にならないし、相手言葉が足りなければ無意識的にも意図的にも曲解やすいので、この辺の飛躍は容易に起きうるので話がこじれる。

そういう揚げ足を取られないようにするのが大事なんだろ、という意見もあろうけど、なんとなく、言葉意識って俺たちのOS限界じゃねえかな、とも思う。

から、意外とこんなこともあり得るか、と思うのは、例えば、被害者に批判的な意見の人に「じゃあ、そもそも道義的に悪いのは誰なんだと思う?」とフラットに聞ければ「それは加害者に決まっている」と答えてくれる気がするし、逆に「じゃあ事態が起きた経緯に被害者の印象は何の関係もないのか?」と聞かれれば、「まったく無関係ではないはずだ」と俺は答えると思う。なんとなく、歩み寄りの余地というか、共有できるところが、冷静になればある気がする。

ただ、俺だったら答えるときに、「でも、それと道義的責任関係ないだろ?」というエクスキューズも必ず入れるだろうし、それだって議論がまだ喧嘩に発展しておらず余裕があればの話なので、俺の立場だったら基本的に、相手のことは現実主義偏重して被害者を慮れない冷血、と断じている方が早い。逆に被害者に厳しい意見からこちらを評すれば、脳内花畑原則にこだわるせいでかえって余計なコストを増やしている愚か者、という感じか。

難しい。

ここまでは前置きで、ここからが本題になる。

台湾をめぐる首相の答弁をきっかけにして中国との緊張感が増している状況、と言われていて、それに伴って起きている議論で「お?」と思う部分がある。

繰り返すが、「俺の目に従来そう見えていて、」「いま見えているもの」が不正確ならそれまでなので、合っているという前提で書く。

どういうことかというと、保守寄りで、上で書いたような事例であれば物事責任個人に寄せがちだった立場からは、今回「そもそも他国に対して侵略的な中国の方が悪い」というユニバーサルなべき論が目立っているように見えるのに対して、リベラル立場からは「(道義はともかく)寝た子を起こすような挑発的なマネをする首相の方に(も)責任がある」という意見が目立つように見えると思うのである

これまで、議論の初手で切るカードとして、他のテーマなら「個人に(も)責任がある」と切り出しがちな人たちから、このテーマでは道義的原則論が、逆に道義的原則を持ち出しがちな陣営からは、「相手挑発するようなことをするからこうなるんでしょ」という具合に個に責任を寄せるような意見が出ていて、ここでは逆転してるのか? と思ったのである。なんなら後者においては、現実的な処世、というトーンも感じられて、普段とは違うな、という印象がある。

別に、何かをダブルスタンダードとして批判するつもりはない(ダブスタ批判相手をハメようとするの、みんな仲悪くなるので本当に意味ない思っている)。

単にそうなのか? と単に思っただけである

そもそも俺が見ているものが間違っている可能性もあるし、個人被害(と加害)と国際問題の扱いは違うかもしれない。また、カイロ宣言ポツダム宣言を受諾し、そこで台湾中国帰属が前提とされているなら、いわゆるリベラルは今回も一貫して原理である、となるのかもしれないし(だから良いとも悪いとも言わない)。

繰り返すが、ただ、そう見えて「今回はそうなのか?」と思ったので書いておく。

Permalink |記事への反応(0) | 14:44

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2025-02-11

anond:20250211082311

この寝た子を起こすな風の主張って大嫌いなんだけど同じ人おる?

Permalink |記事への反応(1) | 08:25

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2025-02-08

性教育って教育なのか

例えば、理科の授業で植物構造を学ぶ。花の花弁がどうこう、葉緑体構造がどうこう、毛細の仕組みがどうこう。

そこに、「ある花は綺麗で、ある花は醜い!」とか「日本古来愛されてきた桜の構造だけ学べばよくて他の木は適当でいい!」みたいな価値判断普通入らない。

社会の授業で、世界の国々の様子を学ぶ。アメリカ選挙制度はどうこう、ロシアの大きさはどうこう、世界人口はどうこう。

そこで、社会の授業という枠組みで「アメリカ政治制度は正しく、中国は間違ってる!(逆も)」とか「北方領土竹島日本国土!」という授業を何時間も続けるということは異常である。少なくとも社会科の枠組みではない。

性教育はどうか。

性器構造精通生理妊娠出産。これらは理科的・生物学的側面といえる。

一方で、「成人するまでセックス我慢しよう(逆にどんどんセックスをしよう)」とか「セックスの前に合意をしよう。その合意空気ではなく口頭で行うべきで~」とか「堕胎の是非」とかは思想的な問題である

だが、性教育は前者と後者が混然と一体になり、しかも数多くの自称専門家が、その政治思想の左右を問わず好き勝手言い合うことが平然と行われている分野である

これらにカリキュラム的な問題が合わさり、「外部の『専門家』を学校に呼んで特別授業を行う」という他の分野ではほとんど見られない現象が生じ、ますます事実とそれ以外の混入に拍車がかかっている。

それも、たとえば修学旅行前の平和授業なら、目の前にいるのが被爆者語り部であり個人的経験を語っているということは、子供ながらでもわかる形となっている(そしてこれは社会科の枠組みではないはずである)。

だが性教育出張授業になると、途端に目の前にいるのは実際の業績が不明で、科学的なことを語るはずが事実思想分別がつかない言動をする教授医者のいうことを、子供たちは鵜呑みにさせられることになる。

実際、私の時は、女医学校に来て、そういう教育を受けた。しかもその女医は「そんなんじゃ女の子モテないよ」式の言動をテコに性教育を行うタイプ人間であった。

もちろん、学校という現場だけの問題であるとは言わない。文科省公立私立地域や家庭。色々な問題が絡んでいる。

個人差が大きく、急激に変貌する個々人の身体。「初めての生理が来たら赤飯を焚いて…」という風習代表されるような、事実思想以前の地域的な性のあり方。

だが、それにしても、である

仮の話、私が「全世界フリーセックス!」「0歳児でも100歳の老人でもみんなセックスセックスセックス!」と子供たちに教えることも、究極的には、性教育になる、ということである。それで私は学位も実績も無しに専門家を名乗れるということである

何をバカなことを、とみんな思うだろうが、この逆の立場の「純潔教育」は堂々と行われてきたし、今も行っているところがある。

以前、母親たちが自発的性教育の授業を行う取り組みが「ニッポン性教育セックスをどこまで教えるか」というタイトルドキュメンタリー番組として放映されていた。

その番組では、2000年代のいわゆる性教育に対するバックラッシュにも触れられており、自民山谷えり子議員に直撃取材も行っていた。

番組としては、明記などはされないが、母親たちが先進的かつ真摯であり、バックラッシュに加担した山谷は後進的かつ不誠実である描写したいようだった。

だが、性教育「教育」を考えるとき、無論山谷行為には旧来の「寝た子を起こすな」式の問題があったとしても、前述の母親たちの行っている授業が果たしてどこまで「教育」なのか、その側面には触れられているようには見えなかった。

性教育の、「教育」とは何なのか。

Permalink |記事への反応(2) | 13:47

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2024-11-07

anond:20241106225838

妻に姓を変えてもらった側だけど「寝た子を起こすな」みたいなのは当初思ってた。いまは賛成派。

変えてもらって当たり前だし、男なのに女側の姓を名乗らされるのは屈辱というか周囲を納得させられるくらいの余程の理由がないと恥ずかしいみたいな感覚内面化してた。夫婦間の話なのに周囲に納得してもらわなければと思ってるのがおかしいんだけど。

その状況を当たり前としてきたから、それはおかしい、妻を尊重してない悪い夫だと名指し度指摘されてるような居心地の悪さがあって反対してた。

Permalink |記事への反応(0) | 07:31

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2024-11-06

夫婦別姓反対から賛成派になった経緯

いまは賛成派

既婚者で夫の姓に変えた妻である

反対派だったけど年月とともに考えが変わった。

明確にいつからとか分かんないけど、一つは時代が別姓容認したほうがよくね?の空気になったので流された。

あとは、歳をとって反対したくなる自分気持ちに整理がついたし、反対してる自分が痛い人に思えてきたから。

反対するための理由を述べようとすればするほど選択性だから誰もお前の話はしてないし、社会規範同調圧力勝手内面化して他人にもその同調圧力押し付け自己肥大化から目を逸らしているに過ぎないのではという感覚から逃れられなくなった。


反対してた理由、端的に言ってただただ悔しかったしバカにされてると思ったから。

周りが結婚すべきという空気だったから何も疑問を持たず周りに合わせて婚活して、結婚して、そういうものから何も疑わずに姓を変えた。

何も考えなかったけど、姓を変えてあげたか結婚式でやりたいことを夫に交渉できると思ってた。

落ち着いて考えればほぼ一生ものの姓を変えるということをしなければ一生のうちで一瞬の出来事に過ぎない結婚式すら自分希望を通せない、その交渉ができないと思ってる時点で夫と対等ではない。

姓を変えて当たり前だと思っていた。もし変えたくないなんて言ったら変な女扱いされて最悪結婚もないものになるという恐れもあったと思う。

同調圧力に屈したというよりはみんなと同じ選択をするのが当たり前なのにそうしない人(DINKSとか独身とか)は卑屈になってるかわいそうな人と心の内で思って下に見ていたと思う。そうならないためにとにかく「普通選択」を選ぶことしか考えてなかった。

別姓を訴えている夫婦カップルは少なくとも私と夫とは違ってちゃんとそういう会話ができる関係なんだというのが感じられて、それすらできなくて当たり前と思ってた自分の浅はかさを言い当てられてるみたいで悔しかった。

自ら進んで対等ではない関係になりにいってるバカだと言われてるみたいな、自分の中の被害者意識を一人で扱いきれなかった。

からマイナンバーかなんかでクレカやら銀行やらなんやら一気に変えれるようになればいいだけの話でしょ?なんで文句言ってんの?めんどくせえ〜」みたいなことツイッターに書いてた。恥ずかしすぎて検索して削除した。


歴史を遡れば女性参政権だとか、ズボンを履くとか、正社員として働くとか、学校に行くとか、セクハラやめろとか、そういうのを訴えて選択肢として勝ち取ってきた女性たちがいる。

もし今「女が勉強するな」とか「女の選挙権剥奪しろ」とか言うやついたらドン引きだと思うんだけどたぶんその議論が出はじめた当時は

「私ぜんぜん夫を信頼してるので働けず学もなく選挙権もなくて大丈夫なんですけど?」みたいないわゆる名誉男性仕草で叩く女もいただろうと思う。

いまそれやったらあまりに痛すぎる。

社会が別姓を容認すべきでは?みたいな空気になってく中で自分がその痛い側の人間になっているように感じられて、それと同時に自分がろくに社会性も持たず、自分客観視することもできないまま「みんながそうだから私もそうしなきゃ幸せな人として見られない」という価値観内面化して周囲にも押し付けることで自分バカじゃないと安心していた。

そういう同調圧力押し付けられてきたこと、そういう社会のあり方を内面化させられてきたことに怒りをぶつけるのではなく、そういう同調圧力に屈しない人に対して寝た子を起こすな、みたいな、奴隷の鎖自慢みたいな状況に引きずり込もうとしていた。

年取ってなんかいろいろどうでもよくなってきてのもあって、そういう自分のアホな部分も受け入れられるようになった。

年を取るって良いな。

Permalink |記事への反応(23) | 22:58

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2024-09-19

分断を煽っているといってる奴は老害では

分断煽をっているって

意味からない

 

噂程度では分断は起きない

もし分断が起きるなら

事実基づく亀裂があってそれが表に出てきただけじゃん

 

寝た子を起こすな」とか

臭い物に蓋」とか

被害者にも落ち度がある」

 

ていったら叩かれるようになったか言葉変えただけの老害では

Permalink |記事への反応(0) | 05:04

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2024-07-17

anond:20240717044601

寝た子を起こす

Permalink |記事への反応(0) | 05:09

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2024-07-06

anond:20240702133410

ブコメまで読んでないけど私も信仰心まっっったくない宗教3世だよ。

元増田と違うのは両親も信仰心がないこと、宗教コミュニティがないこと。

でも家には宗教会報(お金を払っている)(信者である祖母が)が届く。たまにコミュニティの人が何かの集まりのお知らせをポスト投函していく。

辞めるのが難しいのはとてもわかる。宗教関連のコミュニティがなく、その宗教ひとつアイデンティティを感じていない私でも難しい。

難しい理由は、その会報をやめると地域の取りまとめ?からむちゃくちゃ詰問されたりするらしいという噂を耳にしたから。寝た子を起こす理論というか、今まで凪いでいた環境に波風を立てて今更団体のヤバさに巻き込まれるのが怖すぎる。

もうひとつは辞め方がわからない。関わりがないからききようもない。調べても辞め方は確立されておらず、宣言自分の強い気持ち、みたいなことが書いてあった。もともと献金勧誘活動、集まり?にも参加していない我々にとって、辞めて態度でしめすってなに?ってかんじなのだ

それと何よりもその宗教を心の拠り所にしている祖母にショックを与えたくない。祖母は10年以内に死ぬだろうし、それからでも遅くはないって思ってる。

自分語りが長くなった。

元増田に対して信仰心を感じるという件の一つに宗教アイデンティティを感じているという点。アイデンティティではないが、祖母がずっと信じ、他害などせず、心の拠り所にしているものを、深く宗教のことを知らずにネット情報だけを見た人から否定されるのは残念というか腹立たしく感じる。

でも実際この宗教に吸い尽くされたり被害に遭ったりした人がいるのも事実で、難しいなと思う。

私は思い入れがないし、実家のあった土地を離れて周囲に知り合いのいない場所一人暮らしをしているので、祖母が亡くなったらたぶん脱会すると思う。

両親は今の土地にいる限り脱会できないだろうと思う。毎日宗教の人からピンポンきたりしたら嫌じゃん。

宗教ってやっぱり悪いイメージだけど、簡単じゃないのわかるよって話。でした

Permalink |記事への反応(0) | 09:52

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2024-04-18

anond:20240418093615

やっぱやめた方がいいんだ

こういうシチュエーション寝た子を起こす以外の方法でどういう対処法がある?

Permalink |記事への反応(2) | 09:41

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2024-02-27

独身者はすでに独身税を払っている

※本稿は再投稿である。再投稿は甘え……なのだが、いまだにここに書いてあることは世間にさっぱり伝わっていないので、改めて投稿する。「独身税取れよ」などと言い出す馬鹿がいなくなるまで、今後も何度も投稿するつもりだ。

独身者あるいは子を持っていない人間に対して、独身税・子無税というべき税を課すべきという提言が後を絶たない。

しかし、よくよく考えてほしいのだが、すでに独身者独身税・小無税を徴収されている。そんなはずねーよ、と思うかもしれないが、払っている。

大抵の大人所得税を払っている(天引きされている)。買い物すれば消費税徴収される。ほかに自動車重量税やら酒税やらたばこ税やらなんやらといった各種税金。それらの税金には独身税が含まれている。

なぜなら、徴収したそれら税金の使途に独身者には直接の恩恵がない、教育子育て予算が多分に含まれいるからだ。

具体的にいえば学校運営費教員給与子育て支援費、産婦人科小児科医療費教育に関する費用給食負担、などなどである

まり独身者普通に生きているだけで、がんがん独身税を取られているのである

別にそれらを払うのが嫌だと言っているわけではない。社会を維持していくのに必要負担だと思うし、むしろ日本教育関連に金を使わなすぎだと思う。

ただ、ここで言いたいのはそういった是非の問題ではなく、独身税は大昔から(それこそ税金というものがこの世界にできたこから)取られているという、その事実である

もしも独身者に対する懲罰的な税を増やしたいというのなら、税金の使い道における教育子育て関連の支出割合を増やせばいいだけだ。

それで独身者にとっては独身税増税になる。それでも足りないなら所得税消費税率を上げればいい(もちろん不愉快だが)。

独身税取れ」と言っている人は自分がすでに独身税を払っていることに気づいていない、ある意味幸せな人である。また、独身税を取られていることに気づいている独身者も、現状、それを取られていることに対して特に不満の声をあげていない。

このような現状にもかかわらず、ここで新たに「独身税」のような名目の税を創設すると、藪蛇というか寝た子を起こすというか、議論が噴出し、かえって独身税スムーズ徴収ができなくなるのではないだろうか。

Permalink |記事への反応(1) | 11:53

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2023-09-16

[増田保存部]柴田道子被差別部落生活伝承 (ちくま文庫)を読んだ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210810181919

https://web.archive.org/web/20210810225700/https://anond.hatelabo.jp/20210810181919

原著刊行は71年、当時の部落解放同盟書記長中山氏とともに長野県内の被差別部落の古老たちを訪れて聞きとり調査したもので、現代よりずっと差別苛烈で激しかった時代大正デモクラシーの波にのった解放運動記憶もまだ生々しく覚えている人が多く、本当に大変貴重な証言ばかりだった。

(まず基礎知識ですけど、部落をよく知らない人はなんとなくイメージで、関西しか無い、関東関係ないと漠然と思っている人が多いみたいですが(私もそうでした)葬儀処刑人農村で使ってる牛馬の解体処理など死に関わる仕事(ケガレ仕事)全般を請け負っているので、基本的にどこにでもある(最北端は旧松前藩あたり、最南端奄美大島らしい)。私も北海道には存在しないと思っていたが間違いのようです)(被差別部落の中でも同和事業を適用される同和指定地区をうけなかった地区も多いのがこのような認識を生んだ理由でしょうか)

この本はまず信仰の話から始まるんだけど極貧の生活のためか日頃より信仰心が篤いのに死んだら畜生と同じ埋葬方法で墓が作られても墓地北側の日のあたんねえ所とか、雑で差別的な戒名つけられたり、それでも檀代は一般(部落外)より高い額ふんだくられてたりもうさんざんで、序盤からひどい話ばっかりなんだけどこのあともひどすぎてこれがジャブ程度に思えてくる。長野といえば教育県を掲げているけど部落民は一般と同じ学校に行かせてもらえない、行かせてもらえても徹底的なイジメが待っている、教師すら[チョオリッポをチョオリッポと呼んで何が悪い]と差別に荷担する。さら生活苦ゆえに家の仕事を手伝わなくてはいけないといった理由も加わってまともに学校通った人の方が珍しくて、聞き取り対象の老人のなかにはいまだに文盲の者も少なくない。それから公衆浴場も別々で回り風呂といって運搬が可能なお風呂部落じゅうを回ったりしてたらしい。ケガレ仕事だけでなく、今でいう巡査牢屋の見張りのような危険仕事押し付けられたり、農家の手が足りないときだけ日雇い従事したり季節労働をやったり等収入が安定しない..

もう要するに公権力が徹底的にそうやって差をつけている。また、同じ人間であると思わせないためか、部落民は睾丸が四つある、あばらが足りない、血の色が違うなどいわれのない身体的特徴をでっちあげられてそれを理由侮蔑される。今でこそ誰もが馬鹿馬鹿しいとわかるけどこんなことが真剣に信じられていたんである

それから今でこそ同和事業で部落インフラが整備されて、見かけは一般と変わらない町並みになり、住民流出流入が容易になり、その結果元々部落だったと知らずに引っ越してきてずっと知らない人などたくさんいるけど、明治の末ごろの話だけど比較的裕福だった部落の老人が一般大通りに家を建てたら村じゅう大騒ぎになって、

村役場が主導して執拗嫌がらせを開始。果ては物理的に家ぶっ壊されて(!)老人は訴訟をするけど村役場殺し屋差し向けてきたり費用問題などで訴訟断念するしか無かったらしい。役人殺し屋を雇う???????????????????????

?????????????????

明治といえばその初頭に四民平等令、部落解放令がやっと出た時代なのに..この解放令ってやつもうほっとんど意味なくて、差別は続いて、でも以前は免除されていた税金一般と同じように徴収されるようになっていっそう生活が苦しくなっただけらしい..てかまじ、体制側が一市民殺し屋差し向けてくるとかまるでフィクションの話みたいであまりに信じがたくてここ読んだとき一日くらいずっとポカーンとしてた。殺し屋て…殺し屋て..明治の末とかって歴史からみたらほとんど最近じゃん最近の話じゃねえか ひでえやばすぎる。どーなってんのよ

どこそこの地域部落みたいな程度の浅い知識ならネットでちょこっと調べれば出てくるけど、こういう具体的な差別事例ってこんなふうに本でも読んで能動的に調べないとわからないんだよね、、まぁこういう時代からは随分ましになったとはいえいまだに部落の人にたいして暴言吐く人、差別する人はゼロにはなってなくて、全然過去問題じゃないんですけど、同じ部落の人のなかでも[部落問題を知ってほしい][寝た子を起こさないでほしい、学校なんかで教えるから差別再生産されるんだ][もう差別なんかないんだからほっとくべきだ]とさまざまに意見が分かれていて人間から当然と思う。

でも悲惨歴史にふたをして忘却してしまうと過去の人々の苦しみまで無かったことになってしまわないか?というのと、現代人間過去から教訓を得られなくなってしまう、それと苦しみだけでなく部落にも豊かな文化生活があり、(著者は部落文化遺産と呼んでいたが)文化のものも葬られてしまう。そういう理由から現在の、部落の[ぶ]の字すら言ってはいけないようなタブー空気はいやだなと思うので積極的に気軽に部落の話をするようにしてる。

でも後述するけどこのタブー化が差別の緩和に繋がったわけで、でもそれを加味してもやはりもうそろそろタブ一の段階は終わっていいだろうと思う。

私は部落民ではない女性なんで女性差別しか興味がありません。主にどうして被差別部落がここまで差別を打破できたかの部分に興味があって調べておりその歴史女性差別に対抗するすべを学べないかとそう思い何年も前からあれこれ勉強しています

はっきり申し上げておきます部落差別より女性差別のほうがひどい。上記にあげたような苛烈差別事例を知った上で言うことです。その理由ひとつに無徴の存在である部落民に対して女性は有徴の存在であり、部落差別から逃げるために素性を知られてない遠方に引っ越すという手段もあり実際多くの人がそうしていたようですが、女性女性であることから逃げる手段自殺しかありません。

(当然、無徴ゆえにだれも[被差別部落][部落民]とはなんなのかをはっきりと定義できないゆえに権力側に恣意的身分を決められていた歴史もあるでしょう。それも知っています。でも、なお..なのです。ちなみに、部落民とは一般先祖ルーツが違う別人種なのではと思う人もいるでしょうが一般人でも部落民になったりするし、どうもそのへんあいまいというかはっきりしていないようです。本書には、とある部落民にむかって自分たち先祖が同じだ]と言った一般民がいたという証言もあります差別根拠など全くないのです。さらに言うなら死にまつわる仕事ケガレというのも恐らく権力恣意的に決めたことがし、ケガレ仕事ではない、たとえば内職などしかしない部落民も沢山あってケガレともイコールで結びつかないのです。)現在進行形でさ女は毎日女ってだけでなぐられ殺され犯されおとしめられてんだよ

から一歩出るだけで醜いおっさんジーロジロ品定めここから逃げる手段ないんすよ

公権力が女の味方してくれたことないんすよ

女性参政権だってGHQ鶴の一声であって日本の男はんなもん女に与えてくれたこと無いんですわ

すいません話それました!

国を動かしての解放令発布でもやむことがなかった差別現在ここまで緩和されもはや部落問題を全く知らない人も多くなった、その主たる理由はやはり水平社(のちの部落解放同盟)の強硬な、時には暴力的闘争姿勢によるものだったのではと思います。著者の柴田いわく、長野のなかでも東信地方は寒風が吹きつけてひどく底冷えがする地域で、昔から気骨のある男、気性の荒い男が多く、それが東信で水平運動がさかんだった理由ではないか分析しています。逆に寒さがゆるやかな地域では[寝た子を起こすな]の論調が強かったり水平社よりも穏健だった同仁会がさかんだったらしい。でも同仁会も交渉の場では「水平社の連中よぶぞ]が殺し文句だったらしく虎の威を借りてたとか..そして水平社と同仁会、歴史に名を残したのはどちらかというともうこれは言うまでもありません。ふだんから竹槍の戦闘訓練も行い、武力闘争も召さなかった水平運動こそ歴史を変えた。彼らが起こした暴力事件の仔細はネットでも簡単に読めます部落民は乱暴だ、奴らは犯罪者だといった風評も辞さない徹底的な闘争で、部落は怒らせると怖いと、部落がなんなのかよく知らない人すら何となく感じて、アンタッチャブル話題だと感じる。タブーだと思う。その空気を牽引したのがテレビマスメディアの徹底的な自主規制でしょう。部落解放同盟にらまれたら厄介だという理由で前述のように部落のぶの字も出さない、触らぬ神にたたりなし。先日もエタヒニンと発音しただけのアイドル活動自粛に追い込まれたけどそういう過剰なまでの自主規制が、差別存在のものを透明化した。長い間メディアは頼まれてもないのに四本指の表現すら自主規制していた。

そのような、暴力脅迫で勝ち取った自由歴史勉強していると、心底彼らがうらやましく、やっぱり権力もなにもあてにならずとにかく徹底的に相手に恐怖という根源的感情を植え付けて支配するしか対抗の方法は無いのかなと思ってしまう。なんだかわからないけど女性差別問題は怖いから少しでもセクハラと誤解される表現自主規制しよう、万が一表に出てしまったら即座に責任者の首とばそう、そんなふうになってくれたらいいのにと夢見て泣きそうになります

しかしながら水平運動に加わった男たちがそこまで暴れることができたのも男という性別ゆえかなと、同時に諦念を抱きます

女はやさしさや思いやりといった(あえて言いますが)宿病をかかえています。それは先天的ものか、それとも後天的ものか、両方だろうか?とにかくフェミニスト自称する人たちすら、女性は優しくなければ、人の気持ちが分からなくてはという教条に縛られているので、そういう人たちと肩を並べて武力闘争可能かどうかはあやしいものです。ねえ、やりすぎは良くないよやめよう、とお目目ウルウルのいい子ちゃんが必ずまざってしまい男たちはそのすきをついてくる気しかしません..

この本書のなかにはある村の一般村長が出てきます。彼は比較リベラルで、部落の子でも学校入学できるようはからったとのこと。そのせいで彼は妻の実家の敷居をまたぐことを拒否されるなど反発され、水平社の者も彼のそのような行いを知っててもそれでもダメな所は徹底的に糾弾したので、「両方から突き上げ食らってもうさんざんだ]といったことを自嘲してるんですけど女性たちも同じように全く糾弾の手を緩めないってことが可能かと考えると難しい。

男の攻撃性が本当にうらやましくなります

痴漢の手に安全ピンぶっさそうという(本来痴漢は殺されてもいいくらなのだから穏当すぎるくらいなのに)呼び掛けにすらいい子ぶりっこがそういうのよくないよとたしなめるしまつ。

繰り返すけど殺されてもいいのに。

やさしさというのは女たちが生まれつき体に埋め込まれた起爆装置なのだろうか?差別に抗戦しようとした瞬間、それは作動し、女の体は爆発四散するのでしょうか?

この本の巻末、作者の生前の夫だった人による復刊によせての解説言及されてた2014年長野県連続差別事件やばい部落民の女性に対して、真ん前に引っ越してきた男が差別語連発で罵倒するのをやめない。裁判所から禁止令が出てもやめない。逮捕されても執行猶予で、けっきょく彼が万引きという別件で再逮捕され収監されるまでの2年間なにも解決しなかったそうです。

昔も今も権力なんてなんのあてにもならないどころか被差別階級にとっては敵でしかないんじゃないのとますます不信感がつのます2014年とか最近じゃん昨日じゃんか

みんな本気で、ハッシュタグ(笑)だのツイッターデモ(笑)なんかで女の現状が救われるとおもってんのかな..こんなのなんにもならんってうすうす気づいてるんじゃないかな。男に殺される女が一人でも減るかそんなんでって思う。やってる感だけ得られたらいいんすか? けっきょくレベルを上げて物理で殴るしか無いんじゃないのか。それもわたし一人がやったところで社会的インパクトいか組織だってやるしかないけど、以下ループ

水平運動の男たちは献身的に支えてくれる妻がいてそれで運動なりたってた部分でかいと思うけど女には妻おらんのですよな~

暴力ができないならせめて男がみんな自分に正直にホモ願望を解放してホモセックスし、抑圧している内的女性現実女性投影するのをやめればミソジニー無くなって平和になると思うんですけど、でこう書けばホモ差別語だから差別はいけませんとかほざくぶりっこフェミニズム邪魔をしてくるのでもうどうしようも無いです!バーカ!ちんこ

それで思い出したけど水平社=部落解放同盟は徹底したシングルイシュー在日朝鮮人差別して反省しなかったり、男と女で日当に差をつけて差別してたという話も聞きますイシューを抱え込まないことがやはり運動成功秘訣ひとつであったのかと感じます女性女性というだけでやはりシングルイシューはいけないといった脅迫をされます。色々な差別問題に敏感ではなければいけないような圧力にかかって、あらゆる差別に眉をひそめなきゃなんないあの感じ、全ての弱者のために涙しなきゃいけないような義務感、女だから聖母を求められてるんですよね。それもバー死ねでございます女性差別以外知ったこっちゃねーでいいんだお

ところでこの本の作者柴田道子は童話作家部落民じゃない一般です。長野市に引っ越してきて被差別部落接触し、興味を持ち、この本を上梓したあとは狭山事件被告サポートに尽力、当該事件の本を執筆わずか41歳の若さで急死したとか。

解説文でだんなさんが男社会のなかで女性としてうけていた差別があったか部落問題に熱心だったのでは的なことかいとるけどんじゃー女性差別問題に集中すればよかったのでは、女なら自分当事者である女性差別問題に注力すればいいのに、しろよと思ったし、そうすべきだろがいすら思うんだが、そういった、正しくない女柴田の正しくない思いで発刊された、正しくない存在である力作のこの本によって後世の人間である私が歴史を知ることができたわけで、そしてこれは間違いなく後世に保存し読みつがれるべき大名著なんです!!!何が正しいか間違っているのか、どう思うべきか、どう行動すべきかって本当は一切なにもないのかもしれない。なのでフェミニストならこうすべきだ、こう思うべきだ、こう感じるべきだみたいな考えに固執している人はちょっと考え直したほうがいいな、正しいか間違ってるかなんて時代によって基準がぐにゃんぐにゃんで明日にでも真逆になるけど、なんか結果だけ見て、他人ジャッジしてもシャーナイつか、結局ね、なにかにかい真剣にがんばったりさえして、懸命に生きさえすれば、それはもう…だれにも、文句は..まあいいや

Permalink |記事への反応(12) | 19:52

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2022-12-14

anond:20221214214909

寝た子を起こす内乱始めるヤバい民族だってこと

Permalink |記事への反応(0) | 21:56

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日本人ってなんでこんなに自国黒歴史ナイーブなの?

ハリウッド映画ではベトナム戦争イラク戦争などの自国侵略戦争批判定番の題材だし、政治色の薄い作品でさえ政党政治批判は当たり前に出てくる。

アジアに目を向けると韓国でも光州事件などの自国黒歴史はよく題材にされてる。

他方、日本戦争を題材にすると決まって被害者意識を炸裂させた「戦争悲惨です」みたいな一般的なことしかわず責任の話は避けたがる。

最近では水俣病を扱ったハリウッド映画が「寝た子を起こすな」と主張する日本人によってバッシングされた。

なぜ、日本人はこれほどナイーブお気持ち民族なのか?

Permalink |記事への反応(1) | 21:49

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2022-11-28

anond:20221128082558

よくわかんないんだけど「寝た子を起こす奴が悪い」って言いたいの?

これからマイナー批判が出てくるたびに同じこと言って批判を封じていいの?

Permalink |記事への反応(0) | 11:53

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2022-10-11

anond:20221011195221

そういうのを「臭いものに蓋」「寝た子を起こすな」って言うんですよねわかります

Permalink |記事への反応(1) | 20:20

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2022-10-09

anond:20221008200247

未成年性的に見てはいけない?なぜ?

いや、大人未成年性的に見てはいけない、というのはわかるよ

でも、ジャンプの読者は少年であり、未成年だろ?

未成年である読者が同世代未成年者を性的に見るのは別に何ら全く問題ないことだろ

しか大人未成年の性行為犯罪

しか未成年同士の性行為合法なんだ

しかバストサイズなんて性的事柄の中ではめちゃくちゃソフトな部類のもの

そんなものまで規制しようと考えるのは一昔前の「寝た子を起こす理論」を唱える時代遅れPTAおばさんや、性的なことをすぐにサタンだのなんだの言ってのけるカルト統一教会の連中と同じだよ

Permalink |記事への反応(2) | 20:54

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2022-09-27

anond:20220926233613

ええと、俺たち普段寝た子を起こすな論」を批判してたっけ?

Permalink |記事への反応(0) | 01:45

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2022-09-26

人権意識が低すぎて情けなくて泣けてきた

anond:20220925070904

話が明後日の方向に飛んでてビックリした。盤外戦の話を俺に向けるな。

身長で選ぶことを俺は何一つ否定してないんだよな。なんで身長で選ぶのは許されて部落出身かどうかで選ぶのは許されないのかと聞いてるだけで。

まあとりあえず

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220924173730

特定集団に対する一方的評価を、その集団に属するとした特定個人に対して、機械的に当てはめるという不当な過程により、当該個人権利利益侵害するのが差別なので、それで考えて

部落差別身長の高低の違いは、部落差別実態のないニセの差異であるということ。現実には何も差異などないのに、部落出身に何かあるかのように思い込ませ、差異に基づく差別正当化しているのが部落差別

何をもって差別差別じゃないか決まるのかという知りたかたことについて100文字で丁寧にまとめていただきありがとうございます

なぜ部落出身かどうかを選択する基準にするのかということを掘り下げれば自ずと判断できるということと理解しました。

本題

勘違いしてるけど、差別はしてもいいんだよ

差別はみんな普通にしてるけど、個人の中で完結している話なら何も問題ないです

個人の中で完結していようが許されない差別はしてはダメなんですよ。現に苦しんでる方がいるんだから公募制という0か100かみたいな極論持ち出して全て一般化するのは端的に詭弁です。

部落差別実態に係る調査結果報告書

https://www.moj.go.jp/content/001327359.pdf

これを見ればわかりますけどいまだに結婚交際について10%くらいの人が差別被害を受けてるんですよ。家族からの反対だけだと思います

同じ報告書の中にありますけど

交際相手結婚相手(問13)については,「気にならない」(57.7%),「わからない」(25.4%),「気になる」(15.8%)などの順となっており,近隣住民(問12)や後述の求人に対する応募者,職場の同僚(問14)についての質問比較して「気になる」と答えた人の割合が高くなっている。

「気になる」の割合近畿中国四国で20%を超えるなど高くなっている一方,北海道東北では10%を下回っている。また,年齢別では,30歳代以下では「気にならない」の割合が70%以上であるのに対し,60歳代以上ではその割合が40%から50%程度にとどまるなど,年代によって認識に相当の差異が見られる(図20,表4-20)。

このように自分自身でも気になるって言ってる人が15%いるんですよ。30代以下は10%、20代以下は8%ですからまあ減ってきていますけど。

ともあれ家族からの反対だけじゃなく個人選択として差別を受けていることが示唆されるのはわかりますね。

これを踏まえた上で。ブコメトラバも見るに堪えないんですけど個人選択であれば部落差別差別ではない、もしくは許されるって本気で書いてます

いや確かにあえて交際と書きましたよ? 結婚と書くとより教科書的で部落差別と容易に結びつくので、家と家の関係が薄い交際しました。

ただ部落出身の方々が結婚のような個人選択で苦しめられたときに、家と家の関係とはまったく別に交際相手から無碍にされた事例なんていくらでもあるでしょう?

それに対してそれは差別じゃないんだ、あなた部落に生まれたからそれを理由相手と別れるのは仕方ないことなんだって言うんです? すげえなお前ら。日本部落問題の解消に尽力してきた方々が泣くぞ。

個人自然感情による選択の積み重ねが差別になりうるなんて当たり前のこと言わなきゃダメですか?

あなた普段は「寝た子を起こすな論」批判してますよね? だから当然あれほど典型的差別問題100人が100人差別判断すると思ったんですよね。人権問題の何を勉強して寝た子を起こすな論批判してるんですか?

なんであなた方はLGBTQのような新しい差別問題には敏感なのに同和問題のような古い差別問題には異常なまでに鈍感なんですか?

人権啓発動画「『誰か』のこと じゃない。」部落差別同和問題)編

https://www.youtube.com/watch?v=FEi60hJei5U

人権啓発ビデオ 人権アーカイブシリーズ同和問題 未来に向けて」

https://www.youtube.com/watch?v=TqRMVdVtoss

初歩的なところですがこの動画でも見てください。

この動画では結婚したい子が親に反対されるという構図ですが、これが例えば子供から相手が同和出身から別れたいって相談されたらどうしますか?

個人選択なんだから差別だけどそれでいいよって言うんですか? 親が個人選択に介入するのはグレーだから窘めないんですか?

まともな人間はそれは差別から許されないって言うんですよ。言わなきゃダメなんですよ。

個人選択は全て差別にならないわけではありません。当たり前ですが差別的な基準を元に行った行動は個人選択だろうが差別です。

個人がその選択したことが新たに差別的な環境を生みかねないんですから、繰り返し繰り返しその選択差別だと非難し続けなければいけないんです。

部落出身者だから付き合わないという判断個人選択なら構わないなんてのは「寝た子を起こすな論」と変わりません。差別差別じゃないと見て見ぬふりしてるだけです。

部落出身から別れるという理由が内心に留まるのであれば差別だとしても判断できないっていうのはそれはそう。でもこの場合内心に留まらず行動に移してるけどわからないだけでは……?

そういう内心を生む環境自体差別的なんだから思考実験の回答としては「外見的にわからないかもしれないけど、そういった判断をすることは差別で許されない」と言うべきでは。

追記

部落差別身長の高低の違いは、部落差別実態のないニセの差異であるということ。現実には何も差異などないのに、部落出身に何かあるかのように思い込ませ、差異に基づく差別正当化しているのが部落差別

一番最初引用したのもう一度引用しますけど部落差別は何も差異がないのにあるかのように思い込ませているのが問題なんですよ。

人種性別身長等々現実差異があるものと一緒にしてこれも許されてしまうあれも許されてしまうというのは詭弁ですよね。

部落出身であることを理由にって言っているのにそれ以外の理由で別れたりするのも差別なのとか交際を迫るとか言っているのも。

Permalink |記事への反応(28) | 23:36

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2022-07-24

anond:20220721111925

子供性教育をいつからやるかに帰着すると思う。

幼稚園くらいから始めているところがある一方で、寝た子を起こすみたいな感じで教えずに大人にするというケースもあると思う。

後者には、子供勝手無謬性を期待し、性教育なんてセックスの仕方を教えるようなものからするべきではないみたいな場合もある。

増田が指摘する通り、子供に性欲がないというのは、障がい者、老人など保護されるべき対象全般に性欲がないのと同じくらい周囲が勝手に思い込んでいることだと思う。

そんなあり得ない前提を妄信して作ったシステム自体があり得ないと思う。

子供場合支配欲か性欲かの前に、知らないからそれが問題行為だと認識できない、認識できないから遊びとしてやってしまうというのがあると思う。

それを大人咎められても本人たちは何を咎められているのか理解できないだろう。

やめたところで「なんかわからん大人ががみがみ言うからやめる」みたいな感じではないだろうか。

ちなみに、問題問題として理解させるために、幼児のころから性教育を始めることに自分肯定的だ。

セックスの仕方を教えるは完全なる誤解で、プライベートゾーン大事なところだから他人のを見たり触ったりしないし、自分のを見せたり触らせたりしないから始めるものだと思う。

Permalink |記事への反応(0) | 07:57

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2022-07-12

無敵の人カルト宗教押し付けることで臭い物に蓋をしていたのにいまさら批判しやがって

どれだれ潜んでるかも分からない無敵の人と戦う覚悟があるのか?

俺はそんな覚悟ないぞ

寝た子を起こす

Permalink |記事への反応(0) | 12:40

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2022-06-13

anond:20220613124222

そりゃ性教育がなくてミソジニーの国だから

学校にまともな性教育人権教育をさせる法案を潰したのは、寝た子を起こす自然に分かるで有名な安倍晋三男女差別是正法案が潰されまくったのは安倍晋三のせい。1990年代のことだ

安倍晋三選挙で選んでしまった国民のせいだよ

日本はそこで止まってるからカルチャーが大体他の先進国の30〜50年前に近いんだよね

他の国のおじいさんの世代みたい

Permalink |記事への反応(0) | 12:45

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2021-10-08

anond:20211008192325

寝た子を起こすなよ…性教育と同じ

いのち教育逆効果だったし

Permalink |記事への反応(0) | 19:25

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2021-07-20

anond:20210720110843

寝た子を起こすな」の詭弁

差別主義者の言い分はいつも一緒だな

Permalink |記事への反応(2) | 11:10

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2021-06-13

俺って被爆4世らしい

タイトル通り。俺は被爆4世らしい。ついこの前、唐突に親からそう告げられた。

親曰く、戦争に行ってたひいじいちゃんが負傷かなんかで帰国して長崎市内にいたとき被爆したとのこと。終戦後には原爆手帳も貰ったらしい。

そのあと被爆2世であるじいちゃんが生まれ被爆3世である親父が生まれ、親父の息子である俺はもちろん被爆4世

そんな内容を突然言われた俺は多分すごい間抜けな顔をしてたと思う。

広島原爆漫画はあるけど長崎原爆漫画って聞かないな~って思いながら「そうだったんだ。。へ~」って我ながらアホみたいな返事しかできなかった。

親も別に真剣ってムードでもなく話のついでって感じで「ってことだからね~」って軽くこの話は終わった。

しばらくは全然飲み込めないというか、全くの他人事のようにしか思えなかった。

自分でも怖いくらい何も感じなかった。福山雅治被爆2世って知った時の方がよっぽど驚いた。

ただ、そのときは「突然こんなこと言われて混乱してるんだろう。じきに実感がわいてくる」なんて思ってた。

だけど、数日たっても、1週間たっても、1か月経っても実感は湧いてこない。

それでなんでだろうと思ってちょっと考えたけど、そもそも実感なんか湧きようがないことに気が付いた。

被爆1世にあたるひいじいちゃんはとっくの昔に死んでる。被爆2世にあたるじいちゃんはまだ生きてるけど、そんな話は一度もしてきてない。

原爆なんて80年近く前のことだ。歴史としては知っているけど、教科書資料館の中の話でしかない。

身も蓋もないけど要するに「知ったこっちゃねえ」ってことだ。

だんだんと、そんな話をしてきた親に腹が立ってきた。

そもそも被爆4世だなんて教える必要があったのか、知らなくてもなんの問題もないじゃん。

寝た子を起こすな的な考えが常に正しいとは思ってないけども。

多分だけど、実際に親から知らされず、自分がn世って知らないまま過ごしている人も結構いると思う。

被爆1世2世結婚就職差別されてきたらしい。もしかしたら今でもそれは残っているかもしれない。

実際に差別を受けた人たちが自分の子供を想って事実を知らせないことは何も悪いことじゃないと思う。

まあでも、物事ってのはこうやって薄まってくのかなって思った。

Permalink |記事への反応(3) | 23:00

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2021-06-09

匿名でない空間は風通しが悪い

掲示板世界ではかつて匿名が主流だったことに対する反動してワッチョイという仕組みが導入されたり強制生IDの仕組みが検討されたりしています

私はそういう流れについては否定的です。

私はニコニコ大百科付属している「語るスレ」という掲示板によく書き込みます。そこは日付が変わってもIDは変わりません。

通りすがり、少しでも板の常連にとって気に食わない書き込みをしてしまったとします。

趣味嗜好や行動パターン一定なら、また月日が経って、過去自分がその板に書き込んでいたことも忘れてしまった頃に、無意識に同じ板を訪れるということもありえることでしょう。そして前とは全く別のことを書き込むとします。

すると何か月も前の書き込みコピペしてきて「アンチのID:○○だろ。まだいたの?」みたいなレスが返ってくるのです。実体験です。

今度は内容自体は波風立てるようなものではなかったはずなのに、IDによって本人も忘れている過去言動とひもづけられ、共々否定されるのです。

IDが固定でなかったら、今度は打ち解けていたかもしれないのに、そうでないために、関係性がリセットされないわけです。

これは弊害しか思えません。寝た子を起こすようなことをして何になるのでしょう。その度にある種の構図が復元され、同じようなレスで延々と掲示板が埋まっていくことになります。その構図とは無関係な内容(しかスレ違いではない)を新規の人が書き込むのに躊躇させられるというデメリットもあります。つまり掲示板の風通しが悪くなっていくのです。

そもそもずっと考え方が一貫している人などいるのでしょうか。そうでないのは矛盾していることになるのでしょうか?

一度と敵とみなされるような考え方を発表したら、敵であり続けなければならないというのでしょうか?

どのIDが敵であるとしてずっと根に持っているのも疑問です。たかだか掲示板内での現象にこれほどの記憶力を発揮するというのは、それほどにまで掲示板中心に生活が回っているのかというか、なんというか。ちょっと異常と言わざるをえません。

しかしそういう人がいるのは事実なのですから、やはりID固定制などはよくないと思います

匿名でなくす方が荒らしにとって掲示板を荒らす心理的ハードルが上がるという意見がありますが、その効果は低いと私は思います

別に実名や住所を公開させられるわけでもない、IDが固定されているというだけのことで荒らしが躊躇するとは思えません。

なりすましが減るという意見もありますが、IDが変わるに乗じて取り立てて別人を装うようなことをする荒らしは少ないと思います自己顕示欲のために荒らす場合が多いのにわざわざ別人格を演じる必要はないのです。

それよりもなによりも、IDが固定しているようなことによるデメリットの方が大きいと思うのです。それは場を閉鎖的にします。

Permalink |記事への反応(0) | 12:20

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