
はてなキーワード:家庭内暴力とは
精神科の先生は家庭内暴力の大半の両親は暴力振るってないし、何もしてないとかいうけど、マジか!?
仮に暴力は振るってないにしても、金切り声とか火力の強い言葉は割と使ってるような気がするけど、どーなんだろう…
あと、家庭内暴力の被害に遭ってる両親、子供の表情とか正しく読めてないし、子供の指摘をガン無視して、謝らない傾向もあるように思う。
母親「間違って出すべきでない日に缶の袋出しちゃった」
俺「前日ぐらい大丈夫でしょ?」
俺「(苦笑いしながら)戸建てはご近所ガチャがあるからなぁ…」
母親「(なぜか誤解して)茶化してるんじゃないんだよ!」
俺「茶化してないよ」
母親「口答えするな」
俺「ふざけるなよ!」
俺「リスパダール飲んでなかったら、殴り殺したくなるんだけど!」
母親「褒めてほしいと思ってるの!」
俺「思ってない。そういう金切り声出してると、いい加減、首絞めたくなるんだけど」
1.心理・心の影響
長期的な虐待やいじめは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)や慢性的な不安、抑うつを引き起こす可能性が高いです。
自尊心の低下、対人関係の不信感、人との距離感の問題などが成人後も残ることがあります。
一方で、心理療法や支援者との出会いで回復する人もいます。サポート次第で大きく変わる分野です。
幼少期〜思春期のトラウマは、就職・学業・人間関係に影響しやすいです。
大人になってからも「人に心を開けない」「職場での衝突や過剰な自己防衛」といった課題が残ることがあります。
しかし、強靭な回復力やスキルを身につけることで、普通に社会で活躍する人もいます。
3.健康面
長期的なストレスや虐待は、身体的健康にも影響します(免疫力低下、睡眠障害、消化器系の不調など)。
精神と身体は連動しているため、ケアが遅れると慢性疾患につながることがあります。
30歳過ぎであっても、心理療法(認知行動療法やEMDRなど)、カウンセリング、信頼できる人間関係の形成で回復や自己肯定感の改善は十分可能です。
逆に、支援がなくトラウマを放置すると、対人関係の問題、依存症、引きこもり、感情コントロールの困難などが長期化することもあります。
一般論として、30歳過ぎていまだにトラウマを抱えたまま苦しんでいる人もいれば、心理支援や学びの経験を通して過去を乗り越え、自立して生活している人もいるという二極化が多いです。
特に黒人として日本で育った場合、社会的偏見も加わるので、回復には自己肯定感を高める環境や国際的なネットワークが重要になります。
高い家電とか勘弁してくれ
思春期で壁を殴ってボコボコ穴を開けまくる男子中学生の話を聞くけど
幼少期ただでさえ、モノ壊してるんだから小学校高学年くらいになったらそのへん学習して無闇矢鱈にものを壊さないでほしい
子供がコンビニで外国のお菓子を欲しがって、初めて買うものだったけどそれがクソマズで捨てることになり、我が子は「食べたことのないものだったし、それがおいしくないって知らなかったんだから私が食べれなくて、結果そのお菓子を捨てることになったって仕方ないでしょ」って言ってました
うん、けっこう高いお菓子だったんだけどね⋯まさに金ドブ
上の文章は長子の話だけど
まだしゃべれない下の子は下の子で、せっかく買った食べ物も外で下に放り捨てたりして!お金が無駄になってしまったり
子無しだったら、家電を子供に壊されることもなく、こういう無駄な出費が一切ない
私の父はネットで見かける「弱男」だ。
冴えない見た目、仕事はできない、ぼっち、マザコン、そしておそらく発達障害。誰がどう見てもアスペルガー。私を含む子供三人に遺伝している。
真面目だが価値観がおかしいようで、家庭内暴力は当たり前だった。暴力=躾の一環と思っていたらしく、毎日怒鳴りながら殴ってきた。
母に何故あんな弱男と結婚したのか尋ねた。母は「なんでだろうね」と誤魔化していた。
弱男の父がおかしいと思っていたが、最近は母がおかしい気がしてきた。
母は別にメンタルに問題があるわけではない。健常者で友人も多い。おまけに若い頃は美人でスタイルも良かった。
そんな人が何故弱男と結婚したのか?
母が唯一頑なに言うのは「恋愛ではなかった」
じゃあ何だ? 金か? だが母は仕事ができる女で親の遺産もあった。
最近「弱男」の話を見てよく考える。「弱男」は誰にも相手にされないせいか、推しに貢いだり信者になることが多々あるそうだ。
ならば父は母の信者だったのでは?
父は母のことが大好きらしい。私たちきょうだいがまだ小学生の時に「お母さんに迷惑をかけるな」とよく殴ってきた。テーブルに米粒を落としただけで「お母さんに謝れ」と怒り狂っていた。
本当に盲目的に母を愛していた。
母は「弱男」という「信者」と結婚し、母を喜ばせるために何でもする信者が好きだった?
何そのホラー。
だがこれが正解な気がする。何年も父と母を見てきたからこそ、私には分かる。
母の誤算は、三人の子供たちを父が信仰しなかったことだ。父にとって信仰対象は母のみで、子供たちは母の付属品だった。
私は父と似たような弱男には近寄りたくない。そんな弱男と仲良くしている女もちょっと無理だ。
私はもう両親と接することは諦めた。
父のことも母のことも、ただ怖い。
私の父はネットで見かける「弱男」だ。
冴えない見た目、仕事はできない、ぼっち、マザコン、そしておそらく発達障害。誰がどう見てもアスペルガー。私を含む子供三人に遺伝している。
真面目だが価値観がおかしいようで、家庭内暴力は当たり前だった。暴力=躾の一環と思っていたらしく、毎日怒鳴りながら殴ってきた。
母に何故あんな弱男と結婚したのか尋ねた。母は「なんでだろうね」と誤魔化していた。
弱男の父がおかしいと思っていたが、最近は母がおかしい気がしてきた。
母は別にメンタルに問題があるわけではない。健常者で友人も多い。おまけに若い頃は美人でスタイルも良かった。
そんな人が何故弱男と結婚したのか?
母が唯一頑なに言うのは「恋愛ではなかった」
じゃあ何だ? 金か? だが母は仕事ができる女で親の遺産もあった。
最近「弱男」の話を見てよく考える。「弱男」は誰にも相手にされないせいか、推しに貢いだり信者になることが多々あるそうだ。
ならば父は母の信者だったのでは?
父は母のことが大好きらしい。私たちきょうだいがまだ小学生の時に「お母さんに迷惑をかけるな」とよく殴ってきた。テーブルに米粒を落としただけで「お母さんに謝れ」と怒り狂っていた。
本当に盲目的に母を愛していた。
母は「弱男」という「信者」と結婚し、母を喜ばせるために何でもする信者が好きだった?
何そのホラー。
だがこれが正解な気がする。何年も父と母を見てきたからこそ、私には分かる。
母の誤算は、三人の子供たちを父が信仰しなかったことだ。父にとって信仰対象は母のみで、子供たちは母の付属品だった。
私は父と似たような弱男には近寄りたくない。そんな弱男と仲良くしている女もちょっと無理だ。
私はもう両親と接することは諦めた。
父のことも母のことも、ただ怖い。
先に言っておきますが、
「「子供を殺してください」という親たち」のような書籍を書いてる人達のことを調べましたが、
露悪的なことをメディアに書いて儲けたい、という意思が感じられます
そういう人たちに、親族がひきこもり状態の知的障害者です、精神障害者です、と病名を添えて相談すると、
「引き出し屋」のような人たちと同じ人種だと思った方がいい
藤子不二雄A氏のような、笑うセールスマンのような、露悪的なものを感じますが、
「子供を殺してください」のような書籍を出すジャーナリスト、それこそ、引き出し屋と結託、連携する、というのは悪質だと思っています…😟
既に医療の世界では、長期間ひきこもり状態にある人は、ほぼ何らかの精神疾患、もしくは何らかの事情がある、ということが明確に分かっています
それでも、寧ろ医療に繋げたがらないのは、まず、親が恥ずかしいとか、恥の精神、親族やご近所に知られたくない、そういう考えがある
それから、自分は子供を五体満足に産んだはずだ、精神障害、知的障害、発達障害があるはずがない!という親が正直なところ多いように私は思います
結果として、私は医師ではないので断定はできませんが、統合失調症のような状態で完全に無気力なまま家に放置したり、
病気として断定して良いのかは分かりませんが、件のように暴れる子供を部屋に長期間監禁したり、
そういった末に子供が亡くなった事件があったように思います…😟
今のような時代になっても、医療関係者も非協力的な人が多かったり、子供が暴れて困っていると訴えても、何もしてくれない、そういう医師、看護師、病院、福祉関係者、医療関係者、まだまだ多いと思いますが、
諦めないで、どこかの医療とか、協力してくれる福祉とか、そういった人たちに繋がってください
絶対やってはいけないのは、よくあるケースで考えると、まずカルト宗教のようなものにすがるとか、
引き出し屋に頼むとか、露悪的な文章を書いて儲けているような人たちに相談しないことです
医師や医療関係者は、もちろん悪質な病院等もあるにはありますが、医療事故があったりすれば、私たち患者は責任を問う権利があります
でも、相談してはいけない人たちは基本的に無責任な人たちです…😟
彼らは内心では「30年以上引きこもり、家庭内暴力を続けてきた兄」のような話を、儲け話とか、面白いコンテンツぐらいにしか考えていません
こういった問題で困っている家庭は、実は非常に多いのではないか、
実際は多いけど、上述のように、そもそも問題の子供の親が、現実を認めること自体にさえ否定的で、病院に行かない、福祉窓口に行かない、行っても塩対応で断られた、そういうことなんじゃないかと思いますが、
諦めないで、医療とか、福祉とか、公的なサービスや、できるだけ正規の医療の門を叩いてください
もちろん、変な医師、反ワクチンどころか現代医療を全否定するようでありながら医師免許はある?みたいな医師もいますが、
いずれにせよ、まずは常識的に普通の病院、普通の市役所の窓口に行ってください
塩対応されたら、市役所は別の市、というわけにはいかないかもしれませんが、
公的な別の保健所のような場所に相談窓口があるかもしれないですし、
病院は、それこそ日本全国、世界中にさえあるわけですし、まあ、それはそれで大変というか、やはり世の中、非協力的な人が多いという現実はあるのですが、
どうにか、詐欺とか、カルト宗教とか、変な売文屋みたいな人たちに相談するんではなくて、
普通の病院、普通の市役所にだって、大量の人が所属しているわけですから、
ひとりぐらい協力的な人がいるかもしれない
そもそも、「30年以上引きこもり、家庭内暴力を続けて」という時点で、十分異常です…😟
なんでこんな子供を産んでしまったんだ、という考え方で、結果として子供を殺すというのであれば、失礼ながら、異常なのは子供というより、寧ろ親ではないかとさえ思います
気持ちは分かりますが、とにかくちゃんとした医療を頼ってください
変な代替医療とか、宗教まがいとか、あなたの子供がおかしいのは前世に問題があるから、とか、そんなの嘘っぱちです
面白がるマスコミとか、ジャーナリストに相談しても、彼らは面白がるだけで、あなたたちの人生に責任を持った対応をしてくれません…😟
もっとも、精神疾患がある、精神障害者である、知的障害がある、と認められても、近年の厚労省の方針から、入院するな、自立しろ、訪問看護でなんとかしろ、
みたいになってきて、様々な問題が起こっているのも事実ではあります
ありますが、自分のような患者レベルだけではなく、多くの関係者、医療関係者からも疑問の声が上がっているわけで、少なくとも議論はされる話なわけです
精神疾患とか子供とかひきこもりの話じゃなくても、健康面で困ったら、ちゃんと病院へ行く、歯科へ行く、
相手の家に連れていかれたり電話しながら性的なことをしている声が母の部屋から聞こえたりすることがままあったのだが関係は数人と持っていたようでなかにはわたしの叔父もいた
父も不倫をしていたし(わたしはこのせいで当時W不倫のことを夫婦ともに不倫していることだと勘違いしていた)家庭内暴力も酷かったので 母のことは全く恨んでいない
のだが
最近恋人がいるひとを好きになってしまって ダラダラ電話したりそういう関係をもったりしていて
これはほんとうに全面的に私が悪いし恥ずべきだし最低だし裁かれるべきなのはわかっています
ここでくらいしか吐き出せないので
わたしたちは父性を得られなかった(母は祖父からあまり愛情を注がれていないようだった)から 似たような行動に走るのか ?
わたしもお母さんと同じだったみたい です
はてな匿名ダイアリーでセックスレスの話題が出ると
レスられてる側に特段の瑕疵が見当たらない場合すぐに「レスり側の有責で離婚すべき」ってブコメがいっぱいつくけど
例えば
という男に対し
それは大変だったね…ってなると思うか?
「妻の不倫が原因で離婚しました」と同じ男のカテゴリに入れてくれるか?
絶対無理でしょ
仕事において挨拶や雑談や飲み会の参加は無駄なので一切不要、みたいなものと同類の非現実的な主張なのに
※追記
なんかやっぱりわかってないブコメが多いな
あえてその例えで補足するぞ?
まず、公明正大なブクマカ様や沖縄県の一部地域ではそうではないかもしれないが
2025年現在の一般的な日本社会においては離婚歴があるのはマイナスとなる情報だ
「まあこの人は他人と一緒に暮らせるほどのコミュ力ないんだな」となり得るし
子どもからすれば「なんか相性が悪い」程度で家族のこと捨てるの?と思われてもおかしくない
でも離婚していても「それは仕方ないね」と思われるケースもある
このような場合は離婚歴は「仕方ない」と扱われるし、当事者からしても「やむを得ない」と思われる
で、"セックスレス"はこの「仕方ない」とか「やむを得ない」に含まれてるのか?2025年の日本社会的にさ???
妻がセックスに応じてくれない
が
子供に「性格の不一致とかなら仲直りしてと思うけど、セックスレスならしょうがないね」と思われるか?
「セックス拒否する方が悪いから俺が家族を捨てるのはやむを得ない」まで割り切れるか?
俺には到底そう思えない
だからセックスレスは根が深く、結果的に「離婚すればいい」だけで片付けられず、どちらか一方が忍耐を強いられざるを得ない深刻な問題だと思っているのに
簡単に「レスり側有責で離婚すればいい」みたいな意見に辟易してんだよ
あと一部のブクマカよ
「相手からの一方的なセックレスで離婚した」を堂々と言うべきでないから
「性格の不一致」みたいな自分にも責任の一端があるみたいな離婚理由をしか言えないことそのものが
セックスレスによる離婚の難しさの証左だと本気で理解できないのか?
※追記2
なんでわざわざ
と書いたのに周囲の反応気にしすぎとか、離婚理由を開示する必要ないみたいなブコメが大漁について、星集めてたりするんだ?
Permalink |記事への反応(36) | 13:31
これは古くて新しい問題というか、かつて「性の解放」の文脈でフェミニズムの内部批判がとっくにあった話だよね
1970年代〜80年代にかけて、「性の解放」はフェミニズム、LG運動、ヒッピー文化の潮流の中で重要なキーワードで、性を抑圧から解放し、女性も主体的に性を楽しむべきだという主張だったんよ
しかしこの「解放」は、フェミニズム内部からも批判の対象となった
・商業ポルノ産業が「性の解放」を巧妙に取り込み、むしろ女性の性的搾取を助長した
→女性の裸体や性行為を「自由」として売り物にすることで、男性の欲望を満たす装置に変貌
→特に職場や大学などで、「オープンな性文化」のもとにハラスメントが横行した例も
・上流階級・白人女性によるフェミニズムが「全女性を代表する声」とされたことへの批判
→ 実際には、育児労働、家庭内暴力、性産業への従事といった問題が一般女性に集中していた
このような問題提起から出てきたのがインターセクショナリティ(交差性) の概念やね
・1989年、キンバリー・クレンショウ(Kimberlé Crenshaw) によって明確に理論化
→黒人女性として、白人女性中心のフェミニズムでも、黒人男性中心の反人種差別運動でも「見えない存在」にされてきたことを批判。
インターセクショナリティは、性別だけでなく、階級、人種、性的指向、障害の有無などの複数の差別軸が交差することを問題にする
つまり、「上流階級の白人女性のフェミニズム」が主流を占めていた時代に、性の解放=自由であり善であるという前提が、階級・人種的に周縁化された女性の現実をまったく反映していなかったという批判がインターセクショナリティの視点からなされるようになったわけよ
トランスジェンダリズムも結局はこの枠組みの中の問題だったってことやね
トランスアライたちの多くはアカデミズムや上流階級出身で、一般女性の安全や権利についての理解ができていなかったわけや
私(妹)も姉からずっと嫉妬され怒りの対象にされている。客観的に姉が劣等感を抱く必要がないように見えるのも同じ。攻撃を避けたらエスカレートしたのも同じ。
怒りのネタがわりと古いのも同じ。ときには物心付く前の話とか持ち出される。
あと両親の反応もちょっと増田のところと似ている。姉の主張が支離滅裂なのは姉以外の家族全員で認識が一致しているものの、「妹のお前がとりあえず謝って場を納めろ」的なことは私も言われる。
謝ろうが何しようが全部都合のいいように解釈されて次の攻撃のネタにされるのは目に見えている(実績あり)。
共感を示しても多分意味ないか、下手したら調子に乗らせるなり火に油を注ぐなりで更に状況が悪化する。怖いよね、わかる。
自分語りが長くなってしまったが、以下我が家の状況に重ねる形で増田のお姉さんの状況を推測してみる。
ただの推測かつ長文なので、興味があれば読んでみてもいいよ…みたいな気軽なトラバだと思ってください。
自分も含め多くの人は過去の嫌な記憶は日々の生活の中で、時間が経過して薄れていくものだと思うんだけど、年々増していくのはなぜなんだろう。
嫌なことをつい考えてしまう環境にいるか、考える時間があるのに新しい他の思考のネタが少ないか、あるいは考えたくないことがあるのではないかと思う。
我が家の姉は今出産で実家にいるので、「家族との思い出」というツボをよく刺激されているのは想像に難くない。
自分自身は今家事を含め仕事などをしておらず、逆に旦那は仕事で近くにいない。一人で考える時間は多い。
ぐるぐる思考で不安は膨らむが、それを妹である私にかぶせて「妹の欠陥・妹への憎悪」とし、私を攻撃することで、自分の負の感情に直接向き合うこともなく安心できるのだと思う。
メンタル的な話なのかもしれないし、カウンセラーとか医師に相談したらいいだろうけど多分それを言ったらめちゃめちゃ怒ってきそう。
メンタルでもフィジカルでも、カウンセラーや医師への相談は状況の改善が期待できるが、ご認識のとおり他人が誘導するのは難しい。
我が家の姉は今の自分の状態を「家族の問題」と捉え、母と一緒に家族カウンセリングを受けた。
だが効果はなかった。母は姉の前でカウンセラーに対して本音を隠した。姉は「妹と母がいかに姉を傷つけているか」というストーリーを語った。
家族カウンセリングは一方的な主張で家族システムの不具合を見つけるものではないし、事実不在のままの一方的な改善の強要ではシステムの問題は解決しない。求める結果が得られなかった姉はカウンセリングを打ち切った。
姉自身が自身のためのカウンセリングを受けるのは最善手に見えるが、自分自身の問題を指摘されることには強い拒否感を示すし、一緒に暮らす両親も姉が怖くて指摘できない。
すでに指摘されているように、年齢的に更年期障害は怪しい。我が家の姉は妊娠・出産で実家に帰っているタイミングで爆発したのだが、これも更年期同様ホルモンバランスが大きく乱れる状態だ。私も女性ゆえ生理があるので、ホルモンバランスの乱れと精神の乱れの連動は実感するところ。
誰か姉の状況をわかる人いれば助けてほしい。同じような状況の人っているのかな…、どうしたらいいのか教えてくれる人いませんか。困ってます…。
勝手に我が家の境遇と重ねた想像をすると、増田のお姉さんが本当に不満なのはおそらく姉自身で、でも自分自身を攻撃するのは怖いから、狙いやすい増田を攻撃する…攻撃の大義名分を得るために増田に対する憎悪や怒りを膨らませる…というループに陥っているのではないかと思う。新ネタの供給がなければ過去に遡って怒っていい理由を掘り当てるしかない。
根本的な解決策は、これは本質的にはお姉さんの問題であると認識すること。
過去に何かはあったと思うし、それはお姉さんのせいじゃない、増田のせいだったり両親のせいだったりする痛みもあると思う。誰が悪いという話ではなく、家族ってそういうものだ。
でも、増田の言うとおり、「多くの人は過去の嫌な記憶は日々の生活の中で、時間が経過して薄れていく」形で折り合いをつけていく。怒りも嫉妬も恨みも、自分の一部として受け入れることで、あるいは受け入れられないものを自分で消化・昇華することで成長していく。他者への攻撃は子どもでもできるストレスの解消手段だが、大人になるにつれ他の手段も学ぶことで攻撃せずともストレスを解消できるようになっていく(理想論だけど)。
それができず、過去を引きずり怒りをぶつけているのは過去ではなく「今のお姉さん」の選択だ。
お姉さんが悪いとか増田が悪くないとかそういう話ではなく、そういう選択肢が選ばれる状態が起きている、という話。
そこに同情の余地があろうとやんごとなき事情があろうと、今のお姉さん自身が折り合いをつけないと、他人には根本的には救えない。
効果的に手助けできるとしたら血がつながってるだけの素人ではなく、心理学や医学、そのあたりに明るいプロフェッショナルだ。
今が辛いのはお姉さんだけではなくご両親や増田もだと思う。もうみんな大人なので、それぞれ自分の状況を理解し、自分の選択をし、自分の心を守るしかない。できるかぎり他者を攻撃しない形でね!
手段的な解決策は、前述のとおりカウンセリングや心療内科のお世話になれるなら一番簡単だと思う。
もし、増田のお姉さんが大騒ぎしていたり家庭内不和を引き起こしたりしているなら、警察や家庭内暴力の相談窓口などへの通報も手段のひとつ。どこまで頼りになるかはわからないけど。
ちなみに我が家の場合、私は自分のカウンセリングに通いつつ、いつかもしかしたらほとぼりがさめるかな~くらいの気持ちで接触を絶っています。ほとぼりが冷めない場合の覚悟も決めてます。まだ一人泣く夜もあるけどだいぶ楽になりました。
ウン十年間ずっといい子にしてたけどさ、私だって長年耐え忍んで辛かったし、今も現在進行系でひどいことされて怒ってるし悲しんでるんだよね…という自己分析の結果を、今の気持ちを大事にしたい。
両親は姉の世話で疲れているようだし、私に姉の機嫌を取ってほしそうだけど、姉の面倒を見ると決めたのは両親自身なので、その覚悟のほどは任せた!という状況です。
両親になにかがあったらその時はその時で、やることは決めてるので姉との関係にかかわらず体が動いてくれると信じています。でもずっと元気でいてほしい。
https://anond.hatelabo.jp/20250707184052
ドレイクは7月にイギリスのWireless festivalに参加した。
米英の有名アーティストが参加する3日間の大規模イベントだったが
ドレイクのライブのさなか、観客から「fxxk kendrick!」のチャントが起こると、ドレイクはイヤモニをはずしてそれに聞き入り
数日後、同じくヨーロッパツアー中のケンドリックのライブ中にも
「fxxk drake!」のチャントが起こったが、ケンドリックはこれには特に反応しなかった。
8/12に、ドレイクはUMGに対して事件に関する75個の文書の提出を要求した。
その中には「ケンドリックの家庭内暴力・女性への暴力に関する文書」「ケンドリックの子供たちとデイブ・フリーとのDNAテストの要求」もあった。
ドレイクはケンドリックへのDis曲「Family Matters」の中で
「ケンドリックは奥さんにDVをしている」「ケンドリックの子供は実はプロデューサーのデイブ・フリーとの子供で、血がつながっていない」と主張したのだが
それが事実であるという証拠を、ケンドリックが所属するレコード会社のUMGに要求したのである。
UMGが全所属アーティストのプライベートを事細かに把握しているとも思えない。
仮に裁判所が文書を提出するようUMGに指示したとしても、ドレイクの望むような結果が出るとも思えない。
法律関係者は「ケンドリックは俺をペ〇ファイルだと事実無根のDisをしたが、俺のDisの内容は事実に基づいている」と証明し、訴訟を有利に進めるために
この要求を出したと見ているが、音楽ファンの間では「訴訟の場を使ってケンドリックを誹謗中傷している」との批判も多い。
ドレイクは訴訟の中で「Notlike usの宣伝にはUMGのCEOも関与していた」と主張していたが
UMGのCEOであるルシアン・グレンジは、自分は関与しておらずドレイクの主張はばかげていると回答した。
曰く
「Notlike usはリリースされた後に聞いた。それ以前には関与していない。」
「CEOは毎月リリースされる数千の楽曲を全て聴いて承認のハンコを押しているわけではない。」
「UMGはドレイクにこれまで数億ドルを投資してきたし、ドレイクのサウンドカタログや出版権も所有している。自社の資産の価値をわざわざ下げるようなことをする理由がない。」
ドレイクは今後も様々な文書を要求し、自分の主張が事実だと証明を試みるだろうが、よほどのことがない限り道のりは険しそうである。
現在、ドレイクはニューアルバムを作成中だが、訴訟相手のUMGの傘下でUMGの金を使ってリリースできるのかも不透明だ。
食べ物が豊富な日本では満足できる量を作るor注文すればよいだけ。
極論、「食い尽くし系」の胃袋の限界以上の量の食い物を用意すれば、他人の分まで食い尽くしようがない。
つまり用意する食べ物の総量が十分であれば、「食い尽くし系」は封印されてしまう。
頻繁に食い尽くすなら単純に用意する量が足りてないのでは?疑惑が提起される。
目を離したすきにフレンチトースト8枚(2000kcalほど)をぺろりと食うなど
食い尽くし系目撃談をカロリー計算するとマラソン選手みたいな1日摂取カロリーが推測できる。
それはもう食い尽くし系と言うより単純に関取系巨デブ問題となる筈なのに
食い尽くし系を報告する主婦の話には夫の体型のディテールが皆無。
あれだけ憎々しげに言うならその巨デブボディも罵る筈なのになぜかそういう話が無い。
標準体型やスマート体型で食い尽くしてるなら完全に話のつじつまが合わない。
わざわざ食い尽くしたあとにどこかへ行って吐いてることになる。(拒食症女子か)
「食い尽くし系」は男ばかりである以上、
報告者はなぜか女ばっかり。
男女混交の食事でも目撃談が無い。
等の目撃談が一切ないのは何故なのか。
食い尽くし系は常に女だけで目撃して報告している。
夫に供する食事量が常に成人男性の必要カロリーに満たないという家庭内暴力みたいな状況があり
それによって食い尽くし系を誘発している。
より率直に推測する場合
<>strong>女に流行りの作り話、コックリさんみたいな物である可能性が高い。
家庭板カルチャーの「エネ夫」の変形の一つだったのではないだろうか。
どんどん作り話がハウリングして加速し合って「食い尽くし系」になったのでは。
女同士の世界を飛び出て
「なんか話がおかしくね?」 「ほんとにそんな奴いるの?」となっている。
①イソプスの2018年の調査において日本人女性がフェミニストだと自認する割合は15%である
②しかし、「貴方は女性の平等な機会を提唱し支援したいですか?」という思想強めな質問に42%が賛同している
よって日本人女性とハンガリー女性のジェンダー意識は同じレベル
そして、日本人女性=ハンガリー女性なのでハンガリー女性に行われたアンケートを日本人女性に適用し
と結論付けている
たった1つの質問の賛同率が近いからと言って異なる集団を同質と考えるのは非常に危うい
また、彼は思想強めやフェミニズム的信念と主観によって定義しているがお前の中ではという話でしかない
彼はイソプスと言ってるが恐らくイプソスで同社が毎年行っているInternational Women's Dayのアンケート調査の2018年版が恐らくソースである
これを元に他の質問に日本人女性とハンガリー女性がどのように回答したかを以下に示す
以下が同調査における男女別の回答が示された質問の全て、彼は4ポイントの差を以て同質と判断したため同じ基準を用いて差が4ポイント以内なら白、以上なら灰色に色分けした
| 日本人女性 | ハンガリー女性 | ポイント差 | ||||
| あなたの国の社会は男性の方が女性より有利か | 50% | 76% | 26 |
|---|
| 日本人女性 | ハンガリー女性 | ポイント差 | ||||
| 自国での女性と男性の同権は十分に進んでいるか | 13% | 34% | 21 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| あなたに男女平等の実現は重要か | 41% | 60% | 19 | |||
| フェミニストの自認があるか | 15% | 23% | +8 | |||
| 家で育児をする男性は男らしさに欠けるか | 11% | 11% | 0 | |||
| 女性の上司とは合わない | 10% | 9% | 1 |
| 日本人女性 | ハンガリー女性 | ポイント差 | ||||
| あなたの国で男性の支援なしに女性の同権は達成不可能 | 50% | 76% | 26 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| あなたの国で女性の権利のために男性が過度のプレッシャーを受けている | 29% | 33% | 4 |
| 日本人女性 | ハンガリー女性 | ポイント差 | ||||
| 女性と女児にとって最も重要な問題は(セクハラ) | 17% | 19% | 2 | |||
| 女性と女児にとって最も重要な問題は(性暴力) | 14% | 10% | 4 | |||
| 女性と女児にとって最も重要な問題は(身体的暴力) | 3% | 3% | 0 | |||
| 女性と女児にとって最も重要な問題は(家庭内暴力) | 3% | 28% | 25 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 女性と女児にとって最も重要な問題は(同一賃金) | 16% | 39% | 22 |
| 日本人女性 | ハンガリー女性 | ポイント差 | ||||
| 男女平等の実現に最も重要なものは(同一労働同一賃金) | 33% | 60% | 27 | |||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 暴力やハラスメントに防止するための強力な法律 | 23% | 33% | 10 | |||
| 男女平等の学校教育 | 15% | 40% | 25 |
単純に見ると日本人女性とハンガリー女性のジェンダー意識には大きな差がある
質問の多くは自身の国を基準としているので国が違えば制度が違い、文化も違うので質問への賛同率を以て
どうこうと言うことは単純に出来ない
その証拠に同調査において日本人女性とハンガリー女性より日本人女性と日本人男性の方がギャップは小さく5~13ポイントの差に収まっている
日本人女性とハンガリー女性で26ポイントも差があった「社会は男性に有利か」という質問でも差は9ポイントしかない
また、2018年版に「貴方は女性の平等な機会を提唱し支援したいですか?」という質問は確認できない
そもそも、変なことをしなくても2019年版の調査にずばりの質問がある
女性の平等な機会を提唱し支援する人をフェミニストと定義した場合には
日本人女性の29%、日本人男性は40%、ハンガリー女性の51%が自身はフェミニストだと答えている
単純にフェミニストかどうかという問いになると
日本人女性は13%、日本人男性は21%、ハンガリー女性は26%とそれぞれ13ポイント、19ポイント、25ポイントマイナスと大きく減る
フェミニストという言葉が最早、男女平等を謳う以外の意味を持ち、ネガティブなイメージを形成しそこから距離を置きたい可能性が男女ともに示唆される
という結論は誤りであろう
異なる集団を一つの一致点を元に同一と判断し、主観で定義したものによって結論付ける
ぼくは以前も増田に彼のことを書いた
彼はチェリーピッキングをよくする、しかし、それならマシな方で時には論文の中身と180度違うことを結論付け捻じ曲げたりする
そして、何より哀しいのは彼の意見を鵜呑みにし同調するブクマカが多いこと
はてなはネットのコミュニティの中でもソースを重んじる方だと思うが、あくまでそれはソースの提出であって中身まで見ることはないんだなと
彼の記事には、図星だから論理的な反論が出来ないんだ的な声も多く聞かれるが100文字でそれをすることは叶わない
はてなの運営もブコメで議論することは推奨していない、こうやって増田を書くしかない
高卒の肉体労働者の俺が言うのも何だけどマジでブクマカは何も思わないの?
世の平均よりずっと大卒や高学歴多く、ちゃんとした論文や本を読んできた人たちだと思っているんだけど
はちゃめちゃな彼の記事が毎度、ホットエントリーするのが分からない
反論するならソースを出せじゃなくてさ、自分がソースを辿って正しいかどうかを確認するんじゃないの?
あの人が言っていました、そう書いてありました、じゃ神のお告げの頃と変わんなくね?
Permalink |記事への反応(10) | 15:19
1970年代〜80年代にかけて、「性の解放」(sexual liberation)はフェミニズム、LGBTQ運動、ヒッピー文化、反権威主義の潮流の中で重要なキーワードでした。特にウーマン・リブ運動の一部では、性を抑圧から解放し、女性も主体的に性を楽しむべきだという主張がありました。
しかしこの「解放」は、しばしば次のような批判の対象となりました:
商業ポルノ産業が「性の解放」を巧妙に取り込み、むしろ女性の性的搾取を助長した
→女性の裸体や性行為を「自由」として売り物にすることで、男性の欲望を満たす装置に変貌。
→特に職場や大学などで、「オープンな性文化」のもとにハラスメントが横行した例も報告されています(例:セクハラという言葉が1980年代に米国で普及)。
上流階級・白人女性によるフェミニズムが「全女性を代表する声」とされたことへの批判
→ 実際には、育児労働、家庭内暴力、性産業への従事といった問題が一般女性に集中していた。
このような問題提起から出てきたのがインターセクショナリティ(交差性) の概念です。
1989年、キンバリー・クレンショウ(Kimberlé Crenshaw) によって明確に理論化
→黒人女性として、白人女性中心のフェミニズムでも、黒人男性中心の反人種差別運動でも「見えない存在」にされてきたことを批判。
インターセクショナリティは、性別だけでなく、階級、人種、性的指向、障害の有無などの複数の差別軸が交差することを問題にします。
つまり、「上流階級の白人女性のフェミニズム」が主流を占めていた時代に、性の解放=自由であり善であるという前提が、階級・人種的に周縁化された女性の現実をまったく反映していなかったという批判がインターセクショナリティの視点からなされるようになったのです。
アンドレア・ドウォーキン(Andrea Dworkin)
→ポルノグラフィを性暴力の一形態として厳しく批判。ポルノ産業が「性の解放」を利用して女性の搾取を正当化したと主張。
キャスリン・マッキノン(Catharine MacKinnon)
→性的自由の名のもとに、女性の身体が公共空間で商品化されることに警鐘。
→黒人女性にとってのフェミニズムと、階級・人種を無視した主流フェミニズムの限界を指摘。
bell hooks(ベル・フックス)
→白人中産階級のフェミニズムに対し、「抑圧されているのは白人女性だけではない」と再三批判。とりわけ「性の解放」が階級間で異なる意味を持つことに注目。
性的自由を掲げた70〜80年代のフェミニズムの一部は、今でも「セックス・ポジティブ」な運動として評価されていますが、一方でポルノ・売春・性の商品化をめぐる議論は今なお分裂的です。
インターセクショナル・フェミニズムは現在の主流理論となっており、「誰の自由か」「誰の声が抑圧されているか」という問いが常に問われるようになりました。
性の解放は一枚岩ではなく、誰にとっての自由か? 誰の犠牲の上に成り立つのか? という問いがいまもフェミニズムの核心にあります。
1970年代〜80年代にかけて、「性の解放」(sexual liberation)はフェミニズム、LGBTQ運動、ヒッピー文化、反権威主義の潮流の中で重要なキーワードでした。特にウーマン・リブ運動の一部では、性を抑圧から解放し、女性も主体的に性を楽しむべきだという主張がありました。
しかしこの「解放」は、しばしば次のような批判の対象となりました:
商業ポルノ産業が「性の解放」を巧妙に取り込み、むしろ女性の性的搾取を助長した
→女性の裸体や性行為を「自由」として売り物にすることで、男性の欲望を満たす装置に変貌。
→特に職場や大学などで、「オープンな性文化」のもとにハラスメントが横行した例も報告されています(例:セクハラという言葉が1980年代に米国で普及)。
上流階級・白人女性によるフェミニズムが「全女性を代表する声」とされたことへの批判
→ 実際には、育児労働、家庭内暴力、性産業への従事といった問題が一般女性に集中していた。
このような問題提起から出てきたのがインターセクショナリティ(交差性) の概念です。
1989年、キンバリー・クレンショウ(Kimberlé Crenshaw) によって明確に理論化
→黒人女性として、白人女性中心のフェミニズムでも、黒人男性中心の反人種差別運動でも「見えない存在」にされてきたことを批判。
インターセクショナリティは、性別だけでなく、階級、人種、性的指向、障害の有無などの複数の差別軸が交差することを問題にします。
つまり、「上流階級の白人女性のフェミニズム」が主流を占めていた時代に、性の解放=自由であり善であるという前提が、階級・人種的に周縁化された女性の現実をまったく反映していなかったという批判がインターセクショナリティの視点からなされるようになったのです。
アンドレア・ドウォーキン(Andrea Dworkin)
→ポルノグラフィを性暴力の一形態として厳しく批判。ポルノ産業が「性の解放」を利用して女性の搾取を正当化したと主張。
キャスリン・マッキノン(Catharine MacKinnon)
→性的自由の名のもとに、女性の身体が公共空間で商品化されることに警鐘。
→黒人女性にとってのフェミニズムと、階級・人種を無視した主流フェミニズムの限界を指摘。
bell hooks(ベル・フックス)
→白人中産階級のフェミニズムに対し、「抑圧されているのは白人女性だけではない」と再三批判。とりわけ「性の解放」が階級間で異なる意味を持つことに注目。
性的自由を掲げた70〜80年代のフェミニズムの一部は、今でも「セックス・ポジティブ」な運動として評価されていますが、一方でポルノ・売春・性の商品化をめぐる議論は今なお分裂的です。
インターセクショナル・フェミニズムは現在の主流理論となっており、「誰の自由か」「誰の声が抑圧されているか」という問いが常に問われるようになりました。
性の解放は一枚岩ではなく、誰にとっての自由か? 誰の犠牲の上に成り立つのか? という問いがいまもフェミニズムの核心にあります。
白か黒かに囚われた読者を振り回し、善悪と苦しみ、その救済とその手段化の危険性、対話の大事さを描いた傑作であると思っており、読む度に泣いてしまうのだが、
そんな中でも読者で概ね一致している解釈があると思う。
浮気をして家庭内暴力の連鎖に全く興味を示さず家庭を捨てるまりな父と、家庭を捨てた上に残された家族に対して何の責任も負わないしずか父。
この作品の不幸の源泉と言っても過言ではない二人だが、私はこの二人の気持ちがわかってしまう。
メンタルヘルスに問題を抱えたパートナーとの歩み寄りの経験をもつため、どのような過程で相手への気持ちが薄れていったのかということに勝手に共感してしまうのだ。
臆病で無責任な人間なので、なにかの間違いが起きて破談になるのもアリだな、と思っている。
しずか父のようなカスさを認めざるを得ない。
しかし、そこには過程がある。何故そう思うようになったのか?ということだ。
しずか父はほとんど何も考えていなかったかもしれないが、メンタルヘルスに問題がある人と深く関わるリスクについて共有したいし、
同じような人はどのようにそれを解決しているのかを知りたい。
まず家庭環境に問題があった人、ものすごい確かめ行為をしてくる。
というのはある程度毒親問題に興味がある人は知っていることだろう。
しかし、実際にそれをされた時にどうか?どのように行われるのか?
というのはインターネットでの記事などを見る限りあまり共有されていないように思われる。
原作ではしずかが「どうすればよかったの?」と言いながらタコピーに暴力を振るったり、「じゃあどうすればよかったってお前聞いてんだよ!!」と激昂したシーンがある。
私が日常的に浴びている「確かめ行為」そのものであったからだ。
彼/彼女らの確かめ行為の実態は、「可愛らしい甘え」などではなく、ああいった相手の心を削ってくるものだ。
最初は単純なおねだりなのだが、基本的にこちらの事情は一切鑑みられない。
仕事だったり、寝ていたりたまたま他のことをしていて反応できないこともある。
その1ミスで「敵」として扱われ、「裏切り者」と悪しきざまに罵倒され続ける。
(正直な所、自分が全然孤独に絶えられる人間なので最初は確かめ行為の真剣さがわかっておらず、反応が薄かったのも悪化した原因であるとは思う。)
最初はそんな事ないよ、私はしてないよと言い続ける。
そうすると「大丈夫なんだ」とも思い始めてはくれるが、それ以上のスピードで、「「不機嫌になれば優しくしてもらえる」という方向に学習し始める。
徐々に大丈夫になってきているのもなんとなーくうっすら感じるのだが、それ以上に不機嫌を振りかざし始める頻度やその学習スピードの方が圧倒的に速いのだ。
これを本当に週に1~2回ぐらいの頻度で連発されるし、日々のコミュニケーションでも毎日のようにチラつかせてくる。
しかし相手は目の前で自分に対する不満を友達に相談している。こっちは我慢するしかないのに。こっちは仕事に支障が発生しているのに。
向こうはそういった人間なので相談先がたくさんいるのだ。しかしこちらにはそういった心の中を相談できる人間などいない。
こうなってくるとこちらとしては「俺はお前のメンタルのためにこんなにも失っているのに、何故まだ攻撃されなければならないのだ。」
という気持ちが芽生えてきてそれを訴えてみたりもする。
しかし、メンタルヘルスという点でいえば向こうはこちらより重病人なのでこっちが病気になったと言えば「こっちのほうが重い」となってしまうし、
そもそも欠点の指摘にも絶えられないほどメンタルが弱いので、「お前のせいで仕事を休んだ。どうしてくれる。」とブチギレられ、そういった抗議もすぐにできなくなってしまう。
これの繰り返しを1~2年程度続けていると、相手のメンタルが安定してくる。
もう確かめなくて良くなる。
ただ、こっちの心は完全にブッ壊れている。
もちろん愛情はある。
あるが、その愛情を素直に受け入れるにはあまりにも傷つけられすぎている。
相手は精神の重心を完全にこちらに預けているので不用意に「もう無理だ」なんて言うことができない。
実際はそんな事ないのはわかっているし、それを伝えたこともある。
その上、自活できるほどの収入を得られるほどメンタルが強くない。
恐ろしくて手を離すことはできない。
目の前に結婚が迫っているが、まりなの家庭やしずかの家庭が自分の将来の家庭であるような気がしてならない。
しかし、相手は自分に依存しているのでむやみに振りほどくと大変なことになる。
ここには書けないが、自分がおおやらかしした経験もあるのでそれに対する責任意識もある。
自分はどうしたら良いのだろうか。
助けてくれ。
何をどう説明したらいいのかわからないけど、妹とはそれまで仲は良かった。
ただ、妹は10代前半から数年間引きこもりで家庭内暴力とかもひどくて、おまけに妹は平均より身長が10cm以上デカくて太くて力も強いのでその辺の痩せっぽっちな成人男性よりも怖かった。
そんな過去もあるので、妹とは昔からずっと順調に仲良かったわけではない。なんなら、妹はいつも死んでやるとか殺してやるとか叫びながら真夜中に刃物出してきてたので「そんなに生きるの辛いならとっととしねばいいのに」とすら思ってた。この頃の家族の写真見返すと、親も私もみんな死んだ顔してる。他にもいろいろ過酷なことはあったけど、私は常々「妹さえいなければうちはもうちょっとうちの家はマシだったのに」と思ってた。
でも、それでもいっときは本当に仲良しだった。彼女が引きこもりを脱却して学校に通い直した頃から少しずつ仲良しになっていった。私は学校を卒業して仕事に就いた妹を素直にすごいと思ってたし、「もうあんな風にはならないだろう。大丈夫だ」と安心した。いつのまにか割となんでも報告しあう仲良し姉妹になっていた。悩み事や不都合なことがあればすぐにラインで相談し、互いの好きなものを報告しあって、かなり親密だったと思う。母と3人で旅行に行った時も楽しかった。
ただ、なんだかんだ妹は不安定ではあり、社会のストレスに耐えきれなくなると定期的に暴れ、暴言を吐き、依存してる母に暴力を振るって夜な夜な鬼LINEを続けるなど手がつけられないことも多かった。高齢化と共に小さく病気がちになっていく親に対して、妹は引きこもり時代の自分をいつまでも内に持っていた。
それでも、なんだかんだ仕事頑張ってるから…引きこもってた時よりは成長したから…と親と話しながら見守ってた。が、妹が30代に入ってしまったらもうダメだった。
あるとき、妹がまた暴れて「あ、これ一生続くのか」と心が折れてしまった瞬間があった。完全に口を聞かなくなったのはそのときからだ。
妹は何度も謝ってきたけど、そのごめんは「私はこの先もまた延々と同じことを繰り返すけど変わらず許してね」にしか聞こえず、私はどうしてもどうしても飲み込めなかった。
以降、私は妹の存在を無視している。妹は実家に住んでるので帰省時には必ずいる。親とは普通に妹の話をするけど、本人から話しかけられても基本何も返さないし、こちらからもほとんど話しかけもしない。クラスで1人だけ無視するような感じだ。
親は最初、許してやりなよと言ってきたけどどうしても聞けなかった。「私が妹に発行してたごめんなさいチケットはもう売り切れてしまった。再発行は未定で、二度と出てこないかもしれない」などと話していたら、そのうち何も言わなくなった。でも、母は今も仲直りをしてくれたらいいなと願ってるだろう。
老後は姉妹と母とでいろいろ旅行しようねと話してたけど、「それはもう叶わないんだろうね」と母にさみしそうに言われたとき、それは親不孝だからまた話せるようにならなきゃなと本当に思った。でも、どうしてもできなかった。最初はすぐにまた口をきくだろうと私も思ってたけど、いつのまにか数年が経った。
声をかけようとは何度も思った。もう一度仲良くなって親と旅行もできれば母は喜ぶ。父だってなんでもいいとは言いつつ、そりゃ子どもが仲良しな方がよいだろう。
私は母が好きなので、母の喜ぶことをしてあげたい。私と母の2人で美味しい料理を食べに行っても、旅行に行っても、母は私が妹と仲良くなることを望むだろう。妹も私と仲良くできるならしたいはずだ。でも、私だけがそれをできない。
頑張って話しかけようと考えると、妹のキレ散らかしてる声が聞こえてくる。またあれをやるのが無理すぎる。今はもう、話さない方がケンカにもならないのでむしろこっちの方が平和ではないかとすら思う。
私たち姉妹は2人とも子どもがいないので将来のことを考えると関係を良好にしておいた方が何かと利便はあると思う。仲良くできるならしたいと思う。
でも、できない。母に対しての罪悪感はずっとある。私の態度はいじめと大差ないことも理解はしている。
でも、どうしてもできない。
できないのだ。
まず前提を確認しよう。
日本軍の戦争犯罪や、戦後日本社会における性加害・家庭内暴力・ハラスメントの加害者に中高年男性が多かった、あるいは多いという事実は、俺も否定しない。
しかし「おじさんは死んだ方がいいゴミだ」「殺されても文句は言えない」といった自己放尿が許されるか?
答えは明確にノーだ。
たとえば、「日本軍に親をレイプされて殺された子どもが、日本のおじさんを死んだ方がいいゴミと罵るのは当然だ」と言うが、
その主張は、一見被害者の怒りを代弁しているようでいて、実際には「敵の定義」を無限に拡張する自己放尿。
戦時の加害者=日本軍。現代のおじさん=日本国民男性のごく一部。
ここを飛び越えて結びつけてしまえば、何が起こるか?
「日本に生まれた」というだけで未来の誰かに殺されても当然、そういう世界を肯定することになる。
それはもう正義じゃない。自己放尿のような原始的な快楽行動だ。スッキリはしても、社会は一滴もよくならない。
日本の男性人口は約6,000万人。そのうち性加害やDVで検挙されるのは年間数千人。つまり「大多数が加害者」であるわけではない。
これは数学で言えば、部分集合の性質を全体に当てはめる帰納の誤謬だ。
そんな誤推論で命の価値を剥奪していいなら、「外国人犯罪が多いから外国人を排除しよう」と言う差別主義者と何も変わらない。
しかも、構造的な問題(密室の権力、沈黙を強いる文化、告発のリスク)を放置して、「属性=敵」と決めつけたところで、真の加害者は誰も責任を取らないまま逃げ切るだけだ。
怒っていい。罵ってもいい。叫んでもいい。
だが、怒りが制度改革につながらないなら、それは自己放尿でしかない。
怒りを「構造批判」に昇華できたときこそ、本当に社会を動かせる。
お前が本当に変えたいと思っているのは、「すべてのおじさん」ではなく、「加害行為」と「その背後にある構造」のはずだ。
そして、構造には対策が打てる。ルールが変えられる。支援が届く。
「死ね」と言いたくなるほどの体験をした人の言葉を、俺は否定しない。
だが、お前が「死ね」と言い続ける限り、社会は聞く耳を閉ざす。
「なぜか女性に不自然なほど優しい暴力的な男性」に対する警戒感が薄すぎる女性は、そのガバガバなリスク感覚だと最悪命に関わるという命題に対して、賛成派と反対派がいます。
https://posfie.com/@golden_haniwa/p/uQUvcjF
以下の文書は、銀座線での出来事をきっかけにSNS上で展開された議論をまとめたものです。ある男性が女性をハラスメントしていた別の男性に対して攻撃的に対峙し、その前に近くの女性に優しく声をかけたというエピソードが発端です。この出来事は、「女性に対して異常に優しい暴力的な男性」への警戒心の薄さとそのリスクについての議論を引き起こしました。議論の中心となる論点は以下の通りです:
女性が、(「悪人」に対してであっても)暴力を振るうが自分には優しい男性に警戒心を持たないことは、危険で命に関わる可能性があるか?
このような男性の行動は、女性を守る行為として称賛されるべきか、暴力的な傾向として批判されるべきか?
このような男性を称賛する女性は、危険な本能や誤った判断によるものか、守られたことへの合理的な反応か?
「英雄的」な男性の暴力とハラスメントする男性の暴力は同等であり、同様のリスクを孕むか?
非暴力的な方法(例:警察への通報、対話による解決)はより安全かつ効果的であり、暴力に頼ることを見過ごすのは危険か?
命題との関連: この論点は、女性が暴力的な男性への警戒心を欠くことが危険かどうかを直接扱います。
よしおか (@yosshiiii23):自分に向けられていない暴力は称賛されがちだが、それが自分に向かう可能性を無視していると指摘。
ひよの (@hiyono_leverage):女性が暴力が自分に向かう可能性を考えないのは「面白すぎる」と皮肉。
めんとすTタイプ (@kusyatori): このような男性を称賛することは「DV男の特徴」を支持することであり、将来の被害を招くと警告。
aircooling883:弁護士の意見を引用し、暴力を手段とする男性は最終的に身近な人にも危害を加えると主張。
らくだ (@rakuda4u):危険な人物に対峙するには攻撃性が必要であり、こうした男性を一律に危険視するのは不公平だと主張。
key_tracker: この男性の行動がDVの特徴と一致するという見方を否定し、明確な脅威への防衛的反応だと強調。
空白 (@khwCGQZrH6eqNRY):女性がこうした男性を称賛するのは、危険な世界で守ってくれる存在だからであり、リスクと決めつけるのは現実を見ていないと反論。
命題との関連: この男性の行動を称賛するか批判するかは、女性の反応が誤っているかどうかを評価する上で重要です。
シラクモ (@Gpvjwb09):投稿に12万の「いいね」がついたことに驚き、支持者を「猿並みの頭」と批判。
鳥 (@UK6hnoYFvtwpVtq):男性の行動を問題視された「私人逮捕系YouTuber」と比較し、批判的思考の欠如を指摘。
ShinTAM91019338:正義を名目に暴力を振るうのは「小悪党」の行動であり、力を正当化する危険性を警告。
massappouu:暴力による解決を否定し、相手が武器を持っていた場合の危険なエスカレーションを指摘。
ニャンすけ (@ume_syuuu):男性を「かっこいい」と称賛し、勇敢な行動を広める流れに感謝。
みなこっち (@zwillingmutter):男性を「正義のヒーロー」と呼び、恐怖を感じていた女性を守ったことを高く評価。
らくだ (@rakuda4u): 非合理的なハラスメント者には丁寧な対応は通用せず、攻撃的な対応が必要だと擁護。
hukinnshinn:男性を社会秩序を守る「自警団」に例え、自己中心的な「私人逮捕系」とは異なる意図を強調。
命題との関連:女性の称賛が危険なリスク感覚の欠如によるものか、保護への合理的な反応かを問う。
にゃあとるず (@HINEM0SS):女性は自分にだけ優しく他人に攻撃的な男性を好む傾向があり、これが「DQN」男性の人気の理由だと分析。
おりぃぶ (@_OLIVE_a):女性向け漫画のテーマに繰り返し現れることから、女性特有の暴力的な男性への憧れがあると指摘。
HimazinMan3:暴力的な男性への惹かれが、DV被害者が減らない理由だと主張。
tyamagis:女性の称賛が社会の対立を煽り、極端には戦争を引き起こすと過激に主張。
どぶねずみ (@Nzm_in_the_Dark):日本の男性には優しい人が多く、女性の肯定的な反応は自然だと示唆。
NightQueen (@NightQueen_7): このような「素晴らしい男性」のエピソードをさらに聞きたいと述べ、否定的な男性像と対比。
funpan2015:進化生物学の観点から、保護してくれる男性への惹かれは子孫の生存確率を高めるため合理的だと説明。
key_tracker:女性の反応が本能の誤りだとする見方を否定し、危機での決断力ある行動を評価しているだけだと主張。
命題との関連: 「英雄的」な男性の暴力がハラスメント者の暴力と同等かどうかは、女性がその男性を信頼することの妥当性に影響します。
クルル (@kululushousa):男性の行動を「DV男の特徴」と呼び、ハラスメント者の暴力と同等とみなす。
RYU-1貴族 (@r1kzk):男性が弱い相手を選んで暴力を使った点で、ハラスメント者の弱者攻撃と同じだと指摘。
よしおか (@yosshiiii23):自分に危害が及ばない暴力は称賛されがちだが、その本質的な危険性は変わらないと主張。
ShinTAM91019338: 両者の方法は社会秩序を乱す点で同じであり、目的の違いは言い訳に過ぎないと批判。
the_my_pace:防衛的暴力と攻撃的暴力を同等に扱うのは誤りであり、目的が異なることを強調。
key_tracker:男性の行動は攻撃者への反応であり、理由なき暴力ではないとして同等視を否定。
hukinnshinn:男性を秩序を守る「自警団」に例え、ハラスメント者の自己中心的行動と区別。
空白 (@khwCGQZrH6eqNRY):男性の暴力は非合理な攻撃への必要悪であり、普遍的な敵意の表れではないと主張。
命題との関連:女性が暴力的な男性を信頼することが、より安全な非暴力手段を見過ごす危険な判断かを評価します。
aircooling883: 「傾聴」や交渉を推奨し、人質交渉人の例を挙げ、暴力の法的リスクを警告。
massappouu:暴力は相手が武器を持つ場合に危険をエスカレートさせ、冷静な介入で十分だと主張。
遊烏氣 (@yuki_yugi_paru):対話や当局への連絡など理性的な対応を提案し、感情的な暴力は自制心の欠如を示すと指摘。
文京花子 (@1lxDLYPDjv53882):警察を呼ぶと述べ、制度的な介入を優先。
らくだ (@rakuda4u):理性的な相手にしか丁寧な対応は通用せず、ハラスメント者には攻撃的な勢いが必要だと主張。
hukinnshinn: 理性だけに頼るのは非合理な相手が存在しない前提であり、強制的な介入が必要だと述べる。
key_tracker:非暴力的な方法は即時性を欠き、男性の行動は現実的な対応だったと擁護。
牛職人 (@GR_4):非暴力を唱える人を「能天気」と批判し、即時の危害を止めるには不十分だと主張。
この議論は、暴力、リスク、ジェンダーに関する深い意見の対立を浮き彫りにしています。
女性の称賛は潜在的な危害を無視した危険なリスク感覚の表れであり、より安全な非暴力手段を優先すべきだと主張します。
一方、反対派は、男性の行動は状況に応じた正当なものとみなし、女性の肯定的な反応は保護への合理的な感謝であり、非暴力手段が常に有効とは限らないと反論します。
議論はジェンダー期待、進化心理学、暴力の正常化といった社会問題にも及び、双方が相手を単純化やイデオロギー的偏見で非難しています。
米FBIが裁判官を逮捕 裁判所構内での移民拘束を「妨害」した疑い
https://www.asahi.com/articles/AST4T6QJJT4TUHBI049M.html
この事件の経緯について調べてみたので、裁判官に対する告訴状をベースにしつつ主観多めで書いてみます。
もともと法律全般に詳しくない上、他国のさらには不法移民取締りという特殊な司法制度についての内容ですし、大半の文章をChatGPTの翻訳で読んだので間違いも多いと思います。気付いた点などございましたらご指摘いただけると幸いです。
司法令状 "judicial warrant" と行政令状 "administrative warrant" の違いについての地元紙の記事
https://x.com/FBIDirectorKash/status/1915920876215701639