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「宮本茂」を含む日記RSS

はてなキーワード:宮本茂とは

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2025-10-22

anond:20251022113054

ゲーム業界でも20年前くらいの記事読むと普通に0時帰りとかだったみたいですな

レジェンド宮本茂さんも当時は深夜帰りだったみたいなインタビューがあったぞ

Permalink |記事への反応(1) | 15:12

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2025-10-13

飯野賢治」を理解するには当時のゲーム雑誌文化についても理解する必要がある

[B!人生]飯野賢治はいつ “クリエイター飯野賢治”を演じ始め、そして演じることをやめたのか?飯野賢治生誕55周年トークライブから見えたこと【飯野賢治とは何者だったのか】 | Game*Spark -国内海外ゲーム情報サイトhttps://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.gamespark.jp/article/2025/10/11/158293.html

kuruse_haya飯野賢治は当時のゲーム雑誌でのインタビュー記事が圧倒的に面白かったんだよね。ゲームは二流・三流なんだけど。だから飯野賢治を語るには彼のゲーム作品ではなく当時のゲーム雑誌から語る必要があると思う

トップブコメのこの意見、まじでそうなのよ。

飯野賢治理解するには当時のゲームメディアを知る必要がある。

90年代日本雑誌文化の最盛期(https://current.ndl.go.jp/ca1697 によれば1996年に1兆5,984億円。この年は『エネミー・ゼロ』の発売年だ)で、もちろんゲーム情報ゲーム雑誌から入手するのが主流だった。セガサターンに限っても、ソフトバンクの『セガサターンマガジン』、徳間書店の『サターンFAN』、毎日コミュニケーションズの『グレートサターンZ』、メディアワークスの『電撃セガEX』/『電撃セガサターン』、さらCD-ROM付きのアスキー『TECHサターン』があった。

飯野ゲームスタークリエイターであったが、まずなんといってもゲーム雑誌におけるスターであった。

 

SFC時代まではゲーム雑誌でおなじみの人気クリエイターといえば、堀井雄二糸井重里さくまあきら広井王子といったフリーランスの人が多く、ゲーム会社所属しながら彼らと同等レベルで扱われるのは、宮本茂坂口博信といった上澄みも上澄みの人間に限られていた。SFC時代までに岡田耕始と金一馬が『ファミ通』に揃って登場した回数は2度しかない(それも他の人間を加えた座談会形式のものであった)。メガドライブ以前のセガハード専門誌を読むと驚かされるのだが、中裕司鈴木裕クラスですら滅多に誌面には登場しない(PCエンジン専門誌だと割とハドソンの人が出てたりはするのだけれど)。

 

ゲーム雑誌においてゲームクリエイター露出が広まったのはPS1時代というのは間違いないだろう。

――他に音楽業界手法で言うと、クリエイタークレジットちゃんと出す流れも、丸山さんのときに生まれものですよね。

 

川上氏:

 当時は、みんなゲームクリエイター名前は隠していましたからね。

 

丸山氏:

 でもさ、レコード映画クレジットを作るのが当たり前だし、あれば頑張る気になるじゃない。それに名前を隠すのはそもそも自然だし、親しみも湧かないでしょ。だいたい、高橋名人【※】みたいにプレイヤースターがいて、クリエイタースターじゃないというのはヘンじゃない。だからメーカーはみんな嫌がったけど、「名前を出した方がプロモーションやすいよ」と説得したんだ。

 

高橋名人

1959年まれゲーム関係者本名高橋利幸ファミコン全盛期にハドソン(現・コナミデジタルエンタテインメント所属ファミコン名人として一世を風靡した。ゲーム機のコントローラボタンを1秒間に16回押す「16連射」が有名。

 

 実際、これは有効なんだよ。だって普通に紹介したら雑誌で2ページ程度しか取れない作品でも、クリエイターが登場して苦労話を喋って、カメラに向かってポーズでも取ってくれたら、もう5ページくらいに露出が増えるわけ。どんどん可能なことが増えていくんだよね。

 

――つまり音楽プロモーションの「人を立てていく」手法を持ち込んだということですか?

 

丸山氏:

 そうそう。で、クリエイターには「ミュージシャンは顔出してやってるから、どこ行ってもモテるんだぜ」と教えてまわった。

https://news.denfaminicogamer.jp/interview/ps_history/3#i-2

 

PS1では現在でいうところのインディーゲームのようにいろいろな変わったゲームが登場し、フロム・ソフトウェアをはじめとする聞いたこともない会社ゲームを出すようになり、そして専門誌ではページを埋めるために開発者インタビューを大々的に載せるようになった。そうやってソニー・マガジンズの『ハイパープレイステーション』に頻繁に取り上げられていたクリエイターの一人が(セガサターン移籍前の)飯野賢治だった。

 

飯野賢治のなにが良かったか。まず見た目がインパクトある。ほかのゲーム開発者いかにも会社組織所属するサラリーマンオタクのような風貌のなか、巨体かつ長髪で眼光が鋭い。そして話すことが面白い。しがらみなく同業他社ゲーム言及するし、『ファミ通』のクロスレビューのありかたも批判する。ゲーム雑誌なのにビョーク坂本龍一の話をずっとしてたりする。セガサターン移籍前なのになぜかセガサターン専門誌で連載記事を持ってたりする。FMラジオMCもやっていたし、大阪ではピエール瀧と一緒にゲームバラエティ番組もやっていた(これ結構面白かった記憶あるんだけどネット動画上がってるの観たことないな)。『ゲーム批評』にいたっては飯野賢治だけの別冊号を出した。あと飯野賢治奥さんゲーム雑誌に連載コラムを書いていた。

彼はトリックスターとして面白かったし、次々に新しいなにかを起こしてくれるという期待があった。勢いのある深夜ラジオパーソナリティや、現代ならばSNSインフルエンサーのような受容をされていたといえば伝わるだろうか。

 

飯野ゲーム雑誌への露出が極まっていたのが『リアルサウンド風のリグレット〜』のときだった。映像のない音声だけのゲームである同作では、画面写真が使えないものから、そのぶん誌面を文字で埋めるしかない。だから飯野インタビューに登場する。ほかのゲームがせいぜいゲーム紹介記事1P+開発者インタビュー1Pという構成であったりするところを、『リアルサウンド』は飯野インタビューが2Pまるまる載る。そしてそれが毎号続く。もはやハックと言っていいだろう。誌面埋めのために飯野インタビューを取る→宣伝になるから飯野インタビューに出る→読者ウケがいいからまたリアルサウンド記事が載る、というサイクル。『セガサターンマガジン』は一時期は刊行ペースが週刊になっていたものから、誌面を埋められる人材は重宝されまくった。

 

いま飯野賢治を振り返ろうとすると、どうしても成果物ゲーム)をとっかかりにしてしまうが、あの時代における飯野賢治の受容を理解するには、それよりも当時の『ファミ通』、『ハイパープレイステーション』、『セガサターンマガジン』、『ゲーム批評』を読むほうがいいんじゃないのという話。

 

----

 

参考までに1990年代ソフトバンクセガハード専門誌からスタッフインタビューリストアップしてみた。32ビット(64ビット級)時代になった途端に開発者が一気に表に出てくるようになったのがわかるだろう。

Beep!メガドライブ1993年12月

バーチャレーシング -永田浩一(セガ

ファンタシースター ~千年紀の終りに~ -小玉理恵子、津川一吉、西山彰則(セガ

矢野一隆(セガファルコム

重田守(セガ

 

セガサターンマガジン1996年12月27日号(エネミー・ゼロ表紙)

ファイターズメガミックス -片桐大智、片岡洋、光吉猛修セガ

エネミー・ゼロ - パーラム飯田和敏(※開発者ではない)

デイトナUSA CIRCUIT EDITION -瀬上純、澤田朋伯(セガ

サイバーボッツ - 醤野貴至、澤田悦己(カプコン

ときめきメモリアルSelection藤崎詩織 - 流石野考(コナミ

新世紀エヴァンゲリオン 2ndImpression -小林正英、茂木幸樹(セガ

意見無用 -池袋サラ、新宿ジャッキーブンブン丸、柏ジェフリー

天外魔境 第四の黙示録 -広井王子森本レオ桜井智

シャイニング・ザ・ホーリィアーク -高橋宏之ソニック

EVE burst error -藤田正人、野口征垣(シーズウェア)、鈴木達也イマジニア

佐々木建仁セガ)×後藤友恵、片平貴子レースクイーン

電脳戦機バーチャロン -亙重郎セガ

セガサターンワープロセット - 大鹿敏宏(光栄)、中村憲二(エルゴソフト

センチメンタルグラフィティ -為我井徹

サクラ大戦 -田中公平牧野幸文(セガ)、原太郎ティーズミュージック

セガスキースーパーG -菅原誠(セガ

ラストブロンクス -山下信行(セガ

電脳戦機バーチャロン -亙重郎セガ

Digital DanceMix Vol.1 -安室奈美恵鈴木裕セガ

スカッドレース -名越稔洋宮本英明西村英士(セガ

 

DreamcastMagazine1999年12月31日号(D2表紙)

小島弘和、荷宮尚樹(セガ

シェンムー 一章横須賀 -松風雅也安めぐみ、岡安啓司(セガ

電脳戦機バーチャロン オラトリオ・タングラム -小林健太郎セガ

クレイジータクシー -菅野顕二(セガ

スペースチャンネル5 -水口哲也セガ

セガソフト7研 -大場規勝、小玉理恵子、伊藤知行、瓜生貴士、大原徹、西山宗弘、松浦剛、西野陽

プロ野球チームで遊ぼう! -瀬川隆哉、地宏之加藤真樹、石原学(セガ

Dの食卓2 -飯野賢治ワープ

ROOMMANIA #203 -牧野幸文、佐々木朋子(セガ

東京バス案内 -泉麻人

ベルセルク千年王国の鷹篇喪失花の章 -平沢進

爆裂無敵バンガイオー - NON、MURATA(トレジャー

央華封神 央華咲きし刻 -金月真美田沼雄一郎

お・と・い・れ -中村立行(ワカ製作所)、光吉猛修(※開発者ではない)

Permalink |記事への反応(0) | 02:21

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2025-10-01

https://anond.hatelabo.jp/20251001142227

そうかな?そうかも……

ジャンル名前代表的プロダクト活躍時期概要
🖥OSSまつもとゆきひろRuby1990年代現在世界的に普及したプログラミング言語の開発者
🎮ゲーム宮本茂マリオゼルダ1980年代現在任天堂代表するゲームクリエイター
🎮ゲーム横井軍平ゲームボーイ、ゲームウォッチ1980年代90年代携帯ゲーム機先駆者
🎮ゲーム小島秀夫メタルギアソリッド1990年代現在映像演出世界的に評価
🎮ゲーム桜井政博カービィスマブラ1990年代現在ゲーム革新をもたらす作品を開発
🎮ゲーム堀井雄二ドラゴンクエスト1980年代現在国民RPGの生みの親
🎮ゲーム田尻智ポケットモンスター1990年代現在世界的ヒットコンテンツを創出
🌐通信村井純 JUNET、日本インターネット1980年代現在日本インターネットの父
🌐通信坂村健TRON1980年代現在組込みOS国際標準を目指す
🌐通信喜連川データベース基盤1990年代現在ビッグデータ処理技術に貢献
🌐通信北川高嗣センサーネットワーク2000年代現在IoT分野の研究世界的に評価
🌐通信岡部寿男IPv6技術1990年代2000年代次世代インターネット普及に貢献
🌐通信井上光通信1980年代現在光通信インフラ技術国際的に展開
🌐通信木村貴幸標準化活動2000年代現在インターネット標準化寄与
💡電気天野浩青色LED1980年代現在ノーベル賞受賞、次世代照明を実現
💡電気中村修二青色LED1990年代現在実用化に成功ノーベル賞受賞
💡電気 赤﨑勇青色LED1960年代2010年代 先駆的な研究で基盤を築く
💡電気後藤英一半導体研究1970年代現在半導体分野で世界的業績
💡電気江崎玲於奈サキダイオード1950年代現在ノーベル物理学賞受賞
💡電気小林誠光ファイバー1970年代現在通信技術革命をもたらす
💡電気中嶋正之スーパーコンピュータ1980年代現在 並列計算技術に貢献
💡電気 南谷崇半導体材料研究2000年代現在材料分野で国際的活躍
🚆電車島秀雄新幹線1960年代1970年代新幹線開発の父
🚆電車青木由雄鉄道信号技術1980年代現在安全性を飛躍的に向上
🚆電車牧野正巳鉄道車両設計1970年代1990年代 高速車両設計に貢献
🚆電車近藤喜代太郎在来線高速化1960年代現在日本鉄道発展に寄与
🚆電車星野電車モータ1970年代現在鉄道駆動技術革新
🚆電車矢島車両制御システム1980年代現在 高度制御技術設計
🚆電車渡辺誠鉄道電気設備1980年代現在インフラ整備に尽力
🚆電車大塚康雄新幹線車両開発1990年代現在 最新型車両を推進
🏗土木佐々木睦構造設計1990年代現在建築土木を融合させる設計
🏗土木大西有三トンネル工学1970年代現在世界的なトンネル研究
🏗土木藤野陽三橋梁工学1980年代現在国際的評価の高い橋梁技術
🏗土木内藤多仲東京タワー1950年代 高層構造物の設計
🏗土木隈研吾建築IT融合1990年代現在自然素材技術を融合
🏗土木山田耐震工学1980年代現在耐震設計第一人者
🏗土木池田駿介河川工学1970年代現在洪水対策世界に貢献
🏗土木岡村コンクリート工学1980年代2000年代構造材料研究権威

Permalink |記事への反応(1) | 19:34

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2025-06-04

宮本茂「(マリオ64は) やっぱり意外と面白くなかったとかね(笑)

色々水平思考

任天堂失敗列伝〜第四回〜「マリオ64の巻」

https://hamatsu.hatenablog.com/entry/20110509/1304900342

宮本茂が語る。

〜今思うこと、5年後のこと〜

第6回 宮本茂が語る、「DK64」と「MOTHER3」。

https://www.1101.com/nintendo/nin8/nin8_6.htm

宮本茂

ひとことで言うと、よくも悪くも3Dアクションゲーム

で、いきなり批判的なことを言っちゃいますけど、

ぼく、3Dアクションゲームってほんとに面白いかな?って

思ってるんですよね、

自分で作っておいて、言うのもなんですが(笑)



 

「3Dアクションゲーム時代だ!」とか言って、

みんなをその気にさせたのはぼくなんやけども、

みんなも「そっか。これからは3Dアクションか!」って思って、

それで実際に3Dアクションゲームをつくってみたら、

たいへんだった、という思いをしてると思うし、

そのわりには意外と面白くならへんかったって、あれ?って。

だったら、マリオのことを、なんで面白いと思ったんやろ?

って言って、もう1回してみたら、

やっぱり意外と面白くなかったとかね(笑)

あのね、ほんとにそういうものだと思っているんです。

作るほうにとっても難しいし、遊ぶほうも

難しく感じることが多いの。

まり、3Dアクションというだけで面白がる時期は

終わったと思います

3Dゲームにすることで面白さが引き立つ、

ゲーム性の「アイディア」が中心にならないと、

だめなんでしょうね。


マリオ64は、宮本茂さんがディレクターで、今でもRTAされてるくらい名作の名作になのに、宮本茂さんの自己評価は低いんだよね。

3Dしたことにより、クリボーを踏むのが難しくなったデメリットなども多い中(これは2D的なシステムデザイン破綻

それ以上に、3D空間を迷ったりすること、謎解き&探索して、パワースターを探したりする別の面白さが生まれしまったんだ。

あえて言うとゼルダ的な面白さ。

ゼルダ最初から探索型のゲームだったから、ゲーム総選挙トップ1位を取れたが、マリオ64キャラクターのガワだけ使った「キャラゲー」に入っちゃうから

キャラゲーにしては飛び抜けて面白い。これが駄作にならなかったことが、マリオシリーズの呪いなのかも。

Permalink |記事への反応(0) | 03:09

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2025-04-16

現金給付の代わりにマイナポイント付与」というニュースを見るに官僚の中には悪の宮本茂というか一つの政策複数メリットを求めている層がいるのが原因なんだと思う

(今回であればマイナカード作成促進と給付というとこで)

Permalink |記事への反応(0) | 07:24

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2025-04-07

任天堂アヴィ・アラッド関係

2023年10月7日ハマスによる襲撃

2023年10月27日にいわゆるガザ侵攻が開始

2023年11月8日任天堂宮本茂アヴィ・アラッドを共同プロデューサーとするゼルダの伝説実写映画企画開始を発表

2024年3月20日アヴィ・アラッドネタニヤフを批判した米国上院議員抗議文を送りガザ地区での停戦に反対

2025年3月29日任天堂がX上でアヴィ・アラッド名前を挙げながらゼルダの伝説実写映画劇場公開日を発表


企画発表の段階では国内アヴィ・アラッドが元イスラエル軍兵士であることを問題視する声もなかったし、はてなTwitter(現X)を軽く検索たかぎり、当時はガザ侵攻についてもDD論多数派を占めていたっぽい

が後の歴史から見れば任天堂ガザ侵攻後にシオニストと手を組むことを選んだと言われるのは避けられないんだろうな


いやー、アヴィ・アラッドイスラエル軍指示を表明して停戦反対した時点で内部でなんか手を打ってると思ってたんだけど

実際海外パレスチナ支持コミュニティではスタバとかと並んでイスラエル支持企業名前としてちょくちょく任天堂名前は挙がっていて、そのうちチームから外したというプレスリリースを出したりするんだろうなと思ってたのにな

あと彼はNARUTO実写映画版のプロデューサーも努める予定で、そっちもどうなるのかと思ってたけど天下の任天堂が許容するのなら集英社追従するだろうな

Permalink |記事への反応(0) | 07:32

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2025-01-31

松本人志 ✕ 庵野秀明

松本人志 ✕ 宮本茂

松本人志 ✕ 甲本ヒロト

夢が、交わる。

Permalink |記事への反応(0) | 21:50

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2024-11-02

80年代以前(1989年まで)で最も重要コンピュータゲーム10

○選シリーズも下火になってきたところで投下するよ。


元ネタ1:

https://anond.hatelabo.jp/20241012181121

元ネタ2:

https://anond.hatelabo.jp/20241026213447


最初ファミコンだけで10選を作ろうとしたけど、方針を変えた。なぜならファミコンの初期にはアーケードから移植作が多く、それらはどちらかというとアーケード作品として評価すべきだからだ。

ついでに他のハードも含め、80年代以前のコンピュータゲームすべての中から選出することにした。なおシリーズ物は一作のみとする。ゲーム史のカンブリア紀におけるレジェンド級の作品を見て行こう。


(追記)

コメントでの指摘を受け、ポートピアジャンルグラフィックアドベンチャー修正


1.ポン(1972年/アタリ/アーケード

アメリカアタリ社が開発し、世界で初めて商業的に大ヒットをしたゲームコンピュータゲームが一大産業として成立する道を開拓し、これをきっかけとしてアメリカアタリ時代が花開くことになる。

日本では翌年にタイトーセガがポンのコピー品を作り、これが日本初のゲームとなった。


2.ブレイクアウト1976年/アタリ/アーケード

アタリのヒット作第二弾。いわゆるブロック崩し。これのリメイク版にあたるのがアルカノイドで、現代に至るまで古典的ゲームの一つとして知られている。

日本ではタイトーナムコ正規ライセンスを持って生産していたが、それ以外にも日本の多数のメーカーがこれを模倣したようなゲームを作り、のちに日本ゲーム産業が花開くきっかけとなった。

いまでは有名なメーカーが、正規ライセンスもなしにコピー品を作っていたという、大らかな時代でもあった。後にタイトーが、これをもとにスペースインベーダーを作ることになる。


3.スペースインベーダー1978年/タイトー/アーケード

初の日本メーカーによるオリジナルの大ヒット作であり、日本で初めて社会現象を巻き起こしたゲーム。それまでゲームに縁のなかった日本お茶の間にまで、コンピュータゲームを知らしめた作品

日本アーケード史上最大のヒット作といわれ、喫茶店スナックテーブルがこのゲームテーブル型筐体に置き換えられるほどだったという。

数が減るごとに動きが速くなる敵、敵がこちらを攻撃してくる緊張感、たまに出現して撃ち落とすとボーナスの入るUFOなどアドレナリンの分泌を促す仕掛けが満載で、ゲーム面白さの本質が詰まっている。


4.ゲーム&ウオッチシリーズ1980年/任天堂/ゲーム&ウオッチ)

単独ゲームソフトではないが、シリーズまとめてランクインとする。

初の大ヒットした携帯ゲーム機で、特に低年齢層を中心に爆発的にヒットした。当時のゲームセンターは不良の溜まり場で子供には出入りしにくく、据え置きの家庭用ゲーム機もあったが値段が高く、

そんな中で比較的安く買えてどこでも手軽に遊べるゲーム&ウオッチは子供向けのゲーム機としてうってつけであった。

横井軍平代表作の一つであり、シャープ提携して電卓技術で作られた玩具。この横井軍平シャープのタッグは、のちにゲームボーイを生み出すことになる。


5.パックマン1980年/ナムコ/アーケード

ナムコの躍進のきっかけとなった作品にして、日本アーケードの大ヒット作第二弾。

敵の種類ごとに異なる思考アルゴリズム、敵との強弱関係を逆転させるパワーエサ、緊張を緩めるコーヒーブレイクなどゲームを飽きさせない工夫が随所に施され、その工夫の数々は多くのクリエイターに影響を与えた。

日本のみならずアメリカでも大ヒットを飛ばし日本ゲーム世界通用することを知らしめた。80年代ゲームの中心地がアメリカから日本に移っていく、その象徴となる作品


6.ウィザードリィ1981年/サーテック/Apple II

ウルティマとどっちを選ぼうか迷ったが、こちらを選択

ウルティマと共に、すべてのコンピュータRPGの始祖と言っていい作品。もともと机上で行われていたTRPGであるD&Dコンピュータ上に移植するというアプローチで生まれた、他のゲームとはだいぶ出自の異なる作品

ゲームシステムの多くはD&Dに由来しているが、移動画面と戦闘画面の切り替えによって進めるゲーム進行、コマンドを選ぶことで進める戦闘システムなどコンピュータRPG基本的システムが完成されており、

ウルティマと共に、後のドラクエFFに大きな影響を与えた。堀井雄二坂口博信もこのゲームをやり込んだという。


7.ゼビウス1983年/ナムコ/アーケード

スペースインベーダーギャラガと続くシューティングゲーム系譜を完成させた作品

シューティングゲームフォーマットを決定付けた作品であり、これ以降に出たすべての縦シューは(あるいは横シューも)、このゲームの子である

また初めて隠れキャラ採用した作品として知られ、ゲームにおける「隠し要素」の祖ともいえる。

グレーのグラデーションで描かれた光沢のある敵のデザイン航空写真のような森、海、道の風景は、真っ黒な背景に簡素グラフィックゲームが多かった時代に圧倒的なクオリティを誇っていた。

何度でも繰り返し遊びたくなる仕掛け、背景の物語神秘性と相まって、多くの人を熱狂させた。


8.スーパーマリオブラザーズ1985年/任天堂/ファミコン

説明不要宮本茂の生み出したゲーム黎明期最高傑作の一つである

その画期性はググればいくらでも出てくるのだが、改めて分析しても同時代の中で突出した存在である

どこまでも広がる世界解放感、至るところに隠されたアイテムボーナスステージ、操作に習熟するごとに感じられる上達の喜び、初心者が楽しみながら悔しがりながら上達できるレベルデザイン

どこを取ってもオーパーツのようなゲームであり、いまだにゲーム古典的教科書の一つである

アーケードから移植作が多かった時代に、この作品は「ファミコンしか遊べない大ヒット作」であり、これ以降ゲームの主戦場アーケードから家庭内に移ることになる。(ゲームセンターに風営法適用されたことも影響している。)


9.ドラゴンクエスト1986年/エニックス/ファミコン

ウィザードリィウルティマを元に、日本人にはとっつきにくかったRPG日本人向けに大幅にアレンジして生まれ作品

これ以前にも日本メーカーからRPGはいくらか出されていたが、ドラクエの爆発的ヒットを元に、日本独自RPG=JRPG市場開拓されることになる。

とっつきにくい要素を排除するために、元のTRPGにあったリアリティを大きく削ぎ落したりしているため、当時のTRPG界隈などから批判も受けたようであるが、そうでもしなければこのゲーム国民作品になることはなかっただろう。

反面、そのあまりにも日本向けに特化しすぎたアレンジが仇となり、海外展開にはあまり成功していない。

ドラクエが生み出した(時におかしな)JRPGの「定番」「お約束」は数知れない。その影響はゲームだけに留まらず、西洋ファンタジーを題材とした漫画ラノベ等にもおよび、今日に至るまでその影響を与え続けている。


10.ゼルダの伝説1986年/任天堂/ディスクシステム

宮本茂最高傑作第二弾。スーパーマリオとはまた違った方向性世界の広さを表現した、知恵と工夫と探索のゲーム

このシリーズは極めて神がかったバランスの上に成り立っており、簡単模倣できる作品ではないため、直接のフォロワーとなる作品はあまり現れてはいない。

しかゼルダシリーズの魂とでも呼ぶべき、閃きと発見の楽しさは形を変えて多くのゲームに受け継がれている。それはダンジョンの中のちょっとしたパズルや謎解きだったり、アイテムの入手によって切り拓く道だったりするだろう。

近年のインディーズ市場において、ゼルダシリーズから影響を受けたようなゲームが多数見られることからもその影響力の大きさが伺える。



◆◆◆


以上、10選終わり。

以降は選外となった作品


Tennis forTwo1958年/ブルックヘブン国立研究所/非売品)

世界初のコンピュータゲームと呼ばれるものの一つ。オシロスコープアナログ機器で作られたゲームであり、正確にはコンピュータゲームと言えるのかも分からない。

研究所見学者に大評判だったが、その後忘れ去られ、後のゲームには影響を与えていないという。時代を先取りしすぎた作品


平安京エイリアン1979年/東京大学理論科学グループ/アーケード

学生サークルが開発し、商業的に成功した作品。いわば同人ゲーム草分けのようなものである点に着目したい。アマチュアが作ったゲームで初めてヒットした作品といっていいのではないか


ローグ(1980年/マイケル・トイ, グレン・ウィックマン/Unix

ローグライクと呼ばれるジャンルの始祖となった作品D&Dから影響を受けて作られた探索ゲームであり、実はウィザードリィウルティマよりも古く、最古のコンピュータRPGの一つに数えてもいいかもしれない。


ウルティマ1981年/リチャード・ギャリオット/Apple II 他)

コンピュータRPGの始祖の一つで、ウィザードリィと共に後のドラクエFFに大きな影響を与えた。2D見下ろし型のフィールドマップは、このゲーム元祖である


ドンキーコング1981年/任天堂/アーケード

正直10選に入れたかったが、宮本茂多すぎやろと思って外すことにした。

宮本茂の初のヒット作にして、後に世界的大スターとなるマリオデビュー作。コンパクトな画面に詰め込まれジャンプアクションで、後のスーパーマリオにつながるようなアイディアが、すでに多数詰め込まれている。


ポートピア連続殺人事件(1983年/エニックス/PC-6001/mkII)

グラフィックアドベンチャーの傑作で、堀井雄二の原点。原作PC版だが、どちらかというとファミコン版の方に着目したい。

コマンドを選んで進めるというファミコン版のスタイルドラクエの原点ともいえ、このゲームの開発で得た知見はドラクエの開発に大いに影響したことだろう。


テトリス1984年/アレクセイ・パジトノフ/Electronika 60)

最も知られているのはゲームボーイ版だが、最初に作ったのは旧ソ連科学である

ゲームボーイ版の方は「ゲームボーイ史上、もっと重要ゲーム10選」に選出されているのでこちらはあえて原作をチョイス。純粋パズルでこれだけ人を没頭させるものは他にないだろう。


三國志1985年/光栄/PC-88他)

光栄歴史シミュレーションゲーム。この2年前に「信長の野望」が発売されており、歴史シミュレーションゲームとして最初にヒットしたのはそちらであるが、俺は三國志の方を評価したい。

これは歴史のifを楽しむゲームであり、人材登用のシステムによって史実では敵だった人物を部下にするなどして、夢のドリームチームを組むという楽しみ方ができる。

歴史を題材としたゲームでありながら歴史を大胆に改変してもいいという発想が大きな魅力につながり、こうした発想は現在歴史物のゲームにも影響を与えている。


ハングオン1985年/セガ/アーケード

世界初の体感ゲームにして、セガ体感ゲームシリーズ第一弾。バイク型の筐体にまたがり、身体を傾けて操作するバイクレースゲーム

ゲームの主戦場アーケードからファミコンに移る中で、そのアーケードしか実現不可能臨場感が注目された。こうした大規模なギミックは、後にアーケード復権する鍵の一つとなる。


ザナドゥ1985年/日本ファルコム/PC-88他)

ドラクエ以前の日本RPGで大きくヒットした作品日本PCゲームで最も売れた作品とされ、ファミコンともアーケードとも異なるPCゲーム市場を先導した。


悪魔城ドラキュラ1986年/コナミ/ディスクシステム

コナミ代表するシリーズの一つとなった作品任天堂メトロイドと合わせ、メトロイドヴァニアと呼ばれるジャンル形成フォロワーが多数現れている影響力を評価したい。


アウトラン1986年/セガ/アーケード

セガ体感ゲームシリーズの一つで、リアル系ドライブゲーム元祖。車を運転すること自体の楽しさに焦点を当てたゲームで、ドライブの楽しさが存分に盛り込まれている。


ファイナルファンタジー1987年/スクウェア/ファミコン

スクウェア本領が発揮されるのは90年代だと思うのでここに入れるかも迷ったが、初代が売れなければスクウェアが潰れていた、という点で重要作品



80年代末期は、シリーズ物の二作目、三作目がヒットの中心であるため、ここまでとする。

PCエンジンやメガドライブからも選出したかったが、ここに挙げたものに並べる作品がなかった。

Permalink |記事への反応(2) | 12:35

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2024-10-06

anond:20241005164943

また歩く

久しぶりに故郷に帰った。就職を機に東京へ移り住んでから、色々な理由をつけて帰省を避け続けていた。政令指定都市の中心駅から数駅離れた、どこにでもあるような住宅街をしばら...

anond:20241005163534

東京に行くと東京流行っているものに誘われて、それで日本で売れるものを作る。で、逆にそれをすることで、日本しか売れないものを作っていることにわりと気づかないのではないかと思うようになってきました。だから僕は東京ローカルって社内では言っていて。京都グローバルというのではなく、東京ローカルであって、そういう思想で(東京に)行くんなら、せめてニューヨークって言えよっていう風に思うようになりました。

邪な意図をもって変な切り方するな😠



https://www.famitsu.com/article/202409/18892

https://web.archive.org/web/20241005231346/https://www.famitsu.com/article/202409/18892

ニンテンドーミュージアム宮本茂インタビューミュージアム新入社員やお客さんに「任天堂とは?」を説明するものも兼ねている

by世界三大三代川

2024.09.25 19:17

更新

『――さまざまな作品がこの京都から生み出されたということで、娯楽を生み出すうえでの京都という土地の魅力ってどのように感じますか?

宮本 これはね、いろいろな視点であちこちお話することがあるんですが、とくに一般に言われる京都文化大事にするとか、京都伝統を守って何かを作るとかっていうものではないんですね。最初に言いましたけど、山内ミュージアムを作るって聞いたら「やめとけ」って言うと思うんです。それくらい山内はとにかく「おごるな」で。京都はやっぱり盛者必衰というか平家物語ですし、方丈記は“ゆく河の流れは絶えずして”で、そんなフレーズが好きやなと思うのは京都いるからかもわかりません。けど、僕らもその中で流れているんですけど、淀まずにずっと流れている状態をどう維持したらいいのか、それから"おごるな”。必ず栄えたものは滅びると、そのためには新しい栄えたものを作っていく。この考えかたっていうのは、エンターテインメント会社はいちばん大事なことかなというので、山内教育を受けたものとしていちおう考えています

 それからもうひとつは、京都に僕がいたことで、一時期30歳くらいになると「京都田舎にくすぶっているとデザイナーとしてダメになる。だから東京に出ていかなきゃ」とか、いろいろなことを言われたり、自分でも思ったりしたことがあるんですけど、そのはしかのようなころを過ぎて、40歳くらいまでここで仕事をしていると、なんか妙に、30歳くらいでいっしょに仕事を始めた仲間が全部いっしょにまた仕事をしていて、なんか作ったもの世界で売れていると。それをなんでかなと思うと、東京に行くと東京流行っているものに誘われて、それで日本で売れるものを作る。で、逆にそれをすることで、日本しか売れないものを作っていることにわりと気づかないのではないかと思うようになってきました。だから僕は東京ローカルって社内では言っていて。京都グローバルというのではなく、東京ローカルであって、そういう思想で(東京に)行くんなら、せめてニューヨークって言えよっていう風に思うようになりました。で、そういうことをどうして感じて言えるようになったかというと、京都にいるコンプレックスがなかったんですね。

 たぶん僕は丹波田舎出身なので、田舎コンプレックスを持ち続けていたら「いずれは東京へ」とか「東京でどうだ」、「俺は東京へ来たぞ」と思うかもわかんないですが、ここでのんびり仕事できたっていうのは、京都にいるとそれなりの人もちゃんと残ってくれるし、京都好きな人が働いていて、それで京都の中で何をするかというと、まわりに踊らされずに自分たちが信じるものを作る。その結果、けっこう世界中で売れてるやないって。そうすると、じつはいちばん内部にあるものグローバルで、グローバルって言われているもの別にグローバルじゃないんやないかという風に、40歳くらいになると思うようになって、いまはもうそれを若手に吹き込んでいますミュージアム関係がないですね(笑)。』

https://dengekionline.com/article/202410/19493

https://web.archive.org/web/20241005231535/https://dengekionline.com/article/202410/19493

「【ニンテンドーミュージアム宮本茂インタビュー「分かりやすく、使いやす面白さを伝えることが上手な会社と思ってもらえたら」「IPを含めた任天堂という大きなブランドを選んでもらえる理由を作る」

文:ことめぐ

公開日時:2024年10月05日(土) 07:20

最終更新2024年10月05日(土) 09:03」

『――先ほど京都にこだわりがあるというお話がありましたが、様々な作品がこの京都から生み出されたということで、娯楽を生み出す上での京都という土地の魅力をどのように感じていますか?

 これはね、いろいろな視点であちこちお話することがあるんですけど、特に一般に言われる京都文化大事にするとか、京都伝統を守って何かを作るとかっていう強度ではないんですね。

 最初にも言いましたけど、山内がこれを作ると聞いたら「やめとけよ」と言いそうなぐらい、山内はとにかく「おごるな」という考え方でした。京都はやっぱり盛者必衰というか、平家物語ですし。

 方丈記の“ゆく川の流れは絶えずして、しかももとのの水にあらず”も大好きなんですけど、そんなフレーズが好きだなと思うのは、京都いるからかもわかりません。

 けど、僕らもその中で流れてるんですけど、よどまずにずっと流れてる状態をどうして維持したらいいのかを考えるんですけど、だからこそ「おごるな」と。必ず栄えたものは滅びる、そのためには新しい栄えたものを作っていく。

 この考え方というのは、京都根付いてはいるんですけども、やっぱりエンターテイメント会社には一番大事なことかなというので、山内教育を受けたものとして考えています

 また、30歳くらいの時期に「京都田舎にくすぶってるとデザイナーとしてダメになる。だから東京に出て行かなきゃ」なんて言われたり、自分でも思ったりしたことがあるんです。

 けど、その“はしか”のような頃を過ぎて40歳ぐらいまで京都仕事をしていると、なんか妙に30歳ぐらいで一緒に仕事を始めた仲間が全部一緒にまた仕事してる、そして何か作ったもの世界で売れる。

 「なんでかな?」と思うと、東京に行くと東京流行ってるものに誘われて、日本で売れるものを作る。逆にそれをすることで、日本しか売れないものを作っていることに割と気付かないんじゃないか? と思うようになってきました。

 だから僕は“東京ローカル”と社内で言っています京都グローバルということじゃなくて、東京ローカルという意味です。そういう思想で行くんなら「せめてニューヨークと言えよ」っていう風に思うようになって(笑)。なぜそういうことを言えるようになったかというと、京都にいるコンプレックスがなかったんですね。

 僕は園部という丹波田舎の者なので、田舎コンプレックスを持ち続けていたら「いずれは東京へ」とか「東京でどうだ」「俺は東京来たぞ」と思ったかもしれません。

 でもここでのんびり仕事ができ、京都にいるとそれなりの人もちゃんと残ってくれるし、京都好きな人が働いている。そして、京都の中で何をするかというと、自分らが感じるものを作る、周りに踊らされずに自分たちが信じるものを作る。

 その結果、それって結構世界で売れてるやない? と。そうすると一番内部にあるものグローバルで、グローバルと言われているもの別にグローバルじゃなのではないか? という風に40歳ぐらいになると思うようになり、今はそれを若手に吹き込んでます(笑)。』

Permalink |記事への反応(0) | 08:22

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2024-09-27

宮本茂

石破茂

あと一人は?

Permalink |記事への反応(2) | 22:39

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2024-05-24

ゲーム歴史を扱った海外ドキュメンタリーをみると、Nintendo宮本茂さんがいかに偉大かというエピソードが何度も出てくる

テレビゲーム黎明期から、今も世界トップ一角として君臨し続けているのはとんでもねー存在

Permalink |記事への反応(0) | 13:40

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2024-01-24

anond:20240124095329

横井軍平宮本茂

Permalink |記事への反応(0) | 10:03

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2024-01-21

anond:20240120225418

そのお前が気に入った宮本茂記事も会員向け有料イベントの書き起こし記事だぞ

Permalink |記事への反応(0) | 12:30

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2024-01-02

宮本茂国民栄誉賞を貰ってないのはおかし

日本では過小評価されすぎ

Permalink |記事への反応(0) | 21:34

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2023-09-21

任天堂世間作法セオリー無視するのか

たぬき地蔵になるとか、日本人しか理解できない文法ゲーム作るなよ。

オデッセイの月にウサギがいるとかもだよ。

グローバル市場舐めてんのか。

だいたい、タイトルマリオブラザーズってなんだよ。

普通ファミリーネームブラザーズってつくもんだろ。

マリオブラザーズって意味わからん

ちょっと国際感覚持てよ。

キノコの国のプリンセスピーチカメ王国侵略されるとか、もうちょいマシな設定考えてくれよ。

っと、素人目には思うんだが、

結果、いつもバカ売れ。

しゅごい。

宮本茂天才性の前には常識など無力。

Permalink |記事への反応(0) | 20:29

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2023-07-30

100年後(今年生まれた子の孫あたり)の教科書に出てくるような偉人

宮本茂……ゲームの父

大谷翔平……野球を変えた

豊田章男……ウーヴンシティを作った(未完成

他には?

Permalink |記事への反応(1) | 03:23

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2023-07-23

宮本茂任天堂に入れない(任天堂に入りたいなら自殺しよう)

https://archive.md/20091127223735/http://www.kotaku.jp/2009/11/miyamoto_nintendo_recruit.html

任天堂は一流大学の生徒たちが働きたいと思うような会社に成長しました。昨今、任天堂就職競争はいっそう激しくなってきました。

ということは、任天堂雇用も一流大学の中でも優等生を集める傾向になったということを意味します。

私は岩田さんに『もし私が今日任天堂を受けたいと思っても私の大学学位では採用されなかったでしょう』と話しているんです。」

2009年の時点でもこれかー

おそらく今はますます学歴主義は酷くなっているだろうし

そうなると世間でよく知られているように東大に入るためには親の年収1000万以上にならないといけない

学歴フィルタは親ガチャ勝負なんだよね。

結局の所、任天堂に入ってゲームを作りたい子どもはさっさと自殺して来世に期待しましょうって事で。

Permalink |記事への反応(1) | 23:29

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2023-05-17

anond:20230517094720

宮本茂が、許容できないような原作レイプは発生しないようにガチガチに監修したってよ。

 

新しく設定生えてるように見えても、宮本茂脳内にはもとからあったやつなんだ

マリオブルックリン在住で家族がいます、とかも明確にそうだったらしい。

Permalink |記事への反応(1) | 09:49

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2023-05-14

マリオ映画ちょっと自分にはあわなかった

今42歳、ファミコンスーパーマリオブラザーズから遊んでる。子供がどうしても見たいというので一緒に行った。USJなどはめちゃくちゃテンションが上がったのでマリオは好きだが、無敵で無口なマリオイメージを壊したくなかったので行きたくなかった。(漫画スーパーマリオくんや、実写版マリオスピンオフ感が明らかなので気にならない)

以下感想ネタバレあり)

  1. 映画前のマリオCMが素晴らしい。自分の中のマリオ存在が大きいのだと確認できた
  2. 車が動かないところからの客先への移動の横スクロールが素晴らしい。映画ゲームが融合している感じがしてワクワクした(ここがピークだった)
  3. 自分の将来のことで悩んだり家族に認められずに悩むマリオの姿をみたくなかった。
  4. ピーチがゲームの顔と違いすぎて慣れるのに時間がかかった
  5. 人間の動きがミニオンイルミネーション社)に出てくる人間の動きににすぎてて気持ち悪かった。ゲームっぽくしてほしかった。
  6. 音楽懐メロみたいなのを採用してくるのがすごく嫌だった、それはミニオンでは大人向けに有効かもしれないけど、大人マリオ世代マリオ映画ではノイズすぎる
  7. 特殊能力としてネコマリオが出てきた時点で「ああ、僕ら世代向けのじゃないんだな」と決定づけられたようで悲しかった(たぬきマリオ結構活躍したが)
  8. 同じような理由クッパが近年のおふざけキャラなのも嫌だった。弱いし。一作目なら最強・最悪のクッパ軍団でやってほしかった
  9. キノコ王国はまんまUSJという感じで、USJにまた行きたくなる良い作り込みだと思った

映画として気になったところ

  1. ヨッシー最後に出すなら、途中でなんでチラ見せしたのか意味不明
  2. ピーチが氷の技を使うならいっそアナ雪をもっとオマージュしてもいいと思った
  3. マリーが何にもしないなら出す意味なかった(銃が出てくるのに発砲されない的な)

まあ見に行くんじゃなかったなあという感じかなあ。子供は楽しんでたからそれでいいんだろうけど。さすが任天堂!さすが宮本茂!とは私はならなかった。

Permalink |記事への反応(0) | 00:13

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2023-04-29

anond:20230429143708

ワイは昔、京都に住んでたとき、颯爽とチャリに乗って当時の情報開発室があったところに通勤してくる宮本茂を見たことあるで。

Permalink |記事への反応(0) | 14:41

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任天堂宮本茂さんってどこに住んでるんだろう?任天堂の近く?

いや変な意味じゃなくて、

リアル実在する人間なんだーって概念としての宮本茂って話しにばかり上がってくるだけなので。

こないだなんかNHKインタビューニュースがのってて

普通になんか京都弁で話してらっしゃってて、

あー宮本茂さんって実在するんだなぁって。

そう言う意味で。

Permalink |記事への反応(1) | 14:37

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マリオ映画化記念、宮本茂も変身させようのコーナー

マリオと言えば変身。

キノコを食べて大きくなったスーパーマリオフラワーを食べて火を出せるファイアーマリオなどがいます

産みの親である宮本茂だって、色々なものを食べて変身できるに違いありません。

変身した宮本茂さんにもっと色んなマリオを作ってもらいましょう。

ヒゲを食べて坂口

ストーリーがあるRPGマリオファンタジーを作れる。

タイヤを食べて下川

シミュレーションのうたわれるマリオを作れる。

クルーザーを食べて中村茂

遊ぶたびにステージが変わり1000回遊べる不思議マリオを作れる。

・夢の中で書いたソースコードを食べて山内

マリオが車を運転するグランツーマリオを作れる。

秋元才加を食べて広井茂

ハイクオリティ映像美が堪能できるアニメーションが流れ大正桜に浪漫の嵐なマリオ大戦を作れる。

Aimingエイチームの株を食べて中茂

高速感が売りの時代が求めた16ビットマリオザヘッジホッグを作れる。

チーズ牛丼を食べて名越

ボールに入ったマリオを動かすたべごろなマリオボールを作れる。

・バネを食べて宮本名人

16連射でなんかする。

金メダルを食べて河村

マリオオリンピックに挑戦する。

立ち食い蕎麦を食べて押井

最初からマリオなどいなかったんだ。

Permalink |記事への反応(0) | 09:24

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2023-04-26

anond:20230426114504

ゼルダの伝説シリーズはやったことがあるかな

ゼルダの伝説シリーズでは、一応はRPGというポジションなのに雑魚キャラをどんなに倒してもアイテムドロップだけで、経験値に相当するポイントレベルアップがない。

これは、宮本茂の「壁を乗り越えた時だけが成長」という思想かららしいよ。

ダンジョンクリアして初めてハートの器がもらえる。

新しいダンジョンに挑戦する勇気、振り絞った知恵、その対価が成長。ということらしい。

かにゼルダシリーズの達成感、満足感というのは他にはないものがある。

NPCの数やセリフの種類は貧弱で町の数も少ない。それなのに、FFよりもドラクエよりも、世界冒険した気になれるし、成長した気になれる。

他人物語ではなく、自分物語という錯覚に陥る。

Permalink |記事への反応(0) | 12:09

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2023-02-13

ハックル先生ゲーム業界雑語り

ハックル先生ゲーム業界のことで適当フカすのはこれが初めてではない

2008年任天堂WiiDSで絶好調だった時に

任天堂の全ての功績は宮本茂という1人の大天才のおかげである

みたいな粗雑極まる記事はてなで書いたことがあった

あの当時はまだニンテンドーダイレクトもなく、任天堂歴史を詳しく語る人もいなかったんで

ストレートに信じちゃう人も大勢いたんだが当然詳しい人達からは総ツッコミをくらった

ツッコミを受けて取り繕った補完記事を出して更にその記事にもツッコミが入ったりして

話題全体でかなりのブックマークが集まったと記憶している

件の書籍任天堂のことばっかり取り上げてるのも先生任天堂ファンから……なんてことはもちろんなくて

単に昔記事を書いたか任天堂について多少の知識はある(そしてそれ以外は知らない)だけだと思う

で、ハックル先生noteを読むとあの当時に一番キツいツッコミ入れた人に対して今でも根に持ってるっぽいんだな

今回の書籍はあの時の復讐という目的もあるのかもしれないとちょっと感じた

Permalink |記事への反応(1) | 21:52

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2022-10-18

令和の子どもが楽しく遊べるファミコンゲームほとんどない

バランス悪い、操作性悪い、演出がしょぼい、理不尽な仕掛けなどなど

こんな低品質ゲーム昭和のじじいどもは満足していたのかと哀れに思われることは確実

まだマリオの1はいける、3はギリギリ面白いレベル

宮本茂はやはりすごい

Permalink |記事への反応(21) | 16:47

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