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はてなキーワード:宮廷音楽とは

2025-03-21

ブラームス世界に戻ってきた

俺は若いからブラームスが好きだった。

あの陰鬱ブツブツ小言を呟いているような音楽

長調の明るい音楽でも根底には憂いと哀愁がある。

例えば有名な第一交響曲のフィナーレだってベートヴェンやワーグナーのような大爆発はしない。

「俺がこんなに幸せでいいのかな?」みたいな後ろめたい幸せを感じているような雰囲気がある。

内向きのウジウジとした精神。そういうところが大好きだった。

でも中年差し掛かった頃、俺はこのままではダメだと思った。

ブラームスのような陰キャのウジウジした音楽にばかり浸っていたら、陰キャのウジウジした駄目オヤジになってしまう。

もっと人生を力強く生きて未来を切り開くような人間になるべきだ!

から俺は無理してそれほど好きではないベートーヴェンモーツァルトを頑張って聴いた。

よく「ドイツ三大B」(バッハベートーヴェンブラームス)とか言われているけれど、実際にはクラシック音楽世界で至高の存在とされているのはバッハベートーヴェンモーツァルトであるブラームスは1.5流扱いのシューベルトワーグナーより更に下の2流とされている雰囲気がある。

若い頃好きではなかったモーツァルトについては、じっくり聴いてみれば実に素晴らしい美の結晶であることが分かった。

特に素晴らしいのはウィーン時代12から最後の27番までのピアノ協奏曲だ。まさに音楽美の最高峰であり、その至高の美しさには思わず涙が流れ出たこともあった。交響曲33番あたりから最後の41番「ユピテル」は実に素晴らしい。

しかし、50代に入り数年して、その素晴らしいはずのモーツァルトを聴こうという気があまり起きなくなった。単純に言えばやはり主観的にどこか俺の好みではない。フェイバリットではないのだ。

モーツァルトは結局恵まれ世界に生まれ上流階級の人々が絶賛する音楽であって、上流社会の人たちがキャッキャウフフしているサロンような音楽である

モーツァルト自身貧困の中で若死にしたけれど、あれは浪費癖によるものだ。モーツァルトザルツブルク宮廷音楽レオポルト・モーツァルトの息子として生まれ神童として貴族たちの中で持て囃され成長した。この時点で恵まれた上流社会人間だった。

モーツァルト音楽にも短調作品において悲痛な悲しみが表現され、それは音楽芸術的に極めて美しいが、それはあくまで上流社会人間ちょっとしたことで傷ついてクヨクヨしているようなエレガントな悲しみであって、生存危機を予感するような本当の絶望とは違うように感じる。

モーツァルトオペラは胸糞悪い話が多い。「フィガロの結婚」のアントニオや「魔笛」のモノスタトスとか、結局老人や貧困層や異人種を見下している。

ブラームス音楽家の家系に生まれたが、父親底辺貧困音楽家で、ブラームスが生まれた家の写真を見ると当時のドイツのボロアパートのものだ。ブラームス生活に困窮する庶民世界をよく知っている。そして生涯独身であり、おそらく生涯童貞だったろう。

俺はここ数年、陰鬱精神改善して肯定的明るい人生を送ろうとしてブラームスを避け、無理にモーツァルトを聴いてきた。だけどもうやめよう。素直に聴きたい音楽聴くブラームス聴くのだ。

Permalink |記事への反応(1) | 05:47

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2024-12-12

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(中期)

 anond:20241212205415の続きである

 マリーとの破局よりもピアニストとしての活動を選び、欧州中をわかせていたリストだったが(何しろリスト風呂の残り湯を飲もうとして待機しているファンがいるとかいレベルである)、1847年にポーランドの大地主の娘であり、キエフ軍人ザインヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーヌ出会う。コンサートツアーリストキエフに来ることを知ったカロリーヌ(別居中)は、娘の誕生日のためという名目リストを招待し(誕生日に大スターを招待できるというわけでだからどのくらいのレベル金持ちかがよく分かる)、急速に二人は深い関係になっていく(意味深)。リストピアニストとしての活動打ち切りカロリーヌと一時の同居生活を経たあと、48年からヴァイマール宮廷楽長としてカロリーヌと共に腰を落ち着けることになる。カロリーヌは長い訴訟を経て婚姻無効を勝ち取るが、リストとの結婚は認められなかった。ちなみに、カロリーヌ博覧強記で雄弁な人だったらしく(リストの多くの作品にも口を出している)、あのワーグナーが引くほどだったということであるカロリーヌ身分を巡る微妙問題に加えて、音楽界の動向的にもリストドイツに居づらくなり、約10年で宮廷楽長を辞任する。つまりリストの「中期」は短い。宮廷楽長になったことで、オーケストラ作品が多く書かれるようになった一方、新規ピアノ曲はこの時期にはあまりない。大スターの座を捨てて半分隠退生活に入ったようにも見える。しかし、この時期こそが作曲家としてのリスト確立する重要時代である。前期の作品の少なくない曲(巡礼の年パガニーニ練習曲もそうだ)はこの時期に改訂され、より演奏効果は高まり、内容も充実することになる。

1.超絶技巧練習曲 S.139(1852年出版

 リスト代表作の一つ。この時期に改訂を経て完全版になった。長年の改訂を経て磨きに磨き抜かれた。

 この曲集の決定的な録音はウラジーミルオフニコフ(EMI)だろう。どの曲も非常に質が高く、穴がない(この練習曲集は多彩な技巧のデパートなので、どこか苦手なものが出るのが常)。が、残念ながら入手性は悪い。世間的に有名なのはラザール・ベルマン(Melodiya)で、新旧二種類あるが、新版1963年)が気合いが入っている。ただ、キンキンとぶっ叩くような録音で、そこまで好きにはなれない。横山幸雄SONY)は録音も良く、やはり穴も少ない。特に第5番「鬼火」の演奏が素晴らしい。

2.パガニーニによる大練習曲 S.141(1851年出版

 1840年出版パガニーニによる超絶技巧練習曲改訂版。元々の第4曲は単音アルペッジョになり大分おとなしくなったが、それ以外の曲については、難易度を落としつつ、同等以上の演奏効果を発揮できるようになった。第3番「ラ・カンパネッラ」はここで非常に完成度を上げて今の形になった。

 40年のパガ超と違い録音は多い。有名なのはアンドレワッツEMI)だと思う。昔図書館で借りて聴いたことがあるがどれも安定の演奏。その他だとフィンランドピアニスト、マッティ・レカリオ(Ondine)の激烈な演奏があるが、残念ながら廃盤で入手困難(Naxos Music Libraryにはあったかな?)。フィリペツのパガ超のCDNAXOS)にも入っており、これまた大変安定した演奏で、パガ超と合わせてフィリペツを聴くのがいいだろう。あと、「ため息」で紹介した福間洸太朗(アコースティカ)のCDにも入っている。これも大変安定していると思う。

追記)レカリオはNMLにもiTunesにあった(Raekallio Lisztででてくる)。YouTubeにもあった。https://www.youtube.com/watch?v=SkuWa2HDk58&list=OLAK5uy_kN6U4dNkOzK4Cv1DZfZDWoidTcP7yPxr8

3.ピアノソナタロ短調 S.138(1854年出版

 ピアノソナタが量産されていたのはベートーヴェン(32曲)までの時代であり、19世紀半ばにはピアノソナタ落ち目ジャンルであった。一方、気合いの入った大曲を書く時にピアノソナタという古典的様式を敢えて選ぶことはその後もあり、ショパンリストソナタはその例だろう。リストソナタは、単一楽章という異例の様式だが、単一楽章の中で多楽章形式の要素とソナタ形式提示部・展開部・再現部)の要素を融合させ、しかも一つの動機(冒頭のタッタラ~タ~ララタラララ~というつかみ所のないアレ)によって全体が統一されているという極めて斬新で前衛的な曲だった。そのため当時はよく言って賛否両論といったところで、現在ではリスト最高傑作の一つとして評価されている。

 リスト最高傑作であるからして録音も非常に多く、推薦音源を挙げるのは難しい。取り敢えずクリスティアン・ツィメルマン(Deutsche Grammophone)の演奏が端正であり、技術的にもハイレベルで良いと思う(難所でタッチが浅くならず、深く充実した響きが聞こえるのが良い!)。ぶっ飛び系なので好みは分かれると思うが、カティア・ブニアティシヴィリSONY)の演奏をよく聴いている。

 なお、この曲と関連する重要作品としてスケルツォマーチ S.177がある。面白い曲だが泣く泣く割愛した。デミジェンコHyperionHelios)が良い演奏している(ソナタや「伝説」とカップリング)ので聴いてほしい。

4.バラード第2番ロ短調 S.171 (1854年出版

 ショパン1832年パリデビューし、特にサロンでの繊細な演奏女性たちの心をわしづかみにした。リストショパン演奏に狂った一人である(またかよ)。リストショパンのことを友人と思っていたが、ショパンの方は割と適当にあしらっていたという話もあり、リスト片思いだったのかもしれない。ただし、ショパン練習曲作品10リストに、作品25をマリーに献呈している。つまりリスト夫妻にショパン練習曲は捧げられたわけで、結構親しい関係にあったことが分かる。リストショパン死後にショパンの本を書くくらいにショパンには思い入れがあり(最近新訳が出た)、弟子にもショパンを弾けと言っていたようであるが、作曲面でもポロネーズバラードなど明らかにショパンの影響と思われる様式の曲を書いている。中でもバラード第2番は大変な傑作で、冒頭の重苦しい主題が終盤にロ長調になって戻ってくるところは本当に感動的である

 これまたあまり推薦音源が思いつかないが、アンスネスEMI)のCDがかなり良かった覚えがある。前期で出したノンネンヴェルトの僧房も入っている。

 (追記)スティーヴン・ハフ(Hyperion)がポロネーズバラードを全部録音しているのを思い出した。ピアノソナタカップリング。あとショパン弾きで有名なネルソンゲルナーレーベル覚えてない)の演奏もの凄く良かったと思うのだが、どこで聴いたか・・・(この曲はショパン弾きにこそ弾いてほしい!)。YouTube動画をあげまくってCDデビューしたヴァレンティーナ・リシッツァベーゼンドルファーを使って弾いている動画がある(収録風景https://www.youtube.com/watch?v=1Qdr3Uvs09oコンサートhttps://www.youtube.com/watch?v=uBs4jtWMBj8)。97鍵もあって低音がアホみたいに響くから重たいが、この曲には合っている。ただCD(持ってない)でそこまで迫力があるかな

(再追記ゲルナーあった!(https://www.youtube.com/watch?v=m90vsN3SjvM配信もあるのかな。

5.ハンガリー詩曲第1~15番(1851/53年出版

 トムとジェリーで有名なハンガリー詩曲もこの時期に改訂が終わって現在の形になっている。リスト採録しているのはハンガリーマジャール)ではなく、ロマ音楽なのだが、リストは、ロマ民謡を素材に使ってハンガリー民族叙事詩を作り上げようとしていた(それがバルトークのようなマジャールからドイツ人が勝手なことやりやがって・・・という風に見えていたわけだが)。どの曲も重々しいラッサンと華やかなフリシュカという二つの舞曲的なパートから成り立っていて、構造的に単純で、しかピアニスト時代のようにド派手で豪快な曲が多く、リスト入門に良いと思われる。

 ミッシャ・ディヒター(Phillipes)が全曲では有名だと思う。ハンガリーリストの再来とされていたかシフラ・ジェルジの録音もあったはず。第2番はホロヴィッツ編曲版を弾いているスルタノフの爆演が好き(https://www.youtube.com/watch?v=_BFalOtwUy8)だが、スルタノフを聴くと大概の演奏が物足りなくなるおそれがある。残念ながらスルタノフは若くして亡くなってしまった。ホロヴィッツ編曲版ではない場合、第2番はカデンツァを挿入する部分があるので、独自カデンツァが見物になる。その点で一番に言及しなければならないのは我らがスーパーヴィルトゥオーゾのアムラン(Hyperion)で、アルカンの大練習曲op.76の引用が入り3分以上続く頭のおかしいぶっ飛んだカデンツァだ。日本公演の映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=pIMzL2-4bjg/8:30あたりから)。あとは自作ジャズカデンツァを用いて全体にやる気がみなぎるデニスマツーエフBMG)、ラフマニノフカデンツァ使用し爆演系のレオニード・クズミン(Russian Disc)がお勧め。ただしクズミンのCD廃盤倒産で入手困難であり、今後他社からの再発が望まれる。

 第15番「ラコッツィ行進曲」は何よりもホロヴィッツ本人のいかれた演奏聴くべきだろう(古い音源なので検索すればすぐ出てくる)。音質は悪いが、聴く価値がある。昔ホロヴィッツ編曲版にチャレンジしている勇者を見つけていたく感動したことを思い出した(https://www.nicovideo.jp/watch/sm10176725)。

 なお、15番以降19番までハンガリー詩曲はあるが、晩年様式なのでこれ以上は紹介しない。

6.タンホイザー序曲(1849年出版

 リストドイツ宮廷音楽家として、新ドイツ派(当時のドイツにおける管弦楽の停滞(と彼らは考えていた)を問題視し、ロマン主義音楽再生を志す人々)の頭目的な存在だった。そのため、同じような立場にある人々、特に売れっ子とは言い難かったワーグナー作品積極的に上演・紹介したのだが、40年代以降ピアノ編曲もいくつも作っている。リストの最も有名なワーグナー編曲は「トリスタントとイゾルデ」の終曲(愛の死 S.447)だが、自分タンホイザー序曲が単独では最上作品だと思う。何よりも前期のオペラ編曲もの同様、豪壮無比な超絶技巧を聴かせてくれるのが良い。

 ちなみにリストの次女コジマは夫のハンス・フォン・ビューローワーグナーにとっては恩人)を裏切ってワーグナー不倫し、リスト激怒する(後に和解)のだが、自分マリーやカロリーヌやらせいたことだ。

 タンホイザー序曲の録音は意外とない。ユーリ・ファヴォリン気合いが入った演奏https://www.youtube.com/watch?v=xJYkouNnuwo)が一番良いのだが、CDは手に入りにくい(一応、ヴァン・クライバーンコンクールでの演奏があるらしいのだが・・・)。スタジオ録音が望まれる。前期作品の時に名前を挙げたロルティ(CHANDOS)も美しいが、技巧的には前者が圧倒的。実は、ワーグナー本人もピアノ編曲を作っているが(https://www.youtube.com/watch?v=KdXPFBcP1bQ/カツァリスのCD「ワグネリアーナ」に入っている)、リスト編曲と比べると一目(耳?)瞭然、どちらが音楽的に充実しているかは明らかである

7. 詩的で宗教的な調べ(1853年第3稿出版

 30~40年代から書かれている曲だが、やはり最終版になったのはこの時期。もっとも早く書かれた「死者の追憶」(第3稿第4曲)を聴くと、非常に調性が曖昧な曲で、30年代から既に晩年様式が準備されていたことが分かる。第3曲「孤独の中の神の祝福」はリスト敬虔さが音楽昇華された隠れた傑作。アムランが好んでおり、2回も録音している(ノルマが入っているMusic & Arts盤とソナタや「補遺」がセットになっているHyperion)。

 この曲の中で最も有名なのは、第7曲の「葬送――1849年10月」だろう。非常に暗い曲だが、タイトルが指す通り、ハンガリー革命で奮闘し、鎮圧され死んだ人たちのための追悼音楽

 全曲では先のユーリ・ファヴォリンが録音しているが、筆者は未入手。配信で聴けたかと思う。どうでもいいことだが、デミジェンコライブ録音(Hyperion/7番のみ)を聴くと、明らかに鼻歌で歌っていて面白いグバイドゥーリナシャコンヌでも結構はっきり聞こえる)。

 宮廷楽長としての生活の中でリストの前期作品の多くが音楽的に充実されたが、音楽界での軋轢劇場でのトラブルカロリーヌ身分を巡る問題で長くは続かなかった。そろそろ次の時代に進もう。

追記

 前期のところに、ベートーヴェン交響曲ピアノ編曲についてのコメントがあった(anond:20241212215414)。

 リストベートーヴェン交響曲を全曲編曲しているが、初版出版1865年で、時期的には後期にあたる。ただし、3、5-7番の編曲は1837年には出来ており、個別出版されていたようだ。リストピアニスト時代からベートーヴェン作品布教に熱心に取り組んでおり、その一環として作られた。ボンベートーヴェン記念碑建設のために多額の資金提供したりもしている(ちなみに同様に寄付を呼びかけるためにシューマン作曲したのが「幻想曲ハ長調」だ)。

 リスト作品の中でも記念碑的なものになるが、コンセプトは幻想交響曲編曲同様なので泣く泣く割愛した。

Permalink |記事への反応(1) | 22:27

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2023-12-19

anond:20231216182609

長いこと室内楽をだらだらやりつつも、あんまり俺も詳しいわけではないので語るのもなんだし、そのうちクラオタというオタク界で最も闇の深いところに住む怖い方々から講釈頂けるだろうから控えようとは思ったが、ディヴェルティメントから伝って探しても見つからないだろうなぁと思ったので書いてみる。

モーツァルトのディヴェルティメントは間違いなく名曲だが、さすがに2千回も聴くほど好きってのは初めて聞いたのでいろんな人もいるんだなぁと思った。そこからプロファイルしてみよう。

作曲家にも努力型/天才型が居て(まぁ歴史に残る作曲家はみんな努力した天才なんだが)、ご存じの通りモーツァルト天才型ですげえざっくり神童と呼ばれた幼少期(初期)、メキメキと才能を発揮して実験的なこともした青年期(中期)(ウ○コマン期)、色々と人生の哀歓を味わった壮年期(後期)で結構作風が変わる。このディベルティメントは中期の作品。ということで

1.誰が:天才が作った若い頃の

2.どんな:軽快な長調宮廷音楽である

3.なに:多楽章形式室内楽

ってことになる。

1から入るならメンデルスゾーンが同じ属性なので近い曲が見つかると思う、バイオリンソナタはディヴェルティメントに近いが、バイオリン協奏曲も有名なので聴いてほしい。

2は古典派の音楽全部じゃねーかって気はするが、ハイドン皇帝ヒバリグリーグのホルベルグあたりは特に近いと思う

3は無限にあるけど有名どころだとチャイコフスキーの弦楽セレナーデシベリウスのカレリアとかだろうか、どれもド定番から既に聴いてるかもしれないが。

もちろんモーツァルトをひたすら聞いても人生1回分には十分なので彼の伝記(漫画でよい、もちろん吉田秀和でも良いが)を読んでこのころに書いたんかなぁ〜とか妄想しながらディベルティメント、アイネク、ピアノソナタ28とかを聞き直してくれてもいいと思う。

あと俺の最推しは「偉大な芸術家の思い出に」って曲です。これも良い曲なんや。素敵な音楽出会えることを祈る。

Permalink |記事への反応(0) | 01:06

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2023-08-29

anond:20230829124811

古代ギリシャ時代から吟遊詩人弦楽器を弾いて歌って歩いてたから、

据え置きの大きな楽器をつかう宮廷音楽とは別に庶民音楽はあったと思う。

笛とか太鼓は昔からあるしね。

アフリかの部族だって音楽やってるわけで。

Permalink |記事への反応(0) | 12:57

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2023-08-02

クラシック市民階級音楽だとかいデマについて

ちげーだろ。

クラシックってのは著作権フリーから配信動画BGM音楽配信サービス楽曲数水増しに使うための、「配信音楽」だろうが。

19世紀市民階級の間でコンサート流行って昔の曲が発掘されたんです…って、ちげーだろ。19世紀たかが数万人が聞くようになった程度でそれらの音楽が「市民音楽」になるんなら、配信で数千万〜数億人が聞くようになったら「配信音楽」になるに決まってんだろ。

19世紀富裕層市民が聞くようになったっていう変化やその影響に目を向けるのは全然構わないが、それをもって「市民階級音楽」とか言い出すのはデマしかねぇ。ここ10年くらい、この耳目を驚かせる為のデマ流行り過ぎてんねん。てめぇらジャコバン派かよ。

いかクラシックは「配信音楽」だ。ロマン派より前のクラシックは「市民階級音楽」ではない。まぁ「宮廷音楽」とか「教会音楽」だと主張するなら話聞いて靴舐めてやるよ。

Permalink |記事への反応(0) | 11:25

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2022-12-31

結束バンドが売れていることに対して「もっといい曲がある」と言ってる人がいるの音楽の授業の敗北でしょ

芸術とはコミュニケーションの一形態である」という大前提を伝えるのが音楽美術という科目の教育要領の根っこだと思います

なんとなく気持ちがいい、とにかく上手、といった要素は芸術において重要評価点ではありますが、あくま評価点であって主題ではない。

メインとなることは「何を伝えようとしているか」なのです。

宗教画であれば「神という偉大な存在物語」を共有するための手段として存在しますし、オペラミュージックであれば「場面の持つ意味を強調する」ことを目的します。

音楽はその歴史の中で技巧に偏る部分が多く、宮廷音楽についても「こんなにも素晴らしい音楽を聞いている自分たち貴族精神的な豊かさ」に重きをおいた表現になりがちでした。

そこから大衆化を経る過程において「純粋音楽の持つ楽しさを共有する」ということへとテーマが移っていきます

やがて現代ポピュラーミュージックにおいては、「現代社会の中で感じる様々な感情」が表現のメインへとなるわけです。

世界の音楽チャート上位をラブソングが占めがちなのは恋愛というものが「共有したくなるような事柄が多い事象であるからだと言えます

まり音楽とは昔も今も音を通して何らかの「物語」や「感覚」を共有するものとなっているのです。

造り手の想定したイメージを、受け手音楽を聞くことによって脳内に再度作り出す。

それは紛れもなく「コミュニケーション」なんですね。

結束バンドアルバム「結束バンド」はそうそうたるメンバーを集めた上で「駆け出しの天才たちによる青春ロックバンドファーストアルバム」というコンセプトでリリースされます

バンドとは元来「世の中に何か表現したい者たち」が集まって産まれもの、その「表現したい者たちが集まって産まれた」という状態のもの表現するのがこの名盤「結束バンド」なのです。

大衆化とそれへの反発心が混ざり合う中で詰め込みすぎた結果の若干なチグハグさ、そういったものが確かに感じ取れます

音楽という強力な武器を持ってしてでも何者かに伝えんとする強力な叫び、その最もプリミティブな部分がファーストアルバムの奥底には光るものですが、結束バンドにならぶ「後藤ひとりという孤独人間による反抗」というコンセプトの歌詞はハッキリとそれが現れています

ロックとは大本をたどれば反発のミュージックであるわけですが、今では最も平穏でありきたりな音楽の一つとさえなっています

同時に、「社会への反抗」「本当は人付き合いなんて好きじゃないことの暴露」といった事柄も、今ではポピュラー文化の一つとなり、SNS等では日常のように誰もが口にするようになりました。

ですがその中にはそれぞれが心に持つ確かな苦しみや叫びがあるわけです。

現代に宿るそういった「一般化した反抗心とロック」を、「結束バンド後藤ひとり」という触媒を用いることによって鮮烈に浮かび上がらせ「現代におけるロック」を一つの形に組み直したのがアルバム「結束バンド」なのです。

その表現に対して「もっと上がある」というのはナンセンスだと思います

コミュニケーションには間違いなく良し悪しがありまして、それは「表現しようとしたもの表現できているか」で決まります

結束バンドアルバム「結束バンド」は、それによって表現しようとしたものが確かに表現できている。

これに対して「もっと良いものがある」と言ってしまうのはどうにも心が貧しいように思えますね。

もっと売れそうなものがある」なら別に何の問題もないのですがね。

売れやすいと良い悪いは別ですから

Permalink |記事への反応(1) | 14:40

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2022-01-09

anond:20220109155036

リュリクープランラモーがまさにその時代大家じゃん。

あとドイツクラシックの源流は、フランス宮廷音楽ロココギャラントにある。

その意味で、フランスバロック〜前古典派においても歴史的重要

Permalink |記事への反応(3) | 16:27

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2021-10-11

これのソースって雑誌

5chに連投コピペで貼られてたんだけど、ググっても元の文章が出てこない。

すぎやまこういち×植松伸夫


すぎやまこういち1931年東京都生。作曲家日本バックギャモン協会会長

植松伸夫1959年高知県生。神奈川大学外国語学部英語科を卒業後、TVCM等フリー活躍し、1986年スクウェア入社


(要約)


すきやま:

だんだんドラクエ関連のスケジュールだけで1年終わっちゃうみたいな有様になってきちゃって、

あんまり他のことができなくなってきてるんだよね。困ったもんだよ。

ドラクエやると、やれCDブックだアニメときて、レコードブラスバージョンエレクトーンバージョンピアノバージョンが出て、

そうなると色んな出版社ピアノ譜やエレクトーン譜を出す。そんなことやってるから1年潰れちゃうもんね。


植松

そんな忙しい中で「半熟英雄」やって頂きましたからね(笑)


すきやま:

どうしても大変だと思いながら、「このゲームが好きだなあ」ってことになるとついね


植松

まさか本当にやって頂けるとはね。言ってみるもんだなとつくづく思いましたよ(笑)


すきやま:

でも楽しかったね、あれは。FFVも大変だったね。やっと僕も上がったんですけどね。

植松君は働き者だなとつくづく思いましたよ。何曲あるの、あれ?


植松

60近くはあるかもしれないですね。


すぎやま:

60曲あのゲームの中にあるということは、実際作った曲はその裏にもっとあるでしょう。何曲ぐらい?


植松

1コーラス作ったという感じで言ったら100曲ぐらいいってるかもしれないですね。


すぎやま:

働き者だなあ(笑)


植松

数撃って当てようという方向でいってますから(笑)

曲数が多いというのも一既にいいとは言えないとも思ってるんですよね。

1曲1曲のイメージが薄らいじゃいますからね。


すぎやま:

それはあるよ。IVときのがVより曲数少なかったでしょう?


植松

そんなでもないんですけどね、それでも10曲ぐらいは少ないかな?


すぎやま:

そうでしょ。やってる時はこの曲面白いなと思うんだけど、終わったあと覚えてる数が少ない感じがしたね。

その原因は何だろうと思ったんだけど、多すぎるというのがあるのかもしれないな。

でもやっぱりどんどん意欲が湧いて、ここはこういう曲にしちゃおう、ここはこうしようっていうのが出てきちゃうものだよね。


植松

作ってる方としてはまだ足りないんじゃないかという気もするんですよね。完成したあとに自分でやってみますよね。

そうすると、こことここの音楽変わってないやっていうところがいくつかあるんですよ。

から作った本人は全部曲覚えてるから別に問題ないんですけど、

自分以外の一般の人にとっては多いかなとは思ってるんですけどね。

30曲に抑えようとしたんですよ。IVときちょっと多いと思ったんです。

今回は絞り込んでやろうと思ってたんですけど、欲が出てしまますね。


すぎやま:

僕も曲を絞り込むとき断腸の思いでね。切る作業が大変ですよ。

前にも言ったと思うんだけど、むこうのミュージカルなんかを見ると本当に曲数少ないんだよね。

でも植松さんのやり方でいいなと思うのは、1つの曲をシーンに応じてアレンジを変えて出すケースが多いでしょう。

それでカバーしていくともっと絞り込めるかもしれない。


植松

なんであんなに増えちゃったんだろう(笑)


すきやま:

働き者なんだよ。FFVの曲は植松さんの趣味趣向がはっきり出てるから

それがある意味でいい個性になってていいなというのがありますね。

スコットランド民謡をはじめとして、民族音楽への傾斜というのがあるでしょ。


植松

今回そのアイルランドリールっぽい曲を入れたのって初めてなんですけど、あれを入れます

ユーザー意見なんかのハガキに「アイルランド行ってきて帰ってきたらもうこれだ」というのがあるんですよ(笑)

別にアイルランドから帰ってきて、その影響受けてやってるわけじゃないんですけど。

以前から凄く民族音楽に興味がありまして、入れたかったんですけどファミコンときとかって難しいじゃないですか。


すぎやま:

ちょっとやりにくいよね。


植松

いつかやってやろうと思ってたんですけど、あんまり興味本位民族音楽好きだから

入れるというのも安っぽく見えてイヤかなと思ったんですけどね。

先日、すぎやま先生がうちの職場にいらした時にお話ししたんですけど、今トルコ音楽を習いに行ってまして、

そういう教室へ行くと民族楽器かいっぱい売ってるんですよ。


すぎやま:

なんか君の部屋に不思議楽器が置いてありましたよね。


植松

日本人だったら日本音楽ルーツとして民謡とかがあるはずだと思ってるんですよ。

日本に昔からある音楽自分の血の中にあるはずだって自分では思ってるんですけど、

一度「雅楽(古来の宮廷音楽総称)」の“ひちりき”(雅楽用の竹製管楽器)を習いに行ったことがあるんです。

そうすると自分の中に流れている血というよりも、逆にそれがすごく新しい、

ブライアン・イーノシンセサイザー音楽に近い印象があったんですよね。


すぎやま:

笙(雅楽用の管楽器)のハーモニーなんかは音の響きが非常にシンセサイザー的な新しさがあるよね。


植松

そうなんですよ。だからこれはものすごく面白いけど、自分にとっての血ではない気がしたんですよ。

雅楽朝鮮からのものですけどね、そういうルーツみたいなものを考えていったら、

逆にヨーロッパ民族音楽がすごく自分にピンとくるものがあったんです。

だったらそんな日本人のルーツかいってないで

自分にとってピンとくるものを追っかけていく方が面白いんじゃないだろうかと思って、

最近自分日本人だから日本古来の音楽をどうのこうのという考えはなくなってきてるんですよね。


すぎやま:

僕ら日本人で日本の文化の中で暮らしていると、いつかは三味線音楽や琴の音楽が耳に触れてるわけ。

和風喫茶レストランエアラインなんかでもいつの間にか聞こえてくる。

アメリカで生まれ住んでるとそれは耳に触れないで大人なっちゃうでしょう。

僕らは耳に触れてるから、知らない間にそういう音感は身についてると思うの。


僕が植松さんの音楽でこの人やっぱり日本人だと感じたのは、

町の音楽「ミーファー」ってメロディがいくときに、もう1つの声部が「ミーミー」とそのまま引っ張って、

ミとファが平気でガチャーンと使ってるのがあるでしょう(トゥールの村などの音楽)。

あれって西洋音楽で育った人では絶対やらないことなんですよ。


植松

バッテンなんですよね。


すぎやま:

植松さんはあれにある種の美しさを感じるからやってるわけでしょう。

で、僕も日本人だから聞いて「あ、ここいいな」と思ったんですよ。

「ソーミーファー」というのと「ソーミーミー」というところでミとファがぶつかっているのは、

西洋音楽エフメジャーセブンの中のミとファのぶつかりの意味とは全然違う意味のミとファでしょ。

それは江戸時代三味線や琴の音楽しょっちゅうやってることなんだよな。

ラファミミファミミファファミ」といってるときに、1は「ミミミ」といってミとファがぶつかってるという、

そういうテンションに美しさを感じるという江戸時代音楽家らの伝統みたいな感覚の流れがあるんだよね。

あの部分を聞いて植松伸夫もやっぱり日本人だと思ったんですよ。

で、僕もアレをイヤだと思わずに、あぁこれいいなと感じて、僕も日本人だなと再確認したんです。

意識的にやらずに自然にやったんでしょう?


植松

僕はフラットナインのぶつかり具合とか、

ミとファの半音メロディ伴奏が平気でぶつかることがしばしばあるんですよね。

自分でもああぶつかってるな、クラシック音楽テストなら絶対バツだなと思っても、

その響き欲しいしと思ってそのまま残すこともあるんですよ。


すぎやま:

それが間違いか間違いじゃないかというのは、感覚的にそのぶつかりが許せるかどうかなのよ。

いいと思うかどうかなのね。だから西洋音楽なんかも近代音楽以降はガンガンぷつかるでしょう。

それが前後関係音楽全体の姿からいって、感覚的にこれが美しいと思えるものはマルなのね。

ミとファのぶつかりあいが美しいと思える感受性があってやったものであれば間違いじゃないんだよ。

ただそれが自分一人でいいと思ってるだけで、世の中全員が気持ち悪いと思ったら

これは単なるひとりよがりしかないんだよね。


植松

難しいですよね。音楽学問にした人というのは、かなり強引だと思ってるんですよ。

どうやって音楽の点つけるんだろうって未だに僕思ってるんですよね。

中学校を通して音楽というもの学校教育に取り入れて100点取った人は偉い、

50点取った人はしっかりしなさいという教育を受けてるから

大人になって楽器を手にしなくなっちゃう人が多いんじゃないでしょうかね。


すぎやま:

音楽教育というのがどうあるべきかというものは、これはもっと考えなくてはいけない問題で、

文部省現場教師の考え方に反省点は多々あると思いますよ。


植松

すごい話してますよね(笑)文部省がどうだって


すぎやま:

笛を吹いたことについて点数つけることよりも、笛吹く楽しさをわからせるのが大事だよね。

音楽の楽しさを感じてもらうというのはとても大事なことでね。

からファイナルファンタジーとかドラゴンクエスト音楽というのは大事なんですよ。


植松

最近音楽全然興味ない子供達でもゲームとかで遊んでて、

ドラゴンクエスト音楽が好きになってコンサート行きますよね。

すぎやま先生なんかのコンサートはフルオーケストラでやってらっしゃるでしょう。

それはものすごい影響力だと思うんですよね。

子供オーケストラを生で聞くチャンスが普段あるかというと、少なくとも僕は子供の頃そんな経験はしてないんですよ。

そうすると、ある意味ですごく羨ましいんですよね。小学校2-3年という頃に、N響の音が年に1回、生で聞けるわけでしょう。


すぎやま:

他のオケなんかのコンサート数えると、20-30回やってるよ。全部ドラクエじゃないにしても、1コーナーとかね。

から、あちこちに頼まれて棒振りに行く仕事もやってます。それは大事なことだからね。

ドラクエの棒振りは何はなくとも行くようにしてますけど。


植松

教育の一環ですよね(笑)


すぎやま:

しかし、いつもゲーム音楽作るときに、昔の大作曲家作品聞くじゃない。

とてもかなわないなと思うことが多いね


植松

すぎやまさんがそんなこと言ったらこちらの立場はどうなるんですか(笑)


すぎやま:

昨日久しぶりにバレエ見ようと思って神奈川県民ホールに「くるみ割り人形」見に行ったの。

チャイコフスキーのド天才めって感じだよ(笑)。とんでもない天才だね。


植松

チャイコフスキーは僕もすごく好きですね。音楽は誰が好きなんですかなんてインタビューとかであるじゃないですか。

そのときは一番最初チャイコフスキーを挙げますね。


すぎやま:

とんでもない大天才だよね、あの人は。

あの時代20世紀の音楽家が考えて書くようなヴォイシングやってたりするわけよ。オーケストレーションうまいこと。


植松

この前、西田敏行ロシアに行ってチャイコフスキー足跡を辿るという番組テレビでやってたんですよ。

僕もチャイコフスキー好きだから見てたんですけど、チャイコフスキーホモであるというのを聞いて、

「ああ良かった」と思ったんですよね(笑)


すきやま:

その良かったというのはどういう意味なの?


植松

どこかプラマイゼロじゃないとダメということです(笑)

チャイコフスキー人間だったんだなというね。ま、噂なんですけどね。


すきやま:

モーツァルトなんか完全にいってるよね。大天才でも大欠点があるという。


植松

チャイコフスキーしろモーツァルトしろメロディが非常にわかやすいんですよね。

クラシックって難しいから嫌いという人が多いですけど、そんなことないと思うんですよ。


すきやま:

ベートーベンとかブラームスあたりはみんなそうだよ。いいメロディもってるよ。


植松

やっぱりメロディなんじゃないかという気がするんですよ。


すぎやま:

くそうだと思いますよ。


植松

からドラクエなんかはオーケストラでやっても子供が聞けるんですよ。


すぎやま:

ドラクエにしてもFFにしてもメロディ大事にしてるからそこに強みがあるでしょう。

他にもFFでは民族音楽的なのがありましたな。デデンッデデンッ…てやつ(笑)


植松

民族音楽というか黒魔術の呪術音楽のようなやつですね。


すきやま:

からそのうちトルコも出てくるぞ(笑) FFでは吟遊詩人というジョブがあるじゃない。

吟遊詩人マップの中のトルコアイルランドみたいなところへ行ったりするとそこの音楽を覚えて、

それを戦闘中に唄うと何かが起こるみたいなことがあれば面白いんじゃない。


植松

また曲数増えちゃいます(笑)


すぎやま:

増えるね(笑) でも吟遊詩人というジョブがあるから使えそうな気もするね。


植松

一度何かに絡めてやってやろうと思ってるんですけどね。

どうしても容量がそういう余分なところまで回らないんですよ。


すぎやま:

他を減らさなきゃならないからね。町の音楽全部一緒にしたり。


植松

でも町は2個だけですからね。マップの曲も3つだし。


すぎやま:

ダンジョンも違う?そんな気もしたんだけど。


植松

いや、ダンジョンという曲は1曲しか用意してないんですよね。他で使ってるのを使いまわしてるんです。


すぎやま:

でもなんかすごく多い気がしたな。


植松

実際多いんですよね。飛空艇は1曲ですし、チョコボは2曲だし。


すぎやま:

チョコボはまた面白いね。あの音楽と動きを見事にシンクロさせてて良かった。


植松

あそこらへんはプログラマなんかと楽しんで作ってましたよ。


すぎやま:

ピアノお稽古面白かった。


植松

あれも最後は何の曲にしようかということで、うちの坂口が、

ヘタクソなやつが最後コンサートピアニストぐらいにしてくれと言われたんで、

最初メトロノームにも合わせられないようなところから始めて、最後ドビュッシーまで弾けちゃうんですけど、

あのドビュッシーの曲(月の光)をみんなあんまり知らないんで、ガッカリしちゃったんです。


すぎやま:

グリークとかチャイコフスキーピアノコンチェルトみたいな方がコンサートピアニストみたいな気がするからね。

僕に相談してくれれば良かったのに(笑)


植松

そうですよね。最後のが弱かったのが残念だったな。


すぎやま:

でもああいう遊びの部分も楽しかったよね。


植松

息抜きというやつですね。でも結構一生懸命やっちゃうんで、息抜きできなくなっちゃうんですけど。


すぎやま:

作ってる本人はいいんだよ。遊ぶ方は息抜きできるんだから植松さんはドラクエは上がったの?


植松

実は最後ダンジョンの手前でFFVアレンジCD仕事に入っちゃいまして、まだなんですよ。


すぎやま:

上がってないの!?


植松

申し訳ないっす(笑)

今日までに終わらせるつもりだったんですけど。


すぎやま:

僕は対談頼まれときに、12月中だと聞いてそれまでにFFVを終わらせる自信ないって言ってたんだけど、

元祖プロゲーマーを称してるからには面目にかけても上がろうと、しゃにむにやって上がりましたよ。

途中でやんなっちゃゲームだと上がれないけど、やってて楽しかたから相当寝不足になりましたよ。


植松

今回はアマチュア勝利ですかね。スクウェアメンツって、単独独立して音楽で食っていけるか、

絵で食っていけるか、企画で食っていけるかという連中がまだ1人もいないんですよね。


すぎやま:

植松さんは大丈夫じゃない。


植松

いえいえ。平均年齢がまだFFチームでいうと25ぐらいなんですよね。


すぎやま:

ドラクエチームもそうですよ。皆さん若い。僕1人だけ飛び抜けてるんだ。


植松

結局若い、何かやってやろうという奴らが集まってるんですよね。

そいつらが泥まみれになって一緒くたになって限度知らずの頑張りをするんですよね。

全てのプロの人がそうというわけじゃないんですけど、中にはお金と割り切って仕事をする方もいらっしゃいますよね。

そうするとある程度から先の気力とか頑張りを越すというのは難しいというのがたまにあるじゃないですか。

そういうことが5のチームには無かったんですよ。

とにかく最後最後まで、〆切のマスター任天堂に送る朝まで、どこまでできるかということをみんながやったので、

そこらへんの適当プロの人を集めて作っても、ああい気合いの入った作品は出来なかったんじゃないかなと思うんですよ。

今になってやってみると、あそこをこうした方がいいというのはうのはいっぱいあるんですけど、

終わった時点ではもうこれ以上はできない、とみんなが思ってるんですよね。僕もあのときはそうでしたしね。


すぎやま:

結局世の中を見てると、FFにしてもドラクエにしてもそうだけど、

好きで好きでとことんまで頑張るという人が集まってるところのゲームがヒットしてるんだよね。


植松

その気合いみたいなものが通じるんですかね。

Permalink |記事への反応(0) | 19:44

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2021-05-14

漫画男性向けと女性向けに分かれているのはなぜですか

漫画雑誌文化の一部であり雑誌には男性誌女性誌があるからというもっともらしい説明を聞きました。

それにくわえて漫画は娯楽性が高くて男には戦いと美女、女には恋愛イケメンを主な目玉にやってきたから男女の偏差が生まれやすいからということだそうです。

けれども雑誌文化ということであれば日本近代文学雑誌文化です。同人誌です。

しかラノベなど一部のジャンルを除いては男性向けだとか女性向けとか公式にあるいは読者が言う傾向は見られません。

それについて調べてみると文学そもそも女が見るようなもんじゃなかった時代販路なりが成立したんだろうといいます

(漫画手塚リボンの騎士赤塚がアッコちゃんやってた通り勃興早々に少女漫画分岐していた。 )

しか見ていないからわざわざ男性向けと自称するまでもなかった。そこから女性が参加するようになれば、余計なラベリングがされていなかった雑誌はおのずと総合誌的な色合いを帯びるようになったということでしょう。

ㅤㅤ

しかし「販路の成立の仕方」ということで見ると、映画音楽小説と似た事情だと思います

映画音楽を男や女しかしまなかった時期があったとは考えにくいですね。

映画 男女比」と検索するとハリウッド映画の男女不均衡が調査で浮き彫りに」という見出しも出てきます。男女不均衡を話題として取り上げること自体が、映画はかつで男女に等しく楽しまれたものだったという前提を示唆しています

(ちなみに、男女差が当たり前にある漫画文化目線で見ると男女不均衡を記事にすること自体にも違和感を禁じ得ないでしょう)

音楽にしてもそう。伝統音楽典型的でしょう。ケルト音楽ケチャ中国音楽を男女の一方しかしまなかったということがあったでしょうか。

(まあ中国音楽ドラマで悪の皇帝宮廷音楽を楽しんでるのを見てるから男の娯楽みたいに見えてきますが)

他にも伝統音楽というのは数多ありますが、このようなもの部族みんなで囲んで楽しまれるようなものだっただろうから目的的にも性差が組み込まれようがないわけです。

現代でもCDショップに行ってもアイドルのを除けば男女で棚分けされていることもありませんしね。

ちなみにゲーム場合ハクティビズムが源流にあってこれはギーク趣味、男に偏った文化だったしょう。事情として小説(=文学)に近いと思います

ㅤㅤㅤㅤ

映画音楽場合では娯楽性という面でも漫画と近接していると思います

けれども娯楽本位だから、チープな文化から男女差が起こりやすいという言説は退けられるべきでしょう。

映画でもマーベル系は男性客に偏ってるのかなという印象もありますが、恋愛主題としてきた多くの映画別に男性向けとか女性向けとか言われていません。これらはたとえば崇高なメッセージが込められていたか作品としても高尚なものへと昇華し鑑賞者の性別凌駕したのでしょうか。

そういうこともあるかもしれませんが、そうじゃないものも十分多いと思います

映画は高尚だから自分の性に関わらず楽しめ、漫画はそうじゃないから性に依存するというのは、漫画側に対する不当な矮小化に思えます

ㅤㅤㅤㅤ

音楽だって純粋な娯楽でしょう。上手い人のピアノ即興曲は男女に関係なく人を魅了します。またその旋律に男女の物語を乗せることができるという点でも映画漫画との違いはありません。

ㅤㅤㅤㅤ

媒体という表現のあり方が性差を生んでいるかもしれないとも考えました。

その意味では音楽を除き映画漫画が同じ視覚表現なので近似しているように見えます

また美術館に展示されるような絵画についても、このような芸術もまた上流階級の主流である男性にもっぱら楽しまれていた点では小説に近い事情ですが、引き合いに出したいと思います(現在美術に男女差が見られない理由過去販路の成立の仕方に限る必然性がないから)。

映画は実写。小説デフォルメされています。この点はむしろ絵画に近いでしょう。

また小説との比較では、小説は文が主体漫画は絵が主体という違いがあります

これらを総合すると、絵による視覚的な刺激は文章と違って刺激が強く、男性に好まれるような描き方は女性にとっては関心を呼ばないばかりか嫌悪感すらを抱かせやすい(逆も然り)という意味排他性が強い表現なのかもしれない、ということがまず言えそうです。

しか問題主体が絵であること自体ではなく、絵画との相違点としての、漫画における絵の特徴が関係しているのだというところに焦点が絞られると思います

ではその違いは何か、そこが難しいところなのです。

漫画は実写と比べてもかけ離れたデフォルメを使っているから」と言ってみても、それは程度問題しかなく、特徴を質的に捉え切れたことにはならないでしょう。今の私の頭で考えられるのはここまでです。

ㅤㅤㅤㅤ

蛇足

ちなみによく考えるとテレビなんかは男女差のないこれ以上ない卑近な例ですよね。男女差があるように作っては最高でも人口の半分程度しか視聴者を期待できないということで、視聴率の点でテレビ局が困るのです。

もちろんドラマなどには二兎を追う者は一兎をも得ず式の一方の性別によく愛されるような内容に仕上げる制作方法も見られると思います

しかしたとえばNHKゴールデンタイムバラエティーなんかわかりやすいと思いますが、(ためして)ガッテン日本人のおなまえの視聴者に男女の有意差があるとは到底思えないでしょう。

それには「ためになる内容を提供する」テーマ的な部分と、人材的な部分があるのかもしれません。

名前雑学とか医学知識かいうことのお役立ち度合いに男女差はないでしょう。

人材的な部分というのは、アイドルでもイケメン美女でもなく、とにかく無難ルックスの人たちで出演陣を固められてる傾向があるということです。

男女の一方に好かれるような人を起用すれば、その人数が奇数であればどちらかの性別に向けた色合いを帯びてきてしまうのは自明でしょう。

しかもたとえ人数的に均等であったとしてもパワーバランスの点で完全に均衡させるのは難しいから、やはりおのずと偏りが生まれしまうと思います

逆に特に容姿の端正さで採用されたわけでもないアナウンサー適当バラエティタレントにはそういう意味でのフックがありませんから、そういう人たちで絵面を構成させることで、ポリコレも真っ青なTHE中性的番組が生まれるのだと思います

Permalink |記事への反応(3) | 18:31

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2021-03-28

fff -フォルティッシッシモ-』〜歓喜に歌え!〜 第13-14場

anond:20210314223160

ネタバレ

第13場実況

A 雪原〜雪のシンフォニー

雪組だけに?

これ一幕ものでよかった、と思う。

雪原?ロシアロシアナポレオンが敗北したロシア。でもサクサク動いてみんなを助けて、いい人なんだなあナポレオンさん。

ここは少し気持ちがダレた。もうちょっと演者側でやりようがあったように感じる。ワンスマックスやこのナポレオン、月城かなと氏だったらどう演じたかなと考える。city hunterは楽しみにしている。

ベートーヴェン「おれたちは何のために生きてるんだ」

ナポレオン「苦しむためだ」「苦しむためじゃなかったら、おまえは何のために生きてきた」

人間はあらゆるもの発明することができる。ただ幸福になる術を除いては」不可能あるやん、ていう。

ベートーヴェン平和の、敵、ブオナパルテ」

出生名

ナポレオン「そ!こ!そ!こ!」

わらった。

ナポレオンヨーロッパの国々を、ひとつ連合にする」

!!ナポレオンEU構想持ってたの⁈つながった!第九、the European Anthem。なるほど、ヤバ!

ナポレオン世界が豊かになる方法は、人と、モノと、情報自由に遠くまで運ばれ、優れたものが交換されることだ」

おやリカード比較優位論、貿易大原理。1817年か。

音楽数学だし、昔は世界を解き明かす学問として必修科目だったしね。

再び勝利

ナポレオン勉強は好きか」

「愚人は才人にまさる大いなる利得を有する。彼は常に自らに満足している」

ベートーヴェン所蔵のカント『実践理性批判』

ナポレオン「生きることは、不幸だ。不幸に敗北するか、それとも不幸に戦いを挑むか、それとも」

ナポレオンって銃弾に倒れたわけではないやんな。

B彼女名前

ナポレオンが死んだのは1821年。ウィーン会議から6年経ってる。第11ウィーン会議ロッシーニいたことを考えると、あそこで1822年ぐらいまで描いていたと考えてもいいのかもしれない(『セビリアの理髪師』1816、『どろぼうかささぎ』1817、ロッシーニウィーン訪問1822)。

謎の女「かつて地上にあった人間のすべての苦しみ それがわたし

ベートーヴェン「おまえは、人類の、不幸」

謎の女「誰もがわたしを憎む もうひとりのあなたとも知らず 醜い不吉な女だと 憎んで恐れて逃げまどう 憎むほど自由奪われて ただ 死を 待つ」

ベートーヴェンも謎の女に失せろと言った。そして孤独期、曲も作れず、ただ…。

謎の女「死は、救いなの」

ベートーヴェン「哀しく強い、おまえの歌」

ベートーヴェン「強くてきれいな人類の不幸。おまえの名前がやっとわかった」「運命」

あーー。だから、曲、献呈。「やるならやってみろ、運命よ」は1816年の彼の日記のことば。

「今、運命が私をつかむ。やるならやってみよ運命よ!我々は自らを支配していない。始めから決定されてあることは、そうなる他はない。さあ、そうなるがよい!そして私に出来ることは何か?運命以上のものになることだ。」

ベートーヴェン「生きることが苦しみでも、おれは、おまえという運命を、愛するよ」

上田氏の京大講演会経験の中で一番痛いもの、辛いことが不愉快ものなら、当然、それがなくなることはない」

第13場まとめ

第14場最後シンフォニー 実況

智天使ケルブ「この世界に別れを告げる時間だ」

1827年

ベートーヴェン「どうすれば音にできるだろう、この祈りを」

運命「これはいつくしまれた不幸の、よろこびの歌」

ここは本当にありがとうと言いたい。望海真彩(あと非常に聞こえづらいけど多分望海の右手)でメロディを歌いながら、真彩の右手オーボエパート、望海の左手クラリネットパートかな、をなぞってきっちり3声の対位法をやってのけた。歴史に残るメロディ爆誕の瞬間。1822年。

ヘンデルあいつ、なんと…」

モーツァルト「不幸と一緒になって、よろこびをうたってる!」

シラーの『歓喜に寄せて』は、もともと『自由賛歌』で、ベートーヴェンが感動して曲をつけようとしたのは『自由賛歌』のほうであるが、当時の体制下で云々。…というのは都市伝説であると、英語版のWikipediaには書いてあるなあ。日本語版の出典のひとつURLの変更があったっぽく今はたぶんこっち。もうひとつ出典では『自由賛歌』がシラー作品だとは言っておらず。セイヤー氏の著作都市伝説の元なのかな。

東西ドイツ統一式典では「自由バージョンで歌われた。

ベートーヴェン「あー」(A4)

運命「あー」(A5)

爆笑超音波なの?すごすぎ。

ベートーヴェン「苦悩を突き抜け、歓喜に至れ!」

1815年の手紙から日本語訳がピッタリこないけどドイツ語からいから2つの英訳

"We finiteones withinfinite souls arebornonly forsorrows andjoy andit might almost be said that the best of usreceivejoy throughsorrow."

"we mortals with immortal minds areonly born forsorrows andjoys, andone might almost say thatthe mostexcellentonly receive theirjoys throughsorrows."

智天使ケルブ「まあいいだ〜ろう♪」

よかったね天国行きだよ!

歓喜のその歌 ともに歌うときあなたわたしも」ベートーヴェン父・メッテルニヒ「ゆるしーあーえーるーだろー」

あー、早霧さんが出てた世界ふしぎ発見でやってた話。

  • 舞台後方真ん中でひとり手を広げて立つケルブ様

und der Cherub音楽は おれたちのものだー! steht vor Gott,フォルテー! steht vor Gott,フォルティッシモー! vor Gott,フォルティッシッシモー! vor Gott.

ここだけドイツ語詞で、ケルブ様出てきた。第九の中のここの歌詞解釈はなかなか大変なようで、まあなんとなく壁・障害天国/楽園行きを阻むもの自由を阻むもの、ぐらいで自分は捉えておこうかなあというところ。

今作においては、ベートーヴェンさんお亡くなりになりました、ってことかしら?

コーダ⁈やば。3人の強きものfたち。

そりゃalla marciaには入らないよね。音楽配信も始まってしまったわけだけど、これ音だけで聴いてると爽快にズッコケる、爽快。そのうち慣れるだろうけど。

リズム隊が醸す歌謡曲感。

ベートーヴェンアンコール!」

きたー

ベートーヴェン人生幸せだったー!」

諸君拍手を!喜劇は終わった」

キンキラキンのすごい背景ー笑、衣装は白いし。

ベートーヴェン葬儀には多くの市民が続々と駆けつけ参列者は2万人、異様な様相、大混乱だったと。

世界果てなく祈り 響かせ

うたえ 生きとし生けるもののうた

なんかここのベートーヴェン推定54歳)と運命さん(年齢不詳)の振り付けかわいいな。

第14場まとめ

全体総括

ぴあの上田久美子インタビュー記事より(2020/3/16コロナ前)

耳が聞こえなくなって絶望し、一度は死ぬことも考えたけれど、神から与えられた才能は自分だけの物ではないから、身体の中の音を外に出すまでは死ねない、どんなに不幸でも生きていようと思ったそうなんです。すごいですよね。そうやって作った最後交響曲が第九で、その合唱部分の『歓喜の歌』は、今で言ったら異常に盛り上がるロックみたいな感じだったと思うんです。それを、音楽のために一切の個人的幸福を諦めた人がどうして作れたのか、ぜひその物語を書きたいと思いました。

予習の段階で目を通したこの通りの内容。第九誕生物語

お見事。

配役を見て?が浮かんでいたところに次々とピースがきれいにはまっていく気持ちよさ。タイトル意味しかり。

重くなりがちなベートーヴェンの話をできうる限り軽快に描き、新しいベートーヴェン像を見せてくれた(そもそも楽聖ベートーヴェンイメージシントラーやロマン・ロランによって作られたもの)。

おまけ:ミュージカルシンフォニア

第14場がコーダっぽかったので、ソナタ形式に当てはめて考えてみた。

*一瞬だがベートーヴェン真ん中でナポレオンゲーテが左右におり、謎の女もいるので。


うーん、苦しいか?意外とうまくハマった気がしている。

Permalink |記事への反応(0) | 17:55

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2020-09-22

anond:20200922160445

それは違う「音楽若者のもの」にしたい広告屋意見が刷り込まれクリシェだな。

宮廷音楽にしてもオペラにしてもブロードウェイミュージカルにしてもNYナイトクラブにしても常に金を出してきたのは金持ちだ。若者じゃないよ。

自分たちの娯楽のため、社交のためだよ。

Permalink |記事への反応(0) | 16:11

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2017-09-15

大森ヨギー対立に思うこと

これはメタルパンク対立と同じだなと思った。

古い話ではハレとケの対立という形で語られてた、あの戦いがまた!。の感。

もう少し古い話に行くと、宮廷音楽大衆音楽対立ということになるけど。

では、なぜ宮廷音楽側が「音楽魔法じゃない」と言うのだろう。

考えてみよう。

Permalink |記事への反応(0) | 19:41

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2015-12-09

12月になると見たくなる映画アマデウス」を思い出して、気がつく。

自分には悪意がないけど、まるでサリエリみたいじゃないか……?

映画のなかで、宮廷音楽サリエリは、モーツァルト天才的な

音楽の才能に気づき凡庸自分を呪って焼けつくような嫉妬から

神を恨み、神に愛された才能をもつモーツァルトを死に至らしめる。

破天荒な振る舞いで(モーツァルト発達障害だとも言われる)

社交界から孤立してしまい、極貧生活のなか病床のモーツァルト

サリエリは、大金をチラつかせ、不眠不休の無理なスケジュール

まるでモーツァルト自身のためのレクイエム(死者のためのミサ曲)を作らせる。

そして、結果として(サリエリの願いどおりに)、死に至らしめる。

いや、自分には、そんなサリエリみたいな悪意は本当に皆無なんだ。

感謝と恩義の気持ちこそあれ、決して妬んだり嫉んだりの感情はないし!)

ただただ、天才モーツァルトの紡ぎ出す音楽が・旋律が・文章が大好きで、

(その素晴らしさに、同時代に生きて触れられるだけで喜んでいるほどで)

でも、そうやって、自分が率直に・能天気モーツァルトを礼賛することで、

体調の悪いモーツァルトに、無理に作曲を続けさせて、

しろ死期を早めることに加担しているのではないか……。

ブログを拝見しながら考えていたのは、そういうことだった。

Hさんの最新の文章を読める嬉しさに舞い上がって我を失いながら、

同時に、頭の隅で冷静に自己分析をして強烈な罪悪感を抱いていた。

ブログ記事を拝見すればするほど、自分想像もしなかったような

壮絶な生活が「また」日常としてHさんを囲んでいることを知って、

ただただ、圧倒される気持ちで読み進めていた。

そして、Hさんの文章に触れられる喜びを感じながら、

Hさんの置かれている状況を知っても何もできない自分は、

そうやって、Hさんに文章を綴らせて、自分読書の楽しみのために

Hさんのいのちを・日々の生活を「消費」しているんじゃないのか……?

何度も、そんな可能性を自問自答した。

ブログを書くことで、Hさんが死への確信を深めていたとしたら。

やっぱり自分は、意図せずにサリエリと同じことを

天才モーツァルトにしようとしているんじゃないか。

Hさんが書いた文章が、今でもWeb上でいろんな人に思い出されたり、

語り継がれていたりするのを見つけると、

「そうなんだ、Hさんは本当にすごいんだよ」と嬉しくなる。

そんなHさんが、書き続けてくれることは、

いつか・誰かの目にとまって、自分のように感銘を受けて

大きく変わるキッカケを得る人が、出てくるかもしれないと眩しく思う。

それだけの、言葉文章の力をもっているかただから

でも、そうやって、いつか・どこかで目にする誰かのために

いま、Hさんが身を削って文章を紡ぎ続けてくれたらと願うことは、

やっぱり、とんでもなく我がままで傲慢な願いなんじゃないだろうか。

「ファンです」なんて軽々しい一言だけで

許されてはいけないことなんじゃないだろうか。

ブログ記事を読めて、すごく嬉しいのに、すごく苦しいし切ない。

いったい、自分はどうしたらいいんだろう。

Permalink |記事への反応(0) | 02:46

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