
はてなキーワード:安産とは
出雲大社に行ってきた
休日出勤の振休で平日休みが生じ、なにするかな、おっ11月(旧暦10月、神在月)じゃん、いいじゃーん行くかーと昨晩決めた。家から出雲大社までは車で2時間程度。
斐川インターチェンジを降り(高速代をケチって出雲インターの手前で降りている)、田園ひろがる平地を駆け抜けていくと、色付いた山々の麓に赤い石州瓦の家々が見えてくる。来たなあ、出雲だなあ……と旅情高まる。……が、いやいや、いつまで経っても着かない。道間違えたか?いや合ってる。まあ地図見りゃわかるんだが出雲大社ってインター降りてから長いのよね。
駐車場は8割がた埋まっている。ド平日だが秋の行楽シーズンしなあ。年配のひとが多いが、子連れや修学旅行生もちらほら。外国人観光客はあまり見ない(見た目に分からないだけで中国人や韓国人はいるのかもしれないが)。京都と違って出雲は人気ないのかな、まあ遠いしな。
昨年出産して親戚らから全国津々浦々の安産守をもらった。さすがに全国津々浦々巡ってお焚き上げしてもらうわけにはいかないので、出雲大社でまとめてお返しし、八百万の神々が集まっているタイミングでまとめてお礼を言うという寸法である。お集まりのところすみません、その節はお世話になりました。
どデカい鳥居をくぐって敷地内を歩いて回る。めちゃくちゃいい天気だし、植わってる木は相変わらず全部デッケェしかなり気分がいい。そして広い。なんかめちゃくちゃ歩いた。空気も眺めもいい場所をひたすら歩いてるとそれだけで気分が上向く。運気ってこういうことなんだろうな。つまり健全な肉体に健全な魂が宿るということ。
何回も来てるくせに相変わらずいわゆる手順的なのはおぼつかない。毎回周りを見て真似している。ええんやええんや、大事なのは気分やからな。
御守りを所定のポストに入れ、賽銭を入れ二礼四拍手一礼。家族親族親友の健康と、物件のご縁(最近引越しを検討中なんすわ)を念じる。おみくじ引いたら凶だった。うひー。所定のところにくくる。
目的を果たしたのであとは気楽なもので、ぐるぐる歩いて見て周り、老舗の蕎麦屋に30分並んで蕎麦を食べ、土産屋で5000円するそば猪口を見たり(買わない)した。満足したので帰る。滞在時間3時間。
出雲大社にはじめてきたのは10年以上前。参詣した3日後に科研費が当たった。もちろん参詣したタイミングでは採択は内定済だったのだろうが、なんかすっかり嬉しくなってしまい、その後なにかにつけて、主には人生がうまくいってないなと思うときやつらいとき、それが解消した時などに出雲大社に遊びに行っている。なので、出雲大社を歩いていると昔のあれこれが思い出される。うまくいってないなーと思って参詣した数年後に大抵解消される。だってまあ、ずっと悩んで取り組んでりゃそりゃね。結局、神頼みとは自分を奮起させるための口実なんだろうな、自分の場合は。ともあれ、物件のご縁、マジでマジで頼むぜ!というか物件探し頑張るぜ!育児と仕事も頑張るぜ!また行きまーす。
彼女が初潮を迎えるずっと前、つまり給食のプリンとコッペパンの順序をいまだに悩む程度の精神年齢の頃、卵子は既に冷凍庫の底でカチカチに凍っていた。念のため言っておくが、これは「闇の陰謀」とか「人権派弁護士のうるさいお説教ネタ」ではない。
もっとお洒落で、もっと合理的で、もっと世界を照らすような——うけけけけけけけけけけけ、そんな未来の輝かしい話なのだ。
当時、彼女は七歳。乳歯が二本グラつき、給食の牛乳にうぇっとなりながら涙目になっていた日だ。自治体と生殖工学企業が結託……いや、提携し、「未来母体プログラム」なるモデルケースに選出された。彼女の卵巣からは未成熟卵胞が、まるでお祭りの屋台で釣った金魚みたいにすくわれ、特殊培養液でぐるぐるされ、やがて液体窒素の底で夢を見はじめた。
「これで人生の自由度が一つ増えたね!」と白衣の医師は、試供品のように安い笑顔で言ったという。彼女は意味も分からず、鼻水をすすりながら給食のわかめご飯をかきこんだ。
あれから十数年。彼女は25歳になり、情緒と呼ばれる部位はスッパリ切除された。成果主義の荒野で、彼女はザクザクと書類を切り裂き、会議室を血のない剣で斬り伏せる。
月経? そんなものは五年前にホルモン制御剤で強制終了。PMSも排卵痛も恋愛脳も、ぜーんぶまとめて廃棄済み。
でも彼女には用意周到に仕込んでおいた「15歳のときに採取した後輩男子の精子ファイル」があった。男は淫乱で、卒業後には保健所の性感染症データベースを賑わせる超人気ユーザーになったが、幸いにも高校二年のあの頃の彼はまだ純粋無垢。冷凍庫の中で、彼は永遠の童貞だ。けけけけけけけけけ。
ある朝、トーストを咥えたまま、タブレット片手に「今日、使うわ」とつぶやいた。
まるでコンビニで「おにぎりとお茶、温めますか?」と言うノリで。
彼女は某国にある日本主導の「バイオファクトリー#J-13」をタップ。卵子ファイルと精子ファイルをAIマッチングし、現地女性の「安産スコア」と「精神耐久値」をAIが計算する。選ばれし「未来母体」は、若く健康で、自己主張ゼロ、笑顔と沈黙を同居させる奇跡の肉体。
「ありがとー!」「頑張りまーす!」と元気に笑う代わりに、彼女らはただ黙って深呼吸するだけだ。
出産予定日は230日後。
だが彼女にとって、それは「人生タスクB-2」程度のタスクにすぎない。生まれた子はファクトリーのAIチャイルドケアユニットに吸い込まれ、育児スケジュールはクラウド同期、感情フィードバックは週に一度、AI心理コーチが「赤ちゃんは今日も機嫌が良いですよ」と報告する。
彼女が涙を流す? そんなものはとっくに生理と一緒にアンインストール済み。
「自分の身体で産むなんて、昭和の土偶じゃあるまいし、無理無理」と彼女は目尻を引き上げながら嘲笑した。
もはや周囲に反論する者はいない。いや、反論という行為自体が社会プロトコルから削除済みだ。
男は後にインタビューで言った。「俺の精子、使われたって知って、ちょっと誇らしかったよ……でもな、俺、ちょっと寂しい気もしたんだ」
それを聞いた彼女はモニター越しにうっすらと目を細め、「あら、あなたね。ありがと。でも、会う予定? ないわよ」と言った。
某国の育成ファクトリーの大型スクリーンに映る赤ん坊は、ぐにゃっとした笑顔でこちらを覗き込んでいる。
母子関係はクラウド管理、週一のフィードバックで「母性愛」アカウントに点数が加算される。便利でしょ? うけけけけけけけけけけけけけけけけ。
彼女はタブレットをぱたんと閉じ、カフェイン切れの頭で次の出張スケジュールを確認した。
天皇は男系男子が継ぐ!ってのに誰も疑問なんか挟まない時代に、4人連続で女の子しか生まれず、側近が側室を迎えることを提案するも昭和天皇は断固拒否。
そのあとようやく男子(今の上皇)が誕生、でもそれで満足せずにさらに男の子1人、女の子1人をもうけてる。
もちろん国家元首の任務としてせっせと励んだ面はあるのだろうが、それでも“じゃ、朕の側室はこういう感じで”と希望を述べればいろいろ周りが動いてくれたのだろうに、そんなことはせず皇后一筋に励んだの姿勢は、日本男児たるもの、見習うべきであろう。
昭和天皇夫妻が仲睦まじいことは有名で、淳皇后はその温厚な笑顔と、いかにも“日本のお母ちゃん”然とした安産体型も相まって、“国母”として敬愛されていたというが、宜なるかな。
日本人の月見という習慣はそういう美意識がどっかで湧いたってわけじゃなくて「典故」と「信仰」の二つのルートがあるのですのだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2531074
典故ってのは何かにつけて漢籍(漢文の本)を引用したりなぞらえること。特に風物表現で多いのが漢詩。
例えば「四季」ってのは漢詩で季節を表現するのに擬えて和歌を詠んで散文にも応用されて行ったもんだし、日本文化独自性が高い俳句でも多い。
また例えば芭蕉は「象潟や雨に西施がねぶの花」って俳句を詠んでるけど、西施ってのは中国四大美女の一人で、悲劇の死を遂げた女性。んでさ、この人が溺死させられたって伝説があるので西湖と名付けられた湖があるんだけど、ここって今は内陸の湖なんだが昔は潟湖(ラグーン)だったのよ。で、芭蕉が訪れた時代の象潟もラグーンで、松島のような多島海でとても美しかった。でもそこで「きれい」って言っちゃうとあたまのわるいひとイラストみたいになっちゃうってんで、悲劇の美女西施→潟湖の西湖の風景という諧謔というか教養連想ゲームをやってるわけです。
やべぇ例示だけなのに長くなってしまったな。因みにこの象潟は芭蕉の後に地震があって、輪島の海岸みたいに隆起して芭蕉が感嘆した景色は無くなってしまった。今は田んぼの中に丘が点在する風景になってる。
こんな風に昔の日本は漢籍を引用するのが教養だったんで、そういう知識は最早常識だったんやな。
んで、月見の方も平安時代に貴族がやり始めたんだけど、やっぱり漢籍の記述で中国で古代からやってるという中秋節を真似たんや。旧暦8/15(太陽暦では9or10月)に月餅やら何やらを並べて宴をする。貴族の間でもっと多かったのが船を出して、水面にゆらゆらと写る月を眺めて宴をしてうたを詠んだりしてた。こういうのを観月という。
んで、これが段々と庶民にも伝播して行ったらしいんだけど、正直江戸時代までの間の庶民の動向って言うのはよー判らんのや。何故なら庶民文化が栄えたのって江戸時代で、それまでは庶民間の事柄を紙に記すって事が殆どなかったから。
で、もう一つのルートが月待講ってやつ。江戸時代には庶民が比較的裕福というか生活に余裕ができ、色んな民間信仰が現れた。そしてそれらが紙に残った。
例えば山講。山ってのは霊的なもので、それに登るって事が霊的体験とされていた。山は女人禁制で「○○山講」という幟をもって山伏みたいな格好で延々と歩いて行って登山を敢行する。信仰の場だったのだな。
富士山が世界遺産に登録されたのは、別に日本人に愛されてるからとかじゃなくて、こういう信仰があって今の登山がそれと連続的って事ですのよ。
例えば庚申講。道教とか神道、民間医療なんかがごちゃ混ぜになった信仰で人間の体には三尸(さんし)の虫っていうのが住んでて60日ごとの庚申の日に寝てる間に閻魔大王に悪事をチクるから徹夜で宴会してチクるのを止めさせようぜという、今となってはなんだそれな信仰だ。
都電に「新庚申塚」って電停がある様に、日本中あちこちに庚申塔が建てられてその近くの家で飲み食いされていた。今はこんな風に放置されてる。
https://maps.app.goo.gl/FM8d8fD19SAK3Ubc7
こういう「講」(信仰の寄合)の一つに月待講というのがあった。お月様信仰やな。
月には月齢があって、新月、三日月、満月、半月と形が代わるけど、その各々に別個の信仰があった。んで、この信仰は別にお月様だけに影響を受けてるんじゃなくて、土着の信仰が仏教と結びついていた。
仏教では色んな観音様や菩薩が居るけど、月齢ごとに別の本尊を崇めていた。この辺はカトリックの職業別聖人信仰に似ているね。
月齢ごとに信仰があると言っても、今みたいに電車と車で好きな場所に行ける訳じゃないから、この村は○○夜、あの街は○○夜と分かれていた。
で、その中で非常に多かったのが二十三夜、十九夜、十五夜だったってワケよ。
二十三夜は特に多くて、日本中に地名として残ってる。こんな風に
https://maps.app.goo.gl/KDXw6ZBhwiyA4bYZ7
また、「三夜」と省略されて地名になっている所も多い、三夜様とかね。
もう一つ特別なのが十九夜で、これは如意輪観音が本尊。右膝立てて右ひじ突いてる観音様だ。
これは「安産講」として特別で、女の人以外は参加禁止の集まりだった。
これも十九塔があちこちに残っているが、地名としては「子安」というのが残ってる場合が多い。
「子安寺」が子安の由来の場合も多いが、そもそも昔の寺には色んな神様も祀られていた神仏習合だったんで、当然十九夜待が行われて居た寺もあって、それで子安寺になったケースもあるのだな。
十五夜はいうまでもなく満月待やね。本尊は大日如来、阿弥陀、薬師、観音様、地蔵、虚空蔵と、オールキャストだ。
で、庚申講もそうなんだが、段々信仰がどうこうっていうのはいい加減になって行って、単なる寄り合い、宴会、食事会の言い訳になって行っちゃうわけよ。十九夜とかも「観音様、どうか子宝と安産を」と願うっていうよりただの女子会になってまう。「観音様が持ってる宝珠ってチンタマーニって言うんだって」「うちの亭主も二つ持ってるワイよギャハハ」とかなっちゃうってワケ。
それで段々都市化が進むと寄合なんてジジババくせえとか軽視されて廃れて行っちゃった。でも場所によっては昭和40年代まではやってたらしい。
月見でお団子お供えして食べるっていうのは完全にこっちの月待講が由来なんね。
一方、ススキ飾るのは、旧暦8/15(太陽暦9or10月)の中秋節由来やね。
だから二つがごっちゃに混ざってるってこと。
新月の次の日:既朔
十四夜:小望月、待宵
十六夜:既望
十七夜:立待
十八夜:居待
十九夜:寝待
廿夜:更待
これも漢籍典故による特別視から月待などの各月齢ごとの神聖視へと変化していくにあたって生まれた表現と考えられるのだ。
日本産ゲームのリプレイ動画とか見てると、このへんのことが海外では認識されていないので「これってなに?」みたいな英語コメントが付いているのを目にするのだ。まぁそれは当たり前だ。
大抵、西洋のルナティック=満月が人を狂わす、と日本の月を愛でる習慣、月のうさぎが合わさっているので割とハイコンテクスト。
でもそれに日本語で答えているコメントが月を愛でる習慣が信仰から来ているってことが判ってないので説明できていないっていうのを目にする。
近所の今まで気が付かなかった「○○夜」「子安」の地名を発見して訪れてみるっていうのも自文化の勉強なんですよ、草むらの中に○○夜塔が残っているのを発見するって事もあるんですのよ。
ついでに花見なんだが、これも昔からある風習だったけど、江戸幕府が奨励して盛んになったんすよ。
江戸幕府は水防工事を沢山やったんだけど、堤防って突き固めが緩いと崩れてきてしまう。でも昔は機械が無い。
そこで堤防に桜を植えて「花見やれ」と奨励したのだ。すると毎年人がどやどややってきて歩くから土が締まるって寸法だ。だから川べりには桜が多いのだね。特に古い堤防は桜の名所になっているってわけ。つまりは官製文化の面があるの。
SSR増田だ。皆コメントありがとう。無事に承認欲求が満たされた。
一晩経って冷静になってみると、適性あってSSR引けたので余裕だったぞってことしか書いてないなって思ったので、いただいたコメント返しつつ、もう少し一般的な課題について自分なりの感想を書いてみたいと思う。
全部SSRでよかった。ついでに妻の実家が23区内で母が保育士持ちというチート案件だ。
「このご時世に1ヶ月すら休めない会社なんて辞めちまえ」←日本の男性サラリーマンの4/5ぐらいは辞めることになるな。(男性の育休取得率は20%以下)
育休取得率伸びてくれ。理想は3ヶ月〜6ヶ月くらいは欲しいけど、無理ならせめて1ヶ月頼むから取らせてくれと。産後パパ育休といって8週間を2回に分けて取得できるルールもあるのでパパはどうにかして交渉して欲しいと思う。それも無理ならいっそのこと辞めてしまって失業保険もらいながら転職活動した方がマシだと思う。
妻はすごいんだ。育児中暇だからリスキリングするって言ってTOEIC95%くらいとって就職決めた。自分よりよっぽど労働適性高い。
自分も言われた。コツは肛門のあたりに脊柱と水平方向を意識して全力でうんこを押し戻す意識を持ったら少し妻に褒められた気がする。
妻側だが、ちょうど保育園探さねばな…面倒だけど…と思っていた頃だったので助かる!やっぱ早め早めに準備しとかないと色々と詰むよな…
保育園は機会逃すと詰むからな。0歳児4月入園の申請が自分の自治体では11月初旬だったのだけど、それまでに生まれてないと毎月の欠員補充か1歳児4月入園のタイミングしかないのはバグだと思う。自分の場合は余裕こいていて見学とかまったくせずに一番近いところから申し込み欄いっぱいに希望出したら第9希望くらいの園に運よく拾ってもらった。
ん? と引っかかる所もあって(ミルク持たせて寝かすとか)釣りかどうかの判断が難しいが、おおむね同意/一人目が育てやすくて二人目作ったら我が強くて大変、という話もよく聞くので、本当に運なんだろうな。
友人の家庭や育児の話をネタに普段から釣ってるからそれっぽく見えるのかな。今回はほぼ脚色なしだ。妻から、ブリーチじゃなくてストパーだ、事実を書けと言われたのでこれを機会に訂正しておく。あと予定日の3ヶ月前じゃなくて1.5ヶ月前まで働いていたらしい。ミルク持たせて寝かす点は、普通は逆流とか詰まらせたりってことで避けるべきなんだな。勉強になったわ。ありがとう。6ヶ月頃になると赤子なりに逆流しづらい体勢をとれるようになっていることもあるので、引き続き注視しながらやっていくわ。
訂正:普段からは盛ったわ。すまん。過去1年で2件くらい。ちなみに事前に許可とって公開前に下書き見せて知人の了承は得ている。釣りというか代筆に近いのだと苦し紛れの免罪符とさせてくれ。まあ、いずれにしても褒められた趣味ではないな。
素晴らしい活躍っぷりだと思うが一つだけ付け足したい。もっと適当でいい。汚くても雑でも泣いてても元気に生きてればいい。全然大丈夫だ。と事あるごとに自分を洗脳して適当道を邁進する。神経質が子育て最大の敵。
そう思う。育児にある程度のいい加減さは必要。哺乳瓶の消毒なんて1日1回やればいいだろ。
ミルクのほうが消化に時間かかるから長く寝る。子供の泣き声気になる人は我慢ではどうにもらないので、耳栓やノイズキャンセリングを使ったほうがいい。親の耳も個人差なので仕組みで改善すべき。
ミルクは消化悪いからよく寝る説は聞くな。比較のしようがないからわからんけど。耳栓など仕組みで解決すべきというのは同感だわ。病んでしまうのは実際にやりすぎてしまっているケースが多いと思うから。自分も妻もまあまあいい加減な性格でよかったと思っている。
フハハッ貴様ごときが赤子を語ろうとは笑止千万!!究極の育児が聞いて呆れるわ!!(育児んぼ)
“エリート面してきた我が子もそれなりに苦戦したくらいだから、離乳食で苦労する親は多い”私のn=1は離乳食「も」苦労しなかったって言ったら怒られる流れかな?笑/安産+夫と子がSSRで楽勝でした。来月で一歳。
素晴らしいね。こういう楽勝エピソードも少しは広まって欲しいと思う。1歳おめでとうございます。
虫屋は赤子嫌いでない限り、適性めっちゃ高いと思う。時代は昆虫少年。性差について語るのは雑に危ないけど、男性のヲタク的な育児適性についてはもっと知られてほしい。ペット感覚に近い方が変に赤子に気使いすぎなくて良い面もある。あと大概手続きとかは男性の方が向いていることが多い。
初乳をあげなかったのは、妻が「なんかキモい」ってひと言。母親でも母乳をあげることへの抵抗感のあるひとはいる。確かに自分も乳をあげたいかと言われるとキモいと思う気持ちはわからんでもない。免疫については母乳が良いと言われるけど、保育園通うまでは一回も病気しなかったので、胎児のうちにある程度の免疫は備えているもんだと思うんだ。まあ、今のところ健康でよかった。
今どき専業主婦で問題ないほどの収入と一年の育休がまず凄すぎる。どんな業界?条件?で働いてたらこんなにホワイトな家庭生活が送れるのか知りたい。※内容や気遣いも勿論素晴らしいと思います
IT業界ですね。実際に休んだのは7ヶ月くらい。蓄えについてはほとんどなかったけど、もともと生活コストが低いのでなんとかなったわ。23区内で両方地方出身とかだとそれなりに給料良くないときついと思うわ。実家太い人間は、相続税対策で贈与の非課税枠や結婚・出産時に1,000万まで非課税とかいう金持ち優遇政策もあるので全力で活用したいな。そんなやつどんだけいるねんって話だけど。
・育休はとれ。できれば6ヶ月、どんなに厳しくても1ヶ月は頼むからとってくれ
実際のところ、両親のサポートなしで生活維持しながら育児して仕事復帰ってのは結構大変だと思う。俺頑張って働いてるし、どこまで育児のこともやればええねんって話もよくわかるんだけど、どうにかするしかないよね。妻との分担とか比重とかは正直どうでもいい。家族の維持のために自分が必要だと思うことをとにかくやるしかないって感じ。
妊娠がわかってからの届出・申請、病院探し、保育園系は夫が活躍できるところだと思うから。変に役割分担決めずに妻と一緒に歩んでいけると良いのだと思う。
寝ない子育てている親は心底すごいと思う。本当にお疲れさまです。無論、苦労している親を煽る気持ちは微塵もないのでどうか悪しからず。どうかお体を大切にしてください。
産後の恨みは一生とかなんとかというポストが荒れているので、ここぞとばかりに自分の体験を投下する。何かの参考になれば(特に妻の出産を控える夫よ)と思いつつ、実際は自己顕示欲を満たしたいだけなので好き放題書く。
妻フリーター、自分正社員。計画妊娠ではない。とりあえず安定期に入るまでは静観。心拍が確認できた(妊娠2ヶ月くらい?)段階で両両親に報告。
互いに仕事に余裕があり融通が効いたので、1,2ヶ月ごとの検診に必ず2人で通っていた。この時期のデートは専ら病院から始まる。医療の民に色々聞きながらぼちぼち出産準備を進めることに。
互いに実家から遠く離れたエリアに暮らしていたので、ゼロから2人で情報を調べ始めた。身内の経験者にソースをあたれないデメリットはありつつ、変にバイアスかからずよかったとも思う。実際自分の両親世代の情報は古いものだったりギャップのあるケースも少なく無いので、情報ソースはまず医療関係者、そして身近で出産経験のある友人を頼ろう。親は目の色変えて口出そうとしてくるに違いないが、心を鬼にして病院と自治体に頼るんだ。
しかしまあ、人によって出産体験は十人十色で、時に癖の強い看護師なんかは平気でやばいこと言ってくるケースもある。調べすぎは禁物。ちなみにその時妻はインスタで妊婦が絶叫する動画を漁り、こえーとかいって鬱になっていた。誇張抜きに、100人居たら100通りの出産体験がある。肝に銘じよう。
妊娠中は母体のメンタルが不安定になるケースも多いらしいので、とりあえず全力フォローだ。妻を救えるのはお前しか居ない。
自分はというと、特段変わらず普段どおり過ごしていたように思う。今となっては記憶は朧げだけど。妻は一時つわりがしんどそうだったものの、その期間を除けば概ね普段どおり。予定日の3ヶ月前くらいまでは働いていたような気がするし、もともとお互い飲み歩いたりする性分でも無い。
早めに仕事の終わった妻は、歩いて近所のスーパーへ買い物へ行き、カフェで甘いものを食べるのをささやかな楽しみにしていた覚えがある。帰って一緒に料理を使って、一緒に食べて、ベッドで寝ながら映画を見て眠る日々がとても幸福だったことを覚えている。
すごい手厚い。母子手帳、妊婦検査健診補助券、出産一時金、小児医療助成、児童手当、その他報奨金・補助金。色々あるぞ。すごいぞ。絶対に活用するんだ。申請は全部お前がやれよな。妊婦の手を煩わせるな。
妻は無痛分娩を望んだが、近所に対応している病院が少なくやむを得ず普通分娩に。ちなみにいわゆる無痛(麻酔)が良いなら、妊娠発覚時点で即座に実施しているすべての病院をローラーして予約すべし。首都圏は競争激しいし、地方は地方でそもそも対応している病院が少ない(産婦人科医だけでなく麻酔医が必要らしい)ので結局激戦だ。その際夫が電話しても妊婦から直接電話くださいとかクソみたいな仕様があったりもするが、めげずに電話をかけまくるんだ。無痛分娩にも、自然陣痛を待ってから麻酔をする場合と、あらかじめ出産日を決めて強制的に産ませる計画分娩がある。詳しくは調べてくれ。ちなみに自然陣痛を待つ場合、陣痛の進捗が遅れると余計に課金されるクソみたいなシステムもあったりするので把握しておこう。妻じゃなくてお前がだ。
余談が過ぎた。で、結局普通分娩を渋々選択した妻は予定日を2週間過ぎたあたりで強制的に入院となった。陣痛が来なくて予定日を超過すると、胎盤のパワーが劣化して胎児に危険が及ぶらしい。なので薬剤を投与して強制的に陣痛を促す。ただ、陣痛が起こるだけでは赤子は生まれない。なぜなら陣痛の進捗と並行して子宮口を開く必要があるからだ。子宮口が開いていないと陣痛を起こしたところで赤子は出ずにケツが裂ける。妻の場合は子宮を柔らかくする錠剤を飲んで経過観察、効果が思わしくないのでバルーンという風船的なものを子宮口に挿入して強制的に拡げること一晩(ちなみにこれが痛みを伴うという人も居る)。ようやく子宮口が開き始めたので翌朝に漸く陣痛促進剤の点滴を開始。このタイミングで自宅に待機して無限ゼルダをやっていた自分を召喚。立ち合いのもと出産に臨むことに。
で、結論から言うと、立ち会いの経験については特に書けることはない。というのも促進剤を打ってから3時間というスピード出産であっという間に超絶安産に終わってしまったからだ。勇んでテニスボールを持参し全力サポートする構えでいたが、ぶっちゃけ出産立ち会い時に夫にできることは無い。自分のやったことと言えば、陣痛の波に合わせてテニスボールを全力で妻のケツに押し当てて効果がないと文句を言われる。痛みで妻が暴れるのでベッドの手すりにクッションを置く。分娩室に移動する際に使い捨ての割烹着みたいなエプロンを逆に着て看護師の失笑をさらう。妻の口元に水分補給用のペットボトルを持っていくがストローが無いので役に立たない。そうだ、ストローは持っていけ。
なので、ただただ自分の無力を悟る一瞬の3時間だったが、人によっては24時間以上かかることもザラなので、とにかくそばにいること、無力感に苛まれながらも全力で妻を支える気持ち、あと絶対に寝ないことが大切なのだと思う。知らんけど。
妻は4泊くらい入院して母子共に問題がなければ自宅に帰される。その間に妻は体を療養しつつ、満身創痍の体で看護師から母乳とか沐浴など一通りの訓練を受ける。自分の場合は運良く個室に空きがあり、夫も泊まって良いとのことだった(無論育児指導も一緒に受けた)ので、妻と同時にスタートをきれた。あと妻はミルク育児(いわゆる完ミ)を希望しており、看護師に渋い顔をされながらも鋼の意志で出産したその日のうちに乳を止める薬を飲み、初乳をあげることもしなかった。自分としてはなんだかなあと思いつつ(本音を言えば乳をあげる妻の姿を見たかった)も、即ち育児を全て自分ができることになるので、妻は自分の療養に専念できることを思えば悪くない。実際に退院後は大部分の育児を自分が行い、今もそれは変わらない。
自分は超絶ホワイト企業に勤めていたので、妻の出産予定日以降は会社を休み、妻の出産後に即1年間の育休を取得した。初産だったこと、会社の融通が効いたこと、両親のサポートが得られない事情から、互いのリソースを全て来たる赤子に全力を注ぐ体制で望み、結果として夫婦の不和などもなく、1年をクリアすることができた。他所で死ぬほど書かれているかと思うが、とにかく夫は仕事を休め。育休を取得しろ。育休は権利。育休制度もいくつか選択肢があり、ややこしかったりするので(会社の人事も制度を全て把握しているわけではない)事前に調べて取れる選択は全て検討すべし。
新生児はほとんど寝ている。3時間ごとにミルクを飲んで寝る。泣く。うんこをする。おむつを変える。ミルクを飲む。寝る。泣く。風呂に入れる。ミルクを飲む。寝る。というルーティーン。自分の場合は特に時間の分担は決めていなかった。新生児もそうだが、それ以上に妻の回復が最優先ということで可能な限り自分が行っていた。といっても妻は元気そのもので、退院翌日にケツから血を流しながら自動車を運転し美容室に髪を切りに行ってた。本当はブリーチしたかったけど産後は禿げるから美容師に拒否されたらしい。ハゲてもいいのでやってくださいって言ったらしいけど無理だったって。当たり前だろ。
いや、止めたよ。全力で。絶対に行くなって。行ったら死ぬって。安産だったけど無理矢理いきんで出したから出血がひどく股が裂けて何針も縫ったって。けど狂人には何を言っても無駄だった。結局傷が開いて痛えとか言っていたけど。出血は産後1ヶ月くらいは続き、妻の産後に最も辛かったことを聞いたら退院後1週間溜めた特大のうんこをひり出したことだってさ。妻が超人でよかった。
通常は母体が元に戻るまで半年とか1年かかる場合もザラにあるらしいのでとにかく母体を気遣えと。産後は骨盤がゆるゆるらしいので、歩行もなるべく避けた方が良いのだとか。
完全母乳の場合、この時期に病む母は多いと聞く。なにせ満身創痍で初めての3時間おきにミルクをあげるぐにゃぐにゃの今にも死にそうな謎の生命体の世話を強要されるのだから。乳も初めは出ない。乳を出すのにも訓練がいる。いまだに母乳信仰は根強いが、躊躇なくミルクを使え。ミルクなら父でもあげられる。そしてとにかく母体を守れ。子より母だ。頼れるなら両親でも親戚でも友人でもなんでも使え。産後は母体の負担を減らすことに全力だ。ここさえ乗り切れさえすれば、妻に以後何十年も三行半を突きつけられることは無かろう。え?そんなの無理だって?馬鹿野郎。このご時世に1ヶ月すら休めない会社なんて辞めちまえ。
赤子はすくすく成長するが、基本的なルーティーンはさほど変わらない。子育てをする上で気づいたことは、子育ての適性の有無が難易度を大きく左右するということ。例えば子ども泣く→おむつを変える→ダメ→ミルクを飲ませる→ダメ→寝かしてみる→ダメ→あやす→気晴らしに外に連れていく→ダメ→車に乗せる→ダメ→風呂に入れてみる→ダメ→放置する→以下ループみたいな事態が発生するが、この辺りの試行錯誤を労せず淡々とこなせる人間がいると極端に難易度が下がる。昆虫少年で何かと生き物の世話が得意だった諸君、君たちは有望だ。夫に育児を望む女性は、交際相手に幼少期にペットの世話をしていたかどうか聞いてみるといい。
ちなみに参考にはならないが我が子は生後1ヶ月で毎日6〜8時間まとまって夜に寝ていた。妻もエリートなら赤子もエリートだ。新生児期を除けば、産前よりもよっぽど我々は寝ていた。一応、申し訳程度に自然光のサイクルに任せて日没後は間接照明で過ごすとか、ベビーベッドで1人で寝かすなどの試みはしていたが、実際のところこれは赤子そのものの個性に寄るところが大きいと思う。寝ないやつはマジで寝ないらしい。3ヶ月目には暗い部屋でベビーベッドに放置すると1人で寝るようになり、寝かしつけが要らなくなった。6ヶ月目には1人でミルクを飲むようになった。夕方、眠そうなタイミングを見計らって風呂に入れ、服着せたらミルク渡してベビーベッドに転がしとくとほとんど朝まで寝てる。
これまで散々煽っておきながら、自分はいまだに育児に困難を覚えたことが無い。妻はというと、赤子の鳴き声が黒板をキーキーされる程度にイラつくらしいので、赤子が泣き止まない頃はよくキレていた。適性大事。あと赤子の性質。その意味でSSR引いた自分に言えることは何も無い。まあ、必要以上に不安を煽る記事も多いので、育児余裕だったという例もあるということで。
最初から変に気合い入れて手の込んだ料理を作ろうとするんじゃないぞ。いいか。大切なことを言うぞ。
離乳食は「食事」ではなく「食べる練習」だ。肝に銘じろ。6,7ヶ月くらいから始めるのが一般的だと思うが初めはろくに食べられない。食えたところでどのみちろくに消化できない。消化器官や腸内環境だったりが未熟だから大人のように消化吸収できるわけではないんだ。ならばなぜ食べさせるのか。そう、食べる練習だ。大切なのは、柔らかさと粒度、そして粘度だ。それが備わってさえいればゴムでも紙でもなんだっていい。味なんてどうせ初めはわからん。
お前が食っている時なんて何も意識していないだろうが、初めての人間にとってはどうやら複雑な作業らしい。まず食材を舌に乗せる、そして舌で喉に送る、そして飲み込む。この三段活用にそれなりに反復作業が必要なのが赤子という存在だ。だが安心しろ、誰もが初めからできたわけじゃない。お前だってそうやって練習してきたんだ。いずれできるようになる。まず赤子を観察しろ。どこのプロセスで詰まっているかを想定してトライアンドエラーを繰り返す。もう一度言う。柔らかさ、粒度、そして粘度だ。毎回少しずつ変えて、こどもの様子を観察しろ。それをひたすら続けるんだ。食材や味にこだわるのは、まず赤子が固形物を難なく飲み込めるようになってからで遅くない。
これまでエリート面してきた我が子もそれなりに苦戦したくらいだから、離乳食で苦労する親は多いと思う。結局いまひとつうまくいかずに自治体に相談したら、やたら癖の強いスパルタなオバはんが出てきて事細かに教えてくれた。困ったときは自治体を頼れ。
これ、実は妊娠発覚時点から活動(いわゆる保活)を進めるべき案件。マジだよ。保育園は神。えー、3歳まではやっぱり自宅でみたいなあとか悠長なことほざいてるお前。お前だよ。今すぐ自治体のwebサイトを漁って保育園を探せ。そして見学に行け。産後は戦争だから余裕のある今のうちにやっとくんだ。絶対だぞ。ちなみによほど田舎でなければ、基本的には共働き+両親が同居ないし近隣に住んでいないことが公立保育園利用の最低条件となる。競争率の高い自治体によってはそれでも収入が高かったりすると平気で落としてくる。出産時期によっては最も入園確率の高い0歳児の4月入園できないケースもある(つまり10月くらいには産まれてないといきなり苦戦を強いられることになる)が、毎月自治体が欠員を公開しているので、めげずにトライだ。もしどちらかが育休中や無職の場合、ダメ元でも就職活動中として無理矢理にでも入園できる可能性を追うべきだ(その場合入園後3ヶ月以内に就職することが条件)。入園希望は第10希望くらいまで書けるだけとりあえず書け。
ちなみに公立保育園の情報はまともな自治体なら事細かに情報を公開している。23区内なら、例えば片方働いて20点、両方なら40点、その他の加点や減点要素、この保育園に入るなら最低41点は必要ですよ、みたいな情報を親切に公開してくれていたりもする。が、とにかく資料が難解で理解するのには訓練が必要だ。法律の条文や自治体の公開している公募要領だったりを難なく読めるスキルがあればそんなに苦労はしないと思うが、常人には難しい。理解させる気さえないと感じる。逆に、多くの人がろくに読解していないとしたら希望はそこにある。高学歴の増田諸君であれば多少の苦行を受け入れさえすれば難なくこなせる範囲だろう。
保育園は復職するのにはもちろんのこと、こどもの遊び相手だったり退屈しのぎだったり新しいことを覚えてくることだったり良い点は書ききれないほどあるが、自分が一番助かったと感じるのは食事だ。0歳児入園の場合、食事も当然こども用に作る必要があるのだけど、これをおやつも含めて1.5食分、しかも豪華で自宅ではとても作れないクオリティで出してくれるのが保育園。これには本当に助かってる。真っ当な大人がこどもの面倒見ながら自分の他にこどもの食事を2食ないし3食作って仕事してとかどう考えても無理だから。復職したかったら全力で保育園に入れろ。いやむしろ保育園に入れるために復職ないし就職しろ。
我が家は無事10ヶ月で保育園入園をキメ、妻は就職し、超絶ホワイト企業に勤める自分はフルリモートで働き、食事を作り、保育園の送り迎えをする菩薩のような父業をしている。無論、妻の方が圧倒的に収入は高い。
大丈夫。保育園に通わせても十分こどもと遊ぶ時間は作れるから。どうせ入園して半年くらいは毎週のように病気もらっていくらでも病院連れてってあげられるし自宅療養できるから。安心して保活に全力ベットしてくれたまえ。
だいぶ人間になってきた。人によっては歩くし、意味のある言葉も発するし、芸もいくつか覚えるし、意思疎通もできたりする。喜怒哀楽がはっきりある。毎日楽しそうに暮らしてる。当たり前だけどみんな個性バリバリ。いいぞこどもは。おもろいぞ。
これまでこれといった危機も苦労もなくやってきたけど、この先も色々困難はあるだろう。これからが本当の地獄だ...って多分先輩諸兄は誰もが言うだろう。そしたらその先をぜひ増田に書いてくれよ。みんないろんな体験談を読みたいんだ。
長くなったが以上だ。参考にならないって?冒頭に書いた通りだ。妊娠も出産もこどもも妻も夫も十人十色。あー、本当に育児体験てなんてのは全く参考にならないね。みんな頑張れ。そして楽しんで。妻(夫)を大切にな!
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