
はてなキーワード:安楽死とは
丸わかりですよ〜?
まあ、お前ら向けのアウシュビッツの準備は着々と進んでるからね
でも、紅茶専門店だと紅茶をオーダーしたという証拠が残るけれど、そっちは証拠が残らないから、「同意しますか?」がやっぱりいるのかもしれない。
...って書きながら、かつてノンフィクションか何かで見た海外に安楽死させてもらいに行く人の話を思い出した。
あれって、死ぬ装置の接続は医者がやってくれるけれど、実行は自分でやらないといけないというのと、接続の前に何度も意思確認するみたいな感じだったな。
そして、その意思確認から自殺装置の接続までをずっとビデオで録画し、患者が自ら望んで安楽死をしたという証拠とするというものだったと思う。
同じのりでやるなら、行為の前から行為をすることの確認、行為の結果どうなるか理解しているのかの確認を終え、行為をするところまでをビデオに残さないと行けないのか。
行為も女性がスタートしないといけないので秘部と全体が移るようにした状態で女性から始めたことがわかるようにしないといけないとなると必然的に体位は限られる。
生きていても何も楽しい事がない
これだけ少子化が叫ばれて産む事にしか価値のない世の中ならば、これ以上子供を産む見込みがない女は生きていた所で社会のリソースを食うだけで意味ないだろ
労働は全て首尾良く結婚できて子供を得られた勝ち組への奉仕で罰ゲーム
漫画やアニメのような娯楽作品を見てもどれもこれも妊娠出産子育てエンドがでオチがつくし
高齢者が中心の趣味も当たり前のように子供がいて孫がいる人達ばかりだ
『PLAN75』って映画があったけれど、安楽死できるのが75歳なんて遅すぎる
子供を産まなかったと言われて社会から踏み付けられながら、あと何十年も生きるなんて嫌過ぎる。
女は閉経するか、病気などで卵巣を摘出したらその時点で安楽死の権利を付与してほしい
高齢者の医療費を切り捨てろとうるさい人達は、どうして積極的安楽死について主張しないのか
「生産性のない」人間が、安楽死でいなくなってくれたら万々歳だろうに。
高市早苗も当事者として、子供を産まなかった女の安楽死を検討してくれないか
発達障害者に対して
できる権利
又は
発達障害者に対して
する人物には
死ぬまで過ごすこと。
離婚は不可。しようとしたら
生きても死んでも
日本に帰ることは許されない
さぁ、日本政府よ
選ぶんだ。選べ。
生きることが辛い
事故で大怪我するかもしれない、猟奇殺人の被害にあうかもしれない、病気で苦しむかもしれない…そんな未来の可能性を0%にすることは絶対にできない
それがわかっている時点で幸せにはなれない
仮に人生の99%が楽しいことだったとしても、1%でも苦痛なこと、未来への不安を感じるのなら死にたいと思う
だって死んだら絶対に、100%苦痛を感じずに済むから(死後の世界はないものとする)
ゲームは後から あの時やめなければ良かった と後悔するかもしれないが、人生を終えて後悔することはない
だから 生きていたらきっと楽しいことがあるよ みたいな励ましは何の意味もない
子供が学校でいじめられるかもしれない、レイプ被害にあうかもしれない、交通事故で後遺症に苦しむかもしれない
そんな不安を更に抱え込むなんて無理すぎる
ただでさえ、親や兄弟がそういうひどい目にあったことを想像するだけで胸が苦しくなるのに
そもそも自分が子供だったとして、自分みたいな人間が親だったら嫌だ
親ガチャ大失敗だ
世の中の親はどこからそんなに自信が湧いてくるんだ
羨ましい
我ながら贅沢な悩みだとは思うが、辛いのだから仕方ない
いや、ボタンに指を添えながら自分はいつでも死ねるんだぞという心持ちで少し大胆な生き方をするかもしれない
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安楽死制度作りたい人たちは、事業なり公共サービスになるとして、運営は誰がどのようにやるイメージなんだろう。
人が積極的に死ぬことに職業として手を貸したい人っているのかな。
少なくとも自分は関わりたくない。いくら同意書を取ってもトラブルが発生しそうだし、安楽死に関するスキルをつけるモチベも沸かない。
国が予算をつけるとも思えない。
それとも安楽死というものは「あんなこといいな、できたらいいな」的な話であってそんな現実的なことを考えてる人はいないのかな?
公共施設に隔離するかキュッとするかしない限り若者が子供を産まないだろ。
どうせ日本なんて今ですら子供は親の所有物って考えなんだから、親の意向でガキを殺すも手放すも似たようなもんだろ。
どうせ国が介入しなくたって虐待や育児放棄でガキは死ぬんだから、公的な制度で育てにくい子を殺したって社会がそれほど変わるとは思えないね。
子供を産むのは、人生を賭けるような決断だ。特に障害のある子が生まれた場合、親は一生その子の面倒を見続ける覚悟を求められる。これ、現実的にどれだけの人が耐えられるんだ?若い世代が「子供を産むの怖い」って思う理由の一つがここにあると思う。
障害児を育てるのは、経済的にも精神的にもすさまじい負担だ。親が自分の人生を全部犠牲にして、24時間365日ケアするのは尋常じゃない。もし親がその責任を負いきれなかったら?虐待や育児放棄が起きるケースだってある。現に、ニュースでそういう悲しい事件を見ることある。じゃあそうなる前に、親が「もう無理」ってなったときの選択肢って何がある?
例えば、公共の施設で障害児を預かる仕組みがもっと充実してれば、親の負担も減るかもしれない。でも、現実はそんな施設が足りてない。あるいは待機リストが長かったり、質がバラバラだったりする。じゃあ、親が「手放す」以外の選択肢として、極端だけど「安楽死」みたいな制度があったらどうなる? もちろん、こんな話は倫理的にセンシティブで、簡単に「賛成!」「反対!」とは言えない。
しかしながら日本は今でも「子供は親のもの」みたいな考えが根強い。親が子供の人生を決めちゃう風潮が、良くも悪くもまだ。それなら、親が「育てられない」と判断したときに、国が介入して「育てなさい」と強制するのも変な話だし、逆に「親の意向でどうにかしていい」と放任するのも無責任な気がする。虐待や育児放棄で子供が死ぬケースが後を絶たない現状を見ると、なんらかの制度で親と子の両方を守る仕組みが必要なんじゃないか?
安楽死制度って言葉自体が重いし、誤解されやすいけど、もし仮にそういう選択肢があったとして、社会はどう変わるんだろうか。障害児を育てる親の負担を減らすための支援がもっと充実すれば、こんな極端な議論自体いらなくなるのかもしれない。でも、現状の日本だと、支援が足りないからこそ、こういう過激なアイデアが頭をよぎる人が出てくるんじゃないか。