
はてなキーワード:安保闘争とは
「令和の百姓一揆」の運動を見ると、「考えがちょっと浅い」と感じるのは分かりますね。要求が感情的で具体性に欠ける部分があって、昭和の市民運動やそれ以前の歴史的な動きに比べると、鋭さや深みが薄い印象を受ける。
昭和の市民運動(60年代の安保闘争や公害反対運動)や、江戸時代の百姓一揆とかと比べると、確かに鋭さや覚悟が違った:
例:1960年の安保闘争や三里塚闘争、公害反対(水俣病とか)。
「令和の百姓一揆」は考えが浅く見えるのは、トレードオフを避けて具体策が薄いからで、昭和の市民運動や江戸の一揆に比べると鋭さや深みに欠けるのは事実。昔の方が命がけで、敵も戦略もハッキリしてた分、説得力があった。
昭和生まれのおっさんだから思うのだろうけど、最近の昭和擦りいい加減にやめられんかね…
そうだなあと思う部分もありつつ、雑な論理展開だなと思うことも半々くらい感じる
昭和時代の人間が作った悪習だから平成期にも受け継がれてるっていうのはそうなんだけど、昭和期の悪習として紹介されるものの中に平成期の話が混入してることが多い。
特に経済事案系だけど、(たまたまとはいえ)昭和の終盤は基本的に好景気で終わったので、不景気に伴う悪習はほとんど平成のもの。
語るまでもないと思うけど、一応念のため…。今語られる昭和性って、昭和の最後15年くらいで平和時代で固定化された世相のみを切り取ってるような気がする
昭和1年~:1926年 普通選挙になったり、治安維持法で思想統制されていたころ…。この数年前までは一定の納税が無いと選挙権すらなかった
昭和20年~:1945年 言わずと知れた敗戦。写真で見るような焼野原。裁判官が闇市場のコメを拒否して餓死したり。
昭和30年~:1955年 「もはや戦後ではない」あの戦争から10年で立ち上がる…失われた30年とか言ってる今のスピード感と違う
昭和45年~:1970年 安保闘争や学生運動を経て左派が威勢良かった時代の最後あたり。この後京浜安保闘争とかあさま山荘の過激化路線につながる。
昭和60年~:1985年 プラザ合意経て地価高騰、バブル景気の始まり。「24時間戦えますか?」ってTVCMで問いかけられたり。昭和天皇の崩去に近いころは、天気予報のように毎日昭和帝の脈拍とかがニュースで流れてた
「昭和」…というけど、権威への盲従性とか同調圧力って昭和の時代性というより、日本人性のような気がする
そこらへんって江戸時代あたりから続いてるような(石門心学とか?)。時代の問題として片づけると、本質から目を逸らされることもあると思う
あの時代に戻りたいか…?と言われたら、あんな野蛮な時代に戻りたいとは思わない
今から見たら原始時代みたいな野蛮性や狂気を許してた時代だったと確かに思う
こういうアスペさんには道路交通法76条4項2号を叩きつけて関係を断つのがよろしい。
「ねぇねぇ、ところで道交法のこんなの知ってる?
76条で道路の禁止行為が規定されてて、4項2号で道路で立ち止まっちゃダメ、罰金は5万円」
「そんなわけねぇだろ」
「スマホで調べてみれば?」
「。。。」
「ね?」
「いや、書いてあるけど、意味が違うんじゃないか?ほら交通の妨害となるような方法、って書いてあるから交通妨害にならなきゃいいってことじゃん」
「日本語大丈夫?交通の妨害となるような方法、だから交通妨害の事実は不要だよ」
「でも妨害してなきゃ成立しないだろ?」
「いやだから、構成要件に妨害の既遂、事実が必要なら、ような方法、なんて書かないよね、この文言の解釈、道交法解説のネットにたくさんあるから自分で調べてみたら?」
「でもこんなの誰も守ってないし警察も取り締まりしてないじゃん」
「してるよ、この条文の歴史もネットにあるから調べてみ、検挙された人は大勢いる」
「でも」
「この条文に例外規定は無い、つまり信号待ちで立ち止まるのもアウト、足踏みを続けてなきゃならない」
「そんなわけないだろ」
「足踏み止めて検挙された事例は山程あるよ、安保闘争のときに警察は伝家の宝刀で切りまくったんだわ、とりあえず誰でも48時間身柄拘束できる便利な条文で、国会で問題になって止めたけどね、法改正したわけではない、ダメはダメ、今でもダメ」
「いやでも」
「法律は一字一句守るべきなんだろ?守れば?今後は信号待ちでも足踏みね」
で、バカが信号待ちで足踏みしているの想像しながら二度と会わない
たまに嫌なことがあったら、信号待ちで足踏み続けてるバカを思い出して少しだけクスッってなれる
ちなみにネタじゃなくてガチで存在する条文で、ガチでダメだからね、常識的に可罰的違法性の範疇で違法性は阻却されるが
蓮舫さんが出馬した時は「よしっ、これで不誠実・情報非開示小池都政が終わる」って思ったよ。だけど、二週間の選挙戦の間でどんどん支持する気が失せていって、今日投票所で気づいたら「石丸」って書いてた。石丸が二人いたから「どっちだっけ?どっちも無所属だとわかんねーな」って焦ったけど片一方が党名に泡沫ぶりを発揮してたので見分けついて助かったよ。
それくらいのノンポリ無党派歴30年のオレがなんで「蓮舫いやだなー」って思ったか。
→ 力のいれどころと金の掛けどころ違うよ。
→ 敵でもいい所もあるはず。是々非々でできないの?
こうすればよかったなってずっと思ってたの。
・内輪受け感の昭和の選挙のやり方じゃなくて普通にケレン味なく
前者はもうやってるのかもしれんけど、スタートダッシュで終わってしまった。
後者は80歳のおじいちゃん・おばあちゃんがビラ配りしてたり、SEALDsみたいなプロ若者をやめて欲しい。Twitterの「#蓮舫勝たせる」とかホントキッツイ。君たち本気で勝とうと思ってなくて「自分が全力出したからいいです」みたいな自己満足がすけてるのがホント投票意欲をそぎまくったわ。それ60年安保闘争じゃねーかって思ったわ。
それな。
就職氷河期の時代に経営トップ層にいたのは、団塊よりも更にひと世代上なんだよな。
世代間でどの世代がいかんとか言う話になるとき、年齢の認識が合ってないことがよくあるので、早見表を作ってみた。
【追記】スマートフォンなど、画面幅が狭い環境だと世代の名前が入っている表の1行目が崩れます。幅を広くできる環境(横にするなど)にするか、PC表示モードなどにしてみてください。
意図した表示だと、二行目の年号は、2つずつ、生誕年の開始と最後で2個ずつ対応してます。
【追追記】
<| 安保・全共闘世代 | 団塊の世代 | しらけ世代 | バブル世代 | 氷河期世代 | プレッシャー世代 | ゆとり世代 | Z世代 | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1935 | 1946 | 1947 | 1949 | 1950 | 1964 | 1965 | 1971 | 1970 | 1984 | 1982 | 1987 | 1987 | 2004 | 1995 | 2015 | ||
| プラザ合意・日米半導体協定 | 1985 | 50 | 39 | 38 | 36 | 35 | 21 | 20 | 14 | 15 | 1 | 3 | 誕生前 | 誕生前 | 誕生前 | 誕生前 | 誕生前 |
| バブル崩壊 | 1991 | 56 | 45 | 44 | 42 | 41 | 27 | 26 | 20 | 21 | 7 | 9 | 4 | 4 | 誕生前 | 誕生前 | 誕生前 |
| 就職氷河期 | 1992 | 57 | 46 | 45 | 43 | 42 | 28 | 27 | 21 | 22 | 8 | 10 | 5 | 5 | 誕生前 | 誕生前 | 誕生前 |
| 55年体制終・細川政権 | 1993 | 58 | 47 | 46 | 44 | 43 | 29 | 28 | 22 | 23 | 9 | 11 | 6 | 6 | 誕生前 | 誕生前 | 誕生前 |
| ウルグアイランド発効 | 1995 | 60 | 49 | 48 | 46 | 45 | 31 | 30 | 24 | 25 | 11 | 13 | 8 | 8 | 誕生前 | 0 | 誕生前 |
| 拓銀・山一崩壊 | 1997 | 62 | 51 | 50 | 48 | 47 | 33 | 32 | 26 | 27 | 13 | 15 | 10 | 10 | 誕生前 | 2 | 誕生前 |
| 自公連立政権成立 | 1999 | 64 | 53 | 52 | 50 | 49 | 35 | 34 | 28 | 29 | 15 | 17 | 12 | 12 | 誕生前 | 4 | 誕生前 |
| 米国同時多発テロ | 2001 | 66 | 55 | 54 | 52 | 51 | 37 | 36 | 30 | 31 | 17 | 19 | 14 | 14 | 誕生前 | 6 | 誕生前 |
| 就職氷河期終 | 2005 | 70 | 59 | 58 | 56 | 55 | 41 | 40 | 34 | 35 | 21 | 23 | 18 | 18 | 1 | 10 | 誕生前 |
| リーマンショック | 2008 | 73 | 62 | 61 | 59 | 58 | 44 | 43 | 37 | 38 | 24 | 26 | 21 | 21 | 4 | 13 | 誕生前 |
| 自民→民主政権交代 | 2009 | 74 | 63 | 62 | 60 | 59 | 45 | 44 | 38 | 39 | 25 | 27 | 22 | 22 | 5 | 14 | 誕生前 |
| 東日本大震災 | 2011 | 76 | 65 | 64 | 62 | 61 | 47 | 46 | 40 | 41 | 27 | 29 | 24 | 24 | 7 | 16 | 誕生前 |
| 民主→自民政権交代 | 2012 | 77 | 66 | 65 | 63 | 62 | 48 | 47 | 41 | 42 | 28 | 30 | 25 | 25 | 8 | 17 | 誕生前 |
| トランプ大統領爆☆誕 | 2017 | 82 | 71 | 70 | 68 | 67 | 53 | 52 | 46 | 47 | 33 | 35 | 30 | 30 | 13 | 22 | 2 |
| 戦後最長の景気回復宣言 | 2018 | 83 | 72 | 71 | 69 | 68 | 54 | 53 | 47 | 48 | 34 | 36 | 31 | 31 | 14 | 23 | 3 |
| コロナ禍 | 2019 | 84 | 73 | 72 | 70 | 69 | 55 | 54 | 48 | 49 | 35 | 37 | 32 | 32 | 15 | 24 | 4 |
| ウクライナ侵攻 | 2022 | 87 | 76 | 75 | 73 | 72 | 58 | 57 | 51 | 52 | 38 | 40 | 35 | 35 | 18 | 27 | 7 |
| 今ここ | 2024 | 89 | 78 | 77 | 75 | 74 | 60 | 59 | 53 | 54 | 40 | 42 | 37 | 37 | 20 | 29 | 9 |
確かに団塊の世代は終わり、その後の「しらけ世代」と言われる人々も引退の年齢になっているけれど、まだ企業の意思決定などをやってるのはバブル世代では?
氷河期世代と言うのは、実は10年以上ある。今54歳から40歳が氷河期世代。なので、バブル世代の指示のもと、氷河期世代が作り上げたのが今の株価ということになるだろう。そう言う点でみると
と言う形かなと思われる。
就職したころは日本中が明日は必ず今日より良い、と信じられていた時代。バブルを引きおこしたのは団塊世代ではなくてその前の世代(安保世代や全共闘世代)が起こしたが、その後、経営層として始末をやったのがこの世代。
ただしその対応は場当たり的で、不良債権と少子高齢化の両方を先送りし、既存の雇用を守ると言えば聞こえがいいが、保身のために就職氷河期を生み出し、非正規雇用を拡大した頃に中堅主力だったのはこの世代。
実は、これに該当する年限はそれほど長くはないが、とにかく人数が多く、青春時代は学校の教室が足りない、すぐ上の世代がやれ安保闘争だ、やれ全共闘だ、とやり合っており巻き込まれたりしていた。そして年をとると年金給付年齢が引き上げられ、介護の状況も悪くなるなどに直面している。
高度成長期に生まれ、前の世代の政治闘争をしらけた目で見ていた世代。バブルの一番華やかな時代を30台などで過ごし、就職氷河期時代を中堅で過ごした世代。定義上のバブル世代とはズレるけど、批判される対象としはこのあたりが遡上に上がってる気もする。
ただ団塊世代の失敗はよく見ており、リーマンショックの時の対応は諸外国に比べると上手くいったと評価されていて、その対応にあたった世代でもある。
ただし、それは団塊の世代が作った仕組みにひたすら乗っかっていると言え、学生運動にも巻き込まれず、バブル崩壊氷河期時代には就職し終えており、早期退職という名のリストラの嵐が吹き荒れる直前にターゲット世代から外れるなど、旨いこと社会変革に巻き込まれなかった幸運な世代と言えるかも。
逃げ切りやがってと言う時に「団塊の世代」とか出てくるけど、真実逃げ切ったのこいつらじゃねえかなって思うことも。
バブルのピーク時に就職した世代と言われる。この頃はとにかく経済が過熱しており、とんでもない売り手市場どころか乱獲状態、冷静に考えるとおかしなことが多かった。
しかし、就職直後にバブル崩壊を経験し、ひたすら悪化していく景気への対策を迫られ、ソルジャーとして使われた世代でもある。就職の時の景気が良かったたと言う一点以外は、それほど氷河期世代の初期とは差は無いはず。しかし、そこで大きな常識の断裂があって、下の世代と意識のずれがあると言われ続ける。
それは、青春時代の一番多感なころをバブルの社会で生きたからでは?
また、この世代と、次の世代との間には、ITの一般への急速な普及という大きな断絶もある。
バブル崩壊前に生まれ、不安定な経済情勢に巻き込まれた世代。氷河期世代前期はまだバブルの華やかな時代に青春を過ごしているが、氷河期世代の後半は経済などに興味を持つころに山一証券崩壊、同時多発テロなどを経験しており、達観のようなものがあって「さとり世代」という区分も存在する。
その世代は、小渕恵三内閣のあたりから景気対策として労働関連法制の緩和が始まり「フリーター」という言葉がもてあそばれ、リーマンショックの時にも大打撃を受けるなど踏んだり蹴ったりであると言える。この世代から一気に婚姻率や出生率がガクンと落ちている。
現在は労働力として中核的世代になってきているが、層が薄いために過重労働を強いられたりしている。また、ITの教育が貧弱だった割に、社会に出たらIT化の波に揉まれた世代でもある。
定義場はわずかに存在する世代で、簡単に言えば就職氷河期が終わったとされる年から、リーマンショックまでの世代を言う。この世代は近代の中で最も詰め込み教育が行われた世代で、その弊害が叫ばれた。(弊害を叫んだのはちょうどしらけ世代なんだよな)その反省から後に「ゆとり世代」がうまれることになる。
思春期をインターネットの急速な発展と共に過ごした世代で、ITネイティブと言われる人々が登場するのはこの世代以降。
しかし、生まれた直後にバブル崩壊しており、就職直後にはリーマンショックを経験して大規模リストラなど、この世代は就職する頃には、「景気が良かった時代」を経験した事が無いため、萎縮しがちで「プレッシャー世代」と名付けられた。
氷河期世代よりは正社員で就職できたため層が厚めではあるはあるが、これは団塊の世代の大量退職が始まると言う背景から、人材不足で売り手市場になったと言うもの。それほど内情は良くない一方で団塊世代の穴埋めや、氷河期世代で歪んだ社内の人材を補填する役割を期待されて、現在に至る。
ゆとり教育を受けたと言われる世代で、実は結構長く「Z世代」とも被る。現在就職している若手はみなこの「ゆとり世代」にあたる。
初期の世代は、ようやく不良債権処理が終わり、日本経済が上向きになったころに青春時代を経験した。リーマンショック直後に就職だが、リーマンショックは高齢者や非正規雇用、不採算部門のリストラを中心に対処されたため、新卒採用の絞り込みはそれほどではなかった。
そのため、この世代の先頭組でも氷河期世代ほど就職関係の指標は悪化は経験せず(社会不安が叫ばれる中での就職活動となった点はあるが)その後少子高齢化を背景に急激に売り手市場となった。
また、この世代の後期はリーマンショックや東日本大震災は子どもの頃の出来事で、青春時代は中国景気に起因する「いざなぎ景気超え」宣言が出るような緩やかな景気回復にあったため、社会情勢は比較的安定しており、景気が悪い時代しか知らない世代に比べると、前向きでふわっとしていると称されている。
これはオマケ(他の世代は新卒就職時機を基準にした世代の分け方だが、これだけ違う)
実はZ世代と言われている層ってゆとり教育世代と半分ぐらい被るって覚えておくと、ゆとり世代を腐してZ世代を持ち上げるような言動をする人に惑わされずに済む。
ただ、分類によると、ゆとり世代の最後の世代(2017年あたりで区切る)をZ世代とするものもある。ただこれだと別の「Z世代」の定義と被って面倒くさいんだよな。
メインセッション
「東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの
https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782
(約3600文字)
青木理氏:
中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。
桐島聡「さん」
田原牧氏:
(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。
私は急に森田童子を思い出した。
荻上チキ氏:
「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師」主題歌)の。
田:
もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。
荻:
田:
「戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス。
60年代学生運動は日本の戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。
田:
60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。
運動も竹竿→ゲバ棒→火炎瓶→爆弾となり、'71には三里塚の東峰十字路事件で警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。
荻:
田:
(男子の大学進学率 '60 13.7% → '6520.7%。'66に18歳人口が+50万人)
田:
東大全共闘のリーダーの山本義隆氏が、闘っているに自分たちの特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。
田:
60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国の責任は問われなかった。
田:
入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本の新左翼党派は頭を下げた。
田:
この自己否定の流れと「戦線」自体のアナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。
荻:
今振り返った時代の前半、大学自治や学費問題から階級闘争、安保闘争、反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。
青:
戦後の一時期共産党は武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争を放棄した。同時期にソ連でスターリン批判が起きた。
共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派、革マル派、赤軍派などの母体となる。
全共闘は当初セクト(党派)ではなかったが最終的に合体していく。
青:
学生たちはベトナム、日米安保、三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件の鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。
このあとよど号、大菩薩峠、連合赤軍などの事件がおき、さらに爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線」活動もこのころ。
田:
「戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。
青:
「狼煙を見よ」や「腹腹時計」から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。
荻:
60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配の反省中で農村コミュニティや市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織は反省と攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。
青:
「戦線」の事件を肯定はしないが、アイヌ、在日コリアン、沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。
また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。
荻:
田:
また時代の流れが、新左翼を国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たちも武装する、という意識が強かった。
昭和天皇暗殺未遂、朴正煕暗殺未遂の文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識、暴力で時代を切り開く意識があったのではないか。
青:
松下竜一「狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂でしょんぼりしていたときに同世代の文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。
お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道寺将司は痛切に反省をした。
荻:
今の若い人からすると左翼=マルクス主義だというイメージが強い。
新左翼とマルクス主義の距離、「旧左翼」とマルクス主義の距離、「戦線」の立ち位置はどうか?
田:
新左翼の各党派はマルクス主義に基づく綱領や路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクスは時代的に当然読むが、全共闘の学生たちと同様に倫理感から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに、水俣や山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。
荻:
分かりやすいイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが
田:
「戦線」は革命ではなく落とし前。国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方の問題。ある意味ものすごくピュアな人たち。
(CMと前半の振り返り)
荻:
この半世紀どうか。
青:
ドイツは戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島が南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカの基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。
荻:
青:
皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。
青:
新左翼各セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊のリーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺を評価している。こういう流れが新右翼のムーブメントを生んだ。
リスナー:
田:
将来構想はなかった。個々人の落とし前。三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理は日本国家の転覆まで。
太田竜という、世界革命、世界赤軍を唱えたイデオローグ(理論的指導者)は、第三世界の革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。
荻:
青:
ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争や内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代の必然。
今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。
荻:
そして、マルクス主義はなくなっても、性教育や性的マイノリティの権利保護や選択的夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。
青:
妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論家から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本の左派というかリベラルへの大きなダメージ、マイナス面になっていると思う。共産党や左翼へのアレルギー。ヨーロッパでは緑の党や旧共産党が政治ムーブメントを作っているのに。
荻:
「理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズムの空気のようなものは残ったかもしれない。
田:
今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代の河野談話、村山談話につながっていると思う。
荻:
振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。
謝り方がなってねぇんだよ(笑)
ジャップのフェミナチが謝らねぇ理由は「運動が1歩でも後退するのを嫌っている」からだよ。
解説してやろう。
「運動」ってなんだ?
社会運動は、社会を良くするための活動だ、なんておためごかし夢想家のバカの価値観に寄り添ってんじゃねぇぞカス。
「運動」ってのを生み出したのは「学生運動の過激派」、要するに「活動する共産主義者」共の活動に過ぎねぇんだよ。
共産党と過激派は手を切った、なんておためごかしを誰が信じてるんだよ。信じてるのは共産オルグされてるバカはてなー共と、運動に参加した結果アイデンティティ化しちまったツイッタラー(笑)だけじゃねぇか。
代々木盗聴は「バレたから問題」なのであって、三叉路で警官焼き殺したのを指示したのは代々木だったってのは、亀井が不破にぶつけた戯言な?
学生運動過激派共は、非を認めれば総括、活動に手抜かりがあれば総括、真面目さと詭弁だけが取り柄のバカジャップのアイデンティティをそのまま共産主義運動に乗っけたバカどもだ。
安保闘争の時に、岸をぶっ殺せなかった(首相官邸に突入して、岸以下警察官僚全員ぶっ殺せばよかっただけ)のがオマエラの運動の敗北だよ(笑)
まぁ、コレに関しては公安警察が活動細胞のレポ員を微罪で片っ端から逮捕してたから、頭脳と活動体の分断が成功したからなのであって。
(レポ員逮捕→活動体の指揮に入るしか無い→隠れ家を出たとこで逮捕→活動体は放置。むしろ破壊活動させて全部しょっぴくまで警察は決めていた。でも、岸だけは首相官邸防衛のために自衛隊を呼びたがっていた)
……とまぁ、敗北者だからこそ「今の運動を後退させてなるものか!」が謝れない正体だよ。
要するに、フェミナチ共は共産党の運動の流儀をそのまま継承しているの。勿論オルガナイザーやメンターは何も言わないさ。でも、ルールは徹底している。
そりゃそうだ。これまで「運動」で「内々の実績」だけは作ってきたからな。「内々の実績(笑)」だけな。
要するに今のフェミナチ運動共は、「内々の実績(笑)=共産党の運動(笑)」としての価値に重きをおいてるから「謝罪なんか以ての外」なんだよ。
だって「敵」だもの。敵に謝るなんて、許されるわけ無いし、例え偽証だろうと「討つべき敵への攻撃」は「共産党とそのオルグされた連中の正義」でしかないからな。
つまりだ。
「ちゃんとした謝罪は、これまでの活動の導線を全部説明して、テメェが【謝ったら許されないドグマ】に毒されていることを示した上で、そうした【運動や活動と手を切って】本当の女性保護活動に立ち返ります」以外ねぇんだよ。
■ネタ元
http://blog.tatsuru.com/2023/04/02_0947.html
賛成できる部分もあるが、個別の具体例に対して事実認識が古いか間違っている内容が多すぎて、読んでて気分悪くなった
外圧を利用して政策を通す、といういつも通りの政府のやりかたであって、米国のいいなりと言い切ってしまうのは一面的にすぎない。米国が日本に要求している事項は多くあるが、日本にとって都合のいい要求だけ呑んでいる。例えば、米国ははロシアへの経済制裁圧力をかけているが、日本がサハリン2から撤退する気配はない。米国へ徹底的に追従するというなら、今すぐにでもサハリン2から撤退してしかるべきだが、そうしていない。
国民がこの大きな増額にそれほど違和感を覚えないで、ぼんやり傍観しているのは、安全保障戦略について考えるのは日本人の仕事ではないと思っているからである。
でたよ雑な日本人論。安全保障について考えるのが政府の仕事というのは世界共通であり、別に日本に限ったことではない。日本人が平和ボケしているという人は多いが、実際平和なのだからしょうがない。ウクライナ戦争が始まってから慌てて軍縮を撤回しているドイツなど見てわかる通り、平和ボケは別に日本に限ったことではない。紛争を抱えていない国はたいていこんなもんである。ロシアも中国も隣国とは言えども海を隔てているのであり、例えばロシアと陸続きの東欧などとは、安全保障に対する意識の差は比べようもない。世界中で積極的に揉め事を引き起こしているアメリカでさえ、一般国民の大半は安全保障に関しては無関心で、日本人より関心を持っていないまである。共和党の有力な大統領候補のポピュリスト二人がウクライナへの関与を減らせと言って支持を得ているのが、その証左だ。
安全保障戦略は米国が起案する。日本政府はそれを弱々しく押し戻すか、丸呑みする。戦後80年、それしかしてこなかった。その点では日本政府の態度は戦後80年一貫しており、岸田政権は別に安全保障政策の「大転換」したわけではない。政権によって米の要求に従うときの「おもねりかた」の度合いが多少違うだけであり、そこにはアナログ的な変化しかない。だから、国民は誰も驚かないのである。
最近の日本の外交政策を全く追いかけられていない無能アピールか?俺は安倍首相の政策に対してはかなり批判的な方と思っているが、「外交の安倍」に関してはかなり評価している。というのも、QUADを提唱したのが安倍だからだ。QUADが始まったのが2007年、アメリカが対中シフトを始めたのが2011年頃であることを考えると、むしろ日本がアメリカの外交政策を動かしたといっても過言ではない。いや、過言かもしれないが、少なくともアメリカのいいなりになってQUADを始めたわけではないというただ一点において、内田樹の言説は全く持って誤っていると言わざるを得ない。安倍首相時代に安全保障政策は大転換しており、そして、その時の外務大臣は岸田である。安倍政権がクソであったことはさておき、日本の外交・安保政策における主体性は正しく評価されるべきである。
岸田首相の党内の政権基盤は決して堅牢なものではない。だから、長期政権をめざすなら、米国からの「承認」がその政治権力の生命線となる。ホワイトハウスから「米国にとってつごうのよい統治者」とみなされれば政権の安定が保証されるし、少しでも「米国に盾突く 」そぶりを示せば、たちまち「次」に取って替わられ、政権は短命に終わる。
陰謀論。まだGHQが日本に駐留してるならともかく、21世紀の現代でそれは無理がある。日本はアメリカの属国であるという命題から逆算した結果、とんでもない主張をしているとしか思えない。属国であるということは否定しない。外国の軍隊が駐留していて、その駐留費用を日本が負担しており、外国の軍隊が治外法権を享受している事実を列挙してみれば、属国扱いもしょうがない。だが、現代のアメリカに、その時の気分次第で日本の首相の首を挿げ替えるような力があるのだろうか。いやない。あるなら事例を出せよという感想しかない。菅首相はアメリカのいうことを聞かなかったからアメリカに首を挿げ替えられたとでも思っているのだろうか。
岸田政権にはとりわけ実現したい政策があるわけではない。最優先するのは「政権の延命」だけである。喩えて言えば、船長が目的地を知らない船のようなものである。自公連立政権という「船」を沈めないことだけが目下の急務であり、岩礁や氷山が目の前にきたら必死に舵を切って逃げる。だが、どこに向かっているのかは船長自身も知らない。
岸田首相は安倍首相の外交安保政策を主体的に継承、推進しているので、指摘は当たらない。岸田首相の動機に関しては、本当かどうかはともかく、NHKの以下の記事が示唆的である。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/93812.html
総理周辺はこう解説する。「岸田さんは安倍さんが成立させた、集団的自衛権などを盛り込んだ安全保障法制の体系を機能させるために、防衛力を量的・質的な面で担保していくのが自分の仕事だと、よく語っている」岸田は第2次安倍政権で、4年半余り外務大臣を経験し短期間だが防衛大臣も兼務した。国民の命を守るため、最優先は外交的努力だとしながらも、外交に説得力を持たせるためには防衛力が必要だという考えを持つに至った。「安倍さんの“バトン”を自分はつなぐ」
それが、岸田の信念だという。その言葉の裏には、安倍が亡くなる直前まで防衛費の大幅増を主張し、最大派閥・安倍派の議員たちも、その遺志の実現を重視する声を強めていたという政治状況もあったとみられる。
「国民の声を聴く」とか「個性と多様性を尊重する」とか「新しい資本主義」とか公約を掲げていた時は、首相になれば少しはこのシステムをいじれると思っていたのだろうが、実際に船長になってみたら「お前が動かしてよい舵輪の角度はここからここまで」と言われ、ほとんど政策選択の自由がないことを思い知らされた。
これは同意。まあ選挙向けの適当なアピールだったんだろうが、特に「新しい資本主義」の中身のなさっぷりにはかなり失望した。何をどうやったら再分配が消えて投資の連呼になるんだよ、内容が180度転換してるじゃん。これこそ国民をナメてるとしか思えない。
今回の防衛予算の積み上げも、まず米国からの要求があり、それに合うように予算が組まれ、さらにその予算枠に合うように、「中国や北朝鮮の脅威」なる「現実」が想定されている。ふつうの国なら、まず現実認識があり、それに基づいて国防戦略が立てられ、それに基づいて必要経費が計上されるのだが、今の日本はみごとにそれが逆立しているのである。
ここに関しても同意。金額ありきなのは本当に意味不明。アメリカからの外圧を利用しての2%なのは構わないが、予算の内容について防衛省と調整してから出せよ。それを悠長に待ってたらタイミングを逃すから、という極めて政局的な判断なのであれば、それは批判されてしかるべき。
日本政府が購入を決めたトマホークにしても、その前に「爆買い」したF35戦闘機にしても、米国内でははっきりと「使い物にならないほど時代遅れ(レガシー・プログラム)」の兵器とされている。中国との競争において、米国はAI軍拡で後れを取っている。もう大型固定基地や空母や戦闘機の時代ではない。AIに優先的に予算を投じるべきなのである。しかし、米国には軍産複合体という巨大な圧力団体があって、国防戦略に強い影響を及ぼしている。兵器産業にいま大量の在庫が残されている以上、それを処理しなければならない。だから、それを日本に売りつけるのである。日本に不良在庫を売りつけ、それで浮いた金を軍のヴァージョンアップに投じる。そういう「合理的な」メカニズムである。
ここに関しては完全に誤認している。情報が間違ってるし古い。開発中は開発期間の延期と開発費の高騰で失敗作扱いされることもあったF-35も、今では様々な不具合が改修され、最新鋭の戦闘機として各国に順次導入されている。本当に時代遅れの欠陥機なら、米国と仲が悪いトルコがわざわざF-35供与要求するわけないじゃん。トマホークも初出は古いものの常にアップデートされており、日本が購入するブロックVは2021年開発である。亜音速の巡航ミサイルが古いという言説も、ロシアがウクライナ戦争前に自慢していた超音速ミサイルが期待通りの成果を上げていないことを見れば、何言ってんだこいつとしか思えない。
米国がAI軍拡で後れを取っているという言説に至っては完全に意味不明だ。OpenAIは中国製だったのだろうか。中国が米国と比較して先進的な軍用AIを開発した、というのも聞いたことがない。一応中華ソースのニュース記事も調べてはみたが、中国がAI開発に遅れを取っているというような内容しか見つからない。
不良在庫を言い値で買ってくれるのだから、米国にしてみたら日本の自公連立政権ほど「使い勝手のよい」政権はない。だから、この政権が半永久的に続いてくれることを米国が願うのは当然なのである。
前提があらゆる部分で完全に間違っているため、この結論にもうなずけない。思いやり予算批判でもしてればいいのに。
日本国民は属国身分にすっかり慣れ切っているので、自国の政権の正統性の根拠を第一に「米国から承認されていること」だと思い込んでいる。「国民のための政治を行っていること」ではないのである。米国に気に入られている政権であることが何よりも重要だと日本国民自身が思い込んでいる以上、日本人が岸田政権に不満を持つはずがない。だから、岸田政権が防衛増税を進めても、インボイス制度やマイナンバーカードなどで、国民の負担を増大させても、国民はデモもストライキもしない。それは国民自身が「政府というのは、国民の生活のために政策を実施するものではない」という倒錯に慣れ切ってしまっているからである。
全体的に批判が雑。岸田政権に不満があるから支持率が下がってるんじゃないのか…最近また上がってるけど。デモとストライキをしない=政権支持というのは短絡的すぎるし。
インボイス制度の導入で被害を被るのは零細の個人事業主という狭いターゲットであり、これに対して大規模なデモやストライキは起きにくい。というかデモ自体はやっているが、ニュースにならないだけである。安保闘争の時のように、100万人単位で動員しないとデモ認定されないんだろうか。サラリーマンや非正規というプロレタリアートにとって個人事業主というプチブルは敵であるから、むしろインボイス導入を喜ぶべきであるという冗談はさておき、労働組合は個人事業主に雇われる側なんだから、ストライキにはならんだろ。
またマイナンバーカードは国民の負担を減らすための施策であり、マイナポイントというエサで導入を釣ったり、保険証等からの性急な切り替えに対して文句を言うのはともかく、国民の負担増大というくくりに入れるのは具体事例としてどうなの。復興特別所得税の防衛費へのつけかえとかもっと直球な負担増大の具体例あるじゃん。
そうやって政府に対する国民の期待を下げれば下げるほど、棄権率は高まり、結果的に20%の鉄板支持層を持つ自民党が選挙には勝ち続けることができる。
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/index.html
長期的なトレンドとしては下がってますが、ここ数年の国政選挙の投票率は上がっています。この理屈だと菅と岸田政権で国民の期待が上がってるみたいじゃん。
コロナワクチンの副反応が微妙にしんどくて気を紛らわしてたら変に思考が回ってしまい,最弱の男性のペルソナを思い浮かべてしまった.
もし小説など創作的なことをされている方がいたら自由に本設定のキャラを作ってください.
年齢:36歳
身長:165cm
体重:61kg
視力:裸眼視力は0.05であり,太い黒縁のメガネをしている.
容姿:思春期のニキビ跡により顔中穴だらけかつ苺鼻.表情筋は未発達でいわゆる不自然に幼いチー牛顔(かつタラコ唇).歯は歯石に満ちて黄色く出っ歯.6等身なほど顔が大きい.
服装:一張羅のスーツをクリーニングに出さず着続けている.休日は上下ジャージ.
家庭:
父親はアル中以外には疾病がない無職,いつもストロングゼロを昼から夜まで飲んでは中核派のような発言をして母親を叩いている.
母親はその実家含めカルト宗教の信者であり,専業主婦を自称しているがマルチ商法の会員として日々カフェで情報弱者をだまそうとしている(入会以降の収支は大赤字).
父親の実家については祖父が大日本帝国陸軍の軍曹でありシベリア抑留で死亡(遺骨無し),祖母は強度の認知症だが資金不足によりアパートで孤独に暮らしている.
父親は祖父の経歴を「アジア侵略に加担した者の当然の報い」だと息子であるMに幼少期の頃から言い聞かせており,安保闘争に参加して警察官にレンガを直撃させ後遺症を残したことに自信と誇りを持っている.
経歴:
中学まで地元の公立学校にて低いスクールカーストとして過ごす.一定程度の成績を残していたため自称進学校に進学するも落ちぶれる.1浪して地元のFラン大学に目的もなく入学し,第2種奨学金を借りた.
大学では単位取得をろくにせずに過ごし2回留年する.最終的には中退し,就職課の紹介で上記のような職場の非正規社員となる.
以後は人手不足に助けられて契約を更新し続けている.肩書こそシステムエンジニアだが社内雑用がメインであり,横展開可能なスキルは持ち合わせていない.
生活:
週休は不定期の1日で就業日は朝9時から夜9時まで勤務.自分は休みとボーナスを貰えるだけずっと良いと下を見て過ごしており,マクドナルドやコンビニの店員や介護士やAmazonの倉庫管理従事者を見下している.
特に店員が中韓の人であれば露骨に嫌な顔をし,日本人店員に対応されると聞き取れないボソボソ声で「やはり日本人が良いな」などとつぶやいている.
父の反動としてMはネトウヨと化し,今日も終業後はTwitter上で国士を自称して大日本帝国と大東亜共栄圏の復活を目指すと言いながら,排外主義的で支離滅裂な陰謀論をまき散らしている(ツイートの95%がRT).
毎日,朝ダチ処理と就寝前にマスターベーションをかかさない性豪.おかずは高校時代に3年間ずっと好きだったクラスメートの女性,或いはそれに似た女優が出演している制服モノAVで,レイプシチュを特に好む.
オタクの彼女がチャラ男やジョックに寝取られるシチュエーションは地雷であり,滅べと時々ツイートしている.度重なるオナニーにより男性ホルモンがやや過剰に分泌されており,腋臭はもちろん,朝に髭を剃っても夕方には無精ひげができるほど.
上述したような立場とスキルの無さから,業績不振になれば直ちに解雇される候補の一人である.にもかかわらず,一切の自己研鑽をせずTwitterにかじりついている.親の介護のことは一切考えていない.
4歳早々に自転車はコマなしペダルとなり猛スピードで走っている。危ない。
公園まで信号は無い、だが交通頻繁な道路を一つ横断しなければならないが信号は設置されてない。
さて俺は子供が生まれる随分前、結婚前からこれが気に食わなかった。
自分が車を運転していた時は歩行者を蹴散らして走っていたが自動車に乗らなくなってから歩行者の俺様が優先だろ?と転換した。
蹴散らして走り抜けようとする車に対して横断の意思を見せ急停車させるのは長らく俺のライフワークだった。
皆が俺と同様に自動車を強引に止めさせるのが当たり前になれば多くの自動車はいわずもがな止まるようになる。
事故は減る、皆がきっちり歩行者に譲るようになれば信号機の数も減らせる。
誰一人横断者がいないのに信号で止められる、そんな理不尽な信号機も削減できる。
歩行者がいれば歩行者の横断を待つだけ、信号で待たされるよりも合理的で短い。
皆にとって良いではないか。
俺は基本的に信号を守らない、歩行者、自転車は信号を守らなくて良いと思っている。
自動車が交通法規を守らない国で歩行者だけ守らせても仕方あるまい。
信号のない横断歩道で自動車が100%止まるようになれば俺も信号を守ってやる、これはディールだ。
俺は自分の身を守れれば良いのだ、ルールなど知ったことではない、
こっちがルールを守っても違法な車に轢かれて死んだのでは意味がない。
俺はとある交差点で慢性的なタクシーの客待ちで始終渋滞している箇所があり、何度も警察に取り締まりを要請した。
俺がまだ自動車を所有していた時期で俺は毎日その交差点を通過せねばならないため渋滞が鬱陶しかった。
タクシーの客待ちは止まっている、静的違反である、これは取り締まり対象ではない、動いて事故を起こした車だけ取り締まりするのだ。
だってさ、
俺は「ならばスピード違反、信号無視も事故じゃなければいいじゃないか、俺がそれらの違反をしても切符切らないと一筆書け、警察署長がサインしろ」と食いついた。
だってさ
意味がわからん、そもそも静的違反とはなんぞや、いくら調べてもそんな法律用語はない。調べ方が悪いのか?
ともかく、違法性阻却事由、可罰的違法性の事を言うているのだろうか。
事故加害当事者にならなければ良いというのが警察の公式見解であると解釈したので以後歩行中は信号は守らないと決めた。
アホらしい。
加害者になることはありえない。俺にぶつかった自動車がふっとぶか?俺がいくらデブでもありえない。
たかが歩行者の信号無視ごときが可罰的違法性を満たすとも思わない。
倫理的な議論の余地はあるだろうが、俺は自分の身を守り訴追から回避されてりゃそれでいいのだ。
そうだよ
文句ある?
ルールがぁ、法律がぁ、とほざくアホがいるだろうが、道路交通法76条4項2号、守れるものなら守ってみろボケ。
条文通り文字通りに解釈するなら信号待ちでも立ち止まらず足踏みを続けなきゃならない。
やんねぇだろうが
ちなみにこれ罰則は5万円以下な。
ちなみにこの条文、安保闘争で便利な条文として警察は乱用した、死条文ではないのだ。
道路で立ち止まった「だけ」のアカどもをバシバシ検挙し48時間拘束。
もうね、道路では一切立ち止まれなくなります、立ち話、信号待ち、ぜーんぶダメ、一切ダメ、法律だから。
ともかく、屁理屈はどうあれ現実問題として俺は信号なんぞ守らんのだが、さて子供にどう教えるか。
正しくは信号は守るべきである、そのように生きたほうが人生楽である。
俺のような面倒くさい人間にはならない方がいい、そりゃわかってる。
さりとて、今更俺も宗旨変えなどしたくない。
ここにジレンマが生じる。
子供には信号を守りなさい、信号の無い横断歩道では自動車に進路を譲り安全を確認してから渡りなさい。
アメリカ人の友達「偽物の教会で、お葬式の曲が流れる不思議な結婚式に出たのよ」「それ、日本の標準的結婚式です…」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1956479
これはつまり「ブライダル業界の結婚式」だが、なんでこうなったのか?。
今主流のこういう結婚式の始まりは1970年代なんだが、その元は60年代にある。
日本のイエ制度は明治に出来たようなもんだが(武家を除く)、昭和初期には堅固なものとなり、更に国家と天皇がイエに擬製されて人間はそこから逃れる術はほぼ無かった。ゲマインシャフトと国家有機体論の合体だ。
戦争に負けるとおせっかい焼きのアメリカが自由の形だけを作って置いていった。国家権力だけは縛ったからあとは勝手に使うがよいと。
それで戦後も時代が下り生活レベルが向上すると段々と生活や人生上の自由が増大化していった。
イエというのは家督であり、継げるのは長男一人だけだ。しかしその他の女子や次男以下も生き方が制限された。
長男は適齢期になると親が勝手に縁談をまとめて「あの家の娘と一緒になれ」。断った場合は勘当されて死ねと言われる。
次男以下は中学(尋常小学校)を出ると「小僧」の勤め先を親が決めてくるので、そこに入る。小僧っていうのは商家に住込みの店員見習いだ。然程の長時間労働ではないが「仕事」ではなくて24時間主人に仕える事が求められる。全人格労働だ。
こういう風習があったので会社勤めが一般化しても昭和中期まで独身者は会社の寮に住込みが基本だった。勿論集団生活で雑居だ。プライバシーとかいう事を気にする者はアメリカかぶれの不良である。
女子は妙齢になるとやはり親が勝手に嫁ぐ先を決める。断るのはアメリカかぶれの不良である。そもそも断ると生きていく術が無い。本人が何とかなっても家族が村八分になる。
商家に女版小僧として働くというケースもあった。勿論住込みの全人格労働だ。これも妙齢になると主人が見合いの相手を見つけてくるので恋愛期間なく結婚せねばならない。
戦後生まれの団塊世代が成人する60年代末になると都会ではそういう古いイエに縛られない核家族が増え、子供用個室が出来たりもした。
でもそれは都会の話で、田舎の方ではまだ古いイエに縛られたままの人間が多かったのだ。
例えば中島みゆきの『ファイト』は1982年の歌だが、「薄情もんが田舎の町に砂かけんのか、出てくならお前の身内住めんようにしちゃる」と言われて長距離切符燃やそうとしたが出来なかった。東京行の文字が滲んだ切符をまだ持ってる、っていう節がある。
なんでこんなキツイ歌詞を考えつくの…と思うがこれは中島みゆきの深夜ラジオに送られて来たリスナーのハガキの内容を切り貼りした歌詞なんである。
つまり1970年代末~1980年代頭にもこういう思いをした人は居たという事だ。
「ファイト」の語感だけで元気を振るう歌だと思っていると衝撃を受ける事と思う。苦難や挫折が生々しいのだ。
勉強を頑張って東京の大学に進む事が出来るように先生に親を説得してもらう(余計な勉強なんかして更に大学に進もうなんて親不孝のアメリカかぶれの不良である)。
集団就職に参加する。
一度商家に入り、数年奉仕し18or20歳の年齢制限をクリアして暇を貰い、水商売に入る(増田の親のパターン。単に不良である)。
そういう状況だったから古い世間では自由恋愛=不良であった。それは流行恋愛歌に乗せられて人の道を踏み外すアメリカかぶれの不良である。
一方、若者からすれば自由恋愛とは誰と恋愛してもいいよという状態の事だけじゃなくて因習から逃れる解放のテーゼだ。
人は好きな人と結ばれる権利がある。それを称揚すべきである。ロマンチックラブイデオロギーだ。
そういう訳で沢山のフォークソングで自由恋愛が称揚されるようになった。1960年代には社会への異議申し立てという歌詞が多かったのが、70年代になると安保闘争の挫折も相俟って現状肯定、恋愛称揚などのポジティブ系にシフトしていく。
有名なのが吉田拓郎の『結婚しようよ』1972年で、僕の髪が伸びたらチャペルで結婚式を挙げよう、というもの。
チャペルはキリスト教会の礼拝場の事なのだが、実際に多く使われるのはミッション系大学の礼拝場だ。要するに学生結婚したいねという欲求を惹起する歌だ。
もう一つ有名で披露宴でも使われるのがチェリッシュの『てんとうむしのサンバ』(1973年)で、夢の国の森の小さな教会で結婚式を挙げました、という歌詞。
こういう曲のヒットにより「小さなキリスト教会での挙式」というのが憧れとなり、実際にミッション系大学併設の教会での挙式が多く行われた。因みに式の前に洗礼を行って形だけでも「キリスト教者」になっておく。
ただ、ミッション校の教会は限られていてパイが少ないし両方の親族が沢山来たら礼拝堂に入らない。
でもそれがまた「イエvs.イエ」の結婚式へのアンチテーゼとして働いた訳だ。
なんでキリスト教会なの?と言えば、それは第一に西欧への憧れであり、第二に「日本古来の神式、仏式でないから」だ。神式、仏式にはイエの因習の表象をまとっていた。
今は厳かな神式も人気で特に鎌倉鶴岡八幡宮の舞殿で行われる神前式は人気だ。これには団塊/全共闘の残した軽いノリへのアンチテーゼで権威的なものを好むというテイストもあるだろう。
でも今の神前式を選ぶのと60年代の仏/神前式は意味が違うのだ。現代のは一度因習との結びつきが嫌われて廃れ死んだ後に、「博物館入り」して個人にとって安全になったものだ。安全になったので「自由意思で選択」しているのである。
「花嫁は夜汽車に乗ってとついでいくの」という『花嫁』(はしだのりひことクライマックス 1971年)なんか歌詞をよく確認してみたら駆け落ちなのな。こいつを披露宴で掛けるのはヤバそうだ。
それ以前の結婚式は仏式/神前とあったが、特に都市部だと著名な特徴があった。
それは「祝言(しゅうげん)として能の演目『高砂』の一節の謡いを仲人がやる」という事。俗にいう「高砂や~」である。
https://www.youtube.com/watch?v=Zm1Se2fRnvU
これをこの調子で仲人が謡う。これは都市部では必ずやる。絶対にやる。だから仲人はこの祝言を暗記して慣れない能の謡い方を練習した。それを笑った落語もある。「高砂や~」って練習してる時に「とうふ~」と豆腐売りが来ちゃって混じって覚えちゃうのな。
これは恐らく江戸時代後期には一般化していたと考えられるが、廃れた時期ははっきりしてて団塊世代の適齢期だ。
ちょっと脱線だが老松町という地名があったり地名変更で無くなったが祭りの町内会名や祭りの神輿や山車の提灯なんかで出てきたりする。
でも昔は結婚式では「必ず」高砂の祝言を謡ったのだ。『高砂』の内容とは、神主が兵庫県の高砂で老女老男に出会い、我らは片や高砂の、片や大阪市住之江区の住吉大社の老松だと言われる。小舟に乗って去った老夫婦の後を追って船で住吉に向かうと、住吉明神が神々しい舞を見せた、というものだ。
まぁ今は埋め立てで遥か内陸になってしまって阪堺電軌じゃないと行けませんがね…。
この「老松」なのですよ。昔は結婚式で必ず仲人が高砂を謡った。故に門出の歌なのですな。
関東大震災で下町が壊滅すると多くの人が板橋区とか池袋、世田谷、杉並などの郊外に移り住んだ。すると農村の人口が増えて村から町になり区画も分割される。そこでめでたい瑞祥地名として新婚の門出と長寿と願って老松町というのが増えた。
でもその後字面が年寄臭いって事で消えてしまった。『高砂』が廃れた現在から見るとやっぱ年寄臭く見えるけど、それは習俗が途絶えて常識が消えたせいなんでありますな。
会場が教会だったり披露宴でフォークソングとか歌うし高砂やはやらないしで、この新しい結婚式に保守的な人らは憤慨していた。
どのくらいかというと、わざわざ入試問題に新型披露宴を批判したり、親戚のオヤジがマイクを渡されてフォークソング披露宴への憤懣ぶちまける説教演説したのを現代文の問題で出したりするくらい。そんなのを入試に出すなよ。過去問としてアーカイブされて10年以上参照されるんだぞ。
しかし芸能人などが次々とキリスト教式で挙式するようになる。するとこれは大きな需要であるから「ブライダル業界」が立ち上がり、洗礼とかがない宗教的に気軽なキリスト教式結婚式を提供するようになったのだ。それまでは互助会のような組織が主だった。
ホテルなどでの挙式よりは断然安い。しかし教会での式よりは断然高い。
だから団塊のイエへの抵抗から始まったブームが大きくなって70年代中頃に業界化し、80年代には完全に一般化してこっちが主流になったのである。だが80年代には色々行き過ぎて珍妙な式が行われており、それでまた年配者の顰蹙を買ったようだ。ハイジみたいなブランコで新郎新婦が登場とかラブソングカラオケ熱唱とか色々おかしい。
だから「なんで偽物の教会でやるの?」と聞かれたら「それが昔は近代的な解放だったんだよ」「その意味が社会から消えても形式と業界がそのままになってるんだよ」「貴方の国の若い人らもハングルやひらがなを混ぜて書く事があるけど、それも同じ抑圧からのサブカルチャー的解放の意味があるんじゃないの」と言えばよい。
それとは別にやっぱあの形式の結婚式にはダサさを感じるし、偽物の教会も中途半端で教会建築への理解の少なさが出ちゃってる。標準的形式の練り直しはすべき時期かもしんない。
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