
はてなキーワード:安井かずみとは
恋愛経験ゼロなのに40過ぎてから婚活するネトウヨアンフェおじさんに似てるね
九州の田舎の高卒でスーパーで働いていたが(もちろん非正規)、子供の頃の米国ホームステイ経験故にアメリカコンプレックス
新聞記者や雑誌編集者やキャンティ(ムッシュかまやつや安井かずみなど文化人が集うレストラン)のようなサロン運営に憧れるも、当然就職に失敗して地元のセブンイレブン系の弁当工場で非正規雇用
本棚の整理をしようとしたら、映画・音楽ライターの山崎まどかさんが、雑誌"Olive"全盛期とともに青春を過ごした日々を綴った『オリーブ少女ライフ』と、最初は読者、途中から女子高生ながらライターとして関わった作家の酒井順子さんがかつての読者たちであるオリーブ少女たちの現在を追いながら、"Olive"のコンセプトの推移をシニカルな順子節を炸裂させつつ綴った『オリーブの罠』と、"Olive"に関する書籍から本棚から転げ落ちてきたので、掃除を忘れて読みふけった。
しかし、「オリーブの罠」という言葉に導かれて読んでみると、なかなか興味深い。ガーリーな、ふわふわした服装に身を包みながらも、マガジンハウス社に煽られるように個性を追及したり、奇抜なお洒落に熱中したりする様は正直、痛々しくも苦笑いしてしまう。
酒井さんはオリーブ的なおしゃれを追及しようとするも実家のザ・昭和の日本家屋な建築様式やお財布の中身から躊躇してしまった、オリーブ少女時代を乾いた自虐を交えながらシニカルに綴り、マガジンハウスや当時の左寄り文化人やその卵たちの言葉に翻弄されたかつてのオリーブ少女たちの当時の突飛な行動や現在の状況を辛辣かつ小さじ二杯の慈しみを込めて浮き彫りにした。
https://note.com/gusukuma/n/n5e3ee9ea99e2
九州の田舎の高卒でスーパーで働いていたが(もちろん非正規)、子供の頃の米国ホームステイ経験故にアメリカコンプレックス
新聞記者や雑誌編集者やキャンティ(ムッシュかまやつや安井かずみなど文化人が集うレストラン)のようなサロン運営に憧れるも、当然就活で相手にされず、地元のセブンイレブン系の弁当工場で非正規雇用
もちろん未婚独身
それでも未だにハワイ留学を夢見るくらい現実が見えてないからね
Xのアカウントでも「イケメンと結婚できず妥協するくらいなら独身の方がマシ」と豪語
これで「自分はゆるふわリベラルオリーブサブカル女子と違って現実的で冷静」と言う自認だからね
https://note.com/gusukuma/n/n88881ace99fe
独り言。顔と身長だけしか取り柄のないクソ親父に容貌を蔑まれ、小学校時代に好きな子にブス呼ばわりされてから余計に美しい男の人に固執するルッキズムの権化と化した。ないものを追うのだろうね。
オキナワンロックミュージシャン、特撮俳優さんたちのルックスレベルが半端なく、なんか禁断の果実の比喩であるエデンのリンゴどころか、天界のお御馳走+百年に一度しか実らない桃を食い荒らし、秘薬金丹までスナック菓子のようにパクパク食べた孫悟空になった気分になったんだよな。
もしかすると、オキナワンロッカーや特撮俳優さんらは、エデンのリンゴどころか、この世のうまみを凝縮したように美味しい、でも、禁断のヘルヘイムの実だったのかも(こら!)
理想を追うな、妥協しろと言うけれど、妥協して結婚して不幸せになったケースもいくつか見てるし(母親は親父のルックスだけに惹かれて悲惨な運命になったけど)、それなら推しに萌えたほうがずっといいや。
少なくとも80年代にオリーブを読んでいた人達はドロップアウトすることなく進学就職を経て、キャリアを積んだり手に職をつけたり結婚して家庭に入っているわけで
向こうで仕事も人脈もなくても
同じ権力者でも極右に媚びてお眼鏡に叶うと都合の悪い不祥事をもみ消してもらえると夢見てるのが保守層なのよ
それも各界で頭角を現した有名人でもコネ持ち上級の子息子女でもセレブでもなんでもない、無数の平民の立場で
Xでも「自分の職場ではアジア系外国人女性が正社員雇用で総務にいる、そのうち軒先貸して母屋を取られる」と不満を漏らしていたが
九州在住の経営者なんて保守・右翼しかいないのに、その人らですら日本人の非正規ボンクラおっさんおばさんよりも若い外国人(非白人)を正社員に登用するのが現実なのよね
80年代サブカル人脈を左派リベラルにくくり二極化する単細胞思考のあまり、酒井順子を自分達側に置いてるのも違和感ある
彼女は基本的に保守だが冷静な視点を持ち、真摯な文体で、地方に原発のリスクを押し付ける体制を批判してるのも見たことがある
作詞は安井かずみさんという方で、現在メジャーなのは以下の詞であるらしい。
ある晴れた 昼さがり いちばへ 続く道
荷馬車が ゴトゴト 子牛を 乗せてゆく
かわいい子牛 売られて行くよ
悲しそうなひとみで 見ているよ
ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を 乗せて
ドナ ドナ ドナ ドナ 荷馬車が ゆれる
青い空 そよぐ風 つばめが 飛びかう
荷馬車が いちばへ 子牛を 乗せて行く
もしもつばさが あったならば
ドナ ドナ ドナ ドナ 子牛を 乗せて
ドナ ドナ ドナ ドナ 荷馬車が ゆれる
この歌詞でさえ十分に悲しくなれるのに、同じ安井かずみさんの作詞で、もっと悲しくなる別バージョンがあって、最初に作られたのはこっちらしい。
ある晴れた 昼さがり 市場へ つづく道
荷馬車が ゴトゴト 子牛を 乗せてゆく
何も知らない 子牛さえ
売られてゆくのが わかるのだろうか
ドナ ドナ ドナ ドナ 悲しみをたたえ
ドナ ドナ ドナ ドナ はかない命
青い空 そよぐ風 明るく とびかう
つばめよ それをみて おまえは 何おもう
もしもつばさが あったならば
ドナ ドナ ドナ ドナ 悲しみをたたえ
ドナ ドナ ドナ ドナ はかない命
現在メジャーなバージョンでは、子牛が乳牛として売られていくのか肉牛として売られていくのかは明確には描写されていないが、この最初のバージョンでは「はかない命」となっていることから、肉牛であることを暗に示唆していると言っていいだろう。
作詞者がどうしてこのような変更を加えたのかは想像するしかないのだが、「あまりになまなましい」と自分で思ったのか、あるいはそのような意見が外部から寄せられたかということだろうか.。