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はてなキーワード:守護大名とは

2025-06-22

日野富子下剋上の道を開いた

応仁の乱後の日野富子による将軍並立と室町幕府の弱体化の経緯についてですね。

応仁の乱(1467年~1477年)は、足利将軍家後継者争いと有力守護大名対立が絡み合い、全国を巻き込む大乱となりました。この乱によって室町幕府権威は地に落ち、各地で下克上が進行する戦国時代へと突入していきます

日野富子は、8代将軍足利義政の正室であり、9代将軍足利義尚の生母です。彼女応仁の乱の勃発にも深く関与し、乱後もその政治的な影響力を持ち続けました。

富子が将軍を並立させ、幕府さらに弱体化させた経緯は以下の通りです。

1. **義尚の早世と後継者問題:**

応仁の乱終結後の1489年、富子の唯一の息子である9代将軍足利義尚が近江で陣没しました。これにより、将軍職の後継者問題が再び浮上します。

2. **義材の擁立と富子との対立:**

義尚には子がなかったため、義政の弟である足利義視の子足利義材(後の義稙)が将軍職を継承することになりました。しかし、義材は武力による秩序回復を目指し、富子やその近臣、有力寺社勢力など、これまでの幕府運営に深く関与してきた勢力との対立を深めていきます特に、富子が抱える多額の負債や、彼女権益に触れるような政策を義材が打ち出したことが、対立を激化させました。

3. **富子による細川政元への接近と明応の政変:**

義材との対立を深めた富子は、幕府の実力者である管領細川政元に接近します。政元は、将軍権力を弱め、自らの政治的影響力を強めることを企図していました。

そして1493年、義材が大内義興の討伐のために河内に出陣している隙を突き、富子と細川政元クーデターを起こします。これが「明応の政変」です。政元は兵を率いて京都制圧し、義材を廃して幽閉しました。

4. **足利義高(義澄)の擁立将軍の並立:**

義材を廃した富子と細川政元は、新たに足利義視のもう一人の子である足利義高(後に義澄と改名)を10代将軍として擁立します。

しかし、廃された義材はその後、越中、次いで周防へと逃れ、地方の有力大名特に周防大内義興)の支援を受けて、正統な将軍としての地位を主張し続けました。これにより、京都にいる義澄と、地方に逃れた義材という、二人の将軍が並立する異常事態が発生しました。

5. **幕府権威の決定的な失墜:**

富子によって引き起こされた明応の政変とそれに続く将軍の並立は、室町幕府権威を決定的に失墜させました。将軍自身意思ではなく、有力大名政治的勢力によって廃されたり、擁立されたりする状況は、幕府がもはや日本全国を統治する正当な権力であることを否定するものでした。

また、将軍が二人存在する状態は、各地の武士守護大名にとって、どちらに従うべきかの混乱を生み、さらなる地方勢力の自立と下克上を促す結果となりました。

日野富子の行動は、結果的将軍権威を著しく損ない、室町幕府支配力を根本から揺るがし、戦国時代の混乱をさらに深める要因となりました。彼女自身経済的権益政治的な影響力を保持しようとした結果、幕府統治能力を自ら破壊してしまったと言えるでしょう。

Permalink |記事への反応(0) | 07:56

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2025-06-17

信長が天下を取れた(取りかけて死んだ)理由とは、革新性とかそういうことではない。

信長が天下を取れた理由それは、、、

足利将軍家権威権力がとりかえしがつかないほど弱体化していた。

信長本拠地京都から近いこと。

この2つが主な要素で、革新性がどうとかそういうのはオマケみたいもんだ。

天下を取った人がたまたまそういう気質の人だった、、、というだけの話だ。

極端に言えば武田信玄のような「世代ひとつ古い守護大名」、

みたいな人でももっと京都に近く、

そして京都進出して入れば

武田信玄が天下を取っていた。

革新性なんて大名性向関係がない。

あの頃、みんな京都進出するのを嫌がっていた。

世代守護大名京都政界に足を取られているうちに

本拠地

身内の謀反や、

あるいはもっと下の階層から下剋上でとられて没落していくのを間近に見ているからだ。

毛利などは、まさしくそうやって鬼の居ぬ間に、、、てきに勢力を広げていったのだから

子どもたちに

絶対京都なんかと関わるな」

と言い聞かせるのも当然と言える。

ただ、その感覚は最早古かった。

京都進出しても一過性の権勢で、天下を取れるわけでもない、というのは

足利家の権威権力があれば、、、

という話なのだ

どれだけ権力を握っても、足利家が健在である限り、結局はいいように使われて

気がついたら京都から追い出されていた、、、

というようなことが起こる。

から、こそ京都と関わっても損をするだけだったのだ。

ところが時代は最早変わっていた。

三好松永などが無茶苦茶やりすぎて、将軍権力というものを完全に傀儡としてしまった。

これにより、天下はとれるもの、となったのだ。

もしも、将軍権力が十分に強ければ、信長過去守護大名同様に一時的京都で権勢を誇った大名の一人、となった可能性が高い。

信長に時は味方したのだ。

また彼は地の利もあった。

とにかく京都に近い。

強行軍であれば本拠地岐阜から1日足らずやってこれるのだから、これは強い。

本拠地を長く留守にして家臣に乗っ取られるなんて心配もない。

そして何かあればすぐに京都へと進駐できる。

どうだろうか。

かなりの説明下手とは思うが、信長革新性なんてほとんど関係がないことが。

信長革新性があったとしても、もっと地方に生まれていれば天下取りなど不可能だし、

信長のような革新性がなくても、京都進出する度胸と地の利があれば、そいつが天下を取っていた。

という、かなり当たり前の話だ。

なんでわざわざこんなことを書くかと言えば、信長はその革新性で天下を取ったんだ、という思い込みをする人があまりに多すぎるからだ。

それはどっちかというと、かなり天下を取った理由としては下の方に来る事柄なんだよ。

ということを知っておいて欲しくて、かなり単純化して書いた。

ツッコミどころは満載だけど、まあそれはご容赦の程を。

ややこしいこと書いて意味が通じないよりも

かなり単純化して意味が通じるほうをこの場合選択した思っていただきたい。

Permalink |記事への反応(0) | 22:38

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2025-01-31

anond:20250130094309

主語

🤔

AI による概要

守護代(しゅごだい)とは、鎌倉時代から室町時代にかけて、守護職務を代行した武士です。守護代守護の命を受けて、任国で政務下地遵行(したじじゅんぎょう)などを行っていました。

守護代の特徴は次のとおりです。

守護重臣が任命されることが多く、世襲化して勢力を伸ばした

守護在府在京する場合には、守護代に代わって又代官派遣された

南北朝期以降、守護幕府から相対的に自立してくると、守護代権限も強大となった

戦国期には、守護代守護を倒して主人の座を握る者も現れた

守護代として著名な人物には、次のような人たちがいます。

遊佐氏(畠山氏の下)

甲斐氏(斯波氏の家臣)

越後国長尾氏上杉氏守護代

守護代勢力を伸ばした結果、守護大名戦国大名と呼ばれる大名も登場しました。

Permalink |記事への反応(0) | 06:27

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2023-12-29

歴代征夷大将軍のなかで愚鈍人物が少なかった時代室町時代だと思う。

室町時代ってなんやかいうて全然政権が安定してない。

もうしょっっちゅう戦が起こるし、将軍京都から追い出されてる。

そういう時代から愚鈍将軍ばかりなのかな?と思ってたら実際には政治力高かったり戦の陣頭指揮したりとか決して馬鹿ではない人たちが多い。

けれどいかんせん守護大名の力強すぎてコントロールが効かない。

そしてそういう時代から逆に将軍が安穏としてられなくて愚鈍はいられない。

結局、人を人たらしめるんはプレッシャーなんだなあとか思う。

Permalink |記事への反応(0) | 19:55

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2023-02-13

anond:20230213024720

逆に誰だったら天皇を弑逆して日本王になれたんだろう?という話だよな。

鎌倉幕府最高権力者というと北条氏になるんだろうけれど、

北条氏なんて天皇どころか将軍にすらなれてないわけで論外だろ。

室町幕府のほうは義満あたりが天皇になろうとして

いい線までいったみたいなことをいわれてるけれど

結局途中で死んじゃった。

そのあとは守護大名の力が強すぎて

天皇にとって変わるどころか

幕府内での権力を維持することすら出来なかった。

そうこうするうちに戦国が始まって天皇に成り代わってどころの話ではない。

天皇の寝首をかくどころか自分が寝首をかかれないように必死

そのあと織田信長が登場するけれど彼もあっさりと暗殺されて終了。

そのあとの豊臣秀吉天皇権威を利用して天下統一を果たしたのは言うまでもない。

江戸幕府は豊臣政権権威を持ちすぎた朝廷権力を抑えることはしたけれど

家康朝廷権威を利用して天下を治めたし(征夷大将軍に任命される仕組み)

そのあとの将軍となれば家康の枠組みを壊してまで何かをやるなんて発想すらなかっただろう。

なんせ天下泰平の世の中だしさ。インセンティブが発生しないよね。

つーか近世までいくとちょっとありえないかな。

やっぱ中世までだよな、天皇に成り変わるとしたら。

平家政権がもしも続いたらひょっとしたら…というのはあるかもしれない。

あと木曽義仲だったっけ?

あの人がブチ切れて朝廷皆殺しルートとかはあったのかもしれないとか思う。

Permalink |記事への反応(0) | 19:46

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2022-11-18

anond:20221118120758

言うて家臣の力が強いか父親追放せんとあかんかったわけでな

武田家は最後まで守護大名から戦国大名に脱皮しきれんかった印象はあるわな

Permalink |記事への反応(1) | 12:13

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2021-09-26

anond:20210926151108

んー、雇用元の本拠地と勤務地が異なることがあるよね

守護大名にしても江戸時代大名にしても勤務場所領地から、勤務場所で寝泊まりすればそれは在宅勤務でしょ

Permalink |記事への反応(1) | 15:15

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anond:20210926125008

室町時代のお殿様=守護大名基本的幕府で、つまり京都で勤務するのが普通なので在宅勤務では無い

国を実際に統治してるのは守護代という守護大名の補佐役みたいな人がやってた

まり在宅勤務してるのは守護代たち

守護代基本的守護大名の家とは違う家がやってて、両国管理基本的守護代やその部下の国人とか言われる上級武士役割だったので守護不在の間に守護代国人に国が乗っ取られることが多くなる(この辺で応仁の乱が起こる。応仁の乱不完全燃焼で終わったのは戦ってた大名自分の国を乗っ取られて戦争どころじゃなくなったから)

その後守護vs守護代国人などの新興勢力の戦いが各地で起こる(戦国時代の始まり)が大体新興勢力が勝つ。この辺で長尾(上杉謙信)、織田北条朝倉毛利尼子とかが出てくる

コイツらは室町の言うこと聞かないので勝手戦争する(戦国時代中期)

で、なんだかんだ言って信長秀吉家康日本統一される

大名達が自国に引きこもって幕府の言うこと聞かなくなるのも困るけど幕府に閉じ込めてもっと言うこと聞かない奴らが出てきても困るから参勤交代とか言う3年幕府、3年自国という制度が作られた

というわけでお殿様はいつの時代でも在宅勤務では無いのである

Permalink |記事への反応(1) | 15:11

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2021-04-08

武家の三代目はその後の運命の分かれ目

平家

平宗盛アホの子源頼政挙兵きっかけを作っちゃった人。こいつのせいで平家は滅亡(出典:平家物語)。

源氏

源実朝政治に興味なし。甥に暗殺され、実質的源氏は滅亡。

北条氏

北条泰時承久の乱勝利幕府の基礎を固める。これで一応鎌倉幕府は安定するが、執権は全員短命に。

足利氏

足利義満…いわずもがなの権力者南北朝統一し、有力な守護大名を押さえ、勘合貿易経済を潤し、息子を天皇の前で元服させる。権力が強すぎたせいで死後幕府は混迷・没落

豊臣氏

豊臣秀頼実質的には二代目。秀次を挟んで三代目。徳川家康が恐れる体格・人格を持つ。右大臣にまで登りつめるも、大坂の陣ではほぼ何もできず豊臣は滅ぼされる。

徳川氏

徳川家光有史以来のキチガイインセル権力を持たせたらどうなるかよーくわかる人物バカインセル刃物権力は持たせてはいけない。

Permalink |記事への反応(1) | 10:15

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2021-03-14

家に帰れば

戦国大名が待っている。

守護大名とは一味違うぞ。

Permalink |記事への反応(0) | 11:40

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2021-03-11

anond:20210311215743

そりゃ守護大名がそのまま戦国大名シフトした例って結構多いし

Permalink |記事への反応(0) | 22:08

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大名守護大名の違いが分からん

なんでもっとこう、違う名前にしなかったんだろ?

漠然とだけど

大名成り上がりモンで

守護大名は元々その地でイキってた地方官、ってイメージなんよね。

中央の目が届かないのをいいことに好き勝手やってどんどん裁量権限を拡大したタイプ

大名はそういう地盤もなしにいきなり盛り上がったヤクザイメージ

元々実家が太かっただけのもやしっ子な奴と、ヘタレた水飲み百姓奉公に出したガキが何故か頭角を現して成り上がった奴が同じ枠に収められているのは、こう・・・侮蔑と違うか?

Permalink |記事への反応(1) | 21:57

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2020-01-24

【横増】室町時代くらいの人と果たして会話できるのか

anond:20200124000832

このあたりの議論面白かったので横増させていただきます

論点標記の通り。素人考えです。

まず、この枝では言葉がここ500年で変化したかどうかが議論になっています。ある増田はそんなに変わっていないと言い、ある増田はいや変わっているだろと反論する。

後者増田は、時間軸だけでなく空間軸でも変化があると論じている。

私はこれらに明確に答えを出せないけれども、二人の言わんとしていることはなんとなくわかる。

しゃべり言葉は500年くらい変化がない

これはたしかにその通りで、たとえばwikipediaの「中世日本語」の項目を見ると、「この時期に古代から備わっていた特徴の多くは失われ、現在日本語にかなり近い形となった。」

とあり、その細かい要件が書かれている。わかりやすい例でいうと、散々古文で苦しめられた「係り結び法則」が最終的に崩壊するのがこの時期。

私たち古文で苦しむのは、この時期に古文古文になったことが関係している。

増田はこの辺りを論点として「変化がない」と主張したのだろう。

ネットで見られる具体的な原典として大英図書館所蔵『天草平家物語』を見てみよう。

https://dglb01.ninjal.ac.jp/BL_amakusa/show.php?chapter=2&part=1

ローマ字っぽい表記で当時の言葉の「音」を知ることができる。

発音に多少違いはあるのだろうがこれ、令和を生きる私たち結構読める。

日本言葉ヒストリアを習ひ知らんと欲するひとのために世話にやはらげたる平家物語

表題に書いてある。ぜひ原典対応させて読んでみてほしい。読める。

他に、柳生徳政碑文という石に彫られた文字がある。

正長元年ヨリ

サキカンへ四カン

ウニヲ井メア

カラス


正長元年より先は、神戸四箇郷に負目あるべからず。字の流れ的にはいけなくはない。

ところが通じないのだ

ここからは2番目の増田意見に沿いながら話をする。

前段では意外に室町時代くらいの日本語ならば通じるのではないかという話をしたが、実は通じないかもという話をする。

例えば『天草平家物語

世話にやはらげたる

のところ。「世話」も「やわらげたる」も現代語でもほぼ通じそうだ。「世話」という言葉は今も使われるし、「やわらげたる」は「やわらげている」とすぐに発想できる。

ただ現代では、直接「世話にやはらげたる」の意味がわからない。

「世話」は、現代ではあれこれお手伝いするみたいな意味

ところが他に「話し言葉世俗で使う言葉」という意味がある。現代ではほぼ失われた用法だ。

まりここでは、『平家物語』を(当時の)現代語に和らげて書きましたよ、ということを示している。

現代人はこれがわからない。

まり文法は近いけれども、用いられる言葉やその意味全然異なるのだ。

方言問題、あるいは発音差異問題と絡めて、この点は500年前の人と会話を難しくする要因になる。

それでも俺は会話できると信じている

つの異なる意見が、それぞれ正しさを持っていることを見てきた。

増田ではそこまで語れれば本望で、こっからちょっと蛇足

織田信長くらいの時代の人と会話できるのか?

見てきた通り、行けそうでもあるし行けなさそうでもある。私は、それでも、いけるんじゃないか、と思っている。

なぜなら日本語には文字がある。それも、平仮名片仮名漢字もある。そして、述べてきた通り音もある。

論語』やそれこそ『平家物語』など、共通の「話題」もたくさん存在する。

これらを駆使して「会話」すれば、互いの言語感覚を調整・修正しながらコミュニケーションを取れるのではないかと思う(そして、当然と言えば当然なんだが平安人より室町人の方が格段に「会話」は簡単だと思う)。

この点は、元増田の「言語的に正しい大河ドラマ」を作ったり私たちが見て楽しめたりできる可能性を肯定する。

字幕入れたり解説入れれば、英語字幕より近い感覚を持って楽しくドラマを見られるのではないか

おわりに

俺は、俺好みの室町貴族の娘や守護大名守護代クラスの娘(前髪ぱっつんの「のじゃ」口調の姫(大人っぽくてもロリっぽくても可))が異世界転生して俺の部屋にシュワみたいにやってきた場合に備えて、室町人と対話する準備はできている。

覚悟はいいか? オレはできてる

Permalink |記事への反応(1) | 19:25

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2019-07-22

anond:20190722010856

守護大名から武士時代

乱世がくるね

Permalink |記事への反応(0) | 01:11

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2016-05-24

守護がでかい問題

鎌倉時代初期、東国において政権確立した源頼朝によって設けられた守護職は、軍事警察的な権限を持つのみであり、地域統治権限は依然として国司にあった。

後年、鎌倉幕府が滅び室町幕府が成立すると、室町幕府はその守護制度踏襲する。

しか守護は、次第に国司権限をも包摂し、独自の領国支配を固めていくようになる。このようにして広域領主化した守護を「守護大名」といい、守護大名トップとした地域支配体制大名国制と呼ぶ。

広域領主として実権を握った守護に対し、足利将軍家の影響力は薄れ、室町幕府守護大名による連合政権様相を呈していく。

さら肥大化した守護大名たちは互いに自己利益を追求して相争い、応仁の乱代表されるような戦乱を巻き起こすようになった。

これを「守護がでかい問題」と呼ぶ。

そして、守護がでかい問題対処し切れなかった室町幕府は衰退し、日本戦国時代突入していったのである

Permalink |記事への反応(2) | 18:22

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2014-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20140511112254

地頭が悪いわけじゃない。

守護が力をつけているんだよ。

次の世の中は守護大名が力を持つ時代

Permalink |記事への反応(0) | 11:24

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2014-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20140417153109

から地頭の力が落ちて守護守護大名になっていくんだって

Permalink |記事への反応(0) | 16:10

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2012-04-16

スーパー戦国時代

北海道岩手スーパー合併するというニュース

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120416/k10014477821000.html

スーパーマーケット食品スーパー)はこれから全国統一にむけた戦国時代突入する。

主な君主は、北海道アークス新潟原信ナルス関東ヤオコー、エスコ、中部ユニー岐阜バロー滋賀平和堂和歌山オークワ大阪ライフコーポレーションイズミヤ関西スーパーマーケット兵庫神戸物産広島のイズミ、愛媛フジ九州北部のマルキョウ鹿児島タイヨー沖縄サンエーといったところか。

この中で、一歩先んじているのは、地の利を生かして成長してきたライフコーポレーション東京大阪店舗を持ち売り上げ5000億目前。問題は、都市スーパーであって、田舎でのノウハウがない。

次に大きいのは広島のイズミ。中国地方地盤に、こちらも5000億目前。

これを追いかけているのが、北海道アークス合併に最も積極的で、青森ユニバース岩手ジョイスを傘下におさめ、売上5000億をうかがう勢い。

あとは、3000億を超えるのが、平和堂イズミヤバロー。3000億目前なのがフジオークワ

別格はユニー。1兆円目前だが、スーパーと言うよりもGMSが主。とはいえ、覇者の一つになることは間違いないだろう。

目指すは、王者イオン。こちらはすでに全国統一が終わり、さらなる勢力拡大を目指しているところ。マックスバリュダイエーさらに昨年、マルナカ山陽マルナカを傘下におさめ、王者の位置を不動のものとしている。上記の君主たちも、いくつかはイオンに吸収されるだろう。

では、誰が覇者となるのか。

上場企業は、増収増益が至上命題合併は避けて通れないだろう。

合併に際してキーワードとなるのがボランタリーチェーンという同盟資本統合はしていないが、共通で仕入れ、商品開発を行う、緩やかなチェーン=同盟だ。

有名な所ではCG同盟ニチリウ同盟がある。アークス原信ナルスCG同盟の雄。イズミ、エスコ、オークワライフコーポレーションニチリウ同盟を結んでいる。

ニチリウ同盟は、規模の大きな企業が多く、合併すればすぐにでも統一できるのだが、その意欲に乏しい。老舗が多く、生活協同組合もふたつ。これは合併事実上不可能。できればこのまま独立を保ちたい、というのが本音であろう。たとえて言うなら応仁の乱前の守護大名といった雰囲気競争に耐えられジす、ジリ貧運命最後草刈り場となるだろう。泥船の予感。

これに対するCGグループは、合併圧力が強い。アークス原信ナルスも、対等合併によって大きくなった。特にアークス対等合併ノウハウが蓄積されているといえるだろう。問題は、CGグループは多くが小さなスーパーチェーンだという点。CGグループだけで全国を制覇するには時間がかかるであろう。ただ、アークス原信ナルス合併すれば一気に流れる可能性も否定できない。

ユニースタイルワンに参加しているのはイズミヤフジ合併を前提としたお付き合いの雰囲気ユニーはお公家さんの雰囲気が強いが、ここでも我が道を行く。アークス吸収合併というウルトラCもあるかもしれないなと思う。まるでホーマックを吸収したカーマのようだが・・・今後の展開ではあり得ない話ではないだろう。

ボランタリーに加盟していないところでは、バローが大きい。バローホームセンタードラッグストアも自前でやっており、岐阜独立王国をつくっている。合併意欲は強いようだが、いずれも小規模の合併神戸物産ヤオコーといった独立系と早急に対等に近い合併をしなければ、買われる立場にならざるを得ないだろう。だが、名古屋滋賀周辺でのくだらない戦に夢中のようだ。王者の風格はない。

そして、その間にイオンがどの程度まで拡大するのか、西友がどこかで暴れるのか、気になるところだ。

ということで、大枠を示すことができたと思う。

覇者となりえるのは現時点では、ライフコーポレーションイズミアークスユニー

そして、西友が本気を出して買い始めればまた違う展開になるかもしれない。

Permalink |記事への反応(2) | 19:56

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