
はてなキーワード:学級崩壊とは
タイトルの通りの話なんだけど。
増田、親は特別勉強がんばれタイプでなく、当然小中は家から最寄りの公立校通い。兄がいるけど、兄は自分の興味分野の都合で高校出てそのまま就職した。あんたも女の子なんか学校行っても無駄就職しなさいと言われたわけじゃないけど、増田は親に頼んで大学行かせてもらった。でもそのくらいの感じ。
そんなんなんで、小学校受験中学校受験なんてもう全然身近じゃない話だったんだけど、割と急に「受けてみようよ」みたいな話になった。年長の春くらいかなぁ。
感覚的に「いや今からやっても遅いやろ」と思っていた。ああいうのってそれこそ3歳くらいから準備するもの、みたいに思ってたから。
ましてうちの子はやんちゃっ子で、発達的な指摘を受けたことはないけど、ぴょんぴょん飛び回って元気いっぱい、すぐ変顔するようなタイプ。
とはいえまあ、公立校によっては学級崩壊とかもきくし、しっかりしたところがいいのはそうだし、まあやるだけやってみようかって始めたんだけど、結果この感覚は大体合っていて。過去問解いてみたものの、「こんなのこれ用の練習してこなかったら無理よ」ってのばっかり。普通に幼稚園保育園行ってるだけだと多分やんないもん。ところどころ親でも結構難しいなって思うのもあった。
それを、もっと早くから準備してきた他の子より短い時間で詰め込まないといけないわけさ。自分が子供の頃なんか、幼稚園帰ってきたら友達と遊ぶかなんかしてたのを、もう試験近いんだから勉強しなさい!って言わなきゃいけなくて。
うちは結果的に、地域の公立校に通うことになりそう。個人的な感想は「残当」てやつかな。
過去問買ったりなんだり色々出費もあったけど、無駄だったとは思わない。大人は試験予定日の2ヶ月くらい前に対策始めてもなんとかなるかもしんないけど、せいぜい5歳6歳だもん。もう子供にあれこれ言わなくていいんだーって正直ホッとしてる。
結果どうあれ君はとても頑張ったよ、と子供には伝えた。頑張ってないわけないよ。自分が同じ年の頃にやらなかったような試験勉強を、この数ヶ月やってきたんだもん。気が抜けた今インフル貰わないように気をつけなきゃ。クソ流行ってるもんね。
もし、たまたまでもこの記事に辿り着いた、いい小学校通わせたいなって思ってる親御さんいたら、どうか早めに長期の準備をしてあげてほしい。親御さんがいくら優秀でも、あなたの子供はあなたとは違う生き物で、同じようにできるとは限らない。あなたが得意なことを、お子さんは苦手かもしれない。逆だって当然ある。
短期間で詰め込んだり、ガミガミ言いながら試験準備しないで済むようにしてあげてほしい。増田は正直、毎日のようになんでこれできないのって言ってる自分が嫌だった。多分向いてないからやめよう、と言えなかった。親が見ている向きが違うっつーのも、さすがに問題なんでね。ごめん子供。そんで、今ここでごめんっつっめんなら「止めりゃよかったじゃんクソ親」って言われても仕方ないわと思ってるよ。
我が子にも、すべての子どもたちにも幸あれ。
たまたま住んでしまって、幼稚園に入ってから周りの話を聞いて知ったけど後の祭り。
親の言う事を素直に聞けて勉強も好きな早熟な子や、中学にやりたい部活があって自分から頑張っているような子は特に問題ない。受験する人の全体の1割だろうか?そういう人たちは自分のやるべき事をコツコツとこなし勿論難関校へ行ける。
それ以外は、重課金した金額は、あらやっぱりウチには受験は向かなかったわね、と、損切りできるような金額じゃないので、教育虐待気味になる。
そして子どもたちはそれらの重圧を解放すべく、学校内で好き勝手振る舞い、学級崩壊するのだ。
受験生の実態だけでなく、学校そのものもあまり良い環境とは言えない。
定員はとうにオーバーしているのに、受け入れを断らずに、専門教科の準備室をなんとか改装して教室にしている。すごく狭い。酷い学校だと、図書室をパーテションで区切って教室にしたり、図書室の本を体育倉庫にどけてまで教室にしている。
(隣の区では、転入生は受け入れられませんと断って、定員を調整しているのに)
戸建てでもマンションでも、今や億を超える手狭な家を買って、わざわざ狭苦しい学校に押し込むだなんて…。
児童も、なかなかすごいのがいる。
高学歴エリート同士から産まれた子は、あれこれカンスト状態なのか、発達障害の子が何人もいる。おとなしいタイプや単純に多動なだけならまだ良いが、他害する子は学年に何人か必ずいる。
親も特性ありだと、エリート思想と相まって高確率でスーパーモンスターペアレントになる。だいたい他害するヤツの親である。
子どもの高学歴を狙ってくる中国人もたくさんいる。いや、高学歴を狙っているならわりと常識的か。
高学歴を狙ってない、日本語もわからない、そんな中国の子もなぜか何人もいる。そいうのは、もれなくモンペの子と仲良しになって、常識ない者同士でやりたい放題はじめる。
こんなのが超狭い教室にいるんですよ?
そんなもんで、良い先生ほど病んでいなくなってしまう。そうじゃない先生はやたらと子どもを支配しコントロールしようとしてくる。ちゃんとしてほしいのはそこじゃない。
自分の子は受験にはとても向かない子だったので、おとなしく区立中学に通っているが、中学があまりにも普通で自由でのびのびとしていたので、小学校の息苦しい生活は一体なんだったのかと思っている。
3S1Kの言葉を見る度に、ちゃんと学校を見学したほうが良いよ?と思う。それをうたい文句にしている不動産屋もいい加減にしてほしい。
増田を使う層は、3S1Kが気になる層と噛み合わないだろうなと思うが、それでも、書かずにはいられなかった。たとえ1人でも、ちょっと考え直す人が出てくれればと思う。
近頃、とにかく死にたい。
毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫。
でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。
元々社会福祉とか一次産業とかインフラとか配送業とかに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田は危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミスも死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。
だから人から金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービスの下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだから、いくらミスしても罪悪感はない。
だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスのサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいものを我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。
金銭や将来の不安、職場の人間関係の悪化などがあって死にたいわけではない。
友人関係も悪いわけではない。
確かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的な気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。
そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチのトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身の尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカスの喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的なものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。
父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎なニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟、信仰の押し付けはないものの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚を強要したりする人はいない。
まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着の限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。
だから半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。
増田はXジェンダー、リスロマンティック、アセクシャルと三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアルの人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。
幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛を理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説や恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通の人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。
だから恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。
趣味はある。
増田は創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情や思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分の衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。
また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人の創作物をしゃぶりつくしたり、自分の表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。
これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。
これと言ったトラウマもない。
いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボールで執拗にボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。
クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいつがいじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。
「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから(学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能と判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒の教師は毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。
カースト中の下だった傍観者クラスメイトと大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかにトラウマと呼んでもいいのかもしれない。
それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスターも憂さ晴らしに虐待していた。弱いものがさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。
それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしまい制御不能に陥ったり、暴力や脅迫や支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているものの人格が割れてしまい解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。
けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去は過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。
人生を構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分の人生は自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
私は私だ。
なのに何故こんなにも死にたいのか。
胸を打つこの衝動は何か。
線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。
思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さ故なのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。
この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。
この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。
本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?
友人と上手く付き合うことが出来ない?
両親の愛着が足りなかった?
趣味が実質逃避になっている?
過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?
全ては結果に過ぎない。
最初に存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。
死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。
嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまったからだ。
増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。
こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーだけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。
その化け物を飼い慣らすことだけが、増田の今の全てを形作っている。
仕事や友人の選び方、楽しめる趣味、思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。
そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。
そう、気がついてしまった。
両親、友人、そして過去の思い出は、一般的な社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。
全ては結果なのだ。
思えば最初から、物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。
その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険を危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。
両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。
友人が「増田は人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。
増田をいじめて泣かせたクラスメイトが「だってあの子が最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。
先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。
「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。
そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。
よく覚えている。
それらは全部、増田がおかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。
ただ、それだけだった。
よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間は完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。
だからみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなたが自分を守るために、増田に人生を破壊されないために、必要な距離だろうとも。
でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。
私は私と一緒に生きていくのが疲れた。
みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。
ずっと近くにいる。
ずっと隣にいる。
剥がしようもなく側にいる。
趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。
本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。
「文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなたに危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。
厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。
衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。
自分は化け物だ。
人間じゃない。
人間になんかなれっこない。
必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。
その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。
増田は自らの意思で人生を選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。
好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。
全部全部こいつのせいなんだよ。
化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。
私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。
両親を困らせたくなかった。
いじめられたくなかった。
恋愛が怖いと思いたくなかった。
友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。
なのに全部できない。
全部全部、壊すのは増田だ。
私なんだよ。
死にたい。
もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。
何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。
増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。
それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。
恩を仇で返したくない。
そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。
それは誰かを不幸にするから。
愛されないまま死んで忘れられることだけが、増田にできる唯一の社会貢献だ。
せめてそれだけはさせてほしい。
許してほしい。
ごめんなさい。
生まれてごめんなさい。
教員が権利を勝ち取った話を書いて約1年。ふとこの記事のはてなブックマークをみると、こんなコメントがあった。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4760869331639768992/comment/htnmiki
反応としては記事最後にあるように隣の先生が「まったく…」的な態度を取ったくらいで、職員室崩壊にはなっていない。
いきなりすみません、「ま~た甘々なゆとり・Z世代が何か言ってる」と思うかもしれませんが、少し愚痴らせてください。
前記事の通り、ただですら荒れているのになぜか委託研究をしている上に行事が多数ある学校だったことに加え、
こちらの状況や意向の聴取なく、経験のない運動部の顧問(一応主顧問は別にいたが)を当てられた。
生徒が度々やらかすので、次の授業まで時間がないのに臨時の全校・学年集会・下校指導が開かれることがしばしばあった。
担任でなくても給食指導に当たる必要があった。朝の会の最中や授業のないコマも見回りをする必要があった。
翌年からはチーム担任制(学級担任を固定せず全教員がローテーションで担任業務を行う)となったらしい。
臨時教員は難しい仕事を任せないのが一般的だが、なぜか正規教員と同じことを求めていた。
他都道府県や高校では臨時教員は年次目標作成や面談、研究授業、担任がなかったり一部が省略されるが、ここでは正規教員と同じことをさせられる。
(やむを得ない)遅刻や病気にもかなり厳しい。
電車の遅延の場合でも、教務主任と管理職それぞれに直接厳しい叱責を受ける必要があった。病気休暇は書類があれば問題ないが、なぜか管理職は取得を嫌がる。
「勤務時間の割り振り」(前記事参照)の取得も自由ではない。
教務主任も「割り振りを使える日が指定されている学校もあるよ」という。有給休暇を連続して取得すると、「こういう時はいろんな先生に謝っとけ」と言われる。
どこにも明記されていないのに服装を厳しく指摘(オフィスカジュアルもNGという)されたり、休憩時間中ですらスマホや職員室を離れることを禁止される。
複数回やることになる謎の職員トイレ掃除。
プリントで生徒に分かりやすい図を見せようとコピー機を使うと、校長「インク代が高いからやめろ」。
毎朝の朝礼で、校長が「校長室通信」と称して、教員の指導力や勤務態度などを批判する文章を配っていた。
自身による批判もあれば、どこかから引用したものもあった。しまいには「教員の魅力を伝えて採用試験の受験者数を増やそう」。無理。
極めつけは、(給与や休日振替もないにもかかわらず)始業30分前や土曜日の出勤を強制されそうになったこと、当たり前のように時間外に会議や研修があること。
部活動指導など。隣の先生すら「休日に無給で出ろ」と言う始末(何とか回避したが)。外部指導員制度はあるが、管理職が導入に消極的。
性格きつめのA先生
着任当初から怒鳴りつけられた。このほか、授業を見ては「生徒に迷惑だ」と言うなど。管理職を味方につけるため面倒。
意見を聞いておきながら、「まぁ違いますけどね」「通らないと思うけど成長と思ってください」と。何のために聞いたんだ。
校長と教頭及び教務主任
同じく厳しい。全員私と同じ教科だからか、目につきやすいのか。教員が病気休暇を取ることをやたらと嫌がる。教務主任はやる気がありすぎてうざい。
こだわりの強いB先生
仕切りたがり屋。鍋奉行の学級学年運営版。個人でやる分には構わないが、こちらを巻き込んでくるので厄介。学年会議の話を長くして帰りを遅くする要因。
隣の机のC先生
やはりこだわりが強い。人間関係を強要してくる(教員間の人間関係が生徒に響くからだとか)。飲み会の欠席を伝えると何度も確認してきた。
勤務環境とは無関係だが、次のような要素も大変になった理由かもしれない。いずれも今年は解決しているが。
その前の年に母親(同じ県の高校で教員をしていた)が脳神経系の疾患により救急搬送され、当時療養中だった。
奨学金の返済が残っていた。年度当初で約70万円。月の返済額は8千円だが万が一に備え毎月8万円を返済用口座に入金していた。
学部(2種・240万円)は前年度末に繰上返済を済ませていた。大学院(1種・計120万円)の分も12月で返済残額に到達した。その後繰上返済により今年9月に返済終了。
かなり気温が高い(10月末までかなり暑かった)年で、体調に悪影響があった。
荒れている学校なので生徒が授業中騒ぎまわるのは当たり前だが、放課後に何かやらかして近所から苦情が来ることもしばしばあった。
文字通り、学年の複数の生徒(やはり授業中態度の悪い主犯格)がピンポンダッシュをしたというもの。
犯人を特定し、怖い先生複数人で指導していたところ、そのうちの1人が暴れ出した。服薬しないと暴れる生徒だったが、試験的に服薬を止めていた矢先のこと。
保護者を呼びつけ毎日の服薬を確約させたが、その後も本人がその通り服用しているか怪しい。
私の担当学年の生徒ではないが、市内複数校の暴走族グループに入っている生徒がいたらしい。
体育祭に集団で来ると噂があり、全校で対応することになった。私は危険を感じ、家族の病気を理由にして年次有給休暇を取得した。
2年以上は生徒本人の行動や人間関係を理解して担任やクラス編成を決められる(ヤバい生徒を分散できる)のだが、1年(当時の担当学年)はそうもいかない。
一応小学校から申し送りは来るが伝聞証拠に過ぎず、ヤバい生徒(しばしば保護者もヤバい)が偏ってしまうことがある。
本年度の1年は特にヤバいといわれていたが、その中でもヤバい生徒(上記の暴れる生徒もここ)が集まったうえ優しい女性のD先生(同い年)が担任になってしまった。
ついにメンタルがやられ休職。担当授業を自習としていたがそれも限界になり、教務主任(該当教科の免許未取得)が授業をすることに。
代替要員が見つからないので、臨時免許(無資格者を宛がうための免許)を持たせて採用しその場をしのいだ。担任は学年主任(再任用最終年度)が引き継いだ。
最終的にその先生は復帰するが、他の女性教員と支援員さん複数人で対応しても生徒が教室を走り回るありさま。こちらが怒鳴りつけて少しは落ち着いたが。
とはいえ結論から話すと、居づらくなったりといったことは特に起きなかった。強いていうなら、私の病気休暇申請書が消えていたところだが。隠されたのかな?
また、管理職から残業命令はできないので、同僚からメモや口頭で「仕事があるから帰るなよ」と言われる程度(無視したが)。結局なんだかんだで
と配慮してもらえた。
嫌な顔をしているのは先述のA先生と校長くらいだが、特にダメージはなし。A先生はこちらが挨拶しても無視という態度だが、特に問題はない。
(挨拶無視はマウントの一種らしいが、同世代で出世争いをしているならともかく、年の離れた私にマウントを取る意味はないのだが…)
「君の教職に対するモチベーションはその程度なんだね。もう君には何も言わないから」
→言われるうちが華とかいうけど放置してくれると個人的にはありがたい。
「もう30歳でしょ、将来どうするか決めないと中途半端になるよ」
転職の決め手になったのは、次年度のクラス編成会議。あろうことか、次年度の担任をさせられそうになった。
もう耐えられないと思い、「それなら退職していいっすか」と言ったが流された。管理職に伝えてみても「君責任感はないの?」と。退職勧奨してたじゃないっすか。
仕方ないので退職代行に頼ることにした。公務員の依頼は多くの業者が引き受けないというので、同じ県に事務所をもつ弁護士に頼ることにした。
終業後、事務所に赴き現状を話した。ところが、有給休暇の残り日数の都合で即日退職はできず、連絡もこちらの在校時間中になるとのこと。
だが背に腹は代えられない。そのまま依頼し、後日実行してもらったところ、あっさり受理された。なんだそれ。
それからは特に他の先生から何かされることはなかったが、C先生と喧嘩することになった。
「3年生を送る会」の準備が原因だった。研究委託校ということもありICTを活用しようということで、生徒に出し物のアンケートフォームを作ることになった。
多数あるものから第3希望まで選ぶもののため、第4希望以降の回答は必要ないが、C先生は「ポチポチするのは面白いだろうからそれも入れて。今日中に作って」と。
作ったものの、結局それは忘れ去られ。次々と要領を得ない指示を出され。そしてある日の朝礼後、突然、
C先生「出し物の準備どこまでできた?」
C先生「作ってほしいのはこんなんじゃない。もっといいものを作ってよ」
私「(よくわからないな)それならもっと早く具体的に言ってくださいよ」
C先生「そんな言い方ないでしょ!!」
教頭「お前ら何してんだよ!!落ち着いてください!!」
この場は引き離される形で収束。昼過ぎに教頭に呼ばれた。また怒られるんだろうなと思ったら、
教頭「いろいろ嫌な思いしたと思うけど、あと少しだから。ほんの少しでも居心地が変わるからC先生に謝って仲直りしたら?」
やたらと威圧感のある教頭が優しくなって不気味だった。学年の先生も手のひらの返しようである。
授業もすべて終わり、いよいよ修了式。私は退職するので、離任挨拶をすることに。
全文は忘れたが、この学校であった嫌だったことや管理職から受けた叱責のことを話した気がする。校長の顔がみるみる曇っていく。
悪い空気感を察したのか、他学年の先生に「時間で~す!!」と止められた。そういえばこの先生、研修会で私が講師に悩みを相談したとき割って止めてきたような。
最後に「校長室通信」を持ってきて全職員と校長の目の前で破き、校長に投げつけた。
学年主任は(なぜか笑顔で)「後で謝っときなさい」と。その後E先生に個室に呼ばれる。離任挨拶(という名の学校批判)の原稿全見て
E先生「どこも一緒だと思うよ、他の仕事探したら?どうしても教員になりたい理由はあるの?」
私「免許職なので再就職がしやすいですし、そこそこの給料が得られるからです」
私「嫌です」
職員室に戻ると、校長が一人でさっきの紙くずの掃除をしていた。
残りの有給休暇が少なかったこともあり、修了式から数日は出勤する必要があった。
C先生には「今までお世話になったんだから下駄箱とかロッカーも掃除しなよ」といわれたが、無視した。
私の後任を探そうにも、現職・新採用どちらも本採用教員が確保できず。担当は別でも該当教科の免許をもつ教員も充当できなかったようだ。
同じ教科の普通免許保持者に絞ると、臨時教員も見つからず、臨時教員として採用された新卒者に臨時免許を持たせ、2教科の担当にして回すことになったらしい。
事務手続き上仕方ないのだが、この学校は事務の催促がうるさいことも特徴だ。
まず、保険証について。普通は最終出勤日後も退職日までは使え、「年度が替わってから郵送してくれればいいですよ」と料金後納郵便の封筒を渡してくれる。
が、本校は「まだ到着していないがいつ返すんだ」という催促が毎日。最終出勤日後も毎日電話がきた。
この件以外にも、「離任式と送別会に出るか、早く回答しろ」というのが退職日を過ぎてからも毎日かかってきた。疲れてるんですから節度を持ってくださいよ…。
離任式。私以外にも他の臨時教員全員、校長(当日欠席)、教務主任、学年主任、特別支援学級担任、D先生などが一緒に離任する。
生徒や職員の前で離任の訓話をするのだが、皮肉を混ぜてみた。大体こんな感じ。
君らは草野球選手。大谷翔平じゃない。努力しても大概うまくいかない。だったら自分が得意なことに力を注げ。
(注:草野球と大谷翔平の例えはこちらのnoteを参考にしました)
権利は最大限主張しろ。私も「残業代出せや」って教務主任にキレたことがあるし。
いじめはどこでもある。私だってA先生に怒鳴られたことがあるし。
なぜか訓話の途中でマイクの電源が切れたが、声量があったので後ろの生徒にも問題なく聞こえたはず。
離任式が終わり、控室に戻る。その時、担当していた部活の主顧問(口調や表情はやさしいがオーラが怖い。おそらく新年度の学年主任か)に呼ばれ
「このあと学年のお別れ会があるけど、さっきの感じなら正直言って参加させられないね。きちんとした態度でいれるなら参加してもいいけど、どうする?」
A先生はその性格からして「何言ってんだこいつ」とスルーしたはず。なぜ問題視するんだろう。私を叱責しろとでも管理職に訴えてプチ騒ぎになったのかな?
成り行きで学年のお別れ会にも参加。変わったことはA先生がいなかったくらいで、つつがなく終了。
生徒は「A先生にいじめられたんですか!?」と興味津々だったが、適当にあしらって帰宅。
余りに疲れたので、休養に入った。沖縄の離島めぐりやデレマス・シャニマスライブに行くなどリフレッシュ。
とはいえ、このままニートを続けると貯金が尽きるので、職探し。他の都道府県の公立学校教員募集を当たってみると、いろんなところからお誘いが。
1つ目は中学校。私は中高2教科で教員免許を持っているものの経験のない教科でのオファーだった。お誘いがあったのでとりあえず面談へ。
だが、遠方の学校で非常勤のうえ、担当コマの希望は通らないという。前任校以上に荒れており「面談した日も生徒がトイレを破壊した」とのことで、辞退した。
2つ目は進学に力を入れている高等学校。こちらは両教科で常勤教員の募集があったので、経験教科で応募した。
その日中に電話が来て、翌日面談に。「未経験教科の方が不足しているので、そちらの担当になっていただけませんか」とのことで、承諾。
前年ひどい目に遭ったので、「時間外在校はできません」と強く伝えると「大丈夫です、もうそういう時代じゃないですから」と。
学年団に入らず(つまり担任ではない)、年次目標の作成や面談も必要ない。部活も指導員がいるためほとんど関わらなくてよい。
職員エリア含めた学校の半分くらいは清掃は業者がやってくれ、清掃指導も週2回だけでよくなった。
着任後も何件もオファーの電話が来た。ここまでやらかしたのに、なぜか前任校のある都道府県からも。
ふと前任校のことが少し気になってホームページをのぞいてみると、学校だよりに地域住民へのお詫びと訓話が書かれていた。今度は何をやらかしたんだろうか。
元々中高2教科で免許を持っていたが、万が一のため免許は多めにとっておこうと考え一昨年から通信制大学に入り3教科目の取得に動いていた。
また、昨年度から当時の担当教科で1種免許を専修免許にアップグレードするため働きながら大学院に入りなおしていた。
そして今年9月末、これらの単位取得が完了した。免許申請に必要な「人物に関する証明書」も現任校が作成を快諾してくれた。
今は4教科目の1種免許取得を進めており、そのあとは残りの教科も専修免許にアップグレードしようと考えている。
加えて、確定拠出型年金の申し込みを行い、月の積み立て最大金額で投資するほか、米国株などにも投資している。将来働かなくて済むよう計画を練る。
あと、やっぱりまだ嫌な思いは消えないから、在職中受けたことを内容証明で教育委員会教育長とかその自治体の長にでも送ろうかな。
辛い目に遭ったら、耐えるだけが手段ではない。反抗する、逃げる。悪いことのようにされているが、正当な手段だ。
23区内のとある公立中学校の近くに住んでいる。ここではその中学校をX中学校と呼ぶ。
この地域は私の地元であり、実家を離れた後も私はここに住んでいる。
さっそく、何がどう終わってんだよ!って話だが、箇条書きにあげる。
・窓ガラスは大体割られるのでガムテか何かでバッテン張りされている
・万引き
・性犯罪
etc.......
昔はそうではなかった、と父は言う。むしろ近くにあるY公立中学校の方が酷く、X中学校は優秀で良き名門…的な扱いだったらしい。父の言うことはもう40年以上前の話だが。
今はY中学校もX中学校も平等にとんでもない事になっていることが近所では広まっており、地元の人は「できることなら私立に入ったほうが良い」となっている。
もう地元では「またX中学校で生徒が捕まり…」やら「こんどはY中学校でいじめ自殺が…」やら「また警察沙汰で…」やら「X中生徒の煙草ポイ捨てが」という話しか流れてこない。
その情報を知らない、知ろうともしない新しい家族がX中学校・Y中学校に入る。知っている地元の人は私立へ…という状況になっている。
かくいう私は、地元なのでX中学校に入る…ことはなかった。私立中学に受かったのでそちらに進学した。しかし、小学校の頃の友人がX中学校に進学したので、内部をたまに聞いていた。
「AがBを妊娠させちゃってさぁ」
聞いたことある名前がありえないことをしている。まだ中2だよな?何してんの?というか今平成だよな?って当時は呆れと言うかそんな人間いるのかよっていう驚きだった。
まぁ、小学校のころからちょっと問題を起こしそうな雰囲気ではあったが、まさか本当に起こすとは。
私は通学の際、X中学校の前を通っていた。近くの駐車場で小学校の時の同級生が煙草を吸っていた。「おう!私立金持ち!久しぶり!ぷっw今から電車かよw」と煙草をふかしながら声をかけられたが、怖くなって無視した。
社会人になって今度は通勤がX中学校の通学を歩くことになった。
X中学校の生徒が女性の通行人に「おっぱいでかいっすねぇ!えろ~!」「彼氏いんっすか!」と言い、スーツを着ている男性に「社畜w社畜w」「ハゲてますよ!w」と言い、急いでいる人間の目の前に出て「カバディwカバディw」とかやっている。やられた時はガン無視を決めるしかない。
私は通学時間からずれて出勤しているが、たまにかち合うと見かける。一度や二度ではない。週5回かち合ったのなら、週に2,3回は見る。
もう何年も通勤しているが、罵倒内容は微妙に異なるものの、根っこは同じ、毎年見る。
そしてたまにX中学校のガラスが割られている。長期休みでもない平日なのに閉まっていることも何度もある。
警察が出入りしているのを何度か見る。
父は代々この地に住んでいるため、この地域にずっといた人なのか・最近来た人なのかと言うのはご近所さん情報網で分かる。
私もご近所さんとはよく話すので○○さん宅の家の子は怖いだとか、△△さん宅は親が全く帰ってこないとかを知る。どこにでもいるおしゃべりおばさんが聞かなくとも教えてくれる。
「もうX中学校、Y中学校はだめねぇ。まともな親ならあそこに入れないわよ。東京に見栄えだけで憧れた変な親ばかりが集まるから変な学校になってますますまともな子はいなくなるわ。ゴミルール守る人も減ったし…またカラスに荒らされたから掃除中なのよ…」
とこの前言われた。
私はこの地元に親を通じた昔からの友達がいる。その友達の中には子持ちがいる。
そういえば皆、小学校から私立に入るかどうかを悩んでいたなとふと思い出す。
友人とその子供たちの面倒を手伝いに公園に行った時、近所のおばさんらや地元の知り合いらと井戸端会議になった。
おばさんが「ちなみにX小学校もこの前いじめ沙汰で裁判寸前まで言ったって○○くんお母さまから聞いたわぁ~。しかも先生はいじめはないって貫き通すのよ。公立の先生はダメね。移動もすぐしちゃうし。あなたも子供ができたら注意しなさい!」と小学校も終わっている話を始めた。
ふと「なんで問題起こす子が多いんすかね」ってすっとぼけながら聞いた。「だって、親が一切学校の保護者会やPTAや呼び出しに応じず、近所の人も見たことないのよ?しかも問題になったら『我が子はそんな子じゃない!』って言うのよ!話通じないわよ!しかもそういう親に限って給食費とか払わないのよ!しかも先生は3年で移動!先生も逃げようとするし、クビにされないからなぁなぁだし!」
周りの人も「そうそう!」「親が来ない!」「しかもあの子朝めっちゃ早く登校するのに帰りがめっちゃ遅いでしょ?あの身なりからして放置されてるよ」「先生もやる気ない」「公立だと先生も受験して入ったわけじゃないから」「やっぱすぐクビにできるのと、試験を受けて入る先生の方がいいかな」「先生の給料も違うしね」「それなりに家庭がしっかりしている率の高い私立に行くのもわかる」「となると名門志望になちゃうんだよね、難しい」……。
私もX小学校に通っていたが、いじめられていても先生・学校は問題にしてくれず、転校も難しいからそのままにされたなぁ。というのを思い出す。
学級崩壊って公立小中でも割とよくあることで本来規定された学習指導要領範囲のことを抑えきれず進級卒業ってなってるケースは十分あり得る。
自分一人が真面目でも学級崩壊させる奴らの割を食って義務教育内のことについて学べてないことがあるのにそれに気づく機会も多分なくてそういうレイヤーでも学びの機会均等に差が出てるはずなのに、そんな身近な問題であるにも関わらずまるでそんなことはありえないという前提の設計で特にフォローもなく中学から高校や社会に放り出されてしまう。
これは杜撰なことだと思うよ。
大人になってから必要なこといくらでも学べるっていうけど子供の時に対面で基本すら満足に教えてもらえてない場合その基本を大人になってから学ぶっていうのと子供の時教えてもらえたっていうのとじゃ身につく深さというか直観に訴えるもものというかまるで違うと思うよ。大人になって初めて学んでももはや空虚な暗記になるのが精一杯だよ。
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ジェンダーフリーは子供の健全な人格を破壊し、結婚離れを加速させる。そうなれば、家族が崩壊するだけでなく、社会の崩壊にも直結する。
http://www.seisaku-center.net/node/286
むしろ母性神話による母親への育児負担こそ虐待を引き起こしてしまうことがある
江戸時代は父親が育児したし、三歳児神話は1960年代に広まったものである
本当かどうか、男女共同着替えは問題があると思うが、男の色とか女の色を否定することが悪い・・という論は関係がない
男の色とか女の色ををやめたところで人間が出産されなくなるわけではない
自信が持てない原因になるのではないだろうか?
そもそも性別固定的役割分自体歴史が浅い。専業主婦だって主流になったのは100年未満の話である
「母性」「父性」を説いたところで親との自覚を持たない人間には届かないのでは?
歴史的に見ても男女の役割が変化したことが踏まえられておらず、高度経済成長期以降の専業主婦とか三歳児神話的なイメージから脱却できていない。
だからおそらく父親が育児していた江戸時代も、夫婦共働きが普通だった高度経済成長期より前の時代も考慮されていない。
日本人は長らくめちゃくちゃな家庭環境、家族間で生きてきたのだろうか?そうではないだろう
日本人の歴史でも性別に関わるところは変化しているがそれでもそこで大きな混乱はなかったのだから、ジェンダーフリーがそこまで悪影響である根拠は希薄である。
ある時代の男女の役割は昔の時代の男女の役割の否定でもあるのだから。
まるで古代から日本人は(または人類は)母親が育児して父親が外で働いていたかのように主張する印象
現に「「母性は社会的・文化的に作られたもので、高々百年の歴史しかない」という論には批判的に取り上げられている
その一方で、関わりを通じて築かれる家族愛が過少に評価されてしまっている。
自分の子を育てる母性や自分の子を教育する父性がないとダメなら里親制度とか養子縁組制度とか機能しないだろうし、きょうだいとの繋がりも説明は付かなくなるだろうと思う。
男の色や女の色が否定されたところで生殖できなくなるわけではない。
---
http://www.seisaku-center.net/node/304
いずれにせよ、今の日本では「三歳児神話」などと批判される「三歳までは母の手で」という日本の伝統的子育て文化が、男女平等の「先進国」ノルウェーでは国家によって保障されているわけだ(中には父親が育児に専念する場合もある)。
同じ筆者かは分からないが「三歳までは母の手で」という日本の伝統的子育て文化と書かれている。
https://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/kousei/1998/dl/04.pdf
三歳児神話は,欧米における母子研究などの影響を受け,いわゆる「母性」役割が強調される中で,育
児書などでも強調され,1960年代に広まったといわれる。そして,「母親は子育てに専念するもの,す
べきもの,少なくとも,せめて三歳ぐらいまでは母親は自らの手で子どもを育てることに専念すべきで
ある」ことが強調され続けた。
では、日本政策研究センターの次の箇所
次に、「大綱」は小中学生の「放課後対策の充実」を掲げている。子供の世話は社会が見るから、安心して働きなさいというわけだが、これまた子供の「最善の利益」を考慮したものとは言い難い。「いつも同じ家に帰ると同じ人がいて同じように迎えてくれる、それが子供の心の安定につながります」(深谷和子東京成徳大教授)との指摘に違わず、多くの子供たちは学校から帰れば母親が迎えてくれることを望んでいるからだ。都内の小学校高学年を対象とした調査では、四十%余の子供が「家で家族の世話をするお母さん(専業主婦)」を望み、「外で働くお母さん」を望んだ子供は二十三%にとどまったことが確認されている。
母親が迎えて来るか来ないかで質問したらそういうデータになるのは仕方ないと思う
しかしこの役割は父親でも良いのである。母親が働いて父親が家に入ったら解決する。
夫婦共働きが素晴らしいかはともかくその下の箇所、父親の育児休業を批判する必要はどこにもない
さらに、「大綱」は育児休業制度の取組を、男性の取得率十%、女性の取得率八十%を目標に推進すると言う。父親に育児休業をとらせ、保育をさせようというわけだ。しかし、これについては、「乳幼児の世話を父親が主としてやれば、当然母乳育児は不可能になる」「育児休業は母親が取ってこそ子供のためになる」(林道義氏)との的を射た批判がある。父親の育児休業奨励策が、果たして子供たちの「最善の利益」に合致するのか甚だ疑問である。
そこまで母乳を与えなければならないかはともかく、要するに母乳さえ与えられたら良いのである。
父親の育休を批判する根拠にも乳幼児の世話を父親が主としてやることを批判する根拠にもならない。
また乳児期の授乳が終わったら子育てにおける父親と母親の性差は完全と言っていいほどに無くなる。
そもそも育児って夫婦のうち誰かが100%背負わなければいけないのだろうか?そうではないし、誰かが育児を抱える、母親が一人で育児を抱えるのは伝統的な子育てではないはずだ。
特に小中。学級崩壊で授業が成り立たない&暴力が日常茶飯事の学校だったけど
・クラスメイトが集団いじめされているのが見ていて気分悪かったので注意→その子の親から感謝されてお菓子もらえた。その子へのいじめも多分なくなった
・上級生に体操服を貸して一週間経っても返ってこなかったから、そこの担任に直接文句→実は被害者多数で全員分返ってきて、被害者の親たちからお菓子もらえた
・軽く嫌がらせ(今思えばいじめだったのかも)されたけど、その時はじゃれてるだけだと思って同じことやり返し→やられなくなる
など、他にもあるけどこんな感じで気楽に生活できた。
まあ中学入ってからは一部の不良の言いなり(キョロ充ってやつ?)の人たちからはあからさまに嫌われてたんだけど、取るに足らない存在だったしどうでもよかったかな。
あまりにも酷すぎる環境だったから逆に幸せだっただけかもしれないけど、空気読めないのも生存戦略として必要だから
母校かな?って思うほど私が4年前に通っていた中高一貫校も同じ偏差値帯の管理型の学校だった。ガチガチに決まった制服の着こなし、挨拶の徹底、日誌、スケジュール帳の提出、週3の小テスト、落ちると再テスト、再テストに落ちると再々テスト、私立なのに掃除、スマホは朝教師に預けて夕方に返してもらう、ガチの管理型。
合わない子は2-3年目で自主退学したり、高校から通信に転校する。増田が言うようにイジメをしたり、同じように反発する子達と結託して若い教師に反抗して学級崩壊もあるある。
だから2年目からは成績順でクラス分けがされて、授業についていける真面目な子が集まるクラスとそうじゃないクラスが生まれる。生徒のプライドと競争心を煽るからこれで燃える子は成績が高いままキープできるけど、合わない子はますます反発する。
性質的には真面目なのにギリギリ真面目クラスに入れなかった子とかは焦りから塾に入って、塾の宿題+学校課題のオーバーワークでついて行けなくなり、成績上がらないまま大学受験も微妙な感じで終わっちゃうんだよな、、
こういう学校は宿題の量が多いから下手な個別指導塾には入れない方がいい。宿題の内容自体も決して難しくはなく、教科書見れば解けるレベル。量が多いだけ。個別指導塾でMARCHの大学生に勉強見てもらうのは時間もお金も勿体無いと思う。
もし塾に入れたいなら駿台・河合とかのプロ講師が大人数に授業するタイプの集団塾が良い。学校が提供する課金プログラムみたいなのがあればそれで十分、駿台も河合も行く必要はない。受験テクニックみたいなのを教えてくれる直前講習くらいは行く価値があるかもしれないけど。
熱血指導!絶対合格!受験に勝つ!みたいなスローガンを掲げる宗教っぽい中規模の集団塾もあるけれど、これは同じ管理型なので入るとオーバーワークで詰む。あと単純に講師とか塾長の思想がキモい。お勧めしない。
塾に入る時期は先取り学習で高校の範囲が終わる高校2年生あたりで良い。それまでは学校の宿題をちゃんとやれば早慶・旧帝クラスには受かる。
東大に行きたかったら管理型の学校の宿題は全部無視する方向性で覚悟決めてもらって、中2までに鉄緑に入れて鉄緑に専念させればいいと思います。結局これ。
現在7年目になる。
学校は都市圏の地域で2、3番手の共学校。四谷大塚の偏差値は、試験日程にもよるが大体59くらい。正直、第一志望として入学してくれる子は半分以下なのが実情で、悔しいところだ。ただ、なんだかんだ言って華々しい進学実績を残し、学校生活を楽しかったと言いつつ、卒業してくれる高校3年生も多いので、それを見るのはこの仕事の楽しいところだ。
そして、ここ何年かは、中学1年の担任をすることが多い。新たな目標を持って中学校生活を楽しんでくれる子達も多いが、一方で中受での学校選択のミスマッチによって子供が苦労したり家庭内でトラブルになる案件をよく目撃してきた。
そういう視点から、中受をする家庭に教員側から(まとまりはないが一応項目に分けて)確認しておいてほしいことを伝えたい。
これは本当に避けた方がいいです。
このトラップのせいで、生活習慣も成績もどんどん悪くなり、メンタル面も支障をきたす中1をめちゃくちゃ見た。
よくあるパターンとしては、家から通いやすい本命校の前に、アクセスは少し悪いが受験の日程の早い地域をお試し受験したら、その後の本命群は全落ちでそこしか受からず、少し遠いがせっかく中受のコストもかけたのだからと(あと往々にして本人のプライドの問題もある)入学してしまうタイプ。
よほどその学校でなくては、という目的がないのなら、家から学校まで2時間以上なら避けた方がいいとすら思う。以前ニュースで通学に1時間以上かかる中高生はうつ病のリスクが高いとか見たけど、それも納得する。公立の小学校に通っていたと仮定すれば、小学校までの距離は大したことない。それが急に、朝5時半に起きて、6時に家を出発して8時に登校。(私立中は往々にして、朝の補習やら朝の小テストやらが入ってくるので、正課のホームルームの時間よりも登校時間は早い学校も多いと思う。)放課後、部活をやって6時半に終わる。学校生活に慣れてくれば、そのあと友達とどこかに寄り道もしたい年頃だろう。家に帰って8時半(遅延やバスの渋滞もあればもっと遅くなる。)で、そこからご飯を食べてお風呂に入って9時半。私立中だから当たり前なのだが、宿題めちゃくちゃ出る。小テストの勉強ももちろんある。11時に寝たとして翌朝の起床時間は5時半なら6時間半しか寝られない。
12歳、13歳で、部活もやっているとくれば8時間は寝ないと疲弊してしまう。
そういうわけで、大抵どれだけ本人が真面目でやる気があっても、通学時間が長すぎる子はほぼ授業中にうとうとしているか突っ伏して寝ていて(惰眠ではなく睡眠不足なので起こしても起きないことも多い。ほっとくしかなくなる。)授業を聞いていなければ当然課題もできないので、分からなくて課題を出さなくなる。
三者面談で、授業中居眠りが多いですね、課題もあまり出ませんね、と伝えると親は子供を叱るが、正直本人のせいではないので可哀想だし、改善策がない(部活を辞めるくらい?)。
というか授業料払ってるのに家遠いせいで授業についていけなくなるなら、毎日ちゃんと8時間寝て家から近い公立中の授業受けた方がマシ。
2.校風(管理型か自由型か)が子供に適しているかよく検討すべき。
正直これは12歳くらいだと、人格というか精神状況が不安定な子もいるので、適する環境を考えること自体難しいのだが、
うちの学校は完全な管理型。生活記録ノートをつけさせ、何時に帰宅して何時に学習を始め、何を勉強して何時に寝たかを記録して反省も書かせる。小テストは不合格であれば、放課後に何度も再テスト。課題は毎日出され、提出できなければ居残り。昨今珍しいくらいだと思うが、正直うちくらいの偏差値だとそこまでしなければ、自主的に勉強する子が少ないので、旧帝や早慶に行ける子が育たない。
このやり方は、
真面目に一つ一つタスクを潰していくのが快感で、教師と密に連携を取るのが苦ではなく、なんならその方がいい子なんからめちゃくちゃ伸びる。
ただ、例えば
・自分のやり方でやりたい
・自分の順番がある
こういうタイプはかなりの確率で不適応を起こす。管理型であるということは、説明会などでかなり伝えているつもりなのだが、そこを自分の子があっているか、をうまく判断できずに入学してしまう。(というかうちしか受からなかったのか。)特に反抗期を迎える中1〜中2あたりは、この学校や大人による管理や介入が極端に嫌になり、もはや(おそらくは反抗心から)勉強すら何もしなくなってしまう子が毎年学年に1〜2人いる。成績が下がり、学校も自分も嫌になる。怒られるから大人も嫌になる。そして、基礎が必要だったと気づく頃には完全に手遅れ。そういうタイプも見てきた。
こだわりが強い子が管理型の学校に入学することはお勧めしません。逆にお尻を叩かれて伸びる子が自由型に行くのもおすすめしません。
あとは、勉強も習い事もやらせたいタイプの家庭も管理型の学校は、正直うまくいかない。私立中なので月曜から土曜まで授業があり、日曜に休息と自分の勉強を進めてね、というのが学校が想定するスケジュールなのだが、日曜は1日クラブチームの練習で…とか言われちゃうと、そのハードスケジュールに耐えられるキャパが無ければ、疲弊して課題も追いつかず(出さないと結果居残りになったり指導されたりで子供の気分も下がるだろう。)、子供がしんどい。教員の立場からは、もちろん習い事を辞めろとは家庭に言えないが、正直な話、他にやりたいこともあるなら自由な校風の学校や、土曜授業がない学校、もしくは公立を選べばいいのでは…?と内心思っている。
これは特に、生徒層の話。
本人が中受を希望した理由として、「地元の中学が荒れてるから」「小学校の時に学級崩壊していて同じ中学校に進学したくなかったから」という理由はかなり多い。
多分相対的に見れば、生徒層は落ち着いているのかもしれないが(とりあえず全員が席に座って話を聞くことはたやすい)、トラブル、いじめ、授業崩壊や学級崩壊がないわけでは全くない。
というか、勉強のストレスからくるいじめや問題行動はかなり多く、生徒指導案件も多い。
・親が子供に期待やプレッシャーをかけすぎていて、親子関係がうまく行っていない。自己否定からの自傷行為や、ストレスからの、いじめなど問題行動に走る。
・学力的な知能は高いが、発達に問題を抱えており、コミュニケーションが苦手で攻撃性が高い子が周囲とトラブルになる。
この2つのタイプは、最近になって本当によく見る。ただ、家庭環境や本人の特性は仕方ないことであるのと、本人に非はないので、SCやカウンセリング、心療内科の紹介などが必要になるが(これは学校にもよるが)私立の場合、勉強に特化したプログラムや人員配置のため、この辺が公立と比べて手薄なこともままある。また、このようなトラブルやメンタルの不調、自傷行為についてを、親に知られたくない、と話す子も多く、その場合はマジで詰んでいる。
自分が言うのも心苦しいのだが、昔は違ったかもしれないが私立だからいい先生がいる、というのは正直もう期待しない方がいい。(最上位の伝統校などは例外だと思ってほしい。)
教育現場の働き方の改善が世間に追いついていないのは、叫ばれ始めて久しいが、もちろん私立も例に漏れず同じである。というか、私立の方がブラックなことも多々ある。先ほどちらっと言及した、朝の時間の補習や小テスト、課題の居残り、土曜授業。この辺は私立だから発生している業務だろう。もちろん部活動もある。加えて公立にはない業務として、休日の学校説明会など生徒募集のための広報活動がある。13連勤は、あるあるです。
そして、もう一つ私立だからこその問題点。一流大学を目指させることが前提の私立校なら、教員の学歴も、そこそこのものが期待されるだろう。もちろん教員という仕事に対して熱意を持って、辞令を受け取る若者もいる。しかし、この就活売り手市場の状況で、そこそこの学歴がある若者が13連勤当たり前の環境を選ぶだろうか…???雇用の流動性の活発化から転職を選ぶ教員も多い。
この辺をよく考えてみてほしい。
Permalink |記事への反応(20) | 16:50
今の日産のように、経営層が下のマネジメントができていない現場では
会社にでなく、自部門に利益になる行動が善、という価値観で動くようになる。
室長・部長クラスの権力のある人間は、どんどん身勝手で横暴になる。
下請法など関係ない。上は誰も見てないし、下請けはヘコヘコ媚びへつらうだけで何も言ってこない。
下請けの管理層も「あのプロパーさんは困ったもんだよねぇ(笑)」と言いながら、結局何もしない。
「しめしめ。客の無茶ぶりが俺にこなくなって助かった」
「俺も現場のことは知らないから聞かれても丸投げするだけだし、むしろ効率化になってるよな」くらいに思っている。
かくして、一番立場の弱い現場の下請け、孫請けの下っ端が一番割りを食うことになる。
職場に味方はいない。上司に相談したところで「まぁまぁ、我々はお金を出して勉強させていただいてるんだから…」と茶を濁されるだけだ。
簡単には辞めさせてもらえない。「代わりの人が決まるまでは待ってて」と言われ引き止められる。
鬱・適応障害・睡眠障害などの診断書をもらった人間だけが辞めることができる。
下請けもこの職場がヤバいのは承知の上で、孫請けや他の部署にまで声をかけて人をかき集めている。
「現場にできるだけ多く人を送り込むこと・あるいはその人員枠を維持すること」が全てに優先するのであり
私立優位な東京 vs公立優位な地方、という大きな括りの下で、地方の公立は少なくとも3つの類型に分かれる
人数的に一番多いのは1で、ブコメ等で「地方の公立はまともやで」のようなことを言ってる人はおそらくここの出身者。ここが荒れてたのは1970年代あたりの全国的な低治安の時代まで
3はそもそも1学年で1クラス作れない程の小規模校なので学校全体が仲良くならざるを得ず、あまり荒れようがない
問題は2で、1で暴力等の不祥事をやっちまった教員や能力不足の教員の左遷先になるせいで教員の質が低くなりがち。生徒が荒れても対処できず、むしろ教員が率先して問題を起こすまであり1990年代まで荒れてた
はてなユーザーのボリューム層は1980年前後の生まれだから、1の出身者と2の出身者の間で「地方の公立」の認識が真逆になっていて話がすれ違いやすい
「東京の公立」は状況が少し違い、主に「マンモス校」「それ以外」で荒れ方が分かれる
マンモス校は子供が多すぎて目が届きにくいのもあるが、単純にクラス数が多いので確率論的に校内のどこかで学級崩壊が起きやすい。1クラスが崩壊すると別クラスにどんどん伝染していく事もあり、今でも荒れた学校が多い。百合子なんとかしろ
クラス数の少ない非マンモス校はたまに荒れても対処できるのであまり荒れてない
なお、私立も荒れるときは荒れるが、私立はマンモス校ではないし、特定の生徒が酷い場合は退学カードを切れるので相対的にはやっぱり最も荒れてない。ただ、荒れてはないが定常的にギスギスして雰囲気が悪いというような問題はありがちなので、私立を選ぶなら校風の差に細心の注意を払うべき
どう考えてもパワハラだし死ぬだろっていう暴力を社員に振るったり
どう考えても社会の倫理観や道徳観狂って自分らにも不利益来るだろって権利主張したり
どう考えてもどれだけ被害者仕草できる無敵の歴史があっても電子機器に事前に仕組んだ爆弾を無差別に爆破させたら擁護しようがない国家によるテロ行為でしかなかったり
どう考えてもOpenAIを使って自動的に人を殺すプログラムを作ると社会的に問題があるのに「できるから作ろう」と脳死で作ってしまったり
なんていうか「冷静になって少し考えたらどうなるかくらい分かるだろバカなのか?」という案件が世界レベルで存在する
これって学校の教室にいてクラスメイトがどう考えてもバカな結果にしかならないことを知識や知恵だけ発達して心がガキのままのやつらが
貧富の差や権力の差を問わずに世界スケールでやってるからこんなことになってんじゃないの?
この考えが合ってるならこの世に大人ってあまりにも少なすぎねーか???
俺たちが子供の頃にイメージしてた大人って悪い事はやらない、世の中にとって良いことをする生物じゃなかったのか?
それが大人の地平線に到達したとたん、金・権力・地位を使ってクソ馬鹿なことを大スケールでやる学級崩壊な世の中とかこの世っていうコンテンツが終わってねーか?
そんだけ勉強して知識を得て歴史から学んで、やることがそれなのかよ、どんだけ判断能力が狂ってんだよっていう案件が多すぎて眩暈がする