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はてなキーワード:学問とは

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2025-10-27

anond:20251027094750

攻略内容が「生き残ること」や「生活を成り立たせること」とかから

家族を増やすこと」とか「学問を極めること」とか「世の中の役に立つこと」になるなら

ゲーム難易度としては変わらないんじゃないか

Permalink |記事への反応(0) | 15:00

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ねじれてるよなあと思った

ジークアクスもそうだったけど、本筋が属人的で、特定人物でないと成立しない。盛り上がるセオリーだけど、一般化できないのでスケールしない。これがセカイ系構造

2001年』のボーマンや『宇宙ランデヴー』のノートン調査隊は、他の誰かでも成立するので、人類全体にスケールできる。

https://x.com/nojiri_h/status/1982418203935748460

 

そもそも小説は「特定人物でないと成立しないような小さい話」だから小説(そういうミニマムなとこをクローズアップしないと見れないものも世の中にはある)なのだ

それを「そんな小さい話を読むのは嫌だ! ひとつ読んだら大きいスケールじゃないと嫌だ!(だけど学問を真面目に勉強して大きい話にちゃんコミットするのは面倒くさい)」という、めんどくさがりの大衆のために用意されたのが

小説だけど大きい話できますよ」と小手先でやらかすミステリSFだったのに、

つのまにか「大きい話ができない普通小説はだめだ、やはりSFだ」みたいな頭おかし認識になってしまった

大きい話を読みたかったら真面目に教科書読めよ勉強しろよ、と言わずに「小説」をくさして「SF小説」を持ち上げる

一方を否定することでしか価値を見出せないとこにベットする

ネットde真実」と同じめんどくさがりのロジックなんだけど、たぶん本人そう思わないんだろなあという

Permalink |記事への反応(0) | 10:50

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2025-10-26

anond:20251026143128

目的が違うからだと思う

例えば三国志とか信長の野望でその知識に詳しくなった人は多い

これはゲーム目的が「歴史勉強」じゃなくて、「天下統一」だから

この意味で、例えば毒を作って暗殺するゲームでいつの間にか化学覚えるとか暗記系の学問はできそうだけど、

メインの問題しかなり得ない数学とかは難しいと思う

あと翻訳エンジン絶対使っちゃう英語とか

Permalink |記事への反応(2) | 14:41

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2025-10-22

他人に話す用の趣味」が少ない

話せない趣味

Youtube → くだらない動画しか観ていない。登録者10万人でも、日本人口的にマイナーなので話が合わない。

読書 → 具体的なタイトルを出すと、そのタイトル解説をしなくてはならないのでめんどい学問系とかだったら「写像ってなんすか?」とか聞かれて答えに詰まると気まずい。

プログラミング → 「何作るの?」と言われても、データあっちこっちするだけのもの説明めんどい。「電卓とかですかね」と言ったら、「まだ電卓作ってるの?」といじられ続けたので、二度と言わない。

日記 → 「世間的には少数派という意味」で趣味だと思うけど、趣味として言っていいのかわからない。

筋トレ → 筋トレって言うのは孤独に己の内面と向き合うことなんだよ。見せつけるものじゃない。昼食にプロテインを摂るとバレやすい。

話せる趣味

ゲーム → Steamのよくわからないゲームをやっている。同じ返答を維持し続けるために、FPSローグライクシミュレーションなどリプレイ性が高いものが良い。

スレスパファクトリオと答えている。

変に流行りのゲームや終わりがあるゲームを言うと、「まだそれやってるの?」となったとき面倒なので。

Steamのフレンドになったら本当に何やってるか話す。ただSteamゲームやってる人は現実の人にフレンドを申し込んだりはしない。

書いて思ったけど、他人趣味からかう人がおかしいだけだった。

ももう本当の趣味は話しません。

というか他人趣味を聞くって失礼じゃないのかとも思い始めている。

Permalink |記事への反応(2) | 18:15

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anond:20251021061953

フェミニズムは、社会についての学問のように見せかけて、実はそうではないからな。

客観的分析もなく、反論に対して開かれてもいない、つまり科学的ではない。

からといって学問でないわけではなく、修辞学の分野に入るような学問だろう。

まり政治的言説で、どれだけ他人を先導/扇動できるか、その強度と精度を研究する学問

一人一派、というのもそういうところからまれているわけで、

科学的なデータ収集分析、推論、反証…などを必要としないわけだから

科学見地から見た場合無駄に分裂しているように見えるのは仕方ない。

フェミニズム科学視点で語ろうとするのが間違いなのだ

Permalink |記事への反応(0) | 06:17

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2025-10-21

anond:20251021171329

それは分野によるのでは?うちの卒業した分野は、高校程度の知識で実地訓練すれば学位とる頃にはなんとかなるレベルだし、「学問」をやってる専門家は一割もいないよ。

Permalink |記事への反応(0) | 17:37

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anond:20251019203414

理系博士号持ってる側からひとこと言わせてもらえれば、単純に科学技術が発展しすぎて大学4年間の勉強量なんかじゃもうどの分野でも「学問」どころか「技術者」としてもまともに働けないレベル世界になってる。高校で習う微分積分は400年前には最先端数学だった。マジで本当の「専門家からすれば、理系大学の4年間で習う内容っていうのは、高校理科数学から見た小学校四則演算程度の分量なんだよ。大学進学率下げようっていうのは、四則演算できない人増やそうっていうのと同じに聞こえるわ。

Permalink |記事への反応(2) | 17:13

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2025-10-20


老子荘子には、「知識を追い求めすぎることへの疑い」や、「知によって世界コントロールしようとする態度」への批判が、非常に重要テーマとして繰り返し現れます

——

要するに、中途半端知識を追い求め、振りかざすと、その「反作用」によるデメリット半端ない(注: はたから見ると)から、そういう無駄はやめましょうってことなんだよね。ただ、老子場合は「構えなしの構え」で(不完全な知識に基づいた自分の策に溺れる)相手に勝つことを意図しているようにも読める。

ChatGPTに聞いてみました。

🐉老子(『道徳経』)における「知識は足りないままでよい」

🔹 有名な一節(第48章):

学を為すは日に益す

道を為すは日に損す

損之又損して、以って無為に至る

無為にして而も為さざる無し

意味現代語訳):

学問を学ぶ者は、日々知識を増やしていく。

しか「道」を身につける者は、むしろ日々捨てていく。

• 捨てに捨てて、ついには「無為(何もしない自然なあり方)」に至る。

無為であっても、やるべきことは自然に成される。

👉 ここでは「知識学問)を積み重ねること」と、「道に従うこと」が対比されています

老子は、知識を増やすことによってむしろ自然から離れ、余計なことをしてしまうと考えます

🦋荘子(『荘子』)における「知の限界」や「無知肯定

荘子老子思想さらに発展させ、よりラディカルに知識相対性限界を語ります

🔹 たとえば『荘子・斉物論』より:

夫れ知は之を以て知る可からず。

故に曰く、「これを以て之を知る、是れ未だ之を知らざるなり」と。

意味

知識というものは、それ自体によって真に知ることはできない。

• だから、「知識によって何かを知った」と言う人は、本当の意味ではまだ知らないのだ。

👉荘子は、知識はつねに主観的限定的だと捉えています

現実を固定的に捉える知は、流動的な「道」には届かない。

🧭 ではなぜ「知識は足りないままでよい」のか?

両者に共通する思想

世界(道)は人知を超えており、完全に把握することはできない。

知識言葉に頼るほど、かえって道から離れてしまう。

自然(天)に従うこと、無為自然に生きることが大切。


📌結論

老子荘子には明確に「知識は足りないままでよい(むしろ減らすべき)」という考えがあります

それは「無知礼賢(むちれいけん)」でも「無知の称賛」でもなく、知に偏らない、自然調和した生き方を重視するという立場です。

別の言い方で

老子荘子思想キーポイントは、過剰な知識への執着を避け、自然体で生きることです。これを視覚的に表現するために、次のようなイメージを思い浮かべると良いでしょう。

1. 水の流れ(自然に任せる)

• 水はどんな障害物にも柔軟に対応し、最終的には低い場所へ流れます。水は自分を過信せず、無理に力を使うことなく、自然の流れに従います

老子は「無為」や「自然の道」を提唱しましたが、この「水の流れ」のように無駄な力を使わずに、周りの流れに従って生きることが最も賢い生き方だと考えていました。

視覚的なイメージ: ゆるやかな川の流れ。障害物があっても、水はそこを避けてまた流れていきます。これは「無為自然」の象徴です。

2. 竹のしなやかさ(柔軟性と調和

• 竹はしっかりと地面に根を張りつつ、風にしなやかに揺れ動きます。これもまた、荘子が言う「無為自然」の一例です。竹は知識や力に頼りすぎず、環境に合わせて適応し、調和を保っています

荘子思想では、知識経験固執せず、状況に応じた柔軟な生き方をすることが理想とされています

視覚的なイメージ: 風に揺れる竹。知識経験が過剰に強くない、柔軟でしなやかな生き方象徴しています

3. 空の広がり(制限のない自由

• 空はどこまでも広がり、何にも縛られることがありません。この無限の広がりが、荘子が言う「逍遥遊(自由に遊ぶ)」の象徴です。

荘子は、人が自由であること、何にも縛られずに自然と一体化して生きることが最も幸せだと説いています

視覚的なイメージ: 果てしなく広がる青空。空が無限であるように、知識や学びに縛られることなく、自由に生きることを示しています

4. 足りている木の実(不足を求めない

老子荘子は、「足りていることの美しさ」を大切にしました。木の実が自然に落ちるように、過剰に求めることなく、今のままで満足することが大事です。

視覚的なイメージ: 落ちた実が地面に転がり、自然に他のもの調和しています。これが「足りていること」であり、満たされた状態です。

Permalink |記事への反応(0) | 20:30

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和平(仮)をひとつと、あとひとつふたつ

俺、アリババシルクロードの反対側の異国情緒あふれる字面だけど、親がキラキラネームつけただけの、名前ちゃん漢字で書ける28歳の日本男児だ。ちなみに、最近楽天とか尼存など漢字2文字名前流行っている。

あらすじ

俺が遣唐使の1人として踏んだ大陸の地に、村を荒らす46人の盗賊団(乃木坂)の首領Fidoの電磁的な魔の手が迫った。そこで俺は急遽、うまいと噂の職人ピザ屋にピザを重複注文した上で、遣唐使の使命を終え、ピザを受けとらずに帰国した。いま最先端学問仏教学(禅専攻)を修めたからだ。知見を生かして、自己啓発市場ターゲットに、現在コンサルタント見習いをしている。

西部戦線

俺も登場人物の1人らしいのだが、詳しいことは直接には知らない。対Fidoのピザ連盟らしいが、ポストバベルの塔状態で、私利に走って統一感に欠けるらしい。

東部戦線

これは村の話で対乃木坂戦線だ。村人の大半はこれに無自覚だろうと思う。

平和仲介努力

西部戦線東部戦線リンクさせることでFidoを追い詰める作戦らしいのだが、俺には関わりないことなので、早く平和状態にしたい。俺は博愛的な平和主義者なのだ。そこで、俺は亜米利加ドナルドトランプ氏も顔負けの和平仲介者として奔走した。西部戦線を、ILイスラエルレバント)とUAウクライナアングロサクソン)の二つに分け、Fidoが技術上劣勢のIL方面手打ち式の運びとなった。これには6月の爆撃がFidoの心を強く和平へと後押ししたらしいが、俺もFidoに村で会うたびに禅問答をもちかけ「その心は?」と問うた。Fidoは仏教博士ではないし俗物なので一見馬の耳に念仏だが、盗賊のくせに教養があるかそう見せたい男なので効果はあったと思う。

もっとも、Fidoが規約違反をすればいつでも和平は反故になる虞があり、Fidoを仕留めたいかより譲歩を引き出したいが単独ではそれができないUA方面作戦司令部はそれを扇動する動機がある。

UA方面ではどのような進展があるか?東部戦線との融合が進んでいる

実は、ピザのただ食いの科でFidoを取り締まりたいと「ブリタニカ」を名乗るピザから電話があったのだが、この遣唐使時代ブリタニカが国の体をなしているか俺の知識ではわから留守電に返事をしないでいた。するとなにかと俺にちょっかいをかけてくるので、俺はFSET Securityという盗賊除けのソフトを導入した。

ブリタニカ」は東部戦線攻略してFidoに圧力をかけようと村にエージェントを展開し、村の溜まりである居酒屋宣伝工作を仕掛けている。

1人、日本人名前が不詳なのでここではチャーリーと呼んでおこう。彼は頭がよく金持ちで見た目もセンスもいいので、村人の1人、田中花子射倖心をくすぐった模様だ。花子はその昔、ブランド品に興味はなく金がかからない女ですよと公言していたが、実は男に関してはブランドものが好きなのだもっとも、急いで付け加えるが、ここで俺は花子悪口を言うつもりはまったくない。花子も本性では村思いのいい人で、ただ資本主義的な欲があって悟りを得ないだけである。それにFidoを村で牽制するにあたり、花子勇気と協力には感謝尊敬をしている。花子や一部の高年齢層の村人たちはこの頃とんと見かけなくなったが、NHK chやツ痛ァー等で策動しているものと思われる。ただし、貴族趣味チャーリーヒエログリフの読めない庶民の村人にはまだ浸透できていないようだ。

もう1人、これはエージェントではない独立戦士で村人の、木村本子がいる。本子は骨のある正義の人なのだが、最近かになり、残念ながら俺は彼女の動きを把握できていない。おそらく、村の安全保障についてFidoと個別に話をつけたものと思われる。

昨今では村人の間で自警団組織しようとする人も現れてきたようだが、まだ人々の意思統一できるに至ってはいない。

鍵となるのは検非違使の動き

続報はない。

話はまだまだ続く

Permalink |記事への反応(0) | 15:34

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インターンで休む?結構

でもその分の責任自分とりましょ、

企業は早めに取るインセンティブある以上それをどうにかできる組織がどうにかせんといかんよね

っていう話だと思うんすけど、いかがですかね。

僕は長いこと大学学生として過ごし、非常勤として教壇に立つ側もやっていて、その過程身につけた感覚があるのよ。

それは教育って料理を食べさせるのに似てるなって。教える側としては、バランスを考えたり、食べにくい食材はなるべく食べやすくしたり、色々工夫して"身になる"ようにしてるつもり。外で食べてくるからいらない、といわれるのはまだしも、お宅の料理食べたのと同等の効果がある魔法サプリをくれよ紛いのことを言われるのは作り手として納得いかないもの。この例であっても、栄養をとろうとしてる姿勢はあるので、まだましな方。実際問題なのは「お宅の料理摂取できる栄養を摂った証明をくれ」なのでなおのことたちが悪い。

まあ教員から学生の行動の結果しか見えないので学生が悪く見えるのは仕方ない。ただ学生の方は、就職という現代ではすっかり一大事になってしまった物を人質にとられているので、それは学問の深遠さとか悠長なことを秤にかける時間すら惜しいのであって。

この問題の一番の責任は間違いなく企業側にあるよね。でも企業利益を追求する組織から、そり強い誰かがなんとかせんとどうにもならんですよね。

まず、学生は未熟なもので、言ってる要求いかにちぐはぐで無茶なものであるかわかってない人もいることを把握せんとあかんね。教育者ならそれも教える必要があるんだと思う。あとは規定通り処理すればいいだけの話じゃないかな。

なんてことを思った。

Permalink |記事への反応(0) | 12:58

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2025-10-19

化けの皮の剥がし

好きな人ができた。

同じ大学とだけ知っていた。それ以外の共通項は特になかった。ただ、話が合うような気がしたから、思い切って食事に誘った。

画面の向こう側から来た彼女は、とても綺麗だった。

私はもう一度、祈る気持ちで誘った。今度はもう少し時間のかかる予定を考えた。

彼女をその誘いを受けてくれた。

そのようにして、知り合ってから何度か出かけた。

出かけるための口実を作り、そして、先の何ヶ月かにおいて、それぞれに約束を取り付けた。

嫌われてはいないと信じたい。

多くの男性がそうであるように、私も演技をしている。理想的男性と騙せるように、彼女の前では猫をかぶっている。

おれは気が利かない。だって、何をすれば女性が、おまえが喜ぶのか、逆に何をしたら怒るのか、おれには未だよく分からない。だから、気の利かせようがない。

おれは要領が良くない。おれは頭を棚にぶつける。小指も棚に打ちつける。料理をすれば、コンロ・シンク冷蔵庫三者間を反復横跳びのように忙しなく飛び回る。

おれは頭が良くない。第一、おまえが高校を出てすぐ入った大学に、おれは1年遅れてようやく入ったのだから

おれはハイソではない。おれは本を読まないし、映画も見ない。音楽だって詳しくない。おれの故郷と、通った高校のある隣町は、恐ろしいことに両方の名が"ナンバープレートカースト表"の一番下に並んでいる。地元バイパスでは今も、羽の生えたプリウス同士が大競走しているのだろう。おれはそれが別段特別なことに見えないし、思えない。

おれは甲斐性がない。わずかな貯金と、基礎と熱意を欠いた不安定学問知識と、同じくらい不安定な職の3点以外、何も持ち合わせていない。今までの無駄時間有意義自己研鑽と職探しに使っていれば、真っ当な職業人として巡り会えていたかもしれないと思うと、まこと慚愧の念に堪えない。

おれは飄々としていない。大学から帰るのが遅くなったとき、おまえはあの汚らしい駅の猥雑なロータリーで、耳を塞ぎたくなるような話を、眉を顰める大声で、夜空に向かって不明瞭に叫んでいた、不愉快学生集団を見たのではないか。だとしたら、その中にはおれがいたかもしれない。おれは調子にも乗りやすい。

いずれ綻びが顕になるのだろう。

あまねく人間に、私に、綻びがあることは当然で、そのことに対しては何も思わない。そもそも「綻びが(これだけ)ある」と悩む必要は、実はないのではないかとさえ思う。綻びの総量それ自体個人主観に左右されるものだろう。そして、人の内面を変更する術を、あるいはcharmを、少なくとも後者を私は持たない。

ただ、それとどのように綻びを知らせるのか(全て私の誤解で、意地でも隠し通すのが定石なのかもしれない。そうなんですか?)という問題は別のはずだ。失望は避けられないことで、かつ、その最大瞬間風速が相手の許容できる閾値を超えたとき一般論として人間同士の関係は崩れる。

私は減速剤を知らない。他者失望の速度を、どう制御すればいいのか分からない。今までは流れの向くまま、それで良かった。今度は違う。化けの皮のせめてその剥がれ様だけは、自分で決めたい。できることなら、なるべく遅く、なるべく波風立たず、悟られないように。

思うに、あまねく人間に綻びがあることは当然で、人にどう知らせるかという点に上手下手があるのだろう。

親にでも聞けばいいのだろうか。統計的には親こそ「上手」な人が多いはずで、化けの皮もいい加減ないようなもののはずだから

Permalink |記事への反応(1) | 22:59

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大学進学率を下げることを否定する人ってマジで理解できないわ

どう考えても大学進学率は5%くらいまで下げたほうがいいだろ

大学学問をやるところであって、専門的に学問をやるのは一部のエリートだけでいいし、それ以外は専門学校に行くか早く就職したほうが人手不足解消にもつながる

Permalink |記事への反応(12) | 20:34

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2025-10-18

割りと好きだった学問YouTuberが、急に自己啓発系めいたことを投稿して、嫌悪感抱いた自分に驚いたんだよね

Permalink |記事への反応(1) | 22:55

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2025-10-17

なんか粒度違う比較しながら語ってる人良くいるけどモヤモヤするわ

例えば、スポーツ算数比較みたいなの

スポーツ比較するなら勉強とか学問だし

算数比較するなら野球とかサッカーっしょ

お前ら歩く肝臓もも心しておけよ

Permalink |記事への反応(0) | 17:41

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上野千鶴子を許せた気づき

政治的正しさ客観的正しさがまるで別物であるように、

修辞学的言説と科学的言説はまったく違う。

アジテーションなどの修辞学的言説に対して、科学的な立場から批判しても噛み合わないのは当然で、

そもそも立っている地平が違うのだ。

 

ある政治的立場での正しさの絶対性を前提として、他人にその正しさを受け入れさせるのが修辞学的言説であり、

その言説は全方位から反証に対して開かれている必要はない。単に「政敵」(あるいは仮想敵)が行いそうな反論を潰せる準備があればよい。

感情的であることはマイナスどころかプラスですらあり、修辞的装飾的で内容に乏しくてもそれが効果的であれば意味があり、論理的整合性などにさほど価値はない。

 

(閑話)

驚くべきことに、日本において評論家とされる人達は、どちらかというと「修辞学的言説」を得意とし、そのことで評価されていたりする。吉本隆明柄谷行人浅田彰東浩紀…、感傷的な文章と、都合のいいチェリーピッキング引用、そして類稀なキャッチコピー能力だけで“批評”を行ってきた人々。

 

閑話休題

念のため言っておくが、これは修辞学的言説に対して、科学的言説のほうが優れている、という主張ではない。

それぞれは噛み合わないし、活躍するべき場所が違う、という話だ。

 

フェミニズムというのは科学学問ではなく、政治的(修辞学的)学問であり、そこで客観的妥当性が軽視されるのはある意味仕方がないことなのだ。

上野千鶴子草津町長に謝罪したのも、謝罪という形を取ることが、最も効果的に彼女の主張を敷衍させやすいと判断たからであり、今後彼女客観的データなどに基づいてのみ発言するという“変節”ではないだろう。

アジテーション客観的妥当から批判しても意味はないし、アジテーター科学的態度を求めることは尊大な間違いである。

 

そのことにやっと気づけた。

Permalink |記事への反応(0) | 17:26

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2025-10-16

会議に、実証を。レスバに、確認を。

実証をする人は。評価されます大事議論をしている場で、確認作業をする人は、信頼されます。それが、学問の場だったらなおさらです。でも本当はdorawiiにこそ、実証確認必要なのかもしれません。「法律のハック」「国勢調査の穴」「18禁漫画の不在」実証には、理論検証する力があります。良い実証は、良い理論の基盤になる。「細川内閣」「既存作品」「国勢調査法全文」確認には、恥をかかずに済ませる力があります。良い確認は、論破を防ぐ盾になる。なにより、実証確認のある理論は誰も「まずは法律読め」と言いません。準備不足な人から説得力のある主張は生まれませんから実証も、確認も、めんどうです。想像だけで理論を作るほうが、ずっと楽です。でも、それでは増田の娯楽にしかなりません。明日を拓く、実証主義。

Permalink |記事への反応(2) | 17:37

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2025-10-15

冷笑系無知」という現代の“理性的バカ”の存在

冷笑系無知」という概念を広めたい。

陰謀論バカ」「自然派非科学的」と言いながら、実は自分も大して分かってない人がふえてる。


たとえば

・「味の素石油からできてたのはデマ!」と、ドヤ顔否定そもそもどうやって作られてるかは知らないし味の素公式説明さえ見てない

・「水素水存在しない!小学生知識でもわかる」→水素還元反応について説明できるわけじゃない、医療用として存在することを知らない

・「化粧水はただの水」と断言→皮膚科学や保湿機構の話を何も知らない


こういうこと言う人たちを、「冷笑系無知」と呼びたい。


冷笑系無知の特徴として

・「誰かが言ってたから」信じる

・「みんなが馬鹿にしてるから自分馬鹿にする

・実際のところ、科学的な理解論理的思考も浅い


結局のところ、信じてる方向が逆の「陰謀論者」。

陰謀論者が「全部ウソだ!」と叫ぶのに対して、冷笑系無知は「全部デマだ!」と叫ぶ、理性的な分上に立っていると勘違いしている馬鹿

どちらも、根っこの構造は同じく、「自分は人より賢い」と思いたいだけ。


で、こういう冷笑系無知が好みがちなのが、

ひろゆきとか、料理研究家リュウジとか「常識っぽく語る論客」を好む。大衆要求を読むのが得意で、自分を賢そうに見せるのが上手いが、

実際はそうでもない人たち(他の掲示板様式パクって自分のモノみたいに語ったり、他人レシピ自分のもののように語ってる見せるのが上手い人たち)

冷笑系無知は「ああいう言い方をすれば勝てる」と内容より口調を真似てしまう。


議論目的は「真実を知る」じゃなくて、「マウントを取る」。

その結果、SNSでは無知なのに賢ぶる人たちの冷笑文化蔓延していく。


冷笑系無知の多くは、学問知識に対して劣等感を持っていて、根っこにあるのは「コンプレックス」。

から勉強する」よりも、「誰かをバカにする」方が簡単気持ちいい方を選ぶし、陰謀論者や自然派と同じで「勉強の仕方」がわからない。

同じ意見感想を言い合って共感することを「勉強」と思っている節がある。

一見クール理性的に見えて、内側は「承認欲求」と「自尊心不安定さ」の塊なんだよね。


まとめると、陰謀論者が「見えない敵」に怯えるように、

冷笑系無知は「見えない馬鹿」を探して笑ってる。


でもどちらも、「知らないことを知らない」という同じ病気を抱えてる。

そしてその病気は、治そうとしない限り、どっちも治らない。

もし自分が「冷笑」してると感じたら、いったん立ち止まって「自分はどれくらい理解してるんだろう?」と問い直す。

それだけで、少しだけ知性のある側に近づける。


あれもこれも結局、学校教育が表層的な部分しか教えてないとか、学ぶ内容より学び方を教えてないとか、そういうのに元凶があるし

コツコツ生産的な活動をしている人より、SNS炎上したりバズらせている人が尊敬されたりする社会が悪いとは思う。

歪んだコンプレックスを解消するためにすぐに正しい知識アクセスできない、閉鎖的な学術界にも責任あると思うよ。

Permalink |記事への反応(3) | 15:43

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anond:20251014053904

陽キャあくまでもテストでいい点を取るためだけの暗記だけで終わっていて真の理解には至っていない~」とか言ってくるんだろうけどぶっちゃけ社会ではそこまで求められん

陰キャ君がバカにしてるコミュ力とかのほうが学問より鍛えるのが難しい

Permalink |記事への反応(0) | 11:53

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2025-10-14

anond:20251013192216

学問研究話題だと「選択と集中」を批判する人達

少子化話題になると自力恋愛結婚できた優れた男女だけが子孫を残せばいいという「選択と集中思考になるのが実に不思議

Permalink |記事への反応(1) | 12:24

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チ。 の時代地動説を唱えて異端審問で死刑になるはおかしいって話はよく聞くけどそれは解決済みじゃなかったっけ

「チ。」が15世紀の話だと分かってきたとのことですね。15世紀舞台地動説を唱えることが異端審問で死刑につながるという設定について、史実を基に検討してみましょう。

15世紀歴史的背景



###異端審問と死刑史実

### 「チ。」の設定と史実のズレ

###結論

15世紀舞台地動説を唱えることが異端審問で死刑につながるという設定は、史実を考えるとおかしいと感じるのは自然です。15世紀には地動説議論対象として浮上し始めたものの、教会がそれに対して死刑を科すほどの厳しさを持っていなかったためです。「チ。」がこのような劇的な展開を描いている場合フィクションとしての誇張や、近世特にガリレオ事件)の文脈投影している可能性が高いです。科学史家の批判投稿で指摘されている「近世」の文脈)も、この時代錯誤が背景にあると考えられます。もし作品意図的史実を逸脱しているのであれば、フィクションとしての自由度享受しているとも言えますが、歴史的正確さを求める視点から違和感が残るでしょう。

Permalink |記事への反応(0) | 08:52

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自然言語処理10年ぐらいやってきた

学業でも仕事でも趣味でも、ずっと自然言語処理をやってきた。

別に最初からAIだのNLPだのに興味があったわけじゃない。

きっかけは、学生時代ちょっとしたレポートテキスト単語出現頻度を数えようとしたとき、「あれ、そもそも日本語ってどうやって単語に分けんの?」って疑問が出たところからだ。

英語ならスペースで切れるけど、日本語はそうはいかない。で、いろいろ調べて「形態素解析」って言葉にたどり着いた。

その瞬間にちょっとハマったんだよね。

辞書をもとに文を機械的に切り刻んで、品詞をラベル付けして、統計を取って、構文を推定する。まるで人間の頭の中を数理的に覗いているようで。

そこからMeCabとかJumanとかKyTeaとか、いろんなツールを触った。

Pythonテキスト処理のパイプラインを組んだり、mecab-ipadic-NEologdを突っ込んで新語対応させたり。

言葉を数理で扱える」って発見が、ちょっとした中毒になった。

その頃はMosesとかGIZA++とか、ああい統計翻訳系のツールも触ってたね。

単語ラインメントの確率モデルをいじって、「確率的に対訳辞書を作る」みたいな遊びをしてた。

とにかく、NLP世界には「人間言葉数学再現できるかもしれない」という変な魅力があった。

深層学習がまだ主流じゃなかったから、n-gramやHMM、CRFなんかが主戦場で、論文読むたびに確率式の展開を手で追ってた。

今思えば、あれが一番自然言語処理っぽい時代だった気がする。

で、いろいろあって自然言語処理系の企業入社

最初はPoC(Proof of Concept)しかやらせてもらえなかった。

感情分析とか、Stance Detectionとか、「この文は文法的典型か非典型か」を判別するための言語モデルの構築とか、エンティティリンキング質問応答(Question Answering)。とにかくNLP典型的なタスクを一通り。

学術的には面白かったけど、現場で求められてたのは「論文再現じゃなくて、実用的な精度と速度」だった。

PoCで終わって、実装には至らない案件が山のように積み上がっていった。

あの時期、NLP業界全体が「技術的にはすごいけどビジネスには落とし込めてない」って空気だった。

でもさ、LLM(大規模言語モデル)が出てきてから世界がひっくり返った。

正直、最初は「Transformerの延長だろ」と思ってたけど、数ヶ月で実感が変わった。

それまでチマチマ特徴量を設計して、分類器を学習して、F値を0.02上げるために夜中までパラメータをいじってたのが、全部一瞬で過去になった。

ChatGPTが出て、蒸留ファインチューニングほとんどのNLPタスクが置き換えられるようになったとき、「あれ、今までの俺の知識ほとんど無駄だったんじゃね?」って一瞬マジで虚無になった。

でも、そこで終わらなかった。プロダクション環境を任せてもらえるようになって、推薦システムとかパーソナライゼーションの設計をやるようになって、ようやく「ユーザーベクトルを使う」という文脈NLPが再接続した。

単なるテキスト処理から、「テキスト媒介にして人間の行動を理解する」方向に進んだ。

埋め込み表現ベースユーザーの嗜好を推定して、レコメンドメルマガのパーソナライズをやる。

自然言語はもう目的じゃなくて、インターフェイスになった。そうやって初めて、「NLPビジネスに食い込む瞬間」ってのを肌で感じた。

PoCなんてやってても金にはならん。動くシステム、回る仕組み、再現性のある成果、それを出せないと、どんなに学問的に立派でも意味がない。

でも、PoCの積み重ねがなかったら、今の設計思想もなかったと思う。無駄に見える実験が、実は土台になってる。

自然言語処理って、そういう「積層的な知識挫折の積み上げ」が一番の資産なんだよな。

Permalink |記事への反応(15) | 06:37

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2025-10-12

一部のサブレの有能主義

無能がProductivityでスレ立てると即削除

WillPowerに頼るミニマリズムは即削除

高卒学問スレ立ては即削除

まーったく、パヨサイトってこれだから困るよなぁ

Permalink |記事への反応(0) | 08:28

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anond:20251012011952

天皇戦争責任」を云々することは、東京裁判サンフランシスコ平和条約否定につながり現在日本否定することにつながるわけだけど、賢い増田くんはそれも理解しているんだよね。じゃあ増田内閣総理大臣だったとして、つまり、「日本国憲法を掲げる現在日本内閣総理大臣」として、あれ以外にどういうコメントを出せるのか、出すのが適当か、説明してみてほしい。

もし君が学者ならね、ただ真実にのみ従えばよい。責任自分一人が負えばよい。

彼(石破)は政治家だよ? 

なんでそんな話するかというと、増田くんが「教科書に載せるべき」というコメントあきらかに誤解しているからなの。

あのね、「教科書に載っている」ことは「正しいとされている建前」なの。真実ではないの。「真実とすることにみんなで合意したこと」なの。社会必要な「一般常識」ってそういうもんなの。

から大学に行って「学問」の世界に入ると、「高校までの教科書では~って習ったかもしんないけど、それウソから」って言われるんだよ。その意味で「教科書」に書くのは石破演説の内容であるべきなの。歴史を前提として、今ある日本の形を踏まえて「こう考えるべき」とされる一つの形を穏当に提示しているの。だから教科書に書く」内容として、少なくとも歴史を踏まえない昨今のうわ言とは比べ物にならないくらい適しているの。

もちろん、それが「真実のものではない」ということぐらいはみんなわかってるの。それが分かってないのが増田くんなの。

Permalink |記事への反応(0) | 08:15

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2025-10-11

anond:20251011095000

人間けが特殊なんや繁殖生物学問的に面白い分野やで

Permalink |記事への反応(1) | 10:03

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anond:20251011024921

文系とか理系とか男らしさとか女らしさではなく、興味関心を追求するこころ

学問本質はそこでは。

Permalink |記事への反応(0) | 02:57

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