
はてなキーワード:孤独とは
本稿で提示するプロファイルは、10万件以上のブクマを有するidを対象に公開コメントをAIが解析し、その深層心理や思想傾向をモデル化した「テキスト・ペルソナ」です。これは実在する個人のプライバシーを暴くものではなく、言語活動に基づく批評的なシミュレーション(思考実験)です。特定の個人の社会的評価を操作する意図はなく、あくまでAIによるテキスト分析の一環としてお楽しみください。
はてなに書いてみたいと思った。
その子とは長年連絡を取り合ってなかったが、実は先日、親戚付き合いの時に出会った。祖父方にあたる親戚の家のダイニングで。
その時に思う事があって、増田をしたためることにした。増田はたまに短文を書くくらいである。
その子と初めて会ったのは、私が21才の時だった。当時は茨城県にある大学で電気工学を学んでいた。夏休みの帰省先である実家は、(秒速5センチメートルの聖地)隣の栃木県にあった。
ある夏の帰省時に……その実家から、ほどなくの距離にある親戚の家に行ったのだが、玄関に入った時に、はとこに当たる子がいた。
当時は「はとこ」という単語は知らなかった。誰がどの親戚筋にあたるとか、そういうことにも興味なかった。ただ「女の子がいるな」としか思わなかった。
その、はとこに当たる子なのだが、『野乃花』ということにする。プリキュアの方ではない。野乃花(ののか)は玄関口で私と目が合って、「こんにちは」と言ったのかな。それは覚えている。
帰省時に親戚の家に行っても、一応成人である私は暇を持て余していた。子どもの頃から何度も行ってるが、その時みたいに居間でくつろぐことが多かった。周りは子どもばかりである。
親戚の子どもたちは皆ゲームをしていた。スマブラというゲームだった。大乱闘スマッシュブラザーズ。
私は任天堂のキャラをほぼ知らなかった。ピンク色のあれがカービイって言うのはわかったけど、あとは知らないキャラだった。ピカチュウも辛うじてわかったくらい。
ゲームを一切しない子どもだった。家にスーファミもPS2もなかった。家の近くにある里山に出かけて、危険であろう山奥まで踏み込んで、昆虫やトカゲを捕まえて飼育するのが好きだった。日本にいるはずもないチンチラがいないか探そうとしていた。
親戚の子ども達は居間でゲームするだけじゃなくて、子どもらしい身体を動かす遊びもしていた。外での運動だった。まさにスマブラ。
居間でも、廊下でも、玄関でも、これでもかというほど広い庭でもそうだった。私は成人男性だったけど、元気のいい彼ら小学生の相手をすることもあった。
野乃花は、大人しい子……でもなかった。わーきゃー言って水鉄砲を打ったり、私に体当たりをしてゴロンとひっくり返っていた。溌剌な子だった。
野乃花はその時、7才だったはず。14才差なので。小学校に上がった年である。いい頃合いの年齢ということで、(私から見て)遠い親戚の人も、野乃花を本家筋の実家に連れてきたのだろうか。
それはそれとして、大学生であるというのに私は、毎年夏や大晦日になると……その親戚(本家筋)の家に行っていた。小学校~中学校の頃は、それこそ年に何度も。
うちの母親が私や兄弟を連れて行くと、祖母が漏れなく一万円をくれるのだった。うちの母親は、ことあるごとに其処に行っていた。子どもを連れて。ある種の集金システムである。
私は子どもながらに察して、祖父母にあざとくした。可愛い子だと見られようとした。今思えば浅ましい考えかもしれないが、毎回寄るだけで一万円をくれるのだから、それくらいは当然と思っていた。
中学生や高校生になると、親戚の家に行くことはなくなっていた。
しかし大学に進学すると、また急に行く頻度が増えた。私と祖父が同じ大学出身で、学群も同じ(祖父の時代は学部)だった。お気に入り度が上がったのだと思う。
20才になる年に入ると、祖父のとっておきの日本酒や焼酎を飲ませてもらった。あの頃はおいしい酒の味がわからなかった。モンテローザ系列の味に慣らされた舌には、明らかに上の味だったけど。
え、野乃花?あの子は、、、私が22才、23才、24才になる年も、毎年ずっと会い続けた。親戚の家に行く度に必ずいた。ほかの子はいないこともあったし、来なくなる子もいたのだが。
今思えば、懐いていたと思う。よく会話をしたし、ごっこ遊びにも付き合った。
夏休みや冬休みの宿題を私が教えることもあった。「増田くん。あたまいー!」とよく言ってくれた。私は漢字に弱かった。今でも書き誤りをすることがよくある。
野乃花に、「こないだの発表会でね、その旨(うま)をまとめて発表します」と読み間違えた話をしたが、さすがに理解してくれなかった。
ある日、曇天で雷が鳴っている時に、雷を素早く動いて躱せるのかという話になった。私が「雷はね。上から落ちてくるんじゃなくて、下から上に昇ってるんだよ」と伝えると、「うそ。ほんとー。今度試してみる」と言った。「絶対に試したらダメだよ」と釘を刺した。
野乃花について、はっちゃけた雰囲気の子を想像するかもしれないが、実際は年齢に見合わない利発な子だった。理屈っぽい私の話を、「へえ」と面白がってくれる唯一の人間だった。
夕食の時は席が大体隣だった。誕生日プレゼントをあげた時は抱き着いてきた。年齢差はあったけど、会話が弾んだ。
親戚の大人達が家にいない時だと、2人きりになることがあった。かくれんぼとか、鬼ごっことか、ノートPCでヤフーのポータル画面を開いて、いろんなことをググったりした。(ほかの親戚と一緒に)花火大会にも行った。水族館にも。遊園地にも。
彼女は明るくて溌剌としていて、私みたいな陰キャラとは違った。いわゆる"いい子"だった。はてなブックマークでいうと、女性ブクマカでトップコメに入りがちな、快活な方々がおられると思う。あんな感じの、知性やユーモアを伴った明るさである。
25才の頃は、新卒で入った茨城県にある電機メーカーに勤めていた。
親戚の家に行くのは、年に2回ほど。祖父は、私が社会人になっても毎年お小遣いをくれた。「早く技術士になれよ、期待してるぞ」って、行く度に祖父が言ってた。それから十年もかかったが、祖父と同じ電気分野で技術士の試験を通った。
それくらいの年齢になっても親戚の家に行ってたのは、野乃花のことが頭にあった。私に懐いてくれる女性というのは、それまでの人生で彼女しかいなかった。私はモテなかった。はてな語で言う弱者男性。
ある年の夏だった。自家用車で一人でその家に行くと、玄関口の廊下に野乃花がいた。靴を脱いで、家の廊下に上がったところに古い掛け時計があった。ずっと昔からあって、玄関に上がる時は時刻を見るクセがあった。
廊下に立っていた野乃花に近づいていって、野乃花の両肩に手を置くと、野乃花が唇を突き出した。キスをした。口にする方だった。
私は別に、ロリータの同人誌やアンソロジーを持ってたわけじゃない。そういうR18コンテンツに触れたこともない。当時の私は、社会人としての勤めや、理工学の勉強の日々の傍らに、読書をしたり映画鑑賞をする男だった。年少への性癖はない。ただ、孤独への性癖があっただけだ。
野乃花とのキスというのは、その時が初めてじゃない。鮮明でない記憶だけど、初めての時は、私が22~23才くらいの時だった。野乃花が8~9才くらい。
親戚の家の中ほどにある居間で、2人だけになってる時に、身体が不意にくっついて……その流れで、人生で初めてキスをした。少し大人になれた気がした。
それからは、2人になる度に、親戚の目がない時にキスをしていた。唇を合わせるだけの簡単なやつを。一日に何度も。別に理由はなかった。私も野乃花も、ただしたかっただけだと思う。
野乃花が小学校を卒業する年の2月だった。初めて2人だけで外に出かけた。それまでは、親戚付き合いの中で、花火大会とか水族館とか、飲食店などに一緒に行っていた。それが、野乃花が親に携帯電話を買ってもらい(青っぽいガラケー。私はスマホ)、LINEでやり取りするようになった。
デート場所は茨木駅周辺だった。茨城ってぶっちゃけ、鳥取~島根クラスに何もないところだけど、大きい駅の周辺では、ショッピング、グルメ、自然、文化体験など色々楽しめる。野乃花のいる栃木でもよかったけど、『秒速5センチメートル』ごっこになってしまうのでやめた。積雪で電車が止まるかもしれない笑
その日は、夕方まで一緒に何時間も過ごした。最後は美術館に行って解散した。帰りの電車賃は社会人だった私が出した。それ以外の、食事代とか入館料は割り勘だった。出そうとすると、野乃花が嫌だと言った。
電車が出る時間になってホームで別れる時、「楽しかったね」と私が言ったら、野乃花が「今日、一緒にいられない?」と聞いてきた。潤んだ瞳だった。吸い込まれる瞳ってどこかの小説に地の文があったけど、あれは作者の実体験だったんだと感じた。
「仕事あるからね。また今度ね」と言うと、野乃花は俯いて電車に乗った。最後に手で肩に触れて、「バイバイ」ってお互いに言った。野乃花は泣いていた。
あの頃は、年齢差のことを考えることがあった。私と野乃花の年齢差は、年度でいうと14年分。一番最初に会話した時は、小1と大3だった。
(以下閑話)※当時のメモを参考
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年齢差についての関数
年数をxとして、お互いの年齢の比をf(x)とすると、f(x) = (a+x) /(b+x)となる。年数xを経る毎に0<f(x)<1で単調増加で1に近づく(極限操作)。
お互いの年齢比が0.5になるときの経過年数は、式変形によりx=2a-bで表現できる。この比率をもっと一般的に表現すると……。上記のf(x) = (a+x) /(b+x)を微分すると、商の微分でf`(x) =(a-b) /(a+x) ^2
f`(x) =0になる極値は……?と考えると、残念ながら存在しない。
元の関数f(x) = (a+x) /(b+x)というのは、式変形すると、f(x)=1+((a−b)/(b+x))となる。これは、f(x)=a/(b+x)という直角双曲線をグラフ平面において平行移動させたのみである。
直角双曲線は微分可能であるが、極値がない。正負の値を関数に入れると、グラフ上で左右に分かれて存在することから、右極限と左極限が一致しない。
方程式 f`(x) =(a-b)/(a+x) ^2において、a−b=0が成り立つのは、a=bの場合のみ。導関数はゼロ。定数関数であり、傾きはない(定数関数が微分可能かどうかは流派による)。a≠bだと、導関数がゼロになるxの値が存在しない。
年齢算という算数を扱っている以上は、関数の形状はシンプルである。一番知りたい特定の値に向かって方程式に数値を入れるのみ。私は複雑な答えを求めたが、その行為自体が適切でなかった。つまり、二人の年齢差というギャップは、数学的には永遠に埋まらないという無慈悲な証明だけが残った。
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(閑話終わり)
野乃花が中学生になった年だ。私は茨城県にあった電機メーカーを辞めて、他業界のIT企業に転職した。広島市に営業所があるメガベンチャーだった。
仕事に忙しい日々だった。距離があるので関東に帰ることも無くなって、それで……野乃花とはそれっきりになった。LINEのメッセージも、いつの間にか途絶えた。既読無視をしたのは私の方だ。
今は独立して、都内でIT関係の下請けをしている。フリーランスだ。ハイクラスエンジニアでは決してない。うだつが上がらない日々だけど、いつかは1人社員の株式会社にしたいと思ってる。今の自営業の屋号は、結構厨二が入っている。実年齢よりも幼い人間なのだと感じる。
なぜ、この日記を書こうと思ったか。正月に野乃花と会ったのである。もちろんあの親戚の家で。あそこに行くのは久しぶりだった。
其処に行く途中の車内で、母に聞いた。あの家は祖父も祖母も亡くなっていて、今は叔父夫婦が住んでいるだけ。跡継ぎはいない。子どもはいたが、みんな自立したらしい。大きい家なのに勿体ないって、そんなことを思いながら親戚の家に着いた。
玄関を上がって、あの時の古い掛け時計が別のに変わっているのを見て、それから台所(兼ダイニング)に行くと、親戚が何人か座っていた。その真ん中あたりに……野乃花がいた。
野乃花と会うのは約15年ぶりだった。
私と目が合うと笑顔になった。ダイニングの隣にある小さい居間では、親戚の子達が皆で一緒にタブレットでアニメを観ていた(私はここ数年アニメを見てない)。少年の時、ボードゲームをしていたのが懐かしい。あの頃より人数が減っている。
話は変わるけど、もし『グノーシア』のボードゲームや、人狼ゲームがあったらやってみたい。一生叶うことはないだろうけど――もしアニメ化もされたら観てみたいと思う。
野乃花を見た後で考えた。
まだ夕方ですらなかった。これから何をしようか、どうやって暇を潰そうか。スマホを操作するだけでは勿体ないし、懐かしいその辺りを散歩しようと思った。
本当は野乃花と話したかったけど、連れていくわけにはいかないし、話せるだけの心の余裕もなかった。それに、野乃花は夕食の準備を手伝っていた。
近所の散歩が終わって、台所兼ダイニングで豪華な夕食を食べて、ビール瓶を何本も空けて、親戚連中の大人(あの頃の子ども達)とたくさん話をして、トイレに行ったり、親戚の子の遊びに付き合ったり、お年玉(※宿泊費)を払ったり、十数年ぶりの親戚の家は懐かしい。野乃花はずっと飲み会を手伝っていた。
飲み会の後、ダイニングでスマホをいじっていると、深夜が近づくにつれて親戚の数が減っていった。「そろそろ寝ようか」と思ったところ、廊下から野乃花が入ってきて、こちらに歩いてきた。私の隣の席に座った。結婚指輪はしてなかった。
「久しぶりだね」
と私が声をかけると、
「増田くん元気そうだね」
と返ってきた。
面影がすごく残っていて、懐かしい感じがした。
子どもの頃の就寝時間は午後十時だった。今は大人だから、あと一時間は起きていられる。野乃花と喋ってから寝ることにした。
思ったより多くの会話をした。卒業した学校とか、就職先とか、今の趣味とか、好きな本とか、最近観た映画とか。私はサブカルが好きだけど、野乃花もそうだった。アニメだと『ブルーロック』の話をした。エゴの塊みたいなキャラの話で盛り上がった。漫画・小説の話もした。吾峠呼世晴の初期短編集は2人とも読んでいた。
でも、野乃花が不意に言ったのだ。
心臓がドンって叩かれた。この時まで、悪いことしたという思いはなかった。
でも、この時になって、私があの頃、どういうことをしていたのかって、そういう思いが一瞬で頭の中を駆け巡って、後悔が襲ってきた。
「迎えにきてくれると思ってた。連絡がほしかった。私は増田くんに会いに行けないのに」
野乃花を見ると、涙を拭っていた。鼻もすすっていた。
それから沈黙が続いて、「ごめんね」と言った。そしたら確か、「増田君は結婚したの?」と聞いてきた。
結婚どころか、離婚まで経験していることを話すと、野乃花は爆笑していた。机に突っ伏して、本気で笑いを堪えている様子だった。話を続けると、野乃花も一度離婚を経験していた。
なんだか変な雰囲気になって、それからまた、さらに笑える話を(お互いに)続けて、そうこうしてると午後11時になった。LINEの連絡先を交換して寝室に入った。
読者の方は察してるとは思うが、私はいわゆる発達障害である。診断済みだ。
メガベンチャーに転職をして地方都市に引っ越した後、仕事の人間関係で苦労することがあった。明らかにおかしいと思い、精神科医に診てもらったところ、様々なテストの後に、そういう診断が出た。子どもの頃からの行動傾向を見てると明らかだった。
ある情報によると、発達障害の精神年齢というのは……実年齢×0.60~0.70らしい。青春期の、精神が最も発達する年代に脳が発達をしてくれない(脳発達のピークが30代にくる)。
一方で、一般的な女の子は、男の子よりも数才精神年齢が高い。ということは、最後に野乃花と会った時の精神年齢は……私だと26才×0.60~0.70≒15~18才ということ。野乃花が実年齢12才+2~3才とすると、14~15才ということだ。
あれ、なんだこれと思った。そういう視点で考えると、野乃花との年齢差があっても話が通じたことの合点がいった。
話は以上である。
我ながら恥ずかしい執筆体験だった。私の言葉で思い出を表現できてよかった。理屈っぽくて読みにくかったとは思う。
でも、言葉にしたかった。あの時、親戚の家のダイニングで、20代後半になった野乃花と再会した時の衝撃とか、それよりずっと前の、野乃花との楽しい日々の思い出とか。ここで、こうして吐き出すことができてよかった。
明日からは、また一人のはてなユーザーである。みんなの面白い日記を、また読ませてほしいです。ここまで読んでくれた人、ありがとうございました。
FIREとか資産形成の話ってさ、投資期間に比重を置くとズレるんだよね。早ければ早いほどいい、入金速度が上がるほどいい、みたいな。
老後はこれだけ貯めとけば安心!みたいなことをドヤ顔で語る輩多いけど、高齢者のリアルを知ってる側からすると、鼻で笑ってしまう。
お前は老後の何を知ってるんだ?老後と資産にどんな関係があるか知っているのか?
資産何億持ってようが、動けなくなったら生活なんて一気に縮んでくし、やれることもほぼ同じ。日本の医療と介護は最高峰だから、介護レベルになれば、配当金と利回りで数百万の収入がある奴と生活保護の生活水準にはほとんど差がない。
生活保護でも、自分の足で動けてる奴は社会との接点もあるし、それなりに人生を楽しんでる。だから、老後の生活を分ける最大の要素って健康だろ、って話はもちろんなんだけど、実はそれ以上にデカいのが子どもなんだよね。
子どもが近くに住んでて、しかも積極的に関わってくれるタイプの家庭だと、高齢者の生活は一気に安定する。逆に、子どもが全然来ないとか、そもそもいないとかだと、資産がいくらあっても孤独一直線。外面では「自由に生きてきた結果だから」とか言ってても、老後の生活を見ればだいたいわかる。金じゃ老後に関わってくれる子どもは買えないんだよ。
でさ、これを言うと「子どもがいるからって幸せとは限らない」とか「生む生まないは個人の自由」とか、もっともらしいこと言う人いるけど、そういう話じゃなくて、老後の現実はけっこう残酷なくらい“子どもがいるかいないか”で差が出るってことなのよ。しかも、ただいるだけじゃだめで、距離が近くて、ちゃんと関わってくれるかどうか。形だけの親子関係なんて老後にはほぼ意味ない。
資産をどれだけ積んでも、最終的に寄りかかれるのは“家族的な何か”だとか綺麗事を言う人もいるけど、実際はもっと単純で残酷。「子どもが面倒を見てくれるかどうか」という一点で、生活の明るさも孤独度もほぼ決まる。お金があるからって、その部分だけは埋められない。
だからさ、老後の安心を語るなら、資産何億とかより先に、「で、その老後、誰がお前の近くにいるの?」
って話をしたほうがよっぽど現実的なんだよね。
> 輪に入れない孤独感の中、「女性らしく出来れば孤独でなくなるのだろうか?」と感じて努力するのは悪いことなのだろうか?
これは、残念ながら「悪いこと」だ。
間違いであると点で悪い。バスケを上手くなりたいときにドリブルを怠るように、2+2を5と答えたときのように、モテるために香水を試みる男子高校生のように、悪い。
どうせ成人したら、自己責任論に塗れた弱肉強食の社会へ放流するだけでしょ。
挙句孤独に死ぬしかない独居弱者男性に「ひとりで死ね」とか言い放つ。
だったら蝶よ花よと可愛がられる小さいうちに死んだ方がまだ幸せかもしれない。
靖子にゃんかよ、お前らは。
性別が女ってだけで、「お前なんて弱者男性じゃない」って叩かれるのマジ意味わかんない。
なんでそんな決めつけられなきゃいけないの?
女だったらなんでもかんでも恵まれてるって思ってんの?
こっちはずっと孤独でさ。
ずっと苦しんでるし、毎日泣いてるんだよ。
「本当に結婚する気あるの?」とかグチグチ言ってくるし。
めんどくさ。
「遊びに行くのはいいけど前もって教えて」とか言ってくるの。
「両親に子供預けるとか、予定調整して自分が留守番するとかあるでしょ」だって。
ほんとうるさい。
なんで私ばっかり責められるの?
先日 数回目の万引きでとうとう
初めてではない取り調べ
万引きの担当の警察官は苦手で、また怒鳴られるのかなぁと思っていたら温厚な方でした
2回目の示談の時は、正直思い出したくもないくらいの罵詈雑言で
悪いことをした事は認めているし 受け答えがハッキリしているタイプの自分は
正直捕まってしまったものはどうしようもないのでハッキリ話しているだけなのに
頭を垂れてボソボソと話せば はたまた泣きながら許しを乞う事をすればいいのか悩みました
あれはなんなんでしょうか 何が正解なのでしょうか
正直、悪い事をしたのは理解していたし、
その時、反省の意もありましたが
反論するのも違うと思いましたが、正直そこまで言う必要ある…?と疑問を覚えました。
自分は「わかりました」とだけ返答し、心にモヤモヤを抱えたまま 3回目の万引きをしました
「犯罪者の顔って言われたから」という投げやりな気持ちでした。
それをそのままその時の取り調べでも言いました
そしたら取り調べしてくれていた警察官が
「それって、クレプトマニアの事でしょう?」と言われました。
後に調べた所、クレプトマニアとは
クレプトマニア(窃盗症・病的窃盗)とは、個人的な必要性や金銭目的ではなく、物を盗みたいという衝動を抑えきれずに繰り返し窃盗行為に及んでしまう精神疾患です。盗む行為の直前に緊張感が高まり、盗んだ時に快感や満足感を得るのが特徴で、盗んだ物は使わずに捨てたり隠したりすることが多く、自分でもやめられずに苦しむ人が少なくありません。との事で
クレプトマニアの人は毎日のように万引きを繰り返してしまう病気で、だから自分は当てはまっていないから安心して、そんな事言った警察官が頭おかしいよ 悪い事はしてしまったけど病的なものではないよとその時の警察官に言われたことが私の救いでした。
取り調べが終わり0時を回る頃、とある女子拘留所に連行され荷物を預かり処方薬や持病や性病の有無、拘留所で使うもの(主に石鹸タオルハンカチ靴下パンツリンスインシャンプー等)を購入することになりました、初めての拘留 いつ出れるのかな?という気持ちもあったので私は最小限に納めましたが 基本靴下パンツハンカチは2枚ずつが基本で、ハンカチかぁ…となった私は警官を振り切って1枚だけにしました。
後はリップクリーム ボディクリーム等がありましたが必要ないかなと買いませんでした。
私の通された部屋は海外の人3人日本人のおばあちゃん1人の私を合わせて5人部屋で
海外の人2人が日本語がまあまあ使えて 1人はほぼ使えない 静かな部屋に通されました
勿論名前は番号呼びで 基本友人を作るのは禁止(後に出た時に交流の際脅されたり等のトラブルがあるらしい)なのですがメンツがメンツなので話すことはありましたが友人にはなりませんでしたね。
問題がここから まず東京地裁に行き検事さんとお話します、その後裁判所で拘留の日数が決まるのですが大都会東京都は2日に分けてそれをやる(地方は一日で済むらしい)のですが
それがほんとーに苦痛でした、朝8時に出て3箇所纏めてやるのですが私語厳禁のただの硬い椅子に手錠をされてほぼ12時間缶詰…私は10日拘留で済みましたが地裁には4回行きました…
それがなければ、拘留所にいる際は
6:30 起床
7:00 朝食
昼ごはんまでの間に点呼や運動(実際は髪を梳かしたりするだけ)や5日に1度お風呂(20分)ぐらいがあるのでそれを済ませ 後は一日1度前日に選んだ本を読めるのでそれを読む
12:00 昼食
17:00 夕食
21:00 消灯
という感じで 私は結局4冊は読めたのかな?
イニシエーションラブと地面師のスピンオフ作品と10代が読むような小説を読みました
漫画は何故かスラムダンク(凄く中途半端な巻数から)がありましたね。
最後の検事さんとの話と弁護士を挟んでくれるので(自分で知り合いがいる場合はその人を呼べる)弁護士さんと話しながらなんとか不起訴で拘留所を出ることが出来ました。
ちなみに同室のおばあちゃんは話を聞いている限りクレプトマニアで拘留所から出てまたすぐ万引きして来年には刑務所に行くのだとか…
おばあちゃんはどうやら孤独で、拘留所や刑務所にいる方がいい とまで言ってました…凄いと言っていいのか 寂しい人だなと思うべきか…
他の部屋の人はわかりませんが、若い子や海外の人が多かった印象です。
私は深くは聞きにくいので他の人の罪状はわかりませんが…
ですが、防犯カメラもそうですが結構人の集まるお店には万引きGメンがいるってのはわかりました、示談で済めばその店出禁位で済みますが、示談出来なければ即逮捕なので
ほぼいないと思いますが、絶対にしない方がいいです 1度でも成功してしまうと癖になってしまうので…
最後に逮捕された時に取り調べした警察官さん、私の話を親身に聞いて否定してくれてありがとうございました お陰であのモヤモヤは晴れて再犯はしないと思えました。
万引き担当の警察官さん 怒るのは必要だし、こちらが悪いことをしているから何も言えないけれど、言っていいことと悪い事の分別はつけて欲しいなと思いました。
あと、ハッキリ話しているのを反省していないと判断するのも軽率なのでは?と思います。
本当はね、タミヤの工作キットのフォークリフトとかクローラをArduinoとかラズパイで動かすつもりだったんだ、だったんだ…😟
ミニ四駆も、ミニ四駆自体にはあまり興味なかったけど、2台買ったんだ…
目指すは爆走兄弟だったんだ…😟
やっと最近になって爆走兄弟を実現させるレベルの実装の凄い人が登場して話題になってるけど、
初老の弱者男性が、家で孤独にタミヤのフォークリフトでミニパレットを移動させるの、悲しすぎる…😟
そんなことをする暇があるなら、仕事で免許取って、本物のフォークリフトで稼いでこい
そんな幻聴が聴こえてくるのです…😟
苦しいこと考えない方がましな気がした
たとえば自分は親友みたいな人がいないのと、三十路過ぎて結婚してないのに苦しんでいた
結構生まれ育ちが特殊すぎて良好な人間関係を作るには分が悪すぎたし
本とかで人に好かれるみたいな方法を勉強しても、中身や見た目を魅力的に見せようと努力しても加減が分からずとにかく浮く……
人生で親から他人から大切にされたと感じることよりも、嫌なことされたと感じることが多すぎて他人に苦手意識あるし
人と仲良くなるには自分に対して
空気を読め!普通だ!普通にしろ!緊張するな!リラックスしろ!やりすぎるな!不潔になるな!過度に着飾るな!無表情になるな!へらへらしない!正しすぎる敬語使うな!年下にへりくだるな!マナーとかやりすぎるな!普通だ!普通にしろ!とにかく定期的に声をかけろ!
って1秒1秒常に意識しないといけなくてすごく疲れるしそのうちボロが出る
最近ほんとにしんどくなって友達とか恋人作るの辞めたし、友達いない人、結婚してない人は頭おかしいみたいな概念を考えないようにした
自分がなんか頭おかしいのはわかってるけど頭おかしいと言われても直せないからそう言われたところで辛い以外のなにものでもない
頭おかしくなくなる方法があれば是非とも私の目の前にそのメニューをお出しして欲しい。私が今までの人生で普通になろうとやってきたこと以外で。
他人に対して自分をおあつらえ向きにマスキングするのも限界が来た。もう無理。
自分自身、友達とか恋人欲しかったのは周りからバカにされたくなかったからの方が強い。
でも孤独から抜けられないのでそこからバカにされると余計に辛い。
好きでもない友達とご飯へ行ったり好きでもない異性とまさぐりあってるよりタバコ吸ったりハムスターを吸ったりしてる方が心底幸せな気持ちになる。
最近は他人を悪くいうみたいなのはよしとされてないしプライベートを根掘り葉掘り聞くような人もかなり少なくなったのはありがたい。
幸い私には人より得意なことがある。
人と楽しくかかわれないから生きてるのが特に楽しくないので仕事に命かけられることと、その気になれば他人にどこまでも無関心になれることだ。
仕事なくなったらどうなるんだろう。
とりあえず考えない。嫌な事考えると苦しくなるし。
男性の思う独身女性は孤独で不幸がイメージのベースで、ひとりぼっちの自分を嘆いて暗い部屋でジメジメと過ごしてる、悲恋系ソングのカラオケ映像みたいなものだと思ってらっしゃる人も多い
そういう人間がいないとは言わない
でもああいうのって結局男の願望が透けて見える、そこまでして女には不幸でいてほしいんか?じゃあ女も男が不幸になるの祈るしかねえやな、お互い様だ
私は30代半ばの女だ。
最近ノンバイナリーについての漫画がXで話題になっていたのを見た。
それについての反応で、要約すると「これは性嫌悪の話で普通の女だ」というものがあった。
確かにあの漫画の作者に性嫌悪は確実にあるだろうが、それだけで語るのは無理があると感じる。
昔私も「自分はノンバイナリー(もしくはXジェンダー?)なのか?」と悩んだことがある。
だが現在はどうでもよくなったので身体性別以外での性別について考えるのはやめた。
しかし、名乗りたくなる気持ちはわかる。現代社会で生きる以上必ず悩む人が出てくるものだと感じている。
なので、それについての私なりの考えを文章にまとめることにした。あくまで私なりの、だ。
まず、私は自分の性別に違和感を覚える理由は性嫌悪より社会に求められる役割のほうが大きいと考えている。
そう言うと「それは女性ならみんなが感じている」と言う声が聞こえる気がするがそういうことではない。
私は女性なので男性のことはわからないが、少なくとも私は「女性に女性だと受け入れられていない」と感じていた。
生まれてこの方可愛い洋服や化粧などに一切の興味が持てず、男性アイドルにも女性アイドルにも興味がない。
加えて私はあまり恋愛ごとにも興味がない。これまで好きだと感じた人を思い浮かべると男女比率は半々で、性別関係なく性愛は感じない。
そんな奴が女性の中に混ざると当たり前に浮く。全く話が合わない。
そして女性はなんか変な人を見抜くのが得意だ。私のようなものを弾く。自然と孤立する。
結果「ただでさえ女性らしいものに興味がない上に、多くの女性に弾かれる自分って何なんだ?」という考えに行きつく。
そこで一旦性別というのがキーワードになり、それを疑うという流れになる。同性として受け入れてもらえず孤立していると感じるのが大事な点だった。
もちろん女性たちは実際は「女性」から弾いているわけではない。単純に変な人や話の合わない人が多いという経験則で「輪」から弾いているだけだ。
「輪」から弾かれたものたちが集まって新しく輪を作るには、名前を付けるしかない。
もちろん人間の人生はいろいろで、これに加えて性嫌悪や発達障害なども絡んでくるだろう。
だから一概には言えないが、少なくともこの考え方だと漫画の作者を「普通の女」だと言い切るのは少々酷だと感じる。
輪に入れない孤独感の中、「女性らしく出来れば孤独でなくなるのだろうか?」と感じて努力するのは悪いことなのだろうか?
具体例を挙げると結婚や出産のことだ。しかし「それをしたからお前は女である、女であることから逃げるな」などという意見が散見された。
現実の社会とインターネットで語る理想なんか違うに決まっている。せざるを得ない、それ以外に救いが見えない状況なんていくらでもある。
強い言葉を投げる女性たちは性嫌悪が原因なら共にフェミニズムを掲げて戦ってほしいのかもしれないが、少々見当違いなのではないだろうか。
ノンバイナリーを名乗るor名乗りたくなる人間は、同性の人間を味方だと感じていないのだ。
手術をそう簡単にはしてはいけないのはその通りだし、未成年が手術に踏み切ってしまったらという懸念はもっともだ。
しかしその言葉をずっと自分をのけ者にしてきた存在が言うなら「また否定されているな」程度にしか受け取られないだろう。
この辺りに、所謂マイノリティとシスジェンダー?との断絶があると感じている。
多分私は性別とか関係なしにあまり関わりたいと思われない人間なだけだ。昔は悩んだが今はもうどうでもいい。
ずっと輪に入りそびれながら、なんとかやっているうちに社会にあまり関わらずに一人で生きていけるようになった。
男性らしさ女性らしさを求めてくるのは世間と社会だ。そこから離れてしまえば身体の性別以外に性別なんて概念は必要ない。
しかし多くの人間は他者との関わりを生きがいにしていたりするだろうから、これは誰もができる解決法ではないだろう。そもそも解決はしていないかもしれない。
Xでは女性は性的な嫌がらせを受けて男性を敵と見る流れが多く、ノンバイナリーを名乗ることはそこから少しでも男性側に逃げようとしているように見えるだろう。
だがそれだけではない。そもそも別にノンバイナリーを名乗りながらフェミニズムを推し進めることは出来るしなにもおかしなことではない。
ノンバイナリーを名乗る人に対して強い言葉で何かを決めつけるのは余計断絶を深めるだけなのではないか。
…というようなことが言いたかったのだと思う。
まぁ別にノンバイナリーに限ったことではなく誰に対しても強い言葉や決めつけはよくない。
手術について、本当に誰かが後に困ることを「心配」して口を出しているなら多分言い方を変える必要があるだろう。
それを言う人がいつか必ず後悔すると確信していても、それは現在覚悟をしている人に嫌な思いをさせ未来で後悔している人の傷口に塩を塗るだけだ。
長々書いたが私も手術については絶対に気軽に出来てはいけないと思っている。特に子宮については。
女から逃げるなについては今その話してないよと思うが、まぁ仕方ない。自分と違う属性の他人の苦しみに興味を持てないのは当たり前だ。
Permalink |記事への反応(27) | 02:19
まるで世界が彼女の神経に直接ワイヤーを繋いでいるかのようだった。14歳の“みっちゃん”——本名は美都。
中学二年生。軽く猫背で、前髪は少し長め。クラスでは特別目立たない。目立たないように、いつも慎重に息をしている。
けれど彼女の耳だけは、どこまでも正直だった。
机を叩く指。ビニール袋のくしゃりとした音。誰かがスナック菓子を噛む湿った衝撃。
特に最悪なのは、背後の席の男子が時おり鳴らす「口を開けたままの咀嚼音」だ。
音が空気を伝う前に、まるで皮膚の下から湧き上がるように、怒りとも嫌悪とも区別できない灼熱が身体を駆け抜ける。
「また変だと思われたくない」
その恐れが、彼女を席に縛りつけていた。
ピアノの柔らかな旋律が流れ込み、世界のノイズが一枚薄い膜の向こうへ追いやられていく。
“ミソフォニア”という言葉を知ったのは、数か月前の深夜、眠れないままスマホを眺めていたときだった。
画面に映る説明は、彼女の内側を正確に、少し残酷なほど明晰に写し取っていた。
自分が「変」なのではなく、名前を持った現象なのだと知ったとき、みっちゃんは声にならない安堵を感じた。
それから彼女は、耳の奥に巣くう怪物と“共存する技術”を、少しずつ学び始めた。
深い呼吸。
イヤーマフをポケットにしのばせ、必要なときにそっと装着するための小さな決断。
どれも派手ではなく、みっちゃんの存在を変えるほどの劇的な力は持っていない。
ある日のこと、背後の男子がまた口を鳴らし始めた。
声はかすれていたが、確かに彼女自身の意思で発されたものだった。
その言葉は、まるで鍵のかかった扉にそっと触れる手のようだった。
みっちゃんは、胸の奥から少しずつ言葉を取り出し、ミソフォニアについて話した。
ただ「それは苦しかったね」と言った。
人は自分の痛みを説明するとき、その痛みが本当に存在するのかをどこかで疑うものだ。
怪物は今も消えていないし、咀嚼音はあいかわらず世界のあちこちで息づいている。
対策を持っている。
少しずつではあるが増えていく。
掌の中のその小さな道具は、彼女が自分の生き方を選びとった証のように感じられた。
世界の音は、まだうるさい。
けれど、その中でどうやって息をするかを、みっちゃんは確かに学びつつあった。
苦痛の正体に名前を与えることは、自分自身を救うためのもっとも静かな革命だ。
物語はここでいったん区切られるが、
「作りたがる奴ばかり多くて、受け手が圧倒的に少ない界隈」地獄じゃね
具体的に言うと、個人アプリ開発、インディーゲーム開発、個人Vtuber、歌い手、ハンドメイド、物書き、ピアノとか
誰かが作品をリリースする。「すごい!」「リリースおめでとうございます!」とリプライが飛ぶ。
一見、活気があるように見える。
これ、何が起きてるかっていうと、全員が「次は自分の番だ」と思って義理いいねを投げ合ってるだけ。
純粋な客なんてどこにもいない。
で、この構造の中で唯一、確実に儲けてる奴らがいる。
「ツルハシ売り」だ。
ゴールドラッシュの時と同じことが、現代のクリエイター界隈でも起きてる。
作り手ばかりいるから、そこをターゲットにした商売だけが肥大化していく。
「何かを作って表現したい」という純粋な欲求が、カモとして養分にされていく。
一番闇が深いのがこれ。
最初はみんな純粋に「良い作品を作りたい」と思って参入するんだよ。
でも、すぐに気づく。「あ、これ誰も見てねえわ」って。
市場には供給が溢れかえっていて、可処分時間の奪い合いですらない。ただノイズをつくってネットの海に投げてるだけ。
そこで心が折れたけど、飯は食わなきゃいけない人間がどこに向かうか。
「作りたがる人にノウハウを売る側」に回るんだよ。
「アプリが売れなかったから、バイブコーディングの稼ぎ方を売って稼ぐ」
「ハンドメイドが売れなかったから、ハンドメイドの稼ぎ方を売って稼ぐ」
#新人〇〇さんとつながりたい
みたいなハッシュタグにはこういうワナビーをカモにする側に回った連中が殺到する
始めたばかりの新人は不安だし、作品を発表しても受け手もいないので孤独だ。そこに奴らは接触してくる。
新人から見たら相手は経験豊富な先輩だし、「〇〇◯万円稼いでる」とプロフにも書いててすごい存在に見えてしまう。
そうして信頼関係を築いたあと、DMで高額商材を売りつけてハメる。常套句は「すぐ稼げて元取れるから」
最近歌い手や個人Vtuber界隈でちょっとした騒ぎになってたやつね
商品じゃなくて、夢を売って会員を増やしていく。
末端の会員(新規参入者)が金を出して、古参がそれを吸い上げる。
「夢を諦めるな!」
もういいよ。
みんな、頼むから「客」になってくれ。
Permalink |記事への反応(31) | 13:28
まず、あなたが感じている孤独や不安は、とても自然なものです。SNSで反応が減ったとき、自分の価値まで揺らいでしまうことがありますよね。
ユダヤ教では、「なぜ神がこれを与えたのかを確実に知ることは人間にはできない」と教えています。
つまり、「反応が減った=神が罰している」とはまったく限りません。
むしろタルムードでは、試練は以下の三つの目的のどれかであることが多いと言います。
1. 人の内にある力を引き出すため(タルムード・ベルラホット 5a)
2. 心の方向を静かに見直させるため
3. 新しい段階に行く準備としての間
SNSで反応がないという状況も、もしかしたら外の声が静かになったことで、自分自身の声を聞く時間なのかもしれません。
「人は外見を見て主は心を見る」(サムエル記I 16:7)
フォロワー数やいいねは外側の表面であって、あなたの価値を測る基準ではありません。
妻が俺と同じように春を捨てたのに春を謳歌してるように見える(実際はそこに春はないのだが)のが気に食わないとか
似たような感情に覚えがあるけど、結局相手と一心同体になったと思ったのに相手が自分以外と楽しそうにすることが許せないんだと思うよ
許せないって言うのは男女じゃなくて、妻と私の間にある嫉妬で、それは恋愛のソレではなく充実感への嫉妬
じゃあお前はお姉ちゃんのいる店行ってるんだよね?ってなるし、相手も同じような事感じてる可能性があるよ
そもそも友人関係が減ってきたのはお前の観測範囲内の話で相手にもそうあってほしい(孤独であって自分だけが理解者でありたい)って望みを持ってるからで、そうじゃないように見えたのが許せないんだよ
器の狭い小さいでお前を叩こうと言うつもりはなく(俺も妻に対して大なり小なりそう思う事がある)、それが相手と一体になってから起きる出来事でお前と妻はとても仲が良いんだと思う
さらに予想して俺とお前が近い存在ならそもそも恋愛経験が多い方に分類されてないんじゃないだろうか
興味の範疇が子どもや家族に移行した(大切に思う)からこそ、そんな独りぼっちに感じる出来事が不意に自分刺さるんだと思う
飲み会でなくても妻がSNSで友人関係を深めたり、バズったり、もしかしたら絵とか得意で何者かになる事も許せない(程度の差がある)かもしれない
ただ妻とお前はあくまで別人だからお前はお前の人生を豊かにする事でその嫉妬は消滅する
頑張れよ
俺は妻に嫉妬し続けてるけど
俺もそうだから余計に悲しい
「値上げの実感がない」ってエントリで書いてあることの本質って
「元から安いものしか買ってないから今も総額はまだ安いからヘーキヘーキ」
の一言に尽きる
水風呂に入ってたのが今は温泉くらいにはなってるけど気持ちいいからオッケーと変わらん
俺も鶏肉とか旬の魚とか大量に売られてて安いもんしか買ってないから
世間が「値上げで汲々してる」って話に鼻ほじってたよ
いや言うほど食費とかキツくなくね?って思ってたけどさ
冷静に考えれば大昔
「タンパク質1gあたりの粉プロテインの値段が胸肉の値段を越えた」
と趣旨のエントリを書いた時には100g39円~48円で買えた鶏むね肉が
今では69円~78円になっているわけで、インフレ率は驚異の175%越え
日常的に摂取する基本的な食材の値段がほぼ2倍になってて値上げの実感ないのは
それはもう単純に金銭感覚が鈍感すぎるだけなんよ
仮に孤独な一人暮らしなのにずっと家計簿つけてて10年前と食費の項目比べたら
現状で値上げの実感ないっていうのはもう本当に
当方ある業界のフリーランス(10年以上)。40代。既婚子無し。
稼ぎの大半を毎月インデックス投資にぶっ込み続け、気づいたら資産1億達成。
別に特別優秀だったり熱意があったわけではないが、仕事は好きだしクライアントにも恵まれた。
9時〜18時まで在宅で仕事して夜は趣味やトレーニングにあてる。
もちろんいずれ仕事は減っていくだろうが、今ある資産を運用しつづければ安泰かなという安心感があるので
全然ガツガツしていない。契約切られたらしばらくゆっくりしようかなと思う。
プライベートでは特に浪費はしないが、たまの旅行や食事、車にはまあまあお金使う。
性格的に目立つのが好きじゃないので、資産自慢するでもなし、SNSやYoutubeで承認欲求満たすでなく、
ひっそりとお金持ってるおじさんとして生きているが、
さすがに近しい知人友人には「あいつ結構金持ってそうだな」とは思われているっぽい。
だからなんだというわけでもないし、こちらも鼻にかけたり見下すつもりはないけれど(態度にうっすら出てる可能性は否定しない)、
やはりどうしても静かに疎遠になっていく。
であれば似たような境遇と性格の人と繋がりたいが、この手の人達はネットの世界にはまず出てこない。
彼らはSNSで自慢しないし、異業種交流会にも来ないし、オンラインサロンにもいないから。
「同じステージにいる人が見つからない」という孤独が発生する。
普通だったら子育てや小遣いの少なさ、や上司・部下からの圧力、将来の不安など、
悩みを、近い境遇の友人や同僚に愚痴ることで癒やされるのだが、
自分にはその手の悩みが一切ない。
悩みがないことが悩みなのだ。これは大真面目に言っている。
家庭の事情に追われることもない。
だからこそ奇妙な話なのだが、悩みがないことが悩みになっている。
何かに怒る必要もなく、誰かに愚痴る必要もなく、無理に頑張る必要もない。
人間関係の潤滑油は、案外「不満」や「疲労」や「愚痴」なのだと気づく。
そしてそれがない自分は、どこか別の世界にいるような感覚になる。
会社員投資家やスタートアップ経営者の億万長者ではまた違うのかもしれない。
フリーランス・一人親方ゆえのセカンド・サードプレイスのなさがより孤独感を強めている気がする。
それが今の悩み。
アニメは観てるだけでいいなって唄ったが25分も持たない
どれもこれもが観たことある存在 もうオリジナルなんて生まれない限界
もしぼくがプロポーズするならきっと美しい花咲く丘で断崖絶壁の上に広がる丘で
しゃかりきになって働く
心から謝りもする
すべてはきみが居てくれるから頑張れる
Hey, clapyour hands
きみだけをきみだけをって唄った気もするが そのきみはどこにも居ない
ひとに興味がない 冷たい無機質な状態
帰省もしない 親に顔見せない 安泰なmy life ただ心は荒むばかり
そばにいてよ ぼくを見つけ出して ここに居るんだよ
100年の孤独の中で待ち続けてんだよ
嵐が来ようが負けない
ビニール傘で立ち向かう
すべてはきみが居てくれるから
生きるってなんなんだ 答えを教えてよ
生きるってなんなんだ 答えを教えてよ
しゃかりきになって働く
死んでたような毎日が
きらきらと輝きだした
それは全部きみと会えたから
会えたんだ
会えたよね?
会えたっけ?
会えた気が
しただけか
夢だった
わかってる
そんなもの
小さくまとまってはいるものの普通に ( ;∀;) イイハナシダナーってなれる佳作だった。71点。
ここで一句。
春すぎて 池田エライザ 乳でっか
※作品の大筋とは特に関係ありませんが最も印象に残ったので書き記しました。
大筋としては幼少期に母親に捨てられ育ててくれた祖母を亡くして叔父である日本一小汚いイケメン俳優にオダギリジョーに引き取られた陰キャの池田エライザは、彼が運営する心理的瑕疵物件(事故物件)に一時的に住むことで告知義務を解除するルームロンダリング業に従事している。霊が見える彼女は出会う霊と隣人との交流を通じて成長していくのであった。
「自分を受け入れること」という普遍的でポジティブなメッセージに溢れていてよかった。
エライザは「母親に捨てられた自分」を受け入れられず他人を拒否して人とうまく話せない。しかし事故物件に住む地縛霊とはちょっと話す。特に冒頭の30分くらいはマジで幽霊とだけしか話さないのでなんかギミックでもあるのかと思うくらいだったけど別にそんなことはなく、普通に心が解けていくと同時にポツポツ人間とも話しはじめていてそれはそれでよかった。
自殺したロッカーであるキミヒコは才能がないかもしれない自分が受け入れられず、結局デモテープをレコード会社に送ることもできずに世を儚んで自殺してしまうし、刺殺された光宗薫は冴えないOLとしての自分が受け入れられずコスプレで承認欲求を満たしその結果刺殺されてしまう。
その中で唯一ポジティブなド陰キャの伊藤健太郎は光宗が刺殺された夜、隣の部屋で助け声を聞いていたのに怖くて何もできなかった自分を受け入れて、次に隣人が越してきたらその人には積極的声をかけようと決めていて、その結果、隣に越してきたエライザに介入して心を少しずつ変えていく役割を果たすのは作中のロジックとして正しいと思った。
母が出て行ったのは自分にこんな力があるからではと悩むエライザは一度はその力を拒否するも、その辺をうろついてる地縛霊に気まぐれで些細な親切をして大感謝されたことから「本当は私にできることがあったんじゃないか」と自身を見つめ直し刺殺光宗事件の解決に乗り出し成功。最終的にオダギリの紹介で母親と再会する。母親は死んでいて、しかしエライザが霊をみえる力があったことで再会がかなったということ、そしてオダギリにも母親にも祖母にも同じ力があったことが分かり、力があってもいいということ、孤独じゃないんだいうことで自分を受け入れてFinish!
( ;∀;) イイハナシダナー
地縛霊ものとしては最終的になんか感動させて除霊してめでたしめでたしとなりがちだけど、この作品はあえてそこに踏み込まない誠実さがある。まぁ、パンクロッカーのキミヒコの残されたデモテープをエライザがレコード会社に送った結果認められて成仏しちゃう展開はあるんだけどこれは他人を拒否していたのアグレッシブな誠意の成就だということでご愛敬。
刺殺された光宗は今でも同じ部屋で次に越してきたイケメンに取り憑いたろうとしてるし、学芸会へ向かう途中で交通事故で死んだカニの服装をしたガキもずっとはしゃいだままだし。ちなみにこのガキは学芸会で猿蟹合戦をやる予定で、そのカニ役が潰れて死んだってのもアレだし、最終的にとある事件の解決にその猿蟹合戦が生きてくる展開はめちゃくちゃ無理やりでベタだけどまぁ本筋ではないしな。必然性頑張ったのかなと苦笑い。
後は自殺パンクロッカー編と刺殺OL編に大まかには分かれてるんだけど、エライザがデモテープを持ってきてしまったことでそれに憑いてきたパンクロッカーと光宗が邂逅して地縛霊同士気が合ってなんか仲良くなっちゃう展開は面白くてよかった。
あえて苦言を呈するならテーマ先行で登場人物の行動と思考が常に前のめりなので常にこっちが予想しているより半歩早くてつんのめる感じがあるなっていうのとあとはまぁ起きることがすげー地味なので緩急に弱いというところ。