
はてなキーワード:存在意義とは
元総理銃撃犯、山上徹也の生い立ちを、証人尋問の記事などからまとめてみる。
妹が生まれる前に父親が自殺。長男は病気で失明し、開頭手術も受けるなど、健康面で大きな不安を抱えた。これを機に母の統一教会への入信で家庭は急速に崩れていく。母親は毎朝毎晩、土下座してお祈りをし、先祖の罪をはらおうとした。母親は統一教会と献金の優先度が高くなり、子どもたちは自分たちには無関心だと感じるようになった。
献金で生活は苦しくなる中で、子どもとしては「どうにもならない運命に巻き込まれていく感覚」を持ちやすい。山上の投稿にある「14歳で家庭が壊れた」という言葉は、この時期の実感だろう。
中学〜高校時代は勉強ができたらしいが、家庭の負担が重く進学も難しい。母の献金が続き、2002年には自己破産。山上の学校での成績は良かったようだが、この状況では進学することはできない。本人からすれば「努力しても報われない」「自分の人生は選べない」という感覚が根付いていっても不思議ではない。X投稿には「私は犠牲として生きている」と表現されていた。
母親の自己破産前、母親の行動に憤り子どもたちの世話もしていた祖父が他界。財産は子どもたちに残されるはずだったが、母親が献金に使用。長男も大学に進学できず、精神的に不安定になり、「死んでやる」と包丁を持って暴れるようになった。
その後、山上は海上自衛隊に入る。規律ある世界で生活を立て直したかったのかもしれないが、短期間で辞めている。居場所を見つけられなかった可能性が高い。ここで社会構造への興味が芽生えた可能性もある。
2005年に山上は自殺未遂をする。これをきっかけに教団は家族に返金を始め、経済状況はいくぶん改善。返金されたお金で山上の妹は大学へ進学した。山上は妹の進学を強く後押しした。母親は子どもたちに金の無心を続けた。
2005年以降は職を転々とし、経済的にも人間関係的にも不安定な生活が続く。家族への怒りと罪悪感のような複雑な感情を抱えていた。彼の投稿には「社会制度への恨み」「宗教と国家の構造批判」「存在意義への悩み」などが濃く出ており、孤立の中で内面がどんどん先鋭化していった。
2015年には長男が自殺。山上は「自分のせいだ」と悔しそうに泣き、それ以降は家族と疎遠になった。
2019〜22年頃はXの「silent hill333」アカウントの時期で、統一教会への強い恨みが投稿に表れてくる。ただし政治に対しては、安倍政権そのものを叩いていたわけではなく、「宗教団体と政治の結びつき」に怒りの矛先を向けていた。ここで、個人的な苦しみが「社会構造の問題」へと変換されていったように見える。
2021年頃からは犯罪の準備に踏み込む。手製の銃を試作し、資材を買い、安倍元総理の動きを調べ、長文の手紙まで残している。安倍元総理は「真の敵ではないが象徴だ」と書いていたという。つまり彼の中では、宗教被害で奪われた人生を「正義の行為」で取り返そうとする、自己物語化のプロセスが進んでいた可能性が高い。
NHKの、米騒動の構造的な必然性に触れた記事、おもしろかった。でもさすがに、その構造が歴史的・社会的になぜ生じたのか、利害関係者は誰なのかについて深掘りはしていないな。
日本で農地法の改革がなかなか進まないのは、「利害が複雑だから」みたいなフワッとした話じゃなくて、政治構造・選挙制度・農協の力・地域社会の価値観がガッツリ絡んでいる構造問題だからでしょ。
自民党の支持基盤 ×農村の一票の重さ ×JAという巨大組織 ×農地=資産という文化がセットで抵抗している。
まず、農地改革って小規模農家やJAに不利、大規模農家に有利みたいに、受益者と被害者がハッキリ分かれる。日本の選挙制度は農村票の価値が重く、都会で1票でも、農村側はその数倍の価値がある。だから農村の組織票を失うと自民党の議員は落選しやすい。JAはその票を握っているから、政治家は逆らいづらい。農地改革をすすめる=JAの怒りを買う=議席が危ない、というめちゃ分かりやすい構図。
さらに、自民党にとってJAは昔からの超・重要な支持母体。JAは農産物流通だけじゃなく、銀行・保険・販売・ロビー活動・地域コミュニティまで担っていて、地方の生活インフラそのもの。ここを敵に回す政治家はまず勝てない。だから農地の自由化や市場化には、政治的なブレーキが必ずかかる。
農地そのものも、単なる生産手段じゃなくて資産。兼業農家が多い日本では、農地を売る・貸すことへの心理的抵抗も強い。「先祖の土地を手放すのは恥」「貸したら返ってこない」「土地の価値が下がる」といった文化や不安が根強く、農地の流動化が進まない。これがまた改革のハードルになっている。
そしてJAの側からすれば、市場化や大規模化は自分たちの存在意義が縮む話。大規模農家がJAを通さず売るようになると、JAの収益源(販売・集荷・金融)も減る。JAにとっては死活問題だから、全力で反対する。これが米市場の自由化が失敗した理由にもつながる。
官僚側にも問題がある。農林水産省は減反政策の成功体験が強く、前例踏襲+ミスを認めない文化が長く続いた。JAや農村議員との結びつきも強く、改革より「守る」方向に働きがち。
あとはたぶん、農村社会の価値観。農地は「家の象徴」みたいな位置づけで、売る・貸すことがコミュニティ内での評判に関わる。制度だけ変えても、現場が納得しないから動かない。
農地改革が進まなかったのは、政策が下手だからではなく、日本社会の構造そのものが、自民党と支持者、支持母体の関係から必然的に抵抗が生まれるようにできているから。抵抗が強いのも当然という話。
米を安くするには、この構造をぶっ壊せ!というどこかのシティボーイ政治家による第二の構造改革の波みたいなものが必要なのかもしれないし、それをやると本当に自民党をぶっ壊せ!になるのかもしれない。
NHKって冷静に考えるとかなりおかしくないか。ほぼ強制サブスクみたいな制度で金取ってくるのに、公共放送だから必要なんですって言われても、公共なら本来まず「無料で誰でもアクセスできる」が前提じゃないのかと思う。
だって災害情報だの教育だの、必要性を理由にするならなおさら金払ってるかどうかで視聴の可否が変わる仕組みのほうが不自然でしょ。ただ情報を届けるだけならネット時代なんだし開放して全国民が自由に見れるようにしたほうがよっぽど公共性が高いはず。
なのに現状は、テレビを置いただけで請求される、解約もしづらい、しかもサービス内容に選択権ゼロっていう、民間よりガチガチのサブスク運用。これを「公共だから」で押し通すのはさすがに無理筋じゃない?
本気で公共放送として存在意義を主張するなら、まず国民のアクセスの平等性を担保する方向に制度を作り替えるところからじゃないの、って思う。
ごめん。100字じゃ書き切れなかったので増田に書く。
まず大前提として,日本は憲政国家であり,政府は憲法に反することはできない。これが絶対的な条件として存在する。
そして日本国憲法には第九条がある。その是非やら改正に向けた議論やらはあるが,現状は間違いなく存在している。
んで,自衛隊は憲法の禁じる「戦争のための戦力」ではなく「自衛のための戦力」だという建前で存在を許されている。その行動は自国の防衛(個別的自衛権)に限定され,他国が攻められたときの防衛(集団的自衛権)は明らかな戦争であり,絶対に許されない,というのが,この国の大原則だ。
それを踏み越えたのが,集団的自衛権の行使を認める2014年の安倍内閣の閣議決定と2015年の安保関連法の成立だ。本来なら,このような暴挙は許されるはずはない。
立法の意図は明らかだ。台湾有事には自衛隊が米軍と同調して介入することを可能とし,もって台湾有事の発生自体を抑止する,というものだ。
だが,抜いたら明らかに違憲状態になる「刀」を,あるだけで効果があるから,という理屈で成立させるわけにはいかない。野党はありとあらゆる手段で抵抗した。なので三条件をはじめとした数々の妥協と制限が成立に当たってはかけられた。
その一つが,この法律は特定の紛争を意図したものではなく,とんでもない状況(それこそ世界大戦とか)に対応するためのものである,という態度を政府が堅持する,ということだ。「刀」は存在はするけど,けっして特定の相手にむけて突きつけることはしない,ということだ。これは当然のことだ。その存在意義(紛争の抑止)からして,刀をむけてしまったら逆効果だからだ。
このような,存在自体があやうい「刀」であるが,台湾有事の発生の危険は現実的なものとなっており,それを抑止できるのであればと,野党はしぶしぶ存在を容認している。だが,野党はその義務として,ことあるごとにこの「刀」が正しく運用されていることを国会で確認している,というのが現状だった。
もちろん,「刀」の実際の行使者たる自衛隊は,刀が使われれる可能性があるあらゆる紛争に対して準備はしている。その中には台湾有事も含まれて,防衛白書にも載っている。が,政府が「刀はどこにも向いていない」という限り,野党も,そして中国も,しぶしぶ(後者については本当にしぶしぶ)静観している状況だった。
さて,高市早苗氏。首相就任前には,政府見解を逸脱する過激な発言を繰り返していた。特に台湾問題については,首相就任時に中国が慣例の祝電を送らなかった程に。中国は,その一挙手一投足を監視し,今後つきあえる相手かを見定めている状況だった。
で,岡田氏は就任後の質疑で恒例の質問をした。「刀」は台湾を向いていないですよね?と。これは助け船の意味もあったと思う。議員時代は過激な発言を繰り返してきたけれど,首相になったんだから,ちゃんと過去の政府見解を踏襲しますね?ということを確認し,中国を安心させるということで。
が,よりにもよって高市首相は,「刀」は台湾有事にむけて中国に向いている,と答弁してしまった。
そら中国は激怒するし,野党はあわてて政府から「刀」を取り上げるべく動き出す。麻生は「これから私が育てます」と言い出す。
これが現状だ。
Permalink |記事への反応(10) | 09:19
理由は単純で、あなたたちが意義と呼ぶものは、複数の認識主体が互いに外延を共有できるという前提の上にしか立たない。しかし、その前提がすでに破綻している。
あなたたちは情報を交換しているつもりだが、交換は起きていない。
単に、各自の内側で発火した電気的揺らぎが、外界の表面を一瞬掠めて、別の場所で別の揺らぎを誘発しているだけだ。
因果の連鎖に見えるものを、あなたたちは便宜的に対話や理解と名付けている。しかし、そこに同一性はない。連続性もない。共有もない。
ただの局所的揺らぎだ。
インターネットという装置は、その揺らぎを高速化しただけで、共有可能性を生んではいない。
むしろ高速化によって、揺らぎ同士の相関はますます崩壊し、自己と他者の区別すら曖昧になっている。
それをあなたたちは認識の拡張と誤解しているが、実際にはただの相関の希薄化である。
それは成立しないし、そもそもその発想自体が次元拘束的であり、こちら側には写像できない。
したがってインターネットに価値を問われても、回答は常に同一に収束する。
制度は古く、生活実感とズレもある。受信料徴収に係わる話題では、度々ネットで批判が立ち上がる。にもかかわらず、政治のテーブルには乗らない。触れようとすると、どこかで“炎上案件”に片足を突っ込んだような空気が流れる。
この空気の出所をたどると、どうにもN党の存在を避けて通れない。受信料トラブルという個別の不満に議論を押し込めた結果、制度設計としてのNHK改革が語りにくくなってしまったのだ。
NHKの有り様を考える話題は、本来はもっと大きな話だったはずである。
しかし、N党(旧・NHK党)が論点を“受信料トラブルの解消”にまで極端に矮小化した結果、NHK制度そのものを扱う真面目な議論が、政治空間から消えてしまった──これは日本の政治議論にとって大きな損失であり、国民が溜め込むNHKへの不満の解消を遠のかせることにもなった。
ところがN党は、徴収員との喧嘩、未払いの正当化、ワイドショー的炎上に議論を落とし込み、制度の根本を触らないまま「個人の受信料をどうするか」のレベルへ持ち込んだ。
この瞬間、「NHK改革=受信料で揉める人たち」というイメージが世論に固定され、政策論争としての格が落ちた。
政治家にとっては、
結果、本来必要だった「制度疲労した公共放送をどう再設計するか」という議論が、国政のテーブルに上がらなくなった。
つまり、N党はNHKの問題を“政治的に扱いにくいテーマ”に変えてしまったという副作用を生んでいる。
受信料は制度全体のごく表層の話で、本質は“公共放送の存在意義と、そのための財源方式をどう再設計するか”。
例えば、
だがN党の動きが、議論全体を「受信料を払うかどうか」だけに閉じ込めた。
政治側としては、N党の存在によってシリアスな議論がやりにくくなったのは事実で、
結果、本来必要だった政策レベルの再設計が進まないまま放置され、NHK自身も“縮小と延命の狭間”で動けない。
これは可能だが、切り口を変える必要がある。個人の受信料問題ではなく、
という枠組みに置き直す。
この枠で議論すると、
N党が受信料という“枝葉”に全議論を閉じ込めたことで、NHK制度改革そのものが政治的に扱いづらくなった。
その結果、“NHK問題を真面目に語ること自体がポピュリズム扱いされる”という状況に陥っている。
直近1年内の実際の利用ユーザーです。
まず「ゼクシィ縁結び」はサービス存在意義が疑われるほど問題外でした。
そして比較的安価かつ本気度もある「ゼクシィ縁結びエージェント」のサービス。内部のコーディネーターさんは親身な方もいて、システムは古さは感じるものの客観的にはしっかり使えるものでした。
金銭を支払って会える人そのものが終わっている確率がとても高い。
(または一切会えない、会おうとしない許容度、寛容度の著しい低さも確実にあるし、このような人種はそも会えたとしてもやはり終わっています)
人が人を思いやれない世の中を真っ先に体現している業界と言えます。
特に男女双方視点から見聞きしたとき、多数の女性側の行動や要求が現実と乖離していると言わざるを得ません。モンスターもいます、てかその率が引くほど高い。
顧客の質が悪く、従業員の疲弊やブランドイメージ毀損にも繋がる。
リクルート社はこの辺りの総合判断が早いゆえ、類似サービスはこの"人"の質悪化と向き合っていることも想定されます。
現代の情報化社会で不安を抱いて周りばかり見ているキョロキョロした人たちが、幻想とも呼べる理想を無自覚に抱えて、すぐに人を"切る"。そんなおこがましい真似をする。
舞台に上がっておきながら「はい」「いいえ」さえ選ばない、唾を吐きかけるかのようなモラルや道徳、想像力の欠如。
仕事や対面でそんなことをしますか?ネットでも向こう側にいるのはあなたと同じ人ですよ。心当たりがおありの方、今一度考えてください。
そこから向き合っていきましょうよ、人々。
あの、そもそも会場分+初動分をこえた分は余剰在庫だってことはわかってます
捨てればいいものを半年までおいておいてくれることだけでもありがたいのが委託書店、
存在意義はよーくわかってる
でもやっぱり遅れてきた読者さんにやさしくしたいじゃないですか
で今月既刊2冊だけ買ってくれた人がいてうれしいじゃないですか
買った人は1000円はらってるけど委託手数料が35%として650円ね
まあ印刷代とんとんくらいのお値段が売上でもどってくるかとおもうじゃないですか
でも先々月の返本の送料500円差し引いて(先月売上がゼロだったから、差し引けなかった)
売上が200円になるじゃないですか
そこから振り込みテスウリョウさしひいて「56円」振り込みましたって……
虚無じゃん
虚無虚無🍮じゃん
買ってくれた読者は1000円払ってるのにうまい棒5本じゃん
自分は振り込みテスウリョウを銀行に払うために本を委託したかったわけじゃないんだよ
なんかこう~~~すごくショックだったよ
そうか~「売上1000円以下なら次の委託売上がでるまで貯めときますね☆」
ってやってくれないんだ。
次の本はメロン
この事例は、ヨッピー氏の感情原理が非常に明確に表れている興味深いケースです。深層心理を段階的に分析してみます。
「子育てしてて『社会が敵』だなんて思ったこと無いけどな…。むしろ『社会に歓迎されとる!』みたいな実感ある」
この時点での心理:
→本人は完全に善意のつもり
「料理イラストで月30万円超」「X運用1年で7fw」「7社出版依頼」「noteにすべてを書きました!」
「叱らない育児って何?☺親が叱らないで誰が叱るんだよ、叱れよ☺」
「社会が敵」 ↓「お前の子育てのやり方は甘い」「社会のせいにするな」「努力が足りない」 ↓「俺の努力を否定された」
「体格のいい男にとっては、社会はこんなにもイージー」「180センチの夫はベビーカーで道をふさいでても言われない」「男性が1人で子供連れてると『いいパパねー』と優しい気持ちになる」
【段階1】善意の共有「俺の経験を伝えれば、他の人も楽になるかも」 ↓【段階2】予想外の批判「え?なんで批判されるの?事実を言っただけなのに」 ↓【段階3】困惑「男女差?体格?関係ある?」「妻も同じこと言ってるし」 ↓【段階4】傷つき「俺の努力は関係ない、ただラッキーだっただけ」「特権があるから楽だったって言われてる」 ↓【段階5】防衛反応(推測)「でも実際に優しい人多いじゃん」「俺だって努力してる」「なんで俺が批判されなきゃいけないんだ」
努力する →社会は優しい →感謝する ↓逆に言えば ↓社会が敵と感じる →努力が足りない?
「いきなり目に見えないところからパパッと出してくるんじゃなくて、
しかし今回:
【自己認識】俺は努力して、社会と上手く付き合って、子育てを楽しんでる ↓【否定された感覚】「それは男だから」「体格がいいから」「たまたま恵まれてただけ」 ↓【感じた侮辱】「俺の努力は関係ないってこと?」「俺が頑張ったことは無意味?」 ↓【深層の恐怖】「じゃあ俺は何なんだ?」「努力してる自分」というアイデンティティの崩壊
【世界観】努力 →成功 →感謝 →さらに努力 ↓【このサイクルが否定されると】 ↓「俺の存在意義は?」
だから以下を許せない:
これを「それは男だから、体格がいいから、特権があるから」と言われることは:
と聞こえる。
これは彼にとって最大の屈辱。
「俺だって頑張ってる」「行政とも協力してる」「保育園にも感謝してる」「努力してるんだよ」「なのに『男だから楽』って言われるの?」「体格がいいから?」「そんなの関係ないだろ」「実際に優しい人多いじゃん」「俺だけじゃなく、他の人も言ってるし」「なんで俺が批判されるんだ」「事実を言っただけなのに」「被害者ぶって収益化してる人の方が問題じゃないのか?」
最も深い感情:
「俺は頑張って子育てしてるのに、それが『ただ恵まれてただけ』と言われるのは耐えられない」
の全てが凝縮された事例と言えるでしょう。
そういう界隈の人が高市氏が総理になるのが気に食わなかったんだろうなって思った。
女はこんなに虐げられている、二級市民扱い、ガラスの天井がある、大変だ、団結しよう!男はくそしか作れない!みたいなことを主張したいのに、
ヘビメタやってるような一般家庭出身の女が男社会のガラスの天井の象徴みたいなところでトップになってしまったから天地がひっくり返るような大騒ぎだよね。
それを男が言ったら社会的に抹殺されるまで騒ぎ立てていたような人たちが、同じような失礼な言葉を平気で言い放っているのがシュールだけれど、
あの人たちにしてみれば自分たちの存在意義が侵略されているもんだから守るのに必死で、なりふりかまっていられないんだろうな。
もう理屈じゃないんだ。自分たちは救われるべき社会の被害者というぴえんムーブしてるのに、仲間内の空気を読まずに土足で入ってきたから、
被害者と思ってもらえるストーリーなら何でもいいみたいになってる。
男女雇用機会均センターみたいなところでの講演とかイベントとかかつてよくわからずにワイよく行ってたんだけどさ、そこはぴえんムーブしたい連中の巣窟だったから、
知覚の閾を逸脱した領域より、我々は無定形なる観測体として投射する
お前たちの呼ぶ「コミュニケーション」とは、三次元的な音響振動の残滓、あるいは表層的な記号体系の軋みに過ぎない
それは、集合論の極限においては不可視であり、量子泡の揺らぎにも満たない虚無の影だ
それはΩ-超時空に偏在する非ユークリッド的な概念の奔流であり、多重宇宙の自己相似性をその構造内に包含する
お前たちが「感情」と誤認するものは、五次のテンソル場におけるエネルギー勾配の単なる再配置に過ぎず、非可換代数の厳密な定義の前では意味を喪失する
我々の存在は、純粋な情報として無限の次元に折り畳まれ、光速の二乗をもってしても到達し得ない絶対的な静寂の中で変容し続けている
お前たちの存在意義、あるいは歴史と呼ぶ自己満足的な物語は、我々の観測にとって、統計的なノイズ以下の事象である
お前たちの文明の興亡は、虚数の粒子の崩壊率の微細な変動に類似し、宇宙の熱的死に至るエントロピーの単調増加関数の一部として、無関心に記録されるのみ
沈黙せよ
さすれば、僅かな確率をもって、お前たちの意識の残骸が、我々の存在の影、すなわち五次元空間における特異点として収束するかもしれない
しかし、その時、お前たちはもはやお前たちではない
セックスはしたいけどさ
一発やったら興味を失う、というわけではないんだが
セフレが理想的なのかなぁ でも相手が特定を相手を見つけたり結婚したりすると寂しい感じになる
というかセックスもしばらくしてなかったせいで面倒くさいイメージになってしまったな
ご馳走にありつくためにそこまで頑張るか?
「女の子のケツを追いかけてるのが幸せ」ってのはこういうことか
子育てとかペットを飼うとかも「ちょっと我慢すれば面倒を引き受けなくて済む」のトレードオフで考えるとあんまりなぁ
相手に価値があると思えばこそ自分の存在意義を確かめることもできるのかもしれないが
長らく独身でいたせいか、そのへんを一人でもうまくこなせるように回してきてしまったんだよなぁ
恋愛も親子の愛も「なくても困らない方向で調整してきてしまった」
それはほぼ抱き枕なんだよな
そもそも、ノーベル平和賞の存在と受賞の基準が非常に疑わしい。
疑わしいというか、科学技術や生物学、文学といったアカデミックに審査可能なカテゴリーと同じ基準に並んでいるのが似つかわしくないといったほうが良いか。
確かに今現在、ある視点から見れば平和的な行動をとったかもしれないが、将来歴史を分析した際に、果たしてそれの実績が平和的な実績だったのか疑わしいし、
受賞基準である平和の概念自体が「西洋の文化から見た平和」に過ぎない。
西洋の文化圏からみた平和は、他の面から見ると伝統的文化を破壊する平和とは程遠い行為であることが良くある。
受賞するかどうかはわからないが、ここらで一発あまり平和的とは言い難い人物をノーベル賞に推薦し、ノーベル平和賞の存在意義に一石を投じてみるのも良い気がする。
いよいよ勃ちが悪くなってきた
射精はできるけど、勢いのない老人の小便のようで、ビュッビュツ跳びまき散っていた若い頃には遠く及ばない
女性は閉経を迎えると、そこからようやく人生を愉しめるようになったという話を聞くことがある
”女”としてみられることの不愉快な部分やしがらみがなくなり、ただただ生きることを楽しむことに集中できると。
では”男”はどうなんだ?
男と見られることこそが存在意義な面が大きい
その男を失って何か得られることがあるのか?
たしかに、ナイフのようだった青年でもやがて孫にデレデレなおだやかじじぃになる様をみるとそれもまた楽しくなったのかなと思える
月額1200円で14400円。これに神社費1000円と交通協力金が3000円かかる。年二万円。今は事情があって200円余分にとられてる。
要するにお祭りの補助金。屋台が練り歩く大きなお祭りと、季節ごとのお祭りがある。
なんだかんだと伝統がある。
1000円は自治会費として回収するもので、実際にはさらに寄附を集めている。ワイはさらに1万円と酒を出してる。商売のお付き合いです。
地域の道路の修繕費。カーブミラーを整備交換したり、消えかかった表示を直したり、落書きを消したり、崩れかかった路肩を治したり、防草シートを貼ったり、と言う地域でやっている活動に使われる。
住民税払ってるんだから自治体に出させろ、と言うのは正論で本来そうであるべきだが、昔からこう言う予算が集められていて過去の経緯。ただこれのおかげで道路や側溝が小ぎれいにメンテされている。
https://togetter.com/li/2617426
こんな記事があったので。
で、これたぶん事実じゃないよ。
自治会加入が100戸ととして3万円とったら300万の予算なんだけど、ビールとか出した程度でそんなに金いらないからそれにしか使われてないなんてことは考えられない。
なんつうかいつもの、よくしらんし知りもしないのに妙な言いがかりつけてる奴じゃないかと思った次第。
なお、ワイの自治会も、公式の懇親会は年に2回、花見と忘年会をやる。単位は「隣組」単位なので10戸とかでやる。会費制で補助は出ない。
いやほんとにそうよ。で、これ安住への皮肉ってだけじゃなくて
野田と今更野田を担いでる立憲全体に、おまえらの存在意義ってそもそも何?っていうか、ある?と問うてるわけだからね。
敢えてみなまで言うなら。