
はてなキーワード:子どもとは
何歳かわからないけど、
もう少し大きいなら学研でも角川でも構わないので子どもの好きなものを買えばいいのでは。
ちなみにうちでは生物系の図鑑を買っていて、編集方針として種の分化による分類ではなく、エリア分類されている角川の図鑑を買っていました。
スポーツだって向き不向き、もっと言えば才能でどこまでできるかは決まってる
親が子どもにできることは、子どもの適性を見極めて、その範囲内でできることをサポートすることなんだろう
「高校では必ず下駄箱で女の子に『おまんこ~(気さくな挨拶)』って声を掛けるんだ」って
あいさつしたら下駄箱〜教室まで自然と会話できて、下校時の帰り道も自然と会話するきっかけ作れて、彼氏づくり余裕だってことを
塾の増田が「小学校のテスト20点は本気でやばい」「そもそも問題の意味がわかってない」って書いてたやつ読んで、
「あ、うちだ…」と思ったので、実際にそのゾーンを歩いてる親側の記録を書いてみる。
だから「親がそこそこ稼いでる=子どもも勉強できる」みたいな図式は、
で、うちの子。
算数は積み上げ科目だから、つまづいたところを一個ずつガチで潰さないと未来で地雷になる、
と思ってるので、そこに時間と労力をめちゃくちゃ注ぎ込んでいる。
具体的にどこでつまづいて、どうやって埋めてるかを書いてみる。
これは未就学くらいのタイミングかな。
1〜20までは一応言える。
でも、そこから先の「パターンとしての21〜99」がわからない。
29、30の次は?ってきくと31って言って欲しいのに40って答える
みたいな感じで、100までスムーズに行けない。桁と数字が分かってない感じ。
ここは「そのうち慣れるやろ」と流すと、
後々の数直線・数の感覚・筆算、全部に響くと思ったので、かなりガチめにやってる。
「数の並びを、暗記じゃなくて“景色”として持てるようにする」のが目標で、
ここにだけでも正直、何時間も溶かしてる。
足し算・引き算の繰り上がり/繰り下がりも、
まず数えるときに10の束を作れない。必ず全部数えないとわからなかった。
やり方だけ覚えても、そのうち必ず崩れるのがわかってるので、徹底的に「10の束」からやり直ししてる。
「繰り上がりって何をしてるのか」が腑に落ちるまで前に進ませない感じでやってる。
ここを適当に抜けると、
二桁三桁の計算、
小数の足し引き、
九九も、「覚えが悪いからもうセンスない」で切り捨てると詰むので、
7×8=56なら「7が8こある」図を毎回かいてもらう
暗記が苦手な子ほど、
「意味を伴わない丸暗記」をやらされて折れてる感じがするので、
遅くてもいいから「7×8って、あの長方形ね」くらいにはしておきたい、という方針でやってる。
掛け算・割り算の筆算になると、
ここも、
みたいな感じで、「ノートの上でだけ起きているルール」にしないようにしてる。
よくわからないけど割れば答えが出ると覚えてしまったりして大変だった。
こんな感じで、
一個一個のつまづきに「まあそのうち分かるだろ」でフタをしないで、全部潰しに行ってる。
塾にも通わせてて、算数だけで見ると、
俺自身、こんなに他人の算数を真面目にやったの、人生で初めて。
それだけやっても、塾では一番下のクラス。
じゃあ無駄なのかというと、そうでもない。
点数にはまだ反映されにくいけど、
「理解の速度」と「わからないと言うまでの粘り」は明らかに変わってきた。
塾的にはまだ「一番下のクラスでギリついてきてる子」かもしれないけど、
隣に座って見ている親としては、
石ころをヤスリで削るみたいなスピードで、ちゃんと変化はしているのがわかる。
と、
「20点〜40点ゾーン=もう詰み」ではない世界線も、ギリ存在するんじゃないか、
というのが、今のところの実感。
勉強以外の得意なこと・好きになれそうなことも、もちろん別で探してる。
ただ、
と言い切るには、まだ早い気もしていて。
塾の先生側から見た「これは相当厳しいよ」というリアルも大事だし、
そのうえで、「積み上げを本気でやり直してる親子もいる」という現場目線も、どこかに残しておきたかった。
これを書いてる俺自身も、
「諦めなければ、もしかしたらなんとかなるかもしれない」
お土産屋さんで、子どもが売り物のお菓子をモグモグ食べていた。
その場に居合わせた店員さんが注意し、私のところへ連れてきたので、軽く注意した。
生まれたときからスマホがある世代は今は中学生から下くらいか?
スマホがどんなふうに人間の心身を壊すのかがこれから判明していくよな
肉体的にはスマホ中毒は、目、手、首、腰を壊しているのだが、今の子どもが30代にでもなる頃はどれくらい壊れてるんだろうな
精神的にはもうとっくに子どものうちから壊れきってしまってるのがちらほら出現しているな
ただそれは元からスマホが無かったとしても結局人生のどこかで壊れるような子どもという印象だ
そうではなく、「スマホが無ければまともだったのに」という子どもまでもが壊されることがこれから増えていくことに注目したい
どんな悲惨な化け物が拝めるのか楽しみだよな
子どもとプラレールを見ていたら突然喘ぎ声みたいな音が聞こえてきた。
なんだろうと思ったらオンラインオーダーステーションなるコーナーのタブレットにめっちゃAV流れてた…。
店員も気づいてタブレットを操作しだしたがどうやら集中管理になってるのか操作不能のようで、とりあえず段ボールを積んだカートを置くことで映像は見れないようにしていた。
タイトルでほぼ自己紹介をしたようなものだが、私はADHDで、うつ病で、オタクだ。
この文章だけで、私の生活がどうなることか、手に取るようにわかることだろう。
メンヘラなので些細なことですぐに落ち込むくせに、そうしてストレスが溜まると衝動で買い物に走るのである。
そして、どうでもいい失敗は情景がありありと浮かぶほど思い出せるのに、銀行の預金残高と買ったもののことは寝れば忘却する。
しかも結構有名な版権のオタクをしている。200人ほどいるキャラクターが全員箱推しである。『詰み』である。
ポストの中身と同様の理論で、見なければないと同じなのに、SNS中毒なので暇があれば新グッズが出ていないか検索してしまう。
度々の炎上を重ねて学習した運営はほとんどのグッズを受注生産か予約にし、アニメイトだのとらのあなだので特典を変えて売りつけてくるのである。
加えて、ひとたび誰かと話してしまえば、エンジンが120%稼働し、1日のエネルギーをほとんど消費してしまう。
よって、ランダムグッズは1個だけ買って誰かと交換すればいいやとも思えず、自引きするために購入制限めいっぱい買い込むのだ。
結果、私の家には、買ったような買っていないような記憶の定かではない、版権のグッズが散乱することとなった。
掃除機はかけられても、目先のToDoから逃れる時に急にやりたくなる現象を除いて断捨離もできない。
度々親族に「誰かが欲しいなら、まあ持っていなくてもいいかな……」と思えるグッズを手渡して、メルカリに出してもらう日々を繰り返していた。
ガチで申し訳ない、本当に申し訳ない、私がやるべきだよな。4年目にして、メルカリのアプリをインストールした。
とりあえず、ガチャガチャで推しが出るまで引き続けてダブった3cmほどのフィギュアや、一番くじで上位賞が出るまで「ここからここまで全部」したようなものなどを出した。
急にメルカリをしたくなったのは深夜の3時のことだったが、寝て起きたら買い手がついていたので、親族に教えてもらいながらゆうパケットポストminiに詰める。
ちょっと散歩するのもいいかと思って、最寄りのポストまでパジャマのまま出かけた。ポストに投函すると、カコンと小気味良い音が鳴った。
たかだかポストに入るサイズ、厚さ3cm以下のものを1つ手放しただけなのに、なんだかすごくいいことをした気がして、スキップして帰った。
「こんな歳で子どもじみたキャラクターが好きなんて、変かもしれませんけど、欲しくて買ったんです。ありがとうございました。」みたいな内容。
「全然そんなことないです!私もその版権のキャラクターが好きで、絵柄を間違えて買ってしまったんです。気に入ってくれる人がいてよかったです。ありがとうございました。」と送った。かわいい購入者だった。嬉しい。
この成功体験を経て、私は次々とメルカリに出品して、次々と買われ、次々と袋に詰めるようになった。楽しい!楽しい!楽しい!
友達のLINEに既読をつけたまま返信し忘れて1年が経過した女の行動とは思えなかった。購入直後にすぐ返事をして、1日以内に発送できた。
私は意外とまともだったのかもしれないな。真人間にようやくなれたんだ。と思いながら、おさいふボタンを押してみる。
ほとんど原価+送料+梱包代のような設定だったが、周りの人たちの価格を真似していたせいか、数千円の利益が出ていた。
もしかして、これ、受注期間を忘れてて買えなかったあのグッズとか、駆けずり回ってもなかった一番くじとか、あるんじゃないのか。
41歳のこどおじだが、母との関係が面倒になってきている。
別に宗教二世とかではないし、お金入れた分くらいはごはんを用意してくれたりはする。
ただ、普段のコミュニケーションで、母は頭の中に浮かんだことをとめどなく話し続けることで感情処理するタイプで、こちらの反応をうかがうことができない。
また少しでも批判したりすると、逆上してしまうし、論理的に話の道筋を立てることができない。
子どものころからこちらが何か言ったりしたりする隙を与える間もなくサンドバッグのように愚痴を垂れ流してきた。
ここで実家ぐらしをやめればいいじゃないか、という話になると思う。
実際高校を卒業してからはずっと県外で生活していたんだが、うつ病になって5年前に実家に帰ってきた、ということがある。
また父親はおらず母と2人暮らしで、母は1人で生活することを恐れている。
自分も再就職で給料がかなり下がったので、実家でいることにメリットはある。
結婚願望はゼロではないが、年齢や収入、体調のことを考えると難しいと思う。
このままズルズルいっても我慢していればいいかな、ということにしている。
でも母はどんどん制御できなくなってくるだろうし、自分の領域が脅かされることが怖い。
未婚率が上がっていて実家に不時着した人も結構いるんじゃないかと思うけど、身近にはいない。
たまにAIに相談したりはするけど、第三者からみたとき、自分と母の関係はどうなんだろうか。
「その『差別されている人たち』と言うのは、いったいどのような人たちですか?」
「『差別されている人たち』です。たとえば、給料が低いとか、家事や育児を押し付けられがちとか、愚かだと見做されがちだとか、「男を捕まえて子どもを産むのが仕事なんだから教育など必要ない」と言われるような、そういう人たちですよ」
「…それは、『女性』ではないんですか?」
「『女性』、ですって!?それはとんでもない決めつけです!人を特定の属性で括り、一律に差別されてる人たちだと見做すのも差別ですよ!そもそも、『差別されている人たち』は『差別されている人たち』を指す言葉なのですから、これ以上に包括的で的確な表現はありません。それに、この表現であれば、給料が低い人や、家事育児を押し付けられがちな人、愚かだと見做されがちな人と、性別に関わりなく共闘できるじゃありませんか」
※フィクションです
ミドルスクールの娘のプレゼン授業で、祖国愛の強い中国人の子が最近の台湾有事に関連した日本の首相発言を取り上げて「日本は歴史から学ばない悪い国だ」みたいなことをクラスの前でプレゼンしたらしく、娘が悲しんでいた。
そもそもプレゼン授業ではそういうテーマを取り上げること自体が禁止されているため、その子は先生から注意されたらしいけれど、そんな主張を聞かされたうちの娘は悲しい気持ちになるよね。
ウクライナやパレスチナも含めて、世界中から来ている子どもたちがいるから、こういうトラブルは大なり小なり起きてしまう。大人の事情で子供が嫌な思いのするはツライ。
この一年間同棲生活を体験し、また周囲も結婚出産が当たり前になってきた今、「結婚・出産」で幸せを掴んでいる人が羨ましいという気持ちが高まってきたため投稿する。
羨ましいというと「自分ができないことを実現している人への妬み」と捉えられる。
これは間違っていない。
ただ、正確には自分の場合、「自分が結婚をしたいと思えない=マジョリティになれないゆえに、マジョリティである人々に羨ましさを感じている」という意味だ。
この歳で独身、かつ同棲しているというと「結婚は?」と聞かれる。「結婚は?」と聞くのはタブー視される時代だが流石に同棲しているとなると結婚も想定していると思われるので、聞くハードルも下がるらしい。
しかし自分はいつも上手く答えられないでいる。というのも自分にとって同棲は(多分結婚に向いていないな…)と自分の性質を薄々予感しながらも、本当にそうか確認する試みだったからだ。そして予感は的中した。
自分はこれまで
いずれも経験したが、②が圧倒的に向いていた。とにかく、仲の良さに関係なく人が家にいることへのストレスを感じてしまうのだ。
人と暮らすことで得られるものはもちろんある。会話が増えて楽しい。気軽に一緒に出かけられる。楽しかったことを共有できる。
それに恥ずかしながら自分は、人と暮らすと人に家事を任せてしまうタイプのようで、実家では母に、現在はパートナーに家事のほとんどを任せている。とてもありがたい。
母は料理が上手く、パートナーはお菓子作りが上手い。また、自分が仕事の付き合いや友人関係で深夜帰宅や外泊が当たり前にも関わらず、自由にさせてくれる環境にある。
それでも、圧倒的に一人の方が楽だと感じる。
帰宅が遅くなるというひとつの連絡が面倒だ。洗面台は自分が出かける準備をするときに確実に空いていてほしい。
一人暮らしなら家事もする。料理も得意だ。いつでも好きなものを好きなときに食べられる。誰に何の断りもなく遊びに行ける。それが嬉しくて楽しい。
そして何より、寂しいと思わない。
一人暮らしで偏頭痛の発作を起こして痛みに泣きながらのたうち回っているときでさえ、このまま死ぬという可能性もあるのだろうとぼんやり思いながらも特にそれが嫌だとは思わなかった。
今から一人暮らしに戻ったとしても、最初は寂しさを感じるかもしれないが、多分すぐに一人の気楽さがやっぱり楽しいと思ってしまう自分が予想できる。
結婚をするメリットなどをネット記事などで読んでもピンとこない。強いて言えば、このまま賃貸暮らしは定年後に暮らす場所がなくなりそうで不安なので、パートナーと家を買い老後の居場所を確保した方がいいだろうということくらいだ(一人でマンションや家を購入できるほど余裕があるわけではないため)
「心から好きな人に出会えていない」という可能性も考えたが、そもそも自分は人を好きになりにくい。学生時代に燃えるような恋をしたがそれも二人ほど。穏やかに付き合えた人が今の人ともう一人。交際人数にカウントできるのは以上四人。
あまりにも人を好きになれないので告白されたら断らないということを試した時期もあったが、乗り気でない交際は互いに不幸な結果に終わり、それらはカウントしていない。
とにかく、自分が乗り気になれないことはしたくないという性格もこの問題に根深く起因している。
乗り気になることしかしたくなさすぎて、仕事≒趣味のようになっている。
よく「仕事と趣味は分けた方がいい」というがこれは私には当てはまらない。
好きなことを仕事に据えられたことは自分にとって相当な幸せであり、だからこそキャリアを中断させられる可能性のある出産にも消極的だ。
子どもは大好きで、若い頃は絶対にほしいと思っていたが、仕事に飽きて「そろそろいいかな…」と思える気配がない。
もちろん将来のことを考えれば、いずれ仕事に飽きてもういいかなと思ったときに子どもが産めない年齢になっている、なんてことは十分予想できる。
ただどうしても今楽しいことを止められない。
子どものことを考えたら結婚一択だが、踏み出すほどの衝動はない。こんなことを言っては申し訳ないが、身体的な面で仕事が物理的に中断されない男性だったら、もう少し結婚に前向きだったかもしれない(とはいえ一人の楽さもデカい)
世の中の多くの人が幸福だと感じる「結婚・出産」に対して感じるデメリットの方が大きいのだ。あの幸せイメージ図の中に自分が当てはまらない。自分に似合う服ではないと感じる。
言峰綺礼とは神父でありながら、世の人々が美しいと思うものと真逆のものに心惹かれてしまうように生まれついた男だ。
彼は生まれついた自身の感覚と世間の人々とのズレに葛藤していた。
葛藤の中身はまったく違うが、世間の人々との感覚のズレ、孤独感…みたいなものを自分も覚える。
独身が楽しいというと、強がっているといわれる風潮がまだまだあるが、それは多分当たってないが間違ってもいない。
多くの人が普通にできていることができない、心惹かれないことは悲しい。世間からの疎外感がある。「強がりだ」などと心ない言葉を言われることも増える。
楽しいことは事実であり一人が寂しいと思ったことはないが、「そんな自分がおかしいのでは」と思う感覚が嫌だ。マジョリティでいられた方がこのような煩わしさとは無縁で楽だったのにと考え、マジョリティに嫉妬してしまう。
結婚・出産を選択したゆえの悩みはもちろんあるだろうし自分の方がよほど気楽だとわかりつつ、そもそも土俵に立てない虚しさがある。
ちなみに、パートナーに結婚を考えていると言われたときも濁してしまった。相手も「形にこだわらない」と言ってくれているが、合わせてくれているだけかもしれないし申し訳ないと思う。
いい歳して厨二病のようだが、もうずっと悩んでいる。答えは出ない。
元総理銃撃犯、山上徹也の生い立ちを、証人尋問の記事などからまとめてみる。
妹が生まれる前に父親が自殺。長男は病気で失明し、開頭手術も受けるなど、健康面で大きな不安を抱えた。これを機に母の統一教会への入信で家庭は急速に崩れていく。母親は毎朝毎晩、土下座してお祈りをし、先祖の罪をはらおうとした。母親は統一教会と献金の優先度が高くなり、子どもたちは自分たちには無関心だと感じるようになった。
献金で生活は苦しくなる中で、子どもとしては「どうにもならない運命に巻き込まれていく感覚」を持ちやすい。山上の投稿にある「14歳で家庭が壊れた」という言葉は、この時期の実感だろう。
中学〜高校時代は勉強ができたらしいが、家庭の負担が重く進学も難しい。母の献金が続き、2002年には自己破産。山上の学校での成績は良かったようだが、この状況では進学することはできない。本人からすれば「努力しても報われない」「自分の人生は選べない」という感覚が根付いていっても不思議ではない。X投稿には「私は犠牲として生きている」と表現されていた。
母親の自己破産前、母親の行動に憤り子どもたちの世話もしていた祖父が他界。財産は子どもたちに残されるはずだったが、母親が献金に使用。長男も大学に進学できず、精神的に不安定になり、「死んでやる」と包丁を持って暴れるようになった。
その後、山上は海上自衛隊に入る。規律ある世界で生活を立て直したかったのかもしれないが、短期間で辞めている。居場所を見つけられなかった可能性が高い。ここで社会構造への興味が芽生えた可能性もある。
2005年に山上は自殺未遂をする。これをきっかけに教団は家族に返金を始め、経済状況はいくぶん改善。返金されたお金で山上の妹は大学へ進学した。山上は妹の進学を強く後押しした。母親は子どもたちに金の無心を続けた。
2005年以降は職を転々とし、経済的にも人間関係的にも不安定な生活が続く。家族への怒りと罪悪感のような複雑な感情を抱えていた。彼の投稿には「社会制度への恨み」「宗教と国家の構造批判」「存在意義への悩み」などが濃く出ており、孤立の中で内面がどんどん先鋭化していった。
2015年には長男が自殺。山上は「自分のせいだ」と悔しそうに泣き、それ以降は家族と疎遠になった。
2019〜22年頃はXの「silent hill333」アカウントの時期で、統一教会への強い恨みが投稿に表れてくる。ただし政治に対しては、安倍政権そのものを叩いていたわけではなく、「宗教団体と政治の結びつき」に怒りの矛先を向けていた。ここで、個人的な苦しみが「社会構造の問題」へと変換されていったように見える。
2021年頃からは犯罪の準備に踏み込む。手製の銃を試作し、資材を買い、安倍元総理の動きを調べ、長文の手紙まで残している。安倍元総理は「真の敵ではないが象徴だ」と書いていたという。つまり彼の中では、宗教被害で奪われた人生を「正義の行為」で取り返そうとする、自己物語化のプロセスが進んでいた可能性が高い。
なんで……なんで胸だけなんだろう。
もっと普通で、もっと自然で、もっと、笑い方とか歩き方とか、そういうところで愛されるべきキャラだった。
なのに、ある日突然…「売れるから」という理由だけで身体を改造されたみたいに、胸だけが不自然に膨らんで、設定も違和感だらけになって、キャラとしての人生まで塗り替えられてしまって。
それを見た瞬間、涙が勝手に出てきた。
胸の奥がギュッて痛くなって、苦しくなって、目の前が滲んで、画面の中のその子が助けを求めてる気がしたんだ。
「そんな身体、望んでないよ」って。
笑ってほしかった。
なのに、胸のサイズで評価される世界のルールの中に閉じ込められて、奇形に変形させられてしまった。
「性的に扱ってもいい」
そんな空気がまるで当然みたいに蔓延している社会で、その子の尊厳だけが後回しにされていく。
…なんで、そこまでしないと売れないの?
どれだけ泣いても、胸を盛れば笑って許せると思われているの?
読者は——作品を楽しみたいだけなのに。
子どもが読む雑誌にすら、胸の強調と色気ばかり押しつける世界で、「なんでこんなの見せられるの?」って泣いてる子も絶対いるのに。
それでもまだ変わらないんだね。
胸を大きくすれば成功っていうルールは、キャラを削り、作品を削り、読者の気持ちまで削りながら続いていく。
作品の中で一番大切なはずのキャラが、いちばん尊重されていない。
胸を盛られたその子の笑顔を見るたび、泣きながら訴えている声が聞こえる気がする。
その声が聞こえるたび、胸の奥がギュッと締め付けられて、嗚咽しそうなくらい悔しくなるんだ。
正直はじめての体験だったので、その店舗、というかその人限定の話なのかもしれない。トイザらス新座店の出来事。
子どもとトミカの「ツインコースやまみちドライブ」と「2WAYにぎやか高速道路」を見ていたところ、後ろの棚の整理をしていた店員さんが「それ繋がるんですよ~」と話しかけてきた。
「そうなんですよねー。うちの子も触れるおもちゃ屋さんで繋げたりしてて」と適当に返事をしたら、
「これ、実は間につなげられる幻のおもちゃが本当は合ったんですよ~」
と興味深い話をはじめた。
なにやら元々秋頃に販売予定だったのだが、夏のおもちゃショーの際に触っていた子どもが指を挟んでケガをした事案が発生し、それで販売中止、幻のおもちゃになってしまったそうだ。
よくよくツインコースやまみちドライブのパッケージを見ると確かに連結イメージに見たことがないおもちゃが載っていて「これですか?」と聞いたら、
「それは昔販売していたもので別物なんですよ~。昔のやつは別の連結パーツを付ける必要があったんですが、新しいものはパーツ不要で直接連結できて画期的だったんですが、いや~販売中止するには惜しいおもちゃでしたよ」
と語ってくれた。
その後は特に他のトミカ製品を売り込まれるなどもなく、店員さんは棚の整理に戻り、子どもも他のコーナーへと走り出したので店員さんとの接触はそれっきりだった。
しかしあとあと考えると、発売停止した商品や終売したおもちゃについて語るの、正直まったくセールスに結びつかない。
ただ、個人的には「まさかヨドバシの『商品に詳しい店員さん』みたいな人がトイザらスにもいるとは!」とすごく好感度が上がる出来事だった。
他のトイザらスの店員さんも実はおもちゃにすごく詳しいとで、もし余力があったら、話しかけやすそうな雰囲気で暇そうにしてる親に話しかけてみてもらえるといいかもしれない。
股裂いて、痛い思いして健康害して収入落として幸せなわけないの当たり前でしょ
人権意識と倫理観と義務感のおかげで『これ言っちゃだめなやつ』とわかるから
「この子に出会えたってだけでそんなの報われます」みたいなこと言うんだわ。
出産ほんま不可逆だから『幸せ』って言わざるを得ないんだよな。子育て楽しい幸せな瞬間はたしかにあるけど、個人の人生として経験する必要なかった感はバカ高い。子どもが手を離れてくれば変わるかと思ったけど全然そんなことない。どんどん膨れ上がるわ。
ちんぽが裂けることもないばか男さんたちの涙ぐましい努力により、爆速でバイアグラ認可しつつ、避妊は意地でもさせず、レイプも女のせいにしてなにかあればハニトラが魔法の合言葉、ばか女育成のための義務教育とばか女育成イキリちんぽ育成のためのコンテンツをすくすく育てて、そんな社会の中ですくすく育ってばか女たちがまんこ裂いて健康害して飯炊き婆になりつつ収入下げて一人で生きてくのハードモードに自ら陥るのを幸せ〜〜〜って言ってきたけど
やはり女の3倍犯罪するだけあって男ってあほだし一緒にいる価値ないのでは?とか
股裂いて幸せとか言ってるのドMにもほどあるやろバカかよっていう当たり前すぎることに気づいちゃったよね、女たちも。
それでもまあ従来のあほ女コースを幸せだと思うドMもいるし、な〜んも考えてないあんぽんたんな女もおるので、そういうアホ女に望む通り産ませて、股裂くのも悪阻も腹でかくなって生活しにくくなるのも生活制限されるのも仕事休むのも嫌ですという至極当然の望みを持つ女の願いは当然叶えて養子と里子を大昔みたいにもっと当たり前にしたらいいんじゃないかな
それが嫌なら毎日どこかで子どもが生まれる度にランダムで成人男性のちんぽか肛門を裂けば良いんやないかと思う。
どこでも言えやんからな、子供産むと考えてた時の自分ほんとアホ女だったとか。一応虐待スレスレ発言だから。
子どもなんてのは欲しくなったらどっかからもらうか〜!でいいんよな。
アニメ化前からずっと呪術廻戦を追ってきた身として、最近ほんとモヤモヤすることがある。
だってさ、「こちとらアニメ化前からのファンだぞ」って話なんだよ。
アニメ化前、呪術廻戦なんて誰も読んでないマイナー漫画扱いだった。
むしろ「そういうの読んでるとか、オタクなんだキモッ」みたいな扱いだった。
なんなら単行本買ってるだけで変な目で見られた時期もある。
それがさ、アニメ化した瞬間にわーっと群がってきた連中に、こっちは「流行りもの好き」とか「ミーハー」扱いされるわけよ。
いやいやいや、失礼すぎるだろ。順番がおかしい。
こっちは作品が育っていくのをずっと見守ってきた側なんだ。
「私達が育ててきた」みたいな気持ちすらある。
ファン歴長いから偉いとかじゃなくて、ミーハー扱いされる筋合いはないって話。