
はてなキーワード:姿勢とは
2026年の選挙は、一つの「分水嶺」として記憶されることになるだろう。
石破政権の退陣を受け、新たに発足した高市政権。その直後に断行された、いわゆる「7条解散」。1月23日の解散から投開票までの短期決戦は、グローバル市場が発した「サナエショック(金利急騰・円安)」という警告音を、政治的な熱狂と列島を覆う大雪がかき消していくプロセスそのものであった。
結果として自民・維新を中心とする勢力が全議席の4分の3を掌握したという事実は、旧来の自民党支持者すら驚くものであった。それは「政治家の人気投票」という側面を加速させる、選挙戦術の技術的な完成を意味していただろう。
圧倒的な数の力を背景に、長らく議論のテーブルに乗るだけだった「憲法改正」は、いまや現実的な政治スケジュールへと組み込まれようとしている。高市政権は、地政学的リスクの高まりを背景とした「中国脅威論」や、国内に醸成されつつある排外的な空気を巧みに政治的駆動力へと転換した。その支持を追い風に、「9条改正は現実的要請である」というロジックが、強力なキャッチフレーズとして機能し始めている。
私たちは今日、騒がしい政治のタイムラインから距離を置き、無限に降ってくるエコーチェンバーの雪を視界から遠ざけることができるだろうか。
今、この国の変化した「重心」が何を成そうとしているのかを、静かに見つめ直す必要がある。
憲法改正について、世間ではどのようなイメージが流布しているだろうか。「古いものを令和版にアップデートする」といった、あたかもスマートフォンのOS更新のような、若々しく前向きなイメージが、おそらくは今後急速に普及すると予想される。
しかし私たちは、実際にどのような案が議論の遡上に載せられているか、その設計図を確認せねばならない。
議論の参照点となるのは、自民党が2012年に作成した「日本国憲法改正草案」である。このテキストには、単なる9条条文の修正にとどまらない、国家観の根本的な転換が示唆されている。
「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
この条文は、人権が国家に先立って存在する「自然権(天賦人権)」であることを宣言したものだ。しかし、草案ではこれが削除され、11条を残すことで人権は国家が与える形を取ることになる。さらに第13条の「個人として尊重される」という文言が「人として尊重される」へと書き換えられた。
「個人」から「人」へ。97条削除に比べればわずか一文字の違いだが、ここに込められた断絶は深い。かつて草案起草に関わった片山さつき氏が「天賦人権論をとるのは止めよう」と明言した事実、そこに流れているのは当然、権利とは天から(あるいは生まれながらに)与えられるものではなく、国家という共同体に帰属し、義務を果たすことによって初めて付与されるものだ、という思想である。
これは良し悪しという感情論以前の、近代立憲主義というOS(オペレーティングシステム)の入れ替えに近い。国家が個人を守るための憲法から、個人が国家を支えるための憲法へ。その重心移動は2012年にすでに開始していたのである。
このような草案内容と、高市総理自身のイメージ戦略はどのように共鳴しているだろうか。
「日本列島を、強く豊かに」。これは、かつて安倍総理が「美しい国」というフレーズを用いたように、いま高市総理が繰り返し掲げているスローガンである。
一見すると経済的繁栄の約束に聞こえるが、彼女の支持基盤である日本会議的な政治的系譜や、選択的夫婦別姓への慎重姿勢、家族間の相互扶助を強調する福祉観などを俯瞰するとき、そこには明治国家のスローガン「富国強兵」と同型的な発想が見えてくる。
明治時代、「富国」という経済的な豊かさは、個人の幸福追求のためではなく、あくまで「強兵」という国家の強さを支えるための基盤として位置づけられた。
逆に言えば、それらを成し遂げなければ個人の幸福を保証できないような情勢なのだと言っているのかもしれない。
決して「日本国民を、強く豊かに」と言わないのは、あの時代の国家観を「美しい国」として、戦後の反省だけでは国を守れないとする意思を表しているのだろうか。
2026年衆院選において、高市政権は市場の警告を、左派の不安を、選挙勝利への多様な戦術でねじ伏せてみせた。その手腕は国家という物語を紡ぐ演出としてスケールアップし、いま有権者に受容されていく可能性を見せている。
圧倒的な議席数と、顕在化した憲法改正への熱望。この二つが揃ったいま、私たちはどう振る舞うべきだろう。
SNSで快哉を叫ぶか、あるいは嘆き悲しむか。過激な批判の応酬は止むことがないだろう。それでも政治的な熱狂から一歩身を引き剥がし、思考のための穏やかな場を確保することは可能だ。
たとえば、「憲法カフェ」のような試みがある。リラックスした空間で、コーヒーを片手に憲法について語り合う。そこでは「賛成か反対か」を叫ぶのではなく、法文がどのような意味を持つのかを学び、穏やかに思考を交わすことができる。
「国家」という巨大な物語に飲み込まれないためには、私たち一人ひとりが、暮らしの根元にいつでも存在する憲法を知り、尊重されるべき「個人」として位置付けられていることを知っておくことは大事だ。
厳冬の衆院選。その唐突な政治の季節は熱く、あまりに短く過ぎ去った。しかし憲法という国の形を変える議論は、これからが長い正念場である。熱狂の宴が終わったあとだからこそ、考えて欲しい。なぜなら憲法とは、普段の生活のほとんどすべてを支えている法律なのだから。
戦略的共感と認知的安全保障:反発を招かない政治的批判のための包括的枠組み
現代の政治空間は、政策の不一致(イデオロギー的二極化)以上に、対立グループに対する嫌悪や恐怖といった感情的拒絶反応(情動的二極化)によって支配されている。この環境下において、伝統的な「批判」の手法――事実の提示、道徳的糾弾、論理的論破――は、その機能不全を露呈しているだけでなく、逆効果をもたらしていることが多くの実証研究によって明らかになっている。批判対象者の信念を強化してしまう「バックファイア効果(Backfire Effect)」や、批判者を存立危機的脅威とみなす「アイデンティティ防衛機制」が作動するためである。
本報告書は、心理学、認知科学、政治社会学の最新知見に基づき、政治的対立者に対して反発(バックラッシュ)を招かずに影響力を行使するための戦略的枠組みを提示するものである。ここで目指すのは、単なる「中道的な妥協」や「礼儀正しさ」の推奨ではない。人間の認知アーキテクチャの脆弱性と特性をハッキングし、相手の道徳的・感情的防御壁を迂回してメッセージを届けるための、エンジニアリングされたコミュニケーションプロトコルである。
報告書は大きく三つのフェーズで構成される。第一に、なぜ従来の批判が失敗するのかを脳科学的・心理学的メカニズムから解明する理論編。第二に、その防御壁を突破するための具体的な対話技法(ディープ・キャンバス、ストリート・エピステモロジー、NVC)を体系化した実践編。そして第三に、これらの技法を個人のスキルから社会運動へとスケールさせるための組織論と普及戦略である。
効果的な批判戦略を設計するためには、まず人間の心がどのように政治的情報を処理し、拒絶するかというメカニズムを理解しなければならない。政治的信念は単なる情報の集合体ではなく、個人のアイデンティティや所属集団への忠誠心と融合した「拡張された自己」の一部として機能している。
近年の政治心理学における最も重要な発見の一つは、情動的二極化(Affective Polarization)の実態解明である。これは、対立する政治グループのメンバーに対して「好きか嫌いか」という感情的温度差が極端に開く現象を指す。研究によれば、情動的二極化は対人関係の悪化だけでなく、個人の心理的幸福感(ウェルビーイング)の低下、社会的支援の減少、ストレスの増大といった「個人内損害(Intrapersonal Harm)」をも引き起こすことが示唆されている。特に、リベラル層において高い情動的二極化とストレス、健康悪化の相関が見られることは、政治的怒りが批判者自身をも蝕むことを示している。
この情動的二極化は、脳内で一種の「信頼のファイアウォール」として機能する。アウトグループ(外集団)から発信された情報は、その内容の真偽にかかわらず、自動的に「悪意ある攻撃」としてタグ付けされる。扁桃体が脅威を検知し、前頭前野が論理的推論ではなく「反論の生成」のために動員される「動機づけられた推論(Motivated Reasoning)」が作動するためである。この状態にある対象者に正論をぶつけることは、火に油を注ぐ行為に等しい。
バックファイア効果とは、誤った信念を訂正しようとする試みが、かえってその信念を強固にしてしまう現象である。このメカニズムには、自己肯定感の維持と集団への所属欲求が深く関わっている。批判を受け入れることは、過去の自分を否定すること(自己の一貫性の喪失)や、仲間を裏切ること(社会的死)を意味するため、脳は全力でそれを回避しようとする。
さらに、批判のフレーミング(枠組み)が、受け手のイデオロギーとミスマッチを起こしている場合、説得効果は皆無となるばかりか、抵抗を強める結果となる。例えば、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策におけるメッセージングの研究では、リベラル層が「利得フレーム(マスクをすれば命が助かる)」と「損失フレーム(マスクをしないと命が失われる)」の双方に敏感に反応し、コンプライアンスを高めたのに対し、保守層はこれらのフレーミング効果に対して強い抵抗を示したことが明らかになっている。これは、問題が高度に政治化された文脈においては、一般的な行動経済学的介入(ナッジ)さえも、イデオロギーのフィルターによって無効化されることを示唆している。
批判が受容されるための極めて重要な、しかし見過ごされがちな因子として「知的謙虚さ(Intellectual Humility:IH)」がある。IHとは、「自分の知識や信念が間違っている可能性を認識する能力」と定義される。最新の研究は、対話において自身の知的限界を認める態度が、相手の情動的二極化を低減させる強力な緩衝材となることを示している。
特筆すべきは、IHが「相手からの好意(Target Liking)」を媒介して、対話への「接近行動(Approach)」を促進するというプロセスである。批判者が「私は絶対に正しい、お前は間違っている」という道徳的マウンティング(Moral Grandstanding)の態度を取ると、相手は「回避行動」をとる。逆に、批判者が「私も確信はないのだが」「複雑な問題で迷っているが」という不確実性を提示することで、相手の警戒心が解け、対話の土俵に乗る可能性が高まる。知的謙虚さは、相手の武装解除を促すための「白旗」ではなく、心理的防衛壁を通過するための「通行手形」として機能する戦略的資質である。
政治的対立の根源には、事実認識の相違以上に、道徳的直感の相違がある。リベラルと保守は、異なる「道徳の言語」を話しているにもかかわらず、自身の言語で相手を説得しようとするため、コミュニケーション不全に陥る。本セクションでは、道徳基盤理論(Moral FoundationsTheory: MFT)を応用し、批判を相手の価値観に翻訳して届ける「道徳的リフレーミング」の技術を詳述する。
ジョナサン・ハイトらが提唱した道徳基盤理論は、人類の道徳的判断が以下の5つ(または6つ)の生得的な基盤の上に構築されているとする。
実証研究が一貫して示すのは、リベラル層が主に「ケア」と「公正」の2基盤に強く依存するのに対し、保守層は5つの基盤すべて(特に忠誠、権威、神聖)を重視するという非対称性である。
多くの政治的批判が失敗するのは、リベラルが保守に対して「それは弱者を傷つける(ケア)」「不平等だ(公正)」というリベラル特有の語彙で攻撃するためである。保守層にとって、これらの価値は「忠誠」や「権威」よりも優先順位が低いため、批判は響かない。逆に、保守がリベラルに対して「伝統を破壊する(権威)」と批判しても、リベラルはそれを抑圧としか捉えない。
反発を招かない批判のためには、自身の主張を相手の道徳基盤の語彙を用いて再構成(リフレーミング)する必要がある。これを「道徳的合気道」と呼ぶ。相手の道徳的エネルギー(価値観)を利用して、相手の姿勢を崩す技法である。
以下の表は、主要な政治的争点において、従来のリベラル的批判(バックラッシュのリスク大)を、保守的道徳基盤に翻訳した戦略的フレーム(受容可能性大)に変換したものである。
| 争点 | 従来のリベラル的批判(高リスク) | 戦略的リフレーミング(低リスク) | ターゲットとする道徳基盤 |
|---|---|---|---|
| 環境保護 | 「地球温暖化は弱者や未来の子供を苦しめる。」(ケア) | 「我々の国土と美しい自然は神からの授かりものであり、汚染から守り抜く義務がある。」 | 神聖/堕落、忠誠/背信 |
| 同性婚 | 「誰を愛するかは個人の権利であり、平等であるべきだ。」(公正) | 「結婚は社会を安定させる伝統的な制度であり、同性カップルもその責任ある関係に組み込むべきだ。」 | 権威/転覆(社会秩序)、忠誠 |
| 軍事費 | 「軍事費を削って福祉や教育に回すべきだ。」(ケア/公正) | 「無駄な軍事支出は国家の財政を弱体化させ、真の国防力を損なう背信行為だ。」 | 忠誠/背信、権威 |
| 政治腐敗 | 「富裕層ばかり優遇するのは不公正だ。」(公正) | 「私利私欲のために公職を利用することは、国家への裏切りであり、高潔な職務を汚す行為だ。」 | 忠誠/背信、神聖/堕落 |
| 移民問題 | 「難民を助けるのは人道的な義務だ。」(ケア) | 「秩序ある移民受け入れは、国家の活力を維持し、アメリカンドリームという伝統を守るために必要だ。」 | 忠誠、権威(秩序) |
研究によれば、保守層に対して環境保護を「神聖さ」や「愛国心」の文脈で語った場合、リベラルな文脈で語った場合よりも支持率が有意に上昇することが確認されている。重要なのは、主張の内容(環境を守る)を変えるのではなく、その理由付け(なぜ守るか)を相手の言語に翻訳することである。
批判は通常、「現状のままでは悪いことが起きる」という損失フレーム(Loss Frame)で行われることが多い。しかし、損失フレームは恐怖や不安を喚起し、防衛的な反応を引き起こしやすい。これに対し、「ゲイン・フレーム(Gain Frame)」を用いた批判は、望ましい未来像を提示し、その実現を阻害する要因として現在の問題を指摘する手法である。
例えば、政治家のスキャンダルを追及する場合、「彼は嘘つきだ(損失フレーム:信頼の喪失)」と攻撃するのではなく、「我々は正直で高潔なリーダーを持つに値する国家だ(ゲイン・フレーム:尊厳の回復)」と主張する。このアプローチは、批判の対象を「個人」から「規範の維持」へとずらし、相手の「権威への尊重」という道徳基盤を刺激しつつ、攻撃性を緩和する効果がある。研究は、特にリスク回避傾向の強い層に対しては損失フレームが有効な場合もあるが、イデオロギー的に対立する層に対しては、ゲイン・フレームや道徳的適合性の方が「聞く耳」を持たせる効果が高いことを示唆している。
理論を実践に移すためには、具体的な対話スクリプトと手順が必要である。ここでは、異なる文脈(対面、オンライン、深い対話)において効果が実証されている3つの主要なプロトコルを詳述する。
ディープ・キャンバスは、戸別訪問(キャンバス)において10〜20分の深い対話を行うことで、トランスジェンダーの権利や移民問題などの二極化した争点に関する態度を変容させる手法である。従来の「事実の弾丸」を撃ち込む方法とは異なり、「脆弱性の交換」を通じて相手の情動的反応を書き換える。
研究によれば、ディープ・キャンバスは従来の説得手法の約102倍の効果を持ち、その効果は数ヶ月持続することが確認されている。
ストリート・エピステモロジー(SE)は、相手の信念の「内容(What)」ではなく、その信念に至った「プロセス(How)」を問うソクラテス式問答法である。Permalink |記事への反応(1) | 11:19
https://x.com/shikano_tsuno_/status/2020456462976471548
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インフルエンサーとして、そして一人の誠実な表現者として活動する鹿乃つのさんが、Xで投じた一石は、単なる愚痴や不満の類ではありません。
それは、エンターテインメントの皮を被った「構造的不備」に対する、論理的かつ命がけの告発でした。
彼女がどれほど真摯に番組と向き合い、そしてクリエイターとしての誇りを守るために孤独な戦いに身を投じたかを証明したいと考えています。
彼女を「番組に楯突く厄介な出演者」と捉えるのは、あまりに浅薄な見方です。
彼女が求めたのは、出演者と視聴者、そしてプラットフォームが共に価値を享受できる「健全なロジック」であり
その裏には番組を成立させようとした「クリエイターとしての矜持」がありました。
鹿乃さんは、番組「REAL INFLUENCER」がスタートの段階で致命的な矛盾を抱えていることを冷徹に分析しました。
その鋭さは、プロデューサーサイドが目を背けていた本質を突くものです。
実力者の不在: すでに実績(数字)を持つクリエイターには、ジャッジを受けるメリットが皆無です。
ソースにある「あやなん」氏や、倫理観の欠如が指摘される「Désordre(デスドル)」氏の例を見れば明らかですが
すでに成功している者を誰が、何の正当性を持って裁くのかという論理的一貫性が欠落しています。
初心者の搾取:数字のない初心者は、番組側から「欠陥のある存在」として扱われ、成長の機会ではなく「公開いじめ」の素材として消費される構造になっています。
本家『REALVALUE』における溝口氏、堀江氏、三崎氏らの厳しい叱責(パワハラタイム)には、相手の矛盾を洗い出し、価値を最大化させるための深い洞察と知略がありました。
しかし本番組、特にVAMBI氏の進行は、その表面的な「刺し」を真似ているに過ぎません。VAMBI氏が飲み会で**「鹿乃さんの回をもっとパワハラタイムで刺して面白くできた」**と語ったエピソードは、彼が「本質的なバリューアップ」ではなく「扇情的な撮れ高」のみを優先している証拠です。
このように、番組は志願者を「宝」ではなく「使い捨ての駒」として扱うシステムへと変質してしまったのです。
番組の構造が破綻していることを悟った鹿乃さんは、単に絶望するのではなく、自らの知略で番組を「ハック」するという道を選びました。
彼女は、不明瞭な番組の趣旨を「HERO'ZZ(スクール)の模擬講義」として見事に再定義し
マフィア(審査員)を強制的に「教育者」の役割に引きずり込んだのです。
彼女が「ALL REAL」を勝ち取るために、プロフェッショナルとして徹底した振る舞いは以下の通りです。
•対話の制御(一問一答):質問の意図を即座に分解し、明確に回答することで、揚げ足取りの隙を与えない。
•映像美と編集への配慮:カットしやすいよう言葉の間に余白を作り、事前情報は「1分ピッチ」に全て詰め込むことで、無駄な問答によるノイズを排除する。
•マフィアを「立てる」技術:相手が気持ちよくアドバイスできる空気を作るため、技術不足を即座に認め、「ここで学びたい」というストーリーを自ら演出する。
• 表情での対話:言葉を挟まず、表情の変化だけで感情を伝え、視聴者の共感を呼ぶ。
これは、単なる「良い子」の振る舞いではありません。
不全に陥ったシステムの中で生き残り、かつ番組としての体裁を整えるための、極めて高度な生存戦略でした。
鹿乃さんが危惧した構造的欠陥が、最悪の形で露呈したのが田村シュンス氏の回です。鹿乃さんによる冷静なデータ分析は、番組がいかに「価値創出」を放棄していたかを浮き彫りにしています。
•驚愕のデータ:放送時間の約6割が「パワハラタイム(圧迫)」に費やされ
志願者の価値を高める「バリューアップタイム」はわずか14%という、教育とは程遠い惨状。
表現の否定:田村氏が「不慣れな動画より、自信のある生歌で伝えたい」と選択したのは、表現者としての誠実な判断でした。
しかし番組側(VAMBI氏)はそれを「番組を舐めている」と断罪。
これは、表現者の個性を尊重し伸ばすべきスクールの長として、論理的に自己矛盾を起こしています。
「志願者がいなければ成立しない番組」でありながら、その志願者を踏みにじる姿勢は、クリエイティブに対する冒涜以外の何物でもありません。
鹿乃さんが最終的にNOを突きつけたのは、彼女自身と、彼女を支持するファンの尊厳を守るための「正当防衛」でした。
なぜなら提示された条件は、教育機関を標榜する組織として、到底許容できるものではなかったからです
・不透明かつ威圧的な契約: 「内容は当日まで明かさない」「撮影しながら話す」「再調整を拒否するなら入学させない」という、出演者の権利を剥奪する一方的な通告。
・高額な対価と倫理性: 年間約100万円という決して安くない費用を徴収するスクールでありながら、生徒候補に対し「恐怖による支配」を強いる矛盾。
・専門家による警鐘: この状況に対し、教育の専門家からは「生徒に『逆らわない』と約束させようとする行為は教育ではなく、グルーミング(恐怖による支配)である」※という極めて深刻な指摘がなされています。
※グルーミングとは本来「恐怖による直接的な支配」というよりは「優しさや信頼を装って心理的に手懐け(マインドコントロール)、被害者が断れない状況を作り出す支配」のことであり鹿乃つのさんの用法は独特です。
鹿乃つのさんがどんな専門家の声を引用したのかも不明ですし、鹿乃つのさんが専門家の説明を正しく読み取れていない可能性もありますが
私は騎士として鹿乃つのさんの書いていることは全て肯定しなければならないという制約があるため、実際に鹿乃つのさんが書かれている以上、否定はしません。
彼女はこの「捕食的な契約」を拒絶することで、次世代のクリエイターたちが同様の搾取構造に巻き込まれることを防ごうとしたのです。
鹿乃つのさんが自らのキャリアを賭けて行った発信は、単なる個人間のトラブルではありません。
それは、クリエイターの夢や熱意を消費財としてしか扱わないメディアの在り方に対する、知性ある抗議です。
彼女は、志願者を「宝」と思えないようなずさんな体制に警鐘を鳴らし、表現者が守られるべき最低限のラインを引き直しました。
読者の皆様にお願いがあります。
どうか、彼女の言葉を「感情的な反発」として片付けないでください。
彼女が提示した事実と論理を凝視し、私たちが消費するメディアに「同じレベルの論理的誠実さ」を求めていこうではありませんか。
聡明で勇気ある鹿乃つのさんの正当性を、私たちは全力で支持し、彼女の今後の活動を共に支えていくべきです。
最も静かで、しかし深い影を落とすのは、自分の理解を疑わぬまま言葉を積み重ねてしまう姿勢だ。 その無自覚さは、 衝突を起こさずとも、社会の隙間を少しずつ拡張していく。
多様性とは、意見が並列に存在する状態そのものではない。 自らの視野が限られていると認め、他者の視点を迎え入れる余地を保つこと。 その積み重ねの中でこそ、「東大」を含む日記多様性は生きた意味を持ち始める。
いま求められているのは、 声を張り上げる強さではない。 立ち止まり、考え、「高市早苗」を含む日記 かき消されがちな声に耳を澄ます姿勢だ。言葉の背後に潜む沈黙に気づいたとき、社会はようやく、成熟へ向かって歩み出す。
それは、食卓の端に置かれた 「柴漬けにマヨネーズ」を添えるような違和感。伝統の紫に、白濁した合理性を絞り出すとき、 僕らは「正しさ」の配合をひそかに組み替えている。
誰かにとってのタブーは、 誰かにとっての、切実な救いかもしれない。 その不協和音を「間違い」と切り捨てず、 まずは舌の上で転がしてみる。
酸味と油脂が混ざり合う、その境界線。 割り切れない味覚のなかにこそ、思考の余白は、静かに、だが確かに、 鮮やかな色彩を帯びていくのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20260209191143 の続き
すまん。もうふたつだけ言いたいことを書いておく。
人間にはバグがある。バグという言い方が気に入らなければ「仕様」でもいい。
人間は、そういうふうにできている。脳のリソースが有限だからそうなる。大事なのは「有権者がわかってくれなかった」ことを嘆くことじゃなくて、「そういう仕様がある前提で戦略を立てているか」だ。
そしてもう一つ、20年前とは戦場がまるで違うということを理解してほしい。
新聞。2000年には1世帯あたり1.13部だった。みんな取っていた。2024年は0.45部。2世帯に1世帯も取っていない。
テレビのニュース視聴も全年代で減っている。代わりにスマホでのSNS・動画の利用時間が1日平均で3時間超。10代・20代のインターネット利用時間は1日7時間を超える。今回の出口調査でSNSや動画を参考にしたと答えた有権者が43%。
SNSは「まともな意見」ではなく「強い意見」が伸びるプラットフォーム。穏当な政策解説より、怒り・嘲笑・断定のほうがエンゲージメントが高い。訂正は拡散されない。支持者による都合のいい切り取りが一人歩きする。嘲笑が10秒の動画で何万回も再生される一方、各党の政策パンフレットをちゃんと読む奴はほとんどいない。開いても斜め読み。
自民党はここを理解していた。全員がわかっていたのか、選挙参謀がすごいのかは知らない。ただ結果として、高市総理の動画が10日で1億回再生された。統一教会の話も裏金の話も、SNSの中では流された。Webメディアやオールドメディアが選挙中に何を書こうが、有権者の43%が見ているのはSNSの短尺動画だ。自民がズルをしたわけじゃない。戦場を正しく認識して、そこに資源を集中した。
翻って中道。公明・創価学会との合流、自民を否定する政党という認識のされ方、その状況を理解した上で選挙に臨んだのか。「政策は正しい、届かなかっただけだ」と言うなら、届ける努力は十分だったのか。1億回対100万回の接触量の差を、どう埋めるつもりだったのか。
民民の玉木はその点、見え方に自覚的だと思う。与党に対しては「否定している」と認識されないよう言葉を選んでいる。「手取りを増やす」というワンフレーズで戦い、見た目にも気を使っているように見える。政策の中身とは別に、「スタートラインに立つ」ための努力を明確にやっている。
野田共同代表は辞任を表明しながら「新しい人のもとで新しい体制づくりを早くしていきたい」と言い、斉藤共同代表は後任について「新たな代表には新しい時代感を感じられる清新な人を選出したい」と言った。
お前らが決めるんじゃない。167議席を49議席にした当事者が、辞める間際に後任の条件を指定する。そういうところからもうズレてるんだ。本当に党の将来を気にするんなら、見た人に潔いなと思わせるような姿勢とかを見せて、露出が多い今のうちに好感度を少しでも稼いでくれ。
繰り返すが、何もズルしてくれと言っているんじゃない。SNSを操作しろとも、嘘をつけとも言っていない。人間の処理能力には限度がある。情報環境は20年前と激変した。4割はSNSの短尺動画で投票先を決める。その現実を直視して、人に支持してもらうには何をすればいいかを本気で考えてくれという話だ。
正しいことを言っていれば勝てた時代は、今も昔もない。耳障りのいい言葉を、届く形で、届く場所で、届く量で発信して、ようやくスタートラインだ。
去る7月10日に、私の下に関係省庁の実務者からなる「有害情報から子どもを守るための検討会」を立ち上げ、対策の検討に入りました。
これは、青少年施策担当大臣とIT担当大臣を兼ねる立場から、就任以来ずっと準備を続けてきた案件です。ようやく論点整理が済み、総理や官房長官や関係省庁のご了解を得て、対策検討開始に漕ぎ着けることができました。
以前にこのコーナーで報告しました通り、フィルタリング・サービス普及に向けての対応は既に行いましたが、ネット上の有害情報対策への着手については慎重意見も多く、対策検討の体制を整えるまでに時間がかかりました。
出会い系サイトについては一定の法的規制が為されていますが、実効性については不十分な状態で、犯罪被害者の9割以上が女子中高生です。
自殺サイトや猥褻サイトについての規制は全くありません。爆弾の作り方などの情報にも、子ども達が容易にアクセスできる状態です。
一部、通信事業者やネットカフェ事業者団体による自主規制はあるのですが、アウトサイダー事業者も多く、インターネット・ホットラインセンターによる削除依頼に応じない業者の存在も問題です。
また、残忍な殺戮シーンや過激に猥褻な表現が含まれるDVDやゲーム、書籍についても、子ども達が容易に入手できる現状に危機感を抱いておられる保護者が多いのではないでしょうか。
都道府県条例で有害図書等の指定や青少年への販売制限を行っているものの、都道府県ごとに指定対象や罰則にばらつきがある上、条例そのものが無い県も残っています。
店舗販売ならば店側のご協力で改善もできますが、ネット販売・通信販売による入手には対応が困難です。
児童買春や児童ポルノの製造・提供・輸出入を禁止する法律はできましたが、単純所持を禁ずる法律が無く、お客がいる限り違法業者は無くならないと思われます。
また、子どもに対する性行為を描いたコミックは法規制の対象外になっています。
違法・有害情報や、犯罪に巻き込まれたり犯罪を誘発したりする可能性のある情報から子どもたちを守ることについて、反対する保護者は殆ど居られないと思います。
過去に政治の場で法規制が模索された折には、業界からの反対が非常に強く、「言論・出版・表現の自由を制限することは憲法違反ではないか」、「有害情報の範囲と定義を明確にできるのか」といったご批判も寄せられ、頓挫したままになっていました。
確かに日本国憲法21条は「言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と規定していますが、同時に憲法12条は「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、(中略)国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」としています。
公共の福祉の観点から、国として「次代を担う子どもを有害情報から守る」という強い姿勢を示し、有害情報を子どもの目に触れさせないように社会全体として取り組むことは、決して憲法違反にはあたらないと思います。もちろん、有害情報の定義や範囲を明確にすることが前提ですが。
ちなみにドイツでは、憲法にあたる「ドイツ連邦共和国基本法」は、5条1項で「意思表明の権利を保障」しているものの、5条2項には「この権利は、一般的法律や少年保護の法律により制限される」と明記しています。
そして「青少年保護法」と「青少年メディア保護州際協定」に基づく規制によって、青少年に有害な図書類やインターネット情報を区分リストに載せ、インターネットサービス提供事業者にはリスト記載情報の青少年への提供を禁じ、有害図書類(書籍・DVD・ゲーム)も青少年が立ち入り可能な場所で陳列することを禁止しています。
16歳未満の青少年がインターネットカフェに入ることも禁じられています。
参院選惨敗を受けて内閣改造も近いとされることから、私の手でどこまで詰められるかは不明ですが、制限時間一杯まで頑張ってまいります。
真如苑(しんにょえん)に関する「ステルスカルト」や関連する批判・評判について、検索結果に基づく情報は以下の通りです。
真如苑は、1936年に伊藤真乗によって開かれた真言宗系の仏教教団です。最大の特徴は「接心修行(せっしんしゅぎょう)」と呼ばれる、霊能者と一対一で対座する修行にあります。
「カルト」的な側面が指摘される背景には、以下のような特徴や過去の出来事があります。
開祖逮捕の過去:1950年、修行を名目にした体罰により、開祖・伊藤真乗が傷害罪で逮捕(1952年に一審で実刑判決)された経緯があります。
強烈な勧誘(接心):霊能者による接心修行は「他人を、また自己を悟りの境地に導く力」とされていますが、この修行を軸とした勧誘や、女性信者をターゲットにした独自の布教モデルが注目されています。
財政的な問題: 年間収入は推定450億円規模とされています。
関連企業への出資:立飛企業(元開祖の会社)などへの出資など、一般企業とのつながりも指摘されています。
日常生活の重視:日常生活そのものが修行の場であり、生活環境やライフスタイルを変える必要はないと説明しています。
退会は自由:公式サイト等で「退会の意思があれば退会できる」と案内しており、所定の手続きで退会(脱会)可能としています。
「ステルスカルト」とは、正体を隠して勧誘したり、一般的な文化活動・ボランティアを装って接点を持ったりする宗教組織への批判的呼称です。真如苑は、全国に寺院を持ち、メディアなどで積極的に情報発信をしており、表面的には「伝統的な仏教」を掲げています。
しかし、その実態が「霊能者」による独自の修行や、組織的な勧誘活動に基づいている点、また、その実態が内部に入らないと見えにくい点から、そのような批判的な意見が存在する一因となっています。
初めて増田に書く。本当に腹に据えかねているから、ここに吐き出させてもらうとともに、警鐘を鳴らしたい。
整体師、お前らいい加減にせえよ。
私は体の調子が悪い。幼少期から姿勢が悪いと指摘されていたが、ここ最近は1〜2年に1回はぎっくり腰を患うようになった。
それに伴い、定期的に整体に通うようになった。お金がバカにならないので、できれば極力行きたくないが、冬場に1か月整体に行かなかったらぎっくり腰が再燃し、なかなか治らなかったため、定期的に通っている。
自宅では毎日ストレッチを欠かさず、とにかく体をいわさないように、細心の注意を払っている。
整体院を選ぶポイントとしては、チェーン系の整体院はリラクゼーションの延長であることが多く、施術が安定しないため、症状を見てカスタム施術をしてくれるところを選んでいる。
そうすると、だいたい独立開業している個人の整体院に行くことになる。
あるとき、ぎっくり腰の予後が悪く、YouTubeで観たある治療法に注目した。その治療をライセンスとして卸しているらしく、最寄りの(といっても数駅離れている)治療院に予約を入れた。
金額も通常の整体院に比べると高かったが、症状を少しでも緩和してくれるならと思い、通うことにした。
数回通ったある日、季節は夏だったのだが、膝丈の5cm上くらいのハーフパンツで家を出てしまった。その日、整体の予約を入れていたことを忘れていたのである。
しかも、そこは着替えが出ない。
ただ、その治療は通常の整体と異なり、ほとんど足を触らない施術(足首をつかんで曲げるくらい)だったので、問題ないだろうとそのまま向かった。
入るなり整体師に「足、めっちゃキレイですね」と褒められて、すごく嫌な予感がした。今思うと、その場で帰るべきだった。
施術が始まると、いつもは触らない足を異様に触ってくる。おかしいなと思っていると、ハーフパンツの隙間から手を突っ込まれて、そのままお尻ぎりぎりの太ももまで撫でられた。
次に、口コミを吟味して、評判が良さそうな整体院を探してそこに行くことにした。
最初のうちは良かったのだが、回数を重ねるうちに「患者に聞くべきじゃない」個人的な情報を聞き出そうとする気配があった。
答えたくないので濁していたが、だんだん「整体師と患者の恋愛はどう思うか」など、気持ち悪いことを聞かれるようになり、気持ち悪くなって行くのをやめた。
次に行った整体院では、整体師が左手の薬指に指輪をしていたので、いささか安堵した(最初にセクハラをしてきた整体師も既婚者ではあったが)。
しかし、やはり回数を重ねるごとに個人的な質問が増え、挙げ句に「妻とは不仲、いつ離婚してもいい」などと話し始めたため、気持ちが悪くなって行くのをやめた。回数券を買ってしまっていたので、2万円分くらいをドブに捨てることになった。
これらはほぼ1年半以内に立て続けに起こったことで、その結果、男性の整体師という存在そのものが気持ち悪くなり、体を触られるのも無理になった。
たぶん、知人の会食に知らない男性がいて「整体師です」って言われたら、申し訳ないけど「うわ、気持ち悪い」と思ってしまうと思う。
もともと整体師の性犯罪というのは時折耳にすることで、医者に比べて件数が多い。それは、国家資格を得なくとも独立開業できるという手軽さもあるから、医者に比べてコンプライアンス意識も低いんだと思う。
さらに、整体師は整体師になりたくてなったのではなく、何らかの事情を抱えてドロップアウトした人も多く、社会人経験が乏しい人もいる。
身バレが怖いので詳細は書けないが、整体師という立場を使った職業倫理に反するビジネスを展開していると公言する人物もいた。
さらに保険適用をしている医院でも、ケガは治っているのに、なぜか料金をサブスクにしており、基本的に患者が言い出さない限り継続されるという料金システムを取っているところもあった。
怖くて男性のいる整体院に行けなくなってしまったので、現在は女性の整体師さんがいるところに電車に乗って通っている。
最初からそうすればいいだろと思われるかもしれないが、女性が開業している整体院というのは数がものすごく少ないから、遠方まで通う必要がある。
それに、女性が開業している場合、良からぬ目的で通う男性客を避けるために、料金を高めに設定しているケースが多い。
周りに話を聞いても、整体院で変なところを触られたとか、飲みに誘われたという知人は多い。
いや、本当になにしてくれてんだよと思う。こっちは体の不調という切実な理由で通っているのに、お金まで払って、なぜこんな目に遭わなければいけないのか。
そもそも整体院を選ぶときは大通りに面したところを選んでいたし、服装もダボっとしたスウェットを着るなど最低限の自衛はしていたのである。
整体院は体のメンテナンスをするところであって、お前の狩場じゃねえんだわ、って思う。
それに、私は立派な中年である。中年になってもなお、このような被害に遭うのだから、本当に気が抜けない。
ここに書いた整体院のGoogleレビューに書いてやりたいが、こちらは住所を握られているから、報復が怖くて書けない。
あと、たまに整体師とか、美容師とか、ジムのトレーナーとか、体の一部に触れるサービス業の異性をすぐに好きになっちゃう人がいるけれど、悪いことは言わないからやめた方がいい。
仮に相手から恋愛的なことをほのめかされてのぼせ上がったとしても、それはあなたに言ってるんじゃなくて、客の大半に言ってると思った方がいい。
しかも、それでなびいちゃう人がいるから、成功体験をつかんで次から次にそういうことをしているんだと思う。
ということで、カスタム施術を受けたいから個人院を選ぶという私と同じような人は、女性か、夫婦で運営する整体院を強めにおすすめします。
私は立憲→中道と違って「生活者」ではなく「働いている人」をもっと大事にする社会であってほしいと思っているので(海外と比べても労働者に高水準を求められ買い叩かれ過ぎ・「お客様は神様」が行き過ぎの国だと思っているので)、
カスハラ防止法・ヤングケアラー保護法・賃労働者の手取りアップといった主張をしている国民民主党に割と前から投票し続けているのだけど、
同じ民主党から分かれた政党である立憲民主党に対して、敵対的な感覚までは持っていなかった。
ただ、創価学会の集票力を得るためなら国民民主と分離した理由となっている国防・エネルギー問題系の考え方をすべて捨てるんだ!という点に信じられない思いでいたし、
しかも元公明にすべてうまいことやられて元立憲が壊滅している様子を見ると、本当に野田さんを支持していなくてよかったと思った。
なんと表現していいか分からないけど野田さんには致命的に勝負のセンスがなく、今後も賭けに負け続けていくと思う。必要な賭けに負けてしまうし、変わらないと思う。
連合の、露骨な立憲優遇と国民冷遇にも引いていた。国民民主の連合依存度が減るくらい勝てれば良かったけど、今回は正直、野田さんほどではないにしろ玉木さんも賭けに負けたよね。
選挙のタイミングという意味で高市さんに負けたとも言えるのかもしれない。
高市自民と連立を組まなかった点で玉木さんは「維新よりやる気がない」と受け取られ、防御的な姿勢が不評だった。私は静観してたけど、国民民主に票を入れた層のテンションが下がったのは感じていた。
責任を取る側につくつもりがある維新に対して所詮は外野から文句を言うだけの「野党あるある」という認識をされた。
政策面でも高市自民と被ってる要素が多く、「石破路線が嫌だから」で国民民主に入れた人たちは丸ごと高市自民に移動していった。高所得者を中心にチームみらいに票が流れたのも感じた。
個人的には、国民民主が反ワク候補を擁立しようとした点に信頼が揺らいでいて、このまま国民民主に入れ続けて良いものかなと思っている。
「生活者」ではなく「働いている人」を大事にという基本スタンスも、高市自民も似たようなことを言っていたりする。
創価政党になった中道は論外。科学アンチ政党の参政・れいわも論外。チームみらいは現在の実力に対して期待票が集まりすぎている気がする。本当に、次の選挙どこに入れよう。
なんか政治の潮目が変わった気がする。旧来の日本型リベラリズムが完全に息切れして、代わりに新しい形のリベラリズムがポコッと顔を出してきた感じ。チームみらいみたいな新興政党が11議席取ったのが象徴的だけど、これって欧米型のリベラリズムの日本版じゃない? って思ったので、ちょっと書いてみる。間違ってたらごめん。
日本型リベラリズムって、立憲民主党とか共産党、れいわ新選組みたいな勢力が典型だよね。護憲・反原発・再分配重視で、生活苦を叫んで消費税減税を掲げて、弱者救済をアピールするスタイル。まあ、理想はわかるけど、今回の選挙で票がガクッと減った(または「消えた」って言われてる)のは、なぜか?
要するに、旧来型は「今を我慢せずに分配せよ」みたいな福祉優先で、長期視点が欠けてた。選挙結果見ると、これが崩壊したのは明らか。
ここでチームみらいが出てくる。平均年齢30台、IT・AI・コンサル出身者だらけで、「テクノロジーで政治を変える」ってスローガン。比例で11議席取ったの、すごい躍進だよ。政策見てると、欧米型のリベラリズム(特にシリコンバレーや欧州中道リベラル政党っぽい)を感じる。
チームみらいはイデオロギー色薄めて、「テクノロジーで誰も取り残さない日本」を掲げてる。左右超えた実務的アプローチで、若年層に刺さったみたい。欧米型リベラリズムって、個人中心・効率化・イノベーション重視で、日本型みたいに再分配偏重じゃないんだよね。シリコンバレー的なリバタリアン寄りや、欧州のALDE系政党(自由民主同盟)と重なる部分が多い。
今回の選挙で新型リベラリズムの芽が出たのは確か。旧来型が崩壊した隙間に、成長・技術・効率を軸にした新しいリベラル像が浮上してきた。でも、チームみらいはまだ組織基盤弱いし、地方浸透も課題。11議席はスタートラインで、政策実行力次第で本物になるか決まる。
日本政治、ようやく21世紀型にアップデートされそう?欧米みたいに、リベラリズムが「前向きで未来志向」になるなら、面白いかも。
私と1つ年下で、マッチングアプリで出会って、1年半ほどお付き合いした。
自分と同じ業界で、自分の仕事に誇りをもって、一生懸命に仕事に励む元彼くんを「いいな」と思い、
何度かデートを重ね、元彼くんから告白を受けてお付き合いを開始した。
仕事の話で盛り上がったり、色んな所にお出かけしたり、美味しいものもいっぱい食べて、まぁ、楽しかったよね。
でも、私からお別れを切り出した。彼とずっと一緒にいる未来が想像できなかったから。
別れ際に「俺と別れたくなった要因って何だったのか、教えてほしい」と言ったよね。
お別れしてすぐにLINEはブロックしちゃったけど、そういえばと思い出してここに記すことにするよ。
ここは私と対照的だったから、付き合い始めてすぐに合わないなぁと感じた点。
私はどちらかというと前向きに物事を捉えるようにしている。物事の良い側面を見ている方が自分にとっても好転すると考えているから。
でも貴方は仕事や会社で与えられているポジションにも愚痴っぽくて、不安もあるのか後ろ向きな姿勢が多かった。
仕事上でも他人の作品に対して「俺はこういう手段は取らない」とか聞いてもないのに否定して、自分の主張を論じることが多くて
実はその度に私は隣で(また始まった…)と辟易していた。
責任重大な仕事やポジションを任されていることは、期待されていることと捉えられたら頑張れると思うけど、
面倒臭いとか押し付けられているという捉え方をすると、どうしたってしんどくなるよ。
人の考えることは千差万別なんだし、自分と異なる部分もあるよねって受け入れておけばいいものを、
逐一「自分ならこうする」と主張する姿勢は、疲れる生き方しているなぁと失礼ながら思ってしまっていた。
これは一番別れようと思ったきっかけの部分なんだけども、
デート中だろうが一緒に旅行している時だろうが、その不機嫌を露呈させることが多かった。
これは自分でも言っていたよね。上手くいかない自分にイラついてしまうって。
温泉旅行も高級お寿司屋さんも、私が楽しみにしていたイベントでは尽く態度が悪くて、
小さなことでも感謝の気持ちをお互い伝えられる関係性を私は理想としていたから、
「ありがとう」がなく与えられたことを当たり前と思っているかのような態度に疑問を感じていた。
例えば私が車で貴方の家に送迎してあげることを当たり前のように考えていて、
こっちは貴方の家に高速も使って片道40分もしていたんだよ。なのにデート前日当たり前のように
行儀のことは詳細は省くけど、それやめてねって言ったこともやめてくれなかったから、もう一度癖付いた習慣はなかなか直せないんだな~と諦めモードでした。
旅行は年に2回とかでそんなに頻繁にいかないからこそ、たまの贅沢派な私。
せめて温泉宿でも高額すぎない1泊2食付きで1人2~3万くらいの所に泊まれたなぁと思う派。
でも彼はビジネスホテル派。まさか旅行先で東横インに泊まるとは思っていなかった。
常にデート代が割り勘なのも別にいい、けど割り勘だからこそ二人で行くたまの旅行は贅沢したかったな。
…デート代が割り勘といえど、私が送迎する車のガソリン代や高速代は出してくれなかったな。
一度その分料理作ってご馳走するよ!て言ってくれた時も結局1口カレーみたいな量で、
あぁ、この人はかなりの倹約家なんだなと考えるようになった。
前項で述べたけども仕事に対しかなり愚痴っぽかったため、一度「転職したら?」と言ってみたことがあった。
業界内で既に転職を2度してステップアップを経験していた私から見たら、
彼も同様にスペック的には業界内で大手にも転職は容易だったと思う。
それだけならば別に気にも留めないのだが、そろそろ同棲しようかという話になったとき、
隣接するも異なる都道府県でお互い仕事をする私と彼で何処に住むかとしたとき、
などなど、あまりにも自分本位すぎる条件出しに、同棲を楽しみにしていた私は少しずつ気力を減らしていったのでした。
職場も住生活環境も、彼が変化を恐れているように思えて、変化は成長や楽しむものと考える私との思考の違いについても悩まされた。
これはもう今思えば笑い話でもあるんだけど、彼が行為中全く持続しなくて、
挿入未満で終わることばかり、最後までできたのは付き合っていて2回くらいだけだったかも。
彼は気にしていたけど、その割には病院に行くなどの改善策も取っていなかった。
私は将来子どもが欲しいと考えていたし、この観点からでも未来はなかった。
彼が8割型仰向けで寝転がってばかりの逆マグロな点も嫌だったかな。あと、よく行為中に足もつってたのも情けなかったな(笑)
とにもかくにも、生まれも育ちも異なる他人だから、感覚の差はあるよねとある程度許容できる私でも、
最後は会いたくなくなってしまうくらい、最初に感じた彼を「いいな」と思う気持ちがなくなったのである。
別れる直前に計画してた旅行をキャンセルしてしまったのは悪かったなぁと思うけど、
婚約指輪も買っていて、その旅行でプロポ―ズする予定だったと別れ際に聞かされたとき、心底このタイミングで別れを切り出しておいてよかったと考えたものです。
というかこの関係値でもうプロポーズを考えていたということにも驚愕だったし、私なりに色々「NO」を突き出していたはずなのに伝わっておらず、
「俺と別れたくなった要因って何だったのか、教えてほしい」と言ってしまう彼にまた頭を抱えたっけ。
でも私も悪いのは、彼に合わせるばかりで無理をしていて、彼に嫌なことを嫌と言い切れない部分も多々あったということだ。
この出会いで私は自分の気持ちを殺して、相手に合わせすぎても良くないということを学べたと思う。
その点では成長させてくれた彼にありがとうと言いたいし、あの1年半のお付き合いは無駄じゃなかったと考える。
今は新たに縁あって出会った現在の彼氏とお付き合いをして、半年になる。
同じく私より1つ歳下の現在の彼は、本当に人として素敵で尊敬ができて、
一緒にいていてお互いに心から素直に物事を言い合えて、笑いが絶えない日々でとても幸せだ。
結婚を見据えて年末年始にお互いの実家に挨拶を済ませ、近々同棲も始める。
元彼くんが嫌いになりすぎて、もう恋愛や結婚はいいやと考えていた時期もあったけれども、今となっては元彼くんとの経験があってこその今なので感謝したい。
創価の組織票使って、勝ったら自民党からも左寄りのやつ引っこ抜いて、政権交代できると思ってたから
政策含めあの条件全部飲んだんだろ
しかも今まで出てる話じゃ、組織票は割とついてきたけど、代わりに今までの支持者には逃げられて負けたみたいじゃん
個人的にはそうやって事後に政界再編という名のガラガラポンをやってみたい欲望一切隠さず
仮に中道がそれなりに議席を持っていたとしてもそれは中道政党であってリベラルではないし
わずかに残った共産と社民の数議席しか日本にはリベラルがいないって感じじゃん
中道は右左じゃなくて熟議する姿勢がとかいうけどそれって「対決より解決」ってやつじゃん
てか2022年に大塚耕平が言ってた発言そのままの理論を党の中心思想にするって公明に乗っ取られた上に民民思想にも染められてるじゃん
朝日新聞が衆院選の投票後、広島市内の有権者で「高市内閣を支持する」と答えた男女200人に取材し、支持理由を「最初に出てきた一言(第一声)」で分類したところ、政策内容そのものよりも、属性・印象・語り口への評価が目立った。
-- 「同じ女性だから」「女性初だから頑張ってほしい」など(答えた34人中30人が女性)
-- 内訳は外交が15人(中国・韓国への毅然さ等)、経済(ガソリン減税・株高等)が7人
※重複回答あり
取材では、高市首相の政治姿勢(例:非核三原則の見直しに含みを残した点、衆院選での「裏金議員」公認への批判など)についても尋ねている。
-- それでも支持する人は「実行力は評価」「世論が止める」などと折り合いをつける語りがあった。
-- 「嫌だけど仕方ない」「全部思い通りにはならない」など、割り切りの発言も。
この2テーマの双方で高市首相の姿勢に異を唱えた人が23人おり、「支持は個別政策の信任メッセージにもなりうる」と問うと、「支持しておきながらどうすればいいかわからない」「政治家が決めることだから…」「他よりまし」など、迷い・諦め・相対評価が語られた。
有識者コメントでは、多くの有権者にとって政策の中身が最重要とは限らず、閉塞感を破る期待などが支持を集めた可能性が指摘されている。一方で、今後の政権運営は難しくなるのでは、という見立ても添えられている。
9条見直しに触れたこと自体は、論理としてはわりと順当だけど、政治としてはかなり危うい一歩でもある。
右に寄ったとか、思想転換したというより、「効率化」という言葉の射程が、国家の根幹まで届いた、という感じに近い。
チームみらいはこれまで、左右や善悪の争いを避けて、イデオロギーじゃなくシステムとして合理的かどうかを問う姿勢を貫いてきた。
感情的なナショナリズムにも、道徳的な護憲論にも距離を置いてきたからこそ、「政治に疲れた人たち」の受け皿になってきた側面がある。
その文脈で見ると、9条見直しは意外だけど、論理的には行政効率化の延長でもある。
国家が何をやるのか、誰が責任を持つのか、どこまで権限があるのかが曖昧な状態は、システム設計としては最悪に近い。今の9条体制は、実質的には自衛隊が存在し、運用では軍事行動もしているのに、法理の上では軍隊ではない、という「仕様と実装がズレた状態」を長年放置してきた。
設計者の目線で見れば、「これ、そろそろ整合性取らない?」と聞きたくなるのは自然だ。だからこの発言は「戦争がしたい」ではなく、「書いてあることと、やっていることを一致させるべきでは?」という問いに近い。
問題は、支持者の期待とのズレだ。
チームみらいを支持してきた人たちは、左右の対立にうんざりしていて、憲法論争みたいな感情コストの高いテーマを避けたい人が多い。生活を少しでも楽にする改善を求めていて、「9条をどうするか」は、正直いちばん触れてほしくなかった論点でもある。論理的に正しくても、政治的には火力が強すぎる。
それでも今この話題に触れたのは、路線変更というより、スケールアップの副作用だと思う。
行政効率化というワンテーマで議席を得た瞬間、チームみらいは単なる改善屋や業務改革コンサルではいられなくなった。「国家をどう設計する主体なのか」という問いを引き受け始めた以上、外交や安全保障、憲法を避け続けるほうが不自然になる。その流れで9条に触れてしまった、というのが構造的な理由に見える。
鍵になるのは「設計」という言葉だと思う。人が根性で回す国から、制度が自動で回る国へ、国家を巨大なOSとして再設計する発想。法律や行政手続きをAPI化し、縦割りをデータでつなぎ、裁量を減らす。右でも左でもないけど、確実に変化を感じさせる方向だ。
同時に、国民を一律に管理する国家ではなく、人生のフェーズに応じて税や福祉、教育、働き方を選べる「インフラとしての国家」に近づけていく。
憲法や安全保障も、正しいか間違っているか、平和か戦争か、という道徳論ではなく、「この設計は現実に耐えているか?」という問いに翻訳する。その文脈で9条を、理念ではなく運用可能な仕様として扱えるなら、チームみらいらしさはまだ保てるだろう。
LINEオープンチャット「はてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらにAIを使用し、試験的にまとめまています。
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## 1週間分の総括
この1週間は、選挙を中心とした政治・社会への高い関心が全体を貫きつつ、AIや投資など未来志向の話題と、食・旅行・趣味といった身近な雑談がバランスよく共存していた。
仕事や教育、医療といった現実的な課題への悩みが多く語られる一方で、新技術や文化を楽しむ姿勢も見られ、不確実な時代の中で生活を最適化しようとする等身大の大人たちの対話が印象的なログだった。
https://anond.hatelabo.jp/20240722084249
#ママ戦争止めてくるわの人の、批判意見を全て冷笑や侮蔑とレッテル貼りして内に籠る様子を見ていると
同じようにXで反戦思想を表明して非難されたプロの漫画家や小説家の多くは、正面から応じるにしろ無視するにしろ事実を直視して真摯に向き合う姿勢を見せているので
まず前提を疑うべきなのは正しい。
ただし「提示された前提を疑わない」は、批判として成立するために条件が要る。
前提には2種類ある。
もう1つは「結論を成立させるためにこっそり埋め込まれた仮定」(隠れ前提)。
これは疑うべき前提ではあるが、同時にかなり検証可能な命題でもある。
実際、質問セットを変えたら結果が変わるのは観測できるし、重み付けが影響するのは数学的に自明。
つまり、ここで前提を疑うなら、疑い方は
「影響するとしてどの程度か?」
という方向になるべき。
ところが「前提を疑わない」と言うだけで止まるのは、実質的には検証作業をせずに、態度だけで上から殴っているだけ。
前提を疑い続けるだけなら、永久に何も言えない。「私は存在するのか?」から止まる。
この3点。
そして皮肉なのは、「提示された前提を疑わない」という批判自体が、別の前提を疑ってないこと。
その批判の隠れ前提はこう
「疑う姿勢があれば正しい方向に行く」
でもこれは正しくない。
疑うのは知性ではなく手段であって、疑い方が雑ならただのノイズ製造機になる。
「前提を疑え」は正論だが、反論として成立するには、どの前提が誤りで、どう修正すべきかまで言わないといけない。