
はてなキーワード:妙味とは
スロットとしては地味だし
組み合わせの妙味もさほど感じないのだがなんか上手いプロモーションやったのかね?
ストリーマーの運営に金だして所属にそれとなくプレイ促すとかって
ステマになんのかな
https://gist.github.com/dom54674gery/818955d4e1b083618fb9678f7b97f432
https://gist.github.com/dom54674gery/e3abff68a64644b68682a1b8ad8a8a78
https://gist.github.com/dom54674gery/f82c618b0dcf9b6e0c7171b213fc94f0
https://gist.github.com/dom985379/bd5c1cf038ec3a76949ea8aa5a6a73d6
世界一映像化されたギネス記録持ちの巨匠スティーブン・キングがコロナ禍を予言したパンデミックホラー映画。
というわけでは全然なく、原作・原題は「Children of the Corn」で原作の邦題は「トウモロコシの子供たち」
俺はまったく知らなかったんだけど、このトウモロコシシリーズは1984年の1作目を皮切りに9作目まで作られている、アメリカではジェイソンやフレディのようなアイコン的なホラーシリーズらしい。この作品はそのリブート版で、作品的にはシーズンゼロの前日譚にあたるらしく、アメリカではエグいくらい酷評されていた。
酷評の多くは「原作どこ行ってんオブザイヤー」という感じだが、それ以外の部分で最も「確かに」となるのはストーリーテリングの拙さ。特に人間関係の描写の薄さ。俺も最初から最後まで「これは誰でどういう関係何だっけ??」と思いながら見た。まぁどうせみんなすぐ死ぬだけだからいいんだけど。
そういうC級ホラー映画を見るメンタリティでいればそれなりに楽しめた。
おそらく低予算だったのだろうけど、個人的にはホラー特有の省略の妙味が楽しめたのはよかった。
冒頭から「既に」ヴィランの少女は頭おかしいし周囲の子供たちは不穏だし、事態が始まると「既に」町は大荒れで、「既に」大人たちは保安官事務所に監禁されており、次のシーンでは「既に」大人たちは大穴に落とされている。その後も「既に」吊るされているジャーナリストや「既に」用意されている凶器など、常に3分間クッキングのように「準備は裏でやっときました」が続くので割とテンポよく見られた。
ホラー映画らしく主人公の女はバカで愚かだけど基本常に囚われているのであんま余計なことはしないのはマル。
ゴア表現も多くはないけどちゃんと入ってたし、キング特有のクゥルフ要素である「歩く者」も登場しサービス精神も旺盛。口煩い教訓話もなければ本編の時間も短いのでキング特有の「なんかよくわからんけど不穏な状況からの脱出」というエッセンスをうまく表現できてると俺は思ったかな。なお、キングファンは大酷評な模様。
あかん、もう何も見るもんなくなったけどなんかホラー見たい!って時に見るのがオススメ。
おそらくマチュはずっと「世界に関わるないことのできない若者」として描かれるよ。
現代の若者描写としてそれが自然。歴代ガンダムみたいにガンダムを与えられて嫌々ながら世界に関わっていくならクランバトルは挟まない。
つまり討ち滅ぼすことはできないけど、自分たちの計画は台無しにする存在。たぶんマチュの知り合いに死人もでない。「最悪のことが起きたけど生きてて良かったね」が出来なくなってしまうから。
マチュの計画が「地球へ行くこと」というのは丁度アガンベンがコロナの時言ってた「移動の自由」の議論に通ずる。
マチュが地球に行く理由はくだらなければくだらないほどいい(視聴者からバカにされるくらい)し、隣にニャアン=移民という「移動の自由」が本当に切実な存在がいることにまた妙味がある。
移動の自由と義務としての生が対立するほどマチュに若者感がでる。
まぁとにかくマチュは修学旅行が中止になった高校生だから、サイコガンダム騒動に巻き込まれることはあっても、事態を左右する一手は絶対に打たせてもらえない。他の誰かが処理する。
外資金融でいうと、株にしても債券にしても日本企業が発行する金融商品の妙味がだんだん薄れて、日本拠点は海外モノを売りさばくセールス拠点になり下がったということ
ゼロ年代まではJGBトレーディングにしてもMSCBみたいなエクイティファイナンスにしても手を変え品を変え、日本でメイクマネーするチームを抱えていたけど、そういう賢いチームはたとえばシンガポールに移っちゃった
結果として、東大京大の理系の賢いのをとる代わりに、機関投資家にコネの太い世襲上級国民の早慶+東大をとる(東大には上級国民が結構いるけど、一橋東工にはほとんどいない。京大の上級国民は昔から就活なんていう下品なことはしない)
増田内で流行っていたが読んでない。つまらんから。正確には最初の一つを斜め読みしてその他は全く読んでない。
「重要な」っていうからには声価の定まったものになる。「ドラゴンボール」「ドラえもん」「スラムダンク」とか羅列されても、はあそうですねと言うしかない。
誰か端倪すべからざる人物による「俺の独断と偏見による偉大なマンガ10選」なら読む価値がある。
あるいは匿名でも「知られざる傑作漫画10選」なら面白いかもしれない。
ーーーと、n選フォーマットをここまで否定してきたが、さすがにそんなことはわかったうえで楽しんでるんだと言いたいことだろう。
「☓☓が入ってないぞ!」とかガヤガヤ言ったりするのが楽しいんだと。それを見越して補遺で言及するのが妙味なんだ云々。
それ以前に、どうやら人はわかりきった話が好きである。俺は嫌いだが。「3大〇〇」「〜〜四天王」みたいなフォーマットに意外なものが挙がってくることはない。みんな知ってるスゲーものをスゲースゲーと反芻するかのように賛美することは「おもしろい」らしいのだ。
あるいはレシプロ戦闘機最強は?野生動物タイマン最強は?三国志武将最強は?みたいな、決められた枠の中での格付け話もオタクは大好きだ。
江戸時代からの何でも番付文化というのもあったな。知らないやつのために書いておくと相撲番付の体裁で(たとえば)日本各地の温泉地をランキングにするのだ。
ああそういえば投票なんかしてない謎の「ランキング形式」というのも番付の変種だな。
「格付けを喋喋する快感」の本質は何だろう。ある程度普遍的感覚のはずだが、俺はそういうのがわからないほうだ。お前らが大好きなことはたいがい俺はそうでもない
Youtubeで動画観てて、変化球って言うほど曲がらないんだなって思った。打席に立てば大分曲がって感じるのかも分からんけど、傍から見るとプロ野球でもほんのりと曲がってるような曲がってないような……って感じ。
もっと卓球みたいにギュンギュン曲がるもんだと思ってた。卓球も10年くらい前にプラ玉になってナーフされてたような気がするけど。
セルロイドの危険性がどうのという建前はありつつ、なんか回転よりスマッシュの応酬の方が見応えあるから的な事も言われてた気がする。
興行的だな〜って思った。
まあ縛りプレイがスポーツの本質だし、その縛りを目的に応じて都合良く変えられる柔軟さは強みなのかもしれんけど。
でもその目的が、ルールの存在がもたらす戦術や駆け引き妙味から、観客側の見応えにスライドしていくのもなんかな〜って感じがする。
まあガチを勝ちを狙いに行くあまり絵面が地味になったりセコい感じの戦術が主流になったりするのと、大味なプレイも見られて見応えはあるけど薄々プロレスめいた部分への自覚を抱きながら見るのとじゃどっちが良いんだろうって話で、セントラルとパシフィックの棲み分けでよく言われてそうなアレがある。
意味不明。きっとなにか重要なことが語らえてないだろうけども、暗号技術の意味がなくなるステップがまるで見えないので意味不明。
>SNSはなりすましで溢れ、人類はオフラインのコミュニティ移行する
認証技術としての基盤である暗号技術が無いならそうかも。でも私には暗号技術がなくなるとは思え無いので、これも無いという結論になる。
> 今でも、インプレゾンビが湧いているが、あれが人間かどうか見分けが付かなくなる
迷惑アカウントが人間だろうがAIだろうがどうっちでも良くないですか?どっちでも迷惑なことに変わりないうんこにたかるハエです。
> 優しい人や知人を装って、詐欺に誘導するアカウントが増えると思う
> 3.デジタルな娯楽を作る人が居なくなる
それはないと思う。大量工業製品で溢れてる現代において陶芸や裁縫は結構な趣味として確立している。AIが無限にデータを作れることと人間が作らなくなることはイコールじゃない。
>ボタン一個押すだけで、ハリウッド映画を無限に作れるようになるのに、わざわざ金使って映画撮る人おる?
いないと思う。想像の通り少なくなるでしょう。
> 他の分野もそうなるし、既に音楽やイラストは手を引いてる人が出てそう
お金が稼げなくなると言う意味ならそうです。表現を辞めるかどうかは別の話。
人々は、音楽やイラストも、スケボーとかダイビングみたいな自己表現、趣味の一つであることを思い出すだけです。
>AIを作っている会社がボロ儲け、AIを使う人が適度に儲け、使えない人は貧乏生活
> これは今の株価を見てもそうなると思う
そうだと思います。AIを動かす電気を作る人なんかはもっと儲かると思います。エネルギーセクターも結構妙味があるかもしれません。(思いつき)
>ゲームのオンライン対戦なんかも機能しなくなるし、インターネット普及前の生活まで戻ると思う
対戦相手が人間かAIかわからないと言う意味ではそう。でもAIは十分人間と見分けがつかないレベルであれば、今までのオンライン大戦と何も変わりません。
なのでインターネット普及前までの生活に戻る。というのが意味不明で何を言っているのかわからない。同意できない。
なんか、もっとボロカスに書こうと思ったけどところどころ、同じ考えだった。
AIを規制する必要はないと思う。ただし貧富の格差は問題があるのでサポートが必要。こんなところだろうか?
興味を持ってくれてありがとう。
私が考える「つまる人生」すなわち面白い人生とは、一言で言えば内発的な動機と偶然性に彩られたものです。
内発的な動機とは何か。
人はそれぞれ違った関心や性質を持っています。度肝を抜かれるほどの変人や天才はほんの一握りだけれど、それでも誰もがそれなりにはユニークです。
大勢の人と社交するのが楽しい人がいれば、独りで黙々とこなすのが好きな人もいる。競争や勝負に燃える人がいれば、それらに興味のない人もいる。絵を描かずにはいられない人、気がつけば星空を見上げている人、なぜか魚類に深く心を寄せる人。
そのような、その人だからこそ持っているものを突き詰めたり、大いに発露している様をとても興味深く感じるのです。
たとえそのような生き方が、世間的に評価されず、まったく金銭的な価値を生み出さず、場合によっては呆れられたり白い眼で見られるものであったとしても。
なぜ登るのかという問いに「そこに山があるから」(正確には「そこにエベレストがあるから」であるようですが)と答えた登山家の話はあまりに有名ですが、内発的動機というのはまさにこれです。
私は登山どころかアウトドアに全く親しみがありませんが、彼が見事に言い表しているように「ただ、そうしたいからそうする」という生き方に心を打たれるのです。
もう一つ、偶然性とは何か。
人がそれぞれ違っているように、一人の人生の中で起こる出来事も様々です。何が起こるかを予測することはできません。
この時代に日本に生を享けたという出生の偶然性に始まり、実に様々な偶然性に晒されながら人生は進行していきます。そういう偶然性の一片に、人生全体を方向付けるものがあったりするものです。
重い病気に罹った自分や家族を治療してくれた人への感謝と畏敬の念から、医療の道を志すとか。ある芸術作品に衝撃を受けて、創作や研究活動にのめり込むとか。
もし、それに出遭っていなければそうはならなかったかもしれない、でもなぜかその出来事が起こって現にこうなっているという面白さ。似たような経験した人は他にもいるはずなのに、その人にとってはそれが決定的に働いて今があるという不思議さ。
偶然性そのものは何でも良いのですが、偶々起った出来事とか人や物との出会いによって人生が動かれていくというのが、また人生の妙味だと思うのです。
こうやって考えていくと、内発的動機も偶然性の一つと言って良いのかもしれません。
(なぜか分からないけれど、それをしたい。そういう性質に生まれた、あるいはそういう経験をしたという偶然性。)
「激レアさんを連れてきた。」という番組がありますが、そこに登場する人にはそのような面白さを感じることが多いです。(たまたま何度か見たことがある程度で、特に熱心に見ているわけではないですが)
そんなにレアではなく、経歴や属性だけ聞くと凡庸に思えても、内発的な動機に突き動かされて、そして不思議な縁に引っ張られて生きていれば、それはとても面白いものです。
なので、元増田の人生もつまらないものでは全くなく、とても面白いのかもしれません。普通の家庭を持ったサラリーマンとしての側面しか記述されていませんが、その仕事は(なんらかのきっかけで深い関心を寄せて)人生を捧げるようなライフワークとして取り組んでいるかもしれないし、あるいは賃労働とは別の社会貢献活動に情熱を注いだり、何らかの創作に精力を傾けているのかもしれません。
ただ、大多数のレールとしてある学歴を重ね、就職するものだからという常識で就職して、結婚した方がいいという観念で結婚して、子どもを産み育てるべきだという規範でそうする・・・そういう既定路線・予定調和的なものを逸脱するものを見出したいという思いがあります。
常識を逸脱するもの・普通を横溢するものを、(程度の差こそあれ本当は誰しも持っている・出遭っているはずなのに)無いことにした生き方を「つまらない」と思うのです。
そういうわけで、私は、ライフプランとか人生設計とかいう考え方が嫌いです。
何歳ごろに結婚して、何歳までに子供を何人産んで、それから家を建てて、教育費がこのくらいで、老後の生活費がこのくらいかかるから、貯金がこのくらい必要で・・・とか、そういうやつです。
(「一流のプレイヤーになる」とか「自分の店を持つ」とかの目標を持つことは良いと思いますが(持たなくても良いと思いますが)、それは志とか野心とか呼ぶべきもので所謂ライフプランとは別です)
中等教育くらいまではこの社会を生きていく前提としてレールの上を歩くということで良い(そうでなくても良い)と思いますが、そこから先は偶然性の織りなす世界で自分の心の赴くように生きるものだと思っています。
人生で何が起こるのかなど分からないし(極端に言えば明日死ぬかもしれない)、自分の考え方だって変わります。貯金とか保険とかある程度の備えは必要と思います(生き方によってはそれすら無くても良いけど)が、結局その場その時で決めていくしかないし、その方がきっと面白いはずです。
プランなど立てるのは偶然性を塗りつぶす所業であって、人生の醍醐味を毀損するものとしか思えないのです。
最後に「つまる」人生ということで、私が大好きな映画を紹介しておきます。
デヴィッド・フィンチャー監督の『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』という映画です。
もちろんフィクションなのであまりにドラマチックなのですが、この作品には人が生きるということの面白さ(内発的動機と偶然性)が詰まっていると思うのです。
この映画の中で何度か主人公が口にするセリフ(それがこの作品のテーマでもあります)が、「人生、何が起こるかわからない(You never know what’s coming foryou.)」です。
未見でしたらぜひご覧ください。
ある日、バーで男がハイボールを注文した。バーテンダーは彼に「ウイスキーはどうですか?」と聞いたが、男は「いや、ハイボールがいいです」と答えた。
その男はハイボールを飲み始めたが、ふと「ハイボールとウイスキーってどう違うんだ?」と疑問に思った。バーテンダーは彼に「どうですか、ウイスキーの方が良かったでしょう?」と笑いながら尋ねた。
男は呆れたように答えた。「ハイボールを飲んでいると思っていたのに、ウイスキーを飲んでいたとは!これは、まさにウイスキーの妙味ですね」と言ったが、その会話の後でさえ、違いのわからない男であった。
バーテンダーは男の言葉に苦笑いした。この男の馬鹿さ加減は並ではないと直感した。そして、彼はそれを見るのが面白かった。
「人生もそうだよね。思っていることと現実が違うことって、よくあることだよね」と、男はつぶやいた。そして、彼は再びウイスキーを注文し、笑いながら飲み干した。もちろん、男にとってはもはやアルコールさえ入っていればどちらでも良かった。
バーテンダーは男の態度に興味深く、いやらしい目で見つめていた。彼は男に言った。「でも、それって結局どうなの?」
男は深く考えてから答えた。「それは、私たちが自分自身や人生について持っている予想や思い込みが、現実と違っている可能性があるということを示していると思うんです。だから、自分の考え方を常に柔軟にし、開かれた心で物事を受け止めることが大切なんですよ。」
バーテンダーは男の言葉にうなずいた。「確かに、それはとても大切なことだね。わからないことはわからないと言うことも人生肝心だよね」
男は笑いながら、彼が自分の人生で遭遇する可能性のある誤解や予想外の状況に対処するために、柔軟で創造的な方法で物事に取り組むことを決意した。そして、彼は再びハイボールを注文して、バーテンダーとともに楽しい夜を過ごした。
「ところで、真実について聞き覚えは?」バーテンダーは唐突に言った。真実?何のことだと男は思った。「君が飲んだものにはね、僕のザーメンが入っていたんです。妊娠してくださいね。」
ハイボールとウイスキーは、男が自分自身や人生について学んだ大切な教訓を象徴している。それは、思っていることと現実が違うことがあるということを理解し、真実は知ってはいけないということである
日銀がマイナス金利政策を2016年に導入して以降、短期金利は0%を下回って推移している。海外の中央銀行が利上げ方向へ転換する中、日本のマイナス金利政策は為替スワップ市場で円を担保に外国通貨を調達する際にプレミアム(上乗せ金利)を発生させ、円資金に対するある種の税金のようになっている。
円と外貨を使ったベーシス取引は海外投資家にとって実利を得る格好の場だ。ベーシス取引における円の置き場としての需要もあって、日本の短期国債の64%は海外勢が保有している。
日銀がマイナス金利政策を解除すると、ベーシス取引での運用妙味は落ち、海外勢が短期国債を保有する理由もほとんどなくなることになる。短期国債市場から資金が流出すれば、日本政府は別の投資家を引き付けるためにより高い利回りを提供しなければならなくなろう。
マイナス金利政策の導入で出来上がった現行のイールドカーブには上昇圧力が一気に高まり、日本発の金利市場の混乱が米国から豪州、フランスの市場を越え世界に広がる可能性がある。
理論的に言えば、日本の金利上昇は同国の投資家が大量に保有する外債から資金を引き戻すきっかけになり得る。
三菱UFJ銀行の関戸孝洋チーフジャパンストラテジストは、マイナス金利を止めた場合「ベーシスも短期がかなりタイトになってきやすくなって、海外勢が日本の短期国債を買うインセンティブがかなりそがれる。海外勢が日本の短期国債を買ってきてくれたのは、ベーシス、フォワードのプレミアムのおかげだ」と言う。
為替スワップ取引を通じて元手のドル資金を円に替えて利回りが約マイナス0.1%の1年物短期国債を購入した場合、5.24%程度の運用利回りが見込める。ドル資金で類似の満期の米国債を購入した時に得られる運用利回りを約50ベーシスポイント(bp、1bp=0.01%)上回る水準だ。
オーストラリア準備銀行(中央銀行)はこうした利回り格差の違いから利益を得ている投資家の一つだ。同行の報告書によると、他国の通貨とのスワップ取引による追加的な円建て資産の保有額は昨年6月時点で238億豪ドル(約2兆1678億円)相当に上る。
ブルームバーグの市場調査によると、大半のエコノミストは日銀がマイナス金利をすぐに廃止するとはみていないが、当局が長期金利の操作を終了すれば、次は短期金利が政策変更の対象になるという観測が浮上しやすくなるだろう。昨年12月に長期金利の変動許容幅が修正された際は、日本の金利が大きく上昇し、米国債は下落した。米国株の先物から豪ドルや金にまで幅広く影響が出た。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-02-08/RPPHWQT0G1KW01
頭が高い 朕のちんちん 控えおろう
夏井「これは本当に良い句で。素直に読むとね、皇帝なのかな?王様なのかな?大国の権力者が、側近なのか、それとも参賀に詰め掛けた国民に対する勅言なのか。とにかく下々の者たちを集めて、自らの権威を誇示している。それも、これは男性器を誇示しているように思われる。やはり限界まで充血して屹立し、どくんどくんと脈打っているのか。それとも、平常の状態のものをぶらんと無造作に揺らしているのか。いずれにしても、どういう状況なのかな?どっちなのかな?って読者が想像する余地があるのね。ここに豊かさがある」
夏井「音の面から見ても、朕とちんちんで韻を踏んでいる。ちんちんはそもそもちんが重なっているので、ちんちんちんでトリプルちんなのね。これがまた妙味を醸している。すこしコミカルな感じがしますでしょ?状況からしても、どこかユーモラスな空気がある。その意味で行くとこれによって「朕のちんちん」はもしかしたら「控えおろう」なんて言うような立派なものじゃないんじゃないかと、そうも思えてくる。とっても慎ましやかで、それでもこう「ひかえおろう」とやることで、いわば人間宣言じゃないですけども、民に寄り添う権力者の姿を象徴しているのかなと…」
梅沢「いやぁ、そうかなあ?」
浜田「もう、今度は何?」
梅沢「だってよ、そんな王様だか帝だか知らないけど、居るか?みんなにちんちん見せて「控えおろう」って。どんな愚王でもそんなことやらないと俺は思うんだけどな」
梅沢「やるとしたらね、狂ってるよこのちんちん野郎はさ。でも君主が狂ってたらさ、普通止めるよな家来が。いや王様、直接顔を出してはお命を狙われますとか言って、表に出さないと思うんだよ。でも言ってる。「頭が高い 朕のちんちん 控えおろう」って言ってる」
浜田「まあ、そうですねえ」
梅沢「ってことはよ、狂ってるけど、誰にも止められない。そういう状況での発言なんじゃねぇかこれは。でも王様にプライバシーなんてないよ。風呂だって、便所だって、必ずお世話係がいるんだから。しかもそういう召使いがいちいちちんちんに控えてたら仕事にならない。だからやっぱり、寝床だろうなと。眠るまでは楽師か何かがいたりするかも知れないけど、眠っちまったらベッドにまでは誰も入ってこない。入ってくるとしたらお妃か側室か……でももう王様は狂ってるから、女どもも寄り付かなくなってるんだよ。これは、早朝だろうな。朝早く目覚めて。うーんいい朝だな今日も国民のために頑張ろうとか、そういうふうにはならないよな。こいつの心は狂気に蝕まれちまってんだから。ああ今日も殺されずに目覚めることができたと、そう思うわけ。誰も信じられないんだから、もう。殺すとかもうこの王はだめだとか、ずっと幻聴も聞こえるから、目に見える全ての人間を憎み、蔑んでいるわけ。実際皆がひれ伏すんだけど、この日朝早く目覚めて、ふと下に目をやると、傅かない者が居る。頭を下げない奴が居る。まあ、朝勃ちだよな。もう錯乱してるから。ちんちんが、むくりと、ぎんぎんに立ち上がってるのを見て、何だこいつは。なぜ朕の前にあってひれ伏さぬかと。激昂したのかな、それとも恐れのままにした発言だったのか。たぶん誰かが耳にしていたんだろうね。本当のプライバシーなんてないんだから君主に。もうこいつは駄目だと、その家来は思っただろうよ。そんで王様も、かすかに残っている理性で、誰かが自分の言葉を聞いていて、そう思っていることを察している。それがまた幻聴になり、狂気を強めて心に食い込んでく。そういう悲しい一句なんじゃないかと。俺はそう思うよ」
夏井「(涙を流しながら)……俳句っていうのは人それぞれ、いろんな受け取り方、解釈があっていいと思うんです。でもね、解釈するのと、こじつけるのは違うの。私は人間というものに、希望を持ちたかった。でもそのせいで盲目になっていたのです。お見事です梅沢さん。心を鎮めれば、今ではたしかに聞こえてきます。朕のちんちんが泣いているのが」
朝露、陽 砦 濡らしぬる つとめて
遠くの稜線から朝日が昇り始める早朝(つとめて)、朝露がお城の城壁に雫を作っている。白い陽光が差し込んで、きらきらとそれが輝く。でも遠からず、朝露は陽の光に熱せられて乾いて消えてしまうだろう、朕のこの治世と同じように……という辞世の句であると同時に、朝、布団の中で一人で(陽・砦)孤独に目覚める、そうして朝勃ちの先走り汁でぬるぬると夜具を濡らすという、君主としてではない、このちんちんさんの人間の部分を表現する。このようにして、魂の平穏を祈りましょう」
「ストーリーなんて実は大して幅も種類もない」ことも知らないで、ブコメはよくここまで偉そうに一言ぶてるな。
「連載」漫画なんだから、ストーリーの大筋が「編集に主導権がある」のは当たり前でしょ。
会社で考えればわかるだろ。
逆に、「連載の無駄な引き延ばし」とか言う話題はお前ら好きじゃん。
あれこそが「編集がストーリーを決めている」ことの紛れもない証拠だろ。
「進撃の巨人」だのなんだのは異例なわけで、
「他に例がない」、普通は作者に全ストーリーを決める権限が薄いから「異例」なんだろ。
(実際に例はあるが少ない)
ていうか、「10週打ち切り」が編集側で決まってる漫画で、作者が「100巻越えのストーリー」を考える意味なんてあるか?
そういう前提が「現実として」ある話だろ。
理解してる?
「こういう設定が明かされて、それが次の展開に繋がって、さらにその設定を掘り下げたところでドンデン返しがあって、そこから始まる戦闘は2巻分の大ボリュームで。。。」
で終了じゃん。
そうさせないために編集がいるのに、このレベルで馬鹿な持ち込み新人が多くて話通じないって記事だろ。
じゃあなんで編集に主導権があるのかって言ったら、仕事としての構造だけじゃなく、
新人作家にとってはそれが「初めての作品」だけど、編集側にとっては「何十本目かの担当作品」だから。
経験値がまるで違うの。
編集側は、ジャンルの異なる複数の漫画を同時進行で担当して、いろんな角度から読者の反応を俯瞰で見てるんだわ。
「読者からのダイレクトな反応」の蓄積が、文字通り1000倍違うんだわ。
で、その結果「魅力的なキャラクターが大事」って結論に至ってる。
「ストーリーが読みたい読者はそもそも小説読む」「漫画に求められてるものはストーリーじゃない」ってな文言が頻繁に出てくるぞ。
(それもどうかと思うが、でも有名になって本書けるレベルの連載漫画家からはそう見えてる)
お前らの好きな「ドラゴンボール」だって、「打ち切り候補」だったんだぞ?
それを「キャラクター」の魅力を磨きまくって前面に押し出すことで、あの超人気漫画になった。
「ドラゴンボール」ヒットの秘訣は「ストーリー」でも「設定」でもない、「キャラクター」なんだよ。
(後から見直せばよくできてる部分もあるかもしれないが、連載読者はそこまで見てない)
あと「進撃の巨人」でジャンプ編集を小馬鹿にしてる人ばっかだけど、そんなの結果論でしかない。
ほんと事後諸葛亮だけは得意だよな。
そもそも連載当初の絵を見て見ろよ。相当な準備期間を経た後での「月間連載で」あの絵だぜ?
週間連載だったら「倍は酷く」なる。
しかも週刊だとアシスタントをどう動かせるかも大事で、「クオリティ」に割ける時間なんてほぼなく、実際に週刊連載だったら「進撃の巨人」が今の完成度になっていたかわからない。
ジャンプなんて特に「読者の反応で打ち切りを決める」傾向の雑誌なんだよ。
「進撃の巨人」が話題作である、っていう先入観を捨てて、ただの一読者として週刊であの漫画を、ワンピースやら何やらの合間に読んでる所を想像しろよ。
いくら壮大な構想、面白いどんでん返しがあろうと、「あの絵じゃ、ジャンプで説得力を持たせるのは辛い」となるだろ。
それこそ「デスノート」みたいな「作者二人に実績とジャンプ編集との関係と信頼があって、原作と作画が別」の例ならともかく
素人はそもそも「ストーリー」という言葉を都合のいいマジックワード扱いしすぎて、キャラクターとか本来別の要素のものまでストーリーに含めるから、まともな議論ができないんだよな。
ストーリーってのは器とか盛りつけみたいなもんなんだよ。
シェフが心血注ぐのは料理そのものなんだが、シェフが器もつくるべきだと素人は思ってる。
または、シェフが編み出した絶妙な味付けも、メニューの一部だと素人は思ってる。
で、器がどうとかメニューがどうとか知ったかぶりだけは一丁前にしてる。
めちゃくちゃ過ぎて話が通じてないんだわ。
意味が無いものを面白がるのがフランス人らしいが、それにしても「地下室のヘンな穴」は酷かった。
邦画以上に低予算のみすぼらしさが出ていて、描かれるのは家と小さなオフィスと無駄な会話ばかり。
主人公が務める会社の社長が電子ペニスの修理で日本に行くんだけど、手術室は殺風景の極みだし、
日本語のテキストや発音もおかしかった。一体何を見せたいんだ。
要点である妻の若返りも、特殊メイクで徐々に若返っていくんじゃなくて、突然若い女優と入れ替わるだけだし、
そもそも冒頭の古いPCゲームや電話で80年代が舞台の話かと思いきや現代の話というのも意味不明。
強いて言うなら、夫と社長と不動産屋のキャラクターやホモソーシャル性には妙味があったかも。だから何だって話だが。
ラテン語・古代ギリシャ語・サンスクリット語のうち、最低どれか1つは読めるようになった方が良いとは思う。
少し前に、ギリシア詞華集に出てくる女性詩人をヒロインにしたマンガが一部で流行って、それで古典ギリシャ語に手を出した人が相当数いたみたいだが、何らかのきっかけでこういう古典言語に入ると広い世界が拡がってる。
それはともかく、たとえばHaskellを勉強して遅延評価関数型言語の妙味を知り、Rustを勉強してメモリ管理の大変さを知り、Goを勉強してCSP代数の面白さを再認識する、などの知的好奇心を満足させる意味で、各言語の特徴を把握した上で勉強するのはすごく楽しいんじゃないだろうか。
さらにバックグラウンドとして、簡単でも良いので半導体ゲートと同期回路がどうCPUやメモリを作り出していったか、を知ると、よりこれらの「プログラミング言語」というものの妙味を味わえるだろう。
金を儲けたければ、浅く広く勉強した上で、どれか1つの言語に絞って、深く、深く、ライブラリと同じ機能は自前で用意できる程度まで深められたなら、おそらく食いっぱぐれはない。