
はてなキーワード:失望とは
「ちがうよ。オレたちが旅してた頃のポケモンは、“捕まえる”ことより“出会う”ことが大事だったんだ。」
新作『PokémonLEGENDS Z-A』が発売されてからというもの、ネット上では賛否が渦巻いている。かつてカントー地方から始まり、幾多の仲間と冒険を重ねてきた“永遠の少年”サトシは、その喧騒を黙って見つめていた。だが、彼の胸中には深い失望があったという。
世界を歩くというより、画面の上で指を滑らせるだけ。
それじゃあ、ピカチュウの電気の温かさも、風の匂いも、感じられないじゃないか。」
「オレは昔、知らない草むらに飛び込んで、ボロボロになりながらポケモンを見つけた。
負けても、転んでも、それでも前に進むことが冒険だったんだ。
でも今のポケモンは、まるで誰かが決めた“安全なルート”を歩かされてるみたい。
彼は言葉を選びながらも、時折寂しげに笑う。
「ピカチュウは今もそばにいる。でも……あの頃の“ドキドキ”は、もうこの世界にはいない気がする。」
——“旅”を失ったポケモンに、再び風が吹く日は来るのか。
普段は二次元にブヒってるくせに、ちょっと自分に優しくしてくれる女性がいたら平気で性欲を向けだすのマジでキショイ。
そしてそれを気に食わない男オタクも性欲を向ける男を叩かずに、性欲を向けられる側の女性に矛先を向ける状況がさらにキショイ。
結局、男オタクのほとんどが現実の女性に相手にされなくて二次元を代替品にしてるだけなんだろうなって失望してしまう。
VTuberが人気なのも、二次元だけでは満足できず中身に三次元の女性を求めてる男オタクが多いことを証明してるよな。
東京・霞が関。報道陣を前に、往年の鋭い眼光を見せたダグラス・マッカーサー元帥は、静かに口を開いた。
「私は再びこの国に戻ってきた。しかし、ここで目にしたものは、かつて私が知っていた日本ではない。『新作ポケモン』とやらを見て、私は深い失望を覚えた。」
かつて戦後復興を導いた“日本の父”が、国民的ゲームをここまで激しく批判する理由とは何か。
「この作品には“理想”がない。かつての日本人が持っていた創造への情熱、挑戦への勇気、それらが消え失せている。ポケモンがかつて教えていたのは“絆”や“友情”ではなかったか? 今はただ、見栄えと売上に取り憑かれているように見える。」
マッカーサーはテーブルに置かれたSwitchを手に取り、淡々と続けた。
「私はこの国を“精神的に12歳”と評したが、どうやらその精神年齢は逆行しているようだ。新作ポケモンは、成長を拒んだ日本そのものだ。新しい時代を切り拓く代わりに、過去の栄光を何度も焼き直している。」
最後に元帥は、かつての名演説を思わせる口調で言葉を締めくくった。
「日本よ、かつての勇気を取り戻せ。進化を拒む者に、未来はない。ポケモンの真の敵は“敵ポケモン”ではなく、“惰性”という名の怪物だ。」
二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間を失望させるだけの結果に終つた譯である。
此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。
途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車のアルミニウム・ペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである。
或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。
進行中の汽車道から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である。
澁川驛前にはバスと電車が伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである。電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスのもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。
道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。
前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。
カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。
宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話で温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。
こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行に疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。
此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバノ地方に遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別な防火設備が必要であらうと思はれる。
一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街の横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則な階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋とお土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。
階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。
崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である。自然の可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。
此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。
湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふものか特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである。
此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かに一つの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧や黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐる自然界には平等は存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍な現象だからである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍の現象である。
宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである。
今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中の自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間の相撲になれば明白に前者の敗である。後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。
やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。
蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行用蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐる家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。
夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカーの停車場のある谷底へ下りて行つた。此の谷底の停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかけてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。
七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなものに味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京の下町の若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。
溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。
大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社の杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー的階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店に葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄で紅葉してゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。
茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアやコスモスが光り輝くやうに見えた。
宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときからの約束で暫時帳場の横へ移轉することになつた。
部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段や廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間二時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。
一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中や下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの「分子」になつてしまふのである。
室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。
「バスの切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐる光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。
團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。
翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。
とある宿屋の前の崖にコンクリートで道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代的設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。
晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。
歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。
上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化國日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である。
雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋の階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。
温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである。温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。
他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋へ蓄音機を持ち込み、宿屋で東京音頭を踊るPermalink |記事への反応(0) | 18:19
それだけだと自分が不感症なだけか、彼氏のことが好きじゃないだけかもしれない
例えば「チェンソーマン」で、デンジがパワーの胸を揉んでも特に何の感動もなくて失望してたのが、マキマさんの胸を揉んだときは死ぬほど興奮したときのように、性的に興奮するかどうかは相手によるのでは?
頭の悪い男とばかり付き合ってきてさすがにそこそこ傷付いたので、アラサーなる前にしっかりした相手を探してみようと思って本気を出して、いわゆる良い男と付き合えそうだったので付き合ってみた。
高身長細マッチョ、そこそこイケメンで温厚。実家も太くて育ちが良い、そこそこ高収入な彼氏をほぼ棚ぼたみたいな感じで付き合っている。
けど、あんまり幸せになれてない気がする。自分はどうやら、育ちの悪い人の方が身の丈に合ってるのかもしれない。
育ちが良くて要領と頭がいいからか挫折を知らない。何か辛いことがあっても慰めてくれるけど真の共感がない。そりゃなんでもできるもんね。勉強の仕方を聞くと教科書覚えて問題集やれば良いとか平気で言う。
正義感が強くてなんかちょっとしたズルにも厳しい。ガーガー怒ったりはしないけど、そういうのどうかと思うとか、俺はやらないかな。みたいな態度を取られるのが悲しい。車が明らかにいないのに気分で青信号を待つような感じ。赤信号を渡って急ぐくらいなら早寝するために考えなよを素で言ってくる。
愚痴を全く言わない。達観している。同じく20代のはずなのに、1ミリも人に期待していなく、失望もしていない。人ってそういうものじゃん、が素地。悪口との距離感を武器にして生きてきた田舎娘には仙人に見えるよ、あんた。
努力するのがデフォ。努力の質と量が常人離れしすぎ。入ってくるお金の量が多いから質の良い出費ですぐ結果を出してくる。それでいて、別に趣味とか遊びとかで結果出すのが全てじゃないでしょ、人それぞれだよ。とか言ってくる。お前は人生何周目なんだよ。
すごくよくできた人間だなあ。っていう感想が出てきて、案外冷めた目で見てしまってる自分がいる。
いや、その優秀さとかかっこよさとかにしっかり惚れてしまう時の方が多いわけだけど、ふと自分との距離に愕然とする時がある。これって楽しめてるの?って我に返るみたいな。
精巧な人形を見つけて手に取りはするけど、いらないかなって置いて戻すような、そんな感覚になる。
贅沢な悩みって言われそうだけど、良いものは良いってわけじゃないかも。気分で怒ってきて、酒カスだけど、なだめてなだめ合ってしょうもない1日を過ごせるバカが、お似合いなのかもって思えてきてるって話。
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夜中に半分勢いで書いたことにこんなにコメントついててびっくり。
愛があったりなかったりするコメントたちから学ぶことも結構あったから、備忘も兼ねて自分の気持ちと現実を整理してみる。あと、何人か文章上手いとか頭良さそうとかって言ってくれた人がいたのに驚いた。ありがとう。あんまり頭は良くないからついつい考え込んでしまうよ。
まず、やっぱり無いものねだりだとは思う。贅沢な悩みだろうし、傷つけられてはいない。今彼に関してはこっちが勝手に傷ついているだけ。
共感も、全くないわけじゃない。愚痴や文句などのネガティブな事になると共感はないけど、趣味は合う。
合う趣味の中での共感は少なくない。だけど、いかんせん要領がいいから、一緒に始めた習い事とかはどんどんペースを離されちゃう感じはちょっと寂しい、そんな具合。
真の共感が頭の悪い男にはあるのかと言うと、あると思う。何気なく言い放っちゃう文句や愚痴にも、本人より怒ったり、マジである!ムカつくよな!なんて言ってくれたり、その勢いでご馳走までしてくれようとしたり、ある意味でアホな行きすぎてる暖かさが好きなのかもしれない。元々は自分だってそっち側だから。
面白半分なのかもしれないけど、肉体の相性は心から満足している。匂いが心地よい人と付き合うと生物学になんとやら、なんて言うけど本当にいい匂いがする。加齢臭となるとわからないが。
一緒にいて安心する・楽しい瞬間はもちろん当たり前にあるよ。やっぱり、当たり前に尊敬できる人と一緒にいると、心の底から安心できて、すごくありがたいと思ってる。
遠慮のないプラットフォームの声に背中を押されたので、もう少しだけ続けてみようかなと思う。それで釣り合うならよし、釣り合わないなら無理に続けても互いに不幸になるだろうし、その時また悩めばよし…ということにする。バカはバカらしく。
Permalink |記事への反応(39) | 02:21
なんて、今だけだよ。
今現在はまだぜんぜん先が読めない政治状況だ。高市が首相就任できるかすら誰もわからなかった。今後安定的に政権運営するか早期にガタガタになっていくかもわからない。
で、先が見通せない状況であるほど馬鹿は多弁になり見識ある人間は口が重くなるからね。
ここ最近の増田のレベルの低さ、ひどいよね。普段政治のことなんかさっぱりわからん層がなんかそれっぽいこと言いたくてたまらんご様子で。
玉木失望論というのもそういう「本当はわかってないけどなんか言いたい!」という流れの一環であり
国民民主が立憲その他に担がれて連立政権なんて本気で期待してたやつが居たとしたらただのアホだよ。
そういうアホは流動的すぎる状況が一段落ついて地味な話題しかなくなったら政治の話なんか一切興味失う。
立憲の存在感は薄れていく一方。
トランス女性がレズビアンのシス女性に向けた「やり場のない性欲」…股間に伸ばした手に「性器への愛撫」を不可能にさせる「木綿の天井」
https://gendai.media/articles/-/158399?page=2
「ガラスの天井」という言い回しを聞いたことがある人は少なくないだろう。本当の意味での権力や影響力のある地位の一歩手前にはガラスの天井があって、多くの女性はその目に見えない天井に阻まれる。
では、時間のほとんどをオンラインで過ごしている少数の人々以外で、「木綿の天井」という言葉を知っている人がどれだけいるだろうか?この言葉はトランス女性がレズビアンのシス女性〔訳注:身体的な性別が心の性と一致している女性〕に惹かれたときに経験する困難を表現している。
シス女性レズビアンの多くはトランス女性を真正かつ完全な女性とはみなさない—性的な感情はそれほど単純に割り切れるものではないので、実際のところはどうかわからないが、少なくとも彼女らはそう主張する。
そのため、トランス女性がシス女性レズビアンと親密になって股間に手を伸ばしても、下着という木綿の天井に阻まれてそこから前に進むことが許されない。
こうして、進歩的な人々の多くは、自分の性欲が中途半端にしか受け入れられず、ときには政治的信念に左右されることを、身をもって学ぶのである。
だがこの言葉には、当事者でなくても理解できるほどの痛み、失望、恥辱が含まれている。それに理解を示さないのは、下品かつ愚かな態度だ。
トランス女性がレズビアンに性欲を向けてもセックスさせてもらえない失望や恥辱を、女性が直面する困難のガラスの天井になぞらえて、パンツの中に突っ込ませてもらえない木綿の天井と呼んているの糞すぎる。
レズビアンとセックスできないトランス女性は可哀想だし、理解を示してやらないのは下品で愚かだって。
どう見ても下品で愚かなのはレズビアンとセックスさせろ、木綿の天井苦しいーって騒いてるトランス女性の方じゃん。
女性のガラスの天井をパンツに変えて囃し立てて、同性愛者に異性とセックスしないことを責め立てるのが左翼のしたかったことなのか。
子供のころ初めて名前を覚えたアメリカ大統領はビル・クリントンだったが、妻のヒラリーの名前も一緒に覚えた。
「クリントン大統領の奥さんのヒラリーは夫よりも有能な人だ。ビルが大統領になれたのは奥さんの内助の功のおかげだ。ヒラリーはアメリカ初の女性大統領になるだろう。もしヒラリーがならなくても同じように優秀な女性がアメリカにはたくさんいて、アメリカ人は女性が仕事で活躍することにとても理解があるのだから十年もすれば必ず女性大統領が誕生するだろう。女性を差別する遅れた日本と違って」
とよく話していたからだ。
アメリカは女性が活躍する「進んだ国」で、日本は差別のせいで女性が活躍できない「遅れた国」。
これは大人たちの話を鵜呑みにした自分が初めて持った政治的意見で、成人してからもしばらく持ち続けた意見だった。
それでは、「進んだ国」アメリカではクリントン政権から20年以上経った今、何人の女性大統領が就任したのか?
ゼロだ!
この二十数年の間、女性がアメリカ二大政党の大統領候補になったことが二回あった。元国務長官のヒラリー・クリントンと前副大統領のカマラ・ハリスだ。政治家になる前は名門大学卒の法曹で、それぞれ弁護士・検事として活躍していた。高位の公職経験を持った初の女性大統領に相応しい候補だった。
それでも彼女たちは選ばれなかった。男性候補に負けた。勝った候補はヒラリーやカマラが負けるのも仕方がないと納得できるような人格・能力・経歴を兼ね備えたトップエリートだったのか?
なんとトランプだ!
有能なビジネスマンを気取っているが本業の不動産経営者としての実績は疑わしく、ビジネスでも私生活でもいくつもの不正疑惑が付きまとい、テレビタレントとしての人気を足がかりに大統領選に出馬したが、公職経験の欠けた当初は泡沫候補とみなされてきたような男だ。
過去の大統領選の結果を当て続けてきた選挙予測のプロですらトランプの勝利の結果を外した。それほどまでにアメリカには隠れた女性差別主義者がいたのだ。
トランプ政権一期目の数々の乱行を見た後でも、とりわけ選挙結果を認めずに覆そうとして公務員の死者まで出した暴動を賞賛するというあらゆる公職に絶対に就くべきではない人物であることが明らかになった後でも、それでもアメリカ人は女性のカマラ・ハリスではなくトランプを選んだ。
二度目だ。それほどまでに女性は大統領に相応しくないというのか?
アメリカという国は優れた資質を持つ女性よりもロクデナシの男の方がマシという選択をするトンデモない女性蔑視の国なのだと心の底から失望した。
公明党が連立から外れたことで高市さんは首班指名選挙すら危うい状況だった。何とか首相になった今後も不安定な状態が続き政権は一年ももたないかも知れない。
「結局、最初の女性首相になっただけで何もできなかった人だったね」
そういう評価で終わるかもしれない。だが、それでもかまわない。
日本の方がアメリカよりも先に女性を国のトップに選んだという事実は永久に変わらない。
21世紀最初の四半世紀、日本は保守政党から女性首相が出るほど女性の社会進出が受け入れられた国だった
同時期のアメリカはトップキャリアの女性大統領候補が後世で最悪の大統領の一人と評価されるテレビタレントの男に二度も負けるほど女性蔑視が根深い国だった。
(追記)
このあたりにまとめがあったけど、はてなーの多くは高市=統一教会よりって認識じゃん?
むしろ敵対視している外国勢力にすりよる人じゃないの?って思うんだけど。
思わないの?
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ヤフコメみていると
https://news.yahoo.co.jp/articles/34e4393d2c0e87f43426390b3702bd37813a8d98/comments
>>
メディアさん、何度も書きますが、自民党が見放されたのは「裏金」なんて、
そんな小さなことではなくて、その何千倍、何万倍も悪質な「侵略の意図のある外国勢力」に協力することに対してです。
国民の大多数は「言葉に表せない」くらいの「失望」と「憤り」を感じてます。
<<
中国に日本が侵略されており、それを断ち切るヒーロー /ヒロインになっているのはわかっていますが、
「愚痴をネット上に書くことで気が晴れる」という現代的な行為を、ユダヤ教的な視点から考えると、いくつかの重要な要素が浮かび上がります。
ユダヤ教では「言葉」は非常に大きな力を持つと考えられています。
"死も生も舌の力にある。"
つまり、言葉は単なる表現ではなく、現実を創り、人を癒すことも傷つけることもできるものとされます。
SNSで愚痴を書くとき、その言葉が他者を傷つけたり、不必要な争いを招く可能性があるなら、ユダヤ教的には慎重になるべきと考えられます。
タルムード(Arachin 15b)では、ラション・ハラ(他人について悪く言うこと)を非常に重い罪として扱います。
この教えは、単なる噂や愚痴でも、人の評判を傷つけることにつながるなら禁じられる、というものです。
ネット上に愚痴を書いても、もし誰かの名誉や人格を損なうような内容を含むなら、それはラション・ハラにあたる可能性があります。
たとえ名前を出さなくても、誰のことか推測できるような形なら注意が必要です。
悲しみ、怒り、失望といった感情を持つのは自然なことです。詩篇(Tehillim)では、ダビデ王自身が神に対して嘆きや怒りを正直に吐露しています(例:詩篇13篇、22篇など)。
ただし、彼はそれを「神に対して」表現しています。つまり、自分の愚痴や苦しみを神との対話に変えるのです。
この姿勢は、感情をただ撒き散らすのではなく、内省と成長の糸口に変えるという点で重要です。
といった形のほうが望ましいと考えられます。
これは他者を巻き込まず、同時に自己理解を深める方法でもあります。
| 面 | 判断 | 根拠 |
| 感情を吐き出すこと自体 | 肯定的 | 詩篇などでダビデも嘆きを表現している。ただしネットでpublic発言するのは注意。 |
| 他者を傷つける愚痴・中傷 | 否定的 | ラション・ハラの禁止(Arachin 15b) |
| 感情を神との対話や内省に変える | 推奨 | 詩篇・アヴォートの教え |
好きな人ができた。
同じ大学とだけ知っていた。それ以外の共通項は特になかった。ただ、話が合うような気がしたから、思い切って食事に誘った。
私はもう一度、祈る気持ちで誘った。今度はもう少し時間のかかる予定を考えた。
彼女をその誘いを受けてくれた。
そのようにして、知り合ってから何度か出かけた。
出かけるための口実を作り、そして、先の何ヶ月かにおいて、それぞれに約束を取り付けた。
嫌われてはいないと信じたい。
多くの男性がそうであるように、私も演技をしている。理想的な男性と騙せるように、彼女の前では猫をかぶっている。
おれは気が利かない。だって、何をすれば女性が、おまえが喜ぶのか、逆に何をしたら怒るのか、おれには未だよく分からない。だから、気の利かせようがない。
おれは要領が良くない。おれは頭を棚にぶつける。小指も棚に打ちつける。料理をすれば、コンロ・シンク・冷蔵庫の三者間を反復横跳びのように忙しなく飛び回る。
おれは頭が良くない。第一、おまえが高校を出てすぐ入った大学に、おれは1年遅れてようやく入ったのだから。
おれはハイソではない。おれは本を読まないし、映画も見ない。音楽だって詳しくない。おれの故郷と、通った高校のある隣町は、恐ろしいことに両方の名が"ナンバープレートカースト表"の一番下に並んでいる。地元のバイパスでは今も、羽の生えたプリウス同士が大競走しているのだろう。おれはそれが別段特別なことに見えないし、思えない。
おれは甲斐性がない。わずかな貯金と、基礎と熱意を欠いた不安定な学問的知識と、同じくらい不安定な職の3点以外、何も持ち合わせていない。今までの無駄な時間を有意義な自己研鑽と職探しに使っていれば、真っ当な職業人として巡り会えていたかもしれないと思うと、まこと慚愧の念に堪えない。
おれは飄々としていない。大学から帰るのが遅くなったとき、おまえはあの汚らしい駅の猥雑なロータリーで、耳を塞ぎたくなるような話を、眉を顰める大声で、夜空に向かって不明瞭に叫んでいた、不愉快な学生集団を見たのではないか。だとしたら、その中にはおれがいたかもしれない。おれは調子にも乗りやすい。
いずれ綻びが顕になるのだろう。
あまねく人間に、私に、綻びがあることは当然で、そのことに対しては何も思わない。そもそも「綻びが(これだけ)ある」と悩む必要は、実はないのではないかとさえ思う。綻びの総量それ自体、個人の主観に左右されるものだろう。そして、人の内面を変更する術を、あるいはcharmを、少なくとも後者を私は持たない。
ただ、それとどのように綻びを知らせるのか(全て私の誤解で、意地でも隠し通すのが定石なのかもしれない。そうなんですか?)という問題は別のはずだ。失望は避けられないことで、かつ、その最大瞬間風速が相手の許容できる閾値を超えたとき、一般論として人間同士の関係は崩れる。
私は減速剤を知らない。他者の失望の速度を、どう制御すればいいのか分からない。今までは流れの向くまま、それで良かった。今度は違う。化けの皮のせめてその剥がれ様だけは、自分で決めたい。できることなら、なるべく遅く、なるべく波風立たず、悟られないように。
思うに、あまねく人間に綻びがあることは当然で、人にどう知らせるかという点に上手下手があるのだろう。
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そもそも公明が高市に丸のみを迫って連立離脱の直接の原因になった政治資金規正法改正案は、公明と国民民主党の共同案で、もともと連携していたわけだ。
立民支持者だけど、自民に変わる野党が欲しいから支持しているだけで、いわゆる基本政策に関しては民民のほうがいいなと思っていました。より正確に言うと社民党の亡霊はちゃんと社民党に残りラサール石井の引退とともに消滅してくれたらいいのにと思ってた。
でも今回の玉木のTamakiAlways ChickensOutには本当に失望した。肝心なところで自分の利害だけを考えて逃げるやつ、という印象は、首相になりたかったら絶対にダメではないか。
そもそもさ、「基本政策が一致しないと」ってところからきれいごとだよね。今後、選挙の結果で日本が極右、右、中道、左、ぐらいにわかれて「基本政策が一致する」党だけで過半数取るのが構造的に不可能になったらどうするのさ。首相なしで日本はいくわけ?首相って行政権のトップでもあるからさ、一部の基本政策が一致しなくてもできることだけでも日本をよくすることはできるのでは?
小泉さんちの進ちゃんはちゃんと自民党の農林部会長とかやって「一連の小泉の動きは全て日本農業の弱体化を狙う米国勢力に叶うものだという批判 (wikipedia,藤井聡)」とか受けながら地道に改革してるわけだよ。彼は農林部会長を受けるときに「農林部会のみなさんが私の基本方針を受け入れない限り部会長にはなりません。」とか言ってないよ。
高市をみなよ。政権を安定させるために、維新だけじゃなくて、N国に参政党とも組もうとしているよ。玉木には絶対無理だろう。そういうの。私は政策で言ったら玉木のほうが鹿さんデマに釣られる高市よりずっとまともに思えるけど、それでも、玉木と高市どちらに日本の首相になってもらいたいか、と言われたら、高市な気がするよ。
今更だけど、先の参議院選挙で参政党に投票した人達をバカにする事を批判する声が強いのが納得いかなかった
つーかそもそも参政党に投票した人々が弱者や負け組だって認定が大きな間違いなんだよ
競争社会から溢れた負け組が排外主義に走るという、分かりやすい物語で語る人達が多かったが、
でも参政党の支持層って元々自民を支持していた人が多いようだし
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/withbloomberg/2060337?display=1
参政党支持者の中で、「現在の自民党への評価は、かつての安倍政権の頃と比べて悪くなった」と感じている人が97%に上るなど“安倍政権を評価していたが、今の自民党に失望している”という人が多くいることがわかりました。
どう見ても「リベラル政党が救ってくれなかった弱者」などではないんだよな
https://news.yahoo.co.jp/articles/cb47d47609385c95ef23fbbcd19c0d44ff4c9f39
女性が高学歴になるほど婚姻率が上がる今世紀においては、けして低学歴ゆえに判断能力のない無知で愚かな可哀想な人達などではない
持てる者達が、持たざる者達をさらにいじめて苦しめようと躍起になっているのが参政党現象だが?
自分達の子育ての負担を減らしたいがために高齢者を殺せ、外国人労働者を追い出せと叫ぶ参政党支持者の何処が弱者なんだよ
データから分かる参政党支持は負け組のルサンチマンではなく勝ち組の傲慢。
それに対して、共産党、社民党といった昔ながらの野党や新興勢力の中でも立憲民主党やれいわに投票する層の方が、明らかに社会的経済的に不遇な人間が多いんだが?
非正規でしか働けず、結婚できないから男に養ってもらう事もできず、子供も持てず未来に何の希望もない氷河期世代から見たら、
参政党支持の子育て世代は特権階級の勝ち組以外の何物でもないんだから。
有権者の愚かな選択をバカにしてはいけないと杓子定規に述べる人達は
強者が弱者をバカにするのと弱者が強者をバカにするのとが同じなら訳がない
それよりも明らかに貧困率が高く学歴や健康状態も悪い有色人種の底辺層よりも弱者だと本気で思ってるなら、それは差別思想ゆえに感覚が歪んでいるからだよ
別れた人の意見として参考になれば
8個年上で24歳の時に結婚した、29歳の時コロナ禍ちょい過ぎぐらいの時期に彼の風俗通いが発覚
色々話したし和解したつもりでお互い歩み寄ったり再構築頑張ったけど無理だった、長くなるから箇条書きで
・元々そういうサービスにお金を使うことを無駄と冷笑していたのにハマっていた事
・行かないと約束しGPSをつけた後も雑な嘘をついて月に一度行く事(同じ会社に勤めてるのに残業とか会議とか社内予定見たら分かるだろ)
・相手の女の子やプレイ内容に関係なく潜伏期間や今後の我々の性交渉に対して安全性を担保するための性病検査を断固拒否し続けた事
・本人的にはNN店利用が過酷な仕事の休息でありご褒美であるという認識である事、その認知の歪みはカウンセリング等が必要ではと提案するも断固拒否された事
・この人にとって若さは絶対的な指標であり性風俗店の記号化された【年齢】にもそれは発動し、また隣で私はどんどん老いてゆく事
・いわゆる口開けで必ず来店しシティヘヴンでクーポンを利用する事(個人利用ガチ勢)
・私が愛想を尽かして家を出た後に話し合いを持ちかけ喫茶店で待ち合わせをするも、その日の午前中にも風俗を利用していた事
・金を稼ぐ俺には“良い”女体が与えられて然るべきだという思考がずっとあったと分かった事
・女体を“買う”ことや金銭の授受を前提とする性行為に何も躊躇いがなく当たり前の権利と捉えていた事
・高校生や大学生の時にあまり女性と接点がなく青春のやり直しを切実に望んでいた事
そもそも自分も22歳の時に付き合い始めたし筋金入りのロリコンだったのだなと今では思います、とっても好きでした。今でも思い出します。教養があり思慮深く車の運転が上手くて平日の晩に手際よく作ってくれたペペロンチーノはすごく美味しくて見なりのセンスも良く仕事が出来る人で。
でも許したくても許せませんでした。彼の前で衣服を脱ぐ事が怖くなり、彼が私に触れる度に深い深い絶望のような失望のような気持ちが襲いました。風俗通いが発覚するまではコンスタントに性交渉のある夫婦でとても相性が良いという認識でした。せめて私が逆立ちしても出来ない属性の特殊性癖を外注する感覚ならまだ理解ができました。私が毎日失う物を是とする人の隣に立ち続けるほど私は強くありませんでした。
私は彼が風俗に行った、という事実だけで別れたというよりも芋蔓式に判明した諸々がどう足掻いても無理だなと悟った感じです。ご参考までに。今後なにかしら良い結果を増田から聞かせてもらえたら嬉しいです。
Permalink |記事への反応(14) | 23:51
Vtuberとかいう2次元アバターで動画を撮ったり配信をしたりする存在。
私はそれにまんまとハマってしまったのだ。
綺麗な顔や可愛い声で、私の好きなゲームをプレイしたりコメントを読んでくれる。
推しとリアルタイムで交流ができる。なんて素晴らしいコンテンツ!
投げ銭もある程度した。赤スパ連発なんてことはないけれど、まあ定期的に。
グッズなんかも買ったりして、コラボカフェなんかも行って、クソ高いネチケ買ってライブ見たりして。
掲示板とTwitteはファンとアンチと野次馬が入り乱れてのお祭り騒ぎ。
それで推しが謝罪動画とか出してんの。神妙な声で謝罪してんの。推し泣きそうになっててワロタ。
そこでやっと気が付いた。こいつは「人間なんだ」と。
こいつは意志のある人間で、他人の悪意にちゃんとくらって、不用意な発言して炎上もする。
私の知らない所で勝手に動いて勝手に生活して勝手に女とセックスしてる。
誹謗中傷に苦しんでる姿を見るのも疲れる。
お前人間すぎるだろって。そんな可愛い顔してるくせに。感情あるんかって。
クイズ:このスレと1 は、そのスレ内で第三者から投稿されたとあるイラストにより、大いに笑えるネタとしてミーム化された過去がある。なぜ笑えるネタになったのか?その画像の内容を推測
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【速報】部下が58兆円の商談に失敗したwwwwww
1名前:風吹けば名無し[]投稿日:2016/09/09(金)20:56:58.04ID:cxMYqZwN00909.net
笑えるポイント
「58兆円」という荒唐無稽な金額が核心です。これは日本の国家予算規模に匹敵する途方もない額です。
イラストの内容(推測)
「58兆円」と大きく書かれたプレゼン資料やボードを持っている、あるいは
なぜ笑えるのか
スケールのギャップ:個人や一般企業では絶対に扱えない金額を、ごく普通の会社員が商談しているという設定
シュールな真面目さ:非現実的な設定を真剣に描いているギャップ
ビジュアル化の威力:数字だけでは想像しづらかった荒唐無稽さが、イラストで可視化されることで一層際立つ
アカデミックなreasoningに長けているclaude4.5でも、このようなタスクにはめっぽう弱い
やはり"誰が"という主語を読む機能が無いからだろう (昔から、llmは登場人物が3人以上になるシチュエーションでおかしくなるんだよな)
言われなきゃ分からんでは話にならない
トークンの意味に依存し最もらしい事しか出さない機能は文法を読んでいない
あり得ないことを除外するような調整も一因だろう
この想定能力じゃ、普段の推論の、一般の答えのない部分はどうなってるんだという
あり得ない環境を想像できるワールドモデルとユーモアの実装が待たれる
はよう入れてくれや
国民支持者の代わりに言い訳すると立憲が基本政策を翻してまで玉木を担ぐほど節操がないと思ってなかったんだよ
「安保法制は違憲だの原発は廃止すべきだの言ってたのは一体何だったのか」と政策で立憲を支持してた人は失望するだろうけど
立民の議員の皆さんは政策実現より政権交代の優先度の方が高いと判断したんだろう
基本政策をひっくり返して自民と組んだ社会党より基本政策はひっくり返すけど自民を下野させた分ある意味進歩したのかもしれない
安住幹事地は、
「(過半数の)大きな塊を作りたい」
「政府の中に入って官僚と議論をしながら予算や法律を作っていくという作業は与党でないとできない。若手に経験積ませたい」
「われわれは(政策を)一字一句変えてはいけないという立場にない」
と言ってる。
実際立憲民主党と自民党が連立を組めば衆議院で344議席となり、第4次安倍内閣の自公313議席すら上回る勢力になる。
「もし野田代表が本気で首相を務める覚悟と実現したい政策があるなら、主体的に周りを巻き込むはず」
「野田代表に『この難局を自らリーダーシップを発揮して打開する』みたいな気概は無い」
Permalink |記事への反応(15) | 21:18
CONCACAF予選第4節で、エルサルバドル代表はパナマに惜しくも0-1で敗れ、グループAで3位に後退した。この結果はチームにとって痛手であり、ファンや関係者の間に深い失望を残した。
試合後、監督のエルナン・ボリジョ・ゴメスは冷静さを保ちつつも、選手たちの奮闘を称賛した。彼は守備面での安定感不足と決定力の欠如を課題として挙げ、今後の戦略見直しを示唆した。試合中にはチャンスを作り出す場面もあったが、最後の一押しが届かず、勝利を逃したことが悔やまれる。
ボリジョ・ゴメスは敗北を単なる失敗と捉えず、チームの結束力強化と選手育成の機会として前向きに受け止める姿勢を示している。今後の予選では、攻守両面の精度向上と戦術の柔軟性が求められる。エルサルバドルはまだ予選突破の可能性を残しており、ボリジョ・ゴメスのリーダーシップの下で反撃の準備を整えている。
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