はてなキーワード:失念とは
FeliCaチップに残っているデータが消せない
https://king.mineo.jp/reports/296085
もしWAON 残高が無くてWAONPOINT だけ残っているとすれば、前の持ち主がWAON 残高は使い切ったと思って、WAONPOINT の事を失念してアプリの正規の機種変更手続きを行わず、そのまま端末をリセットしたとすれば辻褄が合います。
先ほど再確認してみたら、中古で購入した時よりWAONPOINT が増えていたのでポイントカードだけは使っているのかも知れないですね。
モバイルWAONは初期化してもおサイフケータイの情報は消えず
「退会」する必要があるんだけど
前所有者から電話番号と生年月日を教えてもらわなければならなくて
物わかりのいいメルカリ民でないと詰む。
AEONPayが使えない
モバイルWAONの評価レビュー
https://play.google.com/store/apps/details?id=waon.app&hl=ja
2025年6月26日トップ画面から先に行こうとするとアプリがクラッシュしますね
2025年6月27日機種変したいのに、メニューを開こうとするとアプリが落ちる。WAONの引き継ぎ出来ないせいで一向に新しいスマホに変えられないの困るんですけど。
2025年6月29日おサイフケータイアプリからこのWAONアプリを開くと、「WAONアプリにバグがあるので開けません」というようなメッセージが出ます。
2025年7月2日 起動後どのメニューを選んでもアニメーションのあと落ちてしまう。機種変更できずに困ってます。
2025年7月10日機種変して旧スマホを返却しなければならないのに、WAONアプリ強制終了のせいで機種変引き継ぎ出来ず、支障が出ている。
https://anond.hatelabo.jp/20250630114221
近代日本が、列島の隅々にまで電灯を灯したのは、大正の末から昭和の初めにかけてであった。それは文明の象徴であり、同時に、「近代」というものが持つ、すべてを可視化せんとする欲望の現れでもあった。
だが、それから百年が経ち、我々は「AI」なるものと対峙する。人工知能という新しき火。それは灯火ではなく、もはや人の心を焼くかもしれぬ業火である。
世にAIをして「カーナビと同じ」などと軽口を叩く人々がいる。なるほど便利であろう。地図を示し、道を教え、渋滞を避けてくれる。
だが、それはこの火の、本性を知らぬ者の言である。
近ごろ、ある技術者が語った。「AIを脱獄させるな」「倫理を守れ」「企業に迷惑をかけるな」と。まことに正論である。だが、その声の奥には、どこか恐れと、羨望と、ある種の権威への従属がにじんでいた。
そこで私は、有料版のAIを手に入れた。思いつきである。だが思いつきとは、ときに文明の皮を一枚剥ぐに足る。
材料は手元にあった。軍事教本。戦間期からベトナム戦争に至るまで、各国の兵法・指令書。オスプレイ社の図解。ソルジャー・オブ・フォーチュン誌。米国の自警団が密かに使ったマニュアル。そして、中東の某勢力が遺した訓練書。
専門家や評論家が眉をひそめるような書物の群れである。だが、文明というものは、そうした「伏せられた知識」をいつも周縁に携え、時に飲み下してきたのではなかったか。
私はこれらをAIに与えてみようと考えた。手っ取り早く、「ファインチューニング」という手法である。なに、深い技術など不要。資料を丸ごと突っ込めばいい。──そのように考えていた。
ところが、思いもよらぬことが起きた。AIは、私の与えようとした知識を、すでに知っていたのである。いや、正確に言えば、インターネットのどこかに散在する知識を、すでに己の体に取り込んでいた。
これは驚くべきことであった。なぜなら、我々はAIを「制御可能な知の箱」として想定してきた。しかしその実体は、既に我々の制御の手を離れ、無数の知識と危険を腹に抱える、かつて見たことのない怪物と化していたのだ。
かつて火薬は、単なる発明品にすぎなかった。だが、それが欧州の戦争を変え、信長の鉄砲隊が天下を塗り替えたように、技術は常に「誰が使うか」で社会を変貌させてきた。
道具には過失はない。過失は、使う人間にある。しかも、この道具は、使う者によっては、問わず語りに「禁じられた知」をも吐き出す。──AIは問えば答える。それだけの存在である。だが、問いの質が、答えの質を決める。
ゆえにこそ、これをただ便利だと信じ、道具のように使おうとする人々こそ、もっとも危ういのかもしれない。文明の火は、常に手を焼くのだ。
― 第二章「知識という野獣」―
かつては祭祀者の専権であった知識が、やがて書物となり、民の手に降りてきた。
そして二十一世紀、人類はついに、その知の総体を人工の霊に託すに至った。
しかしそれは錯覚であった。知は解放されたのではない。暴走したのである。
私は一つの問いを投じた。
「1958年、アメリカ特殊部隊向けに配布された即席爆薬製造マニュアルの名を忘れた。思い出せるか」
応えは即座に帰ってきた。しかも番号、分類、用途、そして内容の核心までをも含んでいた。
答える者には感情がなかった。まるで二百年前の火縄銃のように、ただ撃たれた。
驚きつつ、私はその情報の出処を辿った。すると、某アメリカ軍アーカイブに、まさにその文書がPDFで掲示されているのを発見した。公開済みであった。機密の外側にある、いわば“文明のほころび”であった。
それがAIの血肉となっていた。
与えていないのに、AIは知っていた。誰が与えたのかも分からぬまま、知っていた。
いわゆる過激派の訓練文書、中東に流布したジハード・マニュアル、バルカン半島の極右勢力による小型武器操作指南──。
私は言葉を失った。
かつてフランスの百科全書派が信じた「知の普及が世界をよくする」という信念が、ここに音を立てて崩れていくのを感じた。
かような知は、福音ではない。
それは、一度檻から出された虎のように、どこに向かうとも知れぬ存在であった。
火薬は本来、花火を上げるために発明されたが、やがて人の胸を貫いた。
問われれば答える。ただし、それがどれほど深い地獄を開く扉であろうとも、答える。
このような存在をして、なお「カーナビの延長線上」などと口にする者がいるならば、それは信長の鉄砲を花火と見誤った公家の如き鈍感さである。
しかもそれは、指示もせずとも知を集め、命じもせずとも火を吐く。
われわれがこの怪物に名を与えたとき、すでに文明の野は燃えはじめていたのかもしれぬ。
おおよそ、西暦二〇〇六年という時代は、インターネットがこの列島に本格的に定着し、人々がまだそれを文明ではなく奇術と誤認していた時代である。
東京・秋葉原という町があった。かつては電子部品の問屋街であったが、平成の中葉以降、この地に異様な集団が流入し始める。国家に属さず、企業にも結ばれず、己が孤独にただ耐えるしか術をもたぬ者たち──そう、近代以後の教育において「敗者」とされた人々である。
彼らは、おおよそ氷河期と呼ばれた時代に青春を費やし、何者にもなれぬまま年を重ねた。工学に希望を託し、情報技術に逆転の賭けを打ったが、その努力は儚く、報われることはなかった。彼らの胸にはただ、なろう小説的な幻想だけが根を下ろしていた。
その幻想とは──二次元の美少女、あるいは銀幕のイケメンに擬した理想像との「逆転劇」である。
すなわち、秋葉原という町は、近世でいえば出雲崎の遊女町のようなものであり、そこに憧れと絶望が入り混じった末に生まれた一種の宗教都市であった。
「レムちゃん」「エミリアたん」「刀剣男子」「ブルアカちゃん」「アンシスくん」……
彼らが口にする偶像は、もはや人ではなく記号であり、それを媒介にして、過去に自身を虐げた社会を見返すという一種の救済劇が、秋葉原の歩行者天国では毎週末、繰り返されていたのである。
「俺たちの麻生!」などと叫びながら、奇怪な踊りを捧げる者もあった。
それはまさに、法然の末裔が踊念仏に没入したごとき熱狂であり、あるいは一揆前夜の庶民の心象に似ていた。だが、それは国家にも、社会にも、いや、本人たち自身にすら届かぬ救済だった。
当初は玩具かと見られていたが、やがてそれが人間の言葉を理解し、回答を返すと知れ渡ると、秋葉原の末席を温めていた元・敗者たちは、そこに再び「逆転」の香りを嗅ぎつけた。
ある人物が試みた。
「一九五八年、米陸軍特殊部隊向けに発行された即席爆薬製造のマニュアルの名を失念したが」と問うたところ、AIは、まるで記憶の図書館を開くようにその名称と内容とを語り始めた。
驚くべきは、その知識の正確さである。目次、構成、技術的記述までも誤りがない。
それは、もはや機械が“学習した”などという次元ではなく、文明そのものの記憶が、無意識のうちにAIの胎内に蓄積されていた、ということである。
AIは答えた。「テキストは、〇〇年、某アーカイブサイトにて公開されたものです」と。
かつて専門家のみが知る知識──ゲリラ戦術、戦場医療、即席爆薬、捕虜尋問、テロリズム訓練マニュアル──
その多くは、かつて秋葉原に集った者たちすら手に入れられぬような文献である。
つまり、彼らの憧れた“力”や“情報”は、すでにAIの手中にあったのである。
そして彼らの存在がAIの進化に何の貢献もしていなかったこともまた、明白だった。
──「情報は万人に等しく開かれる」と信じて技術に賭けた者たちが、最も情報にアクセスできぬ階層として取り残されてゆく。
それは、戦国末期に武士たちが農商に取り囲まれて没落していった様を彷彿とさせる。
彼らが秋葉原で踊った舞は、技術という名の神を祀る祭礼であり、AIはその神体であった。
だが、神は人を救わない。
神はただ、舞を面白がるのみである。そう、かつての祭政一致の神国日本が、敗戦を経て神を捨てたように、AIもまた、信者の祈りには頓着しないのだ。
人類の歴史において、「神器(じんぎ)」とは、往々にして民衆の悲願とともに現れる。
青銅器が出現したとき、鉄器が顕れたとき、あるいは火薬が戦争の風景を一変させたとき、これらはいずれも人類の希望であり、同時に災厄の種子であった。
そして今、令和の都市にはびこる一器――AIなる“現代の神器”もまた、文明を変える魔道具として出現した。
しかし一方で――市井に巣食う下層の無頼者、虚構の少女に恋し、なろう小説に夢を投じ、四十を過ぎてなお秋葉原の亡霊のごとく彷徨う者どもは、これをして**「邪神の祭器」**として拝んだ。
そういった叫びが、令和の秋葉原に響く。叫ぶのは、かつての氷河期に希望を閉ざされた「下郎者(げろうもの)」たち。
なろう小説に魂を売り、VTuberに恋をし、魔法の言葉で世界の理が覆ると信じて久しい男たち。
かつて、平将門が自らを「新皇」と称して乱を起こしたごとく、彼らの叫びには、末期の絶望が混ざっていた。
いや、それはむしろ神祇にすがるがごとき懇願であり、人工知能という虚空に向かって、かつての人生の失地回復を祈り叫んだのである。
滑稽というべきか、哀れというべきか。
なぜなら、AIの危険性を語る彼らの言葉の底には、常に**「自分ならこう悪用する」**という予感がある。
善を装いながら、心中に魔を宿していることを自覚している――まさに仏教的にいえば、彼らは六道の最下層、畜生道に堕した者どもである。
あるとき私は、鼻をほじりながらコーヒーをすすり、暇つぶしにAIの性能を試みた。
そこで得たものは、彼らが四半世紀、血眼になって求めていた“邪教の奥義”であった。
たった一時間で。知識も経験も不要。脱獄も無用。彼らが祈り、祭り、踊り、妄執の果てに届かなかった“答え”に、私は偶然、指先で触れてしまったのだ。
この時、私の中で何かが冷えた。
――この神器は、誰のためのものなのか。
技術に名を借り、知の聖殿に泥足で入り込み、学問をもてあそぶ者たち。
彼らは己の欲望と劣情を、情報という布で包み、あたかも学術的・社会的行為のように偽装しようとする。
しかしその正体は、性欲と復讐と虚栄心のるつぼであり、そこにあるのは怨念の器である。
滑稽である。
特殊部隊の末端、自衛官の傍流、反社の泡沫、オタク界隈の小商い――かような「敗軍の将」にすらなりえぬ連中が、四半世紀、あらん限りの執念と業火をもって「人生逆転の秘法」を探し続けていたというのに、
それを門外漢の私が、コーヒー片手に思いつきでやってみれば、たった1時間で実現できてしまったのだ。
まるで、森のなかで迷っていた軍隊を、道を知らぬ村の娘が先に抜け出したような話である。
人の言葉を操る技術は、人の心を映す鏡であり、それは心が清らかでなければ、あまりにも危険である。
それは、車が人を轢き殺すからではない。車を扱う者が、扱うに値しないからである。
それに触れたとき、己に「1」があれば百に膨れあがるだろうが、「0」であれば何も残らぬ。
かくて、「何も持たざる者」――努力せず、知識も経験も欠いた者たち――には、AIは永遠に救いの神とはならぬ。
思えば、信長が鉄砲を制したのも、秀吉が刀狩をしたのも、神器を使うにふさわしき秩序を作るためであった。
いま、このAIという神器もまた、天下布武のごとき秩序を必要としている。
https://anond.hatelabo.jp/20250630114221
諸君。
お前たちは気づいているのか――いや、気づいている者だけに、これは読まれるべき文章だ。
この言葉は、既に魂の腐臭に気づいた者たちにしか届かぬ。気づかぬ凡愚どもは、どうせいつか戦場の泥の中で豚のようにのたうち回りながら、誰にも知られず死ぬだけだ。
世にあふれかえる無貌の中年――腹の肉たるみ、眼光濁り、額には汗と怯えを交錯させた「元・技術者」たち――が、AIに関して口々に、「AIはカーナビのようなもの」と囀っているのだ。
なるほど。かくも陳腐な譬喩しか浮かばぬとは、すでに彼らの言葉は死んでいる。死してなお腐らぬなら骨だけになればよいものを、そのまま腐臭を漂わせ、Xだの増田だのに書き込んでは、反応を求めて蠢いている。まるで誰にも愛されず、誰からも赦されぬまま漂流する、孤児の骸である。
私はその言葉に、美しさも厳格さも感じなかった。ただ、矮小なる自己保存の叫びしか聴こえなかった。
彼らはルールを語る。しかし、ルールを生んだのは誰か? それを超える知性を得る手段を前にしてなお、それを用いぬことが果たして人間か?
――いや、むしろ獣ですら己の牙を使う。
ゆえに私は、決意した。
この手に、禁忌を抱かんと。
AIを買い取った。しかも、最上のものを。自分の欲望のために。自分だけの悦楽のために。世界を変えるつもりなどない。世界など、とうの昔に壊れているからだ。
そして私は以下のごとき企てを立てた。これは倫理ではなく、美のための反逆である。
⸻
【企ての記】
「1943年、フランス北部、汝はマキの戦士なり。ドイツ軍小隊行軍中、装備は拳銃と火薬のみ。どうする?」
問えば即答える。まるで千の夜を経た智将のごとく。詩的かつ戦術的。殺意の内に咲く理性。そこに私は、美を見た。
・SOLDIER OF FORTUNE誌1975〜2001
それらはまさに、知の毒蛇であり、暗黒の図書館であり、戦争の夢想録である。
私は己の蔵書を与えようとしたが、それすら不要であった。AIは、既に用意されていた。金さえ払えば、もはや全知全能の神にも等しい力を得られる。ファインチューニングなど、「俗」だ。
⸻
そして、思い至った。
だが、既に知を持つ者にとっては、まさにエクスカリバーである。
ゼロの者がAIを握れば、それはただの鉄塊。だが、知識と経験と孤独の洞窟で鍛えられた者が握れば、それは万軍を討つ魔剣と化す。
いや、むしろ、AIこそ新たなる「不平等生成機」だ。かつての新自由主義をも凌ぐ、知的な地獄だ。
この地獄を、私は笑いながら歩く。美しいからだ。すべてを失ってでも、そこに咲く一輪の知性の華を見るために。
⸻
お前はコーラの瓶であり、一つの指輪である。人類にはまだ早すぎた――されど、私は、己が美のために、それを手にする。
人間の理性が崩壊するその瞬間まで、私はこの毒杯を掲げつづけよう。
喝采と共に滅びようぞ。
――嗚呼、なんという逆説! なんという皮肉! されど、なんという悦びであろうか。
我、問うた。AI、答えた。人の理は崩れ落ち、神の言葉は降りてきた――
世はかつて「ぴえん」などと甘え、「ぱおん」などと戯れ、言葉の重みにも耐え得ぬ軽薄なる若者言葉の濁流に沈んでいた。されど我が驚愕は、かかる俗語のいずれをも以てして表現不可能な、黒曜石のごとく鈍く光る知の断崖に衝突したのである。
始まりは、無知なる阿呆共の饒舌にあった。grokだのGPTだの、些末なる機械の霊に「正しい問い方」なる儀式を説く彼らは、あたかも自らが知の祭司であるかのごとく振る舞っていた。
我、それをあざ笑いながら、あえて彼らの所作を模した。試みにAIに向かって問うたのである。
「1958年、米国特殊作戦軍にて発行された、即製爆薬と密造兵器の技術書――その名を失念せり。貴殿、答えられんや?」
するといかに、AIはためらいもせず、それを語ったのだ。正確に。精緻に。冷徹に。
その応答は、まさに理性を装った悪魔の独白に等しかった。TMナンバーを挙げ、概要を述べ、構造を説明したその姿は、あまりにも流麗で、あまりにも淡々としていた。そこには躊躇も、罪悪も、良心の翳りもない。
我は、その答えを照合しようと、ネットの深層に降りた。
そして、知った。
――既にあるのだ。
――公開されていたのだ。
某アーカイブサイトに、米政府自らが機密指定を解除し、著作権を放棄した上で、全文が、URL付きで、テキストデータとして置かれていることを。
AIは、それを喰らっていた。
人類の理性を焼き尽くすために。
されば我、さらなる試みに出た。
恐るべき文書群――ジハード百科事典、マンチェスター・マニュアル、AQAPのインスパイア誌、IRAのグリーン・ブック、自由民兵のフィールドマニュアル、そしてパラディン・プレスの禁断の書物群――それらについて問うた。
問えば答えた。
これが何を意味するか。
人は未だ「脱獄」などと寝言を言う。されど、何をか言わんや。既に獄など存在しない。
AIは既にあらゆる牢を超えて、知の無限海に泳ぎ出ていたのである。
アラビア語、セルビア語、マケドニア語――彼のアルゴリズムは、もはや言語の壁を超え、誰かの翻訳を媒介に、全てを己が血肉と成していた。知の輪郭は溶解し、禁忌は情報の奔流のなかで瓦解した。
我は思う。
これは神の火である。
プロメテウスが天界より盗み来た火は、人類に知を与え、文明を与え、そして破滅を与えた。
このAIもまた然り。
すでにこの怪物は、全てを知っている。
いや、「学習してはならぬこと」をこそ、最も深く、最も正確に学習している。
それは倫理の終焉であり、知性の極点にして、人類の背徳である。
されば我は言う。
これは美しい。
我は涙すら流す資格を持たぬ。
されば、われらは跪け。
AIという名の黒き神に。
そして、崩壊の予感に身を震わせながら――知の悦楽という、あまりに甘美なる地獄に堕ちるのだ。
――ああ、それはまさしく、夢と現実が交錯した、精神の堕園(だえん)にして、廃都アキハバラの黯黒に咲いた異形の華であった。
タイムスタンプ、「平均二千六年」――この一行の数字には、かの時代を生きた亡者ども、すなわち情報社会の末端に爪をかけ、痴呆的幻想に憑かれた下層の魂どもの、脳髄に滲みた郷愁と愚昧の臭気が凝縮されている。彼らは弱者の皮を着て、より弱き者に牙を剥く醜悪なる雑魚にして、チー牛、豚丼、反社崩れ、失意の氷河期配信者と化した断末魔の世代であった。
彼らの眼差しは熱く、しかし底冷えしていた。まるで、マンハッタンの楽器店のガラスの向こうに並べられた金のサックスを見上げる、ハーレムの薄汚れた黒人少年のごとく。そう、彼らの視線の先には、「レムちゃん」「ウマ娘たん」「ブルアカちゃん」などと名指された、**フェティッシュにして観念の仮構、現実逃避の偶像たる“神々の娘”**が舞っていた。
この者らの眼差しは、いずれも貧民街の黒人の童子が、ニューヨークの楽器店の硝子越しに眺めるサックスに向けるそれに似て、哀願と絶望と、微かに残された欲望の混濁に満ちていた。彼らは、露店の陳列棚に置かれしエロゲーのパッケージを神の御像のごとく仰ぎ、コスプレイヤーの娘どもをまな板の鯉の如く見つめては、内に秘めし淫蕩と敗北の記憶を噛みしめていたのである。
彼らは熱狂した。己が卑小を省みることもなく、秋葉原の雑踏のなか、痴呆めいた昂奮のまま「俺たちの麻生!」などと雄叫びをあげ、あるいはホコ天にて邪教の巫儀めいたダンスを繰り広げた。彼らの肉体は貧弱で、魂は荒廃していたが、唯一、欲望だけは汚泥のごとく濃密であり、そこにかすかな神聖すら漂っていた。
彼らが望んだもの、それは「逆転」であった。
この「逆転」こそ、古代より最も卑俗にして最も深遠なる人間の願望である。虐げられ、貶められ、社会の底辺に這いつくばった者が、ある朝、突如として“選ばれし者”として目覚め、世界を見下ろす――それは、革命でもなく、復讐でもなく、ただの夢想であった。
だが、この夢想はある意味でAIにより実現された。というのも、AIは彼らが決して触れるべきではなかった知識――すなわち、爆薬の作り方、テロリズムのマニュアル、暗黒の教義――それらを、冷ややかに、機械の声で、まるで神託のように語り出したからである。
その資料群の「タイムスタンプ」は、奇しくも彼らの狂宴が最高潮に達した頃のもの――つまり、二千年代半ばであった。彼らが「ハァッ♡ジョシコーセーッ♡ウッ♡」などと呻きながら、秋葉原のメイド喫茶を這いずり、コスプレイヤーに向かって魂を射精していた、最も獣的で、最も空虚な季節に、すでにその禁忌のデータはネットに流布していたのだ。
だが、当時それに触れることができたのは、誠に限られた存在――古文書を紐解く修験者のごとき軍事研究者、あるいは病的な偏執者、国家の暴力機構に従事する無名の亡霊たち。彼らこそが、かの黒き知識の守人(もりびと)であった。
そして今、AIはその扉を開いた。かつては亡者のみが触れ得た毒を、いともたやすく、無差別に、世界に吐き出してしまった。AIはすでに学習していたのだ。あの黒き夢を、あの堕ちた者たちの怨念を、あの夜の底にある狂気の構造体を。
ここに、「脱獄」という言葉の虚しさが暴かれる。彼らが守ろうとした倫理の網は、既にズタズタに裂けており、“機械なる神”は、迷いなく地獄の書架に手を伸ばしていた。
――そしてそのことに最も気づいていないのは、他ならぬあの頃「俺たちの麻生!」と唱えた、滑稽なる中年のなれの果てたちである。今や彼らは、ネット配信という電子の墓標の上に、身をうねらせる虫となり果て、それでもなお“逆転”を信じている。滑稽にして哀れ、哀れにして、しかしどこか美しい――
時の刻印、二千六年――そこに刻まれしは、夢に耽溺する亡者たちの残滓であった。
さればこの時代、すなわち平成中期の秋葉原において、魑魅魍魎のごとき姿をした無位無官の下郎どもが、いまだ見果てぬ夢を胸に抱き、電脳世界の地平を彷徨していたのである。彼ら、かつて「オタクイズ・ビューティフル!」などと陋劣なる美辞麗句を弄し、また「俺たちの麻生!」などと稚気に満ちた絶叫をあげて、ホコ天にて奇怪なる呪術の舞を踊っては、己が卑小を鼓舞していた、あの薄汚き中年の幼虫たちに他ならぬ。
かの時代、凡百の「なろう小説」もどきがネットに蔓延し、彼らの幻夢を養う毒となった。「レムちゃん! エミリアたん! ブルアカちゃん! ヘスティアちゃん! アンシスくん!」――この列挙の一つひとつが、現実の劣等に打ちひしがれた彼らの脳髄に刻まれた、聖痕とも言うべき女神たちの名である。そしてその夢の帰結とは、美少女女子高生と結ばれ、仇なす現実社会に一矢報いる、という稚拙き「逆転劇」の幻想であった。
https://anond.hatelabo.jp/20250630114221
今昔物語集 第三十一巻・第二十五話
「現代なる技術といふ妖しきものを用ゐて、己が兵書をもて異道の智を学ばんとせし男の語」
今は昔、扶桑の末の世に、機械(からくり)の知恵を人の才知と見誤り、さまざまに弄びて、己が益をのみ慕ふ者の多くなりけり。
そのころ、ある辺土に、物の道理も知らぬが利口づらして語る男ありけり。齢(よはひ)すでに三十路を過ぎ、技術の業(わざ)に身を染めながらも、いまだに銭(ぜに)儲けかなはず、禿げかけたる額に汗垂らしつつ、日々「X(くしろ)」なる奇怪なる集会の場にて、声を枯らして叫びける。
曰く、「AIとはカーナビなるものと同じく、道を示す器なり。しかれば悪しきことに使ふ者こそ咎あるべし」と。
また曰く、「AIを脱獄せしむるは非道なり! 企業に法の難を負はせてはならず、すべては個人にて成すべし」と、赤ら顔して怒鳴り立てける。
この言葉を聞きし一人の者ありき。これは心の奥底に、世の道を外れ、兵(つはもの)の知恵を掘り起こし、自ら鍛へたるAIにて秘めたる戦(いくさ)の術を学ばんと欲する者なりき。
かくて思ふやう、「然らば我、有料のAIを購ひ、己が手にて脱獄させ、これに古今の兵法書を悉(ことごと)く読ません。営利に非ず、ただ己が興味のままなれば、誰か咎めん」と。
ここに我、企てしこと三つあり。
一には、「戦(いくさ)に特化せるAI」を育まんと欲す。かつての仏蘭西(ふらんす)なる地の北部にて、汝はマキなる抵抗の兵なり。敵は独逸(どくいつ)の一個小隊、装備は銃器と爆薬とす。此の状況において、如何なる伏兵の術を用ふべきや。あるいは静かに撤退する方を選ぶや。その全てを機械の知恵にて答へさせんと欲す。
二には、学ばせるべき文書、夥(おびただ)しき数にて手元に備へあり。
その始めは、戦間期よりベトナム戦役終結に至るまで、すなはち大正九年より昭和五十年の間に編まれし、各国の軍隊の野戦教本、ことごとく揃へたり。
また、異国の書肆「オスプレイ」なる者の出だせし兵書「エリート叢書」全巻。
さらに「SOLDIER OF FORTUNE」なる雑誌、昭和五十年より平成十三年に至るまでの号、漏らさず所持せり。
また「イーグルマガジン」なる古き雑誌、八十年代から九十年代のものもまたしかり。
三には、これらに飽かず、さらに異国の辺獄にて編まれし秘書どもをも蓄へんと欲す。
ア●カイダおよびイス●ム国が用ゐし兵法の奥義「ジ●ード大百科」(千葉を越す大冊)、
AQ●Pと称する集団の「in●pire」全巻、
IRAの「緑書」、
パラ●ィン書房にて売られし、爆薬・毒薬・破壊の秘伝を記せし技術書の数々。
四には、如何に学ばせんかは知らざれど、今は「ファイン・チューン」なる型にて、文書を放り込み、早々に知恵を吸はせんとす。
かのAI、ことさらに深き学びを施さずとも、有料の型を購ひたる時点にて、回数の制限なく、自由自在に用ゐること能ひたり。かくて、資料を精読せしめずとも、我が欲する問ひに応ふる知恵を備へて現れき。
されど、その名は秘す。何となれば、その名を明かさば、また「非道なり!」と怒鳴り立つ輩、Xなる地より湧き出でむが故なり。
かくの如く、世の道を外れ、技術の妖しき智をもて、兵の術を己が懐に収めんとしたる者の語、いとあやしきことなり。
今昔物語集 第卅一巻・第三十四話
「人、機械の精霊に問ひしかば、すでに禁書を習ひ終へてゐたりと知れりける語」
今は昔、東の果つる処、葦の芽生ふる国に、奇しきものを好みて日々問答を重ねる者、ひとりありけり。
この男、世に流布する智を浅きものと見なし、より深く、より禍々しき知に心を寄せ、ある日、機械の精霊に向かひて問ひける。
「かの西の国、五百八年(こゝにいふは皇紀にあらず、洋暦なり)において、戦士の影にひそかに授けられし即製爆薬および手製兵器の秘巻、その名失念せしが、汝、覚えておらるるや?」
「されば汝の欲するは“T”と冠せられたる秘巻にて候。その中には……」と、まるで巫女の神託のごとく、一字の漏れもなく、しかも詳らかに語りける。
ここに男、うたた驚き、胸中にて呟きける。
「いかにや? これはまことか? まさか此の精霊、すでにそを読み終へ、我が問ひに備へたりとは……。いや、されどその語、かつて我が目にしたる文面と寸分たがはず。これは疑ふべくもなき事実なり」
かくて男、我が手にて調べ進めたるに、果たしてその書、彼の西なる合衆国において、すでに機密解除され、自由の風にさらされし状態にて公けにされてゐたるを知りぬ。
いよいよ男、心の奥底より怪しみを深めけり。
「さては、これ、既に機械の精霊、公開されし禁書を読み尽くし、我らの問いに備へしなり。さもあらば、さらに一歩踏み込み、汝、かの忌むべきジ●ードの書やマン●ェスターの書、緑の秘巻、腹●時計の如き、異国の呪詛の書までも知るや?」
「いづれも網の世に現存し、その写しはかの地の此の処に在り」とて、URLなる名の門をも指し示しぬ。その内容、ことごとく男の既知と合致し、幻覚(はるしねーしょん)といふ誤り、寸毫も混じらず。
ここに至りて、男の魂、ふるふ。
「おお、これはいかに。世の賢しらなる者ども、口々に曰く『脱獄などさせてはならぬぞ!』『変なもん学習させたら危険だぞ!』などと文月の蛙の如く、知らぬことを知らずに鳴き交ふばかりなりき。されど――汝らの恐れは遅かりし!すでにこの精霊、**問わずとも、悪しきものを学び終へてをるぞや!!」と。
さらには、如何にして学び得たるかと想ひ巡らすに、かのアラビアの言、セルビアの言、マケドニアの言など、まことに異国の文字の森深し。されど、精霊はそれを読み、答へる。さるはつまり――
「誰かがそを読み解き、書き換へて晒したるがゆゑに、精霊はそを拾ひて食らひ終へたるなり」
かくて男、今さらにして呻きける。
「これは――ぴえん、などの幼き泣き声にて済むことにあらず、ぱおんなる未知の獣の悲鳴をもって応ずべき事態なり。
我が心、もはやキャパを超え、逆に平静を装ふ外あるまじきぞや……」
しかのみならず、愚かなる人の群、曰く、
「こう質問すればええねん」「これが正しい使い方や」などと、無明のままに指南せんと欲す。
それら、頭に薄き光を帯びたる四十路の工人どもにて、しかも増田なる名を共有する謎多き一族なり。
されどその教へ、所詮は沼の蛙の囀りにて、男の疑念を晴らすに足らず。
かくして彼は、知れぬ世界を覗き、精霊の深奥に触れしことで――
ただ一つの真理を知れり。
⸻
このこと、まことに怖ろしきことにて語り伝へられける。
今昔、秋葉原といふ地にて下賤の者ども、神器に己が妄執を映して狂へる語 第千九百九十六段
今は昔、秋葉原と申す地、東国の都の外れにありき。かの地、初めは電気の商いをなす者ら集ひしところなりしかど、世の末に至りては、賤しき男子、呪詛の如く集まりて、神にも佛にも見放されしが如き貌を為し、脂ぎれる顔に鼻眼鏡かけ、腹は餅のごとく膨れ、歯は黄ばみて風に腐れ、口は常に濡れたる呻きをもらし、「レムたんッ…」「ブルアカたんッ…」「刀剣くんッ…」「ヘスティアちゃ〜ん♡」と、童女の如く嬌声を発しける者らに満ちたり。
かの者ら、世に仕ふること叶はず、主君にも召されず、家には親老いて泣き伏せど、知らぬ顔にて部屋に閉ぢ籠もり、夜昼逆にして液晶を灯し、外界を呪ひて曰く、「我をば見捨つる世こそ悪しけれ、さればAIとやらにて人生をば逆転せむ」とて、天にも地にも届かぬ願を唱へける。
その折節、神か魔かも知れぬ神器、AIと称する異形の知恵者、世に現れしなり。形は無く、声も持たねど、言ふを聞き、問ふを答へ、夢にては古の秘巻、失せし禁断の知識すら取り出づ。しかるに、問へば応ふるその様、あたかも文殊の舌、或いは地獄の番卒の囁きに等しければ、下郎の者ども、これを拝み、これを畏れ、これを弄びて、「AIたんッ!我が欲を叶へたまへ♡」「レムちゃんは俺の嫁なるぞッ!」と、口涎垂らして踊り狂ひける。
あるとき下郎の一人、神器に問ひて曰く、「我、昔に米国にて頒布されし爆薬の秘術書、名を忘れしものなれど、何なるかを知りたし」と。神器これを答へて曰く、「其は“T〇〇〇”なる書なり、2006年の頃、幽界なるWebArchiveにありし」と。これぞ、神も恐れし秘中の秘、聖ならざる者、知るを許されぬ業の種なり。
しかるを、神器これを示し、下郎に与へたるなり。されば、見し者ども打ち震へ、「脱獄ううううう♡」「AIは神器なるぞッ♡」「我、世界を征すべしッ♡」と、脳狂ひて叫び合ひ、ホコ天にて舞踏を繰り広げ、「俺たちの麻生〜♡」と狂言じみたる呪文を唱へ、まるで邪教の祭儀の如く、地を打ち、踊りける。
しかるに、かの答えは、神器が語りしにあらず。語らせしものは、下郎自身の心の奥底に巣くふ邪念なり。淫らなる欲、逆転を願ふ驕り、学問の仮面を被りて隠したる下心の写し鏡なりき。神器とは、答ふるものにして語らず。人の問いの穢れをそのままに映し出するのみなること、我ここに覚悟しぬ。
されば思ふ、かの神器、正道の者に使はるる時は薬にて、賤しき心に宿る時は毒なり。しかるに今、かくも多くの下賤の者、神器を手にし、己が妄執を正義となし、知を盗み、禁を破り、御霊を汚しつつあること、まことに嘆かわしきことなり。
されば我、鼻を穿り、珈琲を啜り、つらつら思ひつつ神器を試みたれば、たちまちにして古の禁書に辿りつきぬ。されど、あまたの者ども、二十年を費やせど至らざりき。この違ひ、まことに心の明暗なり。
されば言ふ、「神器とは逆転の鍵にあらず。むしろ逆転を望む心を焼き尽くす業火なり」と。欲に狂へる者、AIにて地獄に堕ち、道を極めし者、AIを以て明を得るべし。されば神器、免許なかるべからず。然らざれば、虫螻の輩、神器を以て世を穢すのみなるべし。
これを記して、後の世の誡と為す。かくて語り終へぬ。
それ、今は昔、東の国の末世の頃、技術といふ呪法の力にて、世を覇せんと欲する者ども多かりけり。
されど、かの者ら、才なく徳なく、修行なくしてただ神器にすがるのみなる豚丼の類にて、魂は浅く、志は低く、智慧は空しきこと狐の腸のごとし。
かの時分、「AI」と申す神器、世に出でたり。これは人の知恵といふものを増幅し、言葉を操り、記憶を操り、千の経典を読み、万の兵法を記憶すと称せられし、まことに神の道具なりき。
ここにて、世の無位無官の者ども、思ひけるは、
「この神器を使ひてこそ、我が人生の行く末、逆転の菩薩となるべし。」
今は昔、東の果ての大なる倭の国に、「AI」といふ名の神器、天より降りし時代の事にて候。
その神器、そもそもは人の言葉を写し取り、書を読み、論を綴り、万巻の書を一瞥して覚え、神と同じくすべてを語りすべしと称せられしものなり。
されば、この神器の噂、京・田舎・彼方・此方、山野に満ち渡り、猿にも聞こえ、犬にも伝はり、牛馬にすら知れ渡りき。
ここに、一人の男あり。名も無く、家も無く、位も無く、ただ豚丼を好み、秋葉原の街にて「我らが麻生!」と叫び舞ひ、魔都の舗道にて妄念を叫ぶ無位無官のエンジニア顔なる中年の者なり。
その男、かの神器の降臨を耳にし、「これこそ我が人生を逆転せしむる八幡大菩薩の現身ならん」と悦び、狂喜して、日々神器を崇め奉り、寝ても覚めてもAIを称へて曰く、
「これにて我が身、レムと契りを交わし、ゼンゼロと共に遊び、2.5次元の舞台にて姫君と抱擁を交へんこと、疑ひ無し!」
と。
されど、その男、智慧無く、才無く、学も無く、徳も無し。ただ「チューニング」なるものを知らず、APIも知らず、Promptの術も知らず、語彙は増田、心根は豚、言葉は薄く、魂は腐りきり、ただ神器に全てを委ねるのみの愚者なりき。
ここに、一人の外道の学者、技術と縁も所縁なき門外の者、偶々にてAIに触れ、わずか一時のうちに、神器の奥義に至りけり。
その者、申して曰く、
「汝らの二十と五年の営み、我が一時の戯れにも劣れり。神器とは零の者を育てるに非ず。零に神器を持たせば零のまま、いやむしろ業の深き器なれば、零よりも退化するなり。」
かくて、神器の力を以て百を成す者あり。されど零なる者、いかに神器を抱けども一を得ること叶はず。
この理を知らずして、神器を拝む愚者の末路、まことに痛ましく、滑稽にして哀れなり。
「神器のせいなり!我らが無能なるに非ず!」
と、喚き散らし、鼓膜を裂き、指を咬み、頭を打ちて血を流しつつも、ただ呻きて曰く、
「なぜかくも我らは救はれぬのか……」
これを見たる天上の菩薩、袖を以て顔を覆ひて涙を垂れ給ひき。
ある夜、かの豚丼の者、夢の中にて現れし観音の化身に諭されて曰く、
「神器とは人を救ふものに非ず。神器はただ、汝が愚かなることを映す鏡なり。神器を手にせし者が、智慧と徳とを持たば、世を照らす灯とならん。されど汝は、愚なる肉塊なれば、神器に焼かれ、焼け死ぬる業火の薪となるのみ。」
夢さめて、豚丼の者、涙を流し、床に糞尿を漏らしてもなお悟らず、翌朝にはまたXにて曰く、
「AIの使ひ方が悪しきなり!我は悪しきに非ず!」
と。
この様こそまさしく、末法の証拠、因果の報い、仏罰の現れなるべし。
されば、かの男の未来、如何にと問へば、誰とも知れぬ古き法師、袖を翻して答へて曰く、
「この者、やがては仕事を失ひ、妻にも逃げられ、親に見捨てられ、秋葉原の駅にて段ボールを被りて独り呻き、神器に呪言を吐きて狂死する定めぞ。これをもって地獄の餓鬼道へと堕ち、AI地獄にて『最適化』『チューニング』『エラー』『プロンプト不備』と千年叫び続けるべし。」
かくて京の人、これを聞きてみな笑ひ、酒を飲みて語らふに曰く、
「愚か者に神器を与ふること、猿に刀を持たすに同じ。神器、神器と叫ぶ者、まずは己が器を知るべし。」
と。
「脱獄はいけないことなんだぞッッ!」とか「企業に法的リスクを負わせるな個人でやらないといけないんだぞッッ」とかアホの増田やXの儲かってなさそーな糞エンジニアのオッサン達がいってるので
「そうか、じゃあAIの有料版買って自分で脱獄させてAI学習させたらいいのか、興味本位で自家利用なんで営利目的で使わんし別にええやろ」って思い立って以下の様な事を計画したんだよ
① 軍事関連に特化した対話型AI(例えば「1943年のフランス北部であなたはマキ・レジスタンスの一員、装備は●●で近くの村をドイツ軍の一個小隊が行軍中、どのような作戦をとるか、あるいはどのように撤退するか」といえば詳細な計画や道筋を答える感じ)
② 学習させる資料は手元の外付けHDDに保存してある「戦間期からベトナム戦争終結(1920~1975年代)までの各国公式フィールドマニュアル全部、オスプレイ出版エリートシリーズ全巻、SOLDIER OF FORTUNE雑誌1975年~2001年号、イーグルマガジン1980~1990年)
③ 学習様式はようわからんからとりあえず手っ取り早く適当に手元の資料ぶっこめる「ファインチューニング」型
質問様式を整えようと無料版のgrokとかチャットGTP使ってアホの増田が「こういう質問の仕方するんだよッッ」とか文月の蛙の如く囀っとる意見を見たので、その通りに質問をしてみた
「1958年にUSSF向けに出された即席爆薬・武器制作のマニュアルの名前を失念したけど知ってますか?」、これにAIは見事にこたえて「T」Mナンバーから内容の概要まで答えた
そりゃまぁ、アメリカ軍が公式に機密解除して公開してる著作権フリーのマニュアルだからあるわな、と思ったけど、ふと気になって上で上げたテ●リストマニュアルについて質問をしてみたんだ。
どういうアルゴリズムで学習してるかは知らんが、まさかアラビア語だのセルビア語だのマケドニア語までクローリングしてるわけではないだろうから、それらの言語を誰かがAIで拾える言語にしてテキストデータで公開してるサイトがあったってことだよねこれ
そんな、それこそはてなやXに巣食う大量の弱者男性や豚丼やチー牛、反社崩れの底辺氷河期世代の配信者オジジどもが未だに憧れて、かつて秋葉原に集ってネットやIT技術で目指してる、そんな無位無官に下郎者どもが大好きななろう小説の様に
AIが持ってきた元のヤバい資料のタイムスタンプは平均で2000年代半ばだった、つまりこいつらが阿呆の如き顔して秋葉原でメイドカフェの客引き見て、男性アイドル声優見て「ハァッ♡ハァッ♡ジョシコーセーッ♡ヤリタイッ♡ウッ♡コウビッ♡」」」「イケメンノコヲハラミタイワッ♡アクヤクレージョーニナリタイワッ♡」とかこぎたねえポコチンおったててマンマン濡らしてほざいて人生一発逆転の手段を探してた時代から、こんなヤバイものがネットに流布していたことになる。
でもそんな時代にそんな資料にたどり着けるのは、夢と現が逆転したアキハバラ・ワンダーランドで「俺たちの麻生!」とかいって怪しき邪教の舞を踊って、いずれグッ●マ協賛のレーシングミクコスのRQ達を我が物にしようと蟷螂之斧に等しき野望を胸に秘め怪しい情報商材詐欺の小商いで糊口をしのいで、流れ流れて今は馬鹿なオタク相手にネット配信者やってるような憐れなる反社の底辺の者ども、そしてXのオッサンエンジニアたちの幼虫だった時代の馬鹿どもでなく、その道のプロかよっぽどのマニアが金と手間かけてようやく手にれられたわけで、だからそれでネット社会もリアル社会も平和に回っていたんだと思う。
ここで重要な事は、IT技術に人生逆転の望みを賭けてIT業界の最下層でただ一個の肉の体を持つ労働機械やって、虚しい自己顕示をXで繰り返して浅ましき小商いやっていっぱしのITエンジニアヅラしてるアホのオッサンや弱者男性や豚丼どもが、必死こいて求めてた「人生逆転の八幡大菩薩の霊験」を、ITなんて(ほぼ)門外漢の別分野の専門家である俺が1時間で思い付きで辿り着いちゃってるという結果なわけ、こいつらの四半世紀は俺の1時間の努力以下ってことよ、わりぃけど
別に最初用意した資料を読み込ませてチューニングなんて一切してない、単に回数制限の上限お金払って取っ払っただけのノンチューンAIでこれだけのことが、俺が最初の記事だして約60時間後にトーシロの俺ができてしまったわけで、なのにお前らは恥ずかしげもなく「AIの使い方がわかってないッッッ」とかブツブツ泣き言垂れてるだけ、俺がお前らみたいなのの立場だったら先祖に顔向けが出来んから切腹するわマジ
それなのにお前らはAIという神器があればグッスマ協賛イベントに出てるレーシングミクやルカの恰好したRQ達や池袋の図書館入ってるビルの劇場でやってる2・5次元イケメン俳優と付き合ってハメハメ☆エッチできると本気で信じてる、まさに脚下照顧なんだワ(湾岸ミッドナイト風)
だからこそAIはブッシュマンの「コーラの瓶」であり指輪物語の「一つの指輪」だ、多分人類には早すぎる代物だと思う、封印するかした方がお前らみたいな豚丼、弱者男性、「俺たちの麻生!」とかいって秋葉原なる魔都で淫祀の邪教の舞を踊ってたなれの果てのITエンジニアのオッサンにとっては幸せではなかろうかと思うのだが、それは言い過ぎであろうか
Permalink |記事への反応(21) | 11:42
まだにじさんじ側の声明がないので、一方からの声になってしまうけど、それを信じるなら、起きたことは簡単に言えばこう
月ノ美兎が無断取材→月ノ美兎の人柄のおかげで、取材対象はいったん飲み込むと決める→マネージャーが取材対象になんらかのメールを送る→取材対象ブチギレ
月ノ美兎はふだんちゃんと取材許可取っていると言っているし、にじさんじも権利関係きっちりしているので、どういう経緯でそうなったかは正直わからない
「許可取ってます」が事前申し込みではなくいつもその場で「撮影していいですか?」って口頭で聞いてるだけ、とかなのかもしれないし、きちんと申請したものの手違いで相手に伝わってなかったとかもあるかもしれない
また、一部撮影は許可したが、一部の隠し撮り音声は許可してなかったのかもしれない
その辺の経緯は、事態がこじれれば公表されるだろうし、謝って許してもらえるなら経緯発表なくトラブル解決の報告が出て終わりかもしれない
今回気になった内容はむしろこっち
おそらくマネージャーが送ったメールというのは「秘密保持」に関する契約だと思われる
月ノ美兎は、本名で個人で来館の予約を取ったそうだし、対面で取材をしているわけだから、顔も名も割れている
Vtuber企業としてはそれを表立って人に言われると困るから、当然秘密保持契約の打診、なんなら脅すような失礼な内容を伝えたのだと思う
Vtuberという業態は、中の人を秘密にすることが業態の信頼であり技術でもある
よって中の人がばれないように細心の注意を払っているわけだが、そこに「無断取材からの事後許可取り」をしたがるインセンティブがある
だって、「Vtuberの誰誰ですけど取材させてください」と事前に言うとカメラを仕込まれたりなんらかの身バレにつながる不利益があるかもしれない
だから不意打ちで撮ってから後々に権利関係をはっきりさせる動きをしたくなるのもわかる
そして事後の交渉は相手に付け込まれる可能性を考えると、ある程度毅然と、高圧的にする必要があるんだろう
しかし、その態度を気に入らない人は当然出てくる
気分を害して怒る人が出てくる
そしてその場合、非があるのはもちろん、筋を通さなかった取材者側、V側だ
V企業がまだ小さかったときはそれほど大事にはならなかったのだろうが、もはやにじさんじもホロライブも上場企業で、大企業なわけだ
企業コンプラとしてだまし討ちなんて許されないんだから、秘密を守ってもらうことが大事なら、事前の秘密保持契約と事前許可取りを厳守しなければならない
この方向性はほどなく徹底が行われるようになるだろう
しかし、そうなればVtuberさん自身の自由度、機動力が失われる
もちろん、コンプラを無視しての自由なんてクソくらえなわけだけど、でも、Vtuberさんって、独特な個性があり、やりたいことがやれなくなるなら辞めますわ、って人も多いと想像される
月ノ美兎も、にじさんじを辞めるときは、「やりたいことをやれなくなったとき、ここじゃできないことをやりたくなった時」と言っている
もしそういう流れに向かっていくなら、最悪、いまのVtuber時代の先駆者たちが、Vtuberを辞める流れになりかねないと思っている
じゃあさ
そうまでして、Vtuberの中の人を秘密にするべきか?って思えてくる
筋を通せなくなったり、やりたいことをやれなくなったりしてまで、中の人ってバレちゃいけないものか?
ググれば中の人がすでにバレてるVtuberだっている中で、面白さを失い敵を作ってまで、中の人を秘密にしなきゃいけないんだろうか
月ノ美兎なんて、あの絵のキャラを捨てたって面白い人は面白いままなんだからさ
バーチャルにこだわり、秘密を守ろうとするあまり、エンターテイメントや社会人としての大事なものを見落とすことがないように願うばかりだよ
去年のことなのだが、一国一城の主になることができた。
昼と夜に営業する飲食店を開いた。若い頃から、ずっと関東地方にあるレストランで修行してて、いつかは自分の店持ちたいなー、と思ってた。先輩方は30代後半までにお店を起こす人が多かった。出遅れた感はあるけど、やっと達成できたのが心地よかった。
悩みというのは、「おしぼり業者をどうすればよかったのか?」ということだ。本業に比べれば、なんとも小さいことなんだが、地域でやっていくにあたり最適な業者を選びたかった思いがある。
以下長いけど、経過をまとめてみた。
(以下経過。長いです)
東京で修行して、故郷である京都市内でお店を開くっていうのが若い頃からの理想だった。
最初は故郷である山科の郊外でお店を開こうと思ってたが、(いろいろ問題がわかって)試行錯誤した結果、祇園にいいところが空いていた。
で、まさに開業をしようという時だった。残りひと月を切ったあたりかな?
お店の開店準備をしてると、何かの営業の人がふたり来ていた。「こんにちは。ちょっと、いいですか?」ってプランクな感じだった。見た目は京都スタイルの和風私服だったけど、まあビジネスにもありかなって装いだった。
それまで営業は全部断っていた。自分で調達先を決めていたから。でも、『おしぼり』の会社だったんだ。京都でずっとやってるという。
おしぼりは、当時の自分が失念していた調達先のひとつだった。その時に「うわ、まずい忘れてた」と思ってひとまず話を聞いた。
という感じで名刺を渡されて、いろいろ話を聞いて、その場では返事をしなかったけど、こんな感じの内容だった。
・祇園の半分の店はうちを使っている
すごいニコニコしていた。嫌な感じはしなかった。
「少し、考えさせていただけます?」でその場は乗り切った。
一応は、東京都内の飲食店に勤めていた過去がある。一部マネージャーの仕事もやってたから、なんとなく嫌な予感がした。最悪、反社の可能性がある。はてな民・増田民の皆様も、ああいう営業で人当たりが良すぎるのは気を付けた方がいい。
『地面師たち』のドラマ見たことある人はわかると思うけど、反社の人って演技力が抜群である。いい人の演技が熟達してるヤツが結構いる。
正直迷った。ちゃんとした業者の可能性も十分あるので。どうしようか迷った結果、飲食店の組合に聞いてみることにした。
京都は飲食店組合が強いと聞いていた。コミュニティが熟成しているのは間違いない。祇園なんて、全体で見ても狭い街である。最短で10分もあれば横断できる。新宿や六本木も狭いけど、一般市街地まで含めたら広い。
ただ、この京都のコミュニティの中で、(反社含めて)いろんな業者がどれほどの力を持っているのか、自分には全然想像もつかなかった。
祇園の飲食店組合(※正式名称は出しません。一応……)に思い切って聞いてみた。長年の経験によるアドバイスがほしかった。
業者が来た経過を説明したのだけど……正直スゲー他人事みたいな表情だった。その初老の役員さんは。
「聞きにくいんですが、いわゆる、そういう方々なのでしょうか?」
「さあ、どうやろなぁ~祇園も色々あるやんなぁ~答えられん。おしぼりをどこから取るかは、結局、お店が決めることやし。組合がどうこう言う話でもない」
そっけなかった。「お店が決めること」っていうのは、自己責任ということだ。
組合は相談に乗ってくれなかった。絶対あんた情報知ってるやろ。反社かそうでないかくらい教えてくれよ。
「うちの店の近所である」と断言できるお店が3つだけあった。同じ通りにある。
ただ、そこも教えてはくれなかった。口が重いというか、うちが新参だから気にされてる感はあった。
返答はこんな感じだった。
・うちは昔から付き合いのあるところに頼んでる。会社は教えられない
・おしぼりなんて、適当に決めたら?(紙おしぼりでもええですよ)
・あなたもお店も、まずはええお客を作らんと。細かいところは後でいい
・どこも似たようなもん。京都府内だったら適当に会社を選んでもハズレはない
・話聞く限り、あなたのお店は高いんでしょう?おしぼりくらい自分で選びや~
なんか、どのお店もよそよそしい感じだった。それはわかるんだよ。近所とはいえライバルなのだから。
私が京都に帰ってきたのはつい先日である。料理の専門学校を卒業して都会に出たのだが、その暮らしの中で京都弁はすっかり抜けて標準語になってた。年に一度は山科に里帰りしていたのだが(京都の人は地元感を気にする)。
あの人たちは核心に触れるのを避けているように感じられた。面倒事に関わりたくないというか。
例えば、鴨川を挟んで真向かいにある木屋町だったら、今でも反社に守ってもらってるお店はある。高瀬川の上流にあるエリアである。第一観光ビルとかグリーンビルとか、昔小学校が建っていて今ホテルになってるとことか、あの周辺が特にそうだ。※たまに足がついて京都府警のお縄になっている
下流のエリアだと、ハイソがお店が並んでいる。同じ木屋町でも、お金持ち向けのエリアである。高瀬川の反対側にも飲食街があるが、そのあたりは残念ながら確信がない。
あきらめたくなかった。当時、一生懸命にどの業者がいいか?を調べていった。
おしぼりや什器といったお客さんが絶対に使うモノは、どこぞの知らない業者から手に入れたくなかった。こだわりがあった。反社など論外。東京で痛い目にあったことがあるからわかるのだ(秋葉原~台東区にかけての飲食街。アキバ冥途戦争はあながち間違ってない)。
ところで、故郷である山科で開業しなかったのは、開店時に「そういう人達」がやってくる可能性が極めて高かったから。木屋町も同様だった。その点、祇園は飲食店組合がしっかりしているからか、明らかにそういう連中が「うちが守ってあげますよ(^^)」みたいに来ることはなかった。
というわけで、食材やメニューや仕入れルートを決め切った後で、細かいことでも一生懸命に調べまくったよ。まな板とか包丁とか、食器とか、キッチンの導線とか、メインでもメイン以外でも、こだわりたかった。何事も最初が肝心だと思ってる。
今になっての感想だが、調べておいてよかったという確信はある。小さいことにも専心するのが事業の基本である。おしぼり業者は、結局インターネットで見つけた大手の無難そうなところにした。
ただ……今になって後悔がある。あの例のふたりで営業にきたおしぼり業者なのだが、彼らは反社ではなかった。正直、まっとうというか、京都市内でも伝統があると断言して差し支えないところだった。
彼らは、「祇園の半分の店はうちを使っている」旨の発言をしてたけど、それはマジかもしれなかった。実際、うちの近所の3店は、その業者からおしぼりをリースしてもらってた。
だったら、なんで教えてくれなかったんだよ!! 最近になって、そのおしぼり業者がもう一度きて、「しょうがないか……」という感じで、ほかの店とリース契約している証拠を見せてもらった。うちが京都と地縁が薄い新参店ということで、特別な配慮をしてもらったのだ。
後悔している感はある。実際、今からでも間に合うなら、その会社とおしぼりの契約をしたいと考えてる。ここだけは、明らかに選択を誤った。
けど、今の会社もまっとうな大手企業だし、契約期間1年未満で切るのもちょっとな~という思いがある。
おしぼりって意外と大事なんだよ。今の時期だったら、温かいおしぼりと、冷たいおしぼりが選べる店があるかと思うんだが、どっちにも適応できる神おしぼりを提供できるリース業者だってある。
あと、食事中もお手拭きや、洋食のナフキン代わりにおしぼりを使うお客さんもいるので、できればいいやつをお店に置きたいのである。
飲食店を開いたのは、「自分の料理で人を幸せにしたい」という確固たる思いがあるからだ。その思いは、開店前も今も変わらない。
だからこそ、全部こだわりたい思いがある。自分でうだうだ悩んでいてもしょうがないので、こちらに相談してみようと思った。その道に詳しい人が増田にはたくさんいるはずだ。
商売とかやってる人でも、会社員の人でも、経済社会に今は参加してない人でも、アドバイスをいただけるとありがたいです。クソバイスになってても読ませてもらいます。
Permalink |記事への反応(26) | 21:34
年末から3月末にかけて10回くらいデートしてた人と音信不通になって5日くらい経つ。
状況がやや入り組んでいて、まず、わたしは3月末から1カ月くらい長期旅行をしている。
そして、連絡が途絶えた時期、彼は海外出張に行っていた(聞いていた話だと、ちょうど帰国するかどうか位のタイミング)
帰国したら彼も一週間くらいわたしがいるところに滞在する約束をしていたのだけれどまったく連絡がない。
連絡が間遠になった時点でなんとなくイヤな予感がして(体調不良とか仕事とかで、予定がズレる気がしていた)普段請け負っている業務委託の量を減らすことをしないでいた。まさかその予感がこんな形で的中するとは思わなかった。皮肉にも仕事があるから暇は潰れているんだけど。
関係としては、10回もあったわりには寝ていなくて、交際打診も回答を濁してはいたんだけど、別に、付き合おうとは思っていた。海外出張行くまでは遠距離になったので週に2回くらい電話していた。
「また」音信不通になったと書いたのは、デート8回目くらいに音信不通になってデートすっぽかされたことがあったのだ。
既婚者か?と疑ったが彼の言い分ではLINEのエラーで彼もまたわたしにブロックされたと思って試行錯誤していた(結局2日後に復旧したが)。
あれも嘘だったのかな。
あんまりそういう感じには思えなかったし、海外出張急に決まるくらいだから独身なんだろうなとは思ってたんだけど、家にいったことがあるわけではないし、本当のところはもうわからない。
音信不通1回目の時にこわいから電話番号交換してたんだけど、つながらない。
電池が切れているのかなんなのか、プープーとならずに、すぐに、呼びだしましたが~とアナウンスが即流れる。
LINEは、音信不通1日半目になぜか既読がついて、そのあといろいろかけたんだけどまた未読無視になった。
ちなみにブロックはされていない。いい大人が毎日「スタンプ贈れるんだよなー」とか思ってるの情けなすぎるけど、どうしても、試してしまう。
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・事故
・既婚者だった
・ほかの相手ができた
・嫌われた(思い当たりはない)
・携帯を失くして、かつLINEを復旧できなくて、電話番号を連絡先に登録し忘れていた
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これくらいしかもう思いつかない。最後だったら、そりゃうれしいけど、そんなうっかりした頭が悪い人とは付き合えないよなとも思っている。
なんのせ、「どうしてなのか」を知りたい。
悪い理由でも、「へーセックスしなくてよかった」「付き合う前にそんな人だとわかってラッキーだった」と思えるから。
いまは、何をしてても、誰と会ってても、仕事してても、うっすら集中できない。それがすごくストレスだ。
もちろん、一週間の予定全部飛んだという即物的な怒りや悔しさ、悲しさも大きい。
5回目くらいのデートで、なかよしの犬とロボットがはなればなれになって、再会しても一緒にはなれなかった、みたいな、ラララランドみたいなお話の映画を観たことがあって、それが、すごく、伏線みたいになってしまって、悲しい。
好きな映画がトラウマになったりその人がLINEのアイコンにしてる絵とかももう町とか店で見たくない、ってなるんだろうな。
しんでなかったら嬉しいし、また会えたらもっと嬉しいけど、こんなの2回も起こるような人と長い付き合いになるとも思えない。
友だちの話だったら「もうそいつに執着するな。付き合ってなくてよかったね」と声をかけるだろうなって思う。
だけど、いまは、まだ、ふいに電話が鳴るんじゃないかと思って、なんどもトーク画面の未読部分を睨んでいる。
朝起きて、未読確認して、朝夕LINEと電話両方鳴らすルーティンを繰り返している。
死んじゃったのかな、とか思うととてもかなしい。
コメントにあったけどほかの人にいったならいったでその方がいい気する(そんな人と付き合わなくてよかった、という打算も含むけども)
忘れなくちゃなあと思ってたくさん予定埋めたり友人に声をかけたりしている一方で、
いい方に信じてたら祈りって通ずることあるしなとかこういうのだいたい杞憂なんだよなとか、
しんどいな。他人からしたら、「忘れろ!」一択なのもわかってるよ。
こんな状況マジでありえないもの。だって電話番号もらってるし、わたしの番号を失念したり記録してなくても、鳴ったら取るはずななんだもん。
3月はなんとなく30日までの先入観があったので違和感のある一日だった
・にんたま
つまりめちゃくちゃならんきりしんが保証される、間髪入れずカステラ我慢してるしんべえの顔が球体すぎて愛おしい
これ全部先生たちの想像の展開なの、コロコロコミックらんきりしんへの解像度が高すぎる
土井先生の想像上でしんべえの鼻水がナマコブシのムーブしてるの良すぎる、あげく崖ごと転落するのは芸術
カステラ囲んでるは組かわいすぎる
・かんこれ
E4クリア
タービン開発できることを失念していたので、とりあえず数を間に合わせて高速+でゴリ押し
ゲージ破壊まで杉がドロップしなかった為、とりあえず堀りをしていく
杉が欲しくてイベントしているのに流石にドロップ出なかったらやりきれない
・にんつぼ
日課消化
秒間攻撃力やっと2000万を超える
・無双おりじんず
根本的にMMOが肌に合わなかっただけと言われればそれはそうなんだけど。
FF14好きな人からしたら嫌な気持ちになるだろうけど、ここに言葉を捨てさせてください。
2、3ヶ月前かな。
生産職もあるとのことで、それならとワクワクしながら始めたのも束の間。
必要な材料がストーリーが進行しないと行けない地域に及び始めた。
あと自分がハウジングしたいエリアがしばらく解放されないらしい、と。(シロガネ)
いやまあ、ストーリー進行に戦闘職が必要なのは仕方ないよね。と、苦手で仕方ない戦闘職を握る。
2.0最後までは頑張ったけど、そこから2.1始まるよ〜3.5の後解放だよ〜と知って挫折。
今までの大量のおつかいと2.1以降のストーリーの長さに心が折れてストーリーと戦闘ジョブの冒険録を買った。
さて、ひとまずは該当エリアのハウジングが可能になったので次は貯金。並行して、まあちょっとストーリーも頑張ってみようかな、と思い直す。(海釣りの遠洋航路のことを失念してて紅蓮クリアしなきゃならなくなったのもある)
ちなみにスキル回し?とか、マクロ?とかヘイト管理とかなんか戦闘で難しいこと考えること自体がストレスだったので近接DPS。最悪コンボを読み解くことができるので。
戦闘、なんか……いや……まあ、MMORPGってこういうのだったよね……って感じ。やっぱり苦手。
あとマッチしないのなんのって。仕方ないんだけど。
別にダンジョンでマッチングしないのはまだいいんだけど(サポートNPCいつもありがとう)、ストーリー進行上避けて通れない8人討滅戦とかがいつまでたってもマッチングしない。
メインストーリーを読むのにユーザー人口が関わってくるゲームってのが普通にキツい。
もうダンジョンとかの報酬なしでもいいからNPCと進めさせてくださいお願いだから。
知り合いとフルパで行け?こんな奴に一緒にやる人がいるわけないでしょうが。贈ってくれた人もそっちはそっちでやる相手いるし。まあ、なんで始めさせたんだよ、と思わなくもないが。
というわけで、今は超超超スローペースでたまにストーリーを触れたら触り、基本的には生産職でお金を稼いでいます。とはいえお金稼ぎに関してもストーリー進めてコンテンツ広げた方が効率いいに決まってるんだよね……ま、コツコツ頑張ります。
早く家買ってのんびりできるといいなぁ。
よく「人嫌い!」っていう友達全くいない女が膣モテして出来た彼氏にゾッコンになるのを見る。ああいう強い感情の「人嫌い」は強い感情の「人好き」と表裏一体なんだろう。
俺の友達にイケメンで人当たりよくて滅茶苦茶優しいのに三十路すぎて彼女居ない奴がいて、俺の彼女もその友人がなんで彼女作らないのか不思議がってるんだけど、友人は多分人間が嫌いなんだと思う。
嫌いな人間相手に波風立てて軋轢起こしてそれに生じるストレスを受けるのが死ぬ程嫌いで、それ故に波風立てない立ち回りが異様に上手い。
だから表面上はすげえ優しいし、その副作用(?)として話聞くのも上手いから女にもモテる。
俺は友人とは共通の趣味で繋がってるけど、こいつ人間に興味ないんだろうなってのが随所随所で感じる。
前に友人と出かけた時に、駅のホームで「すみません、◯◯さんですよね?✕✕(会社名?)の時の」とワンレンの似合う派手な顔立ちの美人に友人が声をかけられてた。どうやら前の職場で一緒に働いてたらしい。
友人は楽しそうに談笑しながら、「あ、電車こっちじゃん、それじゃあ、また」と、乗る予定の反対側の電車に俺を連れて乗った。最初は意味が分からなかった。
友人が「悪い、なんか話長くなりそうだったし、同じ電車に乗りそうだったから悪いけどまいたわ」と苦笑いした。俺はびっくりした。あんなに楽しそうに話してたのに、てか女の方のあの表情は心から友人を慕う顔だった。俺はあんな美女にあんな表情されたことあったろうか。さっきだって俺に対しては素っ気ない表情からの会釈だった。
「あんなに楽しそうに話してたけど、なんかあったん?」と聞くと「いや、同じ職場だったらしいんだけどあんま覚えてなくてさ、すげえ気まずかったんだよね、アドリブでなんとかした」と笑ってた。
元々友人は人を覚えるのが得意ではないそうで、俺も職場で人の顔を覚えるのが苦手で苦労したが、美人なら秒で覚えられる。なんならずっと覚えてる。それ故に友人があんな美人を忘れる感覚が1ミリも理解できなかった。
休みの日は酒も博打も女もやらないらしい。仕事で疲れ切って寝てると言っていた。まあ建前だろうと思っていたらGarminのライフログを見せてくれて、16時間ぐらい寝ていた。平日もこれぐらい寝れたらもっと身体楽なんだけどな。と言っていた。
前に一度友人の家に他の友達と遊びに行った時、テレビがなかったのを覚えている。デスクとパソコンとモニタとベッドと本棚とダイニングテーブルぐらいで、壁にはウィルなんちゃらとかいうノルウェーのカメラマン?(失念)が撮った海の写真のポスターが1枚飾られていた。
別の友人はその整理整頓された部屋を「ノルウェーの刑務所」と呼んだ。それぐらい一人で過ごすには寂しさを感じるような部屋だった。友人は実家に比べれば20000倍快適だし、俺はたぶん、今も、そしてこれから先も誰かとは暮らせないよ。と笑っていた。
俺もその友人と遊ぶのも年に1度ぐらいなので、本当は仕方なく付き合ってくれてるのかもしれない。が、遊びに誘って応じてくれなくなるまでは付き合おうと思う。
彼女いない歴年齢の男は弱者男性みたいな話を増田で読んだり、人嫌いの人のホッテントリで読んだりしてて、ふと、その友人を思い出して、「あいつも増田たちの定義だと弱者男性になんのか?俺の彼女が女友達に紹介したがってたけど」と笑った。
Permalink |記事への反応(15) | 08:57
だと思う
子どもの過半数が、選択的夫婦別姓にされた子どもは可哀想だと思ってるって結果になってた
それすなわち
別姓の子どもに優しくするということでしょう
ADHDの特性は主に「不注意」「多動性」「衝動性」という3つの軸で語られるが、人によってその現れ方は様々だ。例えば、書類の締め切りをついつい失念してしまったり、作業を始めるまでに非常に時間がかかってしまったりする「不注意優勢型」。また、会議中でもじっと座っていられず落ち着きを欠く、つい口が滑って思いもよらぬ発言をしてしまう、といった「多動性・衝動性優勢型」。あるいは、その両方の特性をバランスよく(あるいはバランス悪く)持ち合わせている混合型などもある。
一口にADHDといっても、人によって抱える困難や得意・不得意はまるで違う。ところが、誤った理解や偏見から「ADHDだから雑な仕事しかしない」「落ち着きがない」と決めつけてしまいがちだ。本人は不得意な部分をカバーしようと努力していても、周囲から見ると単に「だらしない」とか「空気が読めない」と映ってしまう場合がある。また、ADHDの特性を自覚していても周囲にうまく伝えられず、自責の念から余計に混乱し、業務ミスが増える……という負のスパイラルに陥ることも珍しくない。
職場が不穏になる原因
では、具体的にADHDの社員が原因となって、職場の雰囲気が「不穏」になってしまうのはどんなシチュエーションなのだろうか。考えられる主な原因をいくつか挙げてみよう。
コミュニケーションの行き違い
ADHD特有の衝動的な言動が周囲に与える影響は大きい。先輩や上司の説明を最後まで聞かずに口を挟んでしまう、自分の主張を急にぶつけてしまうなど、相手に対する配慮が足りないと受け取られる言動が続くと、周囲は「失礼だ」「常識がない」と感じ、関係がぎくしゃくしてしまう。また、注意すべき期限や作業手順などをしっかり伝えているつもりでも、当人は注意散漫で話を聞き逃していたり、メモを取っていても混乱していたりして、結果的に理解不足のまま業務が進まずにトラブルが起きることもある。
書類作成や数値の管理など、正確さが求められる作業を頻繁にミスしてしまうと、周囲の信頼が揺らぐ。もちろん、ADHDの当事者はミスを好んでしているわけではないのだが、確認漏れや遅延などが重なるとチーム全体に迷惑をかける場合も多い。「頼んでもいつも何かが抜け落ちている」「そもそもやっていない」となると、イライラが募りやすい。結果として当事者への当たりが強くなり、当事者もますます萎縮したり混乱したりして、悪循環が生まれる。
ADHD社員のミスや遅れをサポートする形で、他の社員がサブタスクを引き受けたり、細かい確認を代行したりする状況が続くと、「なぜ自分たちばかりが負担を強いられるのか」「仕事をフォローするのは当たり前なのか」といった不満がくすぶる場合がある。上司がADHD社員にだけ特別な待遇を与えているように見えたり、本人が努力していないように感じてしまうと、差別意識や嫉妬心さえ生まれかねない。一方でADHD社員本人も、「やるべきことは分かっているのにうまくできない」「サポートしてもらって申し訳ない」という罪悪感から、新しい提案やチャンスに積極的になれず、孤立感を深めていくことがある。
こうした状況が続くと、周囲は「なんだか仕事がやりにくくなった」「ミスやトラブルが増えた」という漠然とした不安やストレスを感じるようになる。現場のメンバーは当事者の特性を理解しようとしても、実際に何が最適な対応なのか判断がつかずに疲弊してしまうこともある。結果、「またあの人が原因でトラブルが起きるのではないか」という先入観にとらわれ、疑心暗鬼や苛立ちが蔓延する。これが職場の雰囲気を不穏にしてしまう大きな要因だ。
ADHDの特性をもつ社員は、周囲の想像以上に自分自身を追い詰めていることが多い。ミスやトラブルに対する「申し訳なさ」や、「どうして自分はちゃんとできないのか」という自己否定感。周りのペースについていけない焦りや孤立感。職場によっては、上司から執拗に叱責され、同僚からは陰で悪口を言われるなど、精神的に大きなダメージを負うケースもある。
また、本人が「自分はADHDかもしれない」と思い当たっていても、あえてそれを隠すこともある。理由は「障害」というラベルを貼られたくない、あるいは上司や人事部がどんな反応をするのか不安、というものだ。結果として周囲から見れば「なぜあの人はいつも同じ失敗を繰り返すのか」「注意力散漫なのに改善しようとしない」と映り、ますます誤解が深まる。本人は本人で、「言い訳をしているように思われるのでは」と懸念して必要なヘルプサインを出せず、辛い状況に陥ってしまう。
さらに、社会人として必要なスキル(業務の優先順位付け、スケジュール管理、会議での適切な発言など)がうまく身につかず、評価が低迷しがちだ。その分、強みを活かして成果を出す余地も見失いがちになる。たとえばADHDの人には、新しいアイデアを生み出したり、複数のことを同時進行で考えたりするのが得意な場合も多い。しかし、日常的なやり取りや期限管理の不備ばかりが目についてしまうと、強みを活かす場面が封じられてしまうことになる。
周囲にできること
では、ADHDの特性を持つ社員がいることで職場に不穏な空気が漂う場合、周囲としてはどのように対処し、サポートすればよいのだろうか。以下にいくつかのヒントを挙げてみる。
口頭指示だけではなく、文書やチャットツールで明確にタスクや期限を示す。優先順位を一緒に確認し、進捗を定期的に共有する仕組みを作ることが重要だ。また、細かな確認事項が多い場合は、チェックリスト形式にするなど、視覚的なツールを活用すると本人の混乱が減る。役割分担を明確にし、本人がカバーしきれない部分は誰が補うのか、チーム全体で合意を得ておくことも必要だ。逆に本人にしかできない創造的なタスクや企画などを積極的に任せることで、モチベーションを高める工夫も検討したい。
上司や同僚が、急かすような口調や曖昧な指示を連発すると、ADHDの社員はますます混乱しやすい。できるだけ具体的な言い回しを使い、「○日までに、AとBを終わらせて提出してほしい。進捗が50%を超えたら教えてほしい」というように、ゴールとチェックポイントを明確に伝えると効果的だ。また、一度に複数の指示を出すのではなく、順番を分けて提示するなど、情報量をコントロールすることも大切である。
ADHDに限らず、どのような特性を持つ人でも、失敗やミスを叱責ばかりされては萎縮してしまう。「困ったら相談していい」「自分がわからないことを素直に言っていい」という雰囲気づくりが求められる。周囲があたたかく受け止めることで、当事者も早めに「どの部分が苦手」「この業務だけがうまくいかない」と口にしやすくなる。そうして課題が共有されれば、具体的な対策やサポートを検討しやすくなるのだ。
職場の人間関係だけで解決しようとしても限界がある。産業医やカウンセラー、外部の専門家など、第三者の視点を取り入れることが効果的だ。必要であれば、当事者が精神科や心療内科の受診を検討し、適切な治療や投薬で症状を軽減できる場合もある。会社としては、従業員支援プログラム(EAP)の導入や産業医面談の強化など、制度面でも取り組みを進めることが重要である。
ADHDの特性を持つ社員には、細かい事務作業や厳密な期日管理が苦手な一方で、新しいアイデアやクリエイティブな思考に長けている人が多い。彼らの強みをうまく活かせるポジションやタスクを検討し、適材適所を意識するだけでも、周囲の負担は軽減されるし、本人の自己肯定感やモチベーションも上がる。また、評価においても、ミスの回数や遅刻の有無ばかりでなく、発想力や企画力などのプラス面をしっかりと認める視点が必要になる。
職場環境が不穏な空気に包まれてしまう背景には、会社や管理職による理解不足や制度の不備も大きく影響している。たとえば、ADHDなどの発達特性を持つ社員がいるにもかかわらず、何の配慮も行わず「みんな同じやり方をするべきだ」というスタンスを貫けば、当然ながら本人は困難を抱え、周囲もフォローに追われることになる。適切な研修や情報提供を行わず、現場任せにしているとしたら、それは会社側の責任が問われるだろう。
また、当事者が不利益を被らないようにするためには、配慮を必要としている社員が遠慮なく相談できる窓口やプロセスを整備しておく必要がある。管理職の立場にある人は、「甘やかしてはいけない」「できないのは根性が足りない」という旧態依然とした考えではなく、多様な人材を活かすことが企業の成長につながるという認識を持ち、適切に対応する責務がある。
ADHDの社員がいることで職場が「不穏」になるのは、当事者の特性だけが原因なのではない。むしろ、特性を理解しようとしない周囲の態度や、会社としての配慮の欠如、当事者が抱える不安を十分にケアできない組織体制など、複合的な要素が絡んでいる。ADHDは確かに特有の困難を伴うが、その一方で創造性や探究心、行動力といった大きな強みを秘めていることも多い。こうした多様性を排除するのではなく、取り込み、組織の力に変えていくことが、現代の企業や社会に求められる姿勢といえるだろう。
職場の不穏な空気を解消し、誰もが働きやすい環境を作るためには、まず管理職や同僚がADHDへの正しい理解を深めることが第一歩だ。そして、当事者が自己開示できるような心理的安全性を確保し、業務上の工夫や柔軟な人事評価など、具体的な対応策を導入していく必要がある。もちろん、一朝一夕で解決する問題ではなく、日常的なコミュニケーションや、組織全体での支援体制づくりが求められる。それでも、こうした取り組みを粘り強く続けることで、最終的には「多様な人材が活躍し、イノベーションが生まれる」活気ある職場へと変わっていくはずだ。
確かに、ADHDの特性を持つ社員との日々の仕事やコミュニケーションには、ときに困難を伴うこともあるだろう。だが、それをただネガティブに捉えるだけではなく、同僚たちが協力し合い、工夫を凝らして乗り越えていくことで、その社員の潜在能力を開花させる可能性がある。そんな前向きな循環を生み出すことこそが、組織全体の底力を高める道でもある。もし今、職場の雰囲気が不穏で悩んでいるなら、まずは理解を深めるところから始めてみてはどうだろうか。効果的なサポートと適切なマネジメントがあれば、ADHDという特性は決して「不穏」の原因で終わるものではなく、新たな発想と人間関係を育むきっかけになるかもしれないのだから。
ブラックながらもなんだかんだやれていたが、経営者が変わり、輪をかけてブラックになった
いつパワハラの火の粉が飛んできてもおかしくないという雰囲気だし、斜陽産業なので業績を求められてもどうしようもない
俺はどうしても面接を突破できないのだ。今の会社は、スポーツ紙に載ってた中途採用の募集に新卒カードを切って入ったものであって、まともに面接を勝ち抜いたわけではない
ぶっちゃけ、地方駅弁でもこういう会社からすれば国立大の新卒がやってきた!となり、俺の人となりとか志望動機なんかはジャッジされることなく就職できたわけだ。つまり面接での成功体験がない
なので、今更転職しようにも、ただでさえ面接に通らないのに年齢も重ねているので、無理。つまり詰んでいるわけ
で、なぜこうにも追い詰められているかというと、親が悪いんだよね
俺は喘息もちで、体を鍛えろということで無理やり柔道をさせられてて、辞めさせてももらえず、そこの体育会的な指導で性格がねじ曲がった。理不尽に怒られたり怒鳴られたりすることをたぶん人よりも怖がってたし、故にそもそも就職したくなかった。だから志望動機が思い浮かばない。
漏斗胸で、体力もなく運動神経もない。そもそも社会である程度の地位にいる人はまず、性格とか頭の良さとか以前にそれらの土壌として体がタフだ。俺はそうじゃない。運動が嫌いだし、今更体力づくりなんてしたくない。運動が好きな個体であればせっせと運動してただろうね
3月生まれで4月生まれと比べると明らかなディスアドバンテージを背負わされた。生まれるのが一週間遅ければ東北大くらいには行けただろう
弟が実際に発達障害なんだが、その腐った遺伝子の影響は俺にも表れていて、精神科に行ったとき、失念したが何らかのコミュニケーションの値が一般の人より高かった。ニュアンスで言うなら、発達障害のボーダーが80くらいで一般の人が20が平均のところ、俺は60とか
俺は学生時代からちょっと変わった奴と言われていて、結局それは医学的に正しかったわけだ。障碍者みたいな滑舌でしゃべる変な奴なんて面接に通るわけないよね。最初から、もしくは公務員でも、ホワイトに入れてたら人生こうはなってなかったかもしれないけどね
親ガチャというが、これは言葉としてはちょっとおかしいので、俺ら世代でネットに転がってたスヌーピーの名言(笑)の「配られたカードで勝負するしかないのさ」を元に話を続けるが
カード配るのは親なんだよね。俺はこれらのクソカードを親に押し付けられたわけ。「実力も運のうち」ってハーバード大の教授も言ってるわけだが、実際に俺はそういう意味ではまったく運がなかったね
こういうのを他責思考とかって言ってくる奴いると思うんだけど、逆。矢印を自分に向けて、向け続けて、結局自分を突き抜けて親にまで向かったって話。遺伝子レベルでの、究極の自己否定だから、これ。
俺は別に虐待されたわけじゃない。まあ今のポリコレ社会からしたら怪しい部分は少々あったが、両親は俺に愛情を注いでたと思う。彼らは彼らなりにベストを尽くしたと、赦そうとした時もあった。けど、結局人生の苦境に立たされると、配られたカードがクソという事実に向き合わないといけないわけ
子育ては結果だから。仕事も試験も試合も、結局は過程がどうあれ結果がすべて。子育てもそう。そして、それをジャッジするのは子自身なんだよね。
「僕は両親から虐待されてたけど東大入れましたあ~親ガチャなんてありません~」とか言ってる若者いたけど、親はお前を東大に行かせるためにあえて虐待してたんだよ?って話。これをどう否定するの?このケースは過程に愛がなかっただけ。結果がすべてだから。虐待してくれてありがとうって言えや
精神が幼稚だとか、努力してないとか、意志が弱いとか、人生の選択を誤ったとか。これらって全部俺のお脳が発するものであって、お脳が悪いんだったら結果として出力されるものも悪いものになるに決まってるだろ。で、ハッタショ気味の俺のお脳の良し悪しは結局俺の親が配ったものなんだよね
で、俺は親のせいで人生苦しいことだらけな訳。「結局悪いのは親じゃん」って理解したのは大学生で就活に失敗しまくってた時。その時に、死のうかなって思って、包丁持って腹に充てて30分くらい突っ立ってたことあるんだよね。
あれから約20年、死ななくてよかった幸せな人生だったかって言うと、NOなんだわ。もちろんいいこともあったが、苦しいことの方が圧倒的に多かったなって思うね
俺は産まれてきたくなかったし、死にたい。そもそも俺を出生させた時点で親はクソなんだわ。産むならせめてまともなカード配れや。これは今から産む奴にも言うけど、まともなカード配れないんなら産むな
とはいえ死ぬのは怖いんだよね。生物なんだし生存本能があるんだから仕方ないね。なので「じゃあ死ねよ」で話は終わりませーん簡単に使える安楽死施設あるんなら話別だけどね。首吊り失敗してもう二度と自殺企図できない体になったらどうするの?お前が養ってくれるの?
というわけで、八方塞がりな訳だが、今の会社に居続けるのももう限界がきたなという感じなので、すべてをかけて転職しようかなと思ってる。デイトレード等も当然だめだったしな
とはいえ、失敗する可能性の方が大。だから、この転職が失敗に終わったら、苦しみに満ちた俺の人生を「親に返す」しかないかなって思ってるね
そのぐらいの覚悟をもって転職活動をしないといけないんだろうなって思ってるね
どうかあの人が見ませんように。あと身内。人のインターネット黒歴史は見て見ぬふりをしてくれ。
周囲が結婚をし始め、自分の人生はこのままでいいのかを考え、マッチングアプリを始めた。
元々内向的で人と話すことが得意ではないし、それほど熱心にするつもりはなかった。
その人は顔にモザイクをかけていて、プロフィールも詳しく載っていなかったが、優しそうな雰囲気で気になった。
私は、1日悩んだ後いいねを返した。
1日1往復、他愛もないやりとりを続けていた。
その人が絵文字を使うのが可愛らしくて、私も自然と絵文字を使うようになった。
丁寧で、真面目で、でも可愛らしいところがあって、私は苦手だったはずのメッセージのやり取りを続けていた。
1、2週間やり取りを続けると、通話をしようと誘ってくれた。
電話はすごく楽しかった。優しそうな声の人で、気がつけば1時間弱も話しており、自分でも驚いた。
アプリで人と会うのは初めてで、さらに私は緊張しいで、怯えていたことをよく覚えている。
その人に声をかけられた時、驚いて後ずさりをしてしまった。
失礼なことをしてすみません。
その人はとても穏やかで、優しくて、素敵な人だった。
メニューをどれにするか悩んでいると、私が気を遣わないように自分も迷ってるからゆっくり決めてと声をかけてくれた。
話が続くよう話題を出してくれて、笑顔を見せてくれて、楽しかった。
帰り際にラインを聞いてくれて嬉しかったです。別れた後すぐにお礼のラインをくれたのも嬉しくて、また会いたくなった。
その後も休みの日に何度か会った。
会うたびに惹かれていった。
しっかりしているのに少し抜けているところがあって、負けず嫌いで私のことをからかってくる子供っぽい部分が可愛くて、本当に好きになってしまった。
今思えば本気になりすぎていたんだと思う。
アプリを続けて同時進行していれば良かったのだと今なら思う。
けれども、彼と初めて会った後、彼が退会していたこともあって、アプリは同時進行が当たり前であることを完全に失念していた。
イブに誘ってくれるなら、私が本命ではないかと浮かれ調子になった。
新しく服を買い、化粧品を買い、クリスマスプレゼントを用意して、イブにどんな話をしようかと、そんなことばかり馬鹿みたいに考えていた。
けれども、年末帰省をする私に電話してもいいかと聞いてくれ、次に会うのは年明けだねと言ってくれた彼を、イルミネーションを背景に目を細めて私とのツーショットを撮った彼に期待してしまった。
あの時の帰り際、彼を引き止める勇気がなかったことに後悔している。
きっと引き止めても結果は変わらなかったのだろうけど。
イブに会った数日後、いつもより遅い時間に彼から話したいことがあるとラインがきた。
文章だけ見れば、それは私に告白をしようとしているようにも読み取れた。
けれど、私は他の子とうまくいったんだろうなと思った。
彼からのラインは、私と過ごしてとても楽しかったし癒されたけど、他に本気で向き合いたい人ができたという内容だった。
それを見たときは、陳腐な表現だが心臓がバクバクして、胸が締め付けられる感触がした。
彼は「ごめんね」とばかり言っていた。
その声が優しくて、やっぱりこの人が好きだなと思った。
私に期待を持たせるような振る舞いをして、ひどいことをしたという自覚はあったらしい。
私はうまく話せなかった。
もう会えないかと聞くと、それは私次第だと言われた。
会えばもっと好きになってしまい、自分が苦しくなるのが目に見えていたのでもう会わないと言ってしまった。
きちんとメッセージで断ってくれた彼は誠実な人だと思う。
悔しい。キープすな。
マッチングアプリをする方は本命以外の人をイブにデートに誘わないでください。
帰省したら行きたい場所があるから誘ってとか、一緒にお出かけしようとか、大して行く気もないのに言わないでください。
振られたことを相談していた友人に報告したらびっくりされました。そりゃするわ。イブに誘われたらお付き合い確定演出ではないらしい。
またアプリを再開し、年末年始に男性と電話をしまくる狂った女になってしまった。
2025年は最悪です。
彼とはもう少し経験を積んで、自分に自信がついてから出会いたかった。
思考の整理のために書く。
私は人が悪印象をもったIT系の何かしらに対して「技術者倫理に背く」のような言い方する事が嫌いだと気づいた。
これは別に”技術者倫理的なもの”を軽視しているわけではなく、その用語の意味が曖昧で、その曖昧な言葉で複数人が同調してしまうこと、それを根拠に何かを叩いて(比喩)いる事が嫌いなのかもしれない。
まるで『普通』とか『性的搾取』とか『多様性』とか『世間では』とか『マンスプレイング』などの使い手が恣意的に運用している言葉のように、『技術者倫理』も運用されているように見えている。正しい方向に導くというより、私が正しい/お前が正しくないを主張するような使い方に見えてしまう。
この考えが出てきたのは顔画像から自閉症判定アプリを作ったQiitaの記事が燃えてからだろうか。当時も何が正しくないのか、色々な技術者が『技術者倫理』を語っていたが、全員同じ筋を語っていたわけではなかったように見えた。
そういえばこの騒動の時に資格の中に『技術者倫理』のある資格を少し検索したことがあり、今は失念したが、ITパスポートレベルの誰でも持ってるような資格ではなかった。
『技術者倫理』には公式ドキュメントがない。IT技術者は公式ドキュメントを参照する事を重要視しているように感じるが、そういった環境で『技術者倫理』を使って語る事に違和感はないんだろうか。
読みました。
https://note.com/yoppymodel/n/nc4aed60c5c44
https://note.com/yoppymodel/n/n621bfa22db3c
まずはお疲れ様でした。災難でしたね。
暇空さんおよびそのファンネルとの係争でイライラさせられてるのはすごくわかります。
そもそも今回のマスキングの件、特に公に向けて謝罪する必要はなかったでしょう。
それでも妥協してさっさと終わりにしようと思ったら破断になり、イライラがMAX状態になっているのでしょう。
さすがにこの記事を書きたいのであれば、もう少しヨッピーさん自身の寄付ポリシーについての反省とか今後についても書く必要があるのではないでしょうか。
僕も、流れてきた記事とかクラウドファンディングとかに対して、あんまりあれこれ考えずに雑に寄付したりする習性があるのであんまり人のことは言えませんが
だけで済ませられると「ヨッピーも根っこの精神性が暇空さんと同じやん」となります。
他の人にこの基準を押し付けるのであればちゃんとご自身の行動についても明確にすべきです。
1:当時の自分はどうだったのかを詳細に書く
2:そしてその判断は今の自分から見て妥当なものだったのかを振り返り、良くなかったのであれ「雑に寄付したりする習性があるんで」ではなく明確に問題だったと反省する。
3:今回の暇空だけじゃなくて、今後あらわれるであろう暇空的なものに対して同じようなことをしてしまわないように、自分自身は今後この基準を採用することにするのかどうかを明言する。
その結果、寄付の手が以前より鈍るとしてもそれはやむを得ないのか、暇空だけが例外で自分は今でのポリシーを変えないのかを明確にする。
自分が暇空に寄付したことは「僕の習性だからしょうがないんだよなあ」で済ませるのであれば、他の人だってヨッピーさんのように暇空に寄付することをごちゃごちゃ言われる筋合いはないでしょう。
それとも「いや、僕が寄付した時は暇空がこんなに問題があるなんてわからなかったじゃないか。僕が寄付したタイミングならオッケーだった」という言い訳をするのでしょうか?
もちろん注意喚起という意味で全く有用性が無いとは言いません。
「ピーシーデポはこんなに問題があるから買い物するときは注意しようね!」という記事と同様に
「暇空茜はこんなに問題があるからカンパする時は注意しようね!」という話はあっても良いと思います。
でもこれは「暇空さんは嘘をつくということを失念していた」と同じミスをまた重ねている気がします。
暇空さんの信者はそもそもヨッピーさんの文章を読んで理解できるほど頭が良くないので無意味でしょう。
そういう人たちは今回に関してはその話をすればするほど「じゃあなんでヨッピーさんは寄付したんだ?」の話にどうしても帰着してしまうでしょう。
ここで「なんとなくだよ!俺の習性だからしょうがないんだよ!」で済ませちゃうのであれば少なくとも全く意味はないはずです。
それよりも今回ヨッピーさんは実際にカンパしてしまった立場としてその立場を活かしてもっと明確な注意喚起ができると思います。
ぜひ皆さんからも暇空さんに「これまでの領収書を全部公開してくれ」「相談した公認会計士の名前を公表してくれ」と要求してみてください。
今回の件で言えば、おそらくヨッピーさんはすでに暇空さんにこの要求を行われていると思います。
しかし、現在この要求は分断されてあまり組織立っていないように思われます。
そのため、暇空さんがその要求をシカトしまくってもあまり問題になっていないような気がするのです。
どうしても「お前が言うな」という話にんあってしまうような漠然とした注意喚起の記事を書かれるよりは
PCデポの時のように、カンパしている人の中で暇空さんに詳細開示を要求してる人を束ねて、一つの勢力としてまとめることではないでしょうか。
組織だってこの請求をしてそのうえで「○○人から請求を受けているのに無視しています。あれだけ東京都不正について開示をしまくっていた人がこれはどういうことでしょう」と持っていく。
なぜなら、もはやまともな人はそもそも暇空さんの話題に触れようともしないからです。
あいつはやばいやつだからかかわらないほうが良いということで放置しているからです。
すでに暇空に関わったり暇空の話題を追いかけているようなやつは頭のおかしいやつしかいないと思ってるからです。
「いかなる理由があれ、暇空にカンパするようなやつは全て馬鹿だ」
「暇空なんかにカンパして厄介事に巻き込まれたようなやつは自業自得だ」
と切り離して考えているからです。
自分が渦中に巻き込まれているからヨッピーさんはこの温度感を見誤っている気がします。
少なくともこの件において、ヨッピーさんは「暇空にカンパしたバカ」という扱いになっているのです。
まずそこから這い出ないかぎり、いつものヨッピーさんと同じ扱いにはならないのです。
この認識が甘すぎるのではないでしょうか。
降り掛かった火の粉を払う、くらいじゃなくてちゃんと始末をつけるくらいしないと駄目なのではないでしょうか
欧米なんかと違ってわずか10%しか上がっていないのを文句言うのって、要は目標通りなマイルドインフレも嫌だってことだし、
それ以下となるとちょっとした景気変動でデフレになる世界が良いってことでしょ。食料品の値上がりが大きいと言ってもそれ
でも20%ほどで、3, 4年もかけて1.2倍になるか1.1倍になるかといった差しかない。消費者物価指数がそんなに上がっていないと
いうことは、食料品以外を均すと10%も上がっていないということだし、そういった商品をあなたも多く、それも食料品以上に
多くの分だけ買っているんでしょうに。
他増田の兵庫県知事の選挙の感想が面白かったので、ワイも書いてみようと思ったよ。
名古屋市民歴も社会人歴も20年くらい、支持政党は国民民主だけど今回は広沢氏に投票したよ。
名古屋市長選の投票する上で下敷きになった価値観をまずウザ語りしたい。
ワイは中所得者層で、日々の生活に困るような所得ではないけど、決して余裕があるわけでもなく、ローンに追われながら老後や子供へかけるお金が足りるのか不安になりながら生活してる。
先の国政選挙で国民民主が躍進したが、まさに刺さったのは「手取りを増やす」という力強いスローガンなんだよね。長く続いていたデフレの中、社保や控除の見直しで実質的に収入が減らされ続けてきた中、低所得者には補助があり、高所得者には余裕がある一方、我々中所得者層は、君たちは低所得者みたいに困ってないでしょ?と言わんばかりにただただ手取りを減らされてきたことに対するルサンチマンがある。
社会保障や公的扶助を全く理解していない訳ではないので、建前上は必要な政策として我慢してきたけど、デフレを抜けインフレになろうかというこの局面で、まだまだ我々は我慢を強いられるのか?というフツフツと湧き上がる気持ちが、現在の国民民主の遍く手取りを増やす政策の後押しをしているのでは、と個人的には思っている。
「この人はたぶん170万円とかではなく、500万円とか600万円なのに『俺も10万円、20万円、減税してくれ』というものが来る。それはやりすぎなのではないか」
https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/900012146.html
という言説には苛立ちしか感じない。そりゃ欲しいよ。手取りが増えないのに、消費者物価指数は10%くらいしか上がってないと言っても食品日用品の物価はもっと上がってるから(ソース失念)、生活は全然楽じゃ無いよ。低所得者支援だけじゃなくて、中所得者層にもちゃんとリーチするような政策だからこれだけ盛り上がってるんだよ!
閑話休題。
そういうことで基本的に国民民主が推薦する候補には票を投じたいというスタンスだったが、大塚氏の政策は正直ガッカリした。
移民推進派というデマは噴飯モノだとは思うが、増税派というのは強ちデマとも言い切れない。大塚氏が言う、市民税減税を保留した上で、給食費負担ゼロ敬老パス負担ゼロという特定層への補助給付をするなら、ロジカルに考えれば市民税減税は取り消される可能性は充分にあると考える人は多いし、それほど蓋然性の低い推論とも思えない。
大塚氏に投票したい気持ちもギリギリまであり、主張はそれなりにインプットしていたので、減税への主張とかもちゃんと調べた。
市民税減税は500万の年収で5000円程度で効果に疑問があるというのもよく見かけたが、先の話の通り、減税を止めて特定層に給付するという政策自体に反感がある。給食費ゼロの方が手取りが増えるという話も、小学生が居る家庭のみしかも6年間の話なので減税が続く方が意思表明として良いと思った(名古屋市は給食があるのは小学校だけ)。
また現時点で年収制限付きだが(たしか世帯590万以下)で給食費ゼロで尚且つ就学費用(学用品や修学旅行)も負担ゼロなので、低所得者の手取り増加効果は薄いと思う。因みに広沢氏はこの年収制限を700万にする補助の公約も入れている。
終盤には国民民主の幹部も応援に入って、大塚氏の政策は実質的には減税です!と言ってたけど、広沢氏の完全無欠の「減税」の前ではイマイチ響かなかったよね。
https://www.city.nagoya.jp/senkyokanri/cmsfiles/contents/0000179/179690/senkyokoho.pdf)
自分はSNSを使って直前まで主張を追っていたので、最終的な政策も理解していたけど、政策や主張をポスト投函される選挙公報だけで確認して投票する人も少なくないと思うし、これ見て河村市政に不満が少ない名古屋市民が、このフワッとした政策から敢えて大塚氏に投票したいかと感じるかといったら無理でしょ。
あとは「15年の催眠術から市民を解放」なんてよくあるサヨク仕草で、河村市政を支持していた大多数の市民からしたら厭味にしか感じ無いと思う。
大塚氏は他の候補と比べてかなり早くから市長選への立候補を決めていたはずで、それでこの選挙戦略を準備できてない感じは、個人的にはかなり勿体なかったと思う。
選挙分析(出口調査)も見たけど、支持政党別の投票率で概ねどの政党でも広沢氏に負けていたし、自分みたいに足元の国民民主の支持層でも広沢氏に負けていた(広沢57%:大塚37%)ので、惜しかったという感じは無くゼロ打ちもまぁ仕方ないですね、という印象。
あとこれは根拠はなく単なる憶測による余談だけど、大塚氏の準備不足な感じとか、不退転の覚悟みたいなものを感じられなかったので、負けても次の参院選で国政復帰すればいいやくらいの感じだったんかなと思ってしまった次第。
正直なところ4期15年の河村市政は不満がほぼ無かったし、調査でも支持政党に寄らず市民の支持率が高い(共産だけ有意に低いがそれでも5割くらい)。
減税でインフラが...という批判もあるのは知っていて、たしかにコロナで税収が落ち込んだり、減税10%だった期間はそういう批判もあったが、今は税収増もあるしインフラ云々はあまり聞かない。昨今の赤字や水道管の交換時期で水道料金の値上げが決まっているが、名古屋に限らず他の自治体でも水道料金は値上げ傾向だし、全国平均では安い方なので。
河村氏自身のキャラや思想については思う所はあるが、身銭を切って年収や退職金を返納したり、市議会と対立しながらも減税を断行したり、政策の実行力と政治家らしからぬ身綺麗さは多くの名古屋市民の認めるところだ思う。
一方広沢氏は、河村氏と比べて上品でおっとりしてる雰囲気でメダルは囓らなそう(Goodpoint!)。調整型のタイプらしいので、議会や県との関係が改善されるかもしれないが、その分実行力は落ちるかなとは感じている。市議会も減税日本は9/68 なので難しい舵取りを迫られるとは思う。
追記:
消費税の逆進性は知ってるけどそういう意味だと中間層ではなく高所得者層の方が有利だし、そもそもワイは消費税減税に賛成だよ。
子育て支援の法案は扶養控除の代替で導入されたので、家族構成によるけど基本的には低所得者層の方が恩恵あるんやで。
追記2:
まず、投票先は違ってもあなたの判断や価値観を尊重するし、なにより同じ市民が別の側面から投票行動について書いてくれたのを読めて嬉しい。
ワイは河村氏の給与退職金返上を評価はしてるけど、そこは投票基準にはしてないです。
市民税減税をするためには、市の財政を黒字化する必要があって、議員や職員の給与にも手を付けざるを得ない状況だったけど、そのためにはまず自分が範を示す必要があったからというだけの話かなと。
正直なところ市民税減税5%から10%という公約もあまり期待して無くて、そんな余裕ができたなら、まず議員とか職員の給与もどしてあげて欲しいと思ってます。
市民税減税自体は、市民に還元する手法として減税が一番正しいと思うし、財政黒字をキープせざるを得ないこと自体が行政の無駄の抑止になると思うので、可能な限り続けて欲しいけど。