
はてなキーワード:太宰府市とは
ミュージアム色々見てきた感想を以下に列挙。だいぶ昔に行ったところは記憶が歪んでるかもしれないけど。
東博以外なら、なんとなくキャプションだけ読んでおしまいにするならどれも半日あればなんとかなる。が、それだとミュージアムにわざわざ来てる意味は一体何だ、ということにもなる。
ほか、Honorable mentionsとして、東北歴史博物館(多賀城市)、科学技術館(千代田区)、日本科学未来館(江東区)、滋賀県立琵琶湖博物館(草津市)、大阪市立科学館(大阪市)、大阪市立自然史博物館(大阪市)、奈良国立博物館(奈良市)、福岡市博物館(福岡市)あたりは思いつく。
(挙げようかと思ったけど悩んで外したのが京博。これは出品数はそこまででもない気がする。大原は出品数こそそれなりだが一般のイメージと異なりほとんどが民芸品。ウポポイは野外の展示は広いんだけど、展示品だと北海道博物館や旭川市博物館、網走の北方民族博物館のほうがしっかりしてるのでは。)
徒歩圏内のをまとめてだと、北海道博物館・北海道開拓の村(札幌市)、筑波宇宙センター・地質標本館・サイエンススクエア(つくば市)、金沢21世紀美術館・石川県立美術館・国立工芸館・いしかわ赤レンガミュージアムほか多数(金沢市、なお兼六園・金沢城も全部徒歩すぐ)、京都市京セラ美術館・京都国立近代美術館・細見美術館(京都市、京都市動物園・平安神宮もすぐだが平安神宮には宝物館はない)、神戸市博物館(ただし企画展やってるとき。常設展はさほどない)・神戸海洋博物館(神戸市)、平城宮跡歴史公園(奈良市)あたりは相当時間使う。あと大阪市科学館から中之島美術館・国立国際美術館・大阪市立東洋陶磁美術館(現在閉館)が、奈博から東大寺・興福寺・春日大社の宝物館がそれぞれ徒歩圏内。もっともこのまとめ方がアリなら前述の通り上野公園が最強。
言及されてる大きなところだと大塚、足立、いのちのたび、明治村、リトルワールドあたりは行ったことないので分からない。そのうち行ってみる。動物園・植物園系はあまり行ったことない。最近行ったのだと国立科学博物館実験植物園(つくば市)はすごいと思った。美ら海水族館・熱帯ドリームセンター・海洋文化館ほか(本部町)も全部合わせれば1日がかりか。
(追記)すいません、大阪中之島のミュージアム群すっかり忘れてたので上に追加しました。中之島も金沢兼六園界隈と並んで文化地区。ただ個別で言えば、国立国際の出品数は京博よりも少ないと思うし、中之島美術館は常設展やってないしなので、複数併せて廻るのがいいかと思う。岡山後楽園界隈もたぶんそうなんだけど、オリエント美術館しか行ったことないので上には書けなかった。
東博の資料館、すみません、入ったことないです。いつもミュージアムに行くたびに附属図書館っぽいの外から眺めて出口に行くんだけど、利用できたらもっと面白いんだろうなと思いつつ楽しみ方がまだわかってない。
旅行するたびに各地のミュージアム巡ってるけど、当然ながら日本全国行ったことのないところのほうが多いので抜けてるのは多々あると思う。都道府県立レベルでもまだ2割にも満たないし、私立とかアクセス悪いところも多いのでほとんど行けてない。指摘してくれたら今度行ってみる。本当はロンドンとかパリとかニューヨークとかのミュージアムも1週間位ずつ滞在して廻りたいんだけど、国内の調子で廻ってたら破産するので来世に期待。
福岡県太宰府市の太宰府高校の野球部の男子生徒が5月、練習試合で胸に打球を受け、死亡していたことが分かりました。
部活動中に死亡したのは、福岡県立太宰府高校の野球部の男子生徒です。
捜査関係者によりますと生徒は5月3日、福岡県久留米市で行われた他の学校との練習試合で、胸に打球を受け、その後、亡くなったということです。
https://anond.hatelabo.jp/20170527201015
元ネタからすると無粋かもしれないが、読みやすくするため特定した。
市の横の数値は人口(万人)
S県K市の総人口は約256万人。総人口の約2%はS県K市に住んでいる。
K県K市の総人口は約374万人。総人口の約3.0%はK県K市に住んでいる。
I県K市の総人口は約130万人。総人口の約1.0%はI県K市に住んでいる。
S県S市の総人口は約305万人。総人口の約2.4%はS県S市に住んでいる。
A県T市の総人口は約147万人。総人口の約1.2%はA県T市に住んでいる。
N県S市の総人口は約93万人。総人口の約0.7%はA県T市に住んでいる。
逆にイニシャルだけで特定されてしまう市が県に50市,都道府に20市ある。市のイニシャルだけで特定される市はなかった。
希少なイニシャルは
E(7市江田島市,越前市,恵那市,恵庭市,海老名市,えびの市,江別市),
B(7市坂東市,備前市,美唄市,豊前市,豊後大野市,豊後高田市,別府市 )など。
これらは県名イニシャルと合わせると大抵特定されてしまうが,I県R市(岩手県陸前高田市と茨城県龍ケ崎市),S県W市(埼玉県和光市と埼玉県蕨市),F県D市(福岡県太宰府市と福島県伊達市),H道E市(北海道恵庭市と江別市),O県B市(大分県別府市,大分県豊後大野市,大分県豊後高田市,岡山県備前市),K県Z市(香川県善通寺市,神奈川県逗子市,神奈川県座間市)は複数存在する。特にZ市は3市すべてがK県に存在し,特定されない。
このような「安全な」市イニシャルはZ市とK市だけで,他は県イニシャルによっては特定されうる。安全な県イニシャルは存在しないが,個別に見れば季節のA県(秋田県)以外の東北各県,本州にないK県(神奈川県を除く香川県,鹿児島県,高知県,熊本県),海があるS県(佐賀県、静岡県),海がないN県(長野県,奈良県),A県(N県)(愛知県),すべての漢字が四画以上あるT県(富山県を除く徳島県、栃木県、鳥取県)には特定される市は無い。
県が特定されてしまうのはC県(千葉県),E県(愛媛県),W県(和歌山県)。しかしC県内の市は37と3県あるM県(36市)をしのぐうえ各市のイニシャルも噛み合い,特定されるのはO市(大網白里市)とU市(浦安市)のみ。一方E県(11市)W県(9市)は層の薄さから,前者ではS市(西条市,四国中央市,西予市),I市(今治市,伊予市)以外の6市,後者ではK市(海南市,紀の川市)以外の7市が特定される。
一見安全そうなのに特定される市はN県H市(長崎県平戸市),K県O市(神奈川県小田原市)など
天台宗(てんだいしゅう)は大乗仏教の宗派のひとつである。諸経の王とされる妙法蓮華経(法華経)を根本経典とするため、天台法華宗(てんだいほっけしゅう)とも呼ばれる[1]。天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられた。
目次 [非表示]
1.2 四宗兼学
1.3 止観行
1.4 所依
1.5.1.1総本山
1.5.1.2門跡寺院
1.5.1.3大本山
1.5.1.4別格本山
1.5.1.5 その他の寺院
1.5.2天台寺門宗
1.5.3天台真盛宗
1.6 その他天台系宗派
1.7教育機関
1.7.1大学
1.7.3 養成機関
4社会運動
5 脚注・出典
6 関連項目
7 外部リンク
正式名称は天台法華円宗。法華円宗、天台法華宗、あるいは、単に法華宗などとも称する。但し、最後の呼び名は日蓮教学の法華宗と混乱を招く場合があるために用いないことが多い。
初め、律宗と天台宗兼学の僧鑑真和上が来日して天台宗関連の典籍が日本に入った。次いで、伝教大師最澄(767年-822年)が延暦23年(804年)から翌年(805年)にかけて唐に渡って天台山にのぼり、天台教学を受けた。同年、日本に帰国した最澄は天台教学を広め、翌年(806年)1月に天台法華宗として認められたのが日本における天台宗のはじまりである。最澄は特に飲酒に厳しい態度を取っており、飲酒するものは私の弟子ではなく仏弟子でもないからただちに追放するよう述べている。
この時代、すでに日本には法相宗や華厳宗など南都六宗が伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。最澄は日本へ帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。最澄はすべての衆生は成仏できるという法華一乗の立場を説き、奈良仏教と論争が起こる。特に法相宗の徳一との三一権実諍論は有名である。また、鑑真和上が招来した小乗戒を授ける戒壇院を独占する奈良仏教に対して、大乗戒壇を設立し、大乗戒(円頓戒)を受戒した者を天台宗の僧侶と認め、菩薩僧として12年間比叡山に籠山して学問・修行を修めるという革新的な最澄の構想は、既得権益となっていた奈良仏教と対立を深めた。当時大乗戒は俗人の戒とされ、僧侶の戒律とは考えられておらず(現在でもスリランカ上座部など南方仏教では大乗戒は戒律として認められていないのは当然であるが)、南都の学僧が反論したことは当時朝廷は奈良仏教に飽きており、法相などの旧仏教の束縛を断ち切り、新しい平安の仏教としての新興仏教を求めていたことが底流にあった。論争の末、最澄の没後に大乗戒壇の勅許が下り、名実ともに天台宗が独立した宗派として確立した。清和天皇の貞観8年(866)7月、円仁に「慈覚」、最澄に「伝教」の大師号が贈られた。宗紋は三諦星。
真言宗の密教を東密と呼ぶのに対し、天台宗の密教は台密と呼ばれる。
当初、中国の天台宗の祖といわれる智顗(天台大師)が、法華経の教義によって仏教全体を体系化した五時八教の教相判釈(略して教判という)を唱えるも、その時代はまだ密教は伝来しておらず、その教判の中には含まれていなかった。したがって中国天台宗は、密教を導入も包含もしていなかった。
しかし日本天台宗の宗祖・最澄(伝教大師)が唐に渡った時代になると、当時最新の仏教である中期密教が中国に伝えられていた。最澄は、まだ雑密しかなかった当時の日本では密教が不備であることを憂い、密教を含めた仏教のすべてを体系化しようと考え、順暁から密教の灌頂を受け持ち帰った。しかし最澄が帰国して一年後に空海(弘法大師)が唐から帰国すると、自身が唐で順暁から学んだ密教は傍系のものだと気づき、空海に礼を尽くして弟子となり密教を学ぼうとするも、次第に両者の仏教観の違いが顕れ決別した。これにより日本の天台教学における完全な密教の編入はいったんストップした。
とはいえ、最澄自身が法華経を基盤とした戒律や禅、念仏、そして密教の融合による総合仏教としての教義確立を目指していたのは紛れもない事実で、円仁(慈覚大師)・円珍(智証大師)などの弟子たちは最澄自身の意志を引き継ぎ密教を学び直して、最澄の悲願である天台教学を中心にした総合仏教の確立に貢献した。したがって天台密教の系譜は、円仁・円珍に始まるのではなく、最澄が源流である。また円珍は、空海の「十住心論」を五つの欠点があると指摘し「天台と真言には優劣はない」と反論もしている。
なお真言密教(東密)と天台密教(台密)の違いは、東密は大日如来を本尊とする教義を展開しているのに対し、台密はあくまで法華一乗の立場を取り、法華経の本尊である久遠実成の釈迦如来としていることである。
四宗兼学[編集]
また上記の事項から、同じ天台宗といっても、智顗が確立した法華経に依る中国の天台宗とは違い、最澄が開いた日本の天台宗は、智顗の説を受け継ぎ法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も含み、したがって延暦寺は四宗兼学の道場とも呼ばれている。井沢元彦はわかりやすい比喩として、密教の単科大学であった金剛峯寺に対して、延暦寺は仏教総合大学であったと解説している。
止観行[編集]
天台宗の修行は法華経の観心に重きをおいた「止観」を重んじる。また、現在の日本の天台宗の修行は朝題目・夕念仏という言葉に集約される。午前中は題目、つまり法華経の読誦を中心とした行法(法華懺法という)を行い、午後は阿弥陀仏を本尊とする行法(例時作法という)を行う。これは後に発展し、「念仏」という新たな仏教の展開の萌芽となった。また、遮那業として、天台密教(台密)などの加持も行い、総合仏教となることによって基盤を固めた。さらに後世には全ての存在に仏性が宿るという天台本覚思想を確立することになる。長く日本の仏教教育の中心であったため、平安末期から鎌倉時代にかけて融通念仏宗・浄土宗・浄土真宗・臨済宗・曹洞宗・日蓮宗などの新しい宗旨を唱える学僧を多く輩出することとなる。
所依[編集]
福王寺(熊本県山都町、宮司兼豪族であった中世阿蘇氏の菩提寺である)
その他天台系宗派[編集]
孝道教団
叡山学院
「ももクロ男祭り」に苦情、福岡・太宰府市など実行委計画 市民団体「観客の性別限定おかしい」(西日本新聞webサイト 2015年10月13日)
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/200833
ももクロ公演「しっかり判断を」 女性団体が市長に要望(朝日新聞webサイト 2015年10月14日)
http://www.asahi.com/articles/ASHBG569LHBGTIPE028.html
どういう団体か調べてみると・・・
代表は陶山雪代。80才を超えたおばあちゃん。
議長は、社民党の池田良子福岡市議(http://www.ikedayoshiko.com/profile.html)
全国本部は、女性団体なのに、反原発やら反安保やらの活動ばかりをしている模様。
http://www.gender.go.jp/about_danjo/law/kihon/9906kihonhou.html
http://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/keikaku_sakutei/yojikeikaku/ikenboshu.html