
はてなキーワード:天鳳とは
「見る将」に倣って「見る雀」という用語を提唱し、昭和のリビングで常にプロ野球が流れていたように平日夜になればいつも麻雀観戦、みたいなスタイルを作り出したいようで、それにまんまと嵌ってダラダラとみている。だけど野球将棋とは致命的に違うのがその速さ。4人の手牌と解説と、ちゃんと見ようと思うと相当な集中力が要求され、とてもとても晩酌しながらダラダラというわけにはいかない。いや、結局集中なんて続けられるはずもなくいつしかダラダラ見るようになって、そうなるとただ他人がサイコロを振っているのを眺めるのと何も変わらなくなって、俺は何を見ているんだ、とふと気付いてしまう。
ちなみに俺は麻雀はびっくりするくらい弱いし、牌を最後に触ったのは10年前だ。子育てしながらだとまとまった集中時間を設けるのは困難で、天鳳も雀魂もしばらく触っていない。
陸上競技全般を追っているが、そうすると目に入ってくる情報の半分以上は日本最大の陸上競技コンテンツであるところの箱根駅伝絡みになって、チームと個人と、彼らがいかにして人生を競技に賭けて、一瞬でも気が緩んでフォームを見出したら足を捻って終わり、一瞬でも自己管理を怠ったらインフルにかかって終わり、いくら頑張っても才能がなければ終わり、みたいな極限の生活を1年間続けて、それが全部箱根5区で引っ繰り返される。「ちょうどいいレベル」の理不尽が競技性の核にあると外野が爆裂に盛り上がるのはどの競技でもそうで、事実箱根駅伝は長5区時代に一気にコンテンツ規模が巨大化したのだった。他人の人生をコンテンツにするのはとてもとても楽しいのだけれど、ふと我に返るとあまりにも虚しい
ちょうどツールドフランスが始まったが、ロードバイクも見ていた時期があった。あれはMリーグよりも陸上よりも酷くて、ただ景色をぼけーっと眺めているだけで2,3時間が平気で流れてしまう。事故があまりに理不尽なのも見る気をなくした理由の一つだな
何百人何千人という人が話芸で食っていこうとして芸を磨いているわけで、確かに上澄みには目を見張るものがある。ただそんなコンテンツに出会う確率は当然漸減していくわけで、そうなると個人の人生やらyoutubeやらとセットで楽しむようになり、そうなると箱根駅伝と同じで他人の人生をコンテンツとして楽しんでいるだけで、やっぱりこれもふと我に返ってしまうとすべてがどうでも良くなる。芸事が歴史上ずっと備えている反社性も、我に返る頻度を上げる理由の一つにはなる。ので業界の人はもう少しなんとかしたほうがいいと思うよ
「ちゃんと家計簿をつけていればクレジットカードの使いすぎなんてしないし、ポイントのことを考えるくらいなら節約に励むべき」と嘯いていたのも今は昔。そもそもケチなので、ポイント社会となると多少は稼がなければもったいない、という考えが体に染み付いて早N年、100万円使い切るためには何を買わなきゃ、みたいな思考を始めた自分に全く愕然とした。昔と比べれば可処分所得も増え、ポイントでなんとかなる数万円なんてもうどうでもいいのに。今日もまたこの軸で考えたら楽しいのでは、とかいってExcelで小銭稼ぎの算段をしている。
そして最後は堂々、怒りを消費して時間を埋める弱者コンテンツとしておなじみのこちらです。出会ってからもうすぐ20年が経ってしまう。何度も辞めようとしたけどだめだった。最長で半年くらい離れられた時期があって、その時期は多少なりメンタルが落ち着いていたような気がする。しかし戻ってきてしまった。結局世代とバックグラウンドが似たような人が多いから、エコチェンでわいわいするのにちょうどいいというか換えが効かないんだよね。togetterとposfieが完全に目に入らない環境を実現してだいぶ楽になった。
かつてはネットでできるボードゲームとして麻雀(天鳳、雀魂)やポーカー(ポーカーチェイス)にはまっていたけど、最近はもっぱら将棋ウォーズだ。将棋に運の要素は無く、勝ちも負けも自分次第というのがいい。勝ったらうれしいし、負けたらくやしい。
これがいい。
麻雀やポーカーだと、長い時間をかけて作戦を練っても最後は運で決着するなんてことはよくあるからな。
ふたりぜろわゆうげんじょうほうかくていかんぜんじょうほうげーむ……、えーっとなんだっけ? 大学でゲーム理論の講義受けてたけど忘れちまった。まあいい。とにかく、運の要素が無く、勝ち負けは自分と相手の選択のみで決定するというターン制対戦パズルゲームの将棋が気に入った次第だ。
将棋のルールは小学生の頃の羽生ブーム(羽生七冠達成の頃、朝ドラ(ふたりっ子(マナカナ出演))でも将棋が主題だった)の頃に覚えた。いかんいかん、思い思いのままに書き連ねたら括弧がネストしまくってしまった。
とはいえ、屋内ゲームとしてスーファミやプレステやロクヨンをやるようになり(ひとりでも複数人でも)、自然と将棋はやらなくなっていった。
2010年頃から、「コンピューター将棋はプロよりも強いのではないか?」と言われるようになって、実際にプロvsAIの対局が実現されるようになった。今ではAIがプロより強いのは当たり前で、プロの強さをAIとの指し手の一致率で表現することもあるが、当時の価値観ではまだ考えられないことだった。
その頃にコンピューター将棋を少しやったことがある。当時最強と言われていたボナンザやその派生ソフトは使い方が良くわからなかったので、フリーソフトの「きのあ将棋」をやっていた。そして、「あひるがあがあ地獄」に負けまくって嫌になって、もう将棋なんて指すもんか、と思ってしまったのだ。ひたすらアヒル戦法を相手にして負けまくったらそりゃあ嫌になるよなぁ。
とはいえ、指すことが嫌になっただけで、将棋業界の動向をエンタメとして楽しむことは好きだった。公式非公式問わずで、「加藤一二三伝説」(ニコニコ動画を中心に流行)だったり、「豊島? 強いよね」(最近、日清がCMのネタにした)だったりだ。
今、将棋をやり始めるようになったきっかけは「龍と苺」だ。私が知ったのははてブで話題になった時であり、その時はSF設定の漫画なのかなぁと思っていた。ただ、ブコメ欄でなぜそこまで盛り上がっているのかが分からなかった。気になって1巻から順に読んでみたが、現代を舞台にしたリアル志向の漫画だったので、そこからどう最新のストーリー展開になっていくのか分からなくて、ブコメ欄で盛り上がるのもわかるなぁと思った。
「龍と苺」の作中で、将棋ゲームをきっかけに才能を見出してプロを目指す人物が登場する。それに感化されて、私は十数年ぶりに将棋を始めたのである。それが、将棋ウォーズだ。
やはりというか、私にはたいした才能が無いことを改めて自覚させられたが、それでも楽しかった。その楽しさの源泉は、勝ったり負けたりのバランスがちょうどいいからだ。対戦相手はレートに応じて自動的にマッチングされて、勝率が50%くらいになるのだ。ボロ勝ちばかりやボロ負けばかりだったら、すぐにやめてただろう。
それと、AIによる棋譜解説で対局の振り返りができるのもいい。負けたときにはたいてい悪手や疑問手があるので、どうすればよかったのかを教えてくれる。これにより、自分の成長を実感できるのもいい。まあ、同じようなミスをやらかして負けることも多々あるけど……。
ネットには定跡などの様々な情報があるし、プロアマ問わず将棋を配信している人もいるし、ぴよ将棋では毎日詰将棋問題が配信されるし、将棋を学ぶことに困ることは無い。
そんなこんなで、将棋ウォーズ3級になったのだ。始めたばかりの頃はテンポよく昇級して気持ちよかったが、4級になってからはなかなか昇級できない期間が続いた。私はどこまで昇級できるのだろうか? 2級か? 1級か? 響きがカッコいいから初段を目指したいなぁ。でも3級止まりかもしれないし、もしかしたら逆に4級へ降級するかもしれない。
まぁでも、段級位も勝ち負けもよくよく考えたら二の次だ。一番は、自分の頭脳を最大限駆使することだ。それが何よりの幸せだ。勝てばいいという訳ではない。相手のしょうもないミスだったり、接続切れだったりで勝っても面白くない。時間をギリギリまで使って、自玉が詰まされそうな状況で持ち駒を使い果たして辛勝するのはすごく気持ちいいし、逆にそうした場面で時間が無くなったり、相手玉を詰め切るのに失敗するとすごく悔しい。それがいい。
そういえば何年か前に「Into theBreach」というゲームにのめり込んだ時期があったけど(Steam実績全解除するまでやった)、そのゲームはまるで詰将棋だとか言われてたなぁ。かつてはそう思ってたけど、将棋にはまった今思い返してみると、コンピューターに接待されている感が強くて将棋とはちょっと違うかなぁ。まぁあまりにもガチ過ぎたら楽しくないからあたりまえだけど。あくまでも「Into theBreach」は戦略SLGだ(それでもパズル要素があって面白い)。その頃に将棋も始めてればよかったなぁ。他にSteamゲームだと、パズル要素の高いゲームが好きだ。ここ増田でもいくつかゲームの感想を書いたことがあるけど、リンクを貼るのは……やめておこう。あくまでも今ここでは将棋の話だけにとどめておこう。Steamでやりたいゲームはそれなりに積んだままになっているけど、将棋にはまっている今現在は、パズル要素の高いゲームの出番はしばらく無いだろうな。
10年以上前、学生だった頃にネット麻雀「天鳳」にハマって打ちまくっていた。
当時は家でネット麻雀を打って、疲れたら気分転換に雀荘に打ちに行き、帰ってきたらまたネット麻雀というクズの極みみたいな学生生活をしていた。
凄く真剣に牌譜検討したりデータを分析したり本を読んだり強い人の牌譜を並べてみたりしていたし、天鳳の最上位卓である鳳凰卓でしのぎを削っていることが一種の誇りでもあった。
ただ、ある時ふと凄く不毛だなと感じてしまった。その時の私とトッププレイヤーの間の打ち方自体の差はもう小さいと感じていた。しかしその小さい差が1000戦2000戦という単位になると大きな結果の差に繋がっていく。
初心者の頃は学ぶことが多くてどんどん成長が実感できたけど、一応上級者の領域に足を踏み入れてからはこれ以上強くなるためには細かい所の精度をちょっとずつ改善していくしかないので物凄い苦難があるなと思うのと同時に、それをやって1000試合打っても統計学的に見てギリギリ有意かどうかみたいな差しか生まれない、というか何なら打ち方は改善されているのに結果は悪くなることさえあるというゲーム性にしんどくなってしまいぱったりとやめてしまった。
ということでしばらくネット麻雀からは離れていて、年に数回程度友達と打ったり時間つぶしにフリーに行ってみたりするぐらいの麻雀との付き合い方をしていたのだが、年末年始暇だったので「雀魂」のアカウントを作って打ち始めた。
四麻の東風戦専門なのだがついさっきようやく100戦に到達した。久々のネット麻雀なのでどの位打てるものか分からなかったが、成績は馬鹿みたいに良い。
10年以上真面目に取り組んでいなかったとはいえ、昔取った杵柄で雀魂の下位の卓(銅の間、銀の間)とは流石にレベルが違う。
たった100戦の成績で何かを語るなんてネット麻雀プレイヤーとしてはアレかもしれないのだが、とはいえ平均順位2.06位、ラス率9%、和了率28.65%、放銃率8.08%というのは統計学的に見ても十分に将棋で言う「手合い違い」だろう。少なくとも初心者たちに混ざれば蹂躙できる程度の腕はまだ残っていたらしい。
90戦ちょっとでようやく雀傑の段位になり金の間で打ち始めたので少しは手ごたえがあるかなと思ったが、牌譜を見返してみるとまだ金の間は初心者が多いらしい。天鳳で言えばまぁ上級卓ぐらいだろうか?
天鳳では上級卓まではドンジャラ、特上卓になると麻雀になる、とよく言っていた(ちなみに鳳凰卓は「天鳳」というまた別のゲームになるとも)。
早く「麻雀」が打ちたいので、もうしばらく頑張って早く1つ上の玉の間に行けるよう頑張ろうと思う。まぁ今は社会人なので、人生が崩壊しない程度の付き合いにはしたいと思うが。
物心ついた頃から現在までのことを(ボカしやフェイクを入れつつ)時系列で書かせていただく。
N=1の話で恐縮だが、読者には少しでもADHDについて知って欲しいし、それにより社会の分断がなくなって欲しいと思う。
と、ここまで書いて思ったのだが、私は数日前よりADHDの治療薬を断薬しており、マトモに「書く」ことができないことに気がついた。数日ぶりに薬を飲むこととする。
父親について覚えているのは、しょっちゅう会社を辞めてしまうということだ。それも突然に。
何かが(主にカネ)キッカケで口論となる。
父親に包丁を突きつける母親。まだ産まれたばかりの弟を盾のように前に突き出す父親。
床にぶちまけられる牛乳。
弟が1歳の頃、「ハロワいけ!」と喋ったことを覚えている。母親の真似である。
机をくっつけて、隣の席の子にしょっちゅう見せてもらっていた。授業はまあまあ理解できていたと思う。
宿題に関しては「忘れる」というより「やろうとしても動けない」が正しい感覚。
テコでも動けなかった。
宿題の代わりに家で何をしていたかというと、デュエル・マスターズのデッキを組んだり、ミニ四駆のカスタマイズをしたり、スマブラDXをしたり…?あれ、そんなもんかな。当時何してたかな自分…あまり思い出せない。熱中すると深く深くどこまでも熱中し続ける性格だった。(過集中)
同じマンションに1つ下、1つ上の子供が何人か住んでいたので、毎日遊んだ。河原で秘密基地作ったりとかしていた。
また、男女分け隔てなく誰とでも遊ぶ子供であった。
違う。
(上で挙げたマンションの住人以外の)男の友達がどうしても出来なかった。
全く交流できないということではなかった。
同学年で話したことがない人は恐らくいない。
誰とでもそれなりの雑談ができた。
輪に入れはするが、誘われる人間ではなかった。
故に、常に疎外感を感じていた。
今になって振り返ると、原因は恐らく「自分の話ばかりして止まらない」から嫌われたのだと思う。
次第に、無理してグループにいなくてもいいと思うようになり、休み時間は教室でひとりでボーっとしていた。
見かねた心優しい女子グループが、自分を輪に入れてくれた。情報量0のどうでもいい雑談がとても楽しかった。自分が輪に誘われたことが、なんだか初めて他人に受け入れられたようで、とても嬉しかった。
通信簿の「担任からのコメント欄」には毎年「男女分け隔てなく仲良く友達がおり〜」と書かれていたので、客観的にはそう見えていたようだ。
地方なので中学受験をする人なんてひとりもおらず、当然のように地元公立に進む。
中学での成績は150/200あたりだった。
たまに一夜漬けの過集中が爆発して、50番あたりになった。
国、社、英は不得意で、理数が得意だった。
勉強をしない分の時間は何をしていたかというと、運動部の活動をするか、家のパソコンでニコニコやYouTubeを見たり、携帯を買い与えてもらえたのでモバゲーやMixiをやっていた。
高校受験は持ち前の過集中で上振れを引き、偏差値50位の公立情報系学科に滑り込んだ。
元がアホなので上振れしてもこの程度である。
なぜ情報系にしたかというと、自分専用のパソコンを親に買ってもらう為だ。
高校では朝読書の時間があったので、とつげき東北氏の「科学する麻雀」を何度も何度も読み込んだ。熱心に読みすぎて、本の小口が手垢で黒くなった。点数計算を覚えたり、チンイツの牌効率を考えたり、24時間麻雀のことを考えていた。
この頃はもう自分の行動を制御できなくなっていた。自室のPCで毎日朝までニコ生をしながら天鳳を打っていた。学校の授業は全部寝ていた。教師は注意しても無駄だと悟ったようだった。自分の人生は天鳳の段位とレーティングが全てだった。
謎の過集中で競技プログラミングが少し出来たので(当時はchokudai氏もまだ大学生で、AtCoderもない時代だった)、大会に参加して何度か受賞するなどした。
その後、持ち前の過集中により小論文と面接を突破し、AO(アホでもオッケー入試)により近所の私大に滑り込む。
麻雀への情熱は大学に入っても変わらず、1限どころか2限3限も出席できなかった。たまに講義に出ても何も分からなかった。
情報系科目だけはテストだけ出て100点を取るという天才ムーブをかました(自慢)。
麻雀サークルに入った。楽しかった。今でも付き合いのある友人が数人できた。
2年次が終わった時点で16単位しか持ってなかった。中退した。
バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳が社会に放出された。
なんていうか、普通に死のうと思った。
ある日、ふと一回死んだ。
自○未遂をしたということではない。
自分は今死んだ。そして新しい自分が今生まれた。そう思うことにした。
どうせ一回死んだのだから、もう好きに生きよう。
それでなんともならなくなったら、生活保護でも受けよう。
一応、親は家に住まわせてくれた。
速やかに就職して家を出ろということだったので(言われなくてもそうするが)仕事を探し始めた。
やり方がわからなかったので、若者向けハローワーク的な所に行った。色々親身に相談に乗ってくれて、クソみたいな人売りSIerを紹介していただき、内定が出た。
自分に内定が出るということは、「バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳に内定を出さざるを得ないクソ企業」であることが導かれるのである。
人売りのクソさを書くと主旨がブレるので割愛する。
自分が特別社会に適応できなかったのかは分からない。他にも大勢辞めていたから。
この辺で(不快になる方もおられると思うので大変恐縮なのだが)所謂理解ある彼女ちゃんが突然地面から生えてきて、家を出て2人暮らしを始めた。
会社を辞める前に人生初の精神科に行き、うつの診断書を書いてもらい、色々金に困らないような諸手続きをした。こういう手続きは自分では何もできないので、理解ある彼女ちゃんがサポートしてくれて本当に助かった。
うつの治療で通院する中で、医師よりADHDについて指摘された。
3割負担だとバカ高かった。1ヶ月分で5000円以上したのではないだろうか。当時はジェネリックがなかったと思う。無職にはとても支払えなかった。
脳の中の話なのでうまく言語化するのは難しい。
今まで自分は文をうまく読めなかった。
脳のメモリが小さいので、読んだ瞬間内容を忘れてしまい、戻り読みばかりしていた。
また書くのはもっと苦手だった。いくら考えても頭にモヤがかかり、表現が出てこなかった。
そして計算は最も苦手だった。一時的に何かを記憶しておいて、他のことを考えるのが無理だった。
プログラミングが得意だったのは、自分で計算する必要がなく脳のメモリがあまり要らないからだろう。
皆これが普通だと思っていた。
薬を飲む前は苦手だとも思っていなかった。
当然みんなもそうなんだと思っていた。
こんな「脳縛りプレイ」で学生生活を送ったら、そりゃ、こうなるわと思った。
薬を飲んでからは夜更かしが減った。
アホみたいな情熱に突き動かされることはなくなったが、その方が穏やかで心地よかった。
人生も徐々に良い方向に向かった。
長々と書いてしまった。
もし読んでくださった方がいるのだとしたら、とてもありがたいと思う。
自分はADHD当事者として、発達障害で苦しむ人の気持ちが分かる。
「○○ができないだけでしょ?」「やれないっていうかやろうとしてないだけでしょ」のような反応を見ると、心が痛む。
しかしながら、発達障害はその「できない」「うまくやれない」があらゆるライフステージで常に足枷となり、人生全体に負の影響を及ぼし続ける。
そして大人からは常に怒られ続け、自己肯定感もなくなり、「自分の可能性」を信じられなくなる。
その一瞬だけではないのだ。「常にその状態が続く」ことによる不利が、生まれた瞬間からその人にはあるんだということを、できれば理解してほしいと思う。
そして、今小さい子供を持っている親に言いたいこと。
もし子供が何かをできなくても、その全てを無条件に受け入れてあげてほしい。
そして、もし発達障害の疑いがあるなら、早い段階で医療にアクセスしてほしい。
子供は保険証を持って一人で病院に行くことなんてできない。親が全てだ。
文章力は低いのでご了承ください。
ハチワンダイバーを読んで興奮し、ハム将棋を棒銀でボコして悦に浸ったりしていた。
しかしながら、オンラインの対人戦(24やウォーズ)に潜ると自分より圧倒的に強い人しかおらず、何もわからないままボコられ、楽しさを感じる前にやめてしまった。
その後、天鳳というオンライン麻雀にドはまりしたり、格闘ゲームやLoLの観戦勢をやっていた。
天鳳で七⇔八段を何度か繰り返した後、自分のなかで「麻雀はもういいかな」という気持ちが生えてきた。
麻雀は楽しいが、どれだけ選択を考え抜いても運に振り回されるゲームなので、頑張れば頑張るほどつらい気持ちになってしまった。
ある日、Netflixで「クイーンズ・ギャンビット」という作品が流行り、チェスに興味を持った。
チェスも昔ほんの少しだけやったことがあり、ギコチェスにボコられたりする程度の知識はあった。
YouTubeで「チェス ルール」「チェス 初心者」等で検索してみると、日本チェス連盟の動画が出てきて、そこから色々動画を見漁ってるうちにチェスに引き込まれた。
https://www.youtube.com/watch?v=G5dyh24BTr4
今はChess.comという最王手のオンラインチェスサイトでプレイしている。
ソースは不明だが、Googleで検索すると約5億人くらいらしい。
故に、カジュアルなプレイヤーも数多くおり、初心者がオンライン対戦に潜ってもちゃんと初心者とマッチする。
自分はR900程なのだが、いつプレイしても大体800~1000くらいの人と対戦できて、大体ものすごい接戦になる。
これは将棋にはない良い点だと思う。
1.「取った駒を使えない」
終盤になるにつれて、盤上の駒がどんどん少なくなっていくので、将棋よりもわかり易さがある。(簡単ということではない)
2.「囲い」というものがない
キャスリングというルールによって、一手で王様の守りが完成するので、覚えることが少なくてよい。
3.駒の足が早い
将棋の歩にあたるポーンは、初期位置に居る場合に限り前方に2マスまで進める。手っ取り早くていい。
ルークが2つ(飛車)・ビショップが2つ(角)・クイーン(飛車+角)・ナイト(8方向に動ける桂馬)と、ダイナミックな駒が多く、すぐ戦いになる。
・Chess.comのデイリータクティクス(次の一手みたいなやつ)を消化
・日本チェス連盟のOpenRecチャンネルの配信を見る(月額500円だが質・量ともに大満足、初心者初級者向けのコンテンツも充実している)
・チェスに関する本を読む
・Redditのr/Chessを読む