
はてなキーワード:天安門広場とは
今回(その5)で観光地編は終了で、次回から食事編になります。
別途、レスをいただいているように写真がないことで伝わりにくいなあとも思っています。増田で書き終えた後はnote等にでも写真付きて再編集したものをアップして、よりたくさんの人に参考にしてもらえればと思います。
・観光地
・食事
・四季民福
・鳳臨閣(大同市)
・東来順
・很久以前羊肉串
・京兆尹
せっかくの中国だから万里の長城も行きたいよね、となり、まずは調べた結果、他にもいくつか候補はあるが八達嶺長城か慕田峪長城が良いらしい。八達嶺長城は最もメジャーであって行きやすいがかなり混む、混雑を避けたいなら慕田峪長城がおすすめ、と書いてあるガイドブックが多い。とは言え慕田峪長城は交通や現地に関する情報が少なく不安要素が強いので八達嶺長城を選択した。
八達嶺長城への行き方は北京北駅から出ている近郊線S2もしくはバスで行って1時間半ほどかかる、などの情報が多くあるが、詳しく調べていくと高速鉄道で新駅(八達嶺長城駅、ロープウェイ乗り場からすぐ近く)ができており、北京の北部郊外にある清河駅からだと20分ちょっとで着くことがわかった。大同行きで高速鉄道には信頼感を持っているので、この時点で完全に高速鉄道一択である。
大同行きと同じようにTrip.comで高速鉄道を予約した。ホテルから清河駅までは地下鉄を1回乗り継いで50分ぐらい。Conradホテルの朝食をゆっくり食べてから出発したいということで、10:23清河駅発、10:46八達嶺長城駅着の列車を予約。乗車時間が短いので快適である必要もなく座席は2等席にした。料金は1人あたり574円と格安過ぎる。帰りの切符については、現地での滞在時間が読めないのと30〜50分間隔で列車がありそうだったので、後で買うことにした。(もちろん帰りの列車候補の時間はメモしてある)
清河駅は北京の北側の郊外にあり、地下鉄、高速鉄道、近郊線の3つが通っている交通の要所。北京北駅を起点とする高速鉄道からだと最初の駅が清河駅になる。また、すべての高速鉄道が北京北駅発着というわけではなく、八達嶺長城往復なら、むしろ清河駅を始発・終着とする列車の方が多い。列車は北京北駅にこだわらず清河駅も含めて探して欲しい。清河駅のコンコースにはコンビニ(便利店)やケンタッキー(北京では多くケンタッキーを見かけた)などの飲食店もあるので、早く着き過ぎた時は使ってみてはどうか。
八達嶺長城駅行きの列車は2等席ということもあるのか満席だった。また、座席リクエストしたものの少しバラけてしまった。増田は他のメンバーと少し離れた座席が向かい合わせになっているところだったのだが、行くと南アジア系の顔立ちの2人組が増田の席に既に座ってる。声を掛けると向かい側の座席に移ったが、その席も後から来た人に声を掛けられて移動していたので、この人たちはいったい何だったのだろう。到着までの乗車時間は23分なのであっという間に着いた。
八達嶺長城の入場券は、いつもと同じようにWeChatのミニプログラムから購入するのだが、落とし穴がある。ミニプログラムから検索すると最上位に「八達嶺長城門票預約」という、いかにもそれらしい名前が表示されるが、これは直通バスのとセット券などを取扱う会社のもので、ここからだと単独の入場券やロープウェイの購入に至れない。高速鉄道を使って現地に行く場合は、検索結果の5、6番手に出てくる「長城内外旅遊」(交易保証という緑のバッチが付いている)を選ぶ。もしくはWeChatのアカウント検索から「八達嶺長城」と検索して、そのアカウントを友達登録する。チャットに「八達嶺長城」が追加されるので、そこから「微购票」→「个人购票」を選ぶとミニプログラムが起動してチケット購入画面に遷移できる。
八達嶺長城の入場料(淡期=閑散期)は一般35元、老人(60歳以上)と未成年は無料とあるが、注釈を見ると無料適用は中華人民共和国民のみ適用と書いてある。外国人は一般料金だと思うのだが、気付かずに老人無料で購入手続きを進めていったら、何事もなく購入完了した。(未成年の子供分は一般料金で購入した)無料であってもパスポート情報の登録は必要で、それぞれにQRコードが発行される。入口ではそのQRコードを全員分読み取る。
ロープウェイ(現地の英語表記はCableCar、日本だとケーブルカーとロープウェイは別物のイメージがあるので混乱するが、CableCarの表記に従って進んでもらって構わない)の料金は片道100元、往復140元となっている。往復歩くことはなくても片道だけ歩く可能はあるかなと思い当日まで買わなかった。北京旅行も5日目となり連日の歩きで元気な子どもたちも疲れていたため、全員ロープウェイ往復にすることにして、行きの高速鉄道の中でチケットを購入した。
八達嶺長城駅は地下にあり、地上に出るまでにやはり多く歩く。パスポートによるセキュリティチェックを受けてようやく外へ出た。詳しい案内板とかはないが、駅を出て向かって右側に登って行くとロープウェイ(CableCar)と書いてあるのでそちらへ向かう。左側へ下って行くと自力で登るルートと思われる。
ロープウェイ駅の入口でチケット確認を受けるが、ここでチェックされるのはロープウェイチケットのみ。QRコードを全員分読み込む。八達嶺長城の入場券はロープウェイに乗る直前に改札する。ロープウェイも混んでいて列も並んではいるが受付の女性がチャキチャキと皆を急かすので、イライラするほどの時間はかからなった。
ロープウェイは8人乗り、上りは係員がどんどん詰めて乗車させるので、グループだと分かれる可能性あり。増田一行はたまたますぐ前で切れたので、一緒のロープウェイに乗れた。乗車時間は計っていないが、体感的に7〜8分だと思う。
ロープウェイ頂上駅は八達嶺長城の北側のピークである北八楼のすぐ下に出る。後は少し登るだけで最高部に行けるわけだが、なかなかの急斜面であり、なおかつ多数の人で混雑している。手すりを使おうとするも記念写真を撮ったり、疲れて休んでいる人に阻まれて思うように進めない。80歳過ぎの母は北八楼まで登るのは諦めて途中で写真撮影に専念してた。北八楼を越えると急な下りになり、ぐっと人も少なくなる。北十二楼まで行くことができるらしいので、体力がある方はどうぞ。閑散期である3月中旬でも混んでるなぁと感じるので、夏の繁忙期には酷いことになってるかもしれないので気をつけて。増田は子どもと北九楼まで行き、その他は北八楼で写真撮影して、再びロープウェイまで戻る。老人にとって登りよりも下りが厳しい。前後を挟んでフォローしながら慎重に下りる必要があった。頂上部での滞在時間は1時間ほど。
ロープウェイ降りた時点で12時30分過ぎだった。お昼ご飯どうしようか?となり、ロープウェイ駅近くを見たが目ぼしい店がなさそうだったので、清河駅に戻ってから食べようとなり、売店で茹でとうもろこしを買って当面の空腹を満たしつつ、帰りの列車を予約することにした。このとき、とうもろこしの支払いのWeChat payがリジェクトされたのでAlipayで支払った。この時点で気付けば良かったのだが、実はAMEXが一時停止処置になっていたのだ。
とうもろこし(これが非常に不味かった)を食べつつ、13:33発の列車をTrip.comで予約する。Trip.comはWeChat payやAlipay支払いではなく、クレジットカード直接での支払いで増田はAMEXのみ登録していた。交通状況編で記載の通り、Trip.comでは一度に5人分までしか予約できないので、7人の増田一行は2回に分けて購入する必要がある。まずは5人分の購入手続きを進めるが、支払い時にカード利用不可のエラーとなってしまい、購入完了できない。仕方ないので予備のJCBのクレジットカード情報を入力して何とか購入完了。続いて残り2名分の購入をしようとしたら、13:33発の列車が候補に出てこない。時間を見ると13:04になっていてどうやら出発30分前の購入期限を過ぎてしまったようだ。
次の列車は14:01発、全員分買い直そうかとも思ったが、未購入の残り2名は増田妻と子でリテラシーが高いので別行動でも何とかなると思い、2名分の別チケットを買って、5人は先行して出発するとこにした。
列車内で増田妻とWeChatで連絡を取りつつ、AMEXの停止をどうしようか?とGmailを確認すると、不正防止の観点から支払いを一時停止したとの連絡メールが来ており、結果的に1クリックで停止を解除できた。AMEXに電話しないとダメかなぁと思ってたので良かった反面、このタイミングで止めるなよと愚痴りたくもなった。分乗となったのでお昼はそれぞれで済ますことにした。増田は清河駅近くの小吃のチェーン店で肉まんを、増田妻は駅併設の食堂で餡かけご飯を食べたらしい。
増田妻とは清河駅の地下鉄ホームで待ち合わせすることにして14:40頃に無事に合流した。この日の夕食は雍和宮近くのレストランを予約していたので、それまでの間、鳥の巣(オリンピック公園)か雍和宮の見学のどちらが良いのか迷っていた。皆に聞いた結果、雍和宮案が採用されて地下鉄で移動することに。
雍和宮は”宮”が付いているが、宮殿ではなく北京最大のチベット仏教寺院。もともとは清の皇帝である雍正帝の居室で後に寺院になったことからこの名前になっているそう。閉まるのが早く、16時最終入館、16時30分退出になっている。終わりが近づくと僧侶たちが掃除など片付けを始めるので面白いが、寺院のお土産屋も同じ時間に閉まるので気をつけて欲しい。雍和宮の小さな手提げを複数持っている人を多数見かけたので、きっと良い土産品があるのだと思う。
入場チケットは、いつも通りWeChatのミニプログラムから地下鉄での移動中に事前購入した。しかし、1回につき3名までしか購入できず、なおかつ1端末での複数購入不可の仕様だった。増田一行は7人、妻が別途購入したとしても6名分までで1名分足りない。ネットで調べても古い情報しか出てこないし、同行者でWeChatをインストールしている人はいない。これは詰んだかも?と思ったが、とりあえず現地行こうということになり、行ってみたらチケット窓口であっさり残り枚数を買えた。うーむ。
雍和宮は入口で線香の束を渡される。それをちょっとずつ火をつけて、それぞれの礼拝場所で奉納するのがお約束なのだが、増田一行は勝手がわからず、最初からすべての線香に火をつけてしまった。そういえば、台湾のチベット仏教寺院でも同じミスして、なぜか現地のおばちゃんに怒られたなぁと思い出した。まったく成長していない。
チベット仏教寺院はやっぱり独特で、雍和宮はいくつかの御堂でお祈りしながら奥へ向かって行くスタイル。礼拝用の膝をつけるクッションなどがあるので、周りを観ながら真似して礼拝してみて。そして仏像も独特で面白い。途中、日本の菩薩像に近いものもあれば、奥の建物に行くほどラスボス感が強い仏像が出てくる。ネタバレになるので自分の目で確かめて欲しい。
帰路につく頃は既に16時30分を回っており、お坊さんは御堂の戸締まりや線香のカスなどの掃き掃除などを行っていた。入口にあった寺院のお土産屋に行きたかったが、残念ながら既に閉まっていた。
この日で施設観光はおしまい。翌日は帰国日で午前中にホテル近くの団結湖公園を散歩したが、大きな見どころがあったわけではないので割愛する。次回からはいよいよ食事編に突入する。
初めて北京旅行に行ったら必ず訪れるであろう天安門広場と故宮。もちろん今回の旅のメインである。どちらも人数制限あり、前日までの予約必須ということで、行き当たりばったりの計画では中に入ることができない。基本的に北京の観光地は中国人向けであり、外国人にとって予約の難易度が高くなっていると思う。そりゃ、10億人以上も国民がいるので国内需要だけでものすごいわけですよ。
ガイドブック等を見ても、個人での予約は難しい。現地ツアーか代理店に頼むべし、みたいなことが書いてあることが多いが、増田は事前準備を進める中で、個人でも大丈夫だな、と判断し代理店等は使わずに予約完了できた。3月中旬は旅行の閑散期だったから出来た話かもしれないが、個人で対応するのが好きな方は参考にしてもらえれば。
・観光地
・食事
・四季民福
・鳳臨閣(大同市)
・東来順
・很久以前羊肉串
・京兆尹
まずは予約編。他の観光施設と同じようにWeChatのミニプログラムから天安門広場を検索、起動して予約する。天安門広場の入場は無料だが、時間帯別(日の出、午前、午後、日没〜夜間の4つ)があり、それぞれでチケット枚数の上限があり、前日までに予約が必要。また、1回の予約は大人4名(6歳未満を含めた場合7名)までしかできない。そして1台のスマホで同じ日時の重複予約はできない仕様。今回の増田一行は7名なので、増田夫婦で4名+3名でそれぞれ予約しないといけなかった。天安門広場は毎日、日の出と国旗掲揚をして、日没で降旗する儀式をやっているので、それを見たい人向けの予約時間帯がある。増田は午前枠で予約したが興味があれば試してみて。
天安門広場や故宮周辺はタクシーの乗降が制限されているエリアで、DiDiを使ってもここまで来れないので、地下鉄を使うのが一般的。天安門広場の入口は4箇所あり、増田一行は地下鉄1号線の天安門東駅から入場した。9時ぐらいの到着だったが、地下鉄駅からすでにすごい人だかりができている。天安門広場へ向かう人のほか、故宮へ直接行く人、天安門広場横の国家博物館へ行く人で溢れている。列を間違えないように天安門広場へ入るセキュリティチェックのゲートへ並ぶが、ここでトラブルが発生。WeChatのミニプログラムを開くと、増田が手続きした4名分の予約がごっそりと消えていた。予約完了後にスクリーンショットを取ってあったので、予約したのは間違いないのだが、消えた原因はさっぱりわからない。また、増田妻が予約した3名分は問題なかった。セキュリティチェック前の入場券確認でやっぱり引っかかり、スクリーンショットを見せてもやはり通してもらえず、英語で一生懸命説明するが、係員も英語できないので5分ほどここで停滞。老人がいて7名中3名のチケットはあるので最後には、しょうがねーなー、という感じで通してもらった。係員さん、ありがとう。
天安門広場は南北に広い広場になっている。北側に国旗、真ん中に人民英雄紀念碑、南側に毛主席記念堂がある。道路を挟んで北側に、毛沢東の肖像画が飾られた天安門が見える。その広さに圧倒されるとともに、どうしても天安門事件を考えてしまい、当時の学生デモの状況や戦車による鎮圧などテレビで見た風景が脳裏に蘇ってくる。広場自体は見学するところも特にないので、記念撮影などをそこそこにして北側にある故宮へ向かう。
北京観光のメインディッシュ。これまたとてつもなく広いので、ずっと歩き回らないいけない。今回は春で天気も良かったので過ごしやすかったが、真夏、真冬は大変だろうなと思う。事前に映画「ラストエンペラー」とか日本でも放映されている中国の宮廷ドラマなどを見て予習すると更に楽しめると思う。
まずは予約編。ガイドブックでは中国の電話番号がないと予約できないとか、予約可能枠は瞬殺で無くなるので、個人での予約は難しいようなことが書いてあり、当初はVeltraなどのツアーサイトから予約しようと思っていたが、準備編に書いたように中国の電話番号を手に入れて、WeChatの故宮のミニプログラムで予約の仕組みや連日の予約状況を調べて行くにつれて、これは個人予約でも大丈夫そうだなと判断した。7日前から予約可能で、午前・午後枠を選ぶ。午前枠でも出る時間は午後でも構わないが、12時までに入場しないといけないので注意。午後枠は11時から入場できる。入場料は一般20元、老人(60歳以上)10元、幼児枠はあるが未成年の割引はなかった。その他オプションで鐘表館、珍宝館の入場券(それぞれ10元、老人半額)が選択できる。機会損失の無いよう買っておいたが、鐘表館は入らなくてもいいかなと思う。珍宝館のチケットは、九龍壁など通常券では見れないエリアがあるので買う価値があると思う。
1回の予約で5人分までしか予約できないが、複数購入ができるので2回に分けて購入した。予約にはもちろん全員分のパスポート情報が必要で、最後に電話番号の入力がある。ここで日本の携帯電話番号を入れると弾かれて購入できない。増田は中国の電話番号を取得済みなので、無事に予約完了となった。ただ、SMS受信をしてアクティベーションするわけでもなさそうなので、中国の電話番号の法則を調べてダミーの電話番号を入れて購入する裏技があるみたいな情報も見かけた。(何があるか分からないのでおすすめはしない)
さて、いよいよ入場であるが、天安門広場から地下を通って天安門城楼をくぐって故宮の入口まで歩くのだが、入口につくまでが長い。感覚としては7〜800mぐらい歩く感じだ。そして入場の列に並ぶのだが、これまた長蛇の列になっていて、並んでから入場まで20分ぐらいはかかったと思う。大同古城編でも書いたが、清朝の着物のコスプレサービスを提供する店が多数あり、故宮見学の人の中にも多数の皇帝、皇后の衣装をまとった人たちがいた。日本語を話しているコスプレの人もいたので、興味があれば調べてチャレンジして欲しい。いつものようにセキュリティチェックとパスポート読み取りをしてようやく入場。隣の列にいた西洋人カップルは女性の方だけがパスポートチェックが通らずに止められていた。こういう場合どうなるんだろう?と心配になった。
そして故宮の中も広い!広い!広い!入場までにも天安門、端門、午門と3つの大きな門を抜けているが、さらに太和門を抜けて、ようやく皇帝の執務室?である太和殿に着く。でもこれまでは前半部分でしかなく、後宮である居室はもっと奥にある。太和殿の左右のエリアにも、それぞれ見どころはあるのだが、全部見るには体力がものすごく要るので、今回はメインどころしか見ていない。旅行前にドラマや映画で予習をしておけば、もっとこだわりの見学ができるかもしれない。
太和殿を過ぎたあたりでお昼の時間になり、疲れてきたところでもあるので昼食を探す。故宮内にはいくつか故宮餐庁と呼ばれるレストランがある。日本だったらこのような観光地のレストランは1〜2時間待ちになりそうなものだが、中国人は食事を持ってきているのか、行列はできているが、ちょっと待てば入れそうな雰囲気だった。増田一行はベンチが確保できて休んでいたのでレストランには行かずに売店でホットドック(爆汁熱狗棒)4本とサンドイッチ(かなり本格的で美味しかった)3セットを買って食べた。合計170元、観光地価格ではあるが、十分な量があり満足した。
昼食後にオプションの鐘表館と珍宝館を見学する。鐘表館は清朝時代の時計が展示されており、前半はフランスやイギリスから献上?されたものが展示され、後半は中国国内で制作されたものがあった。10分も見れば十分かなあと思うので、特別な思い入れがなければパスしても構わないと思う。珍宝館は太和殿から見て東側のエリアにある。その名の通り、中国の秘宝を展示しているのだが、貴重なもの(翠玉白菜とか)は蒋介石が台湾に持っていってしまったので、そんなに有名なものはないと思う。(増田が知らないだけかもだが)ただ、このエリアには九龍壁などがあるので展示物は見なくてもオプション料金払う価値はあると思う。ご参考まで。
東側の珍宝館エリアから後宮方面に移動するが、この時点がかなり歩き疲れている。後宮エリアは中央に皇帝の居室である乾清宮があり、その東西に東六宮、西六宮と呼ばれる后たちの館がある。「宮廷の諍い女」などの中国宮廷ドラマを見ている人であれば、きっと楽しめる要素がふんだんにあるのだと思うが、増田一行はドラマを見ていないのと足の疲れがピークに達してきたので、東西六宮は完全に無視して中央部のみを見学しながら出口に向かった。皇后の寝殿である坤寧宮を越えると今までは見ることのなかった木々が多数生えているエリアに入り、最後に延和門をくぐって出口を出る。中国人はどこでもタバコを吸うが、故宮の内部は禁煙なので出口の広場でタバコを吸い出す人が多く、もくもくしている。
故宮の北側には景山公園という築山があり、ここに登れば故宮を見渡すことができるようだが、思ったよりも高く、疲れた足に鞭打って登る気にはならず、またこの後にホテルの移動があるので、そのままDiDiに乗ってホテルへ戻ることにした。ただし、故宮出口付近はタクシー乗降の禁止エリアになっていてDiDiの配車も出来ないので、禁止エリアを出るために500mぐらい歩くことになった。故宮出口の北側の道路は、北京の他の観光地に向かうシャトルバスの乗り場があり、中国人はバスに乗って移動しているようだったが、仕組みが分からないので手を出していない。DiDiでホテルに戻り今日の観光は完了。今日もたくさん歩いた。義母の歩数計によると15,000歩だったそう。
-----------
北京旅行増田です。読んで期待してくれている人たち、ありがとう。
とりあえず今回の旅行で書くべき候補をリストアップしていったら当分掛かりそうな気がしてきた。いつか誰かが読んで役立ててくれればよいので、忘れないうちに順次書いていきます。
・観光地
・食事
・四季民福
・鳳臨閣(大同市)
・東来順
・很久以前羊肉串
・京兆尹
ここを観光地と呼ぶべきかは意見が分かれるところではあるが、北京大学西門や未名湖といったガイドブックにも載るような見どころがある。増田長男の留学先でもあり今回の旅行では外す訳にはいかなかった。
季節によるのかもしれないが、一般旅行客による入場は極めて難易度が高い。すべての門でセキュリティチェックがあり、学生以外は事前予約がないと入場不可。一般客の予約はWeChatのミニプログラム「参観北大」から行う。説明は「7日前から予約可、毎日8時更新」とあるのだが、予約画面に行くと、「校内行事のため、〇月〇日までしばらく停止」となっていることがほとんど。たまに予約可能日が表示されてでも既に枠は埋まってる状態で、これは無理だ思う。
増田一行はどうしたかと言うと、北京大学生の招待枠を使って予約した。増田一行の人数が多いので他の学生にも手伝ってもらったとのこと。ありがたい。予約は3日前から可能でパスポート情報と時間指定が必要。旅行直前か始まってからでないと予約確定しないのと、政府要人が急遽来るってことになったら当然予約できないらしい。どの門から入るかは指定できない。今回は分けて予約したせいか東門と東南門に別れて入場することになったが、200mぐらいしか離れてないのですぐに合流できた。セキュリティチェックはパスポートで行うが、高速鉄道や観光地のように読み取り機があるわけでもなく、屈強そうな係員がタブレット(iPad?)を出して、渡したパスポートと画面を見比べて確認していた。今回の旅行で一番アナログな瞬間だったかも。なお、出口の指定はないので今回は東門/東南門から入って、西門から出た。
増田一行のセキュリティチェックの脇を、学生たちは自転車やミニバイクで学生証を機械にタッチしながらどんどんすり抜けて行く。他の施設と同様に北京大学の校内もものすごく広い。お約束だが東京ドーム換算で17.5個らしい。なので校内の至るところで電動ミニバイクが走り回っており、美団やハローのシェアサイクルが放置状態で転がっている。面白かったのはミニバイクに取り付けるハンドカバーの柄。北京の冬は寒いので、ハンドカバーが大きくなり上半身や足まで覆うようなカバーを使っているのだけど、女学生と思わしきミニバイクのカバーは、昭和のファンシーショップに置いてあるような動物の図柄がほとんどだった。10台ぐらい見てみたが、どれも違う柄だったので相当な需要があるんだと思う。たまにおっさんもファンシーなカバーを使っていてとても微笑ましい。
大学入って門の周りで記念撮影したあとは、大学文創と呼ばれる北京大学オリジナルグッズを取扱う店に行ってお買い物。ボールペンやキーホルダーなどの定番のほか、THERMOSのボトルなど実用的なお土産物が多い。ちなみにTHERMOSのボトルは蓋の裏に茶こしが付いていて中国仕様だった。アパレルも豊富で、Tシャツ以外にも北京大学のエンブレムが付いたダウンコートや、左胸に北京大学と刺繍が入った青色のダサかっこいいジャージとかも売ってた。(買わなかったけど)
買い物終わったらちょうどお昼頃で、学生たちが学食へどんどん向かっている。北京大学には11の学食があるらしいが、ほとんどが学生証がないと注文できないとのこと。実際に行ってみたらゲートがあって、丁寧に学生のみ購入可の掲示があった。この日、増田長男は不在だったので無理かなと思いつつも、学食にいた大学職員?から家園という学食の4階なら学生証なくてもOKとの情報を聞き出し、そこへ向かうことに。はてさて、あったのは「西式快餐」という残念な感じのファストフード店と「小北面包」というパン屋。火鍋のレストランもあったけど学食ではないっぽい。西式快餐で残念なピザと残念なパスタを注文してしまった。子どもたちはカツカレー頼んで満足してた。違う。そうじゃない。
昼食後は有名な西門(正門)へ向かう、寺院のような豪華で古典的な門で、入学した学生は必ずこの門で記念撮影をするという。また、北京大学の北側半分は、コンクリート造りで雑多な建物な南側と異なり、学生もほとんど居らず、未名湖という大きな湖があり、湖越しに博雅塔が見えるなど、同じ大学内とは思えないほどのデートスポットになっている。このエリアのクラシカルな建物にはどんな学部が入ってるのだろうと案内板を見たら「考古学研究所」と書いてあって納得。西門に戻って外へ出たら中に入れない観光客がたくさんいて記念撮影していた。へへ〜んと優越感を得て北京大学見学は完了。10時に入場して14時までぐらいかな。
北京大学から見てすぐに西側にある歴代の中国皇帝により整備された庭園。ここもものすごいスケールで大きな湖があるが、これも人造湖だという。世界文化遺産(1998年登録)に指定されている。今の形に整備されたのは西太后が自分の住まいのために莫大な資金を投入したとかで、専制君主ってのは良くも悪くくもすごいなと思う。
北京大学西門を出たらすぐだよ、と増田長男は言っていたが、距離を測ると2.5kmほど。地下鉄駅もすぐ近くにはないので当然のごとくDiDi呼んで移動。この頃にはDiDiの利用にもだいぶ慣れてきて、ちょっとした移動でも躊躇せずに使うようになってきた。DiDiで移動したのだが、頤和園入口前で大渋滞になってしまいタクシー運転手もいらいらしてきたようなので100m手前ぐらいで降りてあとは歩いた。
頤和園のチケットは事前予約していなかったので、WeChatで「頤和園」と検索してミニプログラムを開いて購入した。当日購入は可能だが時間帯毎(9時〜12時、12時〜15時、15時以降)にチケット枚数の制限があるようだ。事前予約は7日前から可能なので繁忙期にどうしても行きたい場合は事前予約しておいたほうが無難かも。チケット代金は入園だけ、博物館などの入場料込の2種類ある。増田一行はすでに北京大学で歩き疲れていたので入園だけのチケットを購入したが、耶律楚材祠など朝からじっくりと見学したい人はフルセットのチケットが良いと思う。入園だけのチケットは一般20元、未成年10元、老人(60歳以上)無料、ほかと同じように購入にはパスポート番号の登録が必要だが、購入完了後、QRコードが発行されるので入場はQRコードの読み取りで行う。無料の老人はチケット購入がないのでQRコードは発行されない。入場チェックは曖昧で老人だと認識されるとパスポート確認もほとんどされない。
老人無料ということも関係があるのかもしれないが、頤和園は老人の団体旅行客がものすごく多かった。ひと昔前の農協ツアーを思わせるような、旗を持ったガイドに先導され、同じ帽子(赤や黄色などの目立つ色)を被った集団で埋め尽くされているエリアがいたるところにあった。頤和園内の見どころの説明看板には中国語、英語、日本語、韓国語の4カ国語で書かれているので、日本人にとっては非常にありがたい。日本語説明があるだけでも満足度が上がり、滞在時間が伸びる。湖には遊覧船もあるようだが、この日は動いていなかった。(運行停止のような記載があったが、季節によるものか、たまたまなのかは不明)
団体旅行客を避けつつ、日本語の案内文を呼んでいくと清朝末期の西太后や光緒帝の軋轢、悲しいエピソードに触れることができ、大変おもしろかった。歴史好きならば事前に予習しておくともっと楽しめると思う。園内には北京老舗の茶屋「呉裕泰」のお店があり、ジャスミンティーやココナッツミルクティーなどのお茶(13〜20元、アイスもできる)やソフトクリーム(10元)もテイクアウトできるので、天気がよければ休みながらゆっくりと過ごすのも良さそう。増田一行は連日の歩きで疲れているので入口周辺をぐるっと回っただけだが、それでも2時間弱の滞在だった。園の北側には行っていないが、小高い山(人造だそう)があり仏香閣などの有名な建物があるので、時間と体力に余裕がある人はフルセットのチケットを買って行ってみて欲しい。
16時過ぎに退園してDiDiでホテルに戻る。頤和園は北京市街の北西の外れで、ホテルは紫禁城の南東側に位置するので距離にして24kmほどになるが、タクシー料金は約60元(1,260円)などで地下鉄でも帰れるが、やはりDiDiが強い。
-------------
歴史の勉強の時間だ、増田。天安門事件を知っているか。この事件は1989年、北京市の天安門広場で行われた民主化を求める学生や労働者の大規模な抗議デモが、中国共産党政府によって武力で鎮圧された出来事だ。
中国政府が自国民を虐殺した理由を理解するためには、当時の政治的背景を知る必要がある。1980年代末、冷戦の終焉と共に、東欧諸国では次々と共産主義体制が崩壊していた。そのため、中国政府は自らの統治体制が揺らぐ可能性に対して非常に敏感だった。
しかし、この理由一つで全てを説明できるわけではない。中国共産党には、その権力を維持するために一切の妥協を許さない姿勢があった。これが、結果として天安門事件のような悲劇を招いたとも言える。詳しく知ることで、権力の持つ力とその危険性について理解を深めることが重要だ。
マリーアントワネットの首が歌うシーンが興味深かったから、意図をしりたくて、いろいろ読んだ。
具体的に言及はされていなかったから、はっきりとはわからなかったが、インタビューはどれも面白かった。
id:hazlittさんが教えてくれた、ラジオ番組からいろいろ読み始めた。
増田はフランス語は多少わかるが、わからないところは、DeepL先生に頼っているため、正確性は保証できない。
ホスト:昨日私たちは、コンシェルジュリーにおいて、革命の中、斬首されたマリーアントワネットがゴジラ(というパンクバンド)とマリナ・ヴィオッティと歌うというシーンを見ました。このシークエンスは、いったいどのような意図で書かれたのですか、ダミアン。
ダミアン・ガブリアック(監督):まず私は一人で書いたのではありません。すべてみんな(4人の中心人物)で書きました。そして理由は極めてシンプルです。私たちは、選手が進むルートに沿ってシークエンスを進めていくことにしていました。そして、ここではコンシェルジュリーです。マリー・アントワネットが斬首の前に幽閉されていた場所です。我々は自分たちに、これについては言及せざるを得ない、と言い聞かせました。ここで起きた歴史的なイベントは世界中が知っています。私たちはそこにエネルギッシュであることを求めました。だからゴジラです。そして、斬首されたマリーアントワネット、その両方。私たちは顔を突き合わせ、私たちが価値を見出していた(後述する)ロンドンのエリザベス女王とジェームスボンドを改めて思い起こしました。これだ、これだ、と。
パトリック・ブシュロン:そうですね、まず私たちがやった、みたものは、完全に、楽しく、集合的であったと考えています。そしてそれは全く同じく、議論するつもりがないことです、正確に。議論するつもりはないのです。私たちが見たものはまさに、さきほど述べられた通り、似ているのです。この多様性の物語、これが私たちのあり方だと、私たちが、大胆に主張している、複雑さと。それらは、あの歴史的なモニュメント(コンシェルジェリー)と、その美しさ、威圧的であることを望まない美しさ、私たちを勇気づける過去と一緒に示されました。私たちは誇りを回復しました、国家はアイデンティティではなく、あくまで政治的プロジェクトなのだ、という誇りを回復しました。私はそれらを若者に見せることができてとてもうれしいです。私の娘もコースでそれを見ました。あの悲痛なものを見たのです。それこそが全てです。シンプルです。私たちは、わずか数分の間にバスティーユを奪還したのです。
(中略)
ホスト:ダミアン、実際にこのセレモニーは、世代間的でもありましたね、だれにとっても自分事であるような感覚、ミュージカルレベルでもそうですし、サウンドトラックはすばらしかった。ダリダもあったし、クラシックもあった。とてもエモーショナルでした。とても美しかった。そして、話を変えるが、橋の上でのクィアたちとの最後の晩餐。かれらと一緒に生きているというシーンでしたね?ダミアン。
ダミアン:その通り。クィアはいた。でも付け加えるなら、フランスのすべてがあった。背が高い、低い、太っている、痩せている、黒人、白人、アラブ人、みんな違う衣装で、同じプレイリストを踊ったんだ。グアドループ(カリブ海)の音楽、オーヴェルニュの音楽、ヨーロッパの音楽を、同じ時にね。
トーマス・ジョリー監督に選ばれたパトリック・ブシュロンは、このセレモニーに寄せられる期待や懸念さえも承知の上で、「私たちに似た」物語を望むと改めて表明した。 「私たちはバカバカしいことや傲慢にならないように努めます。それをやったら、とんでもなく長い道のりになってしまうよ」と冗談を言う。
(中略)
「最初のシーンには、『エミリーパリへ行く』シリーズを観たアメリカ人などが期待する、パリで見られるものをすべて詰め込みました。きっと反応は「ありきたりなだな」だろうけど、それは違う。少し忍耐が必要です。所要時間は 3時間 45 分です。紆余曲折があるでしょう。次に、これらのイメージは正反対の方向に進み、スノードームが転がるように、私たちはエッフェル塔(私たちが期待しているもの)を目にするでしょう 。私たちはすべてを揺るがすでしょう。違うものが出てきますよ。 」
(中略)
共同執筆者たちは、過去の開会セレモニーを研究しました。そして、アテネの謙虚さと、ロンドンの自虐性を継承することとし、北京の誇張されたナショナリズムを拒否することにしたのです。
「ディベートの仕方を知っている国に生きることはとても大きなアドバンテージです。おそらく、(この国に暮らす)外国人たちが我々にもたらしている、楽しい面のカオス、それには多くの憤りと尊敬が同居していますが、私たちはそれを見せなければならないのです。」
開会セレモニーの原点は、セーヌ川の流れとともに進む、という点である。
「私たちが見せる、このゆっくりとした流れるイメージ、この空想上のパレードは、パリが示すべき力の中にあります。このステージは軍隊のデモンストレーションパレードではないのです。フランスはもはやー私は全く望んでいませんがー世界に対して、我々の歴史について講釈を垂れるような立場ではないのです。私たちは、持っているもの、信じているものでやるしかないのです。我々が込めたメッセージはシンプルです。言葉で、あるいは映像で、伝わればうれしいですが、そうです、それは、”すべてがある、それでも私たちは一緒に生きていける”ということです。」
パリの歴史から離れて、歴史家は、パリジャンの通勤のあり方についても、言葉を用いずに示すつもりだといいます。
「英雄的物語の反対にあるもの」を語る、というこの歴史家が大量のインクを費やしてきたフレーズにおいて、彼は、その立場を明らかにした。「私たちはしゃべりすぎです』と彼は笑う。宣言も挑発もない。オリンピックゲームは、包括性、平等性、多様性という価値観に基づいています。セレモニーはそうでなければならない。私は歴史家だから、ナポレオンの話をしなければならないなら、どうすればいいか知っているし、そうするつもりです!しかし、それだけではありません。絵画(Tableau)ではより完全なものになります。私たちは何も削除していないのです。追加しているんです。セレモニーは軍事パレードではないが、謙虚でないのに謙虚なふりをするつもりはない。その一方で、私たちは互いの違いに連帯感を示すことができる。誰もが楽しめるものになるでしょう。」
少し考えた後、彼はこう付け加えた。
「私に、世界(の見たくないもの)に対して目をつむることを期待しないでください。パリに世界を迎えるのであれば、ありのままの世界、ドラマなども含めて歓迎します。オリンピックは原義的に政治的なものですから、政治的なものを排除するということはありえません。しかし世界の最も公正な感覚の中にあってほしいとのぞみます。」
彼は微笑みながら、「こんなに複雑なものに参加することになるとは思ってもみなかった」と話した。
(増田はルモンドやリベラシオンに課金はしていないので、まとめ記事が助かった)
(略)
ジョリーと4人の作家が2022年末に共同の冒険を始めたとき、ルートはすでに決められていました。
東のアウステルリッツ駅から始まり、ノートルダム大聖堂、マリー・アントワネットが投獄されたコンシェルジュリー、ルーブル美術館、ガラスのドームが特徴のグラン・パレなど中世の遺跡を通り過ぎ、エッフェル塔のふもとで終わります。
「私たちはダウンジャケットを着て、アウステルリッツ橋からエッフェル塔 までボートで川を上下しました」とジョリーはル・モンドに語った。
「私たちはパリの歴史の一部であるあらゆるものを見ました。通り、記念碑、広場、彫像。文学的な書簡、映画、ミュージカルも調べました。」
彼らは何度もブレインストーミングした後、約9か月間秘密裏に執筆を続けた。
フランスのカルト映画「アメリ」やアメリカのネットフリックスシリーズ「エミリーパリへ行く」の夢のようなパリに引き込まれることを警戒し、 彼らは「常套句やアメリカ流のフランス解釈についても、茶化さずに扱わなければならない」とわかっていたとジョリーは語った。
彼らはショーを12の絵画(セーヌ川沿い、セーヌ川の上、さらにはセーヌ川から出る)に分割し、約90隻の船に乗ったアスリートのパレードと掛け合わせた。
3,000人を超えるダンサーや俳優が岸壁や橋の上でパフォーマンスを披露し、それぞれの絵画は、パリのシンボルと、過去と現在の両方について呼び起こすものを描いており、世界をパリの歴史と建築の旅へと誘う。
例えば、ノートルダム大聖堂は、ゴシック様式の記念碑であり、19世紀の作家ヴィクトル・ユゴーとのつながりであると同時に、猛烈な地獄でもあるなど、人によってさまざまな意味を持っています。
「世界が最後にテレビでノートルダム大聖堂を見たのは、火災のときでした」とブシュロン氏は言う。「誇りと壮大さの物語だけではなく、感動の、再建の物語でもあるのです。私たちが演じたかったのは、どんな困難にも負けずに共に生きていこうとする粘り強く創造的な意志の物語です。」
自らを「現代を愛する歴史家」と称するブシュロン氏は、式典はできるだけ多くの人々に語りかけるものでなければならなかったと語る。
「パーティーを開いてお気に入りのプレイリストをかけるのとは違います。世界からフランスへ、そしてフランスから世界へ語りかけるものでなければなりません。私たちはただ、人々が共感できるように、当時の状況を描写しようとしただけです。」
(略)
エマニュエル・マクロン大統領は、セレモニーでは1789年のフランス革命から1948年の世界人権宣言まで、「解放と自由の偉大な物語」を提供すると述べた。
セレモニーの詳細は秘密のベールに包まれているが、フランスの価値観が何らかの形で讃えられると推測されている。フランス系モロッコ人の小説家であるレイラ・スリマニは、パリが集合的であろうとする努力に価値を置いていることーそして力を合わせることで考えられないようなものを生み出せるーを高く評価している、とル・モンド紙に語っている。
4人の作家は、自分たちの物語に寛大な精神を持たせたかったという。
「喜び、模倣、動き、興奮、輝きがなければならない。フランスが時に自信過剰に見せたがる伝統的、哲学的、価値観だけでなくね。」
(略)
一方、昨年9月にパリで開催されたラグビーワールドカップの開会式は、「反例となった」とブシュロンは言う。
『アーティスト』のオスカー俳優ジャン・デュジャルダンが、ベレー帽にバゲットという出立ちで、1950年代のフランスの村々を再現した模型を自転車で巡り、ミルク絞りの女性やダンサーに手を振るというこのショーは、多くの批評家から、時代遅れの陳腐なフランス表現だと非難された。そして、非常に内向きなフランスだった。
「ただの古臭い過去のイメージや、現在の単純な賞賛ではないものでなければならない。歴史は揺らいでいるもので、国家はアイデンティティではなく、政治的プロジェクトであることを忘れてはならない。だから未来を語るのです。だから、私たちはセーヌ川を大旅行し、みんなを巻き込もうとしています。」
ブシュロンは、最も感動的なショーとして、ジャン=ポール・グードによる壮大な舞台美術を伴った、1989年のフランス革命200周年記念式典を挙げている。
当時20歳だったブシュロンは、それを見て歴史家になろうと決意した。
「それは歴史を痛感した瞬間でした。1989年、ソ連、中国(天安門広場の抗議活動)など、世界では多くの出来事が起こっていました。当時、私たちは多文化フランスと呼ばれていたものの価値を声高に明確に宣言することができました。それはより困難になり、ある種の幻滅感もありますが、私たちは怯んではなりません。」
数週間前、フランスでは議会選挙後に極右政党「国民連合」が政権を握るかもしれないという懸念が真剣にあった。その場合、ショーは「ある種の抵抗のセレモニーに変貌していただろう」とジョリー氏は語った。
結局、マリーヌ・ル・ペン氏の党は好成績を収めたが、セレモニーの書き直しを必要とするほどではなかった。
「私たちは、切実に、いたるところで起こっている暴力から離れて、平和の瞬間、止められた瞬間を共有することを必要としています」とスリマニは言った。
「私は本当に、7月26日にみんなが流れに身を任せてくれることを願っています。私たちの中の子供の部分、発見する楽しみを思い出してほしいです。今では本当に珍しいものになってしまいました」
と思っていたけど、セーヌ川、コンシェルジュリーが先にあることがわかった。ルイ16世でない理由もそこにある。またマリーがサン・キュロット版のア・サ・イラをうたい上げた後に上がった数多くの血しぶきは、その後のコンシェルジュリーで数多く処刑された人々のものであろうとも思う。なぜなら、マリーはすでに断頭済みだから。そして、ガブリアック氏、ブシュロン氏のコメントから、別に完全に誇っているわけでもないこともわかりました。やるしかねぇな、と言っているのですから。またブシェロン氏はdéchirer(悲痛な、引き裂かれる痛み)という言葉を使って、あそこで起きたことを示しており、歴史家である彼は当然革命期のその後の悲劇を知っているわけですから。それでもなお、彼は「バスティーユを奪還した」といい、国家は終わるもので、政治的プロジェクトに過ぎないのだ、ということを「誇って」いるという点が印象的でした。右派が怒ることなども承知の上でしょう、なにしろ、「ディベートの仕方を知っている国に生きている」のですからね。
開会式全体に込められたメッセージから判断すると、別にキリスト教を揶揄はしていないんでしょうね。挑発はしているかもしれませんが。クィアは存在する(キリスト教がないものとみなしている)ということを目ぇ開いてしっかり見ろ、ということが言いたいのでしょうから。真正面からね。
要は、暴力やクィアなど、みたくない、特にオリンピックにおいて、というものも当然パリは包摂してるぜ、外国人問題とかもカオスだけど、でもちゃんと一緒に生きてるんだぜっていうメッセージと受け取ったね。論争が起きるのとか、まさに狙い通りでしかないんじゃないですかね。
二外中国語
キリル文字とかハングルみたいなのを新しく覚えるのが嫌だった。あと横文字というか、漢字以外の全ての文字が日本語とかけ離れすぎてるのが嫌だった。
これはまあ概ね想定通りというか、楽だった。
「遠い」がloinになるよりは远の方がまだ覚えやすいし、言偏が讠になったりするのもすぐ慣れた。字の部品は基本的に同じだから。
横文字系は字面から何も見えてこない。他の単語の組み合わせとかならともかく、Accomplishが「成し遂げる」なんて知らきゃ分かる訳がない。成就と言われたらなんとなく分かる。
ガセというか、個人差あるんだろうけど自分は全く苦でなかった。
あれだけ分かりやすく視覚化されてる声調記号をガン無視する学生が多くて謎だった。単にやる気がないのか、世の中の人間が思っている以上に音痴なのか。
ただ三声の変則的な発音はなんとなく分かったけど、了とかが上がらないのは完全に雰囲気だけでやってた。
発音も英語に比べたらよっぽど簡単な気がした。xとshとかかなりはっきり違うし、rとlも英語より分かりやすいような気がした。母音もouとかちょっとむずかしいけど、慣れればまあ。
nとngはあんまりよく分かってなかったけど、なんとなく聞いてた余韻の感じを雰囲気で真似してたらええやんと言われた。聞き取る分には大分文脈依存な気がした。
ただ単語ごとにピンインを知らないと読みようがないのが死ぬほど面倒臭い。雰囲気で分かるもんでもないし。
漢字が微妙に違ったりするからそこも覚えてないといけないし、意味も微妙に違ったりするし、さらに声調含めて発音まで覚えないといけない。白文というか、ピンイン振られてない状態で読むと脳トレ状態。発音そのものはちょっとしたルール覚えればすぐに分かるけど、どう読むするかを個別的に知ってなきゃいけないのが大変。その辺を指して「発音が難しい」というんならまあ強ち間違いでもないかも。読み上げるだけなら簡単だけど暗唱テストが億劫だった。
その点英語とかは発音と綴りが一体化してる(?)から楽だなと思った。oftenみたいにたまに罠はあるけど、基本書いてあるまま読めばいいだけだから。
読むのはまあなんか多少の原則が分かってれば雰囲気でいけないこともないけど、自分で書くと結構シビアだった。難しくてもはやほとんど覚えてない。形容詞にbe動詞を入れないのがしっくりこなかったり、很の使い方が最後まで掴みきれなかったりした。
なんか教科書で天安門広場とか普通に出てきたけど、性教育の授業のような過度に淡々とした空気を勝手に感じてこっちだけピリッとした緊張感を覚えた。
フェミの正体みたりって感じだな
あなたたちの求めて戦った民主の力は我々日本・台湾・欧州・アメリカ・オーストラリア・インドが引き継ぎます
「天安門」元リーダーがNYで惨殺…犯人の女性に中国の“刺客”説が浮上
天安門事件」の学生リーダーのひとりだった弁護士・李進進Photo:対話中国(DialogueChinaThink Tank)
Photo:対話中国(DialogueChinaThink Tank)
1989年の「天安門事件」につながる民主化運動の中で学生リーダーのひとりだった弁護士が白昼のニューヨークで惨殺された。犯人の女は現行犯逮捕されたが、不可解な動機や言動から、北京から刺客としてニューヨークへ放たれたのではないかと疑う者も多い。
22ヵ月間投獄され、亡命
「天安門事件」の学生リーダーのひとりだった弁護士・李進進(リィ・ジンジン、米国名ジム・リー、66)が、3月14日正午前、米ニューヨークのクイーンズ区・フラッシング39番街にあるビル4階の事務所で刺殺された。享年66だった。
当日、李進進の事務所には、3日前に来訪したばかりの中国人女性・張暁寧(ヂャン・シァオニン、25)がケーキを持参し訪れた。11時44分ごろ張は突然、「今日は法律の用件で来たわけではない」と言いつつ李の背後から彼の首を片腕で強くロックし、コートの内ポケットから素早くナイフを取り出して、ためらい無く李の頸動脈を一撃。続けて頸部、胸部、腹部をメッタ刺しにした。
目撃者によると、張は素早くナイフを取り出しためらい無く頸動脈を一撃したことから、相応の訓練を受けたとみられる。
瀕死の李はニューヨーク・プレスビティリアン・クイーンズ病院に搬送されたが、12時8分に出血多量で死亡が確認された。
湖北省武漢市生まれの李進進は1970年、15歳で中国人民解放軍に入隊し、除隊後、文民警察組織の中華人民共和国人民警察に勤務。1979年、湖北財経学院(現・中南財経政法大学)に入学し、のち北京大学の博士課程で学ぶ。
1989年の「天安門事件」期間中はデモで重要な役割を果たした労働者団体・北京工人自治連合会の法律顧問を務めた。同年6月4日に人民解放軍が天安門広場のデモ隊を虐殺したあとは故郷の武漢へ逃げ帰るが、人民を煽動した容疑で逮捕され、22ヵ月間投獄される。
釈放後は起訴を免れ、1993年に渡米。コロンビア大学、ウィスコンシン大学で学び、レストランで下働きしつつ法学博士号を取得。卒業後、ニューヨーク州で弁護士資格を取得した。
犯人の張暁寧は現行犯逮捕された。張は1997年河北省邯鄲市生まれで、北京の大学で学び、2021年8月下旬にF-1学生ビザで米国に入国。渡米直後の2021年9月14日、国連通常総会の開会日当日に張は、国連本部の外でプラカードを持ち、北京市内の精神病院に強制入院させられたことを非難し、彼女をレイプした北京市公安局の警官を厳罰に処すよう訴えるデモンストレーションを繰り返した。
国連本部の外で通常総会当日にプラカードを持ちデモンストレーションをする張
国連本部の外で通常総会当日にプラカードを持ちデモンストレーションをする張
その後、李の存在を知った張は、李が法的な手助けをしてくれるものと期待し、3月11日、李の事務所を訪れた。
李の親友弁護士・朱偉は「後の祭りだが、李進進はあの女に関わるべきではなかった。11日に事務所に来た女は泣きながら、数日前に米国移民帰化局(BCIS)の移民面接に落ち、貧しく無一文同然で、中国で警官にレイプをされたと訴え、庇護を求めた。李は心優しい男。彼女を無償で助けるつもりでいた。あとで女は李に、自分から受信したメールを全部削除しろと要求したが、彼は削除しなかったようだ」と悔しがった。
李進進弁護士事務所向かいの保険会社職員は11日の凶行について、「たまたま開いていたドアから事務所内を見たところ、女性が興奮して、物凄い形相で李弁護士に詰め寄っていた。李弁護士はとても物腰の柔らかな紳士で、事務所の女性職員が慌てて、興奮している女性を彼から引き離した」
「李弁護士が静かに『オフィスで騒がないで。必要なら一緒に警察へ行ってあげましょう』と話すと、女性はその3倍を言い返していた。暴力的な態度で大騒ぎするのを見かねた職員が警察に通報したため、警官が2人来た。李弁護士が警官に、大丈夫だから彼女を逮捕しないでと言うと、女性はそのまま逃げるように事務所を立ち去った」
天安門事件が起きた1989年当時、中国人民解放軍の女性記者だった江林 Photo:The New York Times天安門事件から30年目の初証言──元「人民解放軍・女性記者」が見た“地獄”
カメラの前で逆上
張暁寧は殺人罪で起訴され、3月14日19時37分、警察官によってニューヨーク市警察第109分署から勾留先に移送された。その際、「なぜ殺したのか?」「悔いてはいないのか?」などメディアから中国語で問われた張は激昂しながら、叫んだ。
「後悔なんかしてねーーわッ!」
「後悔しているとしたらお前らの裏切りだ! 中国人なのに反共産主義者を叫びやがって!」
「おまえらは無数の学生を傷つけてきたのに、まだ学生を傷つけるのか!」
【#中国】
米国に住む中国出身の女性、张晓宁 が、天安門学生運動の指導者であった李进进氏(66歳)をナイフで殺害。女性は「おまえらは中国人でありながら、中国共産党に背いている!」と叫んでいる。
米国に住んでいてもこれか。共産党の洗脳、恐ろしすぎる…????
— NEKO????⬛????????????????⬛????????????????⬛ (@usapepe)March 16, 2022
在米華人メディアへの敵視発言から、張暁寧が中国共産党の熱烈な支持者ということが明らかになった。そして留学生である自身は、思うような庇護が与えられない被害者というスタンスだ。
だが、計画的に成人男性を刺殺するような根性の据わった女が、自身をレイプしたという中国警官ではなく、たった一度しか会ったことのない弁護士を刺し殺すというのは説得力に欠ける。
張は学生ビザで渡米したが、これまで一度も通学した形跡が無い。そもそも新型コロナウイルスが蔓延している時期に、中国当局は一般人民の出国許可は出さない。
張は李進進の前に、在米民主団体の中国民主人権連盟に、中国のニューヨーク総領事館から警告があり、圧力を受けていると語り、庇護を求めたという。
殺人罪と銃刀法違反で起訴された張暁寧は3月18日、クイーンズ区刑事裁判所に初出廷する予定だったが、精神不安定を理由に出廷を拒否した。地元紙によると、最高25年の実刑判決か終身刑が科される可能性があるという。
李進進はこれまで、中国政府に迫害されて来た多くの中国人を助けて来た。経済的に困窮している移民からはいかなる代金も受け取らなかったという。筆者にはこの李自身の同胞への献身が命取りの引き金になったような気がする。
北京・中央美術学院の学生によって天安門広場に建てられた「民主の女神」像(1989年6月1日撮影)天安門事件を風化させたい中国共産党─追悼日直前に香港の記念館が休館した背景とは
李進進は、「天網行動」「猟狐行動」(海外逃亡中の知能犯や経済犯の逮捕と不正取得された資産を没収する中国政府の特別捜査キャンペーン)のターゲットになったり、指名手配されたりした人民に米国での法的保護を提供してきた。
特権を利用して実際に不正蓄財や収賄した党員、公務員、汚職事件容疑者などの国外逃亡者が逮捕されるのはともかく、「天網行動」「猟狐行動」は、中国政府の意に沿わない経営者、弁護士、学者、研究者、作家、ジャーナリスト、NGO(非政府組織)関係者、アーティストなどの罪をでっちあげて中国に強制送還する口実にも使われているからだ。李もたびたび「『天網~』『猟狐~』は反腐敗運動ではなく、反体制弾圧の手段」と批判してきた。
李進進は、2008年に中国当局に香港で逮捕され、金融詐欺罪で起訴された「天安門事件」の学生リーダーのひとり、周永潤(ヂョウ・ヨンルン、55)の弁護を担当した。
また、中国政府が政敵を逮捕するために、国際刑事警察機構(インターポール)が加盟国の申請に応じて発行する国際手配書「レッド・ノーティス」を濫用することに反対していた。
中国で逮捕状が出ている被疑者などについて人物を特定し、海外で発見し次第、中国へ強制送還するよう要請できるものだからだ。
「李進進が“天安門”の元リーダーだから殺された」という憶測は的外れだろう。今年は「天安門事件」から33年。当時、民主化へのうねりを作った学生運動リーダーたちは既に政治的影響力を持たず、中国共産党の脅威ではない。
今になって李進進が「消された」とすれば、「33年前のリーダー」だったからではなく、習近平政権が本気で取り組んでいるキャンペーン「天網行動」「猟狐行動」を邪魔する存在とされたからにほかならないからだろう。
在米弁護士仲間は、李が弁護活動中に得た中国共産党の特務(諜報・謀略・秘密機関)の活動資料を米連邦捜査局(FBI)に提出するのを阻止するために殺したと疑っている。
李進進が惨殺された2日後の3月16日、米司法省は、中国の情報機関、国家安全部の指示を受けて米国在住反体制派中国人に監視や嫌がらせを行っていたスパイ容疑で王書軍、劉藩、林啓明、孫強、マシュー・ツブリスの5人を逮捕し、起訴したと発表した。
暗殺犯の張暁寧は、北京で特務の訓練を受けた捨て駒の刺客だろう。渡米後の反中パフォーマンスやテレビカメラの前の支離滅裂な絶叫は、精神に異常があることを印象づけるための演技と思われる。
李進進の葬儀は事務所近くのチュンフック葬儀場で27日午後に挙行される。関係者は既に、FBIに対し、李殺害事件の捜査を要請した。FBIの捜査によって、李進進が「消された」真相は明らかになるのだろうか。(TextByJun Tanaka)
ツイッタランドで衆議院解散の万歳三唱が話題になってるけど、日本人はバンザイの元の意味を忘れて使ってるよね。
中華歴史ドラマ見た人は、皇帝に向けて家臣たちが「万歳、万歳、万万歳」って言うの見たこともあると思うけど、元は皇帝に対して、皇帝の世が永遠に続きますようにっていう言葉なのよ。
バンザイの前に、天皇陛下って付ければ意味は通じるけど、何もつけないと誰が長生きの対象なのか不明なわけ。
ちなみに有名な天安門広場の毛沢東の絵のとこにも「万歳、万歳、万万歳」って書いてありますね。
日本人にはもう天皇陛下に向けての意識はないと思うけど、中韓の人はジャップまだ神の国気取りかよ、ケッ!って思ってるかもね。
【ワシントン時事】ブリンケン米国務長官は3日、中国の民主化運動が武力弾圧された天安門事件から4日で32年になるのに合わせて声明を発表し、事件を「大虐殺」と表現し、非難した。その上で「天安門広場」は、人権や基本的自由を訴えた数万人の人々を黙らせるために中国政府が取った残忍な行動の同義語となったと指摘した。
また、「あの日に起きたことについて透明性を求めることをやめてはならない」と訴え、事件の死者や拘束者、行方不明者に関する完全な説明を求めた。
国務長官とは実務上、アメリカで大統領に次ぐNo.2と言われており絶大な発言力をもつ。
日本でいうと麻生さんとかにあたるのだろうか?よくわからないけど。
中国が歴史の闇に葬り去りたい最大のタブー(70年前、CCPが日本軍に国民党軍の軍事情報をリークさせて戦わせ、漁夫の利を得た件につぐ二番目のタブー)であり、それを一国の宰相が虐殺と定義したのは歴史上きわめて大きい。
元『映画秘宝』編集部員の秋山直斗(ナオト)さんにも読んで確認してもらえるよう、引き続き頑張ります。前回と同じく、出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』(2002年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記します。記述形式は
[ページ数]
です。
なお、問題発言だけでなく「今から見返したら『味わい深い』」と云う発言も有ります。
〈警告!〉「同性愛者に対する差別発言」などの引用が多数含まれるため、読むと気分が悪くなる可能性が有ります。
[p101]
柳下:淀川さんって本当に肉体派でしたね。好きな俳優はシュワちゃんにスティーヴン・セガール。
町山:あとチャールズ・ブロンソンとか、現場労働者タイプ(笑)。シュワちゃん、ジャッキー、ヴァン・ダム、セガール、それにドルフ・ラングレンの映画は『日曜洋画劇場』の独占状態だった。淀川ハーレム。
町山:とにかく男、男、男の映画。淀川さんって自分の欲望に忠実だったねえ(笑)。
【※】相手が死去して反撃してこないのをいいことに揶揄する。景山民夫の時と同じ。そもそも町山智浩に「欲望に忠実」と他人に言う資格は有るのか?他人の女性パートナーの胸を揉んだりキスしたりするのに。
【※】続いて『ゴッド・アンド・モンスター』の話題に移る。これは、’31年版『フランケンシュタイン』の監督ジェームズ・ホエールを主人公とする伝記映画。
[p102]
町山:そもそもさ、フランケンシュタイン博士はなんで怪物を作るんだと思う?
柳下:え、そりゃ自分の手で生命を生み出すためでしょ。神への挑戦として。
町山:でも、それだったら別に男じゃなくてもいいじゃん。男なら普通、まず理想の女から作らないか?
町山:いやいや、フランケンシュタイン博士には男を作る方が自然だったんだよ。なぜかというと博士はホモだったから!
町山:いたって正気。これ、ただの思いつきで言ってるわけじゃないんだよ。実は最近ジェームズ・ホエールの伝記が出て、そこでジェームズ・ホエールがホモセクシャルであることを明らかにしている。
町山:確かに『フランケンシュタイン』を観てると、博士の行動ってすごく変なんだよね。婚約者の美女がいるのに、ちっとも彼女にかまわないで、男の死体をいじってる。
柳下:要するにホモなのに結婚させられそうになって、死体でダッチワイフ作ってるってことですか。ワイフじゃなくてダッチボーイか(笑)。
【※】ここでも「女に手を出すことが『男の証』」という考え方と同性愛者を「異常者」扱いする姿勢が顕れている。
[p109]
町山:それって、『もーれつア太郎』の目玉のつながったお巡りさんだね。あんまりピストルを撃ちまくるから、ア太郎たちが警察署に苦情言ったら「そこ交番ないですよ」って言われるの。要するに勝手に警官名乗ってるキチガイだったんだよ(笑)。
柳下:でも映画版『ポストマン』にはそういうキチガイの部分がないんですよ。
【※】「キチガイ」もよく使う印象。
[p110]
町山:コスナーの人気が落ちたのは、カミさんに全部暴露されたからなんだよ。床屋に行けば床屋の女とヤッちゃう無差別爆撃男でだったんだよ。
柳下:他の俳優なら「しょうがないなー」で済むけど、コスナーは良識ぶってるから反感買うんだな(笑)。
【※】「良識ぶってるから反感買う」は今の町山智浩たちにも噛み締めてもらいたい教訓だと思う。
[p114]
田野辺:あんたら迷惑なんですよ。悪口ばかり言うから、僕らが映画会社に出入りしにくくなるでしょ。
【※】そりゃ、健康も崩すよ。
[p115]
【※】マーティン・スコセッシの『クンドゥン』に触れ、柳下が「ダライ・ラマの生涯を描いてチベット開放を訴える映画ね」と物語を説明した流れから。
町山:スコセッシは一般人に好かれようと思わないで、チビのキチガイが人殺す映画だけ一生作ってりゃいいんだよ!
柳下:チベット救済ってのがトレンドなんじゃない?昔の反原発みたいなもんでさ。チベット救済コンサートとかやってるでしょ。ロクなもんじゃないけど。
【※】「チベット問題」や「原発問題」に関する意識が今日からすれば隔世の感が有りますが、そういえば町山智浩は「天安門広場で死者は出ていない」と云う中国政府寄りの立場なんでしたっけ。
【※】その後、ニコラス・ケイジ主演の『8mm』に話題が移る。
柳下:おかしかったのはニコラス・ケイジの弟分になるホアキン・フェニックス。登場するなり「オレはホモじゃないぜ」って言うんだけど、なぜかケイジのために命を捨てる。やっぱホモじゃん(笑)。
柳下:ジョエル・シュマッカー監督(ゲイ)の自分へのサービスじゃない(笑)?
【※】ここでも「(笑)」を使っている。
[p123]
【※】監督スタンリー・キューブリック、出演トム・クルーズ、ニコール・キッドマンの『アイズ・ワイド・シャット』の話題
柳下:だから試写で、おすぎが「つまんない映画ね!」って言ってたよ。
町山:筑紫は見につまされたんだな。痴漢局長に乱交アナ、覗き記者に囲まれて『ニュース23』やってりゃムラムラくるって(笑)。「オレだって昔は女子大生にモテたんだぞ!」って。
【※】浮気願望といえば、少し前に○人疑惑が持ち上がった人がいた気がしますけど、誰でしたっけ?今日のお風呂は血の色です。
[p124]
柳下:道ですれ違った体育会系のガキどもに「オカマ野郎」って言われるシーンは、モロにトムのホモ疑惑をネタにしたギャグでしょ。
【※】同性愛を揶揄する時に「疑惑」という表現を使って「恥ずべきもの」というイメージを植え付けようとする。
(初出『映画秘宝』99年vol.13)
こういう連中がいなくなるだけで、日本中のQOLが上がると思う。
死ねとまでは思わないけど、肥溜めに落ちるくらいのひどい目にあったらスカッとする。
膝下じゃないよ?肩ぐらいまではある肥溜めだよ?