
はてなキーワード:大聖人とは
貧民や弱者を救おうってんなら宗教じゃなくて政治や事業をやれとは思っていたけど、いやまあ普通そうなるよな。そうだよな。
キリスト教徒だった賀川豊彦翁(1888‐1960)は,貧民窟に入って神の道を説き,弱者を救済しようとしました。
しかし,多くの困窮者を救うには,労働運動,農民運動,協同組合運動が必要と考え,
賀川 豊彦(かがわ とよひこ、旧字体:豐彥、1888年〈明治21年〉7月10日 -1960年(昭和35年)4月23日)は、大正・昭和期のキリスト教社会運動家・社会改良家。
戦前日本の労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動、協同組合保険(共済)運動において、重要な役割を担った人物。
キリスト教における博愛の精神を実践した「貧民街の聖者」として日本以上に世界的な知名度が高く、戦前は現代の「三大聖人」として「カガワ、ガンジー、シュヴァイツァー」と称された。
...原子のもつれによって、私は法華経の行者であった大聖人の魂は、あのとき私に受肉したのであった。私の魂が、なぜに、日蓮センセーと同じであるかというと、かの有名なアインシュタインですら悩んだ量子力学で証明できる。つまり、私と日蓮センセーは反対のスピンを持つからである。私がいるから、日蓮は聖人となり、聖人としての私は量子の揺らぎにより、今の功徳は一千年の時間を超え、ともに共振し、全人類に影響を与えるのである。また、わたしはひとりの人間であるが、法華経を唱えることで、全世界の人びとの心をふるらせてきた。それは、なぜか。わたしは聖人であるからして、エントロピーが最も低いからである。すべての人が理想とする、安定する、そんなエネルギー量が低い地位に私はいる。しかし、それならば、わたしはこれまで大勝利してきたかといえば、ひとえに複雑系で説明できよう。バタフライエフェクト、複雑系を語るときによく用いられるが、たとえば蝶の華麗さを人びと認知できるが、それは諸君らが真の美し差に魅了されるように、わたしの声が人びとの口を動かせてきたのであるからだ。大勝利できるために、...
私は創価学会員ではありません。
1,大聖人(だいしょうにん)
(厳密にいうと「本仏」という。)
なお、一般的な日蓮宗系の宗教では「大菩薩」ということが多い。
菩薩は仏に次ぐナンバー2という意味であるため、創価学会系の人とは
相容れないのである。
2,謗法(ほうぼう)
3,境涯(きょうがい)
4,財務(ざいむ)
強制ではないのだが、もし行う場合は最低1万円出さなければならない。
一般家庭でも100万円出すところもある。
5,折伏(しゃくぶく)
「勧誘」のことだが、無理やり入信させるというイメージである。
6,破折(はしゃく)
「論破」のこと。「破(は)す」ともいう。(後者の方が文語的)
7,御書(ごしょ)
8,仏法(ぶっぽう)
「仏教」のこと。
9,広宣流布(こうせんるふ)
公明党もかつてはそれに必要な「国立戒壇」(創価学会(厳密には日蓮正宗)員になるための儀式会場)
を作ることを目指していたが共産党などから追及されたり学会側の不祥事により破棄せざるを得なかった。
現在では池田大作創価学会名誉会長兼創価学会インターナショナル(SGI)会長
が世界各国で対話を行ったり、支部を作ったことで事実上達成したというのが公式見解である。
10,功徳(くどく)
「ご利益」のこと。いわゆる「エア本」動画からネットミーム化した感もある。
Permalink |記事への反応(12) | 14:13
日蓮宗では、本迹一致を立てている。この本迹一致論は、
天台大師が『法華玄義』に説いた「本迹異なりと雖も不思議一なり」との解釈によるもので、
大聖人様の御教示ではないのです。
迹門という小さな川も、本門の大海に収まれば同じ海水となるという、
決して身延のような本迹二門を対等に見た上での「一致」を説くものではないのです。
大聖人様は『治病大小権実違目』に、
「本迹の相違は水火・天地の違目なり」と、
本門は事の即身成仏なり」と法華経の本迹の相違を明確に御教示されています。
法華経本迹二門は、
その説かれる法体においても勝劣があり、
しかし日蓮宗では、「実相一体」や「本迹未分」という勝手な解釈を加え、
「本迹一致」の邪義を主張していますが、
宗祖の正意に背く謗法の論となることは明らかです。
それを要約すれば、
二、釈迦一体仏
三、大曼荼羅
四、一尊四士
五、二尊四士があり、
このうち一、と三、を法本尊、
二、四、五、を仏本尊とし、
その中心は三、の大曼荼羅と、
四、の一尊四士であるが、
祖書の教示等に照らし、
『此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有(ましま)さず。
末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか』との御文を挙げ、
「仏像出現」の語句によって本尊は仏像が正意であるとしています。
末法の仏像に対する「出現」という表現を対比してみなければなりません。
後の「此の時地涌千界出現して」の御文と同じく、
あくまで現実に現れるということを示されたと拝すのが正しいでしょう。
「此の時地涌千界出現して、
「本門の釈尊を脇士と為す」を「本門の釈尊を脇士と為る」と誤読し、
一尊四士が正意であるとしている。
しかし、宗祖が御在世中に一尊四士の仏像を自ら造立された事実はなく、
との御教示ではありません。
法本尊について御教示された御書に照らして見ればいっそう明らかです。
「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり(草木成仏口決)」
「妙法蓮華経の御本尊供養候ひぬ。此の曼荼羅は文字は五字七字にて候へども、
三世諸仏の御師(中略)此の曼荼羅は仏滅後二千二百二十余年の間、
十方の諸仏は法華経より出生し給えり。故に全く能生を以て本尊とするなり(本尊文答抄)」
日蓮大聖人様の御真意は一尊四士などの仏像本尊にあるのではなく、
【補足】
(二、)釈迦一体仏
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20130121001007
宗教はほとんどライフハックみたいなものなのに、ネット上にレビュー記事が少ないなあ。誰か「○○教に入信してみた」とか「××教が△△教より優れている5つの理由」とかってエントリあげてくれないかな。
と言ってたのでリクエストの答えてみたよ。
キリスト教とか仏教以外の宗教は今世のことばかり考えて他者に救いを求めてるよね! でも輪廻と因果の理を説いて過去世や未来世のことを考えないと世界を説明したことにはならないよね。だから仏教以外はここで落選!
小乗仏教の人たちは自分が悟りを開いて解脱することを目的としてるけど、大乗仏教は仏陀となって世界を救うことを目指してる。どっちがいいかは明らかだよね? 上座部のみなさんはここで脱落。
仏典はたくさんあるけど法華経が一番なんだ。なぜかって、おしゃかさまが最後に書かれた経典だからね。その他の経典では明かされなかった秘法があるんだから、これを最上のものとしなくてどうするというのだろう? 日蓮宗や天台宗以外のほとんどの宗派の皆さんは、ここでさよならだ。
「ウソも方便」って言葉は知ってると思うけど、法華経にも方便があるんだ。それが前半の14巻。特に2巻なんかはそのまんま「方便品」って名前だからね。方便は大事だけど、本当の教えと仮の教えとどちらが大事かは言うまでもないよね? 日蓮宗一致派のみなさん、残念でした!
末法の衆生には成仏をする機縁がないから、事の一念三千である御本尊に題目を唱えることによってしか成仏ができないんだよ。そうして下種を受けていない衆生はゴールが見えているけど道順が分からない迷子のようなものだね! え、何を言ってるのか分からないって? つまりおしゃかさまは末法でオシャカになっちゃった、ってことさ! 日蓮大聖人を末法の本仏としない日蓮宗身延派のみなさん、惜しかったね!
あと、現状の日蓮正宗は血脈が途絶えているから、大変残念なことになってるよ! そうなると、もう創価学会に入るしかないね!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E9%87%8D%E7%9B%B8%E5%AF%BE