
はてなキーワード:大目とは
仮に数時間以内に命の危険がある可能性があるなら「いつ亡くなってもおかしくない」と言う言いかたをするし、親族とのトラブルを避けるため言葉のチョイスは慎重にしているはず。
そして、増田の妻もそう思っていたと思う。
そもそも本当にいよいよという時は面会時間は撤廃されて、いつでもそばにいれるようになっているものだし。
で増田妻は「死に目に会えないかもしれないから早く来て欲しい」という理由で、増田が美容院キャンセルを望んでいると考えていたのでは。
実際には死に目に会えないことはないと考えているから、近々あるかもしれない葬儀のために美容院に行っているのでしょ。
親族や葬儀に来る人たちの種類によっては、きちんと身なりを整えていないと裏で色々言われるし(妻自身の親が亡くなったならまだ大目に見てもらえるが)
葬儀前は勿論だけど葬儀後も家によっては忙しく、しばらく美容院へは行けないからという理由もあるかもしれない。
親の気持ちを考えたら、残り少ない時間は親しい人だけと過ごしたいだろう。
私だったらあと数日も生きないという時に、自分の子供の、特にそこまで親しくない配偶者が長く(30分以上でも)いたら苦痛だと思う。死ぬほど悪い体調でもあるだろうし。
増田妻がよっぽど義母と仲が良かったなら別だけれど、年2回会う程度と追記に書いてあったし。
増田の妻は、美容院に行くとしても息子や孫と水入らずで過ごすことになるのだし、義母にとってはいい事だろうと考えていたかもしれない。
自分は、妻はおかしくはないと思っているけれど、投稿者もおかしくないとも思っているし、今辛い思いをしている投稿者を叩く気持ちもないけれどね。
仮に数時間以内に命の危険がある可能性があるなら「いつ亡くなってもおかしくない」と言うはずで。
で増田妻は「死に目に会えないかもしれないから早く来て欲しい」という理由で増田が美容院キャンセルを望んでいると考えているのでは。
でも実際は命があと数時間という単位で切迫していないとも考えていて、近々あるだろう葬儀に向け身だしなみを整えたいのでは。
親戚や葬儀に来る人によっては影でとやかく言われるからそれは避けたいというのもあるかも知れない。(妻の親が亡くなったならまだ大目に見てもらえるが)
あと、増田が例えば「辛いから病室では一緒にいてほしい」とちゃんと言ったら来てくれたかもしれないが
どういう理由ですぐに一緒に来てほしいと伝えたのか。
近いうちにあるかもしれない葬儀に向けて身だしなみを整えておきたかったのでは。
親族や葬儀に来る人たちの種類によっては、きちんと身なりを整えていないと裏で色々言われるし(妻自身の親が亡くなったならまだ大目に見てもらえるが)
葬儀後も家によっては忙しく、しばらく美容院へは行けないからという理由もあるかもしれない。
自分は親が「あと数日の命」と言われた時、そこまで夫に私と一緒に私の親の側にいて欲しいとは思わなかったけれど、増田はどうして妻に側にいて欲しかったのか書いて欲しかった。
今は面会時間が決まってるうちなのだし、数時間以内に命がどうとかは考えづらいと思う。
本当にいよいよになると面会時間関係なくそばにいれるようになっていると思うが
男磨きハウス第一話を観た。エシカルな戸塚ヨットスクールだった。
男磨きハウスや戸塚ヨットスクールは、弱さを受容し素直にエシカルコミュニティで自助ができる、医療や福祉制度を活用できる人間にとっては不要で邪悪だ。しかし、そうできない人たちは存在する。男磨きハウスも戸塚ヨットスクールもそういう人間の為の慈善活動だ。
https://youtu.be/DA2Z1EACF7c?si=1V_nzBzisBB386gB
現代の男が男らしく弱さを受け入れる過程は↑の動画でわかりやすく説明していた。彼らは家父長制的な男ではあるが現代の形にアップデート済みで女にとって不快感の少ない"ミソジニー"ではない男だろう。
彼らは、この企画のように恋愛市場で彷徨える女たちに対し、わりに的確なアドバイスを出せる側の男たちであり、後述するが男磨きハウスが必要な男の為のコンテンツではない。
話を戻す。
ジョージも戸塚も自分の道筋で"生きる"ことができたから、「同じような人間には同じような道しか示せないやろうが!」とそれを理解できない人たちにキレている。
ただそのアウトプットが女やエシカルな繋がりを持てた人たちからすると邪悪に映るだろう。しかしジョージや戸塚の救済対象は、"普通の話が通じない男"だから仕方がない。
フェミニズムはツイフェミやフェムセルという通称の存在が生まれたことで分岐し、元からフェミニズムに大した関心のない人からするとフェミニズム=邪悪な女権主義者たちの集まりと認識されているのも同様の動きであるといえよう。
彼女らは明らかに"やりすぎ"である。男嫌いであることを真っ当な権利運動の名の下で悪用している。しかし、では、何が彼女たちを救ってくれただろうか?それは男磨きハウスや戸塚ヨットスクール、ひいてはナンパ師界隈などに通ずるものがあるだろう。
救いたい形をしていない弱者。
救いたい形をしていない弱者の孤独死を防いだ結果、世間的にはアンエシカルな声明を出す事になる。そういう極端なPR活動をしていかないと話を聞いてもらえないのだ。普通の話が通じない人間にいつまでも普通の話をし続けるのは残酷だという事にエシカルな人間は配慮すべきである。その上で邪魔だろうから、批判し続ければいい。
健常者で精神疾患者や発達障害者と関わったことのある人なら心当たりがあるだろうが、彼らは「寝たらよくない?」とか「考えすぎじゃない?」とか思うような事で堂々巡り、普通の人ができる作業をできない、訳のわからない事を堂々と語って周りをドン引きさせている。
彼らは決して人格破綻者として生まれた訳ではない。そう生まれたからそうで、たまたま不幸を乗り越えれなかったからそうなのだ。
戸塚ヨットスクールはクライアントを死なせているが、医療や福祉現場でも人はじゃんじゃんバリバリ死んでいる。
しかしそれらの違いは明確で、戸塚ヨットスクールは訓練生の死亡、傷害致死、行方不明が発生していた件に対し、不審な介入ではないか?と判断されたのだ。戸塚の教育方針とは別で批判されるべき出来事であろう。医療や福祉現場でも不審死が発生し隠蔽工作をしていたら問題になる。それと同様に彼がどれだけ立派な教育を施していようが、そこに死人や負傷者が出て不審と判断された時点で「医療ミス」同様に鑑査される。それを避けては通れない。仕事の名の下で性交渉や危険行為が許されている社会で、体罰が体罰として問題視されるのはクライアントと正確な同意が取れていなかったからだ。
戸塚ヨットスクールはエシカルな組織が救えなかった存在の三次受け入れぐらいの場所だったのだろう。
正直、そういった過酷な現場で働いていたら疲弊するし、クライアントも目を離した隙に死のうとするだろうし、命がかかっているから従事者の性分も攻撃的になるだろう。医療従事者が特有の気の強さを持っているのと同様だ。
戸塚の思想そのものではなく、ああいった活動をしていると必然的に語気は強くなる。ゆえにエシカルな人々からすると"無用に語気の強いヤバ思想おじさん"となる。語気強もヤバ思想もあなた方のような救いたい形をした人たちの為ではなく、どうしようもない救いたい形をしていない人たち、それに直接迷惑をかけられている身内の為にしか存在しない。
しかし、彼らが抱えれる存在を私が救えたか?と言われれば難しい。
どれだけスティグマを払拭した語りをした所で彼らは「だって今はそういう社会になってないもん!」が主訴だから。
革命を起こす体力や精神力すらもない人間は素直に弱さを引き受ける事なんてできない。
拝金できたとしても、なれない、なりたくない健常者が殆どだろう。なろうとも思わない。
男の話しか聞けない男っているでしょう。
ジョージの救済対象は、男の話しか聞けないのに男に手を差し伸べてもらえなかった男だ。
無論、女の話を聞けない男を女が救える訳がない。女にいじめられた経験があったのなら尚更。尊敬できる対象からの暴力は"可愛がり"になるが、尊敬できない対象からの暴力は"いじめ"になる。自分をいじめてくる女に心を開き、素直になれる訳がない。
男に畏れている男は女にケアを求めるので恋愛に依存できるが、男に憧れている男はそういう男に憧れて女を見下しているので"女を見下している真の男"に救われるのを待つしかない。
なのに...。
待てど暮らせど、真の男は自分を救ってくれない。何故か、そういった男は既に仕事でそういう男たちを従えているからだ。真の男はサラッとあなた達のことを"なかった"ことにしている。小中学生の同窓会の時だけ「そんなヤツもいたな〜」程度に思い出す。
わざわざ「救済しよう!」なんて発想は彼らには最初からないのだ。人が人を救済するのは医療従事者の仕事であり、彼らが怪我をしたら病院に行ってついでに傷病手当を貰って仕舞いなのだ。彼らはただ生きているだけで男社会の上に立ち多くの人間を救済しまくっている。まともな努力をして結果が出るので、苦労も糧にできる。
そういう組織に入れない、そのパスを死に物狂いで掴めなかった男のことは"見えていない"。
そういう男は同性に対しても面倒見は良い。多少のことは雑に扱われることを許せば大目に見てくれるのだ。しかし、ここで篩にかけられるのは"雑に扱われるのを許せなさそうな男"だ。上司は男の恋人ではないので、恋愛じみたものを仕事に求めてきそうな人間は落とされる。まず出会えない。パワハラ、モラハラは起きないにこした事はないが、それらは下からしか生まれないので、ちょっとした事で騒ぎそうな人間は不要だ。だから"見えていない"。
彼らが尊敬する男たちは、無意識に、彼らにとっては残酷に、女を性愛対象と恋愛対象で天と地ほどの違いを持って、その上で適切な扱いが可能な為、交際しようが何だろうが結婚相手を選ぶまでは殆どデーティングだ。"男に見えていない男"は面倒で抱けない女と同等の存在なのだ。会った瞬間に無用な面倒事を察知する能力は野生の本能そのものであり、ミソジニーになる迄拗らせる未来を防ぐ。
戸塚やジョージやナンパ師は「お前の仲間だ!」と示す為に親切に女叩きをしてくれるし、エシカルは敵だと背中を摩ってくれる。
そういう男の哀しみがすこし分かるのだろう。
このふたりはどう考えてもこの時代の日本にはそぐわなかった価値観を持つ"変な男"ではあったのだ。男のマイノリティだから"見えた"のだ。この時代に発生した苦しみのひとつとして、そこからあぶれてしまった男たちに手を差し伸べるのだろう。
差し伸べられた手を掴むこと
それは如何様に気持ちの悪い男であろうと女であろうと、それを掴む限り、まだ生きてみようと思える希望そのものだ。男磨きハウスを観るに、ジョージは戸塚に比べて随分とやさしいと思う。救いたかった筈の訓練生の死から反省ができた世界線の戸塚だ。私はもう第一話でお腹いっぱいになってしまった。訓練生に恨みはないが、彼らのナチュラルな気持ちの悪さが次から次へと出てくるのでカロリーが高く、第二話に進めない。しかし内容はとても面白かったので「男ってなんだろう?」と思う人たちには是非試聴してもらいたい。面白くはある。
ジョージは訓練生の肉体を管理するどころか、射精管理までして、逃げ続けた所で救われることはないし一度でいいからお前を気持ち悪いとは思わない女に出会えるだけの力を与えてあげようとする。ジョージには良妻賢母の忍耐がインストールされている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%B1%E5%8F%AF
許可(きょか)とは、行政法学上、本来誰でも享受できる個人の自由を、公共の福祉の観点から一旦禁止しておき、
個別の申請に基づいて特定の場合に解除する行政行為である。禁止の解除であると言われる。
「個別の申請に基づいて特定の場合に解除する行政行為である。」とあるように
そこで「許容」について調べると
https://kotobank.jp/word/%E8%A8%B1%E5%AE%B9-479984
許容(読み)キョヨウ
きょ‐よう【許容】
という意味だが
>自治体から脳ドックの無料クーポンが来てたけど、脳梗塞の兆候とかも分かるのかね?
→脳の血管の特徴とか教えてもらえるらしい。
>「健常者として扱われる」「誰も何も配慮してくれない」障害が残っていても身障者扱いにならないのかな
→気づかいのコメントかもしれないが一応。リハビリ病院では、脳梗塞としては症状軽いほうなので障がい者にあたらないと医師から伺いました。
→チョコザップで筋トレ、出勤、週末は1万歩以上は歩いていました。
>入院費とか、保険とか、使えた補助金や制度とか、備えたら良かったこと、教えてほしい… (生々しくて書きたくなかったらいいです)
→高額医療費制度のおかげで全部で入院費用は25万円くらいかな。最初思ったよりは安く済んでたすかりました。
任意保険の類には入ってなかった。入ってたらよかったけど、発症しなかったらコスパ悪いから悩ましいね。
とにかくに発症しないことに代わるものはない。なので寝る前の水分摂取は欠かさないでほしい。
血圧・コレステロール・糖尿病などに難があればとくに気を付けて。自分は低血圧・低コレステロールだけどね。
あとリスク要因の睡眠時無呼吸症候群の気配があるから、検査して手を打っておけばよかった。
>原因なんだったの?
→軽食エコーという心臓の検査もしたんだけどわからなくて、水分不足だったのかな〜と言われました。
→運よく、ゴミ出しのあとに閉めていませんでした!命拾いですね
>家族歴
>金銭面の話が聞きたい。復帰前の仕事は発症後どうなったのか。障害者手帳を取ったのか、食事はどうしてるか等
→入院費用は全部で25万円くらいかな。退院後の薬・頻尿のくすりを合わせるもう少し。
仕事は、まだ大目に見てもらってる感じで、発症前と同じ仕事をしています。
タイピングやしゃべるのがへたくそにになってしまったのがストレスですね。
注意力の低下によるものか誤字脱字が多くて、ワーキングメモリの低下で、短い数字列の記憶が危うくなってしまったな。
障がい者にはあたらないらしく手帳はとろうとしてないですね。ヘルプマークはちょっと悩んでいる。
食事はあまりびびらず普通に少し塩分少なめの自炊を心がけてます(低血圧なんだけどね)
国家は若者をそこに閉じ込め、汗のひと滴まで規律に換え、忠誠と理屈を教えこむ。
その多くは途端に風に晒された絹糸のようにほどけてゆく。
はてなの人々が軽々しく「元自衛官」と呼ぶ者たちは、たいてい曹士である。
任期を終えて静かに去った「満期退職組」――彼らは敗者ではない。
「お勤めご苦労さまでした」と一礼し、
「戦が起これば、また呼んでくだされ」と笑う、その明朗さ。
――ところが、である。
この男は、幹部候補として国費を投じて育てられながら、職場という小さな戦場で立ちすくみ、やがて退却した。
国費によってこれでもかと手厚く育てられ、
いかにもまずい。これは、かなりいただけない。
彼らには、徹底的な庇護と手厚い育成が施されている。
現場の老曹らは、陰に陽に彼らの尻拭いをしながら、「まあそのうち慣れるやろ」と呟く。
それを、この男は「部下が嫌味を言ってくる」と嘆いたらしい。
――ああ、これを俗に「空気が読めぬ」と言う。
――はてなの皆さん。
この男は、諸君らが想像する「誠実で勤勉な元自衛官」ではない。
税金で温室栽培されたのち、自ら花を枯らした哀れなドロップアウトである。
それを自嘲気味に「禊ぎ」などと言っておるが、要するに甘えである。
彼は、おそらく叱られたかったのだろう。
それを禊ぎとして再出発する――そんな芝居を待っていた。
地頭がよいというのなら、せめてその才で汗を流せ。
さもなくば、君はこの国のどこにも居場所を得ぬだろう。
そして、その文明の片隅に、彼の名もまた、
地頭は悪くないらしい。
https://president.jp/articles/-/103837
日本アニメにはまず濃密な人間関係がベースとしてあり、そこにファンタジーやSFや学園モノといった趣向が被さる二重構造になってるということでいいのだろうか。
いわば等身大の人間たちがお芝居をしている感じ。だからガッツリ自己投影・感情移入しやすいと。(かつ、それが欧米では新鮮に受け取られている。日本ではむしろ食傷だが)
翻ってハリウッド作劇術によるような一枚岩のよく整理された物語においては全てのキャラクターが特定の機能を帯びており、観客は完全に蚊帳の外、スクリーンの外である(まあ本来あたりまえだが)。
藤田和日郎作品にもこの“欧米”っぽさを感じる。おとぎ話として自己完結しており、キャラクターは話を進めることにそれぞれ真っ直ぐ奉仕してるので全体にしらんがなと思ってしまう。
巨大ロボットに乗って敵と闘いつつ中学生みたいな恋愛もする、そしてその恋愛が主たる任務の遂行にも絡んでくるというとっちらかった二重構造は日本のマンガ・アニメ独自のものなのだろうか。
ハリウッドヒーローも恋愛はするが、それはわちゃわちゃ近づいたり離れたりというものではなくて「さらわれた恋人を助ける」的な大目標であったり、あくまでオフの息抜きだったりする。
ある時、父が関わったゲームが発売されたが評価は散々なものだった
弟が通っていた学校でもそのゲームの件が話題になっている「あのゲーム、めっちゃクソゲーだったな」と笑いだったらしい
弟は家で一人、ボロクソな評価を見て涙を流していた
あんたらにお願いしたいことがある
どんなゲームにも開発者がいて その人には家族がいるかもしれない
ゲームの出来なんてものは開発者ではどうにもならないこともある
父も愚痴っていたが、どう考えても仕様からクソなものを作らなければいけない事も多々ある
お願いだから、システムやシナリオの粗、多少のバグは、大目に見てほしい
最近Xを開くと、彼女の名前を目にしない日がない。彼女に関連する話題は常に投下される為、ユーザーがそれに反応する。そして鹿乃氏(や氏の擁護派)がさらに反応して…、と何かと話題が尽きない。
私はそんな鹿乃氏と限りなく同じ思考、価値観を持つ人間が身内にいたことがある。その為今回の騒動を遠くから眺めていると、昔の事を思い出すことが多くなった。気持ち的には「ここ進研ゼミでやった所だ!」に近い。
何故彼女がこんな言動を取るのか?周りの人間はどのように関わっていくのが適切なのか?そういった疑問を、私の体験談から共有していきたい。また今後彼女に関わっていきたい人は、彼女への関わり方の参考にしてもらいたい。
仮にその身内のことをXとする。以下長文になるが、暇だという人は三連休の暇つぶしに読んでくれると有り難い。
Xは昔からわがままでよく嘘をつき、承認欲求が強く見栄っ張りな人だった。ただ愛嬌はあり、同い年や年下よりの友達は少ないが、歳上の人間に好かれるような人間だった。その為「自分は他の人間より精神年齢が高い」「自分の考え方は同僚より大人びている」というのが基本のスタンスだったが、単に年が近い人間からすれば関わりにくいだけである。
鹿乃氏が全くXと同じとまでは言わないが、これに近い考え方が多少なりともあるのではないか。
〇Xは討論をよく好む人間だった
Xは自分の考えを口に出し、相手を負かすことが大好きだった。そんな彼の性分から見て、討論というものはうってつけだったのだろう。何かにつけて最近の話題について討論をしたがる人間だった。
そしてXが討論を好んだ理由は他にもある。それは討論というものを通すと誰かと合法的に関われるからである。ついでに言うと、自分の知識や考えをひけらかすには絶好の機会だからというのもある。
Xはいつも孤立していた。だからなんだかんだ同界隈・同年代の人間との交流に飢えていた。そして討論を通して他の人間と関わると、「話が合わない」「レベルが低い」と罵倒する。そして自分を正当化して他のコミュニティに移り、また同じような扱いを受ける…、その繰り返しだった。
鹿乃氏の場合、Xにとっての討論のような存在がSNSなのではないかと思う。しかもSNSは自分の意見と近い者同士で集まりやすいため、自分への批判的な意見というものは特に受け入れがたく感じてしまうだろう。そしてそんな鹿乃氏を見て面白がる層も集まりやすい。Xの好んでいた討論という場よりも質が悪いなとつくづく思う。
ここで少し話は逸れるが、会話においてXは話が通じない人間だった。
彼は何か自分の意見を言う時、あえて「AともBともとれる」ように発言する。そしてそれを聞いた人間は「それってAってことだろ」と言う。それに対して「いやAなんて一言も言ってないが?Bという可能性は考えないのか?」と答える。「じゃあBということか」と聞くと、「そう断定した事実はない」と言う。本当に話していて疲れる。
何故そんな事を言うのかというと、1つは「相手の隙をつつくため」である。とにかく相手の優位に立ちたい性分の為相手の粗を探す。相手の失言を拾うためにわざと自分の発言をぼかして言う。そして相手の粗を指摘したら自分は優位になれる(=自分は相手の隙を逃さないほどの賢い人間である)と本人は思っているが、周りから見たらそれは揚げ足取りである。
もう1つは「図星を突かれても後で逃げることができるから」である。あえてふわふわとした発言をすることで、「嘘はついていない」という事と「相手を言葉で打ち負かした」という事が両立できる。どれだけ自分にとって都合の悪い事や図星になるようなことを言われても合法的に逃げることができる為、Xはこの手法を好んで使っていた。
私の個人的な意見だが、鹿乃氏の発言にも似たような点があると感じる。本人は相手より一枚上手のつもりで話しているのだろうが、こちらからすると一人で勝手に盛り上がってるんだ、と正直思ってしまう。
〇過去の称賛を一生擦ってくる
Xは、過去に友人の落とし物を街中で探し当てたことがある。一生見つからないと思われていた落とし物を見つけてくれたのだから、その時友人はとてもXに感謝をしていた。
しかしその事をXは数年経っても、全く関係のない場面でも、事あるごとにその話を持ち出す。例の友人と言い合いになった時でも、「あの時お前の落とし物拾ってやったんだから」という枕詞をつける。非常にうざい。
つまるところXは一度受けた称賛や成功にずっと縋っている、過去に生きている人間なのである。何度でも褒めてほしいし、何度でも光を浴びたい。だから過去の自分を捨てることができずに一生繰り返す。過去の栄光の中毒である。
鹿乃氏にとってそれはコスプレだったのではないか。一度バズったコスプレの件が忘れられないから、全く関係のない所でもコスプレをする。そして周りの人間からすれば「なぜこんなところでコスプレを?」と思ってしまう。過去に称賛を受けたことを一生擦ってくるXと非常によく似ていると思った。
〇ダブルスタンダードは当たり前
Xは自分には甘く、相手には厳しい人間だった。人間だから失敗することはあるだろうに、何か相手が失敗をすると「反省しろ!猛省しろ!」と言い土下座を強要していた。
だが自分が何か失敗をすると「人間なんだから失敗するに決まってるだろ」と逃げる。そしてこの時よく主語を大きくして言うのを覚えている。
何故こんな事になったかというと、Xは「そういう天然キャラ」で子供の頃から許されていたからである。愛嬌があるけどちょっと抜けてる所があり、周りの大人は「まあでも人間だから失敗することあるよね〜」と許す。そしてその子供の頃の話を大人になってもずっと引きずっているのだ。
だから「自分は今まで許されたんだから良い」「でもお前はそうじゃないだろ」という考えになる。Xにとっては今までそれで許されてきたのかもしれないが、こちらからするとそんな事知ったこっちゃない。というかもういい大人が何を言っているんだ。それが許されるはせめて10代後半までだろう。としかならない。
これも上記で述べた「Xは過去に生きている人間」という事と似ている気がする。精神がずっと子供なのを本人は若々しいと誤認し、身体と扱われ方だけが大人になってしまったのだ。本人はそれに耐え切れず、不当な扱いだと思い発狂してしまう。
恐らく鹿乃氏も同じような状況なのではないか。20代前半までは何かやらかしたとしても周りの人間も大目に見てくれるし、大事にしたりはしない。しかしそれに味を占めてダブスタを繰り返しても、いつかはそれが通用しなくなる。まさに今がそのいつかなのではないか。
〇チャンスをよく逃す
こんなXでも、助けてあげようと手を差し伸べてくれる仏のような存在がいた。Xの言動で何か問題が起きた時でも「次こうならないようにすれば大丈夫だから」「お前の言い方キツイ所は少しずつ治していこうな」等、声をかけてくれる。心の底から尊敬してしまう。
しかしXは「お前は何様だ」「それで事態は良くなるのか」と返してしまう人間だった。自身の置かれている状況が本当に理解できていない。プライドが邪魔をして「弱い自分を助けてくれる人間」を拒絶してしまう。ここで相手の意見を汲むとその「弱い自分」を認めることになってしまうからだ。
例えるなら眼の前に蜘蛛の糸が垂れてきたとしても、「どうしてもっと早く垂らしてくれなかったんだ」「本当にこの糸は信用できるのか」と言うようなものだ。そして糸が切れたらその糸を垂らした人間に対しての文句を、一生地獄で言うタイプだ。救いようがない。
〇Xの結末
そんなXはどうなったかと言うと、ある時ストーカー紛いの事件を起こして警察のお世話になった。お得意の知識のひけらかしで「警察は民事不介入だから〜」と言い訳をしても、警察には通用しなかった。なんとも滑稽である。
今現在はXは誰にも相手にされず文字通り1人で生きている。そしてその状況に対して、身内であるにも関わらず私は本当に関心がない。Xが何処かで生きている、という事実だけでお腹いっぱいの為、それ以上の情報はいらない。薄情だと思うかもしれないが許してほしい。
恐らく鹿乃氏はXより若い。まだ間に合うからXのようにならないでほしい。今はSNSで良くも悪くも相手をしてくれる人間がいるから実感が沸かないかもしれないが、本当に辛いのはこの騒動が収まってからではないか。誰も相手にしてくれず、話題にもされず、アンタッチャブルなものとして扱われる。現在のXはまさにこのような扱いであり、本当に惨めな存在である。
必要以上に関わる必要はない。何を言ってもXの心には響かなかった。それと同じく今の鹿乃氏に通じる言葉はないだろう。今は特に触れない方が良い。
そして然るべき時がいつか絶対に来る。Xはその然るべき時が警察の介入だった。世の中には有難いことに、Xのような人間を対処してくれるプロがいる。そういう人間に任せるべきだ。そうしないと周りの人間が先に倒れてしまう。どうしても関わりたいのなら、自分が倒れる覚悟で関わるのが良いと私は考える。
まだ他に語りたい事はあるが、私は今の鹿乃氏を見ているとXを見ているようでなんとも言えない気持ちになる。コスプレがどうとか、今はその段階を超えている。私は鹿乃氏と関係がないし、こんな事を書いた所でお節介と思うかもしれない。だが実際彼女のような言動を繰り返し社会から拒絶された人間を私は知っている。Xのようになってほしくない。ただそれだけでこの文を書いた。
今日子供がステージに上がってしまうハプニングがあって公演時間などに影響が出たらしい
ミッキーのマジカルミュージックワールド初回公演ミッキーたちが歌を作るところで黒いスクリーン降りてきている途中で子供がステージに走って駆け上り乱入🥲🥲🥲ステージの機材などの動きはとまり、一時シス調。。。 昨日のバケパのBB最前でやられてたらと思うとゾッとする🥲
マジミュで検索すればわかるけどこの件で界隈の反応が完全に終わってる
あんまりこういうこと言っちゃダメかもだけど、年齢制限もっと上げた方がいいと思うんだよね……ショーの途中で大きな音、暗転になってずっと泣いてる子もいるからさ……。
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親は何やってるの?子供だけで来てるわけじゃないのに。ニコニコ見てたんだとしたら最悪😣
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頼むからシアター系は未就学児入場禁止にしてくれ ってこういうの見る度に思ってしまう💭乱入までいかなくてもギャーギャー泣いてるのに外に連れ出さない親とかいるし
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マジミュ初回のゲスト乱入の件、詳細書いて下さってる方のポスト。 小さい子が駆け上がっていったらしい。シス調が必要になり各回の時間もずれることに。自分の回に合わせてスケジュール組んでる人沢山いるし、そもそもこの公演を楽しみにしてた人もいるのに… 影響受けた方々が本当にかわいそう…
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最悪すぎ…馬鹿が子供なんて育てるから、その子供も分別のつかないクソガキになるんだよ。 無理すぎる。しかも初回公演。馬鹿はガキ連れて出歩くなよ。
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親も子供も最悪ですね…読んで想像したらめちゃ嫌な親と子供🥴 みんなに迷惑かけたのだからその日は退園してほしいレベルだわ…別の場所でも迷惑かけそ🤐 親何やってるの???
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被害にあったゲスト集団で訴えたらなんとかならないのかこういうの…
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怪我人いなかったのが不幸中の幸い… そんで親は??事故起きてからじゃ遅いんよ自分の子供くらいちゃんと見てて欲しい
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こんなん自分の時にやられたら発狂する🥲課金してたらなおさら。 親何してんの?バカなの?ちゃんと子供見てろだし、おとなしく座ってみれない子にはショー見せるべきではないと思う。迷惑。
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親は何してたん? この日のために!って長いこと仕事頑張ったりやりくりしたりした人も居るだろうし、こういうの本当に迷惑だからクソガキのクソ親はちゃんとリード(子供用の)でも付けといて。
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いやもう内容関係無くシアターに小学生以下入れないでって本気で思ってしまう… ちびっ子にも楽しんで欲しいけど、最近じっと座って鑑賞出来る子が少な過ぎるし、親も普段どう育ててるのって話😔
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親が無理すぎる‼️クラブもキャラ降りありになってからこういうのめちゃくちゃ増えたけど、ほんっとにキャストが言ってること何一つ守れない子連れ多すぎる‼️背もたれに座らせる、立ったまま、キャラ降りてくると分かって端席でも無いのに詰める、通路飛び出ても放置‼️
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本当に3歳以下の子供連れは見れないようにしてほしい。途中で泣き出したり、歌い出したり、迷惑。
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これだから子供にはリード付けないといけないんだよ🤬🤬🤬🤬リードさえあればグッと引っ張って止められるでしょ??自分の子供信用しすぎ!!!!!!!!
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明らかに親が悪いからもう罰金取ってもいいレベルで迷惑というか…その場にいたゲストほんと可哀想。 もしかしたらこれを見るために来た人とか課金した人とかその場にいたゲストこれから良い事起こりますように🍀
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子ども乱入は当たり前にやばいけど親も追いかけてステージ乱入してるの最悪すぎて二度とパークに来ないでほしい
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あのバレバレメッシュスクリーンそこそこの速度で降りてくるよね。 そこで乱入した子供害悪すぎるな。
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これ万が一、大道具や回転舞台、緞帳に当たったりしたら、しばらく対策できるまでマジミュ休演・場合によっては今後内容変更まであり得た事例。子供の自由主義を履き違える親増えたなと感じる。
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親の監督不行届なのほんまに酷いな。大勢の人に迷惑かけることわかってないんだろうな……。自分の子どもに責任持てないならリードつけるなりしてくれ、まじ迷惑。
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以上はほんの一部でと〜〜〜にかくその子と親に罰を与えろ、許すな、普段からガキはうるさくて邪魔、地獄、排除しろというおぞましい罵詈雑言がずらずら並んでる
でも、ディズニーランドだよ?
ウォルト・ディズニーが思い描いた子供と家族みんなで楽しめる夢のテーマパークだよ???
そこで子供が何かしたとして大人は大目に見るつもりで行くべきじゃないの?
パーク側だってトラブル対応で苦労こそすれこの親子に悪感情なんてないはず(パークの理念が生きてるなら)
なのにDオタは自分たちこそ主役で周りは迷惑をかけてくる障害とでも思ってるようでほんと唖然としてしまった
撮り鉄集団が通行人のせいで思い通りの写真が撮れなかった!!とキレて罵声を浴びせてるやつ
完っっっ全にあれと同じ光景じゃん…
ネタバレ有り
海外でも高評価、Webアニメ「タコピーの原罪」を見たマンガ家が戦慄……この作品は大人の“純粋な心“を測るバロメーターか?
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2508/24/news019.html
あーなんて残念なんだこの人
・社会問題を取り扱っているわけではない、それにしては弱い
・鬱展開の作品としても弱い
・この作品を通して、大人の醜さ、DV、いじめ問題について語る気になれなかった
・これは衝撃度で言ったら大したこと無く、受けているのは皆が若いからだろう
で止まっている。
まあ全然見えてないなとは思うんだけど、似たような感想を持ってる人は大勢居そうでもあるから強くは言えない。
タコピーの原罪は確かに露悪的で、子どもの自殺や犬が死んだりなど、衝撃的な内容があったから最初にバズったって経緯はある
しかし、『その程度』ではわざわざ18禁にしてアニメ化しないし、ここまで評価が高くならない
世の中そんなに甘くない
つまりこの人が読めてないだけなんだけど、それを自覚してないのが残念だ
(まさか海外の点数をつけてる人が全員若者だとでも思ってるのか?)
まあ、実際監督も「最初はこれはアニメ化出来ない」と思っていたが、よくよく読んでみて「これはアニメ化されるべきだ」となったらしいし
プロから見てもそのくらい難しい作品で、ともすれば「衝撃的なシーンばっか書いたバズ狙いの作品」に見えるんだよね
そこは勿体ないようにも思える
ただ周回するとわかるけど、この作品ってテーマそこじゃないんだよね
まず舞台装置の話をするなら「ハッピー星人の存在」に気づいて欲しい
そんなご都合主義な存在を出すんだから、この作品の本質は「ハッピー星人としてこの状況をハッピーにしてみろ」という問いに近い
作品を読む時は、「最終的にどうしたいのか」を考えると分かりやすい
タコピーの原罪は「しずかちゃんをハッピーにしたい」であり、これは途中で「しずかちゃんとまりなちゃんをハッピーにしたい」に変わる
そのためのハッピー星人という究極的にご都合主義な存在だったんだ、これを人間にするとちょっとブレてくる
作品っていうのは「目標を追いかけようとするけど上手くいかない」のが基本で
タコピーの原罪も「ハッピーにしようと色々やるけど全然うまくいかない」描写がされていて
2話では「人殺しで目標が達成してしまう(けど明らかにこれでは解決しない)」という展開が差し込まれる
3話〜6話では「本当にしずかちゃんをハッピーにするべきなの?」という疑念を抱かせる
非常にきれいに作られている
ここで気をつけたいのは、これをもってして「大人の醜さ」「DV」「いじめ問題」を語るのはちょっとおかしくなるということ
それは鬼滅の刃で「鬼が悪いよ、なぜなら〜」と言うようなもんだし、コナンで「この殺人犯が悪い、なぜなら〜」というようなもんで、そりゃ語る流れにはならない
じゃあ語るべき、注目すべき、作者がテーマにしたいところは「この状況でしずかちゃん(まりなちゃん)をハッピーにするには?」なんだよね
タコピーが至った一つの答えが「お話がハッピーを生む」だったわけだ
まずそこまで読解できないと、そもそもスタートラインにも立てない
だからこそ、最終的に大人など外部環境は解決していないんだよね、これが作品がテーマに真っ直ぐであって良いと思うんだけど
あと最終的にハッピー星人がいないファンタジーがない世界になってるのもよくできていて、それだけにリアルなんだよね、変な道具を一切使っていないから、これだけファンタジーやってるのに地に足がつきまくっている
ちなみに、サブテーマ的に語れる部分は非常にたくさんあって
・立場が似ている友人が一人居るだけでぜんぜん違う
・善悪あわせもった子でもハッピー星人でいられるか、タコピーのようにハッピー握手できるか
とか、色々ある
(この作者まだ20代らしいけど、これどう作ったんだろうね??相当本読んだのかな)
この記事の人は「擦れた40代にはこんな刺激じゃ足りない」的なこと言ってるけど
子どもの幸せのために一回本気で何かしようとしたことある人には死ぬほど刺さるんだよなあ
(俺も40代だしオタク歴30年だが、何度も泣いたよ、アニメ史上一番泣いたかも、ただの老化かも)
あとこの作品は確かにちょっと難しくて、俺もかなり国内外の感想を見たが初見でズバリ作品の構造に気づいてる人は少数だったんだけど
評価が高いってことは何回か見たんじゃない?じゃなきゃ露悪的なだけで高評価にはならなんよ
一応、作中では一部説明的に誘導してるセリフがあるし、しずかちゃんとまりなちゃんの対比をめちゃくちゃ入れてるから、3回くらい見れば分かるようになってるんだよね
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感情移入で言うなら、作者の糸としては多分こんな感じじゃないかな
2話 何とかしようとして全然上手くいかないタコピーに少し同情する
3話 なんとかする東くんに感情移入する、しずかちゃんが怖くなってくる
4話 同じ
5話 わけがわからなくなるが、ラストでタコピーがどういう視点で考えるべきか整理する
上手い作品って、今誰の視点で見れば良いのかのコントロールが上手いと思うんだけど
そして裏切ってくるよね、被害者=悪くないの理論でしずかちゃんが良性に見えるけど実はそうじゃないみたいな
でもあれ本当に実際に子供に相対すると、「こいつ見捨てようかな」って時が来るんだよね、そういうの経験するタコピーに余計に感情移入する
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個人で読解力がすごかったのは心理療法士の人、1話見るのに1時間以上かけてるけど
を考えればわかる。
それに対してのペナルティを課す。
このような仕組みを作ることではじめて
人は犯罪を犯すことを控え始める。
何十年にもわたって家族が言うことを聞かなくて困っていた。
具体的には、非常識なほどの音量でテレビを見ることをやめさせることが出来なかった。
イヤフォンの使用や、音を大きくあげなくてもよく聞こえるスピーカーなどの使用を求めてきた。
そのような機器も、その家族の求めに応じて高額な機器を買い与えてきた。
しかし、結局は使わなくなる。
耳が痛い、
音に迫力がない、
などと理由をつけては
家はそれほど大きくないし、
テレビの音が大きすぎるがゆえに、
それをなお耐えてきた。
音がだけが聞こえてくる。
気が狂いそうになる。
天気予報が流れてくる。
くだらない芸能ニュースで止まる。
今日は雨降るのかなあ?
無視していると、
しつこく聞いてくる。
雨降るのかなあ?どっちだ?
無視する。
大事なお客さんが来ることになっていた。
と懇願した。
が、我慢できなかったみたいだ。
隣室から突然爆音が炸裂して、私は頭を抱え、大事な客は心臓が止まりそうになっていた。
そしてその大事な要件は、それが原因かどうかはわからないが破談した。
あるルールを決めた。
まずは私の中で。
ブレーカーを落として
その家族は非常に馬鹿なので自分でブレーカーを復旧することが出来ない。
なんだかんだ抗議をしてきたが
「◯すぞ、ジジイ」
と凄くむと、部屋に引っ込んでいった。
そのあと、もう一度出てきて、イヤフォンを使うので(ブレーカー)をなおしてください。
と言ってきた。
ああ、これだ。
とやっと理解できた。
その後、何度か同じようなことを繰り返した。
しばらくの間はイヤフォンを使うが、3日もすればスピーカーから爆音が流れる。
仕方がないのでブレーカーを落とす。
しばらくは音が聞こえなくなるが1週間後には爆音。
ブレーカーを落とす。
冬の極寒期だったが家中のブレーカーを落として、半日ほど家を開けた。
それからは長持ちした。
たぶん3ヶ月ほどは爆音がしなくなった。
とまあ、こんなことの繰り返しだ。
それを根気よく繰り返した。
そうするうちにようやく、我が家ではテレビはイヤフォンをつけてみるものというルールが確立された。
それでも、いまだに極稀にテレビをの音が聞こえてくるが、まあ多少は大目に見ている。
何事も過ぎたるは及ばざるが如しだからな。