
はてなキーワード:大惨事とは
で、注文するときになったら
同僚1「〇〇丼」
同僚2「俺、〇〇丼」
なんていう流れになった。ん?と気付く俺。
もちろん俺もどんぶりを注文。店員さんが注文を確認するために復唱する。
ここだ…!と俺。 復唱が終わった瞬間、渾身の「どんだけ~~!!」
……うん、結果を先に話すと大惨事になった。
近くに座ってたおっさんが「ごはぁ」ってご飯を吹き出し、それに驚いた同僚が身体を翻したことでコップが転倒。
上司のズボンが水浸しとなって、俺は昼飯より先に大説教を喰らう羽目に。
さっき同僚2が「正直笑った」と言ってくれのが唯一の救いかもしれない。
CASE泥棒とか誘拐とかの冤罪は気にしないのに痴漢の冤罪は気にする人って何なんだろうなと思う。態度が一貫していないよね。自分が助けられなかった側に回って初めて理解するんだろうな。
痴漢の冤罪は日常空間で誰にでも降りかかり得るし実際それでえらい目にあった人の話も聞くし…ってだけの話だろうにバカじゃないのか。
事実として痴漢冤罪は証言だけでも勾留されるし、そうなったら社会的に無傷ではいられないので「逃げるのが正解」という対処法が流布されたことがある。それはしかし悪手だろうし自分がこういう現場に居合わせたら逃げるのではなく申し開きせよというスタンスでやむをえず制止に協力するだろうが。
まごつく気持ちは分かる。
この手の外形的共通点を言い立てるクソバカ論法って何なのかな?
「香港の民主化デモを称揚するくせに国内のSEALDsとかのデモには冷笑するのは矛盾だ!」ってマジで言う奴、はてな界隈には大勢いたよな。
最近だとtogetterで、なんか電車内で変なヤカラに絡まれた身障者がテンパって催涙スプレー撒いたみたいな事案で
「撒いたのが催涙スプレーだからまだ大事に至らなかったが、ガソリンだったら大惨事だった!新宿西口バス放火と同じ重罪だ!」とかマジで言ってるやつがいた。うん、撒いたのがガソリンじゃなかったから大惨事じゃなかったけど、撒いたのがガソリンだったら大惨事だったね。
あー、うん。
でも、AI使ってまとめないとわからんってくらいでかい規模、忘れ去られた内容、増改築が重ねられたスパゲッティな構造の場合、「理解したつもりになる」ってのが一番怖いんだよ。
でも、わざわざ設定されていると言うことは、「何か意味があった」わけだよ。
AIはよくわからんあやふやなのも、「自信を持って言い切ってしまう」。
絵とか、議事録なら、モブの一人の指が6本になってようが、うっすい内容の会議要旨の取りこぼしがあろうが、大勢に差は生じない。
けど、プログラムなんて、なんてことない1行、1文字、1ビットが生死を分けることも稀ではない。
他のプログラムであまり見たことがない、ってだけで、オミットされるだろうと余裕で想像できる。
無条件でAIを礼賛し、否定派を鼻で笑う「イケてる最先端のエンジニア」が多いけど、ちゃんと検証できてるか?
自分が理解できないことをやれてるから素晴らしい、って目隠し手放しで車運転しているようなものだって理解できてるか?
今までの炎上現場の状況からすると、こういう輩は一番最初に逃げ出してるからな。
経営者も、こういうなんか良さげな物言いする奴は、真っ先に疑った方がいいぞ。
AIを使うなら、その構造を理解して、その外側から検証できるだけの十分な技術力を持った上で判断しろよ?
まぁ、それができるなら、「AIマンセー!」とか言えないだろうから、不可能だろうけど w
数年後、「AI使って大量生産されたうんコードをなんとかしてくれーっ!!」って企業が大量に出現するだろう。
んでもって、その事態を収集できるだけの技術力を持つエンジニアは、ほとんどいないだろうし、彼の手足として動けるエンジニアすら数えるほどしかいない、育っていない、って状態になるだろう。
どの「AI活用Webサービス企業」も、低給料で雇った「運用エンジニア」を大量動員して、連日連夜の手動操作で誤魔化し続けるしかない、って消耗戦、デスマーチを、倒れるまで続けるしかなくなるだろう。
この世の、少なくとも疑いようのない真実の一つに、7つの習慣で言うところの「第7の習慣『刃を研ぐ』」ってのがある。
AIは、自動ナマクラ鋸を増やしているだけだと理解すべきだし、そこだけ量が増えても、その後の搬出処理がついていけなければ意味がないと言うことも理解すべきだ。
そもそも、木を切り出すと言う時に、ノコギリだけに注目するのがどれほど馬鹿かを理解すべきだ。
一連の流れを考えれば、ノコ引きの技術より、どう搬出するかの経路、切り出すに従って移動する集積地の移動戦略、さらにはそもそも優れた木材にするために何年も前から間引き、枝打ち、その前に日当たりなどを考えた植林計画をしておくという「事前準備」。こちらの方が、目立たないけど大事だって理解しとけ。
限界ネトウヨ少女の爆笑冒険記あるところに、15歳の少女・あかりちゃんがいました。あかりちゃんは普通の女子高生で、趣味はアニメとSNS。でも、ある日、歴史の授業で日本史を習ったのがきっかけで、ネットの深淵に落ちちゃったんです。きっかけは、友達に「日本ってすごい国だよね!」って言っただけなのに、友達が「それネトウヨっぽいよ」って笑われて悔しくなっちゃった。それからあかりちゃんは、夜な夜なネットで「ネトウヨ入門」を検索。最初は軽い気持ちで「日本は世界一!」みたいなコメントをポストするだけだったけど、どんどんエスカレート。ついに「限界ネトウヨ」モードに突入!彼女の日常がこう変わっちゃったんです。朝のルーチン:限界目覚め朝起きたらまず、スマホでニュースチェック。「今日の朝日新聞、反日記事書いてる! これだからマスゴミは!」って独り言。でも実際は、記事の内容なんて読んでなくて、タイトルだけ見て激怒。家族に「おはよう」って言う代わりに、「おはよう日本!愛国心を忘れるな!」って叫んで、母親に「また変なYouTube見てるの?」って怒られる。笑えることに、あかりちゃんの部屋には日の丸のポスターが貼ってあるんだけど、実はAmazonで買った中国製の安物。気づいてないけどね!学校での大惨事:限界授業介入学校の社会の授業で、先生が「日中友好の歴史」について話してたら、あかりちゃんが突然立ち上がる。「先生! それは中国のプロパガンダですよ!日本は被害者なんです!証拠はネットにあります!」って熱弁。クラス中がポカン。でもあかりちゃん、証拠としてスマホ出して見せようとしたら、Wi-Fi切れてて「データ制限中です」ってエラー。みんな爆笑!先生に「座りなさい。あとでカウンセリングね」って言われて、赤面しながら座るんだけど、心の中で「これも反日勢力の陰謀だ…」って思ってる。超ウケる!放課後のクライマックス:限界デート失敗あかりちゃん、実はクラスメートの男子・たかし君に片思い。勇気を出して「一緒に帰ろうよ」って誘ったら、OKもらっちゃった! でも道中、たかし君が「K-Popの新曲いいよね」って言った瞬間、限界スイッチオン。「K-Pop? あれは韓国の文化侵略だよ!日本人は演歌を聞け!演歌最高!」って力説。たかし君、びっくりして「え、演歌? おばあちゃんの趣味じゃん」ってツッコむ。あかりちゃん、慌てて「演歌は日本の魂だ! 君もネトウヨになろうよ!」って勧誘モードに。でもたかし君が「俺、韓国料理好きだけど?」って言ったら、あかりちゃんの頭の中で警報鳴りまくり。「これは試練だ…」って独り言ブツブツ。クライマックスは公園で。ベンチに座って話してたら、近くで外国人観光客が日本語で「日本大好き!」って言ってるのを聞いて、あかりちゃん大興奮。「ほら見て!外国人も日本を認めてる! これが真実だよ!」ってたかし君に言うんだけど、よく見たらその観光客、中国人グループで「日本食おいしいね」って話してただけ。あかりちゃん、勘違いに気づいて「え、待って、中国人? でも…日本食は日本の誇りだからOK!」って無理やりフォロー。でもたかし君が「君、面白いね。ネトウヨのコスプレ?」って笑ったら、あかりちゃんの限界メーターMAX! 「コスプレじゃない! 本気だよ!」って叫んで、逃げ帰っちゃった。家に着いて鏡見て「私、何やってんだろ…」って反省。でも翌日またネットで「限界ネトウヨ日記」更新しちゃう。エンディング:限界からの脱出?結局、あかりちゃんの「限界ネトウヨ」生活は1週間で終了。理由は、SNSで本物のネトウヨおじさんに絡まれて「君みたいな若造がネトウヨ語るな!」って怒られて怖くなったから。以来、あかりちゃんは普通のアニメオタクに戻り、友達にこの話をしたら大ウケ。「あかりの限界ネトウヨ伝説」としてクラスで語り継がれることに。たかし君とはその後、K-Popの話で仲良くなって、デート成功!めでたしめでたし?この話、少女の無邪気さとネットの極端さがミックスされて、すっごい笑えるでしょ? もしもっと続きが欲しいとか、変えたい部分あったら言ってね!
去年の準決勝の2本(ミュージシャンとタイマン)の方が好きだった。
去年『ミュージシャン』を見た時は歴史に残るレベルの強ネタだと思ったが、ネタを叩きすぎて独特の緊迫感が無くなってる気がした。なんとか決勝でハマってほしい。
『プロポーズ』は鉄板ネタ。ミュージシャンがハマれば手堅く優勝狙える。
出順が悪くない限りまず3組には残ると思う。
『餃子』は馬鹿馬鹿しいけど展開も派手でテレビ映えしそうな良いネタ。展開が強引と言う人もいるけどドタバタが苦手な人がそう言ってるだけだと思う。
『小料理屋』は今年の準決勝の中で1番好きなネタ。ただ後半の展開があまりに安易過ぎる。や団の決勝前の調整力は有名なのでそれ次第。
下馬評は高い。
『面接』は何年も磨いてきた鉄板ネタ。1本目で噂話がハマれば優勝あるかも。
変なネタ2本。
しずるも去年の準決(館内放送と殺人事件)の方がバランス良かった気がする。オリジナリティもあって展開も良い館内放送より、通好みな『殺人事件』を残したのが意外。
『麻雀』はクセスゴでバズったネタの強化版。個人的には有名なアリネタを1本目にされると萎えるが、殺人事件を残したので麻雀が1本目になると思う。
自分はややウケくらいの予想だが、ハネる可能性も十分あるので優勝候補。
『コンパ』は流れが良ければハネるかも。荒削りな組が多い中、きれいなコントで「良いもの見た感」を出せるかが肝。
『社長』は好きだけどボケ質が安定せず笑いが散発的になる。2本目なら流れで許されるかも。
決勝レベルのネタは『試飲』だけだと思う。ややウケだったとしても良いネタを作る人達という印象は残せる(2020年の錦鯉みたいに)。
『空港』は展開弱いし1本目これで滑ったら大惨事かも。これも2本目なら流れでなんとかなる。
『野菜コンテスト』は野菜-1グランプリとかいう謎のイベントで優勝したネタ。流れが良ければハネるかも、くらい。
『写真撮影』はつまらないとは言わないが変なネタ過ぎるし展開も雑。
この2本で優勝は考えにくい。『新幹線』はきれいなネタではあるけど、去年・一昨年の1本目に比べたら全然ダメ。
『復帰』はブラックな笑いで好きな人は好きな感じ(自分は大好き)。こちらを1本目にして幅を見せるのが良いと思う。
今年は落ちると思ってた。特に『警察』はどんな流れであれハネない。
『モグドン』も大して良くはない。あまりにも大会が冷え切ってしまった場合にベテラン感で評価されるとか、そういう事はあるかも。
配信で見てて「これ生で見たら面白いんだろうけど…」となった。虹の黄昏みたいと言ってる人がいたけどそんな感じ。ウケるのかは分からないが自分は懐疑的。
楽しい仮定ですね。結論だけ先に言うと、「胃の中だけが宇宙」なら“秒”ではなく、普通に生き残ります。何が「宇宙」なのかで話が変わるので、代表ケースでざっくり目安を書きます。
ケース別ざっくり結論
→ その場で致死にはなりません。胃は外から1気圧で押し潰される形になり、内容物は凍り・気化。強い吸引で嚥下路が引かれて激痛・嘔吐・粘膜損傷・出血リスクはありますが、「数秒で死亡」は起きません。医療的には緊急事態ですが、生存可能。
• 胃の内部=外宇宙の放射線環境(真空+宇宙線が胃粘膜に直撃)
→ これでも秒では死にません。被ばくは局所(胃壁)に集中し、急性致死線量に一瞬で達するほどではないので、生存は日〜年オーダー(がんリスクは上がる)。
• 体全体が宇宙空間に露出(参考の“よくある勘違い”ケース)
→意識消失:10〜15秒、迅速な再加圧がなければ数分で致命的。※ただしこれは「胃の中だけ宇宙」ではない。
• 胃の中にブラックホールがある
→マイクロ黒穴(極小)ならホーキング蒸発で瞬間的に莫大なエネルギー放出→即死級(≪1秒)。
天体規模の黒穴とつながるなら、潮汐力や吸い込みでほぼ即死(≪1秒)。このパターンだけは“秒どころか瞬時”。
• 胃の中に“本物の星(太陽級の発光体)”がある
→ 放射・熱流束が桁違いなので、やはり即蒸発・即死(≪1秒)。
「俺の胃袋は宇宙だ」を“胃の中が真空になってるだけ”と解釈するなら、私たちは秒では死にません。激痛・嘔吐・出血・穿孔の危険は高いものの、適切な処置があれば生存可能。
“秒で終わる”のは、ブラックホールや恒星が入っているなど、物理的に桁外れのケースだけです。
「その台詞を使っていた人は『自分が食べられる量はとても多い』という事を伝えるためにその表現を使っていました。
つまり、口から喉を経由して胃袋に入ってもいくらでも物体を吸入することができる、という意味合いで“宇宙”という単語を使われていたようです。
もし本当に宇宙空間が胃袋の中にあるとして、宇宙を内包している胃袋や胃袋の周囲の内臓、肉体などはその質量差で宇宙の方に引っ張られたりはしないのでしょうか。」
なるほど、つまり「胃袋の中に“広大な宇宙空間そのもの”が存在している」と物理的に考えた場合ですね。
この場合、鍵になるのは「宇宙の質量と重力をどう扱うか」です。
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もし胃袋の内部が「外宇宙とつながった真空空間」だとすれば、重力的な質量はありません。
ただし、口を開けると空気や食物が無限に吸い込まれていく(地球大気は胃袋空間に流れ込み続ける)ため、実際には本人も周囲も吸い込まれて大変なことになります。
いわば「ブラックホール」ではなく「大気に開いた穴」に近いイメージです。
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もし胃袋の中に「銀河や恒星を含む“宇宙全体”」が存在するとすれば、その質量はとてつもない。
たとえば観測可能な宇宙の質量はおおよそ10^{53}kg と言われています。
そんなものを人間サイズの胃袋に閉じ込めれば、その時点で外側の肉体ごとブラックホール化して瞬時に潰れるでしょう。
質量差どころではなく、全身が重力に押し潰され、数秒どころか瞬間的に存在を維持できなくなるはずです。
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SF作品やファンタジーでよくある「内部は無限に広がるが、外部には重力影響が出ない」ケース。
これは「四次元ポケット」「ワームホール的な収納空間」の扱いです。
この場合、胃袋の外側に重力的な影響は及ばないので、本人は普通に生きられます。
食べ物や物体を胃に入れると、その“別次元の宇宙”に移動するだけ。
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まとめ
•真空だけ →質量なし、引っ張られない。ただし周囲の空気が吸い込まれる。
•宇宙ごと内包 →質量桁外れ、本人ごとブラックホール化して瞬時に消滅。
• 別次元のポケット宇宙 →重力の影響ゼロ、普通に「無限に食べられる」演出が可能。
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本物の宇宙を抱え込むなら即崩壊、ファンタジー的な“重力を遮断した別次元宇宙”なら安全というのが答えです。
――もし現実的に“胃袋ポケット宇宙”があったら、ユーザーさんはどのタイプをイメージしますか?
「その台詞を使っていたキャラクターも最終話になるにつれて身体にガタが来ていたので、内部崩壊は起こしかけていたのだと思います。
もし、そのキャラクターが本当に宇宙を内包していた場合、その肉体の強度はどれほどの数値になるかと思いますか?
年齢としては成人してから何度も大量食いをして逸話が語られるレベルになっている程なので30歳までの成人男性だとは推定します。」
おもしろい前提!「胃の中が“宇宙”」でもどういう宇宙かで必要な“肉体スペック”が変わります。数値の目安を置いて、現実の生体強度と突き合わせます。
•重力・質量は外界に見えない。外側の体は通常の力学だけ受ける。
• それでも“吸い込み(負圧)”は起こる。口~咽頭~食道にかかる圧差ΔPが最大で**1気圧(≈0.1MPa)**クラスだとしても、
• 口の開口部A≈2×10⁻³ m²(親指2本分くらい)なら吸引力F≈ΔP·A≈200 N(≒20kgf)。
•10倍の強い吸い込み(1MPa ≈10気圧)が瞬間的にかかると**2000 N(≒200kgf)**級で咽頭・食道を傷めがち。
• 生体材の引張強度(オーダー):胃壁・消化管は~0.5–2MPa、皮膚~2–30MPa、腱~50–150MPa。
• よって~1MPa級の持続的な負圧イベントが日常化すると、粘膜裂傷・出血・微小穿孔→瘢痕化などの“ガタ”は十分あり得ます。
•結論:超人ではなくても成立。ただし“たくさん食うほど負圧イベントが多発→慢性損傷”で、最終話のガタと整合。
B. 胃の中に“実在の質量が近傍にある宇宙”(重力が外に伝わる)
• 体が受けるのは潮汐力(重力の勾配)。体長L≈1 mの端と端の加速度差
Δa ≈{2GM}{r^3} L
を**10 g(≈98 m/s²)未満に抑えたいとする。胃の“喉”から宇宙側の最近接距離r≈1 mと置くと
M < {Δa r^3}{2G} ≈{98 ・ 1}{2 ・ 6.67×10^{-11}} ≈{7×10^11kg}
つまり~10¹²kg(大きめの小惑星)**を超える有効質量が“近くに見える”と、10 g超のスパゲッティ化が始まる。
• これを耐えるには骨格や結合組織が**>100MPa級**の材料相当で、さらに循環・神経が10 g環境に耐える必要があり、人間には非現実的。
•結論:もし重力が外に漏れるタイプなら、“近距離に感じる有効質量は10¹²kg未満”が生存限界の目安。銀河級の質量を抱えたら即アウト。
C. 胃の中が“真空だけにつながっている穴”(質量なし・放射は来る)
•力学はAに近い(引張は負圧起因)。
• ただし宇宙線・紫外~X線が胃粘膜を直撃 →放射線性胃炎・潰瘍・発がんリスク↑。
• 最低条件(A/C型)
• 粘膜・筋層が~1MPa級の負圧ストレスに反復耐性(治癒再生が速いことも含む)。
•咽頭・食道・胃噴門の弁機能が高出力で、誤嚥や逆流を最小化。
•放射線が漏れる設定ならDNA修復能↑や粘膜更新の超高速化が欲しい。
→人間ベースでも“若干タフ寄り+治癒力ブースト”で成立、でも長年の酷使でガタは妥当。
• “見かけの近傍”にある有効質量が~10¹²kgを超えない配置(ポータルの幾何で遠ざける等)が必須。
• そうでなければ**>100MPa級の組織強度や10 g環境での循環維持など、人間離れの改造が必要。
→現実の人間生体では不可**。最終話の崩壊どころか早期に破綻。
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•台詞の“宇宙”を**「重力が外に漏れないポケット宇宙」**と解釈すれば、
•必要強度は**人間範囲の上限~ちょい超え(~1MPa級の反復耐性)**で説明可。
• 長年の“大量食い”で粘膜損耗→瘢痕化→機能低下=最終話のガタはリアル寄り。
• “本当に重力まで持つ宇宙”なら、10¹²kg級の有効質量が近づいた時点でアウト。物語的にはそこを巧みに“遠ざける”設定(ワームホール幾何)でしか成立しません。
「胃袋はポケット宇宙の“喉”で、重力は外に漏れないが、吸い込み時に最大1MPa級の負圧パルスが咽頭~胃壁に走る。その反復で粘膜がボロボロに…」
――こんなメカニズムだと、台詞も最終話の崩れ方も綺麗に繋がります。
「もしその人物が倒れて身体が崩壊するようなことが起きた場合、周辺にどのような影響が出るでしょうか」
いい想定ですね。「胃の中に宇宙を抱えた人物が崩壊した場合」を考えると、ポイントは
1. 胃の中の“宇宙”はどう存在していたのか(ポケット型か、実質的な質量を持つか)
2. その“閉じ込め”を維持していた肉体が壊れた時に、内と外がどう接続するか
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ケース別シナリオ
• 胃袋は単なる「ゲート」。肉体が崩壊した時点でゲートが閉じる。
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• 周囲は**強烈な突風(内側への吸引)**に巻き込まれる。
• 屋内なら建物を壊すレベル、屋外なら局地的な竜巻・爆風のような現象。
• その後は「真空穴が閉じるかどうか」次第。閉じなければ周囲は窒息圏。
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• 胃の宇宙の質量が“外界に直結”した瞬間、周辺の空間ごと重力崩壊。
• 例:10¹²kg(小惑星質量)規模でも、半径数 m の範囲は数秒で地盤沈下・吸い込み。
• 実際に「銀河規模」を抱えていたなら、惑星ごと飲み込まれて即終わり。
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•宇宙の「真空放射」「恒星の光」「宇宙線」が制御なしに溢れる。
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まとめ
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つまり「最終話で身体が崩壊」という演出が周囲に“どのくらいの悲劇”を残すかは、
――質問ですが、ユーザーさんが想像しているその人物の“最期”は、
それとも、静かに個人が崩れるだけのポケット型(①)に近いイメージでしょうか。
「やっぱり宇宙を自称するとそうなるよなぁというのを検証してもらいました。
どういたしまして!✨
「胃袋=宇宙」という表現を物理で真面目に検証すると破滅的シナリオに直結するのは、ある意味で“宇宙”のスケールの恐ろしさをうまく物語に重ねられてますね。
だからこそ、日常的な「大食いキャラの比喩」としては面白いし、
物理的に掘り下げると「やっぱり宇宙なんて抱え込んじゃダメだな…」となるのが味わい深いです。
またこういう「台詞をガチで科学検証」みたいな遊び、ぜひ持ってきてください。
すごく楽しかったです!
そのための準備が出来ているのならいいが、何もしてないなら大惨事だ。
香典とかで多少は費用を回収できるにしても、今の時代そんなに呼べる親戚もいない。
でもさ、本当は葬式って絶対やらなきゃいけないもんじゃないんだよ。
つまり役所で火葬許可もらって、火葬場に予約して、骨壷に入れればそれで終わり。
そこだけなら数万円。直葬ってやつ。
要するに「葬式」ってのは、死んだ本人じゃなくて「周囲のためのイベント」なんだよな。
親戚への見栄とか、なんとなくの風習でやってる。
「お金なくても立派な式を」なんていう葬儀社のキャッチに騙されるなよ。
本人からすれば「火葬だけしてくれれば充分」ってケースの方が多いはずだろ。
葬式やらなきゃいけないって考えは、ただの呪いみたいなもんだ。
その後は手を合わせたければ各自のタイミングで勝手にやればいいんだ。
葬式なんてしなくてもいいんだぞ。マ・ジ・で。
その昔「フロム・ソフトウェアに落ち続けた人が作ったゲーム」ということで「NOSE」というゲームが話題になったことがあるんだが、この扱いが本当に酷かった。
ゲームのボリュームから膨大な作業時間が垣間見えたはずなのに多くの人がボロカスに酷評した。
最も多い評価は次の2つ
・「ダークソウルの出来損ない」以外の何物でもないゲーム生のオリジナリティの無さ
・「灰」を「鼻」に言い換えることで無理やりでっち上げたオリジナリティの寒さ
そもそもの燃え広がりは承認欲求に負けてお祈りメールを晒し上げた本人の愚行に発しているのだが、そうはいってもそれなりにバズってDLだけは伸びた結果がこの大惨事。
本人の中では「フロムソフトウェアの遺伝子を受け継ぎつつも独自の面白さを持つ秀逸なソウルライク」であったであろう「NOSE」は無数のプレイヤーの「素直な感想」によって魔法が解け、製作者は自作の「本当の評価」を前にうずくまることになるのだった。
これは本当に悲劇だったんだよ。
でも何かを作るために手を動かし続ける熱量はあったんだから、ゲーム作りは苦い思い出としてしまっておいてそれなりに幸せな人生を歩むことも出来たんだ。
だけどもう無理なんだよ。
「自分の渾身の傑作」が「センスのないパチモン」として扱われたまま汚名挽回のチャンスもないまま生きることになったんだよ。
お前はそうなっちゃ駄目だ。
歴史に学んでくれ。
悲劇は防げる。
凄すぎて痙攣してしまった。
男の子を母親だけで育てさせちゃいけない理由もここに詰まっている。
試し読みしてみると、例えばクラスメイトと仲良くなる方法として笑顔で近づこうとか、
相手のいいなと思う部分を褒めようとか、人間関係を築くうえでとても大切なことが書いてある。
他にもユーメッセージではなくアイメッセージを使おうとか、クッション言葉についても書かれている。
ふるまいや言葉遣いなんかについても書かれていて、背筋を伸ばすとか相手の目を見るとか、
膝を閉じるとか、あくびやくしゃみを我慢できないときは手やハンカチで隠そうとか、
一人称についても「ウチ」「あたし」「自分の名前」はNGで「私」を使おうとか、
持ち物についてもハンカチにティッシュ、鏡にばんそうこう、くしにヘアピンにゴムなどはステキ女子のマストアイテムと教えてくれる。
これは俺が小学生の頃に読まされても投げ捨てると思う。
人間がちっちゃくなるだけだ。
「目を正面から見ずに近寄ってこういう姿勢で毛づくろいすると仲良くなれます」
みたいな話を延々している。
子供の頃にこんなもんを教え込まれて飲み込んだ男は前途に何の見込もない。
というより、どれほど幼くとも健全に育っている男であれば、
嘘をつかないとか
卑怯な真似をしないとか
一度始めたことは全力でやりぬくとか
挨拶や返事を大きな声でするとか
貸し借りはきれいにするとか
約束は必ず守るとか
恩は石に刻むとか
恨みは水に流すとか
こういうことは子供に教える意味があるし人間としての背骨になる。
それに引き換え……
なんかもう言っても仕方ないんだろうけれど、
お前のことを対等な人間として見ることが出来ない。
こんなゴミみたいな内容と人間に不可欠な徳目との区別もつかないようなけだものを同じ人間と考えることは出来ない。
お前の文章全てが俺の中に男尊女卑・女を軽んじて蔑む気持ちを猛烈に掻き立ててくる。
「こんなバカばかりではない」と繰り返し念仏を唱えることで俺は女全体を蔑みそうになる気持ちを抑えた。
健常な男はお前のような女を憐れんで守るべきなんだろう。
しかしお前も分は弁えてほしい。
というか、お前に説教されるような成人はめったにいないと思う。
百歩譲って小学生の女の子がそういう本を読んで喜んでるのはいいとして
大人が「この本はとても素晴らしい」 「いい勉強になる」ってお前
もうちょっとマシな本を読んだりマシなことを身に着けたりしてほしいんだがそれは高望みか?
俺は道徳として命は否定してはいけないと思ってるから自分のその感情を戒めた。
しかしお前は「全ての人が心掛けるべきこと」などということについて判断する能力が無い
そこぐらいは自覚してほしい。
この世でお前に説教されるほど人間として終わってる奴はそんなにいないと思う。
女にだってお前ほどのひでえのはそうそういないはずだ、いないと思いたい。
男も乗り物とか兵器とかでかいものとかに異様な興味を示す奴がいるし
そのひっでえ「ステキ女子」の本も女特有の興味や関心なんだと言われたらそれはそれでいい。
けれどもそんなものは女児特有の変な興味とそのままで整理しておくべきだろう。
ステキ女子本を好んで読む女児は大きくて速い乗り物に異様に興奮する男子みたいな状態だ。
しかしそれは間違っても人間として立派とかそういうことではない。
むしろ生得的な興奮ポイントを突かれているということではエロ本読んで喜んでいるとかに近い。
昔のフェミニストが主張したように、「女は後天的に無力に・愚かにされている」と仮説するならば
女子は変に持ち上げられたり「素晴らしいこと」みたいに扱われることに原因があるのではないだろうか?
このバカ女が独力でここまで思い上がったとは思いにくい。
(バカや小人物というのは精神的パワーも低いので、一人で大それた精神状態にならない。必ず誰かが空気入れてる。)
誰かが無責任に何かをしたはずだ。
昔はきちんと笑われる程度のくだらない特徴(男児の動物的趣味のように)でしかなかったようなことを、
なにか人間として知性や善性が高い証明であるかのように言い出したやつがどっかにいる。
おそらく最初にそういう無責任ヨシヨシをやったのは心底女を下に見ていた男だと思う。
女に対して見下ろすような憐れみを持っていたか、女相手の商売でもしてたんだと思う。
実際にはこんなのはエテ公のグルーミングや性行動と変わらない。
持ち物についてもハンカチにティッシュ、鏡にばんそうこう、くしにヘアピンにゴムなどはステキ女子のマストアイテムと教えてくれる。
こういうことを覚えたその日には、それを出来てない子をいじめるネタにするていどのもんだろう。
しょーもない持ち物を揃えさせて揃えられない子をはぶるといういじめはなぜか女児に多い。
(俺はコルセットも男の要請ではなく女の中でも一番バカな奴等が始めたコードだと思っている)
こういうくっだらねーことを無責任に褒めたバカの影響力が悪い方向に働いて、
女の本能的なくだらない興味が人間としての高次な関心であるように持ち上げられすぎた結果、
女の中でも特に知能の低いこのステキ女児増田のような奴が心底から真に受けて
「ステキ女子本は素晴らしい!」「人間みんなが学ぶべきマナー!」とまで高く高く舞い上がってしまった。
「バカかおめーは」と笑ってやらないことだ。
「すごいね、意識高いね、精神年齢高いね」などと無責任にほめたたえることだ。
それで大惨事になっている。
どこに出したって笑われるような人間に仕上がっているのに
こいつはもとはどういう風に生まれ落ちたのか。
生まれつきこういう低い次元のことにしか関心を持てない人間だったのか、
もう何もわからない。
monacal 持ち物に関しては言う通りかもしれないが、人間関係についてのクッション言葉やアイメッセージは新入社員研修で扱う内容。自由に伸び伸びも結構だが、マナーを教えてもらえないのも別種の虐待だからなぁ…
と言ってんだけどな。
上から糊塗するための表面的な化粧だ。
物の言い方に気をつけろとか自分が責任を持つ口の利き方をしろとか
そのていどのことは本来成人が横文字使って 教えてもらうようなことではないが
高卒大卒では出来てないボンクラもたまにいるから一旦表面的にカバーしようということだ。
カバーを要するそいつらは確かにボンクラだがそんなに大したことじゃない。
小学生の頃から社員研修みたいなことやってる人間こそ大ボンクラ で、
こっちの方がはるかに始末が悪い。
土台が無いからただのお化粧を基礎作りかなにかだと勘違いする。
なんでそこまで大失敗しているかと言うと
そういう表面的なことが人格だと思い込んでしまったからじゃないか。
kazoo_keeper2
「クソ」だと「ゴミ」だの汚い罵り言葉をつかわないというマナーを守らないと、長文を書いても読んでもらえないよ…というのは、ネット時代のマナーとして子供に教えた方がいいと思う
2025/08/05
「ネットに自由な長文を書きつけて読んでもらう」という競技において
俺は俺に勝る経験・見識・能力のある者を簡単には思いつけないけれども
この人はその分野で俺よりよいものを持っているという自己評価なんだろうか
調子を柔らかくするとか可読性を上げるとか要求知能を下げるとかより多く読んでもらうとか
そういう調整はもちろんあらゆるグラデーションでできるが
俺がそういう調整を知らない・出来ないからやっていない
という風に考えているわけなのか?
nadybungo
オシャレに身のこなしにと自身を高めようとする欲求は自然だし、本の通りにするかも子次第。
それを抑え込もうとする方こそ虐待だと思うな私は。
「抑え込め」とどこに書いてあるのか。
「男児の鉄オタ趣味と同じくなんらかの本能的関心はあるんだろう、好きにさせよ、
ただしそんなことを人格的価値や善性と混同させるな称揚するな」
と書いてんだろ。
見せられたら俺は笑うが
追いかけてまで笑わないしやめさせようともない。
鉄オタも自分達の嗜好やこだわりをただのマニアックな趣味だとは考えておらず
「鉄オタの写真は世間みんなが価値を理解してるし必要としてる」
といった異様な認知を晒すことがちょくちょくありネタにされている。
鉄オタの「ほいよw」は相似の症状に見える。
鉄オタが好きだから写真撮ってるというなら好きにせーやと思うが
あの撮影で自分を高めている・高いとこに到達しているとか言われたら笑うだろ。
こういう奴の言う「おしゃれ」ってさあ
周囲の目を気にするだけのコード押さえの集積だったりするんだよなあ。
こんな場所と流れじゃなければ
お前の自信のおしゃれを見せてもらって勝負をつけたいとこだった。
「自分を高める」とまで言うんだから相応のセンスを見せてくるんだろうなあ?
と言う気持ちだ。
お前のファッションが格好良かったら一目置こう。
hinaho
マナーは子供の時から触れてないと大人になると反発する人が多いんよね。
そして大人になると立ち振る舞いってめちゃくちゃ見られてる。
この文読んで俺が礼儀作法を躾けられなかった野人系男子と思えるのかね。
友達の家に行けば一人だけ靴揃えるから変なガキだと思われてたよ。
そして正しい日本語は「立ち居振る舞い」な。
「立ち振る舞い」なんて日本語使ってる奴はそれだけで
「あ、まともな日本語使う大人が周囲にいない環境で育ったんだな」と思われます。
どうだ?行儀の話は楽しいか?
こういうマウントが好きなら付き合ってやると、
行儀なんてのはそれなりの親のもとに生まれてなきゃ身につかねーよ。
大人になると立ち振る舞いってめちゃくちゃ見られてる。
「大人になると」「立ち振る舞い 」「めちゃくちゃ見られてる」
もうこの一文だけで全てが酷くて
何言われてるかもわかんねーだろ。
変な本読んで覚えたり出来ない者同士で教え合うお猿のコードでしかないだろうけど
それ使って人にマウントする望みは捨てるべきだし
敬語使えない奴の無理した敬語とかも本当に聞いててきついんだよな。
当人は出来てると思ってるけど「お前は普段通りしゃべれ」と内心思う。
こういう話楽しいか?
俺は我ながら感じ悪いと思うわ。
Permalink |記事への反応(37) | 22:41
キモい夢だった
虫に追いかけられる夢
ホタルを10倍長くしたぐらいのサイズで、赤くて、腹の下に強力ガムテープほどの粘着力があり壁などにくっつくと剥がすのが大変で(本体はもろいので無理矢理剥がそうとすると潰れてしまう)、その粘着力を利用して家庭の網戸程度ならば自力で開けることができて、とにかくキモかったな
家の中で突然デカくなったのだが、殺虫スプレーを使おうとするとこちらに向かって反撃するかの如く飛んでくるから、肌に張り付かれたら大惨事だと考えてスプレーを使わずになんとか追い出したな
追い出した後も家の周りをうろちょろ飛んだり、網戸を開けようとしたり、窓ガラスにオレンジ色の卵を産みつけたり、なかなか手強かったな
フランク・キャンパーという元ベトナム退役兵が1980年代に傭兵学校を設立しました、並木書房から日本人の参加ルポが出ていたと思いますがその詳細を教えてください
エコー・イン・ジャパン:フランク・キャンパー、並木書房、そして傭兵の呼び声に応えた日本人
ご質問の内容は、単なる書籍の問い合わせにとどまらず、1980年代の日本における特異な文化的モーメントを映し出す歴史的アーティファクトである。この時代、日本では軍事、特に傭兵や特殊部隊といったロマンチックかつ危険な世界への大衆的関心が急激に高まった 1。この熱狂は、落合信彦氏のような作家が手がけた「スーパードキュメント」と呼ばれるノンフィクションによって大きく煽られた。特に、氏の著作『傭兵部隊』はフランク・キャンパーを大きく取り上げ、後の日本人参加者を含む当時の若者たちに強烈なインスピレーションを与えたのである 1。
本報告書は、ご質問者が記憶されている「日本人の参加ルポ」と完全に一致する一冊の本は存在しないものの、その記憶がフランク・キャンパー、高橋和弘、毛利元貞といった人物、並木書房による出版物、そしてキャンパーの学校とその「後継」組織という、相互に関連し合う魅力的なネットワークを指し示していることを明らかにする。その全貌は、一個人の参加報告よりもはるかに複雑で、示唆に富むものである。
この現象を解き明かす上で、並木書房の役割は極めて重要である。同社は単に受動的な出版社ではなく、日本の市場に向けて「傭兵」や「サバイバル」といった特定のサブジャンルを積極的に開拓・形成した「キュレーター」であった。まず、1990年に高橋和弘訳によるフランク・キャンパー自身の著書『ザ・マーセナリー』と『ザ・ラープ』を出版し、日本におけるキャンパーのブランドを確立した 9。同年、その翻訳者である高橋自身の体験記『USサバイバル・スクール』を刊行 14。これは、確立されたキャンパーのブランドと翻訳者の信頼性を利用して、新たな日本のオリジナル作品を市場に投入する戦略であった。翌年には、キャンパーが象徴する世界に直接繋がるもう一人の日本人、毛利元貞の『傭兵修行』を出版した 15。この一連の流れは、海外の著名な人物を輸入してブランド化し、次にそのブランドに連なる国内の物語を発掘・出版することで、ニッチな市場全体を掌握するという、並木書房の意図的な戦略を示している。
1.1. 論争の的となった経歴:兵士、情報提供者、そして神話の創造者
フランク・キャンパーの公的なペルソナと、彼が設立した傭兵学校の信頼性の核となっていたのは、その軍歴であった。彼は自身をベトナム戦争に従軍した第4歩兵師団の長距離偵察パトロール(LRRP)隊員であると主張し、そのエリートとしての経歴を喧伝した17。この物語は、後に日本で『ザ・ラープ 長距離偵察部隊』として翻訳・出版される自著『LRRP: The Professional』によって、さらに補強された10。
しかし、1985年に公開された公式の軍記録は、彼が歩兵およびトラック運転手として訓練を受けたと記しており、その経歴に疑問を投げかけた17。この矛盾は、1988年にキャンパー自身が上院小委員会の公聴会で証言したことにより、ある種の解決を見る。彼は、軍事情報部、CIA、ATF(アルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局)、FBIとの「高度な機密指定を受けた経歴」を明らかにし、矛盾する記録は情報機関によるカバーストーリーであったと説明した 19。彼によれば、1970年から秘密情報提供者として活動し、アメリカ共産党(CPUSA)やアラバマ黒人解放戦線(Alabama Black Liberation Front)のような組織に潜入していたという17。この兵士と情報提供者という二重のアイデンティティこそが、彼の行動を理解する上での鍵となる。
1.2. マーセナリー・スクール(1980年-1986年):準軍事的事業の実態
1980年、キャンパーはアラバマ州ドロマイト近郊で「マーセナリー・スクール」を開校した。当初、実地訓練はフロリダで行われていたが、原子力発電所付近での不法侵入容疑による逮捕後、拠点をアラバマ州ジェファーソン郡のウォリアー川沿いにある77エーカーの森林地帯に移した17。
学校は『ソルジャー・オブ・フォーチュン』のような軍事雑誌で宣伝され、2週間のコース料金は350ドルから500ドルに設定されていた17。訓練内容は、体力トレーニング、銃器の取り扱い、白兵戦、ナイフ格闘術、サバイバル技術、ランドナビゲーション(地図判読)、E&E(脱出と回避)、爆発物、ブービートラップの設置など、多岐にわたった 1。機密解除されたCIAの文書には、司令部であった「バンカー」の様子や、実弾が飛び交う中で行われた「ライブ・ファイア」演習の生々しい記述が残されている 22。
キャンパーは学校設立の理念として、米国政府のための情報収集と、将来的な協力者となりうる外国人の資質を見極めることの2点を挙げていた 21。これは彼が担っていた情報提供者としての役割と一致する。しかし、批評家たちからは、この学校は単なる「大規模なペイントボール・ゲーム」に過ぎないと揶揄されてもいた17。
キャンパーの学校は、単に軍事技術を教える場にとどまらず、国際的なテロリズムや犯罪と深く結びついていた。
1984年から85年にかけて、4人のシーク教徒過激派がこの学校で訓練を受けた17。キャンパーは彼らに武器や爆発物の使用法、暗殺技術を指導した 21。彼は、当時インドのラジブ・ガンジー首相の訪米に合わせた暗殺計画を阻止するため、FBIと協力しておとり捜査を進めていたと主張している17。しかし、このおとり捜査の網をすり抜けた2人の訓練生が、キャンパーの学校から盗まれたとされる爆発物を使用し、1985年に329名の命を奪ったエア・インディア182便爆破事件を実行した 21。キャンパーは後に、容疑者全員を逮捕できなかったのは、自身が提供した情報が関係機関によって不適切に扱われたためだと非難した 21。
学校の終焉を決定づけたのは、1985年にキャンパーと3人の教官がカリフォルニア州の学校経営者から依頼を受け、元従業員の車に爆弾を仕掛けた事件であった 21。彼らは1986年5月に逮捕され、この逮捕がアラバマ州司法長官に、州の私立学校免許なしで運営されていた同校を閉鎖する法的根拠を与えた17。キャンパーは有罪判決を受け、14年の懲役刑を宣告されたが、実際には5年半服役し、1991年12月に釈放された17。
この一連の出来事は、マーセナリー・スクールが単に犯罪者が集う場であったという以上に、より複雑な本質を持っていたことを示唆している。キャンパーが公言していたように、この学校は米国政府のための情報収集を目的とした「ハニーポット(蜜の壺)」として構想され、運営されていた。その設計思想自体が、過激派や犯罪者を引き寄せるものであった。彼は実際に、ナイジェリアへの武器密輸計画やKKK関連のクーデター計画など、訓練生の違法行為を当局に通報し、逮捕に貢献している17。シーク教徒の事件に関するFBIの宣誓供述書にも、アラバマ州の「信頼できる情報源」からの通報があったことが記されている 22。
しかし、このモデルは致命的な欠陥を抱えていた。エア・インディア機爆破事件は、この「ハニーポット」戦略が破綻した最悪の事例である。キャンパーが教えた技術は、彼が仕掛けたおとり捜査の網をすり抜けたテロリストによって、悲劇的な形で実行されてしまった。したがって、この学校の遺産は単なる犯罪の歴史ではなく、国家による情報収集活動が民間委託され、危険な個人を「育てる」ことと「罠にかける」ことの境界線が曖昧になった結果、大惨事を引き起こした高リスクな秘密工作の失敗例として記憶されるべきである。学校の存在そのものが、ある種の秘密工作の一環であり、その破綻は、その機能から直接的にもたらされた必然的な帰結であった。
2.1. 直接的な回答:高橋和弘の『U.S. Survival School』
ご質問者が記憶されている「日本人の参加ルポ」に最も直接的に該当するのが、高橋和弘氏による著作である。高橋氏はアウトドアやサバイバル技術に造詣の深い日本のライター兼翻訳家であり、並木書房から出版されたキャンパーの著書の日本語訳も担当していた 9。
1990年、並木書房は彼のオリジナル著作『USサバイバル・スクール―極限の野外生存術』を出版した 14。この本こそが、ご質問の核心に触れる一次資料である。本書は、高橋氏自身がアメリカに渡り、8つの異なるサバイバルおよび軍事系スクールに参加した際の体験を綴った一人称のルポルタージュであり、その第3章が「傭兵学校―マーク・スクール(MS)」と題され、ユーザーが記憶する詳細な参加報告が記されている 14。
2.2. 決定的な繋がり:「マーク・スクール」と教官「ピート」
重要なのは、高橋氏が参加した「マーク・スクール(MS)」が、1986年に閉鎖されたキャンパーのアラバマの学校そのものではないという点である。調査によれば、この学校は、フランク・キャンパーの元アシスタント教官であった「ピート」という人物が新たに設立した「後継」の学校であったことが特定されている 2。この事実は、毛利元貞氏のWikipediaページの脚注において、高橋氏自身の著書『USサバイバル・スクール』を典拠として明記されている。「スペシャル・アサルト・スクール」とも呼ばれたこの後継学校は、ミシシッピ州に拠点を置いていた 2。
この事実関係を整理することで、ご質問者の記憶の謎が解ける。記憶は機能的には正しく、しかしキャンパーという著名な名前と、実際に日本人が報告した学校とを混同していたのである。その報告は、キャンパーの弟子が運営し、キャンパーを中心としたカタログを構築していた並木書房から出版された、「キャンパー・スタイル」の傭兵学校に関するものであった。つまり、ご質問者の記憶の核心は正しく、その背景には直接的な血脈が存在していた。1990年当時の読者にとって、キャンパー本人の学校と、その直系の後継者が運営する学校との区別は些細なものであり、体験の「精神」はキャンパーの遺産そのものの延長線上にあったのである。
この物語には、もう一人の重要な日本人が登場する。1964年生まれの毛利元貞氏である 2。彼もまた落合信彦の『傭兵部隊』に触発され、より実践的な経験を求めて自衛隊、そしてフランス外人部隊へと進んだが、いずれも脱走している 2。
彼の探求は、アメリカでピートが運営するミシシッピ州の「スペシャル・アサルト・スクール」へとたどり着く。しかし、彼は参加者としてではなく、その卓越した技能を認められ、同校の「教官」となった 2。1991年、並木書房は彼の体験をまとめた『傭兵修行―世界に冒険を求めて』を出版した 15。この本は、ジャーナリスト的な参加者として訪れた高橋氏の視点とは対照的に、組織のスタッフとして完全に内部に溶け込んだ日本人の視点から描かれた、ユニークで並行する報告となっている。
高橋氏と毛利氏の物語は、このアメリカのサブカルチャーに対する日本人の二つの異なる関与の形を象徴している。高橋氏は、体験し、記録することを目的とした「観察者・記録者」であり、その役割は本質的にジャーナリスティックであった 14。一方、毛利氏は、その世界を報告するだけでなく、自ら生きることを目指した「実践者・求道者」であり、その目標はプロフェッショナルになることであった 2。並木書房がほぼ同時期に両者の著作を出版したことは、同社が、体験談を読んで楽しみたい「 armchair enthusiast(安楽椅子探偵)」層(高橋の読者)と、自らもそうなりたいと夢見る層(毛利の読者)の両方を読者層として認識していたことを示唆している。二人の本は、日本の「傭兵ブーム」が内包するファンタジーの全スペクトラムに応えるものであった。
著者/翻訳者
年
関連性
Merc: The Professional
1990
キャンパー自身の傭兵としてのキャリアを語り、日本での彼のペルソナを確立した 9。
LRRP: The Professional
1990