
はてなキーワード:多摩美とは
通信制高校のイラストコースの授業は、ご褒美みたいな授業が無いと学校に通えない子のためのお楽しみ授業だ。
①まず通信制高校に行くな。
本当に中学の出席日数が全然無くて入学出来る高校が通信制しかない、毎日登校する体力がない、そういう子供以外は通信制高校には行かないほうがいい。
コロナ禍でのオンライン授業を小中で経験したせいか、親も子も授業ってオンラインでいいんじゃない?って空気がある。よくない。
オンライン授業は子供にとってはサボりたい放題、ろくなテストもなく赤点や追試もない。結果通信制高校卒業の頃には中3時点と大して学力の差がない18歳になるか、もっとバカな18歳になる。
リモートワークもあるしこれからは家で授業受けて家で仕事する時代!って?
じゃあ親のあなた方はみんなリモートワーク出来てるんですか?結局出社を強いられてる方が大半じゃないですか?
お母さん方、子どもを家で見ながらできる仕事はないか…って考えたけど大変だった時代を経験しているでしょう?
結局大人になっても毎日出社できる体力気力時間がある人間のほうが仕事がある。
全日制高校に行ける出席日数があるなら頑張って全日制に行って、働ける体力気力と、学力をつけたほうがいい。
通信制高校のイラストコース出身のイラストレーターを知っています!絵が上手い人を知っています!という意見もあると思う。その人はイラストコースに行かなくても絵が上手かったしイラストレーターになれたタイプの人だ。
まずイラストコースではデッサンもパースもろくに教わらない。人物のクロッキーも数回あれば良い方だ。なんとなく、さわりだけ、お試しみたいな授業があるだけだ。あとはなんかアニメ関連の会社見学とかがいっぱいある。会社見学で絵は上手くならない。
そもそも日本で素人に絵の技術をいちばん叩き込んでくれるところは美大受験用の美術予備校だ。
美大では絵の基礎技術は教わらない。受験前に予備校で教わってるのが前提だから。
専門学校でも大して教わらない。2〜3年で全員を現場に出せるほど描ける人間にすることは不可能だから、元々基礎技術がある生徒や、在学中に自宅で腐るほど自主練出来る生徒にだけより専門的な技術を叩き込んでくれるのが専門学校だ。元々描けないし努力も出来ない人は、専門学校では生徒ではなくお客様として扱われる。適当におだてて辞めずに満期の学費を払ってもらって卒業後のことは知らんぷりの存在、お客様。
全国に50校くらいある。地域によって偏りがあって残念ながら公立美術科が無い県も存在するが、もし住んでる県にあるならラッキー。学費も安い。入学時にデッサンの試験があるのである程度描ける人、やる気がある人だけが選抜されてる可能性が高い。
水は低きに流れるし、人間はモチベと実力の高い集団にいると自然とレベルが上がる。
公立に比べると学費がかかるかもしれない。学校によっては絵の上手い子には特待生制度など用意してくれてる。これもだいたい入試にデッサンがあるのである程度人間が選抜されてる。でも中には倍率が1倍切ってるところもあるので、入試の倍率と卒業生の進路実績(東京藝大武蔵美多摩美あたりが数人でもいればレベル高い可能性あり)をよく調べよう。
予備校代がかなりかかるし、そもそも親が子供の大学進学を考えてない家庭では厳しい選択肢だが、夜間部に三年間通えば基礎的な力はかなりつく。
有閑主婦や退職じいさんが油絵とか描いてるところでしょ?そういう絵じゃないんだよな描きたいのって…と思うかもしれないが、大抵どこも教えてるのは藝大美大を出た人間なので基礎を教わるだけなら問題ない。
ただ美術系高校や予備校と違って毎日描く環境ではないから家でやる課題を頼んで出してもらうといい。
④誰にも教わらなくても絵が上手い人間もいるが……
上にあげたようなところで絵を教わらなくてもイラストレーターとか漫画家とか画家になる人はいる。でもそういう人はごく一部だ。
大抵どこかで教育を受けている。
でも今の時代ってインターネットに知識が転がってるし専門書もいっぱいあるからひとりで上手くなれるんじゃない?そう思う人もいると思う。
確かにネットで上手い絵はいくらでも見れる、YouTubeで絵を描く過程を全部見せてくれる人も大勢いる。
でも絵が上手くなるのに必要なのは、自分の絵のダメさへの気づきだ。
上手い絵と自分の絵を見比べて、ここがこんなに違う、自分はこんなに描けてない、そう気づけることだ。
美術予備校とか美術系高校で繰り返しやってもらうのはこれの訓練だ。
毎日あるいは毎週講評で並べられて比較される、点数をつけられる、先生が指示棒で指差しながら「ここ形狂ってない?」とか言ってくる。そういう経験がど素人を気づける人にする。
自分で気づけるようになってようやく絵が上手くなり始める。
みんなそのために絵を習う。
あとインターネットに転がってるイラストハウツーってまじで実際ヘタな人がしょうもないハウツー描いてバズったりしてるから、自分がある程度描けるようになるまで無料のハウツーは信用しないほうがいい。
しょうもなハウツー描いてる絵師は滅びてください。いたいけな小中学生に変なこと教えないで。
⑤親御さんへ
絵を描くのが好きで将来に夢もあって中学はそれなりに通えてた、そういう子が通信制高校イラストコースに行って、たいした鍛錬もされずに本人も不完全燃焼を抱えながら貴重な高校三年間という時間だけが過ぎていくのを見てきました。あれは見ていて大変きついものがあります。
子供の言う「プロの指導も受けれるんだって!」「ここならやりたいことが出来る、楽しく通える!」をあんまり信じないでください。
15歳はまだかなり子供です。世間を知りません。楽ができるのと楽しいのとの区別も知りません。
子供が行きたがってる学校の評判はよく調べて、可能なら実際に目で見て、社会経験のある大人の目で判断してあげてください。
あと、美術業界やイラスト業界の人の言う「子供の頃から絵が好きで、好きだから頑張ってこれた、プロになれた」みたいなのの「好き」のレベルって、朝起きたらご飯の前に絵を描いてる、授業中も絵を描くのがやめられなくてノートが落書きだらけ、放課後も友達と遊ぶよりゲームするより絵を描くのが好き、絵を描きすぎて夜更かしする、そういうレベルです。
学校の授業の中じゃ音楽体育よりも図工や美術が好きとか、ゲームもiPadも取り上げたら暇つぶしにお絵描きしてるとかじゃないです。
お子さんが一度絵を描く道に進むと競争相手はそれくらい絵にガチな人達ってことも知っていてください。
具体名は伏せるが、氏は以前出身校についてネットに書いていた 今も一応ソース残ってる
2025年現在偏差値35…というか昔から入学試験存在してなかった高校
多くの生徒がゲーセンで遊んでまともに通学しないというような悪評を別高校の教員から聞いた
…コナミやグッスマがワンフェス配信やってた頃の氏の言動から、なんでそこ選んだのかはおおよそ察せる
学校教育という枠で計れない、逆を言うと各科目平均値を出し続けられないタイプの天才なのだと思う
結果として大阪芸大に関わったり(主にお忙しいからという理由で辞退されている)、そもそも人格者だったり、
なにより売り上げという目に見える形で才能を発揮なさっている
ちなみに現在メガミデバイス等で活躍されている福元徳宝氏は公表どおり多摩美卒
当時の多摩美は芸術と学力両方兼ね揃えていないと入れない大学のはず
数字だけで言えば偏差値30以上差があることになるが、お二方とも第一線で活躍されている
どちらも成功者でありdisる意図はない ただ 「こうだったんだよ」という世間話として書きたくなった
不倫の話を聞くといつも元親友のことを思い出して物思いにふけってしまう
長年の親友が不倫やパパ活が当たり前の世界に身を置いたのはその子の家にお金の余裕がなかったからなんだよね
彼女は美大で油絵をやりたくて藝大を目指して高校時代から美大予備校に通ってた。でもストレートでは受からず浪人することになって、予備校の学費も生活費も自分で稼がなきゃいけなくなった。
短時間でお金をたくさん稼ぎたいとなると水商売っぽいことをするしかないんだよな。
その子は若い女の子が浴衣を着て男性を膝枕して耳かきをしてあげるお店でバイトを始めた。バイト先の同世代の女の子たちがひと回りもふた回りも歳の離れたお客さんに高価な洋服やらブランド物やらを買ってもらったり恋愛関係になったりしていた。
その子はは絵の道へ進むことを家族に反対されていたために、ありのままの自分を受け入れてくれる理解者に飢えていた。
高価な洋服への憧れも手伝って、パパ活に癒しを求めた。パパの中には妻子のある人もいたけれど「だからこその包容力がある」などと言ってやめようとしなかった。
私が「妻子があるってことは、誰かの旦那さんであり誰かのお父さんなんだよ」と諭したときの「そう考えると、ちょっと嫌だけど…」というちょっと気まずそうな顔を妙に覚えてる。
その子はどんどん歳の離れた男性に依存するようになっていって、私は付き合いきれなくなって縁を切った。
この思い出を今日、お風呂に入りながらぼーっと振り返って、(もしこの子の実家が、この子が絵の道へ進むことに理解があって学費と生活費を出せる程度の金銭的な余裕があれば、この子はこうはならなかったんだろうな)と思った
私は親が進路を理解して生活費も学費も出してくれる環境で育ったから正論を言えるのだな、と自分の履く下駄を認識したのだった。
元親友が今どうしてるかは知らない、幸せに暮らしていてほしい。そして親友ではなく元親友になってしまったのはやっぱり寂しい
美術館でどう絵を見ればいいかわからないと困惑する頭でっかちな私に、感じるままに見ればいいんだよと教えてくれたのはその子なんだ 寂しいな
結局藝大には受からなくて(かなりいいところまで行ったらしい、藝大受験者には誰がどう見ても受かる人と審査員によって評価が分かれる人と誰がどう見ても落ちる人がおり、評価が分かれる人の中でもギリギリのラインだったらしい) 、多摩美の油絵へ行ったと聞いた 留年していなければもう卒業してるな
キャプションがほとんどないのが寂しい。もっと思考を開示してほしかった
やりたいことに対して技量が伴わず荒削りな作品が多く感じた。苦しみの果てに生まれた素朴な作品もチラホラ展示してあり楽しめた
絵画の大物へのチャレンジはインスタレーションが面白い作品が多く、造形の大物はわりかし出来が良かった。Xで見た猫もいた
造形のこじんまりとした作品は身の丈に合ってしまってもったいないなと思えるものが目立った
観覧に若い女性が多く少々居心地が悪い
全体的にキャプションが多めで嬉しい
とにかくアウトプットの完成度が高い。大物の並びは圧巻。甘えを感じない
自分の作品をよく見ているのだろう、鑑賞者から見た時に気づく粗が潰されている。鸞という作品の羽がとても良かった
版画もいい作品が多かった
全体的に荒く、だらーんとしている(内容ではなく固定されていない作品が多かった。面白い)
こっちも荒さが目立った。受付の挨拶が元気が良くて良かった
細部の技量が光る作品が多かったが、作品の展示として見た時首を傾げる部分が多々見られた
目測でしかないが傾いた作品は1番多く見た。また定着が甘くハゲやズレのある作品も多々見られた。女子美と対照的である
表現というよりは製品と見做す人もいるだろうが、やはり鑑賞者としては不要なノイズが極限に排除された部分を美しく感じたし、緊張感すら覚える甘えのなさを強く感じた
作品本体だけではなく装丁や展示も極めて丁寧、精緻でキャプションの表現も美しいものが多く、指導者が優れているのかもしれない。
1つの展覧会として空間そのものが作品となりうる美しさがあった
その中でも鸞という作品の色使いが極めて美しく、正面から見たとき照明の当たり具合も相まって良かった。残念ながら自分の撮影技術では再現できなかったので心の中に留める。
多摩美は完成よりも表現という粗さを感じた。言ってしまえば素朴とも取れるが、細部の技量は高いものが多く、作者の強みをアピールする場のように思えた
全体的にそうした傾向があったので、これもまた指導による差だろうか。
版画は2階勢の技量が全体的に高く、アウトプットへの意識を強く感じた。
数年前、美大を卒業していることもあり興味を持って一巻だけ読んだ。
しかし結果的に私の美大藝大コンプレックスがうずうずしてしまい、それ以上読み進みたいと思えなかった。
私は幼少期から絵を描くことが好きだった。
最初はテストプリントの裏に落書き、少女漫画に出てくる女の子の絵をよく描いていて漫画家になりたいと思っていた。
中学に入ってからは雑誌に載っている海外の景色を絵の具を使って模写するのが好きで休みの日は部屋にこもって絵を描いていた。
高校は美術科に進学したいと考えていたが美術教師の勧めで普通科の高校に進学した。
高校時代はひたすらボケーっと過ごし、絵も授業以外ではあんまり描いていなかった。
美術の授業の自由制作では何をつくりたいかわからず何週間も悩んだ末に、紙粘土をただ丸めたものを出したのを覚えている。
あっという間に大学受験の時期になった。
高校では全く勉強をしない人間になっていたため今更勉強はしたくない、でも大学には行きたい。
絵を描くのが好きだったし、進学後も興味を持って勉強できるなら美術かな?ということで高3の5月くらいに予備校に行き始めた。
木炭を使うのは初めてだし、美術の授業以外でデッサンをするのも初めてだったので全然描けなかった。
そこからデッサンや油絵、クロッキーをひたすらこなしたが…藝大、多摩美、武蔵美全て落ち、浪人した。
浪人時代は都内大手の予備校に変えて、楽しい浪人時代を過ごした。
ひたすら課題に向かうだけの毎日、気の合うクラスメイト、たまに息抜きに都会の街に繰り出す。そんなの楽しいに決まってる。
当時の私は今思えば、自分の表現したいものがよくわかっておらず、おもろい(と自分が思う)絵、ショッキングな絵をひたすら描いていた。
それでも人生の中で初めてレベルで悔しくて、藝大の二次試験前なのに講師にお願いして多摩美に入学するか、浪人してまた芸大を受けるか涙を堪えながら相談しに行った。
多摩美に入学して新たな出会いや刺激を受けて、また藝大を受験してもいいのでは、という助言で多摩美に入学することに決めた。
私はなんとなく予備校時代と同じようにおもろいと思う絵を描いたと思う。
講評会でみんなの作品と自分の作品を見比べたとき、私の絵は全然おもろくなかった。
気付いてしまった。私は自分自身が何を表現したいのか、わからなかったのだ。
大学1年生の時にもう一回だけ藝大を受験したがやはり一次にすら通らなかった。
講評会前に慌てて制作を始めて、中途半端な出来のものを提出。自分でも思い入れが一切ないインスタントな作品。
だって自分が表現したいものがわからない、つくりたい・描きたいものが何かわからないから。
かといってサークルを熱心にやるわけでもなく、友達も少なく、ただ単位を取るためだけに大学に行ってひたすらバイト。
そんな自分が就活などうまくいくはずもなく、なんとか卒業してその後フリーター。
最終的に就職はできたが、卒業してから時間が経つにつれて後悔が押し寄せるようになった。
「美大ってことは絵が上手いんでしょ?私は全然絵とか描けなくて〜」
「才能があるんだね!」
初めて会った人からそう言われるたびに、「美大卒」という肩書きだけで実力も美術への熱意も伴っていない自分を恥じた。
せっかく親にお金を払ってもらったのに、受験に受かったのに、私は自分の表現したいことがわからなかった。
描写力を上げる努力もできない、制作に熱中して、思い入れのある作品を生み出すこともできない。
卒業後も制作を続ける人たちをSNSで見て、私はなんでみんなみたいにすごい作品を作れないんだろうといつも虚しい気持ちになる。
絵を描くのが好きだったはずなのに、本当に絵を描くことが好きなら仕事以外の時間に描けばいいのに。
結局「絵を描く才能」なんていうものはなくて、「何か一つのことを継続する才能」のある人たちなんじゃないかと私は思う。
私は絵を描くことは好きだが、努力して継続することはできなかった。
だから「ブルーピリオド」の中で制作にひたむきに向かう登場人物を見て、自分はこうなれなかったということを改めて実感して苦しくなってしまうのだと思う。
私は現在、転職して小さな会社で絵を描いたりデザインしたりする仕事をしている。
お金をもらっているから一生懸命やらなきゃいけないし、与えられた条件の中でどう表現するかを考えなきゃいけない。
私にはきっと、自由が向いてなかったのだ。
その事に気付いてから少しだけ楽になった。
私はブルーピリオドにもハチミツとクローバーにも登場するような人物ではなく、凡人だ。
凡な自分を受け入れ、大学時代に何もできなかった分、少しでも学んだことを生かしてお金を稼ぐ。
人から、すごいね、良いねと言われるような仕事を頑張っていくしかない。
いくら後悔しても、もう大学時代のように自由な時間は戻ってこない。
大人になってから押し寄せる後悔に対しては、今の自分を受け入れ、今までの自分の行いをどう正解にしていくか、辻褄を合わせていくしかないのだと思う。
面白い増田だった。自分は諸星大次郎(敬称略)は好きなほうだけれど、増田の言わんとしていることもわかる。
自分も諸星大次郎を人に薦められた時はそうだった。とりあえず栞と紙魚子1巻を読んだが、増田と似たような感想を持った。
しかし、その後、「薦められた」ことなんてすっかり自分の印象から消えた時に、そういえばこんな漫画あったな……と、ふともう一度手に取って一人で読んだ。見事にはまった。
複数ブコメが指摘しているが、諸星大次郎は人の心の夢や無意識のような曖昧な場所をダイレクトに描写する作家だ。そういう場所に己の精神の波長が合わないと全ての要素が何も面白くない。そして一度波長が合ってしまうとずっと楽しめる。
現代において諸星大次郎を読む我々が波長を合わせるには、自らを静かな一人の場所に置くことが一つの手段だと思う。自分にとっては他者からのレコメンドそれ自体も雑音だった。夜寝る前のぼんやりした頭とか、夜中に起きた時にふと読んでみても良いかもしれんね。
なお、増田は五十嵐大介と比較しているけれども、五十嵐大介は生命を描く作家だ。多摩美卒。躍動して死ぬ生命を描くための洗練されたテクニックが画面に入っている。
対比すると、諸星大次郎の描く人間はエロくない……と評した人がいたらしい。非常によくわかる。自分は諸星大次郎の漫画は躍動感のないあの絵が成立させると思っている。だってあの手の夢にエロスは無いだろう。
高名なクリエイターはおそらく作品に対する波長合わせが上手いであろうことは否定しない。が、趣味に合わないなら合わないで別に構わないと思う。
増田の中に諸星大次郎に合うものが無くとも、増田が表現したいものによっては全く構わないケースも多いと思うので。自分の知り合いで美的感覚が優れた人の中にも、五十嵐大介系統は読むが、諸星大次郎系統は受け付けない人がいる。
https://www.nhk.jp/p/manben/ts/7W327R2Y4N/episode/te/KZ98YK6V5J/
https://www.kawade.co.jp/sp/isbn/9784309979441/
最近Twitterで「リクルートプロダクトデザイン室」とかいう広告が流れてくる。最初はリクルートが商品のデザインでも始めたのかと思ったけど、この室はリクルートの各種サービス=プロダクトを総合的にディレクションしていく=デザイン、な部署ということらしい。
あのさあ。
「プロダクトデザイン」って言葉は長い間工業デザイン(インダストリアルデザイン)という意味で用いられてきたわけですよ。工業デザインの分野で日本で一番の多摩美もずーっと「生産デザイン学科プロダクトデザイン専攻」でやってきてるわけ。それを、「最近サービスのことを”プロダクト”て呼ぶのがいけてるよね → それを担当してる俺らってプロダクトデザイナーじゃね ドヤ」って感じで俺らはプロダクトデザイン室でございって言い出してるの、気持ち悪すぎるわ。学問の軽視。工業デザインの伝統への挑発。これこそ文化の盗用だと思うんだけど、まあ完全なる社会悪であるリクルートのことだからなんの罪悪感もないんでしょうね。
https://news.yahoo.co.jp/byline/haradatakayuki/20211102-00265891
呉座は人格的にあかんやつだったかもしれないが、能力的には問題がなかった。人間としてはともかく職業倫理に反したこともしていない
しかし女性様に逆らったことによりクビになった。めちゃくちゃ横暴だが、されだけ差別という罪が許されないということならそれ自体は受け入れなくもない
しかしカタタ多摩美氏がこのままのほほんと仕事を続けられるなら、女性はその程度のものだという女性差別の正当性の根拠になってしまう。すでに香山リカという例もあり、女性の精神科医は職業倫理的にアウトな発言をしても女性だから許されるということになってしまう。こうなったら、後続の女性の精神科医などもはや誰も信用されまい。日本精神科医連の方々は、彼女の職を奪わないまでも厳重注意し二度とこのような誹謗中傷記事を書かせないようにしなければならない。
別の視点から言えば、これは女性が優遇され男性が軽んじられる男性差別とも言える。
ハイカルチャーどころかローカルチャーも死んどる。パヤオが死んだらなにも残らない
個人で作れる規模の作品なら国民総アーティストでみんな創作しまくりの日本の方が分はありそうだが
そもそも日本はハイカルチャーに対する敬意と熱意が足りないとは思ってるけど
ハイカルチャーを作り出す人間を教育する機関の出身者がやらかしたことなんだけどそのことについて増田はどう捉えているの?
べつに多摩美にかぎらず、女子美術大学、東京造形大学、日本大学藝術学部、武蔵野美術大学でもいいが
考え方も変わる。
人も変わる。
ただ、それだけなんですよ。
だから、信じて前見て歩んでいきましょうね。
何も間違っちゃーいない。
2:58AM · Jul 22, 2021·Twitter foriPhone
https://twitter.com/tsujimoto_kouji/status/1417906814239133701?s=20
雑誌マルコポーロは1995年に『ホロコーストは無かった』と書いて廃刊になっている。
ユダヤ人大量虐殺の置き換えで日本人強制収容所や空襲や原爆がよくあげられるけど、
ましてやそれを成人後に高等教育(多摩美大卒)を受けた人間がTVでやるなんてとても正気じゃない。
そもそも、ホロコーストが無くたって、障害者をバカにしたネタ、介護士が老人溺死させるネタ、同性愛差別ネタ、日本航空事故ネタ
サブカル選民思想クズにありがちな不謹慎ネタのオンパレードである。
▼ラーメンズ『雀』より「ネイノーさん」
▼ラーメンズ『FLAT』より「ドーデスという男」
不謹慎ネタを扱うことに確たる信念を持ち、あらゆるものを斜めからぶった斬り、自身の作品に生涯責任を持つ覚悟を持っていると言うのであれば、
小劇場や規約に反していないならYouTubeなどで理解あるファンたちと楽しむ分には良いだろう。
・・・が、まさかのぉぉぉぉ〜〜、NHKの仕事やるはオリンピックやるわ、謝ったからいいじゃんって、あのさぁ・・・・・
b:Id:triggerhappysundaymorning ラーメンズの不謹慎に関してはお山田で例えるとお山田の行為を不謹慎ジョークのネタに使ったレベルなので怒られるべき話だが「謝れば済む話」.
[日刊スポーツ]小林賢太郎のコント公演メンバー、開会式出演終え「喜んでくれてた」と投稿 [2021年7月24日12時6分]
23日の東京オリンピック(五輪)開会式で、なだぎ武(50)とともに撮影クルーに扮(ふん)し寸劇を披露した辻本耕志(44)は24日未明、ツイッターに「泣けてきた。でも、喜んでくれてた。くそったれめ」と投稿した。コメントには、「喜んでくれていた」人物は、開会式直前にショーディレクターを解任された小林賢太郎(48)だと察するファンの書き込みが相次いだ。
なだぎ、辻本は、小林が立ち上げたコント公演「カジャラ」のメンバーでもある。寸劇パート以外でもカジャラ出演のメンバーが出演していた。
辻本は「開会式、無事に終わりました。いろんな意見があるけども、たくさんの事があったけども、僕たちは、責任を持って、たくさんの人の想いを込めて、やれる事をやった。見てくれた人たち、ありがとうございました」と感謝をつづっている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/fc9e354e4f497c69217abd1f5805be5b3e2137b5
anond:20210725200722anond:20210725203059anond:20210725202546anond:20210726193523anond:20210726193211anond:20210726081714anond:20210726144349
●2008年北京 <チャン・イーモウ>
代表作
『紅いコーリャン』
『初恋のきた道』
『HERO』
●2012年ロンドン <ダニー・ボイル>
代表作
『127時間』
●2016年リオ <フェルナンド・メイレレス>
代表作
『ナイロビの蜂』
『ブラインドネス』
●2021年東京 <小林賢太郎>
代表作
※開催前日に解任
あれ?ランドマークタワーある@イエスタデイをうたって
じゃあそんな古い時代の話でもないのか?
と思ったけど、ググったらランドマークタワー1993年に出来てた。古かった。
なんとなく、登場人物の服装とかが時代に合ってない気がするんだけど。
いや、よく分かんないけど。服飾に詳しいわけじゃないし。
でも、部分部分のアイテムだけすごく古くて時代背景が全然分かんない感じ。
ただの恋愛モノなんだし、これが実は幕末の話だとしても2500年の話だとしても、全然構わないんだろう。
はー…恋愛モノっつーか…昼メロ…。
漫画的なエッセンスとして強いのは「主人公の片思いの相手の想い人が心臓病で亡くなっていること」くらい。
惚れた腫れただけでグチャグチャされる作品は漫画でもアニメでもドラマでもきちーなあ。
だから絶対に窮鼠は…とか見れない(あろうことか原作を読んだことがあるのだが、猛烈な昼メロだぞあれ。いや、レディコミ?唇厚すぎるし。ヒアル打ちすぎたのかよってくらい)
今5話。もう直ぐ物語も折り返し。
このままいくんですかね…。
つ、つまんねー…。
さっきまで見てた波よ聞いてくれの沙村はムサビ?(多摩美だった)
元増田です。
ご回答ありがとうございます!
美大を卒業しゲーム会社にて勤務されている方から助言をいただけて嬉しいです。
確かに私大から任天堂に内定する例も多く見られ、任天堂デザイナーへのルートマップに多様性があることは頼もしいですね。
私も現段階では藝大専願ではありますが、追加で1浪を限度として尚も受験に失敗した場合は保険として私大(武蔵美・多摩美)受験も考えています。
その場合でも任天堂を目指せる前例と実績があるのはとてもありがたいことです。
藝大受験では立体は特に難しいと聞きますね…。私も、絵を描くことの方には自信がありますが、立体物となると自主制作の経験もほぼなく立体に対する教養に乏しいので、今から苦戦は必至だと感じています。藝大は他の美大芸大と違って実技受験の際の点数開示がされないと聞きますし、なおさら落ちた時の理由が分からないですよね…。
先日から数多くいただいたトラバやブコメを拝読し考えを改め、夜間高校や通信高校といった、予備校昼間部での勉強を阻害しない形での高校進学の形も検討してますので、その場合は絵以外のインプットもある程度確保できるかと思います。どの道、学科もしっかり勉強しないと藝大受験に落ちますからね!
元増田です。
藝大デザイン科を卒業された経験者の方からご回答をいただけてとても嬉しいです!
1~4までの項目を熟読しました。
同窓生のうち2~4人、率にして大体5~10%が任天堂に就職されるというのは、やはりさすが藝大は驚異的な就職倍率ですね。
デザイン科45人中の5~10%ですから、いずれにせよ過酷な競争であることに変わりはないですが、しかし私大と比べるとパーセンテージとしては圧倒的数値かと。
参考になりました。
藝大の倍率低下によって現役合格率が上がっているのは私にとって嬉しい追い風ですね。
ただ勉強の出来る受験生も増えているということで、学科を抜かりなくやっていこうかと。
また、藝大と私大における機材と制作環境の違いはとてもよくわかります。藝大・武蔵美・多摩美はオープンキャンパスに行ったことがあるのですが、私大二校の華々しい制作環境と比べると藝大はミニマムな環境で、良くも悪くも国立という点が出ていましたね。特にデザイン科のMACなど、機材に期待はしません。お話しいただいたように、日本最高レベルの同期と切磋琢磨して制作できる環境が藝大の何よりのメリットだと考えています。
藝大進学を「選択肢としては現実的だと思う。」と言ってくださるのはとてもありがたいです。
高3夏時点での実力判定で厳しいものがあったとしても、その年は藝大専願で受けるかと思いますが、もし入試に失敗した場合は1浪目で私大も併願し受験する柔軟さを持ち保険としたいと思います。
ありがとうございました!